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旭医大取材の本紙記者逮捕 社内調査報告 07/07 07:00 北海道 社会 北海道新聞社は、旭川医科大の校舎に許可なく立ち入ったとして、旭川支社報道部の記者が建造物侵入の疑いで逮捕された事件で、この記者と現場で取材していた報道部の3人の記者、担当の部次長らから事実関係について聞き取り調査しました。確認した内容を読者の皆さまに説明します。 [ P R ] ■事実経過 旭医大は6月22日午後3時から、吉田晃敏学長の解任問題を議論する学長選考会議を校内で開きました。 節目の会議だったため、北海道新聞の4人を含む報道各社の記者が、会議を終えた選考委員に取材するため大学の敷地内で待機していました。 午後3時50分ごろ、旭医大は報道各社にファクスで、会議終了後の午後6時に同大中央玄関前で記者団の取材に応じることを通知。文書には新型コロナウイルス感染防止のため、構内への立ち入りを禁止していることも記載していました。 大学から通知を受け取った報道部では、現場取材の責任者(キャップ)ら3人の記者に通知をメールしましたが、現場に入社1年目の記者もいることを把握しておらず、この記者には送りませんでした。 午後4時ごろ、キャップはこの記者に対し、校舎内に入って出席者が通る可能性のある2階付近の廊下で待つよう指示しました。 キャップは、通知の後段にあった「入構禁止」の要請を見逃しており、「これまでも入構禁止になっていたが、慣例的に自由に立ち入って取材していたため、入らせた」としています。 記者は午後4時25分ごろ、会議が行われている可能性がある4階に向かうよう指示されました。電話や無料通信アプリのLINE(ライン)で複数のやりとりがあったため、キャップがこの指示を出したのか、別の記者なのか、はっきりしません。 その後、記者は会議が行われているとみられる部屋を見つけてドアの前に立ち、スマートフォンをドアの隙間に近づけて録音しました。 数分後、会議室から出てきた職員に見つかり、身分を聞かれましたが、あいまいな返答を繰り返しました。後ずさりするような行動をして職員に取り押さえられ(常人逮捕)、身柄を旭川東署に引き渡されました。記者が北海道新聞の名刺と腕章を示したのは警察官が駆けつけた後でした。 記者は24日に釈放され、同署が在宅で捜査を続けています。 ■情報共有、記者教育に問題点 北海道新聞社は22日の旭医大の取材で、情報共有や取材手法、記者教育の点で、以下のような問題があったと考えます。 この日の会議に先立ち、18日に行われた学長選考会議の際、報道各社が旭医大の取材対応に不信感を抱き、会場の4階に行って事務局とトラブルになり、旭医大が許可なく校舎内に立ち入らないよう報道陣に強く抗議していました。北海道新聞も22日とは別の記者が4階の現場にいましたが、18日のトラブルの情報は北海道新聞の記者の間で十分に共有されず、逮捕された記者も知りませんでした。 新人記者を単独で校舎内に立ち入って取材させたことにも問題がありました。この記者が旭医大問題を取材するのは22日が初めてで、取材経験の浅い記者に校舎内に入るよう指示した理由について、キャップは「経験を積ませたかった」としています。 的確な指示がなかったため、記者は一部の先輩記者から聞いた体験談をもとに、自分の判断で会議内容をスマートフォンで無断録音していました。北海道新聞は取材のルールを記した「記者の指針」で、記者の倫理上、無断録音は原則しないと定めていますが、指導が徹底されていませんでした。 職員に見つかった際も、すぐに北海道新聞記者と名乗り、取材目的であると告げるべきでしたが、動揺していたこともあって、できませんでした。キャップや別の記者から、校舎内で身分を聞かれても、はぐらかすように言われていたことも影響しました。 一連の経過をみると、取材方法を指導するべき報道部の部次長や、報道部の業務全体を統括する部長の関与が不十分だったと考えています。 ■早急に再発防止策 ひるまず取材継続 編集局長 小林亨 私たち新聞社は憲法で保障された表現の自由を守り、国民の「知る権利」に奉仕することが責務です。国立大学法人である旭川医科大の学長の進退を巡る問題は公益にかなう取材テーマであり、北海道新聞は全力で取材に当たってきました。 全国的にも関心の高いテーマにもかかわらず、メディアの側からすれば旭医大の取材対応は十分とは言い難いものがありました。そのため、会議の出席者に個別に取材して事実関係を把握するなど、さまざまな取材手法を駆使してきました。こうした中で、取材中の記者が旭医大に常人逮捕されるという事態が生じたことは遺憾と言わざるを得ません。 ただ、記者が逮捕された6月22日の取材の状況を検証する限り、反省すべき点もあり、取材部門を統括する責任者としてこの事態を招いたことを重く受け止めています。記者教育や組織運営のあり方などを早急に見直し、再発防止に努めます。 北海道新聞社は、一線の記者たちが安心して取材できる環境をあらためてつくるとともに、今回の事件にひるむことなく、国民の「知る権利」のために尽くしてまいります。 電子版会員限定記事を表示しています。 今月の閲覧本数:残り 9本
これ最近は保健所も捕獲してくれないし、保護猫団体も言っても取り合わない事が多いよ
