はてなキーワード: お雑煮とは
ついこないだまで残暑が厳しいざんしょなんてギャグを言って笑っていたはずなのに、初冬の気温になってしまった。
衣替えもままならない。もう半袖出さないよ、と季節に向かって叫ぶ。
寒暖差アレルギーで鼻のムズムズも止まらない。本当に嫌な時期になった。
やっぱり冬という季節が好きじゃない。
スキー、こたつ、重ね着、雪の積もった風景などは好きだし、お雑煮が理由もなく食べられるのは最高だ。
ただこの寒さ。暖冬と言われつつも寒いのは様々な面で堪える。活動的になれない。
そして日照時間の短さ。室内で仕事をする身としてはメンタルに影響しやすい。
ちっとも暖まらない暖房が嫌だ。冬の冷たい布団に入るのが嫌だ。風呂上がりの脱衣所の寒さが嫌だ。真っ暗な帰り道を、どこかの家の夕飯の匂いを感じて歩くのが、さびしくて嫌だ。一年の終わりに今年も自分は何も達成できなかったと考えてしまうのが嫌だ。
終わりに向けた焦燥感を、冬の匂いで思い出すのがつらい。ジワジワと自分を追い詰めてくる。
寒くなるというのはそういう時期がくることだと自分で何となく分かっているから、嫌だという気持ちが強くなるのだろうと思う。
暑いのが好きというわけじゃないがまだ気持ち的に前向きでいられた。少し涼しくしてくれたら良かったのにまさかこんな猿の手みたいな形で叶うとは思わなかったよ。
「二度と行けないあの店で」(都築響一編)を読んでいる。
この本に収録されている、矢野優による「羽田の運河に浮かぶ船上タイ料理屋」を読んで、あれ、この文章に出てくるA君ってMidasさんのことじゃない?と思った。
詳細は書かない。どうしてA君がMidasさんかもって思ったかも書かない。
けど、読んでいて胸が苦しくなった。と言うか胸が痛んだ。失ったものが大きすぎることを思い出して。
「A君はやっかいな男だった。自分が関心を持った人間には友好的だが、そうでなかったら(ほとんどの場合はそうだ)露骨に見下す」
人生のあるひととき、わたしはMidasさんと毎日のように電話で話をしていた。
その頃のわたしは引きこもりの無職で、収入も貯金もなく、親から頼まれたおつかいのお釣りをちょろまかしてビールを買い、昼間からそれを飲んで親を激怒させるなどしていた。第三のビールとか発泡酒じゃなくて、一番搾りを飲んでいたのも親の怒りに拍車をかけていたな、それはこの話にはなんの関係もないけれども。
わたしの精神は淀んで腐りはじめていたけど、Midasさんと電話している時だけは必死に頭を動かしていた。だってつまらない会話をしようものなら、きっとMidasさんはすぐに電話を切ってしまうだろうから。
睡眠薬に頼らなければ眠れないほど眠りの浅いわたしだから、すぐに目が覚めて、折り返そうとしたのだけど、なんとなくめんどくさくてやめた。
それからMidasさんからの電話がかかってくることはなかった。
多分、Midasさんはわたしのこと、つまらないやつって思ったんだと思う。
朝の4時。
世間から非常識と言われるような時間の電話だって、わたしからの電話なら、あなたは出るべきだし、出られないならかけ直すべきでしょ、
そうでないと面白くない。
って思ったんじゃないかな?
