はてなキーワード: ニュータウンとは
無くなりつつはあるけど。
ニュータウン、タワマン、団地など本当に終わってるコミュニティが増えてはいるけど
一部のお金持ち、上流階級はまだまだそういう意識を持っているし
自分は高校時代、都外に下宿したし大学で海外留学させてもらえたから
本当にそのあたりを教育した方がいい
いまだって、ある程度の階級なら丁稚奉公させるだろ。都会・地方限らず。
そこそこの上場企業ならいくらでもボンボンの息子・娘入っとるの知らんのか。
きちんとした会社なら、そいつらをまともな人間になるよう厳しく育て上げてから、家業に戻らせたりしているわけだろ。
別に金持ちじゃなくたっていいが、コネで仕事紹介したりなんていくらでもある。
ある程度の歴史あるまともな住宅街なら地域の交流コミュニティあるけど。
あと干渉に対する考え方自体が、典型的郊外のニュータウン思想って感じ。
そういう人間が子育てをすれば醜く歪んでいくのもさもありなん。
そもそも親の一人か二人だけで、社会性を教えられるわけないだろ。
社会の本質が自分とは異質な人間とのコミュニケーションであって
もちろん、その環境を変えたり整えたりする役目は親にもあるさ。
追記4:
湘南ライフタウンは藤沢市が人外魔境の原野につくった5万人の都市。イタチやたぬきしか住んでない原野な上にどこの駅からも5km以上離れているまともな感性があるひとなら絶対購入しない土地。限界ニュータウンゼロである。
「モノレールの建設予定がある」そういう流言をまことしやかに流したのである。ただの噂ではない。藤沢市がモノレール建設のためと思わせぶりな土地の買収を実行。また、アクセス道路にいかにもモノレールのための用地に見えるようなスペースを設定。アクセス道路のトンネルにはモノレールが通れるスペースを設定。
いやこれ、ぜったいモノレール開通するでしょ。モノレールが開通しない理由が見当たらない。
モノレールと東海道線1本で東京に通勤できる!!そんな期待をともない格安な住宅街は飛ぶように売れた。
後に藤沢市はモノレールの計画などない。検討したこともない。と公式に表明。
藤沢のようなクソ地方都市にはもったいないものすごい策士がいるんだよな。
いや。それでも藤沢はクソだけど。
昔作ったアニメランキングを改定しようと思って過去のランキング見てるんだけど…過去の俺、禁書に配慮してるなぁ〜。
禁書のアニメなんてレールガンを抽出した絞りカスなんだからもう「レールガン」だけランクインして終わりでいいのに…。
禁書って(それを作品にして続けた事自体はすごいと思うけど、アイデアや発想としては)
中学2,3年生ぐらいの俺でも似たようなこと考えちゃうものそのまんまやからおもろいとかつまらん以前に、価値が年々低下していくしかない作品なのよね。
レールガンは、上条当麻とかいう日本のラノベを20年単位でダメにしてるであろうクソキャラが出てこないだけストレスが少なく女の子のかわいさと、ニュータウン育ちの中坊が考えそうな「子どもしかいない街とかあったら面白そう」みたいなアイデアだけを読めるから比較的マシではある。
上条当麻クソキャラ呼ばわりしてるのは「人に説教かますくせに一番努力してない(努力しないでチートをもらう系)」のクズというなろう小説の雛形みたいなキャラだから。
もっと古い起源はあるんやろうけど…あの手のものが如実に増えるきっかけは禁書やったんやろうなぁ…と世代的には思う
レールガンってその辺上条さんの説教とか不幸自慢が出てこないだけまとまる(能力値低くても居場所見つけてる初春とか、やっぱり色々悩む佐天さんとかの話やからものすごくまっとうにティーンネイジャーしてる)と思うから嫌いやないけど…まあ、ほんとうに萌え期待して見るにはやっぱ雑味なのよね。
まともにティーンネイジャーしてる作品的なことを期待して見るんやったら…俺ガイル見るやろうし、萌え系期待するんやったらじょしらくやゆるキャンみるから…レールガンが丁度いい層ってどこなんだろうとか、どう見るのが正解なのかって考えれば考えるほどすげー悩む
ありだけどフィットしない
実家は埼玉の西北部にあるニュータウンで、うちの前はコの字路地の私道だった。
誰かは覚えていないのだけど、パレードにいたのはみんな知ってる人だった。
普段は家と家に囲まれた暗いうちの前がパーっと明るくて、ガヤガヤ賑やかで、とにかく楽しそうで楽しそうでたまらなかった。
何て言ってるかは全く覚えてないけど、「早くおいでよ」「行くよ」みたいに早くしないとみんなが行っちゃう!という焦りを感じさせた。
私が行こうとすると母が「絶対にダメ!」と全力で抱きしめて外に出してくれないの。
「何でダメなの?パレードが行っちゃう」と私は泣くのだけど、母も「絶対ダメ!」と泣いてて2人で泣いて抱き合ってるのよ。
たぶん3歳から5歳くらいの間かな。
しかもその間に何回か同じような事があったんだよね。
鮮明に覚えてて大人になった今でもたまに母に聞くのだけど「夢を見たんでしょ?」と呆れられる。
でも間違いなくパレード見たんだよ。
今回の震災では、2次避難と被災地域への継続的な支援の難しさが浮き彫りになっているが、
たかだか輪島、珠洲、能登町、穴水あわせて6万人くらいしかいないなかで大変だと言っているが、首都直下地震が起きたら一体どうなるんだと不安になった。
被災者に2次避難を促すことに苦労している、という状況がもし首都直下地震で繰り返されるなら、目を覆いたくなる被害になると想像できる。
首都直下地震では、被害拡大の大きな原因のひとつに東京にありがちな木造家屋密集地域がある。
木造密集地地域が倒壊+火災で壊滅する可能性があるわけでしょ。300万世帯くらい。
東京都のページにはその死傷者の推計も書いてある。だけど、生き残った人の生活再建が十分に書かれていないのがかなり不安だ。
試しに荒川区など、一次避難所のリストを開いてみてみると、ほぼ半数以上が多数の木造家屋密集地域に点在する小中学校だ。
これでは、関東大震災の二の舞だ。取り急ぎの家財道具を抱えて当時空き地だった陸軍被服廠に逃げ込んで火災旋風に巻き込まれて3万8千人が犠牲になったのが関東大震災の悲劇。これを繰り返すのではなかろうか。
またトイレも水も十分にない一次避難所など都会の利便性に慣れ切った東京の人間には一時間も滞在できないだろう。
いるだけで苦痛以外の何物でもないだろうから、速攻で二次避難を各々考え始めることになる。
しかし、自治体の二次避難についてみてみると、さらに想定が乏しい。
例えばさきほどチェックした荒川区。域外避難の文字はなく、そもそも二次避難対象者は要介護者、障碍者など一般的にイメージされる災害弱者のみだ。
東京都の想定は域外避難がきちんと想定されていないなど近隣県との協力体制が希薄だと感じる。
恐らく一次避難所が火災で最悪な結果になった場合、二次避難所が果たすべき役割は物量としても質的にも格段に大きい。その受け皿は想定されていそうにない。
つまり一般の市民は一次避難所で命拾いをしたあとは自活を迫られる。仮に二次避難所が一般市民向けに拡充したとしても遅かれ早かれ追い出されるのも間違いない。
さらに、一次、二次避難とすすみ、次の復旧のステップとしては仮設住宅だ。輪島でも仮設住宅をつくる場所が今後の喫緊の課題となっているが場所があまりないのがネックだ。
東京都の文書をみても木造家屋密集地域が焼け出されたあとに、大量にあふれ出る難民と化した都民の仮住まいの場所をいったいどこに設けようとしているのかさっぱりわからない。まさかほんとに公助ってこれくらいしか想定していないのかと思うが、恐らくそうなのだろう。
https://tokyo-bosai-dev.web.app/chart/
そして、遅かれ早かれ二次避難所はキャパオーバーになって出ていけ、という話になり、あとは自分で「自助で」住まいを探してください、防災は自助共助ですよ、わかってますね、てなことに結果としてなる。そのとき、人々は数日東京の電車が止まったくらいで帰宅困難者気どりをしていた時代を懐かしく思い出すかもしれない。