なので猫捕獲機で捕獲して、全頭保健所に連れていく勢いで排除してたら、やむなく保健所からの要請で保護団体が出てくる。
どうにかしてくれたらいいなぁでは、何もならん。
俺はそうした。殺処分を求めて保健所の職員と口論してたら、餌やりBBAにも注意してくれたし、保健所から頼まれた保護団体がもってったわ
保護団体にもキャパがあるから受け入れない事は多いし、保健所では殺処分しないところも増えてるから、揉めないと泣き寝入りするしかないのが現状なんだよ。
ちなみに猫捕獲機は自治体で借りられるところもある(うちはそう)ので、買う必要はないぞ。
いくら野良猫が嫌いで許しがたい存在であっても、不凍液だの、毒餌だのは、自宅の敷地内に置いといたら食べました的な事故も犯罪とみなされたら終わりなので
コロナ禍で遠出をしていないせいか、何年も前の旅行をきっかけもなく思い出す。たとえば友人と厳島に旅行したとき、土産物屋に「マ●コおすすめ」と書いてあったのだが、それを指さして友人が「一瞬ぎょっとしたわ」と口にした。自分は「西日本だとオ●コになるんじゃないか」と指摘したが、友人にはスルーされた。「九州だとボ●」だよな、と続けたら「お前いい加減にしろ」と𠮟られた。言い出しっぺは友人なのに納得できない。
なお、厳島の鹿は落とし物のパンフレットも食い散らかすほど貪欲である。
そういえば、同じ旅で広島の原爆資料館を訪れたのだが、「これだけ戦略上有利な兵器を捨てるのって無理じゃないか?」といつになく深刻な雰囲気になった。するとタクシーの運転手さんがそれを察したのか、ゲイバーを訪れた時の話をしてくれた。営業時間が終わると中から化粧を落とした屈強な男性が出てきたので、「昼は何をしているのか」と尋ねたところ、「肉体労働をしている」との返事だったそうだ。
適度な生活感がある話であり、多くの死を前にしたあとに何となく救われた思いがした。自分たちは今のところは生きているのである。
三大欲求は生活感をもたらす際たるものなのだけれど、それが思いがけない人の口から出ると幾分ぎょっとする。学生時代だから十年以上前になるか、京都は哲学の道沿いにある枯れ山水のきれいな寺を訪れたとき、入場券売り場の男性と言葉を交わした。そこでどんな文脈だったか忘れたが、彼が「六年生にもなると覚えちゃうでしょ、オナニーとか」と放言したのである。
この日記を見ればわかるように、自分は卑俗卑猥なものは嫌いではないが、さすがにこの時は面食らってしまった。一応宗教施設であるのに、いったいどういう経緯でこういうタイプのおっちゃんが寺の受付に選ばれたのか、まったくの謎である。
寺といえば、近頃は有給休暇を取ってひっそりと鎌倉を訪ねている。今年は生きてきて一番たくさんアジサイを眺めた年になりそうだ。鎌倉も観光地化が著しいが、それでも土日は混雑緩和のために敷地を非公開にしたり、一眼レフカメラを禁止したり、庭園鑑賞の前にまずは本堂で参拝することを命じていたりと、それにあらがう流れもあるようである。
この日は歩いていたら新しい喫茶店を見つけたので休憩。旅先ではしばしば牡蠣ソフトクリームだとか醤油ソフトクリームだとか普段食べないものを頼むし、前述の友人は旅先では一日に三杯から四杯のアイスを平らげていたが、今日はそういう気分ではない。
変わりものといえば、別の友人から下北沢で納豆クレープを食わされた。味はまあまあ。少なくとも名古屋の喫茶マウンテンよりはうまかった。
食の話ついでに書く。この日に久し振りに高級な肉を食べたが、以前よりも脂肪とタンパク質を口にしたときの喜びが減衰している。確かに良い肉であって摂取しても不快にならないタイプの脂肪なのだが、それよりも山盛りの野菜と豆が食いたいのだ。お前は当分肉を食うことはまかりならんと言われても、さほど傷つかないだろう。魚だってある。
野菜で思い出したが、最初の非常事態宣言以来、ひいきにしていた店のランチサラダビュッフェがなくなってしまった。しかも、経営難かランチを二度も百円値上げした。しばらく足を運んでいない。
近頃は新しいランチを開拓するのが難しい。コロナ禍で店が閉まっているからだ。そんな中、新しく見つけた蕎麦屋の天丼に乗ったエビの食感が良かったのだが、店員の女性からおつりの小銭を受け取るときに指が妙な具合に絡まってしまい、ばつの悪い思いをした。もう一度行くことをためらう。
ところで、渋谷駅構内を歩いていたら、短パンにブラトップの女性とすれ違った。先週はへそ出しファッションの女性が自分の目の前に座っていた。確かにこう暑くては脱がないとやってられないが、食道楽の自分としては見せられる腹がうらやましい。
就活が終わらない。まだ3年生だった去年の夏から始めたのに、一社も内定が取れていない。
そもそも働く気がない。働いたってどうせうまくいくわけがない。
そもそも企業が求めている人材像と自分の性格が全く一致していない。
企業が求めているのは自分みたいな根暗・不器用・コミュ障・陰キャ・向上心皆無・無能人間ではない。
適性検査やグルディス、グループワーク、面接を一度でも経験すればわかることだ。
だんだん意欲が失せてきて就活をやる気力も無くなって、でもやらなければ親がうるさいし家にいられなくなるからやらざるを得ない。
いっそのことサボってしまおうと決めてゲームしてる時でも、就活のことがずっと頭によぎって憂鬱になってくる。
