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2023-05-04

anond:20230504171833

モデルハウス見学会に参加して、分譲予定の土地を見て」

佛教大学立命館大学の間くらいの地域」という記述に着目。

金閣寺の近くで分譲住宅地ということはたぶん郊外

・「空気がおいしそうなところ」ということはたぶん高台

衣笠赤阪町は以上の条件を満たす。

セントフローレンスタウン衣笠赤阪町は2020年11月新規分譲開始だから

「おととしの秋」の段階で「新家建築中」という条件にも合う。

新居の向かい精神異常者が棲んでる


ゴールデンウイークにごめん。ちょっと吐き出させてほしい。

昨年の春から京都の北のエリアに分譲地を買って、家族で住み始めている。

結婚して数年。子どもが大きくなってきて、アパートでは手狭になってきたし、旦那と私の給料も少し上がっていて、そろそろ時期なのではと思っていた。

シミュレーションでは将来が厳しい可能性もあったけど、思い切ってモデルハウス見学会に参加して、分譲予定の土地を見て、空気がおいしそうなところだったので買うことにした。

今では後悔している。

もっと別のエリアにすればよかったと思うし、情報集めが不完全だったとも感じてる。周辺に公共施設があるとか、道路網の充実とか、ショッピングよりも大事なことがあった。わかってなかった。

近所にどんな人が住んでいるか。異常な人間が住んでいることを把握していればよかった。不動産会社に苦情を言ったけど、「重要事項説明書に書くことでもないですし、もし書いたら人権侵害になりますから」とのこと。大手だと思ったから信用してたけど、そんな甘いものでもないよね…。



愚痴らせてほしい。おととしの秋だった。思えばラストチャンスだったかもしれない。新家建築中のこと。不動産会社から連絡があった。「大工さんから情報提供がありまして。夜に、建築中の宅内で翌日の作業準備をしていたところ、ドアがいきなり開いて男が入ってきました」とのこと。男は大工さんと鉢合わせると逃げていったらしい。

まだドアを据え付けたばかりで、電気が通っておらず防犯機能オフになっていた。警察に言っても捜査は進まない。一応家主には連絡すべきということで、不動産会社が連絡してきた。

旦那には当然報告した。不安そうにはしてたけど、「もう契約たから。不吉だけどこういうこともあるよ」と他人事のような反応だった。ちなみに、ほかのお家は大工さんがすでに引き上げており、鍵がかかっていて無事だったらしい。

今の話をしたい。

結論をいうと、おそらく建築中の家に入ってきた男に苦しめられている。去年の春に越してきてすぐ、近隣の家の人が挨拶にきてくれた。京都市の人って冷たいイメ―ジがあったけど、向こうから来てくれて、親切に暮らしの案内をしてくれた。見知らぬ土地だったので正直ありがたかった。

でも、その折、新しくできた新築家屋をずっと見つめてくる男に気が付いていた。向かいに住んでいる和風の家に住んでいる男だった。道路を挟んで男の家の敷地から見詰めてくる。おそらくだけど仕事はしてる。朝の時間茶色ツナギ?ていうのあれ……で出かけていくところを見たことがある。

正直気持ちが悪かったけど、いろんな地域にいろんな人がいるだろうしということで我慢していた。いつかはなくなることを信じて。

でもある時、見てしまった。その時から怖くなった。

日曜日子どもを庭で遊ばせている時だった。向かいの家の二階の窓が開いた。すると、その男がひょっこり身を乗り出した。その男は、ちょっと周りを見渡すと、二階の窓からそのまま……おしっこを始めた。ごく普通に始めた。最初、なにが起きているのかわからなかった。

とにかく、明らかにそれだった。言葉にもしたくない。うちの子どもがそれに目をやっていて、私の方を見て「あれ」と言い始めるところで、手を引っ張って家の中に入った。

なにが起きているのかわからなかった。もう嫌だった。「選択を間違えた」とその時感じた。私は間違えたんだ。なんでもっと、新居を慎重に選ばなかったんだろう。



かにも異常な行動はあるんだけど、あとひとつだけ言わせてもらう。

8月だった。日曜日。夫の同僚が集まって庭先でバーベキューをしていた。私も参加させてもらって、賑やかな雰囲気で楽しんでいた。

あれのことが頭をよぎって、向かいの家の二階を見ることが何度かあった。でも、その気配はなかった。あの男が二階から小便をするところは、この時点で3回は観ている。

もし、あれが出てきたらどうしよう。みんなに観られたらどうしようと不安になっていた。

時間が経って何事もなく、安心した気分でバーベキューを楽しんでいたけど突然だった。「おい、お前ら!!」という声が後ろから聞こえた。

あの男だった。道路を超えてうちの敷地内に入ってきたところで旦那が静止した。覚えてる限りでは、

「なんですか、あなた?」

「あの家に住んでますバーベキューくさいんでやめてくれる?」

別にいいんじゃないですか。匂い届かないでしょ」

「あの家の二階に住んでます。やめてください」

「いや、どう見ても離れてるでしょ。くさくないでしょ」

「ほな警察よぼか!!」

もう辛いので、これくらいにさせてほしい。

その後、本当に警察が来た。あいつが家に引っ込んだ後で通報したみたい。

お巡りさんは、「ご近所トラブル基本的に関わらないが~うまくやらないと刑事事件に発展して~」みたいなやり取りを旦那としていた。

それからも嫌な事が続いた。何度も。何度も。何度も。

あの男がいる、向かい和風の家の世帯主との話だったら、とっくにしてる。まったく効果がなかった。漫画で見るような嫌な京都人の象徴みたいなキャラのおじさんだったよ。あの男があと30年経ったら、ああなるだって感じがした。

どうしようもない状態だ。どうすればいいんだろう。ノイローゼに近くて、仕事の方もうまくいかなくなってきた。

しかも、あいつ以外にも変な人が近所にいる。路線バスの中で自分車掌になったみたいに振る舞う人とか、信号が変わって横断歩道を渡る時に、ちょっとでもフライングすると大声で怒鳴る人とか……。



アドバイスがほしいとは言わない。私達の問題から自分解決しないといけないんだと思う。

同じ分譲地を買った人も、あいつの言動には腹を据えかねている。今度は行政相談をしてみる。いや、その前に町内会長さんかもしれない。近所の人に相談したら「間を繋いであげる」って言ってた。

近所のお爺さんが言うには、あの男は高校の用務員をしているらしいとも聞いた。あの親も元公務員で。だとしたら、職場を突き止めて役所に苦情を伝える手もあるのかもしれない。

情報提供しても意味は薄いと思うけど、京都市の北の方の、佛教大学立命館大学の間くらいの地域になる。地図を見ながら書いてるわけじゃないので、体感の部分はあるけど。同じ失敗を繰り返す人をゼロにしたい。

先達として注意を呼びかけて終わりにする。立地よりも大事なのは、近所にどんな人が住んでいるかだ。今回の失敗を肝に銘じたい。とはいえ、次回がきてもやり切れる自信がない……。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

意見ありがとうございます

少しずつ読ませていただいてます

ポカミス時系列が変になっていて直しました。住みはじめたのが去年の春先です。

本当読みにくくなってごめんなさい。

2023-04-14

anond:20230414140725

そうや。

すでに「好きを仕事にする」という人が多数派やで。だから、その仕事が「好き」って人が多くない業種で人材不足になって、自動化が進むって話なんやぞ。

増田の言う、上げているゴミ処理や介護がまさにそうやろ。好きを仕事にする人が多数派になって、故に人気が無くなって人材不足になってるんや。

からインフラ社会コスト扱いされる大きく儲かる商売でないにのに、自動化機械化の圧力が高まってるわけやで。

例えば、ゴミ処理。最新鋭のゴミ処理プラントは、ほぼ自動運転やで。たまに見学会やってるからいってみ。ある程度の自動分別して、処理にぶち込むとか、多少分別が甘くとも何でも焼ける焼却炉とか、人がやりたがらない仕事をしなくても良いように進化してってるんや。

