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はてなキーワード: 認知行動療法とは

2019-01-17

発達障害起因の愛着障害パーソナリティ障害を抱えている。

セルフケアのため心理学書を読み漁り、マインドフルネス認知行動療法といった個人療法を行っているのだが、

遡るほどに、小中校大学と、自分個性もっと理解していたなら、家庭不和に囚われて情緒不安定になっていなかったなら、

もっと普通にもっと真面目に、学びたいことに集中して楽しい学生生活が送れただろうに、と無念の思いが溢れてきて、

身を引き裂かれそうに苦しくて、涙がいくらでも溢れてくる。

 

ふつう勉強たかった。

ふつう友達をつくりたかった。

ふつう学校行事体験してみたかった。

ふつうに、学生生活を送りたかった。

 

そう思うほど、醜い諍いに子供だった私を巻き込んだ両親への憎しみが湧き起こってしまう。

両親もまた、母は発達障害気味(無自覚他者に指摘されると激昂する)で、父は自覚ありのパーソナリティ障害自発的に通院していた。

パーソナリティ障害の専門書では、両親(特に母親)に育て方を責めるといった、過去の変えられないものを恨み続け激しい怒りを覚えるのは精神が未熟な証拠で、責任転嫁していると記述してある。

しかにそうだと思う。反面、今はまだ、納得がいかなくてつらい。

自分でどうしようもないものを恨み、呪っている状態が、まさにパーソナリティ障害症例に当てはまっているなぁ、と心の片隅で思いつつ。

今は、とにかく、涙が止まらない。

 

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無駄かもしれないけど…大学に通い直すために、今月から目的貯金口座を作って貯めはじめた。

十代はやり直せないけれど…学生生活をやり直すことはできるんじゃないかって…。

今の自分を支えているかすかな希望

2019-01-11

anond:20190111212130

から治療方法が無いって話なのにまだわからないのか

それとも俺の知らないうちに治療方法確立されたのか

認知行動療法は実際に手を出した奴にしか効果が無いと思うし

2019-01-04

anond:20190104115005

自信と自己承認似て非なるものだし、世界で一番エビデンスのある心理療法であるところの、認知行動療法洗脳と言われたらもう完全に会話が成り立たん。

学術的な知識なんてかじった程度にしかないが、少なくともこっちはかじった程度にでも学術的な知識をバックに話してるわけで、お前の脳内定義上の話でその知識を覆されたらもう何も言えんよ。

2018-12-31

anond:20181231195947

横だけど、自己肯定感って誤解されやすワードなんだよなぁ・・・なんでみんな「自己肯定感の高い人=傲慢自信過剰野郎」と思ってるんだろう。

自己肯定感というのは「他人と同程度に自分にも価値があると思える感覚」のこと。

故に、自己肯定感の高い人は自分価値と同時に他人価値も認めてるから傲慢になりようがない。当然、自己肯定感が低い人特有の卑屈さもない。

ADHD他者から否定される経験をする奴が多いので、ADHD自己肯定感の低さは割と相関が高かったりする。

それが原因でまともに社会生活送れてないと、年齢の割に精神的に未成熟で、元増田の言ってるようなやつが出来上がる。

自己肯定感が低い上に、精神的に未成熟から、低い自己肯定感を維持しようと、とにかく滅茶苦茶なことを繰り返すし、社会性がアレなんで敵だらけになって、うまく方向修正してくれるようなメンターも現れない。認知の歪みと視野狭窄が行くところまで行ってる状態で「自分で気付くしかない」という、ウルトラハードモード

ADHD対策とか生き方とか世の中に色んな情報が溢れてるけど、典型的な奴がまず取るべき最も重要対策は、「認知行動療法を受ける」だと個人的には思ってる。

ADHDは向いてる環境が云々」みたいに言われるが、それ以前に、歪みきった認知視野狭窄、未成熟精神性、低い自己肯定感をどうにかしなきゃ、どうにもならんよ。

2018-12-22

anond:20181222205925

メンタルクリニックにかかってないのにうつ病ってどうしてわかったん?

嫁は自分うつ病って自覚あるん?

