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2021-03-03

AI, VR, 仮想通貨, IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」

当時高校生だった私は3.11のその年に福島県大学(会津大学)に入学しました。あれから10年も経ってしまったので、私のごくプライベートなことについて書きます

あと、匿名性は低いです。匿名ダイアリーなのにごめんなさい。

3月11日

2011年3月11日に、私は茨城県博物館の中にいた。高校卒業式が終わって、車の免許を早々にとったらしい友人と二人、車で博物館にきていた。地震とき、私は吹き抜けの空間の中心にいて、長い振動の間、博物館全体のガラスは轟々と鳴り響いていて、「ああ、私は、今日が命日なのだなぁ」と人々の動揺の中、思った。

実際にはガラス耐震性能が高かったので、館内にはけがはいなかったようだった。

信号機の止まっている、徐々に昏れていく道を、車中でほとんど会話もなく急いで帰った。急いで帰ったけれど、通常の2倍以上もかかって家についた。

私は地震の直後、2ちゃんねるに張り付いていた。「福島原発やばいらしい」そんな書き込みを見て、いよいよ日本は終わったんだ、と私は思った。

私が高校生の頃、世界原発事故ドキュメンタリーが大好きだった。チェルノブイリスリーマイル島東海村。「原子力」という尋常ではないエネルギーが生身の社会に取り込まれて、人間の内側におとずれるということに私はなんとも言えないグロテスクさを感じて、親や友達気持ち悪がられながらも読んでいたのだった。

当時、特にJCOの臨界事故NHKドキュメンタリーは何度も読み返したものだった。事故が起きた時、「出奔した原子力」に対しての(政治的・肉体的・精神的)人間の無力さ、弱さのコントラストがあまりにもどぎつく、生々しく顕れていたからだった。

私は地震が起きて、一、二日後にはリビングこたつ占拠して、こたつのど真ん中にデスクトップPCを置いて、情報官気取りで気象シミュレーションをみたりしていた。そして、家族にも協力してもらい家中シャッターを閉めた。それくらい、当時私は怖かったのだと思う。

震災直後、福島県大学入学した

私は震災の年、福島県大学入学した。私の地元同級生にも福島県大学入学する予定だった子がいたが、辞退したらしかった。大学入学式は遅れて執り行われた。ガイガーカウンターを買った方がいいかな、とか、「あそこには近づかない方がいい」とまことしやかな噂を聞いては少し怖いな、という思いが常に頭にあった。

しかし、入学してみると、その話はなんとなくしてはいけない話に思えてきたのだった。それはその土地に長く住んでいて動くことができない人たちには、惨い話であるからである。私もいつの間にか、放射線の話はしてはいけない気がして、話題にするのをやめた。すると、怖いという感情もいつの間にか薄れていった。

しかし、時々、放射能汚染される夢を見ていた。これはつい福島県を離れる少し前まで見ていたのだった。

私の当時住んでいたアパートには窓の近くにベッドがあって、その窓の外には何年も取り込み忘れたバスマットが干してあった。私の覚えている夢では、実はそのバスマットは大気中のチリや雨に放射性物質たっぷりまれていて、そのバスマットの線量が高くて、実は私の身体が蝕まれていて……という夢であった。何年もそのバスマットを干しっぱなしにしてしまったのは、もしかしたら、そういうことに対する無意識的な恐れから触りたくなかったのかもしれない。

長年大学でくすぶっていた

私は、大学特にパッとした研究もできないでいるのに何年も何年も大学にいた。でもそれが良かったのかもしれない、と今では思う。福島県という土地に「土着」して、私なりの感覚放射能の感じ、特にその怖い感じの中に居たということが。

私はもともと怖い思想の持ち主だと思う。正しいと思ったら、それに突き進んでしまう。人の感情も、中学生くらいから読まないように生きてきてしまったため、無視する癖がついてしまっている。だから原子力という「科学技術コントロールから外れた状態」の中に当事者として生きた、というのは私が、私の歴史にとって重要ことなである。もちろん、日本にいたら誰だって当事者なのだが、私は福島県に住まわず当事者と思えるほど賢くない。

核兵器はまだ可愛いもので、核の平和利用こそ恐ろしい」= 「AI, VR, 仮想通貨, IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」

3.11から10年が経って、私は福島県から遠い場所に住んでいる。今は遠くから考えることしかできない。

最近原子力、ひいては(科学技術についての論考を読んでいる。1950年台、まだラジオな世の中で、近未来的なもの技術とか科学が大きな期待を背負っていて、すごくキラキラしていたであろう時代、人々は核の技術に対して、今でこそ信じがたいが「核兵器の利用は良くないが、核の平和的利用こそ人類幸福につながる」と本気で思っていたようなのだ。多分、今でいうところの、テレビCMIT系企業がたくさん広告を打っていて、IT企業に勤めていることが一種ステータス少女漫画に出てくる男性IT企業勤め!)になっていて、AIすごい!VRすごい!仮想通貨すごい!IoTすごい!みたいなイケイドンドンな感じだったのだろうと思う。そんな時代、「核兵器はまだ可愛いもので、核の平和利用こそ恐ろしい」と指摘した人、ハイデガーがいた。今でなら、「AI, VR, 仮想通貨,IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」と言うのと同じことなである。今でなら炎上やむなし発言なのであるしかし、このアナロジーを単なる面白おかしアナロジーとしてだけで捉えていいか。彼は世の中の潮流とは全く違う発想を省察によってしたからこそ、核の平和利用危険性をかなり早く認識できた。

科学は考えない」

ハイデガーは「技術」について『放下』の中で、(科学技術に対して「その価値を認めつつ、それに対して否、と言う」 ―ーこの本のタイトルにもなっている、「放下」という態度が大事なのではないか、と言っているらしい。(まだ『放下』は直接読めていないので、「らしい」でごめんなさい。)

そして、彼は思考について、「計算する思考」と「省察する思考」とに分けて考えており、彼は「科学は考えない("Wissenschaft denkt nicht")」、科学計算する思考であって省察ではない=「考えていない」、というしかたで核の平和利用について否、と言ってみせた。

科学は考えない」

これは、理系立場仕事している者にとっては「耳が痛い」ことなのではないかしかし、耳が痛いからこそ考える価値があるのではないか

彼の言っていることを私は理解できる気がするのだ。科学進歩的に進んでいく。その「ひたむきに進んでいく」ということが「科学は考えない」と彼が言う理由なのではないかと私は思う。何か、ある方向に、引っ張られるように「進んでいく」。立ち止まる者は厄介者として排除される(Publish or Perish)。ハイデガー技術批判するだけではない。もちろん価値を認めつつ否定するという態度を彼は実践している。私も技術がなくなったら困る。方向音痴の私はGPSが無くなったら、地図が無くなってしまったら、とても狭い世界を生きることになってしまう。だから難しい、ある意味矛盾の中を生きなければならない。

私について

私は、実は博士過程を休学した。プライベートも荒れてしまったし、閉塞感でいやだったし、どうしても、論文が書けなかったのだ。

私は小さい頃から哲学が好きだったらしい。「最近哲学系の本を読んでいるよ」と昔の友人たちにいうと、みんな「よく哲学的な話してたもんね」と言ってくる。

でも、私が文系に進学しなかった理由が、「確かなものが何もないと怖い」という恐れからであったし、国語がとても成績が悪いし、理系ってなんかかっこいいとか思ってたのもあって、ずっと理系研究室で研究していて、哲学とか諸々の教養ほとんどないのだ。

哲学最近やってる」と言うと大半の人に苦い顔をされる感じがする。「中二病が抜け切っていないな、こいつ」と言いたげなそんな感じ(笑)。おそらくそれは哲学に「生産を止める」作用があるからなのではないだろうか。無意味で、ある意味破壊的な作用が。

以前、こんなことがあった。課外活動で何人かで集まってスマホアプリを作ろう、となったときに、誰かが「xxさん(有識者らしい)から教えてもらった方法で、xxという仕方でブレーンストーミングすると良いらしい」と言った。私は「なんでその方法でなければならないの?」と、ある意味チームの士気を下げるようなことを言ってしまったのだ。こういう「そもそも論」(哲学)というのは「生産を止めてしまう」。イヤな感じに水を差す。だからまれる。

しかし「生産を止める」という行為が実は重要なのではないか。世の中的に、「生産的=いいこと」という認識がある。生産を止め続けないことがそれほどいいことなのだろうか。これこそが、ハイデガー批判するところの「考えない」態度ではないか。「より幸せに、より便利に」を目指すために科学技術を信じて、生産生産生産、とひたむきに努力してきた末の原発事故ではないか

昔の時代原子力は「兵器として利用されることはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられていた。

今の時代も同様に、情報技術生命科学が「非倫理的に利用されるのはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられている。「再生可能エネルギーでなら、持続可能社会が実現できる」とも信じられている。

もし、「なぜ地震大国原発つくったらヤバイという今ではあたりまえの認識を持てず、当時誰も水を差す人がいなかったのだろう?」と考える人がいるならば、なぜ、現代においてもその人が水を差す人にならないのかが不思議なのである。だから、私はあえてこうして水を差す、ということをしてみたい。

ということで、私の全然論文を書けていない「生産しなかった」大学時代も、この哲学的態度の実践とみなしてこの文章を締めくくることにする。

2021-02-06

森の叩かれぶりを見てるとアホらしいなあって

あの発言不快女性差別ポリコレマイナス200点で前時代的なヤクいブツであるのはもちろんわかるよ。

でもさあ、あえていうけど、そこまで悪いことか?

あんなのせいぜい国内女性団体適当に猛抗議されてお詫びと撤回して終わりの話だと思う。

 

あの発言が看過されたり正当化されたりする社会は嫌だけど、ここまで叩かれる世界も嫌だわ。 

だってさ、そもそも森はそこまで悪いことしたか?もしくは、森はそこまでの悪人か?

 

森は確かに時代的なジジイ(肉体を見れば誰にでもわかるが)だよ。ポリコレ的な失言は人より多い。

でもそれがイコール悪人だとか女性の敵だとかいうことにはならないでしょ。

 

神の国発言だって別に悪でもなんでもないと思うんだけどね。

神道団体に招待された講演での発言だよ。ただのくすぐり、ヨイショじゃん。

あれを「憲政認識問題」だの「天皇国家元首だと思ってる」だのとして捉えるのは

それこそ悪意のある国家安康でしかない。死ぬほどくだらない因縁付けだったよ。

 

つーかそもそも森は話が面白いんだよね。

叩いてる人達だってかにあって話したらすぐファンなっちゃうと思う。

あれぐらいの政治家は多かれ少なかれ話がうまいんだけど、森は特にそうなの。

から交渉とか取りまとめとか任されるんだからね。

気配りはいいし人を喜ばせるのが大好きだしリップサービスバンバンする。

  

たとえばもし佐賀県に講演に招かれれば「佐賀が実は日本の中心で、佐賀から日本が元気になるんです」くらいのことは言う。 

たとえば女性団体に招かれれば本当にニコニコとした心から笑顔で「これから日本女性の力にすがらなければ立ち行きません!」くらいに女性を持ち上げてエールを送るの。

こういうことにいちいち「こいつは佐賀首都だと思ってるぞ」とか「こいつは男を下に見てるぞ」とか

そういう反応するの不毛無意味でしょ? 

