2019年12月24日の日記

2019-12-24

さよなら

<きょうの朝、父から電話が掛かってきた。 実家の愛犬が旅立ったという電話だ。 8時15分に旅立った、と。> <もうみんな覚悟はできていたと思う。 12月の頭からほとんど歩けなかった。散歩も母に抱っこして連れてもらっていたとのこと。 そのうち1日のほとんどを寝て過ごすようになった。 わずかに起きている時間に、なんとかゴハンを食べさせようと大変だったようだ。>

しかし3日ほど前、ついに咳がひどくなってしまい、寝ることもできなくなったようだ。

家族も寝ずに付き添ったが、一晩中苦しそうに咳込んでいたそうだ。

その様子を見て、家族は安楽させようと決意した。

私にも、「もう安楽死させるけん。連絡しとく」と電話があった。

彼女は私が実家を離れてから買い始めた雑種犬だ、

それまで実家では犬を飼ったことはなかったのだが、妹が飼いたいと言い出したらしい。

実家で犬を飼い始めて初めて帰省した日、迎えにきてくれた妹が道中で「あの子が喜ぶよ!」と言ったのを覚えている。

「喜ぶも何も、向こうは俺のこと知らんやろ」と言うと、「弟と同じ事言うとるね」と言って妹は笑った。

その言葉に私はなんとなく閉口してしまった。

実家に着くと、その子はその場でグルグル回ったり飛びかかってきたりした。

犬に詳しくない素人にも分かるはしゃぎ振りだった。

後に分かったことだが、その子は外の物音や知らない人には吠えまくる人見知りの子だった。

どうして一目も会ったったことのない自分が歓迎されたのか、不思議気持ちだった。

それからお盆正月に帰った時だけ、この子と一緒に散歩に行くのが楽しみだった。

病院先生が何て言わすか分からんけど、安楽死させようと思う」と電話を描けてきた父は気丈だったが、言葉の端は声が震えていた。

私もただ「分かった」と言うしかなかった。

しかし数時間後、また父から電話が掛かってきた。

先生酸素室に入れて様子を見ましょうって。安楽死させようとか、言えんかった。」

なんとなくホッとしたような、バツの悪そうなその声に、ああ、これこそ自分の父だと思った。

それから3日、愛犬は頑張った。

幸いにも咳は止まって落ち着いていたらしい。

だが、もうゴハンは食べてくれなかったとのこと。

からもうみんな分かっていた。

予想はできていた。

でも、悲しい。

最初に具合が良くないと聞いたとき、もう一回正月に帰るときに会いたいなと思った。

でも具合の経過を聞くうち、なるべく苦しまないで欲しいと思った。

安楽死させると聞いたとき、仕方ないと思う一方、家族の心は大丈夫なのかと心配になった。

自分の考えは常に浅はかで、常に付き添って面倒を見てきた家族は数十倍、数百倍の負担があったに違いない。

の子が死んだのはとても悲しい。

でも家族に見守られながら、安楽死でなく、比較的安らかに旅立ったことには、

とても勝手ながら、ある意味で良かったと思っている。

もし安楽死をしていれば、家族は今後ずっと悩まされていただろう。

それは安楽死が死の権利として正しいという事とはまた別の話だ。決めた側には、必ず苦痛が伴うものだと思う。

年に2回会うだけの私が悲しいのだから家族の苦しみはなおさらだ

今日クリスマスイブ

みんな幸せに満ちあふれているような雰囲気だ。

でも実際には人の数だけ、喜びも悲しみもあるのだろう。

誰かの記念日は、誰かの命日でもある。

こんな気持ちSNSには吐き出せなかったので、ここに吐いてみた。

それでもこういう日は、多くの人にとって幸せな日であってほしい。

とりわけ、子どもにとっては。

メリークリスマス

anond:20191224222038

このせんじょーーーーぉおおで

さよなら

きょうの朝、父から電話が掛かってきた。

実家の愛犬が旅立ったという電話だ。

8時15分に旅立った、と。

もうみんな覚悟はできていたと思う。

12月の頭からほとんど歩けなかった。散歩も母に抱っこして連れてもらっていたとのこと。

そのうち1日のほとんどを寝て過ごすようになった。

わずかに起きている時間に、なんとかゴハンを食べさせようと大変だったようだ。

しかし3日ほど前、ついに咳がひどくなってしまい、寝ることもできなくなったようだ。

家族も寝ずに付き添ったが、一晩中苦しそうに咳込んでいたそうだ。

その様子を見て、家族は安楽させようと決意した。

私にも、「もう安楽死させるけん。連絡しとく」と電話があった。

彼女は私が実家を離れてから買い始めた雑種犬だ、

それまで実家では犬を飼ったことはなかったのだが、妹が飼いたいと言い出したらしい。

実家で犬を飼い始めて初めて帰省した日、迎えにきてくれた妹が道中で「あの子が喜ぶよ!」と言ったのを覚えている。

「喜ぶも何も、向こうは俺のこと知らんやろ」と言うと、「弟と同じ事言うとるね」と言って妹は笑った。

その言葉に私はなんとなく閉口してしまった。

実家に着くと、その子はその場でグルグル回ったり飛びかかってきたりした。

犬に詳しくない素人にも分かるはしゃぎ振りだった。

後に分かったことだが、その子は外の物音や知らない人には吠えまくる人見知りの子だった。

どうして一目も会ったったことのない自分が歓迎されたのか、不思議気持ちだった。

それからお盆正月に帰った時だけ、この子と一緒に散歩に行くのが楽しみだった。

病院先生が何て言わすか分からんけど、安楽死させようと思う」と電話を描けてきた父は気丈だったが、言葉の端は声が震えていた。

私もただ「分かった」と言うしかなかった。

しかし数時間後、また父から電話が掛かってきた。

先生酸素室に入れて様子を見ましょうって。安楽死させようとか、言えんかった。」

なんとなくホッとしたような、バツの悪そうなその声に、ああ、これこそ自分の父だと思った。

それから3日、愛犬は頑張った。

幸いにも咳は止まって落ち着いていたらしい。

だが、もうゴハンは食べてくれなかったとのこと。

からもうみんな分かっていた。

予想はできていた。

でも、悲しい。

最初に具合が良くないと聞いたとき、もう一回正月に帰るときに会いたいなと思った。

でも具合の経過を聞くうち、なるべく苦しまないで欲しいと思った。

安楽死させると聞いたとき、仕方ないと思う一方、家族の心は大丈夫なのかと心配になった。

自分の考えは常に浅はかで、常に付き添って面倒を見てきた家族は数十倍、数百倍の負担があったに違いない。

の子が死んだのはとても悲しい。

でも家族に見守られながら、安楽死でなく、比較的安らかに旅立ったことには、

とても勝手ながら、ある意味で良かったと思っている。

もし安楽死をしていれば、家族は今後ずっと悩まされていただろう。

それは安楽死が死の権利として正しいという事とはまた別の話だ。決めた側には、必ず苦痛が伴うものだと思う。

年に2回会うだけの私が悲しいのだから家族の苦しみはなおさらだ

今日クリスマスイブ

みんな幸せに満ちあふれているような雰囲気だ。

でも実際には人の数だけ、喜びも悲しみもあるのだろう。

誰かの記念日は、誰かの命日でもある。

こんな気持ちSNSには吐き出せなかったので、ここに吐いてみた。

それでもこういう日は、多くの人にとって幸せな日であってほしい。

とりわけ、子どもにとっては。

メリークリスマス

出生数減って政府叩くまえにさ

セックスに励めよ、クリスマスイブに何やってんのお前ら

また今年も誘えなかった(;_;)来年物理的に離れてしまうというのにい。

anond:20191224232820

ちゃん

まだちっちゃいかお姉ちゃんが🍰半分食べてあげるね👧

👦えっ

馬鹿理解を示されたらお前もそうだから理解できると言い出すのは馬鹿からなんだけど馬鹿には伝わらない

anond:20191224232820

おまえが

姉に

なるんだよおおおおおおおおおお!

おおおおおおおほおおおおやまえておおおおおああ!

anond:20191224155517

えらいなあと思うし

「誰かがやらなければ」っていう心がけほんとに見習いたいし

増田にいいことあるといいなと思うんだが、

誤字が目立つもんだから一瞬暗号かなって疑ってしまってすまん。

邪見→邪険

諦か→明らか

労れる→労られる

始終→終始

まだなにか法則性を探そうとしていてすまん。

追記読んだ、もしかして外国の人か?

家事育児をやる男の悩み

夫と妻と育児負担が半々程度の場合、大抵夫はイクメンと呼ばれ、周囲から褒められる。私だ。妻は妻で育児を頑張ってくれている。しかし妻は「子供の面倒をよく見るママね」と褒められることはない。世の多くのママよりは楽をしていると見られるからだ。これはつらい。

育児の大変さというのは子供タイプ物理的な環境親族サポートの有無、などの変数によって多様であり、要するに人それぞれ全く異なるのだ。他人と比べるものではない。シングルマザー(ファザー)にはシングルのつらさがあり、私の妻には私の妻なりのつらさがある。

しかし、私の妻には「あなたも大変ね、よくやってるね」と言ってくれる人はいない。なぜなら夫である私が半々程度には育児負担している姿が周囲の誰の目にも明らかであり、それが今の日本では当たり前な環境とは言えないからだ。ママからは「本当にいい旦那さんね、羨ましい」「私の旦那増田さんくらい子供の面倒見てくれたら」と言われてしまう。私の前だからではなく、妻1人に対してもそう言っている。そんな人を前に「疲れるわー」とか「増田もっと◯◯してくれたらいいのに」なんて、普通ママ友同士によくある愚痴なんてとても言えないのだ。

困ったことに、妻自身ですら「自分はとても恵まれ環境にあるんだから育児疲れたなんて言えない、世間の人に比べたら自分ラクをしているんだ」と思っており、自分自分を追い詰めてしまっている。さらには、妻の両親までもが「増田のようなよくやってくれる夫で妻は幸せものだ」と言う。何度も言う。ほとほと追い詰められた妻は時折、妻が抱えるつらさや孤独を私に泣きながら吐露する。しかし、本当に聞いてもらいたい事は私一人では受け止めきれないはずだ。

私がいわゆるイクメンであるがゆえに、結果的に妻をますます孤立させてしまっている。

私は普通に妻と一緒に子育てをし、苦も楽も共有して生きていきたい。そうして妻と末永パートナー関係を築きたい。

しかし私が少しでも妻の負担を減らそうと頑張れば頑張るほど、妻を追い詰めてしまう。

はいったいどうすれば良いのだ。

イクメンなんてクソくらえ

海外に行け」は東京人の娯楽

ツイッターなんぞで「海外に行け」とのツイートを目にする。頻繁に目にする。俺からするとまずは東京に行きたいとしか思わないし、東京人の娯楽に見える。

同じくツイッターなんぞで燃え上がるポリコレフェミニズムわたしかしこ叫びも、どれもこれも、東京人の娯楽にしか見えない。普通男性像の条件に出てこなかったけど「関東ぐらし」は当然なんだろう。

東京大阪名古屋なんてのは昔の話で、書くのもめんどくさい。地方高卒の俺よりあたまがよく、稼ぎもいいだろう東京人がよってたかって政治やら行政やらに従事して、何一つ問題解決せず、貧乏になるばかりなのは東京ではその実感がないからだろう。

東京以外はみんな限界集落

anond:20191224155517

まず真っ先に父親ではないと言うべきだろ。それか「隣に座っているお子さんが吐いてしまって」みたいな言い方で匂わすとか。そして、不快なら車掌を呼んで席を変えてもらうとか。隣りに座ってただけのあなたは何も悪くないんだから

もう嫌だ

中学生くらいから人との接し方がわからなくなって、色々とやらかした。そのせいか地元の人にめっちゃ嫌われてるし、ニートから近所の人にも気持ち悪がられてる。

就活してるけど喋り方も一方的で、自分中心だから面接で「気持ちいからうちでは雇えないしどこも雇ってくれないと思うよw死ぬしかないんじゃない?w」とか言われて絶望

偏屈プライド高い、自己中、オタク低学歴チビな俺はしぬしかないのか

28なら若いから何とかなるって言われるけど、離職してからニート期間空きすぎてもう無理だわ

誰かたすけて(´;ω;`)

anond:20191224233022

それはあああああ!!!

弟好きにいいいいい

はいっているのではああああああああああああ?

anond:20191224233831

横だが、それは腰いわしエアプの考え方だな

ちょっとでも動くと痛い

立ったり座ったりするのがきつい

anond:20191223005722

こういう反応だから女性って面倒くさいって思われるんだろうね。

そもそも旦那がそこまで手伝ってるなら「疲れた」という言い訳は無いし、愚痴ことなんて無いのに愚痴りたいってどういう神経なのか。

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