認知の歪みひどすぎて他人の俺でも見てられんわ。

↓こういうのとかもダメなん?

https://www.cbtjp.net

認知行動療法受けたほうが良いと思うけど、そういうのって本人が乗り気じゃないとどうにもならんからなあ。

2018-12-05

anond:20181205164328

どっちも根治には遺伝子治療必要かな。現在技術的に不可能だけど。

細胞生理学レベルでは、活動能は主にイオンチャネル受容体神経伝達物質とそれを制御する分子群、

形態形成能は細胞骨格系の文字通り細胞の形作りをするための分子群が関わっていて、

前者は脳が発達しきった段階でも薬物でコントロールできる可能性は高いけど、後者神経細胞同士がコネクションを作って脳が出来上がる段階に効いてくるから

極端に言えば生まれて来る段階で手を打たないともうどうしようもない。

これはごく単純化した描像で、脳の発達には前者が、個々の神経細胞活動には後者も絡んでくるから実際はより複雑だけど。

認知行動療法などの非薬物療法生理学的な効果はまだ未知な点が多いけど、あくまでも「出来上がった脳の微調整」なので効果は薬物以上に個人差が大きいでしょう。

2018-11-28

またパニック障害かよ

ジャニーズがまたパニック障害活動休止だけどさ、なんかここ1年でパニック障害告白やす空気になったよね。これ自体は良いことなんだけど、なんか甘やかしすぎじゃね?

もちろんパニック障害の症状も強弱も人それぞれだから分かるんだけど、その辺十把一絡げにしている感じがする

自分結婚と妻の妊娠タイミングでそれぞれ発症した。A型で生真面目でまさに発症やすタイプ。そこでストレスとか貯めまくった結果、自律神経が狂いまくって酷い時は電車に乗れなかった

1回目は漢方を3ヶ月服薬したが、大した効果も無かったので二度と使わない。所詮サプリ

2回目はギックリ腰も併発したので鍼灸を試したが、これも結局大した効果はない

結局は考え方を変えて、風呂ちゃんと浸かって、6時間以上の睡眠取るようになったら治った。考え方については、1回目は漢方効果で無理矢理、2回目は認知行動療法マインドフルネス

もちろん自分は軽い方で、もっと重症の人はこれだけじゃ治らないだろうが、上記の内容に投薬による補助が入ったり、完全に仕事から離れて心配事を減らすとか、内容が増えるだけで、基本は自分ストレスの原因を無くすか、ストレスに強くなる(気にしなくなる)が治療法だ

からパニック障害治療がんばります!とか言ってる時点で治らないんだよ。むしろかに消えてのんびり過ごしてストレス断ち切りつつ考え方を改めないと治らない

なんか今の環境だと、逆に治らないんじゃないかな。実はあの時パニック障害でした。って言うくらいが丁度良いと思う

2018-10-11

日本臨床心理学における査読論文価値

anond:20181009215657

心理学について書こうと思ったら、お一人書いてくださった方がいたので、そこで「特殊」とされていた臨床心理学について書きます

臨床心理学系の大学院博士号を取って、現在大学で臨床と研究をしています

論文事情を書こうと思ったら、背景にある臨床心理学事情になりました…。そして「日本の」と書いたのは、日本の固有の事情もあるためです。

はじめに

臨床心理学における研究は、おおよそ以下の3つに分けられます

 1:ブコメであったような、症例報告から始まってランダム対照試験まで行くという医学疫学的な研究

 2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究

 3:その他の調査研究ちょっと大雑把ですがゆるしてください、そして私のメインはここです)

少々雑な括りで、中間位置する方や例外もままいることを踏まえ、あくまでも概要を述べているということを踏まえたうえでお付き合いください。

論文事情

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 では心理学論文事情として以下の順序を挙げていらっしゃいました、

 査読付き英語論文>>>>査読日本論文>>査読なし日本論文(いわゆる紀要査読有り紀要も含む)

これは、1と3を自分研究領域にしている臨床心理学者にもほぼそのまま当てはまりますし、海外でも同様です。

そのため、競争が激しい業界院生さんだと、Predatory Journalに投稿しているケースも残念ながら見ます

特殊なのは、「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」を中心としている人たちです。

この方々の多く(全員ではありません)は、場合によっては「論文」というものを軽視すらしていますし、査読論文の数も非常に少ないです(大学に勤めている以上、建前で「論文書かないとね」と言ったりはしますが)。

