はてなキーワード: ザッピングとは
○ご飯
朝:納豆たまごかけご飯。豚汁。昼:お菓子。夜:餃子、長ネギ、人参、キノコの鍋。間食:柿の種。チョコ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすすー。
携帯電話専用ゲームとして発売されていたADVのニンテンドースイッチ移植版。
終電を逃した主人公が何故か臨時で運行している臨時終電なる謎の電車に乗り込むことから始まるホラー。
いつまで経っても駅につかない、応答がない車掌、次々起こる怪奇現象で恐怖を煽ってくる。
これらの恐怖体験を乗り越えつつ、この電車が何故このような奇妙なことになっているのかを解き明かすちょっとした謎解きパートもあるのが良き。
今まではルート毎に大きく異なる設定の妙が面白かったが、今作は一本大きなメインルートがありそこからの分岐を楽しむスタイルに変わっている。
ホラーだけ一辺倒というわけではなく、数個のコメディも用意されているがオマケ程度。
あくまで謎の電車に閉じ込められてのホラー展開を楽しむ作品になっている。
特徴的なのは、視点乗り換えシステムと名付けられたザッピングのシステム。
普通の会社員の主人公の他に、メーンヒロインで大人しいあかり、インテリながら失業中でやさぐれ気味の幸子、シングルマザーで色々と疲れているめぐみ、中年男性で記者の南武、ヤンチャな若者吾妻と言った他のキャラ視点のルートも楽しめる。
彼らのルート独自のエンディング、独自の世界観も用意されているのが良かった。
特に、シングルマザーとして子育てと仕事の両輪に疲れてしまった烏山めぐみさんのルートでは、女性側から男性にアプローチをかけるシーンなんかもあったりして興味深かった。
本筋を追う場合には、主人公だけでなく彼らのルートでも電車の謎を追うための行動を成す必要がある。
そうして、6人それぞれが臨時終電にまつわる手掛かりを持ち寄り、最終的に立ち向かう構成がシッカリしている。
今までの二作品は低予算なりの試行錯誤を小さな良作だったけど、今作はそれらを踏まえての王道ホラーものとして規模感関係なくちゃんと面白かった。
フローチャートや既読スキップの高速化などのシステム面の成長もありがたい。
特にフローチャートは、前作までと違いフラグ立ての概念がある本作には非常に嬉しい仕組み。
全ルートを制覇すると見れるオマケシナリオを読むためにも、このフローチャートを見ながらの穴埋め感は楽しいシステムだった。
プレイ時間は2時間ほどと短いものの、メインストーリーに集中できる時間がしっかりあるので物足りなさはなく良い塩梅。
ただ、その分ルート分岐でのしっちゃかめっちゃかさや、キャラクタの面白い出鱈目さ加減など、前作までのふざけた部分がかなり控えめなのは寂しくもある。
特にキャラクタの個性は、各位のルートがあるだけに、もっとはっちゃけても良かったかもしれない。
え?でも、テレビを見て番組のDVDを買ってないのと一緒じゃないの?
日本人の大部分はNHKにだけ受信料を払ってるけど、テレ東やTBSには一円も払ってないよね?
テレビ番組はCMの広告料を主な収入源として作られているけど、CMが始まったらザッピングしてただ食いする人だって大勢いる。
そういった態度が「乞食っぽい」って言われてるのはあんま見たことがないんだけど、アプリで漫画読むのってそれと何が違うの?
各話数の最後辺りに広告が入るから1日4話漫画を読んだら4回広告を開いてるけど、これはテレビと比べても頻度が高いと思う。
広告で紹介された商品やサービスを使っているわけではないけどそれはテレビCMだって同じなんじゃないの?
不思議だ。
新しい商売の形が生まれた時にそれに違和感を覚える人がいるのは分かるけど、既存の商売がちょっと形を変えただけでもう理解できなくなる人もいるんだな。
そしてそういう人に限って、自信満々で他人に対して文句をつけてくるのか。
想像力がないんだろうなあ。
2020/01/15(水) 08:35:54.49ID:HkB+KIIQ0
ガンパレード・マーチ、メガゾーン23、ゼーガペインとかのちょっと古いSF作品のオマージュネタが多くて
実際オールドファッションなSFジュブナイルだからそういうのが好きな古いオタクか
逆にそういう作品群を知らない人なら楽しめると思う
ザッピングなシナリオは良く出来てるけどいろんなSF読んでたりそうでなくても最近のSFラノベを読んでいたら
予想通りのオチ過ぎて拍子抜けすると思う
2020/01/15(水) 08:48:02.79ID:iIHBrlFe0
だからあんまネタバレ出来ない!凄い凄い!言ってハードル上げない方が良いと思うんだよね
そんなに言われたらどんな凄いオチが待ってるか期待しちゃうだろうしw
何より台詞や会話がとても良いので世界の謎がわかってても楽しめる作品ではある
インターネットミームって基本的に、「皆が使う」からミームになるわけだ
かつてのインターネットは有名フラッシュや有名テキストサイトはいわば「教養」として共有されているだけで、ただみんなが知っている、というものだった
2ちゃんねるはじめ掲示板全盛期に、皆がそれを真似して使うことで初めてミームに定着していった
なのでミームとは、コピペのように、ネット上で文字として書かれ続けることでミームになっていたわけだ
絵や動画にしちゃえる人はほんの一握りの技術を持つ人で、ミームになる元ネタの提供だって一部の技術者に限られていたわけだ
ニコニコ動画ができたあたりから、一次情報の転載や改変は行われていたが、それでもやはり職人のお遊びという側面はぬぐえない
結局マスは職人たちのお遊びを文字としてミーム化して遊んでいただけだ
そして時代がたち、ニコ動の崩壊からのYoutubeの再興、2ちゃんの崩壊、SNSの浸透などが起き、ミームはSNSで起きるようになった
やがてツイッターやインスタが画像を操るようになり、そうなるとすぐに画像のミーム、例えば有名漫画の一コマや、現場猫などが登場した
画像が気軽に張れるようになって「逆だったかもしれねえ」「君のようなカンの鋭い子供は嫌いだよ」的なやつはもはや浸透しきっている
現場猫は、それ以前であれば「ヨシ!」だけがミームとなったはずが、ネコのイラストをいろんな状況に合成することで活躍の場を広げていった
そしてtiktokの登場により、ついに動画そのものがSNSになった
マスが操るのは文字や画像にに限らなくなり、誰でも気軽に動画を操れるようになったのはここ最近だ
「はやりのダンス」はあっても、「はやりのミーム動画」はなかったわけだ
その間はかつての面白フラッシュのような welcome to underground 感はかけらもないきらびやかな世界だった
しかし、浸透すればするほど若い女の子以外もはやりのコンテンツに流れていく
そんな時代になってついに誕生したのが文字ではない動画素材としてのミーム、猫ミームだ
猫の動画を素材として合成して自分の動画に使うミームが猫ミームだ
ついにここまで来たのかー、と思ったね
面白い文を練って書くのではなく、同じ文脈を共有する大勢のマスが作った大量のミーム動画を、テレビをザッピングするように浴び続ける時代
成人式というワードを今年もぽつぽつ目にして、ああもうそんな時期かと思ったら苦い記憶の蓋が開いてしまったので当日も終わった今書き捨てる。
私は成人式で振袖を用意できずにスーツで行った女だった。全女性参加者の中でスーツは一人だけだったのでとにかく浮いたしそれなりにしんどかった。用意できなかった理由は親が毒親だったから。親戚も一族まとめて酷いもの。主に父親から肉体的、精神的、性的、金銭的と教育虐待を受けていて、母も逆らえないし妹を守るためにも私を差し出している節があり言いなりだった。
バイトも当然させてもらえない。①⚪︎⚪︎家の血に高卒は許さない高学歴になれ、②お前なんか高卒で働け金は出さねえ、の毒親あるあるダブスタから這って足舐めて進学させてもらったものの学校以外でほぼ家から出してもらえないから。されど振袖資金も出すわけもない。頼み込んでお金を前借りする事もできない。母は式の一年ほど前から「振袖どうすんの」と聞き、お金がないから難しいだろうね、と言うと「でも…」と残念そうに肩を落として終わる会話を何回もした。酷い言い方だけど、多少の罪悪感を感じてはいるようだったので、逃れるための気にかけていますポーズだと思っていた。ちなみに父はその話題に絶対触れない。文字通り顔を背けるし黙って居ないふりをする。
忘れもしない。前夜まで悩んで悩んでスーツでもいいから行くことにした。行って振袖を着られなかった悲しみと戦うか、行かずに一日潰していつか(やっぱり行けばよかった)と後悔する可能性を持ち続けるのだったら、前者で当たって砕けた方がいいと判断したからだ。誕生日のように毎年来るイベントではなく一度きりなら行かずに後悔する方が長く後悔を引きずる気がした。父は成人式の話自体を振られる事が嫌なのか数日前からは特に顔を合わせようとしなかったので母には行くと伝えたが「本当に行くの?」と望んでいないような顔で言う。実際そうだったんだろう。夫である父が望んでいないので。あと振袖のことを気にしてるけど用意できなかったり父を説き伏せられなかった罪悪感を多少突かれるから、この辺りかな。
忘れもしない。支度のために家の中を行き来する間、家族は全員起きている気配がしていた。そもそも母は休日でも変わらず一番に起きてくる。父も子供達にテレビを絶対取られたくないので早く起きて一日中床に転がってザッピングしている。妹はまちまちだが物音がしたのであの日は確実に起きてた。全ての部屋から人が息を殺して隠れている時の独特な圧迫感もあった。私以外の全員から絶対に部屋から出て私の顔を見るものかという意思をあの時確かに感じられた。関わりたくない、知りたくない。なんなら親の部屋は挨拶も兼ねてドアを開けて確認した。朝は毎日目を見て父親が気に入る声音のおはようが言えるまでやり直しのイベントがあったから。両親ともに布団で顔を見えないように隠していて、どう聞いても寝息じゃなかった、起きていた。
ただ一人スーツで参加した私を何とも言えない顔で見る友達もいた。苦笑いもされた。直接なぜ振袖じゃないのか聞かれもした。用意できなかったんだ〜とだけ返して、苦しさと虚しさが喉元まで詰まって今にも破裂しそうな心地のまま、式の終了まで居た。それでも行かなければよかったとは一度も思わない。振袖で出られなかったのはやはり悲しかったが、断然行ってよかったよ。あの閑散としたリビングの風景と、あの日だけ九時を過ぎても全く誰も来ようとしなかった空間で充満していた家族の「関わりたくない」「知らないふりをする」という意思には傷どころか呪われたとさえ感じる。アラサーになった今でもあの日だけ妙にがらんとして空気が冷たかったリビングと朝日の色をはっきりと思い出せる。いつになったらこの傷も忘れることができるんだろう。
ここまで読んでくれた人はありがとうございます。最後に。思い出したからと言って、私の後に問題なく式を迎える/迎えた人たちを恨んだり等はしたくない。妹が成人式に私と違ってバイトを許されて貯めたお金で着物を着て行った時も、それを笑顔で自慢された時も、嫌味を言わずおめでとうだけを言える理性も用意できた。過ぎてしまった年月はもうどうしようもできない。ただただ向き合うしかないと理解はしている。でもやっぱり苦しみはまだ終わってないから、自分に掛けられた呪いを嘆くより人の幸せを願う方が穏やかな気持ちになれるからせめてもの祈りを書いてこの話は終わりにします。
今年成人を迎えた皆さん。成人おめでとうございます。あなた方の選び作るより良い未来の成就を心から願います。
これから成人を迎える方も、お子さんお孫さんに振袖を用意する方も、はたまた私のような苦しみをどこかで得た人も、全ての人が望むように暮らせる良い2024年でありますように。
○ご飯
朝:玄米ブラン。昼:豆腐、エノキ、たら、ニンジンの鍋。たまごおじや。夜:唐揚げ。ブロッコリー、ほうれん草、にんじんのスープ。ナポリタン。間食:プリン。アイス。オーザック。
○調子
○人形の傷跡
公称ジャンルは“サイコホラー”なノベルゲームで、90年代後半同人ゲームの移植版を遊んだ。
連絡がつかなくなった大学生の姉を探すために上京した上条明日美が主人公。
上京したはいいものの、同じ大学の学生や事務員に聞いても姉のことは誰も知らない上に、所属している研究所はなにやら怪しい気配が漂っていて恐ろしいという導入。
開幕早々怪しい展開が続くが、本当にただ読者を怖がらせたいだけで、物語的にはあまり意味のないビックリ要素も多々あるのは好みが分かれそう。
ストーリーは二転三転かなり目まぐるしく状況が変わっていき、その時々でホラーらしい恐怖展開が繰り広げられる。
視点人物の認識そのものに恐ろしい何かが秘められている展開などは、まさにサイコホラーらしさ。
それでも上条明日美の根底にある姉を見つける意思は疑いようの無い気持ちであるのが、ホラーと感動のバランスをとろうとしている試行錯誤が見えて興味深い。
恐ろしいビックリする展開はふんだんにあって、確かにどれも怖かったのだけど、それ以外のストーリーの筋は緩急の変化がなく、ずっと急いでいる激しい展開が続く。
このキャラクタがどんな人間なのか? とそもそも興味を抱くシーンすら少な目なので、次から次へと展開する驚きの展開に終始振り回された。
途中でダレることなく一気に走り抜けているので、作風としてはちゃんと一貫していた。
ただ、日常パート的なキャラクタの好意を抱くようなエピソードがかなり少ないわりには、人間としての好意がエピソードの芯にあるため、読んでいる側からすると若干唐突に感じる展開も多数あった。
とはいえ、この辺には大落ちに繋がる重要な設定の影響もあり、移植版で追加されたザッピングシナリオで補完されているので、製作陣も重々承知していて割り切った部分なのだろう。
これはもうジャンル全体を包括したような乱暴な感想になってしまうが、段取りを省略することで唐突な驚きと恐怖を演出すること自体が、良くも悪くもなんらかの解決を求めないホラーらしい展開だった。
僕の好みとしては、キャラクタの個性を魅せる場面や、物事の段取りを立てるパートがあると嬉しかったのだけど、それらが省略されているからこそのホラーだと主張されると返す言葉が出ない。
noteをザッピングしていると、ある作家志望の人の記事が出てきた。
今までフルタイムの高校教師をやっていたが、今年からパートタイムの教師になり、作家を目指すというのだ。
まあ作家を目指すことじたいは別にいいのだが、びっくりしたのがその動機。
今の高校生が小説を読まないから、高校生に小説を読ませるために、自分が小説を書いて小説家になりたい。
私が今まで見てきた作家ワナビーというのは、好きなことを仕事にしたい、お金持ちになってタワマン住みたい、有名になってちやほやされてオフパコしたい、とかの「自分が何々したい」という人たちばかりだっだ。
普通の市民社会で生きていて、自分が何々したい、なりたいとの欲望を持つことは普通だし、それが資本主義の原動力になっていると思うが、人に何々させたいとの欲望を抱くことはほとんどないんじゃないかと思う。
また作家になるためには出版社主催の新人賞を取ったり、小説投稿サイトでランキング上位になったりすることが必要だが、そのためには、選考委員や読者の趣味嗜好を分析しつつ、楽しんでもらえるためにはどうしたらいいか、相手の欲望に自分が合わせることが重要になる。
教師をやっているような人たちは、人に何々させたいとの欲望を当然のように持っていて、それは生徒に指示命令することを仕事でやっているからそうなったのか、もともと歪んだ人が教師になるのか、どちらにしろ教師は人間が歪んでいるなあと思った。
なんかよぉ……
最近思うんだけどさ、みんな何か一つに寄りかかろうとしすぎじゃない?
Twitterだかxだかについて皆が話してるのを眺めてて思う……
1人に、1か所に全てを求めようとしすぎ。
例えるなら、田舎のバカでかいショッピングモールみたいな感じ。
昔は違ったじゃん。野菜は八百屋で、魚は魚屋で、本は本屋で買ったじゃん。
絵はpixivに(その前は個人サイトに)、動画はYouTubeやニコニコに、好きな人の日記はブログに、知りたいことは検索エンジンに、それぞれを見たい時に見たい場所へそれぞれアクセスしに行ったじゃん。
それが一箇所で手に入るのがTwitterで、それをすごい!画期的!って楽しんでる期間がしばらくあったけれど、そろそろそれが当たり前になってきて、品揃え悪いなとか、私は今甘い物食べたくないのに勧めてきて不愉快、みたいなことが増えてきてる。甘い物が見たくない気分ならモールを出て漬物屋にでも行けばいいんだけど、そのへんのコントロールがどんどん下手くそになってないか?日曜日に買い物するならモールでしょみたいな。何にも深く考える段階がない。Twitterがカスになったと感じるのは、もちろん事実そうなのだと思うが、こっちのコントロール機能がカスになってきているというのもあると思う。
そりゃショッピングモールは便利だし、楽だからその価値はすごいものではあるんだけど、それならその便利や時短を享受しようという心構えでいるべきなんだよな。〇〇屋に行くって行為って、それなりに何か求めて身構えて行くってことだし。そういう身構えがないと、何かと不愉快は増えるものだ。覚悟していれば受け止められるものも急だと受け止めにくくなる。見る物のコントロールは、ほとんど精神のコントロールに直結しているので、その辺が上手な人は自分の機嫌をよく保つのも上手い気がする。
人もおんなじ。生み出す作品が良い人も、人格が信頼できる人も、容姿が良い人も、楽しい気持ちの日に会いたい人も、悲しいときに慰めてほしい人も、全部別のカテゴリで、自分の気持ちで付き合い方を変えて良いのに、それら全てを兼ね備えた人を求めてるみたいなところあるよね。そうじゃないなら殴ってもよし、みたいな。
これってAだと思う、という人に、いやこいつにはBって視点が欠けてるぜ、いやお前はCってことを分かってない、みたいな喧嘩が今日も起きている。それって、別に喧嘩するようなことじゃないじゃん。それぞれの意見が集まることはいいことであって、それを聞いて自分の中でABCの配分を調整して自分の意見をクリエイトすればいいだけなのに、発言するなら最初からABC全部セットにしてお出ししないと許さねぇ、っていうのはやっぱり求めすぎなのではないか。.
その上で、今そのショッピングモールが潰れそうになってるわけでしょ。もうそのショッピングモールが儲ける影で街の本屋や魚屋は潰れてて、行くところはぐんと減っちゃっている。依存してた場所がなくなるからみんな右往左往してる。
企業はいつだって全てのシェアを掌握したがる。みんなもそれが楽だから最大手に乗りたがる。でもそれが進み切って最大手が死んだ時には、焼け野原と、右往左往する人間しか残らない。全てが完全な優れた推しに全てを委ねて貢いだのに、それが沈んだら何にも残らない。そのために切り捨てた友や時間やチャンスの死骸が転がるばかり。
今からでも、意識的にいろんなものに寄りかかりたいな、と最近思う。Twitterってザッピングしてるようでいて結局Twitterというものに依存してるからあんまり意味ない。Twitterを見たい気分の時に能動的に、積極的にTwitterを見て、そうじゃない時には別のSNS見て、探したいものは自分で検索して、本読んで、新聞読んで、テレビ見て、近所の友達と喋って、遠方の友人とも喋って、職場の人と話して、そして何も見たくない時は何も見ないでいたい。惰性で暇を持て余すのでなく、積極的に暇人になりたい。そういうふうにやっていきてぇな。意識的に…能動的に…
Tik Tokをずっと見続けてしまうのは次から次へと新しい動画をスワイプで流し見できるからである。
ツイッターもインスタもそんな感じ。テレビのザッピングみたいにスワイプでずっとツイートを見続けてしまう。ウェブマンガもツイッターのこの形に乗っかることで流行った。
ウェブ小説も同じようにできないだろうか。今のウェブ小説の構成はどちらかというとブログみたいで古くさい。
別に入り口が冒頭でなくてもよくて、最新話が目に入って面白そうだなと思われたら最初から読まれるかもしれないし途中から読まれるかもしれない。それくらいのノリで、投稿順に投稿された最新話の最初の200文字くらいがツイッターみたいにズラズラと並ぶ感じ。
社不を自称していて週7でツイッチで毎日16時間くらいでゲーム配信していて実家住み。
私も似たような環境だったので配信はほぼ見てコメントもして、Twitterは相互フォローだった。
ある日、配信者は配信時間が減るかもと言い出し、そして実際に配信時間はどんどん減っていった。
嘘でしょ。
無理そうだったら辞めると思うと言っていたけど、そのまま半年たち。
昨日で1年経った。
週末は休みだからいっぱい配信するわ!という。そして4時間くらいしか配信してくれない。
今でも私は引きこもりながらいろんな配信をザッピングしてただ時間を浪費している。
なぁ、私を置いていくなよ。
私はまだここにいるんだぞ。
去年のざっくり今頃、若者はプログレなんて聞くなよ~という事を書いた。
1年経ったが、とりあえずCD屋を見てもライブに出かけても特段若者が聞き始めた雰囲気はない、書いた効果かどうかは定かではないが(恐らく関係ない)、とりあえず題名の目的は継続的に達成されていると見て間違いはないだろう、が、
去年はまだジジイしかいねえよぉ(笑)とネタに出来るくらいの精神だったのがディスクユニオン冴えない薄毛の男性しかいらっしゃらないプログレコーナー(あのリュックサック率は本当に何なんだ)やジジイにまみれてのライブ鑑賞(スティーブヒレッジとGongはよかったですね)、若い子もいるよ(笑)などという、俺はこの辺りには自然がねえなと言ってるのにぽつぽつと並ぶ街路樹を指さしていやあるやん(笑)、と同等の言論をぶつけられたりし、あれから1年、1年、1年…
何か素敵な魔法でもかけたのかな?
クラブチッタへ向かう方向だけ、何故かおっさんかジジイしかいない光景。
これを見て、俺はなんとなく思った。
……
若者にもプログレを聞いてほしい!!!!!!!!!!!!!!!!!聞いてくれるような事を書こう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!俺もデケえ野外フェスにドサドサ出まくるプログレバンド達で盛り上がりてえ、家で女の子と二人プログレを聞いて、アハンウフンエモい雰囲気になりてぇんじゃ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!おい!!!!!!!!!70年代の日本ロックファンのメインストリームだったとかぜってぇ嘘だろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!じゃあなんで20年代だとメインストリームじゃねえんじゃ!!!!!!!!!!!!!!クソが!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ドームでワンマンライブしろよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
というわけで始めてまいります。蜘蛛の巣のように予防線を張り巡らせた結果所々「事が多い」という文言を多用するハメになったのでこの文章では「事が多い」=「@」と定義します。
おじさまは(個人差がデカいとはいえ)若者好き@。おじさまから見るとなんとなく好きな若者がさらに自分の趣味であるプログレを聞いている。これは…?恋が始まる
事は無いもののそこそこの好感度が叩き出せるのは想像に難くない、というか出る。居酒屋で意気投合したおじさまにに酒奢ってもらったもん俺。へぇ~若いのにプログレなんか聞くの!?いいねぇ~とでも言わせたらもう勝ち確モーション。
この年功序列社会におけるおじさまの立場や金銭的パワーは若者の比ではなく、それなりに人生経験という面でも上手なので、交友の潤滑油として聞いてみるというのはそこそこにアリではないですか?俺の唯一の同年代プロトモ(プログレ友達)はなんかキーボード譲ってもらったらしいですよ?
…この前はジジイとか酷い事ばっか言っちゃって…ごめんね?あんなのうそうそ、俺らお兄さん達の事大好きだから。PFMの正式名称言えない奴はモグリとか、Soft Machineで一番好きなアルバムとか、そういういっぱいプログレの話しようね?チュッ♡
音楽自体が時間芸術なので既にタイパという面では悪いがその中でもプログレはクラシックと同じくらい悪い@。しかしあえて、あえて長い方を取る事により精神的余裕を味わえる。そうなのかな。
だいぶ円熟したジャンルなのもありプログレはネット上に体系的な情報が多い。
名盤まとめサイトから名盤でもなんでもない奴までかなりの量を分類網羅してるサイト、英語に拒否感が無いなら世界中のプログレをまとめたデータベースサイト http://www.progarchives.com/ まである。ググればだいたいすぐに出てくる。
まだ発展途上のジャンルの場合アーティストの情報がSNSやニュースサイトをちゃんとチェックしたりネットを駆けずりまわらないと出てこなかったりする@のを比べると情報収集が楽だ。こんなもん誰も聞いとらんやろwwww的な音源もどこかの知らないおじさまがレビューしてたりする。
テキトーにググればOK!ストリーミングに音源がたくさんある!Youtubeにも(時には合法、時には違法で…)丸々映像やら音源やらが上がっている!と音楽の複雑さとは裏腹に入門者フレンドリーな面がある。
全体的に何らかの部分で凝っているジャンルである。凝りに凝った結果そん所そこらの音楽には出せない非日常世界が展開されるのだ。
こんこんと雪の降る古い日本家屋からイギリスの深い森の向こう、果てはヤバそうな異星の儀式や謎の宇宙的空間などを非常にダイナミックに想起させる音楽というのはそう見つからない。無論視覚的だけではなく、強烈に鬱的な心象を与えてきたり、ようわからん驚きだったり…と部屋で一人ヘッドホンをしてじっくり耳を澄ますと音の向こう側にある普段の生活では出会う事の無さそうななんか凄い世界に精神を飛ばすことが出来る。
先進的なロック、聴いとるんですが!?とアピールすると職場や学校でイケてる人と思われる可能性がある!!
プログレはミクスチャー的である@。クラシックやジャズに始まり、ケルト等ヨーロッパの伝統音楽、果てはガムラン等、世界中の様々なジャンルとロックとの結合を試みている。プログレを橋掛りに知らないジャンルを好きになり、聴く音楽の幅がグングン広がる。もしかしたら一生を捧げられるような物に出会えるかもしれない。
同じくらいミクスチャーしがちなジャンルにメタルがあるがあっちは溢れ迸る圧倒的パワーのせいで全てをメタルに塗りつぶしてしまうので、○○メタルに慣れたころいざ元のジャンルを聞くとパワー不足を感じるのだ。圧がね。足りんよね。なんか。
その分プログレは割と素材の味生かしがちなので参照元聞いても割と大丈夫。
あとプログレは概念的なジャンルなので本当にいたるところ、全く関係なさそうなアーティストにもその面影を感じられたりする。終わらない音楽探求の世界へ、飛び込もう!(まあ皆さんそこまで飛び込みたいかと言われると微妙かもしれない)
最寄りのおじさまにお尋ねくださいませ。
と突き放すのは良くないですね。
個人的には、最初は新しいバンドのスタジオ盤orライブ盤、もしくは大御所バンド(King CrimsonとかYesとかそのへん)のライブ盤やライブ映像をYouTubeで見るのがいいと思う。
まず初めに70年代のスタジオ盤を聞くのはやめた方がいい。スタジオ盤ならなるべく最近の、どんなに古くとも1990年代以降に出た作品を聞いた方がいい。
ライブ盤はバキバキでも、スタジオ盤だと70年代周辺はどれもこれもやたら音が弱く聞こえる@のだ。これは音作りの古さや現代との方向性の違いからくる@。一番はドラム。70年代や物によっては80年代のプログレのドラムは現代の感覚からすると迫力が弱いかあまり耳なじみの無いプロダクションがされている@。次点はギターの歪み@。
もしSpotifyユーザーならばそこそこ近年の作品をある程度網羅的に取り上げているNeo Progressive Rockというプレイリストをおススメする。400曲くらいあるのを見てげんなりするかもしれないが、別に全部聞く必要は1ミリもないのでとりあえずこれをシャッフル再生して適当にザッピングして気に入った物を探すと良いかもしれない。
そうかもですね
魔法少女マジカルデストロイヤーズはナードコアの文脈でサブカルクソ野郎の目線で見たほうが良い。
WWD:絵のタッチに影響を受けたり、尊敬する漫画家はいますか?
JUN:あまり「この人!」って方はいないんですけど、描き始めた最初の頃は「アイシールド21」や「ワンパンマン」の村田雄介先生の絵ばかりまねて描いてました。だから僕の絵ってかなり村田先生に似てるんです。村田先生のアメコミ風な影のつけ方と、喜怒哀楽の表情の描き方がすごい好きですね。
なんで敵が(´·ω·`)ショボーン なんだ?2chなのか?と思ったが、2011年の秋葉原でワンパンマンのノリと考えると、(´·ω·`)ショボーンも納得がいった。(2010年ぐらいがノスタルジーになる時代になったのかなとも思った笑)
実際、OPやEDは謎に不気味でパンクでお洒落でサブカルで良いと思う。このオシャレ感で2話のエンドカードでポプテピピックコラボしてきたので、サブカルクソアニメ路線を確信犯でやっているのかなと思ったら、ポプテピピックのプロデューサーが関わっているとは。
https://togetter.com/li/2125391
3話の急に出てきて○すのはアレは何なのかwギャグ路線から急にシリアス展開を入れる緩急が謎で草w
4話で古い閉鎖的なオタクと開放的な若いオタクをメタってきたには草が生えたw
5話は中野が舞台になりそうで、とくに聖地を秋葉原に限定はしなそうである。
池袋も出るだろうか。OPの急なザッピング音の転調を考えると、今後の展開がどうなるかわからないところがある。ポプテピピックの最終話の蒼井翔太氏の実写展開のようなパターンもありえるのだろうか。まじで予想がつかない。
そもそもJUN INAGAWAって誰?インスタからラッパーとのコラボして個展を開いてアニメ化ってどういうことなんだ?感があった。
コラボしたラッパーのA$AP Mobの説明を見たりA$AP Mobの音楽を聞くだけでは、とくにオタクラッパーというわけでもなく、どうつながるのかわからない。
https://block.fm/news/asapmob_is
JUN INAGAWA氏のインスタを見ていくと、ナードコアの文脈で理解できる気がする。
https://www.instagram.com/p/CYd1nUdF3_x/
このイアンのナードコア大百科 Ian's Nerdcore Encyclopediaを見るにこの文脈でラッパーと萌えがつながるのか、と。
https://diskunion.net/clubt/ct/detail/1008022873
https://archive.org/details/ians-nerdcore-encyclopedia/page/122/mode/2up
魔法少女マジカルデストロイヤーズをアニオタ目線で見るのは間違いだと思われる。
最初に見ている限りでは、設定がほとんど逆転世界ノ電池少女じゃね?と思った。
アキバものなのでAKIBA'S TRIP -THE ANIMATION- を越えられるかなと思って最初は見ていた。
このオサレ感、フリクリとか妄想代理人とか似ている感じがするなぁとも思った。
>令和のアベノ橋魔法☆商店街
もわかるーって感じ。
魔法少女モノでいうと暗黒系の魔法少女サイト(2期告知はエイプリルフールだったんかいw)とか。
4話のネタについては神田川 JETGIRLSや競女!!!!!!!!を見ないといかんだろうか。
そして4話のロボットは、作中だと勇者ゴーディンと言っていたので元ネタは勇者ライディーンになりそうだが、どちらかというと東映スパイダーマンのレオパルドンだよね?
(レオパルドンというと、いやあれはゼオパルドンか。アキバ系エロゲのおたく☆まっしぐらの失われた佐々木操ルートを死ぬ前に読まないと死んでも死にきれないという気持ちを思い出したw)
あと2010年頃とすると、シュタインズゲートネタが入るかどうか楽しみにしている。
また(´·ω·`)ショボーン から電車男や月面兎兵器ミーナや2chネタが入るか気になる。
エロゲ文脈でいうとブルーアーカイブ -Blue Archive-が上手いこと換骨奪胎して透き通った世界観を表現したのに対して、マジデスがどうするか。マジデスの好きなことを好きだと言える世界を作りたいというテーマはしっかりしてそうだから、それをどうシナリオにして描写するのか、楽しみにしている。韓国からのブルーアーカイブだったりフランスからのシティーハンター実写版だったり中国からの原神やアークナイツだったりフィリピンからのボルテスV実写版だったり、日本のオタク以上にオタクをしている、わかっている、海外からのディープな熱い作品があふれた中で、アメリカ帰りのマジデスはどう表現するか、文化の違いがあるのかどうか、楽しみである。
4話の最初の方のセリフで「壊れた"おもちゃ"<俺のゴーディン>を魔法で〜」というト書きが聞こえてきたオタクの増田より。
とりまアナーキーちゃんが元気でパンクでかわいいから見て。アナーキーちゃんのキャラはあまり他では見ないんじゃなないかな。ブルーちゃんは原作の方がかわいいかも派です。
昨日Pixivで適当にザッピングしている時、明らかにレズ、BLモノに対してブックマークを避ける傾向があることに気がついた。
昨日これに気付いたのはレズものを見た後だったが、思い返してみると確かにレズ描写が入った時に少なからず嫌悪感を抱いたのだ。
自分は男でヘテロの傾向にあり、二次元創作物においてはノーマル、レズ、BLなども普通に読めるので、差別的傾向は少ないほうかなと思っていた。
レズ、BLも愛の一つのあり方を描いているにすぎない。にも関わらず、自分がその描写に対して嫌悪感を感じてブックマークを避けていることに驚いたのだ。
なるほど、自分はそういった作品を読めるものの、内心では抵抗を感じているのだろうな。これが潜在的差別意識なのかな。と思った。
だがよく考えてたらこれは差別じゃない。誰にでも好き嫌い(嗜好の違い)があって、そこから大きく外れていれれば「嫌悪感」は誰だって持つ。
差別的というのは、その嫌悪感を言葉であったり、態度であったりを表に出すか、出さないかだと思っている。
そもそも本音と建前というものをそもそも全員が持っているし、その本音に侮蔑的要素を加えると差別になる。
例えばまぶたが一重の人から告白をされて断る時、侮蔑的要素が言葉の中に入ればそれは嗜好を通り越して差別になりえる。
「本来なら」お断りだけで済んだものを、「必要のない侮蔑」を受けているのだ。
差別:「一重の人は無理なんです。気持ち悪いし。」 際どい:「ごめんなさい。一重の人とは付き合えないんです。」 好みの問題:「ごめんなさい。二重の人が好きなんです。」
まあ、本来は理由を言う必要が無いのだが今回は例として特に思いつかなかったので。
立ち返って、自分はどうしてレズ描写に嫌悪感を感じたのだろう。
自分は別にこういう描写があったからって怒ったり貶したり攻撃的になったりはしない。むしろ読める方だ。
さっき整理したように差別意識というよりは、好みの問題で嫌悪感を抱いたのだ。
ではどうして?
本来自分が知っている情報には存在しない描写を、性を交えて描き出されると少なからず嫌悪感を抱いていたのだ。
原作でホモセクシャルであることを描写されていないのに、仲が良いというだけでその延長の行き着く先まで行くと嫌悪感が生まれていたのだ。
「なるほど、これが解釈違いか」と理解したと同時に、これこそが「性的消費」なのかもしれないと思った。
「性的消費」「性的搾取」という言葉は昨今多く使われているにも関わらず人によって定義が曖昧で、もやもやしていたのだが、思わぬところでほんの少しだけ理解できたかもしれない。
まあ、ここで消費されてるのは「非実在青少年」であり「原作」なので、原作者が問題にしない限りどうでもいいんですが。
思い返してみると、自分が嫌悪感を抱かずに読めているのは、一次創作か原作を全く知らない二次創作に限っていた。
だから「自分は読める」ので「フラットである」という思い込みから今までこの僅かな違いに気づけなかったんだなあ。と思った。
おわり。