はてなキーワード: エクソシストとは
多少のネタバレがあるかもしれない。
楽しめたけど、なんかスッキリしねぇな、と言った感じ。
よくわからん部分がいくつかあって解説をしてもらわないと困るというか。
結局、ジャックは誰かと何かを契約したのか?何を差し出したんだ?
あと、気のせいかもしれないけど、一番最初の配給会社?のロゴっぽい演出がなかったか?
Since 20XXって未来の会社のようだったけど、実際にある会社だろうか。
もっといろんなゲストがわちゃわちゃ出てくるのかと思ってたけど、わりと少人数だったのが少し残念。
オカルト懐疑派おじさんにあからさまなインチキをつるし上げるような見せ場を作ってあげて欲しかった。
あの頃(1970年代?)は生演奏が主流だったんだろうか。今でもそうなのかもしれんが、テレビをあまり見てないのでわからない。
「映画の観客も完全に催眠術にかかる」という前提の演出は初めて観たので新鮮だった。
悪魔憑きの女の子が、不気味さと可愛さが丁度良かった。エクソシストの女の子といい勝負をしていると思う。ちゃんと観たことないけど。
ジェーンだっけ、女の人。本書いたり、女の子を治療したり、悪魔をそれなりにコントロールしたり、何者なんだよ。超心理学凄すぎでは。
反出生主義とフェミニズムって切り離せないって言うか、ほぼイコールだと思うんだけどね。
最近の作品で反出生主義っぽい要素が出てきた作品というと、「進撃の巨人」及び「エクソシストを堕とせない」がそうなんだけど。
でもどっちもその主張をするのは男キャラなんだよなぁ。なんでだろう?
産まれてくる事は必ず苦痛を伴い、子供は産まれて来るか否かを自己の意思で選べないから出産は否定すべきであるという主張は、
社会においてより強い不利益を受けている側の性別である女性が主張して初めて説得力が出るんだよ。
どちらもポリコレやフェミニズムの観点から賞賛されている作品で。特に後者は作画が女性、原作者の性別は不明だが作風的に考えると女性の可能性が高い。
女キャラに言わせた方が絶対に説得力があるのに敢えて男キャラ、それも否定される結論ありきの敵キャラに言わせるという卑怯さ。
女キャラに、フェミニズム的視点からの反出生主義を主張させた場合、正しすぎて否定出来なくなって商業作品として成り立たないから?
間違った読み方であろうことは認める。
でもさあ
自分はさあ
頑張った順に報われるのが見たいわけ。ある程度は。フィクションの中では。
似たような手段の篭絡にしたって色欲の魔王の方がよっぽどわが身を掛けて飛び込んで勝負したじゃん。
(まあ魔王達も完全にやられても地獄に戻って再生するだけのクソなんだけどさ)
ろくな積極性もなく、恐怖に耐えて勝負したこともなく、何かを賭けて打って出たこともなく、
肝心な場面でも”待ち”を選んだ結果ポッと出の色欲の魔王に出し抜かれたイムリが
なにこの漁夫の利?
完全に選択を間違えて消極策を選んだことにすらなんのペナルティも無くて
色欲がズタボロになりながら作った成果を自分は無傷でもらっちゃってるわけ。
唐突にチート能力に目覚めて魔王と対等以上にわたり合いだしたり
もう見ていてひたすら不快になるしどうしてもイムリのことが好きになれない。
ていうかなんなのこいつ?
一つしかない命を懸けてズタボロになって死んでいく人間の戦士たち、
一つしかない命を懸けて得体のしれない何かに身を投じている元人間の魔女たち、
何回でも復活できるズルだけど一応真剣勝負をしに来てる魔王たち、
これさあ、なんで映画の中で明確に悪として描かれている異常連続殺人犯の行為をもって、作品自体の問題点かのように批判してんの?
鬼滅の刃を読んで無惨を作者と同一視したり、ジョジョを読んで作者とディオを同一視して叩いたりしているようなものじゃん。
@momo25397038
最近、「セブン」っていうブラットピットの若い頃の映画を観てたんだけど、
その中で異常連続殺人犯に娼婦が七つの大罪の肉欲の罰として殺される展開があるよね。
そこで私はモヤモヤしたんだけど
『セブン』の犯人って悲しき悪役とかもう一つの正義とかそういうのではなく完全な悪役扱いだし
最後に主人公の妻を殺して生首を見せつけてくるような異常者じゃん
ていうかフィクション作品に出てくる男女混合の七つの大罪ネタだと、
色欲担当が女性なのってポリコレ的に持ち上げられてる『鋼の錬金術師』や『エクソシストを堕とせない』がそうだよね。それはいいのか?
(鈴木央の「七つの大罪」や、由貴香緒里の「天使禁猟区」、VOCALOIDの曲の大罪シリーズ、SoundHorizonのアルバム「Märchen」では色欲担当は男性であり、男性に割り振られている作品も普通に多い)
けど、ワイは党派性ないからパレスチナはテロを手段にするようなハマスを追い出すべきだって同時に思うだけで、片方だけどうこう言う気になれないよな
けど、ウクライナもロシア系住民との軋轢解消すべきだったし、国内統治もまならないようなリーダーすぐ辞めさせるべきだったよねと同時に思うだけで、片方だけどうこう言う気になれないんよな
党派性ないから、自民党叩いてるのを見ても同時に野党の無能さをどうにかすべきだろって同時に思うだけで、片方をどうこう言う気になれない
党派性に取り憑かれてるひとってなんか呪いにかかってるようにしか見えないんよ
それだけは伝えておく
お前らエクソシストの類で怖がられてると思うぞ
被害者2倍!怖さも2倍!
というわけにはいかなかったね……残念。
今回の被害者は黒人少女のアンジェラとその友人で白人少女のキャサリン。
この二人がココット占いとかいう明らかにヤバい儀式を行った結果
悪魔に取り憑かれるという話。
キャサリンのバックボーンを完全にオミットしている点だと思う。
アンジェラは母親を妊娠中に亡くしていて父親との関係は友人のように好調。
ちょっとおませなティーンちゃんだけど、母の愛に飢えているといった風に
詳しく描写されているがキャサリンに関してはその描写がマジで一切ない。
なんでこいつがアンジェラの友人なのかも不明だし、なんで儀式をやろうとしたのかも不明。
一人娘が悪魔に取り憑かれて苦しむキャサリンの両親が描かれるけど
この作品では最終的に悪魔が「2人のうちどっちかを選べ。選ばれなかったほうを殺す!」と宣言。
全て悪魔の掌の上だったのだ!
という感じで終わるのだが、そもそもキャサリンに何一つ感情移入できる要素がないから
アンジェラが生き残ってキャサリンが死んでしまった!と言われても「でしょうね」としか思えない。
神父、牧師、祈祷師、医者、セラピストが集まって悪魔祓いに挑むのは
マイフェイバリットホラーの「来る」の除霊フェスを思い出して胸が熱くなった。
そんだけ集まってまったく手も足も出ないのも「来る」リスペクトを感じられてよい。
ハロウィンもそうだったけど、伝説的な作品の登場人物の「その後」を登場させて
正式続編ですよとするリブート作品増えてるけど、ハリウッドもネタないんだなぁ。
総じて60点くらいの映画だった。
原作はとびとびで読んでる。
萬斎版も見てます。
以下、過剰な表現の感想はしないようにするため、多少感想は回りくどくなる。
もともと今回の映画は期待してなかった。
実際問題として映画の出来は70点届かないくらいかなと。68とか69とか。
シネフィルぶった感じで★5の評価をつけるとするなら★3.6、もしかしたらもっと低くつける人もいるかもしれない。
かといって酷いわけではなく「GWに家族で見に行く」のは超おすすめだし、なんか見るもんないしコナンも見たしなぁーって人がふらっと入っても楽しめると思う。
丁寧で難しくもないし、子供向けでもない。でも子供も多分いい経験になるだろうし、大人もシニア世代も懐かしいなとか、美術的にも彩色豊かなので萬斎版と違った新しさは感じられるだろう。
原作厨過激派はネトフリのアニメだって受け入れられないんだろうし映画は見るなと言いたいが、原作ライト層なら楽しめると思う。
しかし原作ではまだ描かれてない部分であるし、原作者もがっつり監修している(監督は原作者指名である)。原作で二人の出会いが描かれるときは違うものとなるらしいが、それはエンタメ的、商売的な観点ということのようだ。
設定は変わっている。でも好感度は高かったのはなぜか。
「世界観」と「主要キャラの関係性」が大きく変わらなかったことだ。
陰陽師という作品は晴明と博雅のシャーロックとワトソンコンビで成立する作品だ。
だから時代が変わってもこの二人がいれば夢枕獏の陰陽師だと認識できる。映画にはちゃんと居た。
ただ今回、原作よりも若い頃の二人という設定なので安倍晴明のキャラが少し違うように思う。青く泥臭く、また甘い。
しかしそこに染谷将太が「どうも原作から来た博雅です〜」って感じでやってくる。
まだ博雅を知らない晴明はツンケンしているのだが、映画が進むに連れ博雅を知ることで「原作の博雅を知った晴明です」って顔になってきて、ああこいつ成長したらちゃんと原作の晴明になると感じられるのが楽しいのだ。
展開も原作でありそうなものだ。まあこのへんが夢枕獏の呪術ワールドでもあり幻想映画にしてしまう部分でもあるので多少分かりにくくなるのだが…大体呪術廻戦の領域展開だと思えばいい。
しかし映画とは作品としての出来を1歩引いた目線で見て総合評価するものではないと常日頃思っている。
この映画はバディ誕生物であり、昨今の話題作だと「ゲゲゲの謎」や「ヴァチカンのエクソシスト」と同じ楽しみ方をしていいものだと思う。
ゲ謎やヴァチクソ(ええんかこの略称)は大傑作というよりは色んな前提を知っている人がキャラの二人を見るのを楽しむ感じで、カルト映画のような人気を博している。
違う点は先に書いたように「子供を含めて家族と見れる」という点だ。どんな因習のある村に住んでいようが陰陽師0は見れる。なんか久しぶりにそういう映画をコナン以外で見た。懐かしさ…。
エクソシストの新作観た。
取り憑かれての異常行動も割と控え目だったし、ホラーって感じはあんまりしなかった。前のもそうだけど、悪魔に蝕まれていく辛さみたいなのが大きい。
キリスト教に限らず、人生に対する希望と言い換えても良いような「信仰」がテーマになってた。
悪魔祓いは色んな文化圏であると繰り返し言われてたり、非キリスト教の聖職者が参加してたり、主人公が無神論者だったりと。悪魔の囁きも抽象的な信仰というよりは具体的な人生の後悔を掻き立てるものばかりだった。
前作主人公が出てくる所でアツいやつじゃんと思ったらあっさりやられたし、神父も満を持して参加したかと思えばあっさり殺された。その辺でもやっぱりキリスト教の抽象的な話というよりは普遍的なヒューマニズムに寄せてる気がした。
映画好きだけど怖いの嫌だからホラーは頑なに避けてきた。でもインターネットミーハーだから話題性に屈してヘレディタリーとか呪詛を観た。超怖かった。
ママがスパイダーマンしてるシーンとかがギャグだとか言ってる人おるけど怖えよ普通に。ヒネてるのかホラー耐性がつき過ぎてんのか知らんけど。
ミッドサマーは純愛の映画だとかセラピーの映画だとか言うノリもあったけど、あれもすみっコぐらしはFateだみたいな誇張こじつけノリに近いものを感じて寒いなあって思った。まあどれほど本気かは知らんけどアリアスター自身もそういうコメントはしてたらしいし、その手の視点が的外れという事もないんだろうけど。
とにかく初手で異常に怖いやつを観てハードルが壊れたんじゃね?と思って今まで避けてきたホラーの名作も着手してみようと思った。まずはエクソシストとかエルム街辺りから。
全然怖くはなかった。観たあとでも全然一人でトイレ行ける。ストーリー上の怖さは屁でもない。もはやミーム化してしまっているという所もあるかもしれない。チェンソーマンで悪魔が親しまれると弱体化するみたいなのもそういう事なんかなって思った。
でもスプラッターというかゴア描写?はやっぱり苦手。耐性がつかない。その点ヘルレイザーは怖いと言えた気がする。メロドラマはかったるいけど、おじさんが受肉するシーンとか光るものがあって普通にかっこいいなとも思った。
銃でパンパン撃たれたりザクッと斬られたりするのは別になんでもないんだけど、引き裂かれたり擦り下ろされたりする所をねっとり映されると直視できない。死刑に至る病の冒頭のアレも観てらんなかった。
エブエブの紙をシュッてやるのとかアウトレイジの拷問とかは、苦手なんだけど怖いともまたちょっと違う気がする。身近な痛みを想起させられて手に力が入らなくなってくなような感じ。
ボコスコ殴られてるのは特に何も感じない。スタント感を感じてしまうのかもしれない。マトリックスで殴られた壁や柱が発泡スチロールみたいに粉々になるのを観て、すごいパンチだなと思うよりはヤワなセットなんだなと思ってしまうような、そんな感じ。
ホラーに限らず決定的な外傷というか不可逆的な欠損を負うのも苦手なんだけど、それはなんというかストーリー的な嫌さであって怖さとはまた別口な感じがする。キャラクターに対する部分的な喪失感とでも言うような。
映画は避けてたけど、おれはホラーは不条理なものであって欲しかった。モヤッとはするんだけど、伏線が散りばめられたような理詰めの怖さってなんか陳腐な感じがするから。アリアスター作品と呪詛を観てその考えは少し変わったんだけど、この間ヒッチコックの鳥を観て徹底した謎ってやっぱりいいよなって思った。理解した瞬間の怖さってなんか大喜利とかの親戚辺りにいる様な感じがするし、理解できないが故の恐怖の方がなんか世界の不思議に期待出来るような感じがする。