これは分野外の人からはよく見えないため(もちろん業績調べればわかります)、中々ややこしい問題です。

私の観測範囲ですが、下手にこういう人たちが多い大学就職しようとしたり、あるいは就職してしまったりすると、論文業績が多い人はかえって冷めた目で見られたりすることすらあります

このような信じられない断絶が臨床心理学の中にあるので、業界からはわかりにくいのです。

ちなみに「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちの業績に対する意識は人文系に近く、私も完全にはよくわかりません。ただ少なくとも、英語査読論文を無条件でありがたがったりはしません。

しろ”深みのある”事例研究理論検討が尊ばれ、そうしたものに特化した特定学術雑誌論文や、あるいは書籍などを重視する印象です。

業界事情(長いです)

なぜ学問を行う場である筈の大学において、こんな断絶が起こるのでしょうか。

つの要因は単純に「世代」です(繰り返しますが大雑把な区切りです)。

世代によって何が違うかというと「臨床心理学に対する考え方」が違います

もっと具体的には「エビデンスを重視するか否か」の違いです。

エビデンスを重視しないなんてバカ?」と思う方も多いと思います

私も7割同意しますが、これにはこれで事情があります

先ほど書きましたが、2の人たちが重視するのは事例研究です。

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 には、「事例研究には物語以上の価値はないのでは」とありました。

「そう見えるのは仕方ないだろうな」と思う気持ちと「物語価値過小評価しすぎですよ」という両方の気持ちを抱きます

なぜかと言えば、「クライエントの人生」を理解しようとすれば、どうしても「物語」というフレーム必要になるからです。

古典的な臨床家(心理療法をやる人)は、クライエントの人生全体を見ます

クライエントが訴える問題(やる気が出ないとか、落ち込むとか)を全てと考えるのでなく、むしろ人生における氷山の一角と捉えます

そして、クライエントの人生をそのものを見つめ、その人がより良く人生を歩んでいけるよう、どうにかこうにか支援をしていくわけです。

(「大きなお世話」「思いあがるな」と思われる方もいるでしょうし、下手すると実際にクライエントにとっても大きなお世話になります

その人の知能や症状の程度、パーソナリティなどを数値化して客観的に捉えることは心理学の得意技ですが、それでその人の人生全ては捉え切れません。

人生というものを捉えようとした時、どうしても物語必要になります

もちろん、物語ですから完全に同じ事象再現されることはまずありません。そのため、厳密な「エビデンス」はそこから得ることはできません。

ですが、だからといって物語意味がないわけでもありません。

物語から自分は何も学んだ覚えはない」という人がいたら、それは物語意味がないのではなく、恐らくその人に学習能力がないためです。

物語を蓄積していくことで、我々は人間に対する理解をより深いものにしていくことができます

そのため、日本臨床心理学者は「エビデンスなんかいらない」というよりも、「物語を蓄積してくしか、やりようがない」と思っていた部分もあると思います

またもう少しフォローしますと、単に物語を乱立させるのでなく、蓄積された様々な「物語」を体系づける理論の構築自体は脈々と行われてきました。

それが、「2」の後ろ半分「それを踏まえた臨床論的研究」です。

フロイト精神分析なんかは、今でも理論精緻化され続けていて、それはそれで読むと非常に面白いですし、人間理解に大いに役立ちます

というわけで昔の臨床心理学は、多分に人文的というかアート的な学問領域でした。学んでみると非常に面白いのですが学問としての欠点もたくさんあります

最たる点が、多くの方が既に感じていらっしゃる通り、物語性を重視するあまり客観性エビデンスをあまりに軽んじてしまたことです。

 ◆

しか1990年代の後半頃でしょうか、「認知行動療法」と「エビデンス重視」の立場が、アメリカから日本へ本格的にやってきました。

心理療法の一つである認知行動療法エビデンスを非常に重視します。

例えば「うつ病」ならば、患者抑うつの程度を測定し、「認知行動療法を行うと抑うつの程度が有意に下がる!」みたいな研究バンバンやるわけです。

当時の学会の様子は今でも覚えていますエビデンス重視の方々は「それエビデンスあるんですか?」と、どこかの誰かのようなセリフを旧来の臨床心理学者に容赦なく投げつけ、大変気まずい空気を作り出していました。(別に悪いことではないですが)

残念ながら旧来の臨床心理学者はそれに真っ向から反論することができません。なぜなら、実際の所エビデンスは無いからです。

ただし、客観的エビデンスが求められる研究では、「客観的に扱える要素」しか扱うことができません。

そういう「客観性」では捉え切れない人間の心を探求していったのが、これまでの臨床心理学だったはずです。

ですから多くの人にとって、「エビデンス」というものが極めて底の浅いものに見えたという部分もあると思います

実際私もそう感じる部分はありました。確かにエビデンス大事だけど、余りに機械的人間の心を扱いすぎていないか?と。

それって、本当に臨床心理学が目指していたことだっけ?

とはいえ、旧来の臨床心理学者がその文学性に浸りすぎ、客観性過小評価していたのは間違いないと思います

エビデンスに対して「人生の深みをわかっていない」「客観性が全てではない」と言っても、インチキしか聞こえないでしょう。

要するに、物語偏重し、エビデンス全否定する姿勢は間違っていますが、エビデンス偏重し、物語全否定するのも同様におかしいと、私自身は思います

そういう微妙バランスというか面白さが臨床心理学の中にはありますし、どちらも人を支援する上では大事視点だと思います

 ◆


まぁその後は各学会大学内で、明に暗に色々な小競り合いがあって、現在は昔よりもだいぶ両者が折り合いつつある雰囲気です。

一つは、純粋な「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちが減ったという単純な理由です。大御所の多くが高齢化し、以前よりはだいぶ比率が少なくなりました。

逆に、認知行動療法がだいぶ浸透した結果、若い世代では認知行動療法が専門外でも、エビデンス重視の考えは馴染みのあるものになっています

また、認知行動療法の人たちも”表面的な”エビデンスが全てではないという姿勢の人が増えてきました。

また、個人的にすごく大事だと思うのが、実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃん効果確認されるようになってきたたことです。

これによって、「エビデンスが全てではない」と意地を張らなくても良くなってきたのだと思います

結局、エビデンス否定するのではなく、自らエビデンスを出すことで (とはいえ研究殆ど海外ですが)、問題は解消されつつあります学問としてこれはとてもよいことだと思います

 ◆

つい最近中室牧子さんとかによって、教育業界エビデンス視点を持ち込む動きがありますが、同じように、日本臨床心理学にもエビデンス視点を持ち込もうという動きが20年程前にあったのです。

エビデンスに対する考え方の違いは、人間理解に対する考え方の違いであり、それが論文業績に対する考え方の違いにもつながっていたという話です。

これを読んでみて、改めて「臨床心理学ってクソだな」と思った人もいるかもしれませんが、こういうゴタゴタも乗り越えつつ、少しずつ学問としてブラッシュアップされていっている臨床心理学が私は大好きです。

長くなってしまいました、すいません。

おまけ

長くなったついでで恐縮です。

https://anond.hatelabo.jp/20181011091532 「再現可能性が4割」の部分に

https://anond.hatelabo.jp/20181011091734 「びっくりするほど信用できない学問だな てか学問かそれ 」というコメントを見かけましたが、これ心理学だけの問題じゃないんですよ。

Natureが少し前にいろんな研究者に調査しましたが、理系領域だって再現性は決して高くありません。

https://www.nature.com/news/1-500-scientists-lift-the-lid-on-reproducibility-1.19970

しろ追試をちゃんとやって、どれが再現できるか否かをふるいにかけ、学問を発展させようとする態度こそが科学的だと私は思います

2018-10-03

adhdの診断おりてストラテラ飲んでるけど

簡単に診断おりすぎわろた。

そりゃ世の中発達障害だらけになるわ。

しか日常生活には困ってたか病院に行ったんだけど、否定してほしい気持ちもあった。あなたには必要ありませんって。

診断する確かな判断基準もないらしいし、このまま脳みそが薬に侵されて処方40mgが80mgに、そして最後には120mgでも効かなくなるのかな。

試しに休薬していい?って聞いたら40mgの段階なら好きにしていいよって言われたから2-3日薬抜いてみた。3日たったあたりで脳がぼーっとして不安感も出てきたので休薬終了。

すでに脳みそがやられてるのでは、という恐怖心と薬でよくなるなら楽でいいなぁという気持ち狭間で揺れてる。

どこまで意味あるのか知らんけど、認知行動療法とか、他にも鬱っぽさを軽減する習慣身につけてさっさと薬やめたい。

2018-09-29

企業化する人間 市場を生きるパーソナリティ」を受講した

講師京都沖縄東京カウンセリングを行ってきた博士(教育学)・臨床心理士の東畑開人氏。

「感じのいいエリート」が、鬱を排除するための躁的防衛慢性的な虚しさ疲労感、神経症症状、親密な関係の難しさなどを抱えているケースについての話だった。

貧困層カウンセリングでは「今すぐに治して」等の無茶を言われることがあったが、新自由主義適応したエリートのクライエントは行儀が良い。治療者のことを専門職として丁寧に扱う。自主的認知行動療法実践しておりエクセルにまとめて報告してきたりする。カウンセリングを利用するという依存的なシーンですら、相手迷惑をかけないことを重視する。こうした様子に、パーソナリティ自分自身CEOジャックされ、たゆまぬPDCAを励行している印象、あらゆるところに透明性・公平性を求める監査が入りアカウンタビリティ要求されている印象がある。こうしたタイプのクライエントの治療過程について、クライエントが行儀の良い状態→小さな依存が徐々に形成される→治療者に対する不信感・怒りが生まれる(希望があるから怒る)→治療者に対して軽視・軽蔑したり身勝手な振る舞いをする→気持ちの良くない関係を生き残る・やり抜く→クライエントの子供の部分が動けるようになっていく→自己他者の不純(リスクマネジメント不能な部分)に耐えられるようになる、というものらしい。この内容について書籍が出たりしないだろうか。東畑氏本人がまとめるのが一番正確で良いだろうけれども、私はこんな風に受け取り、要約した。

エリートのクライエントは社会的成功出来ているが自分の中の子供の部分が死んでいることによる問題が出ている。それを治療者との依存関係構築によって治療する。依存心が強すぎて社会的に失敗するタイプには認知行動療法効果的かもしれない。「認知行動療法は効かない、精神分析が優れている」という話ではなく、クライアントの状況に合わせた治療法を提案すると、質疑応答で東畑氏は言っていた。

 

福祉国家から新自由主義へ、自意識から市場へ、消費から投資へ、自己実現からサバイブ

これらの時代認識には共感しかなかった。これ自体解決したい人は政治運動に向かうのだろうか。私は政治運動をしたくない(政治が悪いというより産業構造の変化・人口動態によるものなので根本的な無力を感じる)ので、新自由主義への適応を選んでいるんだと思う。社会は助けてくれないので、自意識過剰でいられる・自己実現を求めていられるゆとりがなくなっており、望むこと自体が身の丈に合わない贅沢に感じている。消費と投資についても、弱者からこそ将来の資産価値を考えて不動産の購入を検討しなければならず、強者なら純粋好き嫌いだけの消費的感覚で住む家を建てたり買うことができる。弱いからこそ投資、余剰たっぷり強者からこそ消費する余裕がある、そういう世界観

 

自由で自立した個人自由にやりとりするのが市場市場ロジック内面化されている。

その外側に依存を引き受ける人たちがいるが、不可視化される。

仕事に繋がりやすいのは自立した個人同士の弱いつながり

深いつながりは依存ケアを引き受けるので重たくてお金にならない=経営者にとって正社員が重たい

経営者にとっては正社員よりフリーランス相手のほうが楽だろう。自立しているし、解雇規制もない。そうして誰も依存先を引き受けなくなった結果、ケア依存先の供給が不足する。というよりケア供給者、依存供給者の価値がこれまで不当に軽く扱われていたのではないかと思う。依存先の供給が無くなり、精神的な問題が噴出したことにより、今やっと価値発見されている。

 

市場ロジック適応して経済的にうまくいっている人間価値評価しない、妬むだけで苦労への関心を持たない、ねぎらわないこと。深い重いつながり、ケア依存先の供給を行っている人間価値評価しない、使おうとするだけで苦労への関心を持たない、ねぎらわないこと。自分の苦労にだけ関心があって、自分とは環境能力も全く違う他者の苦労への関心が根本的に無いこと。

