「放任主義」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 放任主義とは

2017-09-28

めんどくさい先輩

先輩ができた。

以下イライラさせられる点

マウンティングが激しい

マウンティングのつもりなのか、いつもからかってくる。こちらが拒否しても、やめてくれない。

放任主義

こちらが確認しに行っても、全く対応する気がない。質問の仕方を変えて、まずは自分で考えたことを言ってみても、無視

•鈍感な性格

⇒いじられたことや対応に関して、それとなくやめて欲しいと伝えているのに、分かってくれない。それともやめるつもりがないのか。

•つまらない

⇒人をいじって笑いを取ろうとする奴は大抵自分面白いと思い込んでるつまらない奴。周囲は苦笑い

以上の点が挙げられたが、もう自分にとってめんどくさい相手だと認識してしまってるため、彼奴の言動が全てめんどくさい。

こうやって人間関係理由で辞めていく人がいるんだなあと思いました。

anond:20170927202142

anond:20170924221110

ADHDである俺のケースを言うと、

おそらく親が放任主義+俺が初孫長男だったためにちやほやされて自己肯定感が損なわれなかったおかげだろうが、

俺は自分ADHDであることに微塵も引け目や自己否定感は感じない。お前は発達障害者だなとか言われても、うんそうだよとさえ言える。

アホみたいに散らかった人生を送っているし、現時点でたいした収入もないし、まあいろいろあったんだが、いまのところ概ね幸せと感じている。

もちろん症状の多寡で差はあろうが。

それより、こんなんで親から生きてるだけで病気障害だかわいそうとかなんとか思われる子供が不幸としか思えん。

2017-09-06

放任主義

厳格な家庭に育ったのかなんなのか知らないが、学校職場理由なく休むなんてことは許されなかった。

モチベーションの低迷だの体調不良だの自分の中では行きたくない訳なんて様々あったが

その理由を問いただす事も無く尻を叩かれて出社させられていたのって今思えば酷い事だなあと思う

無理矢理行かされて、自分人生は親の手の内にあるような感覚だったし、誰にも苦痛理解してもらえないような気持だった

会話して欲しいと思っていた訳じゃない。根本的な原因は自分にあるのだし、甘やかして欲しい訳でもなく親の気持ちもわかるが

どうして自分の心を優先してくれなかったのだろう。

から最終的に私は家庭を飛び出してしまったのだけど、そういうすれ違いが全ての元凶だったのかも知れないな。

2017-08-30

親が帰ってきた

わけあって夏休みの2ヶ月間、母親と顔を合わせずに過ごした。夏休み前半はとある寮でたくさんの学生と一緒に、後半は家で、日中仕事でいない放任主義の父と、わたしのことを特に気に留めない弟と一緒に。自分の世話を自分でするのは思っていたより大変だったけど、非常に良い体験だった。

さっき、母が帰ってきた。自分の生まれ育った国で、実家家族と一緒によっぽど楽しい時間を過ごしてきたらしい。わたしは作り笑顔と無理やり出した明るい声で「おかえり!」と言い、何か手伝えることは無いかと申し入れた。母は大丈夫だと言ってわたしの新しい髪型を褒めた。少し拍子抜けした。「なんだ、しばらく見ない間にもしかして少し丸くなったのか?」なんて思ったりもした。

くそんなことはなかった。

しばらくしてから彼女は家の状態について文句を言い出した。床がほこりっぽい。新しく買ったクッションのセンスが悪い。自分タオルが出ていない。美味しい食べ物が用意されてない。「なんでわたしを迎え入れる準備が完璧にされてないの?(要約)」この時点でなぜか家に帰りたくなった。自分の家なのに。

少し気分が悪くなって自分の部屋で休んでいたら、急に呼び出された。母は何故か昼食を作っており、「何故旅疲れをしているわたしに昼食を作らせたんだ」とキレてきた。そしておまけに、今朝弟が朝食を食べなかったこともわたしのせいにして叱ってきた。

「なんて母親にディペンデントなんだ」と。(*頼りきっている、と言いたかったと思われる)

少し遅めの昼食を食べようと思っていたこと、昼食は母が自分勝手に作ったこと、ここが高級ホテルじゃないこと、わたしホテルマンではないこと、母がよく「長旅の後は食欲がわかない」と言っていたことや弟が自分の朝食を自分で用意できる自立した人間であることを一生懸命説明しようとしたが、全く聞き入れてくれずに盛大にキレ出した。

