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2021-05-02

野蒜に行こうと思ったけどやめた

今後一週間は地震に注意って出たし

津波が来そうな所や土砂災害が起きそうな山岳部は控えることにした

他に行きたい所はそこそこあるけど人が多そうなんだよなぁ

角田市宇宙センター休み

丸森町山岳地帯があるし

白石方面キツネ村には行きたいけど山

石巻南三陸気仙沼海岸沿い

大崎市は化女レジャーランド跡地見たいか

栗原市は細倉マインパークかなぁ

狩野英孝櫻田山神社には行ったしくりはら鉄道ミュージアムには既に行った

登米市はおかえりモネ舞台らしいので少し前に登米町と佐沼には行った

亘理山元海岸沿い

松島は人が多そうだし

利府イオン結構人がいそうだし

多賀城名取岩沼塩釜は割と最近行ったばかりで

涌谷町美里町加美町色麻町も行った

黒川郡登米市もそこそこ行ってしまった

大河原町萩の月買いに行ったしそこから船岡方面の桜を見て柴田町にも行った

村田町も倉を見に行った

蔵王は一応お釜を見たしだからやっぱりキツネ村に行きたい

あ、七ヶ宿も行きたいなあ

仙台市内はうーん結構行ったけど

ボタニカルガーデンに行きたい

最近山のあたりとか熊がでるのが嫌だけど

あぁー出かけたいなぁ

2021-04-17

画家名前で妻が混乱する。

私はジョアン・ミロが好きで画集を眺めたりしているのだが、私の横では妻がしょっちゅう混乱している。

妻「この人は?」

私「ミロ」

妻「?…この前、美術館で見たのは?」

私「あれはミレー

妻「??…この前、テレビでやってたのは??」

私「あれはモネ

妻「???…昔、✕✕に行った時に見たのは???

私「あれはクレー

妻「??????

私「コローという人もいるよ」

妻「???????」

こんな感じ。

2021-03-14

anond:20210313094629

柑橘類に白いワタあるよな。あれ苦いだけだからとれって言われてるけど、一番香りが強いとこなの。

(難しいこというけど、外皮のきいろはモネはいってて嗅ぐにもツーンとするし口にいれていいものではない。

で、実のほうは糖類も酸も水溶性香り油溶性成分と相性悪い。

白いとこが苦いってのは香りに関しては一番ポテンシャルが高いということを示している。)

で、白いところから苦味を出さずに香りだけ出すのどうしたらいいかというと、そのまま砂糖まぶして氷砂糖シロップにするのおすすめ

飲む前に白いところをとりのぞいて透明なさとうのシロップを水で薄めて飲む。

マーマレードより作るのもかんたんでいいよ。

2021-03-08

豚しゃぶ プリン 失敗作

豚しゃぶ食べホ店(葉っぱ系)に通って香味野菜にハマった家族がいる

土曜日昼間に90分でなく60分の豚バラコースで980円でクーポンも使えて安いうまい量いっぱい、

ソフトクリームしらたまぜんざいと綿あめも食べられるわりとご贔屓のお店

この香味野菜とは、水菜と千切りネギと千切り人参をふわっとまぜたやつである

これを大皿一杯とってきて、鍋で煮溶かしながら食べると無料昆布出汁バカウマスープになる

(卵はたしか有料だが塩だけでまじうまい雑炊になる)

最初は煮えた野菜と肉を和風だしでどんどん食べる

甘めの薄めたそばつゆっぽい味だけどなかなか再現できんな、あれあの和風だしたれってどうやってんの?

で、家では出せないので練りゴマの白ゴマのと鎌田だし醤油まぜたやつで食べる(甘みは控えめ)

今日のうちのはジェネリック香味野菜(千切りでない3種の野菜)、だしこんぶ、豚肉中パック2、豆腐

水菜たっぷりなので比較カロリーがある春雨はなしにした。

 

プリンもつくった。調整豆乳プリン。いくつか失敗した。といっても初めての調整豆乳は悪くない。

まずはカラメルをよそ見して焦がしすぎた。でもこれが苦くて黒くてあとでちょうどよかった。結果オーライ

次に失敗したのは、バニラエッセンス。調整豆乳の乳臭さとあいまってちょっとくどい。でもできてみたらそうでもなかった。結果オーライ

オーブンにいれるときちょっと扉があたって卵液がこぼれた。これはもう庫内も天板も拭きまくるしかなくてそうした。

できたプリン不思議今季一番美味しかった気がする。

カラメルうめーな。

 

もういっこ失敗。

いよかん最後の1玉があまったから剥いて氷砂糖とぎゅむーっと瓶詰めにした。

よく梅やイチゴでつくるあの果実シロップである

でもこのままだと発酵しそうだからなんか蒸留酒いれようとしてウォッカがあったのでちょこっといれた。

降ってよく混ぜるとすごくひどいにおい。鼻にこびりついた。タイヤでも燃やしたのかっていう匂い

時節柄あの病気になったのかとおもうくらい。

ジンじゃないんだからニガヨモギかいれてねえだろな?なんだこりゃ・・・どういうこっちゃ・・・

とりあえず水道水でゆすいでウォッカなしで冷蔵シロップにするようにした。

砂糖がんばれうんとがんばれ。

モネンとクエン酸果糖ショ糖エタノールまぜちゃいかんかったのか?

