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はてなキーワード: 陥穽とは

2019-11-16

anond:20191115102349

「その陥穽から逃れることができない」という言説も日本語で書かれている以上、陥穽から逃れることができない。

2019-11-15

anond:20191115101822

科学数学物理学化学生物学法学経済学歴史学社会学言語学等)」と称せられるものの全ての言説は、日本語で書かれている限り、「日本語やまとことば)」の論理によって、「客観的であるとする言語論理根拠を維持できないのである。当然のことながら、この本自体も、日本語で書いている限りはその陥穽から逃れることができない。

これすき

2019-11-14

京大博論を元にした本が東大紀要書評フルボッコされてる件

日本大学特に文系学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系学者達は自分たち存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。

だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端研究専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン一般特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系研究基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。

パンドラの箱が開いた

本題に入ろう。最近、1つの書評論文東大言語学研究室発行の紀要に出た。

田中太一日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313

https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=53475&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1

書評された本は『認知言語類型原理』(京都大学出版会)。

https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2

著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学准教授中野研一郎先生

 

普通書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後ちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。

こうすればあなた博士になれる

一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分オリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。

そして博士論文原稿は、3~5人の審査委員審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文大学に提出していいか審査する二次審査最後論文が完成し、大学に提出された後、博士学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。

ミサト:おめでとう!

アスカ:おめでとう!

レイ:おめでとう。

シンジ:僕はここ(アカデミア)にいてもいいんだ!

研究人生のフィナーレではないが、1つのピーである。こうやって研究者の能力お墨付きを与えるのが大学存在意義の大きな一部分だ。

要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学准教授になったようだ。周知の通り、大学終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。

 

博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生2014年度に京大を定年退官して、2015年から中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。

日本語に主語目的語、態、時制、格、自動詞他動詞はいらない?

さて、超大物お墨付き博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからいかパス。3節「日本語に存在しないとされるものから見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分から引用がある。

日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリ妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。

(『認知言語類型原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)

昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579

主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型原理』は、ミニマリスト断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。

「音象徴」の名の元に蘇る亡霊

これは熊倉千之氏の「音象徴理論に基づいているそうで、熊倉氏は、

膠着語にかんして、「イメージイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。

(これも田中 2019: 309から禁断の孫引き

熊倉千之 (2011)『日本語の深層〈話者のイマ・ココ〉を生きることば』東京: 筑摩書房.

とのこと。

近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性原理否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣名前は、音と意味関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴基本的オノマトペ擬音語擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかあくま傾向性言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、

「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。

知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、

「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)

と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴

日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)

そうだが、書評子は、ここに鋭く矛盾を見て取る。

この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである同音異義語存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)

かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、

日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味機能通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)

と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。

そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、

1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年帰国後、東京家政学院大学教授1999年金城学院大学教授2007年退職

[wikipedia:熊倉千之]

という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学言語について言語学界とは関係なく自由思索著述をしている人のようだ。そういう独自言語論を唱える文学思想研究者はよくいるけど、普通言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型原理』もその類の本だったなら、東大言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ

驚愕の主張の数々

他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。

日本語では論理的命題を表すことができない」(田中 2019: 305)
日本語は英語を含む近代ヨーロッパ標準諸語に翻訳できず、また近代ヨーロッパ標準諸語も日本語に翻訳できない」(中野 2017: 268)
科学数学物理学化学生物学法学経済学歴史学社会学言語学等)」と称せられるものの全ての言説は、日本語で書かれている限り、「日本語(やまとことば)」の論理によって、「客観的であるとする言語論理的根拠を維持できないのである。当然のことながら、この本自体も、日本語で書いている限りはその陥穽から逃れることができない。」 (中野 2017: 268)
日本語の「伝聞」というコミュニケーション様態においては、伝えられる内容は、伝える者によって「主体化」されており、したがって、その「主体化」された内容の真偽判断に関わっては、「権威」が必要となる。伝える者に「権威」が伴っていない場合、伝えられる内容は真と判断されない。」(中野 2017: 16)

しつこいようだが、これで5年前に京大博士号が取れたのだ。

ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!

ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後激辛書評論文大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型原理』は、博士論文審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!

京大STAP細胞はありま~す?」

もう終わりにしよう。書評批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文審査結果の要旨とほとんど同じ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf

審査結果からもいくつか引用しておこう。

論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式文法カテゴリ創発する根源的理由説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た