結局Twitterを見てる時が一番いやなことが浮かばないまま時間を過ごせる。
こんなクソみたいなシステム考えたやつを殺したい。
カップルも子供もゼミで髪染めてくるANTも面接官も偉そうな人間も家族も23卒24卒25卒も就活アドバイザーも人事もサロンとかやってる詐欺師もさっさと消えてほしい。
全てに嫌気が差す。
なんでこんな読みにくくて中学生が書いた文章しか書けないんだろうね。
最初は自分ってこんなに無能なんだ、早く消えたいっていう考えだったのに、いつからか皆死んでほしいになってるのが怖い。
でも本当はもっと遊びたいし見たいアニメもあるのに何で自分だけこんなつらい目に合ってるのかわからない。
いつだって自分が一番かわいいから自分が一番かわいそうなだけでしかない。
他の人だって苦労してるよ、私だって大変とか言ってくる奴が嫌い。
そんなこと言ったって自分の辛さは消えないしだから何なんだっていう感じ。
あーもう本当に自分が嫌い。
自分で何とかしたいっていう気持ちとなんで誰も助けてくれないんだっていう気持ちがある。
自立できないのにプライドがバリ高いせいでこうなってるの自覚していない。
自己分析してたら昔の嫌な記憶とか恥ずかしかった記憶とか失敗した記憶が蘇ってくる。
まともにエントリーシート読まないくせに無駄に深堀りしてくる面接官が嫌い。
zoomに映っている自分が嫌い。こんなんじゃ雇われなくて当然。
多様性とか人柄重視とか言ってるのに雇うのは同じような人間なの本当にウケる。
全てが気持ち悪い、全てが建前
こんな世界はやく無くなればいい
でも働く人がいなかったら遊べないんだっけ
あー労働嫌い
中野区中央は狭い敷地に同じような家が同じように建ち、みっしりと並んだ区画が続く。歩いているうちに自分がどこへ向かっているのかわからなくなる。東京の住宅地はそんなものだといえばそうだが、中央と名乗るからには、もうすこし街らしい華やかさがあってもよさそうなものではないか? 中野区中央は、その種のにぎわいとは無縁な場所だった。
べつに好き好んで中央まで歩いて来たわけではない。職場の寺元さんがこの1週間ほど出勤せず、連絡もとれない。社長に渡された住所のメモと住宅地図のコピーを頼りに寺元さんの居所を探し、様子を探るよう、依頼を受けて来た。他に社員は私しかいなかったからそうなったわけだ。
ファート商会という会社が私たちの職場だった。本社は中野にあり、放屁の気体用保存容器を製造販売している。このシリンダー状の容器に放屁を閉じこめておくと、どれほど時間が経っても、栓を開けさえすれば、気体が肛門を通って出てきた瞬間のフレッシュな臭気を嗅ぐことができる。このような器具にどれほどの需要があるものかと、最初私は半信半疑だった。が、細々と着実に注文が入り、会社は今まで生き延びてきた。
中野では誰もがその日を生き延びるのに精一杯だった。いちど中野駅で電車が止まれば、もう中野を出て行くことはできなかったからだ。
もう何年も前の話だ。夕方、私は仕事を終えて秋葉原から総武線に乗り、荻窪のアパートへ帰ろうとしていた。電車は中野で停まり、ドアが開いた。もともと中野での停車時間は不自然に長かった。新たに乗り込んでくる人はおらず、車内に放置された乗客は、列車が再び動き出すまで忍耐強く黙っているのが常だった。だがその日の停車時間は長すぎた。15分を過ぎた頃から、いらいらと外の様子をうかがったり、ホームへ降りたりする乗客が出はじめた。それでも列車は動く気配がなかった。30分が経過した頃、当駅で列車は運行を終了する旨のアナウンスが流れ、乗客は全員が外に出された。それ以来、私たちは中野で暮らしている。
中野は孤絶している。東京の他の区からも、日本の他の地域からも隔離されたままだ。新宿よりも西に向かう列車を選択的にブロックするよう、政府からJR東日本へ命令があったとかいう噂だ。感染症の拡散を防ぎ、テレワークの普及を急ぐためらしかった。通勤を控えるようにこれまでさんざん忠告したのだから、都心へ通勤した輩はもう帰宅させなくてもよろしいというわけだ。だが噂は噂で、なぜ中野以西への鉄道運行が突然終了したのか、本当のことを知る人はいない。少なくとも中野にはいないと思う。
中野で足止めされたら、人生を中野でやり直すしかなかった(生き続けていくのであれば)。テレワークをしていなかった乗客は一瞬で路頭に迷った。中野で住みかを見つけ、仕事を見つけ、生活の糧を得ていくしかなかった。
練馬、杉並、新宿と中野の境界には有刺鉄線を張ったバリケードが設置され、高いコンクリート壁の建設が始まっていた。20式小銃を抱えた警備隊が昼も夜もバリケードの前を行き来していた。こうした措置に抗議したり、やけを起こしたりして境界へ突入する人はときどきいたが、その場で「管理」され、戻ってくることはなかった。「管理」されたくなければ、望んで降りたわけでもない中野で生きていく他はなかった。
ファート商会は、中野へ流れ着いた人間で始めた会社だった。偶然に同じ場所に居合わせた三人、空き家になっていた蔦だらけの木造家屋を見つけて寝泊まりしていた三人だった。私たちは手持ちの金を出し合って米を炊き、駅前の広場で獲った鳩を焼いて共同生活を送った。放屁を保存するシリンダー型容器というアイディアを出したのは、社長の鬼澤さんだった。本人の話では、食品の品質検査に使う精密機器の会社に勤めていたそうで、その方面の知識は豊富だった。最初は中国から大量に取り寄せたシリンダーを小箱に詰め替えて転売していた(中野から移動はできなかったが郵便物は届いた)。仕入元と取引を重ねるうちに、小ロットでも自社ロゴマーク入りの製品を作ってもらえるようになった。