矢野優が書いた通り。
わたしはMidasさんにとって、つまらない、取るに足らない人間になったのだと思う。
その後Midasさんと連絡を取っていた携帯はバッテリーが爆発しそうに膨張したので処分した。充電できなくなっていたので、電話帳のデータも消えた。だからもうMidasさんの電話番号をわたしは知らない。
ガラケーからスマホに変えるタイミングでわたしの電話番号も変わってしまったからMidasさんもわたしの電話番号を知らない。
今思うと、ガラケーのバッテリーを書い直して充電し、電話帳のデータをバックアップすることもできただろうけど、わたしはそれをしなかった。一度つまらないやつと思ったら、Midasさんは二度とその評価を覆すことはなさそうだから、諦めてしまった。
あの頃わたしの精神が腐って死んでしまわなかったのはMidasさんのおかげだと思っている。
元旦、ある人から逃げ出した時(あれは本当に命の危機だった…)はアンティークなベンツで秋葉原まで迎えに来てくれて、神奈川の片田舎のわたしの実家まで送ってくれた。Midasさんは、田舎の素朴なお雑煮やおせちを食べて(あれ、お口に合ったのだろうか…)当時仔犬だった実家の柴犬と沢山遊んでくれた。
感謝してもしきれないけど、だけどそう言う関係を、わたしは、わたしの怠惰で終わらせてしまった。
…もしかしたら、実家まで送ってくれた時に「あ、コイツ、ブスやな、ないな」と思って連絡しなくなっただけかもしれないけどw(わたし、男友達に「お前はブスやなー、俺が出会ったブスの中でも五本指に入るわ」って言われるぐらいのブスなんで…あ、その男友達といると自尊心低くなるのでもう関係フェードアウトしましたが)
ちなみに、あの年の元旦、Midasさんが沢山遊び相手になってくれたあの柴の仔犬は、今年の1月に16歳半で命尽きました。悲しい。あの子、男の人が大好きな柴犬に育ったけど、あの年の元旦にMidasさんに沢山遊んでもらったのがすごく嬉しかったからかな?と思っている。
長々とごめんなさい。
id:Midasさんがいなかったら今のわたしはいないです。多分死んでた。精神的であれ肉体的にであれ死んでた。
でも、わたし、なんとなく生きております。こんな穏やかな日々がわたしの人生に訪れるとは思わなかった。あの時Midasさんがわたしを救ってくれなかったらわたし死んでたから、あなたは本当に命の恩人です。
元soulfireより
「二度と行けないあの店で」(都築響一編)を読んでいる。
この本に収録されている、矢野優による「羽田の運河に浮かぶ船上タイ料理屋」を読んで、あれ、この文章に出てくるA君ってMidasさんのことじゃない?と思った。
詳細は書かない。どうしてA君がMidasさんかもって思ったかも書かない。
けど、読んでいて胸が苦しくなった。と言うか胸が痛んだ。失ったものが大きすぎることを思い出して。
「A君はやっかいな男だった。自分が関心を持った人間には友好的だが、そうでなかったら(ほとんどの場合はそうだ)露骨に見下す」
人生のあるひととき、わたしはMidasさんと毎日のように電話で話をしていた。
その頃のわたしは引きこもりの無職で、収入も貯金もなく、親から頼まれたおつかいのお釣りをちょろまかしてビールを買い、昼間からそれを飲んで親を激怒させるなどしていた。第三のビールとか発泡酒じゃなくて、一番搾りを飲んでいたのも親の怒りに拍車をかけていたな、それはこの話にはなんの関係もないけれども。
わたしの精神は淀んで腐りはじめていたけど、Midasさんと電話している時だけは必死に頭を動かしていた。だってつまらない会話をしようものなら、きっとMidasさんはすぐに電話を切ってしまうだろうから。
睡眠薬に頼らなければ眠れないほど眠りの浅いわたしだから、すぐに目が覚めて、折り返そうとしたのだけど、なんとなくめんどくさくてやめた。
それからMidasさんからの電話がかかってくることはなかった。
多分、Midasさんはわたしのこと、つまらないやつって思ったんだと思う。
朝の4時。
世間から非常識と言われるような時間の電話だって、わたしからの電話なら、あなたは出るべきだし、出られないならかけ直すべきでしょ、
そうでないと面白くない。
って思ったんじゃないかな?