  

今回の発言だって種類としてはそういう軽口であって、

森的にはむしろその場にいる女性のことを持ち上げようとした発言だったわけ。

その持ち上げかたがアレだったので大惨事というか

ベースの前時代性がモロに出てしまった(83だぜ?)し、かなりバグってるけどね。

でもあの紙みたいに白くてかさっとした顔を見なよ。棺桶秒読みなんだからそりゃ少なからバグるよ。

(でもあそこにいるっていうのはそれだけの政治的手腕がまだあるってことだけどな) 

 

あの発言がそれ単体で適切か不適切かと言えば多いに不適切であることはもちろんだ。

でもあんなのはバグったおじいちゃん即興ユーモアが派手に滑っちゃったというだけの話だよ。 

おじいちゃんが詫びと撤回を表明する必要があるのはその通りだ。

でもそれ以上のおおごとにすることか?

 

一番呆れたのがなんか各国大使館が大仰な変な写真とって#連帯しますとかやりだしてるところ。

あれで明確にいま起きてることがろくでもないことだと確信がついた。

 

繰り返しになるけど、森はそこまでの悪事を働いたか?そこまでの悪人か?

ジョークが滑ってポリコレ違反しただけだぜ? 

 

あの発言は「こいつは何かミソジニー的な実際の悪事を働いているのではないか」と疑われて

身辺を洗われる切っ掛けくらいにはされてもいいさ。

 

でも森が今みたいに悪人扱いされるのは、その身辺調査で実際の悪事が出てきたときしょうがよ。

権力を傘にきて女をいじめてたとか、セクハラしてたとか、レイプしてたとか。

現状そんなのなんもないんだぜ?ただ口先がポリコレ違反をしただけ。 

ポリコレ違反を許せとかいや許すなとかそういう次元の話してないからな?

いま「徹底的に追い詰める」とか「#連帯します」とか言ってる奴らは、本当に真面目にやる気があるのかという点についての話よ。

 

森はワインスタインじゃないぞ?

森を「徹底的に追い詰め」て政治生命をうばって(そもそも肉体生命があと一年持たないくらいに見えるが)、

そんな活動女性のために戦ってるとか社会に潜む悪と戦ってるとか言えるか?

 

たとえばごく最近ニュースで、

あんな見た目で実は良識派インテリ」扱いされてた世界的大物ミュージシャンマリリンマンソン

実は長年にわたり複数女性性的虐待を働いてたと告発されてる。 

  

あんなのも少なくとも森よりはるかリアル悪人であり、

世界に与えてる影響の大きい人物であり事件だと思うけどな。

なぜあれは森くらいに叩かないんだ?政治問題でないから?

 

なら同じくごく最近ニュースで、

中国国家的に長期にわたりウイグル女性レイプして民族浄化やってたって事件はどうだ?

ウイグルでようやくニュースになったけどもっと以前からチベット女性に数十年やってるという公然の秘密にも

改めて光が当たってしかるべきおぞましいニュースだ。

  

女性人権のためにみんなで血相変えて叩くべきトピックとして、

規模、政治性、重大性から言っても近年あれより大きな事件もないと思う。

  

けれどもいま死にかけ森おじいちゃんヒンシュク発言事件に対してやってるような

嬉しげな盛り上がりのプロテストって見た覚えがねーんだわ。

森叩いてるやつらが中国ウイグルレイプについてはもうなんか目をそらして過ぎ去らせるフェーズに入ってるようにすら見える。

これはいったいなんなのよ?

  

そもそもポリコレ違反なんてことが実際の行動や実際の悪事より上に来るのがもうおかしいだろ。

そういう行動基準で何かを叩いてる奴らは真面目に社会の悪世界の悪と戦ってるとは認められない。  

 

たとえば権力暴力上下関係を背景にセクハラレイプしたことあるやつはみんな、

森おじいちゃんよりはるかに重く糾弾されるべき悪だろうがよ。  

それは本当にとんでもない卑劣な悪だ。

でも残念ながらそんなやつが捕まりもせずごろごろ大手ふってる。日本にも、どこの国の社会にも。 

そういうのを叩かずに、おじいちゃんの耄碌ユーモア世界的に叩くことの方が正義なの?

そんな正義あるかい

 

よくこういう突っ込みにたいし「全てにリソースをさくことは不可能」みたいな言い訳がつくんだよな。

けどたかだか極東小国冥土土産名誉職おじいちゃん失言が、

世界ミュージシャンの長年の性的虐待世界一の巨大国家の現在進行形国家レイプより重大ってこたないだろ。

そこはどんな強引な言い訳しても不合理で不自然から言い訳やめろよ。

 

要するにいまやってるのはただのお調子者のお祭りだろ。

女性のためなんて全然嘘っぱち。だって真剣に考えてないもん。

真剣に考えてたら森が一番の悪人、森を叩くのが最優先、森を叩きまくって追い詰めるのが最善手、

なんてなるわけない。マンソン中国(これすらほんの一例だからな?)無視してまで森、となるわけがない。

単に叩きやすくて盛り上がってるから、みんなやってるから、それが意識高いから

ハッシュタグつけて写真とってツイートがいまイケている。そんだけ。

 

ヘドが出るような不真面目な偽善者達だよ。

要するにお前らは地道な努力積むとか、死ぬほど頭絞って考えるとか、リアル報復不都合の恐怖に耐えるとか、

真剣目標を追求してなにかと戦ったら差し出すことになるそのようなコスト犠牲をぜーーんぶ回避して

ただお手軽に意識高いおしゃれでスマート正義の味方になりたい、3分善行気分と戦士気分に浸りたい、

あとはなんか不純な政治的目的を達成したい、それだけのことでキャッキャキャッキャとはしゃいでんのさ。

 

その楽しい盛り上がりに水さすやつにはちゃん反論する必要すらない、

女性差別ーッ!とかウヨクーッ!とか言ってりゃいいんだから脳に負荷のかからない娯楽だよ。 

  

ロヒンギャの女達が強姦虐殺を受けるままにしたスーチーだって森よりはるか悪人じゃねーか。

あいつのせいでリアル悲惨事態になってる女達がいるじゃねーか。

 

軍との軋轢で渋々黙認しただけ?スーチーが積極的にそれをしたがったわけはない?

そういう酌量を政治家に与えるならもう誰のことも叩くなよ。

中国政治家にすら個人的な内心としてチベットレイプウイグルレイプに心痛めてる人間くらいそりゃいるわ。

そこまで優しい忖度と酌量の用意があるならいよいよ森おじいちゃん不規則発言なんかどうでもいいじゃねーか。

 

基準合理性プライオリティもなんにもなく、

自分が安いコスト簡単気持ちよくなれるやつを叩くだけ、

そういうのは正義ですらない。

日本はもちろん世界中がそういう安易で怠け者な偽善者だらけであるのを今回はまざまざと見せつけられて、本当にアホらしいわ。 

  

 

な~~~にが#DontBeSilentだよバカくせえ。

まりお手盛り自慰臭に鼻が曲がるわ。

森はそんな、怖くて叩けずみんな押し黙っちゃうような権力を持った帝王なのか?

ずっと前から今に至るまで叩き放題のおっさんジジイじゃねえか。

 

そんなかっちょいーハッシュタグ習近平とかプーチンのような

批判しただけでマジで拘束や殺害がありうる凶暴な独裁者を叩きながら使えよ。

まさかとは思うがそのへんのやつらにはやってないのに森相手に#DontBeSilentなら、

本当にダサくて滑稽で無様で卑怯な連中だわ。

 

  

念のためいっておくとオリンピックには反対です。

無理だよな。

 

 

ついき

Q_saku 悪人とか叩くとか、猿山価値観ゲームタームで煽るその身振りごとさようならしてるところなんすよいま。

猿がサルぶりを指摘されて恥ずかしくなって人間ぶってらあ。

けどそういう、人に言い訳して正当化するような話じゃなくて、自分自分をなんとするかの話だよ。

 

自分人間だと思いたいならいtwitterでやってるようなお猿のフィーバーの無様さを離れたとこから落ち着いて観察することだよ。

#DontBeSilent(笑) #連帯しま(笑) って猿娯楽の滑稽さを感じるようになれたら人間への道が開けてるし、

逆にやっぱりあれに参加したくなったりあれを擁護したくなったりするなら猿の快楽への未練が捨てられないんだから無理せず猿やってりゃいい。

どっちになったか報告してくれよな。

 

 

…つーか書いてるうちにお前の特徴的なidのこと思い出してきたけど

お前はまさにあいつが悪こいつが悪ってキーキーキャーキャー叩くことにブックマークを使ってる人間代表みたいな人ではねえか。 

https://b.hatena.ne.jp/Q_saku/ 記憶通りのすんげー猿の王様っぷりだった。よりによってお前が猿とか言うのか。

ギリ人間かと思ってアドバイス書いたら斉天大聖

やっぱ怖いスねはてなは。

 

 

baikoku_sensei あの発言がなぁなぁで受け入れられるなら、アレ個人おかしいんじゃなく日本はそういう国ですという世界へのアピールなっちゃうわけだけど、

はい国語0点。

俺は「森の発言をなぁなぁで受け入れろ」なんて言ったかなー。

不適切であり謝罪撤回必要である、ってはっきり何度も書いてるよねー。

「あの発言が看過されたり正当化されたりする社会は嫌だ」と明言もしてるよねー。

 

「ボクはかんたんな日本語の文章も読めないバカです」って自己紹介しにきてくれてありがとうな。

フィーバーの渦中ではお前みたいな根本的に絶対的能力の低い人間でも

なにか滅茶苦茶偉くなったような気持になって誰かを見下して責めまくる発言おっぱじめるのが面白いよな。

政治厨って見ててそこが一番面白い

猿の娯楽のそういう効能が猿にはたまんねえ&やめらんねんだろうなあ。

 

 

emiladamas そろそろ、Whataboutismみたいに○○を批判するなら中国批判しろにも名前をつけて欲しいな。

この逃げ方については先回りして文中でしっかり触れてるのにドヤ顔でこれだよ。

これぐらいの文も読み通せずに反論書いたのか、

先回りされてるのに気づいても他の反論が思いつかなかったのか、

どっちにしてもまあ低能だし猿だよね。

 

ね?

