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2018-11-26

[] ギフテッドよかった(思い切りネタバレ感想

フロリダ海辺の街で、ボートの修理をして生計を立てている独り身のフランク。彼は、天才数学者だったが志半ばで自殺してしまった姉の一人娘、メアリーを養っている。彼女は、先天的数学天才児“ギフテッド”であり、周りは特別教育を受けることを勧めるが、フランクは「メアリー普通に育てる」という姉との約束を守っていた。しかし、天才児にはそれ相応の教育を望むフランクの母イブリンが現れ、フランクメアリーの仲を裂く親権問題にまで発展していく――。

映画『ギフテッド』オフィシャルサイト| 20世紀フォックス ホーム エンターテイメント

ストーリーはあちこちで語られまくっているからここではもう書かない。

本作のもうひとつの魅力はキャラクターが魅力的なことだと思う。

ただし直接言葉描写されるのではなく、会話の断片やちらりと映る写真からキャラクターの背景が浮かび上がってくるスタイルなので人によっては伝わりにくいかもしれない。語りたいので勝手に語る。以下全部ネタバレ


主人公

彼の最初イメージは、バーに入り浸り汚い家でいい加減な生活をしている駄目おやじだ。

軽口を言い合う娘との関係がなんともいえず良い。

主人公は娘を一人の人間として対等に扱い誠実に会話をする。その様子が心地よく暖かい。2人は強い信頼と愛情で結ばれている。

物語中盤で主人公の背景が徐々に明らかになる。

母親から娘を託された時点では彼はオックスフォード准教授であったらしい。

仕事育児が両立できずに辞職し、現在ではボートの修理工として不安定生活を送る。

浮かび上がってくるのは、育児のためにキャリア収入も捨てその苦労を娘にわからないように振る舞う気丈な男親の姿だ。

人生ほとんどを育児に捧げたその結果、家が汚いことと収入不安定さを理由に娘を取り上げられてしまうのはあまりにも理不尽だ。つらい。

「五分でいいか自由時間が欲しい」とうっかりこぼし、娘が激しく傷ついてしまうシーンがある。

彼は行政にも保育園にも頼らずたった1人で子供を育てて来た。娘が天才であることがバレたら取り上げられてしまうのではないか、という危惧からだ。彼の危惧現実となった。小学校天才であることがバレ、またトラブルを起こしたことからほぼ放校処分英才教育校への転入するように言われる。英才教育を望むおばあちゃんにより養育権を巡る裁判が起こされるという事態になる。

ところで彼の言動子供を育てる親の「あるある」が詰まっていてとてもよい。

LEGOを踏んで絶叫するとか。五分でも時間が欲しいとか。

『育て始めて最初の2週間で自分の手には負えないことがわかっていた。明日こそ児童相談所に行こうと毎日思った。でもその度にあの子は何かをしでかすんだ。思いもよらないことをね。』泣いたり笑ったり。あの子はいろんなことをするんだ。それでいつのまにか手放せなくなっていたと彼は続ける。

そうだろうなあ。わかる。わかるよ。


おばあちゃん

家系図



どこからどう見ても英才教育ソババアなんだけれども、物語が進むにつれ彼女の背景も明らかになる。

どうやら彼女自身も相当に優秀な数学研究者であったらしい。はっきりとは描写されていないがミレニアム問題ひとつナビエ・ストークス方程式の解について研究していたようだ。

結婚出産研究の道を諦めたが彼女の魂は数学に囚われたままだ。出来た子供母親)が数学天才自身の夢を託してしまったようだ。

英才教育の建前のもと子供人生に介入しまくるクソ親で、子供ボーイフレンドと遊びに行くと誘拐だと言って通報する、裁判を起こすと別れるまで脅し続けるなどやっていることは無茶苦茶だ。