この流れでアルデヒドできるようなとこあった? 白い皮にそういう酵素でもあったのかな・・

薄めたらいい匂いになったのだろうか? すべては時の彼方である

とはいえゆすぎだしたウォッカをコップにとってあるのであしたも嗅いでみよう)

 

追記:ゆすぎだした部分、一晩アルコール飛ばしたらそうでもなかった。

ただし、見た目は果汁のタンパク質部分?が凝固して沈んでいてあまりよくないのと、

一晩解放して飛ばしたのに飲むと酒気を感じた。

やっぱり過ぎたるは及ばざるが如しか

でも入れ終わったあとのウォッカ瓶見た家族は「え、全然減っていない!」っていったくらい控えめだったんだよほんとに。

2020-12-25

「ワタシの名前アネモネよ」っていう漫画って何だったけ?

んで、妹のイモトモネが「ちんこくらぶ」とか作ったりするの。

2020-11-10

フレンチ・カンカンの穴あき見せパントップレスのショー

カンカンとの出会い

フレンチ・カンカン、というかラインダンスとの出会いは、おそらくは文明堂のCMだ。それからドレミファソネットどしたらできるの」で有名なso-netのCMだ。なぜかこのCMではおじさんの脚線美を見ることになるのだがそれはさておいて、Youtube検索すると今でも天国と地獄に合わせて踊る動画確認できる。

カンカン歴史、当時の見せパン

本題に移ろう。Can-can dressについてはウィキペディアではおおよそこのように述べている。ドレス基本的に何層にもなった大量のフリルがついていて、当時の下着の上に縫い付けられていた。脚は黒いストッキングや網タイツで覆われていた。つまりレオタード姿のソネットCMフレンチ・カンカンではないのである。足の動きの速さからしてまるで違う。

衣装ではなく、カンカンダンスのものについては、日本語版ウィキペディア英語版ウィキペディアで書いてあることが若干違う。おそらく英語から訳したときの版が違うのだろう。

両者の記述を比べてみたが、フレンチ・カンカンにおける見せパン起源はかなり曖昧らしい。足を思い切り上げてスカートの中が見えてしまう動きは、ショーの場では1820年代にアクロバット的な動きで知られるCharles Mazurierがバレエの大開脚を取り入れたことにさかのぼるようである。初期のダンサー娼婦セミプロ役者だけであったのだが、1890年代になるとムーラン・ルージュではトゥールーズロートレックの絵で知られるLa Goulue(食いしん坊さん、的な意味)やJane Avrilなどの高給を取るスターが生まれた。La Goulueのページでは当時の衣装とセットの見せパン確認できる。これらのスター生活は華やかだが晩年は不遇であることもあった。この二人もビジネスの失敗や大恐慌財産を失い、寂しく亡くなっている。

さて、カンカンは足を高く蹴り上げるので、当然スカートの中身が丸見えになる。しかも、それや当時としてはよりスキャンダラスであった。というのも、当時の下着であるpantalettesは衛生上の理由からロッチ部分が開いていたからである。要するに性器丸出しになるわけであるもっとも。そのあとにこんな記述がある。カンカンのための特別下着を用いていたという記録はないが、ムーラン・ルージュでは下着露出は禁じられていたことになっていた、と。どうもこのあたりの記録は曖昧というか[要出典]をつけたくなる箇所が多い。ウィキペディア普段自然科学記事を読むことが多いが、そこよりも曖昧記述が多い印象だ。文体もなんだか違う。

ところで、今のフレンチ・カンカンとして知られる、大人数の女性10分以上高度な振り付けを続けるスタイルは、1920年代アメリカで人気が出たスタイル逆輸入したものでそうである

実際、19世紀から20世紀初頭にかけては女性の脚部を見せるということでかなりスキャンダラスものとしてみられていた。また、陰部を覆う白い生理用(?)下着と黒いストッキング対照エロティックだとして見られていた。さらに、体を折り曲げてスカートを後ろからまくり上げ尻を見せる動作もあったという。先述のLa Goulueはこの芸で知られていたとのこと。また、前の席の客の帽子を蹴り飛ばすほど近づいて、スカートの中身を見せることもあった。もっとも、顔を思い切り蹴られる危険もあったのだが。

結論から言うと、当時のフランスに見せパンのものであったかどうかはわからないが、パンツが見えることは覚悟の上だった、ということになりそうだ。女性器が見えていたかどうかまでは根拠が怪しい。もっとも、今ほど表現自由でなかった当時のこと、そんなことを文学絵画で記録に残せたかどうかは怪しいものだ。ちなみに女性器を堂々と描いて当時の偽善的風潮に反発したクールベの「世界起源」が1868年ヌードスキャンダルを生んだ「草上の昼食」が1863年である