猿の言い訳や逃げ道なんて人間には予測がつきすぎてて面白くもなんともねえのよね。

こういうほんとうに1から10まで心の動きも行動も見透かされきって呆れられるようなことをやりながら

なんかすごく立派なことやってるつもりの連中なんだよね。猿だからね。

 

 

hydlide3 こういった「アホらしい」「無駄」と冷笑する人たちよりも、よりマシを目指している人たちを応援したいし何が自分にできるか考えている

2021/02/07

からその「マシを目指している」が何故、

耄碌発言をとんでもない悪事のように叩くことになるの?

同時期同ジャンルガチ悪事件をスルーすることになるの?

  

こいつのコメントって斉天大聖以下だと思うんだけどね。

狂乱のお猿パーティー咎められたので「冷笑!」。

で、省察のうえでどういう見解アイデアが出たのか?

なんもなし。

 

ただ「それっぽい殊勝なこと」を言ってるだけ。

ただ叩きやすい奴をみんなの盛り上がりの乗って叩いて自慰してただけの癖に

それを指摘されたら「冷笑!」「冷笑して無いぶん自分達はマシ!」

そんなわけあるか。

 

ちょっと咎められたら自分達の行いの説明や弁護も出来なくなって

めちゃくちゃぼやぼやとした「ボク達は殊勝だもん」に逃げていく。これはまさに何にも考えてなかったってことだよね。

 

文中で問われた矛盾にも何一つ答えないし、

新しく自分で出した考えもアイデアも一切なし。

こいつもこいつに☆付けるような連中も、ほんと~~~~~~~に自分の頭しぼって何かを考えるってことが徹底的に嫌いなんだってことは伝わってくるよ。

なら考えてるふりする必要も無いと思うけどね。

2021-02-03

anond:20210202132339

アスペが(だからこそ)底つきして人生直視するとここまで透徹した省察を生み出せるんだな。いいもの読ませてもらったわ。

2020-10-29

カフカかい流行らない作家がいる

 勿論タイトル釣りで、カフカは全世界に影響を与えたユダヤ人かつオーストリアチェコ)人なわけですけど。

 独文学というとカフカカフカというと独文学。そんな感じですよね、実際のところ独(語)文学においてはトーマス・マンとかゲーテとか他にも様々な著名な作家がいるわけですけれど、カフカはその研究テーマとしては比較ポピュラーな御仁でありますユダヤ人の家庭に生まれ生地である現在チェコプラハ言語に依らずドイツ語にて創作を目指したカフカの、ミステリアス人間性はその作品群に対しても同様に、謎めいたベールを投げ掛けています

 カフカ文学をお読みになられたことはございますでしょうか。まあ僕もそれほど熱心な読者とは言えないかもしれないのですが、とりあえず『変身』・『城』・『審判』のほか幾つか著名な短編を読ませて頂きました。まあカフカ作品の特徴は、感情的な部分を敢えて抑制するところにあります。勿論十分に感傷的な部分を持った短編とかも散見されるのですが、基本的に、感情の伝達、あるいはその伝達の手段としての文学というものカフカはあまり信頼していなかったのではないかとも思われるのです。というのは、基本的に作中人物達は様々な問題に取り囲まれていることが多いのですが、弱音を吐くことがあまりなく、ついでに言えば仮にその感情というものが滲み出るにしても、基本的にそれはレトリック暗喩といった形によって示されるので、はっきりとした感情というものが作中に表れるということは稀なんですね。この辺に、カフカ抑制的な人格と、コミュニケーションそれ自体に対するカフカ立場というものが表れているように思われますカフカ基本的コミュニケーションというものを信用しておらず、また、コミュニケーションを通して自分自身人生をくつろげるものに変える努力に関しても、冷ややかな見方をしてきたように思われるのです。

 コミュニケーションという営みは人間基本的に切り離せないもので、人間はそれを用いて自分人生他人人生コントロールしようとします。しかし、そのような一般的コミュニケーション立場と、カフカコミュニケーションに対する立場は明らかに違うように思われますとはいえカフカの立たされていた環境を考えれば、我々が用いるようなコミュニケーションのあり方と、カフカにおけるコミュニケーションのあり方との乖離は、さして驚くべきものではないでしょう。

 つまりカフカユダヤ人でありかつオーストリア人でありかつチェコ人と呼べる極めて国家国民性というアイデンティティが複雑に錯綜した人物であったからです。これはカフカ研究においては極めて一般的な基礎知識ですが、カフカ現在チェコに当たる地域で生まれたにも関わらず、その日常においてはチェコの土着言語を用いずにドイツ語を用いました。また、当然のことながら創作においてもドイツ語を用いておりました。チェコで生まれながらにしてチェコ語を使うことを許されない――つまりカフカ自身の持つ言語によってさえ一種の疎外を受けていたと言えるわけです。超基本です。

 カフカにとってコミュニケーションとは――なかんづく、コミュニケーション根本的に支える言語というものは――自身人生リラックスさせ、他者との間に健全コミュニケーションを成立させる、我々における言語のあり方とは少しばかり違うものだったということです。カフカは生まれながらにして一種異邦人であった、ということですね。この「異邦人」という記述はもはや陳腐な言い方なのでしょうがしかしやはりこの視点カフカ理解する上では切っても切れない重要な点となりますカフカはそのアイデンティティの複雑さ故に、生粋異邦人でありましたし、そして彼が用いる言語レトリック基本的に、一種生存戦略だったのです。要は、植民地支配を受けた国家国民が土着言語を用いず宗主国言語を用いるのに近い、生存戦略の一環として言語を用いる生活を送ることが、彼の人生においては定められていたのです。我々にとって言語人格は複雑に結びつき、そして、自身人格感情を表す際に、極めて重要役割を演じます。恐らく、この世界におけるほぼ100%近い人類が、言語に対してそれと同じ感覚を抱いていることでしょう。しかカフカにおいてはそれは事実ではありません。

 カフカ作品群において、カフカ言葉によって感情を語ることはありません。カフカが語る感情は、物語構成依存しているか、ないしは物語中における舞台装置によって、つまり暗喩によってのみ語られることとなります。その、感情表現の大いなる欠落が、カフカ文章における特徴ですらあるのです。あるいは、それは仏教における「見立て」の感覚に近いかもしれません。つまりは、一種の擬似的な曼荼羅と言いましょうか、物事物質をある特定の配置に並べ変えることで、何らかの物質を超えたメッセージを贈ろうとする試み。枯山水現実自然を表すように、カフカはある種の機械や道具立てによってのみ自身感情説明しようとし、翻って言うならば、カフカは直接的な表現によって感情説明しようとなどしなかったのです。感情の欠落。

 この「感情の欠落」が文学の特徴であることは明らかにカフカが作り上げた文学の一潮流と言えると思います。後年の作家であるトーマス・マン文学においても、感情内省と言うべき人間の心のあり方が、敢えて描かれない抑制的な文体の影を見ることができるように思われます感情とはなんなのでしょうか? コミュニケーション言語は、我々にとって慰めと言えるものなのでしょうか? カフカはそれに対して否と答えます言語は、必ずしも我々に結びついていない。同時に、言語を基底として成り立っているコミュニケーションもまた、我々に属していない。我々は、根本的に言語によってコミュニケーションを取ることができない。

 しかしそのコミュニケーションへの失望結論ではないのです。何故ならカフカは、コミュニケーション失望をしていてさえなお、小説ものしたのですから

 何故カフカ文学を書いたのでしょうか? 文学自己表現である、という一般的見方と、カフカ文学的なあり方には乖離があるように思えてなりません。カフカにおいては寧ろ、文学自己から自己への感情乖離です。いわば自己自己に対する乖離のものです。

 そのような営みは、恐らくカフカ人間性に淀みを与えているようにさえ思えます自己自己に対する分離、乖離を通して、恐らく彼の感情も一部彼から乖離し、分離していたからです。そのような営みが、彼にとって一体何だったのか? それは我々には想像するほかありません。短絡的に考えれば、その営みは、その乖離と分離の営みは、単純な自己破壊行為であったと断じれるかもしれません。自己から自己を分離し、乖離させることは、明らかに自己にとって好影響を及ぼす行為ではないからです。とは言え、彼の行為は本当にその自己破壊目的にしていたのでしょうか? あるいは、世の人々が芸術家小説家に対してしばしば言うように、彼は文学というものを用いて、彼の生命生活痕跡世界に残そうとしたのでしょうか? それも、疑わしいと僕には思われます。つまりカフカ文学コミュニケーションに対する諦観なのですから。そこには、コミュニケーション言語に対する深い諦めの影の姿を見て取るほかないのです。

 結論から言えば、カフカ文章を書いていたのは、恐らく乖離目的とした、逃避行動だったと言えるでしょう。そして同時に、彼は自己から自己乖離させることによって、一般論的に自己省察を深めようとしたのでしょう。敢えて、自己から自己を分離させることによって、自己省察可能対象として対置する行為が、彼の文学目的の一部だったと言えるでしょう。


 このような記述文学における一般論範疇を出たものではなく、彼の人生文学目的は未だもって謎に包まれていますカフカに限らず、一部の文学者は、そして小説家は、コミュニケーション媒体である文字言語を用いながらに、コミュニケーションを諦めているのであり、つまりは何かを伝えようとしながらに、我々に対して何も伝えようとなどしていないのです。あるいは、最終的には彼らのような小説家の目的は、一言によって表せられるのかもしれません。

 つまりは、彼らは何かを諦めたかったのであろうと。

2019-06-30

anond:20190630001011

仰る通り、日本における男性学は「女性学を経由した男性自己省察の為の学問」という位置づけであり、あくまフェミズムのサブジャンルといった扱いです。

個人的には、勿論女性学とまったくの無関係とではなく密接なつながりを持ちつつも、男性学男性学ひとつ学問として扱うべきだと考えていますし、そういった研究ができたらと考えています

ファレル氏の主張は全面的に支持はできませんが、ひとつの貴重な糸口だと考えているので、これからも追っていく所存です。

2019-06-26

anond:20190626091346

ブルゾンあくまで「かなり特異なキャラの女」をやっているので

女性にとっても他人事として笑うものなわけで

もっと一般的女性普遍的なイキりやみっともなさをネタにしたものはなくない?

青年誌漫画なんかほとんどがそういうネタを取り扱ってるのに対して

若い女性の内面省察漫画はせいぜい凪のお暇みたいなドロップアウターメンヘラ主人公にして

謙虚で十分に自覚のある弱者として同情を取りつけられる角度からしかされない

普通に生きてる一般女性普通にいきっててみっともない

という部分に触れたコンテンツはあるのだろうか

安いアプリ漫画には「イタい女を」完全に突き放して転落する姿を笑おうっていうコンテンツならあるけどあれはまた違うんだ

2019-04-17

anond:20190414195240

どうしてこの人は、「女性である」というだけで、多数の男性が直面する社会問題に対して自分が「アドバイス」できると思ってしまったのだろう。そして、その「アドバイス」の中身たるや、男性に「もっと努力しろ」的なものだったりするのだろう。

この人は、そもそも自分がもっている「男性」・「男女関係イメージがどのようなものであるか、自覚があるのだろうか? 相手のことを本当の意味では直視せず、自己満足的な努力だけをしながらひたすら相手積極的な働きかけに期待する受け身存在……というのは、一体誰の姿なのか。

この人には、自分こそが、自分の言う「固定化した異性/異性関係イメージにとらわれた存在」そのものであり、それこそが自己問題だという認識必要だ。最後の数行だけとってつけたように自戒している場合ではない。本文なみの熱量・分量で、自分自分の属する性についての省察お勧めしたい。その方がおそらく社会的には有益エントリになることだろう。

2018-03-23

anond:20180323101904

じゃあ2000年前と現代で、「人間」がどれくらい「変化」したのか言ってみろよ。

理屈じゃねーんだ。何が「浮気」か、っていうのは人間の「感情」の問題で、これはちょっとやそっとの社会の変化で変わるもんじゃねえ。たとえば一夫多妻制が認められた社会パートナーが他の人と過ごしているとき「まあ一夫多妻制だから普通だわ」って平然としてられると思うか? そんなわけねーんだよ。「源氏物語」や「蜻蛉日記」くらい高校で読んだだろ?


からこれは、人間本質に関する哲学的省察と膨大な時の流れや文化を超えた試行によってテストされ磨かれたテーゼに拠るくらいしか説得力のある回答なんざ出来ねぇ問題なのよ。過去の知恵を学ぶときってのは、こういうときだよ。

2017-06-10

日本リベサヨが終わってる理由(ホシュウヨが安心してていい理由

1

2017英総選挙:コービン労働党まさかの躍進。その背後には地べたの人々の運動(ブレイディみかこ) - 個人 - Yahoo!ニュース

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/bradymikako/20170609-00071923/


ブレイディみかこはバーニーサダースやコービンにずっと注目して来た人で

「右と左ではなく上と下の時代になってきてる」という視座も前から繰り返し言ってきてる。

海外での左派の躍進成功例や、成功まで行かなくとも希望の芽と見られる事例の紹介をずっとしている。

本当に下に信頼される知性と政策努力があれば左派は勝ち、しか継続的に世の中をよく出来るはずだと。

これは説得力がある。

日本でコツコツと正攻法自民党を倒す努力方向性があるとすればこれだろう。



けどブックマークコメントを見ればわかる。

日本リベサヨは終わってるし、

からみかこが紹介するような何かが日本に伝播することはないし、

日本のホシュウヨは何も心配しなくていい。



はてサコメント

nabeteru1Q78 非常に良い記事だと思う。サンダース。コービン。日本左派が見習うべき政策も、運動のあり方も、恐らくそこにある。 606 clicks

リンク2017/06/10 Add

星4つ、人気7位

Gl17 『高齢者冷遇する政策を取れば、「自分たちは損をしている世代」と感じている若者たちが満足すると思った』老人ムシれとか、

正社員厚遇過ぎとか言ってばかりな、どっかの国のネット俗論ぽい。我慢大会が続く訳だ。

リンク2017/06/10

星15、人気2位(はてサ1位)


わかるだろうか。

とりあえず口でだけでも「我々も見習わねば!」と言うはてサはてサ人気すらいまいちで、

なんとかかんとか「ネトウヨガー」「日本人ガー」を安定出力するはてサはてサには圧倒的人気。

今回nabeteru1Q78の発言特別知的だとか殊勝だというよりは、

左派の勝ち筋紹介」という記事の本旨を一切迂回して日本の俗論叩きに話を持っていき終わらせるGl17の強い方向性と技巧が光る。


2

この記事に限らず、

nabeteru1Q78とGl17で圧倒的にGl17の方が人気なのがはてサ(引いてはネット左派)の限界の全てだと思う。

nabeteru1Q78も感情的で先鋭的な発言はちらほらあるけど、全体的には知的であったり現実的アクションに繋がる話をする。

Gl17はまさに「ネトウヨガー日本人ガー!」みたいな当てこすりと癇癪爆発の発言だけをする。

そこから自分達の取るアクションみたいなものが一切見えないのがGl17ブコメの特徴だ。


安倍晋三を降霊して眺めるならば、

手強いのは圧倒的にnabeteru1Q78であって、Gl17はむしろ小遣いやって支援したいぐらいだ。

nabeteru1Q78は仕事が出来そう。Gl17はまともに仕事に取り組んでなさそう。

でも人気が出るのは後者


要するに過半数はてサリベサヨが望んでいることは

現実を変えていくこと、自分理想に沿って世の中をよくしていくこと」ではなく、

実は「とにかくアベシンゾーを倒して民進か共産政権を持たせること」ですらなく、

まりは「自分の思い通りにならないと決定してる現実に拗ねながら恨みごとや当てこすりを言い続けること」なのだ


ブレイディみかこのように「左派希望」を見せてくれる記事は、

nabeteru1Q78には喜びであり検討すべきロールモデルかもしれないが、

Gl17にはい迷惑であり、なんならちょっとウザいのだ。

だって、そんな記事左派希望も見せてくれるが、左派自身努力改革を求めるではないか



それじゃ困るのだ。

Gl17ら主流派はてサは、現実での勝利の為に自己批判自己改革なんか1ミリもしたくないのだから

彼等にとって最重要なのは「常に説教する立場にいること」それが無理なら次点被害者として恨みごとを叫べる立場に居ること」だ。

仕事の出来そうなnabeteru1Q78より仕事の出来なさそうなGl17が圧倒的人気なのはそういうことだ。

Gl17の最大唯一の長所は、どんなニュースでもなんとかして「ネトウヨ」や「日本人」を侮蔑説教するコメントをひねり出すノウハウと執念だが、

要するにnabeteru1Q78は自分主体として取り組む意思を持ってニュースを読んでいる行動者であり、

Gl17はどこまでも自分主体性責任を透明化しながら侮蔑的評論を加えるためだけにニュースを読んでいる評論家だ。



3

たとえば何かのイシューがあったとして、

それが上手く伝わっておらず支持や協力を得られないときに、

nabeteru1Q78型は伝え方をチェックして省察改善をして、自分努力未来を変えていく大人の楽しみを夢見るのだろう。

しかしGl17型が望むのは、「これを支持しない奴等は良心が無い!こんな世の中はクソだ!」と泣き喚いて地面をゴロゴロする幼児快感なのだ

Gl17型が夢見る希望は、「不届きな奴等」が自主的に改心して詫びを入れに来ることで、自分達は座ったままふんぞり返ってその詫びを受ける身分なのだ



別にnabeteru1Q78個人をヨイショする気はないし

はてサの中にも主体性のある評価されるべき人間が他にも居るのはわかっている。

しかしGl17型が一番人気と言うのが結局ははてサリベサヨの明白な限界だろう。

左派主体性があり過ぎるほどある人達に御老人やそれに連なる人が多く、

逆に入れ込みすぎてて素人がついていけないとか、ウン十年前の成功体験フレームに囚われてるとかいうのも辛みだが。


追記

記事ブコメhttp://b.hatena.ne.jp/entry/tenfa.wnp.jp/1520/

Gl17 現地直の情報はいいんだが、この人も単に不満言って意味もなく左派への嫌味くらいしか結論がない辺り、すごい浮世離れ感ある。今回の件は米同盟国同士、GCC内の争いで、融和の建前を軽視した結果だと思うけど。

うへっ

常に不満言って意味もなく日本人への嫌味くらいしか結論がないブコメを延々と書く人がこれを言うのか

つかその記事カタール在住の人が取り急ぎ物資の欠乏状況を書いてるだけのエントリなんだから

大きな視野建設的な結論なんかあるわけないだろ

ほんまアホちゃう…(そしてこのコメントがまたはてサ人気一位)

2016-08-22

勝手に答えよう(シン・ゴジラへの一省察

不満点はそれだけか(http://anond.hatelabo.jp/20160822144854)の突っ込み面白かったので勝手に答えてみる。なお当方は一応2回見た。

さて増田の疑問の半分くらいは「非常時なんだから仕方ねえ、という意味リアル範囲内」と感じた。これは個人的感覚避難者の行動も、巨災対メンバー挙動も。私物持ち込みにしたって、そもそも非常時のほぼ非正規組織の中でのことなんだからセキュリティレベル下げ本人の希望最優先でとなるのも納得できなくはない。ただ、「地震の時のように避難するのはおかしい」というのは、作中描写があったので(都庁本部で「対策マニュアルがない」と問題にしているシーンと、消防隊員か何かが「地震用の避難マニュアルでは役に立ちません!と本部らしきところと通信しているシーンが有ったので、多分そういう点も柔軟に対応できず結局既存地震マニュアルしか避難指示が出せていないと見ているものに悟らせ、絶望感が一段と増す描写)この点については、特に不審には思わなかった。地下鉄民はゲロから助かるのか、という点は、まあ東京地下鉄防空壕使用になっているという都市伝説でもって勘弁してやってくれ。そこは国家機密なので(笑)

それよりも、あらためて増田の指摘で気付かされたのは、振動の少なさ」「逃げ遅れ」「海自の見失い特にコレは、鑑賞時に自分もやや引っかかっていた点なので、それを思い出させてくれたことを感謝したい)そして「地面踏み抜かない」といった非常によい指摘から、明確に一つの結論が導かれるということだ。上映中、これらの点について、自分がそれほどの違和感を感じなかったのはなぜか、ということ、それから、今回のゴジラの最大の特徴であるあのゆらゆらと宙に揺れる巨大な尻尾違和感とを含めて、それにこたえたい。


ここから導かれる結論は、シンプルだが「あのゴジラは実はスカスカなのだということだ。もちろん一定の重量はあるだろうが。一番最初総理記者会見は、今から思えば伏線だったのだ。「陸上であの巨体の生物自重を支えられるとは考えられない、だから上陸はしない」と。だが上陸した。なぜか? 答えは簡単だ。「巨体に見合う重量がないから」だゴジラのもたらす圧倒的な破壊のせいで、劇中の人物も、見ている我々もうっかり忘れそうになるのだが、今振り返ってみればおそらくそなのだ。見ている人が、どこかで「重量があまりないこと」にも心の底で気付けるようにした様々な仕込み…それが増田の指摘ポイントなのではないだろうか。

海自が見失った原因もおそらくそこにある。まあ、レーダーまで装備する(笑)生き物なのだからソナー打ち消す能力くらいあってもいいのかもしれないが、海中でいったん質量に見合った大きさに戻ったとみる(そして上陸前に海辺まで近づいてから巨大化した)のが妥当ではないか。「折り紙、食べてないんだ」という間准教授気づき重要だ。折り紙の鶴のように中身がないのだ、最初から。だから時間にあれほど爆発的に巨大化できたのだ。外殻こそ固いが内部はスカスカ…というのは、バンカーバスター命中シーンでも思えば描写されていたようにも思う。本来あれは、外殻を突破して内部を破壊する爆弾だったはずだ。だが、想定外スカスカな内部のため、ゴジラの体をあっさり「突き抜けてしまった(だから内部にはそれほどダメージを与えることができなかった)」のではないだろうか? また、血液凝固剤があれほど一気に巨体に浸透したのも、東京駅真上にいたのに(地下30mまであるのに)地盤を踏み抜いていないことも。あれほどの銃弾爆弾を跳ね返す体皮の固さを持ちながら、列車突撃ビル崩壊といった質量攻撃に意外ともろかったことも。こう考えると、劇中の様々な謎が解けそうな気がする。

自分が、増田の指摘した点について、正直鑑賞中に上のようなことを考えて納得していたわけではない。あくまで「不自然に感じなかったのは、うっすらとこういうことを感じていたせいではないか」と、後付けで言語化してみただけだ。異論反論は認める。できれば二度目の観劇を踏まえて。

http://anond.hatelabo.jp/20160822144854

(追記)

一個忘れてた。「パターソン日本語ます問題」。これは、まあアレだよ。その分英語上手くないところから推察して、つまり忙しい両親でなく被爆一世である日本人祖母に育てられたんだよ! 日本語上手いのに敬語苦手なのもそれが理由だよ。そのせいで子供のころからいじめられてきて、それが彼女の強烈な上昇志向アメリカという国へのプライド原動力になってるんだよ。以上、解決

批判者のほとんどが的外れ

矢口が冒頭で「生物」とわめくのが不自然

から散々言われているだろうが。冒頭で矢口は「暴走しがちで人付き合い苦手な若手」として描かれてるだろうが。冒頭で有能に描かれてるのはむしろ赤坂の方。

それが、老害にも見えてた上の世代の全滅にショックを受け、そこを乗り越える中でちょっとずつ人間的に成長してる姿を描いてるだろうが。それでも基本的暴走して熱くなりがちな夢想家なところは変わってないが、そういう人間を信頼して託していくしかこの国難を乗り越えていく道はないんじゃないかというのが物語の基本線だろうが。物語後半でも、巨災対では森のムードメイク政治面では泉・赤坂の好フォローに支えられてこその矢口であって、結局一人では大したことできねえって描かれ方さんざんされていただろうが。矢口が有能? 一体何を見てたんだ?

人の死の描き方

アレだけの破壊のある映画で人の死がゼロならむしろ不気味だろうが。なかったらなかったでお前ゼッタイ文句言ってるだろ。そういうのを「ためにする批判」つーんだ。どうせなら「死を描くならこういう描き方なら納得がいった」とか「あのシーンはこう演出すべき」という意見ならまだ聞けなくもないが、「不要だった」という意見には全く納得がいかんよ。誰が賛同するんだその意見

石原さとみが浮いてる

あのなあ、それ言うならゴジラという存在が最も「現実離れ」してるだろうが。そりゃな、あれが311再現ドラマだっつーなら俺もあのキャラはまずいだろと思うよ?でもこれ災害映画じゃなくて怪獣映画だぜ? そもそもしょっぱなからでっかい嘘で塗りたくった世界なんだよ。その映画の根幹に、地味なオッサンばっかり並べて、それで「観客が入ってペイできる映画」になるのかよ? お前たとえばごついオッサンのペアばっかり何組も絡み合うような「パシフィックリム」とか見たいかよ? あの映画だってあのヒロインのねーちゃんは正直浮き気味だったし見方よっち失笑モノだったかもしれん(芦田愛菜含めてもだ)。だがファンタジックエンタメ映画ならそこも含めて素直に楽しめとオレは思う。そこを批判するのは、あの映画の問いかけてくるリアリティにむしろまれてるからじゃないのかと思うわ。

それとな、英語がどうのとかアジア系俳優はありえんとかいろいろ言う奴がいるが、これも、作中におけるキャラの成長とその描かれ方が全く見えてない阿呆の戯言に過ぎん。祖母被爆という設定、そして徐々にデレてきて日本風発音をかましたあたりからの「微妙で複雑な表情芸」を日本人相手表現するためには、日本人俳優以外のチョイスは全く考えられんよ(海外俳優に表情芸ができないと言ってるのではない。飛行機内の場面などにおける感情の揺れなどを「日本人ストレートに伝わる表情芸」で見せるためには日本人俳優を使う以外のチョイスがないという意味だ)。当然、俳優の見栄えと技量もそれなりに求められる。石原は確実に監督の望んだ仕事をしたと思うよ。

ヤシオリ作戦について「盛り上がり欠ける」「矢口最前線立つ意味は?」

「盛り上がり」は主観の部分で特に論ずる意味なし。「矢口最前線…」云々は阿呆過ぎて言及する必要もないが、前線でちゃんと「作戦をやめるか否か」を判断してるシーンがあっただろうが。ほんとどこ見てんだ? 何見てたんだ? ケチ付けることばっかり考えて大事なところをろくに見もせず、何か楽しいのかそれ?

国というテーマ「前段階として「政治家としてこの国に失望しかけていた矢口」があれば納得した」

…もう言及するのも疲れたが、冒頭の延々と続く会議と、ところどころ挟まれ矢口の表情との対比を見て、お前は一体何を感じてた? 矢口視点人物として描いているということは、お前の感じたその心情こそが矢口の心情として描かれてるんだろうが。むしろ政治家としてこの国に失望しかけている」矢口の姿しか描かれていないのが前半だと言っても過言じゃないだろ。同じ映画を見たとは思えない感想目眩がするわ。お前はアレだな、登場人物がいちいち心情を全部台詞にして説明してくれるテレビドラマ演出とかじゃないと、ほんと何も分からないんだな。


シン・ゴジラ批判したら一斉に批判されるのきもい」という声もあるが、上映開始3週間もたつの批判者がまだ揃いも揃ってこのレベルから、むしろもううんざりして大半はスルーしてるくらいなんだが。もう少し「真っ当な批判」があれば読みたいわ、心の底から

http://anond.hatelabo.jp/20160821212820

(追記(の追記あり))

「低レベル」→お前は「高レベル」なノンフィクションだけ一生見ていればいいよ。オレはフィクションの話をしてんだバカ

主観云々」→主観云々は議論してない部分だし俺が論じてるのはソレ以外の部分だバカ

石原の件」→オレは「この映画ではリアリティ目的じゃなくて手段の一つだ」って話をしてんだバカ。その程度のことが分からないカマドウマ映画を語るとかちゃんちゃらおかしいわ。

この書き込みへの意見も含めてやはり的外れだらけだ。元増田へのブクマも全部読んだが納得するん反論はほぼなかった。少しは人をうならせるようなモノを書け。

石原の件2」→書いては消すスタイル、いちいち気持ちいからヤメレ。あとは上のリプライと同じ。あの映画リアルを追及する「ための」映画だと取ったのだとしたら、それは見方として相当筋が悪い。ノンフィクションなら当然問題にされるだろう、とは最初に書いたとおりだ。あの映画ノンフィクションではない。

(追記2)

「白状」編も読んだが感想は何一つ変わらん。「批判するならもう少し人をうならせるようなモノを書け。」それだけだ。

オレは増田感性否定してない(「主観の部分…特に論ずる意味なし」)。その上で増田の「誤読」や「見落とし」を指摘しただけだ。感性否定系の批判と十把一絡げに流されたのが大変残念だ。増田意図は分かったが、いずれにせよオレはあからさまな誤読による批判を見かけたらなおざりにはできない。それがあの映画を作った人に対する礼儀だと思うからだ。

(追記3)

ゴジラ割りと面白かったけど不満点はそれだけか?」に対して「勝手に答えてみる(シン・ゴジラへの一省察)」を書いた。あっちの批判はなかなか筋が通ってて答えがいがあった。

2016-08-02

シン・ゴジラ観に行ったけどクソだった

 レイトショーの回を観に行った。

 まずとなりの席に座ってたババアが最悪。

 七対の触手を落ち着くなくうねうね蠢かせて視界を塞ぐし、十七秒間隔で先端からオレンジ色の膿汁みたいなものを撒き散らす。

 ババアを注意しようかしまいか迷ってる内に本編が始まる。

 入場前に持たされた3DLSDを服用すると、光の世界ジャック・イン。


 おれたちはもうゴジラだ。

 東京破壊する黒色の異形だ。

 スカイツリー破壊しよう。

 霞ヶ関蹂躙しよう。

 多摩川突破せよ。


 劇場から出ると東京は滅んでいた。


 それから我々は毎日劇場に集まるようになった。

 アーチ型に列に並べられた、八十ほどあるパイプ椅子のうち、その日使われているのはたった五脚だった。わたしたちは互いに離れて座っていた。わたしたちは一人になるためにここに来たのだ。自己省察、つまりは失われた人生結果論批判したいという欲求。それは宗教信者が抱く祈りへの欲求くらいにやむにやまれものだった。

 シンゴジは昔の大作の映画みたいに、本編上映中に休憩時間が挟まっていて、そのあいトイレにも行かず、ホットドッグを補充しようとしないやつは十五分間のニュースを観させられる。その一コーナーは株式市場報告だった。素人くさい二人の女の子が、熱心にその日の市場の動向を報告するのだ。

 私は見て、聞いた。女の子たちは私の娘だった。オオクニヌシアマツヒコネ、十歳と十二万歳。二人の母親電話でぶっきらぼうに、娘たちがTOHOシンデレラに選ばれてこれこれの番組に出ることになったと教えてくれた。


 二人は画面で無表情にアラブ首長国連邦で急速に進展している状況について報告していた。

キーワードドバイです」

「驚くべき速度で進化し、大陸や海を越えています

「市況は急速に悪化しています

パリフランクフルトロンドン

東京株式市場には深刻な影響は出ていないと政府コメントしています

ドバイ国民ひとりあたりの負債世界一多い」オオクニヌシが言った。「そして、建築バブルもはじけ、もはやドバイ借金を〜〜〜(聞き取れない)へ返せません」

借金の額は五百八十億ドルです」

借金の額は五百八十億ドルです」

「何十億かの誤差はありますが」

ドイツDAX指数

「三パーセント上下げています

王立スコットランド銀行

「四パーセント上下げています

キーワードドバイです」

ドバイの人々はゴジラ上陸を待望しています

負債を負ったこの都市国家は、六ヶ月の返済猶予を諸銀行に求めています

ダウ・ジョーンズが下がった」

ドイツ銀行

「下がった」

ロンドン――FTSE一〇〇指数

「また下がった」

「ホンコンのハンセン指数

「どんどん下がる」

原油イスラム債

「下がった、下がった、下がった」


 以前の人生は毎分のように自分を書き換えていく。四年後にも私はここにいて、この薄暗い客席で悲惨に座って石原さとみルー語を聴いているのだろう。

 自由になった未来などなかなか想像できない。信じられるものなど何一つない。

 スクラップ・アンド・ビルド

 それは神話であり、幻想だ。

 日本は立ち直りなどしない。

 この二十数年、いや、この六十五年間、立ち直ってこなかった。

 立ち直ったのは監督の鬱だけだ。


「恐怖は増すばかりです」

数字の恐怖、拡大していく損失の恐怖」

「恐怖とはゴジラのことです。話題ゴジラです。ゴジラには収益性があります。五百八十億ドル、それとも八百億ドル?」

「速報です。ハリウッドゴジラ製作しているレジェンダリー・ピクチャーズ中国企業に買収されました」

「速報です。エヴァンゲリオンはもう誰も観ていません」

「なぜなら誰もが観ているからです」


 私はサッカーゴジラ映画類似について考えた。

 戦争、休戦、無秩序右往左往する群衆インスピレーションとなってきたサッカーゴジラ映画。どれも世界熱狂的に愛されている。あるオブジェクトを追い回し、草地や芝生や都市で行われ、国全体が高揚や悲嘆に身を悶える。

 もしゴジラアメリカ発明品だったならば、古くから清教徒的な本性に導かれて、マスターベーション禁止という原則にのっとった作品にならざるをえなかっただろう、とヨーロッパ知識人が唱えたりしないだろうか。

 これはいま私が考えていることのうち、以前は決して考える必要のなかったことの一つだ。


 映画が終わると私はオレンジ色の粘液でべとべとになっている。

 肌が音を立てながらが溶けていくのを感じる。

 性器が溶解していくのを感じる。

 それがなぜか妙に心地いい。

 

 

 

  

 

2016-05-03

神の本性

ところで、神の本性には、常に存在するということが属すると、我々は明晰、判明に認知できる。

従って神の本性には、真に常に存在することが属しているといえる

省察6の内容検討

物質的専物の存在証明

①我々のうちにはある種の受動能力対応する能力能力感覚を刺激し、物質事物観念を送りこむ能力>が、我々の中か外に存在しなければならない。

②当然、この受動能力対応する能動能力・・・

③ところで、こうした能動能力は我々の中に存在するとは考えられない

④なぜなら、こうした能力能力は、我々の認識能力の中核である悟性の働き<理解する働き>とは無関係だし、また意思の力の支配下にもないから

⑤従って、こうした能動能力は我々の外にあるものの中に存在していなければならない

⑥ところで、我々の外に存在するはずの能動能力を持つものは、それが送り込む物質事物観念と同等以上の実在性を持っていなければならない

⑦こうした条件を満たすものとしては物質事物天使、神の3つが考えられる

2016-05-02

神が欺かないことの証明

神が欺かないことの証明

欺きは全て欠陥に基づく

ところで、存在証明された神は「すべての完全性を持っており、いかなる欠陥からも全く免れている神」にならない

従って神は決して我々を欺かない

ギモン)邪悪な霊による欺きの可能性は?

これに対する直接的解答は与えられていない。しかし「省察4」で展開される議論を参考にすると 恐らく次のように解答可能

仮に邪悪な霊をつくったのは神だから神が邪悪な霊を手先に我々を欺いていることに

ところが神は決して我々を欺かないから

こうしたことはありえない

従って邪悪な霊が我々をを欺くことはない

→以上の議論により「神または邪悪な霊による欺きの可能性」が打ち消されることに

従って、明証性の規則に従う限り「神または邪悪な霊による欺きの可能性を根拠物事に従うことはできない

省察4の内容検討

デカルトが感じる不安自分にこれまで何度も誤りを犯してきた。仮にこの誤りの原因が特定できないと、これから先も同じように誤りを犯すことになるのでは?

この不安を解消するため、デカルトは誤りの原因を特定する作業に取り組むことに。

私の能力 1(意識能力感覚し、想像し、記憶理解する能力

2(意思する能力→欲求し肯定否定し疑う能力

このうち意思する能力は極めて大きく神における意思する能力匹敵するほど完全。

なぜ?

意思本質→他から強制によることなしに自らの判断に基づいて何かを決断すること。

これを「私」は十分備えている。そしてその限界意思の力は完全に近いと言える

こうした強大で完全な意思する能力が誤りの直接的原因になるとは

考えられない

他方、認識能力はきわめて小さく不完全だが、我々を決して欺くことがない神によって与えられたものからこれが誤りの直接的原因だとも考えられない

→この結果一瞬デカルトは戸惑うがすぐにいい考えを思いつく

「それでは、私の誤りはいったいどこから生じるのであろうか。この1つ1つのことからすなわち意思悟性よりも広い範囲に広がるものであるゆえ、私が意思悟性と同じ範囲にとどめておかずに私の理解していない事柄にまで及ぼす、というこの1つのことから生じるのである

2014-12-21

ソウル市のすべての中・高校に『親日人名辞典』配布

市議会予算1億7550万ウォン増額「民族正統性を正す趣旨独島愛の教育予算も3億増

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141221-00019109-hankyoreh-kr

チョ・ハンギョン全国歴史教師の会代表は「教師が学校親日人名辞典の購入を申し込んでも校長理由もなく受け入れない事例が多かった。教育庁辞典を一括的に配布するなら、教師と学生が一緒に辞典を見て親日という誤りを繰り返さないよう省察する機会を持つことができるだろう」と話した。

おーい!レイシストしばき隊! 出番だぞ!

2014-12-08

二〇一四年清水エスパルスシーズン終了の辞

9ヶ月にわたった戦いも、はや過去のこととなり、わが清水エスパルスは、今やその任務を果して、ここに今シーズンを終了することとなった。

しかシーズンは終了しても、そのために我らサポーターの務めや責任が、軽減するということは、決してない。

この残留で収めた成果を、永遠に生かし、さらにチームを強豪にするには、シーズン序盤、終盤の別なく、まずもってチームの主力層に対し、

重要な役目を持つ若手・ユース層が、常に万全の戦力を保持し、ひとたび事あるときは、ただちに、その危急に対応できる構えが必要である

ところで、その戦力であるが、戦力なるものはただ年俸や名声の物や数によってだけ、定まるのではなく、

これを成長させる能力すなわちサポーターの実力にも実在する。

百発百中の砲は、一門よく百発一中、いうなればスタジアムに毎節行くサポーターは年間に1度しか応援に来ないサポーター34人と対抗することが

できるのであって、この理に気づくなら、われわれサポーターは無形の実力の充実、即ちリピーターに主点を置かなければならない。

先般わがエスパルスが残留を得たのは、もちろん大榎監督の奮励によるとはいえ、一面また危機的状況下のサポーターの応援によるものであって、

それがあのような事例をもって、将来を推測するならば、たとえ戦いは終ったとはいえ、安閑としてはおれないような気がする。

考えるにクラブの一生は戦いの連続であって、その責務は優勝争いであれ、残留争いであれ、

その時々によって軽くなったり、重くなったりするものではない。スタジアム試合があれば、声を枯らして戦力を発揮するし、

試合が無いときは、チームの状況を見つめ、ひたすらその本分を尽くすことにある。

過去数ヶ月かの間、風雨と戦い、寒暑を冒し、しばしば強敵とまみえて生死の間に出入りしたことは、もちろんたいへんなことではあったが、

考えてみると、これもまた、長期の一大演習であって、これに参加し、多くの知識を啓発することができたのは、サポーターとして、

この上もない幸せであったというべく、なんで残留で苦労したなどど、いえたものであろう。

もし選手太平安心して、目前の安楽を追うならば、補強の外見がいかにりっぱであっても、それはあたかも、砂上の楼閣のようなものしかなく、

ひとたび引き抜きにあえば、たちまち崩壊してしまうであろう。まことに心すべきことである

むかしJリーグ創立当初無敵の強さを誇っていたヴェルディ川崎が、数年間は日本代表するチームであったけれども、一たびオーナーが手を引くと、

たちまちこれを失い、また近世に至っては、ジュビロ磐田太平になれ、世代交代おこたると、数人の主力の扱いにもフロントが苦しみ、

また過去様々な下位チームは資金力のあるチームから主力をねらわれても、これに立ち向うことができなかった。

目を転じて西洋史を見ると、スペインサッカー初期から存在するレアルマドリードは、毎年一人はビッグネームを獲得することで強豪チームをゆるぎない

案泰なものとしたばかりでなく、それ以後、下部組織の後進が相次いで、よくそ能力を維持し、世運の進歩におくれなかったから、今日に至るまで永く

伝統を守り、名門を伸張することができた。

考えるに、このような古今東西のいましめは、チームのあり方にもよるけれども、そもそもはサポーターが平安な時にあっても、戦いを忘れないで、

チームを愛しているか、どうかにかかり、それが自然にこのような結果を生んだのである

われ等残留後のサポーターは、深くこれ等の実例を省察し、これまでの応援の上に、残留の体験を加え、さらに将来の進歩を図って、

時勢の強豪チームにおくれないように努めなければならない。そして常にスタジアムに足を運び、ひたすら奮励し、万全の実力を充実して、

時節の到来を待つならば、おそらく、永遠に王国の大任全うすることができるであろう。

神は平素ひたすら鍛錬につとめ、戦う前に既に戦勝を約束された者に、勝利の栄冠を授けると共に、一勝に満足し、太平に安閑としている者からは、

ただちにその栄冠を取上げてしまうであろう。

昔のことわざにも「勝って兜の緒を締めよとある

出典・引用元聯合艦隊解散之辞」より

2014-10-21

朝日新聞のオピニオン欄、内田樹のあまりの醜さ

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11412485.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11412485/

[前略]「実は、身内にかなり重篤なギャンブル依存がいます

身内に「かなり重篤なギャンブル依存」がいるという「嘘」(と判断する理由は後述)から話を始めて、カジノ理解があるかのように装っています

 ――ほう!

 「優れたビジネスマンですし、他の面ではいたってノーマルな人物なのですが、ことギャンブルとなると熱くなる。若いころは競馬場へ行って1日でボーナスをすってしまうというようなこともありました。海外出張の時はカジノに通っていました。なぜそんなふうにお金無駄に使うのか聞いたことがあります。これで負けたら全財産を失うという時のヒリヒリする感じが『たまらない』のだということでした」

この人は「優れたビジネスマン」なんでしょ。エリートで「ボーナス」を擦っても大丈夫なくらい資産に余裕があるだけじゃないの? それとも本当に「全財産」かけてるの? 「ヒリヒリする」たまらない快感お金を払っているだけなんでしょ? それなりに合理的に生きているんじゃないの? 「かなり重篤なギャンブル依存」のエリート???

 ――依存症青少年地域社会治安への悪影響と並んで反対派、慎重派が最も懸念する点です。やはりカジノはやめたほうがいい、と。

 「僕は別に賭博をやめろというような青臭いことは言いません。ただ、なぜ人は賭博に時に破滅的にまで淫するのか、その人間の本性に対する省察が伴っていなければならないと思います賭博欲は人間の抑止しがたい本性のひとつです。法的に抑圧すれば地下に潜るだけです。[中略]だったら限定的に容認した方が『まし』だ。公許で賭博をするというのは、計量的な知性がはじき出したクール結論です」

このあたりは、まだ事実認定としても、主張としても妥当ではないかと思います

 ――カジノ法案は、政府内に管理委員会を置いて、不正犯罪に厳しく対処するよう求めています。推進派の議員らは、十分な依存症対策も取る方針を明確にしています。それなら賛成できますか。

 「賛成できません。法案は賭博を『日の当たる場所』に持ち出そうとしている。パチンコ路地裏で景品を換金するのを『欺瞞(ぎまん)だ』という人がいるかもしれませんけれど、あれはあれで必要儀礼なんです。そうすることで、パチンコで金を稼ぐのは『日の当たる場所』でできることではなく、やむをえず限定的に許容されているのだということを利用者たちにそのつど確認しているのです。

面白い見解だけど、パチプロもいるし、妥当性があるかどうかははっきりしないのではないでしょうか? 実証研究など知っている人がいたら教えてください。

競馬の出走表を使って高校生確率論を教える先生はいない。

いや、サイコロと違って競馬には不確定な要素が多すぎるからでしょう。確率論教科書には「パスカルの賭け」の話が載っているのを知らないとは!

[中略]賭博あくまグレーゾーンに留め置くべきものであって、白昼堂々、市民生業としてやるものじゃない。

なぜ「白昼堂々」「市民が」「生業として」なんて極端な想定を持ち出すのかな。それに「生業」にできるんならいいんじゃないですか。

法案は賭博をただのビジネスとして扱おうとしている点で、賭博が分泌する毒性についてあまり無自覚だと思います

賭博が分泌する毒性」だって。こういう馬鹿比喩を使うことについて「あまり無自覚だと思います」。依存症メカニズムくらい勉強してよ。 『快感回路』とか。

[中略]

――しか観光振興の起爆剤になり、自治体財政にも寄与する可能性はある。デメリットを上回るメリットがあるとは考えられませんか。

 「安倍政権経済政策武器輸出三原則の見直し、原発再稼働などいかに効率的に金を稼ぐかにしか興味がない。でも、当然ながらリスクが高いほど金は儲かる。

リスク」という言葉をご存知ない? 『リスクにあなたは騙される』なんてことにはなりませんように。あ、それに質問をはぐらかしてますね。・・・・・・というか、仮に内田先生の言うとおり、博打リスクが高いから儲かるのなら、「デメリットを上回るメリットがあるとは考えられませんか」の答えは、たぶんイエスですね。

一番儲かるのは戦争麻薬です。

安倍政権でも麻薬合法化はやらんでしょう。論点のすり替えっぽくなってますね。

それに戦争って儲からないよ。アメリカが儲かっているように見える? これについては『戦争の経済学』もある。知らないんだろうなぁ。きっともう頭の中に「金儲けは悪い → 戦争は悪い → ゆえに戦争は儲かる」というバカ公式が成り立っちゃっているんだぜ。

人倫に逆らうビジネスほど金になる。

ほら! 思ったとおり。

[中略]「為政者の本務は『経世済民』、世を治め、民を済(すく)うことです。

そのとおり。為政者大事お仕事の一つは、内田先生の嫌いなお金儲けの算段、つまり「経(世)済(民)政策」です! まさか経済」の語源を知らないの・・・・・・。

首相営利企業経営者じゃないし、国家は金儲けのためにあるんじゃない。福島原発事故対策震災復興沖縄基地問題の解決の方がはるか優先順位の高い国民課題でしょう。厳しい現実から目を背け、なぜ金儲けの話ばかりするのか」[中略]

なぜ? 原発事故の処理にも震災復興にも基地問題にもお金がいるんだよ!

 ――理想を高らかにうたうのは大切だと思いますが、現実的議論をすることが、成熟した大人の態度と言えるんじゃないですか。

 「それのどこが『大人の態度』なんです? 人間理想を掲げ、現実理想を折り合わせることで集団統合してきた。到達すべき理想がなければ現実をどう設計したらいいかわかるはずがない。それとも何ですか? あなたはいまここにある現実がすべてであり、いま金を持っている人間、いま権力を持っている人間が『現実的人間』であり、いま金のない人間権力のない人間現実理解に失敗しているせいでそうなっているのだから、黙って彼らに従うべきだと、そう言うのですか」

現実を見てもいないくせに「現実理想を折り合わせる」とか偉そうに! 後半、内田先生インタビュアートンデモ発言をしたかのように言いがかりをつけて、自分が正しいかのように見せかけていますね。藁人形論法という詭弁の一種です。気をつけましょう。

 ――理想を語らず、目先の金。嫌な世の中になりました。

 「[中略]有権者独裁的に物事を決めていく安倍さんを『決断力がある』と見なして好感を持った。合意形成時間がかかる民主制より、独裁的な方が政策決定効率はいい。そう思うようになった。

この効率のよさを知らないとは言わせません。チャーチル独裁的に動かなければ、おそらくイギリスナチス占領されたはずです。独裁問題はその先にある。

それならもう国会なんか要らない。安倍さんがどれほど失政をしようと『劇的に失敗する政治』の方が『決められない政治』よりましだ、そういうニヒリズム蔓延しています

そう思っているのは、ニヒリストなのは世間じゃない、あなたでしょう。誤魔化そうとするんじゃないよ。

 ――ニヒリズム……。

 「米ソ冷戦の1960年代、米ソの外交政策に対して日本人は何の発言権もなかった。国内でどんな政策を行っても、ある日、核ミサイルが発射されれば、すべて終わりだった。そういう時代に取り憑(つ)いていた虚無感を僕はまだ覚えています。いまの日本には、当時の虚無感に近いものを感じます

ほらね! あなたは、自分勝手ニヒリズムを、世間責任転嫁して、新聞紙上で垂れ流してるのよ。だらしないこと。

グローバル化によって海外で起きる事件日本運命を変えてしまう。どこかで株価暴落したり、国債投げ売りされたり、テロが起きたり、天変地異があれば、それだけで日々の生活が激変してしまう。自分たち運命自分たちで決めることができない。その無力感が深まっています

せめてニーチェみたいに運命愛を謳いあげられたらいいのにね。

 「『決められない政治』というのは政治家個人的資質問題ではなく、グローバル化によって、ある政策の適否を決定するファクターが増え過ぎて、誰も予測できなくなったので『決められなくなった』というシステムのものの複雑化の帰結なのです。何が適切であるかは、もうわからない。せいぜい『これだけはやめておいた方がいい』という政策を選(よ)りのけるくらいしかできない」

自分が「決められない」意気地のなさを「システム」のせいにしてさ、恥ずかしくないの? 「もうわからない」「できない」と言う前に、勉強しましょうよ。

[中略]

――私たち政治とどう向き合ったらいいのでしょう。

 「民主制のもとでは、失政は誰のせいにもできません。

安倍政権批判を貫徹する勇気もないらしい。というか、民主制を維持しようとする気概もない。つまり、ただただ虚無感に打ちひしがれて、僕、内田樹と一緒に諦めましょう、と。最後まで何のまともな提案もないんですね。新聞に載せることですか?

民主制より金が大事という判断を下して安倍政権を支持した人たちは、その責任をとるほかない。もちろん、どれほど安倍政権が失政を重ねても、支持者は『反政府的な勢力』が安倍さんのめざしていた『正しい政策』の実現を妨害たから、こんなことになった。責任妨害した連中にあるというような言い訳を用意することでしょう。そんな人たちに理屈を言って聞かせるのはほとんど徒労ですけれど、それでも『金より大切なものがある。それは民の安寧である』ということは、飽きるほど言い続ける必要があります」(聞き手秋山惣一郎)

しかに『金より大切なものがある。それは民の安寧である』なんてお題目が、たいそう立派な「理屈」だと思って、それで何かを提案した気でいるんだから、「そんな人たちに理屈を言って聞かせるのはほとんど徒労です」よね。よく分かりました。

(もう正直ね、あまりに腹がたったので、言葉が荒くなってしまったようです。とはいえ、内田樹先生への批判として理屈は書いてあると思いますし、その理屈が本旨です。「あまりの酷さに腹が立った!」ということを伝えるためにも文章は(概ね)そのままにしておきます各自不適切表現を割り引いてくださいませ。)

2014-09-08

http://anond.hatelabo.jp/20140908013546

ぶっちゃけて思うんだけど

そんな小難しく考えなくても

他人に何も与えてない人間が与えられるわけねーじゃん

バランス考えろよ」ってお話に過ぎないと思うんだけど。

他人と接するためのコストを払わず、相手方から承認理解を得ようなんて

無理に決まってんじゃん。少なくとも普通の人には

友達理解承認が欲しけりゃ他人友情理解承認を与えろよ。

一方的な受益を無意識に求めた結果、周囲に傲慢人間と看做されてるだけじゃねーのそれ。

欲しがるくせに与えない人間ってのは些か見てて気持悪いものがあるよ。

愛着障害だとか親だとかグダグダ並べる前に、自分他者に対してフェアに接してるかどうか考えてみろよ。

自分が欲しいもの他人に与えているもの釣りあってるか?

おまえさんに特異な魅力や能力が無い限り、天秤が釣り合ってなきゃそりゃ与えられないに決まってんだろうが。

他人環境分析するのもいいけど、自分の行動や言動をまず振り返れよ。

自己正当化理由をこねくりまわしてるようにしかみえねーな。おまえみたいな奴とはそりゃ友人になりたくねーよ

どこがメタでどこが分析的なんだよ。自己省察反省がスッポリ抜け落ちて、あることっつったら

自分以外の何かが悪いんです」だけじゃねーか。クソ以下だろ

まず明日自分がどう行動するかを考えろよ、おまえ結局何もしない理由をヒリ出してるだけだろ

2014-06-18

大学教師が新入生に薦める100冊」のCSV

大学教師が新入生に薦める100冊: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」のCSVファイルを重複排除ソート出現数3回以上だけを抜き出してみた。記号が統一されていなくて漏れしまっているのもあるかも知れない。(ゲーデルエッシャーバッハの長音風記号はなぜか統一されていて、Amazonでも全く同じ表記

2013-12-28

最近池田仮名ブログが良い

哲学的ゾンビ

http://bulldra.hatenablog.com/entry/2013/12/28/111151

下位承認欲求コモディティ化願望

http://bulldra.hatenablog.com/entry/2013/12/27/181238

池田仮名氏の最近ブログ記事がけっこう良い。

池田氏はまだブログ論を述べたり、はてな村がどうとか言ってるが、私はそういう記事には興味が無い。

しろそういった話題ではない、上に挙げた2つのエントリのようなものにとても魅力を感じる。

これらの記事は全く「かっこつけていない」。何かが氏の中で吹っ切れたのだろうか。ナルシズムが見えない。

モヤモヤグネグネしていながらそれでいて切り良く終わる自己省察

大胆に開示される彼の心と、大胆に使われる言葉(他者を理解する気も無いし、他者に期待しない。全部の努力他者にアウトソースしていきたい。等々・・・)。

サッパリした(正直になった)村上春樹、もしくは、すねた松本人志、とでも表現したらいいのだろうか。

格段に文章に魅力が生まれている。

こういった文章や、こういったブロガーこそ、私が求めているものであり、間違ってもミーアキャットのような人物は求めてはいない。

今後も池田氏ブログに期待して見ていこうと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20131223150721

2013-07-05

国文学専攻してた者です

http://anond.hatelabo.jp/20130704225950

みなさんの反応を拝見しましたが、一番人気がこれ↓ってすごいですね(執筆時)。

luccafort

元増田も頭悪い感じだったがこれはこれで頭悪さが滲みでてて趣がある。

http://b.hatena.ne.jp/luccafort/20130705#bookmark-153073342

ただの中傷じゃないですか。人として恥ずかしくないんですか。


それはさておき、一点だけもう少し説明した方がいいかな、と感じるところがあったので補足しておきます

「人文系(というか国文学/国文畑の人間)」という表現についてです。

一番最初にこの点についての疑問を含むコメントhttp://b.hatena.ne.jp/ublftbo/20130704#bookmark-153073342)をくださったublftboさんに答えるという形式をとってみます

「人文系(というか国文畑の人間)」←人文系の「一部」なのでしょう?

はい、一部です。そのことを示すために、わざわざ毎回「人文系(というか国文学/国文畑の人間)」と表現しているのです。

自分自身は、できれば「人文系」という括りで話をしたくありませんでした。今回のように国文学以外の人文系の方が集まってくることは十分予想できましたから。

しか元増田テーマは「人文系」であり、その結果としてブコメに並んだのは「人文系とは……」と人文系について賢しらに語るものばかりでした。具体的に自分が想定しているものを人気コメントから拾い上げるならば、これ↓とかです。

yellowbell

冒頭の一文「知り合いの話を聞いた感じでは」を採り上げて、この「知り合い」こそがこの批判の真の対象である、と解釈するのが人文という学問です。

http://b.hatena.ne.jp/yellowbell/20130704#bookmark-152981602

国文学が人文系の直球ど真ん中である以上、こうした言及は国文学とも無関係ではありえず、自分にとって縄張りへの侵入以外の何物でもありません。しかし、人文系の話をしているところに「国文学は……」と割りこんでいっても話の筋が見えにくく混乱を招くだけでしょうし、かといって「人文系は……」ではそれこそ一部の方が誤解して批判しているように範囲が広くなりすぎてしまます

そこで、人文系の一員ではあるが人文系全体を代表するものではないということを示したうえで不快を表明するための苦肉の策として、「人文系(というか国文学/国文畑の人間)」という表現を用いたのです。

せっかくなので前半部についても答えておきましょう。

「人文系(というか国文学)は、学問ではあるが、役には立たない」 そもそも元増田は、「人文系学問じゃない」と言っている。

元増田は人文系学問じゃないと言っているが、お前の考えに反するのではないか、という指摘でしょうか。

そうですね、反します。でも別にいいです。腹も立ちません。

自分はもともと「門外漢に人文系(というか国文学)のことが分かるはずない」と思っていますから、そういう無理解は当然のことです。また「学問じゃない」というハナからの全否定は、自分にとって縄張りへの侵入ではありません(なぜそうなのかを今ここで省察するつもりはありませんが)。

ですから、こうした言動は特に自分をいらだたせるものではないのです。

以上です。

2013-06-05

HSE 慰安婦 韓国

自己省察という言葉を知らない韓国政治家と、アメリカの一部の“人権屋政治家だろう。自分たちの“暗部”に恐ろしく鈍感なくせに、他人の“暗部”をほじくり返すのが大好き。正義を気取って恥じることがない 2013/05/27

はてなブックマーク - 生粋の人権派が出てきたら終わり

自分たちの“暗部”に恐ろしく鈍感なくせに、他人の“暗部”をほじくり返すのが大好き。正義を気取って恥じることがない」って貴様らウヨくんのことや。ブーメランどたまに刺さっとるで。

2013-01-23

橋下改革が失敗する理由、フランス革命を批判したバークが指摘してる

議会が改革と称して、既存制度の廃止やら全面的破壊やらに

うつつを抜かしているのも、困難に直面できないせいで現実逃避を図っているにすぎない。

物事をぶち壊したり、台なしにしたりするには、手腕ではなく腕力があれば十分だ。

そんなことに議会はいらぬ。暴徒にやらせておけばよい。

バカであろうと粗野であろうと、何も困りはしないのである

キレて逆上した連中は、ものの三十分もあれば、すべてをメチャクチャにしてしまう。

これを埋め合わせるには、

英知と先見性を持った者たちが、百年にわたって熟慮を重ねても足りない。

従来のシステムの過ちや弊害は、誰の目にもハッキリと映るため、

たいした頭がなくとも容易に批判できる。

ましてや絶対的な権力を握っているのであれば、ひとこと指示を出すだけで、

それらの過ちや弊害をなくすという名目のもと、

システム全体をぶち壊すことができるだろう。

かかる姿勢は怠慢にしてせっかちであり、

横着を好みつつ何かせずにはいられない。

はたせるかな、新しいシステムをつくり上げる際にも、

議会は困難に直面しようとしなかった。

物事をこれまでと正反対にするのも、安直さにかけては、

すべてをぶち壊すのといい勝負である

前例のないことを試すのは、じつは気楽なのだ

うまくいっているかどうかを計る基準はないのだから

問題点を指摘されたところで

「これはこういうものなんだ」と開き直ればすむではないか

熱い思いだの、眉唾もの希望だのを並べ立てて、

「とにかく一度やらせてみよう」という雰囲気さえつくることができたら、

あとは事実上、誰にも邪魔されることなく、やりたい放題やれることになる。

対象的なのが、システムを維持しつつ、同時に改革を進めていくやり方である

この場合既存制度にある有益な要素は温存され、

それらとの整合性を考慮したうえで、

新たな要素がつけ加えられる。

ここでは大いに知恵を働かせなければならない。

システムの各側面について忍耐強く配り、

比較力や総合力、さらには応用力を駆使して、

従来の要素と新しい要素を

どう組み合わせたらいいかを決めることが求められるのだ。

また人間は、あらゆる改善を頑固に拒んだり、

「いまのシステムには飽き飽きした」と軽率に見切りをつけたがったりもするので、

その手の主張にもじっくり対処していく必要が生じる。

こんな反論が寄せられるかもしれない。

「それでは遅すぎる。議会の偉大さは、普通なら長い歳月かけて達成される事業を、

 わずか数ヵ月のうちにやってのけることではないか

 あなたが言うような方法で改革を進めては、

 成果があがるまで何年も待たねばならない。」

むろん、そうだろう。そうあるべきなのだ

時間をかけて物事を変えていくのは、さまざまな長所を伴う。

その一つは、変化が起きているとは思えないほどペースが緩慢な点にほかならない。

慎重に用心深く作業を進めるのが賢明であることは、大工職人も承知している。

おまけに社会システム解体したり構築したりするとき

われわれはレンガや木材を扱っているわけではない。

この場合、素材となるのは生身の人間である

彼らの地位や境遇、あるいは習慣を不用意にいじり回すなら、

ひどく悲惨な結果を招くことになるだろう。

現在、人々がいかなる痛みを味わおうと、

平気で改革を進めていくことこそ、

偉大な政治家の条件だと見なされているらしい。

だが、私の考えはまったく異なる。

真の政治家たるもの、温情あふれる心をもっていなければならない。

そのような人物は祖国と同胞を愛しつつ、

おのれの能力をつねに疑ってかかる。

到達すべき目標をとっさに把握する才覚をもっていたとしても、

実際の行動においては一歩一歩じっくりと進んでいく。

政治を良くしていくには、人々の心をまとめあげねばならないものの、

これは一朝一夕にはできない。

力任せに押し切るより、我慢強く気長に頑張るほうが、

じつは成果があがるものなのだ

フランス革命省察エドマンド・バーク (1790年刊行)」訳 佐藤健志

これ以上の橋下批判は聞いたことがない。

急進的な改革は上手くいかない、やるなら徐々に行うべきだ。

後はどういう失敗の仕方になるか。

橋下が改革を成し遂げられず失敗するか、改革をやり遂げた結果、フランス革命のように全体主義を呼び込んで失敗するか。

後者なら目も当てられない

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