はてなキーワード: プリントとは
バンクシーは名前くらいは知ってると思うが、街中に意図のある落書きを残していく匿名のアーティストで、モスクワ・マドリード・リスボン・香港などで100万人以上を動員した展覧会『BANKSY展 GENIUS OR VANDAL?(バンクシー展 天才か反逆者か)』の日本版がいま横浜のアソビルで開催されている。
この展覧会は、バンクシーが匿名の活動( 言ってしまえば犯罪的な活動もしている )をしていることをいいことに、勝手に開催されているもので、日本はまだリストインしていないがモスクワやラスベガスなどで行われた「BANKSY展 GENIUS OR VANDAL?」は、バンクシー公式サイトで「FAKE」と指摘されている。
最近バンクシーの展示会が相次いで開催されていることを知っておいてください。 どれも同意の上で開催されたものではなく、これらはアーティストの知識や関与がない組織によるものです。それなりの扱いをお願いします。
https://www.banksy.co.uk/shows.asp
展示されている作品は、バンクシー作品を所有しているコレクターから借りてきて展示しているので、まあだいたいが本物らしい。真贋の確認はされていないが。
(贋作も混ざっているという情報あるので、「贋作が見られるのは本展示会だけ!!」とかいう凄い企画である可能性も高まってきた。これについては後述)
バンクシーも勝手に名前を金儲けに使われて( 作品はオーナーであるコレクターに権利かあるんだろうし、どこに展示されるかは勝手だろうが ) いい迷惑だなと思うが、オリコンニュースのこの記事。
https://twitter.com/oricon/status/1288212393659523072
バンクシー展からオファーがきて江頭2:50の「バンク尻―」もバンクシー展に展示することになったというニュースだ。
すぐにこれは訂正が入っている
【お詫びと訂正】「本家バンクシー側からオファー」と紹介いたしましたが、この展覧会はバンクシー本人無許可のものであるため、表現に誤りがありました。訂正してお詫び申し上げます。
https://twitter.com/oricon/status/1288312436634710023
恐らく、バンクシー展が本家から認められていないものだとは知らずに江頭側が「本家からオファー」って書いてしまったのだろう。
確認してないのが悪い……とは思えないな。バンクシー展が本家(本人)と無関係なんて思わないもんな…。
バンクシーは、自らの情報を隠して活動しているため世界各地で勝手に「こいつなら訴えてこないだろう」とばかりにグッズが作られてガンガン売られている。
EUで法人を設立して商標管理をしたり(もちろんこれは商業主義の批判のためであって自らのグッズを売るためではないと思われる)、実際には買うことはできないグッズが並んでいる(通りからショーウインドウ越しに商品風の作品を見られる)「店」を出したりして対抗している。
バンクシー展、本人は認めてないわ、バンクシーって書いてあるだけのグッズ作って勝手に売るわ、地味にやりたい放題なの恐ろしい。※画像は拾わせていただきました
https://twitter.com/springcourtykh/status/1239527013452378114?s=19
我らが日本の「バンクシー展」では、本家ロゴを使わず普通のゴシック体のフォントで作ったTシャツやトートバッグを売っているのだ。アツい。アツいぜ。
この「BANKSY」って書かれたトートバッグ持って歩くの、ヤバくないすか!?!?!??
プリントグッズやってる印刷会社のデザイナーが「バンクシー展のグッズのデータ作ってよ」って依頼されて、このデータ作るときに「本家のロゴデータないんですか? 本当にこれでいいんですか?」って言ったと思うんだよなー。泣けるなー。
バンクシーについての本も書いている美術の専門家、鈴木沓子さんのツイートです。
中にはバンクシーの贋作も何点か展示されていたので(添付)、本物と贋作と別の人の作品がいっしょくたに展示している展覧会だということは、もう少し知られてほしい。。
https://twitter.com/gingerhoneytea/status/1288309852222058496?s=19
バンクシー作品かを確認する方法は恐らくバンクシーの商標管理をしている法人の認定を受けるかどうかだけっぽいので、真贋の確認は難しいのだが、専門家がこう言ってるのが本当ならバンクシー展の主催すごいな。
いや、バンクシーが有名になってるしちょっと儲けてやろうってくらいで、ここまで徹底的にやれなくない?
どうなってるの???
最近はBuzzFeedジャパンや、Business Insider Japanと並んでジャーナリズム魂のあるメディアとして(俺の中で)話題のウェブ版「美術手帖」さん、いまこそこれを記事にしてくださいよ。
コタツ記事じゃなくて、中の人に意図を聞いてくるとか、バンクシー関連の専門家の意見までまとめるくらいのやつ。
この増田はそれを読みたくて書きました。届け、この想い。
25日目
302回
今日は西美へ
待機列で並んでいる際に一斉に地震速報が鳴りだしてびっくりしました
いつものように企画展と常設展を回ったのですが、企画展の内容的に常設展を2周したような感じで少し面白かったです
最近の西美はオタクタペストリー的なものに説明文をプリントして天井から吊り下げるのが流行りなのでしょうか
企画展・常設展双方でオタクタペストリー的な説明文がありました
企画展で気になったものとしては、明らかにペルセウスとアンドロメダの構図なのに登場人物が全然知らない人たちな「アンジェリカを救うルッジェーロ」、もさいけどなんかかっこいい「アンティオキアの聖マルガリータ」などがありました
前者は、調べてみると「狂えるオルランド」の中の一場面だそうで、アンジェリカは中国のお姫様、ルッジェーロはイスラムの戦士らしいです
とてもそうは見えんな
狂えるオルランドと言えばドン・キホーテで散々バカにされているタイプの小説という程度の認識しかありませんでしたが、この絵を見ると当時の人気ぶりが伺えます
オルランドはローランのイタリア語読みで、狂えるオルランド自体はローランの歌の前日譚らしいです
常設展を回るのも久々のことでしたが、新規収蔵品の中で、ドミニコ会の象徴でもある白黒の衣装をまとった「聖ドミニクス」がイケメンですてきでした
そういえば「聖母子と三聖人」の聖人のうち二人の衣装も白黒でしたが、あれもドミニコ会となにか関わりがあるのでしょうか
新館では戦争中の疎開で大きく損壊したモネのクソデカ睡蓮が展示されていました
西美の成り立ちと背負った歴史を象徴しているようで、しばらく見入ってしまいました
版画素描展示室では最近まとまったコレクションの寄贈を受けたという写本の展示が行われていました
よく考えたら本物の中世写本を目にするのは初めてかもしれません
羊皮紙でも木簡と同じように誤りを訂正するのには小刀で表面を削ったそうで、ヨーロッパでも刀筆の吏という言葉は通用しそうだなと思ったりしました
写本を書いた人々は役人ではありませんが
追記(1):07/25 09:14
・嘘の話なのに優しい言葉が並んで朝から涙腺がああああああ、ありがとう。いくつかレスします。
・つまり今はどんな状況?>親権を持っているが、私が元夫に養育費なものを払い子供に会えない
・弁護士は?>ついてます、親権もってるなら会いに行っても問題ないとのこと。でも今回のことはまだ相談していません。子供に嫌いって言われると強引には会いづらいよな……
・堂々巡りの思考>再婚した人がいたら子供は母親に会いたいっていいづらい説ないかな、いや、それは私に都合のいい考えであって本当に会いたくないのかもしれない、いやいや(無限ループ)→身動きとれない
・チンニング>正しくはドアのふち?のほうで行います、歪みますのでおすすめしないです
・事実上の誘拐>そうですね。親権を持ってシングルマザーに戻れるかというと本文の通りです。本当に悩ましい、金・体力・時間、頼れる親戚、精神力がないとシングルマザーはこなせない。私だって本当は子供と過ごしたいが自分が事故にあったらどうなるか、考えると怖い。合理的に判断するのも冷たい人間かと思いますが、子供は見る大人の目が多いほうがいいのでこの状況には納得していますが、やはり定期的に会いたい。もちろん全部私の体験で主観です、やれる人はやれます。その方は尊敬します。まさにこれ、です。代弁すみません。
ブコメ引用: 子は親権的には取り戻せるけど取り戻して育てる自信や体力がもう尽きてるんでしょう。 (略)
・「大変な子育てをしている自分」というポジションを失いたくないのでは?>いやいや、ないです。なんでしたっけそういう症候群みたいなのありますよね。ミュンヒハウゼン症候群?違うか。ないと思いたいです。むしろ周囲に大変な状況というのは見せたくない、というほうが強いです。それも性格上、問題なのでしょうけど。誇れるものは仕事と趣味です。そこらへんの承認欲求は満たされています。
・生い立ち嘘だろ>設定、盛りすぎですよね、奇妙な人がいるもんですね。
・子供が現妻に話していることや、現妻、元夫のことには触れないように書いているため情報の偏りすみません。
=
以下本文
元夫が二人目が欲しいというので、それは無理だと答えたら「僕は傷ついたから離婚したい」と。
セックスレスではない。
二人目が無理だという理由には、40日あった有休が消えるほど予防接種、病院、保育園のイベントに目まぐるしかったからだ。
二人目がいたら有休が倍あっても足りない。身体がいくつあっても足りない。よくわからないけど耳から血が出たのは初めての体験だった。
私はこのことを重くならないよう、冗談めいて元夫に伝えたつもりの結果がこれだ。
とにかく離婚の流れは意味不明だったが、離れた人の気持ちにすがっても仕方ないので了承し、離婚提示から二週間で財産分与、引っ越し、離婚をした。
子供が小学生に上がる直前の話だったので、交友関係がリセットされるタイミングだったのは都合がよかったのか悪かったのか。
母子ともに不安で慣れない環境、子供にもストレスがあったのだろう。
もともと発達障害のグレーだと診断されていた子供は、自分の気持ちの伝え方がうまくできなかったようで、喧嘩した友達を道路に突き飛ばし危うく事故になるところだった。
親歴6年生、子供の成長に応じて接し方もこんなに変動的だとは思わなかった。
毎年親歴1年生にリセットされている気分だ。
校長先生と学校の先生の前で子供を突き飛ばし「お前がやったのは、これだ。人殺しのようなものだ」と叱った。
それは悔しかったね、と認めたうえで「でも、暴力はダメだと」と私も子供に手をだしてしまった。わかってる、無茶苦茶だ。
こうしないと伝わらないのか、相手の子は怖い思いをしていないか、もっと別の叱り方がったのではないか。
でも突き飛ばした先に車がいたら取返しがつかなかったのでは?さまざまな思いが過り、不覚にも人前で泣いてしまった。
校長先生から「お母さんは頑張ってます」という言葉をもらって救われた。
身近に頼れる人がいない。
頼れるのは己の身体と金とインターネットだけだ。筋トレをし、仕事で金を稼いだ。
困りごとがあればセーフティーネット各所、ネットで検索し相談をした。
安定した大企業に入り込めたのも運がよかったのかもしれない。
友達にも恵まれた。足りないものがあればAmazonリストからいろんなものを送ってくれた。まだお返しはできていない。でも感謝はしている。
だが友達は頼れるとは違う気がする。相手にも生活があるからだ。
弱音は吐けず、とにかく友達の前では明るく(SNS上)ふざけた投稿ばかりをしていた。今もそうしている。
で、なんだっけ?そうだ、気ままに吐露させてくれ。
同時に期待する相手がいないというのはとても楽だということにも気が付いてしまった。
元夫がいるのに動いてもらえないと思うとストレスが溜まるが、端からからいなければ期待もしないし家事育児は自分のペースでできる。
シングルマザーだからとしっかりやらなきゃと(大事なことなので2回)。
力の抜き肩を知らないんだ。
つーか気ィ抜いたらシングルマザーなんて餌食っしょ(誰の?)。
子供は学校の授業にぜんぜんおいついていないので宿題のほかにもドリルをやらせた。
そう、ランドセルの奥底でぐちゃぐちゃになったプリントを持ってくる。
え、あれ……このプリント先週のじゃん!てことは、明日必要ってことー!?
