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はてなキーワード: ホームルームとは

2020-11-11

初めて彼女ができた

彼女中学とき放課後友達と一緒に学校の裏手にある階段の所で、日が暮れるまでよく他愛のない話をしたりしてたの。あまり人の来ないところ…とは言え多少は人が通ったりしてたけど、ある時、階段の下の方から男の人がこっちを見てるなーって。ずっと見てくるから不審に思って。そしたら、翌日もその人いるの、こっち見てるの。何だろうって思って。その後も何度か見かけたけど、いつからか全く現れなくなってたのね。そして暫くして、朝のホームルームの時に担任から“うちの学校の生徒を盗撮してる”っていう不審者の話があって、気をつけてくださいねーって言われたんだけど、その不審者の特徴があのとき階段の所で下から私達を見てた人で、ああ、あの人はスカートの中を覗いてたんだって、私怖くて、なんか胸がきゅっと締め付けられるような苦しみがあって、それからもずっと階段自分より下の段に居る男の人の目線が怖いし、だからタイツ広告スカートの中が見えそうなイラストを見て嫌だと思っ」

俺「キチガイめ!はぁ?ふざけんなよ、このクソフェミババア!!」

  〜〜fin〜〜

彼女は年下です

2020-11-09

社会人が楽しすぎてワロタ

毎月決まった日に決まった額のお金がもらえるし、体調悪かったり天気が悪かったり災害警報が出てたら簡単に休める。何なら上司が先に当日欠勤の申請してる。信じられないことにお金もらいながら休むこともできる。

9時間拘束は面倒だったが、実働はその半分にも満たなかったし、どちらかというと残りの時間つぶしに苦慮してた。それは俺だけではないらしくて、たまに中庭意味もなくうろついてる同僚を見かけていた。今は半分テレワークでそこらへんもあいまいになったので解決。定例で行われる飲み会あんまりきじゃないけど、状況により業務時間にあてられるし、会社から補助が出るので大きな不満はない。ただ自分から振れる話題ほとんどないのでつまらない人間だなと思う。他人の意外な趣味や家庭の話が飛び込んできたりして、聞かせてもらう分には面白い

忙しい時は残業宿題もあるけど、その分お金はもらえるし、もともとプライベートが充実してるわけじゃないので、あんまり困らない。大体の休日ちゃんと休めるし。

そんな態度でやってる仕事から年収は平均に結構劣るけど、物価も安いところに住んでいるので暮らしていく分に不便は少ない。自分としては平穏のもの人生で、不安は親の老後と自分孤独死ぐらいしかない。

それに比べると、学校に通っていた頃は本当につらかった。学年が違うというだけで廊下すら聖域扱いされる上級生とは、距離感を見誤ってよく怒られていた。名指しで呼び出されたこともあった。たかだか数年早く生まれただけでなぜあんなに偉そうなのか、進級して同じ立場になってもわからなかった。俺は人間関係が下手だった。

学校が終わったあと、やりたくもない部活動強制で放り込まれ、全く興味がないことに心身を疲弊させられるのは死ぬほど嫌だった。実家お金がなかったので、課外授業とか教材費とか合宿とか部費とか、出費がある度にお願いするのも心苦しかった。

バイトをすればよかったのかもしれないが、学業のために休日放課後に何かできるほど人生真剣ではなかった。そういう意味では、親に甘えていた。そのうち幽霊部員になった。部活に行かなくなった最初はほかの部員にドヤされたが、そもそもまじめにやっていなかった人間なのですぐに無視されるようになった。後ろめたさはすぐになくなり、心も軽くなった。修学旅行も、旅費を出してほしくなかったので行かなかった。多くの人間と寝食をともにすることに強いストレスを感じる性分だったので、もともと行きたくなかったのもあった。部活修学旅行も、強制されるものだと思っていたので、拒否することが可能なのに驚いた。やらない/行かないという選択肢そもそも目の前に存在していなかったが、選ぶことができるのを知った。

学校では出席日数がすべてであり、どんな体調、どんな天気だろうが通い続けることが美徳なのは悪夢ですらあった。高熱だろうが出校をうながされ、大雨だろうが台風だろうが大雪だろうが、まずは連絡網を待ち続けるのは不快しかなかった。休みにはならないと言うので学校に向かったら、朝のホームルーム帰宅指示が出された豪雨の日のことは、今でも呪っている。

教師ともソリが合わずいつもにらまれていたが、それは俺の思い過ごしかもしれない。ただ、こんな態度なのだから、好かれてはいなかっただろうと思う。授業はまじめに受けているつもりだったけど、勉強にはついていくことができていなかった。遅れた部分を取り戻すこともできないまま、内容はどんどん先に進んでいき、完全に一周遅れとなった俺はいしか学校に行っても何も学べなくなっていたので、授業中は椅子に座ってぼーっとしているだけだった。苦痛だった。問題を当てられて黒板の前に立たされても、どうせわからないのだから棒立ちしていることを繰り返していたら、指されなくなった。

それでも勝手単位が出てきて進級したし、進級したら高認をとれたので、そのまま学校をやめ、就職活動をしてみた。それしか道がなかった。奇跡的に就職できた後は一人暮らしも始めた。それまでの世界に比べると、そのあとはまるで天国だった。俺に対して決して捨て鉢にならなかった親にはとても感謝している。昨今は社会情勢的に実家に帰ることがなかなか出来ないので残念だ。連絡はときどきしているし、できる限り孝行をしたいと思っているが、敬愛の示し方がわからないため、なかなかままならない。

さておき、学校本来学ぶはずだったことが、仕事において必要なことはたくさんあった。日本語がうまくなくて困ったことがあった。確率割合計算ができなかったり、放物線がグラフで描けなくて困ったことがあった。世界の略歴を知らなくて困ったことがあった。グローバルな会社ではないが最低限の英語必要になることはあり、当然そこでも困った。野球サッカーゴルフ将棋麻雀ルール全然知らなくて困ることすらあった。義務教育の内容や、集団生活での経験社会必要ないなんて思ったことはなかったけど、俺が社会必要なことを学校で学ぶのに失敗していたのは事実だった。学校に通い、必要なことを必要な時にちゃんと学べている人は本当に立派な人間だと思う。

だがそれらが俺の責任である以上、学生のころは全くわからなかった学問を、小中学生レベルからやり直した。社会人になってから勉強することでお金がもらえるし、もらえるお金も増えるようになるので嬉しい。スポーツや遊びは俺を幼稚園児だと思って教えてほしいと伝えて学ばせてもらっている。強制されない、ノルマ存在しない運動楽しいということは社会人になってから知った。さかあがりはいまだにできないけどね。

今でも学生のころは夢に見る。そのほとんどは良くない思い出のごった煮で、目が覚めた時の気分はいつも最悪なのだが、それと同時に、現実ではもう社会人であれてよかったと安堵する。社会人になってから人生が楽しくてしょうがない。

2020-09-09

特別支援普通学級

障害児が普通学級に交じってホームルームを行う、つまり特別支援学級普通存在するものである。その障害児が重度障害を抱えていた時に何が起きるのか。これまで多くの議論がなされてきたであろう議題だろう。わたしはそのような文章ほとんど読んでいないが普通学級側の当事者として好き勝手体験談をつづりたいと思う。記憶あいまいな部分がかなり多いので全体的にふわふわしているが、それでも書きたいと思った。

その前に少し特殊環境にあった私の学校生活に触れておく。私の学校は小規模校であり、幼稚園から中学校までほぼメンツが変わらない。そして私のクラスは十人に満たなかった。その中に重度障碍者である彼がいた。彼が具体的にどのような障害を抱えていたのかは今もわからない。ただ、彼は言葉のようなものしか発することができず複雑なコミュニケーションをとるにはそれなりの時間を要した。そしてすごく不器用だった。

幼稚園の頃の記憶はほぼない。何よりこのころは私がクラスになじめていなかったのである。実際私は入園が遅れてコミュニティの中ではマイノリティに該当し、異物であるという認識を食らってしまっていたのだった。必死な思いをしながら幼稚園に通ったことは何となく覚えている。ただこのころからもういじめの片鱗は見えていたと思う。私も彼のことは大嫌いだったし普通軽蔑していた。

小学校入学後も関係性は終わることがない。私はクラスで浮いていた。しかし彼をいじめている。

私は浮いていることに対し強硬手段突破しようと考えた。クラスが少人数であり、関係性の流動も少ないのでどうにか行ける。小学生の、まして低学年などすぐにキレるキャラで行けばすぐ怖がられて、とりあえずいじられなくはなるのである。当然暴力キャラ演出のため彼のことをいじめるのであった。自分より下がいると思いたいし、強い自分アピールできて、何より彼のことが大嫌いだった。中学年になると余分に悪意が増して、さら中途半端な罪悪感と悪知恵を持ち合わせていじめていくような風潮がクラス全体に漂った。私も少しは浮いていたが前ほどではなかったような気もする。そして、小規模校独特の制度である複式学級になった。複式学級とは、複数の学年が同一の教室ホームルームを行う学級のことである。彼は、学校全体でいじめられていたので、先輩方にもいびられていた。後輩との関係はよく覚えていない。私は学校事情通ではなかった。

高学年くらいの年齢だとだんだん彼を理解しようと思うようになっていった。このころになると、支援はほぼ完全に行うことができていて、何か彼が手間取っていたら、たいてい誰かが手伝っていた。支援できるかどうかと、温かく迎え入れるのでは全然違うことで、支援技術と慣れでどうにでもなるものだと学んだ。もはや彼をあからさまにいじめる者はおらず、まれ陰湿な悪意が露呈されることのみとなる。クラス全体に冷ややかな空気が漂う。私のポジションは安定していたように思える。大人への反抗意識が芽生えるこのころに、若干つっぱていた私の態度そのものが受け入れられつつあった。正直、このころの彼に関する記憶ほとんどない。興味がなかったのだと思う。そのまま私は小学校卒業した。彼は六年間いじめられっぱなしだったが、笑ってごまかしたり、流したりして風邪以外休まず通っていた。

エレベーター式に入った中学校でもメンツは変わらない。私たちはほかの学年よりも格段と冷ややかな空気をまといながら前と同じように学校生活を送った。彼への差別感情は誰も是正しようとしていない。常にある彼への冷ややかな目線こそが、私たちの学年を冷たく感じさせていたのだろうと思う。我々は効率主義だった。総合などの時間で、彼がもたもたと手間取っていれば、手伝ってしまうのが手っ取り早いのである。はじめは彼も嫌がっていたと思う。助けて「あげている」ようなこの行動も、実は自分たちのことだけのことを考えてやっていたのかもしれない。最終的ないじめの着地点は彼がゆっくりしゃべろうとしていても遮って決め付けて、「どうせ・・・なんだろう」と彼がいかにも悪人であるかのような悪意の代弁をすることだった。高学年から中学いじめはこれだったと思う。このいじめと、やってることを全部手伝って本人にやらせないのはタイミングの取り方ややり方が妙に合致していた。このいじめには、彼は毎回必死否定していた。しかし、矢継ぎ早にしゃべる我々についていけるわけなどなかった。それを私は知っていてやっていた。ちなみに低学年の時はモノマネや単純なヘイトが多かった。一概には言えないし、いじめていた側が言うのもなんだけどあまりに重い障害の人が普通学校に通うということはひどいいじめリスクはらんでいると思う。

ところで、私は中学校に入って、図らずも彼と同じ部活に入っていた。そこで私は急に彼とのなれ合いを始めた。ひどいことに高学年で彼に興味をなくした私は、中学校にきて彼に謝罪することもなく自分の中だけで勝手関係の仕切り直しをしていた。ひどいことをしていたという自覚がありながらも、うやむやにしてごまかしていたのである。幸い彼は私に迎合してくれていた。どんな気持ちだっただろうか。恨めしいと思うだろうか。実際のところはわからない。

中学卒業して、入った高校にはかなり浮いている人がいた。その人は公表していなかったが障害を抱えているようだと気づいたとき、私は贖罪するように適切な向き合い方をしようと心がけた。彼には、とてもじゃないがすごく怖いので謝罪できないと思う。中学卒業後に一度会う機会はあったけれど、何となく流してしまった。全部自分のせいであると思うとぞっとする。私が忘れても彼が覚えているだろうと思うと恐ろしすぎた。タイムマシンがあれば戻って辞めさせたいが、しか小学校時代の私がどうすれば彼をいじめないという選択ができたのだろうかと思っても何を言えばいいかもわからないのだった。

2020-08-23

小学校図書室が廃止された話

から十数年ほど前の出来事だった。小学校高学年くらいのころ校内にあった図書室が廃止された。

小学校公立だったがスポーツが得意な子が多く学校自体体育会系でチームで行うバレーボールに力をかけていて、授業で積極的に取り入れていた。

半面、本を読んだり絵を描いたりする文学的趣味はあまり良く見られていなかった。  

バレーボールと言うのは小学生にはやや難しいスポーツだと思う。アタックするのは難度が高く、相手アタックやすいようにトスをしたりボールをつないだりいきなり経験のない子供にやれと言われたら絶対嫌いになる難しい科目だと思う。

だけど当時はクラスではスポーツが得意な子が多数を占めており、そんな子供たちをより伸ばすためにバレーボールを取り入れたのだ。

だが、スポーツマンシップについては無教育だったため、チームワークが大事バレーボールミスをすれば「死ね」「自殺しろ」と罵りあい授業が終われば負けた腹いせに身長の低い子供を殴って憂さ晴らしするスラム街スポーツみたいになっていた。