どうも彼女自身も男運がないようで「男はみんな駄目男」と思っているかもしれない。この辺りも子供プライベートに介入しまくる理由ひとつなのだろう。

物語を通して2つの関係が描かれる。主人公と娘、そしておばあちゃん母親関係だ。

物語ラストシーン母親に対する自身のこれまでの行いを後悔し泣く。子供である母親と向き合い、彼女の死に対して始めて涙を流す。

つのまにか母親感情移入して見ていたので救われる思いだった。ボロボロ泣いてしまった。

泣く彼女にかける主人公セリフがまた良い。

母親

一切出てこないのにすごい存在感

天才として生まれ英才教育を受け、娘を残して自殺してしまった母親

物語が進むにつれ彼女の悲痛な声が聞こえてくるようだ。

『親に愛されたかった』『親は私を愛さなかった。数学の才能にしか興味はなかった』

母親人生はおばあちゃんに完全にコントロールされてしまっている。

そのせいで母親生活能力がなく男を見る目もない。それを見ておばあちゃんは「自分がなんとかしなければ」とますます母親支配する。

自立したくとも彼女には生活能力がないのでできない。

妊娠して男に捨てられ親(おばあちゃん)に相談するも突き放され、弟である主人公に娘を託して自殺

自分のようにしないで、普通に育ててと主人公に娘を託すが・・・


ませていて可愛くて、繊細で、言動が突拍子もなくて目が離せない。本当に魅力的。

感想サイトを見ると見た人全員が絶賛している。

見ていない人はぜひトレーラーだけでも見て欲しい。

ちょっとした子供仕草が本当にリアル。すきあらば体をよじ登って来るとか、上に乗っかって寝始めるとか

あるあるある。


映画を観る前は「アイアムサム」みたいな内容かな?と思っていたのだけれども娘の立ち位置がこの映画をもう少し複雑にしている。

母親普通に育てるようにと遺言を残したけれども娘自身数学を望んでいる。

普通小学校に通うことを拒否しおばあちゃんの持ってきたPC数学書に純粋に喜ぶ。

母親はおばあちゃん価値観押し付けられ苦しんだ。母親は「自分と同じにしないように普通に育てて」というが

皮肉なことにそれが母親から娘への価値観押し付けにも見て取れる。当然だけれども母親と娘も別の人間なわけで。

主人公自分の行動が正しいのか苦悩し続けている。

もちろん娘は主人公との暮らしを望んでいるし、明らかにおばあちゃんダメすぎるのけれども。

この映画感想に「天才には適した教育をすべき」という主張の人がかなりいることにちょっと驚いたのだけれども

おそらく彼らは娘に強く感情移入ながら見たひとたちなのだろう。


数学描写

映画は素晴らしかった。たまに映るホワイトボードノートの数式もいいかんじ。娘の成長具合がなんとなくわかる。この手の映画は数式が不自然にわざとらしくなりがちだけどそんなことない。よい。けれども1箇所だけちょっといいたい。

天才を試す問題ガウス積分はないでしょーー。しか符号書き間違えるか??ぐちゃぐちゃ長い式書いていたけれどもいったい何を書いたんだ。式が長い方が絵的に映えるのかもしれないけれどー。筋の悪い人に見えちゃうよー。極座標にしようよ。

いや小学1年生がガウス積分はすごいけれども、彼女は少なくとも微分方程式までは勉強しているわけでとうに知っているでしょう。

あのシーンだけちょっと突っ込みたい。

2017-11-30

[]フルメタル・パニック! 1st SECTION ボーイ・ミーツ・ガール

2016-09-07

[]ドノバン珊瑚礁

シナリオ教科書に失敗作の例として載せるべきなくらい支離滅裂な話だった。

 

戦後日本軍と戦った南の島にそのまま住み着いた医師ディダムの元を、故郷ボストンからアメリアが尋ねて来る。ディダム実家海運業の株が相続されることになったのだが、彼がもし現地で家族などを作っていると「ボストンの慣習に照らして」道徳的問題があるため、遺言状の条件により相続資格を失う。それを暴いて相続権を取り上げるのが目的である。娘が来ると聞いたディダムの仲間は、彼の家族を隠そうとする…。

 

というと、まるで相続権を争って秘密を守り通す紆余曲折という話になりそうなあらすじだが、違う。まずもって、ディダムの仲間たちは相続の話は最後まで知らない。ディダムが回診で近隣の島へ出掛けているうちに、なんとなく「娘には新しい家族とか隠しとかなきゃいけないよね」で隠すのである。ディダムは島に帰って早々、娘に直接「株とかそういうの要らないし」と、自分いかにこの島が好きかを語る。この時点でメインプロットは終わったも同然だが、何故かその後も惰性でディダム医師の3人の現地子(娘ふたり息子ひとり)の存在は隠されたままになる。

 

そもそも島の仲間は株のことなど何も知らないのだから相続権を巡って必死秘密を守る話にはならない。代わりに、ディダムの子供たちの偽の父親役を引き受けたドノバン珊瑚礁(店名)店主ドノバンとディダムの娘アメリアロマンスが途中から話の中心になる。相続の話は知らないくせにアメリア資産があることは「調べ」ただけで突き止めたフランス人総督微妙ちょっかいを出してきたりもする。

 

しかしこれもよく見ると変な展開であるドノバンはディダムの子供たちを隠すために父親役をやりながら、何故かアメリアの案内役のようなものも同時に務める。他に人材がないなら仕方ないが、隠すなら極力近づかないようにする方が良いのは当然である。このせいで、ディダムの子供たちと交流を深めたアメリアが、子供たちをディダムの家(つまり子供たちの家)のパーティーに招待したりして、変な感じになったりする。

 

結局のところ、この映画においては全ての出来事ドノバンアメリア交流を無理矢理作り出すためのヘタクソなお膳立てなのであるアメリアが島に来るために相続の設定をつくり、アメリアドノバンに惚れるために、ドノバンがディダムの子供たち相手に「良い父親」を演じる状況を作り出す。

 

あげく、アメリアは島のそこここで見た「マヌラーニ(姫?)」の名前から、これが子供たちの母親であり自分の父の妻である事を勝手推理し、そもそも相続問題もなければアメリアに新しい家族に対する抵抗もなかったので、そのまま家族和解し、本当は独身とわかったドノバンプロポーズされて終わる。(この「マヌラーニ」の名前も、父親たちと一緒に戦った記念碑名前がある、父親病院マヌラー病院となっている、マヌラーニの墓を教会で見かけた、だけで父親プライベート手紙名前があったとかですらないので、よく当たり前に推理したもんだと感服せざるをえない。)

 

こんな「父親現地妻がいたらすわ大問題、かと思ったらそんなことはなかったぜ」的尻切れとんぼな話が、脈絡のない乱闘シーンや、おっさんたちの「俺たちはよゥ…ここで戦ったんだよゥ…」という郷愁ポリネシア?のエキゾチック儀式とむりやりシャッフルされて映像化されたのがこの映画なのである

 

長々書いたが、実際この映画のめちゃくちゃさを実感するためには、見た人の大半がストーリーを間違って理解している、という事実を指摘するだけで十分なのかも知れない。ともあれ、何がしたいのか理解するのに苦労する映画だった。

 

南の島の風景はよかった。

2014-09-02

[]魔女っこ姉妹のヨヨとネネを見ました

※ある程度ネタバレあり。

昨日の深夜遅くアニメ映画魔女っこ姉妹のヨヨとネネ』の地上波放送をやっていたので見ました。

アニメーションや背景、音楽は非常に良く出来ていて楽しめましたし原作への興味もわきましたが、映画の話が面白かったかというと、うーん。子供に見せたいか、というとさらにうーんという出来だったので何が気になったか整理するために引っかかった点書きます

なお、当方原作は未読。

1.死について重く考えているのか軽く考えているのかわからない

 この映画では魔法世界の『魔の国』と我々の世界そっくりの『現代社会』の2つの世界舞台となります。一番の違いは当然魔法が使えるか使えないかなのですが、その次に重要な違いが命の重みです。魔の国では寿命以外の死はないようです。魔法で再び蘇ることが出来るからです。そのため現代社会に迷い込んだ魔女ヨヨは、死や怪我を恐れる現代人とのすれ違いを生んでしまます。このシーンはちょっと泣けますし、物語的にもいい描写だと思います

 一方で、この映画が進むにつれて事件が広がり様々な被害が起きていきます。人々が怪物化してしまうというのを発端として、ビルや街が次々と魔の国の上空に転移されていったり、奇怪な植物が街を飲み込んだりして、最終的にその破壊地球規模にまで広がります。で、最終的に怪物化は治りビルも元の場所に戻っていくのですが、その描写がどう見てもめでたしめでたしで終われるレベルじゃないのです。例えば怪物化に関しては物語中で交通事故引き起こしているようにさまざまな事故を起こしているだろうことは想像に難くありません。ビルと街の転移が拡大してから東日本大震災以上の災害地球規模で起きているようにしか見えず、まさにカタストロフィしか言いようがありません。実際に、この災害がまだそれほど大きくなってない段階で既にヨヨペットの猫ビハクは巻き込まれて死にかけてる訳ですし、最低でも数百万数千万単位で人が死傷していることは明らかです。

 しかし、この大災害引き起こした主因となる現代社会の人物の責任はそれが意図しなかったものはいえ問われないのです。責任が問われないばかりか、罪悪感に感じている様子すらありません。みんなこれ納得出来てるんでしょうか?一つ可能性があるのはみんなが願いかけるシーンにおいて、その願いの魔力でケガ人や死人が復活していた可能性ですが、それって結局魔法頼みでテーマに沿うのか疑問ですし、責任という点が解消されたとは思えません。一匹の猫が死にそうになる事件や、一人の人間が死んで娘が遺されたという事への情感あふれる描写に対して、多数のその他大勢の死に対する描写感情が皆無なのはまりにもアンバランスに過ぎると思います

2.魔法世界論理理解出来ない

 事件のそもそもの原因を考えると、12年前に魔法世界で起きた戦争の影響で魔法世界人間現代社会転移したことが原因です。要は現代社会魔法世界のゴタゴタの余波で壊滅的な被害を受ける被害者に見えるのです。しかし、主人公姉妹の祖母であり大魔法使いのおヨネなど魔の国の上層部ビル転移による魔の国の被害を異世界から攻撃侵略と捉え、その転移を止めるために既にボロボロ現代社会への攻撃し全てを破壊しようと準備します。ヨヨというチャンネルがあり現代社会情報も得てるわけですし、描写を見てるとおヨネは異世界戦艦転移される事も可能なようです。事件解決の使節団を送るなど他の対応は取れそうなのにいきなり攻撃を計画というのは非常に無責任しか見えませんし、そもそも被害のほとんどは森で起きており、上述の通り魔の国では死んでも大抵は復活出来るため、果たして魔の国の被害がどれほどなのかも全然実感が湧きません。

 戦争への後悔や反省などは原作で回収してるネタかもしれませんが、その辺りはもうちょっと描き様がなかったのではないでしょうか?原作キャラらしいのはほぼ全員好感持てましたがおヨネだけは納得いきませんでした。

3.自分幸せを願うことに善悪の分別がつけられるのか

 願いと呪いについては例えばまどかマギカでも大きなテーマの一つであり、まどかマギカでは願いと呪いはそれこそ表裏一体のものでしたが、ヨヨネネでは願いが他者のためであれば純粋な善きことであり自分のためであれば純粋に悪しきことであると完全に分別されて描かれているように見えます他人幸せを願うことが一般的に善きことであり、他人の不幸を願うことが悪しきことなのは納得がいくのですが、自分幸せを願うことが単に我がままだと断じられるのはストンと納得出来ません。例えば孝洋の両親の願いは果たして家族無視した自分幸せだけを望んだ願いだったのでしょうか?子供にも理解やすくするために分かりやすくという目的もあるのでしょうが、そういった配慮子供を下に見ている様で余計に見せることを躊躇われます

2014-08-16

[]宇宙兄弟#0を見ました

  ※ネタバレはありません。

 当方漫画原作コミックス所持、アニメ全話視聴済み。15日夜のシネコンレイトショーで見たのですが客席は10名ほどでガラガラ。その時点で不安でしたが結論から言うとつまらなかったです。映画というよりはアニメスペシャルくらいのもんです。点数で言うと30点弱くらい。宇宙兄弟ファンでもないと見る必要ないかと思います

良かったところ

登場人物の今まで描かれてなかった設定、この時ならあの人達はこういう立場でここにいるはずでこういう関係性だよねってのが見られたのは良かった。

ロケットの発射や月から地球を見るシーンなどは映画ならではの絵力が比較的あり、感慨深いものがあった。

・日々人とブライアンの話や、六太と日々人の話などは「宇宙兄弟」らしくて良かった。原作の月事故では照明弾を暖房代わりに使うシーンがありましたが、その発想に繋がるのであろう訓練シーンもあったり宇宙兄弟ストーリーにおけるブライアンの大きさは感じさせるものでした。

悪かったところ

・六太の話が基本的面白くなかった。「宇宙飛行士になれていない」という大挫折の中での小挫折なので、それを克服してもあまりカタルシスを感じませんでした。結局プレゼンがド下手だったのが上手く出来るようになっただけなんじゃね?って言う感じです。日々人がそれを見て「やっぱり六っちゃんは宇宙飛行士の素質がある!なるべきだ!」と確信するような内容にすれば第1話の宇宙飛行し選抜の願書を出す説得力にも上手く繋がって面白かったのではないでしょうか。

・ところどころ絵が雑。動きのあるアニメじゃないので基本期待はしていませんでしたが、それでもロケット発射シーンの観客とかは昨今のアニメ映画としてはなかなか見れないほどに酷かったです。

カレー食べてるときスプーン金属音が不快

シャロンは出ても良かったんじゃないでしょうか。

2011-08-16

[][][][]観てきたんだけどさ

わりと面白かったよ。

学生運動を取り上げつつも政治色を薄めたところに好感。

過不足のない佳作って感じだな。

 
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