はてなキーワード: 湿地とは
秋になって暑さが落ち着いたらハイキングしたいんだけどおすすめスポットある?
自然の多い平地とか湿地、高原みたいな場所を家族で歩きたいと考えてる。
というのも「ハイキング」や「トレッキング」で検索すると登山が中心になってしまって
自分のイメージするハイキングとはやや異なる。山登りがしたいんじゃなくて自然の中をゆっくり歩きたい。
日本だと難しいのかな?むかしネパールに行ったときは田舎の村を歩くだけで大自然のハイキングだったんだけどな。
富士山の5合目まで車で行って同じ標高付近をぐるっと回るコースはありかなと思ってるんだけど結構森だよね?
真ん中にさいたま地裁、さいたま地検をはさんで反対側にある。 さいたま地裁 悪人が多い。 刑事受付~裁判官まで最悪。
さいたま地検越谷支部 山田がいたところ 職員からは 平成24年! としか言われなかった
平成24年の事件 検索したが何も出てこない。 6月25日 団藤重光、 老衰で死去。
さいたま拘置支所 庶務課に座っている腐れたばばあのことだと思う。 周辺には犯罪者の男が多い。
さいたまがなんで腐れたのか? 理解できない。小泉純一郎時代以前は、 浮間舟渡の北にある地帯としてぼんやりと認識され、誰も人気がなく知らなかった。
浮間舟渡 なんか河しかないから船で渡るしかないという感じの湿地帯。
平成9年、 東京のどこか?から電車でさいたまの大学に行ってるんですわーみたいな、チャットで、 男がいるうちは来ませんよ
近くの古墳の整備事業が終わって出土品などの展示が行われていましたの
解説は古代の土岐のことをカタカナでトキと書いていて飛鳥時代のトキは飛鳥トキですの?
馬が足りませんわ
でも、土岐よりも七支刀を連想させる刀支の方が縁起がよく見えますわ
縁石によって規模が分かりやすくなっていました
小さい円墳の段尻巻古墳の被葬者一族は大きな方墳の乙塚古墳の被葬者一族の右腕的な存在だったのではないかと
展示では書かれていましたわ
円墳の方が方墳よりも権威的には上らしいので、段尻巻古墳の被葬者は中央から派遣されてきた人間で
公的な地位は乙塚古墳の被葬者より高いけど、乙塚古墳の被葬者の方が現地での実力は上だった関係を
想像してみましたわ
東海地方に前方後方墳が多いのも乙塚古墳が方墳なことに関係があるかもしれませんわね
市街地南方の丘陵地帯で大規模な道路工事が行われていて谷間の湧水湿地を潰していそうで
心配になりましたわ
ほとんど雑木林ですから高い部分を削るだけなら被害は少ないと思いますけれど…
https://toki.cloudgis.jp/urban/ の都市計画道路をみるとルートがわかりましたわ
https://mainichi.jp/articles/20230513/k00/00m/040/221000c
北海道白糠町と釧路市音別町(旧音別町)の境界にある馬主来沼(パシクルトウ)西側の民有地で、大規模な太陽光発電計画が持ち上がっていることが、関係者への取材で明らかになった。一帯はアイヌ民族の伝統的生活空間「イオル」とされ、民族の伝承も残されており、近隣に暮らすアイヌ団体の幹部らからは懸念の声が上がっている。
明らかになった計画は、馬主来沼の湖畔の西側に当たる釧路市音別町の5ヘクタール強の原野。国道38号南側の海岸沿いに位置する。
不動産登記簿などによると、2021年8月、東京都港区の会社(A社)が、紋別市の会社から条件付きで買い取るとの所有権移転仮登記をした。条件は「本件土地の状態が発電事業を行うのに適切であると、買い主が判断したこと」とある。さらに今年3月、売買により、関係があるとみられる港区の別の会社(B社)に所有権が移された。
資源エネルギー庁の再生可能エネルギーの事業計画認定情報によると、この土地ではB社の名義で、発電出力1999キロワットの太陽光発電が22年3月に認定されていた。
法人登記簿によると、A、B両社はともに「太陽電池及び関連部材に関する卸・販売・輸出入業務」などを目的に設立された。社員欄には、海外の太陽光発電会社の関係者とみられる名前がある。土地購入手続きなどに携わったという日本人女性は毎日新聞の取材に計画が進んでいることを認め、「計画の見直しは難しいと思います」と答えた。
紋別市の会社の社長(78)は国道を挟んで北側の原野(約66・7ヘクタール)と山林(約330ヘクタール)も所有しており、「山林は東京都中央区の会社が太陽光発電を計画し、原野も別の複数の業者が発電用地を確保しようとしている」と明かした。
