はてなキーワード: 疎水とは
「地域による」が正確な答えだが、これではどういう事なのかわからない、となる人が多いと思うので、表で示してみる事とした。
薩長嫌い度 | 地域名 |
---|---|
大嫌い | 会津若松市 |
嫌い | 会津その他 |
やや嫌い | 二本松市、白河市 |
関係ない | 福島市、浜通り全域 |
好き | 郡山市 |
「戊辰戦争で被害が大きかったから」というのが薩長を嫌う理由で、それは間違いではないのだが単純にそれだけではない。
こちらはかなり後まで((2)はあえて言えば現在まで)続いており、「百五十年前の事をいつまで言ってるんだよ」という声には「そうではない」と言いたい。
会津藩の中心都市、戊辰戦争では被害甚大だったし、その後の不利益も長く続いた。
会津若松以外の地域は戊辰戦争で直接そこまでの被害を受けたわけではないが、長年の会津地方の冷遇の影響は強く受けてきたわけで……
会津若松に次いで戊辰戦争の被害が大きかった。ただし、中通り地方は鉄道や道路の整備が早く、そちらの被害はさほど続かなかった。純粋に戊辰戦争の恨みだけなら、まあこんなもんだろう。
福島県における都市の格を江戸時代基準に見れば会津若松の方が上だった、すなわち県庁所在地は会津若松になって然るべきだったのが、あちらが戊辰戦争でボロボロになったため漁夫の利的に福島市に県庁が置かれる事になった(養蚕が盛んだったため、当時から豊かな街ではあった) そういう意味では、新政府に感謝している……かも?
会津と浜通りはかなり遠く(奥羽山脈、阿武隈山地と2つも山を越さないと行けない)、戊辰戦争の話もまあ関係ないと感じる人が多い。
郡山市は江戸時代までは荒れ地ばかりの田舎だったのが、明治以降
という事で、現在は福島県でもっとも人口が多い都市である。安積疎水事業を進めたのは大久保利通を始めとする新政府なので、郡山市民としては新政府に感謝する方が自然である。市の南には大久保利通を祀る「大久保神社」があるほどだ。ただ、郡山市でなら誰でも薩長と仲良く……かというと、会津から郡山市に移ってきた人も少なからずいて、そういう人は「薩長のせいで故郷を離れる事を余儀なくされた」と思っている場合もあるので安心はできない。
戊辰戦争のほか、福島県には三島通庸(薩摩)vs自由民権運動、という話もある。これも込みで考えるとさらに複雑になるのでこちらは略。
ハイパーハードボイルドグルメリポートで触れられた、ゴミの処分地に住んでる14歳の子供を見て、俺はどんな気持ちで対峙すればいいのかわからなくなった。
資本主義にいくら中指を立てていても、こういう状況に対して自分ができることはゼロだ。募金なりなんなりあるだろうと思うかもしれないが、そんなことはまったく関係ないし、なんなら無駄だ。できることはゼロだ。そこに立たないとそもそもスタートすらできない。
俺はただの人間で生活者で自分の生活を成り立たせていくことで精一杯だ。世界にある矛盾をずっと甘んじて受けながらも自分の快楽を追い求めてる。たまに贖罪されたくって、赦してほしくってそれらしいことを話したりするけど、お前なあ、そんなことで何かが変わるだなんて一瞬でも思うなよ。ずっとずっと違和感だけが俺のありもしない尻尾を引っ張る。つれえなあ。
俺の生活は俺だけの責任で行きたいんだけど、まあ、みんなも知ってる通り「生きる」ってことに他者が関わらないことは一切ない。これはまじでそうだ。仕事をする、飯を食う、歩く、何かを見る、お店で話をする、風邪にかかる、なんでもいいんだけど、世捨て人はいないってことだけは言い切れる。他者ってのをあなたが人間に固定していない限りは。
俺は人が好きだ。人と関わることが大好きで、延々くだらない話をお酒飲みながら(最近はハイボール、前までは発泡酒)ずーっとどうでもいいこと話していたいし、仕事でも私事でも相手の好きなところをずっと話していたい。もちろん、一乗寺の疎水が実はサイホン式じゃなくなったのけっこう前なんすよとかそういうなんの役にも立たないことも。
役にたつって死ぬほどくだらねえなって思い始めたのはいつくらいからだったんだろう。そもそも役に立つってなんなんだろうか。我らは、どういう家庭状況かに関わらず、今、楽しいかそうでないかに関わらずおしなべてすべて、「生まれてきたくて生まれたんじゃねえ」ということはもちろんそうだと思っていて、ここに反論ある人はいないと思ってるんだけれど、それはあってるかな?生まれてきたくて生まれて来た人いるなら、連絡くれる?
