はてなキーワード: 養蚕とは
都井は最初に、自宅で就寝中の祖母の首を斧で刎ねて即死させた。
2軒目はB宅に侵入。妻、娘2人を射殺。
3軒目はC宅に侵入。Cと妻を射殺。さらに農業の手伝いにきていた親戚も射殺。主人の母親で、「頼むけん、こらえてつかあさい」と足元にひざまづいて命乞いをする老婆に都井は「お前んとこにはもともと恨みも持っとらんじゃったが、(都井が恨みを持っている家から)嫁をもろうたから殺さにゃいけんようになった」と言って猟銃を発砲した(至近距離で肋骨への被弾が幸いし、奇跡的に一命を取り留めた)。
4軒目はD宅に侵入。D、長男と妻、五女、六女を射殺。四女は隣に逃げ込む。
5軒目はD家の四女が逃げ込んだE宅。Eは床下に娘を匿ったが、Eの父親が射殺された。D家の四女、E家の四女が負傷。
7軒目はG宅に侵入。Gの妻と養蚕手伝いで泊り込んでいた2人の娘を射殺。この時、Gは、返り血を浴びた都井に猟銃を突きつけられたが、逃げることもせず茫然と座っていたところ、「お前はわしの悪口を言わんじゃったから、堪えてやるけんの」と言われて見逃されたという。
8軒目はH宅に侵入。Hの妹と母親を射殺。逃げ切ったHは隣町の駐在所に事件の第一報を報告した。
https://worldheritage.pref.gunma.jp/JH/ktg/
古くから絹産業の盛んな上州(群馬県)では、女性が養蚕・製糸・織物で家計を支え、近代になると、製糸工女や織手としてますます活躍しました。
幕末から明治へ、上州が群馬県へと変わる頃、絹が主要な輸出品として外貨獲得の切り札となると、県内の養蚕・製糸・織物はますます盛んになりました。
女は売春と出産と育児しかしてこなかったわけではなく、外貨獲得のための労働もしていたんだけど、
性的欲求不満かつ女性嫌悪のある男性には、どうしても女体が100%性的物品にしか見えないようで、
「女は性奴隷かつ出産奴隷、男は高貴な労働をして日本経済を支えてきた」という解釈以外を拒絶してしまうようだ。
大学生かな?w
この話をつきつめるとバベルの塔みたいな話になってくるからやめるけど、個人とか自宅とかに置き換えてみればいい。
自分の庭に隣人の柿の木の枝がのびてきたり、熟した柿が落ちてきたら抗議する、それがまあ「利害」という概念のプリミティブな例である。
企業活動は通貨・金融・経済活動というルールが指定されているのでそのルールを逸脱した利害行動はできない。
たとえば暴力だとか、不法占拠だとか。そのかわりに法律と金が動く。
いっぽう国家や民族においては、その国家や民族を「定義」した時点で利害が発生する、と考えている。
たとえばウイグル人は東トルキスタンという国がもともとあったから、中国に侵略されても、中の人間が「我々は東トルキスタン人だ」といえば、
その「利害」を消すことができない。だからそれを完全に消そうとして、100万人以上を奴隷労働させて臓器を抜いたりしている。
基本的に人間である以上は利害が必ず発生するわけだが、それを国家レベルでやると、間違えた人間が王になると「暴力」「不法占拠」「弾圧」「虐殺」が発生する。
それがエスカレートした有名な例は、呉越戦争のきっかけがわかりやすい。
けっきょく、サイズの違いはあれど「人間の争い」が利害であり、国家を建国した人間や、その時点でのトップの「人間性」が利害の拡大縮小を左右させるのだと思う。
紀元前519年のあるとき、呉楚国境の村で小さな争いから国の運命をかけた戦争へと発展する事件が起きた。その村では養蚕(ようさん)が盛んであったため、蚕の餌となる桑の葉を大量に必要としていた。そのため、辺りには桑の木がたくさん生えていたが、呉の村の子供と楚の村の子供がこの桑の葉を争って喧嘩を始めた。それが子供の親同士の喧嘩に発展し、呉の村の親が負けて家を焼かれた。これに村を統治している郡主は警備兵を出して村を攻め立てた。この報を受けた平王は怒り、国軍を出して村を全滅させた。呉の村が滅ぼされたのを聞いた僚は激怒して国境の居巣と鍾離を攻め落とした。