その頃には空き家の相続人を名乗る人物から弁護士経由で文書が届いて、私たちは追い出された(急激な人口増加のため中野の地価は上がったらしい)。駅近くの雑居ビルにたまたま空きがあったのでそこに移り、事務所で共同生活をしながら放屁の保存容器を日本中に送り続けた。事務所とは名ばかりで、中国から届いた段ボール箱が積み重なる室内には洗濯物が下がり、夕食の豚肉を焼くにおいが漂っていた。
三人がそれぞれに部屋を借りて事務所から引越したのは、それからさらに一年ほど経ってからだ。そうするだけの資金がようやくできた、そろそろ仕事とプライベートを分けたい、当面は中野から出られる見込みがなさそうだ、といった思惑や妥協が交差した結果、私たちはそろって職住同一から職住近接の体制へ移行したのだった。
鬼澤さんに渡された地図のコピーを見ても、寺元さんの住みかはさっぱりわからない。どの角を曲がっても同じような家並みばかりで、ときおり家の塀に貼ってある番地表示板だけが現在地を知る手がかりだった。ひと昔前までは、スマートフォンで地図アプリを見れば迷わずにいろいろなところへ行けた。中野に閉じこめられてから、その類のアプリはなぜかいっさい起動しなくなった。だから中野で住宅地図は貴重品になっていた。
何度も同じ所を行ったり来たりして、ようやく見つけた寺元さんの居宅は、路地の奥にあった。旗竿地というのか、家と家の間を通って行くと不意に現れる隙間がある。そこへはまりこむようにして古アパートが建っていた。鉄柵にかかるプラ板に、かすれた文字で「シャトーひまわり」と書いてある。柵のペンキはささくれ立った指の皮のように、いたるところから剥けて、露出した地金から赤錆が吹き出していた。一階の通路には落ち葉が吹き溜まり、繰り返し人が通った箇所では砕けて粉になっていた。各戸の前に置かれた洗濯機のカバーは、もとは水色だったらしいが、雨と埃をかぶり続けて黒くなっていた。
103号室には表札も呼び鈴もついていない。寺元さんの居所はここらしいが、本当にそうであることを示す手がかりはない。ドアをノックしたら全く無関係な他人が出てきて、警戒心に満ちた視線を向けてくるかもしれない。そういう可能性を考えると、ドアをコツコツとやる力が自然に弱々しくなる。返事はない。中に人の気配があるのかどうかも分からない。洗濯機の上にはすりガラスの小窓がついているが、その奥で人影が動く様子もない。小声で名前を呼びながら再びノックしてもやはり返事はなかった。
寺元さんは出かけているのだろうか。あるいは先週あたりに部屋の中で倒れて誰にも気づかれず……不意にそんな想念にとりつかれたが、辺りは埃っぽい臭いがするだけだ。やはり出かけているのだろう。
その場を離れようとして歩き始めた瞬間、背後で音がした。振り返ると、寺元さんがドアの隙間から半分だけ身を乗り出し、こちらを見ていた。禿げ上がった丸顔はいつもより青白く、無精ひげの生えた頬がこけて見えた。「田村さん、なんで……ああ、そうか……まあ、ここじゃなんなので、どうぞ……」
「散らかってるけど」
といいながら寺元さんは私を部屋に招き入れたが、中は私の部屋よりもきれいに片づいていた。ローテーブルの上にはA4サイズのポスターみたいなものが散らばっていた。猫の写真の下に黄色い枠が印刷してあり、「さがしています」という文字が見えた。
「先週から急にいなくなっちゃってね、ずっと探してたんだけど……」
猫を飼いはじめたと寺元さんが言ったのは半年ぐらい前だったか。ランチの時に写真を見せてきたのを覚えている。たしか、ニティンとかいう名前だった。額の毛が富士山のような形に、白と黒に分かれている猫だ。
「この近所では、見つからない感じ?」
「毎日そこらじゅうの路地に入って見て、電柱にポスターも貼ったんだけどね。今のところ手がかりはなくて……」
寺元さんは俯いたままTVのリモコンをいじくり回していた。目の下にできた隈が濃かった。
中野では孤独死が増えているらしい。突然にそれまでの生活、人間関係から切り離され、中野に閉じこめられた人々が、生き残りをかけてあがき続け、一息ついたあとに待っていたものは、容赦のない孤絶だったというわけだ。
職場への連絡も忘れ、一週間にわたって捜索を続けていた寺元さんと猫との個人的な結びつきは、どれほどのものだったのだろう。そして突然に去られたと知ったときの衝撃は……いや、仕事を忘れていたのではなくて、猫を探すために休むと言えなかったから、連絡できなかったのかもしれない。猫の存在が、どれほど寺元さんの柔らかいところに入り込んでいたか、誰にも知られたくなかったから、中野ではそれなりに気心が知れているはずの私たちにも、失踪事件とそれがもたらした内面の緊急事態について、口を閉ざしていたのではないだろうか……
「鬼澤さんには、寺元さんが体調崩して寝込んでたとか言っておくので、ニティンの捜索、続けてください」
「気遣わせちゃって、ごめん。僕の方からも、後で連絡入れておこうと思うから……」