前提だけが先行していて、その中でじゃあ、選べって言われて、そんなのまじで無理ゲーだと思ってるのが40年近く生きてきた俺の結論だ。
いや、不惑とかそういうことついつい自分も言いたくなるけど、その不惑は諦めって言葉と何が違うのかな。俺にはまったくわからんよ。書き出しから全然話が変わってしまっている。申し訳ない。何を言いたいのかは俺も全然わからない。これから生きていく意味なんてみんな持たなくていいと思う。でももっと考えたい。どうしたら自分が心地よくなるのかとかを。
で、その前提になってしまっている、なぜかこの土地に生まれてしまったことよる、いや、土地もそうだし、どういう家庭環境に生まれてしまったかによってそもそも多くのことが決まってしまうのに、それに対して俺らが生きてる社会はあまりにも無慈悲じゃないか?働かざるもの食うべからず以前の話をしないとどうにもできないじゃない。
俺らは搾取されている。それは、国家というものがあるからだ。でも、国家を完全に否定できないのは、それがあることで社会的弱者(弱者という言葉はひどい差別用語なのでなるべくなら使いたくない、が、意味合い的にもそうだし通りやすさもあるので今は使う)を救えている側面もある。でもそれができないならそもそも国家なんて必要なくないか。今、それができているか?不勉強ですまないが、西欧国家が作り出しただろう、民主主義、資本主義が世界に行きわたった結果どうなってる?それが今目の前に広がっている景色なんじゃないのか?
答えはない。ごめん。でも、一番最初に持ち出した少年の覇気のない目のことを私は忘れられない。し、私は彼のことを助けられないし、助ける気もない。私はわたしのことで精一杯だ。
なんだよこの世界とずっと思うけど、何もできない自分の状況に反吐をもらしながらでも忘れねえとしか言えない。大きいことは言えないし、何もできることはない。
でも。忘れることは一番の悪だ。それ以上に悪なのは、善意のふりをしてこの世界中のことをつなげてしまったインターネットだ。知っちゃったら、無関係でいられないじゃないか。
自分のも京都郊外育ちで、田辺朔郎と琵琶湖疎水のことは小学校の社会の時間に教わった。その時は「あとで第2疎水とか作らなアカンようになるなら最初からドカンとすごいものを作ればよかったんちゃう?」とかひねた感想をいだいていた。
それから数十年。蕎麦を食べに行った旅先で思わず田辺朔郎と再会することなった。北海道新得町。ここでも難工事の末に石狩川流域の滝川や旭川と十勝平野を結ぶ鉄道を作っていたのだ彼は(ボスの北方国道とのコンビ打ちだけど)。必須のインフラを無理して作ったはいいが、後々容量不足となり作り直しとなる経緯まで全く同じことを繰り返していた。
彼は確かに地域の恩人であり、偉大な技術者であったが、同時に神Excelマインドの持ち主であった。そんな知りたくなかったことを知った上で食べる蕎麦はほろ苦いような気がした。
中学校からやり直したほうが良いぞ。それっぽいこと言っておけば騙されてしまうというのは、エセ科学信奉者と変わらん。
いや、例の記事が他人を騙してやろうという信念の元に考えられたエセ科学だとは言わないし、パラパラ度合いは油の量にも依存するという結論も正しいと思うんだけど、細かい記述がデタラメばっかりで全然科学的じゃないから、これを科学的って言っちゃうやつは気をつけたほうが良いぞ。
http://d.hatena.ne.jp/lettuce_chan/20140608/1402221281
この記事には「トリアシルグリセロールはエマルションを形成することからもわかるように両親媒性だ」と書いてあるけど、そもそもトリアシルグリセロールは、水に対して熱力学的に安定なエマルションを形成しない。瓶に水と油を入れて全力で振れば一時的にエマルションになるけど、ご存知の通り、10分も放置しておけばすぐに分離してしまう。