矢野優が書いた通り。
わたしはMidasさんにとって、つまらない、取るに足らない人間になったのだと思う。
その後Midasさんと連絡を取っていた携帯はバッテリーが爆発しそうに膨張したので処分した。充電できなくなっていたので、電話帳のデータも消えた。だからもうMidasさんの電話番号をわたしは知らない。
ガラケーからスマホに変えるタイミングでわたしの電話番号も変わってしまったからMidasさんもわたしの電話番号を知らない。
今思うと、ガラケーのバッテリーを書い直して充電し、電話帳のデータをバックアップすることもできただろうけど、わたしはそれをしなかった。一度つまらないやつと思ったら、Midasさんは二度とその評価を覆すことはなさそうだから、諦めてしまった。
あの頃わたしの精神が腐って死んでしまわなかったのはMidasさんのおかげだと思っている。
元旦、ある人から逃げ出した時(あれは本当に命の危機だった…)はアンティークなベンツで秋葉原まで迎えに来てくれて、神奈川の片田舎のわたしの実家まで送ってくれた。Midasさんは、田舎の素朴なお雑煮やおせちを食べて(あれ、お口に合ったのだろうか…)当時仔犬だった実家の柴犬と沢山遊んでくれた。
感謝してもしきれないけど、だけどそう言う関係を、わたしは、わたしの怠惰で終わらせてしまった。
…もしかしたら、実家まで送ってくれた時に「あ、コイツ、ブスやな、ないな」と思って連絡しなくなっただけかもしれないけどw(わたし、男友達に「お前はブスやなー、俺が出会ったブスの中でも五本指に入るわ」って言われるぐらいのブスなんで…あ、その男友達といると自尊心低くなるのでもう関係フェードアウトしましたが)
ちなみに、あの年の元旦、Midasさんが沢山遊び相手になってくれたあの柴の仔犬は、今年の1月に16歳半で命尽きました。悲しい。あの子、男の人が大好きな柴犬に育ったけど、あの年の元旦にMidasさんに沢山遊んでもらったのがすごく嬉しかったからかな?と思っている。
長々とごめんなさい。
id:Midasさんがいなかったら今のわたしはいないです。多分死んでた。精神的であれ肉体的にであれ死んでた。
でも、わたし、なんとなく生きております。こんな穏やかな日々がわたしの人生に訪れるとは思わなかった。あの時Midasさんがわたしを救ってくれなかったらわたし死んでたから、あなたは本当に命の恩人です。
元soulfireより
私は国家の解体と国境の廃止を訴えている地球市民の1人である。
私のことをアナーキストと批判する国家主義者(右派・左派問わず)が存在するが、私から言わせれば国家主義者ほどアナーキーな存在はいない。
彼らは国家の主権の絶対性を訴えるあまり、国際社会における無秩序・混沌から目を逸らすのである。
国家主義者はその国際社会のアナーキ性を正当化し、その中で秩序を構成するための自国の軍事力、経済力、発言力向上も正当化するのである。
そのようなことが許されるのであろうか。
国家主義者と言うと自分と縁遠い人間を想像する人もいるであろう。
しかし、自分が国家主義者である自覚のない無意識ナショナリストは溢れている。
一例を挙げよう。
我らのゆりかごは既に増えすぎた人間を抱え切ることができなくなっているのにも関わらず、相対的な人口数低下に危機意識を持ち、人口増加を願うのならばそれはナショナリズムによるものである。