寺元さんはアルミサッシを静かに開け、冷蔵庫から麦茶を出した。梅雨時の空気で蒸し暑くなり始めた部屋にかすかな風が入ってきた。窓の外に見えるのは隣家の壁ばかりで、申し訳程度についたコンクリート製のバルコニーの下には、古い落ち葉が厚く積もっていた。その隙間に何か、木の根か、古い革製品のような、黒に近い焦げ茶色のものが突き出ている。表面には緑の苔か黴のようなものが吹いて、時折、びくり、びくりと脈動しているように見える。
「寺元さん、そこに、何かいるみたいなんだけど」
「ああ、それ、引っ越してきたときからずっとそこにあって……え、動いてる?」
その「何か」の動きはしだいに大きくなり、周辺の落ち葉がめくれて露出した土には蚯蚓や百足が這っていた。そこに埋まっていた朽木のようなものは、地表面に見えていた一部分よりもはるかに大きかった。それは蛹のように蠕動しながら室内へどたりと入ってきた。麦茶のグラスが倒れ、中身がフローリングの上に広がった。
その「何か」は動き続けるうちに表皮が剥がれて、琥珀色をしたカブトムシの蛹的なものが姿を現した。痙攣的な動きはしだいにゆっくりと、動物らしい所作が読みとれるようなものになってきた。やがて内側から被膜が裂け、現れたのは肌だった。真白なその表面へしだいに赤みが差してきた。寝袋のように床へ残された被膜から、人型をしたものが起きあがる。
それは姉だった。間違いなく姉だった。17歳の夏の夕方、高校の帰り道、自転車ごと、農道のどこかで消えた姉。警察が公開捜査に踏み切り、全国の交番に写真が貼り出されても、けっして戻ってくることのなかった姉。落ち着いたピンク色のフレンチスリーブワンピースを着て、薔薇色の頬に薄い唇と切れ長の眼が微笑み、当時の面影はそのままに、だが記憶の中の姉よりもはるかに大人びた姉が私を見ていた。
「背、伸びたじゃん」
といいながら姉が私の腕に触れた瞬間、思わず涙がこぼれた。
「そうか、田村さんのお姉さんだったのか。だからずっとそこに……」
寺元さんは何か遠く、眩しいものを見るような目で、姉と私を見ていた。
姉は寺元さんに微笑みかけながらも決然と言った。寺元さんは照れくささと寂しさの入り交じったような顔で笑った。が、不意に真顔に戻った。
かすかに、猫の鳴き声のような音が聞こえる。涼しい夕方の空気が窓から入ってくる。
どこか遠いところを見ながら姉が言う。
「もうそんな季節か」
中野ディオニューシアまつりは毎年初夏に行われる。今年もたくさんの供物を捧げた行列が、狂乱状態の男女が、鍋屋横町を練り歩くのだろう。中野で過ごす何度目の夏になるだろう。いつの間にか、夏の風物詩を繰り返す季節の一部として、中野で受け入れつつある私がいた。
「風情が無い」とかならわかるけどさ。
お前の寂しい?感情は理解するが、本当に荒れた状態の庭を見てから言って欲しいわ。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、除草剤如きで隣の庭に一々言及してんじゃねーよ、ボケが。
なんか庭を荒らさないようにって意思が感じられるじゃん。爺一人で除草剤か。頑張ってるな。
よーし爺ちゃん庭仕事しちゃうぞー、とか言ってるの。偉いだろ。
お前な、庭があれたとか言ってる暇があるなら声くらいかけろと。
雑草どころか、これ、木? みたいな謎の植物が生い茂って、隣の敷地まで伸びてきて、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刈るか燃やすか、そんな雰囲気が荒れた庭じゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、増田なんかに書き込んだと思ったら、隣のお前が、除草剤で荒れた庭、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、そんなんで荒れたとかきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、荒れた庭、だ。
お前は本当に荒れた庭を見たことあるのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、荒れた庭って言いたいだけちゃうんかと。
農学部園芸系出身で荒れた庭の始末をした経験持ちの俺から言わせてもらえば今、荒れた庭通の間での最新流行はやっぱり、
人が住んでるのか住んでないのかわからない家の裏庭、これだね。
これ色々始末したいんだけどやっていいのかわかんねえしやらないとこっちの敷地に張り出してくるし………。これが通の荒れた庭。
勝手に色々やったら後で地権者が文句言ってきそうなリスクでドキドキする、これ。
沖縄県は感染者が毎日300名を超えるなど全国を圧倒的に上回る危機的状況になっている。
海兵隊の普天間基地,空軍の嘉手納基地,司令部,居住区,どれも広大だ。(Googleマップで見てくれ)
米軍関係者の感染は毎日数名程度で,一般県民に比べればコロナを抑制できている。
そんなら,その敷地と人員とワクチンを提供するよう強く求めるのが普通じゃない?
F22とかオスプレイを置いてる場所はともかく,牧港補給基地なんて物資全然置いてない空き地じゃん。使おうよ。
基地の即時全面返還という非現実的要求を何十年も繰り返すより,目先の実現可能性のあるこの程度の依頼をかけるのが簡単じゃん。
もし米軍が快諾してイメージアップになったら党派的にまずいわーってこと?
何年も経ってから「あの時米軍は何も協力しなかった」とか言い出すのかな?
