はてなキーワード: 社会とは
無くなりつつはあるけど。
ニュータウン、タワマン、団地など本当に終わってるコミュニティが増えてはいるけど
一部のお金持ち、上流階級はまだまだそういう意識を持っているし
自分は高校時代、都外に下宿したし大学で海外留学させてもらえたから
本当にそのあたりを教育した方がいい
仕事のない底辺労働者が集まってさ、国がクジで仕事出来るか決めて、ハズレた人は文句言いながらトボトボ帰るんよ
犯罪やらないから舐められて、いつまでも仕事すらくじ引きにハズレてできない
弱者が社会にコストかけさせて迷惑になるような事するのは、車椅子問題見ても認められてるんだからさ
どんどん迷惑かけていいけよ
そうしないと社会派動かないぞ
お察しの通りうちはそこそこの放任主義ではあった。
金だけはあったから、読みたい本は何でも読めたし
やりたいことを何でもやらせてもらえたけど。
ただ平成前期の頃でまだ社会が、子どもを教育する意志を持っていたことが大きかった。
手帳持ち寸前の超ド級のADHDだが、学校でも、習い事でも、親戚にも鉄拳制裁で教育してもらえた。
イチ社会人として人様に迷惑を掛けることなく生活出来ているのは、どう考えてもそのおかげ。
物心ついたころにはお前は障がい者だ、やれ薬を飲め、やれ特別学級に行けって。
本人たちの努力は?少し頑張ればきちんと世間様とコミュニケーションを取れるようになれるのに。
"まともなコミュニティ"ってのは関わることがない人間からしたら
評する評さない以前に、死ぬまで存在を認知する権利のないコミュニティなんだよね。
そもそも、今回のように世に出回らない。
うーん…いちいち個別具体的な事例を教えているとでも…?
今の社会は放置する方向なのよ。知的障がい者として。触らぬ神に祟りなし。
その時々の社会なわけ。
今回で言えば、50皿食べることが許されないのなら
それを明記しておくのが筋、と言っている基地外どもがおかしいことは
昔はそういう人間はぶん殴られて「お前はズレてるぞ」と教えてもらえた。
今は、教えてあげたのに恩を仇で返すモンスターだらけになって
そもそも、知的障がい者に知的障がい者を育てられるわけがない。
それすら許されない社会になった。
で、いっちょ前のツラして俺にも生きる権利がある、と。
単に放置していると面倒だから、誰彼構わず手帳を授けてシャブ漬けにして
ひまわり学級のアパルトヘイトで解決しようという世の中になったわけ。
そもそも世の流れについていけなくなるし、その速度はさらに速くなっているし
最近のしらけ世代以下の老害どもは新しいことを取り入れようともしないわけ。
だからそんな、親だけで教育ができると思い込んでいる傲慢な人間に
親は無くとも子は育つ、そういうことを理解して欲しい。
それをまともと評するか、おせっかいじゃないと評するかは、そこに住んでいる人じゃあないので
元増田の話に関しては親が教えてくれていないと困る話だし、実際教えている
常々言ってるけど、表自、実在ロリで商売する権利、世界に向かって股を開く権利、
いまだって、ある程度の階級なら丁稚奉公させるだろ。都会・地方限らず。
そこそこの上場企業ならいくらでもボンボンの息子・娘入っとるの知らんのか。
きちんとした会社なら、そいつらをまともな人間になるよう厳しく育て上げてから、家業に戻らせたりしているわけだろ。
別に金持ちじゃなくたっていいが、コネで仕事紹介したりなんていくらでもある。
ある程度の歴史あるまともな住宅街なら地域の交流コミュニティあるけど。
あと干渉に対する考え方自体が、典型的郊外のニュータウン思想って感じ。
そういう人間が子育てをすれば醜く歪んでいくのもさもありなん。
そもそも親の一人か二人だけで、社会性を教えられるわけないだろ。
社会の本質が自分とは異質な人間とのコミュニケーションであって
もちろん、その環境を変えたり整えたりする役目は親にもあるさ。
発達障害で男性社会に馴染めず男性ロールできない→アスペ特有のゼロイチ思考に基づき「自分は女だ」と思いこみ性別移行→女社会でセクハラして村八分ってパターン、各所で見かけるね
インフレが進むと、確かに貯金の価値は減少し、借金の返済は比較的容易になります。しかし、これが必ずしも「貧民」が喜ぶ結果をもたらすわけではありません。
まず、貯金の価値が減少することは、貯蓄を持つすべての人々に影響を及ぼします。これには、中間層や富裕層も含まれます。また、借金が返しやすくなるという事実は、借金を抱えている人々にとっては有利かもしれませんが、これには必ずしも貧困層だけが該当するわけではありません。
さらに、インフレは物価の上昇を意味します。これは、日々の生活費が増加することを意味し、特に低所得者層にとっては大きな負担となります。したがって、インフレが進むと、生活費の増加により、貧困層はさらに困難な状況に直面する可能性があります。
したがって、インフレが「貧民」が喜ぶものであるとは一概には言えません。経済状況は個々の状況や社会全体の状況により、異なる影響を及ぼします。それぞれの状況を考慮に入れることが重要です。
そういう、人が安く使い捨てられない社会にご不満な経営者や老人連中からの要望に沿って植田日銀がまたデフレ路線を目指しだしたからヘーキヘーキ。いくら生産年齢人口が減ろうが、景気を冷やせば人余りの世界は作れるさ。
そんな時代は存在しない(どんだけ時代を遡るつもりなんだ?縄文くらい?)
育てられなかったら、死なす・おじろく・おばさにする・売るだけで、奉公なんて制度があったのも100年前の話じゃあないぞ
責任ではなく、他人が他人におせっかいする地域コミュニティって意味なら、まだ生きてる地域もあるし、
見倣うべきところは多いと思うけど、好き勝手やってきた都会の貴族もやしに果たして・・・だと思うぞ
人間関係でいいところ取りだけは出来ない
んなわけない。
その文脈、歴史的経緯、それらを学ぶことを放棄した怠惰な人間に
社会の歯車にすらなれない人間に、常識とやらを語る権利はない。
社会の片隅で生きながらえさせてもらっている。
そんなやつは、数十年前には叩き出されてたわけ。
まともな人間の振りをして我が物顔で街をうろつくな、って話。
常識や暗黙の了解や空気みたいな尺度を棍棒にして人を叩くなと言う。
しかしねえ。
少なくとも、無限に注文できるわけじゃないってことは阿呆にだってわかるはずなんです。倉庫の容積も牛の絶対数も有限なんだから。
ってか、goldheadさんご自分でも言うとるやないですか。
たしかに「50人前」は過度に見える。
おっしゃるとおり、50人前は過度なんですわ。無限には注文できない、50人前は過度。これが暗黙の了解でなくて何でしょう。
だいたい、食べ放題に相撲取りやプロレスラー、腹をすかせた体育会系の男子高校生が押しかけてくることだって、普通に予見できることだろう。
店だって当然それは予見しているでしょうし、10人の団体が50人前を頼んだんなら1人あたり5人前であって、その程度なら許容範囲かもしれません。しかし、ひとりひとりが50人前ずつ計500人前を注文したら多少人間のできた店長さんでもキレていいと思います。
(ってか、相撲取りやプロレスラーの団体は部屋や団体の看板をしょった社会人なので、あえて店と軋轢を生むような注文はしません。お互いハッピーに食べられる店を選ぶでしょう。高校生は知りませんけど。)
それはともかくとして、goldheadさんのご認識でも、1人前から50人前の間のどこかにボーダーがあることは確かですよね? 50人前でとうとう店がキレたってことは30とか40あたりでしょう。それはボンヤリにじんだ線かもしれないし、線を引けと言われて初めて検討される線かもしれない。でも、ボーダーが「存在すること」は誰にとっても明白です。どこにあるかはともかく、存在することだけは確かなんです。
しかるに、「上限数を断っていない以上、好きなだけ頼んでもいいはずだ」と居直るのは、ボーダーがあることを知っていながら、あえてそのボーダーがないものとして振る舞っていますよね。これ、正しい態度だと思いますか?
特に断りがなくても、ボーダーが存在することが自明である以上はどこかで自発的にブレーキをかけなきゃいけないことも事実です。
普通の人はブレーキをかける必要なんかありません。ボーダーがあることを理解していようがいまいが、店が設定したボーダーに達する前に満腹になるからです。というか、食べ放題のメニューはそうなるように組み立てられています。少食の人、大食いの人、あれこれバランスよく食べる人、偏った注文をする人、さまざまな客がいますが、平均をとれば確実に儲けが出るようなボーダーを設定しています。
自発的にブレーキをかけなきゃいけないのは、ボーダーを大幅に踏み越える能力を持ち、かつその自覚がある人だけです。数はごくごく少ないです。
くだんの人物はブレーキが遅かったのではありません。ブレーキを踏まなかったことを責められています。40とか50という数字に意味はありません。この人のようにボーダーがあることを知りながら故意にボーダーを踏み越えるような注文したりgoldheadさんのように「上限が明記されていない」と居直ったりするようなめんどくさい客は(ブコメにもたくさんいるように見えますが)実際にはほんの一握りであって、普通はそんな例外的なやつらのためにいちいちメニューに但し書きなんかしたくありません。それこそが風通しのいい社会です。
暗黙の了解があるというなら見せてみろ
見えないから暗黙なのですが、これはまあ、先生が出席をとるときに「欠席のやつは手を挙げろ」というような矛盾ギャグなのでしょう。でもあえて明文化するならば
ふつうの人は焼き肉食べ放題で上限を気にする必要はない。満腹するまで食べてよい。だが規格外の大食漢は自発的に手加減しろ
になると思います。
当たり前すぎませんか?
こんなこと、いちいち書かないとわかりませんか?
(1)車椅子席を用意しました→もっとスクリーンに近い席を用意しろ!