(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!!)
ああ、これが小学校の壁か。
ここで振り落とされたら、子供の将来がどうなるか。
私はスラム生まれで親が犯罪者、中卒、ヤ〇ザに連れていかれそうになったこともあるがなんとか生き延びた。
それはすべてタイミングと運がよかっただけなのだ。子供はそうとは限らない。
Luc値なんてどうやって増やすんだよ、クソが。
そうだInt、少なくともIntなら目に見えてわかる!そう思いながら子供に宿題とドリルをやらせた。
そんなばかりの毎日は疲れる。たまにはピザを頼んで子供とゲームしながら食った。楽しかった。毎日こうだったらいいのにな。
日々ピリピリしていたのには間違いなかった。私が倒れたら詰むからだ。
シングルマザーで金も時間も限られている。ジムなんか通えないから部屋のドアを使ってチンニングする35歳。
元夫とは月1で会わせて、家庭裁判所が提示する一般的な養育費をもらった。
私が欲しかったのは金じゃなくて手伝いでもなくて、当事者意識だった。
子供が病気で意識をなくし、救急隊が部屋の中をドタバタの入っていく中、元夫は寝ていた。
私が不安だからそばにいて欲しいといっても仕事中だからと断られた。
この記事自体、私の視点でしか書かれていないので、元夫にものっぴきならない睡眠(?)事情があったのだろう。
たとえば、救急隊員と目をあわせたら死ぬとか、そういう事情が。
元夫の悪口のつもりもない。対話をしてこなかった自分にも非がある。
元夫にもいいところだってあった。例えば……ええとつまり、結婚前と結婚後、人は変わってしまうんじゃない。
それ以前の人の本質。そういうのを見極めて結婚することは難しい。その差分を埋めていくのが結婚なのだと思う。しらんけど。
元夫は一人暮らしをしたことがなく、家のことがこんなに大変だったなんて知らなかったよ。ごめんね、という言葉が出てきた。
しばらくして『今度こそうまくいく。よりを戻したい』といわれて、悩みに悩んだ。半年くらい保留にした。
半年くらい保留にしていたら、私が体調を崩して家庭のことが詰んだのでよりを戻してしまった。
やはり身体を壊すとメンタルも壊す。メンタルも壊すと身体も壊す。
よりを戻すためにすぐに再婚はせず同居をはじめた。
子供は喜んでいた。
そうだよな、子供の前でわかりやすい喧嘩をしていたわけでもなく突然の離婚だったからな。
『また一緒に暮らすの?やったー』と喜んでいたよ。
でもダメだった、期間にして3か月。
「お前は親に向いてないから出ていけ」だと。
どうやら元夫が帰宅するタイミングで、わたしがイライラしながら宿題を教えていたのが親に向いていないと判断したそうだ。
(1)戦力になると思っていた人がいない→(2)全部自分でやる→ちゃんとしなきゃ→思い通りにいかない→イライラ→子供が怖がる。
(1)がなくてもシングルマザー状態の(2)でも詰むんだ、この場合は。
それを伝えたが、ダメだった(あれ、(1)の時点で助けてと言ったつもりなんだけど?)。
とにかくかばんひとつで家を追い出された。子供には月1で会うことはできた。
元夫は家事はできるようになったが(同居の時には週末のみの家事だったけども大きな進歩や!)子供のイベントは参加できているのだろうか?
子供のイベント関連にほぼ出たこともなければ結婚、離婚、保育園、学校、年末調整の書類を書いてこなかったのに!?
大丈夫か?
そう納得するしかなかった。
「じゃ、子供にはたまに会わせてくれないかな。何かあれば全力でサポートするから。」
そう言うしかなかった。
親権者は私だが別居しているという謎の状態から1年が経過したある日、
知らない番号から「うちの夫に手をだすのはやめてください!」という電話がかかってきた。
はて、人違いでありんしょう?わらわはひと様の殿方と戯れるほどの悪趣味はござりんせん。
私を家から追い出し、すぐに再 婚 し て た 。
元夫は現妻にも私にも良い顔をしていたのだ。事実は小説よりも奇なり。
私は追い出された背景や、勝手に浮気相手にされた怒りもあったが、何より子供に隠し事をさせたことが許せなかった。
ある時期からお母さんいつ戻るの?と言わなくなったこと、それは現妻からの配慮だろう。優しい子だ。
子供が間違えて再婚相手の名前を言ったとき、私がそれは誰?友達?と聞いたら少し間をあけて「うん」と言ったこと。
子供だって大きくなれば隠し事や嘘だってつく。だが、それはこういう状況ではないだろう、もっとこう違法アダルトサイトをみたときとかさ……
とにかく、子供に大人の事情で隠し事をさせるな、嘘をつかせるなと怒った。
現妻には、私だって再婚は寝耳に水だと事情を伝えたら納得したがあちらはあちらで修羅場だったがそれがしらん。夫婦なら話し合ってくれ。
で、だ。
子供にはCovid-19のせいでで会えていないんだ。5か月も。
あちらにも生活があるから写真をくれ、子供に会いたいメッセージを送りあぐねいていたら5か月経過した。
だが先日、写真を欲しいと伝えたらくれたので、調子にのってビデオ通話したいと言ったところ「子供が嫌がっていますのでできません、子供の意志を尊重します」だそうで。
そうか、小学校の中学年でもはっきりと自分の意志が言えるんだ、そうか。成長に感動しつつも、母親の権利としても認めていただけませんかね?と伺うと「子供曰く、お母さんは怖いから嫌」だそうで。
そうか、現妻(はもともと優しいのかもしれないが)や現妻と修羅場を経て夫婦生活できている元夫は子供に対して優しいのか。
よかった。
よかったけど悲しかった。私は怖いお母さんだったのか。
いつもピリピリしながら宿題を教え、軍隊の如く、今日のタスクは終わったのかと詰め、関係各所に頭を下げつつ、ドアで懸垂していたお母さん。
そりゃそうだ、セクハラパワハラだって被害者と加害者しかいないもんな。
最後に、よけいないことは言わないから「おやすみ」だけ言いたい、聞きたいと頼んだが「子供は嫌がってます、やめてください」で終わった。
そりゃそうだ。「相手と直接 離せばわかる!」なんてSNSでもやばい発言上位に入るやつだもんな。
私は引くしかなかった。
親権を持っているなら、お前が引き取ればいいじゃねーか。
そう思うだろ?
だがシングルマザーやってみ。マジ大変だから。ヤ〇ザの非じゃない、別のベクトルでやばい。
有り余る金と時間と体力、あらゆるトラブルに動じない精神力ががあればシングルマザーをやりたいよ。
割とメンタルゴリラ(ゴリラ、本当は繊細だからね。隠喩だよ)だと思ってたけど、訪問者のノックですら怖いからダンベルを隠し持ってドアをあけたもん。
余裕がないんだよ。
シングルマザー、出来る人はいる。だがそれはそれこれはこれだ。
私は直接言われたわけではないものの、現妻伝手に「お母さんは怖いから会いたくない」と言われたのにまた子供を親として見る自信がない。(人伝手のほうがダメージでかいね?)