著名なキャバレーについて

パリはいくつも有名なキャバレーがあり、それは近現代芸術芸能に多大な影響を与えてきた。たとえば、ムーラン・ルージュ活躍した人物としてFrank SinatraやCharles Aznavourがいる。それらのすべてをここで述べるのは大変なので、地球の歩き方広告が載っていたと記憶しているものピックアップして簡単に述べる。子どもの頃、トップレス女性旅行ガイドに載っているのを見てドキドキしていたものだ。もっとも、その女性の姿はせいぜい五ミリくらいの大きさしかなかったのだけれども。

学生時代パリを訪れたときには、そこには寄らなかった。一日中美術館で過ごしてぐったりしていたし、まだ女性経験がなくて図々しくなれなかったからだ。今となってはいい思い出である

ムーラン・ルージュ

赤い風車で名高いキャバレーで、ここを舞台にした映画は数知れず。トゥールーズロートレック作品群でも有名。著名なダンサーも多く、全員を紹介するのはとても無理だし、別のキャバレーにも出演していて、キャバレー別に紹介するとややこしくなるので端折る。

ところで、ウィキペディアだけからヌードがどの程度ショーに盛り込まれていたかはわからないが、1893年舞踏会に裸の女性いたことがスキャンダルになったそうである。なんでもヌードモデルが活人画として周囲を歩き回り、裸の女性が深夜にテーブルに立っていたとのこと。一方、英国劇場のように活人画、すなわち生きた人間絵画再現する目的としてならヌード猥褻ではない、という意識もあったようである。例えば英国では劇場ヌードが現れたとき当局1930年代に裸の女性が動くことを禁じた。この禁令をかいくぐるために、モデルたちは活人画のように止まったままとなった(ストリップ記事を参照)。また、戦後日本でも「額縁ショー」と呼ばれるストリップのさきがけのようなものがあった。動かなければ猥褻ではないという謎理論がまかり通っていたのである。当時のGHQが何を意図していたのかはよくわからない。

これまたよくわからないのがゾラ1880年小説「ナナ」では、ヒロインがヴェリエテ劇場でほぼ全裸披露して観客を魅了するという場面があるのだが、実際のところどうだったのだろう? 本記事カンカンについてなので劇場ヌードについては語りつくせないので、今後の課題としておきたい。

1889年開業1915年に一度焼失するも再興し、ドイツ占領時代にも営業を続けて今に至る。

フォリー・ベルジェール

モネ絵画「フォリー・ベルジェールのバー」舞台としても知られる。また、黒人系の女性Josephine Baker活躍したキャバレーとしても知られる。バナナ型のスカート以外はほとんど身に着けていないエキゾチックな姿がオリエンタリズム流行した当時ヒットしたのだが、後にその恰好人種差別的だとされるようになり、そこからネグリチュード黒人意識の発展にも寄与した。また、彼女黒人人権活動家としても知られている。最近グーグル彼女の生涯を記念するドゥードゥルトップにした。

1869年開業1872年に今の名前になる。けばけばしい衣装で知られ、時としてヌード披露されることで知られる。

リド

映画「ファイアbyルブタン」で有名。セミヌードを含む映画公式予告がyoutubeに上がっている。身体をやわらかな特殊素材のように扱ったショーは性欲やエロスの向こう側に行ってしまっており、すごいものになっているとしか言えない。リンクを貼ったら怒られそうなので検索してください。もちろん、そこまで独特なものではなく、もっとわかりやすいショーもある。

ユニークなのはそのショーの一部をyoutubeの公式チャンネルで公開していることだろう。かなり古い白黒のものである。それと、公式ホームページ見ていたら驚いたのだけれども、リド自体には12歳以下の子どもでも入場できるそうであるヌードトップレスがないショーならOKなのか、それとも芸術ヌードならOKなのか。フランス映画年齢制限がないやつでも割と普通におっぱい出てくるし、表現規制の国ごとの温度差を示す実例であるのかもしれない。

1946年開業1920年代の人工的な砂浜をその前身とする。

クレイジーホース

ストリップティーズ」の項目によれば1960年代全裸のショーが行われた、とある

現に、創業者であるアランベルナルダン芸術性を伴った女性ヌードショーを見せるという着想に至ったそうで、要するに最初から全裸である

とはいえ、ただの全裸ではなく、巧みな照明技術により女性の裸体をキャンバスのようにとらえ、万華鏡のようなカラフルかつシャープな模様をダンサーの肌に映し出していることに特徴がある。ただ脱いだだけではないそうだ。1951年開業

余談

天国と地獄の曲を初めて聞いたのは文明堂CMと、音楽ファンタジーゆめでだ。後者CG黎明期であったせいかサイケデリック表現が多く、当時の感覚としても幾分薄気味悪いと同時に、今から振り返ってみると技術の未熟さ(失礼!)から来るアルカイック芸術のような独特の魅力があったように思われる。