そもそも両親媒性とは、ざっくり言えば油に対しても水に対しても溶解する物質のことだ。トリアシルグリセロールは油そのものなんだから、油には溶解するかもしれないけど水には溶解しない。だから両親媒性ではない。
仮に油が両親媒性だったとして、その後の「両親媒性なのでご飯の表面に馴染む」という記述もおかしい。両親媒性とは、先述した通り「水にも油にも馴染む物質」のことだ。ではご飯の表面は何で出来ているかというと、水でも油でもない。この人も書いている通り、グルコースの重合体であるデンプンだ。さらに言うとデンプンの結晶構造の隙間に水が入ったものだ。なので水を含んでいるといえば含んでいるが、その水は、でんぷんの結晶とコロイドを形成しているので、隙間に入った水はもはや水としての性質を持たない。そういうわけで、両親媒性であればご飯に馴染むというのも誤解だ。確かに我々がバター醤油ご飯を作るとき、ご飯と油は一見馴染んでいるように見えるかもしれない。だが、ご飯と油が馴染んでいるように見えるのは、両親媒性物質がご飯と馴染むからではなく、油が流体だから重力にしたがって米の空隙を埋めているからに他ならない。油を弾くテフロンコーティングのフライパンだって、少量なら油を弾くかもしれないが、たくさん油を入れれば油を弾かなくなったように見えるだろう。
仮に両親媒性物質でご飯を炒めたら、おそらくパラパラにはならないだろう。俺はやらないがジョイで期限切れの米でも炒めてみてほしい。おそらくベチャベチャになるだろう。油でご飯を炒めるとパラパラになるのは、炊いた米が親水性で、トリアシルグリセロールが疎水性だからだ。馴染むからではなく、弾くからこそパラパラになるのだ。
そういうわけで、「両親媒性」も「トリアシルグリセロール」も「でんぷん」も中学か高校で習う言葉だから、この記事を読んで科学的な説明だと感じてしまった人間は、それっぽい単語で効能を説明されれば、磁気で水道水を浄化する謎の機械をマンションに導入してしまう可能性があるということを自覚しておいたほうが他人に迷惑をかけないだろう。トリアシルグリセロールとか両親媒性とか、カタカナや漢字で解説されれば科学っぽいと思ってしまうのはわからないでもないが、油が両親媒性だなんていう意味不明な記述に、ブックマークが400件あって誰一人ツッコミを入れていないというのは驚きだ。
追記1
おそらく、でんぷん 疎水性 とかでググってその記事が出てきて、おっこの学者様は増田言ってること違うぞ、増田の首とったり、と嬉しくなって貼ってしまったんだと思うけど、120度で2時間乾燥処理された小麦デンプン粒とフライパンで炒めた米の間にはなんの関係もないよ?チャーハンで炒めてる時間なんてせいぜい5分くらいだし、フライパンに接してないバルクの部分はおそらく100度にも達していない。粒子径だって絶対違うだろうし。そもそも親水、疎水っていうのが連続的な概念だから、どっかにデンプンは疎水性って書いてあったからデンプンは疎水性だ、って思うのはやめような。あとこれは俺の書き方が悪いんだけど、後半で議論しているのは界面が微視的にどうなってるかじゃなくて、炊いた米が溶媒とゲルを形成するかどうかなんだわ。これに関しては俺がテフロンの話とかしたのが悪いわけだから気にしなくていいよ。
追記2
こんだけレベル下げて説明してもよくわからんとかついていけないって言ってる奴多いし、なんとこのエントリをきっかけに安倍政権の話を始めるやつすらいるようだけど、そんなに難しいこと言ってないぞ
②両親媒性物質とは洗剤のこと
これだけ噛み砕けばわかってくれるか?
