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2019-03-24

この春、浪人をすることになった人へ

~~はじめに

 もうかなり前の話になるが,私も大学受験に失敗し,浪人をすることになった。

 (することになった,というのは,したくてしたわけではないかである。)

 人生で初めて,目の前が真っ暗になるような思いを味わった。

 どうすればいいのかわからず,途方に暮れた。

 そのとき書籍等を通じて様々な先達の経験に触れ,それに励まされてなんとか乗り越えた。

 これは遠い昔の一受験生出来事であるが,ふと思いついて,自分が励まされたように,何かの役に立てばと思って書いてみた。

 時代が変わっているので,個々の科目の勉強法等は記載していない。

 もっと大きな方法論の一例として見ていただければと思う。

 大事試験で失敗してしまい,失意の中にある人が,捲土重来を期すのに少しでも役立ってくれれば幸いである。

 人生で最も勉強をしたのは,大学受験に失敗し,浪人生活を送った時だった。

 その当時は自分なりに辛い思いもした。しかし,その分必死になって努力を行い,いかに状況を打開するかを日々考え抜き,最終的に結果を出すことができたので,得るものも大きかったように思っている。

 なお,前提として,私は小中高と地方公立学校で育った者である。塾にも浪人時代を除いてほとんど通ったことはない。

 高校時代部活をやっていたので,高2の冬までは授業を普通に受けていただけだった。志望校を決めるような段階になってからやばいと思って「受験生」になった,というのがバックボーンとしてあるので,以下の文章はそれを踏まえて読んでいただければと思う。

~~気持ちの立て直し方

 それまで特に勉強において壁にぶつかったこともなかっただけに,不合格の衝撃は当時の自分にとっては,人生のものだった。

第一志望しか受験していなかったので,選択余地なく浪人をすることになったが,仮にすべり止め合格を得ていたら,果たして浪人という選択ができたか,全く自信はない。

 それくらい,浪人するということについて,落胆していた。

 同級生のうち,現役で受かった者が嬉々として大学生活に入っていく中で,少なくともも一年,いろんなもの我慢して勉強に向かう生活余儀なくされるというのは,たまらなくつらかった。

 ひととおり落ち込み終わった後で,考えたのは,一つには,終わってしまたことを悔いても何もこの現実を変えることはできないということだった。

 現役で大学生になる身近な同級生想像し,なぜ自分はそうなれていないのかと身悶えせんばかりに考えたときもあったものの,いくらそのように思ったとしても何も現実は変わらない。過去に属してしまたことは,もう客観的には変えることはできない。そうだとすれば,今できることは,その意味付けを変えることしかないと思った。

 今身を切るように辛く感じられる大学不合格という事実も,たとえば,次の機会に晴れて合格し,20年,30年も経てば,なかったことにはできるわけではないが,その影響は極めて小さくなっているだろうと言い聞かせた。

 またおそらく世の中の評価というのは,失敗の数で評価されるわけではないとも考えた。人の失敗の数を覚えている人は多くない。そうではなくて,失敗の数があったとしても,結局のところ成功の数がいくつあるかが重要だろう。

 そうだとすれば,まだコントロール可能範疇に属している,未来を変えることで,過去出来事意味合いを変化させるしかないのではないか

 来年合格という成功によって,今年の不合格という失敗を塗りつぶすしかないと考えるに至った。

 期間はあまり覚えていないが,ここまで考えを整えるのに1か月くらいはかかったのではないか

~~戦略

 以上で考えたように,今年の不合格という意味合いを相対化するためには,来るべき「次」の受験で,必ず合格しなければならない。

 再来年では駄目だ。また実力だけ伸ばしても駄目で,仮にいくら模試の成績が良かったとしても,現実合格できなければ全く意味がない。

 このようにして,「次」の受験で,「必ず合格する」ということを目標として設定した。

 目標が定まった後,「必ず合格する」とは,どのような状態かと考えた。合格する可能性があるというだけでは駄目だと思った。可能性だけならおそらく今回もあった。「受かりうる」というだけでは足りない。「次の一回」で「必ず」合格しようと思えば,「受からないということがない」,「どうやっても受かる」という状態にまでもっていかなければならないと思った。

 自分の中では,「100回受けて100回受かる状態」というのを一つの基準としていた。

 そうなるためにはどうしたらいいのか。

 以下は,自分の中で描いたイメージである。 

 受験において,本番で出題される試験問題のものコントロールできない。

 自分が得意な問題が出るかもしれないが,苦手な問題が出るかもしれない。

 そうだとすると,たとえば100回試験を受けた際に,自分が得られる得点ないし全体の中での自分順位としては,一定の幅が生じると想定した。

 自分が得意な問題が出れば点数ないし順位は良くなる。苦手な問題が出ればその逆となる。その幅と位置自分の実力を示していることになる。

 受かる可能性があるというのは,自分の中のベストの結果のときに,それが合格ラインを超えているということだ。すなわち,上で述べた実力の幅の上端が合格ラインを超えていることであるそもそもここが合格ラインに届かないというのでは,合格確率は0なのであって,話にならない。

 自分の実力を客観的見積もったときに,現役の受験時点でも,得点幅の上端は合格ラインを超えていると思った。しかし,全体として超えているかというとそうではなく,大半は合格ライン以下に位置していたのではないか分析した。

 この状態だと,運よく自分の実力の上端付近が発揮できるような問題であれば合格という結果になるが,そうでなければ不合格という結果になる。

 以上の思考過程を経て,「必ず」合格するという状態を実現するためにすべきこととは,自分の実力を示す得点幅の下端を合格ラインより上にもっていくことだと規定した。その状態が実現できれば,どんな問題が出題されても必ず合格できる。

 このようにイメージした。

~~戦術

 次に,得点幅の下端を合格ラインよりも上に上げるためにすべきことは何かと考えた。

 ただちにこうすればいいということまではわからなかったが,とりあえず実現すべきこととしては,得点できるはずの問題を必ず得点するということだった。先のことはわからないが,最低限,このことを徹底しなければならないと思った。

 それだけでいいのかは,未知の領域なので不明であったが,得点幅の最下端を合格ラインよりも上にしようと思ったら,少なくともこの程度のことは実現できていなければ話にならないだろうと思った。

 先に述べたように,受験の本番では,試験問題コントロール範囲である受験会場に来てしまってからでは,いくら「ここを勉強しておけばよかった」と後悔しても,その時点で知らない知識は答えようがない。試験現場でできることとしては,そのときに持っている力で解けるはずの問題を確実に解くことだけである

 この視点は,いろいろなところに適用できるが,たとえば時間配分のところにあてはめると,「解けない問題時間を浪費して,解けるはずの問題を解けないということを起こしてはならない」ということであると思った。

 また,当時よくしていた勘違いなどのケアレスミスも,本来解ける問題を取りこぼす可能性があるので,起こしてはならないことになる。

 これらは,本来解ける問題をこぼしているという点では共通しており,このようなことがあってはならない。

 受験本番までは実力自体を向上させることももちろん目指さなければならないが,それと同時に,試験当日に,その時点で持っている実力すべてを最大効率得点につなげられるようにしておかなければならない。

 その観点から模試などを受けた場合の振り返りとしては,正解したかどうかはあまり気にせず,正解できなかった問題があったとして,「その時点で正解する可能性がなかったのかどうか」を入念に確認した。

 知識が足りなかったなどの理由で,そのときは正解する可能性がそもそもなかったのであれば,それはその時点ではもうしょうがないので,ただただ後日正解できるよう,知識を補充するなどして実力向上を図るというだけのことである

 一方,その時点で正解できたはずの問題を取りこぼしていた場合は,全力で悔しがるようにした。

「必ず」合格するという目標達成の観点からは,このような事態絶対に起こしてはならない。

 そのようなことをしている限り,「必ず」合格するという目標は達成できないからだ。

 その場合,正解できたはずの問題をとりこぼさないために,なぜそのようなことが起きてしまったのか,再発防止策として何が考えられるかなどを必死で考えた。

 以上は基本的自分の中だけでの問題であるが,一方で他者との比較視点も生まれていた。

 正解可能性について考察しているうちに,自分が正解できなかった問題について,他の受験生はどうなんだろうかという視点が生まれたのである

 自分が間違えた問題の正答率が高かった場合は,それだけ多くの受験生に差を付けられたことを意味するのであるから試験結果に与える影響は極めて大きい。一方,正答率が低かった場合には,大半の受験生もまた正解できていないわけなので,差を付けられた受験生の数が少なく,試験結果に与える影響は少ないということになる(極端な話,正答率が0%の問題であれば,全員が間違えているということから得点という点だけみればその問題はなかったのと同じであって,間違えたことの影響は0である。)。