他にも例を挙げればキリはない。
私はここ、はてな匿名ダイアリーに国境廃止委員会の本部及び国境廃止委員会日本支部の設立を宣言する。
国境は廃止され、国軍は廃止され、通貨も廃止され、現状の国家はローカルガバメントとなることを目指す。
我ら人類が保持することを認められた暴力装置は警察権力のみであり、軍事力の保有など決して認められないものである。
なぜならば、人の命を奪うことは究極の不可逆的行為であるからである。
国家と国家の争いにより政治権力のない庶民や子供たちが屠られたとしよう。
例えその後に国家と国家が和解しどれほど強い友愛が築かれようと、かつて失われた命が再び息を吹き返すことはもうないのである。
我ら国境廃止委員会を支持する世界市民主義者が過半数を超えた時にも、反世界市民主義者が率いる国家とそれを支持する国民が存在するであろう。
国境廃止委員会を支持する旧国家は国境廃止委員会にフォースプロバイダーとして旧国軍を提供せよ。
国境廃止委員会の下におかれる国家解体軍事委員会が提供された連合軍をフォースユーザーとして組織し国家主義者を破砕するのである。
最後に。
地球市民主義は欧米主導のグローバリズムとは異なるものである。
我らは地球における多様な文化を、それが個人の自然権を侵害しないものである限り否定しない。
しかし、だからと言って醤油仕立ての雑煮や餡子の入った雑煮を否定することはないのである。
我らは皆同じ地球の市民であるとともに多様なことなら文化を持つのである。
平成52年φ月066日 二度漬け夢の解禁 つけまくって怒鳴られる(なんでやねん)
令和ガンガンガン年01年0日 あれ?カニカマが集まってカニになたよ?
令和25年100月22日以降 もう全てをNISAに投資するべきではないかと義父。FX狂いのくせに生意気だぞ。こんにゃく
天成1年9月99日 ダイソーとキャンドゥが合併。200円均一に。全て安倍政治のせいだ
天成5年5月55日 焼き場にちいかわ(懐かしいね〜)が参上。畳の上でお茶を飲む
昭和8524年2月1日 ここまできたか、友よ。サーモン弁当大盛りだ、さあ食え
「家事能力」というと一時代前の良妻賢母を崇拝するみたいで気持ち悪いけど、一人でも居心地良い住まいでおいしいもの食べて清潔で着心地のいい好きな服を着る、風呂にゆっくり入る、
そういう基礎を自力で整えられて、それなりに日々満足して暮らしていける、そういうタイプはメンタルも安定しているし倫理観もおかしいことにならない。
(女のほうが寿命が長いのは結局それができるひとが多いからだと思う。)
漬物が好き、食べ物を残すのに罪悪感がある、というのはたぶんその手の生活強者だと思う。
彼氏いなかったのは、そういう女は彼氏ができたらあんまり別れないし、自分も浮気なんてしないからだよね。
見極め方って難しいけど、生活に関する雑談すると見えてくるとこあるよ。
たとえば「正月のお雑煮ってどんなだった?」って聞くと、生活強者は「うちはこういう出汁で、こういう具で何味噌だったよ」って解像度高く返ってくるし、「え、普通のお雑煮だよ」とかだったらちょっとよくないかもしれない。
恋愛の出会いの現場って、そういう所帯臭さとか地味な生活とはある意味対極だし、恋愛遊びだけしてたら変な女としか出会えないのかも。
これは本人の回答かな?