学生時代からの知り合いにいきなりプロポーズされたので、数年前に運勢を見てもらった占い師に再び相談することにした。
占い師の家は、古民家なのに妙に天井が高くて階段が多い。どうやら土木作業員の人とその家族を下宿させているようで、玄関先では子供がドタドタと走り回って騒いでいた。
「以前ここで占っていただいた時、『次に付き合う人とは一年で別れる』と言われました。それなのに交際をすっ飛ばして結婚なんかして大丈夫なんでしょうか」
「占いの結果はそうだけれど、結婚において大事なのは気持ちだから。あなたが彼を好きなら、行く末だけを気にしてプロポーズを断ったりすると、この先ずっと後悔するかもしれない」
なるほどな、と思いつつ古民家を後にした。
プロポーズしてくれた知り合いは、まともな性格でまともな生活をしている人だった。少なくとも嫌いではない。
「とりあえず結婚しようかな」と思いながら自宅に帰ると、我が家はきれいさっぱりなくなっていて、敷地内はコンクリートの地面にパイプ椅子と長机が置いてあるだけの状態となっていた。
気の早すぎる母親が、「娘が結婚するならもう持ち家はいらない」と判断し、跡形もなく取り壊してしまったらしい。
仕方がないので、長机の上でパソコンを開いて動画サイトを観ることにした。隣の家との区切りになっている塀の上に、タコ足配線のコンセントが設置してあったので、そこにバッテリーを繋いだ。
特に観たいものもなかったので、とりあえず好きなヴィジュアル系バンドの曲を流してみた。本来はバラード調の曲がEDMみたいにリミックスされていて、歌詞の雰囲気はぶち壊しだったけれどリズムは良かった。
夕陽をバックに海の上をはねる金魚の映像が音楽と一緒に流れていて、なんとなく楽しい気分になってきた時、近所のおばちゃんがやってきた。
どうやら私の家が取り壊されたと聞いて、わざわざ見に来たらしい。敷地の外を見ると、中学の同級生だったAまでがうちの敷地を覗き込んでいた。私はAが嫌いなので、「わざわざ来るなよ」と思った。
Aは珍妙なサングラスをかけていて、異様にガラが悪い雰囲気をまとっていたが、敷地の中に入ってくる様子はないので放っておくことにした。
おばちゃんは敷地の隅々までをもの珍し気に見て、何やらひとりで感動していた。ホッとした私は、再び映像と音楽に集中することにした。そのうち妙におだやかな気分になって、一生このまま画面の前にいられたらいいのにな、としみじみ思った。
おわり。
夢の中でプロポーズをしてきた男の人は、実在の人物ではない。そもそも私が学生の時に知り合った異性は、今やどこで何をしてるか分からない人ばかりだ。
ワイ沖縄、医療従事者の接種もおわらんうちに感染爆発してて、本当に来週再来週にはスーパーにも行けなくなるんじゃないかと怯えてる。
去年は一瞬感染拡大して非難を浴びたけど最近は毎日数名に抑えられてる。
軍隊だし縛りが強いのとワクチン接種体制が段違いなんだろうな。
玉城デニー知事は反基地の立場を代表する手前、米軍への協力依頼は恐らく出さないだろう。
でも、今こそ米軍のだだっ広い敷地に隔離病棟建てたり米軍病院の力を借りてワクチンを打ちまくるべきだ。
オファーして米軍が断ればデニーの立場的には有利になるし、オッケーなら互いにWin-Winだし、オファーぐらいしたらどうだろうか。
念の為ぼかす。
一昨年、近所の庭のある1戸建てに一人暮らしのおばさんが引っ越してきた。
その家は前住居者が離婚して、家族が出ていき、その所有者がリフォームを施し貸家にしたものだ。
日当たりが良く、庭はその家と隣の家の間にあり南側の道路に面していたので、日照権を得られなかった私の家族はその家を羨ましがっていた。道路に面した部分はフェンスと門扉で覆われているが、野良猫がそのフェンスをくぐり、その庭の間を通るのを昔はよく見かけた。
独居中年女性の存在が結構珍しく、母の仲間たちも「未亡人なのかね」「子供が独り立ちしてるのかもね」「ママさんバレー興味あるかな」と引っ越し当初は持ち切りだった。
しかし、あまり周りとのコミュニーケーションを取りたがるような人ではなかったみたいで、周りもソッとしていた。
近所に大きな駐車場があり、そこに結構な数の野良猫がいた。過剰に猫に餌やりをする女がいて、そのせいか野良猫のたまり場になっていて、近所に庭のある家は糞尿の被害にあっていて、夏場の臭いは酷いものだった。
おばさんの家の庭も例外ではなかったのが容易に想像はついた。おばさんは園芸が好きみたいで、庭にはプランターや木の入った鉢など沢山おいてあった。
その横に開封してある猫缶らしきものが置いてあったのが驚いた。庭を荒らされても平気な程、猫が好きなんだろうなと思った。
ある日、珍しくおばさんを庭先で見かけた。おばさんはしゃがみこんで、菜箸で猫缶の中身を混ぜていた。その横に青色の不凍液のボトルが置いてあり、チョビチョビと猫缶に不凍液を混ぜながらかき混ぜているのだ。
ギョッとした俺は、見て見ぬふりを通り過ぎた。
今まで彼女はずっと、野良猫に不凍液を混ぜた猫缶を与え続けていたのだ。
今朝、そういえば最近野良猫全く見なくなったね。と母が言った。去年はふん尿のニオイも無くて良かった。窓を開けて喚起ができたから。そういえば駐車場でも冬場に野良猫1匹も見なかった。保健所に連れていかれたのかもね。車運転する時、誤っていつか踏むんじゃないかと思ってたから、ホッとしたよ。
そんな話をしていた。
俺は猫は好きでも嫌いでもないが、野良猫に餌をやる行為は間違いなく誤りだと思う。動物を飼ったことのある人間ならわかると思うが、餌やり、トイレの世話、健康チェックから看取りまで、全てこなして飼育なのだ。
去勢手術も施さず1番楽な餌やりだけやって猫を護った気になれるならそれは独善的すぎるし、なんなら雑食の猫の自活力を奪い、の不幸の連鎖を繋ぐ手助けをする悪魔的な行為だ。手えだすならしまいまでやれと、俺が子供の頃に働いていた湯屋で世話になっていた職人が言っていたのを思い出す。
おばさんが恣意的に野良猫を殺したことは、褒められたことではない。しかし、おばさんを責める事は誰ができるんだろうか。地域猫としての処置をされた野良猫なんて1匹も居なかった。
愛護法に動物はみだりに殺してはいけないとあるが、おばさんは自分の家の敷地内に不凍液を混ぜた猫缶を置いていただけだ。近所を歩き回って叩き殺したわけでもなく、猫のいるスポットに毒餌を置いて回っていたわけでもない。「みだり」の定義に反するかは疑問である。猫いらずでねずみを殺す感覚に近いのかもしれない。
俺にはおばさんを責める権利が見当たらなかった。
猫殺しの気味の悪い中年女の行為が、近隣住民のQOLの向上につながった事を知っているのは俺だけなんだろうな、と今はもう猫缶が置いてないおばさんの庭先を通り、ふと思った。
普通に起きて普通に電車に乗って普通に会場まで行く。流石に最寄り駅の路線では受験生っぽい面々がチラチラいたけど、そこまで混雑してもいなかった。
受験会場最寄り駅では受験生に向けて伊藤塾や辰巳のスタッフがパンフレットとか配りまくってるんだけど、今年は伊藤も辰巳も帰りのタイミングですらいなくて、法科大学院のパンフレットを配ってるグループしかいなかった。
会場は某大学だったんだけど、大学の敷地に入るタイミングで受験票の提示を求められた。大学内で売店的なのは当然やっていないので何か食べ物飲み物を購入するときは敷地外のコンビニに行かされるんだけど、敷地を出入りするときは受験票の提示を都度求められた。試験が終わって毎回、大学敷地の外に出るときは受験票を持たないと戻れませんという旨を試験監督員が説明してた。セキュリティ対策なんだろうけど、おそらく去年の司法試験ナンパ事件の影響だろう。
試験開始15分前には毎回試験に当たっての注意事項を説明するのだけれど、相変わらずちょっと高圧的な物言いで同じことを何回も繰り返すので、なんか怒られてるみたいで聞いててちょっとしんどい。
アドリブを交えて気の利いたことを言ってくれてもいいのになって思うんだけど、慣れない人が下手にアドリブ入れると本来の説明がわけわかんなくなるので、そこら辺は致し方ないのだろう。それにしたってもうちょっと柔らかい言い方で説明してくれたらいいのにって思うんだけどね。聞いた話によると彼らは別に公務員でもなんでもなくどこかの派遣会社から臨時で雇われた人たちらしいけど、実際は知らない。試験監督員って書いてる名札を首から下げているので試験監督員かどうかは一応識別できるけど、これ試験監督員がなりすましだったらどうするんだろう。全く同じ説明を都合4回も繰り返すだけだったら、髪色明るめ肌色黒めネイルマシマシの綺麗なお姉ちゃんに注意事項を説明してもらえる方がいいな。
去年と同じように、受験生はフェイスガードと手袋をつけることが許されているんだけど、誰もフェイスガードも手袋もしてなかった。机上にハンカチ、ウェットティッシュ、消毒液を置くのは許されているけどカバンを地面に置かないといけないのが嫌なので新聞紙やシートを持参した方がいいだろう。ゴミ袋もあった方がいいと思う。
去年は1、2割ほど欠席してたけど、今年は2、3割ほど欠席してるイメージで、去年より欠席者数が多い気がした。あと心なしか若い人が少ない気がした。そりゃ緊急事態宣言中なので、大学生で記念に受験したい人とかはちょっと遠慮しちゃうかもね。
席については、大学の講義室で数メートル5人がけの講義受けるあのテーブルで2人座る列と1人だけ座る列が交互だった。一応1メートルちょっとくらいなら距離は保ててたと思う。休んでる人も少なくなかったから、ある程度距離はあった。
特にないです。盛大に声を出してあくびをするオッサンが同じ部屋にいてイラッとしたけど、最後の方は流石に試験監督員に注意されたのかあくびの声がちょっと省エネになってた。
過去にやらかした人がいるからだろう、カンニング対策で試験室内での電子機器の使用が禁止されてる。なので試験室の中ではスマホの電源を常時オフにしないといけない。
でもこれ去年もなんだけど、試験が終わって部屋を退出するときはコロナ対策で部屋ごと別々に退出するんだけど、全部の試験が終わって答案用紙も回収されてあとは部屋を退出するだけ、っていうタイミングですら携帯電話を使わせてもらえないのよ。だからこの待ち時間がすごい虚無なんだよね。我々は今この時間何をして待てばいいのか?ちょっと困惑しながら今後のことを考えていた。今回は割とすんなり部屋から出れたけど、まあまあの人数が行列をなして密集してたから結局三密対策できてなかったし。
宇都宮さんはオリパラ中止を訴えるよりも予備試験司法試験延期を訴えた方が効果的だったんじゃないかなって思うんだけど、試験関係についてはなんのコメントもなかったので、つまりそういうことなんだろうなって思った。
上視点で落ちる3Dブロックを半球の上に積んでいき、バランスを崩したら終わりなジグラットというPCゲームが昔あった
隣同士がhogehogeというなんかルールが居るな。
物を落とすゲームを考えよう。マリオブラザーズとかアイスクライマーみたいに操作可能なキャラは実装しないものとする。
何を落とすか?
上から落ちてくるもの? 鳥の糞とか? それは鳥の糞を避けるゲームになってしまう。
アルカノイドじみてくる。
普通落ちてこないもの? 飛ぶもの? UFO? ピザとかどうだろう?
ハンバーガー作るゲームまでは辿り着けそう。パンで具を挟むと消えるというかウェイターが客に運ぶ。オーダー通りに作るとか、挟み方によって点数変わるとか。
重ねるって考えたら結局ハンバーガーをブレーメンの音楽隊に変えたもの。
一旦重なるから離れるか?
いや、落ちゲーで次々落ちてくるんだから処理しないと重なる。受けるとアルカノイドになる。
目的を重ねるではなくす?
隣同士がhogehogeというなんかルールが居るな。
例えば、結構広い敷地(空き地)があって、施設が揃えば、村になり、村を発展させて町にして……。
町:お店、バス停
街:駅
なんかややこしそうだ。アイデアとしてはちょっと良いかもしれない。
ゴールが見えない。クリアというか目的はなんだ。そしてプレイヤーは誰目線だ。村長か?
上から視点だと結局ルールが複雑な一人用五目並べみたいな感じになっちゃう? それかパズルとか? リアルタイムにせかされるシムシティとか。
やっぱり積むか……。
生きることの大変さって人によって全然カラーが違うと思う、健康面、経済面、自尊心、愛情などなど、いろんな大変さがあるだろう。
一定の時間に寝て起きて決まったとおり暮らすというのがまず苦痛。それと同じで、物を定位置に戻すのもできないし、同じ教室の同じ席に座り続けるのも、90分黒板や教科書を見てるのも、決められた敷地内で半日以上何年も過ごすのも、ごわごわの制服を着てるのも苦痛だった。ゴミを決まった日に出すのも無理。料理なんて無理すぎるし、すぐ包丁落とすし、冷蔵庫のものを腐らせないのも無理。でもこれらの一つ一つ、本人的にはめちゃくちゃ努力している。ルーティンを紙に何回も書き出して頭に叩き込んだり、効率の良いやり方とか動線を考えたりすることに莫大な時間を使った。家事の本とか数十冊読んでノウハウは理解した。冷蔵庫内の配置とかね。でもできない。結局ぐちゃぐちゃになる。訳がわからない。とにかく、気づけばぐちゃぐちゃになっている。それが自然の理だ。人並みになんかできないんだ。人が3秒で叩き込めるルーティンを3年かかっても叩き込めない。家に帰ってから先に風呂なのか飯なのかみたいなところから、ルーティンにできない。飯を食いたいときしか食えないし風呂に入りたくないときは入れないんだよ。
同じことを決めたとおり続けるのが自分にとっては不自然で、そのときそのとき、目に入ったものに気を取られてしまう。雲が綺麗なら雲に見惚れてしまう。
思えば学生の頃は良かった。サボりたいときはサボって、ぎりぎりで集中的に単位を取り、浪費したりバイトで稼いだり、時には外で遊び時には引きこもったりしていた。アパートは薄暗く宇宙みたいにぐちゃぐちゃで床が見えなかったけど心地よかった。計画的なことは全くできないけど、計画するのは好きで、そのとき頭に浮かんだことを集中して形にしたり、一気に文章にしたり、「気が向いたときに過集中して一気にやる」というやり方ならできることは多い、受験とかもそれで乗り切ってきた。まともな人間になろうという欲と引き換えに何かが変になっちゃったんだ。
無理して、人の真似をして、普通っぽい顔をして普通の暮らしをして表面的には適応してるけどいわゆる注意欠陥多動傾向があると思う。仕事をまともにこなすために私生活は全然ダメでくたくた、家に帰ったらのびてる。自分に言わせればこれが当たり前だよ。どうしてみんな分刻みに間違えられない管理状態の「まとも」な生活を平気な顔してできるんだろうか。はあ。
2020年末に大阪に引っ越してきたがニュースで見てた数字の深刻さとは違い、目に見える景色は大変そうではなかった。
団地に住んでるが、ここ数ヶ月で敷地内に入ってくる救急車を3回見た。
少し位置が違ったので、3回とも違う人。そのうち2回は1時間以上動くことないのも見て、今大阪で見てくれる病院がないっていうのを実感した(結局どれくらいで救急車が行ったのかは見届けなかった)
幹線道路近くだからか、非常事態だからかはわからないが救急車は1日何台もサイレンが聞こえる。
子どもの通う小学校の先生方は感染対策をとてもよくやってくださってると感じる。連絡も早い。しかしすぐ隣の市内小学校でも、入学式の形式などが違い、自治体単位でなく学校単位で対策の仕方が違うことを知った。
親たちは目に見える範囲では穏やかに過ごしている。習い事(プールとか体操教室)が緊急事態宣言出ても中止にならないので自主的に休むか、月謝払ってもったいないから危険承知で行くか悩んでた。
保育園では中止になる行事もあったが、選択式でフェイスシールドつけて親も参加の発表会してたり、結構杜撰だと感じた。クラスターが出て休校になる小学校に通う子どもの親が、クラス全体ラインに「自由参加でお花見しよう☆」と連絡を入れてクラス半数の親子が参加してた。自分含めやんわりでも咎めてる人はいなかった。
吉村知事に関しては、自分の周りでその評価を口にする人はいない(という人付き合いしてない、近所のママさんくらいしか会話しない)自分と自分の親は否定的な評価をしている。
買い物は9時から開いてた店が、まん防を受けた時から10時からしか開かなくなってちょっと不便というくらい。でかい公園は体感4割くらい減ったけど子どもは遊んでる。
自分は完全リモートワークで休日も公園行くくらいで外食ゼロだけど、ちょっと調子悪いって時に熱測ると38度前後なのが数日続いたのが今まで2回ほどあった。PCR受けられる気がしないのでどこにも連絡していない…。
そんな感じ。