自然子供たちの言葉も汚くなっていく。はじめはバカ、アホ、デブ、程度だったのが自殺して死ね、首吊って死ねキモい顔の寄生虫、とどんどん酷くなっていった。

  

そんな教室に一秒も居たくない自分は昼休み図書室に通っていた。

司書さんが図書室の運営に力を入れ始め空き教室を使ってきれいな図書室を作っていた。

絨毯がひかれた本の香りがするとてもきれいな空間で、時折司書さんが本の読み聞かせをしたり、他学年もいるため暴力罵倒もなく天国みたいな場所だった。

  

それは一瞬で崩された。

とあるホームルーム時間だった。担任教師は突然こんなことを言いだした。

「今、空き教室図書室にしてるんだけど、続けるかどうか議論になってる。でも図書室なんていらないわよねぇ」

この教師は、学校内でも発言力が強く他人意見を強い口調で引っ込めさせるタイプだった。思い通りにならないと他クラス教師馬鹿にしたりするので関わりたがる同僚もいなかっただろう。

バレーボール教育になぜか力をかけている体育会系教師スポーツに打ち込む生徒たちを満足げに見ていた。だが文学にはまったく理解がなく、本を読んでいると「寂しいからそうしてる」と勝手に決めつけてやめさせようとするタイプだった。

  

図書室が廃止になるのは嫌だったけどクラスの全員が「いらない!」「廃止でいいでしょ」と大きな声で騒ぎはじめた。

反対意見を出せばお得意の「キモイ自殺して死ねば?」が返ってくるのが目に見えている。

  

その出来事があってすぐに図書室は廃止され教室からなくなった。学校の本を焚書するので欲しい人がいたらあげると通達がきた。いくばくかの本だけ残し、多数の本が燃やされた。

図書廃止から焚書までの行動がスピーディで一か月ほどで終わらせてしまった。

  

図書室の代わりなのか、使われる機会の少ない渡り廊下本棚段ボール箱がいくつか置かれゴミでも溜めるかのように燃やされる機会を逃れた本が捨て置かれた。

渡り廊下で本を渋々立ち読みしたが、簡単漢字ひらがなで書かれた低年齢向けの本しかなくしかも本を読みにくる生徒は一人もいない。

ゴミ溜め場みたいな場所で本を立ち読みする生徒はひどく悪目立ちし、すれ違いざまにヒソヒソ言われることは避けられないような空間になっていた。学校卒業するまで結局ずっとそのままだった。

今はどうなっているかからない。担任学校を去ったらあっけなく図書室は復活してるのかもしれない。

  

小学校図書室は必要もの法律にも定められている。子供の頃は大人の言うことが常に正しく、成す術がなかった。

だが大人になった今は良くないことだと分かる。でも、だったらなぜ、小学校教育を務める大人教師たちは図書室を簡単廃止してしまったのだろう。理解できず、今でも腑に落ちない。

2020-07-22

去年の俺の日記原文ママ)なんだが、見てくれ。なんだこれ

去年予備校に通っていましたが、知らない集団大勢から誹謗中傷を受け、模試等で思わしい結果も出ず、完全に壊れ、昼夜逆転し、次第に引きこもるようになり、試験もいい加減に終わってしまいました。それから家に引きこもりゲームなどをしながら過ごしていましたが、毎晩自分いじめた連中の顔が浮かんでは消え、怒りが湧いた後、無力感にひしがれるというようなことを繰り返していました。そのうちに憎悪は膨らんでいき、声もなく叫ぶ、壁を叩いたりするなど怒りが抑えきれなくなったり、より強い無力感に苛まれるようになり、寝ようにもねれず、体が震え、痛くなるほどでした。群衆が醜い。1人でいるとおとなしいくせに、彼らはどこに行っても、大名行列のように常に集団で行動し、噂話と自慢話に盛り上がって、ひとりでいるような私を見つけるとオカマ、ヤク中、売れない俳優など罵詈雑言を浴びせ、嘲笑する。またへんなうわさを流され、いたるところでひそひそ、くすくすが聞こえてくる。狭い田舎予備校で、どこにいっても笑われ、白い目で見られる。外の街を歩いてもその必ず一員がいて、笑ってくる。どこにいっても逃げ場がなく、まさに身を切るような思いでした。

どうしてあの時こうしなかった、こうしてしまった、あいつが憎い、殺してやるというようなことを常に考えるようになり、予備校時代から遡って、高校中学小学校からの悔いと憎悪が全て呼び覚まされ、いわばその観念の塊に取り憑かれるようになり、人間不信、進路の不安がまぜこぜになって毎日、いつでもそれに苦しめられています特に不吉、不潔と言ったことを忌避するという形にも現れるようになり、あまりに具体的ですが、例えばトイレレバーに触ってしまったとき汚染が広がるような感覚ホームレス喫煙所タバコを漁っているのを目撃した時のうわあといった感覚等が増大していき、その感覚に呑まれ、埋没するということが頻繁に日常的に起きるようになりました。一旦呑まれると体が震え、目の前がズーンと暗くな

あげたらきりがありませんが小学校時代特にトラウマが多いです。その頃、両親ともに忙しく、また自身のだらしなさからゲーム等に没頭すると風呂に入らないで学校に行くことが度々あり、鼻つまみ者になったり、肥満児だったためデブとそしられたりもしました。また家が散らかっていることをバラされたこともありました。ある日なにを思ってか、剃刀で頭を切ってしまい、十円ハゲを作ってしまたこともありました。また服にカビが生えていたり、行儀がよくないことを馬鹿にされたこともありました。殴られる、蹴られるも経験しました。また、ワキガであり、風呂に入っても多少臭うことがあり、くっっせえええとみんなの前で言われたこともありました。中学はそれなりに無難に過ごしたと信じたいですが、高校に入ってから担任教師いじめられるようになりました。私が人前に出るのが苦手なのを見込んで、わざわざ立たせて固まっているのを眺めて邪悪な笑みを浮かべたり、授業中にも多めに私を指して、間違えると全然駄目ですねえとか言ったり、面談では学校をやめろ、腐ってんなとか言ったりしてました。朝のホームルーム、週4回の英語の授業、ロングホームルームで顔を合わせるのが嫌で嫌でたまりませんでした。威圧否定攻撃が2年間続きました。また、知らない、別のクラス集団ガイジ等の暴言を浴びせられたり、嘲笑をされたことがあり、それは別のクラスと組む体育の時間一年間つづきました。

辛い。身を切るような壮絶な不安がふとした時襲いかかり、あたまがぐちゃぐちゃになりまともな思考が奪われ、ネガティブイメージがまとわりついて私を苦しめます。無念でやるせない気持ちでいっぱいです。その気持ち受験にぶつけられればと思いますが、現実はそんなに単純ではなく、ただただ無気力になり、時間けが虚しく過ぎていきます。私はどうすればいいのでしょうか。

2020-06-28

さよなら青春

夢を見た

中学生の時に単純に好きとも嫌いとも言い切れないクラスメート女の子が夢の中に出てきた。そいつと親密に接する夢だった。別に健全な内容の夢だ。

起きてすぐ、何とも言えない嫌な気分になった。

今までに夢にそいつが出てきた時はあまり何も思わないか、どちらかと言えば嬉しい、と思っていた気がする。

実際にそう思ったことに正しいもくそもないが、何とも言えない嫌な気分になるのは今までで一番正しい気がした。

そういう気分になるということは、自分がいままでずっと何を考えてきたのかようやくだいたいわかった気がした。

 

今までの自分人生で一度も誰にも言わなかったことを書く。

大した話ではないかもしれない。

手紙恋愛地獄

現実の話。

中学生の時ある事件があり、クラスメート女の子が落ち込んでいるか担任からそいつに対して全員それぞれ手紙を書けと言われた。

俺は小学生の時から作文が苦手で毎回「何を書けばいいのかわからない」と思い、書き出すまで相当時間がかかってしまう。(今思うと多分これが自分人生でわかりやすポイントだと思った)

事件は単純な嫌がらせの話で、自分からそいつに言えることはあんまりないと思った。

今まで特別したことないクラスメートの異性だし。

容姿が良くて優秀、でもなんか知らんが中の良い友達1人とだけずっと話しているというイメージのやつだった。

負けるながんばれ!というような力強いことをあまり悩まずに1行書けて担任に預けた。

普段から全然そういう風に言う性格ではないが、単純にそれが一番心に伝わる言葉だと思ったのでそう書いた。

全員から手紙集めた担任が、帰りのホームルームそいつに全員の手紙を渡しホームルームが終了し帰宅した。

そいつがそのまま自分の席で手紙を読んだのか家に帰ってから読んだのかは知らない。

 

翌日から、変わった。

実際にはそこではないのかもしれない。でも俺の感覚ではそこから変わった。

なぜたった1行、それだけでそいつの俺に対する反応がそんなに変わるのかわからなかった。

ドン引きされるかもしれないとも思っていたが、確かにそいつの心に伝えられる謎の自信もあった。

でもそんな…そんなにそいつが変わる、しかもそういう方向の反応になる…そんな俺にとってムシの良いことがあるのか…。

なんで俺にそんなに関心を持っているんだ??

目が合うと負の感情ではないすごいエネルギーが送られてきて顔が赤くなってくる…嫌な気持にはならない。そんな感じだった。

 

他のやつの書いた手紙もっと何行も書いているやつもいたらしい。担任から褒められていたのは他のやつだった。

普通に、他のやつに対しても変わっているのに俺に対してだけ変わった!?気持ちの悪い誤解をしているのかもしれない。

俺は、明らかに違った態度をしてくるそいつ毎日キドキするようになった。

そいつ容姿が良いのでそういう風になって欲しい、という欲望はもともと確かにあったかもしれない。

俺は同年代でも見た目が幼く大人いからか女の子から親切にしてもらえることは比較的多かったが、あくまで親切という感じでそれまで誰かと親しくなることもなかった。

まあ、とにかく嬉しいに決まっている。

だが…

なぜたったそれだけでそいつが変わるのかわから

本当に、心底、

だんだんそいつがとても怖いとも思うようになってしまった。

本当に。

 

俺の一挙一動でまたそいつが何か良い方向にも悪い方向にも変わってしまうかもしれない。

単純に嫌われるのが怖い、だけとも違う。

当時からインターネットで調べることができたので自分が脇見恐怖症と思われるようなものになっていると分かった。

好きな気持ちよりも怖い気持ちの方が上回ってしまうようになっていた。

だれにも相談できずずっとどう接していいのかわからず、

結局何もなく卒業した。

そいつからしたらなぜ俺があんな感じだったのか、嫌われてるのかなんなのか意味が分からなくて苦痛だったと思う。

全部自分の都合の良い狂ったストーカーのような妄想なんじゃないかと思って今までの人生で一度も誰にも話したりしなかった。

というか今思えばどう考えても普通に俺以外にも気に入ってるやつは何人もいただろう。自分がそうであったように。

もう30代だからどう考えても都合よく記憶改ざんしていることは山ほどあるとは思う。

現在

そいつが出てきた夢から覚め、何とも言えない嫌な気分になった後、

その時から現在までの自分を考えた。

ずっと俺は何においても自分が単純に怖がり、ヘタレだと考えていた。

具体的に考えてみたが、おそらく何においても選択を間違えることが異常に怖かったのだと思った。

怒られたくない。文句を言われたくない。恥をかきたくない。

それで家を出た今親とも連絡しなくなってしまった。

日常会話でこれを言ったら空気読めてないんじゃないかと思い発言時間がかかる。

自分の好きなものを正直に友達にも家族にもなかなか言えなかった。

自分の良い面だけ見せたい。自分の悪い面は隠したい。

ネット上ですらうっかり変なこと書いて馬鹿にされるのが怖くて匿名掲示板にもなかなか書きこめない。

就職先、やりたいことがない。必然的に楽で儲かる仕事をしたいと考える。でもどこが良いのかよくわからない。

成功したい。どうにか正解の選択肢を選びたい。

友達も選びたい。恋人も選びたい。でもうまく嘘をついて断ったりとかちょっとでも卑怯なことはバレるのが怖くてほとんどできなかった。

優秀な奴ならできるのかもしれない。でも自分能力ではそんなことはなかなかできない。できない自分を受け入れられない。

他のやつはうまくやれてるように見えるのになぜ自分はうまくやれないのかわからない。

でも初見で正解の選択肢を掴むことが至上命題のように考えてしまう。

負のループ

物事は表裏一体で、頑張ろうと自分だけを厳しく追い込むと必然的他人にも心のどこかで嫌な風に思ってしまう。親切に遊びに誘ってくれる友人にさえも。

どこかで自分を許さないと他人も許せない。

それでは人はついて来ない。だからずっと俺は孤独なんだ。

ようやく自分と向き合えた気がする。

でも気がするだけで合っているかは多分一生わからないしそう簡単には変われない。 

 

これから

あれから同窓会かにも全く行っていない。学生時代の誰にも会いたくなかった。嫌だった。

俺の連絡先をクラスメート誰も知らない。でも実家に連絡があったという話も聞かないのでそもそもハブられてるのかもしれない。

ただクラスメート全員に会ってみたい気持ちが少し出た。

理由。年々知っている有名人が死んでいくから。30代とかで若くして突然死ぬ有名人もいたから。自分も嫌になって全部投げ出そうかとかたまに漠然と思うから友達がいないから。結婚してないから。糞だと思う。こんな30代になりたくなかった。

あいつに会ったとして何事もないようにふるまうべきなのか、何もかも正直に話して謝るのかまだよくわからない。

ただ、会ったとしてもも別にかになっていると思う。

俺は論理的に「卒業してクラスメートの誰かが結婚してようが何してようが別に同一人物だろう。同じ名前人間なんだから。」と、ずっとそう思っていた。

でも一緒に過ごした3年間とかの時間よりも、何倍もの時間自分とは別のところで既に過ごしている以上、それはもうほぼほぼ別の人間に入れ替わっているようなものだろうと気付いた。

みんな毎日色んなものを食べ想像もつかないくらい膨大な量の身体組織が入れ替わり、色んな経験をしている。

懐かしい話ができるかもしれない。ウマが合うかもしれない。でも、それを話す人はもう別の人間だ。あの頃の俺もあいももういない。

 

それが分かっている奴は卒業式で泣くんだろうと思った。

卒業式、人生で俺は一回も泣かなかった。

小中高、俺のクラスのやつらも大体が泣いていなかった。

そういえば、なぜ俺のクラスのやつらは卒業式であまり泣かないんだろう、とずっと前から心に引っかかっていた。

 

 

おわり

しかしたら自分のような人がいるかもしれないと思い、書いた。

俺が誰かに相談できたり、同じような共感できる人がいたらもっと早く何か変われたかもしれない。そう思ったので書いた。

俺は去年頃からから好きだったミュージシャンかにようやくメッセージ送ったりできるようになった。

2020-05-13

貧乏などの不満を親や子供時代境遇のせいにする人が嫌い

いるんだよねえ、、、

「俺が貧乏なのは親が貧乏だったせいだ」「田舎に生まれたからまともな教育を受けられなかった」「貧乏遺伝する!」

みたいに、不満を親や子供時代境遇のせいにする人。

それを言ってもキミにメリットないし、俺にもメリットないよね? 一体何のための発言? キミのお母さんみたいに親切な人が助けてくれると信じているのかな?

俺が生まれた家も貧乏で、1日3食食えない時期が長かった。高校給食がないから裕福な家の友達パンをおごってもらっていた。中学校では給食をたくさん食べていた。夕食はなかった。

両親ともになんとか高卒だけど、母はパートタイマー、父は初任給が時給換算で最低賃金会社で働いていて、50歳になっても年収350万円に届いていなかった。

通っていた公立中学校は校内暴力があった。不良が6人くらいで徒党を組んで、廊下を歩いている教師を男女問わず襲うんだ。

ボコられた教師がキャーとかウワーとか叫んで体育教師が飛んでくる、けれどもさらに集まってきた不良によってまとめてボコられるということが2日に1度は起きていた。

教師が食べる給食にはチョークの粉や押しピンを入れていた。

2年生のとき担任が車の事故で死んだ。

亡くなったという報せを朝のホームルームで聞いて、爆笑だったよね。

偉そうに説教たれてたくせに、死んどるやないかー笑

それからしばらくは不良がいじめられっ子に机をぶつけて「お前今車に轢かれただろ!早く死ね!」と言って囲んで蹴り飛ばす遊びが流行ってた。

いじめクラス10%は不登校になっていた。つまり1クラス(30人ちょい)に3人か4人は不登校だった。

そうした子たちがたまに登校してくると、ポケモンごっこで、10万ボルトや大爆発を繰り出すように命令して、従わなければサンドバッグにしていた。

不良たちは中学校卒業すると工場に入って安い給料でこき使われたり、高校へ行っても1年も経たずに中退して暴力団へ入って成人式の頃にはすでに音信不通になっていたりしていた。

不良以外の子たちも、ガソリンスタンドで何年も最低時給で働いた末にあっさりとクビになったり、工場事故右手の指が2本なくなったり、

女は風俗店に入ったり、ティーンエイジャーのうちに結婚離婚経験して養育費コンビニバイトでなんとか食いつないでいたりしていた。

荒んだ環境で育つとそれが「普通」になるからまともに働けない。

勉強するのはバカだけだから普通の子にはまともな働き口がない。

定職につかないのが普通だし、高校中退しても普通だし、教師ボコっても普通最低賃金でも普通、平日毎朝働きに出るのが嫌でふっと職場から消えるのも普通

大学へ行って東証一部上場の平均年収800万円を超える企業に入った子もいたが、

何年も経たないうちに休職してやがてやめてしまった。

人に命令されるのがイヤ、カネだけ欲しい、そもそも働くのが嫌、金持ちの女を見つけて結婚して働かずに暮らしたい……

子供時代にキミが住んでいる団地へ行くとお父さんはお酒を飲みながら寝転んでテレビを見ていたしお母さんもいつも部屋にいた。そうだね、生活保護だ。

働かないのがキミの普通なんだ。

そうして中卒も高校中退もそれ以外もみんな普通に何年も過ごして、気がつくと僕らはゴミみたいな暮らしをしている。

貧困遺伝する。

金銭だけでなく文化資本社会資本も同じ。

全部は親のせいだ!陰湿田舎に生まれたから女は大学へ行けなかったんだ!男は5次受けくらいの末端激安トラックドライバーになるしかないんだ!

さあ、みんなで親と社会批判しよう!

批判することで暮らしをよくしよう!誰かが俺たちのために何かをしてくれる!投票には行ってないけど!

俺も最初に入った会社毎日サービス残業が当たり前だった。

親を見ている限り普通から当時は疑問を持っていなかった。

でも平日の夜や休日勉強して、景気のいい時期に何度か転職して、

なんとか人並みの給与を得ている。

チームのリーダー奈良先端なんとかで博士号を取っているし、上司東大を出たあとアメリカ大学院で博士号を取得している。

博士号を持っていれば仕事ができるというわけではないし、実際責任回避のために万事について結論を述べないから一切仕事が進まない使えないうんこドクターもいるけど、

俺が行った大学が超低レベルで、教授の著書さえ買ってあれば出席しなくても単位をくれるようなほぼ違法な授業がいくつもあるようなところだったことを思うと、

良くここまで"上がって"きたなあと思う。

700万円近くあった奨学金借金)も数年前に完済できた。

今は毎日3食食える。

子供時代環境大人になってから収入多寡労働環境に大きな影響を与えるのは、肌感覚同意できる。

タイミングや運でどうしようもないこともある。

しかし親や地域社会責任転嫁したところで、彼らが責任を取って俺たちの生活改善してくれるわけではない。

まり環境タイミングのせいにしてもメリットがない。

俺たちは自分で何とかやっていくしかない。

荒んだシビア環境で育ったくせにそのことを自覚していない甘ちゃんが、人生他人のせいにすることで人任せにしか生きられないことを吐露してしまっているその弱さが、俺は嫌いなんだよなあ。。。

見せつけられると、「貧困遺伝する」という運命に俺や子供まで飲み込まれしまうような気がして…

2020-02-06

他人黒歴史

小学校高学年のとき、周りの一人称が一斉に「ミー」になった時期があってキモいし怖かった

・同じく小学生ときキモいクラスメイトが「おれハダカって漢字かけるよ」っていろんな人に言いまくってたけどガン無視されてた(キモいので)

中学卒業式後のホームルーム先生が黒板に「有終の美」って書いたのに対しクラス陰キャが突然「有終じゃなくて優終ですよ」って言い始めて微妙空気になった(本人曰く困らせてやろうと思っての行動らしい)

高校文化祭ギャグっぽい劇やって20分くらいずっと滑ってたクラスがあった

なぜ他人黒歴史でおれが恥ずかしさを感じないといけないのか

2019-12-24

anond:20191223162908

小4の一学期最初の日

担任は新しく来た教員

始業式と新任式を終えホームルームも終え

最後に「起立!礼!」っやるとき

前の席の子が立ち上がったら机の上に置いてあった手提げ鞄を落とした

それを拾って椅子に載せといて姿勢を戻したら目の前に担任がいた

突然無言で殴られた

殴ったあとで「ふざけるんじゃない!」とかすごい形相で怒鳴りつけられた

初日から本性が見えた

その時の自分だけではなく1年間ほぼ毎日誰かが的になって暴力を受けた

2019-10-03

人間差異をなくした完全に幸福世界

その異変を初めて体感したのは、日常のほんの些細な出来事からだった。僕はその日、幼馴染で親友の桐王寺勝也と一緒にいつもの通り学校から帰宅していた。通っている高校から僕たちの住む団地までの道のりには、三つほど信号横断歩道があった。僕たちはちょうど真ん中の横断歩道で、大きな荷物を抱えた一人のおばあさんを見つけた。まるでマンガアニメに出てくるような紫の大きな風呂敷を胸の前で結びこみ、マンガアニメのように身体をふらふらとさせながら信号を待っているマンガアニメのようなおばあさん。僕たちは顔を見合わせると、背後からそのおばあさんに話しかけた。

「おばあさん、荷物、重かったら僕たちが運んであげようか?」

勝也がそう言うと、おばあさんはピタッと動きを止めて、静かに僕たちの方を振り向いた。その顔には信じられないと言ったような表情。そして、口をわなわなとふるわせながら、しゃべる。

「今、なんて言った?」

その言葉には、人間の心に鈍感な男子高校生でもわかるくらいに怒気を孕んでいた。まさか言葉と表情に僕たちは面食らってしまった。僕たちは再び顔を見合わせた後、勝也がもう一度口を開いた。

「だから荷物重かったら運んであげようかって……」

「その前だよ!」

いきなりの大声に思わずビクンッと身体を張り詰めさせる僕たち。

「そ、その前って……?」

僕たちは後ずさりをしながらも、そのおばさんに尋ねる。

「アタシのこと、なんて言った!?

さらに大きな声で言うおばあさん。その衝撃波が僕たちの身体に当たる。

「お……おばあさん……って言いました……」

「そうだろうがぁ!」

おばあさんはそう叫ぶと、背負っていた重そうな荷物を振り回し、僕たちの顔めがけて投げてきた。

「うわっ!」

僕はとっさにかわすことが出来たが、勝也はもろにそれを喰らっていしまう。

「ぐへぇ

という声とともに、頭から倒れる勝也。そして、倒れた勝也の胸元に、すぐさま馬乗りになるおばさん。

「ちょ、おばあさん、何してんの!?

僕は慌てて止めに入るが、おばあさんの鋭いパンチが勝也の頬にはいる方が早かった。

「アタシの、ことを、おばあさんとか、いうんじゃ、ないよ」

「何してんだって!」

僕はおばあさんを羽交い絞めにした。なおもバタバタと暴れるおばあさん。足を限界まで伸ばして勝也を蹴っている。

「ッ本当の、ことを、いうんじゃ、ないよ!」

おばあさんはそう言うと、するりと僕の腕から抜け出し、大きな荷物を抱えてものすごいスピードでどこかに行ってしまった。

「なんだったんだ……?」

僕はその後姿を呆然と眺めるしかできなかった。そして、呻き声が耳に入り、我に返る。

「だ、大丈夫か?勝也!」

僕は勝也を支えながら、家に帰った。



翌日。勝也は顔を晴らしながらもいつもの集合場所に来ていた。

「勝也、大丈夫か?」

僕は開口一番勝也に具合を尋ねる。

「なんとか」

「……そっか」

僕たちはそのまま学校に向かった。学校に到着すると、昨日のおばあさんのことなんか忘れてしまうくらいの出来事が起こっていた。なんと、学校にあるありとあらゆる書籍教科書書類が校庭に集められていたのである

「あら、おはよう。二人とも。もう教科書は校庭に捨ててきた?」

クラス委員長生徒会役員も務めている八島真理がメガネを拭きながら教室に入った僕たちに尋ねてくる。

「え?いや、まだだけど……っていうか、どういうこと?教科書を捨てる?」

「ええ、そうよ。あんもの、早く捨てないと、先生に怒られちゃうわよ」

彼女はそう言うと、どこかへ行ってしまった。

「やめろ~!僕は、死んでもこの教科書は捨てないぞ~!」

大声でそんな言葉が叫ばれているのを耳にして、思わずそちらの方に目をやると、そこにはがり勉三俣啓介が先生たちに取り押さえられているところだった。

「ばかなことをいうな!」「早くこの子から教科書を!」

三俣を三人がかりで抑え込んで、教科書を奪う先生たち。

「やめろ、やめろ~!」

教科書を奪われた三俣はそれでも先生抵抗しようとあがいている。しかし、

「いい加減にしろ!」

という、先生の声とともに、三俣の顔に先生の蹴りが入る。ミキャという嫌な音があたりに響く。

「ッッ!?

三俣の声にならない叫びが聞こえた気がした。

「お、おい。早く俺たちも行こうぜ……」

昨日のことを思い出したのか、顔を蒼くしながら勝也が僕を引っ張る。

「あ、おい……」

僕は結局校庭まで引っ張られて、教科書や持っていた文庫本を捨てることになった。そして、授業が始まった。



今日は、私たち人間についてを授業で扱うことにする」

世界史七井がいきなりそんなことを言い始めた。僕と勝也は互いに顔を見合わせる。そうした瞬間、ちらっと空席が見えた。あそこは確か三俣の席だった気がする。あの後結局どうなったんだろうか。

「では、いきなりだが質問だ。われわれ人間は、みんな同じだね?」

七井がそんなことを聞いてくる。人間はみんな同じ、だって?確かに同じ部分もあるが、同時に違いもある。一概に同じだとは言えないはずだ。

はい先生

僕がそう思っていると、八島が手を挙げる。

八島君、どうぞ」

七井八島指定した。八島は席から立ち上がると、口を開く。

古来より人間には差異などなく、みな同質でありました。それは今も変わりません。なので、人間はみんな同じであると言えます

「その通りだよ、八島君」

七井は嬉しそうにいう。しかし、それに異を唱える者がいた。こちらもがり勉で、一番後ろに座っている一色だ。

「みんながみんな同じなんて、そんなバカたことありません。現に僕は目が悪くてメガネをかけているのに、彼女はかけていないじゃないですか!」

一色はそう言って八島を指さす。七井は一色に近寄ると、一式が欠けていたメガネをはずした。

「あ、な、なにすんですか!?

メガネを取り上げられて慌てふためく一色。七井はそんな一色のことを気にも留めず、手の中にあったメガネを握りつぶした。

「ああ~!」

一色の悲痛な叫び

「これで、同じだね?一色君?」

七井は先ほどの八島の答えを聞いた時と同じように、笑顔で聞いている。

「で、でも、性別だって違うし、体格だって違……」

一色はなおも食い下がろうとしたが、次の瞬間身体椅子ごと後ろに吹っ飛んでいた。七井が思いっきり一色のことを蹴ったのだ。そして、蹴られてうずくまる一色の近くにしゃがみ込み、再び七井は尋ねる。

「同じだね?」



その日を境に、世界は大きく変わってしまった。僕以外のすべての人が、人間はみな同じであるという考えを、まるで植え付けられたかのようにするようになった。やつらの言い分では、差異がないから、差別もなく、貧困もなく、幸福幸せ世界を築けるのだという。

僕は相変わらず学校に通っている。それは、僕が人間はみな同じであるという考えを持っていないということを知られないようにするためである今日も一日、学校が終わるまで何事もなく過ごすんだ……そうすれば、なにもされなくて済む。

ホームルームを始めるぞ」

担任の声で、我に返る。

今日は、皆に非常に残念なことを伝えなければならない」

淡々担任は喋り続ける。それが怖かった。

「どうやら、ウチのクラスで、同じ人間じゃあないものが逢いるらしいんだ」

ドキッとした。心拍数が上がるのがわかる。口から心臓が飛び出してしまうのではないかというほど急に心臓が動く。先生のその言葉で、クラスのみんなが一斉に僕の方を向く。

「えっ……」

僕は思わず声を漏らしてしまった。担任が僕に近寄ってくる。そして、笑顔で言った。

「同じだね?」

Happy End

2019-09-07

女子校時代に出来なかった片思いの恋バナを5年経った今だから

私は中高が一貫の女子校で、その間ずっと恋する乙女だった。恋した相手の数は4人。すべて片想いだった。それでも楽しかった。しかし女でありながら女の人を好きだと言うのを周囲にバレるわけもいかず、恋バナなんてしたことがなかった。高校卒業してから何年も経ち、多くの友人は共学の大学に通うようになったり、バイト先や職場で新しい出会いがあるらしく、日々好きな異性のことを沢山話してくれるようになった。聞いていて楽しいけれど、自分も中高の頃隠さずにこんな風に片想いの話を彼女達と共有できていたらさぞかし楽しかっただろうなと思うので覚えている思い出を放出する。前置きが長くなってしまって申し訳ない。とても長い内容のうえに素人文章なのでご注意

中学の時に好きになったのは、同じ陸上部の三個上のA先輩だった。一年生でまだまだガキだった私はそれが恋とは知らなかったけれど、校内で見かけるたびにドキドキしてしまうのでうまく挨拶ができなくて先輩方に叱られた。一年として学年全体で怒られた後に、私に「うちらも怒りたくて怒ってるわけじゃないよ。悲しまないでね。現状を良くしたいだけなの」とフォローしてくれた。一年は居残り時間が30分短く、先輩よりは下校時間が早くて一緒に変えることはできなかった。何かと理由をつけて部活後も校内に残って待ち伏せしたけど話しかけることはできなかった。きもいな。恋だとはわからないままでも自分はすごく乙女だった。部活の汗の匂いが気になって近寄って欲しいけど近寄れなかったり、少しでも可愛くなりたくてスキンケア用品もお小遣い貯めて買ってみたりした。(とはいっても洗顔料化粧水だけ)。部活中は一つ結びしか許されていなかったから、無礼講の部内クリスマスパーティでは髪型を少し変えて気づいてもらえるか試したりした。気づいてはもらえなかった。

中2の時に好きになったのは当時仲が良かった友達Bちゃん体育祭の時に疲れた愚痴ると膝枕をしてくれた。その子自身は体育の男性教員が好きだったからいつも胸がモヤモヤしていた。夏休み家族ハワイ旅行に行った時に友達用にお土産を大量買いしたけれど、彼女にはちょっと特別ものを他の子にバレないようにあげた。その時の笑顔が忘れられないほど綺麗だった。でも恋だとは自覚しないまま終わった。

高一の時に好きになったのは同じクラスのcさんだった。すごく仲がいいわけでもなく、勝手に好きになっていた。席替えで隣の席になれた時にすごく嬉しくて、夏休みに入る目前、恋だと自覚した。自覚してしまうといろいろ早くて(思春期なのもあって)キスしたい、ハグしたい、裸で触れ合いたいとか思うことが増えたけど、そんなことは顔に出すわけにはいかない。夜1人で妄想して、朝になったら忘れて何事もなかったかのように隣の席に座った。挙動不審にならないようにわざと冷たく当たってみたりもした。それでも彼女は優しくて、廊下とかですれ違っても「よっ!」と肩を叩いたりしてくれた。久しぶりに私からしかけると、「やっと話しかけてくれた…無視されて辛かった」と言ってくれたけれど、彼女のそれが恋愛感情からくるものじゃないのは明らかだった。誰にでも優しくて、他人に注意を払うのがとてもうまかった。夕暮れで視界が悪いのに下校途中で私に気づいて手を振ってくれるのはすごく嬉しかった。

高3になってもcのことが好きだった。毎年クラス替えがあったけれど、また同じクラスになった。すごくすごく辛かった。クラスの中心的なその子と話す機会は減った。でもまた奇跡的に隣の席になれた。天にも昇る心地だった。脳内お花畑だったからこれはもう運命では?とさえ思った。調理実習で作ったクッキーを食べて欲しかったけど、スムーズに渡せなくて、席が近隣の子達におすそ分けって苦しい名目で周りに配ったら別の子Dに全部食べられてしまってCの手に渡ることはなかった。Dには怒りが湧いたけれど「美味しかったご馳走さま」と言ってくれたので許した。

しばらくして漫画みたいな出来事が起こった。Dが同じ町内にひっこしてきた。歩いて五分くらいの距離に。私の高校私立で、近所に同じ学校の人がいるという感覚がこれまでなかったので純粋に嬉しかった。これによって謝恩会の準備や話し合いが放課後に近所でできるようになって純粋に楽だった。実は、もともとDの印象はすこぶる悪かった。Dは中3のとき、離れ離れのクラスになったBが新しいクラスで仲良くしていた子だったから。当時Bが好きだった私は勝手にBを取られたような気でどうしてもDを好きになれなかった。

高3になるとみんな受験で忙しくて、委員会なんてする人はいなくなった。でもクラスに必ず数人いなくてはならない卒業式後の謝恩会委員というポジションがあった。これがなかなか決まらないため、ホームルームが終わらない。Dが一緒にやろうと言ってきた。お前は受験はいいのか、と思いながらほかに立候補者もいないし、なんとなくすることにした。私のクラス私たち2人だけだった。謝恩会委員はやることが意外に多くて、Dの受験純粋心配になった。私はAO推薦でほぼ確定だったので積極的作業していた…と思う。ある日、Dの分である作業をなんとなく勝手に進めているととても感謝されて腰のあたりに抱きつかれた。cの前だったから恥ずかしくて腕を振りほどいた。CとDは髪型がとてもよく似ていた。うちの高校キリスト教だったので、全員強制参加の式典が年に何度かあった。秋のある日の式典で、私はどうしても暇でCを目で追ってしまった。それに偶然気づいたDが小さく手を振ってきた。お前じゃない、と思いながらも実はちょっときゅんとした。

ある日の放課後雑談をしながら謝恩会作業中、何気もなしに部活の後輩が好きだったことがあると言ってきた。とてもびっくりした。自分女子校内で片恋ばっかしている人間だったけれど、それを他人に話すということが異文化すぎた。気が動転してそれからしばらくはDのことを避けてしまった。

冬になってまた別の校内式典があった。それは義務ではなくて、行きたい人が行くものだった。99.9%の人が大学進学を希望するのでクラスの中では本番の迫る受験のために欠席する人、気休めと文字通り神頼みのために参加する人の二分だった。CもDもとても頭が良かったから参加するかどうかなんとなく気になった。Cは来ないというのを教室内の会話で知ってがっかりしたが、Dは来ると言っていた。なぜかとても嬉しかった。もしかたらこれが終わって三学期になれば自由登校で友達に会えなくなるからかもしれないと勝手に納得した。

それからしばらくしてDに放課後に呼び出された。理由は私が避けすぎたためだったらしい。Dは私が最近は目も合わせてくれないと言って泣いた。とても驚いた。避けている自覚はあったけれど目を合わせていないなんて自覚はなかった。だから今度は目を見て話を聞こうと思った。でも出来なかった。そこで初めて私はDが好きなんだと自覚した。目を合わせられないのはあの有名な歌詞通り、見つめ合うと素直におしゃべりできないからだった。急に恥ずかしくなって帰りたくなった。でも帰ったら一緒にいられないと思うとどうすれば良いのかわからなくなって、とりあえず適当に謝ってから家が近所なこともあって一緒に帰った。

謝ったと言ってもそれでまたDとおしゃべりなんてできるようになるわけがなく、言いたいことは全部紙に書いて伝えるようになった。本当に恥ずかしくて会話ができない。でもDと交流したい。Dは手紙にして返事をくれたりした。とても嬉しかった。それから冬休みに入って、三学期になって学校に行くことがなくなっても手紙のやり取りは双方にとって近所の公園に貼り付けるという約束になって続いた。

バレンタインになった。何か渡したいけれども渡す時間を取らせるのも申し訳ない。公園手紙と一緒に食べ物を置くのも憚られる。代わりに手作り学業成就のお守りを使って置いておいた(重い上にキモい)。お世辞だろうとも喜んでくれた旨が手紙に書かれていた。嬉しくて家でニヤニヤしていたら家族キモいと叱られた。

その後、彼女第一志望の受験前日は3つも神社をお参りしてクジを引いたら大吉だった。うれしくなって、おみくじのことと、明日受験頑張れと書いた手紙を貼った。結果発表の日が過ぎてもDから連絡は来なかった。催促するのもよろしくないのでそれから次の登校日まで待った。

合格者発表から日経った次の登校日、学校に行くとほぼ全員受験ストレスから解放されていた。教室ではDが他の子達となんと恋バナをしていた。他のクラスメートたちが、受験期中に同じ塾の男の子相手に密かに恋をしていたこととかを話していた。D自身はどうなんだろうか、不安になった。聞きたいけど怖くて聞きたくないので「いいなぁ楽しそう。もっといろいろ聞かせて?」と他の子に聞いた。するとDが「じゃあ〇〇も恋バナすればいいじゃん。好きな人いないの?」と聞いてきた。胸がとても痛かった。その日のうちにD本人から、実は第一志望に合格していたと聞いた。嬉しかったけれど、どうしてすぐに伝えてくれなかったんだろう。そんなこと話す間柄とすら思ってもらえてないのかと、また胸が痛くなった。

卒業式の帰り、謝恩会も無事終わり、クラス打ち上げ解散に近づいた頃、Dに、今日は一緒に帰ろうと言ってもらえた。とても嬉しかった。私の大学地方だったから多分これがDに理由もなく会える最後だと思うと泣きたくなった。帰り道は何も話さなかった。誤差の範囲だけれどDの家に先についた。お別れの時だ、と思ったら、Dがマンションの共有スペースまで上げてくれた。一緒にケーキを食べた。告白するべきかしないべきか、すごく悩んでケーキを食べ終わってもずっと無言で泣いてしまった。Dは私が何かいうのを待っているようだった。その時、母親からもう帰って来いと電話が来たので仕方なくさよならを言った。Dは地方でも頑張ってと応援してくれた。私は泣きながら短い距離を帰った。

本当のところはわからないけれど、おそらくDは私がDを好きだと気付いていたんだと思う。でもわたしには告白する勇気もなければ、このあと地方自分は行くのに、Dが大学彼氏を作るのを見ているのは辛くて無理だった。大学に入ってしばらくして、私は、自身では記憶にないが飲み会で盛大に酔っ払ったらしく、ライン電話でDに泣きながら告白していたらしい、というのは飲み会に参加していた別の友人に聞いた。Dのリアクションはわからない。電話口だったので私にしか聞こえていなかったし、私本人が酔って忘れてしまった。そのうち、私が1回目の帰省をする頃には風の噂でDに年上の彼氏ができたことを聞いた。私は泣いた。多分もうDとも関わることなんて、同窓会以外ないだろう。私はいつまであの時に囚われているのかわからないけれど、あれ以来人を好きになったことがない。もう22だけれど、中高で経験した以上の恋愛ができる気がしない。それでもいいと思っている。後悔もない。充実した青春だったし。これが私が学生時代、仲の良かった友人としてみたくても出来なかった恋バナの内容。

2019-08-30

anond:20190830105127

2019-08-27

■”聲の形”を見て思うこと

私は小学校の時にいじめ主犯格になった事がある。

最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。

昨日何度目かの視聴をした。

かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。

なんというか、人間記憶主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。

ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体あやふやになる。

少しぼかして書いていることもある。

***********

私は小学生の時に学級カーストトップグループにいた。

クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。

何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。

喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我しょっちゅうしていた。

自分小学校教員であれば面倒を見たくない存在だった。

私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。

そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。

男の子女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲーム好きな人ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。

カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。

小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。

5年生のクラスメンバーには1年生の時から友達も3年生から友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。

登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。

いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)

私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。

初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。

とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動のものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。

当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。

また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプ女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。

要するにやりたい放題のガキ大将キャラだった。

クラス替えをして、全然知らない、普段かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。

多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人対応をできるわけがない。

しかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。

幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。

後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくま個人間の諍いであった。

私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。

給食時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分牛乳を配膳した。

大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。

当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。

1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。

周囲が異変に気付き始める。

「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初きっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているかこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名命名した。キャッチーあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。

しばらくしてクラス人間が真似をし始めた。地獄の始まりである

子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪判断がつかないまま真似をする。

「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。

「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。

かくしてYさんはスケープコートへと転がり落ちた。

当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティ破滅に向かう。場面場面でお調子キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団いじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。

「〇〇菌」

誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめ様相と化した。

ランダムペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。

愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。

今日今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。

しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやか小学校時代をぶち壊した。

わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキル相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。

勿論「つもり」が許されるいじめなど存在しない。

私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。

これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気ムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。

6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。

高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。

他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪問題顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラス学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。

Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。

ある時、昼休みだったか総合」の時間割だったか時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。

あなたいじめをしているでしょう」という直球だった。

私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。

私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。

その日の放課後ホームルームで学級裁判が起きた。

まずは「このクラスいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。

なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。

全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。

「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。

いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。

「手から離れた問題雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。

私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやす戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。

かに無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。

「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。

「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。

醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生カーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。

本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやか生活台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。

学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラス黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。

その後、地元公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。

自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。

私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。

大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。

私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。

それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。

中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。

それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。

私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。

入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。

どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。

兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。

私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校出身者は次々とA小学校出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。

A小学校の時に明るかった人間クラスカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。

そこからは影に徹してひたすら勉強ばかりした。

私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめ被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分黒歴史を見るようだった。

小学校時代猿山大将として過ごし、学級裁判だんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。

高校に入ってからしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。

自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。

大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。

アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。

過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。

私は27歳になった。

人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。

職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。

人に言われたことは言ってくれたことだと思えるようになった。

でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。

これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)

二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔しかならないからだ。

いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。

私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまり勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。

Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊けが目的人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。

でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。

精神成熟していないコミュティ悲劇だ。教員のせいにすることもできない。

とんでもないくだらない理由いじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。

イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。

***********

今日小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。

その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された自分も同

2019-08-27

聲の形”を見て思うこと

私は小学校の時にいじめ主犯格になった事がある。

最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。

昨日何度目かの視聴をした。

かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。

なんというか、人間記憶主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。

ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体あやふやになる。

少しぼかして書いていることもある。

***********

私は小学生の時に学級カーストトップグループにいた。

クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。

何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。

喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我しょっちゅうしていた。

自分小学校教員であれば面倒を見たくない存在だった。

私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。

そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。

男の子女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲーム好きな人ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。

カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。

小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。

5年生のクラスメンバーには1年生の時から友達も3年生から友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。

登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。

いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)

私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。

初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。

とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動のものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。

当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。

また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプ女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。

要するにやりたい放題のガキ大将キャラだった。

クラス替えをして、全然知らない、普段かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。

多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人対応をできるわけがない。

しかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。

幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。

後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくま個人間の諍いであった。

私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。

給食時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分牛乳を配膳した。

大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。

当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。

1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。

周囲が異変に気付き始める。

「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初きっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているかこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名命名した。キャッチーあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。

しばらくしてクラス人間が真似をし始めた。地獄の始まりである

子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪判断がつかないまま真似をする。

「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。

「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。

かくしてYさんはスケープコートへと転がり落ちた。

当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティ破滅に向かう。場面場面でお調子キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団いじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。

「〇〇菌」

誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめ様相と化した。

ランダムペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。

愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。

今日今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。

しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやか小学校時代をぶち壊した。

わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキル相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。

勿論「つもり」が許されるいじめなど存在しない。

私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。

これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気ムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。

6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。

高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。

他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪問題顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラス学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。

Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。

ある時、昼休みだったか総合」の時間割だったか時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。

あなたいじめをしているでしょう」という直球だった。

私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。

私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。

その日の放課後ホームルームで学級裁判が起きた。

まずは「このクラスいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。

なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。

全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。

「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。

いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。

「手から離れた問題雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。

私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやす戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。

かに無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。

「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。

「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。

醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生カーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。

本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやか生活台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。

学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラス黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。

その後、地元公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。

自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。

私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。

大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。

私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。

それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。

中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。

それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。

私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。

入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。

どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。

兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。

私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校出身者は次々とA小学校出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。

A小学校の時に明るかった人間クラスカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。

そこからは影に徹してひたすら勉強ばかりした。

私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめ被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分黒歴史を見るようだった。

小学校時代猿山大将として過ごし、学級裁判だんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。

高校に入ってからしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。

自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。

大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。

アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。

過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。

私は27歳になった。

人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。

職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。

人に言われたことは言ってくれたことだと思えるようになった。

でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。

これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)

二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔しかならないからだ。

いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。

私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまり勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。

Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊けが目的人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。

でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。

精神成熟していないコミュティ悲劇だ。教員のせいにすることもできない。

とんでもないくだらない理由いじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。

イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。

***********

今日小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。

その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された Permalink | 記事への反応(7) | 00:41

2019-06-26

小学校5・6年のころの担任だったA先生面白い小太りのおじさんで、アイドルオタでだった。‬

教師然とした大人というよりはもっと身近な親戚みたいなフランクさがあって生徒には人気だった。‬

‪ ‬

先生はよくクラブ帰りとかに危ないから、遅くなったからと生徒を車で家まで送ったりしていた。‬

先生が車に乗せるのがクラスでも可愛い子だったり中心人物な子だということは流石に私も気付いていた。‬

‪私は家が学校の裏だったから送ってもらう必要はないし、なによりブスのメガネガリ勉だったので二年間先生に送られることはなかった。‬

‪当時の私は何も知らないアホだったので、可愛い子が特別扱いされることが羨ましかった。‬

‪ ‬

‪二十歳を過ぎて、当時同じクラスだった友達と四人で飲み会をした。‬

‪一人はクラスで人気者で先生にも目をかけられてた男子Oくん、一人は私と同じく中学受験組で勉強ばっかりだった男子Iくん、そして最後の一人が将来の夢はアナウンサーという先生お気に入りの中でも特に気に入られていた可愛くて利発な女子Nちゃんだ。‬

‪当然、A先生の話にもなる。Oくんが「A先生ってロリコン疑惑あったよね」と言った。‬

‪そこでようやく私は、あったしか!?と思った。今思うとただのロリコンだわ。‬

‪Iくんが「一回 俺がロリコンだと思うやつ手を挙げてみろ ってホームルームで言われたことあったよな」と言った。何それ全然覚えてないが???

A先生素行はどうやら学校でも問題になってたらしい。スカポンタンの私は何も覚えてなかったし何も感じていなかったが。‬

‪まあそりゃ親も心配するよな!?と今更ながら思った。‬

‪ ‬

‪そして当事者のNちゃんは、「先生が車に乗せようとするのすごく嫌だった、気持ち悪くて」と言った。‬

言葉通り連れ込もうとするのが気持ち悪いだけだったのかもしれないし、もしかしたら言わなかっただけで車の中で何かされてたのかもしれない。分かんないけど。‬

‪ ‬

大人になった今だから先生のやってたことはだいぶアウトだし手を出してないにしろロリコンだったんだろうなと思える。‬

‪でも、当時のロリコンなんて単語も考えも知らなかった私はただただ「先生」に選ばれる子が羨ましかった。‬

‪流石に知らない人についていくようなことはなかったと思うけど、もし先生が車乗せてくれるって言ったらすごく喜んだと思う。‬

‪ ‬

‪何が言いたかたかと言うと、大人なら当たり前に察知できる「危険」も子供には別の側面で見えているかもしれないということです。‬

‪すれ違う人すべてに警戒する世の中にはしたくないけど、「危ないことを危ないことだと認識できる」だけの知識を得る最低限の教育は大切なのだ。‬

‪ ‬

‪今、ゾーニングやらなんやらで子供にこんなもの見せられない!とエロいコンテンツ規制が激しい。‬

ぶっちゃけ規制をすること自体はいいんじゃないと思う。恣意的基準が〜とかそういう問題はともかくとして。‬

‪でも、そうやって自然と知ってしまきっかけを消し去るなら、大人はきちんと子供が自らを守れるだけの知識を与えてやらなければいけないと思う。‬

子供だった私は運良くそういう目にあうことはなかったけど(痴漢は何回かあったが)、きっとそれは運が良かっただけだと思うし、もしそういう事態に出くわしていたら、なんの警戒も持たずに被害にあっていただろうと簡単想像できるから。‬

2019-06-18

人見知り実習

教育実習

教職課程を取っている人なら誰しもが行くであろう最後の難関とも言える4週間ほどの実習。勿論本気で教員を目指している人も、そうでない人もいるが、とりあえず皆単位認定免許取得のためにこの実習を行う。

僕もその1人で、特に教員になるつもりはなく、就活をしていたが3年間の自分努力を水の泡にするのも癪だったのでとりあえず免許だけは...と思い、母校へ実習に。勿論、こんな半端な思いではいけないと分かっていたので、せめて実習期間だけは本気で教員を目指している人を演じようとした。自分教職課程で嫌という程困難な単位も取得してきた経験から、大抵の事はそれなりに出来るだろうと踏んでいた。

しかし、大きな誤算があった。

それは自分が極度の人見知りなことである

友達は少ない方で、あまり口数も多くない。少人数を好み、内気で外に出ていくような性格ではない。こんなやつが教育実習を行おうとしていたなんて今思うと笑い話である

僕の他にも何人か教育実習はいた。実習期間中は控え室で他の実習生と過ごす時間が多くなるのは当たり前のことだが、僕はそれがとても苦痛だった。

先にも言った通り、内向的で人見知りな性格なので「知らない人」がいる空間というのはいささか居心地が悪いのだ。しかも、4週間は同じ人と顔を合わせないといけないし、嫌でも一緒にいなければならない。

この性格で馴染むことはできず、実習生とは距離を置いて生活していた。

大人なんだから、それくらいどうにかしろよ!とも思われるかもしれないが、性格面の問題自分苦痛を受けて皆と平穏に過ごすか、自分ストレスフリーで皆と距離を置くかの2択しか無かった。僕は勿論後者を選んでしまった。

教育実習生活想像を遥かに凌駕する程の過酷ものであった。定時に退社するという概念はなく、朝がとても早いのに夜は遅くまで残って指導案を書いたり、教材研究をしたり、雑務をこなしたり...とにかく今までぬるま湯生活を送ってきた僕には宛ら監獄生活のように思えた。

やっと来た休日でさえも疲れて動けない。どこかに行こうという気力も、何かをしようという意欲も湧いてこなかった。

そんな中で唯一の救いだったのは指導教員の緩さだった。他の実習生を見ると、指導教員に怒られ、やる気はあるのか?と捲し立てられる人もいたくらいだから僕はとても恵まれていた方だと思っていた。

しかし、それは違った。

指導教員が緩かったのは、ただ単に僕に無関心だったからだ。好意も悪意もない、何の感情もない。指導案も授業計画も全て何の意見もせずに一言「良いんじゃない、それでお願いします」とだけ。

無関心な事を後押しするエピソードとして、初日に僕が実習生として指導教員クラスに着くことを生徒に言い忘れ、最終日も今日実習生は終わりということを生徒に告げてはいなかった。

他にやることがたくさんあるのは承知していたし、自分仕事プラスして実習生を請け負う(負担を増やす)という事も分かっていたけれど、他の実習生は怒られてでも関心を持たれて指導をされていたのが羨ましいと思った。

そして何故か教壇実習(授業を行うこと)は、意外と何の問題もなくこなせた。

人見知りなので人前に出る事が苦痛だったし、30人もの生徒を前に緊張で何も喋れなかったらどうしよう...等と考えていた自分がアホらしく思えたくらいには堂々とした態度で臨むことができた。

指導教員以外の先生方のご指導を頂いて、大変実になる経験であったと感じたし、自分の潜在能力にも驚かされた。ひとつ言えるのは、性格面に問題があろうと、担当科目に対する幅広い知識教養を身につけていればそれを口頭説明する感じで乗り越えられるという事だ。

どうかこれを見たor見ている人見知りで内向的教育実習を控えた人に少しでも勇気を与えたいと思って僕はこの記事を書いている。なので、似たような境遇の人がどんな目に遭ったのか最後まで見ていてもらえると嬉しいです。

授業を重ねていくうちに、必然的クラスの生徒とも喋るようになった。人見知りだが、相手から話されればある程度は話せるし、どちらかと言うと自分で話を振るのは苦手なのでどんどん話すタイプの人とは相性がいい。聞き手に回るのは得意だったので、生徒の色々な話を聞いたりしてとても懐かしい気持ちになったり、楽しくなった。

危惧していたクラスの生徒との関係性もまあまあ良好、と言ったところであった。

そして早く終わってくれ、と思った教育実習もあっという間に1ヶ月が経ち、最終日を迎えた。

僕は教育実習生とはあまり仲良くは出来なかったが、そこそこな関係は築けたのではないかと思った。しかし、特にこれといって仲良くはないので教育実習後のお疲れ会と称した飲み会には不参加でお願いした。面白いのが実習生で断ったのは僕ただ1人という事だ。皆この1ヶ月でとても仲良くなっていて驚いた。

そして最終日の最後ホームルームを迎え、僕はいつも通りにホームルームをした。しかし、クラスのみんなにプレゼントがあったので、ホームルームを早めに引き上げ、お菓子を配った。その中に手紙も入れた。自分なりに話した生徒の特徴を書いて、30人それぞれに違うメッセージを送った。生徒たちが喜んでいる姿を見て自分も嬉しくなった。

しかし、最終日に「今日最後」という認識は生徒になく、皆驚いた顔でこちらを見ていた。

ホームルームが終わったあとで何人かの生徒は駆け寄ってきてこう言った。

「…今日最後って知らなかったです」

最後って知ってたら手紙とかもっと色々したのに...」

「私も先生プレゼントたかったです」

どの言葉も嬉しかった。自分にとってはそれだけで満足であった。30人いる中でたった一人でも、少人数であろうと、自分のことをそういう風に思ってくれる生徒の存在というのは何よりも大きかった。

しかし、控え室に戻ると他の実習生は大号泣花束を抱え、もう一方の手には色紙を持っていた。自分はまたそれを見て羨ましく思った。

色紙や花束を貰いに実習をしに行った訳では無い。勿論それらは気持ちであるし、指導教員の計らいでもある。

という事を考えると、指導教員はやはり自分に無関心で何の感情もなく、自分を惨めな思いにさせたと感じて一気に敬いの気持ちが消えた。自分勝手な考えなのは百も承知だが、普通に最終日の予告もなし、何も用意せずただ「実習お疲れ様でした」の一言だけはさすがに1ヶ月耐えた自分には辛いものがあった。しか指導教員菓子折り(渡すべきもの大学から言われていた)を渡すと「これあんまりきじゃないんだよなー、まあ、誰かにあげます(笑)」と冗談ぽく笑っていたが、自分の心はこの態度に酷く傷つけられた。

唯一の救いは何人かの生徒はノートの端切れに「ありがとう」や「楽しかった」などのコメントを書いてくれたものを渡してきてくれたことだ。最後と知らなかったので、ほんの気持ちしかない贈り物だったが、自分には一生の宝物となった。

と同時に一生こんな人にはなるまい、と指導教員反面教師として生きていこうとも思った。

実は書類の不備で実習を終えた母校にもう一度足を運ばなければならないのだが、その際にまたあの指導教員と合うと思うと憂鬱で仕方ない。

実習を終えることはできても、かなり自分の心身を酷使したイベントであった。

どうかこれから実習に行く人は気負わずに気楽に行って欲しい。指導教員との相性が悪くとも、性格に難アリで厳しそうでも、始まってしまえば終わりが来る。

人生はそういうもんだ(小並感)。

2019-06-07

金曜日の6時間目はホームルームなんだけど最近先生が生徒の良いところを探そう運動みたいなのにハマってるようで鬱陶しい

良い所が本当に無いクラスメートが一人いて困るんですよ

2019-03-29

やっぱり引きこもりは追い出す

国をあげて引きこもりを探し出して引き出し支援やるんでしょ?

社会的にだめな人には「なんでだめな人を助けてあげないの?」とまるでいじめっこをホームルーム晒し者にするような形じゃないと救われないと国は言っているんだよね

https://togetter.com/li/953401

2019-03-04

高校卒業式に参列したけど、来賓挨拶悲壮感に満ちてた

 AI技術の進展や、外国人労働者の受け取れなど、君たちを取り巻く環境はどんどん変化していって、先が見えない社会になってきていている。

 とにかく頑張って欲しい、生きて欲しい

 校長を含めて3人くらい登壇して挨拶してたけど、みんなこんな感じ。漠然と頑張れを連呼する調。少なくとも「輝かしい未来」とかいう明るい系フレーズはなし。

 三大都市圏から1時間圏内にある地方都市で、学校はいわゆる底辺に近い偏差値40前後。1/3 が進学(と言っても専門学校ほとんど)で残り 2/3 が就職という感じ。進学で就職先延ばしした 1/3 はもう暫く猶予があるとしても、来春から就職することになった 2/3 の過半数非正規職場への就職らしい。もっとも、正規と称されるところだって初任給15万なら御の字という低待遇だが。

 真っ先に外国人労働者バッティングする層なのよね。あいつらは、時給1000円でも喜んで就業するだろうし、何年かして祖国に帰ったとしても次から次へとやってくる。

 「時給1000円でも喜んで働く労働者」が無限に補充される状態から、恐らくは能力的に彼らと大差のない日本人高卒の子たちも、彼ら外国人労働者と同じ待遇固定化されるだろう。

 能力を磨けば何とかなる次元でもなく、どう足掻いても太刀打ちできないこと分かってるから来賓たちは揃って「とにかく生きて欲しい」になるんだろう。

 最後ホームルーム写真を撮り合ったり。彼ら彼女らにとっての「学生だった最後の日」になるんだよね。

 卒業って、社会に出る、というよりか、社会に放り出す、ということなだって感じたよ。18歳の若さでこの社会はあまりに厳しすぎるよ。30代になったら年収300万、40代になったら400万、そんなビジョン絶対に描くことができない未来しか見えないのだもの

 「人口の半分は独身で生涯を終える」という社会の到来しか見えないと感じた卒業式だった。

2019-01-19

いじめ被害者大人になるまでの話

もし良かったら読んでください。

私(女)は小学生の頃、箸の持ち方を知らないばかりか、食べる時には口を閉じてくちゃくちゃ言わないようにするとか、お皿の中に手が入らないように食器を持つとか、そういう生活常識を知らなかった。

髪は週に1,2回しか洗わないし、梳かしたことほとんどなかった。まともな櫛やドライヤーも家になかった。同じ毛玉だらけのセーターを毎日着ていた。成長期なのにあまり顔や体を洗わなかったから、顔や背中の肌が荒れて、ニキビだらけだった。

背中ニキビの一部は皮膚の病気になり、今も通院しているけれど、手術後も再発・肥大し、痛みと痒みが続き、大きく背中が開いた服を着ると見える。)

小さい頃からベビーシッターによく預けられて、母は友達と遊びに行ってしまう。

今思えば子供への関心の薄いネグレクト家庭だったのだが、両親はちょっと変わっているだけで、全く虐待している意識攻撃性もなく、学校先生家庭訪問に来ても、新築の一軒家住まい5月の庭には数種の薔薇が咲いており、特に生活困窮しているわけでなかったから、異常を見つけてもらえなかった。

家はあまり掃除されておらず汚かったし食事も買ってきたお惣菜冷凍食品ばかりだし誕生日ほとんど祝ってくれなかったし学校の話も無関心でテスト定期試験の答案さえ見せたことがなかったけど、どうしても欲しいゲーム必要ものはある程度買ってくれるし、風邪を引けば病院に連れていってはくれた。

母の少女趣味で、4歳からバレエピアノ習い事もしていた(両方とも下手だったけど)。

そんな子供だったから、小学3年生のとき給食牛乳を飲んでいる途中で、飲み方が悪く、むせて吐き出してしまったのをきっかけに、周囲の子どもに「汚い、キモい」などと言われ始めたのをきっかけにいじめが始まった。

私が触ったものは全て汚染されていると言われ、みんなそれを信じるようにして、避けるし、触れることがあったら菌がついたと言い他の人に鬼ごっこのようにして移す。一見遊びのようだけど、やっている人たちもからかってるわけではなくて、時間が経つうちに学年中に知れ渡り、狭いコミュニティの中では迷信のように真実めいていた。村社会的に、コミュニティ全体の常識シフトしてしまい、今の自分と比べてずいぶん汚い身なりだったし、性格も卑屈寄りだったのでなかなか理解しがたいとは思う。あえて例えるなら、見た目に特徴のある障がい児に起きることのあるいじめパターンがあるとすれば、それに似ていると思う。

いじめは中3まで続き、何人かの男児から、登校中に因縁を付けられて、石を投げられたり、お腹を蹴られたり、持ち物に触れたという理由土下座させられたり、ゴミをかけられたり、クラスの8割程度の人に配った給食を残されたり、描いた絵を破られて路上に捨てられたり、カッターを持って校舎内を追いかけ回されたりした。

運悪く、担任先生は小1から中3まで毎年変わってしまっていて、特にこちから何もお願いしなかったから(当時の自分は、そんなお願いは聞いてもらえないと思っていたから)、特に主犯格と言えるような男児クラスが中2までずっと被ってしまっていたし、ほとんど対策がとられなかった(こちらが言えば注意ぐらいしてくれるけど対象の人数が多すぎてキリがない)のも長続きしてしまった原因の一つ。

たまたま中2の時に、登校時に下駄箱を見たら、自分下駄箱に他の男児上履きが突っ込んであった。

これは、私ではなくて上履きの持ち主をいじめるためで、この頃は時々あったことなので、その上履き適当にすのこの上に置いて、特に気にせず、教室に入ると、今度は机の中に同人物の教科書がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。

取り出すのに苦労していると、当該の男児が登校してきて、自分の持ち物を“汚い”私の元に移されたことを怒っていた。

そもそも私がそういう前提で扱われることに納得いっているわけではなかったので、私も何か言い返そうとしていると、チャイムが鳴り、担任が入ってきた。

「何してるんだぁ!」と担任一喝すると、クラス中の注目が集まった。

みんな知っていることとはいえ、表沙汰にされるのが怖かったし、恥ずかしくもあったので、その時は数年ぶりに人前で泣き、それも一言では言い表せない気持ちが色々あり、通夜のように静かに激しく泣き、ホームルーム中ずっとその嗚咽が教室に響いた。

担任に話を聞いてもらい、事態理解してもらえたが、たった1年の付き合いの担任に比して、周りは長くて8年ぐらいの間柄であるから、今更自分への扱いが変わることはなく(誰かが私に優しくするとその人がいじめられるので)、菌扱いはずっと続いた。ただ、その頃には周りも異性などに興味が移る人が多く、積極的にそういうことをしてくる人たちは減ってきていたかもしれない。

私は他のクラスメイトとは自分感覚が違いすぎて今見れば普通の人たちとも関わるのも怖く、多くの人とはあまり喋らず距離を置いており、関わることがあればそういう人たちだったのでわからない。

自身、かなり頑固だったので、耐えなければいけない、自分が悪いと思って、不登校にはならなかったし、転校も考えたことがなかった。そういうことを言うと、何事も大ごとにしたくない親や周囲の大人が嫌がるのがわかっていたし、恥ずかしかったし、どこへ行っても同じだと思っていた。

友達が少なく読書をよくしていて、進研ゼミも取っていたので(教養コラム読むのとシール集めに赤ペン先生出すだけで一般教材はやらなかったが)、勉強は得意だったので親に頼んでバレエを辞め、好奇心から塾に通わせてもらった。

成績が良かったので、塾の講師にも会社実績を上げるためのエースの一人として熱心に指導いただき都道府県公立トップ高校に進むと、周りの人たちがガラッと変わって、周りは賢くて志の高い人ばかりで、誰も自分いじめなかった。とても驚いた。廊下男子にぶつかったとき気持ち悪がられて罵倒されるどころか、「ケガはない?」と心配してくれて逆に申し訳なくなった。

中学生ぐらいからは、部活友達が居たこともあり、少しは身なりの整え方などが改善され、今まで全く笑わなかったが楽しさを感じて笑顔が出るようになったこともあり、普通友達や仲間ができた。

しかし、高校3年生になると、みんな受験勉強に勤しむので友達付き合いを控えるようになり、元々大学を目指しているわけでもなかった自分高校からは成績がかなり悪く、学問は諦めて美大を目指していたが、絵の勉強に身が入らず、部活も終わりかけ、家族とは相変わらずあまり関わりがなかったしとても孤独で、GWの間、一日7時間ぐらいいろんなことを考えた結果、人生がわからなくなり、5月下旬に家の中でパニック発作を起こした。

流石に親が心療内科に連れて行ってくれて鬱の診断をもらった。

頭の中の時間感覚おかしくなり、好きな授業もあったけれど、教室でじっとしているのが怖くて、家や保健室でボーッと過ごす日が続いた。

結局ほとんど絵も学問勉強しなかったので、試験には落ち、浪人生身分となった。

浪人を始めた頃には少し鬱は回復していたので、一念発起して美大ではなく私立文系勉強を始めた。ついでに、不細工と言われ続けた顔を鏡で見ると昔を思い出すので、貯めてきたお年玉をはたいて眼瞼下垂気味だった目を整形した。

高校に入ってから部活や他の趣味ばかりでろくに勉強していなかったけれど、一年ほとんど勉強だけしていたからか、早稲田大学の3学部を受け、全て合格した。

それから先も多少いろいろあったけれど、今は政令市地方公務員として働いている。

陰険上司や先輩に当たって虐められた年もあったが、今は環境に恵まれ毎日が過ごしやすい。

20歳からは皮脂分泌が落ち着いて肌荒れしなくなり、髪も縮毛矯正マメにかけるようになり、あれほど男子不細工キモい、近寄るな、死ねなどと毎日言われていたのに、今は男性もみんな優しい(それでも同年代男性が今でも怖いし、年をとったり、見た目が悪くなった途端に冷たくなるのでは?と思う)。

過去のことは忘れないと思う。

というか、昨夜も夢に見たのが今回文字に起こしてみたきっかけ。

幸せ子供時代というものも味わってみたかったけれど、人生一度きりだから仕方ない。今後のことはわからないし、何かの糧になったと思って今を楽しく暮らすしかないのかもしれない。親にはお金の面ではありがたいと頭では分かるが、気持ちとしてはどうしても感謝できない。

今の私がそのまま子供に戻れたら、もっと周囲に訴えかけ、逃げられないなら転校だってできた...と思う。1020年ほど前だから、今の時代よりも支援は得られないかもしれないが、多少の嘘をついて逃げても誰も大して困らなかっただろうし、何より自分人生を大切にすべきだった。

そういうことは、大人になってから学んだ。

2019-01-05

名前ホモが入っている男って生きにくいだろうな

保茂とかありそうじゃん

読み方はタモシゲとかなんだろうけどさ

入学式が終わって最初ホームルーム先生に「えーと、田中、、、ホモくん?」と間違えて読まれ

それから3年間あだ名ホモ

開き直って男と付き合うと一部の女子からめっちゃ人気が出て

「あれ?モテ期来た?」と勘違いして男と別れて女を物色するも

ホモじゃないとバレた時点で人気急降下

諦めてホモに戻るも別れた男は体育教師と付き合ってたりして寝取られ気分

2018-11-21

高校教師になってみたけれど

サイエンスの楽しさを教育したり教科の専門家になりたかった

だけど実際やってみたら教員は超絶ゼネラリストだったのでもう無理

教員をやってみて体育会NG自分レッドリストレベルの少数派だと知った

教員を続けようとすると部活顧問体育会カルチャーが不可避になるのが残念すぎる

あと、生徒とはフラットに気軽に付き合いたいのだが、それは無理だった

クラスを「統治」する以上スクールカースト上位を意識しないと自分サル山の最下位序列になって、授業もできないし廊下を歩くこともできない

これまで自分動物園サル山を見て「獣は愚かだなあ」とおもってたんだが、人間の集まりサル山だったんだな

教員学生時代キラキラして楽しかったヒトむけだ

学校が楽しくなかった

クラス友達ほぼいなかった

体育祭文化祭サボってた

クラスTシャツの購入希望自分だけ聞かれなかった

文化部幽霊部員だった

ホームルーム苦痛だった

数学けが癒やしだった

文系科目は読書or睡眠時間だった

体育教師に「そんな人生でいいのかwww」と嘲笑された

遠足は自宅を出てから体調不良で...」と学校電話してファミレス時間をつぶした

修学旅行は班行動から合意の上離脱して一人旅を楽しんだ

こんな自分がやっちゃだめな仕事

いい経験になったよ

2018-09-16

職業訓練IT系)に半年通った感想

(※半年といっても7月後半〜8月まで夏休みでした)

私は20代半ば手前の者です。

昨年仕事第一次産業)を辞めてしまい、学歴スキルもないのに何やってんだろ...と引きこもりかけたところ、

ハローワークで長期の職業訓練を見つけたので応募してみました。

それは専門学校委託される2年間の訓練でした。その間失業保険支給は、期限が過ぎても延長してもらえます

要するに入学料・授業料タダ、お金をもらいながら勉強でき、専門卒になれるチャンスというわけです。

(本当に有難い制度です。就職したら、きちん税金を納めて世の中にお返しするつもりです)

どうやら希望者は少なかったようで、筆記(中学レベル知識大丈夫でした)と面接はすんなり通りました。

受講するコースIT系を選びました。

(他には、介護系・看護系のコースがありました)

訓練の様子

専門学生に混じって授業を受けます

同じ訓練生は1割程度です。(30~40代の方が2人おられます

ほとんどは地元高校卒業したばかりの18才の子たちです。

ワイワイやる人が3割、静かな人が7割ぐらい? といった印象です。

男子100%ですが、ホームルームだけは女子100%のコースと一緒にやります

悪い人はいない感じで、授業が荒れて成り立たないとか、そういうのはなくてよかったです。

ただ、バイトが忙しいのか授業中イビキかいて寝ちゃう人や、全然授業について行けなくて辞めちゃうはいます

この辺の雰囲気大学1〜2年と似たような感じですかね。

授業内容とか

Office(前期のみ)

word,excel,powerpointを一通りやりました。PC操作に慣れていない人も多いので、

手取り足取りゆっくりやる感じでした。自分仕事で使ったことがあったので、課題を早く終わらせて

自学をしたり、隣の子に教えてあげたりしました。

C言語

terapadコマンドプロンプトを使っての授業です。(コンパイラborlandです)

SE先生(本人曰くCOBOLer)の説明聞いてから課題をこなしていく感じです。

入学前に、RubyやらJava参考書を一周してみたり、ドットインストールC言語動画を見たりしていたので、

授業にはついていけています

ただ授業だけだと完全に足りなさそうなので自学を頑張ってます

基本情報技術者試験対策

分野ごとに授業があります教科書を読んで先生が板書・たまに問題集プリントを生徒にやらせるといったスタイルです。

ただ試験対策なので、問題演習を重視した方が良いと思いました。

授業を聴きながら(たまに当てられるので)、ひたすら過去問をやっています

ちなみに学校は12月の修了試験合格すると本試験の午前問題免除)→来年4月の本試験 を前提にカリキュラムを組んでいますが、

私は年も食っているし、合格就職活動に間に合わないので、来月受験します。

就職指導先生応用情報技術者も取っておけ、と言われましたが、必要ですかね...?

勿論取らないに越したことはありませんが、Railsチュートリアルとか他の技術書時間をさいたほうがいいかな、と思いました。

アルゴリズム(前期のみ)

フローチャートや疑似言語を使って、バブルソート基本選択法など初歩的なアルゴリズム勉強です。

実際のプログラムコードの方がわかりやすい気がしますが、基本情報技術者試験対策なので仕方ないですね。

今も現場ではフローチャートや疑似言語は使われているのですかね?

そんなの古い現場しか使ってないよ、という意見はよく聞きますが...

HTML/CSS

先生意向でなぜかメモ帳推奨。(他のエディタを使っていたら嫌な顔をされた)

素人がいうのも何ですけど、ミス気づきにくいし、使いづらくないですかね...

案の定何でもないところでハマる人がいて、授業はよく止まってしまます

ブラウザ開発者ツールの使い方を隣の子に教えてあげたら、喜んで使ってくれていましたが、

やっぱり変なもん教えるなという目を先生から向けられちゃいました...

データベース実習(後期〜)

Accessを使った授業です。テキスト通りにやっていきます

Accessは初めて使いましたが、Mysqlをちょこっと触ったことがあるので、要領はなんとなく掴めました。

これも授業は遅いので、先に教科書の内容は家で一通りやってしまいました。

今はVBAの本をやっています

就職指導

ビジネスマナーや、ちょっとしたゲーム、話し合いなど。

グループワークとかやめてください死んでしまます、と思ったけど、意外と楽しめました。

ただ、喋らない人たちしか居ないグループだと、何を話しかけても反応が薄かったので、ちょっと辛かったです。

訓練(学校)の不満なところ

(勿論、アンケート等で学校側に伝えています

・授業で使うPCはメモリ4GBでもうちょっと欲しいなあと思いました。

エディタAtomUSBに入れて使っていましたが、カクカクでよくフリーズしました...

(VSCode大丈夫でした。)

モニタも19インチ正方形で、ウィンドウをたくさん出したい時は不便ですね。

どんな職場に行ってもどんな環境でも何とかやれ、という訓練ということなんでしょうかね。

そんな感じです。

1年生後半にRubyの基礎、インターンシップ強制)、就職活動の開始

2年生からは、Java,Rails,サーバ構築, データベース構築あたりの授業、という流れで進んでいきます

来年卒業します。

年齢が20後半になるので、周りの若い人たちと何かしら差をつけないといけないので大変ですが、

地元企業SE(Web系を希望しています)で採ってもらえるよう頑張ります

アドバイスがありましたら、いただけると嬉しいです。

追記

拙い感想文にいろいろと反応いただきありがとうございます

>>学費取れないぶん設備が劣るのは仕方ない気もするが

もっともです。私は皆様の雇用保険から学校に通わさせていただいているので、文句言う立場じゃないですね...

ただ、年100万近く払っている一般生徒の方は、不満に思っているかもしれませんね。

>>田舎で数年間無職してるけどIT系就職訓練無くて最悪 羨ましい 田舎ゴミ 

そうですか... 私の住んでいるところも地方都市ではない田舎なのですが、

近隣にIT企業進出してきていることもあってか、今年からIT系が訓練の対象となりました。

都市部ではない地域も、もっとIT系の訓練が拡充されると良いですね。

>>otihateten3510 基本情報さえ取ればどっかに潜り込めるだろうから、そこで3年くらい真面目にやれば結構いけるとおもう。

>>コード書けると良い。/授業はまあそんなもんだよね。現役の人に聞いたほうが正しい。/東京のほうがイージー

ちょっと精神的に病んで前の仕事をやめてしまったので、家族サポートを得て、地元就職しようという情けない有様でございます

なんとかしてこちらの企業に潜り込みたいと思います

仕事事情は、やはり現役の方に聞くのが一番ですね。企業訪問インターンで色々聞いて見ようと思います

2018-08-12

[][]先生遠藤さんの上履きがありません! 8

前話:anond:20180811045820

第一話:anond:20160131184041

なろう版(同一内容):https://ncode.syosetu.com/n0012dq/

ヒロミ

遠藤さん。僕は、先週の水曜日に、遠藤弘美さんの上履き下駄から抜き取り、廊下の角の水槽の中に隠しました。そして、自分でやったことなのに、誰か他の人がやったふりをして、自分でその上履きを見つけました。ごめんなさい。もうしません」

 気持ち悪かった。男子なんてこんなもん、って思ってたけど、実際に自分がやられてみると、『こんなもん』じゃ到底気が済まない。私の上履きを、私が見ていないところで下駄からとって、それを水槽の中に入れた? こいつが? 自分が目の前にしているものを、到底受け入れられなかった。

 でも、こう言わなければならないんだろう。

「いいよ」

 せめて、ケン君に軽蔑気持ちが伝わるように、自分にできる限り最大の軽蔑を込めた声色で、私はそう言った。でも、どうせ『素っ気ない』くらいにしか思わない。男子はそんなもの。まして、こんな変態に、私の気持ちがわかるわけがない。

 お決まり儀式が終わると、私はできるだけ無表情を保ったまま、席についた。

園田君は、勇気を出して自分がやったことを告白して、三人にきちんと謝ってくれました。間違いは誰にでもあります。でも、間違いを認めて謝るのは、誰にでもできることではありません。園田君、ありがとう。そして、高橋さん広瀬さん、そして遠藤さんの三人も、園田君の話をきちんと聞いて、許してくれてありがとう。人を許すのも誰にでもできることではありません。みなさんも、間違いを犯したり、悪いことをしたりして、だれかを傷つけたり、また誰かに傷つけられたりすることが、これからたくさんあると思います。そういうときは、高橋さん広瀬さん、遠藤さん、そして園田君のように、間違いを認め、きちんと謝り、そして、誰かが謝ろうとしているときは、きちんとその話を聞いて、できれば許してあげてください」

 くだらない。先生だって、「ごめん」の一言で許せることと許せないことがあるのはわかってるだろう。ただ自分クラスを指揮したいから、こんな風にしているんだ。

園田君、こんなことをしたのは、理由があるんですよね? それをみんなの前で話してくれますか?」

クラスのみなさん、僕は、高橋さん広瀬さんと遠藤さんの上履きを隠して、それを自分で見つけてヒーローになったつもりで楽しんでいました。豊島さんの上履きがなくなって、それを山崎君が見つけたとき山崎君がみんなに褒められて、豊島さんに喜んでもらっていたのが羨ましくて、自分もああなりたいと思って、やってしまいました。みなさんを騙して、不安にさせて、それを今まで黙っていて、本当にごめんなさい」

「みなさん、園田君のことを許してあげられますか?」

 どうして当事者じゃない他のみんなが、「いいよ」、「いいよ」と言っているのか。本当にくだらない。迷惑をかけたというけど、だったらそれは、当事者問題クラスみんなの問題に仕立て上げた浦木のせいだ。『先生』という立ち位置は、そんなに気持ちいいんだろうか。

 周りのみんなを見渡して見ても、本心で「いいよ」なんて言っているやつはいないだろう。いや、ひょっとしたら、ケン君と仲良しのタッ君くらいは、本心かもしれない。

 そう思って彼の方に目をやった時、私は自分の耳を疑った。

ケンジ君は犯人じゃありません」

 アヤちゃんだ。ケン君が犯人じゃない? アヤちゃんは、何かを知っているの? 