合理的に考えて、何かあったときのための大人の目は多いほうがいい。
別に悲劇のヒロインになるつもりもない。いやちょっとだけ悲しいから吐露してんだけども。
現妻と話したあと、私はこのまま子供に会えないのだろうかと思ってちょっと生きるモチベーション下がった。割と修羅場くぐって生きていたけど自死が過るくらい。
でも死んだらそもそもチャンスもなくなるじゃん。子供と同じ空気を吸ってるだけでも嬉しいかなくらいに思わないといけないね。
いつか会えるのだろうか?いつか会える……か。
子供の親孝行は生後数か月っていうし、十分に幸せな体験をさせてもらったよなー。
これって(もちろん両者に非、ネグレクトがない前提で)共同親権みたいなのがあれば解決されるのかなー。
でも、制度に期待してもダメか。いつかお母さんに会いたいって言われるといいな。いやー、ちょっと辛いなー。
世の中最後に頑張っているシングルマザー/ファザーの皆様、尊敬しています。あなた方はすごいです。
あー書いて多少なりともすっきりしたわ、長々とご清聴ありがとうございました。
ま、全部嘘なんだけどね。
大したことは書いてないけど「へーこういう女もいるんだな」って思ってください。
休職中ずっと増田読み漁って色々な考えに触れたので、この記事も誰かの役に立てばいいな、と思います。
クソ長い自語り、家庭環境諸々から書いてみる。ちょっとフェイク入れてるし人名は全部仮名です。
私について
北海道から上京してきた20代前半、上京してきて多分4年。学歴は専門卒、高校は工業出身。今年始めて彼氏が出来た陰キャ。
きしょいオタク、文章書くのは割と好き。漫画とアニメとソシャゲ全部好き。乙女系コンテンツに入り浸る典型的な女ヲタ。
母(7人兄弟の次女:中卒)、弟2人の母子家庭。弟は今21(医療系の大学)、20(専門学校)。父親は小5の時に離婚した。
記憶にないけど死んだ妹がいる(私の1つ下だと思う、親に未だに聞けてない)
両親も親戚もみんなオタク。父親はラムちゃんとアイマス、プロレス。母親は最近イケメンシリーズ、ボイフレ、アンジェと遥か、アトラスゲー。
弟2人はFPSとかモンハン。兄弟二人ともゲーマーガチ。世界ランク上位に入るレベル。一番下は格ゲーとボドゲに目覚めた。
実家は村に近い山奥のドドドドド田舎。同級生に農家と酪農やってる子がいっぱいいる。
育ての親は母親の妹(3女:以下さっちゃん)。母親は働きに出てた。多分パートだったのかな?分からん。
保育園に入ったのが5歳くらいだったんでそれまでは母方の祖母の家に預けられて育った。
イマジナリーフレンドが4人いた(らしい)、よく見えないお友達と遊んで親戚をビビらせた。ごめん。
ちなみにお婆ちゃんは私の見えないお友達を存在しているもの扱いしてたらしい。とんでもねえばあちゃんだ……
物心ついたときには父方の祖母と両親、弟2人と一軒家に引っ越してた。
保育園に入った時にはもう住んでた。この頃から父方のおばあちゃんは長男の弟かわいいで私に対して興味なかった。つーか嫌いだったのかも。
母親は土日関係ないサービス業なので、土日の食事は祖母。弟たちの分はあっても私の分は無いとかザラだった。今思えば普通に虐待。
ただご飯が無くてもゲームと本があれば全然平気だったのでお母さんは私がご飯を食べてないのを知らなかった。
後に私がさっちゃんに「お母さん(これは父方の祖母を指す、実母はママ)がごはんくれない」と遊びに来た時に漏らしたらしい。
当然ながら怒り狂う母とさっちゃん。父方の祖母は「お腹へったって言わないからいらないと思った」としれっとした顔で言ったのを見て目眩がしたらしい。そらそう……。
あとはさっちゃんが当時、父方の祖母の作ったご飯を食べてあまりの味の薄さに「これを毎日食べてて、ごはんも用意してもらえない日がある、食べた気しないんじゃ……」って思ったら私が不憫すぎて車で泣いたと聞いた。
確かに味は薄かった。天ぷらだけはめちゃくちゃ美味しかったな。今狂ったように辛いものとしょっぱいものを食べてるのはその時も反動かもしれない。
全学年2クラス、2年ごとにクラス替えだった。2クラスしかないんで全員顔見知り状態。
入学してからは超絶人見知りを発揮。保育園の頃に仲良くしてくれた子たちとだけ交流してた。毎日連絡帳に口数が少ないとか書かれてた。
家が近所のゆみちゃんと一緒に登下校してた。お互い何も言わなくても一緒に帰る仲だった。今は看護師やってるらしい。
教室でずっと本読んでた。徐々に色んな子と喋れるようになる。ぼっちに話しかけてくれたみほちゃん、ありがとう……
あとは算数が出来なくて宿題解けない……って泣いた記憶がある。ちなみに時計が読めなかった。
3年生ぐらいから普通に社交的になったと思う。クラスの委員長とか誰もやらないなら…でやり始める。この時ちゃお読んでた。
この頃、休み時間は教室以外にも図書室で本を読む女になってた。
同時期ぐらいに父親が仕事をクビになってニートで引きこもりになった。今で言うFXかな?やってたらしい。けど、あんま才能無かったのかも。
ただ、父親なりに色々と私も含めてかわいがってくれてたと思う。漫画とか全部父親が買ってくれてた。
高学年に上がってからは弟2人も一緒に学校に行くようになってたので、周りの親からの評価がめっちゃ高かった。
勉強ができて、運動もできて(足が速いだけ)、面倒見もいい女の子。
実際、3年からは毎回クラスで委員長だったし、同じクラスになったことない子も下の兄弟が同級生同士で仲良し~とかあった。
ちなみにこの頃はちゃおと少年A、ジャンプ、母方の祖母の家でガンガンとGファンタジー読んでた。
ただ両親がしょっちゅう家で喧嘩してた。祖母の部屋は1階、私達の部屋は2階。
多分祖母は病んでたのか、深夜に父親の部屋の前で名前を呼んでいるのを見た。めちゃくちゃ怖くて夜中トイレ行けなくなった。
祖母の私と弟への差別は益々酷くなっていて、私の家で友達と遊んでる時に「ごはんの準備しろ」「洗濯干してこい」とか言うようになる。
弟がなにか手伝おうものなら「あんたは長男だからしなくていい」って言ったの聞いてなんで?と思ったけど、弟に手伝わせるのも可哀想だなと思って大丈夫って言ってた。
小5の夏、庭で土いじりしてる祖母に「倉庫からスコップ持ってきて(でかいやつ)」と言われてめんどくさいな~って思いながら取りに行った。
祖母に渡すために後ろに立った時、(あ、これ今殴れるな……殺してもいいんじゃない?)って思った。今思えばこの時には既に私ももう心を病んでいたのかもしれん。
その後、親が離婚して一軒家から団地に引っ越した。離婚後父親には一度も会ったことない。ただ、車で事故って半身不随になったのは聞いた。
これは高校に入ってから母親に聞いたけど、あの頃の祖母は枕の下に包丁を入れて寝てたらしい。こえーよ。病むっていうかキチだと思う。
母親はいつ祖母に殺されるか分からなくて毎日不眠の状態で仕事に行ってたらしい。それでも授業参観も運動会も学芸会も絶対全部来てくれた。
田舎あるある。小学校から生徒が全員持ち上がりなので知らない子はいない。お母さんがパソコン買ってくれたのもこの時じゃなかろうか。
半年間は平和だった。でも、中1の秋頃から毎日登下校をともにした仲良しのゆみちゃんがいじめを受け始める。
ゆみちゃんが堀北真希に似てる超絶美少女で、当時仲の良い男の子に数合わせでいいから、という理由で野球部に所属していた。私はゆみちゃんに「1人じゃ不安だから……」と頼まれて野球部に入った。
まあよくある、男の集団に女がいるの気に入らないムキーッみたいなのが原因だったんだと思う。いじめてたのは女バスと女バドの5、6人。
私はゆみちゃんがいじめを受けてるのも知ってた上で普通に仲良くしてた。ゆみちゃんの家も母子家庭で、当時は母親が家に彼氏を連れ込んで家に居にくいからってよく私の家で過ごしてた。
彼女の凄いところは毎日学校に行ってたところだと思う。私に泣きながら「リスカが止まらない」と相談してくれたこと、リスカ跡は今でも忘れない。
結局、ゆみちゃんは2年に上がるタイミングで転校した。その結果どうなったか。
私がいじめを受け始める。いやなんでだよ。私は当時160cm80kgのデブだぞ。何が気に食わねえんだよ。と思ったけどいじめる相手が居なくなったから仲良かった私になった。
ただ、いじめられてることに気付いたのがゆみちゃんが転校してから2ヶ月後くらいだった。私は超鈍かった。周りは気付いてるけど自分だけ気付いてなかった。
なんでか自分のノートがないとか、教科書がないとか、下駄箱の上靴がないとか。そういう事が起こってから気付いた。
当時から仲良かった子に「あの頃めっちゃ陰口言われてたし、あんたと話したら次お前をいじめるとか言われたことあるで」って言われた。
そういえば当時はいじめを題材にしたドラマ流行ってたし、あれはいじめのお手本になってたなと思う。本当によくない。
中2の夏ぐらいだったかな。衣替えするかしないか、とかだった気もするから9月ぐらいかも。半年くらい我慢して学校に通ってた。
私は学校に行くのやめた。というか、行けなくなった、のほうが正しいかもしれない。制服を見ると気持ち悪くなって泣きそうになった。
休みたかったけど、母親は私が生理痛で辛い、と言えば痛み止め飲んででも学校に行け、サボるなと言う人だった。休むことはサボりだと言う人だった。
それでも母親には迷惑かけたくない、という一心で吐きそうになりながら学校に行くフリをしながらおばあちゃんの家に行った。
おばあちゃんは何も言わなかったし、おばあちゃんちの犬と遊ぶのが好きだった。おばあちゃんの膝が悪いから代わりに散歩に行ったのも覚えてる。
ただ、学校の担任から「1週間ほど無断欠席が続いてるが大丈夫か」という連絡が家に入りバレてめちゃくちゃ怒られる。怒られた時に初めていじめられてると言えた。
母親はその日のうちに学校に電話をして、学校側もいじめを知ってたけど本人が言わないから、とかそういう理由で何もしてなかったらしい。
後日、私は学校に行っていじめてきた女たちから「形だけのごめんなさい」を受ける。クソ無意味。謝られたからと言って事実は消えないわけだし。
どのみち私は学校に行っても教室に入れなかったし、教室に入れないなら授業も受けられない。だったら行く意味が無いな、と思って家に引きこもるようになる。
家に引きこもってる間も勉強は出来た。そう、みんな大好きTwitterです。当時高校生だったり大学生だったフォロワーたちが勉強を教えてくれた。スカイプ使って。
ネットが私の居場所だった。勉強ってどこでも出来るんだ、って思った。
そのフォロワーたちもいじめを経験した人たちで、私の学校に行けない、けど勉強はしたい、という気持ちに寄り添ってくれて教えてくれた。本当に頭が上がらない。
なので、テストがある日だけ学校に行った。テストは出席番号順で座るし、いじめっ子たちと真逆の席なのでその時だけは制服着て教室に入った。
クラスメイトたちは「久しぶり!」とか「テスト範囲大丈夫?」とか声かけてくれる子も結構居た。あの子達の勇気は今思うと凄い。
修学旅行は行ってない。何されるかわからないし。代わりに学校で先生とマンツーマンで勉強した。凄い有意義な時間の使い方だったなと思う。
