「ベラスケス」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ベラスケスとは

2017-11-12

幻想芸術集団Les Miroirs公演『アルラウネの滴り -改訂版-』

ダス! イスト! デア! トロプフェン! デス! アルラウネ!

アイネ! クライネ! ナハト! フランケンシュタイン

イッヒ! リーベ! ナツィオナル! ソシアリスティッシェあわわわわわ! この辺で。

.

“幻想芸術集団 Les Miroirs(レ・ミロワール)” という豪快な源氏名を名乗っているが、つまりは都内の小劇団だ。

んーむ、どういうことなんだろ、また芝居を観に来てしまった。

これまでの人生で演劇なんて片手の指にあまるくらいしか行ったことないのに。

ひょんなことから、とある小劇団の芝居に行ったのが先月。

劇場でダバっと大量のフライヤー(チラシ)を渡されるので、眺めているうちに妙に気になって今回はこの劇団の演目『アルラウネの滴り -改訂版-』を観に行ってきた。

.

観劇後の印象がなかなか良くて、それで妙に語りたくなったので記録の意味でレビューを残しておくことにする。

当方、舞台観劇はズブの素人なので、マニアから見たら噴飯モノの印象がバンバン飛び出すことと思われるが、そこはヌルく見逃してほしい。

あと、上演も終わっていることだし、ネタバレ上等で書くので、そこは4649!

それでは、行ってみよー!

.

■全体として

先入観が無かったといえばウソになるわけで。

幻想芸術集団という大迎なプレフィックス

おフランス語の劇団名でミロワール(鏡たち)というのは、つまりキャスト達のことだろう。

豪奢な近世ヨーロッパ風衣装。

小洒落たサロンで撮った宣材写真

キレイどころの若い女性を中心に固めたキャスト

中央には男装の麗人

「これはきっと、『ベルばら』風にお嬢様たちがキラッキラにやりたいことだけをやりたおした豪華絢爛、欧州絵巻だろうな」と。

それで、「どれ、どれだけ背中とオシリが痒くなるか、いっちょ見てやろう」くらいの気持ちで足を運んだのだが。

.

これが。

開始10分で背筋を伸ばして、

脳を総動員して、

つまりは本気でストーリーを追いかけることになった。

.

近世ドイツを舞台にしたバリバリに骨太なサスペンススリラーになってる。

そりゃそうだよな。

単なるキラキラ少女漫画ワールドだけで、旗揚げから10年以上も劇団が存続できるワケないもんな。

幻想的な要素は “アルラウネ(マンドラゴラ)の美女を集めた娼館” というキー・ガジェット一点のみ。

あとは細部まできっちりと整合したダークなクライムストーリーで。

(このへん、『スリーピー・ホロウ』(ティム・バートン)に通じるものがあるな。

 あれも超現実はデュラハン首無し騎士)の一点だけで、あとはストレートな推理モノだった)

.

そして、今さらながら。

自分がなんで演劇を面白いと感じるか、分かった。

ミニチュアジオラマを見ているのと同じだ。

右から左から、見ても見ても、どこまで見ても情報量が尽きることがない。

これはフレームで切り取られた映画にはない楽しみであって。

.

この舞台にしても。

ブリンケン伯爵が実に俗物らしくロゼマリー嬢を相手に大笑しているときに、うしろでフローラ嫌悪感をまる出しにしていたり。

カスパルが客前で気取った口上を並べているときに、後ろでオリヴィアペトラクスクス笑っていたり。

ふとカスパルが来歴をほのめかすときに、バックでアルマアラベスクをキメていたり。

.

どこに視線を固定しても、漏れる情報がある。

これが脳にすごい負担がかかる。

決して不快ではない負担が。

これが自分的な芝居の楽しみだと、劇場を出るときに気がついた。

.

作劇について、もうちょっと書くと。

衣装がキラッキラなのは舞台が娼家だからであって、ここを誤解していた。

実際の登場人物はというと、全員が第三身分。

(脇役の伯爵、伯爵夫人、王様の3人をのぞく

それも、ドラマにしやすい貧民でもなければブルジョアでもなく、中間層知識人というのがニクい。

.

そしてデカダンス

スパイス程度の頽廃なんてもんじゃない。超頽廃。超デカダンス

なにせ純愛がまったく出てこない。

娼館。

仮面夫婦

父を求めて得られなかった少年は長じて若いツバメ(愛人)となる。

例外はアルマカスパル気持ちが通じるところ、それにヘタレ青年が主人公に想いを寄せるところだが、どちらも一方通行に近い。

.

さらに設定考証がすげぇ。

神聖ローマ帝国時代のバイエルンの片隅にある架空の歓楽街、というか売春窟を中心に時代と風俗をガチガチに作り込んである。

おそらく、俺の気が付かないところもガチガチだろう。

唯一、気になったのは

「あれ、ドイツ語圏ならネーデルランドじゃなくてニーダーランドじゃね?」

ってところくらいで、これも観客のアタマへの入りやすさを選択した結果だろう。

.