 次の瞬間、タッ君が立ち上がって叫ぶ。

「僕じゃない!」

 状況が理解できなかった。

犯人は……」

「だから僕じゃないって言ってるだろ!!」

「黙って。タカヒロ君疑ってな……」

「黙るのはそっちだ!」

「だからそうじゃないって言って……」

「うるさい!」

「私はケンジ君じゃないって……」

「違う、違う、違う! 犯人ケンジなんだ。それでいいんだ。ほら、本人がそう言ったじゃないか! あいつは、アヤネの上履きを見つけたユウヤが羨ましいって言ったんだ! 『ヒーローだぜ?』って言ったんだ! あいつは、みんなに褒められて、女子感謝されるのが羨ましくて、自分上履きを隠したのに、それをまるで、『俺は頭が良いから見つけられるんです』って言うみたいに、わざと知らないふりをして、自分で隠したのを自分で見つけて、自慢げに『先生、あった!』なんて言ってたやつだ! あいつは、表では優等生ぶって、裏では女子上履きを盗む変態だ!」

 そんな言い方しなくても、と心の中で言いかけた時、自分もそう考えていたことに気づいて、ゾッとした。でも、タッ君のいうことは間違ってない……はず。じゃあアヤちゃんはなんでケン君をかばうの?

園田君待ちなさい!」

 割って入るように先生が叫ぶ。思わず教壇に向き直ると、ケン君がいなくなっていた。状況に耐えられなくなって、逃げ出したのかもしれない。弱い奴。あいつは私の上履きが隠された日もこうだった。いや、隠された、じゃなくて、あいつが隠したんだ———アヤちゃんの言うことが、本当でなければ。

「みんなは静かに待ってて」

 先生はそういうと、教室から出て廊下を走って行った。

 その時、『パンッ!』と乾いた音が教室に響いた。

 音の方に向き直ると、涙目のアヤちゃんがタッ君を睨みつけ、タッ君はほっぺを抑えて俯いていた。

上履きを隠したのは、私なの!」

 アヤちゃんだとは思えないくらい大きな声で彼女は叫んだ。

「マジかよ」

「嘘だろ。ケンジをかばってるんじゃねーの?」

「でもあいユウヤが好きなんじゃなかった?」

 バカ男子が口々に言う。

 私にだってにわかには信じられない。アヤちゃん私たち上履きを隠した? ケン君がやったって、さっき言ったばかりなのに。

 私はあの時、ユッちゃんアユちゃんと一緒に、体育館で遊んでいて、上履き体育館下駄箱に置いたままだった。アヤちゃんは、いつも一緒に遊ぶのに、あの時はいなくて、私が上履きがなくなっていることに気づいて、二人と一緒にギリギリまで探した後教室に戻ったら、自分の席に座ってた……ような気がする。だから、アヤちゃんアリバイは、ない……の、かな。でも、アリバイがないのはケンだって一緒……。

「私は、ユカちゃんと、アユちゃんと、ヒロミちゃん上履きを隠しました。でもそれは、三人が私の上履きを隠したからです」

 はっとした。アヤちゃんまさかあの時のこと……。でも、それは違う。

「アヤちゃんそれは違うよ」

 私の思ったことをそのまま言ったのは、私の口ではなくユッちゃんのそれだった。

「何が違うの!? あの時私の上履き袋を持ってたのはあんたたちじゃん!」

 そうだけど、と私が言う間も無く、口の早いユッちゃんが続ける。

「アヤちゃんが途中でいなくなっちゃうから私たち、ずっと体育館で待ってたんだよ。でも、用具のおばさんがもう体育館閉めるよって言うから、仕方なく、アヤちゃん上履き袋も一緒に持って出たんだけど、アヤちゃん戻ってくると思って、用具のおばさんに言って、上履き袋を体育館入り口のところにおいておいたの」

 体育館普段、授業とか式典で使う時以外は閉まってるけど、昼休みに校庭が使えないときは、昼休みが終わる10分前まで解放してくれる。その日はちょうど、光化学スモッグ警報が出ていて、校庭が使えなかった。

「でも私、体育館に戻ってきたら、もう閉まってて、入り口上履き袋なんてなかった」

 アヤちゃんが嘘をついているとは思えなかった。でも、ユッちゃんのいうとおり、私たちは確かに、アヤちゃん上履き袋を体育館入り口に置いて教室に戻った。あとでユウ君がそれを見つけたのは、体育館そばにある、西校舎の給食エレベーターの脇だ。だから、アヤちゃん上履きを隠したのは、私たちじゃない。

私たち体育館入り口に置いたんだから、アヤちゃんが戻ってくるまでに、誰かが移動させたんだよ」

「じゃあ誰が!?

 まるで私たちを責めるみたいにアヤちゃんが言う。

 教室が静かになった。

 ……

「俺なんだ」

 沈黙を破ったのは、ユウ君だった。

「は?」

「お前、自分が見つけたって言っといて、隠したのも自分だったの?」

「こいつがほんとのジサクジエンかよ」

 ユウヤは立ち上がって言った。

「俺、アヤネさんに、良いとこ見せたくて……ごめんなさい」

 信じられない。こいつがアヤちゃんのこと好きなのは薄々知ってたけど、上履き隠して見つけたふりしてポイント稼ごうとするなんて。

「ヘーンータイ! ヘーンータイ!」

 男子が囃し立てる。ユウヤは俯いている。

「ヘーンータイ! ヘーンータイ!」

「ヘーンータイ! ヘーンータイ!」

「ヘーンータイ! ヘーンータイ!」

「ヘーンータイ! ヘーンータイ!」

 ……

「黙って!」

 アヤちゃんの声。

「へーんたい……」

 急にトーンダウンする男子たち。

「私、嬉しかったのに……」

 アヤちゃんはそれっきり黙ってしまった。

 教室先生が戻ってきてからは、みんな何も言わなかった。先生がいない間にわかたことは、アヤちゃん上履きを隠したのがユウ君だったってこと、ユウ君はアヤちゃんの気をひくために、自作自演をしたと言うこと、私とユッちゃんアユちゃん上履きを隠したのは、アヤちゃんだったってこと、アヤちゃんは、自分上履きを隠したのが私たちだと思い込んで、仕返しのつもりでそれをやったこと。わからないことは、どうしてケン君と仲良しのタッ君が、ケン君を犯人だと言ってあんなにキツく罵っていたのかと言うこと。

 先生はそのままホームルーム解散して、放課になった。ケン君が犯人じゃないってアヤちゃんが叫ぶのを、先生は確かに聞いていたはずなのに、何も言わない。結局先生は、偉そうなことを言って私たちを指揮することにしか興味ないんだ。

 放課後、アヤちゃんと話がしたかったけど、ユウ君と何か話してたから、また今度にすることにした。アヤちゃんだって被害者なのはわかる。でも、自分思い込み私たちを一週間も振り回しておいて、まるで自分ばっかりが悲劇のヒロインみたいなあの態度は、ちょっとムカついた。何も水槽に入れなくたって良いのに。自分のは、上履き袋に入って出てきたくせに。

 ユッちゃんアユちゃんバイバイした後、駅の近くの電話ボックスに向かった。ケン君にはちゃんと伝えておかないといけない。ママにもらったテレホンカードは、まだまだ度数が残ってたはず。ママの前じゃなく、落ち着いて話がしたかった。

2018-08-09

[][]先生遠藤さんの上履きがありません! 6

前話: anond:20161213163621

第一話: anond:20160131184041

なろう版(同一内容): https://ncode.syosetu.com/n0012dq/

タカヒロ

火曜日ホームルーム今日ケンジは学校にこなかった。僕があんなことを言ってしまたことで、ケンジをさらに追い詰めてしまったのかもしれない。ケンジは犯人ではない。それはわかっている。でも……。

昨日先生が『密告用紙』を集めたっきり、先生は何も言っていない。結果はどうなったのだろう。犯人は誰かわかったんだろうか。いや、あんもの犯人がわかるわけがない。あんもので、何もわかりっこない。そうだ。僕が彼の名前を書いたからって、それで何かが変わるわけがないんだ。

今日はみなさんに大事お話があります

僕の心を読んだかのように、先生がそう言った。

園田君、入って」

教室がざわついた。ケンジが来ているんだ。

前の戸が開き、ケンジが教室に入って来た。神妙な面持ちだった。

「みなさんはまだ3年生なので、わからない人もいるかもしれませんが、悪いことをしたと告白するのは、とても勇気がいることです。誰でもできることではありませんし、立派で、素晴らしいことです。これから園田君に、何があったのかを話してもらいます。『自分には関係ない』というのではなく、これからの長い人生、みなさんの誰にでも、勇気を出して謝らなければならないことがあるでしょう。責めたり、馬鹿にしたりせずに、みんなでよく話を聞来ましょう」

嫌な予感がした。まさか本当に、ケンジが?

「じゃあ園田君、できるわね」

ケンジが小さく頷いた。

高橋さん広瀬さん、そして遠藤さん、園田君の前に来て」

先生に促されるまま、ユカ、アユミヒロミの三人が立ち上がって、教壇の隣に立つケンジの隣に立った。何が行われるかは、明らかだった。

高橋さん。僕は、先週の月曜日高橋由佳さんの上履き下駄から抜き取り、理科実験室のゴミ箱に隠しました。そして、自分でやったことなのに、誰か他の人がやったふりをして、自分でその上履きを見つけました。ごめんなさい。もうしません」

ケンジはそう言って頭を下げたあと、頭を上げて、不安げにユカに顔を向けた。

高橋さん園田君は悪いことをしましたが、きちんと自分がやったことを認めて、反省して、謝りました。高橋さん、許してあげられますか?」

ユカは無表情のまま、小さな声で「いいよ」と呟いた。

高橋さん上履きを隠されて辛かったのに、園田君を許してくれました。人を許すのは難しいことですが、素晴らしいことです。じゃあ高橋さん、席について」

先生がそう言い終わると、ユカは静かに自分の席に歩いて行った。

ケンジがアユミの方を向く。また同じことをするんだ。

広瀬さん。僕は、先週の火曜日に、広瀬あゆみさんの上履き下駄から抜き取り、廊下の窓の外に隠しました。そして、自分でやったことなのに、誰か他の人がやったふりをして、自分でその上履きを見つけました。ごめんなさい。もうしません」

広瀬さん、園田君を許してくれますか?」

「いいよ」

ありがとう。じゃあ広瀬さんも、席に着いて」

次はヒロミだ。

遠藤さん。僕は、先週の水曜日に、遠藤弘美さんの上履き下駄から抜き取り、廊下の角の水槽の中に隠しました。そして、自分でやったことなのに、誰か他の人がやったふりをして、自分でその上履きを見つけました。ごめんなさい。もうしません」

「いいよ」

ヒロミはことも無げだった。

ヒロミが着席すると、先生が続けた。

園田君は、勇気を出して自分がやったことを告白して、三人にきちんと謝ってくれました。間違いは誰にでもあります。でも、間違いを認めて謝るのは、誰にでもできることではありません。園田君、ありがとう。そして、高橋さん広瀬さん、そして遠藤さんの三人も、園田君の話をきちんと聞いて、許してくれてありがとう。人を許すのも誰にでもできることではありません。みなさんも、間違いを犯したり、悪いことをしたりして、だれかを傷つけたり、また誰かに傷つけられたりすることが、これからたくさんあると思います。そういうときは、高橋さん広瀬さん、遠藤さん、そして園田君のように、間違いを認め、きちんと謝り、そして、誰かが謝ろうとしているときは、きちんとその話を聞いて、できれば許してあげてください」

結局、ケンジが犯人だったのか。

だってヒーローだぜ?』

やっぱり、そうだったんだ。そうだ。僕は自分犯人にされるのが怖くて、ケンジに疑いを押し付けたんじゃない。ケンジと話していて、ケンジがやったんだとわかったから、だからそう書いたんだ。これで良かったんだ。

先生が続けた。

園田君、こんなことをしたのは、理由があるんですよね?」

ケンジが頷く。

「それをみんなの前で話してくれますか?」

はい、と小さくいい、ケンジは『釈明』を始めた。

クラスのみなさん、僕は、高橋さん広瀬さんと遠藤さんの上履きを隠して、それを自分で見つけてヒーローになったつもりで楽しんでいました。豊島さんの上履きがなくなって、それを山崎君が見つけたとき山崎君がみんなに褒められて、豊島さんに喜んでもらっていたのが羨ましくて、自分もああなりたいと思って、やってしまいました。みなさんを騙して、不安にさせて、それを今まで黙っていて、本当にごめんなさい」

「みなさん、園田君のことを許してあげられますか?」

先生がそう促すと、クラスのみんなが口々に「いいよ」、「いいよ」と言い始める。お決まりプロトコルだ。

これでよかったんだ。これで全部終わる。そう思った矢先、目の前の背中が立ち上がった。

ケンジ君は犯人じゃありません」

アヤネが言った。

そのとき、昨日の密告用紙の記憶が蘇ってきた。

『………弘』

恐怖で頭がいっぱいになった。

犯人は、」

アヤネがそう言ったとき自然言葉が出てしまった。

「僕じゃない!」

恐怖が口から押し出したその自分自身の言葉を聞いたとき、僕の体は椅子から立ち上がっていた。

「はぁ? なにそれ。誰もお前の話なんかしてねえだろ」

目の前が真っ暗になった。

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