はてなキーワード: H.G.ウェルズとは
色々な人や物事から、自分自身を軽んじられているように思える。
1ヶ月くらいずっと在宅勤務をしていて、昨日自分の住む地域が緊急事態宣言から解除されていて、今日病院とか美容室に行って来た
病院はなんともなかったのだけど、美容室でへんな髪型にされてしまった
自分がコミュ障だからうまく意思の疎通ができなかったからだろうか?でもちょっと切るってだけでなんで変にされちゃうんだろう。
何か聞かれて、答えたらいちいち半笑いで、すごく嫌だった
ずっと人と接していなかったから、表情とか声とか話し方がおかしかったのだろうか?
自分をかわいそうで惨めだなと思ってしまって、一日中涙が止まらない。
今日は一日中土砂降りで、自分をもっと沈ませるために天気に嫌がらせされているように思えた そんな訳ないのは判っているけど余計に涙が出てくる。
綺麗に掃除したのに角にちょっと埃が残っていて、それを見ただけで泣いてしまった。やばいと思う。
でも、昔に、心療内科に通って安定剤でラリった兄弟に受験勉強を妨害され続けたトラウマがあるので、そういうところには行きたくない
一人は気楽だし、こうした状況になる前からも休日はずっと家に引きこもったりしていたし、一人で家にいることそのものが辛い訳じゃない
でも、何だろう?
この1ヶ月、友達や家族や恋人と電話したりしてたけど、いつも自分は代替可能なんだという感じがしていた
自分には全然友達がいないけど、自分の友達にはたくさん友達がいて、zoom飲み会をはしごして忙しいと言っていた
別に自分がそうなりたい訳じゃないけど、何だか、うまく言えないけど、そうか、と思った
親は職業柄、人の微細な感情に敏感なせいか、自分がだんだん鬱々として来ているのを勘付いて、気を遣ってよく連絡をくれる
その気遣いも、ありがたいけど、そうやって見られているんだなと思わされて辛かった。プライドが高いから。
恋人とは、いつもより連絡を取り合おうと言ったのに、途中からそれがおざなりになった。
連絡をするたびに、体調を心配してくれたり、早く解除になって会いたい、と言ってくれるけど、なんかそれはただのテンプレで空虚な感じがした。
実際、解除になってから連絡は来ていない。自分からすればいいのだと思うけど、連絡をしたり誘ったりするのは自分ばかりで、なんか馬鹿馬鹿しくなってきてしまった。このまま来なかったらどうなるんだろう。
あるとき、暗い気持ちで暮れそうな空を見ながらいつもの散歩ルートの海沿いを歩いていると、
自粛で行くところがないせいか、いつも人がいない散歩ルートに人がたくさんいて、
みんな家族連れとか犬連れとか友達同士とか恋人同士で来ていて、なんだよと思った。
自分だけの海沿いじゃないことは判っているのに。
やめとけばいいのに、H.G.ウェルズの「白壁の緑の扉」を読み返す。
中学校の時から何度も何度も読んでもうぼろぼろだ。ぼろぼろの本にも悲しくなる。
今、自分の目の前に白壁の緑の扉が現れたら、全てを捨てて飛び込んでしまうかもしれないと思う。
この本に出会った頃、自分は小さな田舎町にいて、周りを半透明のカプセルで囲まれているような気がしていつも息苦しかった。
親は干渉が強くてあれもこれもダメだと制限されて、兄弟には親にバレないようにネチネチ嫌がらせをされて、思春期の同級生はびっくりするくらい残酷で、
だから早くここから出て誰も知り合いのいない遠くに行きたいと強く思っていた。
一日の中で一番好きなのは、寝る前に自分の好きな人間(自分でキャラクターとかを考えた)だけが暮らしている素敵な世界(自分で設計した)で、ちやほやされまくったり、めくるめく恋をしたり、ハラハラするような冒険をするといった妄想をするひとときだった。
今は生まれ育った場所からものすごく遠い場所に暮らしていて、高校までの同級生とは全て縁を切って、一人暮らしをしていて、好きなこともしている
なのに何でこんな気持ちになるんだろう。
昔の悲惨だった頃を思い出してまた涙が出てくる。ゴミはずっとゴミのままで、色々夢見て主人公みたくなろうとしても、無理なんじゃないかと思う。