うん。正直に言うと、作り込みすぎじゃね? っていうところもあった。

具体的に言うと、ダイアログが文語中心で、若干だけど苦しい。

当方、語彙力にはそこそこ自信があるオッサンだが、それでも、

「じい(侍医)」とか、

「せんていこう(選帝侯)」とか、

会話をトレースして理解するのにアタマを総動員する必要があった。

かと言ってなぁ。

そこを「侍医」→「お付きの医者」とか、「選帝侯」→「偉大なる領主さま」とか言いかえるとテイストがどんどんボヤけるしなぁ。

時代のフレーバーとして、いたしかたなしか。

.

ほかにも上に書いた「若いツバメ」とか、娼館ではロウソクがタイムチャージに使われていたりとか。

ともかく文学的で含みのある表現を多用していて、ターゲット年齢が高いか、あるいはマニアックな層か、ともあれコレくらいのレベル普通なのかな?

.

あと、要求水準の高い批判をすると。

階級社会不条理に対する怒り” というのを冒頭に打ち出した割には、通底するというほど通底していない。

21世紀の今から見て付け足した感じ。

フレーム全体の仇役としてエーヴェルス先生を立てて、カール殿下の誅殺を5分のエピローグとしてサラっと流したので余計にそんな感じがする。

.

もう1つ細かいことを言うと、カスパルとエーヴェルス先生がクライマックスに対峙するまでハチあわせしないのは、苦しくないか?

それを言うのはヤボというものか。

.

ま、ともかく。

全体として、チケット代以上に大いに楽しみ、没入し、満足した。

見て損はなかった。

ほかの演目については保証しかねるけど、再演のときには是非とも足を運んでみてください。(繰り返すけど、俺は関係者じゃないよ)

.

以下は、キャストと演出について

※普段は「役者は顔じゃない」というのがポリシーなんだけど、ここまでビジュアルにこだわった劇団と演目に対しては、しゃーない、キャストビジュアルについても言及させてもらいます。あしからずぅ。

.

■男優3人

劇団と演目を全体として俯瞰すれば。

耽美で退廃的なテイスト

きらびやかな衣装と意匠。

おそらく女性中心の運営で女性中心の企画立案で女性中心のキャスティングをしている集団だと推察するけど。

.

自分にウソはつけない。正直に言う。

観劇後の印象は男優三人組が大部分かっさらって行った。

全員が客演。

おそらく、3人が3人とも、キャスティング担当者が選びに選んで一本釣りで連れてきたのだろう、と、思う。

.

 エーヴェルス先生の狂気、

 フランツの怯懦と勇気、

 ブリンケン伯爵の俗物さ。

.

多分それは、つまりこういうことだろう。

女性陣、主人公2トップをふくめ、大部分のキャラクターは何らかの葛藤や二面性を抱えていて、心理に微妙な綾があるのに対して、男性陣3人は完全にバイプレイヤーとしてストーリーの進行装置以上のキャラクターが割り振られていない。

あとはそれを渾身のパワーで演じれば良いだけで、結果としてものすごい強烈でシンプルな印象をこっちに叩きつけてくることになる。

これが観劇初心者の俺みたいな人種にはビンビン来るのよ。

ある意味三者三様にヨゴレで良い役をもらってるとも言えるわけで。

こればっかりは、しょうがない。

こういう観客もいるということで、ひとつ

.

■高山タツヤ(エーヴェルス先生)

いやしかし、悪役ってオイシイよな。

自分的には今回の演目でこの人がNo.1。

最初はシャーロック・ホームズ的な近代合理精神の尖兵として事件に切り込んでいくのかと思いきや。

途中からどんどんマッドサイエンティストの素顔が出てきて、終盤すべての黒幕という正体が明らかになって、最後はムスカ大佐みたいに天誅がくだる。

宣伝スチルでは “生に倦み疲れた貴族” みたいな立ち位置かなーと思っていたら、もっとパワフルだった。

理性的で狂人、策謀家で紳士、もうテンコ盛り。

唯一の難としては、演技とキャラクター作りが設定より若干、若く感じた。

そのせいでカスパルとの対比が弱い。

しかし、それにしても、実験体のときにカスパル13歳、エーヴェルス24歳。

最後に対峙した時点でカスパル31歳、エーヴェルス42歳か。

これまた描写の難しい年齢差を持ってきたな、とは思う。

.

■谷英樹(フランツ

普段は剣戟主体のアクション俳優さんらしい。もったいない(と言ったら失礼か)。

ねぇねぇ、性格俳優やりましょーよ。

できますって絶対。実際できてたし。

高い鼻筋、シュッとした輪郭ともあいまってヨーロッパダメダメ青年を完全に演じきっていた。

迷い、失敗し、バカにされ、それでもフローラへの思い一徹。

というか、この劇中、唯一の未熟者役で、これは配役としてよいポジション

.