さらに州来まで進撃したため、楚も武将の蔿越を派遣してこれを迎え撃った。だが、公子光が「楚に属国はいずれも小国で楚をおそれて従っているだけです。「戦は情けよりも武で、無勢でも勝てる」と聞きます。まずは属国の胡と沈は君主が年若く、陳の大夫の夏齧は年老いて頑固で国政は停滞し、また頓と許と蔡は楚の振る舞いに不満を持っております。同時に楚も統率力がある令尹が亡くなったため、混乱しております。まずは軍を手分けして、胡と沈と陳の軍勢に突入すれば、楚はますます混乱に陥り、他の属国の軍勢も崩れるでしょう。まず先鋒隊は隙を多くし、敵をおびき寄せて、後詰の本隊で撃ち破ることをお勧めします」と進言した。僚はこの進言を採り上げて、秋7月に鶏父で呉王僚自らが囚人3千人を胡と沈と陳の軍勢に攻撃させ、右軍は公子光、左軍は公子掩余が指揮し、胡と沈の若い君主を捕虜し、陳の大夫の夏齧も捕らえた。こうして呉は勢いに乗じて楚を撃破した[1]。
大好きな大好きな推しがパンティーを被ってることは初めて推しを知った日から知ってたし、ツルツルでいかにもブランドものっぽい高そうなパンティーだってことも知ってた。
それに関してのもやもやよりも推しの顔とかスタイルとかダンスも好きだったから、パンティーに罪はないし目を瞑ってた。
推しはまだ若いし、実家にもパンティーがありそうだから頭にパンティーを被せることなんて何にも考えたことないだろうし自然なことだったと思う。
でもそこがやっぱり無理だった!
差し入れならセーフか?と思ったけど推しが被ってるいかにも写真映えして「高そうなパンティー」だから差し入れでもらったとは到底思えないし、蚕の頃から飼っているという情報もわりとちゃんとした出所で存在するし。
シルクのパンティー自体反対寄りな気持ちだけど、パンティー被りは大反対。
推しがパンティーに向ける視線が愛情こもってればこもってるほど、この人はなーんにも考えたことない頭パンティーの人なんだなって思ってがっかりする。
春秋時代の名宰相范レイ。彼が国の税を増やした秘訣の1つも出産促進策だった。息子や娘が結婚をしなければ親を罰した。年の差のある婚姻は出産に役に立たないと禁じた。しかし後日、巨商に変身するほど、経済感覚があった范レイは知っていた、これら政策のジレンマを。働き口なしに人口ばかり増えれば災いになることをだ。彼が農業と養蚕にこだわったのもそのためだ。
こんな理が分からずに痛い目に会ったのがルーマニアの独裁者ニコラエ・チャウシェスクだった。「人口=国力」として、執権後、堕胎と避妊を全面禁止した。重ねて妊娠に失敗した女性には税金も払わせた。1年で出産率が2倍に増えた。しかしこうして誕生した「チャウシェスクの子供たち」が遭遇したのは食糧配給さえ大変な疲弊した経済だった。20数年後、これらがチャウシェスクを追い出すデモの主役となったのは驚くべきことではない。
産業の育成と雇用の創出を無視し、「堕胎と避妊の禁止」といった乱暴な少子化政策を取ることは殺されても仕方ないほどの愚行だ。
雇用が減り、人間の入る枠が減っているから自ずと少子化になる。子供を生んだって、育った我が子の行き場がないのだから当たり前だ。
増田神社(ますだじんじゃ)は、佐賀県唐津市肥前町にある神社。
1869年(明治2年)8月10日、熊本県合志郡泗水村(現・菊池市泗水町)生まれ。
幼少の頃より体格は立派であり、性格温厚と誰からも好かれる人物であった。
永島塾では漢学を、後藤塾では数学や測量学を学んでおり特に数学に秀でていた。
その後、 阿蘇郡馬見原(現・山都町)の用水路整備や北海道開拓事業、地元泗水村での養蚕業などを経て佐賀県の巡査教習所(現在の警察学校)へ入所する。
増田は上記の私塾では学業を修めていたことから一般教養に秀でており、本来3か月かかる巡査教習所の教習課程をわずか10日で習得し卒業する。
1895年(明治28年)7月17日に佐賀県巡査を拝命し、19日には唐津警察署へ配属されることになった。