卒業までテスト期間だけ登校する生徒をやった。家の近い子がテスト範囲のプリントを持ってきてくれたし、フォロワーたちが勉強を教えてくれる日々が続いた。
高校は女で嫌な思いをしたので男子の比率が高いし、比較的家から近い方(といってもバスで1時間)の工業を選んだ。仮に落ちたら通信制の高校へ行く気でいた。
卒業式も出ていない。式が終わった次の日が高校の合格発表で、無事に工業に受かったという報告と卒業証書とアルバムをそこでもらった。アルバムはその日のうちに捨てたけどな。
ぶっちゃけ担任がクソゴミだった。生徒の机を蹴って見せしめみたいに怒鳴り散らすタイプ。体罰も普通にあったし、クラスメイトの男子は教室内でデカデカと万引を自慢するようなクラスだった。
担任はそれに対してもっとバレないようにやれとか、スリのほうが良いとか、教育者としてありえんことを言ってるのにドン引きして学校に行く気が失せた。
ラッキーなことに全日制の単位制だったので単位さえあれば進級できた。単位の計算をして、単位分だけ出席した。常にギリギリ単位の女で普通科の先生に「お前は出席点が足りない」と言われまくった。
後々、クラスの男子に教科の単位を聞かれた。私と同じように単位分しか出席しない人が増えたらしい。毎日の出席率は最悪だったと思う。まあ工業だしな。
担任は露骨にわたしを毛嫌いしてたし、私も嫌いだったのでお互い様だろと思ってた。高校でちゃんと授業に出たのは専門科目だけ。これだけは教科書読んでもどうにもならん。あとは実習。
他は中学の時と同じようにフォロワーを頼ったり、ネットで検索したら大体答えの出し方があったので家で勉強してた。親は私が家に居ても何も言わなくなった。
学祭とか体育祭は出たことがない。強いて言うなら修学旅行が東京だったので行った。お世話になったフォロワーたちに会いに行くという理由で。クラスの女子は私含め7人で、うち1人は中学が一緒。
その子と出席番号が前後だったジャニヲタのまなみちゃんと仲が良かった。ちなみにまなみちゃんは「まなみね、山田涼介くんのお嫁さんになるの!」と平然と教室でも言ってた強い女である。マジで強い。
ここまで書いてて思うけど本当に協調性のきの字もない女だな……。ちなみに進路相談も凄い適当で、適当にAOで専門行くわ、と一方的に言って終わり。AO入試なんて軽い面談と書類審査のみ。私は高3の夏休み中に進路が決まった。
この頃にハマってたのは黒子のバスケで私はほぼ毎日夢小説を書いて過ごしてた。あと支部でBLも書いてた。当時黄黒を読んでた人はもしかしたら私の黄黒も読んだかもしれない。読んでくれた人が居たらありがとう。
適当に単位取って適当に卒業した。これが私の高校時代の思い出である。
専門学校は今までと比べたら楽しかった。ここでいろんな資格も取ったし、クラスメイトも普通に接してくれてた。唯一毎日学校に行けた時期だったと思う。ただ行事だけはゴミ。
ここで就活頑張っとけばよかったんだよな~~~と思う。就活サボって適当に警備会社に入社した。そしてこの後、地獄を見る。
前置きすると私より辛い人もいるとかそういうのはどうでもいい。私は私の辛いを話してるので。
上京してから半年、横浜で警備員をやってた。この半年はまだ良かった。残りの1年半は川崎で地獄を見る。
警備は万年人手不足で月の休みは多くて4日、私が限界を迎える頃は3日だった。勤務時間は朝6時半~16時半の早番と13時半~23時半の遅番。あとは9時~22時までの中番。
入社時の条件は月8休みと言われてたのにマジで騙されたと思ってる。入社して半年は確かに8日間の休みがあった。でもその後から毎月3、4日の休み。
休みの前日は絶対に夜間警備が入るため、帰宅は朝5時。当然、遅番か中番が終わった後に続勤。休みは実質半日しかない。寝て起きたら仕事に行く。
休めるわけねーだろバーーーーーーーーーーーーカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そりゃあ毎日寝ても寝ても眠いし、突然気分が落ち込むし、情緒があまりにも不安定にもなる。思えばもうこの時にはうつだったんじゃなかろうか。
心がしんどい……となり始めた頃、母親に「しごとつらい」といえば「社会なんてそんなもんだよ笑」と返ってきた。そして根拠のない「大丈夫!」「なんとかなるよ!」という返事。
私もそうだよね、なんとかなるよね、頑張るね、って返してた。これは絶対に良くなかったと思う。
そしてある日、体のほうが出社を拒否した。会社に行こうと思うのに涙が止まらない。手が震える。こりゃ今日出勤出来ねーわ、と思って職場に電話を掛ければ「いや来てもらわなきゃ困る」。あっはい……。
無理に決まってんだろ、そう思いながら電話を切って母親に電話した。泣きながら電話した母は、「偉い人に電話しなさい」と教えてくれて、私は本社に連絡を入れた。
元々寮で暮らしてたこともあり、総務のとよく話をする事があったのでまずは総務に事情を説明、そのまま直で警務部長から「休んで下さい」と言われた。
その時に初めてメンタル系の医者に行ったけど、まるで私がメンタル系にかかるの常習みたいな態度を取られるしいかに自分が凄い医者なのかを言われた。あのクソジジイ一生許さねえ。
印刷会社の者ですが
事前人気に頼らざるを得ないというのはわかります。
確かに刷り部数の決定は駆け引きというか…当初は3万部という話が、出版社内の営業と編集で争った結果5000部になりました…。
とかよくありますよね。
編集さんがプレゼンしなきゃいけないのは、買い手である読者に買ってね、書店さんへ良い場所へ置いてねこの本よろしくね、以外にも多く、
営業や社内へ向けて「出版するか」「何部刷るか」のプレゼンが大変そうです。
それには確かに、数字としての実績や人気を示さないといけなくて…「Twitterで話題で人気の原作(作家、漫画など)です!RT数、フォロワー数はこれくらいです」もひとつの指標ですよね。
「売るための下地」がなければ「部数を刷れない」のは、たしかに現実として正しいことです。
これは事務所や代理店の関わる「売ろう」と決められた本なので、あらゆる媒体で宣伝され、広告がうたれ、「売るための下地」をお金をかけて作りました。
初版1刷は2万部です。
公表につき再刷!増刷!重版(厳密にはちがいますが)!○万部突破!
これもまた実売数を売るための下地であり、刷り部数を増やすテクニックです。
元増田さんは文芸でしょうか?なかなか下地の難しい分野ですよね。
部数を多く、という以前に発行に漕ぎつけるまでが。
コミックスであれば、現在は3000できれば5000部というロットで刷れるようになったため、とりあえず出してみよう、が以前より多く感じます。
POD(オンデマンド)本を勧めてらっしゃる方もいますね、弊社も承っておりますよ、書店サイトから注文が入り即日C1000でプリント、手作業でPP貼りし、手作業で製本して手作業で断裁、そして発送。
正直こちらは一般に流通する書籍などと同等とは言えませんし、刷り部数が確保できないほどの小ロットにしか向きません。
印税(率、または単価が高いことによる額)が良くても総合的には部数が稼げる商業印刷には収入としてはかなり劣ります。
宣伝して売るための予算を取る、初版部数を増やす、これらは買い手への宣伝ではなくて社内へのプレゼンです。このためには、事前の評価が必要なのは事実です。
どんなに編集さんが熱心でも、その予算が取れず部数も減らされてがっかりされていることは日常で、私たち印刷会社も以前より部数が絞られる傾向を感じています。
刊行タイトルが増えて、抱える作家さんが多くなったせいか、宣伝できるタイトルが絞られている印象です。
タイトル数が増えて、個々の実売数が減っている…そうすると人件費率も経費率も爆上がりですからね…。
(印刷会社から見て、印税10%は妥当かなと思うのですよ、物価が高くなったとは言え製品原価自体は微々たるものですが、あまりに一冊をつくるのに人手と時間がかかるので…。)
(売れる本だけ大量に刷れるなら別ですが、大半の利益の出ない売れない本の経費や赤を、売れる一部のベストセラー本が補っている現状です。)
作家さんが増えて「経費」も絞られていますよね、校正校閲を省くという荒業から…作家さんへの接待なども。
我々業者は、作家さんの花見の席取りや、作家さんの趣味の観劇チケット取り、打ち合わせで行きたいとリクエストのあった予約制飲食店の予約…などによく駆り出されたものですが、新人の方への接待で呼ばれることは少なくなったように感じます(大御所さんはいまだにありますが)。
この記事は今ファッションで自己表現をしてる人間には役に立たない
この記事は金があるやつには役に立たない
とりあえず普通っぽい服を着たくてマジで何もわからなくてマジで金がない標準サイズの20代女
黒か灰色のよくわかんない服しか持ってなくて「人間に見えたい」以上の願望がないやつ
買うべきものを書く前に書く
特定のブランドを指して嘲笑する人間とは付き合うな、この先自分なりの好みが出来たとしてもお前はそうなるな
ここ数日で↑の反応したやつとファッションセンスでマウントとったやつがTLにいるならリムれ
ファッションで強烈に自己表現してる人間とは付き合うな、相手に悪気があろうがなかろうが今そういうのに付き合うと自信を奪われる
髪はたまに切れ
・KOBE LETTUCE
大体ここで足りる、模様がないので着やすい
3000円くらいで買える
2000円くらいで買える
・Honeys
夏のためにTシャツを買え
前側にプリントがあるやつにしろ(今年のTシャツは後ろ側にプリントがあるやつがあるから気を付けろ)
Tシャツは前側になんか描いてあるとなんかまとまって見える気がする、その下にデニム履けばとりあえず夏ルックにはなる
1000円くらいで買える
スカートも買え 〜2000円
これはZOZOTOWNにない
・GU
カーディガンと靴を買え
1000円くらいで買える
服には上と下があって、上と下があればなんとかなる
髪はたまに切れ 頑張れ
下着屋で一度胸のサイズを測ってもらったら後はブラショーツセットの福袋を一生買って良い(ほんとは三ヶ月に一度くらい測り直した方が良いらしい)
5セットで4000円くらいで買える Amazonとか楽天とかヤフーショッピングとかにある
当たり外れはある 痛いのは着けるな
友達か仲良いフォロワーがいるなら予約とか下着屋で「測ってください」って言うのだけやってもらえ
いないやつは頑張れ ごめんな
先にいっとく!!!!ちょ~~~~~~~!!!クソ長くなる!!!!
私怨私怨!!!!!悔恨!!!!!5箇条にまとめようとしたら失敗した5箇条の御誓文か?????
567で見えてきた色んな人の裏表に疲れてしまった大学生乙女ゲーと地下ドルのオタクの話!!!!!!同じ大学に通う人からの身バレ防止のためここからの大学の描写はボンヤリとしたものになります。コメントでの特定はおやめください。大学は生徒の多くが望んだであろうオンラインじゃない講義ができるようにどうにかこうにかがんばってるはず!それに私が対応できなかっただけで大学は悪くない。家に引きこもるのが社会的に批判されることがない・堂々と引きこもって自分のやりたいことできる今をその時間が欲しかった人が心から楽しめますように!!!!