不動産登記簿によると、山林は22年11月、「売買代金完済」を条件に、東京都中央区の会社に所有権移転の仮登記が行われていた。紋別市の会社社長は「近くに送電線があり、計画は太陽光発電と聞いている」と明かした。さらに西側の丘陵地では、別の会社が設置した二つの太陽光発電が稼働しており、一帯は適地とみられる。
白糠町は馬主来沼の東半分を囲うような形で町有地284ヘクタールを「馬主来自然公園」として保全に努める。対照的に、西半分にあたる釧路市音別町側は保全の手は打っておらず、計画が進めば、沼の西にかけての多くがソーラーパネルで覆われる可能性がある。
白糠アイヌ協会の天内重樹会長(38)は「寄り鯨が集落を飢餓から救った伝承のある土地で、アイヌ民族にとってはかけがえのない生活空間。守りたいのはやまやまだが、どうすればよいのか」と話す。
道東では釧路湿原国立公園の南側周縁部の原野でも、大規模な太陽光発電計画が水面下で進み、予定地には絶滅が危険視されるキタサンショウウオも生息することから、自然保護団体などから懸念の声が上がっている。【本間浩昭】
白糠町と釧路市音別町にまたがる周囲約4キロの海跡湖で、ヘラジカの角のような複雑な形が特徴。平均水深1・7メートルと浅く、冬には結氷する。縄文海進が約6000年前に終わり、海退の過程で砂丘が海水をせき止めて形成された。国指定特別天然記念物・タンチョウの飛来地で、環境省選定の「日本の生物多様性保全上重要な湿地」の一つ。北海道の「すぐれた自然地域」にも指定されている。
フンペ(アイヌ語で「鯨」)が漂着したことをパシクル(カラス)が教え、集落(コタン)が飢えから救われたとの言い伝えが残る道東の馬主来沼(パシクルトウ)。その西側の釧路市音別町で、大規模な太陽光発電計画が進んでいた。伝統的生活空間「イオル」の一角が侵食されかねない事態に、アイヌ民族は戸惑いを隠せない。
「寄り鯨」の伝承を裏付けるような出来事だった。昨年11月26日。沼から東に約3キロ離れた和天別川の河口近くに1頭のミンククジラが打ち上がった。死後かなり経過し、「海岸には腐臭が漂っていた」と白糠アイヌ協会の天内重樹会長(38)は語る。「数年前のフンペ祭りの前日にも打ち上がった」という。一帯は、海が急に深くなっている海底地形や海流などの影響で、古くから鯨が漂着しがちな海岸線らしい。
この地に大規模な太陽光発電が計画されていると天内さんが聞いたのは1年ほど前。いったんは計画が立ち消えになったと聞いて「ほっとしていた」が、半年ほど前から再び業者が動き始めたと知らされ、「できれば造ってほしくない」と危機感を募らせる。
白糠町は、沼の東側を囲む形で約284ヘクタールを「馬主来自然公園」として保全する。昨年には太平洋を見渡す高台に、国のアイヌ政策推進交付金を得て、鯨の恵みに感謝する古式舞踊「フンペリムセ」(鯨踊り)発祥の地として、展望台やモニュメント広場、駐車場などを整備した。毎
年9月の第1日曜日には、寄り鯨の恵みに感謝を捧げる「フンペリムセ」が奉納される。
一方、沼の西半分を占める旧音別町側は1968年、音別町立自然公園条例を制定、沼周辺を町立自然公園に指定し、国道38号沿いに駐車場や説明板、周辺展望台を兼ねた休憩舎などを整備したが、面積は0・78ヘクタールにとどまっていた。
音別町は2005年の釧路市との合併で、白糠町を間に挟む「飛び地」に。条例は新市に引き継がれず、自然公園でもなくなった。「馬主来沼の存在は重要視されなくなった」と言う住民もいた。
音別町史にはこうある。「夕日が西山に沈む頃。白糠町側の高台に立って当町方向を眺めるとき、パシクル沼の水面に映る夕映え風景は、まさに一幅の名画を見る感がある」。釧路市は15年に選定した「音別新八景」の一つに「パシクル湖畔の夕日」を選んだ。
沼周辺は、アイヌの暮らしに必要な動植物の入手に欠かせない伝統的生活空間「イオル」とも位置づけられている。類いまれな景勝地とされる一帯の景観が「メガソーラーの海」に変わる可能性がある。【本間浩昭】
ベネディクトゥーッス
本日は世界湿地の日、聖燭祭、日本では二日灸、情報セキュリティの日、麩の日、頭痛の日、国際航空事業再開の日、夫婦の日、バスガールの日、ツインテールの日などなどございます。
アメリカの方ではなんかウッドチャックを使って春の訪れを占う日があるそうです。
遠そうですね。
さて現場作業をしていると髪の毛を巻き込んでしまうことがあります。
そうでなくても屈むと長髪が地につくことがあります。
そうですね、屈んだり、現場で作業してる時ぐらいは髪を巻き込まれないように纏めておきましょう。
まぁ現場で作業してる人がロン毛ってあんまり見ないんですけどね。
それでも、作業をする前は髪をまとめるようにしておきましょう。
ということで本日は【頭髪チェックよいか】でいきたいと思います。
頭髪チェックよいか!頭髪チェックヨシ!