そういった、人間の素のわがままさに対して、子供的に・動物的に・自動的他者を軽んじる態度に対して、私は割と狭量で、嫌って憎んでしまう。私がある価値に気づいておらず軽んじていたことに気づいたときも私は私自身に対して狭量になり嫌って憎んでしまう。業務人生経営必要価値判断は、感情面では不幸を産む姿勢ではあるんだけど。

「商取引の脱価値化」言説は私を疲弊させてしまう。家庭において稼ぐ役割を担わされており稼がなければならない立場の人はいる。感情的な極論は対立する勢力の持ち物・貢献の価値を無いものとする。東畑氏は市場ロジックを取り入れたり自分経営する目線が無さすぎると収入面で上手くいかないことや、自分支配するCEO市場適応的で強力だと勝てる、鬱を排除するための躁的防衛が人をバリバリ働かせるので勝てる、という本人の利益にも言及していた。ケア依存だけに肩入れする治療者とは違うバランス感覚が感じられて、そのバランスになんだか救われた。既婚男性一家大黒柱として稼ぐ義務家族に負わされていることが多いし、未婚女性である私も稼いで自分を養う義務から逃れられるとは思えない。

2018-09-18

吐き出したい

吐き出したい

大学生夏休み

2ヵ月くらいあったけど何もしてない

高1くらいか部活友達以外とまともに絡めなくなって

なんとか大学入ったけどその感じは変わらなくて普通に新しいコミュニティとか入らずにここまで来ちゃって

就活も始まるけど何もできてなくて

プライド問題かと思ったけどそうでもない気がして

認知行動療法かいった方がいいのか

いろいろしてみたいのにできないという気持ち悪さ

親の金で最低限の暮らしをずっとしてるだけ

いややっぱプライドかな

その辺で終わるのが怖いみたいな

たまに幸せを感じられるくらいでいいんだよね

ツイッターにいるような輝いてる人にならなきゃって思ってたけど

別に何かのトップじゃなくたって幸せは感じられるし

しろどういう肩書き人間になるかを考えないからこそ自分になれてそこそこの人物になれたりするのかな

マジで気持ち悪い

2018-09-09

anond:20180909213745

因果応報とか言っている人は、おそらく誤爆でしょう

物事に対して責任をもってしっかりと向き合える人、考えられる人は、

逆に考え事から離れられなくなってしまう事があるみたいだね。

方法論でいくと、認知行動療法とかマインドフルネス瞑想とかが効果があると

知られているけど、別にそんなに頑張って改善しなければいけない程の短所とも

思えないけども。

anond:20180909213745

因果応報が云々とかのコメント意味不明

元増田さんの言いたいことは分かる気がする

人生楽しいことの方が多かったはずなのに思い出すのは嫌なことばかり

たぶん何らかの精神不調の初期症状かも、というか逆に悪い出来事を反芻している人がうつになったりするのかも

認知行動療法とか、コツコツやるといいかもしれない

後、いいこと日記だっけ?やってないか効果は分からないけれど費用対効果が高いって何かの記事で読んだ

2018-08-09

anond:20180809123504

ノイホイって右翼とも左翼とも言い難いヤカラだけど、

裁判有罪確定して慰謝料払ったうえで認知行動療法?とか受けてんじゃないの。

2018-07-31

メンヘラ時代日記が出てきたので書いておく

引っ越しのため、片付けをしていたら、

大学時代、紙に書きなぐっていた日記帳の破片が見つかった。

書いた時を思い返すと、こんな状態でよく留年とか退学とかしなかったなあと思う。

捨てるのもなんだかもったいない、だがまたいつか見返したい、

ということで、ここに書き起こしてから捨てる。

今思うと相当追い詰められてたなこいつ…



自分はなぜ生きているのか、なぜこんなに愚図なのか。

人のせいにして現実から逃げて、やればできると先延ばしして、

何でもできるという虚栄心に浸って、本も読まず、有りもしない形での他人の救いを求めて、

慢性的になって、でも一人になるのが怖くて、でも和まりが怖くて、超当たり障りのない付き合い方しかできなくて、

自分能力も上げず言い訳して、引きこもって、全てまわりのせいにして、

なんなんだ、こいつ。

やらない理由なんていくらでも浮かんで、他人否定することばかりして、

何もしていないのになにかしている人に対して、優越感を感じて、虚栄心を満たし、

決して満たされない頭の穴にそれを流す。そんなの意味がない。

言葉ではわかっている。

ああ俺何がしたいんだっけ。今の自分のような人間になりたくない。

心のどこかで感じていたけど、結局周りに流されることしかできなくて、思考を停止させる。

結局そう思っていただけ、何になりたいかなんて考えていなかったと思う。

考えてもなれないと、なれなかったとき辛いだろうと思っていた。

何に対しても自信がなくて、結局他人が良いと思いそうな有りもしない思いを伝えて、

よくわからないまま勉強部活をし、やり過ごす。



進路だって、結局自発的に決めたわけじゃない。

まあ、実家のせいなのかな、父は受験期に自殺母親は過剰に自分自発的行動にケチをつけ、

姉は毎日誰かしらに喧嘩を売り、一人でイライラして、癇癪を起こし、おかしいといえば、号泣する。

自分統合失調症とかかじゃなくて、今思っても冷静に考えても、

実家が異様な空気だったことは確実で、

どこか機能が不全な家族であることは、実家を離れて2年以上たった今でもそう思う。

こういうことを人に話したら、思い切る勇気が無いと言われたが、

有りもしない普通の、ただ居心地のいい空間を求めたからか、

根底にあるのは異質な実家をぬけだしたい、でも進路を全力で否定するような実家という状況を直視した

という状況にならないと第三者の目で見られないと思う。

ただ何をしてこの先生きていけばいいのかわからなかった。

家を抜け出すためにどうすればよかったんだろうか。

家を抜け出すために全寮制の高校にでも行けばよかったか

その希望を掲げて行動する気は湧いてきても消されたと思う。

書いても書いても、実家の居心地が悪かったからこんな事になった。ということが出てくる。

もういいじゃないか、それには囲まれていないんだから

でも周りを見るといままでにそんなことが無いように見えて、とても眩しく感じる。

実際は一人ひとり違うと思うが。


でも、きっと世の中の人間はここまで卑屈な思いを経験することがなく、生まれ死ぬんだろうな。

人間なんて、意味もなく生まれて、意味もない行動をして、意味もなく死ぬ

死んだら認識したものも、作ったものも、もう認識できなくて、

結局たまたま自分という意識を持つよくわからない一つの何かでしかない。

なのに、なんでこんなに気分が悪くなるだけのよくわからないものが湧き出てくるんだ。

卑屈なだけなのか、生来のものではないと思える自分意識できるだけ、まだマシだと思う。



結局の所、自分の頭に湧いてくる、気にしていること、死ぬほど辛いことなんて、

文字にすれば過ぎ去ったことでしか無いことで、もう現実にはないことで、

書いても自分の頭が整理されるだけで、なにも生産性のないことだと思う。

こういうことを書き始めてから1年ぐらいかな、もうなんだかわからない。

心の病や心理学の本を読み漁った結果、

認知的不協和」「誇大妄想」「自己欺瞞

つまるところ、この3語で、自分気持ち悪く感じていることは説明できると思う。

これを以上として見るなら、誰にも当てはまるんじゃないか、あっても何も問題ないんじゃないかと思うが、

まあ、心が長持ちしないし、一般にはそこまで尖った人間は目立っても相手にされないだけで、世渡りが下手なんだろう。

こう書いてみて、再び思うが、哀れな一人の人間の、治しにくい、典型的問題しか無いということがよく分かる。

何なんだろう、これからどう生きていこう。

今まで生きてきて行動してきたエネルギーなんて、

こうして文章化されるまでもやもやしていた「わだかまり」に対してでしかなく、

何も頭に入ってなく、成長していないと思う。これもまた経験なのかなあ。

何がある、何が残った、何が楽しい。んなもん今はわからん



ふと思い出したが、父親自殺したあと精神科に言ったことを思い出した。

精神科に行く前から上述のような中身の人間だったのでもっと早めに行ったほうが良かったと思う。

それはさておき、治療していた頃のことを思い出して書いてみよう。


認知行動療法らしいことをしてもらったが、

欺瞞欺瞞を重ねてきた人間の本当のトラウマなんて、簡単には認知できないと思う。

紐解くのは本当にエネルギーを使う。

PTSDは残ったものの、根底にあるのは慢性化したもので、自殺したこと関係ないと思う。

自殺するような人間がいる家庭ということが、なんだかなあ)

まあ自分欺瞞をつくって、それを重ねて、それを壊して、いまも壊し続けていると思うと、

はじめから今まで、自分の行動が本当に虚しく感じる。

こういう人間は外に注意が向いているようで、全く向いていない。

自分欺瞞から作った、自分勝手自分公理系を注ぎ込んだ、

自分だけの度が強い色眼鏡を堂々と掛けていて、映る像は自分思い込みが強く入っている。

欺瞞はさておき、人間みんなそうなんだろうと思うけど、度が過ぎると心が持たない。


どうしても自分の色眼鏡を変えたくないっていうのは、自分が間違っているのをどうしても認めたくないってことかな。

臆病な自尊心尊大羞恥心に包まれていることを自覚しなければなならない。


なぜ認めたくないかっていうのは、

自分経験上では、それを変えようとしたところで、目指すものはない。対象があったとしてもイメージできない。

今まであった「不安」に浸っている方が、安心できるからだ。

そこを指摘しても、うまく言って洋画、うまく言っていなかろうが、

「今までこれでやってきた」が与える力は測りしれない。

認知的不協和自己欺瞞(しごく勝手で都合のいい解釈)で簡単解決したと思い込み

それを重ねると誇大妄想に至る。

今、自分が逃れられたとは言えないが、それがわかっただけでもこういうものを書いた価値はあると思う。


まあ、今は適当読書したい。




とダラダラ半日かけて書いたことを思い出しながら書いた。

読み返すと恥ずかしくなるけど、こういうものを書き続けてきたからこそ、

今は比較平穏状態でいられると思う。

やっぱ自分の頭の中を出力するのは大事だね。タイピング早くなるよ!

大学生活はこういうのをPCやら紙やらに書き込んで、

時間をふんだんに使って、小説や専門書、映画漫画を漁ったなあ。

自分で何かを書くようになってから

どんな作品しろ人間である作者がそれに時間を掛けて制作したってことが、

少しでもわかるようになったので、少しは成長したと思う。

今は読書するのはもちろんけど、何かしら一人で作ってみたり、未開の地に旅行しに行ったりしたい。

2018-07-30

anond:20180730143042

やっぱ人を批判していいのは罪を犯したことがないものだけだな。

さすがイエスキリスト

でもさ、人を殴るとかのか加害癖に対しての認知行動療法を受けてる人が

あんなにTwitterとかで攻撃的な発言したり他人を追及する仕事についていいのかね?

ある意味、理にかなってるといえるが。

2018-07-20

anond:20180720204044

そんなあなた瞑想認知行動療法お勧めしておきます。詳しくはググってみてください。多分合うと思うんだ。うん。

あと、諦めを開き直り重要です。こんな話もあります

2-6-2の法則って知ってますか?

会社には優秀な2と普通な6と不良な2がいると言われています。不良の2を会社からやめさせたとしましょう。するとなぜか、普通の6から一部がまた不良の2が生まれ、また、2−6−2のバランスができてしまうそうなのです。

きっとあなたは不良の2なのです。だから会社には存在価値がる不良。と思うと、なんか生きやすくありませんか?

2018-07-14

anond:20180714001157

うーん、そう言われるとそういう気がしてきたぞ。

 

でも、痛いヤツ認定は気にすることなかろう。気にする価値のある評価は割と少ないぞ。

認知行動療法瞑想(どうせなら禅寺とか行ってな)はいいかもしれん。

anond:20180713234100

その理解で概ねあっているよ。

なんかの根拠とか条件があって、初めて自分価値を認めるって形になってるのが問題な気がする

それはその通りなんだが、逆に根拠もないのにどうやって価値を感じるんだろう…と思ってしまう。

自惚れとの違いが判らない…むしろ自惚れてるほうが精神衛生的にはよいのか。

痛いヤツ認定されてかえってストレスではないだろうか。

いずれにしても問題な気がするから軽減したいと思ったのだよ。

そのためには認知行動療法か、瞑想か。

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