ところで、この曲は地獄オルフェとしても知られている。タイトルからすると、ギリシア神話オルフェウスが死んだ妻を冥界から取り戻そうするとする話のはずだ。なのに、なんでこんな軽快な曲なのだろうと思って調べたら、ギリシア神話パロディ的なオペレッタからだそうだ。なるほど。

まとめ

今後の展望

こうしたレオタード姿のラインダンスカンカンではないと述べたが、それではこれはいからあるのか調べたい。おそらく日本国内では宝塚歌劇団関係している。また、バーレスク的なものとの関連について知りたく思う。そもそもバーレスクとは何か、僕はよくわかっていない。日本語版ウィキペディアバーレスクの記事には、乳首と陰部に前貼りを貼っただけの姿でパフォーマンスをする女性写真がある。リンクは張らないが、鍛えられたきれいな体だなあ、僕も筋トレ頑張らなきゃなあ、とは思う。しかし、欲望はそこまで感じなかった。隙がないのである

また、劇場において全裸が許容されたのはいからか、それも調べねばならない。

だが、まずはラインダンス調査に移りたく思う。

2020-08-10

ポストカード世界だと現代アートが重宝する

ポストカード文通をやるに当たってポストカードを集めてるんだけど

欲しくなるのは現役のイラストレーター画家が描いてる絵のものスカイツリー花畑写真

ゴッホとかモネとかルノアールとかああい美術館で売ってそうなド定番ポストカードはいらないって思う

現代アーティストが昔の絵画パロディをしているもの面白くなってつい買っちゃう

昔の文学作品おとぎ話を題材にして絵を描いたものとか面白から買っちゃう

富士山とかフクロウとか縁起物はいつの時代もいいなぁって思うんだけれど古くさい感じのものは嫌だな

2020-07-30

[]

25日目

302回

今日は西美へ

待機列で並んでいる際に一斉に地震速報が鳴りだしてびっくりしました

いつものように企画展常設展を回ったのですが、企画展の内容的に常設展を2周したような感じで少し面白かったです

最近の西美はオタクタペストリー的なもの説明文をプリントして天井から吊り下げるのが流行りなのでしょうか

企画展常設展双方でオタクタペストリー的な説明文がありました

企画展で気になったものとしては、明らかにペルセウスアンドロメダの構図なのに登場人物全然知らない人たちな「アンジェリカを救うルッジェーロ」、もさいけどなんかかっこいい「アンティオキアの聖マルガリータ」などがありました

前者は、調べてみると「狂えるオルランド」の中の一場面だそうで、アンジェリカ中国お姫様、ルッジェーロはイスラム戦士らしいです

とてもそうは見えんな

狂えるオルランドと言えばドン・キホーテで散々バカにされているタイプ小説という程度の認識しかありませんでしたが、この絵を見ると当時の人気ぶりが伺えます

オルランドローランのイタリア語読みで、狂えるオルランド自体ローランの歌の前日譚らしいです

常設展を回るのも久々のことでしたが、新規収蔵品の中で、ドミニコ会象徴でもある白黒の衣装をまとった「聖ドミニクス」がイケメンですてきでした

そういえば「聖母子と三聖人」の聖人のうち二人の衣装も白黒でしたが、あれもドミニコ会となにか関わりがあるのでしょうか

新館では戦争中の疎開で大きく損壊したモネのクソデカ睡蓮が展示されていました

西美の成り立ちと背負った歴史象徴しているようで、しばらく見入ってしまいました

ところで、あの新館特有異臭ってなんとなく癖になりませんか

画素描展示室では最近まとまったコレクションの寄贈を受けたという写本の展示が行われていました

よく考えたら本物の中世写本を目にするのは初めてかもしれません

羊皮紙でも木簡と同じように誤りを訂正するのには小刀で表面を削ったそうで、ヨーロッパでも刀筆の吏という言葉通用しそうだなと思ったりしました

写本を書いた人々は役人ではありませんが

そういえば常設展ハンマースホイさんがいませんでしたが、まだハマスホイ展で出張中なのでしょうか

本日の日記増田お嬢鯖部リスペクトでお送りいたしました、それでは皆様ごきげんよう

2020-05-15

anond:20200515012951

生魚食べない国から来てただろ、オムレツたべてサルモネれって呪いのほうが効くぞ

2020-02-07

モネマネ区別がつかない

モネマネの絵を覚えて区別はできる

筆致で区別できない

2019-11-20

モネさんの真面目すぎるつきあい

めっっっっちゃ乳袋

2019-11-11

表紙をモネ風景画にしたエロ本を出すべき

中身はこれまで通りエロ漫画家が書いて

表紙だけ高尚そうな芸術家っぽい絵師に書いてもらう

これで女性から女性店員からも店が美しくなったと評価されるだろう

外人から日本って芸術への関心が高い国なのねと評価されて世界最高民族称号が得られる

anond:20191111101958

2019-11-09

例のアキバポスターを変えてみる

  • 2次元女の子を0と1の羅列にする→眼を細めて見れば...なんとか...ん〜?