母によれば、家族とはお互いのために尽くすのが当たり前らしい。だからわたしが弟のために朝食をを作ってあげたり、母が帰ってくるなりスムーズ荷物を運び、肩を揉み、茶を淹れ、昼食を作るのは当たり前のことらしい。(ここまで来ると綺麗事コーティング無しに素直に奴隷みたいに働けと言われた方がマシである。)

わたしのことは全然助けてくれないのにね

2017-08-28

母親を哀れに思う

 小さい頃からよく母親に叱られた。本当に小さなことも多かったし、八つ当たりも多かった。

「だから怒られたのか!」と思えることが少なかった。大抵は「なんで怒られたんだろう」と思うばかりで、今後の参考にできなかった。

例えばスーパーで精算後の商品を袋詰するとき彼女が既に何らかの理由イライラしていると、もたつく私がトリガーとなって彼女を怒らせる。

はいえ人様の前では怒らない。車に戻って、乱暴にドアを閉めてから怒る。機嫌が良ければ怒られないですむ。

 徐々に「怒られないこと」が行動の基準になっていた。機嫌を損ねないように、他の誰かにも八つ当たりをしないように、あわよくば褒めてもらえるように。

自分の欲しいものと違ったものがきても、「こういうのが欲しかったんだよ~さすが母さん!」と言ってみたりもした。そういう時、彼女は本当に嬉しそうな顔をする。

心苦しかった。それでも自分の好みや、大事もの否定されたくなかった。「そんなもの好きなの?」と馬鹿にされたことが少なからず有ったから、それをできるだけ言われたくなかった。

 父親子育てほとんど関わっていなかったが、「不当に怒らない」というこの一点だけで私はずっと信頼していた。父親が怒るのは身の危険が及んだ時ぐらいで、基本的には諭す人だった。

から母親父親愚痴を私に零していても、何とも思わなかったし、時には父親擁護した。

 ただし父親は「父親」としての役割において金銭的援助と娯楽提供のみに留まり、それ以外をすべて彼女が担っていたとも言える。

叱ることや批判や、そういった部分も一人で行わなくてはならなかった。しかし一人の人間から複数役割発言を聞くのはあの頃の私には混乱の原因でしかなかった。

構い倒す母親放任主義父親バランスが良いように見えて、歪だった。そして私は安易に「怒らない」父親を気に入っているし、昔の思い出から母親を苦手としている。

 私と彼女はとにかく価値観が違うのだ。彼女にとって放置は愛ではない。だから放っておくことが出来ない。「過干渉だよね」と零しつつ結局私の生活人生に座り込む。

彼女がまるでドラマのような母娘関係を夢見ているのが解る。それはおそらく両者の価値観が合っていたり、役割分担が出来ていたり、そういう色々なことの蓄積であって、外面だけを真似ても為し得ない。

そういうときに、彼女を哀れに思う。この人の思う「愛情」は私にとっては「押し売り」で、私はそれを「パフォーマンスのようだ」と思っている。

きっと自分がされたら嬉しいことをやっているのだろう。だが、申し訳ないことに私は彼女とは違う人間で、近いところに価値観がない。

それでも幸せに死んで欲しいと思っている。こんな私を「母親である」というだけでずっと養育してくれた恩は返すべきだと思う。

こんな娘で本当に申し訳ない。あなたを立派な良い母親にしてあげられなくてごめんなさい。

今度帰った時にはかねてよりあなたが口にしていたように、一緒に料理でも作りましょうね。

2017-07-28

https://anond.hatelabo.jp/20170728133541

コロコロ最強ジャンプと同じく2~4年くらいがメインだろうが、

それくらいの年の子に小遣い与えて勝手漫画雑誌買わせてる親は放置親扱いだよ

妄想結構です。つか雑誌カードゲームを小遣いで買わせなくて小遣いで何買わせるのよ。

食べ物栄養バランスカロリーの取りすぎとかあるから親が管理することもあるだろうが

子供向けのおもちゃ子供向けの漫画は小遣いの範囲で好きなもの買いなさいが普通でしょ

 

つかコロコロのメインターゲットは4~6年生らしいですよ

http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1706/28/news010.html

記者は某月15日、某書店を偵察した。目的は、子どもたちが『コロコロ』を手にするかどうかである。店内をふらふら歩いていると、男の子が最新号を大事そうに抱えて、レジに向かった。しかも、1人や2人ではない。次々に、分厚い雑誌を手に取っていたのだ。