もともとの江戸城は太田道灌(どうかん)が長禄元年(1457年)に築いた小さな城だった。その後の北条氏の時代も江戸は寒村にすぎなかった。現在の日比谷あたりまで海水が入り込む湿地帯のため農耕には不向きで、人口も少なく、江戸城は荒廃していた。
転機となったのは天正18年(1590年)、豊臣秀吉が北条氏を攻めた小田原征伐である。この戦いで最大級の功績をあげた徳川家康は、北条氏の所領をそっくりそのまま秀吉から与えられる。伊豆、相模、武蔵、上総、下総、上野、下野の7国である。だが、これまでの領地、駿河、遠江、三河、甲斐、信濃の5国を失う。前の領地は150万石、新たな関東の領地は250万石。石高は増えても慣れ親しんだ領地を離れることは、家康にとって大きな痛手だった。報奨のかたちはとっているが、関東移封は家康を大坂から遠ざけるための秀吉の計略である。
家康が江戸に移ったのは天正18年(1590年)のことだった。家康はすぐに大きな城を築こうとはせず、まずインフラ整備に着手した。海水が入り込む低湿地帯であった江戸を耕作に適した地に変えていく。なかでも大規模な工事となったのが、文禄3年(1594年)に開始した「利根川東遷」である。当時の利根川は江戸を流れていて、しばしば大洪水を起こしていた。そこで利根川の流れを銚子に注ぐように変える治水工事を行ったのである。工事がすべて完了したのは承応3年(1654年)、四代将軍・家綱の時代だった。60年におよぶ大事業である。この工事のおかげで、新田開発も飛躍的に進み、関東平野は日本最大の穀倉地帯となった。
徳川家康が江戸城の拡張に着手するのは、征夷大将軍となった慶長8年(1603年)である。江戸に本拠を構えてから、すでに10年以上の歳月がたっている。家康はこの時機を待っていたのかもしれない。将軍ともなれば、自分の好きなように城を築けるからである。江戸城は全国の大名に協力を要請する天下普請(てんかぶしん)によって建造された。加藤清正、藤堂高虎といった築城の名手をはじめ、すぐれた築城技術をもった前田、細川、池田、毛利、黒田など名だたる大名たちが参加した。この工事は三代将軍の家光の代まで続くことになる。
天下普請による築城は費用も人材も資材もすべて大名たちの持ち出しであり、経済的に大きな負担となった。徳川に刃向かう可能性のある豊臣恩顧の大名たちの力を削ぐうえでも有効な策であり、この築城の方法はのちの名古屋城にも踏襲されるのである。
ご機嫌はいかがでしょうか。今日はわたくしが思う最近の邪馬台国でありがちなこと8選を書いていこうと思います。
渡来人がとっても来てます! すごいです! 漢国(カラクニ)のまつりごとがずっと不安定で、昔から来てたみたいですけど最近ほんとに多いです。漢のような大きな国はもう興らないのでしょうか。
渡来人の人はいろいろな技を持っています。鍛冶だったり陶芸だったり機織りだったり。我が下女(はしため)たちの機織りも最新の技を学ばせています。
漢ってほんとすごい国だったんですね。漢a.k.a.KAMIって感じです!
