はてなキーワード: ロジャーとは
競馬というものに全く興味はなく、「土日の昼過ぎにテレビでやってるやつでしょ?」くらいの印象しかなかった。
当時多摩地区の大学に在籍していた私は、春・秋の日曜は運動系の部活の大会のシーズンに重なっており
ある日曜、多摩川沿いのグラウンドで試合を終えた後、同じ寮の同級生の競馬ファンから連絡をもらう。
ユニフォームやら道具やらが詰まったカバンをぶら下げて東京競馬場に入ると、そこは人、人、人の大集団。
馬鹿でかいスタンドに収まりきらない10数万人の大集団だった。
今までプロ野球やJリーグの試合観戦で大きな競技場は何回も行ったことがあったが、それとは比べ物にならないレベルの大集団がそこにいた。
「〇〇番柱の中段にいるから探して」と連絡がきたが、柱に番号が振ってある建物なんて初めて見た。効率的だと思った。
ビールを浴びるように飲み、言われるがままに馬券を買い、そして大損した(当時はお金がなかったのに)。
こうして競馬キチガイとなった私は同年のジャパンカップや有馬記念にも現地に赴くようになってしまった。
そうして迎えた2013年の日本ダービー。水曜日から正門の列に並び、開門ダッシュで場所を取り、一日中酒と馬券に溺れる。
幸せだった。
今でも覚えている、買った馬券はエピファネイアとロゴタイプのワイド1点。
直線で武豊が福永を差した瞬間、自分の馬券のことなど忘れ大絶叫していた。
ドゥラメンテのすさまじい斬れ脚、レイデオロのロングスパート、福永家悲願のダービー制覇、ロジャーバローズの大掛けで静まり返る競馬場もこの目で見てきた。
それなのに、、、新型コロナウィルスの大流行。競馬場には気軽に行ける状態ではなくなってしまった。
というわけで今年のダービー当日の入場券が当たりました。
競馬の祭典、皆さん楽しみましょうね。
5月20日にディズニー+で配信された作品のネタバレ有り感想になる。
未見の方は注意してほしい。
前提として、本作は1989年に放送された「チップとデールの大作戦 レスキュー・レンジャーズ」の続編でもリブートでもない。
・現実の人間とアニメのキャラクターが同じ世界に共存しているという「ロジャー・ラビット」風の世界観
・「各アニメ作品はキャラクター達が演じて作られたもの」であり、その舞台裏を描くという「シュガー・ラッシュ」等と似た構造
・チップとデールもお馴染みの高い声やコミカルな動きは演技であり、主演作の「レスキュー・レンジャーズ」終了から時間が経って二人の人気や知名度が落ちている、というところから物語が始まる
以上のような挑戦的な設定ながらストーリーは王道で楽しめたし、ディズニー内外のアニメキャラが大量にカメオ出演するため画面の中から自分が知っているキャラを探すという「シュガー・ラッシュ」や「レディ・プレイヤー1」のような楽しみ方もできる愉快なお祭り作品だった。
しかし、出演キャラや元作品へのリスペクトに欠けると感じる描写が多々あった。
中でも受け入れ難かったのがラスボスに据えられた「ピーター・パン」の描かれ方だ。
永遠の少年であるはずのピーターが中年になり(彼はただの役者なので普通に歳を取る)悪事に手を染めているというだけで元作品のファンにはショッキングだが、メインはそこではない。
彼は「ピーター・パン」への出演で栄光を掴むが、思春期への成長に伴い役者として上手くいかなくなり、犯罪の道へ進む。
これは、「ピーター・パン」の声優であった実在の人物「ボビー・ドリスコール」の生涯を元にしている。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=2031989
ボビーは子役として「ピーター・パン」を含む様々なディズニー作品に出演するが、成長して子役でなくなるとディズニーから突如契約を打ち切られ、薬物中毒になり31歳の若さでホームレスとして亡くなる。
これを話のネタとして使い、あまつさえ悪役の人生と重ねて描くのは、あまりにもむごいと感じた。
作中のピーター・パンは何の改心もせず、救いもなく、下衆のまま物語は終わる。
これをよりによってボビーの人生を狂わせた張本人であるディズニーがやるのか?
自社の作品に命を吹き込んでくれた実在の人間に対して、感謝やリスペクトといったものが一切感じられなかった。
本作には「デザイン変更前の(キモいと言われた方の)実写版ソニック」がそこそこ出番のあるキャラクターとして登場しており、彼はこの作品で新たに命を授けてもらったように感じられた。そこには救いがあった。
どうして自社のキャラクターに、それを演じてくれた人にその救いを与えてやれなかったのか。
過去に、脳科学、神経科学の発見に対して、ノーベル医学生理学賞がそれなりに与えられているのに対し、もっとも基礎的かつ重要な発見と私には思われるヘッブ則を提唱したヘッブにノーベル賞が与えられていないことは意外に思う。恥を偲んで告白すると、私自身もつい先ほど、仕事の合間にネット検索で逃避していた際に知ったばかりで、このように増田に書いているのである。
例えば、ゴルジとカハール(1906)から始まり、「ニューロンから脳へ」の確か最初の章で紹介されてたイカの軸索の研究によるホジキンとハクスレー(1963)、分離脳のロジャー・スペリー(1981)、エリック・カンデル(2000)あたりが貰ってる。今調べながら知ったが、パブロフも貰ってるし、ヒューベルとウィーゼルも貰ってる。Wikipediaで見てると、神経科学系でほかに私の知らん人もそれなりに貰ってる。医学生理学賞ではないが確かヘルムホルツも貰ってる。だが、ヘッブは貰ってない。
ヘッブが受賞できなかった理由は素人の私には分からないのだが、近年のディープラーニングでのイントロダクションで「まくら」としてヘビアンラーニングが引用される割には、神経科学そのものの領域では評価が高くないのかもしれない。そんなことありえるのかな。
1904年生まれ1985年没のヘッブが、時代に対して「早すぎた」ということはあるのかもしれない。それにしても、晩年にはパーセプトロンとかニューラルネットワークとかそういうので、AIいけるやん!って当時の人々は盛り上がってた筈なので、やっぱりなんでだろうという気はする。
「ディープ産駒で牡馬クラシックを勝った馬は古馬になってGIを勝てない」というジンクスについて検証する。
というか「牡馬クラシック勝利→古馬になってGI勝利」という例がどれだけ少ないかを見ていく。
2000年から2020年までで「牡馬クラシックで勝利したうえで古馬になってGIを勝った馬」は52頭中19頭。
特にダービー馬は、三冠馬たちとメイショウサムソン・ウオッカ・エイシンフラッシュの6頭のみ。
(追記:レイデオロが秋天勝ってるのを失念していた。合計7頭だ)
(追記:1990年代はトウカイテイオーとスペシャルウィークのみ)
早熟でなければクラシックは勝てず、早熟であれば伸び悩むことも多い、ということだろう。
むしろアルアイン・フィエールマン・ワールドプレミア・コントレイルと、
条件に当てはまる馬を4頭も輩出しているディープはよくやっていると言える。
ちなみにサンデーは5頭(ジェニュイン・スペ・マンカフェ・ダメジャ・ディープ)である。
そもそもなぜ「牡馬クラシックで勝利したうえで古馬になってGIを勝った馬」なんて奇妙な条件が設定されたかというと、
ディープ産駒はGIを2勝できない→ジェンティルドンナがGI 7勝
ディープ産駒の牡馬はGIを2勝できない→ミッキーアイルがNHKマイルとマイルCSを勝利
ディープ産駒の牡馬は王道距離のGIを2勝できない→サトノダイヤモンドが菊花賞を勝ってから3歳で有馬記念を勝利
ディープ産駒の牡馬でクラシックGIを勝った馬は古馬になってからGIを勝てない→アルアインが皐月賞と大阪杯を勝利
ディープ産駒の牡馬でクラシックGIを勝った馬は古馬になってから王道GIを2勝できない→フィエールマンが菊花賞を勝ってから天皇賞春を連覇
ディープ産駒の牡馬でダービーを勝った馬は古馬になってからGIを勝てない→コントレイルが三冠達成してからジャパンカップを勝利
こうしてディープ産駒に何とかケチをつけようとして条件を複雑化していったためで、こんなもの最初からイチャモンにすぎないのである。
◆1期
富 名声 力この世の全てを手に入れた男
海賊王ゴールドロジャー彼の死に際に放った一言は人々を海へ駆り立てた
「俺の財宝か?欲しけりゃくれてやる・・・
探せ!この世の全てをそこに置いてきた!」
◆2期
これらは止めることのできないものだ
人々が自由の答えを求める限りそれらは
決して留まることは無い!
◆3期
選ぶべき世界が目の前に広々と
横たわっている
終わらぬ夢がお前達の導き手ならば・・
超えてゆけ!己が信念の旗の下に!
◆4期
この海の果てにすんげぇ宝があるって
知ってるか?
それを手に入れた奴が海賊王になれるんだ!
わくわくしねえか!?
言うんだぜ!?
◆5期
みんな「乾杯!」
◆6期
かつてこの世の全てを手に入れた
彼の死に際に放った一言は人々を
海へと駆り立てた
「おれの財宝か? 欲しけりゃくれてやる。
探せ! この世の全てをそこに置いてきた」
人々はロマンを追い求める
◆7期
後半の海 人呼んで新世界
その仲間たちが挑む!
◆8期
ワンピースを狙う
すべての海賊たちが目指す
少年モンキー・D・ルフィとその仲間たちが挑む!
リアルで陽キャに虐められてる陰キャがネットで陰キャ・チー牛叩き。人種差別に苦しんでる黒人がアジア人に目を覆いたくなるような差別をする。インセル殺人鬼のエリオット・ロジャーだってアジア人と白人のハーフで自分はいじめに苦しんできたが、有色人種への差別発言をしていた。自業自得とはいえ、リアルで虐げられてるフェミが弱者男性をたたく。
以前に自称ブサイクの女子がブサイクの苦悩を語るブログを見たことがある。でも、書き込みの大半を占めていたのは、ブサイクゆえの苦悩よりも、ブサイクな男への侮蔑だった。容姿で差別される苦しみを知っているはずが、自分には無害なはずの不特定多数の男を誹謗中傷って根性がひん曲がりすぎだろと思った。正直、こんな性格の悪い奴は差別されて当然だと思った。それで被害者ぶってるだからなんといびつな精神構造をしているのだろう。
某有名ゲーム実況者だって、元不登校なのに、陰キャやチー牛を煽るような動画を投稿している。その癖に「俺は元不登校だから、学校に行きたくない気持ち分かるよ」と弱者の見方を気取った動画も上げてるのが滑稽だ。
某女性ブロガーだって、電通で性的被害に遭ったにも関わらず、童貞男性を誹謗中傷し、それを正当化していた。キチガイかよ。(こいつに関しては親の金で中高大と一貫して私立に通い、海外留学もしているので弱者の範疇に入るのかは微妙だが)
かつてぼっちの陰キャだったと語る某社会学者も「準引きこも森の心理学」などという本を書き、自分と同類の陰キャを中傷三昧。
低身長で虐められてきたであろう岡尚大も犯罪の被害者を誹謗中傷。
何で弱者は自分を虐めてきた強者に直接仕返ししないの?直接虐めてきたわけじゃなくてもいじめっ子と同じ属性を有する強者に敵意を向けないの?何で虐められる苦しみは知ってるはずなのに同じ弱者を攻撃するんだ?
映画のジョーカーは自分に無関係な人間を直接攻撃してはないぞ?殺したのは列車で暴行してきたサラリーマン、虐待してきた母親、嵌めてきた同僚、さらし者にしてきたコメディアンだ。あの小人だって普段の職場で虐めようと思ったらいつでも虐められたし、殺すことだって簡単だったのに、ジョーカーはそれをしなかった。だから、可哀そうだと思えるし、最後の姿はカッコいいのだ。
だが、現実の弱者はどうだ?全員ではないにしろエリートサラリーマンやコメディアンに迎合して、小人に八つ当たりしてうっぷんを晴らすんだろ?お前らは被害者じゃなくてただの加害者だろ。
とはいえ、最近の通り魔事件は曲がりなりにも強者・成功者・勝ち組を狙ったものが増えているので、弱者の弱者たたきは過去のものになりつつあるかもしれない
エルデーッス
折角素数なので素数を数えて落ち着くんだに関わりそうな人を無理矢理出してみました。本当はエルデスじゃなくてエルデシュですって
ロジャー・クーパーというジャーナリストを探しても見つからないし、それはそれとしてThe Bookという要素を見てこれはジョジョに関わりが!?と思ったりもしたものの、
冷静に考えたら聖書もThe Bookだしこの人を無理矢理出さなくても良かったのかもしれません。
私の頭は通常営業でこんなもんです。
大人になるとかいうものは、ずっと子供が小難しいことを考えてる時の思考のまま体格がデカくなったことを受け入れることだと思うので
通常営業で間違いを出し続けることも受け入れて、その失点をなんとか減らしていく感じでこれからも頑張っていきたいですね、面倒ですね
ということで本日は【解答の見直しよいか】でいきたいと思います。
誰も読んでないみたいだから去年一気に全巻読破した俺が説明してやるか
例えが下手。全く小便器には似ていない。
主人公がゴム人間という時点で格好よさから脱しようというコンセプトであろうことは1話からわかりきっている。
・戦闘に「もしかしたら死ぬかも」というような緊迫感が無い。主人公は何度も敵からノックアウトされて白目を剥くが、敵は主人公の首を切り落とそうとか心臓を刺そうとか本気の攻撃を全然しない。どうせ主人公は殺されないと、分かりきっている。接待バトル。
これもゴム人間の特異性で説明できるが、仲間になったキャラは絶対死なないなど、連載が長期化するにつれ緊張感が失われていったのは確か。
これは好みなのでどうでもいいか
・主人公が海賊王になると言っているが、その海賊王の定義がよく分からない。略奪も誘拐も密輸もしないなら、それは海賊ではないのでは?
・何をすれば海賊王になれるか、何を以て海賊王として認定されるのか、主人公が海賊王になると主人公や世界の何が変わるのか、さっぱり分からない。
ゴールドロジャーが隠した秘宝ワンピースを手に入れたものが海賊王だと1話で説明されている。
ワンピースがなんなのかは物語最大の謎なので終盤に近づくにつれ少しずつ説明されている。
知らんがな
・今、誰が、何のために、何をしているのか、リアルタイム連載ではサッパリ分からない。ジャンプがターゲットに想定している少年層の読者たちは「昔から連載されている漫画だけど、何の物語かよく分からない」と思っている。
今現在は四皇という最強の海賊であるカイドウとビッグマムと戦っている。
その二人を倒すと1話に登場したシャンクスとラスボス感のあるキャラとして登場している黒ひげを残すのみなので、その二人と決着をつけワンピースを見つけたら終わると思われる。
新人姫・・・だいぶクリムゾンにも詳しくなったので「姫」と表記してます。
姫「今日はお誘い、ありがとうございます!しかもクリムゾンのライブだなんて!ママも『たっぷり勉強してらっしゃい。フフフ・・・』と送り出してくれました!」
私「いやいや、私も一人だとちょっと心細くてね(ドヤれないしね)。一緒に来てくれて嬉しいよ(財布はちょっと痛いけど)」
<ライブ終了>
姫「・・・すみません、21世紀の修練しながら平和なヒバリの舌に墓碑銘してました・・・」
私「ちょっと何言ってるか分からないけど、なぜか気持ちはよく分かるよ。でも、ほら、とりあえず出よう」
<T駅に向かいながら>
私「(ドヤ顔で)素晴らしかったねぇ。代表曲をこれでもかと聴かせてくれて、でも、決して懐メロ大会にはならず、3人ドラムのダイナミズムを存分に堪能させてくれる神アレンジのオンパレード、『クリムゾン、まだ進化してやがる!』と叫ばずにはいられなかったね」
姫「私も予習が追いつかなかったところがあるんですけど、あのドラムに完全に蹂躙されちゃいました!もう、ジュンって来ちゃいました!」
姫「あ、そういえばフリップ様のギタートラブルがありましたよね」
私「ああいうこともあるんだね。(ドヤ顔で)Disciplineって曲は2台のギターが絡み合うところが聞き所なんだよね。だからフリップの音が出ないまま終わった時はショックだったけど『珍しい現象を見たから良しとしよう』と必死に自分に言い聞かせてたよ」
私「アンコールで!」
私「まさかもう一回やってくれるとは思わなかった!あんなの初めてだよ。オジサンも思わずジュンってきちゃったよ。姫ちゃんも?(期待を込めて)」
姫「そりゃもう大洪水ですよ!ヒア・カムズ・ザ・フラッドですよ!」
私「シーッ!ちょっと姫ちゃん、声でかいから。クリムゾン帰りのおじさん達がたくさん歩いてるから!ナパーム・ファイアを出してくるかもしれないから!ピーガブファンもかなりかぶってるはずだから!」
姫「それと、前半のラストが21世紀の精・・・じゃなくてスキッツォイドマンなのも嬉しかったです!」
私「だねー。冒頭のサウンドエフェクトだけで『おーっ!』って会場がざわめいたよね。そしてあの中間部のブレイク、うまくいくと信じてるけど、でも、見事に決まったときは・・・」
姫「ジュンジュンジュジュジュンですねっ」
私「・・・姫ちゃん、暴走族のコールじゃないんだから・・・好きだけど」
私「真っ赤なライティングでテンション上げて、終盤の怒濤の展開、そしてメル・コリンズがテーマを切々と奏で、厳かに終わる・・・」
姫「あの時、増田さんの顔、1stのジャケ男みたいになってましたよ」
私「そういう姫ちゃんも1stインナージャケのオッサンみたいな不思議なポーズ取ってたじゃない」
姫「もう、意地悪なんだから~!」
<しばらくして>
姫「あ、お店に着きましたよ」
(ドロドロドロドロジャーーーーーン)
私「おっ、エピタフも今日やったんだよ。ジャッコが眉間にしわを寄せて苦しそうに歌うのがたまらなかったなあ。いや~、ママにも見せたかったよ」
2018年の終わり、狂ったように映画館に通っていた。といっても4、5回おな映画を見たくらいだ。
ボヘミアンラプソディは、その年の4月のTOKIOショックの傷も生々しかった心に、グサグサと刺さった。あ
ディーキーは、フレディのいないQueenはQueenじゃない、とバンドを離れた。ブライアンとロジャーは、ファンのためにQueenを続けることを選んだ。どっちも間違ってない。でもどちらの道も苦しい。おこがましく世界的なバンドと比べ、TOKIOはどっちなんだろう?そんなことばかり考えていた。
解散を選んだV6も、名前を残すことにこだわったTOKIOも。根っこにあるグループへの愛情はきっとおんなじだ。
長瀬くんの脱退が近付いた3月に、大切なお知らせメールが届いた。全く何の予感もなかったけど、メールの文章の硬さから、ろくでもない内容であるのは察知できた。でもV6で?最近の活動も順調そのものなのに?いったいなに?解散の二文字を見て、お知らせメールの堅苦しさには合点がいったけど。
もう帰りの電車でこういうダメージ受けるのつらい、ほんと。山口くんのときもそうだったわ。仕事帰りに呆然としてね。
ただ、妙な慣れみたいなものがあったのも確かだ。一度、自分にとって完璧で大好きだったTOKIOが壊れた経験があったから。
むしろ、ああこれでバランスがとれる、と歪んだ安心感があったのを覚えている。
TOKIOとV6が好きだった。同期で先輩で後半で戦友な2組は、もはや自分のなかではニコイチの存在だった。
どちらも、20周年を過ぎてさらに輝きを増していった。「此処から」の歌詞のように、きっとこれからも永遠に続いていって、2組揃って私の人生に彩りを添えてくれるんだと、勝手に信じ切っていた。
あの時の衝撃やつらさは前にも書いたので繰り返さない。
TOKIOが宙ぶらりんな状態のまま25周年を終えてしまったのに反して、V6の活動は順風満帆だった。その落差というか温度差が、激し過ぎてカケモにはつらかったまじで。勤続25年を謳われたときが一番悲しかったかもしれない。せっかく提供されるV6のコンテンツを、正直全く楽しめていなかった。音楽番組は録画したまま放置、CDやDVDが出れば買いはしたけど、開封もせず積み重ねていた。V6だけがいてTOKIOのいない音楽番組なんて。TOKIOの新しいCDはもう出ないのに…。そんなことばかり考えていた。知らねえよ、って言いたくなりそうな、ほんとにくだらないファンの感情だけど。
だからだろう、V6が終わると聞かされて、ああもう、そんなふうに感じずに済む、とどこかほっとしたのだ。
解散そのものはもちろん悲しい。ただ、3年前のショックを引きずっていた身には、解散という出来事が大き過ぎて、受け入れきれていなかった気がする。麻痺していたというか。
解散を伝えるFCの動画も、つい最近みた。10月中旬 見るのが怖かったというか、エネルギーが必要だったというか。もう、自分にとって最後のコンサートも見終わってしまったというのに。
見なければ現実にならないとでも感じていたのかわからないが、締め切りに追われるように、ようやく再生したのだった。
思ったより長くて、強いて明るく、前向きにしようとしているのがまたつらかった。
雨とか、すごい作品だったのに。こんなこともできる、まだまだ可能性に満ちているのに、なんで終わるの?コンサートも同じだった。
2017年以来、4年ぶりのコンサートは、やっぱり幸せな空間だった。何度でも繰り返し見たいと思った。今回、一公演入れただけでもラッキーだったんだろうけど。
MCはいつも通りのゆるい会話で、これがラストツーなんて嘘でしょ、と言いたくなるくらいで。それでもやっぱりこのコンサートは、お別れの挨拶なのだった。
トニカミVそれぞれの歴代曲と、バリバリの最新曲の組み合わせ。最新シングルさえ外した潔さに、「今」のV6のすべてを見せ切るのだという強い意志を感じるセットリストだと思った。overが一番心にきたかもしれない。それと、コンサートで披露された新曲、目を閉じれば。号泣したけどシールドで涙が拭えなくて、それはもうひどい顔だっただろう。
悲しかったけど、やっぱりコンサートは最高だと実感し、でももうこんな現場はないのだと思うと落ち込む。そんなごちゃ混ぜの感情を抱えて、また一月過ごし、先日ようやく、落ち着いてV6の、音楽に触れることができた。
Mステの160回振り返りのおかげだ。
TOKIOとの絡みをたっぷり見せてくれた。そうそうこういうかんじ。こんな2組が好きだったんだ。さらに昔のMステを振り返ってみた。あらこんなに素敵だったかしらこの人たち。新鮮な気持ちで見入った。ほったらかしだったCD類にも手をつけてみた。初回AB通常盤と3つ、梱包されたまま置いてあったのには驚いた。それくらい、なんというかTOKIOとの格差にダメージを受けていたんだろう。
コンサート前に一夜漬けで見たのとは違う、落ち着いて、平和な気持ちで、ああこの人達素敵だな、と感じることができた。ようやくだ。
そうだ、V6は最高なんだよ。わたし、大好きだったんだよ。この格好良いひとたちのこと。6人でいるときのゆるい空気感が。
少しだけ希望を持てるのは、今のTOKIOが新しい道で輝いていてくれることだ。何より楽しそうだ。そして、何気なくTOKIOは5人なことを伝えてくれる。先行き不透明で不安だらけでもやもやしていたころよりずっと楽だ。
長瀬くんはマイペースに楽しそうだし、山口くんは、元気でいてくれさえすればいい。
まだまだ、新しい可能性があることを感じさせてくれた株式会社。だから、事務所に残るV6の5人も、また違う輝きを見せてくれるのではないかとおもってしまう。5人と6人が一番なのはもちろんなんだけど、それはそれとして、可能な範囲でまた新しい夢を見せてくれそうな。
自分にとっての青春の本当の終わりだとか、メンバーのキャリアチェンジのラストチャンスとか、同年代だから思うこともある。彼らの動向は、社会的には私に何の影響はないもない、衣食住にも仕事にも。でも、こんなにも動揺するんだ。いい歳してアイドルの動向にここまで影響されるなんて馬鹿げてるかもしれないけど、こんなに好きになれる存在があったのも幸せなことかもしれない。
とにかくみんな元気でいて。それだけはお願い。
ラストスパートでものすごく忙しそうだから、ありがたいけど体調も気になる。特に健くんは、オーラス後にラジオ生放送と、最後の最後までファンに寄り添う姿勢を見せてくれる。どこまでもファン目線に立った彼の気遣いはすごい。解散報告動画で涙ぐんで見えたのは、自分が辛いからではなく、解散を知らされる方の感情に同化していたんじゃないだろうか。優しい。本当に最後の最後まで、アイドルの鑑だ。
ある日突然の終わりと、別れを惜しむ時間があるのと。どっちも結局つらいよね。
今も、納得と拒絶の間でぐらぐら感情は揺れている。それでも日々は容赦なく流れて、年末新年とあっという間に過ぎていくだろう。
彼は次のように書いています。「もちろん、私の嫌な奴は動揺していました。それは私を傷つける以上に助けになりましたか?私はそうは思いません。結局、私の父は正しかったです。でも、自分の才能や何かに頼ることはできませんでした。」
マッケンローが怒りを抑えきれなかったことが、1984年の全仏オープン決勝でイワンレンドルが2セット差をつけた後、「私の人生で最悪の損失、壊滅的な敗北」と呼んだ重要な要因だったと彼は信じています。 。 「私は怒ってフランス人にあまりにも多くのエネルギーを浪費した」と彼は最近の自伝で説明した。
その経験は彼に一時的に宗教を与え、彼はこの新しい理解を彼の次のトーナメントであるウィンブルドンにもたらしました。 「最初から
全仏オープン)」確かに、マッケンローはウィンブルドンで優勝しましたが、そうではありませんでした。
偶然にも、彼はトーナメントを通して彼の気性をコントロールしました。
マネージャーとその従業員の大規模なサンプルであるギャラップ組織は、直属の上司との関係ほど従業員の生産性を明確に予測する要因はないことを発見しました。
より具体的には、ギャラップは、
従業員には、上司または職場の誰かが世話をしていると感じるかどうかが含まれます。過去7日間に表彰または賞賛を受けたかどうか。そして、職場の誰かが定期的に彼らの成長を奨励しているかどうか。別の言い方をすれば、常に前向きなエネルギーを伝える能力は、効果的な管理の中心にあります。
何年もの間、ロジャーB.自身は重要な仕事で動機づけられていました
支えとなる風を背負って、彼は自分の価値に自信を持ち、他者へのアプローチに前向きになり、最終的にはセールスマンとしてより成功しました。成功はそれ自体を養う傾向があり、
も真実です。上司が利用できなくなり、目に見えてサポートが弱くなったとき、
ロジャーの仕事での楽しさと安心感は低下し、彼の自信、関与のレベル、そして最終的には彼のパフォーマンスも低下しました。
彼には注意が足りなかった。ちょっと立ち止まって考えてみてください
ロジャーはまだ問題を経験していませんでしたが、頭痛のパターンの増加と腰痛のしつこいことに気づき、気が散り、時には夢中になりました。彼が私たちと一緒に仕事を始めたとき、ロジャーは彼の負のエネルギーが彼の人生に打撃を与えた他の方法を見始めました。彼が信じられないほど不安を感じた日、彼は自分の集中力と忍耐力が失敗したことに気づきました。彼の焦りが増したとき、彼の同僚との彼の相互作用はより鋭くなりました。彼はあまり達成されていないようだった。彼が欲求不満に夢中になっていると感じるときはいつでも、正午までに際どい種類の疲労感が始まり、彼は仕事へのモチベーションがなくなったと感じました。彼がリラックスしてコントロールしていると感じたそれらのますますまれな日に、ロジャーは彼が直面している多くの要求に関係なく積極的に従事し続けることができました。
否定的な感情がパフォーマンスに与える影響は、スポーツでは明らかです。たとえば、ジョン・マッケンローとジミー・コナーズの2人のテニス界の偉人のキャリアの対比を考えてみましょう。
彼のキャリアを通して、不安定なマッケンローは、彼自身の過ちや彼が気に入らなかった電話で、怒りや欲求不満を簡単に引き起こしました。コナーズはキャリアの早い段階で同様に不安定でしたが、年をとって経験を積むにつれて、喜び、遊び心、情熱を増して遊び始めました。対照的に、マッケンローは演奏をほとんど楽しんでいないようで、年をとるにつれて爆発は悪化しました。
コナーズはチャンスと冒険の感覚から彼のエネルギーを引き出しましたが、マッケンローはより防御的な姿勢から来ました。それにもかかわらず、彼は絶えず彼の人生のために戦っているようでした。
あるレベルでは、マッケンローの否定性は彼のパフォーマンスに影響を与えていないようでした。
コナーズはもっと楽しかったかもしれませんが、両方のプレーヤーは数年連続で世界一のランキングを達成することができ、両方とも多数のグランドスラムを獲得しました。では、ポジティブな感情がパフォーマンスのより良い燃料であるという証拠は何でしょうか?答えは持久力です。彼の39歳の誕生日に、おそらく2人のプレーヤーの才能が少ないコナーズは、全米オープンの準決勝に到達しました。コナーズは40歳になるまでツアーから引退しませんでした。マッケンローは6年早く、34歳で引退しました。最も基本的なレベルでは、コナーズはマッケンローよりもはるかに効率的に彼の感情的なエネルギーを管理し、はるかに長い間高レベルでプレーすることができました。彼はまた、途中でもっと多くの楽しみを得ました。
私たちは、いくつかのニーズを満たすように警告する高負のエネルギー象限に移動します。正確には、この状況はロジャーB.の人生で起こったことでした。彼は物理的なエネルギーの更新にほとんど注意を払っていなかったので、彼のタンク内の燃料の量は時間とともに減少していました。同時に、彼は自分の人生におけるプレッシャーと要求が容赦なく増大していることに気づきました。上司に無視されて心配している
彼の仕事について、そして彼の家族から切り離されて、ロジャーは不安、欲求不満、そして防御の経験によってますます支配されるようになりました。
エネルギーの観点から、否定的な感情は費用がかかり、非効率的です。
ガスを噴き出す車のように、彼らは私たちのエネルギー貯蔵を引き下げます
急速に。リーダーやマネージャーにとって、否定的な感情は感染性があるため、二重に潜行性があります。恐れを助長するなら、
怒り、そして他人の防御力、私たちは徐々に彼らを弱体化させます
効果的に実行する能力。慢性的な否定的な感情、特に怒りやうつ病は、腰痛や頭痛から心臓病や癌に至るまで、さまざまな障害や病気と相関関係があります。
ノートルダム会衆の学校姉妹における678人の老化した修道女の彼の研究。
最終的にアルツハイマー病にかかっていない人からアルツハイマー病にかかった人。 20代前半に修道女が注文されたとき、彼が学んだすべての修道女に個人的なエッセイを書くように要求していました。分析すると、
スノーデンは、その執筆が前向きな感情(幸福、愛、希望、感謝、満足)の優勢を表現した修道女は、より長く、より生産的な生活を送る傾向があることを発見しました。ポジティブな感情の文章の数が最も多い修道女は、そのような文章の数が最も少ない修道女の半分の年齢で死亡するリスクがありました。
うつ病の病歴(すべての否定的な感情の中で最も陰湿なもの)が、最終的にアルツハイマー病を発症する可能性を2倍に高めることを示唆しています。これらの調査結果は、プロとしてだけでなく個人的にもスノードンに大きな影響を与えました。 「私は今、動揺した後すぐに生理的バランスを取り戻すために意識的な努力をしています」と彼は説明します。 「私はネガティブな状態にとどまらないようにしています。私の目標は、できるだけ早く体を通常の健康な状態に戻すことです。」
B.ロジャーは非常に挑戦的なクライアントでした。彼のパフォーマンスの障壁が、私たちが通常直面しているものよりもはるかに困難だったわけではありません。むしろ、彼の最初の変化への動機は非常に低かった。当然のことながら、ロジャーはチップを肩に乗せて私たちのセンターに到着しました。上司は私たちへの訪問をチャンスとしてとらえるために最善を尽くしましたが、ロジャーは彼が選ばれたと感じずにはいられませんでした。彼はトレーニング前の資料を私たちに届けるのが遅れ、初日のほとんどの期間、懐疑論を公然と身につけ、私たちの駐車場で休憩するたびに携帯電話で過ごしたり、BlackBerryでメールに返信したりしました。それは有望なスタートではありませんでした。ロジャーが私たちのFace the Truthプロセスを進めたとき、彼は聞いていたことに不安を感じていました。それは希望に満ちた兆候だと思います。クライアントが現在の出来事についていくらかの痛みを感じるまで、彼らはめったに変化する傾向がありません。ロジャーにとって最初の驚きは、彼の物理的なテスト結果でした。彼は自分自身を比較的まともな体型であると考え続けていましたが、彼は主に記憶に頼っていました。 20年間の比較的活動がない状態でどれだけの萎縮が起こるかは彼には思い浮かばなかった。彼は、体脂肪率がどれほど高いか、そして心臓血管の能力と強さがどれほど低いかを知ることに落胆しました。彼の危険因子が彼を早期心臓発作の第一候補にしたと私たちが彼に話したとき、彼はまたショックを受けました。彼の危険因子は、高血圧、比較的高いアルコール消費、慢性的な高ストレス、適度な喫煙、高コレステロール、および過体重です。彼は、彼の医者が彼に体重を減らし、より定期的に運動するように勧めたことは事実でしたが、ロジャーは緊急性があることを決して感じませんでした。彼はまた、彼のフルエンゲージメントインベントリに関する同僚からのフィードバックについて驚き、少し防御的でした。特に、彼らは彼が非常に批判的で、せっかちで、短気であると感じました。ロジャーは時々イライラして悲観的に感じることを認めたが、彼はそれをうまく隠し、一般的に他人を敬意と優しさで扱ったと信じていた。 「今は大変な時期です」と彼は説明した。 「私の人々の多くは、私たちが直面しているようなプレッシャーに慣れていないだけで、メッセンジャーを非難していると思います。」ロジャーの最初の本当の突破口は、彼の妻または子供たちが彼をせっかちでイライラしていると説明するかどうかを彼に尋ねたときに起こりました。彼は目に見えて椅子の中で縮んでいるようだった。ほんの数週間前に、彼は私たちに、彼の9歳の娘であるアリッサとの事件があったと言いました。土曜日の体操教室で彼女を迎えに行った後、彼は地元のレストランで昼食のために彼女を連れ出しました。これは、2人が一人で一緒に過ごすというまれな機会です。アリッサはロジャーの母親が最近プレゼントとしてくれた手編みのセーターを着ていました。アリッサは昼食の途中で誤ってトマトジュースを一杯倒し、それが彼女の新しいセーター全体に行き渡りました。ロジャーは怒って反応し、娘の不注意を非難した。アリッサは謝罪しようとしたが、ロジャーは怒っただけだった。最終的に、彼女はすすり泣き始めました。 「あなたがすることは私に怒鳴るだけです」と彼女は涙の合間に言った。 「なんでそんなに嫌いなの?」まるで彼女が彼の心にナイフを置いたかのようでした、とロジャーは私たちに言いました。すぐに、彼は自分が過剰反応したことに気づき、アリッサに仕事で感じたすべての欲求不満と不安を取り除きました。さらに悪いことに、彼は自分の娘が自分の行動について正しいことに気づきました。彼らが一緒に過ごした比較的短い時間で、彼はしばしば批判的で彼女に焦りました。彼がそれについて話すほど、彼は同じことが彼の若い娘と彼の妻にも当てはまることに気づきました。おそらく、彼は私たちに言った、彼の同僚は彼の行動について何かに取り組んでいた。