『超権威主義的世界文学百選』http://togetter.com/li/138734というランキングを見て、面白いと思いながらも疑問に思ったことがあって、「20世紀の小説ばっかりじゃん!!」ということで19世紀の小説を重視したランキングを作成してみました。具体的には近代文学の始まり「ドン・キホーテ」(1605,1615)からモダニズムの始まりである「ユリシーズ」(1922)までです。つまり近代文学のモダニズム以前、ということになります。小説を選ぶうえで参考になればと。あと、あくまで個人的な基準に過ぎないことを留意してもらえればと。
1.「ドン・キホーテ」(1605,1615) ミゲル・デ・セルバンテス
2.「ガリヴァー旅行記」(1726) ジョナサン・スウィフト
3.「トム・ジョーンズ」(1749) ヘンリー・フィールディング
4.「紅楼夢」(18世紀中頃) 曹雪芹
5.「トリストラム・シャンディ」(1759~1767) ローレンス・スターン
7.「高慢と偏見」(1813) ジェーン・オースティン
8.「黄金の壺」(1814) E.T.A.ホフマン
10.「いいなづけ」(1825) アレッサンドロ・マンゾーニ
11.「赤と黒」(1830) スタンダール
13.「アッシャー家の崩壊」(1839) エドガー・アラン・ポー
15.「虚栄の市」(1848) ウィリアム・メイクピース・サッカレー
16.「緋文字」(1850) ナサニエル・ホーソーン
17.「デイビッド・コパフィールド」(1850) チャールズ・ディケンズ
18.「白鯨」(1851) ハーマン・メルヴィル
19.「死せる魂」(1855) ニコライ・ゴーゴリ
20.「オーレリア」(1855) ジェラール・ド・ネルヴァル
21.「ボヴァリー夫人」(1857) ギュスターブ・フロベール
22.「晩夏」(1857) アーダルベルト・シュティフター
25.「ミドルマーチ」(1872) ジョージ・エリオット
29.「ブラス・クーバスの死後の回想」(1881) マシャード・デ・アシス
30.「さかしま」(1884) ジョリス=カルル・ユイスマンス
31.「ハックルベリー・フィンの冒険」(1885) マーク・トウェイン
32.「飢え」(1890) クヌート・ハムスン
33.「クォ・ヴァディス」(1895) ヘンリク・シェンキェヴィッチ
36.「シスター・キャリー」(1900) セオドラ・ドライサー
37.「ロード・ジム」(1900) ジョゼフ・コンラッド
38.「ブッデンブロークス家の人々」(1901) トーマス・マン
39.「超男性」(1901) アルフレッド・ジャリ
40.「チャンドス卿の手紙」(1902) フーゴ・フォン・ホーフマンスタール
41.「鳩の翼」(1903) ヘンリー・ジェイムズ
42.「一万一千本の鞭」(1907) ギヨーム・アポリネーム
44.「ハワーズ・エンド」(1910) E.M.フォースター
45.「ペテルブルク」(1913) アンドレイ・ベールイ
46.「変身」(1915) フランツ・カフカ
47.「明暗」(1916) 夏目漱石
48.「ワインズバーグ・オハイオ」(1919) シャーウッド・アンダーソン
49.「われら」(1921) エヴゲーニイ・ザミャーチン
五島勉の最新作「H.G.ウェルズの予言された未来の記録」を読んだ。
「あのウェルズが予言をしていた」って内容で、それはそれでいいのだが・・・。
これを、その時代(日中衝突の時代)には、「日本にアーモンドが咲いている」=「世界の富や文化が日本発で」という解釈はいかがなものか。
「アーモンドの詩」は、「もうそれを私は見れないのだろうか?」につながっているので、「アーモンドの花が見れなくなる」っていう予言なのでは?
「アーモンドの花が見られなくなる」←「ミツバチが姿を消す」→「アインシュタインの予言(ミツバチの絶滅後4年で人類絶滅)」と言う風に、当然つながってくると思うんだけど、もう、五島勉にはそういうひらめきはないらしい。
「アーモンドの詩」を見直すと、「アーモンドの花、美しい富士山、かわいいものに満ちた宝島、それらはもう見られない(=滅びる)」と読めるので、「ミツバチの絶滅」、「富士山噴火」が予言されているのが明らかだと思うんだけど。