誤字脱字はすいません。
いままで約20年間、数学や物理、化学の類いばかり熱心に取り組んできたので私には正しい日本語が使えているのか、日本人であるのに自信が無い。
大量のレポートに追われたまま、脳直で文章を打ち込んでいる状態なのでご了承願いたい。
私は本当にどこにでもいる地方国立大学二年生だ。つい2時間前まで教師を目指していた。
もし同じような境遇にいる子がいたら私みたいにならないよう、こんな文章があったな、ぐらいの軽い感じで覚えておいてほしい。
読んでくださった皆さん、こんな考えの人間がいるんだ、へぇ笑ぐらいに思って頂いて結構です。ここまで打ち込んでおいて自分でも文章の稚拙さが”マジで”やべぇ……とおもっていますが暇な方最後まで読んで頂ければ幸いです。
①去年~今年2月の話
学部一年生だった去年は将来の夢のため、周りの友達よりは長い時間勉強していた方だと思う。
趣味だったイラストのサークルにも加入し、高校が同じだった友達が学部に一人もいないながらも他学部に進学した高校のクラスメイトと協力しながら大学に慣れていった。
サークルの友達とは週に1回は誰かの家に集まりピザを頼んだり、学食で何時間も話したり。大人数で端から見たらアホみたいなやりとりを繰り返すあの空気感が好きだった。
安心できるバイト先も決まって、サークル内の人間関係に多少の不満はあったが今思えば望んでいた大学生活そのものだったかもしれない。
私の将来の夢が教師になったのは大学受験が終わってからである。もともと物理という科目が好きで将来は数学系の研究ができればと思っていた私は理系の学部に進んだ。(身バレ防止のため明確な表記は避けさせて頂きたい)
私の大学受験のサポートをしてくださった先生は、私が進学した大学の同じ学部出身の方だった。
有名な塾があるような都会ではないので、毎日高校の授業が終わってから校内に他の生徒が誰もいなくなるような時間まで、その先生や担任の先生、大学で理科を学んでいた購買のおばちゃん……色んな人に見守られながら勉強した。
私が受験に合格し、心から喜んでくれた職員室の先生方を見て、先生達みたいな大人になりたい・この高校で同じように生徒を見守れるような先生になりたいと思った。
これが理由で、理系学部に進んだ私は自分の学科の必修科目に加え教育学部の必修科目も履修するようになる。
もちろん授業が倍になるなら試験もレポートも倍になるということで確かに大変だったが全然苦じゃなかった。
1年間やりきった。成績も上々でモチベーションは入学当時と変わらず、今まで友達と呼べる友達が2~3人だった私の人間関係がどんどん広がっていくことに喜びを感じながら春休みを迎える。このころは人と連絡を取り合うのも一緒に出かけるのも大好きだった。
2月、実習も終わって大体の友達が実家に帰った。私も電車で何時間もかけ実家へ。
実家の周りは見渡す限り山!!!!!緑!!!!!!という空間が広がっていて私はそれが大好きだ。その頃、ニュースではコロナウイルスの話題が取り上げられ始めていた。まだ大丈夫な感じはするけれど、実家のある高齢化の進んだ小さな村で広がったらとんでもないことになる…と危機感を持ち始めたのはその辺りだった。
その後の展開はある意味予想通りだった。大学は次年度のガイダンスを予定通り行うと宣言していたがすぐに中止となった。4月からの授業はいつも通り行うということだったが私はそのメールが信用できなくて、下手に実家から動くことも不安で、結局大学へは移動しなかった。やはり、授業開始は5月からという一斉メールが届いた。教科書を買いに大学へ行くこともできなくてAmazonで教科書を用意した。
友達は出身も都会のほうで、2/3月はよく連絡を取り合っていたものの、みんな地元の友達とショッピングセンターや居酒屋に遊びに行くようになったらしい。もうその頃にはみんな地元の友達と毎日のように遊んでいたらしくてラインもzoomも使わなくなっていた。
私はというと同じように地元に帰っていた同級生はいたが、もし自分たちが感染していたらという恐怖から会うことをやめた。クラスターが進学先で発生していた子は自宅から一歩も出なかったという。その頃から私は人と会うことの必要性に疑問を感じていた。元からオタク気質だったことも原因かも知れないが、友達とのSNS上でのやりとりが少なくなっても特に私に影響はない。自分がひねくれた人間であるとは自負しているがまさかここまでとは、自分でも思っていなかった。どれだけニュースで危惧されていても・どれだけの芸能人が亡くなっても、それぞれの地元で遊び続ける大学の友達が理解できなくなった。
ほとんどの大学の友達とは連絡を取らなくなっていたが片思いしていた先輩とは毎日のようにラインした。毎日ライン来る度に小躍りしてた。
4月後半、家にこもり続けた私は全く暇を感じなかった。本を読んだりお菓子を作ったり、他にも筋トレにメイク、同人誌を作れるレベルで二次創作もした。自担(地下)の過去の映像を見て1ライブできるぐらいにはダンスも練習した。(クソデカ過大評価)
むしろ今までよりも忙しくさえ感じていた。5月になれば今までのように勉強漬けの毎日が始まる。だからこの何かをしていても誰からも途中で遊びに誘われない、家に勝手にピザだのウーバーだの頼まれて友達が勝手に上がってこない・勉強しなくても公的に、なんとなく自分の感覚で自分を許すことができるこの時間を人生の夏休みとして思いっきり使おうと毎日何かしらしていた。今までのみんなでワーワーする時間も大好きだったけれど、この過ごし方も最高だった。
5月になった。オンラインでの講義が始まった。大体の講義を受ける度に一つずつレポートが増えていく。
連日徹夜は当たり前、朝8時までのレポートを7時に提出して1時間仮眠を取ると1コマ。またレポートが積まれていく。私の要領が悪いだけかも知れないと感じていたが、初日には同じクラスのほぼ全員でzoomでの会議しながらみんな半泣きでレポートをこなした。みんな同じだった。家から出るななんて言われていたがその日食べるものを買いに行くことすら厳しいレベルで課題が出るのだから家から出ることが本当に、絶対、多分無理。
オンライン講義が始まってまだ慣れなかった一週間、実家にいるのに私は一歩も自室から出ることができなかったのだから、それ+家事である帰省していない友達はもっと大変だったと思う。私はその一週間スマホを触れなかった。そんな時間があるならレポートをやったし、私の性格だともし今暇そうで遊び歩いている人を見たら理不尽にイライラしてしまいそうだったからだ。そんな自分の性格は今でも嫌いだ。人はそれぞれなのに、SNSでみえる部分はその人の日常におけるほんの一部分なのに。
そのうちテンプレートを作ったり教科書を読み込んだりすることで余裕を持てるようになってきた。教育学部の授業も生徒との関わり方など、本当に学びたかったことを学べるのが嬉しくて真面目に受けた。苦手だった英語もせっかくだから少し取り組んだ。友達と話していたりご飯に行っていた時間を全て勉強に充てた。目が回るほど忙しかったが一日を一秒も無駄にしていない感じがして、4ぬほど充実感があった。多分ランナーズハイみたいな状態になっていたと思う。この頃の私の思考、今考えると狂ってる。怖ッ
そうやって暮らしていたら、片思いしていた先輩に彼女ができた。友達から聞いた。3日泣いた。
なんでも4ぬ程忙しかったり課題が出ていたのは私の大学では理系と教育学部、医学部、薬学部だけだったらしい。文系その他は相変わらず課題なんてない、流しておけば講義が終わるから余裕なんて状態だったらしい。悔しかった。先輩は地元で飲んでいたらその子と出会ったとかなんとか、先輩と仲が良かったサークルの男子が教えてくれた。マジで無理だった。
こんな世の中なのに先輩は毎日飲みに歩いていた事実も、もうちょっとで付き合えそうだったのに私はダメでその飲みの場にいた女の子は良かったことも。先輩は付き合ったら長く続くタイプらしいのでもう諦めた。悔しがっていることを知られたり、先輩に彼女ができた事実を知っているということを悟られたりするのが嫌でしばらくインスタをログアウトした。対面授業が再開して会ったら、知らなかった!よかったね!おめでとう!と言おうと決めた。
インスタをログアウトしたので特に仲の良い2人以外とは関わらなくなった。
正直、一旦距離を取りたい人間関係もあったためなんとも思わなかったが家族以外の人と言葉を交わさなくなってから、他人に会うことに抵抗を覚え始めた。さすがにやばいと思った。
メンタルボロボロのまま毎日徹夜でレポートを書いた。エクセルで演算した。勉強しても充実感はなくて朝7時に起きて授業を受けて次の日の4時に課題を終わらせて寝る、余裕がある日は推しの夢小説を読み漁った。オタクでいられたのでガチ夢女に戻ることでメンタルが回復した。多分推しのグッズ、末代まで「捨てるな!」って書いた紙と一緒に保管。
コロナ騒ぎも日常化して、実家のある村にも日常が戻ってきた。近所のおばあちゃん達にはまだ実家にいることがバレ、実は大学をやめたのではないかという噂がすぐに広まった。これはギャグ。もう私の家では笑い話。インターネット・オンラインという言葉をおばあちゃん達に理解してもらえなかったのでもしかするとまだ大学やめたことになっているかもしれない。つらい。
リアルの人間関係からほぼ身を引いていたため、ツイッターのフォロワーと夜な夜なTLを巻き込んで会話しながらレポートを書く。それは変わらなかったし確か6月の中盤まで、私は靴を履いていない。つまり家から一歩も出なかった。5月から1ミリも変わらない暮らしをしていた。
大学からある日アンケート回答のフォームが送られてきた。匿名のフォームで、今帰省しているのか・そうならば実家は通学可能な距離にあるのかという内容であった。正直に送った。
しかし次の日の授業で衝撃を受けた。今回のレポート提出は手渡し以外認めないと教授は言った。とても口が悪いので書くこともためらわれるが、このご時世でそれって狂ってんじゃないのかと思った。事情をメールして渋々だったが郵送させて頂いた。
その後も何人もの教授が大学に行く用事を作った。全て郵送やらメールやらファイル共有やらで代わりに提出を認めてもらった。正直メールにファイルを添付すればいいものばかりだったので助かったものの、もし私が他学部で実験科目がある生徒だったら?サンプルを取りに行くために泣く泣く地元から大学へ向かった友達もいた。このまま実家で講義を受けていたら落単するのではないかと、なんとなく恐怖心を持った。
もし町から町への移動がそのように咎められるものでなくなりつつあったとしても私の地元はどうだろうか。
教授の気持ちはわかる。高校の部活で演劇部だった私は裏方としてであるけれど人対人でなければ伝わらないことがあるということを何度も学んできた。絶対こんなに課題を出すよりも対面で、お互いの表情や空気感を読み取りながら講義を受けた方が1000倍伝わる。教授達が沢山努力していることはわかっている。でも一つだけ、ちょっとだけ考慮してください。アンケートで回答したみたいに、今は大学に通学できない距離で暮らしている子もいます。Word文書は気持ちが伝わりにくいなら、手書きはどうでしょう。「今すぐ」や「今日中に」大学にプリントを取りに来るように伝えるのではなくPDFを配布してみませんか。
この頃、一通のメールが地下ドル垢のDMに届いた。7月オープン予定でコンカフェを開く予定なのでキャストとして働いてみないか・お店で働く子達で地下アイドルグループを作ろうと思っている、ということだった。声をかけてくださったのは去年地下ドルの現場でお会いしたことのある方で事務所を経営してるとかなんとか…ということは知っていた。しかし怪しいと思い事務所名や名前で鬼のように検索した。本物だった。メイド服に憧れていたのでコンカフェには興味があった。どれだけいろいろな事情を抱えていてもステージに上がれば夢を見せてくれるきらきらした地下アイドルも大好きだ。かつて片思いしていた先輩も同じ地下の子が好きだったっけ。
しかし私に沸いてきたのは不信感だった。なぜこの時期なのか、私の推しでさえライブを自粛しているのに、都会でなければ成立しない「コンカフェ・地下」をなぜ今始動させようとしているのか、意味がわからなかった。
その頃だった。コンカフェの店舗を構える予定の歌舞伎でクラスターが発生したのは。
もういつもなら暗示や占いの類いは良いものしか信じないご都合主義頭だが、こればかりは神様がやめろと言っている気がした。だから断った。
捨て垢から見に行ったが、コンカフェは無事にオープンしたらしい。地下ドルグループもできたみたいだ。某メイドカフェでも感染確認、こんな世の中なのにメイドが働いているのってどうかと思った。大人が信じられなくなった。あとグループの曲は普通に私の趣味の雰囲気じゃなかった。(←これはお気持ち表明)
ということで先輩が好きなアイドルにはなれませんでした。前に現場に一緒に行ったことがある。
いつか地下で活動してそうだな、とか、そうなったらチェキ撮りにいくねとか言われたこと多分一生覚えてるけど、アイドルにはなりませんでした。(超怖いガチ重メンヘラコーナー)
そんな感じで相変わらずレポートに追われる毎日を実家で送っています。最近は本当に仲の良い2人と連絡を取り合うくらいで、レポートにも慣れてきて二次創作を適度に楽しみながら暮らしています。
私はこれでも勉強に趣味に…ってそれなりに外に出なくても毎日充実してる。それぞれの生活もあるんだし、私みたいな生活しろなんて誰にも思わない。それでも東京で毎日感染者出てたり、私の実家に近いところでもじわじわ感染確認されていたり、5月から世の中変わってないみたいだ。友達の住んでる市は勝手にロックダウンしたらしくもう当分大学には戻れないとか。
そしたら今日、大学からメールが来た。私はちょうど課題をやっていた。
8月頭から対面での授業を再開するって、教育学部が中止と予定していた介護実習や高校での実習も開講する予定ですって。受講を希望するなら今すぐ登録を、また必要な書類は大学窓口で手渡し以外認めないって。期限は5日後。
実習も8月に開講する科目も、教育学部以外の学生が教員免許を取るには必須で1科目でも落としたらもう4年間で卒業するチャンスはほぼないかもしれない。
だから私はどうする?