1895年(明治28年)、日清戦争終結に伴い外地から兵士が帰還すると全国的にコレラが流行する。
この年の患者数は全国で55,144名、死者は40,154名になっていた。7月には佐賀県東松浦郡入野村高串(現・佐賀県唐津市肥前町高串)でもコレラが発生し、真性40人、疑似34人、死者9人と猛威を奮った。
〜中略〜
増田は交通手段のない山道を超えて巡査を拝命して4日後には高串へ到着する。
増田は区長と相談の上で「コレラ感染を防ぐには、一刻も早く患者と健康な人との接触を断たなければならない」と対策を講じ、発症者の家には縄を張り巡らせて消毒の上で人の往来を禁じた。
また、住民には生水を飲まない、生で魚介類を食べないなど厳しく指導して回った。
中には薬を飲んでから亡くなった発症者もいたことから誤解して「毒薬なんか飲まない」と言う発症者もいたが、増田はその患者にも根気よく説得し続けた。
また、感染を恐れて発症者の遺体運搬が拒まれていることを見かねて、増田は自身で遺体を消毒し、むしろに巻いて背負って傾斜が急な坂道を何度も登っては墓地に埋葬していった。
住民は不眠不休で献身的に働く増田に対して次第に胸を打つようになったが、疲労が祟って高串着任の3日後である23日にはついに自身も感染してしまう。
容体は急速に悪化し、「とても回復する見込みのないことは覚悟しています。高串のこれらは私が背負っていきますから御安心下さい。十分お世話せねばならぬ私が大変御厄介になりました。」と言い残して24日午後3時には死去する。その言葉通りに、猛威を振るっていたコレラは終息し、再び発症する村人はいなかった。
増田が死去した2日後、コレラに罹患した2人の子供を看病していた中村幾治の許に増田巡査が夢枕に立ったという。
夢枕の増田巡査は、白シャツ姿に剣を抜いた大男で現れて「余はこの世になき増田敬太郎なるぞ、高串のコレラはわが仇敵にして冥府へ伴い行きれば安んじて子らの回復を待て、ゆめ看護を怠りそ」と厳かに言って消えた。
翌日には増田巡査の死とその最後の言葉を聞いた中村は夢枕の内容との一致に驚き、子供を懸命に看病した結果、子供2人も無事回復した。
中村のほか同様の夢枕を見た住民は他に2件あり、伝え聞いた住民の間では増田巡査は神様として認識されるようになった。
【質問1】
(初めての方は、質問1,2は2度以上繰り返し読んでください。)
【 §1. たほいやの概略 】
発表された文章の中には、
狼が書いた真の説明文が1つ紛れています。それを探して投票してください。
です。
→
【質問2】
【 §2. ゲームの詳細 】
● 村人さんへ
✍️慣れないうちは短文がおすすめ。長く書くほどに嘘がバレやすくなります。
→ 質問3の文例もご参考に
✏見出語は書かないでください
×「えだ‐ぐり【枝栗】」を書く
○「枝つきの栗の実。」だけ書く
☠「意味を調べる」
→ 紳士淑女たれ
☠「知ってる。4番正解」
→知ってたら、しれっと捏造 & 議論静観をお願いします。本物に限りなく近い捏造もお控えください。投票はOK。
全員で狼を吊るのではなく、自分が票を貰うことを目指しましょう。
(…プレイヤーのスキルは様々です。なるべく多くの人が楽しめる戦い方を選んでほしいです…)
【狼さんへ】
m(_ _)m
狼のお題には、真の語釈が書かれています。それを「そのまま」、村人のふりをして発表してください。
○ お題下部の指示に従って下さい。
○ 辞書の文章を書き慣れない人は、自分なりに書けそうな文章に微改変可。
→
【質問3】
【 §3. 補遺と謝辞 】
「たまご。」
「蚕の神。養蚕の守り神。」
「カイツブリの古名。にお。」
「日々新しくなること。」
「ボクシングで、上体をかがめて、素早く相手の攻撃をかわすこと。」
「ソ連の小説家。社会主義建設を写実的に描いた。作「セメント」「エネルギー」など。」
✏なかなか票が入らない…
◎ 語釈は短く。無愛想な1文でもいいんです。
✌️GM/狼をやると上手くなる
知識を活用するのも強いけど、「辞書っぽい情報の並びや文体」を知る方が大事、かも?