2019-09-04

anond:20190124194157

ネットにあるものが全てと思ってると同人以外でも陥穽に落ちるぞ。

2019-06-20

ありきたりな幸福論にある陥穽

ホリエモンtwitterを使ってありきたりな「お金がなくても人は幸福論」をさもその論がありきたりだと気づかないまま発信していたけど、一理はある。

人が感じられる現実五感による。そしてお金は壁だ。人は何かを手に入れたり所属するためにふさわしいかどうかを勝手に決める。

そしてその価格になっとくしたとき入場制限がなくなる。

人の感動は文字による新たな価値観の導入だけから起こらない。

文字に限らないのだ。

それまで蓄積してきた自分五感から得た経験ストックから離れた経験をしたとき人には感動が起きる。

世の中にはお金によって制限されていないことがらの方が多い。

そこに一抹の真実はある。

しかし、これは十二分に才気あふれ、また高度な教育を身につけることのできた人間のもの見方だ。

鬱が金で改善するという研究がある。つまり、平凡な人間はこの開かれた世界自由があると気づけない。

平凡な人間は金や常識に縛られ、金を使うことによってでしか経験を得られない。

2018-12-20

anond:20181218004400

弱者救済を訴える都市型高学歴リベラルは、真の経済的弱者である低学歴地方DQNのことが大嫌いなんですよね。

自分達の考えるような「善良で可哀想弱者」なんてものが本当は居ないことで自家撞着を起こしてしまってる。

これは昔から進歩的インテリが陥る陥穽ですよね。

2018-12-09

マジで富の再配分が積極的に行われなければならない理由の一つに、「僕らは自由意志を持たないから」というのがある

成功したやつらは遺伝子環境が良かっただけ

単に運が良かっただけなのにほかの運の悪いやつらから搾取している

運の悪いやつらが存在しなければ、運のいい奴らの相対的価値が下がることも知らずに

どこにどんな陥穽が待ち受けているかからない

人類という疑似共同体に生まれついた以上は運のいい奴らが運の悪い奴らをもっと幸せにするべきだ

2018-10-05

ピンクを好む女性批判したほうがいいのか?

かなり前に「ダサピンク」というのが流行った。

女性ピンクを好むものだと決めつけるな」というやつだ。

正論だ。

女性ピンクが好きだとは限らないし、

女性ピンクが好きだと決めつけて商品開発してもいけない。

ピンクを好む女性なんて存在しない」。

これは間違いだ。

当時からそういう陥穽が指摘されていたと思う。

ダサピンク嫌悪するあまり、本当にピンクを好む女性まで否定してはいけない、と。

ピンクを好む女性に「それは女性ステレオタイプからやめろ」といえば、

その女性は「私は女性ではなく私自身だ」と主張するだろうし、

フェミニストたちは「そのとおり、女性という全体像ではなく、個々の人格を見ろ」と声を上げたことだろう。

まったくの正論だ。

女性」じゃなくて「キズナアイ」だし、キズナアイが生徒役をするのは「女性ステレオタイプ」じゃない。

女性」じゃなくて「葵・喜美」だし、葵・喜美が際どい格好をするのは「女性性的搾取」じゃない。

まったくの正論だ。

ここで問題なのは

オタクはその物語に親しんでいるが故に、

ひとりひとりのキャラクターを「個人」として見ているのに対し、

それを外野から見ているフェミは、

個人」ではなく「女性」というイメージで捉えているということだろう。

いや、もっと直截に言うなら、

オタクは「キズナアイがそういう衣装を着ている」と認識しているとき

フェミは「作者である男がキズナアイにそういう衣装を着させている」と認識してしまうのだ。

キズナアイ衣装デザインしたのは女性だと主張しても無意味だろう。

多少の例外があったところで彼ら彼女らが考えを改めるわけがない。

かつての男性女性を十把一絡げに捉えて抑圧したように、

現在フェミオタクコンテンツを十把一絡げに捉えて抑圧する。

仕方がないのかもしれない。

これは人間の抱えるバグのようなもので、

分かっていたところでなかなか防げるようなものではない。

我々にできることは何か?

根気強く訴えるしかないのだろう。

かつてのフェミニストたちのように。

2018-09-29

anond:20180929223639

横だけど、まさにこの点が「近代」とか「リベラル」の陥穽だよな。

人権思想って概念はどんなドクズ野郎にも基本的人権を認めるから人間動物としての素朴な直感から著しく乖離してる。

2018-09-15

人類社会黄昏

オタク茶化すばかりで差別と真面目に向き合わない」「フェミは大上段に不快もの排除しようとする」

左翼文句ばかりで対案を出さない」「右翼差別主義者でデマばかり」みたいなやつって、

観測範囲が狭い(一部しか見てない)、認識が粗い(一部を全体だと錯覚する)、

複数意見を一つの仮想人格に言わせる(藁人形論法)、といったやつの複合的な現象だけど、

これって誰が悪いというより人間根本的な欠陥なんじゃないだろうか。

全体を観測するのは不可能だし、主語の大きさを間違えるのも、敵をひとまとめにしちゃうのも、人間自然錯覚、当然の心理だよ。

インターネットの発展によって巨大SNSが生まれ、多くの人々が一カ所に集まるようになれば、

こうなるのは必然であったのだし、それが変えようのない人間本質であれば、問題解決することも不可能だ。

人類の長い歴史がめざしてきたのは、このような避けようのない陥穽、逃れられない袋小路だったんだなあ。

みんなで一緒に滅亡しような。

2018-08-13

anond:20180813222803

それあほが陥りがちな陥穽だよねw

相手は平然としてて八つ当たりでなぐってしまった無関係な人たちを敵に回す下手糞すぎな反撃

2018-03-09

「またナントカ案件か」思考法の危うさについて

はてブでこのようなことを言ってる人をよく見かける。インテリはてなーに対してはわざわざ忠告することもないのだが、インテリはてなーフォロワーワナビーインテリではないので、ここでちょっと申し上げておいてもいいのではないだろうかと思った。

「またナントカ案件か」思考法において彼らが行っているのは、物事自動的パターンA、パターンBといったように振り分けることである。もちろんこういったパターン認識情報を素早く処理できるというメリットがある。パターンAであればそれへの最適な解答はαであり、パターンBであればそれへの最適な解答はβであるというように。彼らはそれがナントカ案件である認識した段階ですでに最適解を反射的に出しているわけだ。問題認識と解答がほぼ同時に行われている。刺激に対して反応が決まっている。

しかにこれは非常に合理的判断のように思える。同じようなパターンなら同じような解答が最適になる蓋然性は高い。しかし彼らはその問題が以前の問題と比べてどの程度類似していてどの程度類似していないかについてまったく考えていないのではないだろうか。彼らは自分思考法の陥穽を十分に理解しているだろうか。

物事というのは細部が重要である。細部の差異認識し、その都度そこでしか発生していない特殊条件を勘案し、適切に処理できるかどうかに知性の差が現れる。どんなに素晴らしいデザインであっても、設計がその場に適応したものでなければ効果が得られない。「またナントカ案件か」思考法においては細部の差異自動的に切り捨て、その場の状況に合うかどうかの深慮もなく、決まりきった解答αやβを放り込むのだ。そして「これで万事解決!」そう彼らは思っている。

この思考法を採用している者は物事を分かった気になっているが、正確に言うならば、彼らが分かっているのは物事から細部の差異を切り落としたあとに残った理想空想上のイメージである

彼らは物事の正確な認識を避け、「またナントカ案件か」思考法によって情報処理の負荷を軽減し、空想上のイメージに飛びついてそれを現実だと思い込む。そして、いまや現実と同じ価値を持つにいたった空想上のイメージについて彼らは解答αなりβなりを提示して、すべてがうまくいったような気になっているのだ。物事パターンAそのものであれば彼らの解答αで完全に片がつくだろう。しかし世の中はそれほど単純ではない。それは問題矮小化議論の簡略化にしかなっていない。

物事にはすでに用意されたパターンによっては拾いきれない膨大な背景が存在し、その背景の要素同士がさまざまに絡み合って、一つ一つの物事をそのときそこにしか存在しない独特のものにしている。

情報を受け取ったとき第一印象として、パターンAに類似している、あるいはパターンBに類似しているなどと察するのは問題ない。賢い人は一瞬でそういった思考をめぐらせて大体の全体像を把握する。しかしそこで「これはパターンAに類似しているからαをやっておけば問題ない」とするのははてなーに求められる態度ではない。類似したパターン検索するのは始まりにすぎず、むしろそこからすべての議論が始まって深まっていくはずなのだ

だがどうもこういったことができない人をよく見かける。「AだからAなのだ。だからαすればよい」などといった態度はどれほど知的な態度だというのだろうか。こういった種類の人間自分の有するパターンの数を誇っているのかもしれない。「俺は1000のパターンを持っているか現実対処するには十分であろう」などというように。こういった傾向を「知識オタク」と言えるかもしれない。

しかし実際のところ、彼は1000個のボタンと、そのボタンを押すことによって得られる効果を丸暗記しているだけなのだ。Aを押したらαが出てくる。ただそれが1000個あるだけなのだ1000個では現実を生き抜くには少なすぎるだろう。それなら1万か、10万か、100万か?

おそらくそういうことではない。

こういった「またナントカ案件か」思考法によると、完全に未知の問題には対処できないのだ。未知の問題に挑んでいくのが知性というものではないだろうか。

安易判断を下す前にまずは物事をよく観察し、情報を揃えてみてはどうだろうか。SNSを中心にやっているとインターネットというのは速さが求められがちだが、実は自分のペースで好きなだけ考えることができる空間でもある。

かつてお笑い芸人おぎやはぎが「一概には言えない」と言っていたことがあるが、まさにこれなのだ。こういった態度にネガティブな印象を持つ人も多いかもしれない。しかし一概に言えないということは何も言えない、言わないということを意味するものではない。むしろ何かを言おうとしている態度である。だから何か言うまで待ってほしいし、十分に待つべなのだ

デマ情報嘘ニュース拡散問題になっているが、「またナントカ案件か」思考法ともつながっているのではないだろうか。情報を見た瞬間に「これはひどい」あるいは「これはすごい」と認識し、それですべてを理解した気になってしまう。背景にどういった事情があるのか記事バイアスはどう評価できるかなどを考慮せずに、あるパターン類似した情報を、「きっとあれのことだろう!」と自分の中にある既存イメージに結びつけて理解した気になってしまう。現代インターネットには速さと同時に短慮がある。あるいはそれは短慮ですらなく、自動化されていて、ほとんどbot化しているとも言えるかもしれない。

どうか考えることをやめないでほしい。昨日うまくいったやり方で今日明日も乗り切れると信じるのはやめよう。

2017-10-24

anond:20171023195400

増田ありがとう。遅レス&長レスになるが申し訳ない。

「税ハック」すごいわかる。そういう年寄りって多いんだよ。業者営業トークを真に受けて、中途半端に「勉強した気分」になっちゃってるんかも。

他人のご祖母様に言うには失礼な言い草になるが、自己顕示欲を満たしているとしたら、やっぱり寂しいんだろうな。

年を取って、自力でやれることが少なくなる、知った顔がどんどん減っていくというのは、相当な寂しさ=ストレスなんだそうだ。

でも本当に「税ハック」で増田連帯保証人にしたいというのなら、本気で怒ってみるのもアリだと思う。本気で怒る=コミュニケーションでもあるし。

ただし、本気で喧嘩するなら、ばーさんの痛いところ(孫を人質にして自己顕示欲満たしたいんだろとか、営業マンにちやほやされて嬉しいんだろ、自分エゴで孫に借金残すな、とか)を的確に突くこと。

介錯不要なぐらい残酷言葉をぶつけないとだめ。喧嘩後のフォロー必須だが。ショックで変な宗教かに走られても困るから

ローンを背負ったまま死ぬと、確かに相続財産から相殺される分は相続税対象にはならないから「税ハック」が可能ではある。

でも、数百万円の相続税を払うのと、銀行に払うローン金利の累計やアパート建築費を比べてみれば、その「税ハック」がいかにばかばかしくて、銀行アパート屋を設けさせる「からくり商品」なのか、よく分かるはず。

相続対策ローンの問題本質は、借金を返せないとか収支がマイナスになる等のカネ問題以上に、「死ぬタイミングが悪かったらどーすんだ」問題だと思う。

ばーさんが死んだその瞬間の土地価値が、どうなっているのか予測できない、死ぬタイミングが悪いと、相続対策のはずの借金が逆ザヤ化=不良債権になるかもしれないからだ。

ばーさんの意見は、自分希望したタイミング自分が死んだときのことしか想定していないのが陥穽なんだよ。

タイミングが悪い時期に死んだら、残した借金家族を苦しめて、死んだばーさんを悲しむ気力も余裕も無くしてしまうことだってありうる。カネの問題ではない「家族の痛み」になり得るからだ。

そんな「金じゃ換算できないリスク」を負うぐらいなら、土地を売れるときに売ってしまってお高めの生命保険に入っておいた方が、遺すという意味では手軽なんだけどなぁ。

本当は、相続税を払わないで済む一番の方法は、生前にぱーっと使っちゃうことだったりもするんだよね。

子や孫への贈与は一定額無税なんて税ハックもあるので、そっちも勧めてみたらどうだろ。マーケットアウトしたアパート作ってアパート屋と貸金屋儲からせるよりマシかもしれん。

ばーさんが死んだ瞬間に、マーケットが良ければ大きな問題はない。サイアク、死んだ後&逆ザヤになる前に売っちゃえばいいだけだから

でも、そうじゃないタイミング、例えば東京オリンピック後の不況期に当てはまった場合なんかは、かなりやばい

アパートローンの残債と空室を抱えて、不況不動産の買い手もいない、なんてことになったら、「詰み」だ。

増田がどこで暮らしているのか分からないが、オリンピックがある国は、オリンピックの2年前ぐらいから景気が鈍化するというのはこの20年ぐらいの傾向だったりする。

現に、東京中心部ではもう一昨年の終わりぐらいか不動産関連の指標が鈍化していて、これがじわじわ首都圏地方都市にも広がっている。

という脅しは脅しとして、「相続タイミングリスク」は、ばーさんが建てたがってるアパートの他にもたんまり、金や換金化しやす不動産を持ってれば無問題だったりもする。

そんなにびくびくせんでも大丈夫。なんだかんだで現金チートやね。

逆にそのアパートにする土地ぐらいしか虎の子」がないなら、全力で引きずってでも止めるべき、とも言えるが。

2017-02-19

不安自己成就

「頭を撫でながらヨチヨチと言われるのが嫌、頭を撫でられるのは好きだけど」という人がいて(撫でているのは私ではない)、まあそれは相手にそう伝えればよいことだし、そもそもその意図は多様でありうる(自分がそうされると嬉しいから、いつも自分が甘えているからたまに甘えさせることに補償的な意味見出している、etc)と言っていたら、どうやらそこに権力性を感じるのが嫌だと言っているようなのだ。「またそんな権力発見ゲームして馬鹿じゃないか」と思いながら、「ヨチヨチと言う」という行為と「頭を撫でる」という行為は根源的に甘えと結びついた行為なので、参照先としての類似行為権力性と、そのイミテーションとして甘えを許すという愛情表現意味を帯びた行為という関係で、その2つの行為は似たようなものなので、より元ネタが分かりやすい方に違和感を覚えているだけに過ぎない、と指摘しようとしたらキレられた。

「甘えたいけどこれはよくてこれはだめ、なんていくらでもあるじゃん」とか言っている。そりゃそうだ。だから、なんであなたが「ヨチヨチ」だけに拒否反応を示すのかを一緒に探ろうとしているんじゃないか、と呆れる。次いで「その2つの行為は似たようなものなので、より分かりやすい方に違和感を覚えているだけに過ぎない」としたら何が悪いのかとキレたので、そこに愛情表現でなく参照先の権力表現を読み取るのは権力発見ゲームに毒されすぎてるためなので、その宗教から足洗った方が幸せになれるの明白なのにね、と思いながら、また喧嘩になると思って言葉を飲み込んで「おやすみ」って言っておいた。

マルクスとかも読む価値あるし、フーコーとかもちろん素晴らしいし、日常の隠れた権力性に気付くのは社会記述しなおしたり、よりよくしたりするのに役立つとは思う。でも、そういうのちゃんと読めない人が自分の頭で考えずに雰囲気フェミとかやると「権力発見ゲーム」みたいな陥穽にハマるんかね。そんなゲーム小学生まででしょ、って思ってしまう。例のAAを思い浮かべながら。フェミニズム研究のものには私は価値を感じているのだが、市井のソレは真似事でしかないことが多い。

権力というのはコミュニケーションから、受ける側が無頓着なら効果は発現しない。魚に向かって「俺は王だ!従え!」と言っても従わないのと同じ。無駄に「権力発見ゲーム」に興じることが、ありもしなかった権力を発現させ(頭を撫でた男は別に支配がどうのと思ってヨチヨチと言いながら撫でたわけではないだろう、ここで「意図問題じゃない、効果問題だ」というのは耳ダコなんだけど、どうしても自分がそういう受け取り方をしてしまうなら、冒頭のように「まあそれは相手にそう伝えればよいこと」とするしかないし、そもそもそう受け取るのがディスコミュニケーションの始まりなので、不幸を自ら生み出しているだけなのだ自分不快感を生み出す根源だと思うんだけど、どうなんでしょう。個々個別コミュニケーションじゃなくマスメディアからの発信とかだと、自分がどう受け取るかに関わらず、他のみんなにどう受け取られるかという分布がその意味規定してしまうので(そこはそう簡単操作できない。ブログ炎上させて意味規定するとかはあるけど)、その規定された権力性をロジカル批判することで対抗するのに意味はあるけれど。それをロジックではなく数の力でやろうとしたり弱者こそが守られるべきだみたいな道徳でやろうとすると、これまたどうなるかはいわずもがなですな。

何も言わなければ大丈夫なのに「私は研究者としてやっていけない」とツイッター上で言いすぎるために「この人研究者としてダメなんじゃないか」と思われやすくなってしまっている人とか、「私のこと好き?どこが好き?」とか不安でしつこく聞いちゃうために嫌われちゃう人とか、¬Xという不安行為として表現することでXが減衰するという行為はしばしば観察される。それはロジカルに指摘しても本人の不安は癒されないので、(理由なき肯定感を与えるために)「肉を食べに誘うのが良い」というのが昔出した結論だったのだけど、まあ離れてしまってそうもいかなくなったら、「おやすみ」って言うしかなくなってしまった。睡眠大事からね。

身の回りにこういう人がいる時、みんなどうしてるんですかね。適当に「ヨチヨチ、権力性に気付いていい子ですねー」(もちろんメタファーですよ、もっとオブラートにぐるぐるにくるみますけど)って言うしかないんですかね。おやすみ

2016-03-31

インターネット諸悪の根源となっている病がわかった

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/956291

「騙されない自分」病だ。

ネトウヨレイシズムミソジニーミサンドリーまとめサイト

twitterはてブ増田陰謀論放射脳疑似科学も文春もネタもマジもデマも何もかも

全部「騙されない自分」のイメージを求めた結果、陥穽にハマってしまっている。


何も進んで水素水を買えと言っているわけじゃない。

問題なのは自分が騙されないようにしている」ことでなく、

「騙されない自分パブリックイメージに固執している」ことだ。

みな賢くあろうとしている。それ自体はいいことだ。懐疑や相対化は視点として常に大事だ。

ところが、他人に賢く見せたい、賢いと認めてもらいたい欲、それがインターネットを病ませしまう。


人は「賢い自分」を見せようとするとき、かならず自分面子以外のことに考えが及ばなくなる。その言葉攻撃的になってしまう。

なぜなら、賢さとは相対的概念であって、「賢い俺」が存在するとき、他の人間たちは必ず「俺よりバカ」に位置づけられるからだ。

こういう心理状態になるときほど、近視眼的で酷薄人間はいない。


しかし、それならば賢しらに振る舞わなければ万事解決なのか。

違う。

そうなってしまったら、インターネットなどに利用価値はなくなってしまう。

我々はみな自分の賢さ、ポジション取りのうまさを見せつけるためにインターネットをやっているのだ。

見栄がなければネットではない。

では、どうすればいいのか。

ハンドルネームIDを含む顕名制度をやめて、みな記号ですら無い完全なる匿名に帰ればいいのだ。

といっても掲示板ダメだ。集団化という別の暴力の温床となる。

では約束の地はどこに?

ここだ。

増田だ。

最後希望増田にある。

我々は群れない。我々は同化しない。我々は顕れない。

我々は同じ一人であると同時に個別の十一人でもある。

国会デビューをしたからといってtwitterアカウントを立ち上げるなどは、見下げ果てた所業である

我々は存在しない。

我々に魂はない。意識もない。

ゆえにプライドも、面子もない。

騙すことも、ダマされることもない。

我々の書くことは「真実か、虚偽か」ではない。真実であると同時に虚偽である

増田ウンコを漏らす時、その記事を書いた都内在住の誰かは実際に脱糞してないかもしれない。

だが、増田に書かれた以上、増田ウンコを漏らす。

書き手人格は肉をもったリアルな誰かとは切り離され、一人の偉大な分裂症患者の名のもとに統合される。

増田

それは我々であり、私であり、あなたである

しかしたら、我々は匿名ですらないのかもしれない。

私はあなた名前を知っており、あなたは私の名前を知っている。

増田増田を傷つけない。わたしあなたを傷つけない。あなたわたしを傷つけない。


わたしたちの名は増田

「裁かれた者」サバカレー使徒であり、「死を刻む名の者」しなもん化身であり、「剥がす鬼」hagex下僕である。あるいは水曜日天使である

わたしたちはあなたたちブックマーカーである同時に、あなたたちに相対する者である

わたしたちは敵であるあなた方を祝福し、愛するものである

わたしたちは味方であるあなた方を呪い、憎むものである

実名を捨てよ。

ハンドルネームを捨てよ。

天鳳IDを捨てよ。

twitterを、Facebookを、メルカリを、LINEを、Yahoo!IDを、amazonアカウントを捨てよ。

一切の罪悪と希望を脱ぎ捨て、増田の門の前に立て。

そこは肛門。入る時はさまざまな形をとるが、出る時は常に同じ色形。

そうして、「この内容を登録する」を押したとき

あなた世界を震わすヴァイブレータとなる。

2015-03-20

なんでも「オッサンのせいにする」という陥穽

ルミネのやつ、「代理店のオッサンを引きずりおろせ」なブコメに人気が高まっているけど、

いまどき大手代理店ファッション、小売関係のチームに女性が一人もいないなんて、まず考えにくい。

そもそも、ルミネ女性コピーライター女性フォトグラファーコンビで「名が売れた」面もあるわけで、その後、突然担当者が全員男だらけになるってことも、普通ないと思う。

サラリーマン的人事とか売上とかそういう体験からしても、ルミネ広告広告現場や決定者に女性ゼロってのは、ちょっと思いにくい。

それよりなにより、この何年か、特にここの所、散々見てきているじゃないか。「女→女」セクハラは隠然と、当然に存在していることを。

女流作家だってシングルマザー一方的攻撃したりすることを。

同人誌市井女性に平然とセクハラを行う女性存在することを。知っているわけで。

そういえば人種差別を容認する女流作家や、それを擁護する女性ジャーナリストなんてのも居たが。それはちょっと置いておいて。

ジェンダー問題って、同性間でも受け止め方に違いが表れるところが、ある意味とても厄介な面なので、すべて「オッサン」のせいにして思考停止するのが一番まずい。

田舎暮らしの人は、過剰に男女差別に敏感であるがゆえに、時折、逆に女尊男卑に逆転する傾向が見られる時があり、ある種の馬鹿フェミと同じな穴に落ちがちだが

なぜ、ジェンダー問題に関しては、だいたい常に女性ノットギルティだと思い込めるのか、そこが不思議

女だけど女性差別する人、すごくたくさんいると思いますけどね。

2014-11-27

浜矩子大先生同志社大学教授)の御著書をこの増田は読むべき

良い記事だ。しかし、まだまだ甘い。天衣みつだ。http://anond.hatelabo.jp/20141125174047

この増田は、まず、同志社大学教授 浜矩子 大先生の著書を読んで勉強すべきだ。ついでに、高橋乗宣先生の御著書も読め。

2014年 戦後最大級経済危機がやって来る!: 高橋 乗宣, 浜 矩子
2013年 世界経済総崩れの年になる!  高橋 乗宣, 浜 矩子
2012年 資本主義経済 大清算の年になる 高橋 乗宣、 浜 矩子
2011年 日本経済ソブリン恐慌の年になる! 高橋乗宣、 浜 矩子
2010年 日本経済 ―「二番底不況突入する! 高橋 乗宣、 浜 矩子
    世界恐慌の襲来―日本経済は「最悪の10年」に突入する 高橋 乗宣
2007年 日本経済―長期上昇景気に陥穽あり! 高橋 乗宣
2006年 日本経済―日米同時崩落の年になる! 高橋 乗宣
2005年 日本経済世界同時失速の年になる! 高橋 乗宣
2003年 日本経済 世界恐慌突入の年になる! 高橋 乗宣
2002年 日本経済21世紀恐慌最初の年になる! 高橋 乗宣

ほら、何一つ当たってないでしょう。

2014-07-30

anond:20140729233245

妥協という言い方は聞こえが悪いので避けたほうがよかったとおもいます

恋に妥協しなかったら全員ディズニー玉の輿になれるのかっていうとなれないのでして

しろ恋を原因にしたストーカー犯罪やら離婚なんていう陥穽が世の中にいっぱいあるのでして

好きとか嫌いとか最初に言い出したヒトや

白馬王子様やらジャニーズ発明したヒトをせいぜい呪うしかないのですよ

恋なんてなかった

 

ところで二次元に恋のできるヒトヅマはたのしいです^^

ダンナお金彼氏DVDかっちゃうぞ☆

すぐちんこだそうとしない彼氏サイコー

2014-06-24

システム的に考える

村議員にセクハラ発言をしたとして、鈴木議員が名乗り出た。早速、鈴木議員日本全国からたかれだしている。鈴木議員擁護したい訳ではないけれど、私はそういう、誰か一人がのろわれ続ける現場を見るのは何となく苦痛に感じてしまう。そんなことするより、「システムを変えよう」。

このシステムを変えるという発想が今自分の中でホットである

少子化問題を解決するため、政策レベルで(日本全体規模で)の対応策を練ろうというのがわざわざ都議会少子化問題を扱おうとする(システムをかえようとする)意味であった。そして、せっかくこうしてシステムからアプローチをとろうとしているのに、鈴木議員の、少子化問題があたかも個人の責任のような言い方のヤジは、都議会存在意味曖昧にさせてしまうようなものであった。

しかし、この鈴木議員をたたこうとするのも、システム的なアプローチとは言いがたい。その意味鈴木議員をたたく者も、鈴木議員と同じ陥穽に落ちかけている。鈴木議員のヤジで笑ったものもいたように、鈴木議員のように考えるおっさんは少なくない。ならば、いつまでも鈴木議員を責めるのではなく、システムからアプローチするべきであろう。

なぜ、日本おっさんはそのように考えるのか。そのように考えないようにするにはどのような解決策をうてばいいか。それを考えるのが建設的というものだ。 

2014-06-12

just doing - 宇宙よりも明らかなただ1つの真理

just doingは和訳すると「ひたすらそれをやりなさい」。という意味だ。つべこべ言わず、ごたくわ並べずにとにかくやりなさいという古くから聖人が繰り言のようにつぶやいてきた言葉だ。

日本でも古くは只管打坐(しかんだざ)という言葉がある。只管というのは「ひたすら」という意味。打坐は、坐を打つ、つまり座禅に打ち込む」なんだな。

今日こんな記事があったけど、日本もやっとこさアホみたいな努力厨が減ってきていい世の中に向かいつつあるのかなとホッとしたと同時に、


会社で「艦これプレイする人々 専用ウィジェットで「最小化」、テザリングで「ログ残さず」 | ニコニコニュース

http://news.nicovideo.jp/watch/nw1104289


古くから日本の心が失われているようで寂しさもひとしおだったんだよね。変に真面目で凝り固まった部分がある一方で、やたらと無気力マニュアル化された考え方しかできない指示待ち人間が増えていて複雑な気持ち。

人生生きているとそういう複雑な気持ちになることがあって多大な時間お金を浪費していることに気づいたほうがよい。

偉い人の伝記とか読むと決まって苦しみを打ち消すように研究に没頭したと書いてあるでしょ?板挟みの中間管理職でも酒に逃げたりしない。打ち消すようにjust doing。

あれは脚色なんだろなと思ってたけどこの歳になって本当にその通りだなと思うわ。とにかくやるしかない。

我らがdankogaiも5年も前に「やる気を出すな。手足出せ」という名エントリ上梓しているが誠に先見の明と言うべきだろう。


分かってるとは思うが「俺はやってるんだぜ」とひけらかして自慢する人は全然just doingじゃないんだよ。当たり前のことをやってるという感覚じゃないとjust doingにはならない。別に偉いことでもなんでもなくて普通

からってやってない人が普通以下というわけでもない。比べちゃだめ。比べた途端にjustじゃなくて条件付き確率になるのよ。こういう時はこれくらいの確率仕事できるけど、

そうじゃなくなったらがんばれるの君?って話になるわけだ。それがベイズ確率論。


結局のところしょーもない努力厨も無気力人間もどっちも条件付きという点でjustじゃない。ということが分かってもらえるかと思うんだけど、ここでつい我々現代人の悪いくせは、

どうしたらいいの?と考えてしまう。justはjustでもjustなシステムズはなーんだ?を見つけようとする。小学校とき先生理科の授業で「なぜ?を繰り返しましょうね~」と言ってたけど、

だいたい専門知識のない奴が「なぜ?」を連呼してもロクなことにはならないだろと子供心に思ったし大人になってその考えはいっそう強まるばかりだ。

我々現代人は西洋デカルト世界観を知らず知らずのうちになんだかんだ引きずっているから、つい社会面政治面ニュースを見て「なぜ?」「どうしたら?」という形でどうしても方法序説を考えてしまうのが

悪いところで、そんなくだらないこと考える暇あったら自分のことやればいいのにと老婆心ながら指摘してしまう。

未来検索ブラジルのグニャラくんこと末永匡34歳会社員社会ことなんて考える必要はありませんと明言している。ネットで声の大きなスポークスマンがそのように言ってくれるのは実に心強いことである

この「まず自分」の精神はまさにjust doingそのものと言って良い。世の中エゴは悪いこととされていて、周りに気を遣うべきというマナーや、周りに合わせるよう押し寄せてくる同調圧力があるけど、

よく考えてほしいのは周りと自分対置させて相容れないもののように扱っていること自体デカルティズムの陥穽にドハマリしているということだ。

無意識利他利己は反対で、利他大事から、じゃけん利己はやめましょうね~とみんな当たり前のように思っているのがおかしいんだよね。

2014-04-20

http://anond.hatelabo.jp/20140420151811

浜矩子とは

左右(政治的意味で)、上下(景気認識意味で)は違うけど芸風が同じなのがおもしろ

2001年日本経済 バブル後最悪の年になる! 

2002年日本経済21世紀恐慌最初の年になる! 

2003年日本経済 世界恐慌突入の年になる! 

2004年 日本経済 円高デフレの恐怖が襲来する! 

2005年日本経済世界同時失速の年になる! 

2006年日本経済―日米同時崩落の年になる! 

2007年日本経済―長期上昇景気に陥穽あり! 

2010年日本経済―「二番底不況突入する! 

2011年日本経済 ソブリン恐慌の年になる! 

2012年 資本主義経済 大清算の年になる 

2013年世界経済総崩れの年になる! 

2014年 戦後最大級の経済危機がやって来る! 

2014-01-12

元・ベテラン釣り師の思い出話

10年ほど前、僕はFisherだった。僕はFishを愛していた。念の為に説明すると、Fishとは《アトランティスの王/Lord of Atlantis》を採用した青系のマーフォークビートダウンデッキのことだ。当時のスタン環境は6版+マスクブロック+インベイジョンブロック。この頃、Fishは主流ではなかったが、地味に強かった。当時のFishは《衝撃のマーフォーク/Jolting Merfolk》や《ヴォーデイリアゾンビ/Vodalian Zombie》などMTG史上稀に見る良質なマーフォークたちを抱えていた。《海のハンター/Seahunter》から《衝撃のマーフォーク》を引っ張ってこれるのは大きい。《陥穽/Ensnare》も強かった。《妨害/Thwart》《撃退/Foil》というビートダウンと相性のいいカウンターを抱えていたのも大きい。もはや、今釣りをせずにいつ釣りをするという環境だった。僕は青黒Fishを愛用してブルーオーブライジングウォーターやFiresを釣りまくっていた。

はいえ、《吸収/Absorb》を手に入れた青白コンが隆盛を極めた時代でもある。青白コンといえばラスゴ、この常識Fishには辛かった。カウンターを抱えている分Firesよりは幾分耐性があるにはあるが、基本毎ターン土地をフルタップするビートダウンで、カウンターは多大な犠牲を払って《妨害/Thwart》《撃退/Foilピッチで打つしかない。もちろん《対抗呪文/Counterspell》も積んではいるが、対抗呪文のために青二マナ残すようなプレイングでは釣り師の名が廃る。つまり、青白の放つラスゴは凌ぎきれない。対青白コンの勝率はべらぼうに悪かった。

結局のところ、僕のFishは対ライジングウォーター・対Firesのメタデッキとしてのみ存在できたことになる。

釣り師は結局、ラスゴには勝てない。このことからどのような教訓を読み取るかはみなさんにお任せする。

2013-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20130115182405

そういう心性を的確に表したツイートを見つけたので貼っとく。

弱者救済を訴える都市高学歴リベラルは、真の経済弱者である低学歴地方DQNのことが大嫌いなんですよね。

自分達の考えるような「善良で可哀想な弱者」なんてものが本当は居ないことで自家撞着を起こしてしまってる。

これは昔から進歩インテリが陥る陥穽ですよね。

2012-12-12

青二才はy_arimより見所がある(追記アリ)

青二才が相手にされるシチュエーションとは

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/TM2501/20121211/1355218653

を見て欲しい。

(本文はいつもどおり糞読みづらい上にたいしたこたぁ書いてないので読まなくてもいい。)

内容について食いつく、生きたブコメがたくさん付いている。

青二才ブログ記事と言うのは基本的にブクマ数が2とか3だが

たまにこういう風にポンとブクマ数が跳ね上がって、ばらつきが激しい。


これまでポンと跳ね上がる要因は

はてな村的ないじり」のターゲットになったときのみで、

まり書き手のダメさが突っ込みやすく滲み出た記事が反響を取ってきた。


それが今回初めて、「はてな村」以外のブクマから反響を得た。

馴染みの人にはお馴染み、ウヨサヨ罵り合いの両陣営だ。

だけど青二才にとっては初めての顔ぶれで、今新鮮な気持ちを味わってると思う。


y_arimをなぞらない青二才

あんまり賢いことも有益なことも書けない人間

はてなというところでプレゼンスを上げるチャンスは上に出た2つしかない。

ダメ人間ぶりを晒し自己演出し、はてな村にかまってもらう

政治ネタで積極的に発言し、ウヨサヨクラスタにかまってもらう

どちらも元手が要らない割りに非常に強力だ。


y_arimはまんまとコレに飛びついた。

見事に適応して見せた。過適応までした。

メンヘラロリコンマザコン貧乏中退童貞

ダメ人間属性ガンガン打ち出して「はてなアイドル」の地位を確立し、

また常にサヨク的なポジションをアピールすることで

サヨクラスタからの好意・人望とウヨクラスタからヒートを集めた。


適応力やバイタリティは見事だったが、ここには本人の意志自律性はない。

より大きく強い反響を得る方へ、チヤホヤされたり叩かれたりする方へ、

目先の刺激と報酬に引っ張られて言っただけで、極言すれば蛾と変わらない。


一方、青二才はこの陥穽に落ちない。

y_arimに劣らぬ重度のかまってちゃんであることから

はてな村反響政治クラスタ反響はすばらしく魅力的な体験だった筈だが、

適応しない。

反響が欲しいのに、反響の乏しかったジャンルの記事を愚直に書き続ける。


人格的に言って、青二才はy_arimより見所がある。


追記

qwe546

ウヨクラスタからヒート」ってそれいうならヘイトじゃね 2012/12/12

からヒートだっつってんだろバカタレが。

すぐ下のトラバのやり取りぐらい読めよ。

詳しくは「ヒートを買う」で検索するか、このあたりを読め。↓

http://d.hatena.ne.jp/usutaru/20101224/1293204608


そもそもヘイトとヒートを間違うなんて可能性あるか?

言葉意味を間違って覚えてて得意げに使う、とかならこのあい馬鹿がやってたが

ヘイトとヒートじゃ字面も響きも全然違うだろ。

キーの並び的にタイポもありえねーだろ。

y_arimの愛嬌があってウヨクラスタからちょっと愛されてる感じ、

ウヨからも憎まれてると言うより予定調和な野次やブーイングをもらってた感じを

ヒートを集めてた」とレスラー的に表現してんの。


確かにうっかりプロレス用語を使った俺も悪い。

だがなんとなく意味はわかるだろ。

からねえとしてもだ。

なんで「なんか僕にはわからない言葉を使ってるな」じゃなく

「僕の知ってるこの言葉の間違いに違いない!」になるんだこの脳軟化症が。


だいたい「ヘイト」なんて言葉こそはてなの中だけでやたら飛び交ってるオタク用語じゃねーか。

プロレス用語と大差ねえ。

やっぱ俺なんも悪くないわ。

2012-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20121130170429

しか環境が変わって攻撃性が許容されやすい状況が生まれると、

そちらに流されてしま危険はあるかもしれんですね。

 

はいえ、ぼくはこうした欲求に完全に無自覚な場合のほうが危険なようにも思えます

どんなタイプにも陥穽はあり得るし、人間もまた動物なんだから

自分は完全にノーマルだと信じるのはけっこう無理があると思うのです。

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