はてなキーワード: 根性論とは
なるほど。
最近「SIMPLE RULES」 [ASIN:4837957668] という本を読んだ。
何かやるとき、面倒くさいと感じた場合、その作業が複雑だから面倒と感じている場合がある。
複雑な作業でも簡単な作業に分解すれば、その1つ1つのステップは簡単になって、面倒くさいとは思わなくなる。
ここで必要なことは、大きな塊を小さな断片に分解する「ブレークダウン」である。
別の言い方をすれば、抽象的な内容を具体的な内容に変換する作業ともいえるだろう。
PMBOKなどプロジェクト管理を学べば当たり前の話でしかないのだが、日常生活の全てに渡ってブレークダウンを行うには、それなりのノウハウが必要であるように感じる。
仕事で失敗が多い場合、複雑な手順だから間違えやすいという可能性はあるだろう。
1+1=2という計算なら間違えない人でも、フェルマーの最終定理を証明するような複雑な過程がある計算では、間違える可能性が出てくる。
仕事に取り組むときも、成功するやり方と失敗するやり方がある。
「自分の担当範囲で成果が出せない」「会社の業績が伸びない」といった場合、全体のプロセスを見直して、個別のプロセスを最適化する余地が残されているだろう。
仕事でミスを連発する人に足りないのは、タスクを細分化して、1+1=2のような確実にできるレベルの作業をやっていないからではないだろうか?
その蓄積によって、日本経済全体が停滞している。(塵も積もれば山となる)
国のトップや企業のトップがアホだと、音頭取りに失敗して、負ける戦い方になってしまうと。
大金に見える5000兆円も、その実は1円の積み重ねでできていることを知らなければならない。
「こんなんで前線に出ろとか殺す気か!」って怒鳴り込まれることが結構あるんだよね。
でもさ、そんなの整備側に言われても「じゃあお金と時間ください」でしかないわけよ。
「金も時間も部品もないのが常態化して、愛卒化して色んな会社が撤退してますよ」をここ10年ぐらいず~~~っと言ってるのに放置し続けて遂に終わりが来たわけですよ。
「いや今はもうお金あるじゃん」って言われてもさ、既に撤退と製造中止の嵐でどうしようもねえし、そこをひっくり返そうとしたらラインの作り直しからスタートだから今までの何倍もの金がかかるのは目に見えてたじゃん。
でも放置してたんだよね。
せめて「無理に規模を広げるのやめて、不相応の規模でちゃんとやります」だったらまだなんとかやれたと思う。
思いつきと忖度の嵐でてきと~~~~~に裾野広げて、ぜ~~~~んぶ中途半端にして、それで「あっちもこっちもマトモに機能してねえじゃねえか!責任誰が取るんだ!!!」って本当は責任取らなきゃいけない立場の側が責任押し付けてきたらさ……もう逃げたもの勝ちの世界にしかならないじゃん。
ズブズブの馴れ合いから抜け出せないまま泥仕合の敗戦処理を続けさせられてるある意味マジメというか義理堅いというか分かり切っていた破滅に対して見積もりが甘かったというか腹くくって一抜け宣言できなかった人間が残ってアレコレ必死になってやってるわけじゃん。
俺等も完全に抜けたら本当にもう終わりなんだよ。
もう負け戦と分かってるけど付き合ってやってるわけ。
敵前逃亡の不義理をしないために踏ん張ってるような常態なわけ。
そこに来てちょっとマシになった程度に端金投げつけて「おら!今までよりずっと金払ってやるからサッサと整備しろ!!!」みたいな態度取られてもさ、今更知らんわボケの世界ですよ。
マジでさ、「こんなんで次の任務行けとか冗談きついですよ💢」みたいに言われてもさ、「それはもう上級司令部とかに言ってくださいよ。上級司令部に「これじゃ流石に無理ですよ!!」と言えない自分の勇気のなさを整備屋に責任転嫁しようっていう甘ったれた考えを捨ててください。あなた方の選択肢は究極的には二択で「上級司令部に装備と作戦のバランスが崩壊していて無謀であることを伝える」「諦めてボロボロの装備で前線に送られる」のどっちかだけなんですよ。なんでそこで「整備屋に文句言って脅しまくれば出したお金以上の整備をやってくれて全部なんとかなる」っていう第三の選択肢を妄想するんですか?大本営発表のクローズドループがエコーチェンバーしてもうマトモに現状が見れなくなってるんですか?ウチももういい加減撤退しますよあんまバカ言ってくるなら」なんですよね。
本当マジなんなん。
今更ちょっと小金持ちになったからって20年溜め込んだツケが半年ぐらいで急にひっくり返るみたいな妄想やめろよ。
せめて10年だね。
ここまで上層部の妄想みたいな作品に併せて現実を歪めるために現場が死ぬ気で解決する根性論で押し通してきた以上は。
滅茶苦茶利子がついてる。
その利子を「ご機嫌を損ねたくないから隠しましょう」ってしてきた自分たちが悪いって自覚をいい加減持ったら?
本当もう無理。
俺もいい加減他の部署に移るわ。
いい加減疲れたぞ。
2023-09-05
専攻医とは、専門医取得前、初期研修医修了後から医師5年目までを指す。
今回過労死が報道された彼らと立場を近くする当事者として、今臨床現場に何が起きているか記載したい。
そもそも「働き方改革」で医師がほぼ度外視の扱いを受けているように、長年医者の働き方は異常な上にそれを黙認する空気がある。
私は入局1年目のとき、月の半分が当直だった。
当直とは夜勤とは異なり、朝から働いた後に、夜間の緊急対応も請け負う。2時間以上連続で寝られる事は少ない。もちろん、当直の次の日はまた日中の勤務に追われる訳だ。
その上通常業務は朝7時から夜は22時までにも及ぶ。つまり殆ど太陽を拝むことはない。
入局してから昼ごはんを食べた事など、初期研修医の接待以外では数回しかない。
当直でなくとも、異常。
これで給料が年収1億なら歯も食い縛れるだろうか。実際は無給医だった。つまり大学病院からの給料はゼロ。本当に零。(後に問題視され、県の最低賃金が出るようになる。人の命を預かるのに、最低賃金)
病院からは労働者としてみなされていないので健康保険にも入ってもらえない。国民保険に入り年金も自分で払うため、マイナス出費。
生活ができないので、休日や平日の夜間は外勤(いわゆるバイト)にいかなくてはならない。身体を休めたりリフレッシュに使うはずの時間が、生活費のための出稼ぎに消える。
医局の中はこういった働き方で人格を破壊された上司しか残っていない。(それともあの性格は元々なのだろうか)
少しのミスで出身地、性別、出身大学に関する罵詈雑言が飛び交う。
人のために生きたいと志高く医師になったのに、大学病院へ進めばこのような待遇が待ち受けている。
学生時代に一生懸命勉強してやっと医師になれたのにこんな所で辞めたら親に合わせる顔がないという葛藤、
同期達は同じ状況でもどんどん優秀になるのに、自分だけ取り残されていく葛藤、
患者さんや医学に一つも関係のない事象で追い込まれていく自分との葛藤、
「逃げればいい」と人は簡単に言うけれど、どっぷりと医局の中にいると視野は狭まり、まるで医局を辞めることが殺人に匹敵する大罪のように錯覚する。
忙しい日々の中、どこかへ相談しようにも一般的な相談窓口は仕事が終わると閉まっている。
どこへ逃げれば良いのか。
逃げようとした先輩同期達は、重罪者のように祭り上げられ2度と大学病院や外の関連病院に顔を出すことはない。
大学病院であれば、たくさんの症例を経験でき、早く一人前の医者になれると思ったのに。ただそれだけを想ってここまで来たのに、どうしてこんな思いをしなければならないのだろうか。
これを書いている私自身も、精神的な危機を感じている。だが、精神科に行く時間がない。
私の自殺がニュースになるのも明日かも知れない。いや、もしかして、私の大学病院なら揉み消しかねない。
医者は聖人でも鉄人でもない。ただの労働者だ。労働者としての権利が欲しい。
どうか、今回の報道をSNSの力で大きな問題にしていただきたい。
医者の労働環境が崩壊して、最終的に困るのは患者さんなのだから。
同じような労働環境が話題になって、私の現状を世に伝えるには今しかないと意を決して当直の合間に書いたのですが、ここまで心無いコメントが付くと思ってませんでした。
「私の努力が足りない」と言われているようで、根性論を掲げてなかなか現場が改善されない理由の一端を垣間見た気がして、もう人間にも人生にも絶望しました。
専攻医とは、専門医取得前、初期研修医修了後から医師5年目までを指す。
今回過労死が報道された彼らと立場を近くする当事者として、今臨床現場に何が起きているか記載したい。
そもそも「働き方改革」で医師がほぼ度外視の扱いを受けているように、長年医者の働き方は異常な上にそれを黙認する空気がある。
私は入局1年目のとき、月の半分が当直だった。
当直とは夜勤とは異なり、朝から働いた後に、夜間の緊急対応も請け負う。2時間以上連続で寝られる事は少ない。もちろん、当直の次の日はまた日中の勤務に追われる訳だ。
その上通常業務は朝7時から夜は22時までにも及ぶ。つまり殆ど太陽を拝むことはない。
入局してから昼ごはんを食べた事など、初期研修医の接待以外では数回しかない。
当直でなくとも、異常。