これは書店一般的風景を書いたものではなくて、放任主義毒親を持ってしまたかわいそうな子供たちに関する問題提起だったのかー(棒読み)

2017-07-21

https://anond.hatelabo.jp/20170721165020

 放任も時と場合による。

 知人はその放任主義金銭感覚が少しおかしいし、友達も居ないし計画性もない。

嫌な事があったらすぐに「辞める」とか言い出す。

まともな親が居ればそういう常識というかバランス感覚が身につくと思うし、結構大事な事だと思う。 

 とくに何時でも相談出来る相手としての親の存在必要

最強の教育方針は「放任主義」だと思う

まあネグレクト放任主義の線引きは難しいとこだけど、衣食住と教育環境の整備といった最低限の身の回りの世話だけやって、基本放置するのがいいと思う

お前どう?

2017-06-30

リベラル」という言葉について

フリードマンの著書を読んでたら、「『リベラル』って言葉を、社会保障の充実や政府市場介入を求める奴らを指す言葉として使うな」みたいなことを言ってて笑った。

政府国民生活に徹底的に介入しない市場放任主義を求める奴らこそ「リベラル」と呼ぶにふさわしいということらしい。

はてなーとそんな変わらんな。

2017-05-17

機能不全家族思春期海外渡航したら鬱になって人と会話が出来ない

私は思春期の数年を海外で過ごし、大学入学とともに帰国した、いわゆる帰国子女だ。

そしてたぶん、機能不全家族育ちだ。

色々あって、自分がわからなくなって、人と会話が難しくなった。

世の中の帰国子女といえば自信に溢れてきらきら活躍している人が多くて、自分との格差にどんどん自信を失っていく。

相談しようにも、相談できる人も、同じような境遇の人も、そういったことを専門にされている方とかも見つからなくて、誰かいないのかなと思ってすこし書いてみることにした。

.

インターネット上で、機能不全家族とか毒親というワードをよく目にするようになった。専門家の方が書いた本を読んだりネット当事者の話を見ている中で、自分の生きづらさの正体が分かってきた。

機能不全家族×思春期海外生活」のコンボだ。

海外赴任などで家族移住する場合、子にとって家族関係が良好であることはすごく重要だ。学校生活が完全にアウェイ状態から始まるのだから、心の退避所たる家庭が安定していることに越したことはない。

私の家庭はたぶん機能不全家族で、家の中での母国語コミュニケーションもままならないのに、海外に行った上に現地の学校入学してしまったものから、家の外でも言語的に孤立してしまっていた。

家では母国語OKだが健全コミュニケーションが少なく、外では言語不自由コミュニケーションに苦労した。

苦労して、挫折したのだけれど、親は放任主義であまり助けてはくれない。というかそもそも私の家族には会話が少なく、「相談する」という文化もなかった。日本にいた時から学校での出来事を聞かれることもなかったし、話そうと思うことも少なかった。「授業はわかる?」とか、「先生はどう?」とか、親の側から声をかけてもらうことがなくて、それが当たり前だと思っていた。

最悪なのは車社会学校も遊びも親による送迎で行動しなくてはならなかったこと、ビザ関係アルバイトも出来なかったこと。金銭的にも自由がなくて、意識を外に向けることが出来なかった。ひたすら学生として最低限の通学と勉強だけをして、帰国を夢見ていた。帰国さえすれば、昔の友達に会って、働くことも出来て、言葉心配もいらなくて、、

外国でひとりで外を出歩くのは危ないと思い込んでいたし、学校⇔家のガチガチに固まったループから抜け出したいという思いをもつことも悪いことのように思えていた。

今あの時の自分と話せたら、「外はそれほど怖いところじゃないし、ネットで調べてどこにでも行きな!やりたいことやっていいよ!」とか言ってやりたい。

滞在中は「このつらい滞在を耐えて日本に帰りさえすれば楽しい日々が戻る」とひたすら思っていたのだけど、いざ日本に戻ってきたらコミュニケーション経験が乏しすぎて浮いてしまい、それを気にして自意識過剰になり、鬱になり、家族関係悪化し、なんとか取り戻そうと情報を集めたり考えたことをノートに書き留めたり新しい場所に飛び込んで沢山人と会ったり通院したりカウンセリングを受けたりしてみたが、どんどん悪くなるばかりで帰国10年近く経った今 ほんとうに人と会話ができなくなってきてしまった。マズイ。