僕は接客業(飲食ではない)をしている。働いている店は、なかなか格調高い雰囲気の店だ。
少なくとも、気軽にスウェットとサンダルで来ることができない店だ。客の身なりもそれなりに良い。
それは、今も、僕が働き始めた頃も同じだ。
何も、僕は女の頭を引っつかんで頭頂部に鼻をつけて臭いを嗅いだり、
おもむろに女の片腕を掴んでバッと手を挙げさせて、脇のくぼみに鼻をつけて臭いを嗅いだりしているわけではない。
対人距離の定義で表すならば、遠目の“個人的距離”~“社会的距離”をあけて客に接している。
どんな臭いなのか。
所謂わきがの臭いではない。そういう人は今も昔も臭いは変わらない。これは遺伝なのだから仕方のないことだ。
そうではなくて、恐らく誰でも嗅いだことがあるであろう「しばらく風呂に入ってない臭い」だ。
酸化した皮脂の臭い。恐らく大部分は頭部から発せられていると考えられる。
僕は、この臭いが大嫌いだ。
でも、綺麗な装いをしているのに何故臭いのか。許せなかった。
そんな風に鬱屈した日々を送っていたら、あるときネットの広大な海でたゆたっている最中に「湯シャン」なるワードを拾った。
湯シャンとは何か。
色々なやり方(酢やクエン酸を使うとか)があるようだが、究極的にはお湯のみで洗髪するということを指しているようだ。
シャンプーには色々な化学物質が含まれていて髪や頭皮を痛める。ハゲる。
五木寛之(頭を年1回くらいしか洗わないことで有名らしい)やホームレスがドフサなのは、頭を洗わないせいとのこと。
ここ数年、若い女性も湯シャンを実践している人が結構いるらしい。
僕は激怒した。
ふざけるな。
お湯だけで頭皮の脂がとれるはずがない。
シャンプーや石鹸には界面活性剤が含まれており、これは分子が疎水基と親水基の2つを持っているために脂汚れを落とすことを可能としている。
水だけでどうやって落とすんだよ。
しかも、顔と違って頭には髪が生えていて、頭皮の脂が髪の根元にこびりついている。いくら水流を強くしたところで簡単には落ちないんだよ。
そんな風に、五木寛之への憎悪を深める日々を送っていたら、休日に買い物帰りの妹にばったり遭遇してしまい飯をおごらされる羽目になった。
彼女は就活を放棄し、大学を出てからすぐに、僕達の幼馴染であるKと結婚を決めた舐めくさった女だ。
妹は若く、身内の手前味噌かもしれないがなかなか悪くない容貌をしている。
Kは僕達より一回り年上の高給取りで、妹には潤沢なおこづかいが与えられているらしくいつも隙のない服装をしている。
しかしその日は少し様子が異なっていた。
一通り食事を終え、食後のコーヒーを飲んでいるときに、我慢できずに妹に切り出した。
「気のせいかもしれないけれど、どうやら君から洗ってない犬みたいな臭いが発せられているように思える」
ちなみにその時は、へんな時間にレストランに入ったせいで、僕らの周りのテーブルに人はいなかった。
「そんなはずないわ」彼女は言った。
「こういうことを女性に言うのは気が引けるのだが、ちゃんとシャンプーで頭洗ってるの?まさかお湯だけ、とか言わないよな?」
僕が問い詰めると、妹は少したじろぎ、しかし次の瞬間胸を張って言った。
「シャンプーは髪に良くないの。環境にも害があるし。お湯だけで洗ってるわ。でも臭くないもの」
「私だけがそう思っているんじゃないの。毎日、Kさんにチェックしてもらっているもの」
僕は“密接距離”まで彼女に近づき、恐る恐る鼻をひくつかせた。あの何とも形容しがたい香ばしい臭いがして、Kに同情した。
「君ね、溺愛している奥さんに『臭いよ』って言える男なんてそうそう居ないよ」
彼女は高校生の頃、毎朝わざわざシャンプーして、遅刻しそうになりながら登校していたのだ。ずいぶん変わってしまったものだ。
ため息をついてテーブルに目を落とすと、妹が食べていたデザートの皿は空になっていた。
抜かりない女だ。