教師は今後10年間で必要なくなるなんて記事もネットにはいっぱいある。
メールが来てから2時間、ずっと私はなけなしの脳みそフル稼働させて考えた。
県内で感染者も増えているのに?移動中に感染する可能性は?土日ですら授業あるのにいつ動く?
介護施設も高校も、もし大学の誰かが感染していたら?大学のある場所で感染者が増えたのは先週の後半。これが決定したのは先週の始めらしいから明日になれば対面での講義中止のメールが届くのでは?社会的にどう?教師になることを諦めたらいい?そんなに簡単に1年半の努力は捨てられる?距離を置いていた大学のみんなにいきなり会うの?
私今まで通り大学生活送れる?
もうどうでも良くなった。大学ですら信用できない気がしてしまった。
なんて、こんなことが頭によぎって考え込んでしまうし、しまいにはこんな文章を書いてしまうのでもしかすると私の本当の夢、なりたいものは教師じゃないのかも知れない。
私が弱いだけだと思う。本当になりたい!と思っている子ならこんなこと考えずに書類出しに行くだろうから。対面での講義にもどることを喜ぶはずだから。
ということで、私は先生になる夢を諦めることを決めた。
意思が弱くどうしようもない救いようがない根性ひねくれた人間なのでもしかしたら、明後日には電車に乗って実習に必要な書類を出しに行くかもしれない。8月はどこかで実習しているかもしれない。教師になることを諦めたまま Permalink | 記事への反応(1) | 02:20
こういうこと無責任に言う奴は同じ職場で仕事をすることになったとか何かのきっかけでお互いの素性を知らずに社会人同士として元増田と出会ったとしたら
この人なんて素敵なんだろう!ずっとこのままでいてほしいな!なんてお前らは絶対に思うわけがない
この人変な格好だな、オタクなのかな、歳のわりに顔つきや言動が幼くて気持ち悪いな、と確実に思うだろう
オタクトーク以外では日頃のハイテンションさが嘘のように根暗になるタイプの可能性すらあるし
絶対に好感は持たない
「いや私は元増田のことをダセェなんて思わない自信がある」という人もいるだろう
ただそういう人は相手がジャージだろうと萌えキャラがでかでかとプリントされたTシャツだろうと
他人に興味関心のない冷淡な人間なので何も気にならないというだけで
そのような人間の「あなたはそのままでいいよ」なんて暖かで優しい人ぶったクソバイスに一切耳を傾ける必要はない
風呂に入らないオタクに「私は鼻炎で匂いが分からないからお風呂に入らなくてもいいよ」って言ってるのと一緒
「私は鼻炎で匂いが分からないからお風呂に入らなくてもうちに遊びに来てもいいよ」なら言ってもいい
「私はあなたが恥をかこうと何をしようと何も思わないので好きにすればいい」なら言ってもいい
「お風呂に入らず素の体臭を撒き散らすあなたはとても素敵だからお風呂に入らないまま出勤したりアニメイトに買い物に行ったりしていいよ」これは悪魔の囁きなので聞き入れる必要はない
そもそも元増田はクソダサくて小汚い格好に自分なりの絶対的なポリシーがあり
自分の顔の黒ずみに誇りと自信を持って毛穴をおっ広げて好き好んで見せつけていたのではなく
きっちり化粧をしたBCDと会ったことで自分の顔のあまり見せたくない汚い部分を自分だけが上手く隠せてないことに直面し己を恥じて
これからはちゃんと黒ずみを隠さなきゃいけないと決意しつつあるのであって
そんな元増田に「黒ずみなんか隠す必要がないからこれからもどんどん見せていこうよ!!」と囁きかけるのはやっぱりアホで無責任で恐ろしさすら感じる
今徹夜明けでだいぶハイになってる状態で書いてるぜ!例のゲームにハマりすぎてが理由の徹夜だぜ!
鬼の睡眠12時間をしてた頃に比べれば多少脳がすっきりしている気分だぜ!
ストレスの溜まってるそこの君!是非ともRobloxでキッズと喧嘩して発散することを勧めるなのぜ!(CV:ゆっくりまりさ)
「英語が苦手で出来るかどうか不安」「そもそも喧嘩ってどうやって吹っかければいいんだ?」そんなことはさっぱり忘れろ!
とりあえず俺の体験談を聞いてくれ!
ある日のこと、俺は初心者狩り狩りをしていた。初心者狩りx2というのは、初期にもらえる無料の車を乗り回して攻撃的なキッズを集めることだ。
そんな俺の罠に引っかかった哀れなロシア人ガキ。彼はクソデカとまではいかないが、中級戦車で踏みつぶしてきた。
俺はすぐさま、ローラー車(Fallout76のブレア山に出てくる掘削機が付いたような車)に乗り換え、反撃開始。
彼の戦車をひとたまりもなく潰すことが出来るのだが、やらない。なぜかって?不動状態にする方が相手のダメージがでかいのだ。
車は廃車工場に持っていくことでもマネーを稼げるのだが、そこまで辿り着けない状態で、なおかつ完全に相手に破壊されないとなると、リスポーンするしかなくなる。
それを繰り返していたのが効いたのか、彼はPVPをオフにしやがった。戦いから降りたのである。だがそこで攻撃を止めるつもりはない。
廃車工場は、ちょっとした操作ができるレバーのような物があり、破壊機械を止めたりも出来る。私はそこに着目した。
レバーを荒らしまくって、機械をストップさせた。それも十回も二十回も...。彼はお得意のキリル文字を使って私を煽っているつもりなんだろうが、効果は無い。
な ぜ な ら 読 め な い(均等割り付け)からである。彼は私に「stop troll」と送り姿を消した。あーあ。
ある日のこと、おれは前述した狩り狩りをしていた。そこへぶつかってきたバカガキ。「しめしめ...」と思いながらIDを確認したら、
「PrettyPonny47」みたいなIDだった。「え!?女?!」俺は少し女に対して恨みはあるものの、攻撃するのはかわいそうだと思っていた。
しかし、攻撃してきたからにはしなければならない(使命感)私は一旦アバターを変えに行った。
私はなけなしの貯金を崩して大雨のなか、iTunesカードを買いに行った(クレカは滞納のため親に取り上げられた)
なぜなら、私はそれまで割とかわいい系(ピンクのうさぎちゃんをイメージしてアバターを作っていた)でまとめていたのだが、黒と白のモノトーンで揃えることにした。
顔に道化師(ピエロじゃない方)のマスクを被り、アディダスのジャージ上下。手にはナイフ。後ろには幽霊のコスチュームを着飾って。
例のごとく、彼女はPVPをオフにしたので、私は彼女の車に乗り込むことにした。彼女は本気で怖がっていたのだろう。私が乗り込んだ瞬間車を消した。
これもまた回数を重ねるごとに、彼女は「y ar scary」と繰り返すようになった。狙い通りである。そして私は追い打ちをかけるように次のことをした。
私はちまちま、文字化けを辞書に登録して、キリル文字のキーボードを追加した。
先ほどのロシア人と喧嘩した時に思いついたのだ。「なんかキリル文字怖い」と。そして文字化け。
青空文庫の「学問のすすめ」を色んな文字コードで試して何種類か用意した。それを連投、連投、連投....。
「Ээреэджо」「峨★縲阪→險?縺医j」そんなチャットで埋め尽くされるもんだから怖いのなんの。彼女は「I reported u」と残して去って行った。
マジです。大マジです。私も初心者の頃はよく初心者狩りをされたので、何回も律儀に英語を書いて通報したのですが、BANされることはなく。
そして友達に聞いたところ、BANといっても一回ログアウトさせられるだけで、再ログインすれば何事もない。ということらしい。
俺がヒャッハーしてトロールしてるのはそれが理由ですね。まぁBANされてもアカウント作り直せばいいだけだもん!
ちなみにRobloxのアバターストアには大量の服があるのだが(ユーザーが作成して売り出せる)有名な高級ブランドのロゴがあしらわれた服や、あきらかにネットで拾ってきたであろうhentai画像がプリントされたTシャツなどが販売されているので、法律的に大丈夫なのかと。
まぁ企業も宣伝になるしね(よくある漫画村賛成派の意見の真似)
ある日のこと、おれは(略)
だが、俺のヤバすぎる見た目を察したのか、誰も攻撃してこない。クソ-こうなったらこっちから攻撃だ!
チャットを眺めていて、洋ショタ3人がGTAのミッションのようなことをしていた。トラックを指定の場所まで敵の攻撃に耐え破壊されないように運べ!的なやつ
私はウキウキしながら60Tの超絶激早ロケットカーで出向いた(ちなみにマネーはカンストしたのでやることがなくなった)
彼らの車の群に「gotcha!」とぶつけてロケランで相手方の車を撃破ー(CV:スリッピー)
見事に彼らは攻撃態勢。俺はいくぜと3vs1の状態に。最初はやられ続けで「lol」「y r noob」と繰り返されたのだが、そこは巨根殺る気ブチコロス子(CV:井脇ノブ子)
まず、前述したクソデカ掘削機を用意して、初期リス位置でローラー。一転して面白いようにやられる彼ら、すっきりする僕の構図に。
だが、彼らも手強かった。少しずつ俺にダメージを喰らえ、あらゆる方向からぶつけてきた。俺はこのままではまずいと思った。
そこに救世主。他に攻撃してこない海外のガキが俺にチャットを送ってきた。
「le epic,I have all the passes for this game」俺はすぐさま「Good!」「Do me a favor」「Mission:Destroy ○○'s car」と送った。
彼は「k」と返し、私に従ってクソガキ3人の車を破壊し尽くしてくれた。例のごとくPVPオフ。だが止めない止められない。
「yo N.O.O.B」「y r underdog」「Heeeeey!!」と繰り返した。クラクションを鳴らしまくり、チャットで煽りまくり、ストーカーしまくり、妨害しまくり。
「I scared y」「Sorry」と2人のガキは言ってきた。しかし、1人のガキがあろうことか
「He peep his pants」と送ってきやがった。私は激怒した。何を隠そう、私は朝、ケツを掻きながらくしゃみをしたら漏らしたのである。
私は震える怒りをおさめながらnoobを繰り返し、「I'm so tired bcs y r so nooooob」「bye👋」と書き切断した。まぁ引き分けってことで。
...私は満足してドビュッシーの月の光を弾きながら赤マルをふかした。イマラチオされたがりのドMホモだと思いきや、子供相手だとサディストになれるのか...等など思いを馳ながら。
前回の日記(anond:20200704175351)に30ブクマも付いたことが嬉しくて親に報告したら、「もっと建設的な~」と言われた。なーにが建設的だ。ごめん同窓会には行けんわ、って言うような男に育てるつもりだったのかワシを。
しかしながらさすがに飽きてきた。もっと別のゲームがしたい。そして見つけた新たな新天地。Adopt me!という動物を育てるゲームがあるのだが、聞くところによると日本人や外国人のリア充児童達が遊んでいるようなのである。
「うわ~~~こりゃまた忙しくなるぞ~~~」そう思いながら、今この文章を書いている次第でございます。いかがでしたでしょうか?
★気持ち
★実際
コロナもあるし、ちゃっちゃとレジでプラ袋に入れてさっと渡されたほうが衛生的で速いと思う。
毎回コロナの影響で、ナイロンのエコバッグは洗ってるけど、水と洗剤も消費、環境汚染じゃないのって気もする。
原材料、製造、使用、廃棄を考慮した上で、環境へ与えるフットプリント(負荷)を計算しているからなのです。
14種類のショッピングバッグを比較したデンマークの調査があります。
調査報告書(Life Cycle Assessment of grocery carrier bags(2018年))には、下記のようにまとめられています。
布バック 840回
オーガニックコットンの袋 2400回
上記の回数再利用されないと、プラスチックの袋よりエコにならない、とのこと。
(※なお、記事によるとプラスチックの袋はゴミ袋として再利用される)
https://japancryptocoin.org/2020/01/06/eco-bag-not-ecological/
2日後の早朝、猫は旅立った。
5時に起きた時にはもう息をしていなかった。
猫の手足は冷たく固まっていたけれど、そっと抱きしめた細い細い身体は温かかった。
夫と二人で猫にがんばったね、お疲れさま、ありがとうと言って泣いた。
前日は猫と一緒に過ごした。
オシッコをしたらペットシーツを替えて身体を拭き、数時間おきに寝返りをさせてマッサージをした。
鼻が詰まったらコットンで拭いたり、赤ちゃん用の鼻吸い器で鼻水を取った。
ごはんを食べる量が減り始めてから昔のように鼻を垂らす事が増え、薬を飲ませてもなかなか治らなかった。
猫の目は薄く開いたまま、静かにベッドに横になってゆっくり大きく呼吸をしていた。
口をクチャクチャ動かしたらスポイトで数滴水を飲ませた。頭を支える私の腕に小さな手を乗せて満足そうな顔をして、時々ポロっと緑色の目から涙をこぼした。健気で強くて優しい猫だった。
猫に話し掛けてたくさん名前を呼んで撫でた。
夜になり、夫が猫の隣で寝ると言った。
猫の生活スペースの囲いを外し、敷き詰めていたペットシーツも全て片付けた。
19年前、猫を拾ったのは夫だ。鼻水を垂らして所々ハゲたボロボロの子猫が近寄って来たのをそのまま連れて帰ったらしい。
夫は猫を飼った事はなかったけれど、猫に一目惚れだったそうだ。私が来たのは15年前だ。猫を保護して大事に育ててくれた夫には感謝しかない。
夫の膝の上や隣が猫の定位置で、いつも夫の隣で寝ていた。
猫のベッドの隣に布団を敷き、夫は猫の小さな手を握って寝た。夫の隣で寝る事が出来て猫も安心したのだろう。
私達が悲しむから、死に目は見せたくなかったのかもしれない。最期まで優しい猫だった。
亡くなった猫に手を合わせ、身体を拭いて毛がふわふわになるようにブラッシングした。
そっとベッドに寝かせた猫は穏やかに眠っているようだった。薄く開いた目もキレイに澄んでいた。今にも起きてこちらを向きそうなのに。
夫は猫に突っ伏して泣いていた。
猫が体調を崩してから、老猫介護や看取りのブログ、ペット葬儀の事を少しずつ調べていた。
棺は大きめのダンボール箱を買った。
猫は狭い所と箱が嫌いな猫らしくない猫だから、大きめで底の浅いものにした。
棺の底にペットシーツを敷いてベッドごと猫を寝かせ、ピンク色のタオルをそっと掛けた。
寒がりなのにごめんね、と言ってタオルを巻いた保冷剤を多めに入れ、断熱シートを被せた。顔を見たらどうしてもたくさん撫でて声を掛けたくなってしまう。
線香と棺に入れる花を買い、祭壇に飾る写真も用意した。
供養写真は何枚でも良いと言われたので、昔大判プリントした写真をメインにした。7歳くらいの健康的でモコモコのかわいい姿。
スマホに変えてからの写真が圧倒的に少なかった。いつでも撮れると思ってほとんど撮っていなかった。
猫の大好物の猫草も買った。ごはんだよと呼んでも来ないのに、草買って来たよーと言うと飛んで来る子だ。
6年前にごはんに見向きもしなかった時も、猫草を買って来たら大喜びでムシャムシャ食べていた。
猫草とちゅーるとお花の他に、思い出の物をいくつか棺に入れた。
夕方にお寺へ行く前も、葬儀の合間にも二人で何度も棺を覗いては猫の名前を呼んで撫でた。
亡くなったら触れないかもと思っていたけれど、とにかく愛しくて名残惜しくて、かわいい猫に触れたくなってしまう。
猫の毛の手触りを忘れたくなくて、たくさん撫でた。頬の下の毛が特に柔らかくてふわふわで大好きだった。
お坊さんは棺で眠る猫と写真を交互に見て、キレイな身体ですね、珍しい模様だと言っていた。
猫を見送り、火葬が終わるまでお寺の休憩所で夫と過ごした。猫の思い出を話して時々二人で泣き、これからの事も話した。
あの子は私達の大切な子で、たくさんの幸せと思い出をもらった。
火葬は辛いけれど、待っている間に次第に気持ちが穏やかになっていくから不思議だ。
猫と夫が出会ったのはたくさん狛犬が奉られている神社の駐車場だった。
猫はなぜか大きな犬が好きで、ゴールデンレトリーバーやラブラドールがテレビに映るとうれしそうにじっと見ていた。
病院でも猫には無反応なのに、大きな犬が来るとキャリーの隙間から覗いて楽しんでいた。
性格も犬みたいな所があった。
猫はひょっとしたら狛犬の神様の子で、神様の所に帰ったのかもしれない。
神様の所なら安心だ。甘え上手のとてもかわいい子だから、きっとみんなに好かれて幸せに過ごせるだろう。
二人でお骨を全て拾い、花柄の骨壺に納めた。お骨はとても立派だった。
腕の細い骨がしっかり残っていて、担当の人がこんなにキレイに残っているのは初めて見ましたと言っていた。
4月までは流し台に飛び乗れた、足腰の丈夫な猫だった。
白い布で包んだ骨壺を抱えひっそりと静かになった家へ帰った。
お寺から名前と命日や忌日の入った供養表も届いた。オプションで遺影を入れてもらい、とてもかわいい供養表になった。近くに良いお寺があって良かった。
仏壇はガラス扉付きラックのDIYキットをホームセンターで買って色を塗った。
四寸の骨壺カバーがぴったり納まる高さで、位牌と供養表、遺影の他に遺髪ケースとお守りの鈴や首輪、毛玉を飾った。
気に入っているけど、手を合わせるといつも泣いてしまう。
毎朝仏壇にごはんと水をお供えしてお線香を焚き、二人で手を合わせる事が新しい習慣になった。
夫は必ず猫におはようと声を掛けている。
私は流し台と洗面所の水飲み場の水を相変わらず毎日替えている。
お世話になった病院へ挨拶に行き、後日お悔やみのお花を頂いた。もう病院へ通う事もないのだろう。
猫のいない生活はとても静かだ。
そろそろ猫が起きる頃かなとふと思っても鈴の音や小さな足音は聞こえてこない。
特に実感するのは帰宅直後。ニャーニャーと急かして抱きついて来るあの子はいない。
いっぱい撫でて、かわいいねと言って名前を呼んで抱っこしたい。会えるものなら会いたい。同じ模様の猫はどこを探したって出会えない。
猫と一緒に過ごしていた毎日が当たり前ではなくなってしまった。
5月の初め頃、夜に突然猫がニャーニャー鳴いて居間で寝ている夫を起こそうとした事があった。
ニャーと呼び掛けながら片手で夫の肩を何度も掻いている。春頃から甘えた声で鳴く事が減って来ていたので、珍しいなと思った。
爆睡している夫にあきらめると、今度は私のお腹に乗ってニャーニャー言いながら片手で顎の下を撫でて来た。
猫がいつも私にする撫でろの催促で、爪を立てずに小さな手でチョイチョイと頬や顎の下を撫でる。肉球と毛が両方楽しめるとても幸せな感触。
うれしくて猫をたくさん撫でた。
猫は満足するとまた夫の所へ行き、一生懸命起こしていたがやっぱり夫は起きなかった。
猫は思い出を作りたかったのかもしれない。
お別れが近い事をもっと前から知っていて、少しずつ準備をしていたのだろう。
私達が気づくのが遅くて猫に辛い思いをさせてしまったのが本当に申し訳なくて、あの時こうしていたら今も一緒に居たのかなと何度も思う。1日でも元気に長生きして欲しかった。
小さい頃から家に猫がいるのが当たり前だったけれど、猫の死と直接向き合ったのはこれが初めてだった。
実家に最初に来た猫とは仲が良くていつも一緒に寝ていた。ちょっと素っ気なくて「ニャ」と短く鳴く猫だった。
その猫は腫瘍が原因で13歳で亡くなった。最期は怖くて何も出来なかった事をずっと後悔している。
積極的な治療も緩和ケアもしなかった親を恨んだ。自分がもし世話をしたら親に何か言われるのが嫌で。とても幼稚だった。
動けなくなった猫が弱々しい声で何度も「ニャーー」と長く鳴いていたのが今でも耳に残っている。
その実家猫への思いもあって、最期まで悔いのないように看たかった。
猫がいない生活をするのは一人暮らしの時以来だ。その時も猫を保護して実家に連れて行った。
猫は欠かせない大事な存在だ。見たいし触りたい。毎日一緒に過ごし、寝顔を眺めたい。
でもこの先、猫と一緒に暮らす事はないのかも。
いつか縁があったらとは思うけど、たくさんの幸せを猫からもらうほど別れが辛くなる。
今はネットニュースの保護されて幸せに暮らす猫達の記事を読んで、猫ちゃんよかったねと癒されながら毎日過ごしている。
未開封のごはんや猫砂やペットシーツをもう少ししたらどこかへ寄付しようと思う。
自分は30年くらい前に世界で最初に出来たデジタルの作家集団に所属してました。その時は手描きとデジタルと両方をやっていました。
その時に藝大の院生の女の子に「まだ手で描いているんですか?」と驚かれました。その時に将来は絵筆は無くなり、すべてパソコンで表現すると本気で信じていたひとたちがいたわけです。
当時はまだまだハードもソフトも未熟で、CGはとても難しいものでした。CGの展覧会をすると、協賛企業から何百万円も協賛金を頂けた時代です。
ところがハードもソフトも急激に進化をして、平面の表現だけでは物足りなくなり、当時のメンバーの殆どは映画業界に進出しました。ハリウッドであの恐竜映画をつくったり日本でゴジラの映画をつくったりしたわけです。
その時からCGは「動画」であるとなったわけです。残ったのは平面で表現をしていた漫画家さんと仕事が全部デジタル化したイラストレータさんたちだけです。あとCGの専門学校を創設したひともいました。