■杉山洋介(ブリンケン伯爵)

たぶん、この人はただの色ボケ爺ぃじゃないよ。

宮廷の権謀術数

複雑な典礼プロトコルの知悉、

家門の切り盛り。

そういったシンドイ大事や雑事を乗り越えて、やっとこさトレッフェン通りで馴染みの嬢を片手に思いっきりハジけているところに腹上死。

涙を禁じえません。

そういう想像が働くところが、杉山氏のキャラクター作りのなせる技かと。

いや、たんなる家門だよりのアーパー伯爵っていう設定かもしれないけどさ。

ともかく、そんな感じがした。

.

■武川美聡(オリヴィア)・小川麻里奈(ペトラ

ストーリーも半ばを過ぎたところで、ハタと気がついた。

カスパルフローラが客から評価をもぎとってくるフォワードだとしたら、オリヴィアペトラ役のこの2人が失点を防ぐディフェンダーなのね」

アルラウネだけじゃない、葬儀の席のゴシップ婦人、伯爵家の侍女と、早着替えをしながら、縦横無尽に八面六臂。

よほどの高能力者じゃないと、こうはいかない。

逆に言えば。

ストーリースケールに比してジャスト10人という少数精鋭のセッションで。

もしもこの2人が「私たちモブよ、モブよ、モブなのよ~」と手を抜いたり段取りが悪かったりしたら?

それこそ目も当てられないほど悲惨なことになるのは想像できる。

.

この芝居を観た人がいたら聞きたいのだが。

ストーリー展開のつなぎが悪かったところがあったか?

会話のリズムと展開がギクシャクしたところがあったか?

状況の説明が足りないと感じたところがあったか?

少なくとも、俺にとっては無かった。

これ全部、彼女たちの仕事であって。

.

こうも言える。

「観客を40人と仮定して、80個の目玉とその批評眼の猛攻を、2時間近くの上演中、ゼロ失点でしのぎきった」と。

しかも、それだけじゃない。

「それじゃ、ここはカスパルを見ていよう」と視線を切ったままにしておくと、いつの間にか “弱気なオリヴィア” と “地味に辛辣なペトラ” がシャドーストライカーとしてヌッっと認知の前景に割り込んでくるから油断がならない。

専属キャストスポットを浴びて歌い踊る後ろで、 “舞台成立請負人” として劇団を渡り歩くって、ックーッ! シビれるっすねぇ(想像のしすぎか)。

特にオリヴィア役の武川さんはホームチーム無しのフリーランサー

次にどこで会えるかもわからないという、この西部劇カウボーイ感。

.

■マリコ(伯爵夫人クロリス)

政略結婚で異国に嫁ぎ、政治のあおりで幽閉状態。

夫に先立たれ、あとは家門を守る化石となりつつある中、若いツバメとともにふと訪れた春。

でも心の底では彼が自分を利用しているだけと気がついていて、寂しさがつのる人生の晩秋。

っていうメロドラマ的挿入話を、たった1人でゴリゴリ成立させてしまった。

オフショットを見たら、周囲に負けず劣らずの美人さんなのに、哀切よろめき婦人にサクッと変身するあたり、地味にスゴいよ、この人。

.

■中村ナツ子(ロゼマリー)

加東大介(『用心棒』)といい、中村梅雀(『八代将軍吉宗』)といい、馬鹿キャラってオイシイよな。

と、思いつつ、可愛い子チャンで馬鹿キャラってのは失敗例が山ほどあるワケで。

美人馬鹿キャラ、厳密に言うと “短慮と衝動、それに浅知恵で状況を悪化させるキャラ” っていうのは、全世界のホラーパニック映画ファンが怒りまくってることからも分かるとおり劇薬であって、書くのも演るのも本当に難しくて大変で。

フィクションで最近の成功例だと、『デスノート』の弥海砂とか。自分の中では『ウォーターシップダウンのうさぎたち』のネルシルタとか)

その中でも彼女ロゼマリーの配役と演技は大成功と言っていい。

シナリオ、人物造形、演技の巧みさ、3つが合体して、ストーリーを停滞どころかグイグイ展開させる存在として実に効いている。

アルラウネたちが、それぞれどこか華美な中にもダークさを感じさせる装いの中、ひとり明るい髪色でキャるるンッとしたバービー人形のような出で立ちも良い。

彼女を舞台で見るのは実はこれが初めてではなくて、かなりの美形なことは知っていたけど、作りようによっては、なんというか、 “こういう美人” にもなるのか、と今さら驚く。

(彼女の第一印象については、

https://anond.hatelabo.jp/20170925212923

 の中村ナツ子の項を参照のこと)

というあたりで。

最後に。

あー、業務連絡、業務連絡。中村さん、編集者やってみる気はありませんか? 原稿ライティングができてAdobe製品が使える最強のマルチ編集者になれますよ。その気になったら、いつでも当方に声をかけてください。

.

