はてなキーワード: 老師とは
新年だし新しいことでも始めてみようかと思ってる君たちへ贈る
https://zebrack-comic.shueisha.co.jp/title/243
自律型囲碁ロボットが1/5囲碁の日から、高島屋、囲碁サロン樹林で先行予約開始
https://twitter.com/SRobot90498/status/1740263218130682256
棋士も自分の対局日をよしろーさんのTwitterから知ることもあるのだとか
https://twitter.com/yoshiro_kaba
囲碁の別名
信長・秀吉・家康に仕え信長より名人の称号を授かる。本能寺の変で信長の首を算砂が持ち出した説もある
最高が7段だった時代に実力13段と言われた。現代でも歴代最強の声もある棋士。段位制度の開祖
秀策がよく打っていた「秀策のコスミ」は、江戸時代と違ってコミのある現代碁ではぬるいとされ廃れていたがAIによって評価され復権した。
秀策曰く「この先どんなに碁が変化しても碁盤が19路である限りこの手が悪手になることはないだろう」
家元制の本因坊としての最後の跡目本因坊。終身名人制の最後の名人。
当時世界最強棋士・李昌鎬との意見会で李昌鎬含めアマチュアが見ても、どう見ても白のほうが良さそうに見える場面、李昌鎬が「黒は投了レベル」とまで言った局面を「黒のほうがいい」と断言。
33年経ったいまAIにかけてみるとたしかに藤沢秀行の感覚が優れていたことが判明した。
https://youtu.be/KRnedlmloqo?t=1964
中韓棋士を熱心に育成したため、中国には藤沢秀行記念館がある。
読売新聞が中国から連れてきた天才棋士。読売の嘱託棋士として紙面の対局企画で日本棋院棋士たちを次々と破った。
木谷實とともに「新布石」を生み、それまでの碁を一変させた。
棋戦中継
韓国の囲碁チャンネル。仲邑菫の対局は今後こっちで見れるようになる
1月2日~4日には🇯🇵仲邑菫(14)VS🇨🇳呉依銘(17)VS🇰🇷金恩持(16)の日中韓天才少女対決の新春特別企画が行われた
https://www.youtube.com/watch?v=qhz7ix0nGgo
藤沢里菜がタイトル挑戦常連の余を破りベスト8まで進んでいる、ベスト4になれば女性初
実は現代は囲碁の歴史上かつてないほど覚えやすい環境が揃っている
普通の囲碁(日本ルール)を覚えるならこれがオススメ。無料で広告もなし
なんとこのアプリ、開発費2000万を囲碁篤志家の全額負担によって作られた
https://www.asahi.com/articles/DA3S15626082.html
囲う囲わないという言葉に混乱してる人は純碁から入るのがいい。
囲碁は純碁の石で埋める過程を省略しているだけだというのがわかる
https://anond.hatelabo.jp/20221016140905
2040 年前後、高度成長が一段落して成熟化した経済と喧伝される時節であっても
「バイデン老師は中国に於ける半導体産業興隆の父である」と大陸の業界関係者に
所謂、産業政策の観点からは 4 nm 以降の製造プロセス、製造や検査等の装置、
シリコンを代替可能な新素材の基礎研究に至るまで、純国産化を躊躇する理由が
arm や RISC-V の後継規格による SoC が HPC 、データセンタ、消費者向け端末等を
某社が PS3 Cell ブロードバンドエンジンで実現しようとしたことを具現化されますなぁ。
産業界と政治、官僚機構の回転ドア故の属人的な要素が悪い方向へ働き
ネガティブフィードバックを止められないといったところが、内実なのかもしれませんが
根拠のない皮算用 w で単年度 ¥ 8,000 億、20 年、短期的な成果を訴求せずに
書いてる私の略歴 中学で坐禅にはまって禅寺に通いはじめる。スピ系話が好き。ワクチンはP・P・Mで接種。年齢 中高年。
私が小学生の時、PTAのボス的存在に連れられて1946年に設立された教団に通い始める。
以下、母の証言による。
信者は皆の前で反省しなければならない。家のなかのあれこれを全部話させられる。貯金の額も申告させられる。
毎日布教に行く。母に同行した支部の班長は近所の不幸をあれこれ聞きだし、それを使って信者を獲得(○○で悩んでいた人が入信して良くなったみたいな)し、毎月信者獲得数トップで誉められていた。
布教の時に配る教団の冊子は信者が買う。沢山買って沢山配れば誉められる。返品不可。
ごく短期間で母ギブアップ。辞めるときにかなり揉めたらしいがなんとか脱退。
その後私が禅寺に通い始める。
退職後知人に誘われて入信。
一日中道場に詰めて連絡が取りにくくなるも、当初は留守番電話の設置だけ薦めて我が家は静観。
その後我が家に来て自分は清浄、我々は不浄な態度を露骨に見せ、他人の不幸を今まで以上に嬉しそうに話し始めたので、信者の自惚れに餌をやるタイプの碌でもない教団なのか、元々性格に難のある親戚だけがそうなって教団はまともなのか判らず我が家は対応に苦慮。
ご奉仕に身につけるエプロンは他で使うと穢れるとか、お守り袋作成の中に電話に出ると穢れるのとか、禁忌があまりにも厳しすぎ、自分達は守られているので医者に行かなくても大丈夫、薬は毒等々と言い出す。
うぬぼれはどこの宗教でも社会常識でも悪い事なのだが、それを抑えている気配が無く、禁忌によってそれを煽っているように見える。私の入門した禅寺の御老師様はこういうことにかなり厳しかったので絶句する。これはかなりまずいかもと退団の説得に乗り出す。しかし時既に遅く不浄な我が家の言葉は届かず、「守られている」と大見得切っているので事故や病気になったときに我が家に助けを求められず、却って事態が悪化すること数えきれず。