でも問題がいろいろあります。移住者が多く、かつ彼らに頼る部分も多いですので、もともと我が国に由来のある者の中でネトウヨみたくなってる人がいます。また、早くから邪馬台国や他のクニにきた渡来人の子孫、すなわち在日漢国人の2世や3世と最近きた人とも文化に違いがあったりしてまつりごとの際には注意を払わねばなりません。基本的には皆さん仲良くやっているんですけどね。
1と関連するんですけど、漢国では文字を用いてまつりごとの決め事や指示を伝えます。すごいです! 文字は残りますから遠くに伝えることができます。我が国も相当大きくなりましたからね。
伊都国の一大率に命令を伝える時とか相当楽になりましたよ。私も論語や孝経を読んでいます。ちょっとずつわかるようになってきてます!
このきっかけになったのってやっぱり卑弥呼おばさんが魏に使いを出したことだと思うんですよね。我が国にいた渡来人の人にかなり手伝ってもらって魏に送る手紙の文章作ったんですけど。
卑弥呼ば様ったら気に入ってしまって外国の言葉ばかり使うようになっちゃったんですよ! 占いの結果とかにも。稲作はソリューションとか、部民ファーストとか、狗奴国との戦はワイズスペンディングとか言ったそうです。
これも完全に卑弥呼ばのせいなんですけど、最近の古墳はデカすぎる! 完全に卑弥呼ばさんがアホみたいなデカさの古墳に祀られたせい! これが各地で流行っとる!
これって戰が少なくなったのが関係してると思う。戦わない分、でけえ古墳に労力を回せる。
特に大都会吉備はすごいって話だ。わたくしあんまりお部屋から出られない(出るとめっちゃ怒られる)のでよくわかんないこともあるんだけど、確かに吉備からの貢物のレヴェルはダンチで高い。
だから大都会吉備の古墳も相当なんだろうと思う。わたくしもそれなりの大きさの古墳に葬られるんだろうと思います。
卑弥呼ばの時と明確にトレンド変わったなーと思うのがこれ。卑弥呼ばさんの頃ってまだ戦の名残がかなりあって、偉い人が死んだら、その墓に生きた人間を一緒に埋めてたんですよね。あ、殺してから埋めることもあったみたいです。あの世でお世話させるのですから当然と言えば当然です。でも最近の働き方改革でこの考えもだいぶ変わってきました。生きてる間はコメ作りとかやってもらった方が生産的なんじゃないかって。んで、代わりにと言ってはなんなのですが、古墳には須恵器で作ったモノを置くんです。昔はシンプルなデザインが多かったんですが、最近はこれを人型にできないか、つまり本当の人間じゃなくて須恵器で作った人間を置いてあの世で世話してもらう考えにしようじゃないかってソリューションが出たんですね。面白い話ですよね。それで、まだ現段階では実用化まで至っていないんですが人間とか犬とかの須恵器を作る研究が始まってます。ペッパーとかアイボみたいなもんでしょうかね! 漢国ではその昔、地面に土で作った人形をアホみたいに置きまくってマジカルな水で川を造って墓にした帝がいたらしくその辺りも参考にしてるらしい。温故知新ってやつ。
邪馬台国は長い時をかけて周りのクニを従えてきました。時には戰をして力で従えることもありましたが、最後は大戰をせずクニとクニとを束ねる中心として振る舞うことでここまで大きくなったのです。
平和外交ってやつですね。ま、やばくなったら戰をいくらでも仕掛けられるんですけどね〜。占いの結果で、男たちに戦うのが吉! と出せばいいわけです。
いずれにせよ平和が長く続くと身分が固まってきて格差社会になります。強い者の意図も汲みつつ、クニを支える弱き民にも優しく振る舞わねばなりません。漢国の書物にもそんなこと、かいてあります。
平和になってきたせいかそういう格差を感じることが多くなってきたようです。邪馬台国では偉い人が道を通るときに身分の卑しいものは退けて草むらでひざまずくんですが、その時の作法とか声かけとかに細かいルールを言い始めるマナー講師みたいな人が出てきてるようです。姫巫女の私がいうのもおかしいですがそもそも敬意を払いかつ効率よくすれ違えればいいのではないでしょうか?
邪馬台国は長い年月をかけて稲作と交易でここまで大きくなり他を従えるようになりました。奈良盆地以外でここまで大きく灌漑して稲作できるところ日の本にありますか。ねーだろ。他の地域は河川が大きすぎかつ交わりすぎなんですよね。排水良くなったら他の土地が都になるんでしょうけど。あと邪馬台国はいい場所にあるっぽい。東にも西にもいきやすい。
んで、稲作って大勢の人間が連携とって一年かけてやっていきますので非常に指揮系統を複雑にかつ大規模に行うんですね。とった米を屯倉(ミヤケ)に収める税の計算や市場で売る計算やそれに伴う運搬も複雑。人間をたくさん動かす。この仕組み、そっくりそのまま戦にも使えるんです。それで邪馬台国は戦にも強くなってここまできた。
ようやく本題で、稲作万歳! みたいな感じになってて、最近邪馬台国では稲作に携わらない人を下に見る風潮かなりあるんですよね。どんぐりとってる人とか、猪や鹿とってる人を卑しいって考える。みんな肉食べるのに。米と一緒に肉食ったら美味しいのに、そういう仕事は馬鹿にする。これ2000年くらいしないと解決しないかもしれませんね。
今邪馬台国の男のトレンドはアズマ! 東にみんな行ってる。狗奴国との戰がひと段落して、東に邪馬台国の人間が行きやすくなった。それ以前も貢物や商人の往来はあったんだけど、クニとして遣わしやすくなったってこと。サキタマってとこが熱いらしい。我がお兄様もサキタマ行って向こうで拠点を作っている。なんかすげえでかい川が何本もあって、下流は川と川が入り乱れて湿地になっているそーだ。これを全部水抜いてたんぼや畑にできたら、とんでもねえ。男のロマンってのがある。みんなサキタマサキタマ〜って言ってて、まだ奈良盆地で消耗してるの? とか煽る連中も出てきてる。そのうちサキタマでも古墳造ったりして。ベッドタウンってやつだ。
今までは邪馬台国の三輪山だけ拝んでればよかったんですが、邪馬台国もかなりでっかくなりましたからね、これからはもっと大きい、この島全体の神社を作らねばならないという話になってきてます。場所はどこがいいのでしょうか? 私も実は出張して調べることがあったのですが、邪馬台国の南側にとんでもなくでかい森があるんです。ここは神域であの世につながっているという話がある。ここがいーんじゃないかって。こんな感じでとにかくでかい神社を建てようという話があちこちで起こってます。そしてそこには鏡を置く。昔はもっと違った神器もあったみたいなんですけど、卑弥呼おばさんが魏から鏡もらいまくったのが決定打になってほぼ今は鏡ですね。剣とかもいいと思うんだけど。あと銅鐸使ってた人たちは邪馬台国に負けたので忖度して今は鏡使ってるみたい。銅鐸はどうしたの? って聞いたんだけど、埋めちゃったらしい。いいんだろうかねこれで。仕方ないか。
いかがでしたか? やっぱり卑弥呼ばの世って色々あって、そこから少し経つと世もだいぶ変わってきてると感じます。この国は一体どうなっていくんでしょうかね。それではまた。
第6部ストーンオーシャンをやっと読み終えた。足掛け10数年。まず退屈で湿地帯あたりで挫折して、数年後再度読むときに、どこまで読んだかさえ覚えておらず、何度も同じところを読む羽目に。しかし挫折。さらに数年骨から生まれるとこでも何度も挫折。今回覚悟を決めて読みだすも、後半は意味不明のスタンド&わかりづらいコマ割りのダブル攻撃でへとへとになる。今回諦めたらもう一生読めないと思うので、一日これくらいは読もうと義務付け、まるで登山のようにちょっとずつ進んで読了。達成感半端ねえ。ラストも微妙だしもう二度と読みたくない。キャラは魅力的だけにもったいない。大御所になりすぎてだれも文句言えなかったのかな?休憩して傷をいやして第7部へ進もう。
強調して現在現行リアルタイムのロシア軍の予測保有戦力を考慮したもの。
北海道西部は日本海が広がり、現在のロシア海軍が保有する全揚陸艦を用いても電撃的に北海道の一部地域を制圧掌握できる戦力を揚陸するのは並大抵のことではなく、海上自衛隊の保有艦艇の約半数および航空自衛隊の航空機の約半数で完封、1/3で撤退を余儀なくされる可能性が非常に高い。
