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はてなキーワード: 進学塾とは

2023-03-25

東京進学塾は生徒にAIとか英語翻訳ツールを使わせるべき

東大が持ち込みOKですと言ってから慌てるのでは遅い

準備をしておけば出し抜けるし田舎高校生に逆転されることもない

最先端感は1年だけにとどまらない

誰よりも先に対策を行ったという箔は毎年毎年高3生の伝説として語り継がれる

2023-03-17

都内の有名進学塾入学するにあたり各大学のアドミッションポリシーを暗記しているか試験をするのか?

その答えは当事者しか知らないし受け入れるか無視するかは受講者の判断となろう

嘘臭そう 不特定多数に 聞いてみよう

自称の数値、弁当の量、AI…信用出来ないことが多い世界であり調べることの大切さを説いた名句

名大進学塾、有名小中学校、有名コンサルタント会社などで唱和されていても全くおかしくない

2023-03-11

都会の最先端進学塾AI製のもっと頭が良くな~ると暗示をかける音声が流れる場合

妙な感じだな

2023-03-10

anond:20230310141431

進学塾からなんてそんなことは分かってる。どの板に相応しいかというのは別に排他的ものじゃないだろ?だから出張板なんてのも5chにはあるわけで。

俺はもうアラサー受験にはなんの縁も関心もない人間だ。ただ大掃除してたらそのテキストが見つかって久々に純粋高校数学のそういう問題に興味が出たってだけだ。

この動機としてはむしろ大学受験板のほうがよほど板違いに思えるがね。

数学板でも茶化される

こういうスレを立てた

SEG問題の解答解説を書いていくスレ

SEGかい進学塾テキスト最後のページには大抵べらぼうに難しい問題が載ってる

問題シンプルだが解法のとっかかりが全くつかめない系の問題

SEGに入っていたり元塾生だった人はテキスト掲載されてたチャレンジ発展問題とかをここにあげてけ

みんなで解答を考えよう

そしたら

Rを局所環とするとき、Rの非単元全体はRのイデアルであることを示せ

とか

別冊数理科学SGCライブラリ的な話をするならともかく・・・

みたいな端から相手にしてくれないスレがついた。

別にこの板って大学数学のことしか話しちゃいけない決まりとかないだろ

高校数学もいや下手したら中学数学も奥が深いんだから

他にも大学への数学のコンテントスレみたいなのがあってもいいと思うが、それは調べたら大学受験板にはあった。

数学板にあっても板違いということはないと思うんだけどなあ。

誰が大学数学限定だと決めたの?

2023-01-14

anond:20230113173150

明治時代短期間で富国強兵を目指した日本

徴兵制度のための体育能力向上を学校に担わせた。

独仏は参考にならなかったので英国米国学校運動部方式を参考にした。

あくまで仕組みを参考にしただけで、英国エリート養成学校のいわゆる嗜みとしてのスポーツという精神や、米国スポーツ参加の平等性や公正性は無視された。

戦後の高度成長時期からは、学校運動部活動は、一部私学のマーケティングとして利用され、公立学校では非行防止の一環と位置付けられた。

しかしそういった真の目的ウラの話としてささやかれるだけだったため、合理的科学的なスポーツ環境は育つことはなかった。

そして、今回の地域移行である

十年以上前から国民スポーツする権利保障するため、地域スポーツの強化が国の計画で打ち出され、ヨーロッパ型の地域総合スポーツクラブを推進されてきたがうまくいかなかった。

そこに教員労働時間短縮をカネをかけずにやり過ごしたい国が、教員の代わりに地域押し付けようとという発想で生まれたのが、今回の運動部地域移行である

しかし、こんなもの成功するはずがない。

地域移行にあたっては、国民健康文化的生活向上にスポーツを活かすという本当も目的お題目として掲げられる。だが、真の目的が不純だからだ。

本当に地域移行しようとするなら、

本気でスポーツ国民根付かせ健康文化的生活向上につなげたいなら、

まずは大学実業団運動部廃止することから始めないといけない。

大学大企業では、もっぱら一部の者だけが利用するために、体育施設運動場が整備されている。

それらは、新法をつくり、無償地方自治体に贈与させたらいい。

大学運動部も結成自体結社の自由があるから設立活動自体自由であるが、彼らのために特別優遇措置を図る必要はない。いわゆる文化系サークルと同様の扱いをしておけばよいだろう。

私学にも国の助成金運営されているのだから運動部活動優遇措置継続させたい私学には、助成金ゼロにしたうえで、固定資産税はじめ高額の税を課せばよい。

大学一般教養の体育の授業で利用するためだけなら体育施設の整備は認められようが、せいぜい大学共同利用施設として整備されれば十分だろう。

もっと一般教養で実技としての体育の授業をすること自体に大いに疑義がある。なぜなら同年代大学進学をしていない者は、年に24コマの体育をする権利保障されておらず、大学生と職業人との間でスポーツ権に差が生じるからである

大学で実技体育を必修科目とするなら、労働関係法を改正して雇用者に対して従業員スポーツする時間有給保障させる義務を負わせるべきであろう。

次に高等学校運動部廃止すればいい。

理由大学と同じだ。

中学校運動部活動は、中学校義務教育機関であるため、大学高校とは異なる視点必要だろう。

12~15歳の者にとって、推奨されるべき運動量が、授業の体育だけで十分なのかは科学的に検証すべきであって、授業時間だけで不足するなら、それはやはり学校教育の場で対応するのがよいだろう。それも、運動部活動形態を取るべきではないのは言うまでもない。

そして、推奨運動時間を超える部分は、学校が行うべきではなく、他の行政機関社会体育として実施するべきものであろう。

高校中学運動部無料で利用できたが、地域移行により保護者負担が増加することや、地域移行の受け皿に企業進出することを懸念する声もある。

しかし、学習塾進学塾にはカネを出すが、必要以上のスポーツ活動にカネを出さないのは理屈が通らないので、そういう声は無視すればよい。

企業進出については現状やむを得ないだろうが、企業利用者(生徒・学生保護者)が直接契約するのでなく、あくま自治体教育委員会社会教育部門業務内容を決定し、それを企業委託し、利用者教育委員会に申込む、というスキームにすべきだろう。

そして、十年以上かけて、徐々に地域スポーツ指導員を育成し、市の正職員として雇用するなり、自治体出資スポーツ振興事業団職員として採用するなりしていけばよい。

まあ、いままで無償教員押し付けていたものを、他のスキームでやるのだから膨大なカネがかかる。

そこはビッグデータAI活用して、国民健康力がアップして医療費総額が何兆円減ります計算させればよいし、米軍思いやり予算ゼロにして軍事費GDP1%程度のままにしておけば何とか財源は確保できるだろう。

2023-01-03

大学運動部廃止から始めろ ~運動部地域移行をするのなら~

昨日今日大学駅伝が行われ全国放送されている。

夏休み春休みには高校野球も。

スポーツ科学不在の、このカネ儲けと浪花節集団主義運動部活動を眺めていつも思うのは

もう学校での運動部活動廃止したらどう?ということだ。


明治時代短期間で富国強兵を目指した日本

徴兵制度のための体育能力向上を学校に担わせた。


独仏は参考にならなかったので英国米国学校運動部方式を参考にした。

あくまで仕組みを参考にしただけで、英国エリート養成学校のいわゆる嗜みとしてのスポーツという精神や、米国スポーツ参加の平等性や公正性は無視された。


戦後の高度成長時期からは、学校運動部活動は、一部私学のマーケティングとして利用され、公立学校では非行防止の一環と位置付けられた。

しかしそういった真の目的ウラの話としてささやかれるだけだったため、合理的科学的なスポーツ環境は育つことはなかった。


そして、今回の地域移行である

十年以上前から国民スポーツする権利保障するため、地域スポーツの強化が国の計画で打ち出され、ヨーロッパ型の地域総合スポーツクラブを推進されてきたがうまくいかなかった。

そこに教員労働時間短縮をカネをかけずにやり過ごしたい国が、教員の代わりに地域押し付けようとという発想で生まれたのが、今回の運動部地域移行である


しかし、こんなもの成功するはずがない。

地域移行にあたっては、国民健康文化的生活向上にスポーツを活かすという本当も目的お題目として掲げられる。だが、真の目的が不純だからだ。


本当に地域移行しようとするなら、

本気でスポーツ国民根付かせ健康文化的生活向上につなげたいなら、

まずは大学実業団運動部廃止することから始めないといけない。


大学大企業では、もっぱら一部の者だけが利用するために、体育施設運動場が整備されている。

それらは、新法をつくり、無償地方自治体に贈与させたらいい。

大学運動部も結成自体結社の自由があるから設立活動自体自由であるが、彼らのために特別優遇措置を図る必要はない。いわゆる文化系サークルと同様の扱いをしておけばよいだろう。

私学にも国の助成金運営されているのだから運動部活動優遇措置継続させたい私学には、助成金ゼロにしたうえで、固定資産税はじめ高額の税を課せばよい。


大学一般教養の体育の授業で利用するためだけなら体育施設の整備は認められようが、せいぜい大学共同利用施設として整備されれば十分だろう。

もっと一般教養で実技としての体育の授業をすること自体に大いに疑義がある。なぜなら同年代大学進学をしていない者は、年に24コマの体育をする権利保障されておらず、大学生と職業人との間でスポーツ権に差が生じるからである

大学で実技体育を必修科目とするなら、労働関係法を改正して雇用者に対して従業員スポーツする時間有給保障させる義務を負わせるべきであろう。


次に高等学校運動部廃止すればいい。

理由大学と同じだ。


中学校運動部活動は、中学校義務教育機関であるため、大学高校とは異なる視点必要だろう。

12~15歳の者にとって、推奨されるべき運動量が、授業の体育だけで十分なのかは科学的に検証すべきであって、授業時間だけで不足するなら、それはやはり学校教育の場で対応するのがよいだろう。それも、運動部活動形態を取るべきではないのは言うまでもない。

そして、推奨運動時間を超える部分は、学校が行うべきではなく、他の行政機関社会体育として実施するべきものであろう。


高校中学運動部無料で利用できたが、地域移行により保護者負担が増加することや、地域移行の受け皿に企業進出することを懸念する声もある。

しかし、学習塾進学塾にはカネを出すが、必要以上のスポーツ活動にカネを出さないのは理屈が通らないので、そういう声は無視すればよい。

企業進出については現状やむを得ないだろうが、企業利用者(生徒・学生保護者)が直接契約するのでなく、あくま自治体教育委員会社会教育部門業務内容を決定し、それを企業委託し、利用者教育委員会に申込む、というスキームにすべきだろう。

そして、十年以上かけて、徐々に地域スポーツ指導員を育成し、市の正職員として雇用するなり、自治体出資スポーツ振興事業団職員として採用するなりしていけばよい。


まあ、いままで無償教員押し付けていたものを、他のスキームでやるのだから膨大なカネがかかる。

そこはビッグデータAI活用して、国民健康力がアップして医療費総額が何兆円減ります計算させればよいし、米軍思いやり予算ゼロにして軍事費GDP1%程度のままにしておけば何とか財源は確保できるだろう。

2022-12-22

anond:20221221133334

類題が1986年洛南中学入試で出ているようだ

https://www.sansuu.net/rnkakomon/rnq/rn86a2q.htm

ただし、ちゃんと「柱」時計であるという記述がある


2005年には進学塾ブログで柱時計がわからなかった子供についての記事がある

https://skipper707.hatenablog.com/entry/20051205/p3

子供が柱時計を知らなかったと今年書いているブログもあるので、現在でも割りと一般的問題なのだろうか

https://ameblo.jp/mutsuki-maru/entry-12754881048.html


自分中学入試をやった人間なので、この問題にさほど違和感はなかったが、言われてみれば問題文に引っかかる気持ちもわかる

今思えばお受験って「この問題文はこう解釈する」というパターン認識の集まりだったなと思った

2022-10-12

子供を作る人の気が知れない

anond:20221012041224

この増田見ておもったことを書く。

なお自分は女だが子供の頃の交通事故のせいで子を成す器官を部分的に失っている。治療などしたら人工的に産めるかもしれないが、産む気はない。それでも構わないという人と結婚している。養子縁組治療も一切してない。

