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2021-06-16

シナリオゲーと抜きゲ

シナリオゲーが好きな人間に対するコンプレックスってどうしたら解消できる?

刹那的快楽の瞬間最大風速をもっと高めてくとか?

いや、別にどうでもいいか

暇だからどうでもいいこと考えてるだけでした

かったるいなあ

追記

いろいろ分かった

基本抜きゲーでいつのまにかシナリオも読まされていているようなやつだと罪悪感無くて良い、さっき好きなエロ漫画見て思った

楽しく学ぼう的なやつ、動機づけまでしてくれてるようなやつ

そこまでしてもらわないといけないほど脳の回路って脆いと思うし、そういった技術があるなら頑張って欲しいし頼らせてほしいし、自分でそういうように仕向けていかないといけないんだな

2021-06-15

40過ぎて出世の道が絶たれ気力体力ないので死ぬ前に

俺は、死んだ。

 出世の道が絶たれ、徹底的に、かつ象徴的に干されたこともあり、社内における俺のキャリアが、いや、20年積み上げてきた「俺そのもの」が死んだ。

 金銭承認欲求のためだけに、仕事をしてきたわけではないが、所属するコミュニティにおける評価立場仕事を失うということは想像以上に精神がえぐられるもので、アイデンティティーが無に帰するには十分なものだということを、深く知った。

 残りの社会人生活25年、社内において自分が今後どう立ち振る舞っていくべきか。改めて、自分にとって仕事が何なのか、考えてみる。

 俺が仕事する目的は、主に以下の四点に集約される。

1.作業に没頭して充実感を得るため

2.人とワイワイつながり快を得るため

3.日々成長し続け、自己実現を図るため

4.社会貢献を実現するため

 これらは当然、評価収入に直結する類のパラメータではない。

 ※結果的に影響することはあるだろうが

 これらは、仕事自体を、QOLを向上させるための手段として位置づける考え方だ。年収が多少上がったところで、QOLはさほど変わらないため、世間一般的指標無視する。

一体、今まで何をしてきたのだろうか?


 ここであることに気がついた。自分場合上記4項目のうち、何1つ実現できていないという残酷事実に。要は、この二十年間、仕事の仕方をずっと間違えたまま生きてきたのだ。

 ただ漠然と、ひたすら効率的業務改善しつつ、作業を推進し社内や顧客から評価を得て、ひたすら目の前の仕事の成果を挙げ、出世して、年収を上げる、等といった働き方しかできなかった。無能社畜である

 今、改めてこれを見てみてみても、僕はこれらに何の価値も見いだせない。

 今後は、一つ一つの仕事について、上記4点の観点をどれだけ満たせているかをチェックすることにする。キャリアが死んだ今、社内政治ではなく楽しさに重点を置いて取り組むことが肝要なのだ

 ここまで書いておいてなんだが、当然、人生仕事がすべてではない。他で人生の活路を見出すことも考えた。例えば趣味だ。

 趣味に生きようと、誇りを被った楽器を出してきたが、全くやる気が起こらない。

 要は、俺は何がしたいのか。仕事も遊びも、残りの人生で何がしたいのか。

 「うぇぇえ!楽しいなあ」

 これなのだ。これだけでいいのだ。最期タンパク質の塊になるだけ。

 楽しかった(無論、刹那的意味でなく)記憶、それだけが最期に残るのだ。

 だから俺は残りの人生、この「うぇぇえ!楽しいなあ」だけを、ひたすら追い求めていく。

2021-06-06

anond:20210606231259

俺の周りだと郵便局員になった奴が

延々とゲーム麻雀だと遊び続けていたけど

なんだか自分人生に見切りつけて刹那的に生きてるような感じで

中年になってきて本人も幸せそうじゃなくなってきてる。

もちろん未婚

2021-06-02

明らかにやる気0なのに社交辞令言い訳に嘘の口約束されると軽い約束でも嫌な気持ちになるけど、自分もしないとは言えなくて苦笑

こういうのは定型句用意しておかないと刹那的に角の立たない楽な嘘に流れてしまうな

2021-05-22

anond:20210521075014

インターネット過疎地の素朴な疑問を目ざとく見つけてきて、集団で取り囲んで寄って集って寄り添おうともせずに一方的コメントを浴びせている様子を見て、世間は「これからオタク時代なんだなぁ」と思うだろうか?いや、思うまい

「馬車馬のように働いてモリモリ課金する」というようなモードは、終身雇用保証された昭和ではあり得たのかもしれないが、令和では時代遅れでとっくにオワコン

高齢世代は今更生き方を変えられないのだろうが、若い世代は「さとり世代」とも呼ばれており、全体として見ればオタク的な刹那的で後先考えない消費行動には否定的であることは敢えて言うまでもない。

若い世代の一部(地下アイドルなど)がオタクを受け入れているように見えるのは、ビジネスにて高齢世代接待せねばならない構造があるためで、ビジネスと無縁のオタクは皆無と言っていい。

接待ゴルフならぬ接待オタクだ。接待ゴルフをダサいと感じ、冷ややかな目で見ていたはずの高齢世代が、接待オタクに関しては本気で好きだと早合点して上機嫌になるのだから始末に負えない。

なお科学者科学オタクなのはフィクション世界だけの話であって、空想現実混同するのは両者の区別がつかなくなっている証拠であり、オタクコンテンツ危険性を証明している。

2021-05-12

anond:20210512153726

ゲーム面白いかどうかで判断する人はそう思えるけど、実際は刹那的な「俺つえー」を味わって終わりたい人が一定する存在する。虚しかろうが楽しくなかろうが、それが目的ではないんだよ。そもそも目的も無かったり時間と金節約したいだけってこともある。

2021-05-01

anond:20210430131931

あのね、さっきもちょろっと書いたんだけど、そもそも推し文化とか萌え語りとかそもそも腐女子女子オタクのもんなの。で、オタクの中心地になってしまったツイッターのメイン層は主婦を始めとした女オタク(どこで統計とるかによるだろうけど、バズワードで腐ったものドルオタが多いのは言うまでもなく女の勢力が強いせいです)。であり、ツイッター=女の社交場になっちゃってんのね。だからそこのオタクのメイン層が萌え語りなんて女っぽい物になるのは必定で、男オタクは潜んであいつの絵がうまいだの下手だの、この物語深読みはどうだとか言ってます。だたそういう層は女文化化したツイッターでは「重たい」存在しかなく。そういう奴らは「重い」「気持ち悪い」などという言葉でバッサリ四捨五入される。そういうことです。

5chを引き合いに出せば、むかしのPixivスレのような場末感あふれるさいとうなおきスレなどは、滅んだかと思われるイラストの腕前だけが大事人達が集まるおかしな(いろいろな意味で)場所だったりします。逆に同人ノウハウ板などでは「ツイッターと同じような」ABカプがどうの、萌語りがどうの、解釈だどうのという、心底どうだっていい話が延々と繰り広げられており、完全に同人界隈が女の持ち物化していることが伺えます愚痴スレ悩みですら地雷カプのことですから病気と言ってもいいでしょう。5chはツイッターのような全体性がなくクラスタごとに分かれますので、人種が男女別であることがより鮮明に映し出されます。男オタク萌え語りしてるやつなんてまるでいません。そんなこと四六時中やってるのは女オタクだけです。

追記

オタクは従来型あるいはアーキタイプ的なオタクにすげ変わる形で、あるいは忌避する形でじわりと侵食してゆきました。コミュニケーションはもともと女の得意とするところですし、コミュニケーションの取れない女は男より深刻に阻害されますコミュニケーション馴れ合いは女の本能と言ってもいい。故に緩やかなつながりが可能だったツイッターは次第に交流するやつか神以外は村八分、というギスギコミュニティへと変化していったものと思われます。かかる女の方たちは何かを極める姿勢を嫌いますし、裏付けや細やかさを鬱陶しいものとして認識します。はてなの重箱の隅的な姿勢など彼女たちには鬱陶しい以外の何物でもないでしょう。軽く消費して軽く捨てされるものを選び、自らよりも刹那的対象(例えばBL)にこころを預けて自分をどこかに放置してしまます。その試みはまるで、自分アイデンティティ他人に放り投げて依存してしまうようにすら受け取れます。そうした人達が作るコミュニティ共依存的になるのは当然ですし、あの人達自分に対する愛や、リアルに対する愛を幻想に向けて全力放出することで逆説的に自我を保ってるだけのように思えます

ichigocage すごい偏見を見た。

実例事実をあげてるだけですが?

バズワードの大半を女オタクジャニオタが占める現実をどう弁解するおつもりで?

nost0nost 自分の半径1メートル世界のすべてだと思ってるアホの典型

自分の半径というより検索からTL見てんだから間違ってないよね

頻出ワードジャニーズ声優って傾向も全然間違った指摘じゃないし

アホじゃねえの?

sirobu "バズワードの大半を(略)"Twitterトレンドなら新情報出た時の男性向けソシャゲも多くね?

冷静な意見どうも。しかしその層と萌え語り層はかぶりませんし、ABだの解釈だのカプ云々とか言ったりもしてませんね。

logic 昔よく見た「ガンダムは男にしか人気がなかった」の反転だな。自分の見たものけが世界のすべて。相手性別が分からない場ではどっちが多いかなんて分からない。

全文読んで得ない典型と見た。

daisya さいとうなおきってモンスター描きから転向して萌え萌え女子ばっか描いてる人でしょ。イラストの腕だけが大事ってイメージじゃないな。5chは見てないから知らんけど。ミリしらお絵描きツイステ編が面白かった。

そこは説明足らなかった。というかあの人自体の人となりは本文と無関係なのでそこ突っ込まれても。あの人自体は売れたい人ってだけかと。

神以外は村八分、というギスギコミュニティへと変化"あ〜5chの同人スレでもTwitter交流してない所謂壁打ちアカウントは反応いらないだろうからいいねRTさないとか見る…男性オタ界隈はまた違うのだろうか

意見ありがとう。変質してしまった以上女型コミュニティになってるので、この辺はもう変わらない気がします。

もっと比重は神云々より交流するやつ、しないやつというカテゴライズの方にあると思います

強制交流ツイッター本質になってしまったということでしょう。壁だとだいぶ厳しい対応になります

2021-04-25

婚活復帰戦で年齢と容姿が女の価値だということを理解した30代(追記

数年前、一時期婚活をしていた。

マッチングアプリは今ほど隆盛していなかったし、オンライン出会いデジタルネイティヴ世代な割に黎明期寄りの自分マインドとも合わないので活動現場婚活パーティーへの参加が主だった。

当時は結構な頻度で通っていたし、かなり成果もあった。しかし、親の病気自身結婚観の変化が重なり次第にパーティーから足が遠のき現在に至る。

先日、以前婚活で利用していた婚活サイトからお見合いパーティーの無料招待の知らせが届いた。男女比のバランスが悪い回や参加者キャンセルが生じた時にこういう知らせが届く。

普段は気にも留めないが、その日に限ってふと「行ってみようかな」という考えが起こった。

(これは余談だけど、恐らくコロナ禍の自粛生活で人との交流に飢えていた。婚活というより見知らぬ人間と会話したかったのだと思う)

数年振りに参加した婚活パーティーコロナの影響で規模はかなり縮小していた。会話の際は以前のような向かい合わせの形ではなく、横並びで座ったまま会話するスタイルに変わっていた。

挨拶の際に一瞬顔見せするものの、会話中は当然マスク姿なので声が聞き取りづらく不便に感じた。

それでもパーティー自体個人的にはブランクは感じなかったし、見知らぬ他人との会話はやはり楽しかった。

(これも余談だけど、当時は全く気にしていなかったが会場で記入するプロフィールカード女性のみ「得意料理」の項目があるのことが気になった※ちな男性年収

また、そこに違和感を持つ参加者がいないようにも見受けられた。婚活市場の男女観は前時代的なんだなと感じたし、人口減少・価値観多様化する現代においてこの価値観でこの企業大丈夫かと心配になった、大きなお世話だけど)

話が逸れた、ここからが本題なんだけど

結論から言うと婚活復帰戦の収穫はゼロ

マッチングはおろかアプローチカード的なものも貰えなかった。

手前味噌だが、以前は同様のパーティーに参加すればめちゃくちゃモテていたので今日も余裕とタカを括っていたらこのザマ、笑うしかない。

しかし、自分の魅力は婚活無双していた当時より確実に上がっていると自負している。そこそこ稀有人生経験を経て人間的にも成長した、習慣的に鍛えている今の体型が人生ベストに整っている、今の自分容姿が一番綺麗と自負している。この日参加者との会話だって盛り上がった。

じゃあ以前の私と何が違うのか、帰りの電車で1人考えた。服装髪型?少し喋り過ぎた?けれど考えを巡らせれば巡らせるほど当然の結果に行き着く。

自分の年齢が以前より増えた』

それに尽きるのだ。なるほど20代と30代ではこれほど異性から需要に差があるのかと思った。

以前は30人以上集まる会場で上位人気という経験もザラにあった、その時自分は(あくま婚活市場という枠内だけど)人間的な魅力があるから選ばれていると思っていた、私の努力の賜物だと思っていた。しかしそうではなかった、『年齢』だったのだ。

自分がブスと自覚した日から人一倍努力した、おかげで人と比較すればそこそこ美人になった。

礼儀所作も人より整っていると思う、今でも習慣的に本も読んでいる。確実に私は去年よりずっと魅力的になっている。ただ年齢という数字で私は以前よりずっと異性から選ばれない。

なにそれ馬鹿馬鹿しいと思った。

そもそもまれ持った容姿だって年齢だって自身ではどうすることもできない、整形だって限界がある。言わば不可抗力だ。

若い頃は『容姿』歳を重ねれば『年齢』

そんなもの自分を値踏みされて自尊心を削られ続ける女としての生き方に何の価値があるのかと思った。つくづく結婚に向いていない思考の女だと思う。

とはいえ、優秀な子孫を残そうとする生物本能という観点から捉えても男性が若く美しい女性を望むことは至極合理的で当然な選択だと思う、そこを責める気は一切ない(私は子を持つ気はないけど)

人間価値不可抗力以外の場所にある。それは刹那的に生きてルッキズムに囚われていた10代と20代前半の自分があったからこそ胸を張って言える。

ただ恋愛市場婚活市場における『価値』は圧倒的に『不可抗力』な側面が大きい。それを今回理解した。この知見を肌感覚で得られたことは大きい。

これは決してネガティブな話ではなく

恋愛/婚活市場での価値を失いつつ(もう失っているのかも)ある人間がそこを自覚してふっきれた時、人生はもう一段階面白くなるのではないかと感じた。努力ではどうにもならない事象に囚われることは無意味だ、投資する必要はない。

この市場で私はもう定年に近いが、人間年齢では私はまだまだ若いのだ。何にだって投資できる、オラわくわくすっぞ状態なのだ

男性の30代の市場価値はまだ高いので彼らがこの境地に至るのは肉体がもう少し衰えてからなのだろうと思うと、30代で前半でここに至った私(女)はラッキーなのかもしれない。

最後経験からアドバイスだけど本気で結婚したい人は市場価値の高い間に婚活を頑張った方が良いよ、突然暴落するからね。

私はもう婚活市場には積極的に戻らないと思う、ただDINKS希望パーティーがあれば一度参加したいかも。

さあ明日から何しようかな

おわり


追記

伸びてて笑った、少しだけ返信

婚活アドバイス

有益情報もあって大変有り難く読ませてもらった。ただ、そもそも今回婚活パーティーに参加したのは冒頭で書いた通り無料招待だった上に「見知らぬ他人との交流に飢えていた」からなんですね。

散々な結果やその後の思考気づきはその副産物子供は望まないので特に結婚に焦ってもないんだなこれが。

20代の頃は漠然とそろそろ結婚しなきゃと思い活動していたけれど、今は結婚という形にこだわる必要すらないと考えている。

30代独身女として”わきまえろ”と言うならそんな市場もこコミュニティも願い下げですね。

(ただ、一回の復帰戦で損切り決断するのは早い/戦う市場を間違えているというコメントは「たしかに」と思った)



②『お見合いパーティーの場で子供がいらないと言ってしまうことが原因、子供が欲しくて参加している人が多い』


百も承知お見合いパーティー時に子なし希望は言わないよ。数分の会話で初対面の人間に語れるほど軽い覚悟じゃないもの

ただプロフィールカード子供に関する欄がある場合は正直に書いていたし、最低限のマナーとしてマッチングした相手には一回目のデートまでには告げることをマイルールにしていたよ。


③ 頑張った分だけ人の魅力は増えるのか

他者評価に関しては一概には言えないが

少なくとも自己評価は上がる。本来自己肯定感理由なんて不要だけど、例えば筋トレなら引き締まっていく身体という目に見える裏付けが上乗せさると自己肯定感は爆上がりするよ。(筋トレは良いぞ)

仮に失敗したって”努力した”過去は消えない、その人間過去は誰にも奪えないと「夜と霧」のヴィクトール・フランクルも述べていた。

まり頑張り続ける限り人間の魅力は確実に上がるし、誰が何と言おうと私は昨日の私より魅力的なのです。



20代からって全員が無双できるわけではない

それもそうだね、元婚活無双女の婚活パーティーアドバイスとか書いたら需要あるかな

市場において年齢という最強のアドバンテージを持つ20代女子なら戦略次第で無双は余裕よ、婚活パーティー戦場だ。それに不特定多数人間と会話する経験はなかなか勉強になるし、刺激的で楽しいよ、頑張ってね。

返信おわり

では、またどこかで

2021-04-19

anond:20210419171968

まともな社会人はそんな刹那的思考はしない。

我々は何が起ころうとも、やるべきことをやらなければならない。

2021-04-17

anond:20210417171634

ノスタル爺のように言わんでも…

人間関係なぞ刹那的ものだ、ということと受け取りました、ありがとうございます…!

2021-03-28

anond:20210328110320

そうだな

現実無視しながら現実を殴って刹那的スッキリして満足する人間は存外多い

2021-03-27

anond:20210327160549

90年代アニオタ「食費を削ってアニメグッズを買う」

00年代アイドルオタ「食費を削って推しCDを買う」


根っこはこれと同種な気はする

ただソシャゲに突っ込むのはオタク的な散財より刹那的な感じするし、

(きっと反論もあるんだろうが)

目を覚ませと言いたくなる気持ちはわかる

2021-03-15

anond:20210315141634

そりゃ刹那的な一瞬の幸せじゃ満たされるわけないという当たり前のことじゃ

2021-02-01

ドーナドーナやりたい

しろ二次元美少女になって訳わからん男に拉致されてハルウラレしてドロドロになりながら惨めな思いに打ちのめされたい

君もそうだろう?

からせ――いや、分かり、たい。

そういう動物的、刹那的衝動を抱えて生きている、それが僕たちなんだ――違うかい

2021-01-29

anond:20210129183401

その行動の影響を予測出来るだけの情報を得られる環境が無かった

未来への希望より刹那的欲情を優先させる程度には明るい将来に予測を持てないのは社会が悪い

ほら1分考えただけでもいくらでも御託が並べられる

想像力が足らないよ

あらかじめ断っとくけど俺がこう思ってるなんてこの文章にはどこにも書いてないからな

2021-01-25

三日坊主理由を見つけた

自分がいわゆる三日坊主人間である自覚はあったけど、この年になってやっと理由というか三日坊主になる流れがわかったので書く。

1.やりたいことを想像する

基本的怠惰人間なのでやりたいことにすぐ取り掛かるようなことはしない。まずは頭の中でイメージトレーニングをする。

例えば「毎日日記を書く」とか。最初は実際に書くことはせず「今日だったらどんなことを書こうかな」「日記帳はどんなのにしようかな」と想像をふくらませる。この時が正直1番楽しい

2.やってみる

想像を膨らませてやりたい気持ちが最高潮に達したとき「今ならやれる!」と思って取りかかる。

実際に日記帳を購入し、日記を書き始める。なんで日記を書き始めたのかとか日記帳を選ぶときどんなことを思っていたかとか、初日たっぷり書いて満足感に浸る。

3.意外と続く

2日目、初日の文を読み返してまた満足感に浸りながら日記を書く。

3日目、自分三日坊主なことを自覚しているので「3日続いてるぞ!」と興奮しながら日記を書く。

4日目、5日目……「三日」坊主とは言うが、本当に3日で終わることはあまり無い。大体1週間くらいは続く。

4.イレギュラー発生

毎日寝る前に日記帳を開いて書いていたが、今日仕事が遅くなってしまった。明日も忙しくなるから早く寝なければいけない。だから今日の分は明日書くことにしよう。

そうやって理性的に1度サボる。うっかり忘れるのではない。仕方ない理由が発生し、ちゃんと考えて休むのである

5.分岐点

この日の行動が今後を決める。

今日仕事が遅くなってしまった。「また明日、昨日の分も合わせて書けばいい」と思ったらそこで終わり。永遠にそれの繰り返しになる。

「2日連続で休むのは良くない。何でもいいから書こう」と思ったら少しは救いがある。ただししっかり書こうとしてはいけない。書いているときに疑問を持ってしまう。「なんでこんな大変な思いをしながら日記を書かなければいけないんだ?」そして翌日にはもう日記帳を開く気にもならなくなる。

今日も良い1日でした』それだけ書けば良い。

6.復活のチャンス

日記を書かなくなって数週間もしたある日、突然また日記を書きたい欲に襲われる。

そこで①に戻れば日記を再開できる。

①をすっ飛ばして②に入っても復活のチャンスはある。コツは空白を埋めようとしないことだ。空白を埋めようとすると、本当に3日分くらいで辞めたくなる。今日のことだけ書けばいい。

⑥に書いたように三日坊主はなぜか突然一度放り投げたものを再開しようとする。再開するその時はまた三日坊主になることを想像していない。でも賭けてもいいけど、また同じことの繰り返しになる。

三日坊主人間刹那的生き方をしている。未来自分がコレを続けるかどうか責任を持たない。過去自分が課した課題をこなす義務は無いとしている。ただただ今やりたいことをし、今満足できればそれで十分なのだ

2021-01-23

X日後に死ぬ

◎前置き

X日後に死ぬことが分かっているとしたら、僕は残された日々をどう過ごすだろうか。

いくつかの仮定を置いたうえで思いついたことを書き連ねてみる。

・X日後に死ぬことは確実であり、僕はその事実を受け入れている

 この前提がなければ、僕は何とか生き延びる手段を探すだけで、残りの時間を使い切ってしまうかもしれない。

死ぬのは僕だけである仮定しよう。

 何か災害天変地異で多くの人が死ぬわけではないということだ。僕以外の人々や環境は、僕の死以外は何一つ変わらず日々が続く。そのため、他の人を救うために時間を費やす必要もない。

 この2つの前提を置くことで、僕は残りの時間純粋自分が満足するためだけに使うと想定する。

◎1日後に死ぬ

 平日なら、仕事を休まなくてはならない。仮に大事仕事があったとしても、何かと理由をつけて休むだろう。残念ながら、僕にとって今の仕事は、24時間しか残されていない状況で時間を割くには及ばない。事情説明して別れを惜しむほど、会社の面々とは親しくない。みな僕の死を知ったら驚くだろうと思いながら、事務的部長有休申請を行うまでだ。

 明日死ぬと思って毎日を生きよう、そんな格言を聞いたことがある。そう思うことで、本当に望むことに取り組むことができるという意味だそうだ。しかし、本当に1日しか残っていないとしたら?できることはあまりに少ない。選択肢はとてつもなく刹那的になってしまいそうだ。僕には好きな友人や家族はいるが、特別日々を一緒に過ごす類のパートナーはいない。仮に恋人や妻がいれば、最後の1日を普通に過ごして見送ってもらうだけで終わるかもしれない。だが、そんな相手はいない以上、個人的に満足に過ごす方法を考える必要がある。

 僕はきっと24時間を一人で過ごすだろう。もうすぐ死ぬことが分かったうえで、友人を呼びつけて一緒に過ごしてもらう気まずさには耐えられそうにない。両親との関係は悪くないが、この状況では会うには気が引ける。そんなことができる距離感相手なんて、それこそ恋人か妻か子供ぐらいしかいないのではないか。残念ながらそんな相手はいない。誰かに電話くらいはするかもしれない。でも、友人には普段電話などしないので、何か問題ごとでもあるのかと勘繰られてしまいそうだ。何かの用事にかこつけて、母親の声でも聞ければそれで十分だろう。

 最後の1日を刹那的快楽のために使うか、何か意味のあることに使うか、悩むところだ。刹那的快楽を得るならば、とにかく美味しいものを食べるとか、綺麗な景色を見るとか、性欲を満たすとか、そんな過ごし方になるだろう。できるなら最後食事は美味しいものが食べたい、でも一人で食べるなら何でも一緒に感じてしまう気もする。そもそも残り時間を考えれば、栄養にもならない食事時間と労力を割くのはもったいない食事に限らず、もう何も思い残すことがないと思えるほどの快楽なんてあるのだろうか?どんなに刹那的快楽を満たしたとしても、最期の1分1秒には、どこか虚しい気持ちになってしまうのでは?

 そうだとしたら、死ぬ瞬間に満たされた気分になる1日の使い方とはなんだろうか。やはり「善いことをした」「この世界に良い影響を残した」と思うことで、自らの人生肯定できるようになることではないか。残念ながら、僕が仮にこの文章を書いている今この瞬間に死ぬとして、僕は何かこの世界のために役に立ったのかと問われると、自信をもってイエスとは言えない。たいして他人迷惑をかけずに生きているという自負はある。しかし、周囲との干渉が少ない故、特別人助けをしているわけでもない。仕事だって給料に見合う働きを提供するだけの等価交換で、社会に対してプラスを与えている気はしない。そんな認識を塗り替えるようなことが、24時間で成し遂げられるだろうか?

 一つ、すぐに取り組めそうで最も「自分が」やる意義がありそうなことは、近しい友人たちに手紙を書くことだ。僕は29歳で、同年代の友人たちの多くは、若くして死ぬということに実感がないと思う。僕自身もそんな実感はない。そんな友人たちに向けて、身近にいる人間として、心を込めたメッセージを残せば、きっと彼らは限られた生を実感して、より有意義に過ごしてくれるのではないか。そう思いながら昇天するのは悪くない気がする。

 一応、死因は自殺ではないことが皆に分かるように手配しておきたい。僕の世代の死因に占める割合自殺が多いはずなので、事情を知らない人には勘違いされる可能性もある。僕自身はこの際どう思われても構わないが、勘違いのせいで周りの人が嫌な思いをしてしま事態は避けたい。

◎1か月後に死ぬ

 1か月は新しいことを始めるには短いが、1か月はちょっと長い。休まず有意義に使い切ろうとしたら息が詰まりそうだ。それでも、1日でも労働に費やすのは惜しいと思ってしまう。やっぱり仕事は無理やり辞めるしかない。お金必要でないのなら、働かないに越したことはない。そもそも現状で何故僕は、嫌だと感じている労働に多くの時間を割いているのだろうか。

 別にかに命令されるわけでもなく、僕は自分意志一挙一動選択してきたはずだ。その積み重ねで生きてきたはずなのに、何故不本意な結果となっているのだろうか。僕は必要に駆られて働いているのであって、労働から精神的な充実を得られると期待するのが筋違いなのかもしれない。とはいえ身の回りを見渡してみれば、仕事を楽しんでいる人はそれなりにいる。今の職場就職した理由に思いをはせると、僕は仕事の内容や会社の状況について多くの誤解をしていた。さらに言えば、自らが求めているものもよく理解できていなかった。分からないものが多すぎたので、正しい選択ができていなかったのだ。そして、今も自分が求めているものはよくわからない。

 1か月もあるのなら、できるだけ面倒を残さないように、いろいろな手続きを済ませておきたい。仕事を辞めて、部屋を片付けて、もろもろのサービスを解約しておけば、あとに残された人も困らない。ついでに恥ずかしい日記処分しておこう。あと、年に1度ぐらいしか帰省はしていなかったが、顔ぐらいは見せておこうと思う。

 口座に200万円はある。これを一体何に使えばいいだろう?1週間で使い切るとすれば、なかなかの贅沢ができる。どうせならぱーっと使ってしまいたい。僕の貯金社会に影響を与えるには雀の涙すぎるし、このお金寄付するほどの聖人ではない。それに、個人的に残してあげたい相手がいるわけでもない。しいて言えば、会社勤めをしながらイラストレーターの夢を追う弟にはちょっと残してあげてもいいだろう。全部残すと重たいし、あぶく銭は彼のためにもならないかもしれない。残高を気にせずに、旅行したり、いいものを食べたりして、残った分は弟に渡すくらいでちょうどいいかもしれない。

 僕はかねてから死ぬ前に一度バンジージャンプに挑戦してみたいと思っていたが、1か月のうちの半日ほどを費やすに値するほどではなさそうだ。リストに入れるべき項目は、手紙を書くよりは重要でなくて、バンジージャンプよりは重要なことにしよう。残り1か月があるなら、無理を言ってでも友人たちに会って、直接思うことを伝えることができる。

 そういえば、残り24時間しかない場合を考えているときは、お金のことには思い至らなかった。僕にとってお金は最優先事項ではないのかもしれない。ある程度長い期間生きるとして、なくてはならないものであって、それ以上のものではないのだろう。少なくとも、残されたお金の使い道を考えながら死にたくないとは思う。

◎1年後に死ぬ

 1年残っているなら、少しはきれい仕事を辞めてもいいかもしれない。2週間ぐらいは引き継ぎに費やしてもいいし、そのほうが残りの1年間をすっきりした気持ちで過ごせるだろう。残りの期間で仕事関係者に出くわす可能性が上がるので、あまり気まずい思いをせずに済ませたい。これくらいの長さがあると、「将来のために今は多少我慢をする」といった発想が生じてくる。

 きっと、仕事を辞めた理由を誰もに聞かれるに違いない。親しい人たちには正直に話すほうが良さそうだ。残り1週間ならともかく、1年間あれば段階的に別れを受け入れることができる。何度か会ったとしても、そう重苦しい雰囲気にならずに済みそうだ。でも、どうやって伝えたらいいのか分からないし、伝える瞬間の気まずさに耐えられなさそうだ。Twitterにでも書き込もうか。

 貯金を取り崩すだけでも、何とかやりくりして生きていけるだろう。まず、会社に行かなくていいなら、家賃はできる限り節約しよう。決して余裕があるわけではないので、計画を立てて、慎重にお金を使っていくことになるだろう。食事だってそんなに贅沢はできない。それでも、僕にとってはお金よりも時間のほうが大切であって、贅沢をするためにより長く働こうという発想にはならない。

 1年もあるならば、全く新しいことを始めたとしても、何かを成し遂げられる気がする。果たして僕は特別に何か成し遂げたいことがあるのか?と考え始める。そして、今までの日常の延長線上でしか考えられないことに気づく。思うに僕は無趣味なのだ無趣味な故、急に働かなくてよくなったら、何をして過ごしたらいいのかわからなくなる。働きながらだって休みはあったけれども、寝て体力を回復したり、家事をしたり、友達遊んだり、ランニングしたり、漫画アニメをダラダラと見たりしていたらあっという間に時が過ぎた。漫画アニメを見るのは好きだが、あと1年で死ぬとしてずっとそれに時間を費やしたいとはあまり思いつかない。それはリラックスを兼ねた娯楽であり、積極的に取り組んでいるというよりは、消去法的な時間の過ごし方だった。

 もともと、人生を捧げられるような対象が欲しいと思っていた。しかし、そんなものは見つからず、とにかく生活のために労働し、疲労と惰性で考え事をするのもままならず、暇な時間ができたら途方に暮れる有り様だ。そんな対象がなくても、愛すべき人がいて、その人と過ごすだけで楽しく満ち足りた日々になるなら、それまた幸福だ。しかし、1年しか残されていないのが分かっていながら、新しく親密な関係相手を探すのは残酷めいている。残される相手のことを考えると、残り1年で愛すべきことを見つけるなんてハナから期待すべきでない。

 愛する人もいないし、やりたいこともない。そんな自分の現状は不甲斐ないが、ないものはないので仕方ない。とにかく何がしたいのか考えてみよう。かといって急に机に向かって考え始めたからといって、何か思いつくわけではない。12か月もあるのだから、1か月ぐらいは思い切って、考えるために時間を使ったっていいではないか。いったん、何もかも放り出して、どこか海沿いの旅館にでもこもって何をしたらいいか考えることにしよう。それ以上のことは今は思いつかない。

10年後に死ぬ

 10年間生きるならば、すぐに仕事を辞めるわけにはいかない。自分がやりたいこととは別に生活費を稼いでいくということを主軸に据える必要がある。仕事をどうすべきか、という問題に正面から向き合わなくてはならない。この問題については、大きく二つの方向性を考えることができる。一つは、多忙でもハードでも、とにかく給料の高い仕事転職してお金を稼いで、一日でも早く仕事を辞めようとすること。もう一つは、仕事をしている時間無駄と感じずに済むくらい、意義のあるものにすることだ。残念ながら、現状の仕事はどちらにも当てはまらず、ただ金を稼ぐため、辞めて履歴書に傷をつけないために惰性でぶら下がっている状態だ。よって、残り10年間を前提とするならば、すぐにでも転職活動をして、より有意義時間を過ごせるようにしたい。

 例えばかなり無理をして、3-5年間ハード場所で働いて、残りは働かずに暮らせるのなら、悪くはない。この選択肢は、どう転んでも仕事をすることは苦痛なので、とにかく短期間で済ませるという考え方に基づく。貴重な10年間のうち多くの時間を割くに値するような労働はあるのだろうか?そんなものが見つかりさえするのなら、すぐにでも飛びつきたい。そもそも、そんな仕事があれば、残り10年とか関係なくやってみるべきなのではないか

 10年あれば、適当理由をつけて別れることを前提に、恋人を作ってもそこまで罪深くはないだろう。すべてを語るような深い関係にはならないかもしれないが、一人で過ごすよりは日々に彩りが生まれそうだ。それとも、ふとした瞬間に虚しい気持ちになるだろうか?

◎30年後に死ぬ

 10年ではなしえず、30年かけてしかできないものというのはそう多くはないはずだ。仮に僕が職人か何かで、同じことを一筋やり続けるのであれば、その時間の差は歴然となって現れるのだろうか。そんなことを考えると、今すぐ何かの道に入門して、極めてみたいものだという気持ちが湧くが、僕は飽きやす人間であることをすぐに思い出す。僕はタイムマシンがあればすぐに30年後に行って、知識経験の蓄積による果実を得たいと思う怠惰人間だ。その蓄積の過程自体を楽しみ、こなしていくことができるなら、とっくに僕は何かを身に着けているはずなのだ

 残念ながら職人道を極めることはできなさそうだが、それでも少なくとも2つほどは新たな可能性が思いつく。まず、結婚して子どもを育てることが選択肢に入る、30年あれば、子どもが成人するまで面倒をみることができる。そして、家を買うかどうかも真剣検討する必要がある。

 僕は子どもが欲しいのだろうか?正直、残りの人生の期間について考えなければ、そんなことをまじめに自分に問う機会もなかった気がする。具体的に結婚するような相手ができて初めて、欲しいかどうかを考えればよいと思ったのだ。しかし、成人するまでは面倒を見ておきたいという条件を付ければ、残された時間結構短い。相手ができたとして、すぐに子どもができるかどうかだってからないのだから、30年のうちの最初の5年くらいで、一連の仕込みを済ませておく必要があるだろう。そのような前提を置くと、恋愛結婚は残り時間から逆算したうえで、極めて計画的で無駄のないプロセスで行う必要がある。そう考えると窮屈に思えてきたが、女性であれば出産できる年齢が限られている故、同じような考えを持つのだろうか。一通り考えを巡らせたところで、そもそも子どもが欲しいかどうかすら分からないことに気づく。別に、残りの30年を考えたうえでそれが最優先事項というわけでは無ければ、窮屈な思いをしてまで計画的に「仕込み」を行っていく理由もない。

 30年もあると考えると、途端に今すぐには現状を変えなくても良いかという思いが芽生えてくる。僕は現状の生活に満足しているわけではない。それなのに、変えなくてよいと思うのはなぜだろうか?変化にはきっかけとエネルギー必要なのかもしれない。そこそこのストレス孤独があるにせよ、安定しており、ある種の均衡状態となっている僕の生活を変えるには、何らかの外的なショックが必要なのだろう。

◎53年後に死ぬ

 今29歳の僕は、52年後に日本人平均余命といわれる81歳になる。すなわち、52年後くらいに死ぬという前提は蓋然性が高く、それをもとに人生計画を立てることはひとつ筋が通っている。しかし、正直なところ、年老い自分がどう過ごすかなんて、今から計画を立てるのは馬鹿げている。そこに至るまでの不確定要素が多すぎる。

 とはいえ、一つ考えるに値することは、日本にずっと住み続ける前提で人生を考えるか?ということだ。何せ、この時期までに日本人口は2-3割くらい減る推計になっている。今だって社会保険料と所得税消費税が大きな負担になっているが、今後ますますその負担が増えることは間違いない。5-10年先の未来だけ気にすればよいのなら、別に自分にとっての影響は大きくない。でも、より長い期間を考えると、例えばまともに医療が受けられなくなったり、預金没収されたりするリスクだってあるかもしれない。少なくとも、今現在高齢者が受け取っているのと同等の価値年金をもらうことは全く期待できない。

 僕は家族や友人たちがたくさん住んでいて、最高のアニメ漫画を生み出す日本が大好きなので、できることな日本に住み続けたい。しかし、生活があまりに苦しくなるようなら、泣く泣く国を離れるというのは、世界中のどこにでもある話だ。かといって今すぐに海外移住することが賢明というわけではない。とにかく英語くらいはできるようになっておき、いざとなればよその国でも食べていけるような能力は身に着けておく、それくらいの「投資」は残り53年くらい生きるなら、多少今を犠牲にしてでもやっておいたら老後の安心に繋がるかと思う。

あとがき

 現在僕は、感染症が広がり外に出られない状況で、友人と会う機会も減り、社会とのつながりが徐々に切れていく感覚を味わっている。もともと、仕事に追われて、生活のために生きているような感覚を覚えていたが、そこから抜け出すことを難しく感じていた。一日中家で仕事をして、終わっても何もしたいと思えることがない。あまり空虚自分生活一種絶望を感じている。

 そんな中いつものようにTwitter目的もなく眺めて時間をつぶしていると、「友人は少なくていい、3か月後に死ぬとしたら一緒に過ごしたいと思えるような相手さえいれば十分」というような記事にたどり着いた。そこから着想を得てふと自分生活を振り返ってみると、3か月後に自分死ぬのならやらないであろうことであふれていた。短い間に自分死ぬことを考え出すと、僕は気が楽になった。これは僕自身にとってのセラピーになった。ある種のミニマリズム断捨離に近い感覚で、「3か月後に死ぬのであれば不要」と思えることを生活から切り捨ててみる。例えば僕はいつか読んでおこうと思っていた大量の本をその基準に従って捨てた。すると、僕の人生は前よりも少し方向性が定まったように感じたのだ。

 とはいえ、それと同時に、自分空虚さを改めて実感するきっかけにもなった。自分寿命の想定をどんどん伸ばしていくほどに、可能性は広がっていくはずなのにやってみたいと思うことが思いつかないのだ。まるで、遠方ほど霧が濃くなっていくような感覚だ。この問題は僕が、「いつかは役に立つだろう」と思われる仕事資格勉強時間を費やしがちだったことと関係があるかもしれない。その時々に自らの欲求に耳を研ぎ澄ませてこないできたら、欲求をとらえることができなくなってしまっていた。

 平均寿命から想定して、老後の安心や家庭を持つ可能性なども考慮した貯金やらライフプランとやらをある程度は考えなくてはならない。それでも、僕のようなタイプ人間は、3か月後に死ぬというぐらい過激な想定をしてでも、素直に最もやりたいと思えるようなことを考えていくべきでは、というのが今のところの結論だ。

 僕の文章は思いつきを並べただけでまとまりのないものになってしまったが、もっと多くの人にこの思考実験をやってもらって、その結果を読んでみたいと思う。ぜひこれを読んだあなたも試しに3か月後に死ぬとしたら何をするか考えて、記事を上げてみてほしい。

2021-01-15

転売がなくなるわけないんだよなぁ

なぜネットユーザー絶対正義であるかのように転売を叩けるのか?

少しでも考えれば転売を叩ける理屈などどこにもないと分かるはずだ。

年金格差

まずは日本という国の現状からだ。

このまま順当にいけば日本格差社会ますます加速していくに違いない。

格差社会の例として年金格差というものがある。

国民年金は年間80万円だが、厚生年金一般的国民年金の2倍以上の金額を受け取ることができる。

なお年間80万円という値は現時点のもので将来はもっと少なくなるだろうと予想されている。

年間80万円という金額でどのようにして生活していけばいいのか?

素直に考えれば年間80万円という金額生活していくことは難しいだろう。

老後資金2000万円が必要だという話題記憶にも新しい。

老人と転売

ではお年寄りは老後どのようにして生活費を稼いでいけばいいのか?

当たり前だが老後の体力の衰えによって体力を必要とする仕事は難しいだろう。

そうでなくとも雇用側の年齢制限によって採用される仕事の幅は狭められている。

仕事の選り好み」以前の段階で雇用側の都合によって生活費を稼ぐことは難しいのだ。

膝の軟骨がすり減って、ちょっと動くだけでも激痛が走る。しかも膝の軟骨は修復しない。

ネットユーザーいくらキーボードをカチャカチャしても、お年寄りの膝の軟骨は修復しない。

気持ちよくテンバイヤーを叩いているネット論客に膝の軟骨のすり減ったお年寄りを救うことはできない。

iPS細胞による再生医療実用化でもされない限りお年寄りの膝の軟骨は修復しないだろう。

その点で転売は体力の都合や面接必要のないという点でお年寄り生活費を得るのには最適だと言える。

転売福祉

日中ネットに張り付いているようなネットユーザーならテンバイヤーホームレスを動員していることは当然ご存知だろう。

ネットユーザーはきっとそれを「ホームレスのような社会的弱者の足元を見る、悪のテンバイヤー」とでも思っているのだろう?

はたしてそうだろうか?たとえつまらない仕事でもホームレスにとっては貴重な収入源に違いない。

君らの職場ホームレスが「働かせてくれ」と頼み込んでも君らは「自己責任」と魔除けの呪文を唱えながら無碍に断るのだろう?

そうなると転売はもはや福祉なのだ

自助努力とやらを推奨するのは国家方針ではないのか?

転売のはびこる世の中は、さながら羅生門のようだ。

転売or死

ネットユーザーは「年金生活できないのなら、生活保護受給すればいいじゃないか」などと安易に発想するかもしれない。

生活保護バッシングや水際作戦の厳しい現状では生活保護受給できずに餓死するパターンもあるのだという。

生活保護受給するにはノーガードであることが求められ持ち家を手放すだけでなく保険をも解約することが求められる。

生活保護転売についてだが生活保護受給する際には贅沢品は手放さざるを得ない。

転売可能なグッズはケースワーカーによってことごとく強制的二束三文転売されるのだ。

いくら口では転売を憎んでいると言っても社会的なパワーによって有無を言わさず転売することを強いられる。

転売or死。これが現実

転売と将来の展望

転売を叩いているものは、恐らくは富裕層で将来は十分過ぎるほどの年金を貰えるに違いない。

まさか、将来年金が年間80万円しか貰えないフリーター転売を叩いているなどということはあり得ないだろう。

富裕層自分自身の安定した生活を確保した上で「最後は大好きなグッズに囲まれ大往生したいなぁ」などと企てているのだ。

転売によって大好きなグッズが手に入らないくなるから転売は悪なのだ

年金格差という現実がまるで見えていない。

いや、あるいはすべてを見通した上で「下々の者達の生活など知ったことか!」とまで考えているのかもしれない。

だが現実には純粋に悪意なく「転売は悪いことだから悪いんだ」などとトートロジーを浮かべて悦に入っているのだ。

ところでグッズを欲しがっているのが将来になんの不安もない富裕層だけなのかというと、どうやらそうでもなさそうである

実際には富裕層よりも年間80万円勢が後先考えずに刹那的にグッズに浪費しているのだろう。

マジレスすると年間80万円勢はグッズをゲットしようとテンバイヤーとバトってるような場合ではない。

年間80万円勢が身の丈を考えて将来のために貯金するようになれば民草は転売に怯える日々を過ごす必要もなくなる。

そしてTENBAIは世界語に

さらに!もうひとつ悪いニュースがある。

一般的には90年台にフリーターというライフスタイルが登場したとされる。

1990年に18歳だった若者は、今年で48歳になる。

あと、20年もすればこれらフリーター世代年金受給者となるだろう。

そうなれば年金格差という「現実」が重くのしかかってくるわけだ。

年寄りの賢いライフハックとして転売が今まで以上に盛り上がることはまず間違いない。

年金格差が解消されていれば話は別だが、それは希望的観測しかない。

今、街を歩いている老人はなんだかんだで正社員終身雇用だったから十分な額の年金をもらっているのだ。

本当の年金格差時代、ひいては本当の転売時代はまだ訪れてはいない。

君らもゆくゆくは転売に堕ちるほかない。抵抗無意味だ。

転売(TENBAI)が世界語として通用する日もそう遠くはないだろう。

世界中の人々に日本が誇るTENBAIの名を知らしめてやるのだ。

アンチ・テンバイヤーがテンバイヤーに変わる

今、転売を痛烈批判しているもの(アンチ・テンバイヤー)も、いざ自分自身経済困窮に陥ったら、まず真っ先に転売という発想が脳裏をよぎるのではないか

今は良くとも、70代、80代になったらどうか?

まさかせっせとかき集めていた大切なグッズを転売するなどということはあるまいな?

どうせ、いざという段になったらマッハで手のひらを返すに決まっている。

いや、それどころかアンチ・テンバイヤーほどテンバイヤーとなる素質を備えているのだ。

人々の想像するであろうテンバイヤーVSアンチ・テンバイヤーという構図は誤りであると言える。

アンチ・テンバイヤーが成長してテンバイヤーになるのだ。

テンバイヤーになる素質のない人々は、テンバイヤーを敵視してはいない。

テンバイヤーへの敵意には少なから嫉妬も含まれているのだろう。

仮想通貨はやめとけ

ちなみに「仮想通貨で老後資金を得ればいい」などという甘言を囁くものいるかもしれない。

だが、考えなしにこのような甘言に乗ってしまえば待っているのはより一層悲惨な末路だ。

仮想通貨では税金が発生することに気づかずに高額な税金を支払えず自己破産するパターンがあるのだ。

さら自己破産した場合でも税金は非免責債権なのでチャラにはならない。

読者のみなさんは紀元前哲学者ディオゲネスをご存知だろうか?

貨幣偽造の罪で奴隷身分とされてしまった、あのディオゲネスだ。

自己破産でも取り消せない負債を負ったものさながら現代ディオゲネスとでも言うべきだろう。

下手に仮想通貨になど手を出してしまえば国家威信をかけて嫌がらせされてしまう。

なぜなら通貨発行権とは国家威信のものからだ。

紀元前現代、根っこのところはなにも変わっていないのだ。

よほど知識自身があるのなら話は別だが素人が触れるべきものではない。

インターネットで甘言を囁くものは、ただ情弱養分還元したいだけなのだ

転売

それで「君らは転売しないつもりなのか?」というところに話を戻そう。

転売行為批判しているものも「金に困ったときはグッズを金に換えよう」そして「それは転売ではない」とでも考えているのだろう。

表向きは転売批判しているようで内心では手持ちのグッズにプレミア価格がつくことは満更でもないのだ。

まり「誰も手放さないからめったに市場に出てこない伝説コレクターズアイテム」となることを期待している。

さも社会正義のような体を装っているが、やれやれ結局は損得勘定しかない。

自分が「転売」でものを考えていることすら自覚していないのだ。

しかも未練がましく後生大事に抱えて長年に渡って死蔵した上での転売だ。

金目当てでさっさと手放す転売よりも、よほどたちが悪い転売ではないか

しかも!そういうやつらに限って自分が手放すときはテンバイヤーによる市場価格を参考にするのだ。

いや「思い入れが深い」「手放すのは惜しい」などと言いながら値段を釣り上げるまである

「(金目当てで愛のないテンバイヤーと違って)大事に使ってました」などと悪のテンバイヤーマウントを取りながらいけしゃあしゃあと値段を釣り上げるのだ。

常識的に考えて商品に無関心でノータッチ倉庫に眠っていたテンバイヤーの品のほうがコンディションはいいのでは?

転売と閉じコン

ところで「グッズを手に入れたい」という一点だけを重視するなら、テンバイヤーのいない状況は理想的ではない。

テンバイヤーさえいれば、金に糸目をつけない覚悟を持てばとりあえずグッズは手に入る。

「本当のファンなら周辺情報を常にチェックしてるから限定グッズなどを見逃して買い逃すことはありえない」とでも反論されるかもしれない。

なるほど正論だ。では、あとからその分野を知ったパターンは?

その分野にテンバイヤーは一人もいないというような状況は果たして本当に理想的だろうか?

金目当てで手放すものいるから、新人がその分野に新規参入することができるのだ。

言うなればテンバイヤー呼び水役割果たしているわけだ。

逆説的ではあるがテンバイヤーのいない分野はおのずと新規参入のない閉じコン(閉じたコンテンツ)となる。

テンバイヤーの有無でそれが決まる。

転売社会悪ですらない。

死後転売

ここまでで普通に生きていれば転売は避けられない定めだと分かったはずだ。

そこで「俺は上位1%上級国民から転売などとは無縁の人生だ」という人々もいるかもしれない。

よしんば鉄の掟によって一生転売しないですんだとしよう。

金持ちほどマンションなど転売していそうなものだが、この際それもないものとする。

グッズの持ち主が死んだあとは、どうする?

死後の世界にグッズは持ち込めない。

遺族によって転売されるか?あるいは遺品整理業者によって転売されるか?

その二者択一しかない。

ただし価値があることに気づかれずに捨てられるということはありうる。

勝手転売されることを防ぐには転売に追い込まれる前に捨てるか、無償で贈与するかしかない。

なお贈与する場合贈与税を支払わなければならない点に注意しなければならない。

その点、グッズと違ってチケット消耗品から気楽で気ままではある。

ただ転売が悪という前提がそもそも間違っているのであってチケット文字通り無駄金だ。

そして貧困層ほどチケットのような後に残らない刹那的用途に金を使うという負の連鎖がある。

転売の種類

いままで「転売」と大雑把に扱ってきたが、転売にも種類がある。

転売話題がこじれるのは転売と聞いてイメージするものに差がある側面が大きい

ネット上で話題となるのは大きく分けて「せどり」「ダフ屋行為」だろう。

他にも「プレゼントとして受け取ったもの転売する」行為善悪が問われることもなくはない。

まず少なくともせどりに関しては「可」としていいのではないか

せどり中古販売なのだから古物商営業許可必要だという議論になることもある。

しか古物商営業許可意味合いを考えるに「盗品販売を防止する」という意味合いが強いのではないか

盗品の可能性のない純粋転売はこの指摘には当たらない。

転売反社勢力

さて転売の中でもチケット転売に限ってはダフ屋行為であり犯罪であるとされる。

それでは、なぜダフ屋犯罪とされているのか?

ダフ屋行為反社勢力資金源となる」というのがよく聞く決まり文句だ。

しかし「芸能界はそれほどクリーンなのか」という疑問が新たに湧く。

芸能人の薬物騒動など枚挙に暇がない。

芸能人交流のあるタニマチとやらの素性は?

反社勢力資金源となる」というまったく同じ理屈でショービジネス自体正当性が危うくなるのだ。

反社勢力云々という言い分はそれほど有無を言わさず通用するような絶対的ものか?

それにやろうと思えば適当な分野と反社勢力を結びつけることはさほど難しくはない。

例えば「仮想通貨反社勢力マネーローンダリングに利用される恐れがあるから全面禁止とすべきだ」と言うことができる。

でもショービジネス文化から保護しなくちゃならないというわけだ。転売とて同じこと。

転売文化

転売ヘイターはこれら文章を読んで、何か思うところはあるだろうか?

否。おそらくは逆ギレして「じゃあ転売法律にて完全禁止すればいいじゃん」などと言い出すに違いない。

なにがなんでも転売禁止しなければ気が済まないわけだ。

よしんば法律にて転売を完全撲滅できても背景が変わらない限り待っているのはより悲惨世界だ。

転売あくまで金目当てであって悪意があるわけでも嫌がらせでしているわけでもない。

そこで全面的転売を一律禁止としたところで転売or死という図式は微塵も揺るがない。

転売ヘイターは「転売するくらいなら潔く死ね」とでも思っているのだろうが。

なぜ転売ときのことがまるで大罪であるかのように扱われ禁止されねばならぬのだ?

転売もまた人の営みであり文化なのだ

文化保護観点から転売行為は認められて然るべきだろう。

転売文化も何も悪いことばかりじゃない。

転売文化によって人々の目利きのセンスが磨かれるという側面もある。

一方で仮想通貨純粋環境破壊といって過言ではない。

人の心を持たない冷たい機械による仮想通貨マイニングによって地球温暖化ますます加速する。

転売か?仮想通貨か?良心ある人々ならどちらを選ぶべきかあえて言うまでもない。

 

インターネットでは転売絶対悪であるかのように扱われているが擁護しようと思えばこのようにいくらでも擁護できる!というお話でした。

2020-12-29

anond:20201229001412

ゼロイチじゃなくて1ポイントずつ減っていくからええんやで。

そもそも余命がほとんどない人間の票の重さと、これから数十年生きていかなきゃいけない人間の票の重さが同じであっていいはずがないやろ。

年寄りの方が数も多いし、それこそどんどん刹那的政治しかなっていかんわ。

2020-12-10

いやマジで友達いなさすぎワロタ

友達がいなさすぎる

まりにも人望がなさすぎる

いやそもそも人間と話が合わなさ過ぎる 学生時代は何故か他人と仲良くしなきゃと謎の強迫観念に駆られて同性を誘いまくってなんとか友達のテイを保ってたが、誘うのやめて向こうからの誘いを何回か断ったら誰からも誘われなくなってしまった

男女の友人関係ちんちんとまんまんが存在する限り無理だと思っているので本当に友達がいないんだよねマジで

SNSもある程度まで見て他人の嫌なとこが気になって絡む気なくなるし

趣味ゲームと草吸って音楽漫画とかなので100%内向的で誰ともすれ違わない

根本的に人間に興味はあるがこちからかまってやるのがめんどくさく、尚且つ自分がめんどくさいときには話しかけて欲しくないといった最悪な性質

なんとか体目当ての異性は釣れるが社会性としてはそこで閉じるよねっていう。

最近読んだアドラー心理学の本には、人間が真に幸福を感じることができるのは社会的なコミュニティの中で存在認知されているとき とあったが

いや無理なんよな~wそれが出来てたら誰も苦労しねンだわ

今はなんとかネトゲインスタント人間関係お茶を濁しているが

それもまんのもの声帯がマシという性的コミュニケーションに胡坐をかいてるにすぎず

オタク同士のゲーム上でしか成り立たない刹那的会話なので相手本質も顔も一切見えず、たまに非常に空しくなってしま

適当にさ、酒飲まん? いやめんどいからいいや

みたいな友達欲しいよ私も

みんなどこでみつけてんの?そこまでの関係を構築するまでの間に崩壊するんだが

友達欲しいけどめんどくて欲しくない

何言ってるかわからないと思うが自分分からん



追記

意外と自分と似たような人が多いと分かった。ありがとう

壁を作ってる、とか他人自分がどこまで受け入れるか~とかあったがまったくもってその通りだと思う

思えば小さいころから一人遊びが上手だった。

兄弟もおらず片田舎で両親は放任主義干渉してくることもなく、すべてが自分の中で完結していたので、他人と仲良くなる過程必要な”自分に踏み込まれてもいい”、”心を許す”みたいな感覚が未だによくつかめないんだよな。兄弟いる人はその辺うまいよね。

壁がある意識がないんだけど(いやちょっとあるけど)壁があるらしいです(これは何人にも言われた)

人に対してああしろこうしろは思わないけど、思わないが故に言われるとストレス関係性を断とうとしてしまう。これってどうすればいいのか皆目見当もつかない。増田達が優しくてちょっとだけ救われたよ。みんながんばろうね。

あと猫は最近飼いはじめたがまじで最高になったので最高。余計外でなくなって友達はいないけども。

2020-12-06

ちょっと前にお金に困って風俗で働いた時期がある。

今はもうやめたんだけど、ちょっと前にお金に困って風俗で働いた時期が数ヶ月あるんだよね。

その時に「風俗嬢上がりで年齢的に売れなくなって、結婚もできなくて、でもまともな職歴いか経営側に行った」みたいな

BBAがいてさ、その人が新人が入るたびに「仕事とは、働くということとは、お客を得るために」みたいなことを語るんだけど、

哀れすぎて泣いちゃった。入店する10代〜20代の娘に「この業界で長く働いてる私がここで働き続けるためのアドバイス」みたいに語るの。

あのさ、みんな何年もこんな業界で働く気ないからw

学生お金がないから、コロナお金がないからとか刹那的お金稼ぎのためだからw

年上だし、下手なトラブル避けるために謙っといたけど、内心鼻で笑っちゃてたw

まともな職歴なくてまともな仕事につけない人生とか哀れすぎるのでそこだけは反面教師として勉強させていただきましたw

2020-11-25

anond:20201125075648

その研究開発、R&Dでイノベーションガー!内需ガー!インフレガ―!ってのは

大和46cm砲ガー、我々シャー◯が1兆円投じた境工場デー、トヨ◯はガソリンエンジンロマン運転する喜びや感動への共感デー、コロナにはワクチンデー、痛みを伴う改革ガー、経済対策にはMMTデー

っていうのと並列でなんも変わらねー感じじゃん

そら金刷って国家総出で教育未来への投資に正しく投資されればちょっとはマシかもしれんけどお前本気でこんな国民たちでそんなこと可能になると思うか?

初等教育やら産ませる前時点でマインドセット環境整備で教育からやり直さないと土台無理なんじゃないの?大人には全国民VRヘッドセットでも支給して強制的毎日時間洗脳教育でもしてさ。

でもそんなことやってたらこの先150年あっても足りねーよ。東ローマだって150年も猶予与えられてたらまた持ち直してたんじゃねーの?MMTって50年もやれるのか?無い国消える国は消えてしまったあとの皮算用をしてもしょうがないだろ。

だいたいこの国は先の大戦で負けた時点から国体として存在してないまであるわ。だから大方アホに見える日本エリートから底辺までそこらじゅうによくいる刹那的生き方してるやつのほうが分析力高くて合理的生き方してるまであると思ってる。

いや俺だって横軸として新自由主義に対しては批判側だよ?

でも縦軸としてそういうお題目万能主義思想は大っきらいだわ。

からってどうなるわけでもなくもうこの国はすでに終わったと思ってるしお前も含めて嫌いなタイプ人間が多いか種族としての日本人は滅んで個としてかつて日本だった属性を背負って子孫たちが細々と生きてくくらいで丁度いいんじゃないのって思ってるけどさ

2020-11-19

十年後にはハラスメントかもしれん……と思いながら猫のお腹匂いを吸って刹那的快楽にふけっている

2020-11-12

anond:20201112131655

そういう刹那的幸福を持ってる方が人間性としては魅力があるとおもうけど。

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