なんだかもうよく分からないのだけど、本当にコミュニケーションが上手くいかない。

返答が思いつかないし、思いついてもしっくりこないのだ。

人との会話で、些細な雑談でも一言ひとことの返しに「適切さ」を求めて、すごく考えてしまう。

海外生活の中で外国語発言をする時「どういう表現をしたらいいんだろう?」とか、いちいち考えながら喋らなくてはいけなかったのも一因かも。

「こう言われたらこう考えてこう返すべき、というパターンがある筈なのでそれを探して返さなくては」、っていう思考に取り憑かれてしまった。

正解のパターン候補として幾つかの振る舞いのパターンが脳裏に浮かんで、その是非を検討する。

教科書通りのような会話ならこうかな?(自信はない)」「憧れのAさんだったらこうするだろうけど私がそうしたらこの人はびっくりしてしまうな」「この間同じような場面でBさんはこうしていた」……

自分に素直になりたい!とは思うんだけど、自然に浮かぶはずの「自分きもち」がなかなか出てこない。

ありがとう」「ごめんなさい」「恥ずかしい」くらいは出てくるんだけど、どうしても咄嗟無難な答えを作ってしまう。

加えて帰国後は、帰国子女いじりを気にしすぎたせいで、「普通ならどうするか」、「相手がどんなことを期待して接してきているのか」を考えるようになっていった。また、母国語で考えている時と第二言語で考えている時で性格がすこし変わってしまうことに気づいてから日本語でも外国語でも口にすること全てが自分本心ではない気がしてきて、ますます自分がどういう人間なのか分からなくなってしまった。

この表現力の問題は鬱になってからさら悪化した。頭が回らなくなって、少ないながらも以前は使えていた語彙さえも出なくなったし、とっさの逃げ道の冗談なども思いつかなくなった。

いまでは相槌を打つのが精いっぱい。

人と話す時、フルオートでにこにこしてしまうし挨拶くらいは出来るので第一印象は良いらしいけど、味気のない相槌しか打てないし話題も振れない。たまに話せても的はずれなことを言っていたり、浮いたことを言っていたり、無理してる感じがしてたり、そんなつもりは無いのに帰国子女感のあるドヤ顔発言みたいになっているみたいで脳内反省会が白熱してしょうがない。

そしてそれが嫌で会話の場から逃げたくてしょうがない。

だれとも一線を引いた付き合いになってしまって、どんどん孤独になっていっている。

この文章もかなり絞り出して、可能な限り本心に近づけて書いた。自然に出てきたものではない。

こういう人いない?いないの?

こういうのってどうやって解決していったらいいんだろう?

ネットにいる機能不全家族とか毒親持ちの方は何だかんだで結婚されていたりして、自分の居場所ができていて羨ましい。

私もなんとか実家は出て経済的にも独立したけど、家族距離を置く中でいよいよ社会から孤立してしまった感じもする。

私はこれからどうやって人間関係を作っていけばいいんだろう。

しかし、これを書いていて改めて思ったけど、自信のなさとか心の弱さは生まれつきな気がする。

海外生活なんて貴重な経験させてもらったのにな。なぜ活かせなかったのか。

強くなりたい。誰かと自分言葉で話してみたい。

早く安心したい。

.