 このような視点で各問題ごとに正答率を確認するようにすると,感覚的には一般的に明らかに簡単と思われる問題でも,正答率が100%ということはないということに気がついた。受験生は,ごく簡単問題でも意外と間違えてしまっているのである

 この点に気づいたときには,大げさにいえば勝機見出した思いがした。

 とんでもなく難しい問題まで正解できるようにならなければ「必ず合格」という目標が達成できない,ということだとすると,その難易度はかなり高い。

 難問というのは,どんな問題が出るかもわからいから難問なわけで,対策という意味では容易ではない。

 しかしながら,正答率が高い問題を取りこぼさない(他の受験生に差をつけられない)ということは,意識して徹底的にやりさえすれば実現できることだと思った。そして,これがきちんと実現できれば,成績的にはかなりのところまでいけそうだと思った。

 このとき受験生活の中で,初めて具体的な見通しがついた。

 時期的には,浪人になって最初の方で行われる模試の結果を分析してこう思ったはずなので,わりと早い段階でこのような確信を得られたのはありがたかった。

 以上から,正答率が高い問題を重視し,かつ,それを絶対に落とさない,ということが具体的な行動目標となった。このように目標が明確になると,自ずとそれを実現するための勉強法も明らかになった。

 自分が正解できる可能性のある領域を増やすことを目的とした勉強塗り絵に例えれば,色が塗ってある範囲を広くするようなこと)も勿論必要にはなるものの,それよりもむしろ正解できる可能性のある領域での正解率を高くする(塗り絵で言えば,色むらをなくし,より濃くするようなこと)勉強を重視すようになった。

 より具体的にいえば,復習を重視するようになったということである

 知らない問題よりも,一度やったことのある問題の方が正解率は高くできるはずで,投入する時間に対して得られる成果が高いと思われるからである

 復習は徹底的に行うようにした。特に記憶重要となる社会の科目などは,一日の勉強最初には,それまでやった学習内容をさかのぼってかならず目をとおしてから先に進むようにした。

 具体的には,使っているノート基準最初から前回勉強したところまで必ず全部目を通すということをしていた。それはその一冊のノートを使い終わるまで繰り返した。見直す時間が膨大になってもしょうがないので,時間一定を心がけていた。勉強が進むことによって見返す領域が広くなることになるが,その分見返すスピードを上げて各ページ毎の見る時間は減らして行った。

 ノート最初の方であればあるほど,何度も目にしているので,時間が短くても問題なかった。時間よりも回数を重視し,回数を繰り返すことで,記憶への徹底的な定着を図った。

 これは面倒に思うかどうかだけで,誰にでもできることと思う。そして,記憶力に個人差は多少あれど,何十回と接触した内容については,誰でも記憶には定着しやすくなる。とにかく,一度学習した内容を,二度と忘れたくなかったので,そのようにしていた。

 そのような学習法を実践していたことで,知識系の問題については,絶対の自信がついた。

 当時は,記憶違いということはほとんど起こりようがないような状態を実現することができていた。

~~結果

 以上のような勉強法を行ってきて,浪人の夏に大学別の模試を2つ受けた。

 これはその大学を受ける受験生であれば,たいてい受けるという種類の試験だったので,模試とは言え,その時点でのその大学を受ける受験生の中での位置付けを図る重要試験だった。

 浪人生活を開始するにあたって,自分の中では目標があった。

 「100回受けて100回受かる」という観点から,冬の大学模試で100位以内に入ることを目標としていた。

 当時,志望学部合格者数が600名程度であることから,少し目標としては高いかと思ったが,これくらいが実現できなければ,安全圏にあるとは言えないので,あえて高めの目標を掲げたつもりだった。

 蓋を開けてみると,夏の大学模試のうち,最初に結果が返ってきた方は,79位だった。

 自分で定めた目標クリアできたので,非常にうれしかったのを記憶している。

 想定していたよりも成績がよかったので,浪人生活全体を通して,このときが一番うれしかったように思う。

 (それでも,これは単なる模試に過ぎないので,この程度の成績で油断はいけないと自分を戒め,喜ぶ気持ちを押さえつけた。)

 しばらく経つと,もう一つの大学模試の結果が返ってきた。そちらは20位だった。全く想定しておらず,正直自分もびっくりした。こんなに結果が伴うとは思ってもいなかった。

 ただやはり,「まだ受かったわけでもなんでもないので,いくら模試の成績がよかったところで,本番に受かるという目標が達成されたわけではない,油断だけはしてはいけない,もっと取れたはずだ」と自分に言い聞かせるのに必死だった。

 その後も大きな方針を維持したまま勉強を続けたところ,冬の大学模試では13位と14位という結果だった。

 受験本番はどうだったのか,順位は発表されないので分からない。

 予備校の発表する模範解答に照らして行った自己採点結果は悪くなかったし,結果はもちろん合格だった。

 合格確認したときには,うれしいというよりは,ほっとした。精神状態としては,「受かっているかどうかドキドキする」という状態ではなく,「絶対受かっているはずだが何かの間違いで落ちてないだろうな」という気持ちだったからだ。

~~まとめ

 方法論は人に合わせて千差万別なので,以上の方法が唯一絶対ではないと思う。

 全く同じ人間が一人としていないように,誰にもピッタリと当てはまる万能の方法などというものはない。

 それを前提として,自分浪人生活のうち,成果につながった要素を抽出するとすれば,以下の点ではないだろうか。

 まず一つには,本気で結果を出したいと思っていたことだと思う。

 何事につけ,物事には障害がつきものである。そのような前提状況の中,何も考えずにただ臨めば,結果が出るかどうかは当たるも八卦当たらぬも八卦のような確率論に終わってしまう。

 「本気で結果を出したい」というのを行動に置き換えると,「受験優先順位を上げ,その他のことはどうでもいいと考える」ということである。本気でそう思えれば,遊びたいとか,のんびり寝ていたいとか,そんなことは気にならなくなる。

 それは「誘惑に打ち勝つ」ということとは感覚的には少し違う。誘惑を感じている状態は,まだ本気度が高い状態とはいえないと思う。本当に結果を出したいと思って,その状態に入ったときには,その他のことは本当にどうでもよくなる。

 「その他のことはなんでも差し出すから,とにかく希望している物事について結果を出させてくれ」という心持ちになる。そのときは,優先順位が二位以下のものごとは些事である

 そのような状態に入れると,仮に何か障害が生じたとしても,手段を尽くし,工夫を尽くして,結果にたどり着くという状態になる。

 時間しろエネルギーしろ資源が有限である以上,その中で一つの結果を確実に出そうと思えば,何が何でも結果を出したいという状態自分を持っていくことが必要になる。

 不合格という現実に直面したとき,何度も「嘘でしょ。結果を取り替えてくれないか。」と何度も思った。しかし,一度出た結果は変わらない。これが現実である

 自分の周りの環境自分コントロールすることはできないということをまざまざと体感した。

 一方で,自分はいくらでもコントロール可能なのだ

 不合格回避したいという思いを,エネルギーを,合格への執着へと昇華させることはできるはずだ。

 二つ目は,以上の状態を前提として,「結果を出す」ということを実現するためにどうすればいいのか必死で考えたことではないかと思う。

 先に記述した思考過程を経て,自分なりに結果を出すために必要な条件を考え,それを満たすためにひたすら実行した。

 小中高と地方公立学校で育ってきて,全国規模で自分が試されたことも位置づけをはかったこともなかったため,余力を残すという発想がそもそもなかったということも幸いした。

 自分みたいな遅れて必死になった者が全国レベル受験生相手に確実に合格するという状態に達するためには,とにかく妥協なく徹底的にやり切る以外にはないと思っていた。

 後にも先にもこのときほどストイックになったことはない(なお余談だが,このときにあまり想像以上に結果が出てしまったため,後になってまた別の試練に立ち向かうことになった際に,「あそこまでやらなくてもいいだろう」と無意識に思ってしまい,無駄に回り道をすることになる。何事も,やるなら最初から本気でやるべきである。)。

 当時,浪人時代灰色一色で,とても精神的につらいものであったが,きわめて得るものの多い時期でもあった。

 生活のことは親に完全に甘えられる時期であり,徹底的に勉強のことだけ考えていればよかったという意味では,むしろ幸せな時期であったともいえる。

 浪人時代を通じて,物事に本気になるとはどういうことか,結果を出すとはどういうことかなどを身をもって体験することができ,その後の人生にも大きないい影響があった。たまたま運よくラッキーで現役合格してしまっていたら,このように自分を振り絞るような努力をする機会は得られなかったの

2019-01-04

大学 3年次編入試験の思い出

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高校時代

同じく地方出身者はなんとなくわかると思うんだが、高校は「地元では自慢できる」レベルのとこに通っていた。

県下一、というわけでもないけど、地元で一目置かれるようなそんなところ。東大学者を毎年1名出したり出さなかったりするような。

自分はというと文化系運動系狭間みたいな部活にがっつりのめり込みつつ、子供の頃から親の影響で続けていたとある楽器寺社仏閣が好きな、自他ともに認める「変わった子」であった。学力でいえば中学までは特に勉強しなくてもまあまあいい成績が取れる、中途半端に器用な子だった。

親は勉強については大してうるさくなかったが(むしろ楽器練習をしない方が厳しく怒られたし、数学10/100点をマークしようが音楽の成績が満点じゃない方が嫌な顔をされた)、お金には厳しく、「大学は国公立しかさない」と宣言されており、真に受けた私は私立すべり止めも一切受けなかった。だが高校3年間を部活に捧げた、数学テストで毎回赤点叩き出すような人間にそのルートは厳しかった。見事に滑りおち、進学先を失った。進学校に通っておきながらこの体たらく

これから1年浪人するしかない、と思ってふさぎ込んでいたが、そこで偶然にも某専門学校の「大学編入コース」なるものを知る。専門に2年通った後、大学へ3年次編入するというコースだ。ははぁ、よくできてるなあ、と思いながらも学校担任と両親に相談し、その専門学校へ進むこととなった。

専門に入る

正直入試はあってないようなものなので割愛する。学力レベルからペーパーテスト免除され、英語面接だけだった。まあまあ緊張したが絶対かると半ば解っていたので強気でいった。ちなみに高校時代苦手にしていた教科は数学英語だ。瞬間的な暗記力となんとなくで世界史及び国語高得点を叩き出す完全なる文系である。妙にコアな知識を植え付けてくれたラノベ推理小説たちとヘタリアには今も感謝してる。日本史文化史だけ異様にできた。

学校生活

身バレが怖いので色々伏せるが、駅チカでこぎれいなビルキャンパスだった。キャンパスと言っていいのか?

専門学校内での大きな学科のくくりとしては「英語学科」に属することになり、その中で「英語を使った仕事に就きたい人のコース翻訳通訳など)」と「海外大学に行きたい人のコース」、あと「大学編入したい人のコース」に分かれる。

なんで大学編入英語学科に属するかというと、ほとんどの大学編入試験の科目が「英語」「小論文」「面接」のみだからである。(学科によっては専門科目の試験がある場合もある)

授業は9割は英語の授業だった。ネイティブ講師日本人講師もいたが、とにかく英語リーディングリスニングライティングスピーキングの授業がそれぞれあり、それ以外に大学編入のための英語試験対策授業がある。少人数にこだわってて、基本の4つの授業はそれぞれTOEIC学内試験の結果から5段階にレベル分けされていた。私は入学時のペーパーテスト免除しか学費も一部免除特待生扱いで入学したので、「は~やっぱこの程度か専門」とか思っていたが、最初TOEICテストで300点台叩き出して5レベルあるクラスの下から2番目に入れられる。「出身校」の学力が高かっただけで「私」の学力はクソだった。ただ真面目に授業を受けていればクラスはすぐに上にあがり、最後は一番上のクラス所属していた。この基本の4つの授業は大学編入以外のコースの人もいた。

残りの1割は資格の授業(英検、ワー検、秘書検、漢検など好きなもの選択できる)の他、第二外国語小論文対策PC(というかOffice)など……まあ大学1年生の一般教養と似たような感じだろうか。選択教養の授業もあったが種類は2,3種類しかない。しかも大して面白くない。

大学1年生と違うのは、自分で授業を選ぶ幅がとても狭いところ。というのも学年によってどの授業を受けるか、カリキュラムが既に綿密に組まれており、「朝ゆっくりしたいから1コマくそ~」というのは全くできない。選択授業も「とってもとらなくてもいいよ」ではなく「この中からどれか選べ」という選択。なので学期はじめにコース人間全員集められてHRみたいなことをして、時間割を配られたりしていた。

学生

上記の通り様々なコース人間が入り混じって授業を受けていたので、通っている人は本当にいろんな人がいた。アンタこんなしょぼい専門いていいの!?っていうような頭のいい人から、クソほど簡単テストを「難しくてヤバかった~」という人まで、本当に様々。Lv.2→Lv.5まで駆け上がるといろんな人と話した。超絶パリピ野郎もいたし、内気で根暗で今にも引きこもりになりそうな人もいた。

同じ大学編入を目指すコースの中だと、まあまあ頭いいけど大学入試では一歩及ばなかった、みたいな人がほとんど。大体がプライド高くてそれを一度へし折られてしまった人、という印象。(私もだけどさ)すべり止め私大に受かってたけど行きたくなくてこっちを選んだ、という人もいるにはいた。あとは行ってた大学が嫌になってやめて再チャレンジしたいとか……。比較的頭のいい人は多かったけど、それでもやっぱ学力でいうと「まあまあできる」か「いまいちできない」のどちらかだった気がする。コース内で一緒に行動していた友達は国公立に受かっていった人から最後最後どうにか推薦で滑り込めた人までいた。

コース人間の数は結構多かった。高校の一クラスくらい……?もっと少ないと思って入学したので意外だった。やっぱり学力レベルでつるむグループが分かれる。男女比は男子の方が圧倒的に多かった。3分の2くらい。でも学年全体で見ると女子の方が多かった気がする。

あと意外といろんな地方から集まってた。やっぱり学校周辺の人が多いのだけど、隣県や新幹線帰省するくらい離れている土地から来る人もいた。私はかろうじて同じ県ではあるが学校までは通学に2時間かけていて、隣県出身学校近くに一人暮らししている友達がうらやましかった。

学費

高い。私大に2年行くとのかわらん。でも高校時代まあまあ成績取れてたら学費免除簡単に取れる。(模試の点数とかセンターの点数を基準学費免除とかしてくれる学校もあると聞く)

本来公立しか行かせてくれなかったはずの両親があっさり行かせてくれたので、絶対学費無駄にすまいと2年間は真面目に必死に授業や資格取得に打ち込んだ。その後まあまあ就活に有利そうな資格とかちょいちょい取れたので、短大とか他の私大行って仮面浪人するよかよかったなあ、と思った。けどその辺って結局当人努力次第なので、学校の授業の時間を使って資格取得や受験対策に打ち込める環境お金払ったと思っている。払ってくれたのは親だが。でも無利子の奨学金も2年次から勝ち取って少し貢献できた。と思いたい。今返済しんどいけど。

編入試験を受ける

編入試験

1年間みっちり英語を叩き込まれたあと、2年生からいよいよ編入試験が始まる。

3年次編入試験は多くの大学がやっているが、大学によって受けられる条件は様々。私が行きたかった大学は他の4大からの受入のみで、専門卒は受け付けていなかったので諦めた。(でもそういう学校の方が少ない印象)

編入試験の日程は学校によってかなりばらつきがある。早いところだと6月くらいで、遅いところだと2月くらい?私は全部で3つ受けたが、ひとつ8月で、残りのふたつは12月だった。やっぱ秋~冬にかけてが多い。

面接練習なども授業でしながら、それぞれの試験日に向けて準備を重ねていく。8月試験を受けたところが第一志望にして最難関の大学だったが、ものの見事に落ちてしまい、泣きながらそのあと友人らとカラオケに行った思い出がある。編入試験受験科目が少ない分やりやすいと言われるが、その門はかなり狭く、私が受けたところも倍率は5~10倍くらい(だったと思う、もう記憶あいまい)最終的に編入浪人の道を選ぶ人もいる。専門→大学編入のいいところは浪人などの1年のロスを出さずに大学卒業できる所だが、結局編入試験の壁が高くて編入浪人したりレベルを落としてD~Fラン大学に入ったりと、メリットが活きないことも多い。でも努力してそれが実ればいい大学に入れるのも事実なので、そこは編入チャレンジする人次第なのかな……とも思う。専門入って遊んでしまった人たちは上位クラスの人でも結局ランクの低い私大に行った人が多く、しっかり努力し続けていた人は国公立偏差値高い私大に進んでいった。英検1級取得したり、TOEICマックススコア出した人もいる。

あとTOEICスコア試験免除がある学校とかあって、TOEICマジもっと気合入れてやればよかったな、と思った。試験免除にならなくても入学後の単位に換算してもらえたりした。

試験対策

英語はもうとにかく授業をガンガンうけてガンガン問題解くだけ。喋る・聞くは捨てて、ひたすら読むにステータスを振り続けていた。(書くは申し訳程度にやった)9時半から15時まで授業を受けた後、18時まで学校に残り友達と多少ぐだりながらも勉強(というか課題)、家に帰ってから英語の長文読解とひたすら向かい合う日々。

小論文は書き方の作法を徹底的に叩き込まれ、あとは個人文章センス知識量がモノをいう感じだった。国語世界史、そしてラノベから影響を受けた文化史系に強かった私には最高の科目だった。

編入試験過去問も一応あって、見せてもらうためにその大学に足を運んだこともある。(コピーはさせてもらえないので、目で見て出題傾向を把握するのが精一杯だが)あと学校過去問を回収して過去問集みたいなのを作っていたので、行きたい学校が人気校ならそんなことしなくてもコピーできたりした。英語試験はどの学校も長文読解系が多く、TOEICをそこそこにして英検受けまくっていた自分にはありがたかった。

面接指導就活とほぼ一緒、だと思う。なんでこの大学に行きたいのかをはっきりさせろ!と言われ続け、「御校に在籍の〇〇先生研究室で●●について研究したいです!!理由としては!!」みたいな答えをガチガチに固めていった。これはのちの就活に活きたと思う。

試験

どの大学小論文は楽勝だった。8月に受けたところは英語で予想外の作文が出て動揺し、読解問題では時間が足らず、涙を呑んで不合格覚悟した。翌日即結果発表だったが、当然私の受験番号はなかった。

第二志望の大学の前に第三志望の国公立を受けにいったが、家から遠く深夜バスでの移動となった。しかバスからまた電車で移動するが乗換をミス試験遅刻。席に着くために荷物通路に置いたら試験管に怒られ、萎縮しながら受験したが英語は予想できたレベルでむしろしかった。1週間後には結果が開示され、無事合格

そして満を持しての第二志望。同じ学校から他にも2名受けることになっており、一緒に移動。英語試験はやや苦戦した覚えがあるが、それよりも面接がしんどかった。大学に、特にその学校に入りたい理由を述べ(行きたい研究室があるでゴリ押しした)、なぜそれに興味を抱くに至ったかなどを話したが、とにかく緊張して噛みまくり面接官に不審な顔をされ落ちたと悟った。しかしその試験当日、夜から私の受験期を中学から支えてくれた某バンドライブがあり、普通に間に合わなさそうだったので走って会場を後にした。ライブギリギリ間に合った。そして入試も無事にパスできていた。

大学編入

進学先が二つ用意されたわけだが、もちろん第二志望を選択。一応国立大なのと、高校時代から学びたいと思っていた専攻があったのが決め手だった。思う存分研究に打ち込めたと思う。嘘。2年では足りない。もっとやりたかった。でも取りたかった単位や聞きたかった講義はほぼコンプできた。

上記でも少し触れたが、入学時に専門学校の授業の単位大学単位へ変換してもらえるため、本来4年で取る卒業単位を2年間で全部とれ、ということにはならなかった。特に私は人文学系だったので、変換がスムーズにいったというのがある。法律経済系の学科は専門科目の変換が難しく、卒業単位を取れなくて留年した人が多かった。(と後に聞いた)

1年大学ライフ満喫したのちすぐ就活なのはきつかったが、興味のあったサークルにも在籍し2年間最初から最後まで活動できた。でもいくら単位変換してもらったとはいえ他の3年生に比べると圧倒的に単位は足りてない(その上私は卒業単位にならない資格系の講義も取っていた)ので、ほぼ毎日1~4コマ、そのあとサークルバイト!みたいな生活をしていたし、就活の時期は本当にしんどかった。英語資格TOEICスコア700前後英検準1級)と進級のために取らざるを得なかった数々の英語以外の資格、そしてあの日面接対策小論文対策が活きたのだろう……と思うと私はこのルートをたどってきてよかった。他の短大や4大出身編入生は就活で軒並み苦労していた。でも専門より大学の方が圧倒的に楽しかったです。普通に1年生から大学入りたかった。

大学編入後で一番しんどかったのは、3年生でありながら1年生に交じって体育やらされたことかなあ。


色々書いたけどあくま文系の話です。理系編入もっと大変と聞くし、そもそも専門→理系学部編入というルートが恐らくない。

東大京大に比べたら底辺もいいとこだけど、こういう抜け道もあるよっていう話をしたくて。でも根っから文系だった私だからこそうまくいった裏ルートみたいな感じではあるんだけどさ……。うまくいかなくってせっかく編入した大学やめて引きこもりになってしまった知り合いもいるし、正直この専門→大学編入というルートを誰にでもお勧めできるかというとそうでもないけれど。

あと社会人なってから編入大学入って、教員免許だけ取って中退した編入生の知り合いもいる。社会人なってから大学で学びたいという人で4年は長いという人にもいいんじゃないかな。あと大学とりあえず入ったけどつまんなくて他の学科行きたいとか他の環境行きたいって人。

私は本当は大学院に進みたかったのだけど、やっぱり学費関係で諦めて就職した。研究してた分野とも全然違う仕事をしているけれど、趣味としてまだその分野についての情報収集勉強は続けている。なお英語をかなり使う仕事だし専門時代に取った資格もそれなりに活かせてはいるので業務内容には満足している。

いよいよセンターが近づいてきて、不安受験生たくさんいると思うけど、どうかここだけが人生の決め手とは思わずに気楽に頑張ってほしい。案外人生どうにかなることの方が多い。

anond:20190102063518

面白そうなので私も書いてみようか。東日本公立学校卒→東大理Ⅰのケース。

・家庭環境

電車は通っている、程度の田舎町。父は高校教諭、母は学校事務員、同居する伯母は小学校教師。そういう家庭だから学業に対する意識は高かった。

田舎町なので私立中学校などというものはなく、受験高校から

小学校入学

小学校入学からそれなりに頭は良かった記憶がある。特に算数が得意で、数の理解も早かった。

両親が共働きなので、朝保育所に預けられて、放課後は母の知人が預かってくれていた。この養母のような方には今でも感謝している。

小学校

選択肢も何もなく近所の市立小学校入学国語算数理科社会はまあオール5。伯母の影響で音楽の成績も良好。体育は3。典型的頭でっかちで、いじめられっ子になるという定番コース大人になってから「ごく軽度のADHDだったのでは?」と言われたことがある。

うちの小学校には、4年生になったら全員部活に入ること、という不文律があった。男子ソフトボールサッカー女子ミニバスケットボール合唱しか選択肢がない。4・5年生の間はなんとか回避していたが、6年生では避けきれずサッカー部に入部。運動が得意じゃなくコミュ障な上に「6年生なのに新入部員」で、部のしきたりも知らずあからさまに浮いていた。今から思えば入るもんじゃなかった、のだが、そういう「自分には向かない世界」を早く知ることができたとも言える。

自宅近くにそろばん塾があったので、小1の時に親の勧めで入塾。かなりさくさくと習熟して、市内の競技会(というものが当時あった)では上位の常連だった。但し、それなりに上達してくると飽きる悪癖があり、塾も徐々にさぼりがちに。小6で辞めた。お山の大将になるのはそれなりに簡単でも、世の中にはもっと上の人がいる、ということを子供心に知らされる。

運動が苦手なことを懸念した父により、同僚が運営に携わっている剣道同好会へ入門させられる。中3までの間、道場には週2回真面目に通ったが、練習は不真面目で大して上達もせず。

中学校

選択肢(ry)市立中学校へ。成績は相変わらず。部活動のバリエーションは増えたが結局のところほぼ全部運動部で、剣道部に入って万年補欠。帰りに学校近くの駄菓子屋ゲームやって帰ってくる生活

英語塾に行った他には学習塾の類は行かず、自宅での勉強のみ。この頃までは「学校で課された科目」だけ順調にこなしていたと思う。

高校はいわゆる進学校しか考えてなかった。地方の常で、歴史ある県立高校偏差値的な意味トップ私立すべり止め扱い。模試では毎回トップ争い。

受験すべり止め無しで本番一発。直前に風邪を引いて親は心配していたが、合格圏内には入った。

高校

進学校なので、近隣中学校の成績上位クラスが集まってくるため、何でもありな小中学校とはかなり雰囲気が変わる。校風リベラルで、校長先生もその校風に沿ったユニークな方だった。

部活動は管弦楽部に入部。やっと運動部の呪縛から解き放たれる。管楽器中学校ブラスバンド経験者が占めているため、素人必然的弦楽器担当ヴァイオリンを弾くことになった。相変わらず不真面目に練習して、東大でもオケに4年間在籍したがその後はぱったり。


2年生で文系理系コース分け。私は理系クラスへ。成績は高校でも順調だったが、伸び悩みも出始める。そんな頃に、部活の1学年上の先輩からの勧めでZ会に入会。当時の地方在住高校生で、難関大志望の人は大半が入会していたと思う。教科書レベルを超えた難問・良問で鍛えられた。おかげで授業中は講義スルー、ひたすら問題集を解くことに集中。部活後に家へ帰って夕飯を食べたら深夜までZ会に取り組む生活が続いた。

科目としては数学化学は得意で、トータルでは学年トップクラスだったが、物理が苦手で平均点+α程度。これはまずい、と対策…した筈なんだが具体的な中身を思い出せない。結局教科書に沿って、一番最初力学から復習したんだっけかな? 3年生になる頃までには苦手意識も解消。

中学生の頃からパソコンで遊んでいたので、大学最初東工大第5類を考えていたが、周囲からの「行けるなら上行っとけ」というプッシュで東大理Ⅰを目指すことにした。Z会にも東大コースがあるのでそちらを開始。模試は毎回A判定なので、これならいけるかなと。

センター試験自己採点は720点ぐらいで、足切りクリアできただろうと。当時の東大入試は、1次と2次の成績が1:4の比で加算されるので、ぶっちゃけ1次は足切りさえクリアできればオーケーレベル。(理Ⅲは知らん)

2次試験は、前期は東大理Ⅰ、後期は東大理Ⅰの出題形式ちょっと特殊なので、トラディショナル形式京大工学部受験することにした。大学受験私立すべり止め無しの舐めプ

初日に、得意な筈の数学で大問6問中1.5問しか解けず「これはやべぇ」と焦る。理Ⅰ合格ラインは2.5〜3問。残りの化学物理英語で取り返すしかないので、宿に戻って総復習。幸い2日目は好調普段よりよく出来た感触。かつて苦手だった物理もきっちり得点源にした。

結果、現役で一発合格

・その後

地方お山の大将は、東大生の一部であるスーパーマンを見て我が身の程を知るわけで。いろいろあってどうにか卒業就職してエンジニアやってます

受験生の人は、なんだかんだ言ってもやはり王道は反復練習なので頑張って。大学に入るとがらっと世界が広がります

2018-12-30

買ってよかったもの2018

ジャングルモックシューズ

歩くのが楽。ランニングシューズで歩くより楽。ただし、雨の日は滑る

私はくるぶしの位置が低くて当たって痛いので、緑の中敷きを入れている。

メガロック V (メガネ)(眼鏡)(サングラス)(シリコン)(ずり落ち)(すべり止め)(滑る)(耳掛ける)(下がる)(スポーツ)

花粉の時期だけ花粉症用メガネをかけてるんだけど、これでずり落ちなくなった。

Fire HD 8

歩きタブレットで落として壊れても惜しくない価格なのでよい

ナルゲン コーヒービーンズ キャニスター 200g(0.65L)

ナルゲンボトルは蓋と本体が分離できず、コーヒーを飲むときに蓋についたコーヒーが跳ねることがあって使いづらかったんだけど、これなら分離しているので安心

財布

ヴィシーズというところで、誰かのハンドクラフト財布を買った。

http://imgur.com/iob1jcW

http://imgur.com/zdomGg2

普通のL字型財布は小銭入れと札のセパレートする革があるんだけど、それがないために更に薄くなっている。

こういうのでいいんだよ こういうので。

基本電子マネー生活してるから、最低限の現金が入ればいい。

ただ、今はコミケ期間なので1000円札が大量に入ってます

これと同じ構造市販品は探したけどなかった。

2018-03-13

anond:20180313000710

うちもそうだな。

理系だと早慶含め私立はすべてすべり止めという高校は多いんじゃね。

2018-03-12

anond:20180312145208

目標が高すぎたんだろうな~

すべり止めすらやらなかったの?

2018-01-24

勝手図書室の思い出を綴る。

https://anond.hatelabo.jp/20180124221748 を読んで現場は大変なんだなと同時にそういうものを書き込んでくださった増田さんに感謝している。

大変そうだけれど、無理しすぎず、ほどほどのところで過ごして欲しい。


それだけじゃ何なので、掲題通りである

一時期入り浸っていたことがあるので記憶のある限り書いてみる。

小学校は何回か転校していたため、正直各学校の独特の匂いとやけにじめっとした、あるいはやたら日当たりの良い図書室の壁に添って作られた本棚を思い出す。図書カードの置かれたあのカウンターだとか。おとなしそうな図書委員だとか。似たような雰囲気だなあと思っていた。

低学年の頃は授業時間に行く以外では寄り付かず、気が向けば学級文庫か自宅にある本を読んでいた。

その頃好きだったのは大判で、フルカラー写真が多く載っていたこごましたもの特集されていた本だった。

ただ眺めているのが楽しかった。シリーズで何冊かあったが、色で分類されていたと思う。漢字で書かれていたテキストの部分も気が向けば適当に読んでいた。

不遜な子どもだったので、およそ感想文の類を提出したことがなかった。課題図書もふーんと眺め一度だけ気になったものを借りたか買ったかした程度だった。

自宅では主にオカルトに凝っていた時期だったと思う。魔女とか怪談とかそういうものを読み漁っていた。


中学時代。できて20年未満の学校に進学した。

なんとなく耳をすませばを思って、半年かけて図書室の本を全部読んでみた。伝統ある学校に比べたら冊数はそれほどでもないと思う。普通教室3部屋程度。読んでみたが読んだはずの本でもおぼえていない本が結構ある。

きっとその頃は読み切ることが目標だったのだろう。それでもいまだにその頃出会った作家で読み続けていたり、何冊も装丁違いで購入した本があることはひとつの宝物だと思っている。

あとすべり止めで受けた私立高校入試で読んだことのある作品が題材だったのも愉快だった。

そこから高校までで多いときは一晩に文庫8冊。一番かかったのが篠田節子氏のハルモニアで2日だったと思う。

なんとなーく早く読めるようになったりもした。あの数年間は登下校時にも本を手放さなかった。

勉強あんまりしなかったけれど、勉強せずに中学2年で漢字検定2級が受かる程度には知識も増えた。

当時は図書カードがあったので、誰がどの本を借りたのか分かるのも面白かった。天沢聖司にも月島雫にも出会えなかったけれど。

ここ数年で文庫化された書籍も当時はハードカバーで、月に10前後は購入されていた。それを片っ端から読みつつ、すでにあった蔵書も読んでいた。

多感なお年頃なので、性描写のあるもの出会うと成人指定境界ってどこやねんと思ったりしながら読んだ。(し、本屋に行けば女性向けのBL小説は性描写があっても普通に買えた。謎だ。凝り性なものでそちらもだいぶ読んだがこちらは卒業たかもしれない)(コバルト文庫でも結構あると思う)(基準が謎だ)

野中柊氏のダリアとか、ドキドキしながら読んだ。今思えばかわいいものだ。

後宮小説なども読んで良いのかなと思いながら読んだ。


地元公立高校で初めて、司書さんという存在を校内に認識した。いつも白衣をまとった女性で、図書館以外にもいるんだなと思った。その学校では希望があればCDなども購入していた。

アングラっぽい写真集や当時走りだったライトノベルを一式入れてくれたりもした。(その後、メディアミックスされた各作品初版本が揃っていたため、数年後盗難にあったそうだ。嘆かわしいと同時に初版本に価値を見出す感覚がまだあるのだなと感じた)

同時に、遠野物語をはじめとする民俗学やら薔薇の名前やらを借りまくっていた。

学業に励む生徒にとっては、赤本がずらりと並んだ赤本専門の小部屋があるのも魅力だったかもしれない。

その頃は読んだなあというほどは読んでいないと個人的には思っている。

ただ、気になっていた本たちをするする入れてくださった司書さんには当時も今も感謝している。

森博嗣氏のシリーズもいくついれてもらっただろうか。講談社ノベルスがやたら充実していた。

お小遣いでは追いきれない本たちをあの時期に読めたことには感謝しかない。


うってかわって大学ではまあひどいものだった。

専門課程書籍もあまりない。

ちらほらある小説もだいぶ前で時が止まっている。

大型書籍比較的充実していたが、借りるには重いので閲覧のみとなる。

専門書も同じく時が止まっていた。

半地下で静かで独特の雰囲気が好きだったけれど、およそ学業のための空間ではなかった。

卒業後も利用できるということだったが、生憎地域図書館の方が便利であった。



今につながる本の思い出。

急接近したり、離れたりしつつも、どんな格好であれ図書室・図書館存在してくれればいいなと思う。

読む子は何をしても読むし、読まない子は読まない。

ひどいようだがそんなもんだよなと思う。

あるときブログ家族から勧められた本が という記事を見て、自分の家ではない習慣だなと思った。

家の中にある本は読みたいだけ読んだ。隔離されているような本も気になればこっそり読んだ。

教育機関にあったら驚かれるかもという本もリクエストして入れてもらえれば読んだ。

面白かった本を教えてと訊かれたら100冊くらい列挙できた(今はどうだろう?)

それだってきっかけは耳をすませばだ。(個人的気質はあるにせよ)

こういう本が読んでみたいなと思って書いたこともある。

作文はからきしだけど、幸か不幸かある程度蓄積があるので大学教員には高評価だったりもした。

もうちょっと器用だったら桜庭一樹氏のようにアウトプットにも使えたかもしれないが、そこに愛が足りなかった。

ルールのあるなか、大変苦しんでらっしゃる元増田さん越しに、学生時代、本を介してお世話になった司書さん司書教諭先生方には感謝を伝えたい。

制限あるなか、出会いをくださってありがとう

思えば、落ち込んで図書室にこもっていたような日もあったと思う。

期限通り返せなくてお手間を取らせたこともある。申し訳なかった。

それでも、「これです」とは挙げられないけれど、人生を形作る何かを図書から得たと思っている。

あの少しだけほこりっぽく、冬はむっと暖房が入った空間を懐かしく思う。

2017-07-17

田舎在住高卒未来はない

結論から言えば全部自分が悪いのだ

都会の大学を辞めて地元に戻ってきた自分が悪い

それはわかる 正直死にたくて仕方がない

死ねば楽だ もう何も考えなくて済むだろうし

死にたくても死ねないのだから悩んでいる

私は田舎のこの地元で働きたくない

から都会へ就活をする

都会への就活はとにかく金がかかる

今のところ金を話ぢてくれた企業は1社だけ

それも1000円と言うほんのお気持ち程度のもの

田舎に住んでる奴はお呼びではないんだろうな

同じ高卒でも田舎高卒はいらんだろうな

からと言ってこの田舎に住みたくはない

死んだ父親の代わりに祖父母や母、親戚の面倒を任せられる未来しか見えない

都会の者は金があって就活も楽で羨ましいを通り越して妬ましい 死ね

大学通信でもいいから通って卒業しておくべきだった

いや金がないから無理だ

家族で生きていくのに精いっぱい

借金もある

私が小学生の時に見た未来と言うものはこんなにも絶望的なものだったのだろうか

働きたくても働けない

必要とされていないのだ

何のために生きてるのかわからなくなる

未来を見ているうちに死んだ方が幸せだったのかと考えてしま

とにかく金が必要

バイトをはじめた 時給750円コンビニバイト

10時間働いても夜行バス代片道分にしかならない これが田舎バイト現実

新幹線には乗れない

時給が100円高い所のバイトには落ちた

コミュニケーション能力顔面偏差値か知能レベルかどれかが欠如してるからだろう

本当は全て欠如してるのだろうな どれかが欠如してほしいと言うのは自分の願いだ

どれか一つでも持っていれば多少慰めにはなる…多分

金が欲しいか就職するのに就職するためには金が必要なのだ

ギャンブルに近い これはギャンブル

バイト代を賭け金に内定を勝ち取る

田舎在住高卒が都会へ就活するのはギャンブル

もう20万近くは無駄にしただろう

高校私立すべり止め公立本命みたいな風潮のある田舎に生まれた時点で失敗だった

お前なんて中学の時に下手で好きでもないくせに運動部なんて入らず非体育会系文化部に入って適当にやり過ごして

塾にでも通ってた方が懸命だったのだ

運動勉強もどっちもダメなら少なくとも片方だけはダメじゃないようにするべきだった

どっちもダメなままだお前は失敗だよ どうしようもない

何事も自己肯定できるような奴は大体どっちかが出来てる

自己肯定してるから

自己否定し化してないお前は本当にダメなやつだ早く死ね

どうせ死なないだろうな 俺はおまえだから知ってるよ

お前が一番好きなのは自分自身だってことも

疲れたな言いたいことをこうして長文を書いたらそれなりにスッキリしたよ

頭が悪いからこうして適度に発散しないと

明日図書館勉強

料理の方も練習しないと

寝たら朝までに死んでますように おやすみなさい

2017-06-03

結婚相談所婚活しようとした結果

婚活サイトでそこそこ婚活した結果

の続き

沢山の人が色々書いてくれて(ありがたい)、自己顕示欲が刺激されたのでまた書く

結果として料金高いからまぁ八方塞がったねって話

増田は使い方がうまくないんじゃ…?

俺が悪いのは顔だよ顔 あと頭と学歴と金会社な(もしかして:全部)

本気で結婚考えてるならマッチングアプリじゃなくて有料の結婚相談所の方が良いんじゃないの。

へー、あっなるほどまぁそうだよねってことで

とりあえずサンマリエって会社で話し聞いてきた

マッチング広告サンマリエとかい会社の「婚活結婚診断テスト」なるものが出てきたので早速受験

終わったらサンマリから電話時間があったら指定オフィスに来いとのこと。

オフィスで色々話を聞く。

電話では顔がクソなので誰でもいいので下さいと伝えたが、「お素敵じゃないですか~!どんな方が来られるのかと思いました(笑)」とのっけから営業トーク

嘘が下手だなバーニィ

趣味はないので(どうせ結婚したらしたで趣味捨てさせられるのはネットで予習済み)…と言ったら色々尋問して無理やり趣味読書映画ということにされた。なんやねん

料金は初期費用が15万のところをキャンペーンで割り引いて3万。成婚料10万。

お見合いで1万。月額が1.35万。

そして色々会ってみないといけないとかでお見合いすると1回1万。

まり初月でお見合いしたら5万以上かかる。グェー、そんなんスイッチ買うわ

まぁ色々考えてみますということでエスケープ。(診断の結果は結局捨てちゃった)

帰り際、俺よりちょい下くらいの年齢の女の子が他のブースに見える。

いや女はボサッとしてたら適当な男が相手してくれるからこんなん利用しなくていいと思うよ。あっハイスペ狙いですか?それはそれはまた…

帰りに銀座セッ、シックス行ったよ。なんか思ったより普通でした。大きい西武みたいな感じだった。ポン刀売ってたよ。

ちなみにスーツで行きました。土曜にスーツとかマジ本当勘弁してくれと思ったが、だからといってジーパンで行くのも正直どうかと思ったので一張羅であり仕事着を着ていったというわけ。

お次はコメントおすすめされた楽天オーネット

あのよく分かんねえCMでおなじみのオーネット

これもネットで診断したら番号教えたりで向こうから電話が来る。

結婚チャンステストの結果が出ました!マッチングされた方からメッセージです。

23歳155センチ女性で、趣味読書ショッピング…お互いのことを理解して…」

あとは覚えてないけどこんな見え見えの嘘で童貞釣れると思ってんならおめでてーなオイお前の親泣いてるぞ。

で料金は初期費用10.6万。月額1.39万。成婚料無料

とりあえず様子見てみるということでガチャリ。

初期費用も月額も高すぎる

いや10万も5万も高いのは変わんねーよ…つーかそんな思い切りよく使えるなら新しいPC買ってるっつーの。新しいPC買うくらいなら貯金するっつーの。

月額1万以上ってのもなんだよそれ。近所のアスレは1万で週末&平日夜使い放題だぞ。

これで確実に会えるわけでもなければ、会えたとしても順当に付き合える保証があるわけでもなく。

いきなり連絡ブッチギリなんて婚活アプリ経験済みだし。まぁこっちは会えたわけじゃないけどね…

金を払ってようやく会えるかどうか(というか会話してもらえるかどうか)ってのが悲しい。

レイプ事件起こしてるウェイとか医学生とか…浮気がどうので揉めてるイケメン無料で女に相手してもらえてるけど

俺は金払っても会話、というか会ってもらえるかどうかもわからないんだなぁ悲しい虚しい。

婚活アプリときとか今までの経験から言って、相談所入ったところで無駄金になりそうだし、もう本当にやめたほうが良さそう。高いし。

アドバイスくれた人たちには申し訳ないけども。

何がそんなに悪いのかってそりゃ俺こんな顔だから・・・・。

そういうことですごろくがもう進まなくなった

どうすんのこれ?つまんねー仕事で働く意味どころか生きてる意味もいよいよなくなったぞオイ!

まぁ分かっていたことではあるけれど…

いじめや親のヒステリーに耐えて、向いてない勉強やって、行きたくない学校にも通って、第5志望にも入ってなかった会社で向いてない仕事して…趣味も何も見つけられず…

俺の人生本当に何だったんだろうな…耐えるだけでクソじゃんか。

そういうわけで職業適性とか趣味を見つける方法教えて下さい。できるだけ精度高いやつ…

以下目についたコメント

結婚以前に友人はいるのかな、この人。

いないよ。えっなんでそんな、そんなこと言うの

趣味特にあるわけではないし、仕事だって別にやりたい仕事でも行きたい会社でも無かったしね。

考えても見れば高校大学会社すべり止めだったわけで、その中で結婚くらいはマシにやりたかったという側面はあるんだよな。

風俗行って、キャバクラ行って、ガールズバー行って、クラブ行って、バー行って、

立ち飲み屋行くのが先だ。それから婚活

この手のことは童貞だったら一度は言われることで、実際俺も同期とかに言われた。

でもキャバクラとかソープとかクラブとかお前…そんなん仮に子供出来たら言えないようなこと出来るわけ無いだろ。

結婚最後最後とは死)まで無理で子供も無理でも、だからといって女を買うような倫理に反する行為をしていい理由にはならないんだよ。

お前…お前…そういうのはもうウシジマくんの世界産業しょうが???

いやいやいや…言いたいことはよく分かる…幻想抱くなってやつでしょ。でもどんなことでも幻想(=期待)抱かなかったらやろうとは思わないよね。

今までの生活の中でコンタクトとったことがある女性っていうのが前のエントリーで書いたようなのしかいいから、

いわゆる「まともな女性もいるよ!」みたいなコメントは正直ちょっと信じられない…だって女の人って俺の顔みるとめっちゃ嫌そうな顔するし…

ウゲーッて感じの美容院とか服屋の店員がするようなあれね…ブサイクだったらこれ分かってくれるよね

から順当に人生進めたいというのもあれば、拒絶だらけの社会でまともな人を見つけて安心たかったというのもあるんだよな。

それをもう見つけられない…というか高すぎる=無理なのが分かったから、安心を人ではなく仕事趣味に求めなければならなくなったんよな。

できるだけ早くそういう拠り所を見つけないと、正直どうにかなりそうだ…

2017-04-22

婚活サイトでそこそこ婚活した結果

25歳男 180㌢ 大卒理系 不細工 正社員

まれてこの方全く女性と接点がないし、そろそろの年齢なのでやった、という記録

使ったのはmatchタップルpairs

期間は1年(2016.4~2017.3)

誰とも会えず

どのツールにも言えることでけど、

メッセージを送ってもまぁ返ってこないし

来たらきたで2回くらいで音信不通

向こうから来ることもあるけどだいたい課金の境になる時期

十中八九客つなぎとめるためのサクラだろうなぁ)

結果、文字通り誰から相手にされず終わった。

感想としては結構上昇婚したい人って多いんだなぁ、とか

pairsってfaceboookの友達必要なんだなぁ、とか(友達がいないのでよく分からないコミュニティに入って申請乱発した)

こんなに利用者はいるのに俺は誰から必要とされないんだなぁ、とか

「こんなに~はいるのに俺はいらないんだ」って感覚就活を思い出して少し笑った。

需要がないことの再確認作業有償

需要供給とか割れ鍋に綴じ蓋って言葉がある。

あるにはあるけど実際は割れた鍋に蓋が必ず存在するわけじゃなくて、かならずあぶれる俺みたいなのがいる。

それを救済するのがお見合いとか、この手のツールなわけだけど…それでもあぶれる俺みたいなのがいる。

なぜあぶれるのか、というのはやっぱり需要がないからで、いらない商品は安売りしてもホコリを被って朽ちるだけなんだね。

そもそも俺と付き合うことで女サイドに何のメリットもなくないか

最近インターネッツではマウンティングかいう見栄の張り合いがめっちゃ流行っているらしく、

恋愛というのはその見栄の張り合いで使うカードを稼ぐ場所らしい。

大して稼いでいるわけでもなければイケメンでもなくすごい会社にいるわけでもない男はカードにならない→いらない(今日明日永遠に

(考えてもみりゃ金も顔も肩書も良くないやつとか俺が女だったら絶対相手しないわ)

その再確認作業を1年かけて(有償)実行し、結果こうだったわけです。

他にやったこと

顔面オタクオタク病なので、場違いなのは分かってはいたが、1,2回だけ行ってみたことがある。(一人で)

結局おっさんしかおらず、行かなくなった。(女がいたところで何も出来ないけれど)

ダーツは腕が疲れるがそれなりに楽しかった。(周りが華金を友達や同僚と楽しく投げている中、一人黙々とやっているのは明らかに痛かったと思う)

クックパッドの小規模かつ単発のやつに参加したことがある。(一人で)

結局既婚オバサしかおらず、1回で終了した。クリスマスディナーは美味しかった。おすすめです。

これも単発のやつに参加してみた。(一人で)自己表現系のやつ。

当たり前だけどおっさんしかおらず、1回で終了。

経験を生かして職場で少しハキハキ喋れるようになった。行って良かった。

以下身の上話と女との接点がいかに無かった人生かって話

そもそもの話、女から友好的に接してもらった経験がない。(仕事以外で)

母親も姉も死ぬほどヒステリーで人にあたるし、精神的に不安定だった。

小中では例によって虐められていたんだけど、

自分が小中時代女子から「シンショー、ショグ」(身体障害者、ここでは知的障害者の意)とかボロクソ言われたり、バイキン扱いされていた。(一応俺は健常者だよ)

当時は「こいつらが精神異常者なだけで、世には優しい女性がたくさんいるはず」と思っていた。

適齢期になってインターネットを見てみれば、トゥゲッタとかhatenaでも男に石を無限に投げつけるような、俺を障害者と呼んでいた連中と似たようなチンピラ女は山ほどいた。

優しい女性なんてどこにもいなかった。

高校は男ばかりのすべり止め高校で、大学工業大学電子情報系だったので女っ気は無かった。

会社がすごければ結婚できたんだろうけど、それほどネームバリューがある会社ではないのでそれにも期待できない。(職場はオッサンしかいない)

なぜ結婚したいのか、恋愛したいのか

理由は3つあって、

一つ目は、進学→就職結婚という一連の人生プランを滞りなく進めたいという意味

二つ目は、

関係ないけど最近の華金は大体夜景スポット見に行って、秋葉行って、本かプラモ買って帰るのが習慣なのね。

夜景スポット見ると中年からヤングまで色んなカップルがいて、それ見て寂しいな~~~ってなるのと

東京にはこんなに人がいるのに俺を好きになってくれる人はいないんだな~~~って気持ちになったというまぁそういう意味です。

今度は本当に関係ないけど秋葉原外人カップルいるじゃん。アジアンのもいるじゃん。

たまに俺と似たようなオタクオタク病の顔した男と可愛い子が手繋いでたりしてあれなんなんだろうな~~~ってならない?俺はなるのね。

あれってお金かな?それともお金かな?あるいは会社役員だったりするのかな?   関係ない話オワリ

三つ目は、上にもあるように人格形成の時期にクソミソ虐められていたし、冴えない人生送ってきたんだから

少しくらい報われてもいいじゃないか、っていう考えです。

でもまぁ~~~、需要がないってことは人生プラン就職で打ち止めで、もう死ぬまで夜景は一人で見て、人生報酬もないってことなわけで

ここで始めて人生目標がなくなったことに気付いた。

普通の人って生まれた時点でいろんなチェックポイントがあるでしょう。

進学、就職結婚育児出世、老後…

まり俺は結婚が出来ないので育児出世もする必要がなく、人生消化試合が確定してしまった。

考えなきゃいけないのはこれから人生をどうやって過ごすか、ということで…死ぬのもいいが、何かをしてみたい、何を始めようか…

2017-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20170225224046

センターとっても普通に私立受けるって感じだったけどなあ。昔ってのがいつなのかは知らんけど。

例えばセンター8割8分割取って、東大一橋に出願、それでも早稲田受けに行くとかむしろ普通だったし

試験会場が国立志望者のたまり場と化すぐらいにすべり止め私大受けてる人達がいたけど。

試験会場で国立赤本開いてるやつとか普通にいたもんだ。

2016-10-15

やったーネジとれたー

http://anond.hatelabo.jp/20161010180147

 