多分違う気もするけど、ありがとう。
でも、自分の周囲のことであっても、その場にいる人みんなも共通に体験していることなら、普通に雑談できると思うよ。
スーパーで見かけた新製品で盛り上がるのは、さすがに結構話力要ると思うけど、言わんとすることは分かる。
誰もが体験していて、かつ、誰もが自分の記憶にヒットし、かつ、自分を曝け出さなくて良いような話題が求められるよね。
そういうみんなが話せる話題だったら、自分は無理に話さずに聞き役に回ればウザくもないし、若い子とか違う文化の人の話は楽しいよ。
それかな。聞き役重要。
そして、一つ気づいたんだけど、元の増田おばちゃんは聞き手に回るという事ができてないんだろうな、と思った。
実際、ちょいちょい自分の意見を挟んで、人をイラつかせている。
それな。
これ書いてて思ったけど、
多分このおばちゃんのママさん界隈では、プライベート剥き出しのベタなコミュニケーションが求められてるから、そことギアを変えないと行けない界隈があるということに気づけていないのかもしれないな。
お雑煮なんかによく入っているのだけど、噛むとうま味というかコクみたいなものを感じる
歯ごたえとしては見た目のごわごわ感どおり、少し繊維質で、そのせいでよく噛むからよりうま味が出てくる
実家ではお雑煮くらいで出てこなかったので、お雑煮用の野菜だと思っていたのだけど、お浸しを最近始めて食べて美味しかった
他の野菜に比べて水分量が多くないからお浸しにあっている気がした
水っぽくないから味の染み具合もよく、元が繊維質で少し硬い野菜だからこそ、ふにゃっとならずしっかりとした食感が気持ちよい
昔、熊本に住んでいた際は一文字という野菜を食っていたことを思い出した
白根が普通の小葱よりも少しふくらんだ野菜で、さっとゆでて水で冷やしたあとで、白根に青ネギの部分を巻き付けて結び、それを酢味噌に付けて食う
料理名が一文字ぐるぐるといい、なんともまあ城下町っぽい手の込み具合だなと思ったことを覚えている
田舎者としてはこれって野草ののびるとなんか違うのか?とも思っていたけど、熊本市民の前では言えなかった
他に水前寺菜とかいう熊本っぽい名前の野菜も一度、八百屋で見かけて買った覚えがある
葉の表が緑、裏が紫の青菜でゆでるとぬるっとした食感になるがアクを感じたのかあまりおいしく感じず、二度と買わなかった
これならクセが無くやわらかいモロヘイヤでいいなと思った気がする
郷土野菜って知らんだけで、色々あるんだろうなと思う
春になった
腹が減った
一家全員、しかも時間差でコロナに感染したせいで、二週間の休みを余儀なくされて、クリスマスに療養期間が開けて復活。
ワクチンが効いたのか、コロナの症状はへヴィー級のインフルエンザくらいで済んだのだが、咳のし過ぎで喉をやられたのが後を引いている。それに、回復してもなお痰がよく出るのもしんどい。ケホンと一回咳をすると、気管支から勢いよく排出された痰の小粒が痛めた喉の部位を直撃。二重に噎せる。
日曜日と被ったせいで劇的に暇だったクリスマスからちょうど一週間後は、日曜日と被った元日。今年はなんだかいつもと違う元日で変な感じだった。日曜日と被った事は関係ない気もするが。
三ヶ日はコンビニの一年間の中でも最も死ぬほど暇な日々のはず。特に元日はめっちゃお客様が来ない。はずなのに、今年は何故か夕方めちゃ混んだ。世の中の人達、お正月に飽きるのが早すぎでは?
というのも、三ヶ日に来るお客様達は大抵タバコか飲み物か年賀はがきが目的で来店するのだが、今年は何故かガチで夕飯を買いに来たお客様が多かったのである。どうせ暇だからと米飯とサンドイッチの注文を少なく抑えた当店……ていうか、どこのコンビニでも元日はそんなもんだけど……コンビニは何時でも何でも揃っているという期待を打ち砕かれて、お弁当の棚を見て回れ右して帰るお客様がとても多かった。
ただ、麺類やグラタン・ドリア・ブリトーはいつも通りの発注数だったらしく揃っていたので、そういうものでも夕飯になるというお客様達は家族ぶんどっさり買って行かれた。