これは北海道西側に北海道侵攻のための橋頭堡となる離島が存在しないためで、自衛隊は自在に補給線が確保できるのにロシア軍は長距離の補給線を維持し続けなければならない非対称戦となることが濃厚であるため。
加えて、自衛隊は北海道を侵攻するロシア軍を独力で追い返せる戦力を保有しつつも米軍と連携することで一層の消耗抑制へ努めることが予測され、ロシア軍はほとんど消耗しない軍隊と対峙する必要のある北海道西部ルートを選ぶ理由が無いと思われる。
ロシア軍が北海道西部から侵攻するには北海道西部全土へ文字通りの昼夜問わず常時絶え間のない高火力ミサイルによる爆撃を敢行し続ける必要があり、現在のロシア軍にはそのような戦力は存在しないため、北海道西部沿岸への高火力ミサイルによる爆撃はハラスメント以上の効力を発揮しないと予測される。
ロシア軍の戦術ドクトリンを考慮すると、縦深攻撃を仕掛けた後に複数のルートから多面侵攻を仕掛ける可能性が高い。
縦深攻撃のターゲットは自衛隊北部方面隊の根拠地、つまり北海道の自衛隊駐屯地であり、自衛隊北部方面隊の即応迎撃能力を奪いつつも北海道北部および東部からのロシア軍陸戦力揚陸するための時間を確保することが狙いだ。
北海道北部および東部の侵攻ルートとは、すなわち樺太および北方領土国後島からの侵攻であり、前項で挙げた補給線のための橋頭堡の確保にこれら離島が上手く機能すると思われる。
しかしながらそれは北海道秋季までの話だ。
北海道北部および東部は冬季に流氷で覆われることが知られており、電撃的な侵攻により北海道北部および東部を制圧し掌握下へ置いたとしても冬季となれば流氷により補給線が物理的に寸断されてしまう。
ロシア軍がこの様な状況を回避するためには北海道全土を電撃的に制圧し掌握下へ置く必要があるが、それは北海道の自然環境が許さない可能性が高い。
北海道の中央には山脈が広がり、東西南北への進軍を阻害する地形となっており、多大な時間を要することが予測されるためだ。
北海道中央山脈により時間を浪費し続ければ冬季が到来し流氷により補給線が寸断され、更に時間をかければ春季が到来し北海道の大地は泥濘となる。
しかも北海道東部には湿地帯である釧路湿原が存在し、国立公園のために開発が進んでおらず侵攻の足止めとなる。
当然ながら自衛隊北部方面隊は中央山脈へ拠点を構築し、本州より補給を受け続けながらロシア軍の補給線へハラスメントを行いつつ冬季春季を待つ遅滞作戦を取る。
積極果敢に反撃せずとも自然環境がロシア軍を追い詰めるため自衛隊は消耗抑制へ努めれば良いのだ。
自衛隊がロシア軍と正面からぶつかり独力でロシア全軍を撃破できるか?と問われれば不可能であると言わざる得ない。
しかし、自衛隊が北海道という地の利を活かし消耗を抑制しながら遅滞戦術を取ればロシア軍は多大な犠牲を強いられ、しかもその犠牲に対して得られる成果が無残にも非常に乏しいものとなる可能性が高い。
その上で日米同盟がしっかりと機能するのであれば現在のロシア軍が北海道侵攻を成功させる可能性はより著しく低くなる。日米同盟が機能しなくとも成功の可能性は低いのだ。
ロシア軍による初手と予測される北海道の自衛隊駐屯地への縦深攻撃を防ぐにしても、自衛隊北部方面隊の即応迎撃行動を取るにしても、自衛隊北部方面隊への本州からの補給線構築にしても、最大の懸念は日本国内政治である。
日本政府がしっかりと日米同盟で米国と信頼を築けていれば、今般のウクライナのようにロシア軍による縦深攻撃の情報を得られるかも知れないし、情報を得られれば自衛隊北部方面隊戦力を現在よりも分散するなどして掃討されることを防ぐ動きも出来る。
自衛隊は命令がなければ動けないので即応迎撃行動にも命令が必要であるし、補給線構築にも命令が必要であるため、日本政府がしっかりと侵略へ対して日本国内政治へリーダーシップを取る必要がある。
当然ながら仮想敵国へ対して平和外交を推進する必要もあるし、平和外交のため抑止力としての戦力整備が必要だろう。
日本国憲法へ記されている通り日本国は平和を希求していくべきなのだ。戦争をするために生まれ落ちた者なぞ誰も居ない。
だからこそ考えよう。
平和を維持するためにはどうしたら良いのか、最悪のシチュエーションとして他国が攻めてきた際にどうしたら国民を家族を大切な人々を守ることが出来るのかを。