(2)じゃあ特別料金のプレミアムシートを劇場に要求すればいいのでは→車椅子ユーザに追加課金は不平等だろ!
(3)ではでは劇場に事前連絡して通常席に移動させてもらえば?→ふざけんな!障害者に事前連絡とか余計な手間取らせるな!
(4)当日いきなり来られてバイトで車椅子を運べとか言われても困るんですが・・・→運営の都合とか知るか!バリアフリー社会のために企業努力しろ!
落ちこぼれたやつを最低限のセーフティネットで救い上げる方式にしろよ
このままだと大多数のまともな人間は使いつぶされる。
なぜ障碍者どもに王侯貴族かのように振る舞うことを許してるのか
今のやつらは甘やかされ過ぎて勘違いしている
ADHDだのASDだの、一昔前は人間扱いされていた人間が、人間扱いされないようになって
ああ、俺は障碍者だから社会の歯車として生きていかなくていいのだ、という免罪符を与えられる
俺もADHDの診断を受けたものの、薬物は使わずにTool Assistedで何とか社会人として生きている
あのまま、医者の言われるがままに手帳を取っていたらと思うとぞっとする。
日本は何でもかんでも付加価値にならないところにお金と労力を掛けすぎだ。
そりゃいいところもあるよ。余裕があるから細かい部分にフォーカス出来て独自の文化が作られている側面もあるだろう
だが、それが行き過ぎて大多数の優秀な人間、善良な人間が割りを食うようになったらおしまいだよ
昨年、障がいを抱えながらも定年まで勤め上げた叔父が亡くなった。
晩年、彼はずっとこういい続けた
こういう事例を見掛けるたびにそれを思い出す。
今までそれから疎外されていながらも、存在を許されていたはずの彼らが
社会の在りようを自分中心に定義するようになってしまえば、大多数の人間が苦しむようになる
これでは誰も救われないじゃないか。
多様性の時代、存在を許すこと自体はいいし、出来る範囲でさらなる快適さを求めるのはいい
だが、それはあくまで存在だけであって、社会の有限の余剰リソースを使ってそれが許されているに過ぎない
少数民族が大多数のリソースを使いつぶす社会は絶対にうまくいかない
それはまるで、グリーンベレーが少数民族に国を支配させたような植民地支配の形だ。
我々は、お互いに謙虚でなければならない。
現代の経営は「強制された自発性」を社員から引き出す工夫を加えました。典型は、ノルマや目標の設定の際、社員自身にも責任を負わせる仕組みです。面接で上司が「君はもっと能力があるよ」「もっとできるはずだ」とうまく励まして、社員が最初に申告した目標を、より高い水準に誘導する。その揚げ句、社員は「やります」「やらせてください」と言ってしまう。こうして「約束された」目標の目標の達成度は社員のランキングになり、昇給や賃金や賞与に大いに影響することになります。「従業員も合意した目標設定」や査定の「納得性」などが、民主的な風を装って労働者を追い詰めてきたと言えます。
個人査定がなく、職種が同じなら仲間と同じ賃金を受けとる欧米の普通の労働者は、何よりも自分たちの生活のニーズを大切にして、企業の要請からクールに身を遠ざけます。賃金額などに不満があれば、組合運動で抵抗する。日本の会社員とは対照的な、そんなノンエリートの開き直りみたいな生きざまも、参考までに考えてみていいでしょう。
能力主義の浸透した企業社会では、「ランキングはやむをえない」という感覚が身についてしまい、不満をのべると「それはあんたの自己責任」と言われてしまうかもしれません。でも実は働く人々も心の中では、人事考課によって奪われてきた、仕事のゆとりと一定の裁量権、そして仲間同士での助け合いの復権を求めているのではないでしょうか。そう気づくことから、「人事考課の緩和を!」という声を上げることのできる、仲間の連帯が芽生えるかもしれません。(聞き手・田中聡子)
車椅子が映画館スタッフに拒否られたどうたらとか、女性の待遇がどうとか、最近の炎上騒動を見てるとさ
それって今まで家に引きこもるしかなかった車いすユーザーが、女性の出世も望めなかった社会が変わってきて
だからこそさ、俺もお前も別にどっちかが圧倒的に強者でもなくなってきたんじゃねえのか
俺が圧倒的に強者で、お前が圧倒的に弱者だなんて絶対に言わせないからな
俺には俺の苦労があって、お前にはお前の苦労があるんだろうってことは分かるよ
でもさ、それは俺達がお前たちの苦労が本当に意味で分かるという意味じゃない理解を示すことは出来るってこと
だからさ、俺達はまず俺達はお互いに苦労してるんだと理解するために分かち合う必要があるんじゃねえのか
それをよ自分たちが圧倒的に弱者だって思ってる奴らがさ、自分たちより圧倒的に強者だと思い込んでる相手に
相手が自分に理解があるのが当たり前だともって相手に理解を示さずコミュニケーションを甘えているのが実態じゃねえのか