【参考】
あるある人狼公式ブログ 「でっちあげゲーム」(ガーリックさん)
https://sympathy.world/blog/wordwolf-decchiagegame/
【謝辞】
【過去の出題例】
おかちん(女房語で餅)
しんねこ(男女が人目を避けて語ること)
ししこらかす(病をこじらす)
麝煤(墨の異称)
鴆毒(鳥の羽の毒)
ひいらく(ズキズキ痛む)
【村人用お題】
「ししこらかす」
れっつ、でっち上げ!
⚠️見出語は書かず、説明文のみ発表してください。
⚠️変換予測でお題の漢字/原語表記が透けることがあるので、お題自体のタイピングはなるべく避けてください。
例:「いそろいs」まで入力すると「イソロイシン」がサジェストされ、「イソロイシン」を入力すると「isoleucine」が変換候補に挙がる、など。
【狼用お題】
あなたは狼。
お題: ししこらかす
病気などを治しそこなう。こじらす。 「 - ・しつる時は、うたて侍るを/源氏 若紫」(大辞林第三版)
病気を治療しそこなう。一説に、病気を直しそこなってこじらす。
(精選版 日国大)
あなたは狼。
お題: しのびよるこいはくせもの
病気などを治しそこなう。こじらす。 「 - ・しつる時は、うたて侍るを/源氏 若紫」(大辞林第三版)
病気を治療しそこなう。一説に、病気を直しそこなってこじらす。
(精選版 日国大)
/*『』がある場合は、その内容は必ず書き、他の情報は任意選択でお願いします。
\*『』が無い場合は、語釈は最初の文から写し、好きな「。」で説明を止めて下さい。
\*()や《》の内容は書く必要はありません。書く場合は、同じ記号を使って下さい。
\*ここに書かれていない情報を調べて書き加えるのはお控えください。
○たほいや
村人は辞書にあるその単語の説明文を【でっちあげ】てください。
同時発表します
発表された文章の中に、
狼が書いた真の説明文が1つ紛れているので、それを探して投票してください。
○
狼吊 →最多得票村の勝利
です。
村人は素敵なでっち上げをし、
自分が票を貰えることを
目指しましょう
→
【狼さんへ】
狼のお題には、真の辞書の文章が書かれています。それを「そのまま」、村人のふりをして発表してください。
○『』内は必ず書いてね
○意味を変えない範囲で自分が書けそうな「辞書らしい文章」に微改変可
○出典、例文は書かないでね
【村人さんへ】
「たまご。」「古代ギリシアの建築家。アテネの人。」「蚕の神。養蚕の守り神。」「日々新しくなること。」「ボクシングで、上体をかがめて、素早く相手の攻撃をかわすこと。」
「ソ連の小説家。社会主義建設を写実的に描いた。作「セメント」「エネルギー」など。」
→
【やめてね】
⚠️「知ってる。4番正解」
→知ってたら、しれっとでっち上げ & 議論静観をお願いします。
⚠️「調べる」
→汝、紳士淑女たれ
【過去の出題例】
麝煤(墨の異称)
鴆毒(鳥の羽の毒)
ひいらく(ズキズキ痛む)
【村用お題文】
「ししこらかす」
れっつ、でっち上げ!
【狼用お題文】
あなたは狼。
お題: ししこらかす
病気などを治しそこなう。こじらす。 「 - ・しつる時は、うたて侍るを/源氏 若紫」(大辞林第三版)
病気を治療しそこなう。一説に、病気を直しそこなってこじらす。
(精選版 日国大)
\*どちらの辞書を用いても構いません。好きな「。」で説明を止めて構いません。文章の文字や並びは変えないでください。
ーーー
場合によっては、
『』内は必ず書いてください。
って書き添えます。
○たほいや
村人は辞書にあるその単語の説明文を【でっちあげ】てください。
同時発表します
発表された文章の中に、
狼が書いた真の説明文が1つ紛れているので、それを探して投票してください。
○
狼吊 →最多得票村の勝利
です。
村人は素敵なでっち上げをし、
自分が票を貰えることを
目指しましょう
→
【狼さんへ】
狼のお題には、真の辞書の文章が書かれています。それを「そのまま」、村人のふりをして発表してください。
○『』内は必ず書いてね
○意味を変えない範囲で自分が書けそうな「辞書らしい文章」に微改変可
○出典、例文は書かないでね
【村人さんへ】
「たまご。」「古代ギリシアの建築家。アテネの人。」「蚕の神。養蚕の守り神。」「日々新しくなること。」「ボクシングで、上体をかがめて、素早く相手の攻撃をかわすこと。」
「ソ連の小説家。社会主義建設を写実的に描いた。作「セメント」「エネルギー」など。」
→
【やめてね】
⚠️「知ってる。4番正解」
→知ってたら、しれっとでっち上げ & 議論静観をお願いします。
⚠️「調べる」
→汝、紳士淑女たれ
【過去の出題例】
麝煤(墨の異称)
鴆毒(鳥の羽の毒)
ひいらく(ズキズキ痛む)
「ししこらかす」
れっつ、でっち上げ!