つまりその時点で絵画のCG表現は無くなったわけです。作品がCGだとわかるとどうせ写真を合成したりソフトで簡単に出来ると思われて評価が落ちますし、それにデータなのでいくらでも複製は可能です。やはり原画の強みには敵わなかったわけです。
その後、版画業界が「デジタルプリント」という新しい版種を発表して、デジタルの平面作品は「版画」として生き残りました。数年前からは写真関係もデジタル作品部門というものが出来て、そこでも僅かに生き残っています。
そこで3年くらい前だったと思いますが、デジタル絵画を復権させようという動きがあって、自分も声を掛けられましたが参加しませんでした。
成果は聞いていませんが、その後の動きはありません。
結局のところ、絵画業界でもわずかにデジタル表現をしているひとはいますが、それはホントにハウツウ本の最初のページくらいのクオリティでしかないわけです。それが一般的になっているので、初期の頃のような複雑な作品を制作しても「CGなんだからCGらしくしないとダメ」と言われてしまうわけです。
デジタルは進化しすぎて「絵画」という古い枠から簡単にはみ出してしまって、「絵画」はいまも昔のままです。
今後も技術革新によっていろいろと変わるでしょうが、最終的には「1点しかない原画を人間が手で描いている」という事が進化が進むにつれ逆に高く評価されるようになるだけです。
今年小学校5年生になった生意気盛りの息子が教材で配られた算数と漢字のドリルをコロナ休校中に全部終わらせちゃったのよ
で休校明けて息子としては褒められると思って先生にドリル提出したら勝手なことするなと逆に怒られちゃったと
怒られ方も普通じゃなかったようで勝手にやってきた分は消しゴムで消してこいとまで言われたそうな
で息子も糞で先生に「親に言われてやっただけ」と言って俺に責任をなすり付けてきやがった
我が家は父子二人暮らしなんだが、そんなこと俺は一言も言っていない
で先生から電話があったので「息子も生意気な年ごろでして先生の気持ちも分かりますよ~」と先生をなだめつつ
「息子も休校中暇だったようで、まぁ勉強することは悪いことじゃないでしょ」的なこと言ったら
「休校中の対応に不満があるんですか(怒)」と返ってきてコミュニケーション・ブレイク
とりあえず「息子と話し合っておきます。」とだけ言って電話を切ったものの
ドリルを消すのはどう考えてもおかしいと思ったので息子には「消さんでいい」とだけ言って放置
すると今週また先生から連絡あって「息子くん用に小6用のプリントを用意しましたので、今後はそちらを提出させてください。」
と字面だけみたら神対応にも見えるが、電話越しでも伝わる嫌味満載の口調だった
息子はというとネットで調べながら小6用のプリントもこなしているので勉強面では放っておいても大丈夫そうなんだが
正確には、リモートワークが実現した(完全に問題がなくなったとは言っていない)ことで、コスト削減になった。
そして、今まで当たり前にあるものと思っていた仕事をやめてみて、なくても別に全然困らないんだ!と腹落ちした話。
あんまり具体的な数字とかは書いちゃいけないと思うので、創作小説として読んでください。
震災の時に社員の出社困難があったことから、いざという時には家でも業務ができるようにしておこうという動きは以前から社内にありました。
ただし、社内運動のテーマや、役員クラスの会議の議題には上がれど、いざ実行まで至ったのは今回が初めてです。
これまでは、やれシステムは、パソコンとデータの管理は、帳票はプリントしないのか、書類の回覧は、勤怠管理は、さぼる社員への対応、OJTの場合は、
等と、課題を見つけるのをお仕事にする人たちに阻まれて予算すらまともに組ませてもらえませんでした。
が、今回ここまでの事態になったことで、状況が一変しました。どこの会社も多かれ少なかれそのような状況になっているのではないでしょうか。
弊社は、営業が外回りをする以外はオフィス内で完結する業務が多かったことから、意外なほどあっさりリモートワークへの移行が完了しました。
バックオフィスの者として、社員や役員とオンラインで様子を聞きます。
戸惑いや、寂しいとか、管理職からは部下の業務把握が難しいなどのマイナス意見も出るものの、若手~中堅社員からはのびのび仕事ができているようです。
して自分、営業が数字を挙げることありきの会社のバックオフィスの者として、初めてこんなに現場の人たちと話したなぁと思いました。
自分は総務の経験を買われて、会社の本業ではない部分を回す仕事、というざっくりとした立場で今のポジションに中途入社していますが、
前職(まぁまぁ大手)時代も、この会社のこれまでも、現場との連携という名目の会議はあれど、末端の事務職員や、逆に役員クラスとここまで密に個別面談をする時間はありませんでした。
オンラインで1対1のやり取りをする場合、オフィスの会議スペースのように周りに人の気配がしないせいか、社員の皆さんは意外とのびのび色々な話をしてくれて。
この人こんな人だったんだー、こんな仕事してるんだ(部署として、どんな仕事をしているか知っているつもりだった)という発見がいくつもありました。
逆に、自分の仕事もあまり知られていなかったんだな。と思うことも、多々。
これまで、自分のした仕事に対してXXの件ありがとうございました!と、個別に言われることってあんまりなかったなぁと。メールの枕詞ぐらいなもので。
みなさんの為に仕事してたつもりなんですけどね。でも、個別に連絡をしてきて、話をした人、がする仕事の方が、ちゃんと見えるんだろうなぁ、と。
自分も、社員が本業で力を発揮するためのバックオフィスなのに、今までは誰を、どこを見て仕事をしていたんだろう。という感じ。
結構忙しくて残業なんかもしてたんですが。あれはなんだったんだろう、とふと考えてしまうことがあります。
そして先週、タイトルの通りの決定がありました。
オフィスの大幅縮小。スペースのリフォーム。社員が毎日出社必須ではなくなったため、交通費支給の廃止
これまでは、各部署ごとに社員の机が固まる島があって、その前に部長を座らせて、それぞれのセクションに会議スペースがあって、という作りでしたが、
・会議スペースも統一、社員が集まる必要があるときは、オンラインでスペースの空き確認をして会議スペースを予約。
・社外との打ち合わせは、可能ならオンラインで、顔を合わせる必要のある時はこちらから出向くことにするか、レンタル会議スペースの使用も検討
・原則、どうしても印刷、ファイリングが必要な帳票類があるときに出社、ハンコ捺印は社内のものはすべて撤廃
・これまでオフィスは賃貸で1フロアを借り切っていたのを、1ブロックに
・交通費は、定期代支給をやめ、回数券代を支給(2か月に10回出社のイメージ)、超えた分は小口現金で個別精算。
・部署ごとの定例会議は、一応残しておく。ただし頻度は月に1回、ラッシュ時の通勤を避けられ、時短社員も対応しやすい朝の11時ごろに
正直、オフィスの家賃(都内)と、定期代の支給は大きく、今まで削減するという発想もなかったが、やってみたらインパクトは大きかった。
あと、今までは社員間の不公平をなくすために席替えなんかも結構やっていて半日かけてやる一大イベントだったんですが、当然廃止に。
会社に1日中いることもなくなったので、コーヒーサーバーとか、もういらないし、オフィスグリコは弊社にはなかったけど、自販機も片付けてもらった。
昨日久々に会社(リフォーム前)に行ってみて、あれもいらない、これも片付けよう、と見ていたら、タイトルを思いつきました。
これって、ミニマリストがミニマリストになる過程でやるやつなんじゃないか。
常識を疑う~、とか、一度リセットして考えるとか、まぁそんなことを書いてある本にはよく当たる。業務効率化の本も何冊か読んでいたし、
でも、そこで具体的なコストダウンの方法として交通費支給を辞めるって書いてある本には今まで1冊も当たったことがない。
自分でも経費削減のために社員の出社をなくして交通費の支給を辞め、家賃を半額までコストダウン!ということは思いつきもしませんでした。まぁ思いついたところで会議通らなかったでしょうし。
この先の弊社は、備品を減らし、管理職の数を減らし、管理部門により無駄な管理項目も減らし、会議も、書類も、新入社員に配っていた日付判子もなくし、コピー用紙代や、文具代も削減されるでしょう、
今まではまとめて買って置いていたけど、誰かが次から次へと新しいものを開けたり、それを防ぐために管理ノートを作って目を光らせたり、全て無駄な事でした。
無駄なことをやめ、本業だけに一生懸命になれる会社はきっとすごく居心地が良いものになると思う。
オフィスに行った帰りに久々の本屋でミニマリスト本と断捨離本を何冊か買い、今日の午前中はそれを弊社のオフィスと業務に落とし込む作業をしていた。
ミニマリストはよく、捨てること自体が楽しくなって気分もよくなると書いていたけれど、まさにその通りだと思う。
凝り固まった「これまで」から非日常に放り込まれて、1つずつ本当に必要なものを見極めようとしている。
部屋の中と違って会社のものをなんでも独断で捨てられるわけではないんですが。すぐできないからこそ、それをやろう、という目標が出来て、今は正直ワクワクしています。
往復の郵送料をお客様には負担して頂けないので、結局のところ現像は全てお断りしている
なぜって「現像+プリント代の利益」よりも「往復の郵送料」の方が高いから
本日も持ち込みの方がいらしたので、使い捨てカメラの購入先を聞いてみた
私「セブンイレブンさんでは現像の受付はしていないのですか?」
お客様「ええ。なのでここなら受付してくれるかと思って」
私「申し訳ありません。当店では現像の受付は致しかねます。ですので使い捨てカメラの販売も取りやめているんですよ」
みたいな会話。お客様、せっかくのお孫さんの写真が現像できずしょんぼり。
どのお店でもそうだが、使い捨てカメラを売るなら現像まで面倒見てください。
お願いします。
ということを教えたあとでも、標準入力に1以上の整数を入力して、1からその数までの和を出力しなさい、という問題が解けるのは全体の2割程度
残りの8割はおそらく、プログラミングができないのではなく、「問題文の日本語が正しく読めない」とか「プリントに書かれた通りにタイプできない」とかそういう病気なんだと思う