以上、見える形によって、受ける印象は変わってきますね。

え〜しー

2019-10-12

アートに関するよくある勘違い

表現不自由騒動きっかけなのか、最近アート」に関する勘違いを頻繁に耳にする。

とりあえずポリティカルなことや特定展覧会人物の動向は抜きに、アートに対して人々が抱いている勘違い淡々と正してみる。

文章が読めない人向けに繰り返すが、別に表現不自由展」など特定展覧会作品の是非について語っているわけではなく、人々が抱く「アート芸術」に対する先入観について語っている。


自費でやれ?

基本的に、人間芸術で食っていけないという前提がある。

前史時代から現代に至るまで、金銭作品発表場所など、なんらかの「補助」なしで歴史に刻まれ芸術作品芸術はいない。

「補助」は大まかに分ければパトロン系、政府系に大別されると思う。

パトロン

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチ…今も知られる芸術家のほとんどは貴族王族庇護のもとにあった。特に有名なのはメディチ家。かなりの数の美術作品メディチ家庇護のもと、もしくは依頼で作られている。

モーツァルトのようにフリー音楽家に転身した例もあるにはあるが、彼ですら転身後、晩年は困窮していた。それどころか、主な収入源はやはり貴族などに委嘱されて作った楽曲によるものだそうだ。

現代だと、欧米では自らの作品を売り込んでファンドを得る、ほとんどビジネスマンみたいなアーティストが多い。ビシッとしたスーツに身を包み、自らの作品に新たな価値付けをして売り込む姿は、ベンチャー起業家のそれと変わらない。

政府

こちらは王政封建制より後の政治体制下の芸術に対する補助。大まかに分けると、プロパガンダ芸術と、政治思想のない(あるいは薄い)経済的補助がある。

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政治思想とは一定距離を置いた経済的補助で、一番大規模かつ有名なのはアメリカが1930〜40年代に行った「連邦美術計画」だ。ニューディール政策の一環として、政府が数千人から1万人単位アーティストを雇い、パブリックアート制作などをさせるというぶっ飛んだ規模の政策である

因みに「連邦美術計画」の効果は凄まじいもので、その後巨匠と呼ばれることになるようなアーティストを多数輩出し(ポロックベン・シャーンなど)、抽象表現主義などのアメリカ発の芸術運動バンバン興った。

それまでヨーロッパ中心だったアートシーンは、この時代前後を境にアメリカに移ることになった。さらに因むと、未だにアートシーンの中心はアメリカである。その市場規模は、世界アート市場の5割弱を占め、日本円にするとおよそ3~4兆円。しかも年々拡大し続けている(参考までに、日本美術市場は2,000億円強 / 中国は1.5兆円弱)。

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一方、プロパガンダ芸術で有名なのはソ連ナチスなど。政府意向政治思想に沿った作品を、政府が補助して制作させるというもの。作られた作品政府思想を広める宣伝ツールとして使われることが多い。

上述した政治思想とは一定距離を置いた経済的補助とは違い、題材やテーマなどは厳密に決められており、メディチ家などのパトロンの元での芸術活動に少し近いかもしれない。

ただ、これらの政府体制下で作られたプロパガンダ芸術は、今のところ芸術としてはあまり評価はされていない。

あくま個人的見解だが、プロパガンダ芸術はその性質大衆向けにならざるを得なく、どうしても前時代的なものになってしまうのが要因かと思われる。 ※ グラフィックデザインなど、一部評価されている分野もある。

なお、これらの国では、現代アート前衛芸術は「退廃芸術」として弾圧対象となっていたことも言及しておく。弾圧されたアーティストアメリカ渡り祖国に残ったアーティストを横目に名声を得たという例はかなり多い。


政治色をもつ作品芸術ではない ?

上述のようにプロパガンダ芸術にあまり価値が見出されていない現状を考えると、一見正しい意見に思える。

だが「20世紀代表する作品の一つ」とまで言われる、ピカソの「ゲルニカ」をはじめ、政治的なアティテュードを有する芸術作品は意外と多い。

現代であれば例えばバンクシーは思いっき政治的な作品で知られるが、今やアートシーンにはなくてはならない存在だ。

文学音楽映画だって政治的な意味合いが強い作品はたくさんある。

政治色をもつ作品アートじゃない」という言説は、「ジョン・レノンの"イマジン"は政治的なメッセージがあるから音楽じゃない」と言ってるのに等しいのだ。


大衆に受け入れられないもの芸術ではない?

しろ現在享受されている芸術作品で、大衆向けに作られたものはあまり多くはない。

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチなどに代表されるような近代以前の巨匠たちは、先述の通り貴族王族むけに作品を作っていた。そもそも一般大衆向けの芸術ではない。

時代大衆向け芸術だと、例えば音楽では吟遊詩人酒場で歌うリュート曲とかがあるが、現代でも聞かれているかといえばNOである。もちろん、歌舞伎ケルト音楽など、現代まで残っている大衆芸術もあるにはあるが、近代以前の大衆芸術ほとんどは淘汰されている。

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現在大衆に受け入れられるアーティストでいえば、おばちゃんが大好きなモネは発表当時ヘタクソだの何だの批判されまくったし、今や知らない者はいないゴッホはご存知の通り作品が1枚も売れないまま精神を病んで死んだ。ストラヴィンスキージョン・ケージなどは、初演で暴動間際になったこだってある。

これらの例から、むしろ後世に残る作品は、同時代に生きた大衆感覚からはかけ離れていたことが分かる。でも、モネは今や企画展花形だし、ストラヴィンスキーバレエ曲の定番だし、ゴッホの絵を見ては「俺の方がうまい」とか宣うおっさん美術館の風物詩だ。どの分野に関してもそうだが、専門性が高くなればなるほど、大衆感覚はあてにならなくなる。自分感覚と相容れない現代美術作品を「こんなの芸術じゃない」と一蹴することは自由だが、それらの作品は100年後にはもしかしたら現代におけるモネのように広く受け入れられているかもしれないのだ。

かつて相対性理論が発表当時「完全に理解できるのは世界で数人しかいない」と言われていたのに、(専攻科にもよるが)現在では大学で習うのと似ている。これまでの価値観をひっくり返すような価値のあるものは、常人には理解できず、時間をかけて少しずつ受け入れられていくものなのだ

グリーンバーグ論文

この問題については、未だ現代美術に大きな影響を与えているグリーンバーグという美術評論家のおっさんが書いた「アヴァンギャルドキッチュ」っていう論文が分かりやすい。

この論文は、日本語訳もされているし、原文はインターネットでも読めるが、大衆感覚芸術作品価値乖離について論じている。要するに、「大衆迎合し消費される美術」と「前衛的な美術」ならば、後者の方が価値があるっていう内容だ。

80年前の論文なのだが、芸術分野では未だに影響力が大きい教科書の一つ。とても短く、すぐ読み終わるので、興味があればぜひ読んでみてほしい。


不快作品公序良俗に反する作品芸術ではない?

作品の題材として「裸の女性」というのは時代を問わずポピュラーだが、19世紀までは神話聖書出来事以外で裸体を描くことは不道徳とされた。端的にいえば、不快であり、公序良俗に反するとされた。

実際、マネによって描かれた「草上の昼食」や、裸体の売春婦を描いたとされる「オランピア」は発表当時大問題になった。「現実女性の裸を描くなんて、淫猥である不道徳まりない!下品メスゴリラを描きやがって!こんなのはアートではない!」というわけだ。

しかし、どちらの作品も今やマネ代表作。オルセー美術館に収蔵されていて、後の時代芸術からオマージュ対象とされるような絵画として扱われている。

一例を取り上げただけだが、時代を問わず同じような現象枚挙に遑がない。


写真みたいに写実的に描けている作品は素晴らしい?

簡単にいえば、写真実用化された時に「じゃあ写真でいいじゃん」ってなった。「写真絵画は違う」という考えに立脚し、ある時点でそれぞれ全く別の路線を歩むことにしたのだ。

で、モネみたいに空気感を描く作家や、セザンヌピカソみたいに多視点的にものを捉えて一枚の絵に表現する作家が登場した。これらの手法写真では(簡単には)表現できない。要は「写真じゃなくて、絵画からこそできる表現」というものが重視されていくようになった。

そして「じゃあ絵画価値ってどこにあるの?本質って何?」って突き詰めていった結果、「絵の具じゃね?」という話になり登場したのがポロックなどの抽象表現主義。「コンセプトじゃね?」という話になり登場したのがコンセプチュアル・アート特に後者現代美術への影響は色濃い。

もちろん、写真のようにリアル作品価値がないわけじゃなく、スーパーリアリズムのような動きもあった。ただ、20世紀以降のほとんどの芸術家は、「写真みたいにリアルであるかどうかとは別の土俵表現をしていることは知っておいてほしい。アーティストにとって「写真みたいリアルですごい」というのは必ずしも褒め言葉ではないのだ。


終わり

分かりやすさを第一に書いたので、表現が正確ではないところもあるし、時代的に前後したり乖離していたりもするが、だいたいこんな感じ。

文章中でも少し触れたが、アメリカ中国欧州比較すると日本美術市場はかなりちっぽけだ。国内アートがよりよく理解され、シーンが活性化することは、大きなマネーが動く「市場」を生み出すことにも繋がる。先述の「連邦美術計画」などは、政府美術に注ぎ込んだ「補助」に対して、「年間3兆円強のマネーが動く市場」という計り知れないくらい大きい対価をもたらした。アートにはそんな力があるし、前衛を受け入れる懐を自ら作り出したからこそ、現在アメリカ立ち位置がある。兆規模の市場から得られる税収は、控えめに言ってもバカにできないはずだ。

アートの受容と活性化は、普段アートに触れない人にも価値がある。少しでもみんなのアートに対する誤解が解けることを願ってやまない。

2019-09-30

傑作「REDLINE」を知らないなんてという嘆きだが、タイトルを間違えていて皮肉じみた雰囲気に。

この後の追伸リプライでも終始同じ間違いをおかしているので段々不安になってきた。

2019-08-02

anond:20190802144715

横だが「私」って一人称つかうとかならずこういうゴミがわく、うんざりだ、スキな一人称つかわせろよ、ってキレてる自称男性増田を以前みたけどその手のゴミまだいた(っていうか供給が続いてる)んだろうなあ

「私男性増田」もたいてい男性目線恋愛ネタとかエモネタばっかり書いてるからどっちもどっちだと思うけど

2019-07-27

anond:20190727040408

情熱努力で才能をひっくりかえせるとする

さらに才能に情熱が加わってついつい努力までしてしまうようだったらトップ取れてるのが惜しいと思うわけだな

でも10代で身の回り情熱とであえるやつは

たいてい親がオリンピック選手だったり音楽家だったりで

すでに自分遺伝子の使い方を見つけてやすい状況にいたんだろ

それでもごく普通の生育歴で30代~60代でも急に情熱にであうやつはおるぞ

シュリーマンとかモネとか大器晩成はいるいる

それまで生きてみろ

将棋オリンピックばっかりじゃない

2019-02-22

anond:20190222180728

A(絵とタイトルと作者が認知されてそう)

ダ・ヴィンチモナリザ

ダ・ヴィンチ最後の晩餐

ムンク「叫び」

ピカソゲルニカ

B(絵とタイトルもしくは絵と作者のどっちかは認知されてそう)

ミケランジェロアダムの創造」「最後の審判

ラファエロアテネの学堂

ボッティチェリビーナスの誕生

フェルメール真珠の耳飾りの少女

ピカソ「泣く女」

ダリ記憶固執

ゴッホ「星月夜」

ゴッホ自画像」(ただし自画像同士の区別はつかない)

ゴッホひまわり」(ただしひまわり同士の区別はつかない)

ミレー「落ち穂拾い」

クリムト接吻

ミュシャ黄道十二宮

葛飾北斎神奈川沖浪裏」「凱風快晴」(タイトルは「富嶽三十六景」として認知

歌川広重東海道五十三次」(ただしそれぞれの区別はつかない)

菱川師宣見返り美人

東洲斎写楽三世大谷鬼次の奴江戸兵衛」

C(絵は認知されてそう)

レンブラント夜警

ヴェラスケス「ラス・メニーナス

ドラクロワ民衆を導く自由の女神

ルノワールムーラン・ド・ラ・ギャレット

モネ日傘の女」

モネ「印象・日の出

マネオランピア

マネ「草上の昼食」

ドガ「踊りの花形

フラゴナール「ぶらんこ」

ゴヤ「裸のマハ」

ゴヤ「我が子を食らうサトゥルヌス」

エヴァレット・ミレーオフィーリア」

2019-02-19

anond:20190219162125

「一連の摘発採掘されていた仮想通貨は「MONERO(モネロ)

」「JSEcoin(ジェイエスイーコイン)」など4種類。」と報じられているように、

JSEcoinが対象となったことが公表されている。JSEcoinを設置していて検挙された人(

以下、Bさん)によると、Bさんが設置した当時、JSEcoinは自動的に明示されるようにな っていたそうな。しかも、JSEcoin側の改善によって後にオプトイン方式自動的に切り

替わっていたそうな。それでも検挙されたというのである

今までの流れで「採掘すると表示してたから(オプトアウト)OK」では無かったことは確実な訳だが…

髙木先生とか無駄にそこ拘ってるけど、今のcoinhiveなりのマイニングスクリプトに「ブラウザ閉じれば消えるからOK」って選択肢最初から無いんだぞ。

2018-12-24

新しい観光地

近年、マスメデイアやネット口コミなどで話題になり、それ目当てで観光客が訪れるようになった観光地

博物館美術館テーマパークなどの施設廃墟アニメドラマロケ地となった所謂聖地」は除く

タウシュベツ川橋梁

青い池

天に続く道

モネの池

農溝の滝/亀岩の洞窟

他になんかある?

2018-10-24

anond:20181024230220

何で石像はいいんだろう

モネ思春期も裸なのに堂々と置かれてる

何で生身だけいけないの

2018-09-12

anond:20180912234416

例えば、印象派代表であるマネモネですら、その絵画表現価値理解されるまでには長い年月が必要だったようだ。

当時の自称知識人からコテンパンに叩かれたらしいが、もし21世紀の今彼らの絵が発表されたなら「性的消費」「文化簒奪」と批判されると思う。

2018-09-05

産経も、少しは差別について学んだほうがいい

そしたらこんなコラム掲載して恥をかかなくて済む。

「「Kimonoは『人種差別主義』『帝国主義』」芸術イベント理不尽日本批判 https://www.sankei.com/west/news/180905/wst1809050009-n1.html

読めばすぐ分かることだが、ライターの方はボストン美術館に寄せられた批判に対しておっそろしく頓珍漢な反論を行っている。

事件は当時有名になったから、ご存じの方も多いと思うが、教科書なんかにも載ってるモネの「ラ・ジャポネーズ」の絵の前で着物を着せるイベント企画したら、アジア系の人からクレームがきた、というものだ。これは、当時大変盛んだった Cultural appropriation(文化の盗用/文化簒奪)やという視点に基づく批判典型である。つまり、「弱者であったアジア文化を、強者だった西欧人が真似して楽しむ、というのは、西欧アジアから簒奪してきた歴史への反省異文化に対する敬意を欠いた尊大な振る舞いである」という主張だ。日本でも、近年ようやく「ステレオタイプ異文化理解やその模倣が、異文化に対する敬意を欠いた失礼な振る舞いになる」ということにいくらコンセンサスが生まれつつあるが、自国内で異文化日常的にふれあう経験が少ないせいか、これを重要問題理解することがなかなか日本人には難しいようだ。

個人的に、この「文化の盗用」論に100%賛同するわけではない。特に、あまりにも過敏な反応は、逆に内なる差別性の表明、あるいは強者の驕りではないかと思う場合すらある。少なくとも、モネの絵の前でその真似をしたくらいで目をつり上げるほど怒る必要はないと思う。それは、「真似をする」行為リスペクト意味しもするという風に感じられるからだ。

しかしながら、「相手の真似をする」という行為は、一方で相手侮蔑したり揶揄したりするときにも行われることも考えておくべきだ。大人しく着物羽織ってる程度ならまだしも、そのまま椅子腰掛けたら? その程度なら問題ないだろうか。では、たとえば撮影した写真に滑稽なタイトルを付けてSNSにアップすることは? あるいは、その着物羽織ったままわざわざ眼鏡をかけ首からカメラをぶら下げる真似をしだしたら? どの時点からそれは「アウト」なのか。もちろん「リスペクトのない行為ダメです」とは言えるだろう。だが、残念ながら「内なるリスペクト」とやらを検証する方法はない。リスペクト言い訳にすれば何をしてもいいのか。あるいは、結局、みている日本人の「お気持ち」だけが判断規準になるのだろうか。そんな明文化できない規準を我々はいちいち振りかざすべきなのだろうか。

それよりも、単純に「少なくともそういうこと(文化の盗用と疑われること)は軽々しくやっちゃだめ。少なくともダメだと言われたらすぐやめましょう。」というあたりが、今のところ落としどころになっている。今のアメリカでの「文化の盗用論」というのは、おおむねそういう風に理解しておいたらよろしいと思う。

以上の話を踏まえれば、御年73歳のこのコラムライターの「分かっていなさ」「恥ずかしさ」がよく分かると思う。この方が引用した3人の批判者の主張はこのイベントが「アジア人に対する人種差別主義」であり、ステレオタイプが抱く「異国情緒」を楽しむ低俗イベントであり、そして「帝国主義」的であるというものだった。そして、ライターの方はこれを「日本批判」と捉えたらしいがとんでもない誤解で、明らかに事実はその反対なのである彼女らの主張は、「文化の盗用」と見えるイベント企画したボストン美術館姿勢自体に「アジア人に対する人種差別」があり、モネの絵のような「ステレオタイプ」なヨーロッパ東洋のとらえ方に基づく流行(=ジャポニズム)を今また模倣することは、かつての西欧帝国主義の無邪気な肯定にすらなっている、ということである。そこには、日本に対する一欠片の批判意図もなく、彼女らはむしろ西欧帝国主義おもちゃにされている(と彼女らが信じる)アジア日本文化尊厳」を守るべく、ボストン美術館に対して声を上げているわけだ。(かれらが掲げるプラカードも、体験する来館者に対して「あなた着物をきてキュートで異国的に見えたとしても、それは差別じゃないの。美術館イベントでなければね!(It's not racist if you look cute・exotic in it. Besides MFA support this!)」という、美術館批判趣旨言葉である。)

ネットに残る写真に写る方々が中国系アメリカ人なのか、日系なのかは知らないが、彼女らの出自などというつまらないことで邪推し、彼女らが「日本批判しているに違いない」と思い込んでヒートアップして美術館手紙まで送ったこライターの方の行為は、相当差別的で恥ずかしい。

しかしながらもっと恥ずかしいのは、「文化の盗用」のような、現代の「差別」をめぐるごく基本的ワード議論を全く知ることなく、このような稚拙な内容のコラムをそのまま掲載してしまった産経記者のあきれるような無知である。こういうところで「所詮は二流新聞」とあなどられることになる。それがイヤなら、産経好き嫌いをせず、あおり記事ばかり書かせる練習をするのでなく、記者もっときちんと勉強をさせるべきだと思う。できればライターや読者にも。

なお、参考までに、事件当時も似たような方々が大量に湧いていたらしい。こういうのなんて言うんだろう。セルフ釣り?(参考:https://togetter.com/li/845708

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