私のシフト時間に売れたもの。沢山売れたというより、なんか目立ったというやつ。まず第一に冷凍うどん。何であんなに売れたのか、謎なんだけど。ひょっとして、お雑煮に餅を入れるのは朝御飯か昼御飯だけで良いって感じで、夕飯は残った汁にうどんを入れて食べるのだろうか。
第二にカップ麺。まあそうだろうなっていう気はする。だって、コンビニのレンジで温める拉麺、高いし。
第三に、年賀はがき。これをお求めのお客様の中には、普通はがきとインクジェットはがきの区別がつかなくて、ご自身の用途にはどっちが合っているのか把握しておられない方がしばしばいらっしゃるのが、ちょっと困る。
第四に、お年玉のポチ袋。高齢者のお客様が慌てて買いに来られて、急いでいたために誤って入り数の少ない大きなお年玉袋を買ってしまい返品に来る、などということもあった。
逆にすごく売れなかったもの。お年賀用の菓子折り。おかげで、熨斗紙に名前の代筆しろって無茶ぶりをされなくてよかったけど。元旦にお年始回りをする人はあまりいないだろうから、当然といえば当然だろう。
元日からメルカリの発送をしに来るお客様もけっこうおられたのだけど、元日に発送するとポイントが貰えるとか手数料が安くなるとか何か特典でもあるのだろうか。
毎年恒例の光景だけどまだ一度も見ていないもの。お年玉のポチ袋から千円札を数枚出して、大量の食料品やお酒を買うアラフォー以上の大人。時には小中学生の子供を連れてお年玉で買い物をしているのだが、それって子供が祖父母や親戚から貰ったものなのでは? それとも、世の中には案外、小学生以上の子供を持ってもなお、自身も親や祖父母からお年玉を貰い続けている中年がいるということなのだろうか。
ちなみに私、二十年前にはスナックでホステスのバイトをしていたのだが、そのときのお客様の中には、子供からぶん取ったお年玉で呑んだり、飲み会の席で友人から貰った出産祝いをその場で開けて仲間に奢る人がよくいた。(そもそもその飲み会というのが、嫁が産院に入院中なのをいいことに夜通し遊んじゃおうぜという会で、みんなで主役に奢るはずが主役がみんなに奢ることになるのが定石なのである。23時頃まで呑んだら、次はキャバクラ、おっパブ、特殊なお風呂、〆はラーメンというコースらしい。)
よく当店にお買い物に来るパキスタン人のお客様達のうちの一名が、最近になって急にコンビニコーヒーのカフェラテにどハマりして、元日もいつものように来店。だが運悪くカフェマシンの洗浄中だったので、売れなかった。
「そうじ何分で終わる?」
と聞かれたので、
「30分くらい」
と答えたが、私のシフト中にそのお客様が再来店する事はなかった。
パキスタン人のお客様達は乳製品が大好きだ。コンビニコーヒーのカフェラテにハマるんだったら缶コーヒーの「極」の白いやつにもハマりそうな気がする。と思ったけど、私は何人だろうがお客様に余計な話をするのが好きじゃないので、勧めはしない。
パキスタン人のお客様達もそうだけど、アジアの西の向こうとかインドヨーロッパ語族的な人達には、日本人女性は皆子供に見えているのか、もしかすると子供を通り越して小動物の一種だと思われていそうだなと思うことがある。
ある時、パキスタン人のお客様達の一人とマブダチの何人か不明のお客様が私の方にスマホを向けて、「ヘーイ、こっち向いて、ピースして~」と言うから何事かと思ったら、ビデオ通話中のお友達に私を見せていた。そこら辺にいる野良猫を撮るテンションで撮ってくる……。スマホの中ではお客様のお友達だという女性が「カワイイ!」と言っていた(お客様が通訳することには)。
こっそりお客様達の財布を観察するのが好き。というのも、自分の財布を新調するときの参考にしたかったからだった。(なお、以前、お客様達の財布を観察するのが好きだと増田に書いたコンビニ店員が「下品だ」とバッシングされたことがあったけれど、あの増田と私は別人だ)
五年ほど前、コンビニでバイトを始めたばかりの頃は、しまむらの、スタッズのびっしりついた赤と黒色の長財布を使用しているお客様が男女ともに多かったけれど、最近それは見かけない。しまむらでも、今はそういうパンクロックな財布は売られていないからだろう。
女性のお客様には、今はルイヴィトンの長財布を使っている方が多い。それ以外は、近くのショッピングモールで時々バーゲンセールされている開運財布を使っている女性のお客様が少し前は多かった。それが、そのモールの婦人服売り場でCOACHの財布が売られるようになると、やはりCOACHの財布を使用している女性のお客様を見かけるようになった。
そして、つい半年前、ショッピングモールに革製品専門店がテナントに入った。そのお店では、三千円以上、二万円以下くらいの価格帯の、お手頃なブランドの財布が売られている。財布の品質の良し悪しはいまいちわからないけれど、見た目はお洒落で可愛いものが多い。
年末に、私はその店で財布を買った。在れもこれも可愛くて迷ったけれど、あまり精巧な刺繍や飾りなどがほどこされているものは、買ってすぐはいいけれどすぐにバッグの中で擦れて装飾がダメになりそうだと思い、シンプルなデザインの物を買った。
で、その時に色々見て迷いに迷ったせいで、そこに陳列されていた財布のデザインを記憶してしまったのだけれど、最近当店に来る女性のお客様達には、あの革製品専門店に陳列されていたのと同じ長財布を使っている人が多いようだ。
私はブランドに疎いから、それらのブランドがどれくらい人気でどこで手に入るものなのか、よくわからない。だから、それらを私が見たのはあの店だけれど、お客様達は通販で買ったかもしれないし、ショッピングモールよりも遠い所にあるAEONとか他の場所かもしれないけれど、でも、もしかすると大体この地域の人達、あのショッピングモールで財布を買っている、という可能性もあるよな……と、思ったりもした。
しかし……、この五年ばかりお客様達の財布を眺めて来て思ったのは、世の中の人々は私が思ったよりも多い頻度で財布を買い換えるのだろうか? ということ。私など、30年前にサンリオショップで買った財布をまだ使っているのに(新しい財布を買ったのに、古いのを捨てられなかった)。
五年前に財布の観察を始めてから、今まで、世の中の人々の持つ財布の形はほとんど変わっていない。ファスナーできっちり閉まるタイプの長財布。カードが何枚も仕舞えて、小銭を入れるポケットもファスナーつき。お札やレシートを折らずに仕舞える。ルイヴィトンから、国内ブランド、しまむら、全てが大体同じ形。
けれど、これらの財布達は、一体何年くらい持つものなんだろうなあ。しまむらの、パンクロックなお財布はまずファスナーがイカれそうだけど、他はどうなのだろう。
先日、お客様の中で合成皮革がぼろぼろになってめくれ上がった長財布を使っているお客様がいたが、素直に見ればすごく物持ちのいい人なんだなということだけど、財布のデザインが最近革製品専門店で見た財布達とあまり大きく違わないので、もしかして意外と脆いのか? と思ったり。
私の新しい財布は12000円で買ったものだが、最近急激に物価が上がっていることを考慮すると、数年前なら半額ほどで買えたくらいのクオリティかもしれない。よくわからないがブランド物と銘打たれているために値段がつり上がっていただけで、物は別にしまむらと大して変わらないとか? 30年前にサンリオショップで買った子供だましの財布の方が、耐久性が有ったりしてな……。などと、仕事が暇な時間に考えた。
床に入ると妻がエロく足を絡ませてきたので
耳元でいっぱい「好き」と囁いてくれて自己肯定感爆上がりながら就寝
目覚めると同時に妻の愛に満ちたお雑煮を食べる
Twitterを開くと昨日投稿した年越しツイートがまあまあバズっておりさらに自己肯定感が上がる
選んだのは THE FIRST SLAM DUNK もちろんポップコーンとコーラもセットで
これが予想をはるかに上回る大傑作で深い感動と高揚感に包まれポップコーン食べるのも忘れ号泣
フードコートでペッパーランチのステーキを食べ元旦から肉分を補給
帰ってから高揚感の心地よい余韻のままにスラムダンク全巻セットを中古で注文
今年は最高の出だしとなった