はてなキーワード: 男子御三家とは
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僕は高校3年生(男)だ。
今日も、昨日も、一昨日も、ここのところずっと、自発的な勉強をほとんどしていない。
代わりに、大量のネット上の記事とブログと無料の音楽と漫画とヤフコメとはてなブックマークと増田を摂取してはひり出し、少し休んで親のいる時だけ勉強のふりをし、摂取してはひり出ししてどうにか生きている。何の知識も身につかず、自分と関係ない人や物を消費していく毎日。正直、虚無感しかない。
僕は普通に大学受験をするつもりで、今のところ京大の理系学部を目指している(という事になっている)。しかし、現在の体たらくを続ければ、京大どころかどの大学にも落ちるレベルだ。自分の現状とその先にある未来は見えているが、理想との間にある暗い穴から僕は顔を背けている。その逃避の一環としてネットサーフィンがあり、というか増田に書いている時点でこの行為もまた逃避だろう。
起きて朝飯を食べて親が仕事に出かけたらソファーでChromeを開いてネットを漁りオナニーして親が帰ってきたら夜飯を食べて寝る日々。こんな状態を望んでいない自分とネットを見る以外に何もしたくない自分が綱引きをしていて、多少の誤差はあれど後者が常に勝っている状態。現実からの逃避。
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僕が中学受験の末に今いる男子校に入ったのはだいたい6年前だった。(本命には落ちたが)東京の男子御三家の一つに入れたのは嬉しく、自分の中では今でもある種の成功体験的な地位を占めている。
それから5年間やりたい放題好きに過ごしてきたのだが、特に高校生になってから、学年が上がるにつれ同級生が大学受験を意識する様子が目立ってきた。
高2の後半になると、東大合格を至上とし進学校の生徒のみが入れる中規模のカルト的人気を誇る塾に学年の1/4以上が入塾し、授業を聞かずに塾のテキストを自習する奴の割合も増え、英単語帳やら青チャやら重問がクラスに溢れるようになった。つまりみんな勉強を始めていた。
ここら辺から、勉強していない自分と、みんな勉強しててヤバい俺も勉強しなきゃという規範に齟齬が生じてきて、その齟齬を上手く埋めることができず、長じて今の状態に至るのかなあと推測したりもする。でもこの頃はその規範通り、効率が悪いにせよちゃんと勉強していた。
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そうしているうちにコロナが流行りだし、安倍(どう表記するのが適当かわからない)によって休校宣言が出された。3/1くらいか。
学校が休校になっても、春休みが終わるまでは塾の春期講習に行ったりで勉強モチベはわりあい高く保てていた。実際に一日6~9時間くらいは勉強していたと思う。
しかし、そこからが辛かった。学校では友人と愚痴を言い合ったり馬鹿話をしたりバトミントンをしたりして、ある程度勉強のストレスが和らげられたと思うのだが、コロナの巣籠もり下では誰も話し相手がいない。
日中誰とも喋れず家で勉強をするのは、精神衛生上かなりキツかった。ちょくちょく友人とはLINEしたり電話したりしていたが、それも焼け石に水だった。
学校がGoogle Classroomを使い始め、zoom配信や動画を見ることで出席をつける形式になり、ここを先途とばかりに大量の数学演習やら長文読解やら共通テスト対策問題やらの課題を出すようになったのもキツかった。
ネット上の課題は対面で「この課題、やっとけよ~」と言われるよりも課題やらなきゃという義務感が生じにくく、タブを一つ消すだけで存在ごと消えてしまうため、期限を忘れた課題が大量に溜まり、その多さを見てやる気がなくなるという悪循環が際限なく生じてしまった。
更に、zoomやGoogleClassroomを使うためにパソコンやスマホを手に取る機会が増えた。それは僕の場合、ネットを開きはてブや増田やアルなどの他のサイトを見る機会の増加に繋がってしまった。
こうなるともう爆発の一歩手前だった。ただし、それでも5月の初めまでは自制してなんとか勉強できていた。
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5月6日から8日の間、僕は虚無の中にいた。勉強をブッチし、カーテンを閉めて照明を一つだけ灯した薄暗い部屋の中パソコンでひたすらソク読みとはてブと増田とpornhubを巡回していた三日間。それまでも週一くらいで勉強をサボる日はあったが、三日連続でのそれは初めてだった。仕事をしていて日中家にいない親には特にバレず、小言を言われることもなく、要するに僕は手軽に快楽に浸って現実逃避する道を知ってしまった。
この三日間がぶち抜いた綻びから生活が徐々に崩れてきた感覚がある。
最初は勉強をしないことに対する罪悪感もあったが、ネットに頭を占領されていくにつれて、頭の奥が靄がかかったようにぼんやりとしてきて物事を深く考えるのが辛くなり、そういった感情も段々と消えていった。
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6月になってリアルの登校が始まったが、コロナ前の登校に比べて頻度も授業のコマ数も内容も悪い方向に変化してしまったので、状況は大きく変わらなかった。
確かに久しぶりにする生身の友人との会話は話すネタも尽きずめちゃんこ楽しかったし、3時間くらいしかない授業が終わった後は勉強モチベも高まった。
しかし、長期の家籠りで重度の出不精コミュニケーション不精と化していた僕にとっては、登校日は楽しい日であると同時に疲れる日でもあり、その疲れと怠さはだいたい翌日以降も続き、勉強のやる気を阻害した。
登校日は月に数えるほどしかなかったので、リアル登校の再開によって逆に僕は勉強ができなくなっていた。
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6月後半~7月に入ると、本当に幸運なことに、友人の一人が学校のない日に一緒に勉強しようと誘ってくれるようになった。彼は通っていた中規模塾の自習室がコロナのため空かず、かといって家で勉強はできないから一緒に外でやろう、そしたらお互い良いんじゃね?とLINEしてきた。これは絶好のチャンスと思った僕はホイホイ乗っかり、感染防止対策を取った上で一緒に自習する日々が続いた。
友人と一緒にいるときは(体面を良くしたいというのもあって)だいたい6時間くらいは集中して勉強できた。そんなこんなで最初は順風満帆だと思っていたのだが、段々と状況は悪化してきた。
7月2日のことだった。前日の7月1日もその友人と勉強していて、明日も午後から勉強しようぜ!と話していた。しかし、2日の朝起きると体がだるく、親が出て行った後に心の中で言い訳をしながらソファーに寝転んで午前中いっぱいスマホでブログやら何やらを見てしまった。
当然ずっと寝ていると体が重く、長時間ネットを見たとき特有の頭がぼうっとする感じにもやられ、僕の頭はどこからともなく湧いてきた「今日はだるいから外出は無理だな・・・」という考えに完全に支配された。まあ、事前に連絡をしておけば別に一日くらい行けない日があっても問題はないだろう。
・・・・・・問題なのは、僕が友人に夜8時まで連絡しなかったことだった。早めに「すまん。ちょっと今日は無理そうだ・・・」とLINEしておけば良かったのに、僕は夜までそれを意図的にサボってしまった。連絡しなければいけないことはわかってる、連絡せねば、という思いは強くあるのに、なぜかLINEを開いて連絡するのがひどく億劫で、僕はそれよりもソファーで丸まって現実逃避することを選んだ。
罪悪感はすごかったが、一方でなぜか「ああ、こんなもんなのか」と思っている自分もいた。
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そこからの堕落は早かった。いや、その前から堕落していたのかもしれないが、もうよくわからない。友人との勉強の約束は3回に1回くらいすっぽかすようになり、昼飯でも奢ってちゃんと謝ろう、と決意した頃には友人の塾の自習室が解放され、結局うやむやなまま僕と彼の勉強は終わってしまった。学校が再開したらきちんと謝りたい。
▼学校の課題を大量にやり残し、入学してから初めてある科目の学期成績で白点をとる
▼塾の夏期講習(5日間)のうち3日サボる
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こうやって家に籠って自堕落な生活をある程度の期間続けていると、だんだん自分の思考や言い訳の仕方がわかってくる。僕の場合、「○○からやるぞ症候群」が顕著に表れた。
「今日はだらけていてもしょうがないが、明日からは毎日10時間勉強するぞ。そしたら受験にも間に合う。・・・だから、今スマホを見てもいいんだよ」
みたいな感じだ。○○には「明日」が入ったり、「6月」とか「7月」、はては「15時」が入ったりする。
言うまでもなくこれは未来に責任を押し付けて現実から逃避するだけで、実際に実行できるなら良いが、実行できないのなら全く意味がない。
僕は、ほとんど実行できなかった。5月には「6月からちゃんと勉強する」と言い、6月には「だらけすぎた。7月からマジでやるぞ」と言い、7月には「たるんでる。8月から毎日10時間やろう」と言った。
あとは、ネット断ち・スマホ断ち・ゲーム断ちも考えたが、これもほとんど続かなかった。昨年12月にアンインストールしたみんはやはついこないだインストールしてしまった(またアンインストールした)し、同じく12月に押し入れに封印した3DSは今日開けてしまった。マリオテニス楽しい~~~~~~~~~~~~~~~
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こんな感じで酷い暮らしをここ3ヶ月くらい送っています。高3の夏をこんな風に過ごすとは去年には考えもしなかった。こうなった要因の一つは間違いなくコロナがあって、確かに休校がなく毎日登校していたら精神はもっと健全で勉強ももっとできていただろう。でも、どんどん堕落の坂を転げ落ちていったのは間違いなく自分の弱い性格のせいだと思うので、あんまり環境のせいにしないようにしたい。
他にも気が滅入るようなことは沢山あって、けん玉のこととか昭和42年生まれ元司法浪人さんのこととかオナニーのこととか書きたいことも色々あるんだけど、疲れたのでここらで止めておきます。
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よくわかんねえものを垂れ流してしまってすみません。やや自分の気持ちの整理ができた気はします。「勉強しなきゃな」と。何だかんだ自分はやればできるという妙な自信はあるので、それを現実にすべく明日からコツコツと勉強を始めたいです。要するにこれも「○○からやるぞ症候群」の一種ですが、劇的な物を望みすぎると失敗するということは身に染みたので、あんまり負荷をかけないように少しづつ少しづつ
やっていきたいです。どれだけの人に読まれるかわかりませんが、もう投稿したら入試終了まで見ないことにするのでブコメもトラバも返せません。入試が終わったら(たぶん3月下旬)結果を書くかもしれないです。
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これまで順調に高校まできて、初めて、高校生でもなく、大学生でもない不安定な立場である浪人生になったことに不安を感じているんですよね。
わかります。自分も20年前そうでした。私はその後東大を卒業して、研究者をしています。
あなたが今やるべきことは
最後に。あなたが純粋にやる気のある人なのか、落ちた言い訳をしているだけの人なのか、私にはわかりません。
ただ今の段階で、研究者になりたいという夢があなたががんばることの原動力になるのであれば、それを否定する権利は誰にもありませんし、
夢に向かってがんばってください。
大学に入った後で、やっぱり自分はスタートアップを起こそう、大企業に勤めよう、やっぱり医者になろう、芸能人になろう。
何でもいいと思います。好きにすればよいと思います。いま研究者を目指したからといって、一生研究者をする必要もありません。
東大の研究者すら辞めて自分の会社を起こしたり、Google等の大企業に所属したりする時代です。
浪人生が研究者になりたいといった夢を一貫してないなどと批判する大人の戯言など無視してください。
自分のツイートを転載編集。読み苦しいかもしれませんがご容赦を。
★近年池袋にある豊島丘女子中は女子中御三家に匹敵する偏差値にまで上昇しているが、
「池袋に湘南新宿ライン&副都心線が乗り入れたから偏差値が急上昇」した、という説がある。
大宮・浦和・川越・志木・武蔵小杉・東横線・横浜・・・辺りから通学しやすくなったから、一気に偏差値が上がった
★開成の歴史は詳しく知らないが、千代田線(常磐緩行線)が西日暮里開業して、一気に偏差値が上がった、ということはないか?
というか、山手線(京浜東北線)西日暮里駅自体が、千代田線に合わせて作った新駅だからなあ。
それまでは開成は日暮里又は田端から歩いてた、陸の孤島だった。
西日暮里駅開設で、山手線京浜東北線千代田線で「集客」できるようになったから、開成の偏差値が上がった説。
★男子御三家の中で武蔵が低迷してるのは、立地が山手線の外で、北西方面の中学生以外からは「通学が不便」だからでは?
★灘が名門になった背景には、京阪神間の鉄道インフラの充実が確実に影響している。
灘は住吉(国鉄→JR)、魚崎(阪神)、岡本(阪急)が使える。昔は阪神国道線(路面電車)も利用できた。
ライバルの甲陽は、阪急以外は使いづらい。この辺も影響して偏差値に格差?
昭和40年代に神戸高速鉄道が開業し、山陽や神戸電鉄沿線の子供も灘に通いやすくなった。
灘が東大合格者数が1位になった時期がそれと一致するのは、単なる偶然か?
★近鉄と阪神のなんば直通運転で、従来なら東大寺学園を目指した奈良の秀才が、灘を目指すようになったらしい。
徐々にその効果が出てくるのでは?
★80年代に開成が灘を抜いたのは、「開成が上がった」というよりは「灘が落ちた」というのが正しいのでは?
70年代に関西の繊維とか商社とかがダメになり、本社の東京流出が目立ちはじめ、アッパーミドルの親が東京流出したのも大きい気がする。
★名古屋圏が御三家や灘クラスの難関中学を生み出さない理由の一つに、
「優秀な生徒を効率良く集めるインフラがない」、つまり「鉄道網が首都圏や関西圏より貧弱」という理由もあるのでは?
他にも「アッパーミドルクラスが、従来なら都電エリアに集住してたが、
高度成長以降、郊外にも分散居住するようになり、学区内のアッパーミドル数が減った」影響も無視できない。
★筑駒が躍進した一因に「アッパーミドルクラスの人口重心が日比谷付近から渋谷付近に、南西に移動したから」
という要素はないか?
★「アッパーミドルクラスの人口重心が、中高一貫校の難易度に影響する」仮説が正しければ、
湾岸エリアのタワマン大量供給は、中高一貫校の偏差値を左右する力はある。
★開成の躍進は「アッパーミドルクラスの人口重心西南移動」に反するが、
あれはやはり埼玉や常磐エリアのアッパーミドルクラスを一網打尽にしたんだろうな。まさに西日暮里駅効果
★こうみると、アッパーミドルクラス人口重心論から超然としているラサールって、異質だな。
ラサールの歴史は知らないが、ひょっとして敗戦時に「日本をキリスト教化しよう」と開校したのか?
戦前に、保守の権化のような鹿児島にキリスト教学校設立が認められたとはとても思えない。
鹿児島って廃仏毀釈を徹底して仏教すら否定した土地だから、そういう土地がキリスト教を容認するとは信じられない・・
ラサールが「アッパーミドルクラス人口重心論」を無視して、今でも東大合格者数が上位なのには敬意を表する。
逆に言えば、そこまでして頑張らなければならないほど、鹿児島は保守が強いことを逆説的に証明している。
多分、地元の鹿児島県庁鹿児島市役所鹿児島銀行鹿児島新聞などは、昭和30~40年辺りは「鶴丸高校閥」が強固で、
ラサール出身者はいくらアタマが良くてもなかなか出世出来なかったんだろうな。だから福岡や東京を目指すしかなかった。
ラサールの開校は1950年。つまり最長老のOBでも79歳以下。だから県政界への影響力は鶴丸には遠く及ばない
あえて書くと、「逆説的だが、ラサール高校は鹿児島の保守性のお陰で東大進学校に成長できた」
★久留米付設は孫正義を生み出したが、久留米付設が優秀な背景には、
筑豊や三池の関係で優秀なアッパーミドル層があの辺りに存在した影響もあると思う
(はてなーの自分は、「はてな」というサービスを生み出してくれた近藤氏そして京都大学に感謝している)
★日本の私立中学文化が、日本の高度な鉄道インフラを前提としてるのは紛れもない事実で、
例えば都市内公共交通が未発達なアメリカだと、「公共交通で通学なハイスクール」は成立しない。あるとしたら寄宿舎型?
イギリスとかは寄宿舎型の私立スクールとか盛んですが、あれは都市内交通が首都圏ほど発達しなかった裏返しかもしれない
★鉄道インフラの進展と私立中学高校のレベル推移について、交通社会学?が専門な原武史先生に論文書いて欲しいものだ