妹がまたシャンプーするようになったと喜んでいた。やっぱり臭かったけれど言えなかったらしい。
家族に嗅いでもらって点検している人もいるようだが、「臭いよ」とは言いづらいものだ。
だいたいお湯で洗っただけの頭皮を嗅がせるなんて罰ゲーム以外の何者でもない。親しき仲にも礼儀あり、だ。
長々と書いてきたが、結局何が言いたいのかというと
ずいぶん前から「森見登美彦原作の『夜は短し歩けよ乙女』がアニメ『四畳半神話大系』と同じスタッフでアニメ化される」という妄想をしてきたのだが、期待しすぎてなんでもこじつけるようになってしまったのか、今年に入ってから「これはフラグじゃないか」と思うようなことがたくさん起きている。
そして、つい最近になって、これはもう決まりでしょ、と勝手に確信を持った出来事があった。
まず1について。
湯浅政明監督が劇場アニメを制作するというのは2015年3月に開催された東京アニメアワードフェスティバル2015授賞式で発表されていたが、この時はフジテレビと共同で、伊東伸高氏と組んでオリジナル劇場アニメーションを作るという発表のみであった。
おそらくノイタミナプロジェクトのひとつであるので、虐殺器官などのあれこれで発表が遅れているのかもしれない。
湯浅政明×フジテレビ 劇場アニメ製作! ピンポンがアニメオブザイヤー受賞 - KAI-YOU.net
そして、今年、湯浅監督が海外のファンからのインタビューに対して非公式に答えたものの中に新作についての言及がある。
亜細亜堂さんやシンエイ動画さんで働いていた頃の事にコツコツ答えてみました。
どう訳されているか、確認できていないのですが、興味あれば https://t.co/YgHUJXM5mN
日本語で答えましたhttps://t.co/jiAeY7czfM湯浅政明 (@masaakiyuasa)
ここで初めて、彼が小説を原作とした劇場作品を制作中であることが明らかとなった。
次に2について。
これについては一連の中村佑介氏のツイートを引用する。(書き込み制限に引っかかるみたいなのでURLはh抜きで貼る)
今日も、とあるアニメ制作のためにキャラデザ。文章(台詞や行動)という骨格から、人間の姿を想像し、形作っていく逆算は、たぶん身元不明白骨から粘土などで肉付けする警察の復顔法にかなり似てるんだと思う。ひたすら答えを探す。
さて、引き続きアニメのキャラクターデザイン。映画監督に役に合いそうな色々なバリエーションの俳優をお見せする芸能事務所マネージャーの気分でGO。
引き続きアニメのキャラクターデザイン。これまでで最多の合計18キャラクター。サイン会でたくさんの人に会えたので、それを活かし、あの頃より、幅広く、楽しい感じに仕上がってきてるのを実感する。詳細はたぶん春~夏頃には発表できそうです。
ttps://twitter.com/kazekissa/status/693597211490283521
アニメ用キャラクターデザイン、総勢20名、ようやく全部決まった。もう人間と向き合いたくない程、活き活きとしたバラエティ豊かな生命が刻めたと思います。発表されるのを楽しみに、あとはアニメスタッフの方達にバトンタッチ。
アニメに関しては、僕の口からはまだ何も言えないんだけど、皆が皆、納得するような人選とプロジェクトです。たぶん春~初夏くらいには発表されると思います。期待して待っていて下さい。
アニメの進行は作品や規模、スタジオによってそれぞれなので、外部スタッフとしては何とも言えない部分も大きいのですが、たぶん夏か秋くらいには告知は発表されると思われます。楽しみにしていてください。
ttps://twitter.com/kazekissa/status/745110805151047681
そして僕は、こちらも皆様が待望であろう、更なるリメイクへ。年末に情報公開予定の劇場用アニメーション作品です。マスターピース、はじまってるで!!
このツイートだが、これは今年アジカンがアルバム『ソルファ』を再録して発売し中村氏もジャケットをセルフリメイクしたという流れを受けてのツイートである。
つまり文脈に沿って考えると、以前彼が手掛けた作品を新たに描き直すのだろうととるのが自然だ。
既にキャラクターデザインは決まっているので、考えられるのはキービジュアルの制作。つまり以前手掛けた小説の表紙を新たに描き直しているのではないか、と想像することができる。
来週くらいに、大きな大きな、発表があります。
こちらも発表が遅れているようである。
さて、ここで本題に入るが、私が『夜は短し~』のアニメ化の確信を(勝手に)持ったのは上記の中村佑介氏の「来週に大きな発表がある」というツイートを見たのがきっかけである。
実は、来週の12月15日(木)にはノイタミナプロジェクト発表会2017が開催されるのである。
湯浅監督が制作中の劇場アニメはおそらくここで発表されるだろうし、中村佑介氏の関わる劇場アニメについての情報もおそらくここで発表されるのではないか。
実はこのほかにも思わせぶりなことが多くあるので、引用する。
今年の夏、湯浅監督はどうやら京都に滞在していたらしく、『夜は短し~』の舞台となっている場所にも訪れている。
スタバに 来た
湯浅政明 (@masaakiyuasa)
既に帰京
コレブロンズかと思ってたら木製だった。あるときとない時あると思ったら、閉店の時外して取り込まれてるみたいで
隣のパン屋さん 初めてちゃんと見た湯浅政明 (@masaakiyuasa)
インクライン。琵琶湖からやってきた船を貨車に乗せて下の流れに運だり、運び上げたり。動力源はそこの発電所で賄い、疎水は水路閣通って京都の町を流れてる。この時は工事中だったけど、本当だったら貨車の先の橋の下に水がたっぷり流れ込んでる
湯浅政明 (@masaakiyuasa)
ttps://twitter.com/masaakiyuasa/status/765044550196879360
再読
森見さんの作品は文章の面白さでサクサク読んじゃうんだけど、他の人から言われてテーマに気づく事多い。とても共感します湯浅政明 (@masaakiyuasa)
明石さんの後ろ頭のところに中村さんの遊びがあって、、いいでしょ
湯浅政明 (@masaakiyuasa)
ttps://twitter.com/masaakiyuasa/status/767005832365998080
湯浅監督の劇場作品、今日は3人の方と背景打ちをしました。1人は初対面の方だったのですが「四畳半神話大系」の大ファンで、DMでお手伝いをお願いしたら喜んで打ち合わせに来てくださいました(*^^*)Sさん、どうか宜しくお願い致します
以前、弊社で求人募集をしていない時期に応募してきた子がいました。応募理由の一つに「四畳半神話大系が大好きだったから」でした(^^)この作品、いろんな縁を取り持ってくれています。今、その子は湯浅さんの作品をバリバリ描いてくれています!
というわけで、以上、妄想書き流し終わり。