薬は毒だとか恐怖を煽りつつ、私たちだけは救われるんですよと優越感をくすぐる、宗教というより殆どマルチ商法という気がしたので「苦情の坩堝」や「悪徳商法マニアック」の体験談を読みあさり、なんとか脱退の糸口を掴もうとするも結局力及ばず。
晩年、教団墓地管理費を長年二重取りしていたことが判ったが(お金は返ってこない)、それでも結局親戚は死ぬまで信者だった。
親戚の死後、親戚が身につけていたお守りの事で親戚を誘った女性とも初めて会ったのだが、教団墓地の話ははぐらかすのに、突然の葬式仕切りで大忙しの私を道場へ何度も何度も誘った。控えめで気が弱そうで善良そうな女性がである。長年道場だけが重要で世の中の事は些事と教え込まれているとこうなるのだろうか。「世の中に間借りして修行させてもらってることを忘れるな」って御老師様は言ってたから、あんまり世の中を軽く扱うのもまずいのではと思う。
また信者に口寄せさせて、その人が話したことを真に受けて皆で実行していたようなのだが、そんな心許ないものに左右されてどうするのだろう。世間に対しては一々疑いや不信を抱くのに自分達の行いに対してはあまりにも信用しすぎなのもまずいと思う。「自分を疑え」「脚下照顧」と先達も諭しているのに。
通帳など紛失しているので判らないままだが、親戚が教団に納めた金額は8桁を超えていたようである。教団の維持にお金が必要なのはわかるけど、それも程度問題だと思う。
職場と家以外、人間には案外居場所がない。親戚にとって道場は第二の我が家だっただろうし、母も家とパート先以外の居場所が欲しくてあの教団に行ったと思う。でも信者獲得数やお布施の額で確保する居場所は良くないと思う。
余談だが、コロナが流行した年にこの教団の他県支部でクラスターが発生したらしい。薬は毒、我々は神様に守られている、発熱は好転症状と言い続けていたら、三密対策もとるにとれなかったろうとは思う。
タイトル通り。ある日知人ともう一人が冊子をもって布教に来たので、私は中学の時に禅寺に入門して受戒していること、今も信者である事を告げてお引き取りを願ったところ、「先祖供養はお寺任せではなく、自分でやらないと。ここなら自分でできるんです」と連れの年配女性。「自分でやってますが」と私。
しかし相手は怯まず他のやり方では駄目と言わんばかりに押してくる。
それなのに冊子には教団名が書かれてない。祈祷文をネットでくぐって漸く判明した。自信あるならちゃんと名乗れよ。
知人も過去の自分の不幸を開陳するのだが、母の体験もあるので私は一切自分の状況を口にせず「現状に大満足(大嘘)」で押し通す。キリスト教の告解は神父様だけにだし、仏教は仏に懺悔する。到らぬ身の人間相手に懺悔しても悪い結果にしかならないと御老師様も言っていたしね。
大宗教でも自派が一番優れているといってるけれど、それは大昔の、印刷術も電話もなく、人の移動がほぼ徒歩だった時代にアクセス出来る範囲にある宗教では一番と言ったわけで、色々な宗教信者が一緒に暮らす現在それをいうのは利より害の方が大きい。私の禅の師である御老師様は他宗教をくさす言葉は一言半句仰らなかった。
確かに小学校の友達が教会で入信したときに「私は救われるがあんたたちは煉獄」と言い放ったし、私が禅寺で入信したときクリスチャンの友人が牧師執筆の本を貸してくれ、そこには孝行を尽くした妹よりなにもせず親の死後仏壇を買った長男が誉められる仏教は間違っていると書かれていた。
事実に基づかない批判(貧女の一灯をしらんのか)を展開する行為の方が、私にはドン引きだった。さすがにこういうのは今は少なくなっていると思う。
常識を疑う、破るのは仏教にもあるが、それは修行が進んだあと、無意識下の刷り込みを打破するためのもので、一般信者が社会常識を踏みにじっていいということではない。
普遍的な道徳に照らしてアウトなものは宗教でもアウトだと思う。
この二人組は本当に何度も来た。コロナになってやっと音沙汰がなくなって悪いがほっとしている。
20代後半のある日、家で読経中に宗教の勧誘が来た。中断させられてイラっとした私は数珠袈裟のままドアを開けた。そこに立っていた男性は、私の数珠袈裟をみて「これはお邪魔をしました」と深く一礼した。近所のキリスト教会の牧師である事を名乗って、若い女で異教徒の私にもう一度お辞儀をして、信者を引き連れて帰っていった。信仰する者に出会ったことが嬉しいという顔をしていた。「美味これ淡味」本当に価値のあるものは奇をてらわない普通の姿をしているのだという御老師様の言葉が浮かんだ。私も深く一礼した。
おとわっかのヒット以来ワッカスレに関する説明がいくつかのwikiやウェブサイトに記述されているが、多くが誤った内容を含んでいる。
この記事にも調査ミスや勘違いによる誤りはあると思うので、そのときは指摘して欲しい。
FF10と10-2がセットになったリマスター版はSteamサマーセールになれば2000円以内で購入できる。
ワッカはその露出度の高い容姿などから元々4chanなどの一部海外コミュニティではゲイ扱いされており、2011年にはそのネタを基にしたと思われる画像が投稿される。
https://www.deviantart.com/zigge13/art/Tidus-x-Wakka-Wallpaper-255514020
2013年にHDリマスター版で主要キャラクターのモデルが作り直されたが、
リマスター版のワッカのモデルはさらにゲイのようになったと話題になる。
(参考:https://www.youtube.com/watch?v=ZfO4cgCrnMQ)
ふたばにおけるワッカに関するミームは2016年以前にも存在していたとされmayのワッカスレも2016年以前から存在していたとされているが、
今回調査した限りではログが残っておらず詳細な検証ができなかったため今回は扱わない。
2016年10月5日、それまで画像しか投稿できなかったふたば二次裏mayでwebm動画を投稿できるようになりワッカスレにも本編切り抜き動画などが投稿されはじめるが、そこにワッカの動画を大量に投下するとしあきが現れる。
後にEbon Juと名乗る事になるこのとしあきの登場によりワッカスレはmayの中でもっともwebmを活用しているスレと呼ばれるようになるほど大量のwebmが投稿されるスレッドになった。
この順位はFF10のパーティメンバーの中では低い(ユウナ、ティーダ、アーロン、リュック、ジェクトの次)が全体の順位としては比較的高く
「ごみ」とも読めるため、以来ワッカはゴミ扱いされることがある。
なお元祖FF10不遇キャラキマリは87位、ワッカスレにおいてワッカと並んで扱われることのあるFF7のバレットとFF15のグラディオラスはそれぞれ198位と91位であった。
エボンジュは大量の祈り子によって夢のザナルカンドを召喚したが、
Ebon Juは大量のワッカ動画によっておとわっかを召喚したと言える。
一時期引退していたが復活。現在も断続的に新作動画を投下している。
ニコニコ動画でゼERO動画(ロックマンXシリーズを題材にした下品なMAD作品群)の多くを一人で投稿している634と対比されることがある。
熱心なエボン教徒であるワッカのアルベド族(教義に反して機械を使っている)に対する態度をネトウヨのそれになぞらえたもの。
実際、ワッカはユウナ(母親がアルベド族)やリュックの目(アルベド族の目には螺旋模様がある)に気づかないなどアルベド族のことをよく知らない。
そもそもワッカが機械やアルベド族を憎むようになったのはブリッツボールの道を捨て討伐隊に参加し亡くなった弟チャップが原因である。
シンを倒すための旅路でエボン教の裏の部分(本拠地のベベルで機械を使っていること、アルベド族のホームをグアド族が襲撃し虐殺したこと、指導者が死人であることなど)
を知る事でワッカの態度も変わっていき、最終的にアルベド族長のシドに謝罪しワ解する。素敵だね。
プラネタリウムのサビの1フレーズの詩・メロディ(特に『いきたいよ』の部分)とPV内容が素敵だねやFF10の内容と似ているという疑惑がCD発売当時2chなどで話題となっていた。
このことから真実はともかく大塚愛はFF10を剽窃した敵という事になっている。(敵だね)
例:
大好き!
つよくて
かっこいい
愛してやまないキャラクターです
スマホゲー、DFFオペラオムニアでワッカが実装されたときのユーザーの感想。
こんなのまで育ててたら無課金じゃやってられない。
見た目もダサイし。
この歌の歌詞が途中から六尺コピペの「大介」となるコピペが2015年以降流行した。
久しぶりにお前の顔見たら やっぱ俺の気持ち 自分で良くわかった 嘘じゃないって
子供も出来て幸せそうに見えるけど 俺のことも 忘れてないんだろ
俺だって お前のケツが恋しい
前みたく 俺に甘えてこいよ 素直になって
「男同士でこんなこともう無理っす」 って泣きながら言ったよな
ゴツイお前を胸に抱いて めいっぱい お前の頭 撫でてやった 最後の夜
その後だったよ 最初聞いたときびっくりした お前が親父になるって
お前を忘れようと わけもなく いろんな奴とやったけど
やっぱお前が一番だった
お前のケツ お前のチンポ お前の毛深カラダ そして可愛い笑顔
俺は待ってる いつまでも お前のいないこの部屋で
主に大塚愛のことを指す。
ワッカや本編中でもっともキモい行動を取っているシーモアのことを指すことが多い。
きも
>ちよ
>すぎ
>だろ
とレスを繋げることもある。
2018年のDISSIDIA FINAL FANTASY NTのWEB広告「ティーダのコンボ気持ちよすぎだろ」が改変されたもの。
なおこのゲーム中でのティーダのコンボは広告で言われるほど気持ち良くないという。
このころのFF関連のWEB広告は香ばしいものが多く、FF15の広告と並んでファンの顰蹙を買っていた。
この広告はこのほかにも「クラウドの超究武神覇斬を超究武神破斬に間違えている」「ラムザは原作(FFT)でもディシディアNTでも言うほど投石しない」など突っ込みどころが多い。
エボン教の指導者のこと。転じて製作スタッフや声優、動画作成者のことを指す。
2018年にワッカスレが隔離(スレッド一覧であるカタログから見えない状態となること)された結果
ティーダスレと偽装してワッカスレが建ち、そこで張られるWebmもそれに対応してワッカの姿や声にモザイクがかかった内容となった。
Ebon juはワッカの登場シーンの全てにモザイクをかけたまとめ動画を投稿している。
「ワッカさんが産むわけじゃないんだよ」が改変されたもの。
相手側に自分の息のかかったものを送りこみ、彼らの口から「助けてくれ!内ゲバだ!」と叫ばせる所から奥深くへの介入を開始する行為である。発案者である老師のイニシャルがAであることから「ろうしあー式」と呼ばれている(民明書房「卑劣漢のすすめ」より)
1 まずは標的を決めよう!
2 サブ垢を2つ作ろう
3 サブ垢AとB両方で相手側の人間っぽく演出しつつも思想の距離は若干離そう(例:オタクとにかく死ねフェミ+ゾーニングを守ることが大事フェミ)
4 サブ垢Aが相手側に深く入り込んだら悪魔の証明となる形で「実はこの組織ではこんな内ゲバが起きてるんです!」と叫ぼう
5 サブ垢Bで「え?こういう人達がいると私達が勘違いされちゃうんですけど?」と非難しよう
6 あとは勝手にインターネットの狂犬共がA・Bもひっくるめてその界隈全部を攻撃してくれるよ☆
7 AとBが実は同じ人間だとバれても、つまらんプライドから上げた拳を振り下ろすしかなくなった人達が界隈を火の海にしてくれるから安心してね♡
サンタクロース……その起源は、遠く古代中国、東晋の時代へと遡る。
その頃、中国大陸一の武術の高手(達人)として名を馳せた肉羅臼(にく・らうす)は、他門派の武術家と決闘する際に、三種類の絶招(必殺技)の何れかを使うと相手に予告することで知られていた。
そうして、肉羅臼は「三つのうち何れの絶招で、お前は止めを刺されたいか?」と質問して選ばせた上で、必ず、その技によって決闘の相手を屠ったという。
その強さに感銘を受けた時の皇帝・中宗元帝から、肉羅臼は"三択老師(さんたく・ろうし)"の名を下賜されるとともに、当時の民衆からは
三招(3つの技)有れば事足りる」
と詠われて、その比類無き強さを讃えられた。
しかし、晩年の肉羅臼は、武術家同士が覚悟の上で行なった決闘とはいえ、多数の人命を奪ったことを大いに悔い、武術家としての技一切を封印すると、シルクロードを遥かに西に向けて辿る旅へと出発した。
長い旅路の果にユーラシア大陸の西・カッパドキアの地に到達した肉羅臼は、その地で入信したキリスト教の修道士となると、弱い民衆たち、殊に幼い孤児たちの救済事業に晩年を捧げたという。死後、その慈悲深い行ないを讃えて、肉羅臼は"聖ニクラウス"と呼ばれるようになり、幼い子供たちの守護聖人と見なされるようになった。
時は流れて二十一世紀、クリスマスの風物詩として、子供たちに贈り物を運んで来る伝説上の人物のことを、我々現代人は"サンタクロース"と呼んで親しんでいるが、その呼び名の起源が"三択老師"であることは言うまでもない。
妹の子供の「何で勉強が必要なの?学校の勉強なんか大人になって役に立つの?」という問いに
夫婦で「いい大学に行って、いい会社に行くため」と答える以外に、まともに答えられず納得させられなかったらしくSOSを受け取った。
俺の両親は、高卒。妹も高卒。妹の旦那は地方の私大卒なので、勉強する意味を聞く相手として、一応は東大を出た俺にお鉢が回ってきたと。
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勉強する意味が分からん、社会に出て役に立つとは思えない、と言って勉強を嫌がって、お母さんを困らせてるらしいなw
でも、偉いぞ。そう感じること、答えを知りたがるのは大事だ、勉強する意味はそこにある。
お前の疑問に対するおじさんの答えは、学校の勉強は意味はあるし大人になって役にも立つということだ。
じゃあなぜ?と、お前は聞く訳だが、まだ大学にも行ってない今のお前に、数学や物理を大学で勉強したことが、俺の仕事でどんなふうに役に立っているか?を具体的に説明するのは難しい。
幾つでも例は出せるんだけど、今のお前にはピンとはこないだろうし。
だから、もっと簡単で身近な例え話で説明する。なんとなくごまかされた気がするかもしれんが、とりあえず聞け。
そもそも勉強ってのは大人になっても出来るし、おじさんも今も勉強はしてる。
だけれど、子供の時ほど勉強する時間は、もう持つ事が出来てないし、知識が増えすぎてお前が持ってる様な純粋さは失ってる。
だが、子供の時に多くの時間をかけて勉強したことは、おじさんにとっては大事な財産だし、お前にも同じ財産を作ってほしいと思う。
それはどういうものか?
何でだろうってのを自分に問うということだな。
仕事を始めると、おじさんのお客さんなんかに「こういうことで困ってるんです。お金を出すので解決してください」と頼まれる様になる。
多くの場合、そういう問題は大人になってから勉強した事も解決の為の道具になる。だから、単純に解決するだけならば、テクニックは大人になってからでも間に合うよ。
だけど、その裏には何故そうなるのか?という本質的な問いが沢山含まれている訳だな。
何か仕事をするときに、どうしてそうなるのか?それは何なのか?をかつて疑問に思って調べた事があって、その知識を持って説明するのと、そうでないのとでは
説得力にも大きな違いが生まれるし、仕事をする上でも結果に大きな差が生まれる事になる。
もっと身近な話をしよう。例えばだ。
インフルエンザになったとしても、病院へ行って薬を飲んで寝てれば治るという対処方法を知ってれば、治るし、生活する分には困らない。
だけど、インフルエンザってのは、どんなウイルスが起こす病気なんだ?って疑問に思って、何故感染してしまうのか、どうすれば防げるのかを調べていれば、アルコール消毒するとか、マスクするとか対処方法をさらに工夫できる。
インフルエンザがどういうものか?を勉強した後に、ノロウイルスとのウイルスとしての構造の違いをしっていれば、ノロウイルスはアルコール消毒ではダメで、次亜水という別の薬品が必要だって事も分かる。
コロナウイルスのワクチンが、どんなふうに作られているかを知っていれば、HIV陽性判定が出たからと言っても恐れる必要もなくなる。
何故?という問いを持って答えを勉強したかどうかで、小さなことでも変わってしまうわけだな。
今、お前が勉強していることは、人間の何万年って歴史の中で、昔の人たちが「何でだろう?」って疑問に思って、答えを見つけて来た事の集大成なんだよ。
昔の人が、インフルエンザなんて治ればいいんだって思ってる人ばかりじゃなくて、インフルエンザとはそもそも何だ?と疑問を持って勉強した人が
インフルエンザの予防接種を作ってくれて、今生きている俺らはインフルエンザを予防する事も出来ている。多くの病気は、そうやって治療方法を発見されてきた訳だ。
教科書に書いてあるのは、昔の人が持った疑問の答えなんだが、勉強すると言う事は、その答えに至るまでの本質的な疑問を1つでも2つでも、昔の人と共有するという事なんだ。
お医者さんが学生の間に多くの事を学ぶのは、患者を診た時に症状から病気を診断して治すためだけど、試験に受かる為に教科書を覚えてるだけでは典型的で簡単な例しか治せない。
何故だ?何が違う?と色々考えている学生は、医者になった時に難しい症状でも対処出来て多くの人を救えるかもしれない。
でも、不思議に思って、考えて、間違えて、また考えてって繰り返すのは、とても時間がかかる。だから、生徒でいられる間に勉強するべきなんだよ。
英語が話したいだけなら、大人になって海外にでも引っ越せばすぐに話せるようになる。
だけど、言葉がしゃべれるだけよりも、外国人の名前の由来とか語源とか、なんで?と思ったことをたくさん知ってる方がいい。
アメリカ人やイギリス人は生きてるだけで自然に子供の間に身に付く文化や教養だけど、俺たちは意図しなければ英語が話せるだけの無教養な外国人のままだ。
だけど、こんなとりとめのない疑問は、それこそ仕事に追われてる大人には追いかける余裕もない。だから、生徒でいられる間に勉強するべきなんだよ。
今、お前が学んでいることはとても簡単なことだ。だけど、いきなり難しい事は分からないし、それに考える事も難しい。
難しいことを考える為には、簡単なことから考えている必要があるのは分かるな。
一番最初に小学校で教わる1+1=2 ってのいうのだって、当たり前ではない。
本当に、そうなるのかな?という事を、誰かが疑問に思って、そうなるよって答えを探してきたから、1+1=2ですと教わるんだ。
1+1=2になるのは何故かって?それは大学に行く年にならんと流石に難しいな(笑
だが、後で噛み砕いて教えてやるよ。でも、いいぞ。エジソンだって、そうやって疑問に思ったんだ。
答えだけを聞いて納得してはいけない。放射線が怖いものだって事しか知らない大人が
10年前に大地震があった後に、とんでもない嘘をバラまいてた。あんな風に、恥ずかしい大人になってはいけない。
不思議に思ったら、疑問に思ったら、それを捨てないで考えて、それでも分からなければ先生とか、大人に聞けばいい。
でさ、なぜ学校の教師の事を、先生と呼ぶか不思議に思ったことはないか?
昔の中国では老師とも言うんだが、昔の中国人が「先に生きて学んだ人を師としたい」という文章を残していて、先に生きたという言葉から、教えを授かる師を先生と呼ぶ
という言葉が生まれたと言われていると、何かの本で呼んだ。つまり、先生というからには、お前の持つ疑問も先に持ってきたはずだよな。
という知識も、俺も何で先生なんて呼ぶの?と、子供の時に思ったから知ってる。
勉強したくない、何で勉強するのか分からない、それはもっともなことだ。意味わからんことはしたくないよな。
疑問を持って自分で解決するってことを繰り返せば、自然に学ぶことが楽しくなる。
いい大人が、勉強しとけば良かったとか、今になって勉強が楽しいと言うのは、自分の疑問を自分で解決する喜びを改めて見つけたからだ。
お前は、今からそれを実感するといい。それがお前の一生の財産になる。
仕事をするようになった時に、勉強してきたことが自分を支えてくれてる事を実感するか、勉強しとけば良かったと思うか、それで人生は変わるよ。
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なんとなく分かった様な顔でふむふむと頷いてる甥っ子の横で話を聞いていた妹夫婦の方が感動していたという。
まぁ妹が理解したなら、後は何とかなるだろう。
〇〇が教えている、こう伝承されていると書物の中で引用を始めたのは宗教で、同じように老師から始まる哲学を継承してきた中国もその後の書物で思想を多く引用している。
ただ、引用は宗教から始まったのではないか、という説は何となくこれなんじゃねーかという感触がある。
面白いことに、西洋の場合顕在的な教えが多いにも関わらず、宗教を違和感なくカルチャーに取り入れている。
日本は潜在的な祟や天罰、徳の文化でそれぞれが思っているだけでいい。
とはいえキリスト教もそれだけで全てが理解できる明快な物語ではない。
かなり不可解でオカルティックなごまかしを含んでいるが、西洋人はそれらを面白がってまずは小説・戯曲内にふんだんにと入りれた。
重要な点として、西洋の小説には嫌になるほどキリスト教が顔を出すという事実がある。
中国人も日本人もおそらく中世まで特に仏教系発想を能や茶の中に取り入れてきたことだろう。
おそらく近代的な映画などに引用作品が少ないのは、日本が西洋文化圏ではなく、キリスト教を引用する歴史と地続きではないからだ。
尿(にょう)の陳鎮(ちんちん)の都に住む短小(たんしょう)という男が、天下第一の陰茎の名人になろうと逸物を勃てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、当今男根をとっては、名手・飛精(ひせい)に及ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔てて女体を見るに即刻絶頂するという達人だそうである。短小は遥々飛精をたずねてその門に入った。
飛精は新入の門人に、まず萎えざることを学べと命じた。短小は家に帰り、妻の股座の下に潜り込んで、そこに仰向けにひっくり返った。陰茎とすれすれに女陰が忙しく上下往来するのをじっと萎えずに見詰めていようという工夫である。理由を知らない妻は大いに驚いた。第一、妙な姿勢を妙な角度から良人に覗かれては困るという。嫌がる妻を短小は叱りつけて、無理に股を開き続けさせた。来る日も来る日も彼はこの可笑しな恰好で、萎えざる修練を重ねる。二年の後には、遽だしく往返する女陰が陰毛を掠めても、絶えて萎えることがなくなった。彼はようやく股の下から匍出す。もはや、鋭利な錐の先をもって陰茎を突かれても、萎縮をせぬまでになっていた。不意に火の粉が尿道に飛入ろうとも、目の前に突然灰胡座(ばいあぐら)が立とうとも、彼は決して陰茎をしぼませない。彼の海綿体はもはやそれを縮ませるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡している時でも、短小の陰茎はカッと大きく屹立したままである。ついに、彼の睾丸と睾丸との間に小さな一匹の蜘蛛が巣をかけるに及んで、彼はようやく自信を得て、師の飛精にこれを告げた。
それを聞いて飛精がいう。萎えざるのみではまだ射精を授けるに足りぬ。次には、視ることを学べ。視ることに熟して、さて、貧を視ること巨のごとく、微を見ること爆のごとくなったならば、来って我に告げるがよいと。
短小は再び家に戻り、肌着の縫目から乳首を一つ取り出して、これを己が陰毛をもって繋いだ。そうして、それを南向きの窓に懸け、終日睨み暮らすことにした。毎日毎日彼は窓にぶら下った乳首を見詰める。初め、もちろんそれは一つの乳首に過ぎない。二三日たっても、依然として乳首である。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら大きく見えて来たように思われる。三月目の終りには、明らかに乳房ほどの大きさに見えて来た。乳首を吊るした窓の外の風物は、次第に移り変る。煕々として照っていた春の陽はいつか烈しい夏の光に変り、澄んだ秋空を高く雁が渡って行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空から霙が落ちかかる。短小は根気よく、陰毛の先にぶら下った哺乳類・催淫性の小乳頭を見続けた。その乳首も何十個となく取換えられて行く中に、早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気が付くと、窓の乳首が馬のような大きさに見えていた。占めたと、短小は陰茎を打ち、表へ出る。彼は我が目を疑った。陰茎は高塔であった。睾丸は山であった。陰毛は森のごとく、包皮は城楼と見える。雀躍して家にとって返した短小は、再び窓際の乳首に立向い、男根の綿に精液をつがえてこれを射れば、精液は見事に乳首の中心を貫いて、しかも乳首を繋いだ毛さえ断れぬ。
短小は早速師の許に赴いてこれを報ずる。飛精は高蹈して金玉を打ち、初めて「出かしたぞ」と褒めた。そうして、直ちに射精の奥儀秘伝を剰すところなく短小に授け始めた。
男根の基礎訓練に五年もかけた甲斐があって短小の腕前の上達は、驚くほど速い。
奥儀伝授が始まってから十日の後、試みに短小が百歩を隔てて女体を見るに、既に瞬間射精である。二十日の後、いっぱいに精液を湛えた盃を右肱の上に載せて剛直を扱くに、狙いに狂いの無いのはもとより、杯中の精液も微動だにしない。一月の後、一本の陰茎をもって速射を試みたところ、第一射が的に中れば、続いて飛来った第二射は誤たず第一液の染みに中って突きささり、更に間髪を入れず第三射の精液が第二射の溜まりにドッパとなだれ込む。精精相属し、発発相及んで、後射の精液は必ず前射の精液に喰入るが故に、絶えて地に墜ちることがない。瞬く中に、百発の精液は一本のごとくに相連なり、的から一直線に続いたその最後の一滴はなお剛直を銜むがごとくに見える。傍で見ていた師の飛精も思わず「逝く!」と言った。
二月の後、たまたま家に帰って妻となかよしをした短小がこれを威そうとて黄金の陰茎に白銀の精液を溜めきりりとしこって妻の目を射た。液は妻の睫毛三本を射切ってかなたへ飛び去ったが、射られた本人は一向に気づかず、まばたきもしないで亭主を罵り続けた。けだし、彼の至芸による精液の速度と狙いの精妙さとは、実にこの域にまで達していたのである。
もはや師から学び取るべき何ものも無くなった短小は、ある日、ふと良からぬ考えを起した。
彼がその時独りつくづくと考えるには、今や陰茎をもって己に敵すべき者は、師の飛精をおいて外に無い。天下第一の名人となるためには、どうあっても飛精を除かねばならぬと。秘かにその機会を窺っている中に、一日たまたま吉原において、向うからただ一人歩み来る飛精に出遇った。とっさに意を決した短小が陰茎を取って狙いをつければ、その気配を察して飛精もまた男根を執って相せんずる。二人互いに射れば、精はその度に中道にして相当り、共に地に墜ちた。地に落ちた精が軽塵をも揚げなかったのは、両人の精液がいずれも実に粘っていたからであろう。さて、飛精の精液が尽きた時、短小の方はなお一射を余していた。得たりと勢込んで短小がその精を放てば、飛精はとっさに、傍なる野次馬の陰茎を折り取り、その粗根の先端をもってハッシと液を叩き落した。ついに非望の遂げられないことを悟った短小の心に、成功したならば決して生じなかったに違いない道義的慚愧の念が、この時忽焉として湧起った。飛精の方では、また、危機を脱し得た安堵と己が巨根についての満足とが、敵に対する憎しみをすっかり忘れさせた。二人は互いに駈寄ると、吉原の真中に相しごいて、しばし美しい師弟愛の摩羅をかきくれた。(こうした事を今日の道義観をもって見るのは当らない。性豪の精(せい)の乱公(らんこう)が己のいまだ味わったことのない珍々を求めた時、厨宰(ちゅうさい)の液牙(えきが)は己が息子を蒸焼にしてこれをすすめた。十六歳の少年、秦のシコシコう帝は父が死んだその晩に、父の男根を三度襲うた。すべてそのような時代の話である。)
精涙にくれて相扱きながらも、再び弟子がかかる企みを抱くようなことがあっては甚だ危いと思った飛精は、短小に新たな目標を与えてその気をせんずるにしくはないと考えた。彼はこの危険な弟子に向って言った。もはや、伝うべきほどのことはことごとく伝えた。爾がもしこれ以上この道の蘊奥を極めたいと望むならば、ゆいて西の方大硬(たいこう)の嶮に攀じ、掻山(かくざん)の頂を極めよ。そこには甘勃老師とて古今を曠しゅうする斯道の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射精のごときはほとんど児戯に類する。爾の師と頼むべきは、今は甘勃師の外にあるまいと。
短小はすぐに西に向って旅立つ。その人の前に出ては我々の技のごとき児戯にひとしいと言った師の言葉が、彼の海綿体にこたえた。もしそれが本当だとすれば、天下第一を目指す彼の望も、まだまだ前途程遠い訳である。己が業が児戯に類するかどうか、とにもかくにも早くその人に会って摩羅を比べたいとあせりつつ、彼はひたすらに道を急ぐ。裏筋を破り亀頭を傷つけ、陰茎を扱き精液を出して、一月の後に彼はようやく目指す山顛に辿りつく。
気負い勃つ短小を迎えたのは、羊のような柔和な目をした、しかし酷くよぼよぼの爺さんである。年齢は百歳をも超えていよう。腰の曲っているせいもあって、陰茎は歩く時も地に曳きずっている。
相手が聾かも知れぬと、大声に遽だしく短小は来意を告げる。己が技の程を見てもらいたいむねを述べると、あせり勃った彼は相手の返辞をも待たず、いきなり股間についた陽根摩羅を露出して手に執った。そうして、玻璃の我慢汁を出すと、折から空の高くを飛び過ぎて行く渡り鳥の群に向って狙いを定める。陰茎に応じて、一射精たちまち五羽の大鳥が鮮やかに碧空を切って落ちて来た。
一通り出来るようじゃな、と老人が穏かな微笑を含んで言う。だが、それは所詮射精之射精(しゃせいのしゃせい)というもの、好漢いまだ不射精之射精(ふしゃせいのしゃせい)を知らぬと見える。
ムッとした短小を導いて、老隠者は、そこから二百歩ばかり離れた絶壁の上まで連れて来る。脚下は文字通りの大木のごとき茎立千仭、遥か真下に糸のような細さに見える精液渓流をちょっと覗いただけでたちまち勃起を感ずるほどの淫らさである。その断崖から半ば宙に乗出した猥石の上につかつかと老人は駈上り、振返って短小に言う。どうじゃ。この石の上で先刻の業を今一度見せてくれぬか。今更引込もならぬ。老人と入代りに短小がその石を履んだ時、石は微かにグラリと揺らいだ。強いて気を励まして陰茎をしごこうとすると、ちょうど崖の端から小石が一つ転がり落ちた。その行方を目で追うた時、覚えず短小は石上に伏した。男根はワナワナと顫え、我慢汁は流れて踵にまで至った。老人が笑いながら手を差し伸べて彼を石から下し、自ら代ってこれに乗ると、では射精というものをお目にかけようかな、と言った。まだ勃起がおさまらず蒼ざめた陰茎をしてはいたが、短小はすぐに気が付いて言った。しかし、陰茎はどうなさる? 睾丸は? 老人は去勢済だったのである。陰茎? と老人は笑う。男性器の要る中はまだ射精之射精じゃ。不射精之射精には、金剛の陰茎も碧玉の睾丸もいらぬ。
ちょうど彼等の真上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画いていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘勃が、やがて、見えざる精液を無形の陰茎につがえ、満月のごとくに引絞ってどぴゅと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか。
短小は慄然とした。今にして始めて茎道の深淵を覗き得た心地であった。
九年の間、短小はこの老名人の許に留まった。その間いかなる修業を積んだものやらそれは誰にも判らぬ。
九年たって山を降りて来た時、人々は短小の陰茎の変ったのに驚いた。以前の太く長いカリ高な魔羅魂はどこかに影をひそめ、なんの凹凸も無い、コケシのごとく棒のごとき根貌に変っている。久しぶりに旧師の飛精を訪ねた時、しかし、飛精はこの魔羅付を一見すると感嘆して射精した。これでこそ初めて天下の名人だ。我儕のごとき、足下にも及ぶものでないと。
陳鎮の都は、天下一の名人となって戻って来た短小を迎えて、やがて眼前に示されるに違いないその性技への期待に湧返った。
ところが短小は一向にその要望に応えようとしない。いや、陰茎さえ絶えて手に取ろうとしない。山に入る時に履いて行った金糸の下履きもどこかへ棄てて来た様子である。そのわけを訊ねた一人に答えて、短小は懶げに言った。自慰は為す無く、シコシコは言を去り、至射精は射精することなしと。なるほどと、至極物分りのいい陳鎮の都人士はすぐに合点した。陰茎を執らざる射精の名人は彼等の誇となった。短小が陰茎に触れなければ触れないほど、彼の無敵の評判はいよいよ喧伝された。
様々な噂が人々の下の口から口へと伝わる。毎夜三更を過ぎる頃、短小の家の屋上で何者の立てるとも知れぬ自慰の音がする。名人の内に宿る射精の神が主人公の睡っている間に体内を脱け出し、淫魔を払うべく徹宵守護に当っているのだという。彼の家の近くに住む一商人はある夜短小の家の上空で、雲に乗った短小が珍しくも陰茎を手にして、古の名人・羿(ゲイ)と超勃起の二人を相手に魔羅比べをしているのを確かに見たと言い出した。その時三名人の放った精はそれぞれ夜空に青白い光芒を曳きつつ娼宿と天淫星との間に消去ったと。短小の家に忍び入ろうとしたところ、塀に足を掛けた途端に一道の精気が森閑とした家の中から奔り出てまともに股間を打ったので、覚えず射精し外に顛落したと白状した盗賊もある。爾来、淫心を抱く者共は彼の住居の十町四方は避けて廻り道をし、賢い渡り鳥共は彼の家の上空を通らなくなった。
雲と立罩める名声のただ中に、名人短小は次第に老いて行く。既に早く射精を離れた彼の魔羅は、ますます枯淡虚静の域にはいって行ったようである。木偶のごとき陰茎は更に凹凸を失い、勃つことも稀となり、ついには存在の有無さえ疑われるに至った。「既に、陰茎と空との別、是と非との分を知らぬ。眼は陰茎のごとく、耳は陰茎のごとく、鼻は陰茎のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐である。
甘勃師の許を辞してから四十年の後、短小は静かに、誠に精子のごとく静かに世を去った。その四十年の間、彼は絶えて射精を口にすることが無かった。口にさえしなかった位だから、陰茎を執っての活動などあろうはずが無い。もちろん、寓話作者としてはここで老名人に掉尾の大乱交をさせて、名人の真に名人たるゆえんを明らかにしたいのは山々ながら、一方、また、何としても古書に記された男根を曲げる訳には行かぬ。実際、老後の彼についてはただ無為にして化したとばかりで、次のような妙な話の外には何一つ伝わっていないのだから。
その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。ある日老いたる短小が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの器官を見た。確かに見憶えのある器官だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途も思い当らない。老人はその家の主人に尋ねた。それは何と呼ぶ部位で、また何に用いるのかと。主人は、客が冗談を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。老短小は真剣になって再び尋ねる。それでも相手は曖昧な笑を浮べて、客の心をはかりかねた様子である。三度短小が真面目な顔をして同じ問を繰返した時、始めて主人の顔に驚愕の色が現れた。彼は客の眼を凝乎と見詰める。相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖に近い狼狽を示して、吃りながら叫んだ。