場所お借りしました。長い文章すみませんありがとう

2017-05-09

整形って何が悪い

から太る体質って損すぎないだろうか。

少しでも太ると顔がぼてっとして、鏡を見るたび「肥えたよ」と伝えてくれる。

顔は着痩せもできない(化粧で小顔になれるというのは真っ赤な嘘である

さらに、痩せるのは顔がいちばん最後なのだ。これ、なんの呪いなんだろう。



さて、そんな顔デブ救世主として、昨今は小顔注射というものがある。

その名のとおり、脂肪を消す作用がある薬を顔に注射する顔痩せ法で、多くは美容外科で行われる。

脂肪吸引ほど劇的な効果は望めないものの、リバウンドもなく、

数分程度で終わり、料金も安く、ダウンタイム(患部が腫れる等)もない。らしい。


この注射存在を知ってからというもの

私は1日のほとんどの時間小顔注射について考えるようになった。

打ちたい。

美容外科が謳うような効果は出ないのは百も承知

それでも可能性がある限り手を伸ばしたいではないか


しかである

「私は小顔注射を打つ」と夫に宣言したところ、夫は引くほどの猛反対。

夫はふだん放任主義というか、こだわりを見せないタイプ

私がやることに強く反対することはなかったので、たいへん驚いた。


訳を聞くと「顔に針を刺してどうにかするのは、倫理的に許せない」とのこと。

痩せる薬を飲むのはべつにいい。なんかのクリームを塗るのもいい。

化粧を濃くしてもかまわない。しかし針を刺すのは許せないと。


私は何がどうして「倫理的にアウト」なのかさっぱりわからない。

美容外科というコンプレックス商売大金を支払うのはどうなのかという理由ならわかる。

危険かもしれないからというのもわかる。

でも「倫理的に」はさっぱりわけがからない。


顔のコンプレックスに対し、なんらかアプローチして改善をめざす

という構造は化粧とまったく同じ。

チートはいけないというなら、マスカラファンデも辞めろという話である


化粧品だって大金をつぎ込むし、体に害がないとは言えない。

整形とそれらの、何が違うんだろうか。

2017-04-26

ニートの育て方

我が家の兄妹は自分も含めて全員ニートになったことがあるので

そんな私たちを育てた親がどういう親なのか書いていこうと思う。

別に自分の親を否定したいわけじゃないし感謝も凄くしている。

ただ正直子育てが上手ではないと思うし参考にすべきではない人たちだと思う。

あとニートになったのはお前たちに問題があるだろといわれたら返す言葉がない。

だが兄妹全員がニートになったことがあるってのはちょっとしたもんだろ?

まず大雑把に両親は

無関心かつ放任主義の父

心配性かつ過干渉専業主婦の母

という感じでいかにもな中流家庭といった感じ。

教育方針?としては中高一貫して大学にだけは

行ってほしいということだけ。

まず父についてだが父に対して特に言うことはない。

単身赴任が多く教育などについて関心もなかったようで特に何かを

言われた覚えもないというだけ。

たまの休みレジャーに連れて行ってもらったことが子供時代

父との思い出としてあるくらいだ。

あえて言うなら出来もしない計画を言うことが好きな人で小さいころは

それを真に受けてがっかりしたことが多かった。

そしてTVか何かにすぐ影響を受けてお前もあんなふうになれよと

その時々に無責任なことを適当に言ってきて思春期うんざりした覚えがある。

ちなみにニート時代にも特に何かを言われた覚えはない。

そして肝心の母だが端的に言って世話好きの子離れが出来ない母親だった。

子どものことに関して先回りが好きでイベント事などでは自分達より

浮き足立って頼んでもいない物を買ってきてああでもないこうでもないと

こちらのバッグをひったくって詰め込んできていた。

それ以外のことでも過剰に世話を焼きたがり一人暮らしをするまで何かの準備で

自分だけで何かを準備するということをしたことがなかった。

また少しでも自分価値観に合わないことをやろうとするとすぐにしつこく否定

やめさせようとし、勉強などをしていても内容より字が汚い、まとめ方が悪いなど

クレームばかりつけてきたので母親の前では勉強をしなくなったりした。

ニート時代には特に何も言わず食事を用意していた。たまにメモがあったが

その内容を実際に言われたり、話しあいをしようと持ちかけてきたことはなかった。

ここまで長く書いてきたが自分の子供をニートにしたかったら

目標などを何も設定せずに基本的には放任主義で育て、自主性を育てないために

自分で何かをするという経験を積ませず、その上で甘やかすのがベストだと思う。

自分の子供をニートにしたくなかったら逆をやってほしい。

後は教育方針を何かに影響されてころころ変えるのは最悪なので何かを参考にするのはいいが

自分で噛み砕いて一貫した方針を維持したほうがよいと思う。

最後

ここまで書いておいてなんだが最初に書いたとおり自分の親を否定するつもりはない。

私の両親にはここには書いていない良い所もあるし撤頭徹尾間違った教育をするなどの

一般的毒親と呼ばれるような人たちではない。

でも彼らは自分の子供すべてを一時的にとはいニートにした実績の持ち主で

そういった教育を受けたところに何も思うところがないというわけではないので

自分の中での整理とだれかの参考にでもなればとこれを書かせてもらった。

ちなみにどうやってそれぞれがニートから復帰したかはここでは関係ないので省略した。

以上

オタク表現規制

 オタク自由放任主義右翼親和性が高く、いろいろと口うるさい左翼とは親和性が悪い。

 左翼は、その攻撃性でオタクを敵に回した自らの愚かさを悔いるべきと言う言説を最近良く見かける。

 その言説について思うところを描いていく。

 左翼による攻撃があった事は事実である

 ヘイトスピーチ所謂言葉狩り」については、間違いなく左翼と呼ばれる人たちが中心になっている。これらについては、人権の基本である他人人権侵害しない」という原則問題でもあるが、チャタレイ裁判に関する憲法学界隈から反論(1)や、大日本帝国時代児童文学新聞規制言論統制のものに変化していった前例が示すように、原則否定するべき物ではない。