運よくたどり着けた仮設とて通常は期限は一年間だ。案外、印西や成田あたりの限界ニュータウン化した郊外の住宅地が空き地が多いことが功を奏したり、震災の被害を免れているかもしれない。そうすれば復興住宅が今まで忘れ去れたような地域にバンバンと建ち始める、ということもありえなくはない。
東京が住めなくなったら、ほんと、どこに住もうかな。
なんとなく思ったまま書いてみた。
ニュースでも報道されているので知ってることも多いだろうが京葉線の通勤快速は蘇我を出ると途中新木場と八丁堀にしか止まらない。
途中にある駅をほぼ全部通過して速達化していて京葉線の先にある内房外房の都心通勤の足になっていた。
各駅停車化されると20分の所要時間増になる。オマケに通勤快速のダイヤに特急が入っているので金を乗せない分には
本数が減って混み合う未来が見えている。通勤客を蔑ろにしていると思われても仕方のない真似をしているのだ。
更に外房線沿いは基幹産業が弱い為自治体がバブル期にニュータウンを造成したのもあり都心通勤民が多く反発の声が強かったと言うのもあるだろう
真っ先にキレた千葉市は外房線の鎌取、土気、内房線の浜野の宅地開発を進めていたし、隣の大網市も同様である。
(とはいえ、内房線沿いは工業地帯なので外房に比べれば東京通勤民は多く無かったのでリアクトが遅れたと思われる)
今回の改正でJRが何回も「朝夕の全列車を各駅停車化し、ダイヤを平準化する事により混雑緩和を狙っている」とあった。
全部の列車を各駅停車にして1番得するのは何処かを考えたが、新習志野と市川塩浜だろう。どちらも快速が止まらない駅なのは
新習志野は各駅停車しか停まらない駅だが時刻表を見てみると朝方7時代前半に東京方面に向かう電車が20分来ない時間帯が存在する。
勿論全く電車が来ないわけではなくてその時間には西船橋に行く武蔵野線の電車がやってくるのだが東京には行けない。
隣の南船橋で乗り換える必要が出てくる。手間が発生するし、数字の上では極めて通勤に不向きに見えてしまう。
市川塩浜は朝は本数が多いが快速が走る18時代の千葉方面は京葉線と武蔵野線が4本ずつしか設定されていない。
周辺の倉庫や工場からの通勤客で武蔵野線方面は特に混み合い押し合いへし合いになり危険な状況だったりする
19時代になると快速が無くなるのでその分本数に余裕ができるため、尚の事本数が必要との声があったと思われる。
先の報道でJRは早朝に発車する快速2本を運行する事を発表したが、朝6時代に出る元々需要がやや薄い時間帯の電車な上、
先に話した新習志野の東京方面が来ない時間帯の快速電車である。各駅停車にすれば新習志野から東京へ行く電車が設定できたにも関わらず
敢えてそこだけ残した辺り、自治体に対する意趣返しの様にも見えてしまう。
しかも通勤快速は廃止されるので内外房民は結局通勤時間が増える事に変わらない。
夜の快速は結局廃止されるので市川塩浜の危険は回避されそうだが、押し合いへし合いが若干マシになるだけで
終わりそうだし、武蔵野線方面の本数が増えると決まったわけではなさそうなのであまり幸せにならなそうである
通勤快速と快速の本数は現状維持にして、快速を東京方面を朝だけど新習志野に、千葉方面を夕方だけ市川塩浜に
停車させればよかったのではと思う。とりあえず混雑の緩和にはなっただろう。外房線も停車駅を弄れるのだからできるはずだろうに。
千葉市の新都心年表読みながら書いたけど、明るい未来を描いたスタートからその間に気を落とすレベルの出来事が世の中多かったなあ……そりゃここから先の開発にも疑問符つくよなあ…
この辺か。
https://www.city.chiba.jp/sogoseisaku/miraitoshi/makuhari/makuharishintoshingaiyo.html
1967(昭和42年)
都心部から30km圏、広大な埋め立ての可能な稲毛、検見川、幕張に計画人口24万人の海浜ニュータウン建設が計画された。経済発展と急速な首都近郊のスプロール化に対して都市を計画的に誘導し、良好な住宅地として整備することをめざした。
この当初の大前提からして、今から見れば哀愁しかないよなあ。こんな時代錯誤な前提に基づいた計画をまだ進めてるというのはどう考えても正当化できないだろうと思う。2010年代の記述を見てもそのままのノリで来ているように見える。
高度成長期の夢の残滓みたいな計画で進めてるくせに鉄道網が京葉線しかなくて総武線と乗り入れすらしてないのは矛盾してると思わないのかなあ。思ってても発言する気力のある人間がいないのか。
スーパーセンタートライアルの増田がバズってるけど、東京に住みたくて住んでる人間としてどの辺に東京の文化的な良さを感じているかを書いてみたい
美術館とか博物館とかそういうのじゃないやつだ 東京/都市部の文化という話になると馬鹿の一つ覚えみたいに美術館と博物館を挙げてきてそれはただの消費だろバーカバーカみたいに言ってくる奴が後を絶たないが、はっきり言って意味不明ですね
言うてまあ、ノア・スミスがだいたいのところは説明しちゃってんだけどさあ ここでは彼が語っていない部分を俺の主観に従って書きたい
参考: 「東京は新しいパリだ」/ノア・スミス https://note.com/econ101_/n/nc0b8535512ac
東京っつうのは江戸の跡地だから、江戸時代の街の構造が現代まで影響を残している まあ当たり前のことだけど、当時は基本的に高台に武家だの大名だのの屋敷があって低地には庶民の生活の場があったわけだ(上野とか入谷とか鶯谷とかがきったねえ街になってるのはそういうことだよね)
東京の高台っつうのはいわゆる武蔵野台地のことで、これは江戸城つまり皇居を端として西側に広がっている 台地と低地の境目部分は坂の多い街になっていて、そのへんはたぶん武家と庶民の生活が混じり合う地域だったんじゃねえかなという気がする そういうところは面白い街が多いように感じる 上野もそうだし、神保町とか御茶ノ水とか飯田橋のあたりとか、汚ねえけど日暮里の方とかだ 街ごとに個性と特徴がある 歴史を調べると色々な人間やエピソードが出てくる そういう街にある商店街の構造とか神社とか古い建物とかがどうしてこうなったんだろうと考えながら歩いてると文化っぽい気がするわけだ
あと武蔵野台地でも神田川や目黒川が入り込んでるあたりは川に向かって低地になっていて、その周辺にはやっぱり下町と同じ町民文化の臭いが残っているように思う 中目黒とか江戸川橋とかだな
完全に高台の方で旧東京市に含まれるあたりは分かりやすいハイソな街が多くて、土地持ちの家に生まれただけの勘違いセレブママみたいなのがベビーカーかチワワで風を切って歩いてたりしててまあいけすかない でも旧華族の庭園や屋敷に由来する施設がたくさんあってそれはそれで文化だなとは思うわ
江戸城の下町や旧東京市を越えた地区における文化はおそらく近代というか戦後にできてきたところなんだろうと思う その中でも、どっかのデベロッパーが計画して作った街じゃないところは文化を感じますね 中央線沿線とか蒲田とかの大田区の方ですね ちょっと左巻きがキツいところもあるけど独自の文化が歴史になってるのはいいですよね
逆に東急とかがデザインした系の街はいまいち気に入らないんだよなあ 最近の湾岸エリアの再開発系もそう あんなの地方のロードサイドのジオラマを東京近郊に持ってきただけだろって思う 麻布台ヒルズとかも同じだ 高級ロードサイドでしかないだろ 文脈がないロードサイドなんてマジで文化の欠片もないと思うわ
あと東京の郊外もダメっすね 歴史を上書きしてニュータウンを作りまくったけど新しい歴史が根付くことはなかったって感じがする
その中のカスみたいな一部として自分がいると実感できれば、その流れに貢献しようとか思えるわけです
そういう意味では東京である必要は特になくて、西日本の方とか、やっぱ何かしらの城下町が多いけど、東京に比べると規模は小さくてもそういう街ってたくさんありますよね そういうところも興味深いんですよ そういうところに住んでたらそれはそれで俺は満足だし文化的だなって感じると思う
でも仕事がないとか関東の実家の事情とか考えると住めなくて、結局東京以外に現実的な選択肢がねえなってなる そういう感じなわけです
東京に住んでても美術館だの博物館だのにはたまにしかいかねえけど、かといって文化を摂取してないとか郊外の暮らしと変わらないとかは全然思わないんです
タイターッス
本日は国際民主主義デー、日本においてはスカウトの日、ニュータウンの日となっており
他に、大阪寿司の日、ひじきの日という長らく敬老の日であった9月15日を由来とした記念日がございます。
何が大事かっていえば大人が案外サッパリしてる人達ばっかりじゃなくて、その時の気分によってネチネチすることがあるから大事にしなきゃいけないってところです。
まぁそれは同級生でも年下でも変わりませんが。
とはいえ年の功で出してきた経験値からとんでもない飛び道具が出てくることがあるのが年寄りですから
皆さんも気をつけておきましょう。
ということで本日は【他人への敬意よいか】でいきたいと思います。
今年、娘が小学生になった。都内の公立小学校に通っている。そんな娘に「パパは小学校楽しかった?」と聞かれて、僕は「楽しかったよ」と答えたけど、これはハッキリ言って嘘だ。
娘に変な先入観を持ってほしくないから、ポジティブに答えたけれどパパは小学校が大嫌いだった。正確には学年が上がるとともに制度と先生が嫌いになっていった。
平成初期に生まれた僕は小学校3年生まで80年代に開発された所謂ニュータウンに住んでいた。比較的若い住民が多く、大きな電機メーカーの工場などが集積していたので、所得や教育水準もそれなりに高かったのだと思う。小学校も開校20年程度だったと思う。好きな先生もいたし、友達ともよく遊んだ。指の皮が剥けるまでスマブラ64をしていたと思う。
その後、両親の離婚を経て、僕は母方の祖父母の家に住み、かつて祖母や母が通ったという小学校に転校した。明治時代からある古い学校だった。
この学校に転校した時は激しいカルチャーショックに見舞われたので一部ご紹介する。
1.男女でトイレが分かれていなかった。壁際に小便器がずらっと並び、その後ろには個室が並ぶ。要するに男子便所と同じ構造だ。そして、この個室には男子も女子も関係なく入る。ジェンダーレストイレが話題になった今となっては時代の最先端なのかもしれないが、当時は本当に驚いた。
2.自転車に乗っていいのは小学4年生から自転車の解禁が小学4年生以降だった。何も知らずに毎日自転車乗っていたら、ある日学年集会でいきなり晒し上げられてルールを知った。
こういう一つ一つ、当時の自分が嫌なポイントが増えていったのだが、決定的だったのは先生の質の低さだ。
とにかくヒステリーをよく起こす人で、どうでもいいことで一々叫び散らす先生だった。クラスで少し問題があるとなんでもかんでも集団責任と言い、一々放課後に全員で居残りさせられて迷惑だった。クラスでいじめられている子がいて、僕は転校生でクラスのヒエラルキーの外にいたので、助けようとして喧嘩になったら怒られたり、その放課後に、このクラスにいじめはありません!とか宣言しててこの人もうダメだと思った。毎日上履きに泥を詰められたりして、◯◯菌とか言われてる奴がいじめられてなかったらなんなんだろう。
この先生はかなり変なおじさんだったが、好きだった。いつも扇子を持ち歩き、教室に畳を敷いて、カーテンを簾に変えていた。将棋が趣味で将棋を教えていた。その先生から将棋を教わって将棋を始めたクラスメイトはその後、当時史上最年少で女流棋士としてプロになったのでその一点だけでも凄い人だと思う。
30代半ば/男性
この人はマッチョな見た目そのままの脳筋だった。子供ながらこんなに頭悪いのに学校の先生になれるんだなぁ、と思ったものだ。悪気があるのか無いのかわからないが、事ある毎にうちが母子家庭であることをクラスで話し、当時は今ほどシングルマザーに理解も無かった時代、そして土地柄。そのせいでクラスメイトやその親から「お父さんいないってどんな気持ち?」と聞かれたり、煽ってくる奴がいた。
決定的におかしいと思ったのが、成績の評価だった。大前提として、僕は公立小学校程度のテストならばどの科目も殆ど100点以外取ったことが無かった。年に1回の県統一の学力テストでも成績は学年1位だった。そういうわけで国語、算数、理科、社会の通信簿は常に5段階中の5以外もらったことがない。
ところが、僕はこの先生に「3」を付けられたのだ。そして、自分より頭の悪い子が5を取っていた。この成績を見た母は「1学年1位の息子が何故3なのか?」と学校に問い合せた。実は当時、通信簿の評価がそれまでの相対評価から絶対評価に切り替わった。先生曰く、生徒一人ひとりの成長を元に点数を付けることになったが、100点しか取らない僕は成長が見られないので中評価だという説明だった。
それに加えて、各科目の課題や授業に対する態度が悪いということ。具体的にはドリルとか問題集とか、その学期を通して行うべき課題を最初の1週間で全部終わらせて提出したことが悪い、授業中騒いだり他のことをしたりするわけではないが、かと言って授業も真面目に聞いていないことも理由であったと。
学校の簡単なテストは100点以外取りようが無いのに、どうやって成長を示せばいいのか。簡単な宿題を早く終わらせて一体何が悪いというのか。教科書を読めば一瞬でわかることを延々と説明する授業の一体なにを聞けばいいのか。僕は授業の邪魔することもなく、ただただ黙って大人しく時間が過ぎるのを待っていたのに。
ちなみに結局その後、試しに中学受験に向けた全国模試を受けたら偏差値は55~60くらいしかなくて、中学受験組の中では精々中の上程度だとわかった。そして日能研の「シカクいアタマをマルくする」とかいう広告の問題は全然解けなかった。別に自分が頭が良いわけではないことを理解出来た。そして実際に市川という上の下くらいの中学校になんとか滑り込んだ、というのが僕の実際の実力だ。開成?筑駒?渋幕?全然無理、って感じ。
当時を振り返ると嫌いになった要素がいくつかあると思う。
まず第一に、制度の問題。日本の公教育は、基本的に出来ない子に合わせざるを得ない環境であり、そもそも人間としての最低限の指導しかしてもらえない。加えてその基準は非常に低い所にありすぎて、子どもたちの学力すらもまともに測れない。物差しすら用意していない。当たり前のことが出来るだけでメーターを振り切ってしまう。そして相対評価の謎運用で無駄な不平等を生み出している。
そして先生の問題。先生の魅力というのは、学力だけでなく教育への熱意や広く言えば人間力など様々な観点があると思う。そしてその仕事の過酷さが度々話題になるように大変な仕事なのもわかる。
しかし僕が出会った先生は今思い出してもヒステリーなオバさんや脳筋が多く、学歴的にも大凡、他人に物を教える事ができるようなレベルではない。人間力含めたって精々小学生くらいにしか教えを説けるレベルになかったと思う。
考えてみれば、そこそこの学歴を持つ友人を見渡した時、高校の教員や大学教員になった奴はいても小学生の相手をしている奴なんて殆どいない。
そんなことを考えると、子供を私立の小学校に入れる選択肢を考える親の気持ちもわかる。ただ、個人的には小学校の時に悪かった友達が大人になって逮捕されたりしてるのを見ていると、人種の坩堝に身を投じて色々な人がいるということを理解するのも大事な気がする。
娘よ、そういうわけでパパは小学校が嫌いだった。お前が思ってるよりしょうもない大人が先生をやっているからな。そういうことにも一つ一つ気づいていきながら人生を歩んで欲しい。
これは、「札幌育ちで、受験に失敗した八軒くんが、農業高校に進学して成長する物語」なのですが…八軒くん、つらい受験勉強をしたから、まんべんなく勉強ができる基礎学力があるんですね。
しかし、農業高校のクラスメイトは、みんな自分の得意分野を持っていて、「全科目2位」というすごいけど本人的にはスッキリしない結果に落ち着くんですね。
それが本人には自己肯定感の低さにつながるのですが…
「何でもまんべんなくできて、いいやつで、苦労して勉強して覚えたから覚えるのも教えるのもうまい!」
から、農業高校で頭角を現して、自信もつけていく。…というマンガです。(めっちゃ面白いからぜひ読んでね)
都会やニュータウンで育った子には、受験や学内成績では振るわなかったけど、「やってきた努力があるから、地域によってはすごくレベルが高い」という子が…少なからずいるんですね。