あなたは狼。
お題: ししこらかす
病気などを治しそこなう。こじらす。 「 - ・しつる時は、うたて侍るを/源氏 若紫」(大辞林第三版)
病気を治療しそこなう。一説に、病気を直しそこなってこじらす。
(精選版 日国大)
それは基礎研究だけじゃないんだ。だから基礎研究が大事だというのは嘘だ。
昔造船工場がたくさんあったときには、船体構造や塗装や艤装の工程管理とか実験がいくらでもできた、けど今はできない。
昔養蚕農家がたくさんいたときには、絹糸の品質向上、品種改良の実験をする余地があった、けど今はできない。
昔DRAMの工場儲かっていた時には、プロセスの歩留まり向上の実験をする余地があった、けど今はできない。
昔液晶パネルの工場が儲かっていた時には、画質の向上の実験をする余地があった、けど今はできない。
この事態は、儲かってない会社から会社員がいなくなって会社が潰れるという結末が待ってるんだよ。
つまり稼げない男性は価値創造をしないから淘汰されるということ。
稼げないけど高収入女性のお世話係を徹底できるなら、それは価値創造になる。
でも低所得男性にはケアのスキルもない(笑)活用方法なし(笑)
しかも女の年齢や容姿に注文をつけて、自分好みのセックスを女に要求する(笑)
また、女性の賃金が上がったのは女性の権利運動をしたからではなく、
肉体労働が機械化・効率化されて、そこまで筋力を必要としないホワイトカラー・サービス業の割合が増えたから。
フェミニズムではなく産業構造の変化により女性の賃金が上がって女性の社会参画が求められるようになっているから、
女性の需要が下がって男性の需要が上がるような産業構造の変化がない限り、今の流れは止まらない。
フェミニズムのない時代、養蚕がさかんで儲かっていた時代は、養蚕しているエリアはカカア天下だった。女が稼いでいたから。
軍国主義で兵隊の地位が上がったり、炭鉱労働のある時代は、肉体の頑強さが収入に繋がるから男が優位。
炭鉱があった地域は、炭鉱が閉鎖されてもいまだに男が女を殴る家庭が多かったりする。
世の中、金!
12.5話の総集編見た。
https://www.youtube.com/watch?v=lAqqua14Kq8
テレビ放送の1話見て震えて毎回期待して盛り上がっていたが、9話以降でずっこけて、なかった事にしたかった者としては、ひとまずうまいまとめ方にした総集編でそれなりに納得できた。
しかし、これ観て改めて自分の中でこんな風な話ならよかったのに、という妄想が再度沸き上がったのでここに書きなぐっておく。
エネルギー問題の解決で世界が大きく変貌した事を見せてほしかったなー。
テクノロジーの進化と、生活の変化、人々の価値観の変化を群像劇として見せたら面白い描写山ほどできそう、
逆にワムに頼らないアーミッシュ的な団体の反対運動派がいるとか、でもその運動も下火になりつつあるとかね。
で、サンサは正直この作品にはいらない気もするけど、あれを出すなら、多次元の自分が無限に選択や行動を変えてひたすら人生が分岐していくシチュエーションを受け入れる世界を描写して欲しかったなぁ。
カドの話の結論として、真道やザシュニナの存在や沙羅花がこの宇宙のファンであるというテーマである。「自分という存在やこの宇宙は唯一無二のもので複製や代理が利かない」という描写をするなら、サンサっていらないと思うんだよなー。
この辺の描き方のルールを厳密に決めないまま唯一無二の自分とサンサの両方を出すのはSFの食べ合わせとしては良くない気がする。
サンサを出すならば、いっそタイムリープものでよくある、無限の選択肢を個人が選べてしかも併存させられるって描写をやってほしかった。
そうしたら、人間自体の基本的な心理概念とかもすんごい所に行きそうだし、異方への転換を受け入れる人間も無限の可能性で出てくるので、話の描写としては難しくなるかもしれないけど、
やりようはあった気がする。
たとえば、物語を描写する軸としての世界では、サンサに懐疑的で進展に戸惑う世界を描写すれば良いし、他の自分の可能性がおぼろげにしか見えない選択肢の世界としても描写すれば良い。
で、明確に多次元の自分を感じ取れる人間は、ワムを作れる位レアケースとして描写すれば、話を追う側には納得感もある、例えば品輪博士は多次元の自分を感じられずに憤るけど、もともとのスペックが高いので、別の手段で何とかしちゃうとか、彼女が多次元を感じる事すら再度一般化させちゃうとか色々描きようはある。
総集編は「唯一無二の自分」をテーマに再編集されたけど、個人的にはこの概念すら覆してくれるSFをテレビアニメで見たかった。
いくらでも替えが利いて選択肢は無限に広がって行く可能性をサンサで示されたら、人類はどう行動するか?
で、宇宙の外まで自らの意思で広がって行く世界と並行して、今と変わらない世界を選択する世界を同時進行で進めて行く様な描写を見たかったよなぁ。
で、その辺の葛藤もある物語の世界では、極めつけとしてナノミスハインが登場して、物理的な運搬や移動の制限がなくなって、これが決め手になって、結果、人類が数年で宇宙に広がって行き、テクノロジーも指数関数的に進化する。
でも、唯一無二の自分を大事にする徭沙羅花はカドの到来する世界を嫌い、カドの影響が最も少ない宇宙に移動して、カドの登場しない世界でのんきに生活するとか、そんなんで良いとおもってる。
ましてや、子供が出てきてデウスエクスマキナで終わらせるなんてもってのほか
それをやるなら物語の中の一人でも、人類全員でもいいでので無限の彼方まで行ってしまう事を描写して物語を締めた方がなんぼかよかった気がする。
人類が絹糸として収穫されるかと思ったら、その蚕に養蚕工場どころか、異方のさらに外の異方の世界まで人類に連れて行かれてしまったザシュニナが最後に悔しがるとか寂しがるとか
そういうの観たかった。
あと、個という存在も超越して欲しかった。この辺は幼年期の終わりとおんなじだけど、取り残された人類が個を超越してどっかにいってしまう人類を観測して欲しかったなぁ。
それは明治時代に建てられた養蚕農家の家で、普通の農家の様にだだっ広い土間があるだけでなく、蚕を飼う為の二階部分があるのが特徴だ。
親戚の家が元養蚕農家なので、あの特徴的な外観の二階建の家は見慣れているが、これほどまでに古めかしい間取りの家を見たのは初めてだった。なんたって、玄関入ってすぐ右手が厩になっている。一つ屋根の下に家畜の住処があるなんて。
それ以上に目を引かれたのは、玄関から一番奥にある台所だった。
家の奥の壁に面している流し台の手前には竈があり、その前には囲炉裏があって、更にその前には大きな火鉢があった。つまり今で言うところのダイニングルーム・リビングとキッチンが隣接しているというか、むしろほぼ一体化している。洗い物をする際は囲炉裏に背を向ける事になるが、煮炊きをしている間は囲炉裏ばたに居る人達と対面で話が出来る。そういう造りだった。
もし、囲炉裏ばたでご飯を食べている最中に喉が渇いたとしたら、三和土に降りて数歩で水道だ(古民家なのに何故か流しにはごく普通の水道が引かれている)。あるいは台所で作業している誰かに「お水ちょうだい」といえば、はいよっとすぐにお水をくれるだろう。
私は、日本式の台所といえばもっと孤独な場所、隔絶された、上は熱気がこもっていても足元は寒々しい様な場所と思い込んでいたから、あの古民家の台所の、玄関から囲炉裏にかけての大きな空間にきちんと溶け込み存在している感じを、とても意外に思ったのだ。
それで、これまでに私が見た事のある古い家の台所の様子を思い出してみた。父の実家、母の生家、祖母の生家、祖母の友人の家、夫の祖父の家。
どこも家の一番奥に台所はあって、そこは茶の間に近いものの廊下や戸で隔てられていて暗い。玄関からは覗く事が出来ない隠された場所だった。
それらで一番印象的だったのは祖母の友人の家の台所だった。
私はまだ5歳位の頃に、祖母に連れられてそのお宅へお邪魔した。祖母の友人が私たちを通したのは客間でも茶の間でもなく台所だった。