これで給料が年収1億なら歯も食い縛れるだろうか。実際は無給医だった。つまり大学病院からの給料はゼロ。本当に零。(後に問題視され、県の最低賃金が出るようになる。人の命を預かるのに、最低賃金)
病院からは労働者としてみなされていないので健康保険にも入ってもらえない。国民保険に入り年金も自分で払うため、マイナス出費。
生活ができないので、休日や平日の夜間は外勤(いわゆるバイト)にいかなくてはならない。身体を休めたりリフレッシュに使うはずの時間が、生活費のための出稼ぎに消える。
医局の中はこういった働き方で人格を破壊された上司しか残っていない。(それともあの性格は元々なのだろうか)
少しのミスで出身地、性別、出身大学に関する罵詈雑言が飛び交う。
人のために生きたいと志高く医師になったのに、大学病院へ進めばこのような待遇が待ち受けている。
学生時代に一生懸命勉強してやっと医師になれたのにこんな所で辞めたら親に合わせる顔がないという葛藤、
同期達は同じ状況でもどんどん優秀になるのに、自分だけ取り残されていく葛藤、
患者さんや医学に一つも関係のない事象で追い込まれていく自分との葛藤、
「逃げればいい」と人は簡単に言うけれど、どっぷりと医局の中にいると視野は狭まり、まるで医局を辞めることが殺人に匹敵する大罪のように錯覚する。
忙しい日々の中、どこかへ相談しようにも一般的な相談窓口は仕事が終わると閉まっている。
どこへ逃げれば良いのか。
逃げようとした先輩同期達は、重罪者のように祭り上げられ2度と大学病院や外の関連病院に顔を出すことはない。
大学病院であれば、たくさんの症例を経験でき、早く一人前の医者になれると思ったのに。ただそれだけを想ってここまで来たのに、どうしてこんな思いをしなければならないのだろうか。
これを書いている私自身も、精神的な危機を感じている。だが、精神科に行く時間がない。
私の自殺がニュースになるのも明日かも知れない。いや、もしかして、私の大学病院なら揉み消しかねない。
医者は聖人でも鉄人でもない。ただの労働者だ。労働者としての権利が欲しい。
どうか、今回の報道をSNSの力で大きな問題にしていただきたい。
医者の労働環境が崩壊して、最終的に困るのは患者さんなのだから。
同じような労働環境が話題になって、私の現状を世に伝えるには今しかないと意を決して当直の合間に書いたのですが、ここまで心無いコメントが付くと思ってませんでした。
「私の努力が足りない」と言われているようで、根性論を掲げてなかなか現場が改善されない理由の一端を垣間見た気がして、もう人間にも人生にも絶望しました。
いわゆるクラシック音楽は他人の書いた曲を演るけど、コピバンも同じ事なのにバカにされがちというか、お遊びとして片付けられがちなのって何なんだろうね。
カバー歌手とかもちょいちょい流行るけど、どうにも一過性のブームになりがちに見える。
答え出ちゃったな。
ベートーベンやバッハに原曲もへったくれもないし、曲を書く事とプレーヤーがそれをやる価値が分かれてるのか。
あんまり知らんけど、古典落語や歌舞伎の「型」の話もそういう事を言ってるんだろうか。
クラシックは誰に向けて書いたのでもない曲をプレーヤーが各々解釈するけど、バンドは自分らで書いた曲を自分らでやる事に重きが置かれて、人の曲の演奏だけやるのは片手落ちみたいな扱いになるのかな。
バンドメンバーが自分たちの音を考えた上でフルオーダーした曲を他人がやってもね、みたいな。
おれの場合は単に慣れが大きい気がする。初めて聴いた音源を親だと思う習性があるから。
その辺の話だけで説明のつく事でも無いような気がする。
じゃあいわゆるシンガーソングライターではない、歌うだけの歌手はただのカラオケ野郎なのかよ?って事にもなるし。
自分もそう思ってる節が無い訳でもないが……
もっと突っ込んだ話をしていくと、メインカルチャー、サブカルチャーと差をつける理由って何よ?みたいな所に行き着きそうな気がする。
クラシックとかいう雑な括りをするけど、管弦楽(等)と言い換えれば別に古い事がアイデンティではないのだし、今だっていくらでも曲は書かれてる。
ロキノンの内省的な歌詞とかだって、100年後の10代も 同じ事考えてそうなもんだけどね。
時流だけで決まらないのなら、それぞれを分かつ要素が何かある?
まあなんにしても、他人の曲に乗っかるだけのやる気ない奴は本家の劣化コピーにしかならない。
この考え方が国をより駄目なものにしている
いわゆる自己責任論。豊かな生活を送りたければいい学校を出ていい職に就いて必死になって稼げばいい
だからいくら国が税金を上げようが物価が上がるのに反比例して給料が下がろうが
「給料が下がるようなところに就職したお前が悪い」で問題と向き合うことなく結論を急ぐ
今"自分は困っていない"から関係ないという姿勢。先天性の病気でも後天性の病気でも「病気になるような生活をしていたんだから結局自己責任だろう」と何故か自己責任という単語だけが美学かるいは壊れたロボットのように繰り返されている
自己責任論を掲げる彼らは果たして裕福な暮らしをしているのだろうか
恐らくは否である
裕福な暮らしを続けるためには、貧困の末に国の保護を受けなければ生きて行けない人を増やすわけにはいかないのだ
自分と同等に裕福にならずとも、最低限の暮らしを保証できなければ自社の社員を増やすことも出来ず、自社の商品やサービスも売れなくなる
それではいくら会社の規模を広げても数を増やしても意味がない。
消費者に最低限の暮らしが保証されないということは、消費者によって支えられている会社の存続も危ぶまれる、
今はどうにかなっていたとしても、先のことを考えるならば自己責任論ほど何も生み出さず現実逃避しているだけの根性論や机上の空想論でしかない
この世の人間がすべて給料面だけを見て仕事を決めていたら社会というものが成り立たなくなるということに気づかないのだから
ただ生活する程度には困らない暮らしの中にいるから、自分はまだ大丈夫なのに不安にさせるようなことを言う奴が許せない、
物事を悪く捉えすぎだということにしたいのだろう
これらを事実あるいは可能性の高い事象だと受け入れることによって、それらが自分の身にも降り掛かるかも知れないという不安を受け入れられない
悪い可能性を言葉にしてしまうと本当になるかも知れないから、それに別の言葉を被せてなかったことにしたいのだろう
それを口に出来ている内は実はまだぎりぎりではあっても、最悪の事態ではない
本当に最悪の事態になったときには、もうそれを語る術すら失っているのだから
自己責任論は裏を返せば「自分はまだ大丈夫」と言いたいだけに過ぎない
そんな人ばかりでは具体的な改善策も解決策も思い浮かばないのは至極当然のことである
ただ気づいて欲しいのは「今は大丈夫だから」を繰り返した先に未来はないということである
真面目に働いているから大丈夫も会社ごと倒産してしまえば通用しない
言霊信仰の末に他人の不安や危惧を火消しのように打ち消すことに必死になるなら
いずれ似たような状況に陥って同じ言葉を口にしたとき、同じように打ち消されるであろうことは言うまでもない
「努力すればなんとかなる」は
行った努力の有用性や価値を見出してくれる人や会社、社会そのものが存在している間でしか口に出せない言葉だ
2023/5/13
blogは読んどらんが、母親がただのクソDQNだと思うんだよな。なぜ立ち往生する(子どもの安全が確保できない)状態になって開き直ることが出来るのか?
父親もおそらく同じレベルなのだろうし、親として不適格な人をバンバン通報>親権停止に出来るシステムが日本にできればいいんだけどなぁ
ただ現実はどんなに幼稚で親として不適格な人物であっても、事件が起こる前、明確な虐待がない場合は、通報できないので、
周囲が子どもを危険から守るために出来る事としたら、親に地方自治体がやっているベビーシッターサービスを勧めるくらいか
公費で毎月特定の時間まで無料で24/365で預けることが出来るので、
とかするといいと思います
一例↓↓↓
ベビーシッター利用支援事業(一時預かり利用支援) 東京都福祉保健局
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/kodomo/hoiku/bs/bsitijiazukari.html
かわいそうな子どもを危険な目に遭わせないために、根性論ではなく、こういうサービスで積極的にフォローする必要はあるが、
DQN親を教育しないとマジでダメだぞ。萎縮させたらかわいそう><とか寝言言ってる場合じゃない
毒親に育てられた子どもは、無就業者になったり、最悪は犯罪者になるし、