収集などまだ出来ていない部分はあるが、自動化圧力は高まっているだろうから進化は確実や。

一方で、リサイクル技術開発や、再資源化などは引き続き人気の職業やろ?それはそういうことが好きな人が多いからや。

介護もそうやぞ。介護は人と人がふれあう部分は好き、誰かの役に立てるから好き、と言う人は多いんやで。多いんだけど、実際、腰痛問題や、汚物処理、認知症老人への対応など、労働負荷が高いところが徒になるわけや。だから、それらから自動化が進んでいる。

そうやって「この仕事が好き」として就職する人が少ない所から自動化が進んでいくのや。その仕事好きな人が多いほど自動化と言う話は間違っている、全く話が逆だ、というや。

すでにそういった考え方が主流になって、社会の流れが変わっている。人が来ない理由も、就職者に「仕事は苦しいから金が貰えるんだ。苦しくてもやれ」と言ったところで、今更どうしようもならんのや。

そして、苦しみながらやらせてもパフォーマンスは上がらんから、なんにも良いことはない。

好きな仕事をみんな選ぶからまらないだけなんやで。

もはや、それを言ってもしょうが無いし、仕事は苦しいものだ、と言う固定観念を持っているうちはどうにも改善しないんや。だから増田も考えを変えた方がええとワイは思う。

2023-04-13

闇は勿論これだけじゃないんだが

もう時効だろうから書いてみる。

中学高校と一貫の私立校だったんだが、中一の秋、学校見学会で生徒代表として見学者たちの前で読ませられる作文を国語の授業で書かせられた。

そんなもん選ばれたくもなければ嘘つく義理もなかったので率直に「今ならまだ間に合う、この学校はやめとけ。」って文書いて出したら、代表者に選ばれてしまった。拒否権なし。

訂正箇所直して清書して、って言われて元の原稿見てみたらもれなく全部赤ペンで打ち消し線引かれて、「大人たちが気持ちよくなる学校礼賛」が空きスペースにびっしり書かれてた。それを原稿用紙に一字一句わず書き写させられて、リハーサルと称して教員らの前で何度も音読させられて、見学会当日講堂のステージに上げられて衆人環視の中読み上げさせられたんだが、これ雑な洗脳じゃんね。わざわざアンチ捕まえて、思想統制怖っ。

2023-04-11

anond:20230410213439

この留学生が凄いのは、動画でだけじゃなくて原爆資料館見学会でそのままこれを言ったこと(本人が書いてた)

他国にいてここまで自分意見を貫き通せるのはある意味凄いよ。その場の反応が見てみたかった

2023-01-23

anond:20230123132335

あんたさてはプロだな


せっかく松尾先生チャンネルを挙げているのであれば全国工務店リストから自分直感を信じて見学会に参加しまくるといいと思う

住宅展示場にある大手モデルハウスほとんど参考にもならないから(ただし個人情報と引き換えにクオカードを手に入れる場でもある)


吹き抜けについてもまさにこれで昨年建てた我が家は34坪の総二階で6畳の吹き抜けがあって、二階と一階にそれぞれ冷房用と暖房用の14畳のエアコンが二台のみの疑似全館空調

ちなみに3地域なんちゃって寒冷地で吹き付け断熱、C値0.5、窓はAPW330樹脂スペーサ


冬は深夜の安い電気料金で5時から8時まで1階エアコンで家を温めて昼間は日射取得で暖房いらず 夕方5時ごろからエアコン再開 家に寒い部屋はほとんどない

夏はちゃんと日射遮蔽とれている設計なら2階のエアコン+シーリングファン一台で家じゅう涼しいし風も直接当たらない

うちは日射遮蔽できていない軒なし箱型企画住宅から失敗ポイントではあるけど冬の暖房代に比べたら夏の冷房代は大したこといからまあいいかと思ってる

窓もダブルだけどトリプルにした場合価格差と得られる性能のコスパはそこまでではなかった(当時)ので3地域程度ならこれで十分だと思ってる


失敗だったのは床下エアコン存在を後から知って取り返しがつかなかったとこ(実績と経験のある工務店じゃなきゃ無理)

冬はそうは言っても床材自体がなかなか温まらないので今から建てるのであれば床下エアコンやってくれるとこから探すと思う

全館空調とか床暖は壊れたら業者呼ばなきゃ直せないけどエアコンなら買い替えれば終了

同じような理由で換気は3種換気だけどこれはどっちがいいのか正解はいまだにわからないけど熱ロスだけの問題ならエアコン電気代がちょっと増えるくらいなんじゃないかなあと思っている


吹き抜けのほんとのデメリット元増田が挙げている通り音が基本的に家じゅうに響くこと

二階の寝室に子供寝かしつけた後にテレビ見るとだいたい起きちゃうから指向性の高いスピーカーを買わなきゃなあと思っている今日この頃


こと家づくりに関してはインスタの情報量馬鹿にならないか偏見を捨てて情報収集したらいいと思う

2022-09-21

anond:20220921151416

うちの子タクシー運転手なんかにはさせない」と言ってくる保護者もいたという。

そこで各社は、親の理解を深めるため、さまざまな施策を凝らす。日本交通日の丸交通は、就活生の保護者向けの説明会を開催し、経営トップ自ら登壇して対話をし、理解を得ていった。国際自動車保護者だけでなく、就活生の恋人親族向けの会社見学会を開催し、職場を実際に見てもらうことで理解を促した。

そうした努力の結果、例えば都内大手日本交通は、2012年から10年間で新卒採用数が50倍に増え、2022年には300人の新卒者が入社した。

採用実績には東京大学など難関大学出身者も相当数

まれている。新卒の3年後離職率も30%台半ばと全産業並みで推移している。

2022-08-08

仕事で100校近くの中高一貫を回った私が学校選びについて伝えたいこと

私立中受験を考えている親にこれだけは言いたい。

超難関校以外のお買い得学校を見つけるコツ。

1 学校ネームバリューではなく教師の質を見ろ

学校説明会ではなく公開授業や授業見学会に行け。

2求人サイトで年がら年中教員募集をしている学校危険

非常勤ばかりの可能性が高い。働き方がブラックだと教員の質も授業の質も低い。会社と一緒だ。絶対確認しろ

3学校ホームページがふるめかしい学校危険

ITに疎い時代錯誤教師が多い可能性が高い。

ちなみにそこそこの中堅校でもこれはちょっと危険時代ITだ。見てわかりやすものになっているかデザインは今風かも確認必須

4特色のある教育ノウハウがあるものに目を向けろ

→新しい取り組みばかりに目が行きがちだが、トレンドを追いかけただけの客寄せパンダ役割をしていることも多かった。その場合はその教育に携わっている先生も付け焼き刃だったりすることが多い。来年あるかどうかわからない取り組みかもしれないので気をつけて。

長年やってきた取り組みに目を向けて決めた方が良い。

5学校独自の取り組みが外部業者頼りになっていないか確認しろ

学内予備校自習室などを入れまくっている学校そもそも教師の質が低い可能性が高い。学費上乗せで無駄お金が取られるぞ。そんなんだったら自力予備校行け。

6中堅の先生比率確認しろ

→30代〜40代前半の先生が少ない学校危険かも。

7アクティブラーニングの場があるか見ろ

プレゼンの仕方を学ぶ場や授業内での発表活動の機会が用意されているかどうかは見た方が良い

あとは大学受験の小論や英検面接など、筆記以外の試験対策に親身に対応してもらえる場があるかも確認しておくと◯

8学校で全て受験対応します と言い切らない学校がよい。

→どっぷり自称進の可能性あるので危険。ただし教師の質が高い学校なら◯

9実力に見合わなそうな教材や無理な進度でカリキュラムが進んでいないか

→中堅校で中高一貫用教材とか採択しちゃってるとついていけなくなる可能性が高い。検定教科書学校の方が生徒がイキイキしてたよ。まあ、さいきんはそう言う学校は少ないけど。

10経営状態確認

決算報告とか見ておくと良いと思う。経営が危ない学校は突然共学化したり売られたりするからね…

知ってると思うが私立中高一貫の学費バカ高い。

だけど、みんな偏差値とか行きやすさとかで安易に選んでる人が多くてびっくりするんだよね。

家と新卒就活会社選びくらいの視点があっていいと思うよ。

2021-12-14

anond:20211213182433

東京底辺校だって同じ事情だよ。

学校運営連絡協議会、て地域の人の意見を聞く会、時々やってるからね。

あと増田が触れてないのは進路だな。

全員が一般受験するような進学校では無縁な話だが、

専門も大学も含めて、生徒のほとんどが推薦で進学して、残りは就職するような学校には、

けっこう大学会社担当が出入りする。

高二くらいからは学校見学会なんかも実施されるし、進路ガイダンスと称して何十もの学校企業に来校してもらう機会も多い。

進学・就職からも、しっかり見られてるんだよ。

その辺、内田良さんなんかも理解しているかなあ?