当時祖母の友人宅は増築をしたばかりで、ついでに台所もリフォームしたらしい。新しいシンクにガスコンロにピカピカのナイロンの床。暗い奥まった所から戸を開けたら別世界のような暖かい光の溢れるキッチンに入るのである。
広い台所の中央には作業用のテーブルはあっても食卓は無かった。その代わり、部屋の片隅にはなんと炬燵があった。私達はその炬燵に入ってお茶とお菓子をいただきながらおしゃべりをしたのだった。
祖母と祖母の友人がおしゃべりを楽しんでいる間、お嫁さんが忙しそうに夕飯の支度をしていた。立ち仕事をするお嫁さんの足元にはファンヒーター。お嫁さんは一段落つくと炬燵に入って来た。
要はその台所は、古い家制度下において最上級の厚待遇で設えた女の園的な場所になっていたということ。家の他の部分とは隔絶された異世界なのには違いない。そこを使っていた主婦はそこを自分の支配する城の様に思えたかもしれないが、自由は無い。
一方、明治時代に建てられた例の古民家のやけに開かれた台所で仕事をしていた人は一体どの様な思いで日々を暮らしていたのだろうか?非常に興味深いことだ。
お年寄りの話によれば、養蚕農家の嫁というのは朝から晩まで蚕の世話にと酷くこき使われ、妊娠中でもろくに休みを与えられず、出産後はほんの数日で子供を取り上げられ働かされたものだという。
ああいった開放的な台所で立ち働く人を、家族はそんなにも虐げる事が出来たものなのだろうか?それとも案外嫁は台所に立たずにどっか隅の方にでも追いやられていたのだろうか?
或いは古民家の建てられた時代の女性は案外昭和~現在よりまともに扱われていたのだろうか?
そんな事を考えた。
「豊田市民芸館・民芸の森」と「豊田市近代の産業とくらし発見館」に行ってまいりましたわ。
「豊田市民芸館・民芸の森」はたくさんの建物があって、それぞれで展示がされていました。
民芸の森では明日イベントがあるらしく、たくさんの人が作業をされていて、
このあたりでは民芸と陶磁に造詣が深い本多静雄という方が活動していらして、
彼に招かれるようにして加藤唐九郎氏ら、著名な陶芸家があつまって
コミュニティを作っていらしたそうですの。
民芸館のひとつでは陶芸家河村氏三代の作品が企画展で展示されていました。
ひとかかえあるラスター彩壷が綺麗だったのですわ。
棚に並べて置かれていて三百六十度から観察できなかった点は残念でした。
二階建てで三つの部屋があるのですが、机と椅子ばかりで生活感が
まったくありません。
明治時代の西洋館は打ち合わせ用で、生活の場は和風の屋敷だったという
陶芸などの教室では多くの人が活動されていて、活気がありました。
「豊田市近代の産業とくらし発見館」は豊田市で生産されていた生糸関係の展示をメインにしています。
ちょうど実習室で生きたお蚕さんの展示がされていて、
津を除いてはいけませんわ。わたくしはカモではなくサバですわ。
学費をたたれて外務省の奨学生になった経緯も、特別にみえてきます。
最終的にはロシア語を満州で勉強して、ロシア語圏を中心に勤めていたことは
満足されていたのでしょうか。
記念館は「ちうね」読みですが、イスラエル側からは切手など「せんぽ」読みでした。
日本に逃げてきたユダヤ人の避難先にはインドネシアのジャカルタもあったのですが、
海外の方もいらっしゃっていました。
とても寒かったです。受付の方が心配です。
説明にありました。
では、旅足川発電所を建てるための電力はどうしたんですの?
5Sが好きな工場でよくみる工具を吊り下げる影絵のついた板がおいてあり、
歴史のある工夫だと知りました。
養蚕や林業でえた資金をエネルギー事業に投入する先見性のある実業家は地域の宝ですわね。
新丸山ダムの建設中で、完成すればダム湖に沈んでしまうようです。
先日の雨で放水中だったそうで、いいタイミングで見ることができました。
めい想の森。
ハイキングコースを散策してベンチで寝れば運動睡眠瞑想をこなすことができます。
分かれ道が多くて、めい路の森に感じました。
木の葉の落ちる冬ですのに。
http://blogs.yahoo.co.jp/kkmt07/22318935.html
>小学校で習う漢字である「蚕」の書き取りを中学一年生にさせてみたところ、正答率は10.5%しかなかった。
>産経新聞08年3月3日
> ■小3「戸外」1・4%、中1「革新」5・9%
> 小学2年で習う「戸(こ)外」を書けた小3は1・4%、小6で習う「革(かく)新」を書けた中1は5・9%-。
>小学校6年間で学習する「学年別漢字配当表」の1006字のうち、習った次の学年で書けるかどうかの“漢字力”を、
>ベネッセ教育研究開発センター(東京)が調べたところ、普段の生活でなじみの薄い言葉の漢字が苦手な
>傾向があることが3日、分かった。
>調査を担当した日本国語教育学会の河西泰道理事は「暮らしの中にはいくつもの言葉や言い方があり、
>その面白さに気付いてほしい。指導の際に漢字の由来などで興味を引く工夫も必要」としている。
>調査は昨年5~6月、無作為抽出した全国の公立小学2~6年と中学1年の計約9000人を対象に、
>前学年で習った配当表の漢字の書き取り問題を解いてもらった。
>その結果、小1で習う字では「木の下」の「き」や「木よう日」の「もく」は90%以上の小2が書けたが、
>「木のは(葉)」の「こ」はわずか3・3%。小4で習う「成(な)る」は小5の14・1%、
絹はカイコの吐く糸から作ります、カイコはカイコガっていうガの幼虫で蚕と書きます…くらい小6なら別に知っててもいいだろ。
小6じゃなければいつなら妥当と思ってるのか知らんけど、後で改めて習うより、もの覚えのいい年齢なんだから歴史の教科書に出てきたついでに漢字なんか覚えちゃえばいいと思うけど。
子供(小学校3年生)が漢字検定5級(小学校終了レベル)を2月3日に受けることになった。
10月時点で6級(5年生終了レベルを受験)に合格したのだが、さすがに5級は「手強い」。
5級の問題集をやらせてみても、なかなか合格レベル(70%)に達しない。
6級までの場合、「小学校3年でも聞いたことある言葉に関する漢字」の出題だから、
「小学3年だと、聞いたことない言葉に関する出題」だから、非常に難しい。
例えば、「皇」「后」「陛」などは、天皇制を学習しないと、その字を用いた2字熟語などを知らない。
「裁」なんて字もそうで、小学校5年だか6年だかの社会の授業で、「政治・裁判の仕組み」「歴史」を
3年生だと、これらの字を覚えるのに、ハンディがあるのは、まあ、仕方ない。
逆に言えば、ちゃんと「どの字を何年生で教えるべきか?」というのは、
他の教科(社会・理科)の進捗とリンクさせて考えているのだろう。
(理科もリンクしているようだ。「磁」とか「宙」とか、磁石や宇宙の仕組みを学習しないと
とっつきにくい字も6年生時点で学習する。)
ということで、大半の漢字については、
「これらの字を、6年生で習うのは、まあ当然だろう」という字が並んでいるのだが、
唯一「この字は小学生が習わなくてもいいのでは?」と疑問に思った字があった。
それが「蚕」という字。
「小学校レベルでも、蚕の字は、習わなくちゃならない」ということで、蚕の字を小学生の漢字に指定したのだろう。
当時としては、それはそれなりに合理性があったと思うのだが、それから60年以上経過して、
国内の養蚕産業は、殆どゼロ、伝統工芸・重要文化財レベルにまで落ちてしまった。
小学生にしても、養蚕はもはや「明治の日本は養蚕⇒生糸工業で工業化しました」という
「歴史教科書の中だけにしか存在しないシロモノ」になっていて、実際の蚕を見たことある小学生は、数%もいないだろう。
そういう状況下で、「惰性」で、蚕という字を小学生学習漢字に指定し続ける意味って、どれだけあるのか?
「養蚕業界、生糸業界が、蚕の字を小学生漢字に指定し続けるように、文部科学省に圧力を掛け続けている」という