 また、宇宙の戦士に対して、ファシズム的と言う評価(2)や、さらば宇宙戦艦ヤマトラストシーンに対しては、それぞれ「軍国主義的」について言及があったことは確からしい(3)。

 漫画関係表現規制で真っ先にやり玉に挙げられる「悪書追放運動」では「軍国主義への回帰」と言う表現が使われてきた(4)。

 これらの理由からオタク左翼的言説を嫌うことには一定理由があることがわかる。

 その上で、右翼放任主義という主張は疑わしい。

 チャタレイ婦人事件からずっと、右翼はむしろ表現規制側に回っていた。猥褻物公序良俗使用した最高裁判決に対しては、保守派批判する側の法律学者の方からこそ強力な批判が行われていたことを思えば、左翼表現の自由不寛容と言うのは、この手の表現の自由に関連する議論の実状からかけ離れているように思える。

 悪書追放運動以来漫画規制では政府与党応援してきた。悪書追放運動主体の一つである主婦層の応援をしていたのは、逆コースまっさかりだった当時の政権与党である

 所謂「左」が表に出ていたのは事実だが、思いっきり「右」がそれに乗っかっていることもまた事実なのだ

 84年の衆議院予算委員会で、マンガ規制するための法律の導入を求めたのは自民党の政調副会長だった三塚博氏だし、中曽根総理もそれに大いに賛同していた。

 漫画関係でも、保守派麻生議員とかは、漫画規制積極的な人だし、東京都でのマンガ規制が著しく深刻化したのは石原慎太郎都知事だった期間だ(5)。

 漫画に対して公序良俗に関するとして出版禁止のための法整備を実際に行ったのは自民党だ(6)。

 つーか、なぜかよく言われる「左翼の側が、オタク趣味ポルノ呼ばわりして規制している」と言う言説とは裏腹に、実際にオタク趣味ポルノ扱いして規制しようとしているのは保守政権側のほうが明らかに多い。ってか、実際何度か規制に踏み切っている。

 ついでに、戦前でも児童文学表現に著しい規制が付けられていた。

 表現規制問題を見ていると右も左もオタクとは親和性が悪そう。

 それどころか、この10年の間は、マンガ表現規制保守の側から行われている。

 だと言うのに、どう言うわけか保守層放任主義と誤解している意見が不自然なほど目立つ。

 幾度か、マンガ規制法制化がされるときに反対に回ってきた共産党立場がない。いや、共産党もちょくちょくマンガ規制するよう求めてはいたか濡れ衣ではないのだが(7)、法制化を阻止するために動いた(8)という一点においては、力が及んでいたかはさておき、むしろ表現の自由については無理解というわけではない。

 にもかかわらず、左翼教条的で何でも規制する頭の固い連中で、保守派は様々な価値観を認めてくれる懐の深い存在という、表現規制法制化の歴史を紐解くと真逆しか思えない、訳の分からない言説が結構広まっている。

 ……本当に、どう言うことなの?

 理由を考えてみると、実際の活動兎に角左翼系の攻撃の方がオタクの方に印象に残りやすかったのが問題なのではないだろうか。悪書追放運動発言や、ウルトラセブン12話、ジャングル黒べぇの封印や、さらば宇宙戦艦ヤマト宇宙の戦士への批判小説批評批判自体はまっとうな活動なのだけど)等、人気作品への影響が大きいこと為、実際の活動量以上に目に付く機会が多かった。

 特にウルトラセブンの「第12話は欠番とする」と言う趣旨文言は、兎に角目立つ。簡単に閲覧可能な人気シリーズに、「抗議による封印」の痕跡がポツンと残されているのは、イヤでも目立つ。

 また、政府肝いり団体でも、悪書追放運動の折りは基本的に「左翼」に同調する言動をとっていた。

 恐らく、「左翼」の認識が悪くなったのは、ここら編が原因だろう。

 で、そこから反対の陣営自分たちに寛容と勘違いした。

 その上で、90年代後半から2000年代初頭の「サヨク人権を御旗に自由侵害しようとしている連中」とか言う、自由主義史観発のいい加減な認識が、雑な認識化学反応を起こして、いい加減な認識を加速させたと言うのが実状ではないだろうか。

 00年代前半から10年、警察保守政権の側からによる表現規制が著しく深刻化していた時期に、そちら側からの影響が殆ど省みられていない現状を鑑みるに、自由主義史観発と言うか、小林よしのり発の「人権を美旗に世界の均質を試みている」と言う趣旨認識の影響は少なくない気がする。

 余談だが、戦前表現規制に対する反省と言うことで使われた「言葉表現問題ではなく、実際に差別をなくすことこそが重要だ」と言う考えが、この保守派への契合に対する触媒になっている節があるのは中々興味深い。

 左翼表現規制……所謂言葉狩りにも一片の理がある。

 実質的に、差別助長していたり、差別に根ざしている表現を使い続けることによる、現状の肯定差別の強化自体問題にされてしかるべきだ。

 キチガイと言う言葉が使われなくなったために、統合失調症の人の気持ちが幾分か楽になったと言う証言もある。言葉を狩っただけで問題解決されるわけではないが、差別に使われるメインウェポンを使用禁止にすること事態を無価値と断定することも、非常に問題がある考えのように思える。

 一方で、一片の理が合っても問題があるのは事実。だからこそ、チャタレイ裁判以降、多くの憲法学者表現規制のもの問題にしてきたし、前例がある以上、この手の批判積極的に行われてよい。

 兎に角、「表現規制する要理も、現状の改善の方が重要」と言う言説が「表現問題ではないのだから、どんな差別的表現を使い続けたってかまわない」と言う理屈正当化に使われ、惹いては、差別語を平然と使い続ける側の心強い理論武装になってしまっているのではないか

 いい加減話を終わらせるために、まとめに入る。

 「どんな表現にも寛容な保守と、教条的表現規制を押し進めようとする左翼」と言う、表現規制歴史に多少なりとも興味が有れば噴飯もの理屈ネットの世まかり押し通ってしまうのは

60年代悪書追補運動の折りに、法制化を進める活動家よりも、直接行動を行う「左翼」側の活動の方が目立った

・「セブン12話」や「宇宙の戦士批判など、容易な「左翼の抗議による作品封印」の戦果に容易にアクセス可能

00年代前半、個人サイト全盛期に自由主義史観初の雑な政治認識流行した

・「表現だけではなく、現状を変える事こそ重要」と言う、それ自体はまっとうな言説の悪用

 と言った要素が、悪魔融合を果たした結果ではないだろうか。

(1)浦辺法穂「全訂 憲法学教室」161~163ページ、岡田信弘「憲法エチュード86~91ページ

(2)ロバート・A・ハインライン宇宙の戦士」483~484ページ

(3)牧村康正・山田哲久「「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展狂気」第4章栄光は我にあり、広がりゆく波紋、第10段落

(4)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」100~102ページ

(5)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」177~180、196ページ

(6)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」143~144ページ

(7)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」139ページ

(8)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」129~130、143~144ページ

2017-02-04

カルト2世もやもや。。。

カルト宗教2世漫画Twitter話題になっていたので。。。

私も母親が熱心な某学会信者だ。

父親母親が熱心に布教活動をすることに対して

かなり放任主義だ。

 

私やほかの兄弟

まれた時から入信させられている。

正月新年勤行会に連れていかれた。

七五三も近所の会館に連れていかれた。

キレイな服を着せてもらえるのが嬉しかったし、

さいこからそれが当たり前だと思っていた。

 

 

中学生になったある日、インターネットが気軽にできる環境になった。

何気なしに某学会のことを検索するといろいろなことが。。。

そこで母親おかしいことに気付いてしまった。

でも、それを受け入れていた自分おかしかったということに気付いて

かなりショックを受けた。

学会に入っているというだけで避ける人もいるんだと。

 

そのころから、近所の集まりにも参加しなくなり、

部活が忙しいことを言い訳にして)

まり家庭訪問がうっとうしいので

突然一人暮らしを始めてみたりもしたのに

母親が某学会に私の居場所勝手に伝えてしまった。

見知らぬ人がしょっちゅう部屋のベルを鳴らす。

その恐怖を母親理解してくれなかった。

 

毎年年末年始帰省すると

今でも新年勤行会に連れていかれる。

それに行かなければ母親のご機嫌はとれない。

今年も行かない家族がいて

そのことに母親は機嫌を損ねてしまい、

なだめるのが大変だった。

 

私は今年結婚するので

来年からは行かないようにしたいのだが・・・

あと、義理家族勧誘をしないでほしいのだが・・・

言葉にはしてみたものの、やらない保証はなさそう。

 

自分母親のことを否定したくはない、嫌いではないけど

この点に関してはどうしても無理だ。

他人自分信仰押し付けるな! 

 

京都ヨーロッパが好きで、神社もお寺も教会も見に行くのが大好きだ。

初詣にも勝手に行くし、おみくじも引く。

他人はもちろん、カルト2世だって信仰自由はあるはずだ。

同じDNAを半分持っていたって、信じるものが違ったっていいじゃないか

そういうことを母親には理解してもらいたいけど

どうしたらうまくできるのだろう?

2016-10-22

宇多田アルバムを聴いて母が死んだら私は悲しんでいいのだと思えた

私は「母」がテーマになっている曲が苦手だった。

理由世間で言われる「母」という存在に対する感情共感できないから。

そんな私が宇多田のfantômeを聴いて、少し母と自分について書いてみたいと思った。

私の母は私が甘えることや泣くことを嫌った。

今でも「私のび太みたいなのが大嫌い」とドラえもんを見ている私に言っていたことを覚えている。

小さい頃の思い出に祖父母や父に甘えた記憶はあっても母に甘えた記憶がない。

その頃の母の記憶はさみしくて構ってほしくて泣いている私が常にセットだ。

あと母親は私が何をしても褒めてくれなかった。

成績が良くても、何かで賞をとっても。

彼女教育方針がそうだったのか。

純粋にそれ以上のことをやってきたであろう彼女にとって褒めるべきことではなかっただけのことなのか。

それとも身近で私そのものを観ていて、表向きなそういう評価意味を感じなかったのか。

そういう諸々のせいなのか多分母が死んでも私は泣かないんじゃないか、悲しまないんじゃないか、と考えてきた。

物語現実の中で見かける「母が死んで悲しむ」ということが頭では理解できても感情的理解できない。

ハンターハンター最初のほうで「恋人母親どっちを助ける?」みたいなクイズがあったけど、選択余地なんてない、どう考えても恋人一択

更に言うと、介護しなくて済むようにぽっくり逝ってくれたらありがたい、くらいに素で思っている。

かといって、私は母が嫌いなわけではない。むしろ好きだし尊敬している。

仕事ができて、若々しくて、快活で、勉強も怠らない、等々…

母の好きなところ、尊敬しているところを挙げればキリがない。

逆なことを書くようだけれど決して私に冷たかったわけでもなく、放任主義でどちらかと言えば甘かった。

私が選ぶことは基本的肯定してくれるし、途中必要があれば金銭面でも助けてくれた。

今でも年に一回くらい「今度そっち行くからご飯どう?」と連絡が来て二人で食事に行くくらいの仲でもある。

ただし、「母」として私は母を感じきれていない、とでも言えばいいのか。そんな感覚

こういうことを30を過ぎてからよく考えるようになったのは、私という人間の諸々が色々な経験を通して少しずつ見えてきたときに、

母という存在を抜きに考えることができなかったからだろうと思う。

まあ、アダルトチルドレンとかパーソナリティ障害とか私なりに調べてみて論理的に思うところは色々あるけど、ここでは省く。

そんな私が宇多田アルバムを聴いたとき、やはり最初彼女の歌う言葉には共感できず、サウンド面だけをとって「いいアルバムだなぁ」と思って聴いていた。

それが何度か聴いているうちに少しずつ変わってきた。

アルバムの中の母に対する愛を表現した歌詞のところで私は何とも言えない感情を持っていることに気づいた。

その感情を考えたとき、私がどうしても感じられなかった「母」という存在を少し感じられたように思えた。

それは多分、彼女の歌う「母」への愛が私にとって、純度の高い、人それぞれの「母」に対する想いの皮を捲っていった先にある「母」という存在理解させるものだったから。

私が、母が、お互いをどう感じ考えていようが、変わらないことがあって、それを30年以上生きてきてやっと素直に受け入れられた。

そう気づいて母の姿を思い浮かべると、私が踏み込み切れない何かがあることに気づく。

多分その先が「母」なのだろう。

その「母」は母自身の快活な笑顔が壁になっていて、どうしても私には踏み込むことができそうにない。

ただ、その笑顔が消えたとき、その壁も一緒に消えて、私は「母」に会えるように思えた。

そして、そのとき私は「母」を亡くしたことを悲しんでいいのだと思った。

でも、そのとき私は私側にある壁を自ら壊せるだろうか。

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん