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はてなキーワード: 大衆小説とは

2023-12-26

口嫌体正直

クズ悪役の自己救済システム」という中国CGアニメを見ていたんだ

原作所謂なろう小説で、悪役転生のBLモノになるのかな

癖はあるけどギャグ風味が強めで楽しみやす

ニコニコあたりで見るのがおすすめ作品だったのだけど

(1期最終回まで放映済み)


無料で見れる1話で転生前の現世のやり取りがあり

掲示板スラングが飛び交うなかに「口嫌体正直」と言うのが出てくる

中国語もスラングはやはりこういう風になるのだなぁと感慨深かった

こういう、海外からの輸入で作られた中国語でない中国語ってどっかで調べられたりするのかね?


そういう観点では、大衆小説(それもネット由来のラノベ的なもの)は、向こうのジャンク風俗垣間見えて良いやね

2023-09-05

ライトノベル宣言」の謎を追え

はじめに

毎度毎度ネット文字創作界隈をお騒がせすることで有名な、「名興文庫」およびその「相談役」。

(詳しく説明するのは面倒なので、知らない人は「名興文庫」「本格ファンタジー」「ダークスレイヤー」あたりでツイッター検索をかけてもらえば、何となくその立ち位置が分かってもらえると思う)

今回は、日本において「本格ファンタジー」が根付くはずの土壌をラノベ破壊してしまった、という歴史認識を巡って学芸員鞍馬アリス@kurama_fantasy氏と論戦を繰り広げているようだが、その中でこんな発言が出てきた。

ttps://twitter.com/kurama_fantasy/status/1698847925580022266

鞍馬アリス

@kurama_fantasy

最初から土台をなしにされたと言うことを、歴史的史料(当該時期の雑誌新聞評論研究書簡類、出版に関わる統計資料等、あるいは当事者証言であるオーラル・ヒストリーを含んでいます)などを組み合わせて実証的に証明できないのであれば、デマ陰謀論の類と同じ価値しかないと思います

午前8:58 · 2023年9月5日

ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1698849563380236367

堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥

@kadas_blue

ライトノベル宣言が出た頃の話と、先日私が引用していたファンタジーノベル大賞の『ヒロイックファンタジー採用しない』という公言

これによって長く一般小説に一ジャンルとしての本格的なファンタジーの土台がなくなったというただの事実を、わざわざ長い時間をかけて検証するのはあなた自由ですよ。

午前9:04 · 2023年9月5日

さて、「ライトノベル宣言」とは一体なんのことだろうか。

ライトノベル宣言」の謎

一般的に「ライトノベル宣言」として知られるもの、そして「ライトノベル宣言」でググってトップに出てくるのは、「角川武蔵野ミュージアム」内の「マンガラノベ図書館」で掲示されている、メディアワークス創業者にして元角川書店社長角川歴彦氏による文章だ。

マンガラノベ図書館特設ページ|角川武蔵野ミュージアム

ttps://kadcul.com/manga_light_novel_library

ライトノベル宣言

マンガラノベ図書館 開館によせて

作家夏目漱石代表とする近代文学昭和期に入って純文学大衆小説に分かれ多様に発展したが、 気がつけば名著名作として現代国語教科書内の存在になっていた。 しか青春文学を求めるヤングアダルトといわれる若者はいしか自分が選ぶ小説文学の登場を渇望していたのであった。 ライトノベル青春期の少年少女が与えられた本に満足せず、自分意志で手に取る最初の本である

ライトノベル起源イギリスの“円卓の騎士”や『指輪物語から影響を受け、RPGリプレイから生れた『ロードス島戦記』だ。 座を囲んだプレイヤーの数だけ豊かな物語を紡ぐことのできるゲームから水野良小説ロードス島戦記』を誕生させた。

このラノベの起源ロードス説にもついても一部で議論存在するが、今回の件とは関係がないので無視する)

実際鞍馬アリス氏も、「ライトノベル宣言」がマンガラノベ図書館のこの文章である解釈して話を進めている。

ttps://twitter.com/kurama_fantasy/status/1698903493632036891

鞍馬アリス

@kurama_fantasy

前者はマンガラノベ図書館開館によせて作成されたテクストであるかと思いますが、角川歴彦名義で角川書店ライトノベルというものをどのように発表時点で認識し、総括しているかは書いてありますが、本格ファンタジーとの関係性に関してはロードス島の部分以外では書かれていないテクストです。

午後0:38 · 2023年9月5日



これだけで決着が付きそうなところではあるが、相談役氏の過去ツイートおよび、執筆者不詳だが十中八九相談役氏が書いたと思われる名興文庫コラムを見てみると、「ライトノベル宣言」について以下のように語られている。

ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1463850316441415687

堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥

@kadas_blue

くっそー、ファンノベ大賞が出た時の嫌な感じが30年かけて伏線回収されるなんて。

ちなみに当時のリアルな話をすると、ロードス島戦記で『ライトノベル宣言』がなされたころね。

あの頃から和製の『本格』は時が止まっているんだよ。

午後9:41 · 2021年11月25日



ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1482181140610191362

堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥

@kadas_blue

世の中、小説なんてほぼ一生読まない人が大半なのに、そんな人たちも読めるような小説を出してお金にするなら、テーマも難しい表現もとことん取っ払ってディスポーザブルモデルにするしかない。

酒なら毎日高いウイスキーを買う人はそんなにおらず、発泡酒やストゼロの方が数字的には強いからね。

午前11:41 · 2022年1月15日

ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1482182010928250880

堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥

@kadas_blue

しかし、ライトノベルを始めた頃の出版社は、それが世の中だと知らなかった。

そりゃそうだ。小説界隈の人たちは自分たちが造り酒屋ウイスキーブリュワリーだと思ってたんだもの

からちょっと水割りを作って将来的にウイスキー(小説)のファンを増やそう』ってライトノベルを始めたのよね。

午前11:45 · 2022年1月15日

ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1482182689008467969

堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥

@kadas_blue

『初期のラノベがしっかりしてた』ってな言説は、それがウイスキー(小説)のエッセンスがそこそこに含まれていたからだ。

でも、水割りが売れ始めたので、某出版社が『これからウイスキーだけじゃなくて水割りを真面目に売る!』って宣言したのよね。

これがいわゆるライトノベル宣言だ。

午前11:47 · 2022年1月15日



ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1490340592727228417

堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥

@kadas_blue

カドカワロードス島戦記をもって『ライトノベル宣言』をしたことによって、日本ファンタジーある意味呪われてしまいました。

今や本格的なファンタジーレーベルは無く、全てライトノベルです。

自分はこの状況が非常に良くないと思っている、生粋ファンタジーファンです。

午前0:04 · 2022年2月7日



ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1568797511976091648

堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥

@kadas_blue

ロードス島は間違いなくラノベですね。

カドカワの『ライトノベル宣言』の切欠がロードス島戦記ですから

フォーチュン・クエストラノベって名前が出る前から小説ですね。分類としてはラノベに近い気はします。

午後0:04 · 2022年9月11日



ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1581241393715957760

堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥

@kadas_blue

KAZUさんはとても理性的に話せる人なので少し面白い話をすると、某社がライトノベル宣言を出した時に、ファンタジーにある区切りが発生してしまったのですよ。

私としてはライト一般ファンタジーを明確に分けるか、いっそライトって呼称をもう無くして欲しいと思っています構成が大変で。

午後8:11 · 2022年10月15日



ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1599779249946517505

堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥

@kadas_blue

年代的にはあの頃ですね。

まだラノベって言葉が無くて、ゲーム界隈で高まってたファンタジーへの認知ロードス島戦記解放されて、ライトノベル宣言が為されたころまでですね。

午後11:54 · 2022年12月5日



私は本来ファンタジー希望する~本格ファンタジーとは何か~ | 名興文庫

ttps://www.naocoshibunko.com/column004/

少し過去にさかのぼって説明しよう。『ロードス島戦記』の爆発的なヒットでカドカワが『ライトノベル宣言』を出してライトノベル時代が明確になり始めるころ、それ以前は『ファンタジーノベル』と呼ばれていた作品群もライトノベルの前期と分類されるようになったが、この時期に新潮社が『ファンタジーテーマにした文学賞』というコンセプトで『日本ファンタジーノベル大賞』を開始した。


お分かりだろうか。

この二点を前提にする限りは、相談役氏の言う「ライトノベル宣言」が、マンガラノベ図書館の同名文章を指しているとは考えにくい(ラノベ図書館オープン2020年8月

では、相談役氏の言う「ライトノベル宣言」とはいったい何なのだろうか?


仮説1:「電撃文庫創刊に際して」

ライトノベル宣言」をダブルクォーテーションでかこってググってみても、マンガラノベ図書館関連以外はほとんどヒットしない(冲方丁の「最後ライトノベル宣言」ぐらい)

こうなると、相談役氏の言う「ライトノベル宣言」は、一般的には「ライトノベル宣言」とは呼ばれていないものを指している可能性が高い(そもそも実在しない可能性はとりあえず考えない)

実際、上で引用したツイートの中にも「いわゆるライトノベル宣言」という表現がある。また、そもそも読者発の「ライトノベル」というジャンル名を出版社側がおおっぴらに使い始めたのはだいぶ後になってからのことである、という事実ラノベ史を少しでもかじったことのある人間には常識だ。

実質的な「ライトノベル宣言」に該当しそうな候補としては何があるだろうか。少し考えて真っ先に思いついたのは、「電撃文庫創刊に際して」だ。

ttps://sai-zen-sen.jp/editors/blog/works/4-9.html

大塚英志エッセイから孫引き

電撃文庫創刊に際して

 文庫は、我が国にとどまらず、世界書籍の流れのなかで〝小さな巨人”としての地位を築いてきた。古今東西の名著を、廉価で手に入りやすい形で提供してきたからこそ、人は文庫自分の師として、また青春の想い出として、語りついできたのである

 その源を、文化的にはドイツのレクラム文庫に求めるにせよ、規模の上でイギリスペンギンブックスに求めるにせよ、いま文庫知識人の層の多様化に従って、ますますその意義を大きくしていると言ってよい。

 文庫出版意味するものは、激動の現代のみならず将来にわたって、大きくなることはあっても、小さくなることはないだろう。

電撃文庫」は、そのように多様化した対象に応え、歴史に耐えうる作品を収録するのはもちろん、新しい世紀を迎えるにあたって、既成の枠をこえる新鮮で強烈なアイ・オープナーたりたい。

 その特異さ故に、この存在は、かつて文庫がはじめて出版世界に登場したときと、同じ戸惑いを読書人に与えるかもしれない。

 しかし、〈Changing Time,Changing Publishing〉時代は変わって、出版も変わる。時を重ねるなかで、精神の糧として、心の一隅を占めるものとして、次なる文化担い手若者たちに確かな評価を得られると信じて、ここに「電撃文庫」を出版する。

1993年6月10

角川歴彦



電撃文庫の巻末には必ず掲載されているこの文章現在もあるのかは知らない)。ラノベを読んでいた人間なら、一度は目にしたことがあるだろう。

「レクラム文庫」「ペンギンブックス」「アイ・オープナーたりたい」などを意味も分からぬままマネして遊んでいた人も多いのではないか(その馴染み深さから、昨年、角川歴彦氏が逮捕された際にツイッターで擦られまくったことも記憶に新しい)

この文章執筆者は、ラノベ図書館の「ライトノベル宣言」と同じく、当時メディアワークス社長だった角川歴彦である。というより、「Changing Time, Changing Publishing.」というフレーズ共通しているところを見ても、セルフオマージュというか、令和版「電撃文庫創刊に際して」として「ライトノベル宣言」が書かれたフシすらある。

逆に言うと、電撃文庫創刊に際して」は平成版「ライトノベル宣言である、と言えなくもないのではないか

ライトノベル」という用語自体が文中に存在しないのはもちろん、概念的にも直接ラノベに触れているとは言い難い内容ではあるが、他文庫派生ではない純粋ラノベレーベルの中では恐らく初めての「発刊の辞」という意味でも、「実質的ライトノベル宣言」らしさはある。

この説でネックとなるのは、電撃文庫創刊時のメディアワークスは一応「角川」ではないということと、ラノベ以上に「本格ファンタジー」うんぬんとは全く関係がないという点だろうか。

終わりに:未知なるラ宣を夢に求めて

仮説1と言っておきながら、2以降は思いつかなかった。尻切れトンボ検証申し訳ない。

なんとなく、角川のファンタジーフェアやスニーカーの創刊あたりにも何かそれっぽい文章がありそうな気もするが……情報や仮説をお持ちの方は、トラバブコメなどでこちらにお寄せいただきたい。

そんなの本人に聞けば済むことだろうと素人は思うかもしれないが、経験上、件の人物がこの手の問題についてまともに答えることはまずない。そのため、こちら側で勝手調査して結論を出す方がかえって手っ取り早いのだ。

それから、せっかく見つけたのでついでに言及しておくと、こちらの東浩紀桜坂洋新城カズマ鼎談では、(相談役氏がいうところの)「ライトノベル宣言」とはむしろ真逆歴史認識が示されている。

ttp://www.hajou.org/geetstate/cm70/hb_pp20-23.pdf

東 とはいえライトノベル崩壊するといっても、実はライトノベル外延のものが確定していない。SF だったら、SF 作家クラブがあって、福島正実が創刊した『SF マガジン』の歴史があって、ジャンルとしての基盤がはっきりしている。だからSF崩壊するといってもイメージが湧きやすいんだけど、それに対してライトノベルはどうか。例えば、安田均水野良が集まってライトノベル宣言をしたわけでもないし、機関誌が創刊されたわけでもない。そこで決定的に違うと思うんですよね



最後蛇足ながら、ひとこと苦言を呈させてもらう。

インターネット特別資格なしに誰もが自由発言できる空間である。それは明らかに大きな美点だ。

だが、何の気なしに発した曖昧な内容が、他の人間検証・裏どりの多大な手間をかけさせてしまうこともある。

そこで空費される本来不要だったはずの労力について、全員が一度は考えてみてもらいたい。あなたにとってはどうでもいい話題の一つに過ぎなくても、そうではない人間がいる場合もあるのだ。ましてや、その道に詳しい専門家のような顔で情報発信するならなおさらである

(この増田自身は好きでやっていることなので別にいいが)

追記

https://anond.hatelabo.jp/20230906123632

2023-06-25

明治時代大衆小説読んでたら

18歳の娘っこが花の娘盛り表現されている一方で

21歳の女はもう若作りしてるとか年増とか書かれてて

女盛りが短すぎねえかとなった

今はお水業界ロリコンでもない限り21は充分すぎるほど若いわけだし 

ぶっちゃけ自分が年取ると18と21も大した違いがあるようには見えなくなるし

ここまでシビアじゃなくてよかったなと思った…

2022-06-18

anond:20220618214159

外科医師は切り刻む趣味実益を兼ねている、と知ったのは平井和正大衆小説だった

ヨウシランケドナー

2022-04-03

うちの市の図書館ロールズノージックの本を一冊も置いてない

そのくせどうでもいいような大衆小説たっぷりあって、概要まとめの入門書ばかりを取り揃えてる。

かなしい

2022-01-06

文化が洗練されると一般人から理解されなくなる現象

能とかが顕著

洗練され過ぎた伝統芸能は、普通の人はよくわからないし、気軽に能見に行く人は現在は少ない

歌舞伎なんかはもうちょっと大衆に浸透しているけど、それでもやっぱり格式が高くて難しいイメージがある

文学もそう

大衆小説やラノベなら読めても、ガルシアマルケス読むのは苦痛だった

円城塔はいくら読んでもわからない

現代アートなんかもそう

部屋中にスプーンが散乱してる様を見せられても頭抱えるし、ホールマラソンランナーが走り抜ける、とかを展示と言われても反応すらできない

これらの現象が生じる理由は、芸術表現技術継承習得過程で、それなりの作法や慣習、お約束事を学ぶ必要がまずあるから

その結果、技術歴史的背景への理解が深まり一般人の知り得ない見え方感じ方の習得も行われている

そして、芸術作品というのは過去にあった作品の発展形や、過去芸術家に対する解釈さらに新たな作品として世に出すこともある

まり作品時代の流れの中にあり、単品では完結し得ない

そのため、目の前のものだけでは理解必要材料が揃っておらず、理解には前提となる膨大な知識要求するようになっているのだ


ポップアート、いわゆる美少女イラストなんかも当然そうなっている

親しみやすく感じ取りやすいがため、一般人ポップアート理解できている気がしているから、批判も起きやす

が、本当は能がわからないのと同様、ポップアート全然わかっていない

歴史的には春画からまり戦前はノラクロ三等兵、そしてひみつのあっこちゃんにキューティーハニー、そしてミンキーモモあんみつ姫を経て、スレイヤーズなどの時代から萌え絵という概念誕生する

そしてスレーヤーズ的な絵柄からハルヒ的な絵柄へと変遷があり、さらに今はラブライブ的な絵柄がイラストアニメに携わるイラストレーター、アニメーターたちの、”お作法”となっている

これはまさに時代の中の芸術の変遷であり、我々がラブライブイラストを街で普通に見るのは、いわゆる同時代性と呼ぶべきものであろう

イラストレーターの技術継承や絵柄の流行り廃りがあるからこそ、岸田メルやさいとうなおきなどのような、現代の優れたイラストレーターがこの時代に優れたイラストを描ける

から彼らのイラストは今の世でお金の動きを生む

しかし、それらを「不快萌え絵」と呼び嫌悪する方が存在する、というのはつまり、他の芸術と同様、ポップアートに対する背景を共有できない者が存在する、ということだろう

イラストに関連する現代文化のものが、洗練されすぎ、先鋭化していっているがために、イラスト文化アニメ文化を共有できない者の理解が追い付かなくなっているのだ

この現象を軽く考え、反萌え絵派をただ批判するというのは、「ガルシアマルケスすらわからないやつがラノベ面白い、とか言ってて笑う」とか「高師直も塩冶判官も知らないやつが忠臣蔵ドラマ見てて笑う」みたいな態度と言えるだろう

まり一般人はどちらか?を認識する必要がある

歴史的文化的背景の継承者のみしか理解できない芸術は必ず尻すぼみになる

絵や文字は、わかっていると勘違いやすものであるため、この認識を持ちづらいのも問題であろう

一般の場に出す実用作品に、背景を要求するものは相応しくない」というのも、萌え絵に関する議論で考えるべきひとつの側面だろう

2021-11-24

純文学系のラノベがよみてーな」と思って検索した

純文学ラノベの違いは?大衆小説と真の芸術は何が違うのか。調べてみました!いかがでしたか?」

こういうのしかでてこねーんだけど。

いや違うだろ。

そう思いつつも

私小説っぽいラノベもよみてーな」と検索した

私小説文学ラノベの違いは?いかがでしたか?」

こういうのしかでねーんだけど

なんで?

たとえば「涼宮ハルヒキャラクター小説の側面を組み込んでいるけど、作者の私小説的な部分も割と含まれますよ」ってどっかのインタビューあとがきに書いてなかったっけ?

純文学定義って別に「超高尚!読んでると自慢できる!」とかじゃないでしょ。

どうせ太宰の人間失格みたいのさえも「これは超有名で教科書にも乗ってるから純文学!!!」って感じなんでしょ?

ふざけんなよどう見ても大衆娯楽の私小説だろーが。

まあ流石に山田風太郎忍法帖まで純文学だと思ってるアホはいないだろうが……いないのか?

いやあそこまでバリバリ能力者バトルキャラクター小説だろうと「これは超有名!それで古い!完全に純文学でしょ!」なのか?

ありえるな……ありえるだろう……

2021-11-18

anond:20211116125017

かに2000年までの昔と2000年以降だと明らかに美少女美男子が出るアニメは増えているとおもうけど、

最終的には今の状況になったのは多様性数字を求めた結果だと思う

マンガ少年少女から青年系、大人向けくらいしか雑誌がなかったのが美少女などに極振りしたきらら系が増えた

小説大衆小説純文学よりライトノベルが人気に。まぁティーン層はやっぱファンタジー異世界異能力バトルとかが好きなんよ

マンガラノベそれぞれで人気の作品メディアミックスアニメ化するという仕組みにしたら大当たりで出版社がこぞってアニメしまくってるのが今ってとこかな

絵柄のトレンドも、少年マンガラブコメ以外のマンガでさえ美少女のほうがトレンドになってるので今美少女系なアニメが増えてるのは必然的だと言える

今はなろうから流れてきた異世界系もあるけど、市場が飽和してきているのでアニメ化する弾もだんだん無くなってきたか

近い将来尖ったオリジナルアニメとかも増えると予想してる

 

数字に関しては、昔に比べたら土日帯のアニメ枠もテレ東だけではない夕方や夜の民放アニメ枠も減った

子供向けにアニメやるよりはバラエティとかやったほうが数字採れるってTV局が判断してるからだよね

あとは少年マンガアニメ化、特にジャンプ系でも深夜やU局系で放送されることが多くなった

鬼滅も最初はTOKYOMXとかで放映されてたのは覚えてる?今はフジテレビが独占っぽくなっちゃったけど

 

上記をまとめると、

青少年向けにちょうどいいマンガラノベ流行し、メディアミックスをするので美少女が出るアニメが多い

・絵柄のトレンド美少女美男子が多い

子供向けの枠が少なくなったので案件がない

 

のが元増田美少女ばかり描かされるようになった原因かな

 

まぁ元増田アニメーターになる前に「今どんなアニメやってるんだろ?」とか思って調べたら「萌え豚向けアニメしかないやん。やめとくか!」で避けられたと思うけどね

就活とかでも業界研究や入る会社研究とかしてから面接かに臨むだろ?それ怠って「萌え豚ガー」とか言ってるのはナンセンスだとおもうな

 

んで美少女じゃないアニメが少ないかって言われると、まぁ少ないのかなって感じはする

それはTVで放映されるのではなく映画館で放映されるようになったからじゃないか

ジブリ押井守新海誠山崎貴とかそういう系ね

そういったのもあるから割合的には 5:3:2 くらいで 美少女:子供向け:その他 という印象だな

美少女偏重ではあるけど、それなりに多様性はある状況だと俺は思うけど、この辺は元増田がどう思ってるのか聞きたいよね

 

んーでも最近のだとオッドタクシーとかバチバチにキレがあったか元増田言及してくれるかなーとかおもったけどなかったので大変残念

やっぱ最近騒動美少女ばかり描かされたトラウマフラッシュバックして腹いせで書いてるの?

別にこの世のアニメが全部美少女アニメって訳でもないし、これからアニメがすべて美少女アニメになるわけでもなさそうだし

時とともに減ったり増えたりするだけじゃないかね?ちなみにそれって多様性っていうんだけど

2021-05-24

おすすめラノベ教えて下さい

主に国内/海外邦訳SFや、大衆小説ノンフィクションを月に4~5冊読んでいるのだけど、たまには変わったものも読みたいと思っている。そこで普段はあまり読まないラノベでも読んでみたいのだが、たくさんあってわからない。そこで諸氏のおすすめするラノベを教えてくれまいか

ちなみに今まで読んだラノベの例を上げると

ハルヒ

星界シリーズ

ビブリア古書堂の事件手帖

くらいでどれも面白かったし、続きも追っている。冲方丁西尾維新森博嗣田中芳樹などラノベ境界位置するような作品ではなく、ほんとにラノベラノベした本が読みたい。できればアニメ化されていなくて、あまり長くないもの希望

追記 -----

リプありがとう

星新一中学生くらいのときにハマって20冊くらいは読んだと思うからとりあえずいまはいいです。

ある日、爆弾がおちてきて」は読みました。面白かった。

https://anond.hatelabo.jp/20210512013126 読んだ。参考になる。「筺底のエルピス」と「帝都異世界レジスタンス」は読んでみる

2021-02-23

anond:20210219215932

娯楽として大衆小説を読んだり絵画を見たりしてるだけならテレビドラマ見てるのと変わらないと思うの。

  って、そりゃ当たり前だ。どんな本を読むことに価値を見出すかといったあたりが文化資本キモなんだから

せっかく図書館があるなら歴史科学の本でも読みふけったり、テレビでも教養番組を好んで見たりすればいいのにな。

2021-02-19

anond:20210219201256

文化資本論って絶対ウソだと思うの。母親祖母図書館美術館が大好きでよく出かけてるけど、すこぶる頭が悪いもん。文化資本論って本を読むのが偉いみたいな感覚の延長にある気がするけれど、娯楽として大衆小説を読んだり絵画を見たりしてるだけならテレビドラマ見てるのと変わらないと思うの。実際韓国ドラマも暇さえあれば見てるし。

2020-07-29

anond:20200729114254

まぁ続き気になる人もいるだろうけど、もう少し詳しく書くと

大衆小説物語

純文学物語でない小説

からな。

純文学にはハナからストーリーがない訳だ。

2020-07-28

続きが気にならない小説が読みたい

面白くない小説、というわけじゃなくて、続きが気になるわけではないけどなんとなく読んでしまう、みたいな。

最近、というか大衆小説はみんなそうだと思うが、続きが気になって寝食忘れて読んでしま小説が良い小説だとされがちだけど、

ゆるい生活がゆるく続いていて、それが読んでる人の心を動かす、みたいな。

ただきれいな文章を読むために読む小説を探している。

いいなと思ったのは、

ヘミングウェイ

フィッツジェラルド

ミシェルウェルベック

ジャン=フィリップ・トゥーサン

デビューしか読んだことないけど村上春樹もこの枠に入るのかな。

見たら分かる通りトゥーサン以外は有名どころばかりだし海外作家に偏ってるのでほかにおすすめ作家がいたら教えてほしい。

数年前に貴志祐介の『新世界より』を文字通り寝食忘れて読んだけどあん体験はもうしたくないんだ。

キドキハハラも感動の涙もいらないんだ。

ひたすら人間生活人生描写されて、心が”整う”ような小説が読みたい。

2020-03-09

ラブコメ漫画」でのマルチエンドはありなのか

ジャンプで連載中の漫画ぼくたちは勉強ができない」が今週一つの最終回を迎えたところですが、同時に少年誌では前代未聞のマルチエンド方式であることを発表したこと大炎上しています

結ばれたヒロインが決定してからそれなりの時間が経ち、荒れかたも落ち着いてきたところでの爆弾投下だったので酷い荒れ方でした。全盛期の頃の俺妹にも負けず劣らずの荒れようで、罵詈雑言が飛び交う酷い有様でした。

純粋に喜んでいる人もいるのでしょうがそういう人はあまり多くは書き込まないので、大抵は今までの鬱憤を晴らそうとする書き込みですね。見るに堪えない人も多かろうと思います

この方式が嬉しくないかと言われると嬉しい気持ちもあるにはあるのですが、それでも個人的には「ラブコメ漫画」でのマルチエンドには反対です。1話2話程度の完全にifルートと分かるような形式であれば良いのですが、過程も含めて描こうとするのは絶対に反対です。

ラブコメを読むことを競馬に例えることも多いし、その感覚もあるのは否定しませんが、それでも一番は唯一無二の運命の人と結ばれる過程を見たいから読むというようなロマンティシズムなところなんですよ。

好きなヒロインがその相手であれば最高ですけど、そうでなくともその運命が美しければそれで良いんです。

恋愛ゲームはいいのかと言われそうですが恋愛ゲームはいいんです。ラノベにもあると言われそうですがラノベも今のところはいものしか知りません。媒体の違いは大きいです。知ってる範囲で違いを書きます

漫画におけるマルチエンド

漫画でのマルチエンドは少年誌では前代未聞ですが、、青年誌では「すんどめミルキーウェイ」という前例があるそうです。

読んでいないので詳しくは知りませんが、本編のフィナーレ手前から分岐のようです。読んでいないのでなんともいえませんが、「ToLOVEる」のようなエロよりならありかなと思いますし、そうでなければちょっとどうかと思います。どのくらい続きを書くかにもよりますが。

ちなみにジャンプで連載中の「ゆらぎ荘の幽奈さん」も擬似的なマルチエンドを行っています。一本道の話の中で必然的に各ヒロインのあり得たかもしれない将来を描いているもので、設定的に可能作品は限られるとはいえ上手いやり方だなと感心します。

ラノベにおけるマルチエンド

ラノベで一番有名なマルチエンドは最近出た俺妹のあやせルートでしょうか。これはゲームノベライズです。ifなのは明らかなのでこれはいいです。

他にも「ベン・トー」の最終巻もマルチエンドですがこれも短編でそれぞれと結ばれたかもしれない世界を書いてるだけなのでifなのは明らかですからこれもいいです。

ラノベとして一番ちゃんマルチエンドを書いてるラノベは「お前をオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ」の小豆エンドでしょうか。ドラゴンマガジンで本編と並行して短編連載していたパラレルストーリーをまとめたものですので、これもifなのは明らかですね。時系列的に半年以上かけて別の世界を書いていますし、小説なので描写密度漫画よりずっと高いです。このくらいかけていればこういう選択をしていれば小豆と結ばれる運命だったんだなと素直に思えます

恋愛ゲーム

マルチエンドと書くまでもなくほぼマルチエンドです。

シナリオメインの恋愛ゲーム基本的出会いとそれぞれの事情簡単に知っていく共通ルート個別ヒロインイベントなどを通して結ばれていく個別ルートに分かれています。「シュタインズ・ゲート」のように実質一本道なものもありますが、恋愛メインならほとんどこういう形式です。

共通ルート個別ルート比率作品によって色々ですが、大抵は共通ルートのほうが短く、個別ルートのほうが長いです。

なぜかといえば、最終的に主人公がどのヒロインと結ばれるにしろ共通ルートでは同じ経験をしているわけですから、その同じ経験比率よりなぜそのヒロインと結ばれたかという個別に仲を深める比率のほうが高くないと説得力が薄くなってしまうからですね。

個別ルートが1,2時間かい作品もありますがそういうものは基本駄作と言っていいでしょう。1,2時間描写が済んでしまうような運命説得力などありません。

主人公のし選択によって、別のヒロインと結ばれる運命生まれる。恋愛ゲームのいいところはあったかもしれない運命をいくつも見られることですね。まあそれをメタるのもまた恋愛ゲームですが。

ラブコメ漫画」では反対な理由

オリジナルアニメマルチエンドはないでしょうからねこの辺りでしょうか。

「唯一無二の運命の人」という表現ですが、生まれときから赤い糸で結ばれているという意味ではなく、その場その場での選択によって結ばれる運命となった人という意味で使っています

ですから現在ラノベでやったことがあるような方式ですとか、恋愛ゲームならその運命になるだけの十分な説得力があるからいいんですね。

じゃあなんで漫画だと反対かというと単純にそんなに長く描けないでしょ? というだけです。長く描けるなら別にいいと思います

ぼくたちは勉強ができない」での分岐文化祭だそうですが、文化祭は150話中69話目です。恋愛ゲームでいえば共通ルートが69話、個別ルートは81話です。この時点で成幸が誰かに惚れてる感じもしないので分岐するタイミングはいいと思います。だからヒロインこのくらい描くならいいと思いますよ。でも81×4って無理でしょ? 直接ルート関係あるところだけとして適当に半分にしたって約160話、約3年分って半分にしても非現実的じゃないですか。

そうするとどうなるかっていうと今まで描いてきた描写を使い回さざるを得ないじゃないですか。そうする度に成幸が同じ経験をしてきたにも関わらず、些細なことで全然別の相手を好きになりましたってならざるを得ないんですよ。運命の、物語の純度が下がるんですよ。1,2時間描写相手が変わるみたいなことになって、成幸の経験が薄く、軽くなるんですよ。

その程度で揺らぐような運命を見たって感動できないんですよ。ていうか一度感動した分今までの感動何だったんだってなるんですよ。

いやまあ使い回さないこともありえますよ。各ヒロイン1,2話みたいな。それはいいんですよ。明らかにifなんで根幹の物語の純度は下げませんから

でもあの発表の仕方でそれはありえないじゃないですか。それで描写を使い回さないならヒロイン間の描写密度が違いすぎて軽すぎますし、そもそも成幸がそれで惚れるのは解釈違い甚だしいんですよ。それに歯抜けの描写で結ばれても感動のつまみ食いみたいになるの嫌じゃないですか。音楽のサビだけ聞くようなもんじゃないですか。サビだけ聞いたっていい気分にならないわけじゃないですけど、でもその程度で満足できるわけじゃないじゃないですか

恋愛ゲームと同じじゃないかみたいな声も聞きますが、恋愛ゲームやったことある人間に言わせると違うんですよ。

恋愛ゲームにおける共通ルートって各ルート共通する設定を説明するパートであると同時に各ヒロイン選択していくパートなんですね。そこで選んだ選択肢によって好感度上下していき、最終的に最も好感度が高いヒロイン個別ルートに進むんです。

まりその選択肢を選んだ世界だけ見れば、そのヒロインを追いかけてそのヒロインルートに進むわけですから主人公ヒロインが結ばれる運命って言われてるほど安くないんですよ。選択肢一つ選んだらそのヒロインルートに行く作品って全然多くないんです。

バトルとか恋愛メイン以外なら結構あるかもしれませんが、恋愛メインならあまりないですね。恋愛ゲームって女の子攻略するゲームなんですよ。

じゃあ漫画だとどうかってまた1話からやることありえないですよね? だから漫画では全く同じ共通ルートにならざるを得ません。ですから漫画における共通ルート価値ってゲームと比べても必然的に軽くなるんです。

まとめ

ラブコメ漫画って作中の時間は置いといて、リアル時間で何年も掛けて連載を追って、たった一人の相手と結ばれる流れを見守るという点で運命密度と純度が高いんですね。こればかりは恋愛ゲームは敵いません。リアル時間匹敵できるのはラノベくらいでしょうがライブ感は比較になりません。

そういう意味で「ラブコメ漫画」って唯一無二のジャンルなんですね。漫画以外じゃ代替効かないんですよ。

からゲームのいいとこを取ろうとこんなサプライズのようなやり方をしないで、「ラブコメ漫画」の強みを活かした作品を読みたかったなあと、今週号を読んで思いました。

余談

ところで文化祭分岐ということですが実際に連載自体は各ヒロイン長編から始まると思います

あしゅみー先輩以外は同じ内容の長編をやることが不可避でしょうし、一度長編をやっているのにもう一度やるのは馬鹿らしいですから

センター試験あたりからロードするんじゃないかという話も多いですしぶっちゃけそんな気がしないでもないんですが、さすがにこれやったら筒井先生正気を疑います

理珠の長編のあとでも成幸の気持ちを動かすのに時間が十分とは言えないと思いますし、ましてセンター真っ只中から受験終了まで恋愛に頭悩ます暇ないでしょうからさすがにやらないと思います

余談2

ルート分岐時点で先にマルチエンド宣言しておくのが誠意だと思うよ。

少なくともルートエンド前でしょう。余韻も何もあったもんじゃねえわ。

追記

表現規制云々

最近ネット論調のせいかと思いますセンシティブになり過ぎでは……? 個人レベルでのありなしって話なので作者は好きにしたらいいと思います。というか規制どうこうのレベルの話に読めます? まあどっちでもいいんですが読まないでもらえると嬉しいです。

私の中では人類普遍原理に反する(比喩です)絶対に認めない価値観ではありますがそういう価値観があることは当然でしょう。同意されたら嬉しいですが、されなきゃしょうがないというか当たり前です。

なんここ

オムニバス形式の一人の主人公がやったところでそもそもの積み重ねが大したことないので……。

引用

enya_r 描写不足には不賛同。ぼく勉って個別ルートイベント時系列ザッピングしてきた漫画なんだよ。ヒロイン当番制がむしろ意図通りで文化祭以後も共通ルートじゃなかったわけよ、告知ページの作者コメント読み取るに

これは違うと思ってまして、というのもうるかの待つ空港まで辿り着けたのは、人の心が分かるようになった理珠がうるかと文乃が気まずくならないように私もキスしたいですと言ったり成幸の背中を押したりしたからですし、父親との確執を乗り越えて自分の心と向き合えた文乃が笑顔で成幸を助けたからですし、過去トラウマを乗り越えた真冬卒業式に出ることより成幸に手を貸すことを選んでくれたからですし、自分の夢を再確認したあすみが仕事を抜け出してまで成幸のところに駆けつけてくれたからなんですね。

そうやって成幸がヒロインズの問題解決するのに協力したり交流してきたりしたからこそ辿り着けたわけで、その過程が実は唯一ではなくて他の道に逸れることもあるんですよとなるとその辿り着いた運命純粋さが落ちるんですよ。だから今まで描いたものを使わないなら長く連載しないと描写不足になりますし、使い回すなら描写不足ではないでしょうけど同じような経験をしたのに別の相手を好きになってしまうわけですから、選んだ運命の純度が下がるという表現しました。

別に今回で正式には最終回で次回からはifですっていうならいいんですけど、筒井先生曰く結末は読者次第だそうなので。

Arturo_Ui 「前例があるそうです」程度の知識でイキるなよ… // 「過程も含めて描こうとするのは絶対に反対」って、「学園祭花火」が伏線だった件を増田はどう評価すんの? ていうか「ハーレムエンド」より余程マシだろ。

イキリってあれでですか……? 後段は何言ってるのかよくわからないんですが、ルートによって相手が変わる「学園祭花火」が伏線だということ自体何言ってんのかなって感じなので評価も何もないです。うるかのやってきたことではなくて花火で全て決まったことになったけどどうなのという意味ならまあゴミですけど、他のヒロインルートでも外形的にはそんなことやらないと思うのでやっぱりどうということはないです。

キャラとしての一貫性ならハーレムエンドよりマシなんですが、物語としての一貫性だとハーレムエンドのがマシかなあと思います。でもまあハーレムエンドはやらないですからね。どっちも嫌ですが。

tmkyz 最初マルチエンドですって言ってくれれば良かったのに。うるかルート最終回の余韻を壊すような告知の仕方なのはしかった。/ここ数週、全体的に雑だったのも気になる。

最低限事前告知して欲しかったですね……

houjiT なんか恋愛の捉え方が無駄大長編的で怖い。知り合いでもないのに一瞬で火がつくようなものもあれば、今まで別を見てたけど急に気になることもあるわけで、伏線と展開がなきゃ恋愛と認めない、は視野が狭すぎる

ラブコメ漫画読むのに大長編的に捉えないほうが間違ってると思います漫画に限らずラノベ含めた恋愛メインの大衆小説一般でも恋愛伏線と展開は求められているのでは。

isaisstillalive 終始想像だけでディスってる

deadwoodman アリかナシか読んでから決めても遅くはないと思うんだが、ちょっと盛り上がりすぎじゃない?

f_oggy 賛成だなぁ。個別ルートでどれだけ各ヒロインの魅力を引き出せるかが勝負所よ。というか全てが完結する前の論評なんて野暮ってもんよ

はい

fusanosuke_n 正史を求めたい感じはある。ヒロインAと結ばれるストーリーが本物、正史で他のルートは戯れやファンサービスのifルートですって明言して欲しいっていうか。

miko88 正典を求める感情のようなものだと感じた

はい

2018-12-16

世界文学ベスト100」の英米バージョンを調べてみた

文学ベスト100と検索すると、国内に限ってもいろいろなランキングが出てくる。英語圏では、ベスト100を選んだときどのような小説ランクインするのか、気になって調べてみた。

そうすると、日本と同様にたくさんの種類のランキングが出てくるが、これらをひとつひとつ紹介するのも退屈だ。

から、それなりに信頼がありそうないくつかのランキングを選んで、それらにくり返し選出されている作品名をここに挙げてみたいと思う。

なにをもって信頼があるというのかは難しい問題だが、だいたい以下のような基準を満たしているランキングだけを取り上げることにした。

英語圏文学に偏っていないこと

 英語検索しているからには、英語で書かれた小説が多くランクインするのは当然なのだが、英語圏に限らず、世界文学を選出の対象にしていることを条件とした。なので英米文学オンリーとかなのは避けた。

・あまり最近小説大衆小説を選んでいないこと

 2000年以降に発表された小説割合が高すぎたり、「ハリー・ポッターシリーズ」のような、あまりエンタメ寄りの小説を選出しているものは除外した。

 「ハリー・ポッター」が文学かどうかは知らないが、それが文学ベスト100に選ばれているランキングが参考になるかというと、あまりならないんじゃないかな。

古今東西作品から選ぼうとする意思が認められるもの

 どのランキングにしても19世紀以降の西洋文学に偏りすぎなのだが、そこはもう仕方がない。


このような基準で選んだランキングは以下の4つ。検索すればソースはすぐ出てくると思う。

ガーディアン誌による「The 100 greatest novels of all time」(いつ誌上に掲載されたのかはわからなかった)

Goodreadsによる 「Top 100 Literary Novels of All Time」(国内でいうと読書メーター読書ログみたいな位置づけのサイトユーザー投票して選出している)

・Modern Library(アメリカ出版社)による「100 best novels」

アメリカ文学Daniel S. Burtによる「the Novel 100: A Ranking of the Greatest Novels of All Time」(同タイトル書籍がある。Burtは英文学講師をしていたらしい)

4つのランキングのうちすべてに選出された作品は、ナボコフの「ロリータ」と、ジョイスの「ユリシーズ」の2つだった。ロリータすごい。

4つのランキングのうち3つに選出されたのは、以下の28作品

タイトル作者
インドへの道 フォースター
アメリカの悲劇 ドライサー
アンナ・カレーニナトルストイ
すばらしい新世界クスリ
回想のブライズヘッド イーヴリン・ウォー
キャッチ=22 ジョセフ・ヘラ
ドン・キホーテセルバンテス
失われた時を求めてプルースト
フィネガンズ・ウェイクジョイス
見えない人間ラルフエリソン
ジェイン・エアシャーロット・ブロンテ
白鯨メルヴィル
アメリカの息子 リチャード・ライト
ストローコンラッド
オン・ザ・ロードケルアック
百年の孤独ガルシアマルケス
カラマーゾフの兄弟ドストエフスキー
ライ麦畑でつかまえてサリンジャー
善良な軍人フォード
怒りの葡萄スタインベック
グレート・ギャツビーフィッツジェラルド
緋文字ホーソーン
響きと怒りフォークナー
ブリキの太鼓ギュンター・グラス
崩れゆく絆 チヌア・アチェ
灯台へヴァージニア・ウルフ
火山の下で マルコム・ラウリー
嵐が丘エミリー・ブロンテ


このうち22作品はすでに読んでいた。

けっこうそれっぽいタイトルが並んでいるように見えるが、日本ではほとんどなじみのない作家も中にはいる。ジョセフ・ヘラーとかフォード・マドックス・フォードとか。

フォードの「善良な軍人」が翻訳されているかはわからなかったが、これを除けばすべて翻訳で読むことができる。すばらしい。

12/19追記

ブコメの指摘からフォードの"The Good Soldier"(上では「善良な軍人」と訳した)は、「かくも悲しい話を…」という邦題翻訳されていることがわかった。ありがとう

2018-09-11

anond:20180910200206

昔はノベルスという単行本未満、文庫以上の新書サイズミステリが量産されていた。

これはもちろんスレイヤーズフォーチュン・クエストといった文庫サイズファンタジーSF古典ラノベとは一線を画していた。おっさん向けの時刻表ミステリなんかもノベルスでたくさん出てた。ミステリインテリぶった大人が読めるエンタメだった。

講談社ノベルスは人気ミステリをいくつも抱えたブランドだった。

新本格ブームでみんな講談社ノベルスを読んだ。若者も取り込んだ。

そんな最中ミステリとして出たのが姑獲鳥の夏だった。

アンチミステリとして異質なものとして注目された。

人気が出たことによりメフィスト賞なんてものが作られ、キャラ主体の変な小説が量産されることとなり、今のラノベ文化につながっていった。

大衆小説児童書しかなかったミステリラノベにつなげた走りだな

2018-04-19

anond:20180419091122

大衆小説台詞をさも教養として知っておくべき名言かのように言うの、正直なところすごく寒いです。

2018-01-17

anond:20180116071707

業界人じゃないしそこまでフィクションに関心もないか素人の所感でしかないが、

広義の物語はあらゆる商品メディアに付随するから死んではいない。

ただ物語を読む上で、受け手が割ける時間エネルギーは日に日に目減りしているとは思う。

からパターン化された記号属性を前面に押し出したり、一目もしくは数十秒で内容を把握し消費できるようにした商品ウケるし、売れる。

オタク業界とは縁遠い大衆小説ドラマ映画でも同様の傾向を感じる。

昔の作品のような前置きが長く、終始受け手積極的に読み込まないと内容を把握できないスタンス作品暇人か愛好家でない限り、なかなか手に取られないだろう。

まり広い交友関係は持っていないが、少なくとも私の周辺ではその手の作品を好む人は一人も居ないし、自分も年々物語からは離れていっている。

そういう意味で旧来の設計物語が死につつあるというのはあり得るし、

ビジネスとして物語を作る上で取れる設計戦略限定されつつある事を増田は嘆いているのだろうと解釈した。

2016-02-19

少女小説世界に消えていった作家が勿体ない

私はアラフォーから中学コバルトエックス文庫黄金世代なんだけど、いつの間にか少女小説は消えていって、少女小説文体がかなり独特なためか作家も数多く消え、面白かったのに勿体ないなーと思う。

子供の頃は文学作品しか読んでなかったのもあり、大人の本ってきっと少女小説よりずっと深くて面白い物だと思っていたけど、大衆小説レベルが似たようなもんじゃん。

文体小野不由美とかもゴーストハント少女小説から一般小説の文に変えられたし、他にうつって生き残ってほしかったなー。

特に氷室冴子井上ほのか、氷室はまだジブリアニメとかなってるけど、井上島田が押す程のミステリーセンスがあるのに消えていって、本は全て絶版で勿体ない。彼女は18才デビューからまだご存命だろうなぁ。

2016-01-31

中高生ライトノベルを読むべきではない

http://togetter.com/li/931628

 このやり取りがネットで話題になっているようだ。

 口火を切ったSF作家は「ライトノベル向上心を持つ妨げになる」と主張している。これに対し、ライトノベル作家は「ライトノベルは単なる娯楽であり、向上心云々は関係ない」と反駁を試みている。togetterコメント欄はてブを見る限り、ライトノベル作家の肩を持つ人が多いようだ。

 さて、このやり取りでは「中高生ライトノベルを読んでいいか否か」ということが問われている。筆者は「中高生ライトノベルを読むべきではない」と考えている。ライトノベル社会への批判精神の涵養を妨害することが、その理由である

 ライトノベルの題材としては、学園生活や異世界での冒険といったものが目立つ。基本的にこれらは、社会的問題提示したりするものではない。また、ライトノベルの話は魅力的なものが多いと推測される。ライトノベルの根強い人気がその証明である。この2点より、ライトノベルはある種のプロフィードとして作用することが導き出される。つまり現実的かつ魅力的なライトノベルは、社会的問題に目を向けさせるのを防ぐ効果を持つのだ。

 本来中高生時代は、社会への批判精神を養う時期である社会への批判精神を養うには、勉学やボランティアなど様々な行動を通じ社会の不合理を体験したり、あるいは書物や新聞を読み考えることが必要不可欠であるしかしこの時期にライトノベルを読んだらどうなるのか。答えは火を見るよりも明らかだろう。

 そしてライトノベルを読み、社会への批判精神がなくなったらどうなるか。権力者供給する低劣な娯楽(ラノベアニメ漫画ゲーム大衆小説ギャンブル性風俗など)を貪る奴隷だらけになる。今の社会はそういう奴隷ばかりであるコスプレ喫茶で働く女子校生を題材にしたわいせつアニメに現を抜かす男性、酢こんぶみたいな名前中年男性グループ黄色い声をあげる女性男性器みたいな名前違法賭博にのめり込む工場労働者。彼らは全員奴隷である。そして奴隷がたくさんいることで、社会格差拡大は進み、近隣諸国との関係悪化環境破壊も進んでいる。

 学術書を読めとは言わない。しか岩波ブックレットであるとか、あるいは中央公論新社が出す新書などを読むべきである。全てではないものの、筆者のような浅学菲才の身でも理解ができる内容のものが多い。中高生ライトノベルではなく、こういう本を読み社会への批判精神を涵養すべきだ。

2016-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20160112123847

はっきり言ってしまえば、アニメを通してみるといろんなメディア原作作品漫画大衆小説ラノベ)が画一的に見えてしまうのだ。

違いが分からなくなってるのは、単にそのジャンルに対する興味が無くなってるだけの話。ちゃんと違いはある。「最近女の子はみんな同じ顔してる」っていうオジサンと同じだよ。

そもそも元増田の書き方は伝聞の形になってるけど、ちゃんと自分ラノベ読んでアニメ見てから意見を言っているのだろうか。

テンプレアニメといって軽視して、自分が賢くなったように錯覚してるだけ。だいたいテンプレとは何なのか。人が出てきて何かが起きるってテンプレに全てのドラマは沿ってるじゃん。

2016-01-12

小説媒体の特徴

ライトノベルとかライト文芸とか広く大衆小説凄さっていうのは、個人で作れて制作予算が低いことに集約されるんだよ。

作るのにあたって初期投資が非常に少なくて済む。商業印刷するにしたって数百万程度で済むし、なろうに連載するなら(作者の人件費以外)ほぼノーコストだ。

商業出版にしたってその作者の人件費印税という形で出版後の割合報酬ということになってる。

なんだそんなの常識だろ? という人がいるかもしれないけれど、アニメだってゲームだって映画だってそんなことはないわけだよね。「放映中止になったんでギャラ払いません」なんてないわけだ。

この初期コストの低さというのが、メディアミックス原作生成にむいているんだよ。

テンプレという言葉は今現在否定的意味で用いられることが多いけれど、それって「創作者たるもの独自性を追求すべきだ」であるとか「読者である我々により大きなメリット(新鮮な読書体験)を与えるべきだ」みたいな、突き詰めると根拠あいまい言いがかりに近い否定要素なんだよね。

でもそれじゃなんでテンプレがこんなにあるかっていうと、創作レベルでいえばある程度創作の指針を借用できるからってのももちろんあるんだけど、業界レベルでいうと「初期条件わずかに変えた実験を大量並列でやることに価値があるから」なんだよ。この実験可能ていう価値観ってのは研究者になら判りやすいと思う。

その実験商業的に、つまりメディアミックス原作を探査するうえで有用があるからこの状況があるんだ。

もし小説を作るのにかかるお金現在十倍もあれば、こんな実験は原価割れするので絶対に行われなかった。

実験コストが高いのならば、実験施行回数を絞らざるを得ない。そこでは「作品Aと0.1%違う作品Bを作って反応差異を計測する」なんてのよりも、もっと距離のあるBの実験の方が優先される。マンガは、この状況にある。

まり、なろうという環境でなんであんなにテンプレが謳歌されているかといえば、もちろんそれが作者に負担を書けないっていうのもあるんだけど、なろう連載はラノベ出版よりもさらお金がかからないので、実験環境として優秀だっていうのがあるんだよ。実験コストが(それこそ素人の思い付き労力以外消費しないほど)低いからほとんど差異がないような作品が並行して連載される。

なにをもってメディア豊饒なのか否かというかにはいろんな見地があるとおもうけれど、個人がわずかなコスト実験可能だ、という意味で、小説ジャンルは「豊穣」なんだよ。

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