「呈示」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 呈示とは

2020-09-03

anond:20200831020049

ビスケ師匠になったカストロ

間違った方法で念能力習得したらどうなってしまうのかをゴンと読者に呈示するかませ犬の役

あれは運用方法が間違っていただけで、本体と変わらない性能のドッペルゲンガーを生成できるって念能力としてすごい優秀だったと思う。

本来は仕掛けがバレても十分強い能力なのに敗けてしまったのは念能力同士による戦闘経験不足というほかない。

2020-08-31

漫画のif妄想一覧

体が小さくならなかった工藤新一

1話で(あんまり設定の固まらなかったっぽい)ジンに薬を飲まされ体を小さくされた工藤新一だが、取引現場に行かない、あるいは目暮警部でも連れて行けば体を小さくされることもなかっただろう。

でもその場合タイトルが「名探偵新一」になるんだよな。かぶるよなぁ、いろいろと。マガジン高校生名探偵と。成績といい知識といい体力といい実家金持ちなところといい家柄(リアル有名人の孫)と顔立ち以外はあらゆる面で金田一少年に勝る新一君だけど、それでも二匹目のドジョウ感は否めない。

そもそもコナン自体、「マガジン推理もの流行っているかサンデーでも推理ものをやろう」というところから始まっており、普通だったら金田一少年に寄せて漫画を作るであろうところを(ジャンプはそれで最低でも2回失敗しており、デスノネウロで持ち味を活かす方向にシフトして成功した)、主人公の体を小さくして不思議メカラブコメ要素をくっつけたのは流石青山剛昌大先生といったところである

ビスケ師匠になったカストロ

もともとヒソカからその才能を高く評価されており、舐めプしてたとはいえヒソカの腕を千切れるくらいのパワーを持っていたわけで、間違った方法で念能力習得したらどうなってしまうのかをゴンと読者に呈示するかませ犬の役になってしまったのだが、強化系は極めれば各種ステータス尋常じゃなくなるので、ちゃんとした念の師匠に巡り合えていればゴンさんほどとはいかないまでもウヴォーと同等かそれ以上の使い手にはなれただろう。たぶんバンジーガムもトランプ通用しない。

イケメン大好きビスケと、ヒソカから才能を認められたイケメン、正直ベストマッチだと思う。たぶんクソガキたちよりも手取り足取り優しく教えてくれると思う。イケメン弟子可愛い(見た目)の師匠乙女ゲーでありそうなシチュエーションから話が全く違う方向になるけど。

破門にならなかった火引弾

屈指の弱キャラとしてネタにされつつも愛されてる男火引弾だが、師匠にもその才能を認められ、修行してちょっとで片手波動拳が使える(これができるのは師匠だけ)くらいだから破門されなかったらリュウ豪鬼以上の使い手になったと思われる。でもサガットへの復讐心はそのままだから、かなり高確率殺意の波動にめざめてるだろうなぁとも思う。その場合でも豪鬼より強いだろうけど。

安い挑発に乗らなかったエース

赤犬の安い挑発に乗ってしまったせいで命を落とす結果となったエースだけれど、これがもしウソップみたいな性格だったら捨てゼリフを吐きながら赤犬から無事逃げおおけていたことだろう。

その場合、白ひげが死んでいたかどうかもちょっと怪しいわけだが、仮に白ひげが死んでしまっても白ひげ海賊団も落とし前戦争ももう少し違った形になっただろう。まあ白ひげ抜きで黒ひげ海賊団に勝てるとは思えないけど。

政府と戦う選択肢を選んだ桐山和雄

漫画版と映画版しか知らない。ゲームをやるかどうかをコイントスで決めて、ゲームに乗る方を選んでしまったがために事実上ラスボスと化した男。

成績優秀容姿端麗、不良のカリスマで、拳法の達人に拳法で勝っちゃうし、頭撃たれてもなんか訳の分からない動きで主人公サイドを翻弄ちゃうし、車も普通運転できちゃうし、ほんとにチートみたいな存在だった桐山

彼が政府と戦う選択肢を選んだら、造作もなく政府に勝っちゃうのは想像に難くない。まず自力首輪を外せそうだし、首輪から盗聴器が仕掛けられてることとか首輪を外したら死亡扱いになることも解析出来そうだし、三村よろしくハッキングもたやすく出来てしまいそうではある。加えて体術尋常じゃないから、一人で政府軍隊のいる最初学校に乗り込んでも余裕で勝てるだろう。一人で乗り込んでもいいし、持ち前のカリスマを活かしてみんなで乗り込んでもいい。勝ち方すら選り取り見取りなのがチートチートたる所以なのだ

アナザーifストーリーがあったら欲しい。

ヤクザマンションから逃げなかった藤原

忠義心1割、辞めたところでどこにも拾ってもらえないだろう感2割、主に垣原への恐怖心9割で終盤まで垣原組にいたけど同時に敵と仲間がゴミみたいに殺されてるのに耐えかねて逃亡したヤクザとはいえ当初からジジイリストに入っていたから、最後のイチと垣原とのドンパチの幕間で殺されてるか、その前にジジイに殺されてるだろう。そこらのモブヤクザよろしく瞬殺されるオチしか見えず、あのままヤクザマンションにとどまったところで、生き残れる要素がどこにも無い。合掌。

座間製薬を辞めなかった鷹山

もともとアマゾン製作者の一人である天才科学者なので、野座間に残ってアマゾンをどうにかする薬を作ろうと思えば作れたであろうが、持ち前の正義感自分アマゾンになることを選んじゃった伝説ヒモシーズン2ではヒモから住所不定無職ランクアップしてしまった。

彼が余計なことをしなければ千翼が生まれず七羽さんもオリジナルにならず新型アマゾンも生まれず、結果星埜一家も死なないしフクさんも圧裂弾を要求しないで済んだ訳なので、あらゆる意味シーズン2の元凶になってしまった男。もしかしたら悠とイユでフラグが立ってたかもしれない。イユと千翼のおねショタか、悪くないな。

余談だが黒幕ラスボスが違うのはタイムレンジャー以来な気がした。

千翼はアマゾンではないから、仮にシーズン1のタイミングで千翼が生まれたとしても普通の5歳児で、鷹山一家アマゾンに食われる可能性はあったかもしれないけど大手製薬会社チーフとしてそれなりに恵まれ幸せ家族生活を送れていたのだろう。アナザークレヨンしんちゃん、それは多くの視聴者が望んでいるifルートなのだ

同情するから死んでくれなどと言われる千翼が救済されるルートシーズン2の中にはなかった。

お気に入りキャラ絶対幸せにさせないという靖子の強い意志(悪意)を感じて、とても良い。

2020-04-10

追記ADHDと診断されて障害者採用枠で転職した

先日転職活動を終えたが、

ネット上にはまだ障害者採用枠の転職についての情報が少ないため、

増田に記しておくことにした。

増田スペック

アラサー

ADHD(不注意優勢)

関西在住

・2年前に診断、精神障害者保健福祉手帳3級を2月末に取得

新卒と現職は一般枠での採用就労

マルチタスクかつ接客イレギュラー対応が多く求められる現職での業務限界を感じ、

障害オープンにして配慮を受けながら働ける職場を求め、転職活動をすることに。

自己応募もいくつかしたが、メインとしては障害者対象転職エージェント2社を利用した。

・atGP(株式会社ゼネラルパートナーズ

DODAチャレンジ(パーソルチャレンジ株式会社

エージェントを通した転職活動については、基本的に、一般枠での転職と大きくは変わらなかった。

担当エージェントとの面談前後作成する資料に、自分障害特性について説明するシートが加わったくらいか

個人的には、このシートを作成する際に、改めて自分の苦手なことや配慮してほしい事柄について深く考えることができ、大いに助かった。

また、どちらのエージェントにも模擬面接をしてもらった。

前回の転職活動以来となる面接だったため当初は緊張していたが、模擬面接でよくある質問シミュレーションをしておいたことが良い結果につながったと思う。

2社の違いだが、atGPは中堅〜大手企業求人が多く、DODAチャレンジ大手求人が多かった。

また、これはエージェントタイプにもよるかと思うが、atGPはどんどん求人を紹介してくれ、応募もさせてくれた。

DODAチャレンジ自分の志望に出来るだけマッチした優良企業を厳選して紹介してくれた。

結局、応募数は下記のようになった。

・atGP経由

29社紹介→13社応募→4社書類選考通過・面接へ→1社内定

DODAチャレンジ経由

7社紹介→4社応募→2社書類選考通過・面接へ→1社内定

自己応募

3社応募→2社書類選考不採用、1社サイレントお祈り

自己応募するとなると企業毎にフォーマットの違うWebフォーム入力しないとならなかったり、

履歴書職務経歴書を都度郵送しないといけなかったりという手間があったので、やはりエージェントメインで転職活動して良かったと思った。

面接で聞かれたのは、基本的なことで、トリッキー質問はどの会社もなかった。

障害者なので、自分障害特性説明と、それに対してどういった工夫を行っているかや、どういった配慮を求めるかはもちろん聞かれる。

また、ADHDと診断された際にそれをスムーズに受容できたかについてもよく聞かれた。

このあたりは面談や模擬面接を通じてエージェントとかなり詰めていたので本番の面接でもきっちり答えられたと思う。

他の質問は今までの経歴や前職の退職理由や今回の転職理由複数内定が出た場合何を優先して判断するかなど。

印象的だったのは、もうアラサーなのに、未だに大学時代サークルであったりアルバイトのことを聞かれることだった。

新卒採用ならわかるが、前回の転職面接の際は特に聞かれなかったので、障害者採用場合はより深く個人の人となりを知りたいのか?と感じた。

最終的に障害者雇用実績が多くあり、双方で密にコミュニケーションを取って、より良い関係を築いていきたいという人事の方の姿勢が見えた会社内定を頂けた。

業種は今までと全く違うが、職種新卒以降やってきたことに関連するのでスキルは活かせるかと思う。

働き始めるのは少し先だが、期待されている能力を発揮できるように頑張りたい。

-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

ブコメがたくさんついていてびっくりした。

皆さん読んでくれてそして、おめでとう、頑張れと言ってくださって本当にありがとうございます

励みになる。

以下、追記

年収について

かに大事なところだけど書き漏れていた。

エージェントから説明でも、一般から転職だと年収は下がるとは言われていた。

現職の賞与込みの年収マイナス20万円を希望して、その通りの額で内定が出た。

自分としては、その20万円は残業代(月20時間弱程度らしい)でいくぶんか取り返せると思うのと、

もし残業が全く発生せず取り返せなくても、合理的配慮をしてもらえるならその分安心して働けるので良かったかなと納得している。

ただ、理想としては障害者採用枠でも一般枠と変わらないようなお給料がもらえる社会になっていってほしい。

内定複数取るのは採用側としては勘弁してほしい

すまない。

1社目の内定が出たときは喜んだが、呈示された年収希望額を大きく下回ったので断った。

ただ、条件が良ければ、キープして選考を受けようとしていたのは事実であり申し訳ない。

このあたりは志望度と選考の進み具合が関係するから、調整するのが難しかった。

職場ではオープンにするのかな?

自分としてはオープンにして働きたい。

というのも、現職でクローズで働いているが、苦手なことに対しての苦手感、困り感を共有してもらうのが難しいから。

その部分を『こういった障害特性があってこれこれこういった部分で難しい点がある』と周りに伝えた上で働けたらと思っている。

2019-12-27

独断偏見で選ぶ2010年代ベストアニメ10

2010年代が終わるわけだが、2010年代アニメベスト10独断偏見で決めてみたくなった。ので増田に放流。

見てない作品は語れないので見た作品だけ挙げる。見た作品の数が少なくラインナップが偏っている結果チョイスが偏った点については先に謝っておく。また、順番は順位ではなく放映順である

魔法少女まどか☆マギカ』(2011年

長いゼロ年代の終わりを飾るというか10年代の始まりを告げるというか、とにかくエポックメイキング作品だった。紛れもなく一時代を画すアニメであり、こんなに議論が盛り上がって人々の印象に残ったのってマジでエヴァ以来なのではという衝撃があった。

Fate/Zero』(2011/2012年

2010年代にはFate/stay night [Unlimited Blade Works](2014/2015年)とFate/stay night [Heaven's Feel]』(2017, 2019年)がアニメ化され、さらにはFGOや『Fate/Apocrypha』に『ロード・エルメロイII世の事件簿』もアニメになり、いずれも素晴らしい出来だっただけにどれを入れようかすごい迷ったのだけれど、Fateシリーズに新しい客層を開拓したという点でZero存在感がなんだかんだで大きいかなと。切嗣重要台詞微妙原作改変でそれはどうなのかと思わなくもなかったがラストの桜ちゃん原作ではなくボツになった原案通りに作ってくれて素晴らしかったですね。人間オルガンちゃん再現されなかったのは残念だけど仕方ない。Heaven's Feelも本当に素晴らしかった……。何も言うことはない。俺たちの見たかった最高の桜ルートだ……。2010年代Fateアニメ化で盛り上がった10年だったと回顧できるだろう。セイバールートも作り直して。

おおかみこどもの雨と雪』(2012年

一作くらいは細田守を入れておいてもいいんじゃないかと思って挙げてみた。細田守はてなでは評判が微妙だが普通に『おおかみこども』は良い作品だと思うんだ。純粋家族愛物語として見ると違和感とかも出るのかもしれないけど、歪められた関係性も理想化された田舎も、すべては花の回想をもとにして雪が語ったことであって、花というある意味信頼できない語り手を通して見た世界なんだよね。加えて言うなら、花が雪より雨を構っていることに批判的な意見も多々見られ、それは雪から見ればそうなのだろうし実際にきょうだいより構われなかった思い出を持つ人にとっては良い気持ちはしないのだろうけれど、でも完璧人間でないと母親になってはならないか、といったら違うわけでしょう。母親欠点を持つひとりの人間だし、それでも母親なのだ、という話だと思いますよあれは。それらの偏愛や歪んだ世界像を卓越した映像美でくるんで提示してくるところに、細田守が色んなひとの神経をざわつかせる理由みたいなものがあるんじゃないのかな。

サカサマのパテマ』(2013年

アニメ映画を1つだけ挙げろ、と言われたらこれを推す。名作名作アンド名作。何を語ってもネタバレになりそうなので最高のSFアニメ映画だという当たり障りのないことしか言えない。ボーイミーツガールSFの傑作。いいから何も言わずに見やがれください。

SHIROBAKO』(2014/2015年

単純なアニメ業界楽屋ネタに留まら人間ドラマとしてしっかり作り込んでいてくれて良い作品だった。23話はみゃーもりにつられて泣いちゃうでしょ……。5人の歩く道は凸凹していて、正解はわからずに手探りで進んでいくしかなく、それでもアニメに関わりたいという意志を持って進んでいけば夢に手が届く。そういう話の筋としてはありふれた成長譚を細やかな人物造形と堅実な脚本で良いアニメにしてくれていた。「万策尽きたー!」「どんどんドーナツどーんといこう!」などのフレーズも印象に残る。ただアニメというフィルターを通してもなおアニメ業界ブラックさが滲み出ており「これは美談にしてはいけないやつでは」みたいな感もあって、アニメの放映スケジュールが狂うことがあちこちで頻発しているのを放映予定の変更とかで視聴者目線でも感じ取れるだけに複雑な気分である

放課後のプレアデス』(2015年

紛れもないジュヴナイルSFアニメの傑作。可愛らしい格好をした魔法少女たちが土星の輪に突入するとか太陽系外縁部を探査するとかブラックホールを反転させるとかのハードSF冒険を繰り広げるギャップがすごいし、荒唐無稽ファンタジイとリアル宇宙描写を融合させた映像美はアニメからこそ実現できるものだろう。ちょっと宇宙が出てくる魔法少女ものだと思って見始めたわけだけど土星の輪に穴を開けてエンジンを探し始めた辺りでガチSFをやろうとしてるんだと理解したし実際かなりSFだった。降着円盤温度まで考察されてるのすごくない……? そして根底には傷つきやすい繊細な心と他者を思いやる優しさが流れていて、映像の美しさと相まってリリカルさに心が洗われるような気持ちになる。放映終了後の喪失感は半端なかった。『サカサマのパテマ』と並ぶ2010年代SFアニメ金字塔ですわ。これが星雲賞を獲るべきだったのでは。

プリンセス・プリンシパル』(2017年

アクションのキレの良さ、百合描写の濃密さ、黒星紅白キャラの可愛さ、音楽テンポの良さ、細部の丁寧さ、どこをとっても娯楽アニメとして超一級の出来だったと言うほかない。特に5話の剣戟シーンはここ十年で一番の殺陣だと思う。梶浦由記オサレ音楽BGM美少女たちが流れるような作画チャンバラするの控えめに言って最高としか言えない。また「神は細部に宿る」を地で行くような作品であり、アンジェプリンセス手紙の遣り取りとか、脱出用の荷物に書かれた文字とか、さり気ない描写ひとつひとつに込められた情報量が半端なく、それによって世界観と百合に奥行きを持たせることに成功していた。アンプリ、いいよね……。劇場版むっちゃ楽しみ。

宇宙よりも遠い場所』(2018年

素晴らしい作品だった。2018年TVアニメ豊作の年でありゾンビランドサガ』『SSSS.GRIDMAN』などオリジナルの良作が次々と放映されたわけだが、なかでも別格だと思うのが『よりもい』。毎話毎話が最終回のごとき余韻を残し話ごとのメリハリも利いていて軽くシネマっすねという感じだったし、「先に行けって言われて先に行く薄情にはなりたくない!」「友達ってたぶんひらがな1文字だ!」などの印象に残る名台詞の数々は記憶に焼き付いて離れない。花田! 神回しか作れずに恥ずかしくないのか? 視聴者を泣かせて食うメシは美味いか? なかでも特筆すべきは12話で、まさか受信メールフォルダを映し出した画面に泣かされるなんて思ってもみなかったアニメ史に刻まれる名シーンですわ。

さよならの朝に約束の花をかざろう』(2018年

岡田麿里が本気を出してファンタジイをやったらなんかすごいのが出力されてきた。失ったものいつまでも抱いてしま妄執とか、恋と愛の区別あやふやになって煮えたぎる思いとか、無理やり連れ出されて見せられた世界の美しさとか、そういったドロドロした感情を叩き込んだ闇鍋から人は互いに織り上げあう物語であるというテーマを掬い上げて観客の前にどーんと呈示してくる素晴らしい映画作品。ただただ名作と言うほかない。15歳しか離れていない不老の種族美少女なお母さんに育てられたいだけの人生だった……

『天気の子』(2019年

君の名は。2016年)で俺たちの新海が一気に一般人にも知られるアニメ監督にのし上がってしまい、遠くに行っちゃったんだな……とゼロ年代に魂を囚われたオタクたちが訳知り顔でホロリとしていたところに投げ込まれた傑作。いや~原作PC版のクライマックスを忠実に再現してくれてましたね! 私は原作だと夏美ルートが好きで、彼女が晴れ渡った青空を見て浮かべる笑顔の爽やかさと、その青空意味を後続のルートで種明かしされて味わうことになる切なさがめちゃくちゃ印象に残ってるんですよね。でもやっぱりあの長編エロゲから1ルートを取り出して劇場アニメにするとなったら陽菜ルートになるのも納得がいくわけで(甲高い早口

……という感想を諸人こぞりて口にしはじめる辺り、完全にゼロ年代エロゲだったテン年代最後の年にゼロ年代を煮詰めたような要素てんこ盛りの作品を公開してしかもそこにセカイ系を力強く肯定するオチをつけるわけですよ。ゼロ年代の亡霊が昇華された感があり、なんというか新海誠すげえわ、一生ついてくわ。

2018-08-21

anond:20180821173216

それはソース呈示も論証も可能なことですよね?

仮に提示しても、大学学部程度の解析力学すら理解できないギリ健のお前には論証できないじゃん。何言ってんの?

君みたいなガイジは黙って偉い人のご宣託を唯々諾々と聞いてればいいの。わかった?ガイジにはわからんか。

2018-06-25

anond:20180625135127

そう言えばああい模倣者が事を成し遂げた場合どうなるかっていうのは作中に呈示されてないよね

2018-05-25

フェミの言うことを聞いて「紳士的」に振る舞ったとして

どういうメリットがあるの?

フェミはそこのメリット呈示できないと支持者を増やせないでしょうよ

2018-02-21

「(民事訴訟を起こされたという体験」第五話

これまでの話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」序話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」第一話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」第二話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」第三話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」第四話

この増田を読んでる皆さんへ
第一話についているコメントに対して

登場人物紹介
「(民事)訴訟を起こされたという体験」登場人物紹介(追記有り)

Kは先ず、プロバイダに対して訴訟を起こしてきた。
Aがいう所によると、プロバイダに対して起こしている訴訟が決着まで少なくとも3カ月かかるだろうという事だった。
その間、私とOはAから指示された事は
「二人とも、スレでは出来るだけ訴訟を起こされている事に対して怯えている振りをして下さい」
「その際、こちら側に弁護士(A)が付いている事は気取らせない様にして下さい」
の二つだった。
言葉通り、スレでは訴訟に怯えてる振りをした書き込みを心掛けた。

Kはスレを見ていたのだろう、プロバイダ弁護士を通して
「そんなに怖いなら和解案を提示してやろうか?」と伝えて来た。

直ぐに、私とOはAに相談した。

Aの事務所で三人で話をする。
まさか相手がここまで馬鹿だとは」とAは苦笑いした。

Aが言うには、こちらが怯えた振りをしておく事で相手を勝った気にさせれば必ず隙が出来る。
訴訟の時にその隙を突いてやれば良いと思っていた様だ。
だが、相手想像以上に馬鹿だった事でAは方針軌道修正を入れる事になった。
A曰く、向こうから和解呈示してくるという事はKと契約した弁護士はどうか不明だが、Kは「戦う前から勝った気になっている」事が伺えるとの事。
そこで、こちらは弁護士が付いている事をAに気取られない様に本人が和解交渉をするという形を採った。勿論、裏ではAからの入れ知恵をされた上でだ。

先ず、プロバイダ顧問弁護士を通して、こちら側とKと契約している弁護士との間でメールアドレスの交換を行う。
その上でAから言われた文面を書きKと契約している弁護士に送り、Kと契約している弁護士からの返信をAに転送
それに対する返信をAが考えAの書いた文面を送る、という繰り返しだった。
ここで、Kの契約した弁護士をSと呼ぶ事にしよう。

S・・・Kが契約した弁護士、後に判明する事だがSとKの関係は良好ではない。

次回に続く。

2018-01-23

センター国語ばかり槍玉に上げてるけど

センター国語プロ作家が解いても満点取れないとか、そういうことになにか意味があるのだろうか。

まず、入試の科目なんてのはその道のプロ選抜するものではない。

国語に限らず数学でも理科でも社会でも、プロ学者がすべての問題ミスなくこなすなんて無理だろうし、外国語だって場合によってはネイティブミスをするだろう。

入試は、特にセンター試験努力の成果を見るものなのだから、才能があるからと言ってできてしまっては意味がない。ちゃんと"お約束"を知っておくことは、当然要求される。

それに、プロというのは一芸があればいい。例えばプロスポーツ選手だってアマチュア向けのテストではあらゆる能力要求されるが、真の一流選手はいくつかの項目が欠けていても活躍できる。メッシが誰よりも足が速く体力があるわけではない。そういう意味でもあらゆる要素が満遍なく問われる試験というのは、アマチュア向けなのだ

そしてそもそも文学というのは書き手読み手認識が一致しないものだ。書き手意図が何の誤解もなく読み手に伝わるならば、文学なんてもの芸術でも何でも無くなってしまう。だからプロ書き手読み手立場センター試験を解けないのは当然と言えば当然だ。

強調しておくと、読み手立場センター試験、という認識が大切なのだ試験を出題するのは筆者ではない。出題者は、読み手なのだ試験の度に読む題材は異なるが、出題者の姿勢は一貫している。だから受験者に求められるのは、作品の筆者を直接理解することでは決してなく、むしろ読み手でもある出題者を理解することなのだ。

そして読み手である出題者の中には、作品の筆者に対する批判意識も当然あるだろうから、筆者の意図は正解とは関わらない。しかしその出題には連綿と引き継がれている傾向、理論があり、だからこそ受験者も一人の読み手としてでなく、問題の解答者として試験に臨むことができるのだ。

最後に、「文学の読み方に正解はない」という国語試験批判する大義名分は、人間知的営みの根本的な前提を確認しているに過ぎないことに言及しておく。そもそも、どの学問を取っても、普遍の真理には程遠く、最新の理論などと言っても一つの解釈しかない。皮肉なことに、科学歴史恣意的ものだという議論入試現代文に繰り返し登場しているありきたりな話なのだが。

結局のところ、センター試験呈示する「読み方」を疑問視するなら、数学の、自然の、人間の、「読み方」である他の科目も―本当の正解とは限らない。逆に、センター国語の出題の背後にある理論は、他のすべての科目の理論と同様、絶対普遍のものではなくとも一つの体系を成している。その事が未だに十分に認識されていないことは、センター試験の失敗でもあり、今後試験の形が変わっても国語教育課題であり続けるだろう。

2017-11-21

ビール瓶ヤクザ交渉術

最初はムリな要求をつきつけて、そこから譲歩した条件を呈示して飲ませる交渉術

最初に「ビール瓶で殴った?ひでえ」と思わせて「え?殴ったのはリモコンだったの?」と軽くして、たいしたことない問題錯覚させる作戦

2017-07-10

携帯電話ショップで働いてます

携帯電話ショップ販売員をやっている。

うちのお店はノルマがゆるく、スタッフ1人1人に任せた経営方針なので、一昔前のように「強制加入のオプション」や「最初からセットになっているかのような付属品販売」は絶対に行わない。

しろ昨今では消費者の声を重く受け止めたキャリアから口うるさく「コンプライアンス違反するような不当な販売方法はするな」と言い聞かせられているくらいだ。

何より私たちには良心もある。

買いに来てくれるお客さんにより良い内容で商品サービス提供したい。

から、正々堂々とSDカード光回線タブレット提案をする。

お客さんからしたらわずらわしいかもしれないが、実際「紹介してもらえてよかった」と喜んで帰るお客さんも少なくない。

感謝されたりお客さんに得になるような提案ができた時が、この仕事をしていて一番嬉しい瞬間である

入店したばかりの頃、押し売りしたくないと悩む私に店長は、

使える割引を案内せずにお客様が高いまま利用していたらスタッフ責任が問われるし、

お客様にとって快適に使えるかもしれない提案をしないでほっておくのも同じことだ。

選択肢をたくさん呈示するのがスタッフ義務だ。

と言った。だから、「タブレットはいかがですか?」「SDカードはいかがですか?」と声をかけて、お客様に嫌な顔をされてしまうと辛いけど、それでも案内漏れがあってはいけないと、毎回頑張ってる。

一般の方にはわかりづらいシステムや、商品の細かいメリットデメリットをできるだけ詳しく、わかりやすく案内するのがモットーだ。

インターネット上で携帯電話ショップキャリアに対する悪い印象の意見を読むと、苦々しい気持ちになる。

数字ばかり追い求めて消費者目線に立たない経営方針は、お店で働くスタッフも辛い。

私はそんなの嫌だ。

今のお店は欲しい人にだけ売る、誠実なやり方で許してくれるけど、もっとノルマの厳しいお店に移動になったらきっとやっていけない。

物を売ってお金を稼ぐって大変なんだな。

ますようなことをして数字を稼ぐのはいやだけど、今のお店が潰れたり尊敬している店長が上から責められるのも嫌だ。

政府の介入で段々と状況は変わってきている。

今まで続けてきたやり方をある日いきなりガラッとチェンジという訳にはいかないかもしれないけど、なるようになると思う。

きっと異常なものは淘汰されるし、正常になっていく。内部からそう信じてる。

今日お客様と、人と人としてしっかり向き合って、お店に貢献していきます

休憩終わり!いってきます

2017-07-08

桃太郎炎上

仮説(印象論)の呈示問題提起批判複数肯定意見複数反論反証)→批判の共有→複数結論問題提起)的なもの

以上のことがあったのでバニラエア桃太郎と違うタイプ炎上だと感じるんだけど。

2017-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20170525145352

ありがとう、わかりやすい。

消される前のPDFを読んだところ、テキスト句点記号で区切って1文ずつバラバラにして、それぞれを分類していくという手法を取っていた。

作品を全体で捉えて文脈を読むという手法ではない以上、個々の作品アドレス呈示する必要はあまりないと思うんだよね。

この追記の末尾にも書いてたけど、サンプルデータをどのように抽出たかを書けば充分だったんじゃないのかな……。

参考にならないかなと、Web上でTwitterとかブログテキストとかを分析するテキストマイニング系の発表とか、ちょっと探してみた。

たとえば、

https://www.jsce.or.jp/library/open/proc/maglist2/00039/201105_no43/index.html

の「(145)ブログマイニングからの行動データ抽出分析可能性とアンケート調査との比較

ブログ収集するために,八ヶ岳南麓地域代表であ

ろうキーワード複数選択し,それらの組み合わせによ

って複数エンジンを用いて検索を行った.観光旅行

エントリーがあるブログ抽出効率の高さから,最終的

には「八ヶ岳」と「行った」をキーワードとしてGoogle

およびYahoo! Japanを用いて検索を行い(2),192ブログ

収集した.上記キーワード抽出されたブログのうち両

エンジンともに上位でリスとされ,重複して検索された

ものは80であった

こういう出典の示し方をしてくれたら、炎上しなくて済んだんじゃないかなぁと思う。

2017-04-17

学振はどうやったら受かるのか,微妙に考えた.

今年もそんな季節ですよね

なんかちょっと人の申請書をたくさん見る機会があったので(もちろん審査じゃない),その時感じたことを書こうかなと思いました

自分DCPDと両方通りました

専門は理論系とだけ

正直,業績とかよりもテーマ設定が大事だと思う

業績がすごい人が普通に落ちたり,逆に「なんでこれで?」みたいな人が普通に通ってたりする

自分後者

で,これじゃ落ちちゃうかもな,と思ったテーマ設定の方向性が次の3パターン

1.前提に飛躍があるパターン

例えば「AにおけるB-C概念の生成と展開について」みたいなテーマがあるとして

この「A」っていうのが前提になるはずなんだけど,

それがそもそも無理やり絞り出された問題だったり,思い込みみたいなものだったりする感じ

「すべての人間死ぬアリストテレス人間であるアリストテレス死ぬ」って論理展開自然だと思うのだけど,

いざ申請書を書き起こしてみると「アリストテレス死ぬ,だから全ての人間死ぬ」みたいにごちゃっとしてることがある

で,意外とそういう飛躍って「これまでの研究」で作ってしまった固定観念だったりするから

ちょっと冷静にみて,これは違うだろって思ったら容赦なく切り落としたほうがいい

論理になっていない部分を汲んでくれる審査員はそんなにいない気がする

2.明らかにつまらないテーマ

申請書の書き方が悪くて面白さが伝わってないパターンと,テーマ設定がどうしてもつまらないパターンがある

競争的外部資金なんだから,知り合いのなにも知らない人に話してもちょっとは興味を持ってもらえるテーマにしたほうがいい

自分問題意識と違う」となることもあるかもしれないけど

まず面白そうなテーマを決めて,そこから自分問題意識ラインをどう引けるかとかを考えてもいいか

あとスケール

申請書を読む人がその研究精通しているわけではないから,スケールを小さめにとると価値呈示しづらい

実際の作業は小さかったとしても,設定するスケールは大きめにとっといて問題ないんじゃないだろうか

あくまで間口は大きくするつもりで

申請書は間口

3.価値がわかりづらい

そのまま

お金をもらうのだから,「なんで他のテーマじゃなくてこのテーマ投資するべきか」みたいなのは意識すべき

他にもありそうな気がするけど,ひとまずこれで

とにかく申請書に向かう前に,自分が一番自由に考えられる状態テーマについてのイマジネーションの幅を広げたほうがいい

それとどういう価値があるのか

あと「超域」とか「国際」とか「学際」みたいなことは一応視野に入れて,必要ならアピールすべき

とにかくあらゆる文脈自分テーマが持ちうる意味を考えてみたほうがいいんじゃないかなと思います

なんかあえて書くような内容じゃなかったか

2016-11-25

それを夢小説かどうか決めるのは作者だ

と、わたし(筆者)は思う。腐女子こそ夢小説を書くべき論とかを読んで、うだうだ考えたことと提案

わたしの夢傾向のせいで、おおむね夢小説のことになるけれど、ある程度夢創作全体に通じると思っている。そして、だれにも押しつけるつもりはない。

わたしの夢傾向

女。

創作愛好歴はおよそ10年で、ブランクはない。「灰男」からとでも言えば、わかる人にはわかるだろう。

よく読む(積極的に探す)のは好きな原作二次創作夢小説。でも、おもしろいと思えば、なんでも読む。主人公個性がマシマシだろうがナシナシだろうが、性別が同性だろうが異性だろうが、恋愛があろうがなかろうが、その相手主人公と異性だろうが同性だろうが、ヒトであろうがなかろうが、ものだろうがなんだろうが、おもしろければ読む。じゃあ、どんな夢小説おもしろいのかとかいう話しにはキリがないので、割愛させてもらう。

「よく読む」と表現はしたけれど、書きもする。むしろ書くのがメイン。

で、わたしには一つ譲れないところがあって、自己投影する。作者がどういう意図をもって主人公を設定したか知らないけれど、その夢小説を読んでいるとき、その主人公は、わたし自身だ。

夢小説における自己投影

自己投影とは - 日本語表現辞典 Weblio辞書にはこう書いてある。

(2)目にした状況や呈示された刺激などを理解したり解釈したりする際に、その時の自分心理状態人格特性などが反映されること。「自己投影」は俗に、フィクション内のキャラクターなどを自分と同一視し、キャラクター自分に重ねることを指して用いられることもある。

そのうち後者フィクション内のキャラクターなどを自分と同一視し、キャラクター自分に重ねること)が、夢小説における自己投影だと思う。少なくともわたしにとってはそうだ。

わたしの夢傾向」を読めばわかるだろうけど、主人公自体にこだわりがあるわけではない。わたしは、おもしろければ読む。かれ(かのじょ)が、生き残った魔法使いだろうが、高校生探偵だろうが、半妖だろうが、天使の生まれ変わりだろうが、悪魔に呪われたエクソシストだろうが、マフィアの十代目だろうが、自分自身の子どもだろうが、あらゆる天賦の才能を無効化する天才だろうが、宇宙人侵略された地球でなんでも屋を営んでいようが、超次元サッカーを嗜んでいようが、メロンパンが好きな紅蓮の異能者だろうが、宇宙適応した新人類だろうが、幻のシックスマンだろうが、個性を掴みとった無個性だろうが、異世界侵略から地球を守っている戦士だろうが、壁の中の人類を追い詰める巨人だろうが、六つ子の六分の一だろうが、あるいはCV田村ゆかりでも、桃色の髪でも、透明な肌でも、眼鏡でも、ショートヘアでも、オッドアイでも、幼稚園児でも、おばあちゃんでも、壁でも、掃除機でも、薄汚い中年でも、ノンケでもレズビアンでもゲイでも、もうなんでもかんでも、それはわたしだ。夢小説を読んでいるときわたしはその突拍子もなくかけ離れた、ありえない、あるいはありきたりの、場合によっては自分そっくりの、そのものになる。

ところで、これがだれしもに当てはまるとは、思っていない。自己投影にはレベルがあると、わたしは考えている。レベル表現たからには高低があるが、そこに優劣を見ているわけでないことは言っておく。

ガバガバ。とくにレベル2と3。レベル0と1と4については、説明不要だと思う。

「無個性」について。文字どおり「個性」が「無」いことだ。その個性について、個性とは - Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ) Weblio辞書には、以下のように書いてある。

ある個人を特徴づけている性質性格。その人固有の特性パーソナリティー。 「強烈な-をもった作品」 「 -を発揮する」

夢小説においては、主人公に「(自分と)同じ性別」「同じ種(つまりヒトである)」だけが設定されていることだと思う。それに加えて「同じ性愛の向き(同性愛異性愛か)」「同じ好きなひと(主人公とのかけ算の相手)」が設定されていることもあるだろう。その程度だ。ここまでが、レベル2の「無個性」の範囲だと思う。

レベル3の「ある程度の個性」は、単純なものではない。ここでは「なんでもかんでもは無理」としか説明できないことだと思う。レベル2の無個性に少しだけなら、いやいやヒトならいいよ、擬人化された人外なら、異性でも同性愛者ならいいよ、有機物ならいいよ、基本はヒトがいいけど単眼ならいいよ……などといった具合に。

夢小説の読み方

で、「自己投影」についていろいろ言ったばかりだけど、ぶっちゃけ自己投影しなくてもいい。読み方は自由だ。

二次創作に関して言えば「オリ二次」の一つとして読む人もいるだろう。実際、夢小説主人公は、原作存在しない「オリジナルキャラクター」といえることが多い。

二次創作的なものにばかり言及することになるが、原作に明記されていないことを、「こうに違いない」「こうだといいな」と考えたり、あるいは原作の設定を無視して「こうさせてみた」としたりすることがあると思う。あれも、ある種の読み方といえると思う。わたし二次創作夢小説を、そういう原作の読み方から書いている。こんな(夢小説の)主人公がいたら、原作のあのキャラクターはああするだろう、こうしたらあそこはああなって……とか。

どれもこれも読み方だ。わたしたちはおそらく考えながら読んでいる。そして、考えることは自由だ。だから、どう読むかも、また自由だ。

夢小説の書き方

わたしは、よく二次創作夢小説を書く。そして、この日記でいう自己投影レベルは4で、読者としては主人公自己投影する。

当然(ではないかもしれないけれど)、わたしの書く夢小説には、わたしの嗜好が大きく表れる。「おもしろさ」の基準を満たそうとするだろうし、自分の書くものから、ある程度は満たしていると思う。で、嗜好が大きく表れるので、主人公異性愛者の女性かもしれないけれど、おばあちゃんかもしれないし、ゲイかもしれない。ヒトとも限らない。ボールに入るモンスターかもしれないし、壁の外の巨人かもしれないし、魔神族の王かもしれないし、好きなCPが愛を営むベッドのシーツかもしれないし、だれそれがだれそれをドンする壁かもしれない。

でまあ、書くのも自由だ。ある程度は。書くということは表現で、表現することは、ある程度は自由だ(公共の福祉に反しないかぎりとか、憲法かなにかで言っていたと思う)。二次創作について言うと、著作権どうこうの話しになってしまって、これまたキリのない話しで、わたしには専門的な知識がないので割愛させてもらう。今のところ「非親告罪なので原作者が罪をつきつけないかぎりOK」というスタンスで、つまり原作側になんやかんや言われたら速やかに従いますよってくらい。しか言えない。これはマジで

実質夢小説

ここには夢小説に通じる内容があるよねってやつ。だと思ってる。

大阪国際的スタジオテーマパークの、魔法使いになれるところ。原作、大好きです。原作主人公が通う学校の生徒になれたらな、入学許可証がきたらなって思った。そして、なんと、大阪のその遊園地に行けば、杖が買えるという(行きたい! 買いたい!)。わたし()気持ちを書いたし、魔法使いになれたらなとも思った。んでもって、わりと世のなかには、あの小説映画や、あるいは遊園地で、わたしと同じようなことを考えたひとがいるんじゃないかと思う。遊園地では魔法使いになった気持ちを味わったひともいると思う。

次いこう。実は東京にはない夢の国。あそこで(遊んでいる間だけでも)夢の国の民だったひとも、やっぱりいると思う。あそこのキャストスタッフ)の神対応が、たびたび話題になっているから。

というかだね、幼いころに、日曜朝のヒーローになりたい、ヒーローに守られたい、あるいは戦うヒロインになりたい、楽器から魔法の道具を生み出したいとかって、考えたひとも、やっぱりいると思う。「あんなこといいな できたらいいな あんなこと こんなこと いっぱい あるけど」(だっけ?)とか、二十ウン世紀からきたロボットに会いたいとか。

ボールモンスターを捕まえるゲームが、リアルマップ対応したよね。わたしたちはスマートフォンさえ持っていれば、GOした先で、疑似的ではあるけれど、まるで本当のトレーナーのように、モンスターをゲットできるようになった。

こういうのは夢小説に通じる考え方だ。二次創作の話しになるけれど、先述の「オリ二次」にも、同様に夢小説に通じるものがあると言える。あのCPの営みを空気になって見ていたいとかもだね。そして、それが形になったものを見たとき、そこに「夢小説」のラベルがなければ、「実質夢小説」として見る。

商業小説にも、「わたし視点の、あるいは明らかに作者(のペンネーム)と同じ名前主人公がいたりする。(それだけとは限らないけれど)そういうところから夢小説のにおいをかぎとったとき、やっぱり実質夢小説として見る。

それを夢小説かどうか決めるのは作者だ

書いてるうちにだんだんと疲れてきて、かなり文章が雑に、より滅茶苦茶になってきていることを、わたし自覚している。本当に。

それを夢小説かどうか決めるのは作者だ。言いたいのは、これだけだ。題名にもしたけれど。

夢小説っていうのは、すごくガバガバだと思う。自己投影したりしなかったり、名前を変換したりしなかったり。夢小説は、ある種の表現技法で、考え方だと思う。そこには、かなり「主観」の要素がある。

まず、作者が、それを「夢小説」にする。ここには作者の嗜好が、存分に表れていたりいなかったりする。それが発信されると、だれかの目にとまることがある。このだれかが「読者」だ。この読者にも嗜好があって、もしかしたら、かれ(かのじょ)はそれを「夢小説」と思えなかったかもしれない(これのどこが夢小説だ! オリ二次でやってろ! モブ創作でやってろ! 云々)。そのときは、そう思うにとどめて、「これはわたしには合わなかった」「このひとの作品は読まないようにしよう」などと、読者が避ければよいだけの話しだと思う。読者が「おまえのは夢小説じゃないか夢小説のラベルを剥がせ」などと作者に強要することではないと思う。一人の作者として、わたしは、そう強要されるのは嫌だ。読者に読者の「夢小説」観があるように、作者にも作者の「夢小説」観がある。

これは、なにも「夢小説」だけの特別なことではなくて、いろいろなことに言えると思う。わたしは、実質夢小説だと思いながら、言いながら、けれどそこから「実質」を剥がしはしない。つまり強要はしないし、直接作者に提案することも、しない。わたしは、されたら嫌だから。考えてもみようよ。男二人の友情を、あるいは女二人の友情を、はたまた男女の友情を書いていたのに、「これ恋愛BL)(GL)ですよね。友情ものを名のるのやめてくれません?」なんて言われたら、どんな気持ちになる?

とくに、「わたし不快から夢小説の)ラベルを剥がせ」とかい強要提案)はやめたほうがよい。これにはキリがない。万人に受け入れられるものは、ない。Twitterにロバの絵の四つの比較みたいなのがあったと思うんだけど、まあ、あんな感じで。不快から剥がせという強要がまかり通るようになってしまうと、気づいたときには、あなた独りだけが夢小説を書いている……なんてことになりかねない。

つかれた。

2016-05-19

ズートピア』が描くグロテスクな"多様性"

 『ズートピア』はオーウェル小説動物農場』のディズニー流のアップデートである舞台こそ農場という本来動物がいるであろう場所から都市、街に移されて、動物たちの文明化もはるかに進んでいる。また、田舎と都会という多層的な背景を採用し、人間社会の複雑さがさらに反映され、戯画化されている。戯画化で思い出したが、古くから動物擬人化させて描かれた物語は数多くあり、日本でも代表的なのはその名の通り、『鳥獣戯画』であろう。その中でも『動物農場』がモチーフとされていると断定できるのは、こと権力の逆転が物語の節目として描かれているところだ。さらに、『動物農場』の結末が、「動物主義」という思想を掲げながら搾取的な社会構造が生み出されたのは、人間ほとんど見分けがつかない"2本足で立って歩く豚"であることを考えると、もはや『ズートピア』は『動物農場』の続編的な作品ではないのかと思えるほどだ。

 しかし、私が主に取り上げたいのは『ズートピア』と『動物農場』の相違そのものではない。『動物農場』のアップデートであるなら、そもそも『動物農場』という作品が生み出された背景がそうであったように、『ズートピア』もまた同様に"子供向け"に戯画化されたものではない、ということだ。つまり、ある一定ディズニー並びにハリウッド作品を観る際にどうしても想起してしまう"勧善懲悪"とも呼ばれる単純な力関係に留まる作品として論じてしまうのは、この作品が描いている(我々が住む"先進国"社会酷似した)社会形態のを、グロテスクものとして描いているという事実を見落としてしまう、ということだ。

 「グロテスク」が具体的にどういう性質を指してるかは後に詳しく取り上げるとして、まずは『動物農場』との相似を洗い出そう。『動物農場』では既存権力の持ち主である人間を打倒しようと農場内の長老である豚が呼びかけた後、その長老と同じ種である豚が主導となり人間の打倒と、権力の奪取を果たす。権力の逆転が描かれた後、そこからさらにその権力が腐敗し、かつての権力の持ち主と酷似していく様を描いている。『ズートピア』でも同様に、権力の持ち主である肉食獣を追放し、草食獣が権力を得る。しかし、その後の社会様相の腐敗として描かれるのは、『動物農場』のそれとは違うものである。この肉食獣が追放される背景は、砂川秀樹が「男色近代社会化以前には受容されていた」という言説に対する反論として、近代社会以前から否定的に捉える見方があったことを挙げ、それが近代化社会以降にゲイに対する「病理フレーム」が形成されたことの背景にあるという指摘していたケースと酷似している。すなわち、ズートピアという街にあてはめるなら、冒頭の子ども劇において近代化文明化というものを"進んだもの"とする言説が背景にあるからこそ、その言説が暗に導き出す"野生"というスティグマが、肉食獣という属性表象として充てられた、というわけだ。草食獣であり小動物であるジュデイが警察官を、肉食獣の子どもが税の査察官を目指すということを、それぞれの属性と"相反するもの"への志向(だからこそ"自由"や"可能性"の提示となる)として挙げられていること自体に、すでにこの世界形成する言説の中に、後に肉食獣が「病理フレーム」の中に収められることを暗示している。

 『ズートピア』と『動物農場』でそれぞれ権力の腐敗の在り方が違うのは、『ズートピア』が主題として据えているのは、差別が未だ存在する社会においての振る舞いであり、また、そうした社会対峙することの難しさであるからだ。だが一方で『動物農場』と共通しているのは、たとえ既存社会構造の不当な点を糾弾したものであったとしても、新たに権力に座する者が、特定属性を以てして社会的地位を不当に貶めたり、あるいはその逆に持ちあげたりすること。つまり権力立場にあるものが、いち個体が否応なしに複合的にまとうあらゆる属性の中から任意属性を持ち出したり、あるいは見出したりして、それを根拠権力側の良いように用いることそのもの社会の腐敗を招く、と指摘している点にある。こうしたケースは今日の"先進国"社会においても行われている。そのあらゆるケースの中でも、創業者であるウォルト・ディズニーが、かつて「赤狩り」と呼ばれたハリウッドにおける排除運動に加担していたという記憶を持つディズニーにとっては、なおのこと無縁ではないだろう。なぜなら、その赤狩りこそ、『動物農場』が受容されたのと同じ背景の中で起きた現象なのだから。つまり、『動物農場』が、"反スターリニズム、反ソ連"として受容された時代イデオロギーの中に回収された結果招いた、「赤狩り」という別の形での全体主義化を経た後の問題提起をする為、違った様相社会の変化を描く必要があったのだ。では、その必要はいったいどういう形のものなのか。

 まず、そもそものズートピア』(原題も"Zootopia")というタイトルから振り返ってみたい。誰もがその語感から動物園("Zoo")とユートピア("Utopia")を連想するこのタイトルと、それが充てられた都市の姿や本編内で取り上げられている問題とを照らし合わせると、この名前一種ミスリードを引き起こそうとしていることは誰の目にも明らかだろう。しかし、このユートピアに対するミスリードを行おう、という意図製作者側にあることを考えると、一方でユートピア思想のものを全く信じていないであろう、という可能性が高いものとして浮かび上がってくる。つまり、この作品世界はそもそも、主人公にとっての、あるいはそれに感情移入するであろう観客が考える様なユートピアを描こうという意図の下では成り立っていない、と考えることも決してできなくはない。では、それなら反対にディストピアを描こうとしていた、とするのもまた違うだろう。それこそオーウェルが『動物農場』の後に出したディストピア小説『1984年』で問題としているような、監視カメラシステムを駆使した管理社会は決してネガティヴものとしては描かれていないし、作中で市長と並び権力象徴として現れる警察だって最後にはジュディに味方する。ズートピアに張り巡らされている権力構造が、一様に悪しきもの還元されるものとして描かれていないところを見ると、『映画クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲』において大人たちが夢中になる昭和の街並みのように、ユートピアを模したディストピアを描いている、とするのものまた違う。では何を志向していたかといえば、ただひたすら身も蓋も無く、我々"先進国"における社会現在の姿を炙り出すことにこそ本作の力点がおかれていたのではないだろうか。

 オーウェルが『動物農場』で描いたようにユートピアへの志向がある種のディストピアを生み出し、また『1984年』でディストピアは一方で誰かにとってのユートピアであることを描いてきたこと、さらに言えば今までのディズニー作品ハリウッド作品が数多く生み出してきた作品へ寄せられた批判を鑑みれば、主人公ないし観客のユートピアを描くことで何かの可能性を見出そうとする、虚構作家なら誰もが夢見る境地との決別こそが、今のディズニーが走っている地点ではないか、とすら思える。だとするなら、管理化・全体化社会兆しとして表象される監視カメラとの関係、後半で肉食獣と草食獣とが分断されてしまったと言われる前から存在する、小動物と大型動物との"棲み分け"をあからさまに感じる都市デザインマジョリティマイノリティ形成マクロでいうところの都市デザインミクロでいうところの建築様式という、物理的な段階からすでに反映されている)、朝礼時には着席を強要しながら、大型動物に合わせて設計されてるが為に、ジュディが座ると署長の顔すら見えないサイズ感の机とイスが、ジュディが"認められた"後も変更は行われず、それどころかジュディとニックに同じイスを共有させること(1人分の席に2人が座らされているのである)や、かつてジュディに偏見しかいいようがない対応をしてきたことに対して何も悪びれもしなければ、むしろジュディに対して冗談を飛ばすほどの親密さを示してみせる警察署長の態度、そして何より権力に対して何も批判的な態度を持てそうにない警察という組織が持つホモソーシャル性格をあけすけもなく描いているのは、それらに対して作品内で明確な批判が行われないということの薄気味悪さも含めて呈示しているのではないか

 だとするなら、本作が「子供向け」であるが為に、権力に対して批判的な態度を伴っていない、とするのは、少々早計ではないだろうか。確かに、ディズニー子どもを含めた幅広い年齢層の支持によって成り立っている。しかし、その中には子供と呼ばれる低い年齢層の観客もいれば、それこそ子供の頃からディズニーに触れ続けた高齢の観客だっている。そうした状況の中で、こと任意の年齢層の観客だけ取り出し、それにのフォーカスをあてようとするのは、作品もつ性質を見誤ることに繋がるおそれがある。「子ども向け作品からしょうがない」とするのは、すでに子供の在り方を規定づけるものしかないのみでなく、未だ巨大資本によって子供たちが社会へ"馴致"されるべきだとすることへの別の形での肯定にも繋がる。しかし一方で、ディズニーが「子供向け作品」の地位に就いていることも、決して無視していいものではない。ならば、なぜディズニーはずっと「子供向け作品」であり続けたかを問わねばなるまい。結論から述べれば、それは「グロテスク」だからである

 これまで述べた「グロテスク」の定義は、マサキチトセが自身の論考のタイトルに用いた『排除忘却に支えられたグロテスク世間体政治としての米国主流「LGBT運動」と同性婚推進運動欺瞞http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/23399 に依っているところが少なからずある。しかし、ここで取り上げたい「グロテスク」については、美術観点からのものである。どういうことかというと、ディズニーアニメ製作者としての名前を不動のものにしてからずっと追及してきたのは、デザインと動きの"かわいさ"である。"かわいい"とされるものは、その多くが直線的なイメージではなく、曲線的なイメージによって、硬質なものではなく、柔軟なイメージによって構成される。これらの美学根本を辿れば、動物植物をあしらった、古代ローマ美術様式の一つであるグロテスク様式に辿り着く。ツイッター上で「モフモフ」と公式アカウント形容された『ズートピア』を形成する美的様式は、根本からして「グロテスク」なものなのだ。この2つのグロテスク」がピタリと重なり合うのは言うまでもなく、主人公ジュディの造形や仕草であり、冒頭に警察を夢見る彼女暴行を働いたキツネギデオンウサギが(警察官を目指すに値しない)弱者たる徴として挙げた「鼻をヒクヒク」させる動きが、権力関係が決定的に転覆される場面の直前に配置されていることからもわかる。

 「かわいい」は弱者の徴である。それ故に、その「かわいい」を極めたディズニーは、今日アメリカ象徴し、公的権力からも寵愛を受ける地位を築き上げた。つまり、『ズートピア』は、その地位を利用しつつ、現在アメリカをはじめとする先進諸国社会形態の描く"多様性"の脆さと「グロテスク」さを描くことと、またそのヒントや問題は、明白に誰かに取り上げられているわけでなくとも、世界のいたるところにある、この2つを描くことを目論んでいたのではないだろうか。その一例として、コロンビア女性シンガーであるシャキーラ演じるポップスターガゼルモデルとなっている動物であるブラックバックは、オスにしか角が生えていないこと。つまりガゼルトランスジェンダーポップスターであるということが、作品内で明確に言及こそほとんどされていないが造形として現れていることから見ても、決して拭い去れるものではないと私は思う。

2016-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20160321033629

大体そういう感じの批判が多いよね。

「良い映画」の呈示がなくて、「クソ映画」って言われるの。

2016-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20160313065652

ジャンプバグムーンパトロールマリオブラザーズボンジャック・バーニンラバーなどの先行例と比較して

ドラゴンバスターが最適だと判断した上で呈示してるんだ。

反射的になんて出してるわけないだろ。

2016-03-08

英語できない

高校時代留学半年した。

トップレベル高校クラス1位くらいには英語できた。

医学英語論文ネイチャーくらいは英単語調べながらそれなりに読める。

英語映画を見れば、8割くらいは聞こえる(聞こえないときは知らない単語や知らない知識についてのとき

  

だが、じゃあ英語で会話できますかっていうとできない。

この前、黒人英語で話した。言ってることは大意は理解できるが、喋ろうとしても、思うように話できない。

まり日本語でならかなり複雑な思考も達意で話できるけど。英語場合は知っている文法言い回しが少なすぎて思っていることを十全に話にできない。

  

たとえば、

「僕は将棋が好きです」これは言えるんだけど。

「僕は将棋の序盤中盤での構想力や、終盤での論理的計算能力を鍛えるのが好きです」みたいな事はパッとは言えない。

脳みその中で、「将棋ってのは、最初の数手は様々な発想力で、、、、違うな、オープニングの数手からの枝分かれ、、、違うな、、、なんていえばいいんだろう」みたいな感じで、英語での達意を考えながら話するから、パッとは言えない。

文章でも多分書けないだろう。書くと多分大きくミスをするだろう。

  

こういうレベルで、大きな壁がある。

というのも多分、英語脳で考えてるフィールドと、日本語脳で考えてるフィールドダイブうから

英語的な文化を聞きかじってるけど、俺の文化はそういう考え方をしないんだよなー。というところがあると思う。

この壁はでかい

たとえ英検一級だの、TOEFL満点近いだのっていうのでは返せない壁だと思う。

  

留学したときに、オトナとはある程度簡単な会話ができたんだけど、子供の未発達な英語はカナリ聞こえなかった。

その原因は、俺の自己呈示の弱さだと思った。

自分英語で伝えられる言葉が弱すぎて、自分キャラだの雰囲気マッチした会話ができず、子供達も変な会話方法になったのが原因だろう。

実際、子供と大人が会話している英語はアッサリ聞くことができたから。

  

俺に今求められてるのは、ネイチャーだの医学論文というよりは、ニューヨークタイムスや英語ニュース番組を見たり、英語番組を見ることかもしれないと思った。

まりキャラ的な雰囲気を伝える感じの語彙や会話法。

2015-11-18

[]米澤穂信春期限定いちごタルト事件

★3くらい。

ミステリはだいぶ弱めかつ短編かつ高校ものから読みやすかった。

つーかミステリ自体マジで読者に解かせる気がハナからない感じするし。

前提条件が全部呈示されてなくて地元ネタ根拠推理ちゃうとかね。

俺的にはそれで全然よかった。

全然おもしろくなかったわけではないけど、めちゃくちゃおもしろかったわけでもなかった。

でもそういう普通レベル面白さを古典部シリーズ以来米澤穂信に感じられてなかったから久しぶりだった。

気になったのは2つかな。

違和感を覚えたって言葉があると思うんだけど、あれをこれまでの長編では全部違和感を感じたって書いてたんだよね。

それがこの作品ではちゃんと違和感を覚えたって書かれてた。

編集校正の力かな。

そんな言い間違いでキャラ設定してたっていうには無理があると思うし。

あとひとつ小山内さんって苗字

どうしてもアザゼルさんの丸メガネかけたタヌキと小山内くんのほうが浮かんできて終始ひどいビジュアルになってしまったわ・・・

どうしたんだい小山内クン!!

だとするとジョウゴロウがタヌキか・・・

少しでも珍しい名字最初にしつこいほど触れてしまうと、

それ以降何かでその名前に触れた時に毎回それを思い出してしまって変な感じになる

んで続けて夏季限定を読み始めたけど、面白さが上がってる気がする。

前々からの予想通り、古典部シリーズ小市民シリーズのみのファンでいるのが自分にとってはベストっぽい。

2015-09-24

[]片山ユキオ「花もて語れ」※4巻まで

5巻収録分から週間連載になったらしく、クオリティや中身が別物になってたら困るので、

少なくとも確実に面白かった4巻までの感想を書いておく。

朗読マンガという唯一無二のジャンル

ただ朗読するとか地味なだけでしょと思いきや違った。

ただの吹奏楽マンガと思ってソウルキャッチャーズを読んだときに度肝を抜かれた感じと似ている。

あらすじ。

主人公は幼い頃に両親を失った、雲を見て空想するのが好きな女の子

両親を失ってうまく話せなくなり、周りから浮きがちになるが、

学芸会担当した朗読によって、少し救われる。

時はたち、就職して新社会人となった主人公は、

また昔のようにくじけそうになっているところに朗読と偶然再会し、

まれ朗読の才能で、気づかぬうちに周りと自分自身を救っていく――。

作品の中で扱われる作品実在作品

4巻までだと、

やまなし

花咲

トロッコ

が取り上げられた。

マンガから当然音声はない。

からソウルキャッチャーズと同様、音が核であるはずのジャンルを扱う上での難しさがあるため、

生半可なマンガだと逆に朗読自体コケにすることにつながりかねない。

しか吹奏楽ピアノ等と違って、朗読はひたすら読むだけで絵面も地味になる確率が非常に高い。

そういった高いハードルをしっかりと助走をつけてきっちり飛び越していく、確かな地力のあるマンガだ。

朗読とは、ただ読むだけではなく、解釈表現力によって完成するものであり、

一見シンプルだが奥が深く、簡単そうに見えて難しいことが存分に伝わってくる。

やまなしトロッコをはじめとして、何も知識のない状態で黙読して読み流すだけでは絶対意識しないような読解の視点多種多様呈示され、

すでに知っている物語をより深く味わえる面白さを知ることができる。

朗読という視点を得たことによって、より黙読の読書も奥深くなるという発見すらある。

また、単に朗読ハウツー本にとどまらず、マンガとしての完成度も高い。

超人主人公によって単純に周りが救われる、下手すると勧善懲悪モノになりかねないようなことはない。

主人公自身も、様々な障害葛藤を抱えており、朗読によってそれらと向き合い、少しずつ自己実現していく。

ただそれゆえに、主人公トラウマというか問題ネタが尽きたときの展開のさせ方が心配にはなる。

でもこれだけのものを描ける作者なら、5巻以降もしっかりと中身の濃いもの提供してくれると信じたい。

重箱の隅をつつくと、1巻のマリコとの出会いきっかけは少々無理やりすぎるんじゃないかなとか、

 選ぶ朗読作品とそれによって状況が解決される人間がいつもいるのが都合よすぎるように思えることもないわけじゃないけど、

 物語必然性として許容できるレベルだと思う)

実を言うと、だいぶ前に花咲山の3巻あたりまでを初めて読んだときは、面白いとは思ったがそこまで心にこなかった気がした。

それからだいぶ時間がたって、自分の周りの状況が大きく変わった今改めて読むと、ものすごく心にきて、地味だが静かな感動を覚えて涙が出た。

心の隅の本棚に置いておいて、たまに読み返したいマンガリスト入り。

久しぶりに熱く感想を語ってしまったけど、そうさせる熱量もつマンガだったことをわかっていただけたら幸い。

2015-08-18

オリジナリティ呈示できないんだからロゴなんてもう作るなよ

音楽もそうだけど、いまどき何作ったってどっか似てるのしか作れない癖に開き直った挙句可能性やらオリジナリティやらほえる

アーティスト系のクソ共に生活費を与える必要はないと思う。徹底的に苛め抜いて業界の根っこから潰せ。

日本人は黙って西洋白人様のありがたいデザインを拝受していればよろしい。倭猿調子のるからこうなった。

2014-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20140721172422

つの路線に自分の周囲では移ってるよ。

健康志向まっしぐら

・自宅実家子供監視

前者は書く必要ないよね?ジョギングやらサイクリングやらで心拍計くっつけて走ってる。もちろんGPS付き。ちょっと昔は心拍取るのに胸バンドみたいな大げさな機器くっつけてダルさを覚悟しても種類に乏しく信頼おけない腕時計計測他はスルーされていたが、今は腕時計型に移っている時期。家の中でも、睡眠状態やら、体重計にログ乗っけたり、ともかく健康志向まっしぐら路線。

後者だけど、ネットワークカメラ大漁捜査して、遠隔操作自宅警備するグッズを購入するのが周囲で流行りまくってる。暗視機能・パン・ズーム一通り揃ってるのがおすすめ。もちろんこうした経験は自宅にも転用できて、年老いた両親用に玄関先の天井にぶら下げておく。生存確認に使う。子供監視は、格安スマホを突っ込む。380円、最安SIM とかで調べる。○コムとか携帯キャリア呈示してくる見守りプランはそれより遥かに割高。

2014-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20140526022949

賃金体系が違うんだから関係ないよね。

「時給に換算して、最低賃金を下回るような金額を呈示してはいけない」という法律があるなら聞いてみたいね

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん