はてなキーワード: 滑り込みとは
35歳を越えると男も婚活が非常に厳しくなるという話だったので、滑り込みで婚活をしようと結婚相談所に登録した
一度も女性と交際したことない弱者男性なのでマッチングアプリは無理だろうと思い初めから結婚相談所で活動することにした
私のスペックはそこそこ有名な大学を卒業していて、年収は1200万程度で平均身長は越えてるくらいだ
取り敢えず何件かお見合いは成立して、ホテルのラウンジで何人かの女性とあったが、面接官と面接してるような感じで非常にきつかった
最初に言っておきたいのが、私はうたプリにもうたプリの運営(ブロッコリーとか)に対しても何の不満も持ってないこと、何にも怒ってないこと。
2013年の春、高校入学とともにiponeを手に入れた私は、当時2000%がドッカンドッカン来ていたうたプリアニメ一期を暇つぶしのために見始めた。それがきっかけだった。
トンデモすぎるシナリオ、無駄にキラキラしているイケメンたち、やたら上手い歌、でもやっぱり意味がわからない演出に笑いまくって、面白い作品は数あれど心を楽しいという気持ちでいっぱいにしてくれる作品は私にとってうたプリが初めてだった。
そのあとはニコニコ動画を検索し、さまざまなキーワードでググりまくって、ドキドキしながらpixivを覗いたり、バイト代を握って初めてアニメイトに行って、金額の高さに卒倒しながら中古ショップでPSPとソフトを買った。
ゲームのうたプリはアニメよりさらにエキセントリックで、どいつもこいつも理解できない、なんでそんなことするの!?と攻略対象にもヒロインにもキレながら全てのエピソードを集めて全てのエンドを回収して、金額に卒倒しながら続編のソフトを注文した。
アニメやゲームだけでなく、プリンスたちが本当にこの世にいるかのようなプロモーションにも私は夢中になった。プリツイ(公式のキャラアカウント)のために毎秒TLを更新して、東京の駅に広告が出されているのをTwitterのレポで見てドキドキし、ポップアップストア(シャニストと言う)に行くために人生で初めて竹下通りに行った。
当時の私は実家との関係が最悪で、とにかく孤独と怒りを持て余して、バイトをギリギリまでしないと携帯代や定期代や食費を賄えないし、まあそういうアレでとんでもなく荒んでいた。うたプリの楽曲は2013年当時でも結構な数があって、少しずつ履修していたころにwelcome to UTA☆PRI worldを聴いて、私の孤独に今1番寄り添ってくれているのはうたプリなんだと感じて、あまりにも優しくてキラキラしている歌に涙が溢れた。
年末年始に風邪を拗らせて、でも掛け持ちで詰め込みまくったバイトは休みたくなくて、お金がなくて食パンを齧っていた年明け、プリツイの更新が急に来て、自担(音也くん)の呟きを目にした時も熱に浮かされながらボロボロ泣いた。あの年って、うたプリアイランドの再リリースは今年中と言っておきながら全然音沙汰ないからもうこのまま来ないんじゃ?と思ってたら大晦日に滑り込みリリースしたよね。みんな覚えてる?
