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2019-09-07

anond:20190907174401

華厳の滝をひねりすぎて「白糸の滝にとびこめ」とおなじくらいナンセンスだ。

もともとは首釣れはモデム用の電話線だろ。今世代には通じないからって改善するでもなくむしろ改悪してどうすんの

2018-09-30

北海道自殺したバイカーに憧れる

かっこいいバイクに乗って、旅に出て、旅行記に反応してくれる人がたくさんいた若者自殺した。美味しいものを食べ、自然に触れ、文化に触れ、北海道を味わい、入水した。

いい感じの旅をして、家に帰らなかったのだ。

なんてドラマチックな話だろう。ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアだ。なんとなく、憧れる。

憧れる自殺とそうではない自殺があると思う。榎本喜八みたいに病んで死ぬのは嫌だけど、どことなく晴れやかな自殺には憧れる。雲間から少しだけ日が差し込む絵のような自殺

不謹慎な言い方だけど、今回の一件は他人を惹きつける死だったと思う。楽しんだあとで死ぬ華厳の滝飛び込み、多くのフォロワーに自らの足跡を踏ませた若き詩人とは一味違う。自殺のものが魅力的なのだ

放置された彼のバイクエンジンがかかりっぱなしだったという。なぜだろう?理由を考えれば考えるほど味が出てくる。伊丹十三の謎の死みたいな脂っこい味じゃなく、単純に美味しい。

こういう自殺ははっきり言って迷惑だ。俺みたいに魅力を感じる人は少なくないと思う。別に自殺したいわけじゃない。ただ魅力的で、「いいなあ」と思ってしまう。

弱りきった桂歌丸は、見舞いにやってきた山田くんに力を振り絞って「山田くんありがとう!」と言った。こういう死も良い。魅力的な死に方にはとても憧れる。死ぬには良い日だ、と思いたいものだ。