■麻生ウラ(アルマ

うー、うーうーうー。モゴモゴ、わかった、言う。

えー、強烈な声優声なのは、演出上の要請か、それともそれ以外の発声メソッドを持っていないのか。前者だと信じたい。

さて。

最古参のアルラウネ、そしてカスパルの右腕として気持ちを交わし、動き、嘆き、そして踊る。

ちょうどキャプテン・ハーロックにおけるミーメみたいな立ち位置

ただし彼女の場合は愛と忠誠心一方通行気味なのが哀しい。

キレイどころ揃いのキャストの中でもアタマ1つ抜けているビジュアルダンスを買われての登板か。

(「ビジュアル充実で演技とダンスが良いなら文句ねーだろ」という方は、この項の2行目を参照のこと)

休眠状態の彼女のポーズを見て、開場のときに舞台においてあったオブジェの意味がやっとわかった。

それにしても。

アイライン抜きでもアニメキャラ級の大きなお眼々。

とんでもなく整ったマスク

スレンダーで柔軟な身体は恐ろしく妖艶に動く。

世を忍ぶ仮の姿バンドヴォーカル兼ヨガ・インストラクターとのこと。

ドュフフフフ、オジサンに勤務先教えてくれないかなぁ。

(この6行、後でカット)

.

■乃々雅ゆう(フローラ

アイライナー(と、おそらくカラコン)を差し引いても深い情熱的な眼、意志の強そうな頬からおとがいライン

なんというか、豪華欧州絵巻を演るために生まれてきたような。

実際、ブルボン王朝の末席にいて、ベラスケスが肖像を描いてそうだ。

(なぜブルボン王朝(スペイン)かというと、黒髪だから)

その意味では、この劇団の申し子みたいな雰囲気。

立ち上げからのメンバーかと思った。

そのくらいピッタリの所属先を見つけたと言えるんじゃなかろうか。

宣材写真を見たときはもっと毒のある雰囲気で、「ふむ、このヒトが超々々毒婦をやったら面白そうだ」と思って劇場に行ったんだけど。

なんというか、キャラクターもご本人も想像より瑞々しい感じの人だった。

“運命と戦うヒロイン” という、もう本人の雰囲気そのままの役回りを手堅く好演。

娼館の女主人のときはもっと毒々しくても良かった気がする。

.

■朝霞ルイ(カスパル

どんなに声のトーンを落としても客席まで声が届いていたのは彼女だけだった。

ベテランの風格。

打ち棄てられた実験体児がどこでどうやって成長すれば、こんな艶やかでピカレスクトリックスターに育つのか、そこを見てみたかった気もするが、そこを書いたらタダでさえ2時間ちかくある上演時間がさらに伸びるので、いたしかたなし。

この俳優さん、眉頭にいい感じに険が出ていて、男装の麗人からリアル美丈夫への過渡期にある感じがする。

男役としては、これからが一番いい時期なんじゃなかろうか。

ダークヒーローカスパルを好演。

カスパルがどんな人物かというと。

ん。

待てよ……整理すると!

.

1)娼館の影のNo.1として女主人をウラからあやつり、朗々と艶やかな口上を述べるトリックスターで、

2)火災その他のカタストロフから巧みにサバイバルし、言葉巧みに未亡人の情夫におさまる冷徹ピカレスクで、

3)非人道的な実験の結果として対アルラウネ耐性を有する厨二病キャラで、

4)それでいて不幸な幼少期から、どこかはりつめた脆さを感じさせ、

 (それは例えて言うならば、ラインハルト・V・ローエングラム的な)

5)そして、こころ疲れた時には情を交わす女アルマが影に寄り添い。

.

なんてこったい! 男装女子の演りたいこと、全部入りじゃねーか!

どうなってるんだ朝霞さん! アナタの配役が一番オイシイよ!

旗揚げメンバー特権か!?

観劇前はフローラカスパルが互いのカウンターパートをつとめるセッティングかと思ったら、終わってみれば伯爵から先生からアルラウネ達からフローラから、もうもう全員が彼との関係性を軸に話が展開するという、まさにザ・主人公・オブ・ザ・主人公

しかし考えてみれば、そのぶん舞台上でも舞台裏でも負荷は並大抵では無かったはずで、本当にご苦労さまでした。

良かったっす。

.

■a-m.Lully

あの役がオイシイ、この役がオイシイ、と書いていて気が付いたが、

全者全様にオイシイ役ばかり。

調べたら当然のごとく、当て書き脚本だった。

この辺が座付き作家、というか作家が率いる劇団の最っ高のアドバンテージだよなぁ。

と、同時に。

「このストーリー、映像化してもイケるんじゃね?

 というか、ヨーロッパあたりに売り込んでもいいんじゃね?」

と思ったのだが。

脚本、キャスト、演出のケミストリー化学反応)による名演と脚本単体のポテンシャルの見分けがつくほど、俺は観劇に強いわけではないので、この印象は保留しておく。

.

大道具・セット

背景と大道具がすごい。なんてったって “何もない” んだから。

物理的に必要な長椅子が脇においてあるだけ。

これ、大英断だと思う。

.

メインの舞台となるのは近世ヨーロッパの娼館で。

自分がイメージできるのは『ジェヴォーダンの獣』(クリストフ・ガンズ)くらいだけど、あれを雰囲気だけでも匂わせるには1千万円あっても足りない。

その後の場面展開を考えたら、そこはバッサリ切り落として、そのかわり衣装と装飾品にガッツリリソース(金と時間と手間)をかける。

キャストこそが情景の担い手という戦略。これ大正解

少なくとも自分はそう思った。

.

で、板の上には何もない代わりに、ステージ背面全体を三分割して並んだ3つのセル(部屋)。

ライティング次第で中のキャストを浮かび上がらせて、複数のストーリーラインを同時に進行できる空間なんだけど、これが実に効いてる。

回想、視点の移動、娼館の部屋それぞれ。もう大活躍。

.

白眉はエーヴェルス先生が娼館に潜入するシーン。

ライティングを目まぐるしく切り替えて、それこそ『ミッションインポッシブル』か『オーシャンズ11』かっていう高速カットバックを実現している。

(いや実際、照明さんは胃に穴が空いたんじゃなかろうか?)

実を言うとアタマのスミでは「それをやりたいなら映画でやったら?」と思わないでも無かったけど、映像作品と舞台の良いとこ取りをした意図は買うし、実際、効果的だった。

.

と、同時に。

こうも思った。

「ああ、そういうことか。エイゼンシュテイン以降の変革は舞台にも及んで、自分はいま変革後の作品を見てるのね」と。

MTV以降、ライブコンサートに巨大モニターが導入されて各種フレーミングが可能になったように、舞台も律儀に単一フレーム(場の一致)なんて守ってる場合じゃないよね。

.

■最後に、気がついたこと、気になったことをまとめて

・会場の音響が悪すぎ!

 卓かアンプが、どこかでバチバチに歪んでる。

 せっかく古典派の交響曲ストイックなまでにかためた選曲が台無し。

 客席横では四六時中、空調がプシュープシュー鳴ってるし。

.

キャパ、狭すぎ!

 ねえねえ、次はもっと大きい小屋でやりましょーよ。

 大丈夫。大丈夫だって

 連日満員でエクストラシート用意するくらいなんだから。

 ぜったい大丈夫だって!(←無責任

.

・ハッキリとした開演ベルが欲しかったところ。

 カスパルがおもむろに登場してアルラウネのオブジェを撤去して暗転ってのは、演出としてどうかと思った

.

プログラムの誤植。

 コーヒー愛飲の習慣のところ、 “嫌遠” は “嫌厭” の間違い。 

.

・余談だけど、今回の上演『改訂版』の前の上演回をみんな『祈念』と呼んでいる。

 理由を調べようと思ったけど、まーいーか。

.

キャスティングの軽重に関係なく、みんな多かれ少なかれセリフが飛んだり、噛んだりしていた。

 最終日の最終回、疲労のピーク。

 ステージハイっていったって、限度があるわね。

 その中でもディフェンダー2人(武川、小川)は、自分が見る限り

 挙動とセリフに一切のミスがなかったことを記録しておく。

.

.

……んー、こんな感じか。

.

ともかく、まとめとして言うならば。

幻想芸術集団レ・ミロワールの『アルラウネの滴り -改訂版-』良かったっす。

次もタイミングが合えば観に行こうと思いつつ、このテキストを終わる。

2017-05-14

☕️コーネリアス新曲あなたがいるなら』のMVを読解する


https://youtu.be/Wr5f6hpYxmE
作曲小山田圭吾
作詞坂本慎太郎
MV監督辻川幸一郎

歌詞こちhttp://anond.hatelabo.jp/20170514023638

物体が現れると同時に鳴る楽器対応表

四角のプレートがついたチェーン:ボーカル
三角のプレートがついたチェーン:男声的コーラス?
丸形のプレートがついたチェーン:女声的コーラス?

卓上ミラー写真フレーム?):キック
鍵:クローズドリム and 途中からスネア(含オープンリム)
小石の群れ:エレピの波形(ハーモノグラフ?)
レズリースピーカーのファン:エレピのトレモロ

コーヒーカップベース
指輪クローズドハイハット
水しぶき:オープンハイハット
水泡のようなガラス細工?:ライドシンバル
たばこシンセブラス
写真コンプギター
画面に広がるスリットスキャン風の波紋:ギタートレモロ

ガラスソースからこぼれる水滴の螺旋A:ミューギターのリフ(Steve Vai風)
水滴の螺旋B:ベンドするシンセストリングス小山田印)
ジェンガ:ウッドブロック
溶けたチョコ?:フィンガースナップ
明滅する裸婦像:808っぽいクローズドハイハット
不明:シェイカー


◆隠喩かもしれないモノ(すべて筆者の妄想です)

ゆがむテーブル:きしむベッド
スタンドライト電球卵子中林忠良の銅版画A(1:43〜)
タイトル不明 イヴ・タンギー風
海底の砂丘:女体(乳房と恥丘)
ギターソロ振動する弦:ヴァギナ
海藻 or ちんあなごの群れ:体毛 or ペニス複数!)
クラゲ乳房を吸うオスの口
跳ねる海虫:オスのオーガズム
明暗の反転:メスのオーガズム中林忠良の銅版画B(3:11〜)
タイトル『薄明(”白い部屋”より)』(1970年http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/191635
薔薇と蔦に覆われた美術館のベンチに腰掛ける裸婦の後ろ姿
ベラスケスラス・メニーナス』:スペイン語で「女官たち」の意
円グラフのような標的の図(A R U FA):ジャスパージョーンズ or ロシア構成主義
右下の絵画キリスト十字架降下? 卒倒するマリア
er zeit = he time = 彼 時間


◆その他
スポットライトシェードランプなどの光源。格子窓から差し込む外光。
家具調度:椅子コート掛け、ローキャビネット本棚冷蔵庫、空調機。

ソース瓶は五角形。水滴の螺旋Bのほうは何の容器からこぼれている?
歌詞の「声を聴くと なぜ意味もなく」のところで声のチェーンの性が分かれる。

Corneliusのサウンドアイコンサウンドフォント的な音色ローズ系のエレピ音源ハンマーノイズカツンカツントレモロスピードがなめらかに変化する。
ベンドするシンセストリングス。パッド的に使われるが音色は弦に近い。

画面には全編に渡ってスリットスキャンのように歪んだ波紋が広がってゆくが、その波の振幅はリズムに同期している?


◆総論
この曲、そしてこのMVエロすぎる。コーネリアス版Audio Sexだ。恋人と別れたあとのピロートーク音楽要望Logicプロジェクトファイル販売していただけないでしょうか。できればAEのも…。

読みごたえのある作品ありがとうございます10年ぶりのアルバムリリースの日を心待ちにしております

2015-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20150813151101

芸術って自分たちが住んでる時代社会がどういう価値観を持っているか。を、

上手いこと絵とか写真とか、様式とかで表現する芸だと思う。

から現代の絵とラスコーの洞窟壁画とか、昔の絵画とか比べてもあんまり意味ないと思う。

確かにどれだけ写実的に描けるかという技術の優劣はあって、

それができないよりはできる方が有利なのは確かだけど、別に必須ってわけでもない。

サッカーやるなら足が速い方が有利ぐらいのものだと思うんだよね。

ウォーホルの価値って、いち早く現代の大量消費社会世界の均質化を表現して見せたことだと思うし、

ベラスケス理解するのに、封建社会キリスト教関係理解せずには語れないだろうし、

印象派近代的な市民社会、個人の自由とか人権という概念抜きにはありえなかっただろう。

芸術家時代を越えた、万人が感動できる究極の美を目指してるというのは幻想だと思うんだよ。

日本だと芸術は個々人が心の赴くままに見て、素直に感動を受け止めればいいとか、

目の前の作品と鑑賞者との間だけで感動を成立させるのが芸術作品だ、とか思われてるけど、

実際はその作品が成立した時代とか文脈とかも込みでないと価値がない。そういうもんだと思う。

2014-10-05

ホンモノより本質を捉えてると思うニセモノ芸術作品10

http://anond.hatelabo.jp/20141003100544

ブコメ好きな物評価されるよう啓蒙するか、そうじゃないもの評価を下げようとするか」に触発されて。

どちらかというと、自分は高次なものを読んで、低次なもの共通点を見いだして一人悦に入るタイプだとわかったので、記録してみることにする。

ここでのホンモノ=より高く評価されているジャンル、およびオリジナル、ニセモノ=より低く評価されているジャンル、およびコピーとする。

ちなみに嫌いなホンモノやニセモノも当然ながらある。映画自分にとっては舞台のニセモノで、基本、CGが多用されたアクション映画しか受け付けない。

文学の場合

好きなホンモノはシェイクスピアドスト。嫌いなホンモノは伊坂幸太郎。嫌いなニセモノは特にないが、ラノベは読んだことがない。

1.ソローキン「ロマン

 望月哲男曰く、“19世紀ロシア小説の百科事典ともいうべき体裁をなしている。プーシキン『オネーギン』、トゥルゲーネフ『猟人日記』、トルストイ戦争と平和』、ドストエフスキー罪と罰』、チェーホフ『黒衣の僧』『桜の園からのアリュージョン。また、19世紀ロシアの小説に現れるモチーフを混ぜ合わせた一種のカタログ的な側面がある”という本作。高次なものの高次なコピーなので一般受けするかどうかというと違うと思うが、割と読みやす大衆的ではあると思う。途中までは。途中からは文学を殺している。早稲田文学の力もあって、作者ソローキンは、最終的には篠山紀信グラビアを撮られる程の人気を獲得した。


2.ティメール・ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー

 ヒトラーに関連する作品は、どうも反省や真面目さを持ち合わせたものが多い。ヒトラーを嗤う。ヒトラーと笑う。この恐怖体験を面白く思ってしまうのは何故だ?もちろんヒトラーパロディならミュージカルプロデューサーズ」の中でも見られる。しかし、あの作品ではヒトラーゲイが演じていた。今回はヒトラーのものが、緻密なリサーチの上に、いかにも言いそうなことをくっちゃべる。それがなんだかおかしくて笑えてしまう。彼が目指した理想の方が、現状のドイツ極右政党移民問題に揺れる)より良く見えてしまうことがあるのは気のせいか?



絵の場合

好きなホンモノは17〜19世紀はだいたい。嫌いなホンモノはフェルメール。嫌いなニセモノはあまりいないが、村上隆には興味がない。メインカルチャーすぎてニセモノがホンモノっぽい。

3. エドゥワール・マネ『フォリー=ベルジェール劇場のバー』

 マネがゴヤベラスケスティツィアーノなどのポーズをそのまま借りてきたことは有名。エル・グレコの影響も指摘される。正直言ってゴヤ『1808年5月3日、 プリンシペ・ピオの丘での銃殺』の模倣である『皇帝マクシミリアンの処刑』はとてもじゃないがホンモノに敵うとは思わない、マネがマネなりの政治的美術的な意図作品に込めたことを加味しても、だ。しかしながら、総合的に過去画家たちを再構築したことに加え、何と言ってもベラスケスの『ラス・メニーナス』を解釈した絵、『フォリー=ベルジェール劇場のバー』が素晴らしい。『ラス・メニーナス』にまつわる作品は、ピカソダリも多数残しているが、そのいずれもがマネには及ばない。他の拝借作品に比べ、鏡のある構成・見つめられる人の不在の2つ以外、共通点がないマネ独自構成が光る。

4.ジェフ・クーンズハルク

NYホイットニー美術館で回顧展。バルーンを模したいくつかのアートがあるが、明らかにビニールしか見えないチープな質感の『ハルク』は実はブロンズ製。ブロンズバルーン特有の皺を模すという、高価で難しいものを使って、安価で簡単なものを再現する試みを行なっている。写真で見ただけでは決して分からないだろう、その意味のない凄さが凄い。1億6千万の値がついたというマイケル・ジャクソン陶器も、スキャンダラス話題性ではなく、実はアートとしては失われつつある高度な陶器制作技術をつぎ込んである、と考えることもできる。



ミュージカル歌手場合

ミュージカルのものが、オペラバレエ下位互換である。という風潮は、ある程度あるように思える。

この場合複雑で、自分はホンモノに興味が持てない。高い金払ってオペラを見てもあんまり感動しないのである

一方、ロイヤルバレエを出てミュージカルスターになることを選んだアダム・クーパー(今度来日)のように、この世界ではクラシックトレーニングを積んだ人が続々出て着ている。

5.ジェロニモ・ラッチ

現在ロンドンオペラ座の怪人ファントムを演じているが、将来ジョン・オーウェン=ジョーンズや、ラミン・カリムルーに次ぐ世界的なスターになるに違いない逸材。アルゼンチンクラシックトレーニングを受けてきた。なぜミュージカル界に進出したのかはよくわからない、しかも英国。ファントムの前はレ・ミズでJVJ役をやっていた。

6.シエラ・ボーゲス

今更だが、やはり彼女ソプラノミュージカル女優としては別格。彼女オペラトレーニングを積んでいるが、あのサラ・ブライトマン比較しても、こっちが怖くなるくらいの情念の込め方で、単なる美しい歌を、心を締め付ける歌に昇華させる無二の能力を持っている。サラのオペラ座の怪人比較すると、ああ、シエラがオペラ歌手にならなくて本当よかった、と思うのである。鼻とかぐじゅぐじゅで、めちゃめちゃになっても歌い続けるような、そういう地に足がついた役者根性を感じる。


ミュージカル場合


7.Avenue Q

こんなトニー賞を取ったような超メジャー作品を挙げるのも何だが、ブロードウェイ代表作として。パロディミュージカルは数多くあり、今年も50 shades! The Musicalなどが上演されていたが、その中でも珠玉の出来を誇り、オフブロードウェイで今も上演されている。ジム・ヘンソンマペットを使いセサミ・ストリートを思わせる設定と楽曲で、普段はクチにできない本音をぶちまける。その後作曲家はもう1つトニー賞を取った後「Let It Go」でアカデミー賞受賞。


バレエ場合

バレエオペラにとっては添え物、現代ダンスにとっては堅苦しい教科書的な物と見なされる、難しいポジションにある。

8.クランコ「オネーギン」

オネーギンはコピーなのか?オリジナルなのか?翻案なのか?単なるアダプテーションではないか、マンガアニメ化するのと同じじゃないか、ニセモノと呼ぶとは何事だ、と、きっとあなたは言うだろうが、オネーギンには本来の作品にあるべき重要な要素が2つ欠けている。まず、オネーギンは韻文小説であって、詩のような形態で描かれている。ダンテ神曲と同じく、単なる小説ではないのだ、とはいえ我ら凡人が、ロシア語を学び本来の魅力を解することはおそらく一生ないであろう。というわけでバレエにしてくれるととっても有り難い訳だが、ここでつけられた音楽は、他の物語バレエ作品と違って書き下ろされたものですらなく、チャイコフスキーが奥様向けに月刊誌に書いたピアノ曲オーケストラアレンジしたものである。このように、他のバレエ作品に比べて若干不利になる要素を持っている本作だが……結果はどうだ。シュツットガルトけが持つこの演目を、自らのレパートリーに加えようと、世界中の著名ダンサー客演にくるような、まさにワン&オンリー珠玉の名作に仕上がっている。人々の所作振り付けにしてしまうのは、この時代バレエの特徴で、クランコはその名手。昔はストーリーダンスが完全に分離されていて、ストーリーマイムで進んでいた。


ファッション場合


9.モスキーノ

ジェレミー・スコットの就任で、故・モスキーノを上回る直接的すぎるパロディファッションを世に送り出したモスキーノ。就任直後の2014a/wコレクションマクドナルド元ネタだった。

http://youpouch.com/2014/02/25/174143/

モスキーノ自身が持ち合わせていた反骨精神、批判精神、風刺の能力を彼がどこまで発揮できるかが見物。


漫画場合


10.冨樫義博

作品の中でいくつか画像トレースしたことで知られるが、28、29巻の表紙ではマネよろしく古代美術ポーズを借り、また30巻表紙では2年越しの伏線を仕込んでいるなど無駄に芸が細かい作者。マネは足がなくなり、ゴヤは耳が聞こえなくなっても描き続けていたのに……という気がしなくもないが、やはり彼の行動原理は極めて特異だと言えよう。それは、野火ノビタも指摘する、「強制された身体のマイナスへの変化と、強さに相関がある女性」への異様な執着である玄海、躯、ビスケパームコムギカイトキメラアントになったレイナも、もしかしたらアルカも。玄海以外は皆、見た目がマイナスに変化する方が強くなるという特性を備えている。そこに共通するのは、極端なまでの女性の“自立”であり、“私はわたしである”というぞんざいな主張形態である。好みの女性タイプとして、「見た目がいかつくて、強くて、自分を持っている人」と答える人は、「見た目が華奢で、守ってあげたくて、頼ってくれる人」と答える人に比べると圧倒的に少ないと思われるが、冨樫は、冨樫だけは、なぜか前者に“変化させられる”女性大好物なのである

そして、怪物の戦いを描く時、冨樫は必ず怪物の味方をする。更に言えば、怪物の味方をしてくれるから、もしくは自分も怪物であることに気付いたから、という理由しか人間を肯定できない。それは「君と僕はおなじだ」という同質性への反応であり、「私とあなた全然違う、私はわたしだ」という状況に身体的に追い込まれた玄海、躯、パームなどと対極をなす。そして、男性は、(女性に比べればよっぽど自分の意思で、積極的に)怪物化する。幽助も、目の移植を受けた飛影も、ゴンもだ。さらに、怪物化した男性は、“自立”した女性に縛られ、ある種“依存”する。戸愚呂の玄海への、飛影の妹への感情が形を変えた躯への、メルエムからコムギへの、コルトレイナ(とカイト)への、ゴンコアラカイトへの、キルアアルカへの“依存”は、このように示される。「お前があって自分がある」。こうした究極の女←男の関係性を何度も描き続けているのが冨樫義博であり、男性作家のこういった表現への執着は世界でも類を見ない。いや、そんなことないか。なんか、ヒラリー・スワンクはいつもそんな役どころな気もする。まあどうでもいいや、出来るだけ多くの芸術を見てこようとしたけれど、その一つ一つが冨樫義博をより特別存在にしていく。たか漫画たか漫画なのだけどね。「あたちに謝りながらあたちの言うとおりに働いて あたちのために生きるんだ」と蟲になっちゃった女性が男性に言い放つ、これが冨樫イズム。



終わりに

もちろんホンモノ/ニセモノなんて区切りはこのエントリしか通じない区分けで、世間には通用しません。

ここではあえて、ラノベみたいに「くだらねー」「所詮○○」ってレッテルを貼られそうなものを、「ニセモノ」と書いてみました。

ただ、いろいろな芸術を見て思ったこと。ライトノベル純文学より面白いとか、そんな逆転はありとあらゆる場所で起こっている。じゃないとバンクシーとかどうすんのさ。

入れようと思ったけど、仮にも「ニセモノ」と呼ぶのがおこがましいと思ったインスピレーション作品高橋源一郎日本文学盛衰史」。あれは評論として受け止めるのが正しいかと思って。

正直「元ネタ」と「パクリ」の区分自分でも難しかった。ま、とにかく自分パロディが大好きなのであるラップサンプリングとかも好き。圧倒的にオリジナル好きな物もあるけどね(高慢と偏見ブリジット・ジョーンズとか)。あと冨樫義博が好き。

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん