はてなキーワード: 思い入れとは
※すごくネタバレを含む
今日発売されたのさっそく読んだ
2にはいっぱい気になってたことや、書き下ろし漫画があってうれしかった
Twitterで先行で一部流れてたけど、期待してた柱の相関図みたいなのが読めてうれしい
風柱不死川、蜜璃ちゃんのことそんな感じだったんか…まぁお母さんみたいなのと全然違うもんな
あと小芭内とダチだったんか…ええな
あと鈍いとこも納得、メン強だし鈍そう
煉獄さんのこと初対面であんな言ったけど、今は好きなんか、よかったな
次、小芭内さんからみたみんながすごい納得
そういう感じで富岡さんのこと嫌いだったんか納得、合ってる合ってる
その流れで不死川と馬があって友達で、天元さんのこと尊敬してるのね納得
伊黒小芭内、お前は繊細で人のことよく見てよく考えてる男なんだな
この2人は両思いで癒されるな
宇髄天元の周りへの印象が唯我独尊みがあってウケる、あと女の子への感想唯一アレなのウケる
不死川くんへの感情、わかる〜って感じ
そんで実弥くんに兄貴みだしてたんか、ふふっ
観察力と洞察力凄すぎて本人達もはっきり意識してないことまで見えててウケる
サラッとぎゆしの公式じゃねーかっていうのと実弥、カナエのこと好きだったんかーだからしのぶにも優しいんかーっていうのが分かって満足
書き下ろし漫画で富岡さんが宇髄一家と温泉入ってるのはよかった、なんでよ、平和で笑える
そういや、だきちゃんが侍の目をついたのがお兄ちゃんを侮辱されたから、っていうのが書いてあったのもよかったあの兄弟大好きだから
あと鬼滅のキャラはすべてワニ先生の身の回りの実在の人物がモデルになっていて(公式ファンブック1より)
(煉獄さんは本当にかっこいい大好きだ)
最後の最後の制作秘話的な書き下ろし漫画のなかに、ご家族一同がチラっと描かれていたんだけど、お一人亡くなっているようだったので(天使の輪をかぶっているワニ)、もしやこの方が煉獄さんのモデルになった方だったのかな?と感じた
煉獄さんはワニ先生の強い思い入れがあって産まれたキャラだと漫画やコメントから感じてきたし
ワニ先生騒がれるの超苦手そうだし、プライバシー掘るの悪いし、煉獄さんのモデルの人、ワニ先生にとって大切な人だろうし、もし亡くなっているのであれば詮索は余計に無礼だからこの読み飛ばされるであろうこの増田にだけ書いとく
鬼滅の刃は本当良い漫画だな、電子も持ってるのに全巻買ってしまって何度も読んだファンだけど
ファンブック読んでたらまた読み返したくなってきた
緊急事態宣言以降はコロナで遠慮遠慮してるから、煉獄さんまた見たいな
プライバシーに関する情報がまじで一切出てこないから、相当周囲から守られてんだなと感心する
ファンからはネットで叩かれまくってるし、スタッフのTwitter見てもあんまりそのシリーズに思い入れがなさそうでほんとメンタルがやられる
たとえばニチアサとか、ガンダムとかって必ず不人気かつかなり叩かれている作品があると思うのだが、そういうのにハマってしまった場合オタクコミュニティで肩身狭くない?
オタクコミュニティ内でそのシリーズをネタにしたり、些細なことでも叩く流れになったりしてるし、公式サイドの人間もそのシリーズのキャラクターに対して悪意が見えることを呟いてて、それが許される空気感がある
AGEとかオルフェンズ?とかがネタにされまくってたと思うけど、本気で純粋に作品が好きな人間はどうやってオタクコミュニティ内を生き抜いてたのかが気になる
周りの人間がどう言おうと、そのシリーズが好きな気持ちは変わらなくて、だからこそ周りのノリと自分のノリが離れていく
そして公式サイドもごくごく少数意見の肯定派よりもこのシリーズ否定派の意見を優先するだろう
悲しいな
ごく一部でおなじみ久保田学氏(現在、立川市議。藤井聡太棋士と同じ、愛知県瀬戸市出身。元AV男優)
十年以上前から、人気生主横山緑としてニコ生に君臨してきた彼は、女を数々食いまくった挙句、ニコ生で出会った元カノを二回堕胎させたり、遊びのつもりの女が妊娠してしまい逃げきれずに不承不承結婚せざるを得なかった、その妻が二人目妊娠中に、ニコニコ公式番組で知り合った若い女の子と不倫して泥沼離婚したあとDVを告発されたり、外配信ではなにかとエロ目線で見ず知らずの女を盗撮したりと、話題に事欠かない男である。
そんな久保田に数年前転機が訪れた。
N国党の立花氏にスカウトされた彼は、江戸川区に住んでいながら、一度も住んでいない何の思い入れもない立川市の市議にネタとして立候補して、まんまと当選してしまったのである。
この辺りの不可能を可能にするデタラメ加減が、上はヒカキンからシバター、コレコレ、かとじゅんなど数々の人気ユーチューバーを輩出してきたニコ生の中で、レジェンドであり続けた横山緑のデタラメなパワーと言えるかもしれない。
そして、横山緑から素顔の久保田学に戻ったスダレ髪の彼は、サイコパス特有の人あたりの良さで、いい人風をよそおい、なんとか議員生活をしのいでいくのだった。
(もちろん、その議員生活中にも、横山緑のファンであった女子が高校を中退して生主をやっているのだが、その女子に彼氏ができたとき、欲情を発したのか、彼氏のいないうちに寝取った、という事件を起こしている。が、立川市議という身分はこれではビクともしなかった。
また、心臓に病気を持つ生主の爺さんを放送のネタに出演させて、障害者どおし喧嘩させて見せ物にした挙句、数日後容体が急変して死亡してしまう、という痛ましい事件も過去に起こしたことがある。当然、横山緑は、最後によい思い出になった、と、俺は悪くないアピールをしていたが。この死亡の十日後、横山緑こと久保田学立川市議が爆誕してしまう)
だが、ここに来て、コロナ禍の最中の2020〜21年末年始に、アンチが喜ぶようなやらかしを、立て続けに起こし始めた。
そう、一部与党議員の気の緩み同様、彼も油断し始めたのである。
冬に入り、もともとウィルスの流行が予想されていたが、それが現実となってしまったのだ。
立川市議久保田学は、あいもかわらずニコ生に執着していたが、いまは不要不急の外配信をしない、と宣言した。
しかし、突然、彼は大阪に遊びに行った。飲み会に参加するためである。彼は昔から女と金を恵んでくれる四国や大阪のスポンサーに逆らえないのだった。
時あたかも、大阪でコロナ感染が拡大し、吉村知事が批判されていたころ。
不要不急に他県に行くことに、なんの罪悪感も無い彼は、東京に戻ると、自分の立場を忘れ、雀荘に入り浸り、さらにリスナーを集めて毎年恒例の競馬大会を強行する。
視聴者から一口もらって集金し、3連単を全通り買い、万馬券になったらリターンが返ってくる、という企画だ。
アホなユーザー十数人が集まった。
その中には難病の後縦靱帯骨化症であり、糖尿病を患う者もいた。
こういう自分より不幸な人間を横に置いて安心したい、という気持ちが、立川市議久保田学には昔からあった。
いまの立川市議には、ガジェット通信がニコ生で企画配信している「旅部」という番組中に出演したとき寝た女が愛人なのだが、その愛人が夜10時過ぎに、わざわざ彼らの集まりがメシを食っている映像を配信し炎上した。
立川市議の立場を考えれば、この映像流出は致命的であるはずだった。
だが、当然のことながら、マスコミはニュースにする価値も無い、ということで、彼は生きながらえた。地方にはこのようなトンデモ議員がキラ星のようにいるのかもしれない。
まさに、東京には、こういう奴らがたくさんいて、今のコロナの惨状なのだろう、と思えるようなアホな行動だ。
その期間だけ、彼は妙に大人しくなった。
リスナーからPCR検査を受けろ、と焚き付けられるが家に籠城し配信もせず、なんとか逃げ切った。
回復した彼は、次なる行動に出た。
表向きは、元嫁が育てている息子が小学校に入学するため、入学準備を手伝うという名目である。
リスナーは、この時期に他県へ向かうな、と抗議するが、彼は、スケジュール的に空いてる時は今だけ、子供のためだから、とかいう屁理屈をつけた。
年末、あれだけ遊び呆けていた男が言うかな。
そして、子供相手にコロナ疑惑の分際でシャボン玉遊びをしながら、一週間、東京での緊急事態宣言を横目に見ながら、ぬくぬくと北海道を満喫した。
それをなだめるために、この立川市議、またニコ生の放送をしばらく休止した。
今度はその愛人を連れ鹿児島旅行に出かけた、という噂が飛び交った。
おそらく機嫌取りに、どこかの温泉にでも行ったのだろう。
愛人がいるのも、なかなか大変だ。
東京に舞い戻った彼。
ハメ撮りAV男優時代から、映像作品を作ることに人一倍情熱を注いできた。
そんな彼が、人を集めて映画を撮ると言い始めた。
一月二十五日、撮影が始まった。
出演者の中には、数日後、心臓の弁を人工弁に手術するため入院が予定されている者もいた。
このような出演者の構成も、自分より下の人間がいてこその彼が持つ王様気質である。
当然、映画を撮って、いい汗流した後は、歌舞伎町で打ち上げである。
ここでも、事件は起こった。
出演者の一部が歌舞伎町で喧嘩を始めた。手下は、立川市議の連れだぞ、とうそぶいて、逃げきっていた。
ちなみに、やりがい搾取で、この映画企画の出演者はノーギャラである。
後日。
立川市議久保田学が、映画の小道具を全て自販機の裏に不法投棄していたというのである。
持ち帰るのが面倒くさくなったのであろう。
懲役五年以下、または1000万以下の罰金、または併刑のやつである
立川市議の愛人は、この告発者の女性を罵倒してツイ消ししたがキャプられるなど、事件は拡大していった。
久保田は逃げきれないと悟ったのか、申し訳ついでに路上のゴミ拾いの奉仕活動を放送のネタにしたが、放送終了後、雀荘に向かったという衝撃のリークがあった。
当然、アンチは立川市に通報したが、立川市議会も人の子。議員が簡単に辞職勧告される前例を作れば、自分の身分も危うくなる。
これまでも数々の問題が起こるごとにアンチは立川市に抗議したが、今回もいつものように、揉み消しになるであろう。
報道されない以上、立川市民に久保田学の悪事は聞こえることは無い。
それが現状であり続ける限り、彼はあと任期2年を全うすることであろう。
8割くらい「音楽用語は分からんがいい曲なのだけはわかる……!」ってなったけど俺が書くにはあまりに音楽知識に乏しい。
しかし付随したコメントに惹かれた増田リスペクトで自分なりに頑張って感想を書いた。書き終わってから見直すと背伸びしてる感もある。
トラバやブコメで出てるものは抜いたつもり。好きな曲がいっぱいあがっててうれしい。
愉快な雰囲気の楽器たちにウィスパーボイスがマッチしてるお洒落曲
渋谷系の流れだと思う。小気味よいDJサウンドに空元気を感じる歌詞。夜の七時に湾岸走りながら聞きたい
間奏のガムランっぽい音。一方、ドラムは東北の祭りのような響きもある
転調もころころ有るし、歌ってみるとリズムも取りにくいテクニカルな印象の曲
アニソンっぽくないと思ったんだよな。サビのメロディも歌謡曲の流れだよね
ラスサビのどこまでも上っていく感じが、健康的に(?)エロティックな歌詞と相まってエンドレステープのように高まっていって好き
夏の高揚感がいっぱいに詰まった曲。なのに寂しさの予感を感じさせるのがどういう仕組みなのか
サビのはねるようなメロディで、SoLaMi SMILEのみんなと一緒にけんぱっけんぱっしたくなる動きたい曲
EDMみたいな、不穏な雰囲気が溜まって溜まってきっちり解消されて、そのあと残るのが爽やかさという不思議曲
AメロBメロのドラムもベースもかっこよくて洒落てる。サビの裏で鳴ってる金管楽器っぽい音もツボ
アルペジオが波のように聞こえてきて怒濤のサビから間奏の静けさにつながっていくのがいい
男性アイドル特有のキラキラってあると思うんだよな。デビューしたてのジャニーズのようなまっすぐさを感じる
最初は音程をなぞってるだけなのに、徐々に歌詞になっていくのがアンドロイド感出てていいよね。初音ミクというか
若い夏の輝きの思い出って感じがとても好き。みつあみとウェーブした髪で成長が感じられる
ハイトーンを出すところの歌い方がきれいで好きなんだと思う。「誰も探してる夢はきっとある」の「ゆ」とか
サビの伸びるところが心地いい。「思い出ひとつ持たずに」っていう歌詞を心地よく感じたと思う
「戦う勇気を支えてあげるよ」って歌詞の距離感だよね。おジャ魔女どれみ好きなのと結構近い感覚だと思う
静謐な朝のようなイントロからホーンがパッパッと入ってくるキャッチーなAメロ
眠そうな女の子を思い浮かべたいんだがどうしても前山田健一の顔がちらつく歌詞。だんだんひらがなだらけになるってねむけをかんじる
中塚武と土岐麻子の原曲の方が好きではある。ジャジーなアニソンに弱いのは俺だけじゃないはず
どこを切り出してもノリノリになれるこの感じ。
イントロのバスドラムからギターの音も格好いいけど、声質がかなり好き
OPのイントロの映像にやられたのが正直なところかもしれない。サビ後の鐘も学校っぽさが印象づけられて世界感にどっぷり
なんで好きって言われるとよくわかんないんだけど。声質なのかな
ざっと上げてみると音楽な面白さよりは歌詞に着目して聞いている、
作品への思い入れが一番のポイントのような気もする、といろいろ発見があった。
他の人も書いてみて欲しいな。
夜分に失礼します。中谷です。一昨日のまんがタイムきららオープンオンラインで優勝したことを受けて、今まで・大会中に抱いていた思いを吐露してみようかと思います。気持ち悪い部分が多々あるかと思いますので、閲覧される方は自己責任でお願いします。
~開催まで~
自分でも辟易としているのですが、僕は昨年、アニメ『けいおん!』を視聴してから11年を迎えました。当時の僕は小学5年生。『まんがタイムきらら』に触れてからの期間は人生の半分を占めていることになります。時の流れは末恐ろしいものですね。それ以前もゲームや漫画をちょこちょこと読んではいましたが、いわゆるオタクとしての人生はここから始まりました。そこから現在まで、触れていない時期も多かったものの、『まんがタイムきらら』の作品を変わらず大好きでいました。
中高・大学と環境を変えながら、競技クイズにも出会いながら迎えた昨年の5月、コロナ禍で自分の生活が崩壊している真っ只中に当大会の告知がなされました。当時は「頑張りてぇ~」くらいの軽い気持ちでいたのですが、時が経つにつれて「この大会で優勝したい」という気持ちがどんどん大きくなるのを感じ、次第に「何としても優勝したい」に変わるほどになりました。
この大会に向けて準備するにあたり、まず「どういう人がまんがタイムきららオープンで優勝するのにふさわしいか」を考えました。月並みではありますが、僕は「最もきららの作品に触れている人が勝つ大会であってほしい」という結論に至りました。出題範囲は『まんがタイムきらら』と定められている以上、該当する全ての作品が出題されうる大会であってほしいし、そのような大会でこそ勝ちたいとも思いました。
ただ、当時の自分がその条件を満たしていたかと言うとそうではありませんでした。自分が把握しているきらら漫画の体系はあくまで氷山の一角でしかないだろうと思っていました。兄が買ってきた4年間くらいのキャラット・本誌と幾ばくかの単行本・アニメくらいですしね。なので、僕はきらら漫画をひたすら買っては読むを繰り返すことにしました。その過程の中で、自分が持っている漫画を管理するためにKIRARA MENUを全てリストアップするなど、明らかに常人の道を踏み違えてしまったように思います。
『きららファンタジア』は一時期入れたもののすぐに消してしまいました。基本的にスマホゲームに対してあまりいい印象を抱いていないので......。こと『きららファンタジア』においてのみ、完全に公式サイトの情報頼りで知識を得ました。
おかずさんが開催してくださったきららフリバもありつつ、漫画を読み漁り見ていなかったアニメを見つつしていた11月の頃、大会の延期・オンライン化が告げられました。数日前からCOVID-19の猛威が止まらなかったこともあり、どうあがいても避けられない事態ではあったのですが、心にぽっかりと穴が開いたような空虚感を覚えました。
ひとまず予定していた遠征のための準備を全てキャンセルした後、今後の予定を確認すると、大きな選択が迫っていることに気付きました。(今はめちゃくちゃサボっていますが)現在取り組んでいる勉強・3月に控える学生クイズ大会abcの対策・きららオープンに向けた準備。これら三つが共存しえないということです。
結論から先に言うと、僕は断腸の思いでabcを代償にすることを決めました。タスクを同時並行できないという自身の不器用さも関係するのですが、今勉強を疎かにしてしまうと、もう取り返しのつかないことになる気がしたからです。もちろん1月から改めて勉強し直すのも大変であることは重々承知していますが、「この先のクイズ人生の中で大会で優勝する経験なんて一生来ないかもしれないな」という自分の醜い欲が顔を覗いてきたのです。何より、一番思い入れのあるコンテンツに関する大会をふいにしてしまうと、この先自分自身を許せずに責め続けてしまうような気がしました。
オフラインの開催が夢に潰えたことで下がったモチベーションは、そんなこんなでひとまず漫画を読み続けられるくらいには維持することができました。このあたりの時期から、自分でも説明がつかない焦燥感のようなものが常に付きまとっていたように思います。焦燥感は日に日に増していき、自分のきららの知識に全く自信を持てないまま当日を迎えることとなりました。
~大会当日~
いくら生活習慣が崩壊しているといえど、前日から当日にかけては流石に早寝早起きを心がけました。余った時間は『あんハピ♪』の後半を読み返すなどしていました。そんな中大会の始まりを告げる神田君の声が聞こえてきて、そこで初めて「全身全霊で楽しもう」と意識が切り替わりました。
・1R
ペーパーです。前半20問くらいははうんうんと頷きながら解き進めることが出来たんですが、20番代の前半あたりで躓きました。その後は「これ兄が買ってきていたなぁ」と懐かしんだり、「流石にこれは出ないだろ~」と思っていた問題がバシバシ出題されて昂るなど、様々な感想を抱きつつ終始楽しみながら解いていました。本当にいいペーパーでした......。残りの数分は「淑」をギリギリまで考えてひねり出すなどしていました。三上小又さんの由来は知っていたのですが元となった字までは知らなかったんですよね。終わってみてから初めてわかりますが、解答時間が18分に延びてくれて本当に助かりました。
自分が間違えたのは「『ドージンワーク』」「686枚」「新垣柑菜と新垣陽菜」「3500円」「スカート」「ましろ」「仙人ごはん」の7つ。40番以降の問題もちゃんと打ち返せたことがとても嬉しかったですね。作品の内容について問うている「新垣柑菜と新垣陽菜」と「仙人ごはん」、単純に問題文をちゃんと読まずに解答してしまった「『ドージンワーク』」は取る余地があったのかもしれません。
クイズ人生の中で初めてペーパー1位という名誉に預かったので、この時点である程度報われた気分になりました。
・2R
1位なんて取ったこともないので、当然1位インタビューも初めてでした。自分の声はあまり好きではないし話し下手でもあるので、アーカイブを見返すと恥ずかしくて顔から火が出そうです。
早押しについては、ひとまず分かるものを待ってみようと思っていたら『オリーブ! Believe, "Olive"?』問題と『うさかめコンボ!』問題で押し勝てたので勝ち抜け。どちらも数年前に触れていた漫画で、且つクイズの場で正解することなんてないだろうと諦めきっていたものでもあったので感慨深かったですね。勝ち抜けた後も問題を聞いていると、アニメ化・未アニメ化お構いなしに出題され、年代も広く分布しており、まさしく僕が思い描いていた理想通りの問題群でした。開始十数問でそのことが分かり、この大会を100%楽しみきることが出来るよう準備してきて良かったと心の底から思いました。
・3R
アニメ化・未アニメ化を問わず漫画を沢山読んできたので、未アニメ化のコースが答えていて最も楽しいだろうと判断しました。
蓋を開けてみると、開幕から連続で誤答......。本当に危なかったです。後の方の「『二丁目路地裏探偵奇譚』」は覚え間違いで仕方ないとして、前の方の「赤門大学」はただただ不用意な誤答でしたね。以降は誤答しないように注意を払い、「『リリィ』」「『スイートマジックシンドローム』」「千薪」「『女子大生生活様式』」「『空色スクエア』」を正解して勝ち抜け。先ほどの正解と合わせて、見事に一昔前の漫画しかありませんね。僕が一番好きな漫画である『なでしこドレミソラ』の問題はこれ以降も最後の最後まで自分の手に渡りませんでした。悲しい......。
キャラクタークイズ、普通クイズ、ビジュアルクイズのどれもとても楽しそうでしたね。今の自分だと普通クイズはあまり対応できなかったかもしれないですが。ビジュアルは観戦しながら自分でも解いていたんですが、台詞を問うクイズが悉く分からなくて面白かったですね。色々な漫画を読みたいとの思いを優先させたあまり、それぞれの漫画に対する時間は相対的に減ってしまっていたのかもしれません。まとまった時間があれば好きな作品くらいは読み返したいものですね。
・敗者復活
『きららファンタジア』をやっていないので、2問目で普通に間違えました。後夜祭で読んでくださったときも3択問題は全然正解できなかったので、単に3択問題に弱かっただけかもしれないです。つくづくストレートで準決勝に駒を進められてよかったと思いますね。
・準決勝
ボードクイズということで、一癖も二癖もある問題が出題されました。大会を終えて振り返ると、大会を通して一番危なかったのは準決勝だったように思います。後半10問は分からない問題が多く、もし前半で勝ち抜けられなかったら決勝には進めなかったです。それに前半で運よく正解できた問題も難しい問題が多く、自分の行いの何かしらが欠けていたら正解できなかったものばかりでした。せっかくなので、正解した5問についてそれぞれ所感を書いていこうかと思います。
〇カラーページがそのまま収録
最後に『GA 芸術科アートデザインクラス』の単行本が挙げられていたので、その特徴を書けばいいかなと思いました(多分「カラー絵が多い」みたいなふんわりした答え方をした)。『GA 芸術科アートデザインクラス』のカラーページは芸術についての情報に溢れているので、特に印象に残っている方も多いのではないでしょうか。朧気ではありますが、『夜森の国のソラニ』もカラーページが多かったように記憶していました。
〇「エトワリアのサンタクロース」
「『きららファンタジア』初のイベント「エトワリアのサンタクロース」で報酬として交換することができたキャラクターは、サンタクロースの衣装に身を包んだ誰でしょう?(週刊きららvol.3)」という問題を過去に作っていました。『きららファンタジア』を実際にプレイしてはいないのですが、ポツポツと問題を作っていたら正解に辿り着きました。正に「自作は身を助く」ですね。
〇『わかば*ガール』
今までのきららアニメをまとめていた時、このクールだけやけに多いなぁと驚いた覚えがあります。そのクールに放送された3つの作品全てを覚えているわけではなかったですが、前の二つとは明らかに異質なものを答えに残すだろうとの考えから正解することができました。
〇榎戸駿
ふとした拍子にきらら展のあの映像を作ったのは誰なのか気になって調べていたので、「早押しで眉毛と聞こえたら押そ~」と冗談交じりに思っていました。流石に難しすぎるだろうと当時の僕は自分自身に半ば呆れていましたが、まさか出題されるとは思わなかったです。
きららフリバの時に『ゆるふわ革命』が答えになる問題を聞いた覚えがあったので、答えに「きらり」が含むことは早い段階で分かりました。ただ、シンキングタイムの最後まで『まんがタイムきらり』にするか『まんがタイムきらりMAX』にするかで悩みました。悩みに悩んだ末、本作の掲載誌を信じて後者を選びました。掲載誌を信じて良かった......。正解音を聞いたとき、めちゃくちゃガッツポーズしてしまいましたね。
・決勝
準決勝の問題が難しいものばかりだったので、決勝はどうなるのかと冷や冷やしていました。未アニメ化作品についての知識は他の方に負けないという自負はあったので、難しいにせよ易しいにせよ、基本的にはアニメ化されてない作品を待つスタンスで臨もうと思いました。
最初の数問を聞くうち、2Rの問題とそう変わらず最高の問題群だなと感じました。大好きな作品2つをパラレルで並べた「コラージュ」や数年前に出会った作品(『アクアリウム』『ぷらいまりィずむ!』)など、一つひとつを噛みしめながら答えていました。学校の名前がヒロインの名字と一緒だったことで反応した『恋愛専科』を答えてリーチになった次の問題が、
という問題でした。当日に読んでいた『あんハピ♪』、それも当作品の中で一番好きな人物を答えて優勝することができました。ボタンを押して解答するまでの間、これまできららを読んできた日々が駆け巡り、万感の思いでしたね。
~最後に~
「大会のため」という面もありはしましたが、大会の準備期間に膨大な量のきらら漫画を読むうち、改めて『まんがタイムきらら』という雑誌が大好きなのだと気付かされました。『まんがタイムきらら』は創刊以来、「希望、夢、勇気、ときめきを与える」というコンセプトを変わらず掲げています。初めて『まんがタイムきらら』に触れて以来このコンセプトから力を貰い続けてきましたし、この雑誌が続く限り、これからも僕は『まんがタイムきらら』から希望や夢を貰いながら生きたいと、強く、強く思います。
最後になりましたが、厳しい情勢の中開催まで漕ぎつけてくださったスタッフの皆さん、全ての参加者、そして『まんがタイムきらら』に携わった全ての方々に最大限の感謝を申し上げて筆を置かせていただきます。
月に二枚実装されイラアドの評価が高く、片方はソロ2曲目と同時実装するのでコミュと合わせて二度美味しいガシャ
朋花は残念ながらソロと同時実装では無かったけど担当なのでウキウキで課金し無事入手、備えて貯めていたマスピで即アナザーも解放
じっくりMVも楽しむ……楽しむ予定だった
自然に生えた羽ではなく、なんかとってつけてぶら下げたような意匠
とりあえず羽のついてる恒常2のアルカナ衣装を確認、こっちは自然に羽が背中にくっついてる
……なんで???
その2
別に同じ小物を流用するな、とは言わないし色や装飾は多少変えてあったけど
でも担当が個人的にもらえてた個性的なパーツを、あんなわかりやすく流用されたら言葉に上手くできないけどモヤる
そりゃそうだ
その3
なんどでも笑おう
イベント走ってた時はなんも思ってなかったけど、デレステが特殊コミュで終わらせてたの見て素直にずるい!!と思った
朋花はまだまだ未実装の曲が多い
それなのに既存曲のイベント枠を、しかもMTWトリと予想されてる信号機三人のイベントで埋められたらたまったもんじゃない
その4
タバコの臭いと騒音とガラの悪そうな人たちが苦手すぎてパチ屋は一回入って即退店した記憶しかないし
ミリオンのパチスロ化もショックは受けつつ、まぁよくアニメゲーム原作でパチ化するもんね、ノータッチでいればいいよねってスタンスだったんだけど
美咲がパチホールの案内してるスクショ流れてきて、しかもコラじゃなさそうで頭がぐらっとした
今更なんだけどバンナムはキャラクターのイメージ守る気さらさらないんだなぁと思わされた
その5
愛の旋律
運営の説明よりも先に風花さんと紗代子が謝罪に現れたことが何よりショックだった
公式ではないけど、運営が問題になるから取り下げた曲を「問い合わせたユーザーのせいでイベントがつぶれた!!」て責任転換してる人がいてどんびき
むしろCD出してライブで披露した後に権利者から怒られたらもっととんでもない事態になる所だったじゃん
あと、アンチが騒いだから中止になったって言われてるけど逆じゃん
似てる、比較したってのはイベ中止前から指摘あったけどそこまで燃えてなかったよ
燃え上がったのは公式で直前中止が発表されてから、この件じゃね?って指摘を掘り起こされたタイミングじゃないっけ
とりあえずこの炎上は純然たるミリシタ運営のやらかしであって、アンチや他マスユーザー、ジャニオタに責任転嫁できるものじゃないでしょ
いやほんとに
その6
感謝祭①
とりあえず感謝祭超えたらある程度気持ちも落ち着くかな?って思ってたけどそんなことは無かった
感謝祭だけで3個ぐらい思うところある
まず角元さんの「クレイジークレイジーをオリメン4人で歌いたい」発言
……いや、オリメン二人では?
別にレレPでもないし、しきフレもフレの外見としきの歌は好きってぐらいで思い入れがあるわけではないけど
アイマス2からのイノタク大好きで、デレステもミリシタもイノタク曲は担当の曲一曲もないのに全部100回クリアして
特にクレイジークレイジーは初めて本気でイベント走って5000位以内まで走りこんだ曲なんで
ミリシタでイベント走りなおせた時もきつかったけど楽しかったんだけど
イノタクがあの曲作るにあたってどこまでこだわって、レイジーレイジーの世界観を作るためにどれだけの仕掛けを盛り込んだのか知らいないのかな
知らないなら知らないで、プロなら最低限曲のこと調べてから歌ってほしい
コラボ、やってる時は新しい視点で曲を楽しむことが出来てたけど
こんな冷や水ぶっかけられるならコラボなんてしないで欲しかった
その7
夢見る少女じゃいられないとの類似性をずーーーーーっと指摘されてるRED ZONEやるの?
正気?
単にタイミングが悪いだけなのはわかるんだけど、個人的にはこの曲の方がずっとアウトだと思ってるから
あっちはダメでこれはOKの基準が明確でないから、もやもやしか残らない
その8
いや意味わかんない
最近は3Dアニメのクオリティ上がってきたし、いろいろ思う人はいるんだろうけど普通に楽しみにしてるんですよ、ミリオンのアニメ
まだ続報無いんです?
私が知らないだけで、もしかしてアニメの本放送って発表からこのぐらい待たされるのが普通なんです?
コロナの諸々で色々と遅れが出てるんだろうなぁと察しはするんだけど
もしかしてアニメ化ってうっかり見てしまった幻覚なのではって気がしてくる
番外
ミリクロまだだし
というかフレッシュチャイナ、当時唯一実装されてた雪歩のチャイナ服みたいな、淡くてさわやかな意匠を期待してたんだよ
今のデザインなは別に嫌いじゃないけどこれならセクシースパイの方がかっこよくて好みだった
デザイン見て選べる961組が心底羨ましい
朋花のイベントはまだ来ない
周年の時「TA曲赤い世界と侠気乱舞のペースを見ればいい感じに間が空いてるし、ぼちぼち創造来るでしょ」とか考えてて周年を全員の衣装回収する程度にしか走らなかった
チュパカブラは実は担当関係なく普通に好きで音源買って聞いてるけど
もしかして運営さん、あれで朋花の出番あったとカウントしてない?
ラムネ色も好きだけど、それはそれとしてやっぱり担当の曲でイベントマラソンしたい
年に何回もイベントある子が羨ましい、三回ぐらいイベント参加してた子いた気がする
なんでこの人数でそんな偏るの?
既存曲が沢山あるからイベント自体はいつかくるんだろうけど、ぼちぼち待ちきれなくなってきてる
LDHにハマった人が少し変わった話
私は三代目J SOUL BROTHERSとEXILEがとても好きで、彼らの所属する事務所LDHのほかのアーティストのことも応援しています。
◼️出会い
2017年の夏の終わりの私はEXILEのメンバーが何人いるのか知らず、踊る人が多いなぐらいの認識で、三代目J SOUL BROTHERSもグループ名だけはなんとなく知ってはいたけれど何人いるのか知らない、かの有名なR.Y.U.S.E.Iのことも知らないというのに加え(聴いている人が多そうな年代にたぶん私も属しています)EXILEも三代目もウェイウェイしているお兄さんたちという認識でいました。人気者の岩ちゃんのことも知らなかった。
この流れは突然LDHにハマった方のエッセイでもよく見かけるのでよくあることなのだと思います。
そんな私がLDHに興味を持ったのは映画「ザム2」と呼ばれている「HiGH & LOW THE MOVIE 2 / END OF SKY」を観たからです。
ハイローに全く興味がなかった私のTwitterのTLにザム2を見た、ハイローランドに行った、という投稿が流れ続けること1ヶ月。なんなの、と気になったので軽い気持ちで観にいくことにしたのでした。
ハマるはずはない、でも岸谷五朗が出てるし(好きなんです)なんか映画観たいしハッピーになれるらしいから、と思っていたら面白すぎて何度も心の中で面白い〜面白い〜と繰り返し、帰りにパンフレットを買っていました。
岸谷五朗さんもめちゃくちゃよくて、私はあんな岸谷五朗を知らなかった…前髪がふわふわしていて優しいお父さんみたいなイメージが強くてそれが好きだったので衝撃で、そこでもハイロー最高じゃん!!と思いました。
たくさん出てきた人物や勢力を全部ちゃんと覚えたい、突然ザム2から観たからこれまでに何があったかを知りたいと、真面目な受験生が参考書を買った時のように、3歳児が初めて買い与えられたはたらくくるまの図鑑を眺めるかのようにパンフレットを熟読しました。
ハイローにはEXILEの人が数人出ているのだという知識で行ったけれど(確かにEXILEは数人出ていると言えるのですが)主要キャラのほとんどがLDHという事務所の人なのだな、三代目J SOUL BROTHERSは今市さん以外の全員が出ているのだな、など少しずつ知識を増やし、ハイローCDを聴くと完全にLDHにハマっていました。
ザム2を映画館でもう一度観て、3の公開までにテレビドラマシリーズとザムとレッレの観賞を終え、ザム3はライブがついている完成披露試写会に訪れた後10回以上も映画館に赴き、その後マイティのスピンオフも購入しました。ザラのDVDも買いました。
私はハイローに特に好きなキャラクターが二人おり、彼らを演じている二人はどちらもEXILEと三代目J SOUL BROTHERSを兼任していることがわかりました。
当時はEXILEが活動を休止していたということと、三代目J SOUL BROTHERSのライブ(UMP)のライビュがタイミングよくあったため、一人でも行くぞとフラッグも持たずライビュに赴き、ああ、素敵な人たちだなと思ったのでした。
ジェシーはぴょこぴょこ跳ねて、源治さんはまさかの全開の笑顔だし、ダンさんはひょうきんなキャラが嘘みたいにかっこいいし、広斗はザム3の試写会のライブで見たゆるゆる(それもかわいかった)と違ってバッチバチにかっこいいし、アイスはソロがカッコよすぎてもう一度見たいと一番思ったし、コブラは意外と隅っこにいて、でも楽しそうに踊る姿やライビュの画面にデカデカとうつしだされる顔が綺麗すぎて涙が出そうになりました。
そして一番知識がなかった今市さんの声と歌を聴いたとき、登坂さんとの違いがはっきりと分かり、聴き分けができた自分が嬉しくなったのと、こんなに違うのにどこか似ていてうまく絡み合う二人の歌をもっと聴きたいと思ったのでした。二人にはバラードが最高に合いますね。
そしてライブの最後の今市さんの「みなさ〜ん、絶対に幸せになってくださーい!」で岩ちゃんの美しさを観ても堪えられていた涙が溢れたのでした。
数ヶ月前まで何の思い入れもなかったグループにこんなに心を動かされて、幸せをもらえるんだなと幸せに浸りながら一人で映画館を後にしました。彼らにとって何の思い入れもないはずの私たちの幸せを願ってくれるなんて好きにならないはずがないのです。
そのあと、年末の歌番組にLDHのアーティストが多数出演するのを逐一録画し、まさかのマイティも出演したことに歓喜しました。三代目J SOUL BROTHERSの紅白出演、その間にもおこなわれている祭りのようなLDH年越し配信……忙しすぎましたが最高の年末年始でした。
◼️私の心が少し変わった話
たくさんのことをインプットし続ける中、雑誌やwebのインタビュー記事を読むことも増えました。
そこで、彼らが「夢」という言葉をよく口にしていることに気が付きました。
私は夢を私には無理だからと遠い昔に諦めた気がします。それか、見つからないままここまできたのかもしれません。夢について考えたことがほとんどなかった気がします。
夢とは叶わないもので、口にして生きるものじゃない。私は私が生きるために最低限できることをすると荒んだ気持ちで毎日嫌々労働していました。
しかし、夢を語る彼らは夢を叶えるためにそれを口にしているような気がしました。
実際に血の滲むような努力をしてきたのだろうし、これからも続けていくのだろうなと思い、それは遠い世界の人の話だったのですが(実際そうなのですが)最近私も夢を持ちたくなりました。
2017年に彼らに出会ったので3年と半年かかりました。うそでしょ、と自分でも思いますがそれほどヘドロがこびりついていてなかなか取り除けなかったのだと思います。
ただ、私には夢はありません。
夢と言われて思い浮かぶことがないのは自分がこれまでに何も努力をしてこなかったから、目指したいものがないからです。
これから私は自分に与えられたことを努力して成し遂げたい。そうしたら夢が見えてくる気がします。はじめは給料アップでもいいと思うし、最終的にぶっ飛んだところに行ってもいいと思う。行けたらいいと思う。とにかく自分で切り拓くものなんだなと今更ながらに気付きました。
私は忘れっぽいです。こういうことを何度か思ったことがあったような気がします。例えば、大学に入学するときや仕事の面接に合格して働き始めるとき、新鮮な気持ちで未来を見ていたような気がします。
でも、毎日早く起きるのは面倒くさいし夜更かしをしたい。定時で終わるために仕事をパパッとやってしまう、それを繰り返して今のようなダメ人間になったような気がします。だからこうして書き留めておくことにしました。
そろそろ終わろうとしている。
足掛け4年、治療期間でいうと3年間。掛けた金額は年収2年分。
肝心の原因は省くが、私たち夫婦はクリニックに行ったら「自然妊娠は限りなく難しく、さまざまなレベルの治療のうち、一番最後の一手『顕微授精』しか取れる手はありません」と言われた。
「顕微授精」とは、卵子を体内から取り出して、精子を1匹、針で注入して受精させる方法だ。まさしく試験管ベイビー。手術も伴い、1回1回の治療が高額なのが特徴だ。
0.00002%~0.00007%くらいだ。
数学が苦手な私でもわかる。
これは天文学的数字だ。
ハッキリ言って、その事実だけで十分に打ちひしがれる。
私たちも打ちひしがれた。
でも、打ちひしがれてばかりでも年を取るばかり。今が、人生のうちで一番若い。
私たちも、そして私たちの卵子も精子も、どんどん年を取る。治療に取り掛かるなら早い方がいいのだ。
いくつかの不妊専門クリニックを訪ね、とあるクリニックで早速、顕微授精のための治療を始めた。
流れは主に以下。
①月経が来たら、受診し治療計画を立てる。この時、ホルモン補充のための服薬や注射のスケジュールも組む。女性ホルモンをあの手この手でガンガン入れて、本来1か月に1個しか取れない卵子を大量生産する。
②クリニックの方針によって、その都度予約しての院内注射か自己注射を選ぶ。(高くても自己注の方が、圧倒的な気楽さが私はあった)
③再び指定の日に受診し、卵子を包む袋が増えているか、大きさなども測り、採卵手術の日を決める。予定通りの大きさ等になってない場合は、ここで何回か受診をして様子観察を繰り返す。(これが仕事のある身には辛い。そんなカンタンに予定を開けることなどできないのだ。)
④採卵手術の日が決まったら、指定の時間に病院に行き、手術を待つ。麻酔は使うクリニックと使わないクリニックがある。使い方さまざま。針を打つ箇所にに限定的に使うところもあるし、希望により静脈麻酔を使うところもある。
(手術自体は10分程度だから、あまり強い麻酔を使って麻酔が覚めるまで院内で休憩しても、お互いあまりいいことがないのだ。)
毎回50万近く払って、私が得たもの。
孫悟空の頭のわっかを締め付けられるようなひどい頭痛。吐き気。脂汗。気持ち悪さ。
ただでさえ、当時はフルタイム勤務と土日の家業の手伝いで疲れがたまっていた。
夫も夫で、こんなに副作用がひどいとは露ほどにも思わず、「土日は休ませてくれ」とお願いする私をずいぶん怠け者扱いした。
今は時が進み、治療期間の私を放っておいた方がいいと理解している。
また、ホルモン補充の注射が自己注射に切り替わったので、夫が見てる前で注射の儀式。
注射の針を見せては、「これをお前にぶっ刺す!そしたら、具合悪くなって私みたいに布団から離れられなくなるんだからな!笑」と脅している。
ちょっとかわいそうだけど、仕方がない。
採卵手術は採卵手術で、手術中の気絶を経験。
採卵手術では、ながーい針をあそこにぶっ刺して、子宮から卵巣まで貫通させる。で、針をぐりぐり動かして、卵子を吸い取る。人によって痛みの差があるらしいが、私は最初の手術で意識を失った。
採卵後には。ホルモン補充により卵巣が膨れ上がり、1週間絶対安静。1日3回ウエストを測り、腹水がたまらないか確認する。尿の出が悪くなったり腹囲が大きくなったら、即連絡。
注意書きが山ほど書かれた紙を持たされて、疲労困憊で帰宅する。
この症状は「OHSS(卵巣過剰刺激症候群)」といい、ホルモン補充療法の一番の副作用だ。
悪化すると、血液が濃くなり電解質の異常が起こったり血栓症を引き起こすこともある。
私は安静だけで、事なきを得たが、本当に色んな事が辛すぎる。
以上の症状は毎回ではなかったが、私を打ちひしがせるのに十分だった。
実際、無理だった。たびたび仕事に穴をあけ、仲間のフォローを受けながらも、フラフラだった。
でも、不思議なことに治療の回によっては、全然大丈夫なこともある。
だから、元気な時は体調もいつもどおり。
「次もこのくらい大丈夫だといいな」と思うし、でもひどい時は目が当てられないくらい体調が悪くなるので、自分でも自分の体調が読めない。
説明すればするほど、自分の状況が克明になるし、人に言われるまでもなく「この治療を続けても、授かれるのか?」という難問にぶちあたる。
近距離に住む義両親に打ち明けたのは、今からほんの数か月前だ。毎週のように会っているけど、絶対言いたくなかった。
ガッカリさせるのも嫌だし、気を使われるのも嫌だ、不妊の原因を話すのも嫌だ、今月は治療だというのも嫌だ、詳しい治療の結果を話すのも嫌だ、全部が嫌だった。
それでも、打ち明けたのは「もう治療を終わらせよう」と思ったからだ。
0%と0.00002%~0.00007%の間には、毎回体調を奪われるような副作用と数十万円のお支払いが待っている。
考えれば考えるほどバカのようだし、実際バカにならないと、こんなこと続けられない。
そして、バカなりに色々考えながら、3年間治療に取り組んできた。
ドクターに相談しながら、治療の順番を変えたり、今できる最善を尽くしてきた。
0%と0.00002%~0.00007%の間には特に何もないようにも思われたし、
今吸っている空気から二酸化炭素だけを素手で取り出すのと同じくらい、困難があるようにも思われた。
そして、今この文章を書いている。
この3年間、不妊治療について何か書こうなんて夢にも思わなかった。
でも、「書こう」と思ったのは「治療を一旦卒業する」ことを決めて、振り返ってみると、
「あぁ、なんだ。私ってすごい頑張ってきたなぁ」と思えたからだ。
私はこの3年間ものすごい困難と向き合い、あるのかないのか分からない0%と0.00002%~0.00007%の間を、行ったり来たりしながら、歩いてきた。
私たちは、治療の度に1つか2つの受精卵を冷凍しながら、ここまで来た。
液体窒素で冷凍された卵たちに、特に何の思い入れもないが、得られた結果といえば、
このいくつかの受精卵。
私の親族には、「妊娠悪阻」で長期入院歴を持つ者と、「子宮外妊娠」を繰り返した者がいる。
私もそうなるかもしれないし、ならないかもしれない。でも、なんだか確率は高そうだ。
こういう分かりきった結果をや推論、不安を重ねながらも、1回1回の治療を着実に積み上げてきた。
そんな中で、言った本人は心配しているつもり。だけど、心をえぐられるような言葉にも出会った。
ありがとう、うっせー死ね。もう既にホルモン補充で独特の太り方をしているよ。
「妊娠したくて治療を頑張っているかも知れないけど、産んでからの方が大変だからね。」
ありがとう、うっせー死ね。あんたんとこも不妊治療したからって、土足で踏み込んでくるな、ばーか。
むしろ、宇宙に放り投げる。二度と地球に帰ってこないように、大気圏で燃え尽きて死ね。
こういう黒い気持ちになることもある。
一人で打ちひしがれて、誰にも当たれない。相手も悪気0%だ。
無茶を承知で治療を継続しているから、涙が出てくることもある。
それが辛い3年間でもあった。
そろそろ最後の採卵手術を迎える。
この3年間で得たもの。
それは、副作用、期待薄な結果、それでも向き合い続けながら、生活を構成する全てに中途半端になりながら生きてきた証。
こんなことを言うのは大げさだけど、今までやりたいことは努力でほとんど叶えてきた。
行きたかった高校、大学、海外留学、取りたかった資格、それを活かした仕事に就いてきたこと。
でも、この不妊治療ばっかりは、体調・仕事・休養・家業・金銭などなど生活の根幹をなすことがら全てが思うようには進まず、身体もメンタルもボロボロになった。
倒せないものがあること。
努力が何の成果にも結びつかないこと。
それでも、それに向かって進んでいくこと。
そういう今までにない道のりを味あわせてもらった。
別にありがとうを言うつもりは毛頭ないが、この3年間はそれを味わい尽くした期間だった。
カルビ・ハラミ・ホルモン・シマ腸・・・思い浮かべるだけで美味しそうだ。
さあ!全部終わったら、5年ぶりに鶯谷園行くぞ。
(断っておくが、鶯谷には鶯谷園だけのためにしか行ったことがない。)
そう決意すると、
あぁ、よだれが出てくる。
聖地巡礼とは中世ヨーロッパの封建社会においてキリスト教徒のあいだで流行した、キリスト教の聖地であるエルサレムを訪れる宗教的行動である。
転じて、現代においてはアニメや映画などの熱心なファンが、創作物やキャラクター縁の地を訪ね歩く行為を指す言葉として使用されるに至った。
私も昨年度から今をときめくアイドルグループ乃木坂46好きが高じて、(暇を持て余していたことも手伝い)彼女たちが番組のロケで訪れたり雑誌等メディアで紹介したりしていた場所を巡ることが退屈な日常を彩る楽しみの一つとなっている。
大塚の天祖神社やバッティングセンター、千歳船橋の喫茶店ぱおーん、五反田のデニーズ……
思い起こしてみたがそれほど多くはなかった。
それはさておき、この日記(?)で私が考えたいのは「人はなぜ聖地巡礼をするのか」その理由だ。
聖地巡礼には楽しさがある。
思えば私は日本史と世界史も好きなので、歴史上の史跡を巡ることが旅行に行く際の主目的の一つだったりする。映画のロケ地を訪れることもある。
(前提として書き加えておくが、行ったことがない土地を訪れるのが好きな方であると思う。「まだこのへん歩いたことがないから」という理由で6時間ぐらい散歩することがざらにある)
今も『世界史をつくった海賊』(竹田いさみ著)なる本を読んでいて、大航海時代にマゼランに続いて史上二度目の世界一周航海を達成した海賊、フランシス・ドレーク(ワンピースのドレークのモデル)に関する記述を読んで、「彼の航路を船で辿ってみたいなあ」などと空想に耽っていた。
そう、私はフランシス・ドレークの足跡を辿りたいのである。
乃木坂のメンバーが参詣した神社に自分も赴きたいし、バットを振るったバッティングセンターで、彼女らがそうしたように、自分もバットを振るいたいのだ。
そして、「ここに彼らも、自分と同じように立っていたんだ」などと感じたいのである。
この衝動はなんなのだろう。何故、こんなことをしたいと思うのか。
バッティングセンターで行ったバッティングは、それ自体として面白かった。乃木坂のことがなければ、私はバッティングセンターに行きはしなかっただろうが、バッティングの最中は乃木坂のことは忘れて純粋にボールをバットで的確に打ち返すことに集中していたし、それが成功することに喜びを覚えていた。
しかし、やはりその一連の行為には、「メンバーも同じ場所で同じことをした」という事実認識によって特別な意味を付加され、それが私の心に満足感をもたらしている。
私の記憶には、明らかに「ただのバッティング」以上の色が付いて、この思い出が保存されているのだ。
この違いは何に由来するのか。
まず一つ、見逃せない重要な点は「私は乃木坂が好きである」という事実だろう。これは明らかに聖地巡礼の動機に深く関わっている。
私は何も藤田ニコルや西野亮廣の訪れた場所に行きたいとは微塵も思わない。ニコるんはどちらかと言えば好きだが、出演番組をチェックするほどではない。西野に至ってはどちらかと言えば好きではないし、好きではない人間の縁の地を訪ねたい、その足跡に自分の足跡を重ねたいとは思わない。
フランシス・ドレークのことも、まあ好きになりつつある。(暇があれば伝記を読んでもいいかなと思うぐらいには)
では、好きな人なら誰でも聖地巡礼したくなるのかと言えばそんなことはない。身近な友人のことは好きだが、彼らの足跡を辿りたいとは思わない。
恐らくは、その人物との関係性および距離感が聖地巡礼に向かわせしめる大きな引鉄の一つなのだ。
想像するに乃木坂のメンバーでさえ、もし私が直接的に関係性を構築してしまえば、聖地を巡礼したいという衝動はなくなるだろう。
同じ場所を訪れて、同じことをしたいという気持ちの裏にあるのは、「近付きたいが手の届かない者の存在」を少しでも身近に感じたいという欲求なのだ。
友人という生々しい関係は、最早相手をそういう「聖なる存在」にしておかない。
ただし、友人との関係が何らかの理由で解消され、手の届かない存在になった場合はその限りではない。その最も単純な例は「死別」である。死が二人を分かてば、当たり前な存在は当たり前でなくなり、会いたいのに会えない、焦がれ求める対象になる。
そしてその感慨は、対象と同じ空間的座標に立つこと、そこで同じ行為を追体験することで増幅される。ただ、家でスマホをいじりながらその人のことを考えているだけの時間よりも、その人に少し近付けたような気になる。
その対象は人に限らない、作品、ひいてはその世界観全体も対象になりうる。
私は宮崎駿監督の映画が大好きで、監督がハウルを撮り終えた後に数ヶ月間療養し、次回作の『崖の上のポニョ』の構想に繋がった広島県の鞆の浦や、『耳をすませば』の舞台となった聖蹟桜ヶ丘も訪ねているが、ポニョや雫個人をそこまで好きかといえばそんなことはない。
フランシス・ドレークのことは好きになりつつあると言ったが、やはり人物に対しての好意それだけというよりは、世界史的な偉業であるという点の魅力が大きいように思う。俗な言い方をすれば世界一周にロマンを感じるし、楽しそうである(実際は辛いことの連続だろうが)。
しかし、ドレークな先立って世界一周航海を達成したマゼランの足跡を辿りたいと考えたことはないことを踏まえれば、やはりドレークには読書を通して僅かながら彼の功績やエピソードに触れたことにより、マゼランに感じる以上の魅力を感じていること、それが巡礼への衝動を後押ししていることは間違いない。マゼランのことは何も知らない。何も知らないので魅力も感じなければ、より深く知りたいという動機も起こらない。
(どうやら相手のことを「知りたい」と思うには、まず相手のことを知ることが必要らしい。少なくとも私にとっては。難儀なことだ。)
「手の届かない「聖なる存在」である対象をその足跡を辿り行為をお手軽に追体験することで、少しでも身近に感じること」が聖地巡礼の意義であると一旦結論付けてみる。
ここで唐突に「お手軽に」という制限を付け加えたのは、私はバッティングセンターでバッティングをする程度の追体験はしたいが、乃木坂のメンバーが日々の研鑽を重ねたダンスレッスン場で一年間同じレッスンを受けたいかといえば真っ平御免だなということに思い至った。
一年間彼女たちが受けたレッスンと同様のレッスンを受けることは、彼女たちの辛さや頑張りをよりリアルに追体験することになる。追体験としての質は高い。だが時間がかかりすぎる。ダンスよりもやりたいことがあるし、辛そうなので、暇潰しに週二程度通うならチャンスがあればやらなくもないが、それはもう追体験としての価値は薄れて、一年間におよぶダンスレッスンそのものが持つ価値が問われている。(追記:そもそもこれ、巡礼ではなくダンスでは?)そういう意味で1000円分のバッティングには十分その価値があったし、世界一周航海も同様である。(追記:これも巡礼と言えるのか?場所を訪ねる行為に限定するべきだったかもしれない)
聖地巡礼はお手軽でなければならない。言い換えるなら、その行為自体を楽しめないのならやりたくはない。滝行は楽しそうなのでやりたいが、例えば彼女らが受けていた辛い仕打ちを自分も受けたいかというと難しい。
例えばメンバーの誰かが過去にイジメを受けていたとして、それと同様のイジメを受けたいか。これに関しては少し受けたい。マゾヒスティックな願望ではなく、多少なりとも彼女らの苦労を追体験することは彼女らを理解することにつながるからだ。
しかし、紛い物のそれはやはり本当のイジメ体験とは辛さの質が大きく異なるし、よりリアルに状況を再現するために半年間継続してイジメを受けてくださいと言われればお断りする。あくまでもその一部を、私が本当には辛くならない程度に体験することで、辛さに思いを馳せたい、という程度に存在への接近願望は留まる。
キリスト教徒だってエルサレムには行きたくても、ゴルゴダの丘の上で十字架に磔にされたいかと言えばそんなことはないだろう。ごっこ程度にはやってみたいが、それはごっこ遊び自体が楽しさを持つからである。高所に磔にされて「こえ~」などと言ってるのは楽しいが、手足を本当に釘で打ち付けられるのはたまったものではない。(追記:これも巡礼の話ではなくなっている気がするが、でも巡礼先で対象が何かしてたら同じことやりたいよなあ。(追追記:でもやらなくても巡礼は成立するからやっぱりおかしいね。はい。))
体験の総体として楽しくないならやりたくない。少なくとも私は。この「楽しく」は何も笑顔になったり、興奮したりするといった類の楽しさである必要はない。
心地よい感情が動きがあればよい。
郷愁に浸るとか、感慨に耽けるとか、今風に言えばエモさがあってもよい。「泣く」ことによる感情の発露も、人間にとっては快感であるので、ここで述べる「楽しさ」に含まれる。
いや、違うな。
上に述べたエモさは体験そのものに由来する(既出の例をとればバッティング行為によって引き起こされた)感情ではなく、「行為を追体験している」という事実に付随する感情の動きだ。そこは切り分けるべきだろう。
例えば「同じ場所に立つ」ことも、聖地巡礼に伴う追体験行為の一形態だが「立つ行為そのもの」には特に何の楽しみもない。(立っているだけで楽しい場所もあるが、必ずしもその必要はない)(追記:この例の方が純粋な巡礼っぽい)
先例のイジメのように行為自体は許容範囲であれば不快であっても構わない。これは個人差があるし、対象に対する思い入れの深さによっても許容範囲が変わってきそうだが。
「追体験行為を包含する巡礼行為」が総体として満足感をもたらす体験であればよい。(追記:「巡礼が追体験を包含する」よりも「巡礼に追体験が付随する(ことがある)」が正しい)
距離も重要な要素だ。ここで言及する距離とは、対象との関係性としての距離ではなく、その聖地との物理的距離感である。
遠ければ遠いほど、巡礼を達成した際の体験価値は高い。エルサレムが近所の公園にあったら巡礼の有難みも霞むだろう。
私は電車移動含めて一時間もあれば十分である。しかし、ここまで書いて想像してみたが、家の隣にあった昔馴染みのなんでもない祠が実は家康が足繁く通った祠であったと発覚すれば、そこにはそれなりの感慨が生まれるように思える。巡礼と呼ぶにはあまりにも短距離だし、巡礼としての価値は希薄化するものの、完全に失われることはない。いや、とはいえやはり価値の減少は免れないな。
遠ければ遠いほどいい、というものでもない気がするが。例えば、乃木坂のメンバーが訪れた場所の比較として、私の現在地から大塚のバッティングセンターとパリの街角にあるカフェとの物理的距離には圧倒的な差があるが(もちろんパリの方が遠い)、パリのカフェを訪れた際の感慨がバッティングセンターに比べてそれほど深いかといえば、あまり変わらないような気がする。
これは、「パリ旅行のついで」にカフェを訪れるのか、「乃木坂のメンバーが訪れたカフェを主目的に」パリを訪れるのか、物理的距離を越えんとする直接的な動機がどちらにあるのかによっても異なりそうだが、メンバーが通った小学校とか、生まれ育った地域ぐらいの重要地ならともかく、たかだかロケで立ち寄っただけのカフェを目的に渡仏する気にはならない。
いや前者でも渡仏する気にはならないが、(追記:というかメンバーの母校って言うほど感慨深いか?その頃のメンバーが好きな訳ではないし……)するにしてもそれはやはりそもそもパリ自体が好きで巡礼を抜きにしてもパリに行きたいからであって、パリの一地域を訪ね歩く行為そのものに乃木坂とは無関係に楽しみを見出している。その意味で巡礼行為は「ついで感」が否めない。(追記:「むしろ行きたくない場所への巡礼」を考えてみようと思ったが、思いつかなかった。(追追記:日焼けと車酔いに弱いのでそれらが伴う場所には積極的に行きたくない。苦労した分、到達時の達成感はありそうだが、それは聖地が持つ意味とはやはり無関係。目的地に至る行程に由来する価値を抜きにした純粋な巡礼価値は何によって決まるのか。))
これはもしかしたら聖地巡礼も、エルサレム旅行そのものに少なからず体験としての楽しみが含まれていた可能性もあるが、中世を生きる農民の長旅の過酷さや宗教に対する敬虔さはとても無知蒙昧な私の想像のおよぶところではないので、お叱りを受ける前にこの説は引っ込めておく。
でも伊勢参りとかは楽しそうだよね。明日(もはや夜が明けたので今日なんだが)近所のブックオフで聖地巡礼事情に関する本でも漁ってみよう。
眠いし目も疲れたので「過去の自分への巡礼」とかまだ考えたいことはあったが、このへんにしておく。
おやすみなさい。
なぜネットユーザーは絶対正義であるかのように転売を叩けるのか?
少しでも考えれば転売を叩ける理屈などどこにもないと分かるはずだ。
このまま順当にいけば日本の格差社会はますます加速していくに違いない。
国民年金は年間80万円だが、厚生年金は一般的に国民年金の2倍以上の金額を受け取ることができる。
なお年間80万円という値は現時点のもので将来はもっと少なくなるだろうと予想されている。
年間80万円という金額でどのようにして生活していけばいいのか?
素直に考えれば年間80万円という金額で生活していくことは難しいだろう。
ではお年寄りは老後どのようにして生活費を稼いでいけばいいのか?
当たり前だが老後の体力の衰えによって体力を必要とする仕事は難しいだろう。
そうでなくとも雇用側の年齢制限によって採用される仕事の幅は狭められている。
「仕事の選り好み」以前の段階で雇用側の都合によって生活費を稼ぐことは難しいのだ。
膝の軟骨がすり減って、ちょっと動くだけでも激痛が走る。しかも膝の軟骨は修復しない。
ネットユーザーがいくらキーボードをカチャカチャしても、お年寄りの膝の軟骨は修復しない。
気持ちよくテンバイヤーを叩いているネット論客に膝の軟骨のすり減ったお年寄りを救うことはできない。
iPS細胞による再生医療が実用化でもされない限りお年寄りの膝の軟骨は修復しないだろう。
その点で転売は体力の都合や面接の必要のないという点でお年寄りが生活費を得るのには最適だと言える。
一日中ネットに張り付いているようなネットユーザーならテンバイヤーがホームレスを動員していることは当然ご存知だろう。
ネットユーザーはきっとそれを「ホームレスのような社会的弱者の足元を見る、悪のテンバイヤー」とでも思っているのだろう?
はたしてそうだろうか?たとえつまらない仕事でもホームレスにとっては貴重な収入源に違いない。
君らの職場にホームレスが「働かせてくれ」と頼み込んでも君らは「自己責任」と魔除けの呪文を唱えながら無碍に断るのだろう?
ネットユーザーは「年金で生活できないのなら、生活保護を受給すればいいじゃないか」などと安易に発想するかもしれない。
生活保護バッシングや水際作戦の厳しい現状では生活保護を受給できずに餓死するパターンもあるのだという。
生活保護を受給するにはノーガードであることが求められ持ち家を手放すだけでなく保険をも解約することが求められる。
生活保護と転売についてだが生活保護を受給する際には贅沢品は手放さざるを得ない。
転売可能なグッズはケースワーカーによってことごとく強制的に二束三文で転売されるのだ。
いくら口では転売を憎んでいると言っても社会的なパワーによって有無を言わさず転売することを強いられる。
転売を叩いているものは、恐らくは富裕層で将来は十分過ぎるほどの年金を貰えるに違いない。
まさか、将来年金が年間80万円しか貰えないフリーターが転売を叩いているなどということはあり得ないだろう。
富裕層は自分自身の安定した生活を確保した上で「最後は大好きなグッズに囲まれて大往生したいなぁ」などと企てているのだ。
転売によって大好きなグッズが手に入らないくなるから転売は悪なのだ。
いや、あるいはすべてを見通した上で「下々の者達の生活など知ったことか!」とまで考えているのかもしれない。
だが現実には純粋に悪意なく「転売は悪いことだから悪いんだ」などとトートロジーを浮かべて悦に入っているのだ。
ところでグッズを欲しがっているのが将来になんの不安もない富裕層だけなのかというと、どうやらそうでもなさそうである。
実際には富裕層よりも年間80万円勢が後先考えずに刹那的にグッズに浪費しているのだろう。
マジレスすると年間80万円勢はグッズをゲットしようとテンバイヤーとバトってるような場合ではない。
年間80万円勢が身の丈を考えて将来のために貯金するようになれば民草は転売に怯える日々を過ごす必要もなくなる。
一般的には90年台にフリーターというライフスタイルが登場したとされる。
あと、20年もすればこれらフリーター世代が年金受給者となるだろう。
そうなれば年金格差という「現実」が重くのしかかってくるわけだ。
お年寄りの賢いライフハックとして転売が今まで以上に盛り上がることはまず間違いない。
年金格差が解消されていれば話は別だが、それは希望的観測でしかない。
今、街を歩いている老人はなんだかんだで正社員で終身雇用だったから十分な額の年金をもらっているのだ。
本当の年金格差時代、ひいては本当の転売時代はまだ訪れてはいない。
転売(TENBAI)が世界語として通用する日もそう遠くはないだろう。
世界中の人々に日本が誇るTENBAIの名を知らしめてやるのだ。
今、転売を痛烈批判しているもの(アンチ・テンバイヤー)も、いざ自分自身が経済困窮に陥ったら、まず真っ先に転売という発想が脳裏をよぎるのではないか?
今は良くとも、70代、80代になったらどうか?
まさかせっせとかき集めていた大切なグッズを転売するなどということはあるまいな?
どうせ、いざという段になったらマッハで手のひらを返すに決まっている。
いや、それどころかアンチ・テンバイヤーほどテンバイヤーとなる素質を備えているのだ。
人々の想像するであろうテンバイヤーVSアンチ・テンバイヤーという構図は誤りであると言える。
テンバイヤーになる素質のない人々は、テンバイヤーを敵視してはいない。
テンバイヤーへの敵意には少なからず嫉妬も含まれているのだろう。
ちなみに「仮想通貨で老後資金を得ればいい」などという甘言を囁くものもいるかもしれない。
だが、考えなしにこのような甘言に乗ってしまえば待っているのはより一層悲惨な末路だ。
仮想通貨では税金が発生することに気づかずに高額な税金を支払えず自己破産するパターンがあるのだ。
さらに自己破産した場合でも税金は非免責債権なのでチャラにはならない。
読者のみなさんは紀元前の哲学者ディオゲネスをご存知だろうか?
貨幣偽造の罪で奴隷の身分とされてしまった、あのディオゲネスだ。
自己破産でも取り消せない負債を負ったものはさながら現代のディオゲネスとでも言うべきだろう。
下手に仮想通貨になど手を出してしまえば国家の威信をかけて嫌がらせされてしまう。
よほど知識に自身があるのなら話は別だが素人が触れるべきものではない。
インターネットで甘言を囁くものは、ただ情弱を養分に還元したいだけなのだ。
それで「君らは転売しないつもりなのか?」というところに話を戻そう。
転売行為を批判しているものも「金に困ったときはグッズを金に換えよう」そして「それは転売ではない」とでも考えているのだろう。
表向きは転売を批判しているようで内心では手持ちのグッズにプレミア価格がつくことは満更でもないのだ。
つまり「誰も手放さないからめったに市場に出てこない伝説のコレクターズアイテム」となることを期待している。
さも社会正義のような体を装っているが、やれやれ結局は損得勘定でしかない。
自分が「転売脳」でものを考えていることすら自覚していないのだ。
しかも未練がましく後生大事に抱えて長年に渡って死蔵した上での転売だ。
金目当てでさっさと手放す転売よりも、よほどたちが悪い転売ではないか?
しかも!そういうやつらに限って自分が手放すときはテンバイヤーによる市場価格を参考にするのだ。
いや「思い入れが深い」「手放すのは惜しい」などと言いながら値段を釣り上げるまである。
「(金目当てで愛のないテンバイヤーと違って)大事に使ってました」などと悪のテンバイヤーにマウントを取りながらいけしゃあしゃあと値段を釣り上げるのだ。
常識的に考えて商品に無関心でノータッチで倉庫に眠っていたテンバイヤーの品のほうがコンディションはいいのでは?
ところで「グッズを手に入れたい」という一点だけを重視するなら、テンバイヤーのいない状況は理想的ではない。
テンバイヤーさえいれば、金に糸目をつけない覚悟を持てばとりあえずグッズは手に入る。
「本当のファンなら周辺情報を常にチェックしてるから、限定グッズなどを見逃して買い逃すことはありえない」とでも反論されるかもしれない。
その分野にテンバイヤーは一人もいないというような状況は果たして本当に理想的だろうか?
金目当てで手放すものがいるから、新人がその分野に新規参入することができるのだ。
逆説的ではあるがテンバイヤーのいない分野はおのずと新規参入のない閉じコン(閉じたコンテンツ)となる。
テンバイヤーの有無でそれが決まる。
ここまでで普通に生きていれば転売は避けられない定めだと分かったはずだ。
そこで「俺は上位1%の上級国民だから転売などとは無縁の人生だ」という人々もいるかもしれない。
よしんば鉄の掟によって一生転売しないですんだとしよう。
金持ちほどマンションなど転売していそうなものだが、この際それもないものとする。
グッズの持ち主が死んだあとは、どうする?
死後の世界にグッズは持ち込めない。
遺族によって転売されるか?あるいは遺品整理業者によって転売されるか?
ただし価値があることに気づかれずに捨てられるということはありうる。
勝手に転売されることを防ぐには転売に追い込まれる前に捨てるか、無償で贈与するかしかない。
なお贈与する場合は贈与税を支払わなければならない点に注意しなければならない。
その点、グッズと違ってチケットは消耗品だから気楽で気ままではある。
ただ転売が悪という前提がそもそも間違っているのであってチケットは文字通り無駄金だ。
そして貧困層ほどチケットのような後に残らない刹那的な用途に金を使うという負の連鎖がある。
いままで「転売」と大雑把に扱ってきたが、転売にも種類がある。
転売の話題がこじれるのは転売と聞いてイメージするものに差がある側面が大きい
ネット上で話題となるのは大きく分けて「せどり」「ダフ屋行為」だろう。
他にも「プレゼントとして受け取ったものを転売する」行為の善悪が問われることもなくはない。
まず少なくともせどりに関しては「可」としていいのではないか?
せどりは中古販売なのだから古物商営業許可が必要だという議論になることもある。
しかし古物商営業許可の意味合いを考えるに「盗品販売を防止する」という意味合いが強いのではないか?
さて転売の中でもチケット転売に限ってはダフ屋行為であり犯罪であるとされる。
「ダフ屋行為が反社会勢力の資金源となる」というのがよく聞く決まり文句だ。
しかし「芸能界はそれほどクリーンなのか」という疑問が新たに湧く。
「反社会勢力の資金源となる」というまったく同じ理屈でショービジネス自体の正当性が危うくなるのだ。
反社会勢力云々という言い分はそれほど有無を言わさず通用するような絶対的なものか?
それにやろうと思えば適当な分野と反社会勢力を結びつけることはさほど難しくはない。
例えば「仮想通貨は反社会勢力のマネーローンダリングに利用される恐れがあるから全面禁止とすべきだ」と言うことができる。
でもショービジネスは文化だから保護しなくちゃならないというわけだ。転売とて同じこと。
転売ヘイターはこれら文章を読んで、何か思うところはあるだろうか?
否。おそらくは逆ギレして「じゃあ転売を法律にて完全禁止すればいいじゃん」などと言い出すに違いない。
よしんば法律にて転売を完全撲滅できても背景が変わらない限り待っているのはより悲惨な世界だ。
転売はあくまで金目当てであって悪意があるわけでも嫌がらせでしているわけでもない。
そこで全面的に転売を一律禁止としたところで転売or死という図式は微塵も揺るがない。
転売ヘイターは「転売するくらいなら潔く死ね」とでも思っているのだろうが。
なぜ転売ごときのことがまるで大罪であるかのように扱われ禁止されねばならぬのだ?
転売文化によって人々の目利きのセンスが磨かれるという側面もある。
人の心を持たない冷たい機械による仮想通貨のマイニングによって地球温暖化はますます加速する。
転売か?仮想通貨か?良心ある人々ならどちらを選ぶべきかあえて言うまでもない。
インターネットでは転売は絶対悪であるかのように扱われているが擁護しようと思えばこのようにいくらでも擁護できる!というお話でした。
https://anond.hatelabo.jp/20210111163141
これが面白かったんでつられて書いてみる
自分はどベンチャーにいてテックリードみたいなことをやっている。
どベンチャーなので基本的に未経験者はよっぽどのことがない限り書類で弾くし面接はもちろんしない。
ただ、これまで数件だけ付き合い上でスクール卒の人を面接・業務体験をしたことがある。
しかし、誰一人としてうちは受からなかったし、他を受けてもエンジニアとして働ける人は居ないだろう。
良くて人売のブラックSIerに潜り込んで、前職の数分の1の給料を2倍の労働時間でもらうみたいなそういう悲惨な未来しか彼らからは想像できなかった。
彼らは優秀ではなかったか?
明確にNOである。
彼らは、もともとのスペックは非常に高く、地頭がよく英語もでき名のしれた大学を卒業し一流どころの企業に受かりコミュニケーション能力も高く数十万円を未来のために投資できる程度の賢さを持ち合わせていた。
たぶん、スクール卒の中でもスペックやスクール内での成績なんかは上位中の上位の存在なんじゃないかな?
しかし、彼らは今後優秀なITエンジニアにならないだろうという確認に似た予感がある。
理由は唯一つで、彼らは全員が全員自分で泥臭いことをやってIT系の問題解決をする能力が皆無だったからだ。
彼らはすでにある程度の成功体験を積んできてしまっていたので、今更0からフルスクラッチで苦労してトライアンドエラーを繰り返して技能を付けていくというのが難しいんだと思う。
特にスクールは商売なので細かいトライアンドエラーなどさせず一通りの知識をスムーズに学ぶことは可能だけれども、学び方は教えないんだろう。
さらに、彼ら自身は特にIT系に何の思い入れもないので自分で何か苦労を背負い込んで泥臭いことをやりもしないし、そういうのが必要ということもどこでも知ることができないんだろう。
IT系は特にスムースにスマートにやるのがかっこいいと外からは思われがちだしね・・・
そして、そこら辺の状態が悪魔合体した結果、ITエンジニア能力以外の現状スペックは高いし、スクールで教わったことは優秀なんだけど、ITエンジニアとしてはまだまだ使えないし今後も伸びないであろうひどく歪なキメラが複数発生しているし今後も発生し続けるんだろうな。
つらつら書いてるけど特に落ちはない
ただうちの会社は多分どベンチャーを脱出してもよっぽどのことがない限りスクール卒を直で入れることはないし、周りのエンジニアが足りなくて泣いてる企業からも似た話しか聞かないからスクールに通ったらすぐにどこでも潜り込めると思うのは辞めたほうがいいかなってのはあるねぇ
下品が売りのミュージシャンが死んだ話をテレビで密着したのをやっていた。うっすら名前を聞いたことがある程度でなんの思い入れもなかったが、人が死んでいく、動物が死んでいくさまに興味があるので死ぬまでのブログやTwitterがたくさん残されていたので読んだ。普段は屠殺動画とかも好きだ。
死んでいく前にどんどん弱っていくけど虚勢を張り続けてるのが面白かった。
ブログとかも下品が売りだったので基本大したことは書いてないんだけど元編集者だそうで健康だった頃には人生訓とか仕事の心得みたいなもんも書いていたがこれがまた興味深かった。
いわく、仕事でNOは言うな、新入社員研修で軍隊みたいなことをするところもあるがあれはいいと思う、NOを言う新米に価値はないとか、女が握った寿司は食いたくないがこの差別はしかたないとか、そんなことを平然と書いていた。
ロックを気取ってるくせにパワハラ肯定、性差別丸出しの50すぎのおっさん。最後まで支えてくれたパートナーのことは一行も書いてなかった(ロックミュージシャンだから?よくわからん)
自分は30代ですでに若い人とは感覚が隔絶してるなと思うことも多いけど、50代ってこんななんだ。こりゃすげー。という衝撃を得ました。
こんばんは、腐女子です。いわゆるお気持ちというやつなのかもしれません。
私は二次創作で男女カプもホモからのTSも百合もホモも書きます。
それで、男女カプとTSを書く時、かつ大人向けのものであるときに、めちゃめちゃ女性側を棒に弱い描写をしてしまいがちです。
しかし、ふと現実の女性でそんなに本気で「相手に求められている心理的な要素or承認欲求」や
業者の人の騙り抜きで快楽としての挿入メインのセックスが物理的に気持ちいいから好きという人は本当に存在するのか、という疑問が頭から離れません。
前に見かけた女性用性感サービスを呼んだ増田の人も、結局中より電マが一番という結論に至っていました。また、よく見るアンケートか何かでもセックスで演技する女性は多いみたいに書かれていて、多くの女性にとって挿入はあまり気持ちいいものでもない、メンタルの充足をさっ引くと虚無に近い行為なのではないかと思ってしまうのです。
電マ増田さんなど、自分含め性欲のある女性はもちろん存在しているのですが、挿入行為で性欲を発散できている人は本当に少数でも存在するのでしょうか……?
二次創作は所詮ファンタジーで見たいものを書けよで終わりですし、リアルと創作のセックスをリンクさせるなというお話ももっともで、私もそう思いはします。しかし、(勝手な話で思い入れているというだけですが)推しは本当は虚無セックスをしているかもしれない、そういった疑念を払拭したいのです。
ですので、もし少数でも実際にセックスの挿入行為のみが大好きで中イキしている女性がいるのでしたら話を聞いてみたい、そんなどうしようもないことをふと考えてしまいます。
自責と他責の違いなんて、結局魅力と思い入れの有無でしかねーじゃん
対象がかわいいから男のせい社会のせい自民党のせい日本のせいとヨチヨチし、気に食わないと冷酷なまでに手のひら返して自己責任論をぶつける
そんなもんだよ人間
ヒット映画をそれなりに楽しめるタイプだと思っていたから、これだけ違和感がゴリゴリあって、つまらない映画だとは思わなかった…
君の名は、はそこそこ楽しめたんだけれど
天気の子はリアリティのないものを、リアリティのある背景と街並みで描かれていたという感覚。
発砲するし、警官の妨害をして、シャブ中みたいな発言を繰り返す。
主人公は、モラトリアムをこじらせ、なんだか縛られてる!と家出した16歳の少年、帆高。
厨二病を拗らせた行くすえみたいなやつで、神津島を衝動的に飛び出し、金が続く限り、ライ麦畑で捕まえてを片手にネカフェで寝泊りする。
そこまでさせるのは、親と確執があるのか?と思いきや、それは一切描かれない。帆高が健康で、かつ捜索願が出されていたことから、親は悪い人ではないのだと思う。
その帆高を拾い、月に3000円という低賃金で住み込みで働かせるおじさん。
そしてその姪。
親に問い合わせをせず、未成年を働かせ続ける。
どうかしてない人間がいない。
帆高の親が帆高を探しにきたとき、おじさんが帆高に5万を渡し、家に帰れと言って、まともなことを言うじゃん!と見直したら、それが悪のように姪が責め立てる
なんか変な鳥居に祈ったことにより、局地的に晴天を作ることができるようになった女。
帆高に唆され、晴れを作るビジネスをし荒稼ぎをする。
帆高が警官に家出少年として補導されそうになったとき、雷を落としトラックを大爆発させ、その混乱に乗じて逃げる。
そのあと帆高と弟で楽しくカラオケ歌ってたとき、こいつらみんな頭おかしいのか?と思ってしまった
そして、能力を使いすぎて死にかけたときに、帆高のことしか考えてなかった。
弟は?
そして、母親が亡くなったあと、子供2人で暮らすようになった理由が最後までわからない。
帆高が息するようにくそ臭ポエム読むし、大丈夫だよ!一緒に逃げよう!って言っても毎回どうにもならないし、たまたま拾った銃を持ち歩いて発砲したり脅したりするのに、俺たちは間違ってない!みたいな善人仕草をする。
帆高が捕まっても逃げ出すし、線路を走り回る。
仕事を頑張ってる警官が無駄に疲弊させられてる。邪魔するな!って帆高が邪魔なのよ。
陽菜が関東地方の一部を晴れにするために犠牲になったんだ!俺が助ける!というけど、警官としては知っちゃことないし、だから逃して!って言っても説明不足すぎる。