から自分は(あくま気持ちの上では)選択子なしである

 

もしも自分が五体満足であったもしても、子供を産む選択絶対しなかったと断言できる。

その理由をここに書いていこうと思う。少子化リアルな原因が見えてくるかもしれないから。

 

 

理由① 巷で見る母親が羨ましく見えない

きょうび、女性に課せられたのは出産子育てたけでなく、+仕事介護があたりまえとなっている。これは、女性本人が望むと望まざるとに関わらず、一馬力では子育てできない事を意味しているのだろう。

保育施設の前、塾の前、スーパーの中、駅などで子供をつれたお母さんたちを見ることがあるが、皆一様に肌ボロボロ・服は適当。それだけでなく、忙しさのあまりか、子供キツイ言い方・なにかするたび叱ってばかり。

自分母親がああだったら、子供心に「自分邪魔なんだな」と感じてしまうだろう。

 

理由② 子供がかわいそうだから

先の理由と少し似ているが、鍵っ子で塾通いしている子どもたちは親と接する時間が短すぎる。数少ない親との時間では叱られてばかり。夜遅くまでやってる進学塾なんて虐待権化でしょ。

友達同士で遊びに行ったりとか、季節の移ろいを感じたりとかもできないんだろうな。帰り道の落ち葉を踏み鳴らして遊んでたら「早く帰るよ💢」って叱られるもんな。

大人になってからも頑張って入った会社で頑張り続けるだけ。一瞬も楽しかった記憶を辿れないんだよ。人生ずっと辛いよ。

辛いことのほうが多い人生を、親の快楽ときで生み出してはいけないと思う。

 

理由③ ハイリスク・ローリターンの降りれない博打から

競馬競艇みたいな国営博打とは違って青天井、一度賭けたら二度と降りられない。障害者になるかも。犯罪者になるかも。健康普通大人になっても、ブラック企業で使い潰されるかも。詐欺に合うかも。結婚も自立もできずにこどおじ(おば)になるかも。22歳超えてから「お母さんお父さん助けてくれ」って言われても助けてあげられるか?

そんな最悪の未来だけじゃなくても、進学や習い事にとにかくBETする必要がある。公立学校学費が浮いたとたん「オーケストラ部に入りたいかチェロ買って!」とか言われるかもよ。

100万円単位お金を常にポンと出してやれる環境じゃないと、子ども大人勝手な都合で悲しませることになるってこと。そんなの耐えられない。

 

 

どう?子供を生むことがいかに野蛮で自分勝手なことか分かった?

2022-10-04

anond:20221004160622

1986年11月16日午後2時30分ごろ

兵庫県西宮市進学塾浜学園」で小学五年生2人が重体にその他7人重軽傷

テストを終えて4,5階から出てきた小学五年生250人が

テストを受けるため階段を上がってきた小学六年生250人と3-4階の踊り場で鉢合わせ

10数人が将棋倒しになった。

ビル階段は1カ所しかなく、幅1.2m、踊り場は約4平方メートルである

2022-09-13

18歳で処女20万で売る方法を知り丹力を持ち東大を受けるような奴

私はド底辺在日朝鮮人環境にありながら金貸し成金となった家に生まれたので資本投下をされて育った。

サラリーマンなんて周りにはいなかった。

仕事なんて金貸しと風俗不動産飲食パチンコしかなかった。それが世界のすべてだ。

エリートの奴らが皮肉を込めて言う JTC なんて遥か上層の見えない世界だった。

最大のエリート朝鮮大学校を出て朝鮮総連でよくわからないことをやっているクズ共だった。

彼らがなにをやっているかというと、何もやっていない。建物に行きダラダラして終わりだ。

そういう肥溜めで育った。

そんな状況だったので中学二年生まで大学に行くという概念現実的ものとして見えてはおらず、自分の成績についてもよくわかっていなかった。

私はどうやら頭が良いらしい、そういうことが分かったのは高校に入ってからだ。

底辺連中が跋扈している汚らしい街を出身として金が出来て引っ越した先にて進学塾というものに入ったときのこと。

市進という塾だった。

「きみはこういう学校志望校にするといい」

そう塾の先生が言った。

朝鮮学校などという肥溜めにいてはいけないと気付いてはいた両親が勧めた塾だった。

中学三年生になって入塾したのでクラスは下の方だった。自分でもよくわかっていなかったので別に何も思わなかった。

ただそのクラスで使うさほど難しくもないテキストをすぐに解いてしまう私を見て目をかけてくれた先生がそこそこ難しいテキストコピーをくれた。

二つ上のクラスが使うテキストだった。

「きみならできるでしょ」

できた。進学塾という概念を親はよくわかっていなかったのでそれに入ったのは中学三年生だったが、個別指導塾などには行っていたのでそれなりにできたのだ。

資本投下はされている。

そして普通に受験勉強をして県内五本の指はいるくらいの高校に行った。東京大学複数人排出してる高校だった。

そこでも私はなぜかよく出来た。物理先生が言ったことを今でも覚えている。

「きみは頭が良いよ」

ほんの少しでもズレていたら確実にド底辺在日朝鮮人としてパチンコの景品替えでもやっていた私はどうやら頭が良いらしい。

あの人が言うならもしかしたらそうなのかも知れないと思い東京大学を受けた。

東京大学に受かった。なるほど資本投下されると東大にいけるものなのだな、と思った。

周りの人間大学に行っている奴なんていなかったから、よく分からないまま大学に行った。

そしてなんとなく院に進み、教授の「君は博士に行くべきだ」という言葉を本気にして博士課程に行った。

適当に過ごして論文がそこそこのジャーナルの editor's choice になりそのテーマで課程博士号を取った。

かに私はそこそこ頭が良いらしいなと思ったが、本格的に文化的資本を投下されて育った奴の中では生き残れる気がしなかったので適当な JTC に行った。楽だった。

8:30-17:15 の勤務で残業無し、年間 124 日の休暇に 24 日の有給休暇を7割くらい使える。天国だった。

ただ天国過ぎてなんかやめた。後悔はしていない。

今はちょっとした外資にいる。そこそこちゃんとやっていたらなんか年収がそこそこになった。悪くないくらいの金額なのでまぁいいやと思っている。

そしてとある日に面白いやつに出会った。

高校の頃に処女20万円で売って入学資金にした女だった。

大学と院の頃にデリヘルをやって生活費学費を稼いだ女だった。

Non-MD だが東京大学大学医学研究科学位を取得している。

負けたと思った。生まれて初めて負けたと感じた。

ここまでこの文章で成り行きをつらつらと淡々と描いてきたが階級を超えるためにそれなりに考えて生きてきた。

私は私を誇りに思う。

親の金自分の頭を使ってなんとか金貸しでも風俗でも不動産でも飲食でもない仕事に就きたかった。そして就いた。

ホワイトカラー、美しい仕事だ。銀行住宅ローンを借りられる。そんな人間、周りにはいなかった。

私はその階級突破を密かに誇りに思っていた。少なくとも私は道を切り開いた、そう信じていた。

しかし、それは甘い幻想だった。

普通に考えれば簡単にわかる。18歳で処女20万で売る方法と丹力を持ち、東京大学を受けるような奴には勝てっこない。

その女は母子家庭出身者だった。

そしてさらに悪いことにギリギリ公的幇助対象にならない痴呆老人が一人と精神疾患を持つ叔母とともに暮らす家で育った。

養育費などなく、当たり前に教育資金なんてものはない。

塾にも予備校にも行かずに勉強し、九州地方の片田舎から東京大学試験を受けに行った。自分自身の処女を売った金でだ。

大学進学すら反対される中で生き延びるために持てるものをすべて使い、生き抜いてきた。

「私はなんでもするよ。誰でもいずれはそうなる。私は少し早かっただけ」

そう言い切る彼女言葉真実にすべてを投下してきた人間のものだ。

そもそもね、結婚相手に稼ぎを求める女たちと処女を金で売る私の間に違いなんてさほどないわ、タイムスケールが少し違うだけ。あと学問が好きだったからね。知的好奇心処女では知的好奇心重要だった」

勝てる訳がない。こんな化け物に勝てる訳がない。何の言い訳もできない。私はこの女より弱い。

私はたか外国人に生まれただけだ。

本は無制限に買ってもらえたし、進路に口を出されたこともない。勉強部屋も与えられたし、家事介護したことはない。

受けたい模試はすべて受けることができたし、加えてお小遣いももらっていた。

朝鮮学校からまともな日本学校に行く際にはクソ共に反対はされたが常に親は味方だった。

親はおおまかに私が良く生きることを奨励してくれた。

それは非常に幸せなことだった。

「私は普通よ。ただあの環境から抜け出すために使えるものを使っただけ。女に生まれラッキーだった」

私はたか外国人に生まれただけだ。なんのことはない。

しかしそれでも私は彼女に勝ちたいのだ。

2022-09-02

ポケットピカチュウが欲しかった話 続

先日、『ポケットピカチュウが欲しかったけど、ポケットハローキティクリスマスに届いた』っていう話を書いたら思った以上に反響があった。正直驚いた。

私もだわという声もあって、一人じゃなかったんだなあと、心に刺さった棘がちょっと小さくなった。

読んでいただきありがとうございました。

https://anond.hatelabo.jp/20220818181739

追記追記を書いていたら長くなったので新しい記事にする。

»ポケットピカチュウを手に入れていたら、今の私は何か違ったんだろうか。

について掘り下げる。

どうしたらポケットピカチュウを手に入れることができたんだろう。

ポケットピカチュウを手に入れるタイミングは2つある。

1. クリスマスまでに親を説き伏せてポケットピカチュウもらう

2. クリスマスポケットハローキティを贈ったのは間違いだったと気づかせて、別のタイミングポケットピカチュウをもらう


1. クリスマスまでに親を説き伏せてポケットピカチュウもらう

前回の記事追記にも書いたが、

私の親は、ポケモン暴力的ゲーム子どもに悪い影響がある かつ ちょっとした流行もの認識していた。

2022年に「ポケモン暴力的なので我が家では禁止しています」という親がどれくらいいるかからないが、1999年にはどうやら一定層いたらしい。

子供の頃の記憶と、さっき5分くらい調べたGoogle検索の結果なので間違っているかも知れない。

ーーーーーもし、2022年の私が1999年の私に会えたら、何てアドバイスをすればいいか

友達を1人ずつ連れて行って、ほら、みんなポケットピカチュウを持っているでしょ。と、[エビデンス]を突きつけてみるのはどうだろう。

・もしくは、うちでポケットピカチュウ通信会を開催して、私だけ持ってないでしょ、と教えるのはどうだろう。

・・・と思いついた。

しかし、課題がある。

おそらく、当時の親は周りの子ものことが見えてなかった。見る習慣がなかった。

私は第一子だったので、幼稚園に通うまでは「子」と「お母さん」だけの【家】という最小コミュニティで成り立っていた。

それが、幼稚園に通うようになって、「子」と「お母さん」と「幼稚園同級生」と「ママ友」という【地域コミュニティに膨らむ。

子が成長するに従って、親はぶつぶつ言い始める。

『〇〇ちゃんはもうバイエルやってるんだって』とか『〇〇ちゃん進学塾に通っているそうよ』とか『〇〇ちゃん結婚したって』

ーーーーー周りの子と比べて、あなたダメ

と、否定されたことはないので、親にとっては「今日は晴れていたね」くらいの日常の会話、近所の近況報告だったかも知れない。

肯定的に捉えると、周りの子どもと比較するということは、周りの子どもを見る余裕ができたということだと思う。

私が幼稚園に通うくらいの頃は妹が生まれたばかりだった。親は心に余裕がなかったと思う。

自分を通してのママ友はあまりいないが、妹の友達ママ友はいまだに付き合いがあるくらい長い付き合いだ。

なので、公園の片隅で

「うちの子ポケモンなんかに興味を持つのよ。女の子なのに。やあねえ。」

「え、知らないの?ポケモンって今とってもはやってるのよ。女の子男の子もみんな持ってるんだから。〇〇ちゃんも買わないと置いていかちゃうわよ。」

なんて話している余裕は私が子どもの頃はなかったんだろう。


あの頃は、「私」と「妹」と「お母さん」だけの【家】で小さく暮らしていた。

私だけが幼稚園という広いコミュニテイに先に出てしまったのだ。

周りの子自分を比べても、あまり良い説得材料にはならなさそうだ。



ピカチュウちょっとした流行だと捉えていたことについては思うところがある。

当時ハローキティキャラクターとしてはかなりの地位を得ていた。1974年デビューしたそうなので、1999年に25周年を迎えていた。

対してピカチュウ1996年誕生しており、1999年時点ではたった3周年だ。

2022年にはピカチュウ誕生してから26年になるが、未だに老若男女誰に聞いても「このキャラクターは何?」「ピカチュウ」と回答が返ってくると誰が想像しただろうか。

あなたが「どうせ、これもすぐ終わる流行でしょ?」と手を振り払ったそれは25年後常識になっているかもしれませんよ。



2. クリスマスポケットハローキティを贈ったのは間違いだったと気づかせて、別のタイミングポケットピカチュウをもらう

ーーーーサンタさんが良かれと思ってプレゼントしたものを開けた瞬間、子どもがしくしく泣き出したら?


サンタさんはさぞ慌てふためいたと思う。自分が良かれと思って変更したプレゼントは間違っていた、と気付くことができる。

本来であれば25日の朝のプレゼント開封クライマックスを迎え、幸せクリスマスになるはず。

ところが、25日の朝にポケットハローキティが出てくることで、家族史上最も気まずいクリスマスになる。

「何が違ったの?」「どうしてダメだったの?」「そんなにピカチュウが欲しかったの?」と聞いてくれたかも知れないし、

「ああ、この子が主張していたもの勝手に変えるのは良くないんだな」と気付いてくれたかも知れない。

人と人はぶつかり合ってお互いの理解を深めるというが、親と理解を深め合う最初のチャンスが5歳のクリスマスだったのかも知れない。

3000円のポケットピカチュウお菓子のように気軽に買えるというほどではないが、

ちょっと食費を削ったり服を1枚我慢したりCDを1枚我慢すれば、手に入らない金額のものではない。

在庫薄だったかも知れないが、周りの子がみんな持っていたのを考えるに、郊外特有の、ちょっと大きいトイザらス在庫を持っていたと想像する。

私が親だったら、しくしく泣き出してしまったクリスマスの悲しい思い出を払拭するために、ポケットピカチュウを手に入れようと頑張るだろう。

26日の朝に「あれー!サンタさん今日プレゼントくれたみたい」と急いで挽回するか、元旦お年玉の代わりに渡すか、数週間後にある誕生日のプレゼントにするか。

なんらかのタイミングポケットピカチュウが私の手に入ってハッピーエンドだ。

アラサーになって、ビールを飲みながら、はてな匿名ダイアリーでちまちま記事執筆することもない。

さいごに

前回の記事で、ポケモンに触れずに大人になってしまった哀れな人と思われたかもしれないが、安心してほしい。

ポケットハローキティ事件の数ヶ月後に、ひょんなことからゲームボーイカラーとポケットモンスター銀を手に入れることになる。

https://www.pokemon.co.jp/game/other/gbc-gs/

長くなってしまったので、別の記事としていつか書くかも。

2022-08-17

90年代初頭の中学受験景色

増田が小4か小5の時くらいにSAPIXTAPから別れたばかりで、増田は姉がTAPに行っていたし自分も小3くらいから行ってるしやっぱりTAPでしょということで受験まで通っていた 

教材もめちゃくちゃ面白かったし教師が引率してくれて教室の最寄駅までみんなでワイワイ帰るのが楽しかった

子供目線しかないが、90年代頭くらいだとまだSAPIXはそれほど圧倒的ではなくてTAP勢力に翳りが見えてきたところ2つ下の兄弟四谷大塚に行っていた

どこでもいいが、結論学校勉強で物足りない子供には進学塾絶対あったほうがいいと思う 結果に関わらず10代前半には湧き出るような好奇心学習欲ってのがあり、それを満たしてやるのは正しい

なお第一志望は国立の附属だったためくじ引きで落ちたけど第2志望には合格した

sapixならともかく、なかなか元TAP生ですというおじさんおばさんに会うことはないけど会ったら昔のことを語り合ってみたい

2022-07-01

学校教師学校しか知らないので視野が狭い

しかし、しかし、しか!!!

予備校進学塾講師受験のことしか考えないので、教師よりも更に一層視野が狭い

断然一等賞

2022-05-06

anond:20220506124931

塾は進学塾・補習塾・大手・中堅いろんな所に説明聞きに行って、お子さんに自分で選ばせるといいと思う。

中学生でしょ?勉強するもしないも自分で決められる(親が言ってもやらない)年頃だし。説明会は、今後の進路を考える上で刺激にもなって有意義

中学生は一番学校でいろいろある時期で、登校しない期間も発生する可能性がある。それなりにしっかりした塾に入れておけば、勉強が遅れる心配なく「休んでいいよ」と言えて、メリット大きいよ。

東京都内の子育てこれで大丈夫だよね?

東京都内在住で長男中学一年生。今のところグレてなくて優しい良い子。

公立小学校から公立中学校に進学。東京東部だけど荒れてるという雰囲気ではない。

小学校同級生の約半分は私立中学に進学したみたい。

交友関係はすごく仲の良い友達が2人でそこそこ仲の良い友達が数人。

部活運動部小学生の頃は運動があまり好きそうではなかったけど

中学生になって友達と誘い合って運動部を選んだらしい。団体競技を選んでくれたのは嬉しい。

子供の頃の習い事はよくある水泳公文とか一般的ものだけ。トップを目指して多大な努力をするようなものではない。

勉強学校で教わる水準は理解できているみたい。小学校低学年から毎朝ドリル自主学習している。

自主学習は5年間ぐらい継続しているので本当にエライ。親からみても尊敬できる。おれはムリだったし今もムリ。

中学年で進学塾にも入ったが、親が受験に本気になれなかったので1ヶ月ぐらいで辞めた。

ちなみに夫婦ともに都内出身でたいした学歴は無い。専業家庭。

親としてはこのまま公立中学で過ごして高校受験をして大学まで進んで欲しいと思っている。

中学生になったので塾に通うつもりだが、放課後の大半をつぎ込むような進学塾は考えていない。

部活も続けて欲しいし友達と遊ぶ時間も大切にして欲しい。

ただ、ネット上で親である自分と同じような属性収入人達の話を読むとほぼ全員、子供私立に進学させているので少し心配している。

仕事で会った子持ちの人と話をしても私立中学に進むことが前提になっているようで

中学受験しないことを伝えると「あ、そうなんですね(失礼しました)」みたいな微妙雰囲気になることが何度かあった。

また、受験に力を入れていない家庭もあるにはあるが、そういう家庭は野球サッカープロを目指すような家庭だったりする。

我が家受験にも運動にも力を入れてなくてどちらも平均的というか悪く言えば中途半端状態ではある気がして

親としてどこまで子供人生に介入すべきか悩んでる。

2022-03-13

anond:20220313021757

勉強しろと言う必要は無いけど、自身教育恩恵を受けた自覚があるのなら、子供教育への支出や労力は惜しまないのが良いと思う

程度もあるが

知人が子供を塾にやらずに受験で失敗させて落ち込んでいた

知人は地方優等生タイプ結婚して都心に住んだ

地方では進学塾などなく、学校勉強だけで旧帝に受かっていた

子供地域で一番の国立高校を目指していたけど、塾にまで行く必要ないというのが知人の考えだった、もちろん懐具合の問題もあったのだとは思うが

子供クラスもっとも優秀な子のグループに属しており、その中で知人の子供だけが受験に落ちた、他の子は皆塾に行っていたそう

子供も塾に行きたがったのに行かせなかったこと、子供受験に失敗して塾に行ってた周囲の子が受かった事、落ちて私立に行くのに入学金で塾費用くらいになってしまうこと、等々 あれこれと後悔していた

知人は自身地方の出で塾に行かずにそれなりの学歴があったか子供にも不要判断したのだろうけど

知人の田舎高校受験子供の都会の高校受験はいろいろ異なる

増田勉強を強いられない家庭にのびのび育ち、結果それなりの学力学歴が得られていたのだとしても、子供環境は同じじゃない、地頭の良さは引き継いでいるのかもしれないけど、条件はいろいろ違う

子供に無理して勉強させる必要はないし、無理にやらせたところで効果もないと思う

けど自分子供の時にこうだったか子供も、と考えて教育への投資をしない、というのは後々後悔することになるかもしれない

まあ自分にとっては他人の話でしかないので、こんな後悔をしてた人がいたよというだけの話

知人の子供も落ちて私立に行ったけど、十分すぎるほどにレベル高い高校だったし、気に病む必要ないのではと思ったが

2022-02-18

ごくまれにあるキチガイばっかり集まった学年

それがワイの小学校時代やった。

もう3,4年の段階で各クラス様子がおかしくてクソ荒れまくってた。

そこで学校はかつて様々な問題児クラスを受け持ってきたベテラン有能先生を5,6年の担任に着け、

そしてあろうことか同じ学年の問題児をそのクラスに集めた。

きっと彼なら、彼ならなんとかしてくれる。

 

なーんともならんかった。

暴力窃盗、当時は珍しかった陰湿いじめ、授業ボイコットが吹き荒れ

机や椅子が乱れ飛び、4人の不登校児を出しクラス崩壊した。

学級崩壊という言葉が大流行したのは俺が卒業した3年後くらいだったから、

時代を先取りした学年やったんやね。

なぜかそのクラスに混ぜられたワイはなんとか目立たんように立ち回りながら

あいつをイジメろと言われれば従い、こいつを殴れと言われれば殴った。

スリリンは嫌だスリリンは嫌だ……

 

その裏で駅三つ向こうの進学塾に通い中学受験の準備を進め、

なんとか地元公立中学には進まないことができた。

 

有能先生はその後、8年くらいその学校にいたそうだが一度も担任は持たなかったそうだ。

妹も同じ学校に通ったがワイ君の妹だということを聞いた有能先生は引きつった笑いを浮かべていたという。

よっぽど怖い思いをしたんやね。

なんかズレてはいるけど愉快な先生でワイは嫌いじゃなかったよ。

 

今でもたまに当時のことを思い出す。

悪夢だ。

2021-12-06

人間関係格安ほぼ無料で手に入るのは大学までか

有名進学塾通いも少なくない

2021-11-30

娘の進学についてフェミ鵜呑みにして大損した

女性理系が少ないのは、親の理解が足りないせいだよねってフェミの中では当たり前のように語られてたでしょ。

なので、自分はそういう親にならないよう、女性でも社会進出できるように、娘を地域でも一番の進学塾に入れ、かなりお金をかけたのね。

そのおかげか、行ける範囲でそこそこの進学校がA判定になり、一安心していたんだが、

そこは校則が厳しくて化粧できないとか制服が可愛くないとか言い出して、かなりランクを下げた学校に行きたいと言い出した。

おいおいおいい!?

娘の言い分的には、友達もそこは結構重視しているらしくて、この価値観は当たり前だと、否定して欲しくないと、大げんかになってしまった。

やっぱり女性って自分趣味志向で進学先決めているから、収入格差出てくるのではないか

あーアホらしい。フェミ屁理屈を真に受けて大損した。

2021-11-12

anond:20211112141302

普通の親やったら最低でも産近甲龍ってなるから知らん人のほうが多いと思う。

進学塾やってるとどうしたってその下のランクを薦めざるを得ないことがあるから心苦しい。

有名ではないけど関西進学塾やってたら知らない人はいないと思うよ。

2021-09-10

ガチャ

在日韓国人の家に生まれた。

父親は気に入らないことがあるとすぐに手を出す性格で、幼少の頃は止めて入った母親まで殴られて一緒に泣いている記憶ばかりだった。

祖父から継いだ仕事財産を築くも、それを自分の商才と勘違いした父親は引き継いだ仕事を辞めて趣味の延長である雀荘経営を始めた。

母親夕方から深夜まで手伝いに駆り出され、学校から帰ると家には誰もいなかった。

前の仕事で築き上げた財産で、家だけは無駄に広かったが、お化け屋敷に住んでいるみたいで落ち着かなかった。

両親は決まって夜中に酔っ払って帰ってきた。

大体の場合、帰ってくるなり怒鳴り合いの喧嘩を始めた。

今日接客がどうだとか、作った料理がどうだとか、売上とか従業員給料とかそんな話ばかりだった。

とにかく布団の中で聞かないふりをした。

たまに母親が泣きながら上がってきて、化粧と酒くさい顔を近づけて頭をなでながら何かをぶつぶつと言っていた。

その時もやっぱり寝たふりをしていた。

そのうち父親は朝方まで帰ってこなくなった。雀荘営業時間を伸ばしたらしい。

家での両親の喧嘩は減ったが、夕方近くまで眠って明け方に帰ってくる父とは会話をすることがなくなった。

見栄で通わされた私立小学校は家から遠く、地元同級生たちと馴染めないままいつも一人遊びをしていた。

誕生日プレゼントも買ってもらえたし、サンタも家に来た。

何か不自由を感じたことはなかったが、何かいつも足りないものを感じていた。

ある日公園で一人で砂場遊びをしているときに、近くの小学校に通う同級生たちに囲まれ砂場に首から下まで埋められたことがある。

家に帰ると母親が忙しそうに仕事に向かう準備をしていた。

砂まみれの自分に気がついたが、怒ることもしなかった代わりに、何かを聞かれることもなかった。

一人でそのまま風呂場に向かい洋服ごとシャワーを浴びた。

びちょびちょの洋服をそのまま洗濯機に投げ入れたが、そのことについても母親から何かを聞かれることはなかった。

毎日一生懸命に働いている母親を困らせるのは悪い子供がすることだ。

自分自分を責めた。

次の日に公園に向かうと、その時の同級生たちが野球ごっこで遊んでいた。

もう一度砂場に埋められるわけには行かない。そう思って、公園で遊ぶことはその日以来やめて、誰にも会わなそうな空き地や少し離れた河川敷で遊ぶようになった。

見栄で通わされた進学塾は、毎日終わり際にタイムカードだけを切りに行って、それ以外の時間は近くのゲームセンターに入り浸った。

夕食は塾の近くにあるファーストフードで食べなさいと、毎日500円をもらった。

そのうちの大半をゲームでつかった。

志望校は当然全て落ち、受験する3日前まで名前も聞いたことのないような私立中高一貫校に文字通り滑り込んだ。

ほぼ定員割れ名前が書ければ受かるような学校だった。

小学生までは頑張って起きて朝の支度をしてくれた母親も、自分中学生に上がると昼まで起きてこなくなった。

その代わりに、一日の昼食代500円が毎日テーブルに置かれるようになった。

からバス電車を乗り継いで1時間かかった。

途中にいくつかの繁華街がある駅を通るが、制服ゲームセンターに行くには邪魔だったおかげで、遅刻常習犯ながらも、日中は流石にサボることはできなかった。

昼食は甘ったるい菓子パン1つと甘いジュースだけでしのいで、残りは放課後ゲームセンターで使った。

作りおきの夜食栄養バランスをなんとか保ちつつも、それが理由かわからないが身長は165cmで止まった。

人付き合いというものをろくにしたことがなかったが、この頃一緒にゲームセンターで遊ぶ友人が何人かできた。

なんとなく、生まれてはじめて人間らしい営みを手にれた気がしたが、それも長くは続かなかった。

中2の初め頃、親が新しく始めた飲食店の手伝いのために、放課後部活も許されず店にまっすぐ向かって日付が変わるまで無給で働かされることになった。

雇われた店長父親の前だけへこへこして、溜め込んだ憎悪ストレス自分にぶつけてきた。

裏表のある大人を間近に見てこんな大人になるくらいなら死んだほうがマシだと思った。

放課後を奪われた学校生活無味乾燥のもので、授業の大半を寝て過ごし、夜は脇目もふらずに仕事に向かう生活を繰り返した。

高校2年のときバブル経済崩壊した。

家族内緒で行っていた父の株式投資負債によって、雀荘飲食店どころか家まで失うことになった。

荷物ほとんどを捨てて、親戚が管理人をしているワンルームアパート母親引っ越した。

その時は住むところを失った悲しさよりも、店の手伝いから開放された嬉しさが勝った。

負債家族に背負わせないために両親は離婚をして、その後父はどこにいったのかも聞かされなかった。

最後父親とどんな会話をしたのかも覚えていない。

母は親戚のパチンコ屋で換金所仕事を始めた。

親族のうち、以前から換金所で働いている人間はたんまりお金をもらっているのに、自分は足元を見られて少ししかお金をもらえていないと嘆いていた。

生活できるだけでもどれだけありがたいことか。母親の欲深さにうんざりした。

それでも贅沢はせず、母親は少なくとも高卒じゃなきゃ働き口なんてないという理由で、意地でもわたし卒業させてくれた。

この頃、親戚のおじさんが相次いで自殺をした。バブル崩壊で抱えた借金で首が回らなくなったからだという。

父親は生きているのだろうか。どちらにしても、お金が原因で命を失うなんて馬鹿げていると思った。

お金様の何が偉いのか。そもそも人の幸せとは何か、そのときに眠れなくなるくらいに考えたことを覚えている。

相変わらず夜の帰りは遅いものの、交代制シフトで働くようになった母親は、朝に起きて夜に眠る生活に戻った。

この歳になって面と向かって甘えるなんてことは流石にないが、学校でのくだらない出来事や、一緒に見ているテレビの内容のことを話す機会が増えた。

小学生ときにできなかった時間を取り戻しているような気がして、毎日が楽しかった。

たまにお酒が入ると、母親は決まって過去のことと今のことをわたしに謝った。

仕事の忙しさを理由全然世話をしてやれなかったこと、それなのに全ての財産を失って辛い生活を強いていることを、何度となく謝ってきた。

母親にそんなことを言わせてしまっている自分申し訳なくなった。

今がどれだけ満たされているか、どれだけ言葉にしても母親は首を横にふるだけだった。

別にお金がなくても、今が幸せと思えるならよいではないか

しろ自分にしてみれば、お金があった時代のほうが不幸だったのではないかと思えた。

在日韓国人である自分にとって、この頃はたとえ大学卒業したとしてもまともに就職できる企業なんてものはなかった。

から、その時には当たり前のように大学進学はせずに働くものだと決めていた。

高校卒業してすぐに建築業に進んだ。

親方の送迎で一度に現場に向かうために寮生活だった。

から原付きで30分ほどの床も壁も筒抜けのボロアパート引っ越しをした。

建築現場にはフィリピン人パキスタン人で溢れていた。

言葉の通じない相手に、いい年をした職人たちが代わる代わるいじめを繰り返していた。

在日韓国人であることを隠して働いていた自分は今で言うパワハラだけで済んだが、それこそ一歩間違えれば現場死亡事故にでもなりかねないようなことも行われていた。

自分はいじめに加わることも助けることもできなかったが、できるだけ彼らの話に耳を傾けるようにした。

いじめについて聞いたこともあるが、ここで稼いだ仕送りで国で待つ家族笑顔になることを考えれば何でもないと、全員が口を揃えていた。

少なくとも、自分からは彼らは幸せそうに見えた。

外国人いじめて楽しそうにしている職人と、いじめられても家族幸せを思って幸せを感じている外国人とを見比べて、幸せとは何かを再び深く考えた。

収入は確かに良かった。

とある事故きっかけに、2年ばかりで建築会社倒産してしまったが、使う当てもないままに親に仕送りをしながらも300万円くらいの貯金をすることができた。

実家(といっても親戚が管理人アパートだが。)に戻ると、その貯金でまずはパソコンを買った。高校時代ゲーム仲間のパソコンが詳しい人間に教えてもらいつつ、当時出たばかりのインクジェットプリンターと併せて全部で100万円くらいかかったと思う。

教習所短期コースに通いながら、一緒にもらった違法ソフトで本を読みながらウェブデザインを独学して、車の免許ウェブデザインの最低限の知識を2ヶ月位で詰め込んだ。

その後、貯金を切り崩しつつ就職活動をして、ソフトウェア開発の会社アルバイトとして入社した。

もともと大手通会社で勤めてから独立した社長がなかなかのやり手で、パソコンサポートのセット販売や、当時はまだ珍しかった個人ホームページ制作代行など、次々と事業を拡大していった。

世にいう就職氷河期の頃だったが、当時、個人パソコンを持つ人間はまだ少なく、また、車の免許や力仕事職人に鍛えられた物怖じのなさが気に入られて、その会社正社員として働けるようになった。

入社して数年、立場も順調に上がっていき、社宅手当をもらえるまでになったのをきっかけに、母親をつれて小さいながらマンションに引っ越すことができた。

これで母親に少しは惨めな思いをさせないで済む。そう思っていたが、母親はそうではなかった。

一度は財産を築いて豪邸(とはいっても本物の豪邸には程遠いが)に住んだ身にとって、マンション暮らしは惨めなのだという。

まだデザイナーマンションだとか億ションだとかタワマンという言葉が生まれる前の話だ。

戸建てを買えなかった人間が、渋々住むのがマンションだという思い込みが強かったのだろう。

一度は地に落ちた生活をここまで取り返すことができたのだから喜ぶだろうと思っていたが、そうではないという母を見て、素直に可愛そうだとおもった。

社長経営手腕のおかげで、今もその会社で、気がつけば重要立場を任されるまでになった。

母親は別のマンションに住まわせ、自分結婚して二人の子宝に恵まれた。

自分の親ガチャがあたりかはずれかなんて、今になってみればわからない。

羨ましいと思える親子関係も山のように見てきたし、両親がもっとまともだったら良かったと思うことなんていくらでもあった。

だけど、こんな親だったおかげで、自分幸せとは、お金とは何かを考える切っ掛けがたくさんあったし、そのことについて世間に流されるようなこともなかった。

未だに大学進学までしておいて定職につけないままの同級生もたくさんいる中で、自分は、本当にたまたま運が良かっただけなのだろう。

そんな自分がいうのもなんだが、親ガチャなんて人生の数多くのガチャの一つでしかないし、その一部分だけ切り取って見たところで何の意味もないのだと思う。

ゲームみたく課金でやり直せるものでもないのだから問題は、そのガチャの結果とどのように向かい合っていくのかなのだろう。

気に入らない結果をすぐにリセマラするのではなく、そのまま始めてみがほうが実は楽しいこともあるかもしれない。

なんだかとりとめのない文章を書いてしまった。

ガチャの結果くらいで、人生のものに悲観する必要なんてない。多分、そんなことを言いたかったのだと思う。

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