2018-09-14

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

死についてよく分かってなかった自分は、「死にたくない」と母に答えた記憶がある。

母はその場で泣き崩れ、何とか死なずに済んだ。

後で詳細を描くかもしれないけれど、自分の生まれた家庭は不完全家庭だった。

とにかく、その日から、死ってなんなんだと考えこむようになった。

幼稚園に上がってしばらくした頃、悩みはピークに達してあまり眠れなくなった。

周りの子供に相談しても不安がらせてしまって、当時の幼稚園先生からこっぴどく怒られた覚えがある。

書いてて思ったけれど、幼児が眠れなくなるって大ごとだ。

小学校に上がってから記憶ほとんどない、ただ周りに合わせてテキトーに振舞い続けた。

唯一記憶に残っているのは三年生だった時で、担任が超熱血教師だった。

うちに家庭訪問しに来た時、和室に入った時の言葉は今でも覚えている。

和室にある仏壇を見て、「ああ、創価学会員でしたか、うちは妻が幹部をやっておりまして。ちなみに私は共産党系です。」

当時はあまりピンとこなかったが、しばらく経ってから自分で調べてみた。

けっこう対立してる組織だったのね。

対立組織に属する夫婦、すごい。

私は熱心で信仰深かったかというと、それの真逆だった。

親に連れまわされて行っていた会館などの集いも、小学校に上がる前に全力で拒否して行かなくなっていた。

当然親からは殴られた。それでも反抗した。

そして家族の中で一番信仰深かったのは母だった。

父はそれほど熱心でもなかった、気が向けば仏壇に手を合わせている程度。

三年生だったころはその熱血教師とも気が合って、それなりに楽しく過ごせた。

でも家庭はぐっちゃぐちゃで、母からよくなじられた。

「お前が信心深くないから家庭が上手くいかない。」

「お前が(ryから父さんもあまり家庭と向かい合ってくれない。」

父も父で、母に対して気に喰わないことがあると自分を経由して文句を伝えさせようとしてきた。

言わないとそれはそれで面倒なので、父の伝言を母に伝えた。

母は激怒し、私に当たり、そして父にこう伝えろ、と迫る。

その伝言を父に伝えても、特に私に当たったりなどは無かった。

そういう板挟みが続いたころ、もうどうしようもなく死にたくなって、自宅で包丁飛び降りコンボを使って未遂を起こした。

ベランダの上に立って、首を切った瞬間に飛び降りようとしたのだった。

首にあてがった包丁感覚は今でも覚えている。

その時、家には誰も居なかったのだが、実行しようとしたタイミングで母が帰ってきていた。

私は母に気が付かず、後ろから羽交い絞めにされた。

母は号泣していた。

この人、昔心中を迫ってきたくせに泣くんだなと思った。

あなたはこんなことする子じゃないでしょ、何があったの?」

いやいや、目の前でこんなことをしようとしてたのが、アンタの子だよ。

そういう事件中学に上がるまでに二回ほどあった。

ショックを受けた母はどんどん宗教にのめり込んだ。

中学に上がってから記憶もあまりない、気が付いたら中二の年越しで食物アレルギーを起こした。

唯一携帯電話を持っている友人が私の家族電話しても全く出ず、友人たちは仕方なく私を自宅に運んでくれた。

寒い寒い、とうわごとを繰り返す私に友人が毛布を掛けて温めてくれる。

両親が帰ってきたのはそれから2~30分後。宗教集会に行っていたらしい。

私の状態さらに悪くなっていて、意識が途切れ途切れだった。

そして病院に運び込まれ、友人と両親、私は病院で年越しをした。

翌日、小児科医師が私の様子を見に来た。

蕎麦アレルギーで年越しとは幸先が悪いねハハハ。ところで、その手首の傷は自分でやったの?」

思いがけない質問が飛んできたけれど、意を決して私は頷いた。

あとで知ったけれど、その医師は小児神経科も診ることが出来る人だった。

「目の下のクマもすごいね、週にどれくらい寝てるの?」

「…二時間くらい。」

「何とかしたいと思う?」

私は静かにうなずいた。

その日から私の精神疾患に対して、具体的な治療が始まった。

私につけられた診断名は自律神経失調症とそれで発生した鬱、そして重度の不眠だった。

治療内容は、ルボックスという抗うつ剤と、生活リズムを記録につけるように指示された。

治療は三歩進んで二歩下がるという感じの速度で進んでいき、気が付いたらリストカットをやめていた。

鬱がひどい時でも気合いのような何かで無理くり体を動かし、学校へ通った。

精神的に辛くて行きたくない時は、母が私をぶん殴って無理やり車に乗せ、保健室に突っ込まれた。

そんな凸凹でも何とか成績は維持していたらしく、高校入試指定校推薦を受けることが出来た。

ちなみにこの時点でまだ鬱の治療は続いている。

高校合格した時、母の言葉を未だに覚えている。

「お母さんの信心が届いたおかげよ。」

この人は自分のやっている事しか見えていないんだな、と思った。

不思議なことに落胆はしなかった。

あきらめていたんだと思う。

高校楽しい記憶で埋め尽くされていたけれど、相変わらず頭の中は生死の概念を掴むことに夢中だった。

高2の春休みが終わる頃に、自転車日光に行き、華厳の滝に飛び込んで、すべて終わらせようとした。

夜の7時ごろに家を出て、携帯の電源を切って、ひたすら自転車を走らせた。

国道四号線をずっと北上し、もうそろそろ日光につく頃だったと思う。

東の空が明るくなった。

夜明けだ。

夜明けなら、夜はどこに行ったのだろう?

そう思って反対側を見るとまだ夜だった。

月と太陽が同時に見えた。

その時の自然の美しさに心を打たれてしまって、私はその場で泣き崩れた。

けっこうな時間泣いて、家に帰った。

この時は特に家族から怒られることは無かった。

そんなこんなで、そこから数ヶ月経過した高2の夏休み最後に、小児神経科主治医判断により治療がひと段落した。

不眠は改善し、リストカット癖も消えていたからだ。

希死念慮だけは消えてなかった。

主治医見立てでは、「まあ何とか乗り切れると思うよ、強いし。」とのことだった。

実際強かったと思う、よく耐えきれたと思う。

大学入試指定校推薦理系私立短大を受けて、合格した。

大学はかなり白熱した環境だったので研究学業にのめり込んだ。

2年後の卒業を経て、私は教授のツテで食品物流会社就職した。

仕事は楽しかったけれど、忙しい部署にいたのでしょっぱなから残業まみれになった。

そして、就職してから数か月後に精神疾患を再発した。

今度の病名は統合失調症

そこからは闘病しつつも、ちょくちょくバイトを始めて、そして体力的限界で辞めての繰り返しだった。

統失治療を始めてから最初の5年の間に、母はがんで亡くなった。

しかったけれど、多分一般家庭の子供よりは悲しんでいなかったと思う。涙は一応出たけど。

そこから5年後に、当時所属していたコミュニティメンバーの誘いを受けて、ルームシェアみたいな環境引越しをした。

その日から今日までの1年の間に色々なことがあった。

引っ越した月に友達付き合いが続いていた元恋人自死

病名が統合失調症から統合失調感情障害になった。

そこから半年後に父が癌で余命半年の宣告を受け。

自分自身も体調がすぐれないので、実家に戻ってきた。

そして実家に戻ってきたときに、もう一人友達付き合いが続いていた元恋人自死

私が実家引っ越しから、父の治療は順調に事が進み、抗がん剤放射線治療、本人努力甲斐があって腫瘍が消えた。

これには驚かされた、父本人が一番驚いているけども。

あとは5年間再発が無ければ安心とのことだった。

そして現在に至る。

今日は暇だったので、思い出しながら勢いでバババっと書いてみた。

しかしたら時系列おかしくなっているかもしれない。

疲れてめんどくさいので、推敲はしないでアップします。

人生いろいろあるよねってお話でした。

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます

お互い、人生を良い旅にしていきましょう。

2018-06-16

anond:20180616143407

 「日本好き〜」が、蕎麦だとか華厳の滝だとか北斎だとかが好きって話なら別にグダグダいわねぇよ。俺も好きだし。

 なんで「日本好き〜」が全部、安っぽい軍歌のまがい物やら日の丸やら、第二次大戦回帰みたいな話にしかなるんだよ、って話。

2017-12-13

anond:20171213221712

まあ、時代に関わらず藤村操みたいに何一つかけたところのないいいとこの優秀な坊っちゃん華厳の滝に身を投げたりしてたわけだし。

今時の20歳はそれは好景気の頃の20歳に比べて環境は恵まれてないだろうけど、とりあえず目先の彼氏彼女イチャイチャすることができてて明日食べるものは親が出してくれるなら安楽死したいと思うほど悲観しないと思うぞ。

2017-02-09

童貞を殺す女を見た。

帰宅ラッシュJR車両でその女を見た。

彼女コートなのかワンピースなのか何なのかよくわからない物を着ていた。

それを見た瞬間、僕は彼女童貞殺しであることを確信した。

グレーを基調とした締まりのないモノトーン

セーラー服のように肩から背中に垂れ下がった布切れには両側の隅に十字架の切り抜きがなされていた。

素材はフェルト。そのモコモコ感を童貞ガーリッシュだと思い込む。

こんな不穏なオーラを発する服を着込んで街を闊歩する輩など童貞殺し以外にはいないだろう。

頭頂部から肩にかけて華厳の滝の如く真っ逆さまに降ろされた童貞殺しの髪は、

ベールのように彼女の顔を隠していた。

僕は漆黒のその髪からちらと見える顔から目が離せなくなっていた。

化粧っ気のない、地味な顔。

いや化粧をしていてもパッと目立つようなタイプではない。あっさりとした顔立ちである

だがしかし均整の取れた造形ではある。

僕はまじまじと彼女の顔を観察する自分に気がつき驚きおののく。

童貞殺しは童貞に飽き足らず素人童貞である僕まで魔の手にかけようとしているのか?!

駄目だ。このままこの人を見つめていては駄目だ。

そう言い聞かせ僕は目線を逸らして下車する駅まで待った。

視線の先には190cmはあろうという長身女子中学生のそれ程の大きさしかない頭部がのっかった、

頭髪の薄いおっさんらしきアンガールズもどきがいた。

アンガールズもどきと僕。

永久にかみ合うことのない精神の波長。


僕は無事に目的の駅にたどり着き、プラットホームに降り立つ。

それまで自分が乗っていた車両童貞殺しを乗せたまま隣町のほうへ発車してしまった。

童貞殺しは多分明日童貞を殺し、オタクどもが集ったサークルという名のまやかし崩壊させる。

Aesthetics of Destroy

僕のいない世界彼女は生きる。

そんなことを思いはせながら改札を通ろうとすると横から割り込む若い男が。

何だと舌打ちしてその姿を見て僕はこう思った。

「あ、Suchmosのボーカルに憧れてるけど結果として藤井隆なっちゃった奴だ。」

2015-08-31

佐野研二郎

自殺するまで追い込む気か。

もうやめませんか?


佐野研二郎華厳の滝に飛び込んだりするんだろうと思う。

2015-05-04

anond:20150501184438

前の日に暴飲暴食する。二日酔いならなおさら良い。そしてオムツを履いていつもの出勤の様に駅に行くのだ。

便意を催しても、どれだけお腹が痛くても駅のトイレをわざと通り過ぎてホームに行く

時は来た、緊張を解く、そしてブリブリブリっと華厳の滝

今日はいつもと反対方向の電車に乗って海を見に行くのだ、、、そして夕日を眺める、そんな些細な冒険をいつかはしてみたい

粗相をしたオムツ?海に入ってケツを心身ともに汚れを海に流すのだ

2008-11-16

http://anond.hatelabo.jp/20081116204707

華厳の滝はやめとけ。二番煎じだから。真剣な奴は生きるべきだ。

生きるんなら好きなだけ悩んでくれ。それはともかく、この世はおもしろいぞ。

 
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