「生徒の人権」を掲げれば正義ヅラできると思ってるなら、大間違い。

「地毛証明」とか、どう考えても指導の行き過ぎを止めるだけの制度を燃やして、何を考えてるんだろう。

問題があるとすれば、そもそも染髪禁止」の方にしかないだろ?

底辺校リアルをきっちり取材してこそジャーナリズムだよ。足を使ってくれ。

2021-11-11

anond:20211110185918

満員電車で鎧着てたら邪魔だろw

ボディーアーマーやポリカーボネートの盾でも結構重いしな(機動隊見学会みたいな奴で持たせてもらった)

スマスクマニアの知り合いに付けさせてもらった事があるが、あれ視界狭くなるし息苦しくなるんだよ

よっぽど訓練してる人じゃない限り、あんなの付けてたら犯人と格闘したりなんて無理

あいうのは逃げる時にも邪魔だし、いらんわ

消火器も薬剤込みだと小さいのでも結構思いし、取っ手のところが嵩張るから一般的リュックサックには入りきらないと思う

リュックから消火器はみ出てる奴が居たら俺なら通報すると思う

そもそも電車には備え付けの消火器があるのに自分で持ち歩く意味もないな

つーか逃げられるなら逃げるって前提で、どうしても逃げられなくなった時にどうするかって話なんだから防具の話をしてもしゃあないだろ

仮にボディーアーマー付けてても自分から刺されに行く度胸は俺には無いぞ

2021-08-06

注文住宅を建てた記録

注文住宅を選んだ理由

一番の理由親族土地を持っていたから(最寄り駅が都内ターミナル駅15分圏内。最寄り駅徒歩5分)。

お金に余裕があればマンションが良かったなーと思っています。(都内の4LDKマンション価格を見ているととても買える気がしません)

元々駅直結マンション2LDK夫婦+未就学児の3人で暮らしてましたが、2人目が産まれ2LDKが手狭になったので引っ越しを考え始めました。

マンションの利点は立地と、管理お金を払って外注できることだと感じました。

ただ購入する場合管理組合の存在コミュ障の私にはハードルと感じていました。共用施設運用や修繕等のメンテナンス、そういったことを決めるのに管理組合で決めなければいけないことを想像すると…私には難しいかもしれません(短期間で住み替える前提であれば良いのですが)

でも24時間ゴミ捨てができるのは最高でしたし、駅チカの恩恵はすごかったです。

 

賃貸購入問題は家に対する価値観が「終の棲家」だったので購入一択です(どっちが正解とかなく価値観問題)。



土地について

親族保有土地でしたが、最低限の確認しました。

 ・ハザードマップ問題なし

 ・立地:郊外だけどそこそこ商業施設もある地域通勤ドアドア1時間以内だったので良しとしました。(コロナで夫は今後もほぼフルリモートになった)

 ・子育て環境:大小公園がそこそこある。中学卒業まで医療費無料若い世帯も増えており保育園も多い(足りてはいないが)。小学校が近い(中学校は遠い)。」

 ・土地:60坪程度の変形地。接道は所有権有りの私道第一種住居地域

ただ、SUUMO掲載されていたら選ばなかったと思います。(金額的に買えないというのもある)

メーカー選定の流れ

ざっくり予算を設定してハウスメーカー工務店見積もりを貰いに行きました。

何も知らなかったので、ふらっと住宅展示場へ行きましたがスーモカウンターからの紹介の方が良い担当が付くという噂を聞き後悔…(結果的に良い担当出会えましたが)

さっくりと要望はこんな感じ。

 ・建坪40坪~の2階建て

 ・1F LDK+和室+水回り 2F 主寝室+子ども部屋+書斎

 ・洗濯は室内で完結させたい。

 ・階段廊下、できれば回遊動線

 ・パントリーがほしい

 ・外でBBQ子どもプールを楽しみたい

複数から見積もりをもらって、どこにするか決める流れです。(メーカーによって見学会があったり、色々お金がもらえたり…)

ハウスメーカーの決め手

 ・営業担当の誠実さ

  某大手ハウスメーカーには私達の属性土地代が必要ないことを理由予算を大幅に超えた提案をされたり、某SNSで人気のハウスメーカーにはとにかく性能アピールをされて要望が聞かれなかったり…そんな中、ふとした一言すら覚えて提案してくれる担当出会えたので決めました.

  結果としてその判断は間違ってなかったと思います。なぜなら、注文住宅は本当に決めることややることが多くて絶対になにかが抜けてしまったり、あれ?って思うことが発生します。これがあのハウスメーカー担当だったら…と思うとゾッとします。シビアな話(間違いの指摘とかお金とか)でも遠慮なく話せる担当を選ぶことは大事だと思います

  営業担当なんて家造りで関わるうちのたった一人…というのも正解だと思います。でも例えば設計担当が気に入らなかったら、誰に交代をお願いするか?営業担当です。営業担当さえ誠実に対応してくれれば、大凡トラブル解決できたりする、それがハウスメーカー営業担当だと思います(大変な仕事だ)。

個人の感想ですが、同じメーカー内だと皆人柄は何となく似通っていました。(支店長設計IA現場担当、庶務etc

アフターサービス の充実度

 建てて終わり!というのはイヤだったので、ある程度大手アフターサービス専門部署があるメーカーを選びました。

 保障もできるだけ長い(60年)メーカーを選びました。もちろんメーカー経由だと何でも高いし、メンテナンスにもお金がかかることは承知の上です。それも込みで予算を設定しました。

予算

 契約後に仕様を詰める中でかなり総額は上がりました。…なのでそれも含めて最初予算を伝えるべきだと思います。(500万くらい上がった。建坪アップと外構のせい)

 ローンをどこで借りるかという問題もあるので、月の支払いイメージをしっかり持っていたのは良かったかなーと思います


良かったこ

・こだわりを実現できる

 1階で生活が完結できる間取り、を目指していました。特に洗濯動線は、洗う/干す/収納 が一部屋で完結する間取りが実現しました。これズボラには最高!

 夫は書斎を好きなように出来ててとても嬉しそうで良かったです。(書斎に引きこもられると寂しいですが…)

子供が嬉しそう

 走り回っても怒らなくて良いし(破壊されそうな時は怒るけど)、公園に行かなくても庭で楽しく遊べるし、楽器演奏も気兼ねなく出来る(防音性能が高い)。

 今の季節だとベランダプールが最高です!

 コロナが落ち着いたらタイルデッキ友達BBQするんだ~!


良くなかったこ

・やること多すぎ&子連れにはしんどい

 ハウスメーカーの方も配慮してくれて自宅に来てもらって打ち合わせしてたけど、実物を見るためにはショールームや展示場に行かなくてはいけなくて、赤ちゃん連れだと本当にしんどかった…

 間取りキッチンやお風呂等の設備を決めて、内装の打ち合わせ(それこそドアの取手や手すりの金具の色迄自分たちで決めるので本当に長かった。私達は合うIAさんだったので、ある程度お任せしましたが)、照明やカーテンを選び、外構も打ち合わせをして家具も選び…並行してローンの事前審査をしたり、毎週末打ち合わせしてました。

 仕様が決まったら金額を見て最終調整をして契約

 次は施工が始まるので可能な限り現場を見に行って、差し入れもして…振り返っても本当に疲労困憊でした。

 子供が産まれる前に建てた方がそういう意味では楽かもしれません。

・高い

  建売と比べると高いです。やっぱり。私達も土地がなければ今のメーカーとはご縁がなかったかも…?

  でも敷地内に2台分駐車場もあるし、都内賃貸時代と比べると月々の支払いは半分以下になりました。(固定資産税等の税金修繕費の積立分を考えても)

自由、と言ってもハウスメーカーとある程度縛りがある

 工法によっては実現できない間取り構造もあります。本当にこだわりを実現するなら、ハウスメーカーでめちゃくちゃお金を掛ける(展示場の建物は高額オプションだらけ)か、工務店設計士さんとゼロから創り上げる必要があります

 ハウスメーカーはある程度標準品があり、その中で選ぶことを前提としているので、壁紙でも気になるメーカーがあれば自分で探したりする必要があります。(が、標準品でも我が家は十分満足でした!)


総括

総じて大満足です。

子供がいる場合注文住宅、ということでは保活問題は大きかったです。区外への転園、しかも二人同時、という高難易度ミッションでした…

保育園の決定通知が届いた時が一番ホッとしたかも。

共働きで頑張ってローンを返済していきたいですね。

いくら?っていうのが一番気になると思うので参考までに、我が家場合は約100万/坪でした(外構・諸費用込)。高い!。これに土地価格を入れると…親族感謝です)

2021-07-27

前もって知らせておいてほしかった……

 本日、某学校説明会があったため、午後休を取って子どもとともにとある学校へと赴いた。

 校門前には腕章をした案内係らしき学生が一人、立っている。

こんにちは

 と挨拶して校門をくぐり、正面玄関へ行こうとしたところ、

「中に入れるのは学生さんだけです」

 ……は?

 疑問に思いつつ、子どもだけ正面玄関へと向かい、受付を済ませた様子。

 校門の前には、子どもに付き添いで来たらしい親だけがつんと取り残されている。

 疑問に思った別の親が、

「控え室はないんですか?」

「ありません」

「親は入れないんですか?」

コロナ対策学生だけです」

 ……ねぇ、それだったらさ、ホームページ最初からそう書いといてくれないかな。

 ホームページでの受付の時も「一学生につき一保護者まで」とかで受け付けてたんだよ。

 普通、親も入れると思うよね?

 途中、方針が変わったのなら、ホームページなり、メールなりで前もって知らせてくれれば、少ない有給を捻出してまで午後休を取らなくて済んだのに。

 さすがにその文句を案内してくれている学生くんに言うのは筋違いだと思ったのし、私もいい加減、大人にならなければと我慢して、とっとと帰ってきたのだけど、どうして学校というのはそういう案内が足りないのか。

 今日説明会の持ち物もなにも書いてなかったし。

 こういうところで今後の学校生活が垣間見えるな、と思って、私の中ではこの学校は第二希望へとランクダウンしたのでした。

 ちなみに、きちんとした学校説明会必要な持ち物など、HPに別紙に(PDFでだったけど)書かれていました。

 今日行った学校HPをさんざん探したんだけど、すぐ見える場所にはなく、それも不親切だと思いました(結局のところ、ないみたい)。

 まあ、常識的に考えて、スリッパと筆記用具だろうけど、当たり前と思っても、書いておいて欲しいですね。

 最低限、必要ものはだれもが分かっているだろう、というのは通用しないのです。

 学校側の人たちが常識でも、それは外では非常識なこともあるし、当人たちが当たり前のことでも、他の人たちには当たり前ではないのです。

 今日出来事自分への戒めということで、でも、記名式だとどこのことを言っているのか分かってしま可能性を考えて、あえて匿名で書かせてもらいました。

※まあ、今回の出来事学校だけではなく、会社社会にも言えることなんですけどね。

 ついでに愚痴

 このコロナ禍で、学校見学会の申し込み予約がなかなか取れません。

 枠を制限しているため、人気がある学校はすぐに枠が埋まってしまます

 見学なんてしなくていいかなと思ったのですが、今回のことを考えて、「入った後に後悔すること」になる可能性があるので、事前見学必須だなと感じました。

 ということで、本命見学会の申し込み予約がなかなか取れませんが、頑張って取ろうと思います

最近HPで受付、受付開始1時間もしないうちに予約枠がいっぱいになって取れない、という状況)

2021-07-01

最近のうちのツバメ

4,5羽でしゃこそば電線ソーシャルディスタンスでとまってる

ときどきしゃべってる

そんでそのうち1羽が車庫にはいって巣の様子をみてる

マンション集団見学会みたいな感じ

2021-05-02

anond:20210502075054

普通に牧場トレセン見学会やってるじゃん

生産者から怒られてるのも「コロナ禍で」「予約せずに」牧場突撃するというルール違反だけだし

見学会サービスでもやってるってことは意味があるんだろ

ただでさえ競馬人口減ってるんだから

2021-03-22

中学の頃、学校宛に市内の専門学校から見学会のお知らせが来ることがあって、夏休みかに何個か参加した

服飾専門学校では授業体験って感じで持参した布を使って、ミシントートバッグを縫うのを教えてもらった

看護学校では実際に白衣ナースキャップ血圧測定とかベッド上での洗髪とかをやらせてもらった

情報系の専門学校ではラジコンみたいなやつを動かすプログラミングみたいなのやった気がする

どこも専修学校の高等課程で、専門の授業やりながら地元の県立高校通信課程もやるみたいな感じ

自分は成績的にも親の希望的にも地元進学校に行く感じだったか全然その専門学校かには進学予定なかったけど、なんか面白そう〜夏休みも塾の予定しかないし〜って感じで友達誘って何個か参加して楽しんでた

今思うと、自校側もよく私みたいな専門学校進学を希望してない子を送り込んだもんだよなぁ

まぁ、自校側は成績微妙な子の受け入れ先確保のための繋ぎ的な感じで、見学実績作りたいとかあったのかもしれないけど…

受け入れ側は何にもメリットなくてなんか申し訳ないな…

高校出て大学出て会社員してるけど、やっぱり当時面白そうだな〜!って参加した分野にはいまでも興味ある

でも熱意を持ってどんな状況でも仕事としてやり通す自信は無いから、フツーの進路を取るのが結局自分にはあってたんだろうなぁ…

もしやり直せるとしても今と同じ道を選ぶと思う

でも、シミュレーションとして体験できるなら、興味ある分野に進んだ自分がどうなったのかも見てみたい気はする

2021-02-09

大学教授Twitterしんどい

うちのゼミ教授は間違っていることは正さないと気が済まない人で、見学会などでボランティアの方の解説に少しでも疑問を抱くと徹底的に論破しようとするなど、少し攻撃的な面がある。

その対応研究者としては間違っていないのだろうし、正しい知識を広めるべきであるという姿勢理解できるんだが、一緒にいる学生としては居心地の悪さを感じることがある。

学生の私はボランティア相手にそんな最新の専門知識を求めなくても…と思うが、とにかく許せないらしい。

そんな教授Twitterでことあるごとにクソリプと戦っている。

教授のことは春頃からフォローし始めたんだが、とにかく常にクソリプに絡みまくっているので、Twitterでもこんな感じなんだなあと少し驚いた。

しか教授自分へのクソリプに反応するだけでなく、他のTwitterアカウントについたクソリプにも絡みに行くので本当にたちが悪い。

別にTwitterの使い方なんて個人自由とわかってはいるんだが、引用RT晒し上げたり相手に対して「不勉強で…」と煽りまくるなど、イキリ散らしている様子を見ると本当にいたたまれない。

クソリプ教授disられていたり、まれクソリプ相手ヒートアップして大学や分野ごとdisり出すのも不快しかない。

最近耐えられなくなってミュートしたが、ここ数日同じ界隈の方々がザワザワしているので、ああまたクソリプに絡んでいるんだろうなあと思ってこの増田を書いた。

2020-09-09

anond:20200909023744

無理くね?

[FNN]「これ以上わがままは言えない…」震災から9年、被災者向け仮設住宅からの退去期限が3月末に迫る

https://sp.fnn.jp/posts/00050704HDK/202003111840_morimototaro_HDK


富岡浪江、飯舘の3町村の住民原発事故の際、福島県内外に避難することを強いられ、そのうち応急仮設住宅に住むことになった人たちが今回の退去期限の対象となる。

まり被災者たちは強制的避難をさせられて住んだことのない土地に移り住み、なんとか慣れて生活を再建したところで、今回、そのようやく慣れた家から出ていかなくてはいけなくなるのである


今後どうするのかを聞くと、「とりあえず荷物の整理をして運んだりはしているんですけど…。どうしましょう?どこかシェアハウスとかを探すしかないのかな?もしかしたら当面はネカフェで寝泊まりすることになるのかもしれません」


Sさんたちの住む東雲国家公務員住宅は、被災者が退去した後、国家公務員であるキャリア官僚の住居になるのではないかと見られている。

なお、地震津波で家や街が壊れた人へもこの仕打ち

完全に壊れていない限り仮設住宅へも行けず自費らしい


[NHK] 壊れた家に住み続ける被災者

https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190402/index.html


宮城県石巻市に、今も壊れたままの家に1人で住む70代の男性がいる。家の外観は特に問題ないが、1階の柱は朽ちて中が空洞だ。床も抜け落ちそうで不安を抱えながら暮らし続けてきた。


震災直後の被災地には、自宅の1階が壊れ、かろうじて残った2階に逃れた「2階族」と呼ばれる人が数多くいた。男性もその1人。自宅の1階は津波で水没し、大規模半壊と判定された。国から202万円の補助が出たがそれだけでは修理しきれずに住み続けている。


地震が起きたとき男性は倒れてきたたんすの下敷きになり、足に大怪我を負ってしまう。けがのため避難所に行けず、壊れた自宅の2階で過ごすしかなかった。しかし、津波生活必要ものを流されてしまったため、厳しい暮らしに耐えかねて仮設住宅への入居を希望したが拒否されたと言う。


市役所に行って『仮設住宅に入りたいんだけど』と申請したのよ。そうしたら『あなた場合ダメだ』って。『何でダメなの?』と言ったら、

あなた場合自分の家あるでしょ。2階で避難してたから、2階の部屋があるから2階で住んで下さい』と。」(被災者男性

国は災害救助法運用基準で、仮設住宅に入居できる対象原則として次のように定義している。

「家が全壊・流出するなどして、居住する住家がない者に供与する。」(内閣府告示


70代の男性は、壊れたままの家で8年間も暮らしている。厳しい環境で次第に体調を崩し、病院通いが欠かせない。医療費がかさみ、食費にも困窮している状態だ。


うどんはね、3袋で百円なのよ。もやしは15円。もやしが一番安いのな、野菜で。おれ最近思ったのはさ、この震災になって7年目になって、自殺する人の気持ちが分かってきた。考えても考えても、生活が苦しくて苦しくてさ。生きる力っていうのが、考えれば考えるほど暗くなってきて、明るい気持ちが持てなくなったのよ。それで死んだ方が楽だなと思って。死んだ方が、何にも考えることないなと思って。」(70代の男性



[NHK]「震災直後は夢があったけれど…」 老舗菓子Tさんの9年

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200311/k10012325051000.html


岩手県宮古市で老舗の菓子店を営むTさん(63)は、今回のアンケート自由記述に「思い描いていた未来のようにはなっていない」とつづりました。


Tさん東日本大震災津波で自宅と店舗、そして工場を流されましたが、それでも震災の直後は前向きな気持ちになれたと言います


Tさんは、当時の心境について、「すべてを失いましたが、家族住宅フェアや見学会に行って再建するならどんな家がいいかと考えたりして、不謹慎かもしれないけど、楽しい、夢が持てた時期でした。店の再建もできない訳がない、お菓子屋さんをまたやるんだと、当然のように思っていました」と振り返りました。


しかし、再建は当初思い描いたようには進みませんでした。仮設住宅不自由生活を送りながら仮設店舗営業を続け、震災の2年後には工場を再建。しかし、売り上げは震災前の10分の1にも届かず、不安材料けが増えていく日々が続きました。


Tさん震災2年のアンケートに、

▽「震災1年頃までは明るい夢を持てたが、それが2年たっても実現出来ない。むなしさを感じる時が多々ある」と書き、震災3年のアンケートには「仮設3度目の冬はマイナスイメージ言葉しか思い浮かばない。全てを失った震災直後は、それでも立ち直るという強い意志希望が芽吹いていた。当時の思いは3年で日に日にやせ細り、しおれかけている」と記しています


当時の胸の内についてTさんは「復興のつち音が響きたくさんの人が来て復旧復興に尽力してくれていることが励みになって自分も明るい気持ちになれたが、そういう人たちが去っていくと人が減り静かでさみしくなった。売り上げがゼロの日もあり、切なくて、自分たちでお菓子を買ってレジお金を入れたこともあった」と語りました。


それでも「完全復旧する」と意気込み、店の再建という夢に向かって進んでいたTさんに「建設費の高騰」が追い打ちをかけました。復興需要の増大などで震災前1坪あたり50万円程度だった工事費用が、2.5倍近い120万円程度にまで上がったのです。


工場に加え震災から5年後に自宅を再建し、すでに多額のローンを組んでいたTさんは、震災6年のアンケートに「歩みが減速して、1度勢いを失うと、強い気持ちを持続させるのは難しいと実感している。借金を増やしてでも店舗再建を目指すことは正しいことなのだろうか?」などと、自分が選んだ道は正しかったのかと自問自答を繰り返していた当時の心境を記していました。


震災から6年半近くたった2017年の夏、仮設店舗の退去期限が迫る中、Tさんは店の大きさを当初の計画の半分程度に縮小してようやく再建を果たすことができました。


Tさんは「店と工場が離れてしまうなど当初考えていなかったことが重なった。行政方針が二転三転して読めないのでその時その時で対処していたら借金が1億を超えてしまった」と話しました。


ところが、ようやく戻ることができた街は思い描いた姿とは変わっていました。住宅高台移転商店街もなくなったため店の周囲ににぎわいはなく、震災前は大勢いた自転車や徒歩で店に来る客は今はほとんどいません。


Tさんは「元の場所に戻ったら悪くても震災前の半分は売り上げがあるだろう」と思っていたと言いますが、震災の影響で商品の卸し先が廃業したこともあって、売り上げは震災前の3分の1程度にとどまっています

2020-08-01

[]

できる営業マン 

桜井玲香47「Slack

わい「どこがいいの?」

桜井玲香47「なんにもしないこと乃木坂のごとし でもIT導入したっていえます。人気のSlack導入しました!! ※ なんもしない 」

桜井玲香47「なと いままでのツールがそのままつかえます そのままつかってください 」

 

 

よくばりだなぁ・・・

しょうがない

乃木坂47 1日オフィス体験ツアー見学会 プレゼン 

 

 ことしのIT予算は ぜひ 人気ツールSlack! なんもしてないよ

2020-07-17

東北自己責任になったじゃん  anond:20200717000047

基本的自己責任の国だぞ、生活保護医療保険があるからなんとかなるだろうの精神

にも関わらず、生活保護医療保険を無くそう・縮小しようというバカがいる

現場猫コラはセンス抜群ですきだが、医療保険のクソキャンペーンイラスト提供していた オリジナルのくまみね氏の方はブロックしている。お前はすべて自己責任でいけ

[FNN]「これ以上わがままは言えない…」震災から9年、被災者向け仮設住宅からの退去期限が3月末に迫る

https://sp.fnn.jp/posts/00050704HDK/202003111840_morimototaro_HDK


富岡浪江、飯舘の3町村の住民原発事故の際、福島県内外に避難することを強いられ、そのうち応急仮設住宅に住むことになった人たちが今回の退去期限の対象となる。

まり被災者たちは強制的避難をさせられて住んだことのない土地に移り住み、なんとか慣れて生活を再建したところで、今回、そのようやく慣れた家から出ていかなくてはいけなくなるのである


今後どうするのかを聞くと、「とりあえず荷物の整理をして運んだりはしているんですけど…。どうしましょう?どこかシェアハウスとかを探すしかないのかな?もしかしたら当面はネカフェで寝泊まりすることになるのかもしれません」


Sさんたちの住む東雲国家公務員住宅は、被災者が退去した後、国家公務員であるキャリア官僚の住居になるのではないかと見られている。

なお、地震津波で家や街が壊れた人へもこの仕打ち

完全に壊れていない限り仮設住宅へも行けず自費らしい


[NHK] 壊れた家に住み続ける被災者

https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190402/index.html


宮城県石巻市に、今も壊れたままの家に1人で住む70代の男性がいる。家の外観は特に問題ないが、1階の柱は朽ちて中が空洞だ。床も抜け落ちそうで不安を抱えながら暮らし続けてきた。


震災直後の被災地には、自宅の1階が壊れ、かろうじて残った2階に逃れた「2階族」と呼ばれる人が数多くいた。男性もその1人。自宅の1階は津波で水没し、大規模半壊と判定された。国から202万円の補助が出たがそれだけでは修理しきれずに住み続けている。


地震が起きたとき男性は倒れてきたたんすの下敷きになり、足に大怪我を負ってしまう。けがのため避難所に行けず、壊れた自宅の2階で過ごすしかなかった。しかし、津波生活必要ものを流されてしまったため、厳しい暮らしに耐えかねて仮設住宅への入居を希望したが拒否されたと言う。


市役所に行って『仮設住宅に入りたいんだけど』と申請したのよ。そうしたら『あなた場合ダメだ』って。『何でダメなの?』と言ったら、

あなた場合自分の家あるでしょ。2階で避難してたから、2階の部屋があるから2階で住んで下さい』と。」(被災者男性

国は災害救助法運用基準で、仮設住宅に入居できる対象原則として次のように定義している。

「家が全壊・流出するなどして、居住する住家がない者に供与する。」(内閣府告示


70代の男性は、壊れたままの家で8年間も暮らしている。厳しい環境で次第に体調を崩し、病院通いが欠かせない。医療費がかさみ、食費にも困窮している状態だ。


うどんはね、3袋で百円なのよ。もやしは15円。もやしが一番安いのな、野菜で。おれ最近思ったのはさ、この震災になって7年目になって、自殺する人の気持ちが分かってきた。考えても考えても、生活が苦しくて苦しくてさ。生きる力っていうのが、考えれば考えるほど暗くなってきて、明るい気持ちが持てなくなったのよ。それで死んだ方が楽だなと思って。死んだ方が、何にも考えることないなと思って。」(70代の男性



[NHK]「震災直後は夢があったけれど…」 老舗菓子Tさんの9年

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200311/k10012325051000.html


岩手県宮古市で老舗の菓子店を営むTさん(63)は、今回のアンケート自由記述に「思い描いていた未来のようにはなっていない」とつづりました。


Tさん東日本大震災津波で自宅と店舗、そして工場を流されましたが、それでも震災の直後は前向きな気持ちになれたと言います


Tさんは、当時の心境について、「すべてを失いましたが、家族住宅フェアや見学会に行って再建するならどんな家がいいかと考えたりして、不謹慎かもしれないけど、楽しい、夢が持てた時期でした。店の再建もできない訳がない、お菓子屋さんをまたやるんだと、当然のように思っていました」と振り返りました。


しかし、再建は当初思い描いたようには進みませんでした。仮設住宅不自由生活を送りながら仮設店舗営業を続け、震災の2年後には工場を再建。しかし、売り上げは震災前の10分の1にも届かず、不安材料けが増えていく日々が続きました。


Tさん震災2年のアンケートに、

▽「震災1年頃までは明るい夢を持てたが、それが2年たっても実現出来ない。むなしさを感じる時が多々ある」と書き、震災3年のアンケートには「仮設3度目の冬はマイナスイメージ言葉しか思い浮かばない。全てを失った震災直後は、それでも立ち直るという強い意志希望が芽吹いていた。当時の思いは3年で日に日にやせ細り、しおれかけている」と記しています


当時の胸の内についてTさんは「復興のつち音が響きたくさんの人が来て復旧復興に尽力してくれていることが励みになって自分も明るい気持ちになれたが、そういう人たちが去っていくと人が減り静かでさみしくなった。売り上げがゼロの日もあり、切なくて、自分たちでお菓子を買ってレジお金を入れたこともあった」と語りました。


それでも「完全復旧する」と意気込み、店の再建という夢に向かって進んでいたTさんに「建設費の高騰」が追い打ちをかけました。復興需要の増大などで震災前1坪あたり50万円程度だった工事費用が、2.5倍近い120万円程度にまで上がったのです。


工場に加え震災から5年後に自宅を再建し、すでに多額のローンを組んでいたTさんは、震災6年のアンケートに「歩みが減速して、1度勢いを失うと、強い気持ちを持続させるのは難しいと実感している。借金を増やしてでも店舗再建を目指すことは正しいことなのだろうか?」などと、自分が選んだ道は正しかったのかと自問自答を繰り返していた当時の心境を記していました。


震災から6年半近くたった2017年の夏、仮設店舗の退去期限が迫る中、Tさんは店の大きさを当初の計画の半分程度に縮小してようやく再建を果たすことができました。


Tさんは「店と工場が離れてしまうなど当初考えていなかったことが重なった。行政方針が二転三転して読めないのでその時その時で対処していたら借金が1億を超えてしまった」と話しました。


ところが、ようやく戻ることができた街は思い描いた姿とは変わっていました。住宅高台移転商店街もなくなったため店の周囲ににぎわいはなく、震災前は大勢いた自転車や徒歩で店に来る客は今はほとんどいません。


Tさんは「元の場所に戻ったら悪くても震災前の半分は売り上げがあるだろう」と思っていたと言いますが、震災の影響で商品の卸し先が廃業したこともあって、売り上げは震災前の3分の1程度にとどまっています

2020-07-05

増田自己責任教蔓延しているこの国で 災害に遭っても “そこに住んでいることが自己責任でしょ”とならないのはなぜ?」

東北自己責任になったじゃん

[FNN]「これ以上わがままは言えない…」震災から9年、被災者向け仮設住宅からの退去期限が3月末に迫る

https://sp.fnn.jp/posts/00050704HDK/202003111840_morimototaro_HDK


富岡浪江、飯舘の3町村の住民原発事故の際、福島県内外に避難することを強いられ、そのうち応急仮設住宅に住むことになった人たちが今回の退去期限の対象となる。

まり被災者たちは強制的避難をさせられて住んだことのない土地に移り住み、なんとか慣れて生活を再建したところで、今回、そのようやく慣れた家から出ていかなくてはいけなくなるのである


今後どうするのかを聞くと、「とりあえず荷物の整理をして運んだりはしているんですけど…。どうしましょう?どこかシェアハウスとかを探すしかないのかな?もしかしたら当面はネカフェで寝泊まりすることになるのかもしれません」


Sさんたちの住む東雲国家公務員住宅は、被災者が退去した後、国家公務員であるキャリア官僚の住居になるのではないかと見られている。

なお、地震津波で家や街が壊れた人へもこの仕打ち

完全に壊れていない限り仮設住宅へも行けず自費らしい


[NHK] 壊れた家に住み続ける被災者

https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190402/index.html


宮城県石巻市に、今も壊れたままの家に1人で住む70代の男性がいる。家の外観は特に問題ないが、1階の柱は朽ちて中が空洞だ。床も抜け落ちそうで不安を抱えながら暮らし続けてきた。


震災直後の被災地には、自宅の1階が壊れ、かろうじて残った2階に逃れた「2階族」と呼ばれる人が数多くいた。男性もその1人。自宅の1階は津波で水没し、大規模半壊と判定された。国から202万円の補助が出たがそれだけでは修理しきれずに住み続けている。


地震が起きたとき男性は倒れてきたたんすの下敷きになり、足に大怪我を負ってしまう。けがのため避難所に行けず、壊れた自宅の2階で過ごすしかなかった。しかし、津波生活必要ものを流されてしまったため、厳しい暮らしに耐えかねて仮設住宅への入居を希望したが拒否されたと言う。


市役所に行って『仮設住宅に入りたいんだけど』と申請したのよ。そうしたら『あなた場合ダメだ』って。『何でダメなの?』と言ったら、

あなた場合自分の家あるでしょ。2階で避難してたから、2階の部屋があるから2階で住んで下さい』と。」(被災者男性

国は災害救助法運用基準で、仮設住宅に入居できる対象原則として次のように定義している。

「家が全壊・流出するなどして、居住する住家がない者に供与する。」(内閣府告示


70代の男性は、壊れたままの家で8年間も暮らしている。厳しい環境で次第に体調を崩し、病院通いが欠かせない。医療費がかさみ、食費にも困窮している状態だ。


うどんはね、3袋で百円なのよ。もやしは15円。もやしが一番安いのな、野菜で。おれ最近思ったのはさ、この震災になって7年目になって、自殺する人の気持ちが分かってきた。考えても考えても、生活が苦しくて苦しくてさ。生きる力っていうのが、考えれば考えるほど暗くなってきて、明るい気持ちが持てなくなったのよ。それで死んだ方が楽だなと思って。死んだ方が、何にも考えることないなと思って。」(70代の男性



[NHK]「震災直後は夢があったけれど…」 老舗菓子Tさんの9年

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200311/k10012325051000.html


岩手県宮古市で老舗の菓子店を営むTさん(63)は、今回のアンケート自由記述に「思い描いていた未来のようにはなっていない」とつづりました。


Tさん東日本大震災津波で自宅と店舗、そして工場を流されましたが、それでも震災の直後は前向きな気持ちになれたと言います


Tさんは、当時の心境について、「すべてを失いましたが、家族住宅フェアや見学会に行って再建するならどんな家がいいかと考えたりして、不謹慎かもしれないけど、楽しい、夢が持てた時期でした。店の再建もできない訳がない、お菓子屋さんをまたやるんだと、当然のように思っていました」と振り返りました。


しかし、再建は当初思い描いたようには進みませんでした。仮設住宅不自由生活を送りながら仮設店舗営業を続け、震災の2年後には工場を再建。しかし、売り上げは震災前の10分の1にも届かず、不安材料けが増えていく日々が続きました。


Tさん震災2年のアンケートに、

▽「震災1年頃までは明るい夢を持てたが、それが2年たっても実現出来ない。むなしさを感じる時が多々ある」と書き、震災3年のアンケートには「仮設3度目の冬はマイナスイメージ言葉しか思い浮かばない。全てを失った震災直後は、それでも立ち直るという強い意志希望が芽吹いていた。当時の思いは3年で日に日にやせ細り、しおれかけている」と記しています


当時の胸の内についてTさんは「復興のつち音が響きたくさんの人が来て復旧復興に尽力してくれていることが励みになって自分も明るい気持ちになれたが、そういう人たちが去っていくと人が減り静かでさみしくなった。売り上げがゼロの日もあり、切なくて、自分たちでお菓子を買ってレジお金を入れたこともあった」と語りました。


それでも「完全復旧する」と意気込み、店の再建という夢に向かって進んでいたTさんに「建設費の高騰」が追い打ちをかけました。復興需要の増大などで震災前1坪あたり50万円程度だった工事費用が、2.5倍近い120万円程度にまで上がったのです。


工場に加え震災から5年後に自宅を再建し、すでに多額のローンを組んでいたTさんは、震災6年のアンケートに「歩みが減速して、1度勢いを失うと、強い気持ちを持続させるのは難しいと実感している。借金を増やしてでも店舗再建を目指すことは正しいことなのだろうか?」などと、自分が選んだ道は正しかったのかと自問自答を繰り返していた当時の心境を記していました。


震災から6年半近くたった2017年の夏、仮設店舗の退去期限が迫る中、Tさんは店の大きさを当初の計画の半分程度に縮小してようやく再建を果たすことができました。


Tさんは「店と工場が離れてしまうなど当初考えていなかったことが重なった。行政方針が二転三転して読めないのでその時その時で対処していたら借金が1億を超えてしまった」と話しました。


ところが、ようやく戻ることができた街は思い描いた姿とは変わっていました。住宅高台移転商店街もなくなったため店の周囲ににぎわいはなく、震災前は大勢いた自転車や徒歩で店に来る客は今はほとんどいません。


Tさんは「元の場所に戻ったら悪くても震災前の半分は売り上げがあるだろう」と思っていたと言いますが、震災の影響で商品の卸し先が廃業したこともあって、売り上げは震災前の3分の1程度にとどまっています

anond:20200705152741

2020-04-06

anond:20200406230251

ないぞ

から海外学会見解を中心に見ているが

日本小児科学会のように世界真逆いかない正しい見解を見せるところもあるし、

正しい主張をしてくれているアカデミアの人もいる

日本病院会も最初からまともなこと言ってるしな


放射能云々については控えたい

そこで暮らしている人たちや暮らしを取り戻そうと尽力している人たち

地域医療に尽力されている人たちがいるからだ


どうせならこっちがいいな

[FNN]「これ以上わがままは言えない…」震災から9年、被災者向け仮設住宅からの退去期限が3月末に迫る

https://sp.fnn.jp/posts/00050704HDK/202003111840_morimototaro_HDK


迫る退去期限、今後どうするのかを聞くと、「とりあえず荷物の整理をして運んだりはしているんですけど…。どうしましょう?どこかシェアハウスとかを探すしかないのかな?もしかしたら当面はネカフェで寝泊まりすることになるのかもしれません」


Sさんたちの住む東雲国家公務員住宅は、被災者が退去した後、国家公務員であるキャリア官僚の住居になるのではないかと見られている。

なお、地震津波で家や街が壊れた人へもこの仕打ち

完全に壊れていない限り仮設住宅へも行けず自費らしい


[NHK] 壊れた家に住み続ける被災者

https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190402/index.html


加えてやはり街からは人が減ってしまって商売もままならないらしい


[NHK]「震災直後は夢があったけれど…」 老舗菓子Tさんの9年

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200311/k10012325051000.html


岩手県宮古市で老舗の菓子店を営むTさん(63)は、今回のアンケート自由記述に「思い描いていた未来のようにはなっていない」とつづりました。


Tさん東日本大震災津波で自宅と店舗、そして工場を流されましたが、それでも震災の直後は前向きな気持ちになれたと言います


Tさんは、当時の心境について、「すべてを失いましたが、家族住宅フェアや見学会に行って再建するならどんな家がいいかと考えたりして、不謹慎かもしれないけど、楽しい、夢が持てた時期でした。店の再建もできない訳がない、お菓子屋さんをまたやるんだと、当然のように思っていました」と振り返りました。


しかし、再建は当初思い描いたようには進みませんでした。仮設住宅不自由生活を送りながら仮設店舗営業を続け、震災の2年後には工場を再建。しかし、売り上げは震災前の10分の1にも届かず、不安材料けが増えていく日々が続きました。


Tさん震災2年のアンケートに、

▽「震災1年頃までは明るい夢を持てたが、それが2年たっても実現出来ない。むなしさを感じる時が多々ある」と書き、震災3年のアンケートには「仮設3度目の冬はマイナスイメージ言葉しか思い浮かばない。全てを失った震災直後は、それでも立ち直るという強い意志希望が芽吹いていた。当時の思いは3年で日に日にやせ細り、しおれかけている」と記しています


当時の胸の内についてTさんは「復興のつち音が響きたくさんの人が来て復旧復興に尽力してくれていることが励みになって自分も明るい気持ちになれたが、そういう人たちが去っていくと人が減り静かでさみしくなった。売り上げがゼロの日もあり、切なくて、自分たちでお菓子を買ってレジお金を入れたこともあった」と語りました。


それでも「完全復旧する」と意気込み、店の再建という夢に向かって進んでいたTさんに「建設費の高騰」が追い打ちをかけました。復興需要の増大などで震災前1坪あたり50万円程度だった工事費用が、2.5倍近い120万円程度にまで上がったのです。


工場に加え震災から5年後に自宅を再建し、すでに多額のローンを組んでいたTさんは、震災6年のアンケートに「歩みが減速して、1度勢いを失うと、強い気持ちを持続させるのは難しいと実感している。借金を増やしてでも店舗再建を目指すことは正しいことなのだろうか?」などと、自分が選んだ道は正しかったのかと自問自答を繰り返していた当時の心境を記していました。


震災から6年半近くたった2017年の夏、仮設店舗の退去期限が迫る中、Tさんは店の大きさを当初の計画の半分程度に縮小してようやく再建を果たすことができました。


Tさんは「店と工場が離れてしまうなど当初考えていなかったことが重なった。行政方針が二転三転して読めないのでその時その時で対処していたら借金が1億を超えてしまった」と話しました。


ところが、ようやく戻ることができた街は思い描いた姿とは変わっていました。住宅高台移転商店街もなくなったため店の周囲ににぎわいはなく、震災前は大勢いた自転車や徒歩で店に来る客は今はほとんどいません。


Tさんは「元の場所に戻ったら悪くても震災前の半分は売り上げがあるだろう」と思っていたと言いますが、震災の影響で商品の卸し先が廃業したこともあって、売り上げは震災前の3分の1程度にとどまっています

2019-06-15

特例子会社という混沌

 4月から特例子会社へ入った。

 

 大きな部屋に数十人の障害者がぶち込まれているよくあるパターンの特例子会社で、入社した会社としては初の試みだった。障害者雇用率が全く達成されておらず、問題になったため急ごしらえで部屋を作成し、いろいろと用意してから4月1日より何はともあれのスタート福祉バックグラウンドを一切持たないこんな業務に飛ばされたかわいそうな健常の社員たちと、幸いにして職を得た障害者たち。様子見の緊張感がある初日だった。

 

 私は障害者枠の正社員として採用されてその部署に入ったけども、残念ながら初日から「ああ完全に隔離部屋なんだな」と改めて感じさせられた。ほかの部署との接点はないし、同期が誰なのかはいまいちわからない。研修制度もあるにはあるが、健常の新卒一括採用最適化された内容で中途の障害者にはまるっきり向いていない。視覚聴覚が隣同士になり、視覚聴覚に話しかけるも聴覚は聞き取れず、聴覚筆談をしようにも視覚は見えない。そんな世界オブラートなしに突っ込んでいく発達。なかなかスリリング空気が広がる。そんな中福祉出身支援者はおらず、慣れない健常の社員たちが対応する。かろうじて福祉バックグラウンドを持つ私が障害者でありながら障害者ケアをしながら走るという状況からスタートした。

 

 そんな状況で数週間もたち、業務もある程度割り振りが決まっていく。私が担当することになった業務障害者採用担当相方は発達のおばちゃん。人柄は幸い悪い人ではない。上司は前回障害者採用担当した人で、現場を見に来るわけでもなく電話メールで指令が飛んでくる。ほかにも一応責任者という名の人たちはいるが、部屋に来ることはない。どうやら上は、障害者障害者採用障害者部屋で障害者同士サポートさせるという完全な閉じたテラリウムでも作りたいのかなと察する。優先すべきは雇用率の達成で、それ以外では誰も接点を取りたくはないのだろう。まあわからんでもない。

 

 そんな中、業務がどんどん偏っていく。

 

 発達のおばちゃん外電ができない。受電もたどたどしく、見知らぬ相手への採用関連の架電なんてとてもできそうにない。外部からメール対応すら難しいくらいだ。幸いにして事務処理能力ちゃんとあるのでファイリングをやってもらう。しかしながら発達の特性ミスがあるので私も油断ができない。本人はできるということも実はできないことが多い。期待はしてはいけないとわかり始める。

 

 見学面接に来る障害者支援者たちの対応は私に偏っていく。なぜならおばちゃんネットで前もめた人が多いらしく、彼らからの応募があるたびに休憩室(最初なかったので提案して作った)へこもって逃げるので任せられない。私がやる業務が増える中、おばちゃん悠々自適生活満喫する。上司でもない私が割り振れる業務にも限界があるので強くは割り振れない。だが本人から自分がやりますという発言は出ない。毎日情報収集(という名のネットサーフィン)にいそしみ、ネット掲示板でいか障害者が行動しているかを逐一楽しそうに報告してくる。朝は遅刻し、昼はいなくなり、定時前から準備し帰る。私は時間外にならないとつながらない相手電話をかける。そして給料はおばちゃんのほうが高い。なぜならそういう仕組みになっているからだ。

 

 上司は残念ながらこの状況に対して対応する気はなかった。正確にいうと対応する気はないわけではなかったが、割り振った業務もおばちゃんにはできなかった。仕方ないから結局私になった。そして私からの不満に対し上司は途中からうんざりしはじめた。わからんでもない。おばちゃん性格は悪くない。一週間、40時間労働時間のうち3時間程度は働くのだ。そしてそれを持っていく先が上司上司からしてみたらなんとなく仕事をしているように見えるんだろう。なぜなら彼は現場に来ないので現場で何が起こっているか知らないので。もしくは私も障害者なので、私が被害妄想でも持っていると思っているのだろう。私ともかかわりあいになりたくないのかもしれない。

 

 それでも採用活動継続しなければならないので対応していく。見学会におばちゃんともめた人がエントリーしてくるたびにおばちゃんが逃げる。内定を出した後に後出しのようにこの人実は前もめた人ですと言われる。狭い世界なのだろうか。それともおばちゃんが広すぎる交流範囲を持っているのだろうか。いろんなスケジュールを調整しやってきた仕事ちゃぶ台返しが続く。私のイライラも高まってくる。上司はなお業務の割り振りについても人員の交代についても対応する気はない。だっておばちゃん、人事がやりたいっていってるんだもの。本人の希望を優先してあげなきゃ。いくらなんでも向き不向きってあんだろう。

 

 一度たりともミーティングなんて持たれてない上司との会話から戻ってきた私に、だだっ広い部屋で周りの人間が聞いてる中、おばちゃんは如何にトラブルを起こした相手が悪いかを力説してくる。いざとなったら周りが守ってくれるこの職場は本当に最高だと満面の笑みで喜ぶ。笑顔で語りかけてくるおばちゃんによかったですねといいながら私も笑って対応する。

 

 10人弱の障害者を2か月強の間に採用し、一度業務が落ち着いた日、私は業務を交換するというテロに出た。表向きはお互いの業務を一度交換することでお互いに業務を覚えたいと思います。私は久しぶりにゆっくりとコーヒーを入れて福利厚生雑誌を読む。おばちゃんは大げさにわかやすく頭を抱えてうずくまり、新しく来た福祉相談員相談し消えた。外電は鳴り、メールは届く。私は対応しない。なぜならその業務はすでに交換したのであって、私の業務にそれらは含まれていないからだ。

 

 上司上司が私のところに来る。これで回るんですか。私も乾いた笑顔で答える。わかりません。

 

 なぜ同じ障害者なのに私だけがこの対応をしないといけないのか。配慮というのは何なのか。私も障害者で同じ立場なんだが。雇用率を下げないよう非正規身体の人の不平不満をなだめすかせ、非正規精神の人の相談を聞き続ける。雇用率を上げるため採用業務をやる。定着率を向上させるため障害者のための将来に関係するもの作成していく。障害と戦いながら仕事をしつつ自腹で大学院まで出た私の給料は健常の新卒大卒と同程度に安い。そして目の前にいるおばちゃんよりも年収100万弱安い。なぜならそういう制度からだ。

 

 特例子会社という場所玉石混交で中にいる人間レベル感は差があるのが実際のところだと支援者がなだめる。まあそうだろう。わかる。私の怒りはどうにかなるものでもない。なぜなら障害者雇用するということに対して会社もこの場にいる人間も誰も慣れていない。誰かがどこかで我慢をすることになる。スタートアップなんてどこもそんなもんだ。そしてそれが私になっているだけの話だ。

 

 だからといって頭でわかっても私の心は納得できない。一方的我慢の押しつけで回る現場なんてのは一度崩壊したほうがいい。

 

 来週さらに応募が来ていることを私は心から願っている。

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