思い出は書ききれないくらい(なんせ10年だから)沢山ある。人生初めてのライブで横アリに行ったこと、学校の校外行事が終わったあとその足でアニメイトに行ってASASを受け取ったこと、ライブのために一人でホテルを取ったこと、専門学校の入学式に向かう電車で緊張を慰めるためにマジラブレボリューションズをえんえんと聴いたこと、社会人になってから社用車で運転する時にひたすらうたプリのプレイリストを流すのが楽しかったこと。
本当に色々な思い出があって、うたプリを通じてたくさんの初めてを経験した。その日々の中で、うたプリはしょっちゅう炎上していたけど(在庫とかグループ不遇とか色々あったよね)、私自身はコンテンツや運営に怒りを抱いたことはなくて、ずっとずっと大好きだった。ライブ物販のために真冬のたまアリを始発から6時間並んだ結果ペンライトが売り切れで買えなかったとか、入場がごたついて会場入りできないままライブが始まってしまい泣きながら歓声が漏れ聞こえる西武ドームを見上げたこともあった(これぞうたプリって感じ)。けどそんなことよりも、ライブの楽しさとか、夕日がドームの中に差し込んですごく綺麗だったこととか、うたプリが好きで胸が苦しいと思った記憶の方がずっと強い。
今年の4月に、10年間オタクをやっていた中でも1番なんじゃないかぐらいの炎上ネタがあって、さすがの私も苦笑いというか、脱力感を強く感じたけど、でもやっぱりうたプリのことも運営のこともちっとも嫌いになれない。
ちっとも嫌いじゃないのに、怒りも失望もないのに、去年の映画だって本当に素晴らしかったのに、蝋燭の火が消えるみたいにうたプリに対する関心が消えてるのが分かる。
前のように夢中になれない。心がいっぱいになれない。うたプリのために働いたお金を全て費やすなんてことは今の私には出来なくて、将来のための貯金がしたいし、休日はゲームをしたりイベントに行くよりも、家のことをして資格の勉強をして本を読みたい。
あんなにも大好きで、人生を捧げたいくらい大切で、何よりも夢中だった作品に対する心の動きを「飽き」の一言で纏めたくない。けれどそういうことなのかもしれない。好きという気持ちを一心に燃やして、燃やし続けた結果もう焦げついてしまったのかもしれない。
うたプリのことは本当に好きで、大切で、世間ではいろいろ言われていたけど、この作品を作るための、表には出てこないたくさんのスタッフさんの努力やキャストさんの愛があるのを知っているし、怒る気持ちも失望する気持ちも少しもない。けれど、私の心はもう昔のようには動かなくて、もう私はうたプリのオタクではないし、さよならを言うタイミングが来たのだと思った。
当時15歳だったころから社会人数年目の今まで、うたプリのことが大好きだった。あんまり沢山のコンテンツに触れるのには向いてなかったので、本当にアニオタでもゲームオタクでもなくうたプリのオタクだった。
うたプリのおかげで知らない場所に沢山行けたし、子どもなりに苦しんでいた10代でも楽しい気持ちが沢山残っているのはうたプリのおかげだし、数えきれないくらい沢山幸せな時間を過ごすことができて、心から感謝している。
今後も、きっとたまにうたプリのプレイリストを再生して、当時この曲を聴きながらどんな気持ちで生きていたか、どんなことがあったのか、曲を聴きながらどんな景色を見ていたのか思い出すと思う。
たかだか作品に飽きたというだけの話でこんなに長くなるか?と今自分で書いてても思うけど、本当にそれくらい大切で、10年間思い切りうたプリに触れながら生きてきた。ありがとうございました。
うたプリにいつか飽きて興味がなくなるくらいなら大好きすぎていっぱいな今この瞬間に死にたいと思っていた10代の私が読んだら本当に憤死するかもしれない。ごめん。あんなに好きだったのに薄情だよね。でも大切な気持ちは今でも本当に変わらないんだよ。
幼少期におりがみで遊び、親となって子どもとおりがみで遊び、祖父母となって孫とおりがみで遊ぶということらしい。
マリオは今まさに、誰もが当たり前に遊ぶ遊びとなるべく、三度目の出会いを目前に控えている時ではないだろうか。
ファミコンの「マリオブラザーズ」が発売された80年代に小学生だった世代は、今40代から50代へと差し掛かっている。
私も二度目の出会いを子どもたちと迎え、三度目の出会いまであと少しというところまできた。
正直に言ってしまうと、ずっとマリオで遊んでいたわけではない。
プレステに衝撃を受けて、任天堂のゲーム機から離れた時期と、結婚出産子育ての時期が続いたこともあり、64とゲームキューブはスルーした。
今日、「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」を観に行った。
良いことばかりではない。
積み重なっていたこともあった。
映画の内容に触れない程度で言えば、泣く要素はどこにもない。
でも、ずっと涙が込み上げてきた。
どれだけお願いしても買ってもらえなかったファミコン。
お小遣いをためて、親の目が届かない旅行先で買ったゲームボーイ。
Switchは、どんな奇跡が起きたのか、店頭にあった最後の1個を滑り込みで買うことができた。
アドバンスやDS、3DSは、今も家族の分が引き出しにしまわれている。
ゲームの話ができる友だちは皆無だった。
そもそもゲームをするなんて、しかも女の子がゲームするなんて……と言われた時代だ。
ピーチ姫だって、クッパにさらわれてマリオの助けを待つばかりだった。
でも、時が経ち時代は変わった。
そして、ピーチ姫は勇敢に戦う人となった。
私もたくさん戦ってきた。
私たちはここまでよくやってきた。
色々なことがたくさんあったけれど、よくやってきたのだ。
がんばった人もがんばってない人も、ゲームで遊んだ人も遊んでいない人も、みんな私たちはここまでよくやってきたのだ。
あとひと踏ん張りなのだ。
映画を観ながら、そんなことを考えていた。
残念ながら同じ世代でこんな話ができる人は身近にいない。
同世代でも家人はゲームをしない人だし、友だちたちもゲームをする人は皆無だ。
ゲームの友だちは年若いか、海外勢のためこの映画を観たとしても、同じような感情になることはないだろう。
なので、駄文ではあるがここに書くことにした。
もしも、同じ時代を過ごしてきた人の目に留まるようなことがあれば、これだけは伝えたい。
私たちはここまでよくやってきた。
あとひと踏ん張りなんだよ、と。
最後に。
マリオ、本当にごめん。
これからもっともっと手元がおぼつかなくなるけれど、よろしくね。
でも、「スーパーマリオブラザーズ35」では何度も1位取ったんだからね!
まだまだいけるよ!!たぶん。
素晴らしいゲーム、映画を本当にありがとうございます。
また観に行きたいと思います。
塾通い出して1年で辞めてるからな その通りで予備なんて見えるところまでもいけてないよ かろうじて既習ロー滑り込み狙う程度の見込みしかなかった
違いはないと言い張る人間はどういうセックスをしてきたんだろうか?
俺が童貞なのにゴムを使うのはオナホを洗いやすくなるという話を聞いたからだ。
結局ローションを使うから洗わないで放置するのはオナホによくない。
洗いにくい形状、ひっくり返したときのダメージが大きいオナホの場合は、洗う回数を1回飛ばしにしてもいいのかも知れないが。
ゴムを使ってオナニーをしてから生で挿れるとチンコに当たるオナホの内壁の感覚が全く違うことに気づく。
ゴムを使うと切り込みやツブツブを感じるのはかなり難しくなるし、シリコンが粘膜に吸い付きつつも擦れる独特の感覚も味わいにくくなってしまう。
文字通り表面に厚さコンマ数ミリのバリアが貼られた状態のような曖昧な感触になる。
その気持ちよくなさがある意味でリアルで興奮するという部分はあるのでコンドームの購入は全くの無駄に終わったわけではないのは救いであった。
俺のようなオナニーしか知らない人間でも生の気持ちよさは知っている。
ゴムありによって失われる物の多さを知っていると言ったほうが正確だろうか?
実際にセックスをしたことがある人間が何故ここで嘘をつくのか分からない。
それとも、オナホのようなチンコに程よく擦れる突起物が無数に生えた気持ちいい膣なんて滅多にあるものではなく、大抵の膣は単なる真っ直ぐの筒でしかないのか?
相性のいいオナホや、全然物足りないオナホ、アイディアが失敗しているオナホ、様々なオナホを知っているが、実際の膣がどの程度チンコに対してホスピタリティを発揮しているのかだけは知らない。
でもこれぐらいは言わせてもらっても良い気がする。
「ゴムがあってもなくても変わらないのは、お前らがセックスに使っているマンコやチンコが名器には程遠いからだよ。腟内のヒダやカリ首の引っかかりが最初から失われている単なる棒と筒でしかないだけだろ」
ぐらいのことは言えるんじゃないのか?
まあ俺はバイブを尻穴に挿れたことはないから、それにゴムを被せたら何が変わるのかなんて分からないんだけどな。
だがオナホのバキュームスポットに亀頭が滑り込み引き抜くと引っかかるあの絶妙な工芸美がゴムの僅かな厚みによって失われることは知っている。
女の側にもその損失は感じ取れるはずだという確信があるんだ。
それは無数のオナホール経験は俺に無数の名器のあり方を教えてくれたからだ。
名器とは、チンコとのコミュニケーションが濃密な膣のことであり、そのコミュニケーション性はゴムによって阻害されやすい。
女にとっての名器たるチンコも、単に大きい小さいではなく、それが蜜なるコミュニケーションを生み出す力があるかで決まるのではないかと。
だからヤクザはチンコにタマを入れたがるのであり、天然のチンコにも謎のツブツブが進化の歴史の中で生き残ってきたのだと。
気持ちよくもないならツブツブしたチンコなんてキモくてフラれまくってるはずなのに、世の中にはツブツブチンポが多すぎるじゃないか。
ちなみにそれを俺が知っているのはXvideosでみた無修正による知識だ。
「童貞、エロ博士たる(童貞は1人の彼女を持たず、複数のエロコンテンツをはしごし続けるので、上辺の知識だけならそこらの彼女持ちよりも詳しくなってしまう)」とはよく言ったものだな。
俺は童貞だ。
セクマイLGBTの中でもさらにマイノリティなトランスパーソンと男性を同一に扱うのは違和感があるということを伝えたいです。
それは確かにと思う そのあたりフラットに扱われるまで相当長い道のりとなりそうではある
言葉の暴力は現にあって犯罪者と見分けがつかないからトイレを使うなと言われている。男性で言ったら痴漢をする可能性があるからお前らは電車に乗るなと言っているようなものです。それで傷つかないほど当事者は人間離れはしていない。
これよく言われる話で毎度不思議に思うんだけど、トイレを使うなではなくて身体の姓に合わせたトイレに入るか、または身体を心の姓に合わせるよう医療行為を受けろって単純に思ってしまうのが部外者のお気楽な考えではある・・・
一番手っ取り早いのは一部で提案されている、男子トイレと女子トイレの区別をなくして男女ともごちゃまぜで個室にするみたいな形式だろうけど、盗撮もろもろで現状の社会的成熟度だとやはりきわめて難しそうではある
いつも疑問に思うんだが、多くの人間は別に誰かがトランス当事者であるだけで犯罪者とか思ってない気はする
一部の異常者はそれだけで発狂するとかあるかもしれんが一部ヒステリック女性が男性を見たら痴漢を連想するとか普通にあるし一定数はマジでもう仕方ない・・・・
最近はかなり理解が進んでるように思う 少なくとも表面上は取り繕おうとする人が多いと思うんだけど、これは単に社会階層の分断なんだろうか
トランス当事者だから犯罪者ではないかという懸念を投げかけられるのではなくて、"身体の手術も受けず身体は男のままだが心は女だと主張して女子トイレや女湯に入ろうとする女装トランスおっさん"が犯罪者ではないかと懸念を投げかけられているだけだと思ってるんだけど、
身体の手術を受けずに心の姓と逆のトイレに入るのがどれくらいの身体的苦痛を味わうものなのか全く想像できないから部外者がどうこういうのがそもそも間違ってる気はしている 普通に入ればええやんとか気軽に思っちゃうけどまぁ厳しいんかね・・・・
一部炎上した人でいたが、既に手術済だったりする人にさえ矛先を向けて恐怖を煽る言説は異常だよ。
もどの件かわからんけど炎上する一部異常者がすべてに火をつけて回ってるのはもうどうしようもないから無視するほかないように思うけどね・・・・・
寿司ペロと同じでキチガイは理屈があってキチガイをしているのではなく、どんな話題でも火をつけるから交通事故と一緒
個人的には今回の法整備は性急に思うし当事者のためを思うならそんなことよりもホルモン治療を保険適用にして国内での手術が混合治療で保険適用になったが使える人がほぼ居なくなってる問題からだろとは思う。そうホルモン療法について無知な人間が多いのも今回でつくづく感じる
個人的には社会の側をどうこうするより医療的なサポートを早急に整えるべきと思っているので、そのあたり現実に即した法整備はちゃんとしてほしい
Z世代で10代からホルモン治療をして骨格から完全にパスしてる人と、2,30代からギリギリ滑り込みホルモンと努力でパスしている人と、それ以上の年齢とでは完成度がそりゃ異なる。もちろん望んでも様々な理由から未治療にせざる負えない人もいるし、結婚経験があったり子供がいる人もいる。身体的治療を望む例で挙げてもこれだけの人がいる。想像する先が違っても文字ではトランス女性だ。女性や男性という言葉が大風呂敷を広げているのと同じなのだ。どうかそれで親しい人にカミングアウトすらできずに傷ついている人がいることを考えて欲しいと切に願う
これは確かにと思った。実際のとこ医療行為が追い付いてないのが問題なのか社会的な倫理観が追い付いてないのか問題がごっちゃになってて、個人的には医療でどうにかするべき問題だと思ってたけど、現代を生きる人たちからすれば今更医療が間に合わないので社会的な規範のほうを動かしてほしいというのも非常によくわかる
が昨今手術済みの若い人というのがたくさん出てきていて、医療の提供と時間の経過で解決するならそっちで対応してよっていうのが主流になりそうな気はする
トランスジェンダーを悪用して女性に危害を加えるような人が出ないような社会を作れたら、トランスジェンダーが悪者扱いされない社会を作れたらと、切に思う。
それはそう 結局マイノリティ(トランスジェンダー)の中でもさらにマイノリティの社会的常識が欠如した異常者をはじくために多数派が厳しい立場に置かれている構図
今の世の中は一部の社会的常識が欠如した人間に配慮しすぎで、それに対応するために大半の良識ある人間が割を食うシステムになってしまっている 厳しい
僕は明治学院大学というまあまあ頭の悪い大学に通っていて、運良くそこそこの会社に滑り込み、転職して今の職場にたどり着いた。配属された部署は頭のいい人ばかり。たまにMarch卒がいるけれど、麻布から明治に入ってしまった人がいるくらいで、約8割が旧帝大か海外大を出ているようだ。周りを見回すと中学受験組がかなり多く、やれ日能研だのSAPIXだのに小さい頃から通い、一生懸命努力を重ねてこの会社に入ったようだ。
一方の僕はあまり金のない貧乏な家庭に生まれ、高校まで公立に通って明治学院に進んだ。受験のために塾に通い始めたのは中3の夏、それに大学受験では高3の冬期講習からだ。運良く大学では特待生に選ばれて、実質負担額は国立より低いと思う。自分がたまたまラッキーだったのか実は頭が良かったのか、何にせよ周囲と比べても圧倒的に楽にこの会社に入り、まったり働きながらそこそこの金を貰っていることは間違いない(在宅勤務中です)。
しかし息子が小学校に上がり、中学受験がしたいと主張されたらなんと答えればいいのかわからない。僕の例を出して中学受験を止めさせるのも機会損失なようで、かといって多くの金を出して塾へ行かせて私立中に入れるのも金が勿体ない気がする。もちろん進路や就職時の収入だけが私立中へ進むことのメリットじゃないと思う。いい友人を作ったり、社会に出てからも私立中のコミュニティは強いと聞く。実際に中学受験した人の声を聞きたい。中学受験は人生を豊かにしてくれるんだろうか。
別に自分たちは行事やイベントが無くなった・小規模化したことに対しては「残念」だとは思ってるケド、自分は自分たちが経験したことだけしか知らないから比較できないから分からない。
だから自分のことを「可哀想」だとは微塵も思ってない。学校生活思い出しても普通に楽しかったし。
でも、教師とか親とか近所の人とかテレビで話してる教育評論家とか政治家とか、大勢の大人から「青春の時間を奪われて〜」とか「可哀想だね」「残念だね」とかめちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃ言われ続けて、これを武器に甘い対応してもらえることを学習してしまったんよ。
仮に自分たちがやらかしても「負担を強いられていたからしょうがない」「やっと羽をのばせるようになったのよね」って謎フォローしてくれる大人の出現と、謎フォローに「それもそっか」って納得してくれる大人が出現したことで、「なんだか意味わかんないけど言い訳として使えるじゃん!」ってなっちゃったんだよな。
奪われたって自覚も感覚もなんにも無いけど、ニュースで「若者代表」みたいな人もインタビューで答えているし、実際に周りもよしよししてくれるから、自分も倣って被害者ヅラしよ〜〜〜ってる人はけっこういます。
すみません、こんな金魚の糞みたいなやつに追記とかしてしまって。長いです。まじで興味ある人向け。
○大学生活
コロナに関係ないかもしれんけど、突然いなくなる学生がいるのもマジです。インターンとか実習中に突然飛んだ先輩の噂を色んな所で聞きます。
規制全盛期は全部オンライン授業になったから、ペーパーテストも無くなってレポート課題だけになったんよ。学部によるかもしれんけど。
たまにテストがある講義もあるけどオンラインで好きな時間に受けられるし、答え確認し放題。先生側も多分わかってて問題は全部簡単でしたね。
そうなると、ほとんどがテスト勉強しなくなる。授業だって友達と遊びながらカフェでパソコン開いてできるし、録画を公開するタイプの「オンデマンド授業」ってやつは好きな時間に受けられるから毎日が全休みたいな気分で最高でした。そしてオンデマンド授業は倍速再生とかできるのだ。
だから、ギリギリまで予定をいれて、課題の締め切り当日に倍速再生しながら慌ててレポート書いて滑り込みで提出する人が大多数だったイメージ。
そんな感じで「オンライン授業、自由度高いし楽だし好きだなー」って思ってたけど、対面授業が本格的に始まった今は、毎週の課題がその場で書けばいいコメントペーパーとかが増えたおかげでめちゃくちゃ楽になった。
でも自分含めみんなしっかりレポート取り組んでないから、先生いわく「書き方よくわかってない・お気持ち表明ばかり・形式もバラバラ」らしい。
だから今でも少し真面目に文献探して、提出前に2回くらい読み直したレポートを出しただけで相対評価で「秀」とか「優」をもらえる。
寝坊して間に合わない時も「喉に違和感あるから家から受けます」とか言えばオンライン参加させてくれるからめっちゃ楽。
○恋愛
今は規制もゆるゆるになってサークルも授業も自由になったからコロナ前と多分変わんないと思う。食事のときに異性の前でマスク外すのがちょっと恥ずい人がいるかもねん。
自分は高校が共学じゃなかったからよく知らんけど、大学の同期で高校の同級生とそのまま付き合ってるやつはパッと思いつくだけで5人はいるから普通に恋愛してたと思います。
高校では感染対策とか言いつつもやっぱり授業とかお昼ご飯以外(先生の目が少ないとき)は集まってはしゃぐ場面はあったし、クラスLINEで通話したりzoomでわいわいしてたから楽しかったです!
なぜか校則も緩くなったし。
ニュースでは「青春を奪われた」若者さんが悲壮感を漂わせてるから、自分の高校だけ特別に楽しいのかと思ってたんだけど、大学入ったらみんなも私と同じ感じで楽しんでたからびっくりしたよ。
でも、「辛かったでしょ」とか「我慢たくさんしたんでしょ?」とか「遊べないまま卒業したんでしょう?」とか心配されたときに悲壮感を漂わせると優しくなる(特に教師)ので、みんなでウェーブに乗じることも多いです。
備忘と戒めのために。前提:20代後半の女
①一番最近の事例
出先でノンアルコールドリンクを2杯飲んで腹が冷えたことが原因。
電車内で危機に見舞われるも、なんとか降車駅のトイレに滑り込み、この時は事なきを得た。
これで安心したのが良くなかった。帰宅前に、夫が自宅最寄りのコンビニに寄りたいと言い、それに付き合った後に第2波が来た。
家まで歩いて数分なのに持たなかった。
私が下痢を漏らす時、基本1波では終わらないことを念頭に置いていればこうはならなかった。
②もう一つ前の事例
前日ホテルの夕食で、その島特産の芋類をたくさん食べたのが原因(すごくおいしかった)。
鍾乳洞に潜っていた際、危機に見舞われた。肛門を絞め、「ウゥ〜」の代わりに「ウワ〜」と言うことで鍾乳洞に感動している風を装う。
鍾乳洞を抜けたすぐそこにトイレがあり、この時は事なきを得た。
その後レンタカーで行った海辺で急速に第2波が来て、漏らした。臭かったが海辺だったので事なきを得た。
流石に友人たちに申告しようかと考えたところ、運良く公衆トイレを発見。
漏らしたブツの大半はトイレへ流し、汚した下着はペーパーで丁重に包んで汚物入れに突っ込んだ(本当に申し訳ない)。
ジーンズの下はノーパンで過ごし、フェリーなどを乗り継いで帰宅した。爽快だった。
必ず私の下痢は第1波で終わらないことを念頭に置いて生きていきたい。
書き留めることによって、この決意を新たに出来た。
結局男性が収入が低い前提で子育て(保育園。夜7時)まではなんとかできても
学童がないと小学校(一年生の一学期が全部午前授業)でダメになる。
で、そのへんで男性側はあまりに収入が低くて親戚の間で肩身が狭いのがいやになって業界日本一の会社に転職して私と同格の収入を得た。
それプラス完全共稼ぎだと親同居でもなければ子育て(思春期以降)がうまくまわらない(高校生までは未成年で、複雑な問題に対処できない。性犯罪とか)とか
体調の悪化とか介護とかいろいろ問題が出て女性側が正社員雇用で働くのをやめた
今は■があるので自由業という名目でお小遣い分アルバイトしつつ減らしてアーリーリタイア
(翻訳とかもやってた。機械翻訳の精度があがったのでOCRとかお盆特急しかこなくなってやめた)