はてなキーワード: 昭和59年とは
相続人が、右各事実(被相続人の死亡の事実と自分が相続人になった事実)を知った場合であっても、右各事実を知った時から三か月以内に限定承認又は相続放棄をしなかったのが、被相続人に相続財産が全く存在しないと信じたためであり、かつ、被相続人の生活歴、被相続人と相続人との間の交際状態その他諸般の状況からみて当該相続人に対し相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があって、相続人において右のように信ずるについて相当な理由があると認められるときには、相続人が前記の各事実を知った時から熟慮期間を起算すべきであるとすることは相当でないものというべきであり、熟慮期間は相続人が相続財産の全部又は一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべき時から起算すべきものと解するのが相当である。(最判昭和59年4月27日)
“朝鮮人扱った映像作品” 東京都が上映認めず 制作者らが批判
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221122/k10013900691000.html
こいつが検閲になるんじゃないかということでニュースになっていたわけだけど、
最初は自分も検閲になるんじゃ、とは思っていたが考え直して検閲には当てはまらんような気がしてきた。
ただ自分の記憶もあいまいなので、識者の意見を聞きたいと思ってここにメモを残しておく。
「検閲」とは「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的とし、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるもの」
を意味し、今回は東京都という行政権が主体となって、発表前に内容を審査したうえで、不適当と認めるものの発表を禁止したといえるので、検閲なんじゃないかと思ったわけだ。
ただ、そこでない記憶を振り絞って思い出したのが家永訴訟で、探し出してみたら
「本件検定は、前記のとおり、一般図書としての発行を何ら妨げるものではなく、発表禁止目的や発表前の審査などの特質がないから、検閲に当たらず、憲法二一条二項前段の規定に違反するものではない。」
となっていて、検閲でいう発表の禁止は今後一切の発表ができなくなるような性質に思えるな、というわけで
22日、都議会の議会棟で、昭和初期に精神科の病院に入院していた朝鮮人を扱った映像作品の上映会が開かれ、制作したアーティストの飯山由貴さんらのグループと都議会議員7人らが参加しました。
飯山さんは、東京 港区の「東京都人権プラザ」で開かれている精神障害者の理解促進を図る企画展で都に展示内容の委託を受け、イベントの1つとしてこの作品を上映しようとしましたが、認められませんでした。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221122/k10013900691000.html
すでに対象作品は上映で来ていて、今後も別の機会でも上映できるだろうから検閲ではないんじゃないかと思うんだが、どうだろう。
ついでに言えば、東京都が作品内容について判断をして拒否をできるかについては、拒否ができる場合もあるとは思う。
例えば、ジェンダーについての作品を依頼してTERFバリバリの作品が出てきたら困るだろうし、
女性支援の作品でHPVワクチンは薬害をもたらした、なんてやられたら問題としか言えないし。
https://news.yahoo.co.jp/articles/02b7817b866ffd531d0fd4c1125f2ec3413b6055
ただし、そういった上映の拒否権も完全に自由とはならず、ある程度の裁量権の範囲にはなるかと思う。
教科書訴訟でも検定の正当性は認めつつも、裁量権を逸脱した部分については違法性を認定しているわけで。
「生体実験をして多数の中国人等を殺害したとの大筋は、既に本件検定当時の学界において否定するものはないほどに定説化していたものというべきであり……文部大臣が、七三一部隊に関する事柄を教科書に記述することは時期尚早として、原稿記述を全部削除する必要がある旨の修正意見を付したことには、その判断の過程に、検定当時の学説状況の認識及び旧検定基準に違反するとの評価に看過し難い過誤があり、裁量権の範囲を逸脱した違法がある」
「行政庁に大幅な裁量権を認めたものではなく、裁判所は行政庁の判断が相当の根拠資料に基づいてなされた合理的なものであるか否かを審査すべき」
そういった意味で
毎年行われる関東大震災の朝鮮人犠牲者への追悼式典に小池知事が追悼文を送っていないことを挙げたうえで、「都知事がこうした立場を取っているにもかかわらず、朝鮮人大虐殺を『事実』と発言する動画を使用する事に懸念があります」と指摘しています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221122/k10013900691000.html
知事の歴史認識と異なるから拒否をするというのは裁量権の範囲とは認められにくい、とは思うがいかがなものだろう。
そんなわけで、検閲ではないが違法性が認められる余地はある、という感想を抱いているんだが、どんなもんだろう。
あと東京都側の主張についてだけど
「メールは、殺傷事件があったかどうかというより、殺害された人数など、内容にさまざまな見解があり、その部分を確認したかった。展示しないように求めたのは、事件が事実と描かれているからではなく、障害者と人権というテーマから作品がずれているからだ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221122/k10013900691000.html
子供時代の頃は断片的な記憶しかないのだけれど、ひろこちゃんと遊んだあの日の事は何故かしっかりと記憶している。
ひろこちゃんとは小3の時に同じクラスになり知り合った。昭和59年。80年代の独特な空気感があった。
ひろこちゃんはストレートのショートヘアでいつもどこかがぴょこんと寝癖で髪がはねていて、アレルギー皮膚炎なのか、目の周りや膝の裏がポツポツと赤かった。
掃除の時間、雑巾がけをするひろこちゃんの下着が見えた事があった。
茶色く変色していてびっくりした。いつもフッと尿臭がすることがあった。
ひろこちゃんはひとえの、フニャッとした顔立ちでふわふわとした性格だった、どこかいつも泣きそうな表情をしていた。性格が暗いというのではなく…どこかいつも「困ったなぁ」という感じの雰囲気だった。
ある日ひろこちゃんと放課後遊ぶことになった。ひろこちゃんが私を自宅に招いてくれるという。ただしお母さんの了解がいるらしい。お母さんの働く美容室に一緒に向かった。お母さんの姿は細部まで覚えている。
当時ダイアナ妃ブームだったせいか、美容師のお母さんはダイアナ妃と同じ、キレイに両サイドをブローした洗練されたヘアスタイルをしていた。真珠の一粒ピアス、ベージュのニット、チェックの細身のパンツスタイル、
長身にパンプス。自分の母親との違い、地味なひろこちゃんとのギャップ。お母さんはお客さんの髪をブローしている。ドライヤーの音でひろこちゃんとの会話は分からないが自宅で遊ぶ事を了解してくれたらしい。
ひろこちゃんの家は古い長屋のようなところだった。木製の引き戸をガラガラ開ける。
初めに目についたのは暗い廊下の両脇に溜まった埃だった。
ひろこちゃんの部屋に入る。砂壁の小さな部屋。ベッドに腰掛けると布団が湿気でじっとりと重かった。
ひろこちゃんは当時流行っていたファンシーなしおりを一枚くれた。
「海の王 シャチ みんな楽しそう」
何故か台所に移動する。途中、模様ガラスの引き戸の向こうから男性のグォーグォーというイビキが聞こえる。豆電球の灯り。お父さんは夜勤で昼間は寝ているらしい。
突き当たりにお兄ちゃんの部屋、というかスペースがある。物が溢れて窓を塞いでいる。当時の少年が夢中だったプラモデルがひしめいている。
暗い、日の差さない台所。食堂から引き戸が全開になっているお風呂場が丸見えになっている。風呂場が長い間使われていないことが何となくわかる。タイルが干からびていてどこから舞い込んだのかカラカラの落ち葉が洗い場に落ちていた…
マンモス小学校だったのでひろこちゃんとはそれきり、同じクラスになることはなかった。6年生で私は転校した。
子供の頃はひろこちゃんの、けして明るいわけでない境遇を何とも思わなかった。
ただ、そうなんだ、と。それだけだった。
美しいお母さんは?
あの日は何月何日だったのか、あの日私とひろこちゃんはどんな夕飯を食べたのか?
ひろこちゃんは私の事を覚えているだろうか?
・国会議事録( https://kokkai.ndl.go.jp/#/ )から「丁寧に説明」「丁寧な説明」を検索し結果を取得、合算
・発言総数は、5509回
岸田文雄 108
石井啓一 60
西村康稔 55
麻生太郎 52
中谷元 50
菅義偉 49
茂木敏充 42
塩崎恭久 39
岩屋毅 37
吉川貴盛 35
望月義夫 35
野田佳彦 34
林芳正 32
梶山弘志 25
野上浩太郎 25
下村博文 25
■年別推移
令和3年 350
令和2年 391
令和元年 463 (平成31年を含む)
平成30年 621
平成29年 497
平成27年 569
平成26年 446
平成24年 188
平成23年 185
平成22年 93
平成21年 76
平成20年 77
平成19年 64
平成18年 102
平成17年 83
平成16年 53
平成15年 39
平成14年 43
平成13年 26
平成11年 43
平成9年 16
平成7年 9
平成6年 6
平成5年 13
平成4年 8
平成3年 14
平成元年 8
昭和63年 5
昭和62年 5
昭和61年 3
昭和59年 3
昭和58年 2
昭和57年 6
昭和56年 4
昭和55年 7
昭和54年 5
昭和53年 5
昭和52年 3
昭和51年 7
昭和50年 3
昭和49年 2
昭和48年 4
昭和47年 1
昭和46年 2
昭和45年 4
昭和44年 5
昭和43年 7
昭和42年 8
昭和41年 4
昭和40年 4
昭和39年 3
昭和38年 4
昭和37年 5
昭和36年 6
昭和35年 2
昭和34年 5
昭和33年 7
昭和32年 6
昭和31年 4
昭和29年 8
昭和28年 8
昭和27年 5
昭和26年 7
昭和25年 8
昭和24年 4
昭和23年 6
"「もう堤防には頼れない」 国頼みの防災から転換を" 日本経済新聞 2019/10/14 0:38[有料会員限定]
"堤防の増強が議論になるだろうが、公共工事の安易な積み増しは慎むべきだ。台風の強大化や豪雨の頻発は地球温暖化との関連が疑われ、堤防をかさ上げしても水害を防げる保証はない。人口減少が続くなか、費用対効果の面でも疑問が多い。西日本豪雨を受け、中央防災会議の有識者会議がまとめた報告は、行政主導の対策はハード・ソフト両面で限界があるとし、「自らの命は自ら守る意識を持つべきだ」と発想の転換を促した。"
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50958710T11C19A0MM8000/
自然災害まで自己責任となると、そもそも国家とはなんのためなのかと思いますが、その点はともかく公共事業の積み増しはそんなに悪いことでしょうか?
公共事業関係費予算は「コンクリートから人へ」を掲げた民主党政権が予算編成を行った平成22、23、24年度の当初予算において大幅に減少しましたが、東日本大震災の被害を受けた災害復旧対策を計上した平成23年度補正予算で大きく増えました。その後「第二の矢」として国土強靱化を含む積極的な財政政策を掲げるアベノミクスのスタートにより平成25年度予算では災害復旧以外の公共事業費も増えました。しかしながらその後は税収が順調に伸びているのに基本的に6兆円にフィックスされたままです。現在の予算規模は昭和53年、40年前と同じ規模です。私は、アベノミクスの「第二の矢」は口先だけだと思っています。令和元年からは3カ年緊急対策として上乗せ分がありますが、消費税増税を睨んだマクロ経済対策の一環でしょう。
おそらくネットでは台風19号の被害を受けて、民主党批判にからめてスーパー堤防がどうの、八ッ場ダムがどうのという議論があるのだと思いますが(確認はしていません)、私は個々の対策については効果を判断するだけの知識はないので、そこは専門家がきっちり議論してほしいと思います。問題にしたいのは、こうも災害が続くと、人の命を守るために「国土強靱化」の加速が必要なのではないか、財政再建を強調して公共事業予算を昭和50年代と同じかそれ以下に留めておくことが、財源として国債発行によるべきでないという意見が、現在のマクロ経済環境のもと相当なのかということです。
むろん、専門家の議論に基づいたワイズ・スペンディングが前提ですが、必要な対策を施さないまま大きな被害が生じれば、復旧のために予算が使われるのですから、防災対策としての公共事業費と復興のための公共事業費は、「人が死ぬ前に出すか、人が死んでから出すか」の違いでしかありません。「コンクリートから人へ」のスローガンのもと、公共事業費を当初予算で5兆円以下にまで削減した民主党政権が、東日本大震災の復興のために3兆円近くの補正予算を組んだのがその実例です。
そして公共事業によりまず恩恵を受けるのは、地方に住む高卒以下の限られた学歴しかない労働者、次いで災害の危険にさらされている地方の住民です。彼らは1997年からしつこく続くデフレ圧力のもと、もっとも大きな経済的な困難に見舞われた人たちです。
ところで、公債発行による財政支出の拡大は、そもそも何が悪いのでしょうか? 公債は、償還期限が来ても借り換えができれば問題ないので、個人の借金と異なり、国が続いている限り、返済して残高をゼロにする必要はありません。
にもかかわらず公債発行が問題になる理由は、第1に民間投資を阻害してクラウディング・アウトを生じさせることです。そのメカニズムについてはマクロ経済学の教科書でIS-LM分析をみていただきたいのですが、利子率がゼロ近辺かそれ以下に達し、LM曲線が水平に近い状況、「ゼロ金利制約」「流動性の罠」が発生しているときには、クラウディング・アウトは生じません。現在の日本はその状態にあります。
第2に大量の公債発行が続くと、財政支出に占める公債費の割合が上昇し、財政硬直化の原因になることです。しかしながら、2000年度の財政支出に占める公債費の割合は24%であったのに対して、2019年度は23.6%です。公債費の割合は近時特に上昇しているわけではありません。近年、新規国債発行額、公債依存度はいずれも低下しています。利払いは年間9兆円弱、これは昭和59年と同じ水準です。財政の健全性はフローとの比率でみるべきですが、GDPにしめる利払いの割合は史上最低レベルにあります。
第3に、負担を将来世代に転嫁して、世代間の公正を阻害することです。よく言われる「子孫に借金を残すな」というフレーズは多分これを指しています。しかしながら、国債が外国人にもたれている場合は、償還の際に外国に資産が流出しますが、日本国内に留まる場合は、仮に償還の資金を増税でファイナンスしても、税金を払うのも償還を受けるのも日本人です。利用可能な資源の総額は変わりません。現在日本の国債の90%は日本国内で保有されています。しかも半分は日銀です。さらに、防災・減災対策としての公共事業により、子孫は災害に強い社会資本を享受することができます。受益するのが子孫であれば借金を子孫に残しても不合理ではありません。
すべての政策決定には必然的にリスクがあります。確かに政府債務の増大は破綻リスクを高めます。問題は将来実現するかも知れない、実現しないかも知れないリスクを考慮して、実現し、実現しつつあるリスクに対処しないでよいのか、ということです。私は現在の環境-自然災害の多発、慢性的なデフレ圧力と需要不足、その結果としての地方の疲弊・限られた学歴の労働者の困難・超低~マイナス金利-で、国債発行による公共事業の積極的な拡大は、是非とも必要だと考えています。
「国土強靱化いつやるの?今でしょう!」どうか政治家のみなさま、よろしくお願いします。
"れいわ新選組と立憲民主党 どちらが正しいか (自民党とどちらが正しいかも追記しました) "
https://anond.hatelabo.jp/20190622204530
"金融政策はこれからもマクロ経済の安定化ツールであり続けることができるのか サマーズとクルーグマンのツイートより"
https://anond.hatelabo.jp/20190824134241
(追記)
ご参考までに。
"公的債務に対するより寛容な態度を批判する人たちがまちがっている理由" オリヴィエ・ブランシャール&アンヘル・ウビデ 2019年7月15日8:00 AM
"世界経済は金融政策のブラックホールのリスクにさらされている-政府は長期停滞を食い止めるためにもっと借金を" ローレンス・サマーズ 2019年10月12日フィナンシャル・タイムズ
https://www.ft.com/content/0d585c88-ebfc-11e9-aefb-a946d2463e4b
①前半部分、「ということは実際に男性が逮捕されたりしたら別の話になるのでは???」まではおっしゃる通りです。ただし、別の話として検討した結果、同じ結論に至る可能性もあります。
②不退去罪は公共交通機関である鉄道の駅構内においても成立します。(昭和59年12月18日最高裁判決)
③鉄道会社は女性専用車両に乗り込んだ男性に対し、出て行くよう強い説得行為をして良いものと、あなたの引用した裁判において判示されています。「出ていけ」と命じて良いかどうかは今後裁判所が判断することです。良いとも悪いとも現段階では断言できません。
④差別=違憲=違法ではありません(憲法の私人間効力についての説明は割愛します。)。
基準は諸説ありますが、ざっくり言うと、差別的な規制であっても、その規制目的や手段の合理性(必要性や正当性、相当性等)が認められれば、合憲であり、違法ではありません。例えば、トイレが男女別になっていることは明らかな性差別ですが、目的や手段の合理性が認められるため、違法ではありません。同様に、女性専用車両についても、その目的や手段の合理性が認められ、違法とはされていません。日本人専用車両は、目的や手段の合理性を裏付ける根拠が不十分と思います。合法的規制として認められる可能性は低いでしょう。
⑤女性専用車両は、男性も乗って良いことになっているし、女性の被害を軽減する目的もあるため、差別的規制だが、違法ではないというのが現状の裁判所の判断です。
完全に男性が乗ってはいけないとなった場合にどうなるかは不明ですが、個人的見解としては、合法とされる余地はあると思います。したがって、もし仮に、あなたが今後女性専用車両に乗り込んだりするつもりでしたら、その行為が違法性を問われるリスクを孕むことは認識しておいた方が良いでしょう。
⑥蛇足ですが、旅館業法では、ご指摘のあった「客が伝染病患者だったりギャンブラーだったり客室に空きがないとき」の他、「その他の違法行為又は風紀を乱す行為をする虞があると認められるとき」にも宿泊を拒んで良いとされています。(旅館業法第5条第2号)
1983年(昭和58年)2月5日から1984年(昭和59年)1月21日まで、名古屋テレビを制作局として、テレビ朝日系列で、毎週土曜日17:30 ‐18:00(JST)に全49話が放映された日本サンライズ制作のロボットアニメである。
異世界に召喚されちゃった現代人がオーラバトラーに搭乗して戦うのだが。
ある日、コモン界にある「アの国」の地方領主ドレイク・ルフトは、捕獲し水牢に幽閉したエ・フェラリオのシルキー・マウを脅し、地上人(ちじょうびと=我々の住む地上界の人間)ショット・ウェポンとゼット・ライトをバイストン・ウェルに召喚する。ロボット工学に明るいショットはバイストン・ウェル固有のオーラ力に着目し、それをエネルギー源とする「オーラマシン」を開発、バイストン・ウェルに初めて「機械」をもたらした。当初はユニコン・ウー(馬に似た動物)に代わる移動手段程度の物だったが、やがて飛行兵器オーラ・ボム、さらには巨獣の甲殻を外装にまとい、内蔵された人工筋肉を電子制御によって駆動する人型兵器「オーラバトラー」(「巨人騎士」とも呼ばれる)へと発展した。
次の発売で150巻を数える『クッキングパパ』は、みなさんご存知の料理漫画だが、
連載当初、主人公の荒岩一味は同僚に「過程で料理をするのは夫/父親である自分である」ことを
『クッキングパパ』の連載が始まったのは1984年(昭和59年)。
荒岩が料理を作ることを周囲に公表したのは、1998年発売の単行本51巻でのことらしい。
『クッキングパパ』と同時代の料理漫画には『ミスター味っ子』(1986年~1989年)があるし、
その後も『鉄鍋のジャン!』『焼きたてジャパン』等々、「男性料理人」を主人公にする漫画は
少年誌で連載される機会も多かったように思うが、「夫/父親が料理をする」漫画は『クッキングパパ』以降、
増えなかったように見える。
宮内庁関係予算推移によると昭和22年には3832万1000円だった宮内庁関係予算が翌年には1億379万9000円に跳ね上がり、その翌年には2億4257万8000円に、そのまま増え続けて昭和35年には10億15380万円、昭和59年には100億1052万円、平成13年にはピークの193億7346万8000円になり、それからはゆるやかに減少し平成24年は167億3867万8000円になった。
秋篠宮家のリフォームに33億だの仮住まいに10億だの話題になっていたが、バブルが弾けて不景気になってもいつまでも大金を使う体質が変わらないままでは困る。
外交も大事だけど国が急速に衰えているんだから研究や保育介護に金をかけろ。
皇室に男の子が産まれないので旧皇室復活だの女宮家だの言っているが、もう皇室には天皇と悠仁様だけ残して女の子しか産まれなかった他の家は消して予算削減して、悠仁様に男の子が生まれなかったら旧皇室から男の子連れてきて悠仁様の養子にして後継ぎでいいじゃん。
たったあれだけの人数に使う金額じゃねえわ。
うーん、まあそういうことを言いたい気持ちが分からんではないんだが、
(1) 和暦において二文字でない年号は「天平感宝」「天平勝宝」「天平宝字」「天平神護」「神護景雲」の五つしかない。これは奈良時代、聖武天皇の「天平」の後の20年ちょっとの時期に集中していて、それ以前にもそれ以降にも元号は二文字のものしか存在しない。
(2) 昭和54年、元号法が制定された時期の閣議報告である『元号選定手続について』(昭和54年10月23日 閣議報告、昭和59年6月29日 一部改正、同7月1日施行、昭和64年1月7日 一部改正):
https://www.kantei.go.jp/jp/content/20190208choukan_shiryou.pdf
の 2(2)イ に、
内閣官房長官は、候補名の検討及び整理に当たっては、次の事項に留意するものとする。
(中略)
http://megalodon.jp/2009-0724-1941-48/www.sankei-kansai.com/2008/10/07/20081007-002852.php
秋の収穫を迎えるころになると毎年、青森県弘前市から大阪新聞社にリンゴが届けられる。このリンゴは大阪府内の福祉施設にクリスマスプレゼントとして贈られる「善意のリンゴである。
大阪新聞が贈り物の橋渡し役をしている。
善意のリンゴは、13年前の 「リンゴ事件」 がきっかけで始まった。
昭和59年4月23日、大阪・京阪天満橋駅前。青森からトラックで行商にきた人が、はるばる運んできた赤いりんご80箱をトラックの荷台に積んで売っていた。
桜の季節で、駅前は近くの桜の名所、造幣局の 「通り抜け」 に訪れた人たちでにぎわっていた。
事件はその人が、電話をかけるため目を離したわずかなすきに起こった。
リンゴの山に、「試食をしていただいて結構です」と垂れ幕がしてあった。それをみた人が、つい一つ、手にした。
「リンゴはただやで」ということになり、1個どころか何個も手にする人が出た。
「押さんといて」。群集心理に火がつきトラックの前には身動きもできない人だかりがした。興奮してかリンゴの山にのぼり、人がきを目がけてボンボンとリンゴを投げる背広姿の男の人もいたという。
http://megalodon.jp/2010-0412-2052-49/www.sankei-kansai.com/2008/10/07/20081007-002853.php
被害総額40万円。
「いまさら警察に訴えてもしかたがない」と被害届も出さなかったが、マスコミに「大阪は本当に怖いところ」ということばを残して帰った。
大阪新聞は、事件の発生から3日後に「大阪の良識を取り戻そう」キャンペーンを展開した。これが当時の佐藤編集局長の発想である。
「いまからでも大阪の良識を取り戻しましょう。持ち帰ったリンゴの代金を支払うのも反省の証の一つです」と代金の支払いや寄付を紙面で呼びかけた。
「天満橋のサラリーマン」を名乗る人からは「事情が分からず、4個拝借しました。申しわけありません」と代金の倍額の2千円を届けてきた。「大阪のイメージダウンになるのはたまりません」と10万円をボンと寄付する団体も現れた。
青森出身の舞踏家・江口乙矢さんも3万円を寄託。寄金は31万2500円に達した。
現地の希望に沿い、交通遺児のために役立ててほしい、と編集局長が弘前市役所を訪れて、大阪市内の幼稚園児が描いた200枚のリンゴの絵とともに福士文知市長に託した。当の被害者からは、「大阪人の真心に触れることができました」と手紙が届いた。
大阪、弘前の両市が市制100年を迎えた平成元年からは、府内の福祉施設へのリンゴの寄付がスタート。そして平成9年も10月23日、市内のホテルで金澤隆弘前市長から大阪新聞社に20ケースのリンゴが託された。
昭和55年の毎日新聞じゃなくて昭和59年の大阪新聞(後の産経新聞)やし、
記事中にもあるとおり群集心理で「無料で取ってもいいもの」と思われただけで、
嘘ついてまで大阪人を貶めるなんてとても同じ国の人とは思えへんわ。
宝永年間(1700年代)の富士山の噴火では、降灰により煙草の耕作に適した土壌がつくられたと言われています。
江戸時代に興った秦野葉の栽培は、水府葉(茨城)、国分葉(鹿児島)と並び日本三大銘葉として称せられ、秦野町は全国でも有数な
煙草生産地として知られるようになりました。 明治32年(1899)には、秦野に煙草試験場が開設。
亀本は、秦野葉の名を後世に伝えようと、秦野葉の葉形を型にした煎餅を考案、『煙草煎餅』と名付け製造を始めた。
時は流れ、秦野の町は大きく発展。
煙草耕作は大変な労力がかかり、高度経済成長以降、第一次産業に従事する人口が減少してくると生産が低調になっていきました。
秦野葉は、刻み葉(キセル用)であったため、嗜好品の変化から消費量も減少し、昭和49年を最後に秦野から姿を消しました。
その後は、紙巻き煙草用の米葉と呼ばれる黄色種が生産されたものの、かつてのような隆盛はなく、昭和59年に黄色種の生産も
この一方で、煙草煎餅は、独特の製法・厳選された材料が醸す味覚を大切に守りながら販売が続けられている。
http://tokio-mt.wixsite.com/sugar-and-spice-1/about_us
http://www.city.hadano.kanagawa.jp/www/contents/1001000001160/index.html
昭和55年授業料180000入学金80000検定料15000
昭和57年授業料216000入学金100000検定料17000
昭和59年授業料252000入学金120000検定料19000
昭和62年授業料300000入学金150000検定料21000
平成元年授業料339600入学金185400検定料23000
平成3年授業料375600入学金206000検定料25000
平成5年授業料411600入学金230000検定料27000
平成7年授業料447600入学金260000検定料29000
平成9年授業料469200入学金270000検定料31000
平成11年授業料478800入学金275000検定料33000
平成13年授業料496800入学金277000検定料33000
平成15年授業料520800入学金282000検定料33000
当時は女は若いうちしか働けないし、男も結婚出産しないと出世できないし、24までに結婚して子供を数人産まないと信用できないまともな大人じゃないと言われて強い社会的圧力があったからね。
バブル前後の国立大学費の移り変わりを書くけど、数年単位で凄い勢いで育児に金がかかるようになっている事がわかると思う。
子供はなかなか死ななくなったし、老後は子供が見る価値観も消えてきたし、国立に上がったら安い学費で大学に行かせてもいいって社会から私立でも子供を大学にやらないと可哀想になって、塾やらも一般的になり急激に子供を産まない圧力がかかった時代なんだよ。
昭和53年は授業料144000入学金60000検定10000
昭和55年は授業料180000入学金80000検定料15000
昭和57年は授業料216000入学金100000検定料17000
昭和59年は授業料252000入学金120000検定料19000
昭和62年は授業料300000入学金150000検定料21000
平成元年は授業料339600入学金185400検定料23000
平成3年は授業料375600入学金206000検定料25000
平成5年は授業料411600入学金230000検定料27000
平成7年は授業料447600入学金260000検定料29000
平成9年は授業料469200入学金270000検定料31000
平成11年は授業料478800入学金275000検定料33000
帰省したらテーブルの上に広げてあった父の給与明細を見てしまった
6月は18万だったらしい
これが父にとって高いのか低いのか判らない
父は土木作業員の監督だから安定して18万なわけじゃないだろう
自分が子どものころから雨の日は休みだったし、忙しいときとそうでないときで帰宅時刻が全然違った
うちの家庭は自分を含めて子どもは3人で、地方住まいの自営業者の父、パートの母、大正生まれの祖父の6人だった
自分が幼少の頃、バブル時代は毎週出前の寿司を食べていたし、言えばなんでも買ってもらえたし、田舎だからと言うのもあるが、車が6台だか7台あった
金があったんだろう
昭和59年生まれの俺にとってのバブル時代なんてほとんど記憶にないけど、寿司と車とファミコンソフトに溢れていたのは覚えている
でも、子どもたちが中学生になるころには「お前たちがいくら頭が良くなったとしても、大学には上げてやれない」とか「高校に入ってしまえば勉強なんて一切しなくていい」と言われ続けていた
俺はバカな子どもで、中学の成績は中の上程度だったし勉強よりもゲームやテレビが好きなやつだったから、言われたとおり、高校に入ったあとは勉強しなかったし、そのあと進学もしなかった
変に中学時代は中の上程度の成績を保てたもんだったから、行った高校は半端な進学校で、周囲はみんな勉強していた
だから勉強なんて一切しなかった俺の成績は、下から片手で数えられた
自分はフラフラとバイトを変えたりしたあと、現在は事務系の会社員(非正規)で、弟は地元に残って土木作業員だ
妹は当時流行していた美容師になりたがったが、希望の学校の学費が払えないと言われるなり、高校卒業後は半ば家出のように東京へ飛び出して行き、キャバ嬢を経たあとは働きもせず男の家に引きこもっている
進学はするなと言われていたしね
あーそりゃあそうだ
子どもが三人もいて、月収18万の父とパートの母と家でボーっとしているだけの祖父しか大人がいない家庭じゃ大学なんか行かせられないよな
母は仕事と買い物以外ではずっと家にこもっていて、テレビにも本にも興味がない、無趣味の人間だ
そりゃそうさ、うちにはそんな金がなかったんだ
母はよく「税金だけはちゃんと払え。絶対借金はするな」と言っていたのできっとうちに負債はないんだろうけど、決して余裕のある生活ではなかったんだなあ
今思えば貧乏の片鱗はたくさんあったのに、よくここまで子どもたちに隠し通したと思う
実際、明日の食べるものや着るものがないとか親父がパチンカスの浮気性とかそういうテンプレが通るような深刻な貧乏ではなかったし、両親も家族も仲はいい
おかげで、成人してひとりになるまで自分が勉強不足で世間知らずのバカだったなんて気づかなかった
妹はもう三十路近いのに、今でもフェイスブックに「ぱぱとままみたいなあったか~い家庭があこがれ♪」なんて書いているけど、会うと酒焼けしただみ声をしている
小松 美羽(こまつ みわ、1984年(昭和59年)11月29日)は、日本の版画家。アーティストとして風土に所属している。
長野県埴科郡坂城町出身。2004年(平成16年)に女子美術大学短期大学部を卒業した。
2009年(平成21年)に「美しすぎる銅版画家」としてメディアに取り上げられて注目を集めた。
小松美羽オフィシャルブログ「千年先のMIWACODE」Powered by Ameba
http://ameblo.jp/komakoma-blog/
画歴
●日本版画協会入選(東京都美術館) ●女子美優秀作品賞2度受賞(ガレリアニケ・大学校内) ●大学版画展(町田市立国際版画美術館) ●ROSES展(スパイラルガーデン) ●銅夢展(すどう美術館) ●絵と花のコラボ展覧会(神戸異人館・ライン館) ●阿久悠トリビュートアルバム「Bad Friends」(ポニーキャニオン)ジャケットと挿絵を担当 ●流通専門誌 「 Value creator 」表紙を担当(年間) ●阿久悠トリビュートアルバム「歌鬼3」ジャケット・挿絵担当 ●TSUTAYAオリジナル絵本・絵担当 ●ギャラリータグボート(絵画・版画取り扱)
週刊プレイボーイ 掲載12月15日 週刊SPA! インタビュー掲載
12月15日 CS275池袋ウェストフードパーク「MEGA美の泉」OA(26:30~)
12月16日 阿久悠氏トリビュートアルバム「Bad Friends」発売
12月16日 夕刊フジ 阿久悠氏トリビュートアルバム「Bad Friends」発売紹介記事掲載(小松がジャケットと挿絵を担当)
12月16日 CS275池袋ウェストフードパーク「MEGA美の泉」OA(18:30~)
3月29日 日本テレビ「DON!」美人スペシャリスト特集コーナーにてVTR&生出演
4月22日 au携帯ニュース情報サイト「ニュースEX」にて「美しすぎる文科系女子」特集に登場(1週間連続)
4月24日 J-WAVE「kiss and hug」内「WHAT'S YOUR JOB?」コーナーにてゲスト出演
5月30日 スポニチアネックスにて阿久悠トリビュート「歌鬼3」紹介記事掲載
7月14日 阿久悠トリビュート「歌鬼3」発売 ジャケット・挿絵担当
7月 女子美術大学オープンキャンパス・卒業生紹介タペストリー
8月 ソニー・エリクソンau公式サイト インタビュー記事掲載
9月6日 読売テレビ ズームインSUPER(関西ローカル部分)出演
9月14日 日本テレビ「oha4!NEWS LIVE」仕事人名鑑プロファイルコーナー出演
12月18日~26日 TOKYO CHARACTERS COLLECTION 2010 バイナルメーションbyディズニーストア ミッキー作品展示(青山スパイラルガーデン)
今年もそろそろ終わる。
俺は来年40歳になる。10年前に何してたっけ?どんなことがあったけ?20年前は?
思い出そうとしてみたが、覚えていることはあまりなかった。
そこで大好きなウィキペディアを開いてみたら、おもしろかった。
西暦をたたけばその年に起こった出来事や流行ったものごと、世相がまとめられている。
すげえな。
「おっ」とか「へー」とか「なにそれ」と思った出来事で100年を振り返ってみる。
2014年の10年前と2015年の10年前。
1614年と1615年までさかのぼれば、それぞれ大阪冬の陣と夏の陣までいけるのだが、400年はけっこうしんどい。
とりあえず100年。
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・自衛隊イラク派遣の陸上自衛隊本隊第一陣がイラクのサマワに入る
・関西電力美浜原子力発電所(福井県)で蒸気漏れ事故が発生、作業員5人が死亡
・アテネ五輪(柔道の野村忠宏選手が五輪3大会連続で金メダル獲得)
・「新潟県中越地震」死者68名
2005年(平成17年)
・中部国際空港が開港
・アンゲラ・メルケルがドイツ首相に就任
・1年を通じて1899年以来初めて死亡数が出生数を上回る
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1994年(平成6年)
・関西国際空港が開港
・オリックスのイチローが史上初の1シーズン200本安打を記録
1995年(平成7年)
・警視庁の国松孝治長官狙撃事件(重傷)
・オウム真理教総本部前で村井秀夫幹部が刺殺される
・『新世紀エヴァンゲリオン』放送開始
・俺ハタチになる/この年はテレビばかり見ていた気がする。
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・中曽根首相が首相として戦後初の靖国神社参拝
1985年(昭和60年)
・東京都に新両国国技館が完成、横綱・北の湖が引退
・NTT(電電公社)とJTT(日本たばこ産業)が民営企業として発足
・豊田商事の詐欺事件についてマスコミが取材中、報道陣の前で永野一男会長が暴漢2人に刺殺される
・フジテレビで夕方のバラエティ番組『夕やけニャンニャン』が放送開始
・たこ八郎が水死
・阪神タイガースが日本シリーズで、西武ライオンズを破り4勝2敗で日本一
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1974年(昭和49年)
・永谷園が「あさげ」を発売
・日本赤軍がオランダ・ハーグにあるフランス大使館を占拠(ハーグ事件)
・ウォーターゲート事件でニクソン米大統領辞任
1975年(昭和50年)
・まるか食品が「ペヤングソースやきそば」を発売
・山陽新幹線博多まで開通
・広島東洋カープが初優勝
・イギリス保守党の党首にマーガレット・サッチャー選出
・沖縄国際海洋博覧会開幕
・俺が生まれた
……俺と同い年の人たち
・アンジェリーナ・ジョリー(女優)
・上原浩治(野球選手)
・高橋由伸(野球選手)
・俺(商店街で鮮魚店を経営)
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・本田技研工業が「S600」を発売
・日本人の海外観光渡航自由化。ただし年1度、所持金500USドルまでの制限付き
・東海道新幹線開業
・坂本九『明日があるさ』がヒット
1965年(昭和40年)
・淀橋浄水場廃止
・中国で文化大革命が始まる
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1954年(昭和29年)
・日本の高度経済成長期が始まったとされる年
・NHKが大阪と名古屋でテレビジョン放送開始
・ニッポン放送開局
・琉球放送(RBC)開局
・遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が米国の水爆実験によって発生した多量の放射性降下物を浴びる
・洞爺丸事故
・加藤芳郎の4コマ漫画『まっぴら君』が毎日新聞夕刊で連載開始→2001年終了
1955年(昭和30年)
・武田薬品工業が総合感冒薬「ベンザ」を発売。
・ワルシャワ条約機構結成、冷戦激化
・広辞苑初版発行(岩波書店)
・後楽園遊園地が完成
・自由民主党と日本社会党の二大政党制(55年体制)が始まる→1993年崩壊
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1944年(昭和19年)
・全国の新聞で夕刊が廃止
・日本軍がインパール作戦を開始
・連合軍によるパリの解放
・東海道沖で東南海地震発生/マグニチュード7.9、死者・行方不明者1,223人、建物全壊36520件
1945年(昭和20年)
・ 2月 4日 ヤルタ会談(ルーズベルト、チャーチル、スターリン)
・ 2月14日 近衛文麿が昭和天皇に早期和平を提案(近衛上奏文)
・ 6月13日 大田実司令官が「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電した後自決
・ 6月23日 沖縄守備軍司令官牛島満が摩文仁司令部で自決/実質的な戦闘終結
・ 8月 6日 広島市へ原子爆弾投下
・ 8月 9日 ソ連軍が満州へ侵攻して対日参戦開始
・ 8月 9日 長崎市へ原子爆弾投下
・ 8月10日 御前会議(ポツダム宣言の受諾の可否について)
・ 8月27日 占領軍向け特殊慰安施設の第1号開業(小町園、東京大森)
・ 9月 2日 東京湾上の戦艦ミズーリ艦上で、重光葵・梅津美治郎らが降伏文書調印(第二次世界大戦終結)
・ 9月25日 外国人記者2名が昭和天皇にインタビューを行う
・10月19日 駅名の表記が左書きに統一される
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1934年(昭和9年)
・日比谷映画劇場開場
・忠犬ハチ公銅像除幕式
・満鉄が大連―新京間で「特急あじあ号」の運転を開始
・東北地方で冷害が発生、凶作被害甚大
1935年(昭和10年)
・築地市場開場
・フランス人民戦線結成
・天理教本部が脱税で捜索
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1924年(大正13年)
・皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)ご成婚
・日本でメートル法が採用
・阪神甲子園球場完成
・トーマス・マン『魔の山』
1925年(大正14年)
・イタリアのベニート・ムッソリーニが独裁宣言
・日ソ基本条約締結(日本はソ連を承認)
・治安維持法公布
・朝鮮総督府庁舎完成
・上海で五・三〇事件
・広東に国民政府が成立
・鈴木商店(後の味の素)設立
・芦ノ湖にブラックバスが放流
・娯楽雑誌『キング』創刊
……これ読んだ若い頃、スーパーのおさかなコーナーで働いてた。
まな板の上にレモン置いて帰ろうかと思ったな。
なつかしい。
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1914年(大正3年)
・孫文らが東京で中華革命党を結成
・サラエヴォ事件→オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに最後通牒
・『少年倶楽部』創刊
1915年(大正4年)
・第一次世界大戦:ドイツ海軍がイギリス周辺を交戦海域に指定して、Uボートによる無制限潜水艦戦が開始される
・サマセット・モーム『人間の絆』
・芥川龍之介『羅生門』
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数字と固有名詞と記憶と今がごっちゃになって、ちょっと気持ちいい。
自分がさかなクンと同い年なのは知っていたが、ぺヤングとも同い年とは知らなかった。
それと昭和、長いな。
明日も朝早いし、そろそろ寝る。
ゆとり教育世代(1984年(昭和59年、現29歳)生まれ~2004年3月(平成16年、現10歳)生まれ)
★ゆとり教育世代=史上最高の高学歴世代。大学進学率過去最高、難関大卒者過去最多、大学院進率過去最高、
高等教育修了率過去最高、高校進学率過去最高、高校中退率過去最低。
★ゆとり世代が受けている大学教育は戦後最高水準に高度。20年前と比較して講義出席率も圧倒的に上。
★塾・予備校通学率はゆとり世代(過去最高)>氷河期世代>バブル世代>新人類世代>団塊世代の順。
★数学五輪歴代最高の2位、化学五輪歴代最高の4位、情報五輪歴代最高の6位。ゆとり世代が科学五輪の記録を塗り替える。
★大学生の内向き傾向は嘘。90年の留学者数は2万人、06年の留学者数は7万人。
★センター英語の難易度は過去最難(センター英語に登場する単語数93年2500語、09年5000語)
★TOEICの得点率は過去最高(私大バブル時の早稲田と比較して09年の広大のが上)
★PISAのテスト(国際学力テスト)でゆとり教育歴9年のサラブレット96年生まれが読解力科学リテラシーでOECD1位をたたき出す。
★成人の国際学力調査(PIAAC)によって氷河期世代>ゆとり世代>バブル世代>新人類世代>団塊世代という学力序列が証明される。
http://www.sankeibiz.jp/express/photos/131009/exc1310091059001-p3.htm
★ITIMSSの国際学力テストでは数学と理科でゆとり教育以降で学力の向上が証明されている。
◆ゆとり教育で「円周率は3」の話はウソ http://www.msng.info/archives/2007/03/3.php
◆ゆとり教育で「台形の面積を教えない」もウソだった http://www.msng.info/archives/2007/03/post_444.php
▲そもそもゆとり教育世代でも、私学や塾・予備校通いは指導要領の削減の影響など受けていない。
▲指導要領の簡易化自体は1980年から段階的に始まっていて、今の40代以下も上の世代と比較して400コマ減らされた指導要領だった。