◎ちゃんとしたドライバー

○ネジすべり止め

×ネジザウルス

?クレ556

 

ナイロンナットってやつで締めてあったので普通ナットより硬かったみたい

ネジザウルスでも回らなかったので諦めかけたけど

ちゃんとしたドライバーねじすべり止め液買ってきて使ってみたらぐるぐる回った

念のためにクレ556も買ったけど、使うの忘れてた

 

ブコメトラバ感謝

2016-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20160318181621

偏差値45ぐらいでちょっと東大でも行ってみるか(※早稲田すべり止めにもならない)っていう妄想が彼等を悩ますのだろう。

いや、知らんけど。

普通にブサイク、低偏差値な親が存在してるんだからブサイク、低偏差値人生否定にはならないはずなんだけど。

2015-08-27

図書館に逃げるって本当にベストアンサーかも知れない

小学校時代いじめ経験して、中高では孤立することでそれから逃れていた自分視点で書く。

図書館に逃げるって、すごくすごく正解かも知れない。

自分いじめられたきっかけは絵を書くことだった。

絵と言っても漫画絵だ。

まだそういうことが珍しかった時代の話なんだ。

授業中に落書きしていた教科書を生徒全員の前で先生になじられたことからいじめが始まった。

先生としても、いじめを容認することでぼくがそんな趣味をやめてくれればありがたいくらいに思っていたのだろう。

自分にしてみればそんなことは知ったことがない。

別に誰に迷惑をかけるでもなく、自分は好きなことをやっていたかったんだ。

というか、その頃は自分衝動なんて上手にコントロールできなかった。

いじめられる全員がそうとは限らないけど、すくなくともぼくがいじめられる原因はその特異な趣味ももちろんだけど、周りの輪に馴染めなかったことにあった。

外で遊ぶくらいなら趣味に没頭したかったのだから、そっとしておいて欲しかったのだ。

彼らにしてみれば、良かれと思う誘いを断るのだから罰っせられて当然くらいに思っていたのだろう。

先生からの余計なお墨付きも手伝って、いじめは日に日にエスカレートしていくばかりだった。

輪を作ってそこに参加することが学校常識から、それに参加できない人間は罰を受ける。

すくなくともいじめる側の行為正当化していた理由はここにあったと思う。

ぼくの唯一の救いは、両親共働きで夜が遅かったから、体調が悪いと嘘をついてもさほどうるさく言われなかったことだ。

その代わり布団に入ってないと疑われるので、その時間は好きな絵を書くことを我慢しなくてはならなかった。

中高は人間関係リセットしたいからと一応の私立に行った。

すべり止めを滑った人間があつまるような落ちこぼれ学校だったせいか、自分が輪に入ることを拒んでいたらそのうちだれも誘うようなことはなくなっていった。

おかげで幸いいじめられるようなことにはならなかったが、親にも心配をかけず孤立が許されるという環境存在は大きかった。

そう考えると、図書館っていうのはもともと一人で作業をするための場所だ。

空間が開けていたり、テーブルが続いていたり、うるさくしてはいけないとか最低限のルールはあれど。

コミュニティを作ることが前提である学校と違い、それぞれがそれぞれの目的をもって訪れる場所であり、そもそもコミュニティ存在不要なのだ

から輪にはいらないことは罪ではないし、逆に目的を共有できる人間とは自由コミュニティを作ることができる。

この、入らないことが罪ではないということはとても重要だ。

しかも何が素晴らしいって、そこには生涯の時間をかけても読みきれないほどの本があるんだ。

その気になれば、どんな道のプロにでもなれるほどの情報量があるんだよ。

義務教育という考えには反するかも知れないけど、これから時代はそれこそそうした教育なんかが役に立つとは思えない時代になってきているんだ。

常識なんて普通生活担保するための保険みたいなものなんだから、それを全て捨てて好きなことに突き抜けて世の中に新しい価値を生み出すことだって選択肢としてあってもいいと思うんだ。

それに、共通の趣味の本から始まるコミュニティなんて、考えただけでも素晴らしいと思わない?

から、本当に、そういう同じ問題を抱える人達と、それに理解がある大人たちとが集まって、すごく慎重にルールを作り上げていくことができたら、少なくとも悲惨いじめだけでもなくすことができるかもしれない。

当然、子供を食い物にしようとする大人とか、すぐにお金匂いを嗅ぎつけてくる大人とかから守らなくてはいけないから簡単なことではないと思う。

でも、図書館って、孤立自分の好きなことに没頭することが許される類まれ空間かもしれないって思ったんだ。

これがきっかけになって、たとえ世間からは逃げ込んだ人間同士と言われても、そこで立派な知識や大切な仲間を見つけることができたらどんなに素晴らしいことだろう。

もちろん、心も体も疲れている人は何もせずに休んでほしい。

すべての図書館がそれをすぐに許しくれるわけではないかもしれないけど。

何かをするには体力も精神力必要なのだから。どこかに隠れてでもそれを蓄えてほしい。

学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。」

このセリフを言った人は本当にすごい。チクショウ。朝から涙が止まらないよ。

2015-03-06

二兎を追うもの一兎も得ず

参考書教員採用試験就職活動は両立できないと書いてあった。「そもそもすべり止めとして内定をもらうのは会社に失礼だし、生半可な気持ちで教員を目指すべきではない」との事。

尤もだと思い、就職活動はせず教採一本に絞った。教採面接不採用になった場合を聞かれ、「臨採で経験を積んでもう一度教採に挑戦します」と答えた。不合格。もう10月

私立求人を探す。集団面接にも行ったがすべて不合格。もう12月

就職活動を始めた。教採について聞かれる度「教職は断念しました。今は一般就職を目指しています」と答えた。しかしどこも駄目。

今は臨採登録を検討中

まぁ教員になっても研修雑務時間外労働、生徒や保護者への対応やら、しんどい事ばっかりなんだけど。一般就職してもそんなもんか。どっちにもなれそうにないけど

2015-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20150119185257

既に散々突っ込まれてるが東大京大センターの点数は当てにならない。

二次と合わせた点数におけるセンター割合は低いし、センター二次問題の質が違いすぎる。

からセンターの点数を見て志望校東大京大に変えるのはそもそも無謀だと言わざるをえない。

ただ、筆記模試というのがいわゆる東大模試京大模試を指していて、

それでB判定が出ているのならかなり望みはあると思う。

自分東大模試でA判定は全然出なかったが結果的には東大受かった)

逆に、それ以外の一般の模試の判定はあんまり当てにならんかも。

結局、入試なんて運の要素も大きいので落ちた時のこともちゃんと考えておいたほうがいいよ。

自分は落ちたらすべり止め私立妥協するつもりだったのでその意味では気楽だった(それでも死ぬほど勉強したけど)。

2014-09-17

ロジクールマウス

右側にすべり止め加工してあるなあと思ったら全部手垢だった

お前らも見てみろ

2014-09-05

勉強や作業ってやらないといつまで経っても終わらないんだよな

「放っておけばそのうち始めるだろう」って考えでも、時間の使い方が下手な子供の内はどうにかなる。

でもある程度大きくなって時間の潰し方を覚えると自分から積極的に作業に向かっていかないと絶対に終わらなくなってくるな。

兎に角机に向かう、その癖をつけることが出来ないまま大学受験すべり止めに入って終えてしまった俺はもう駄目なのかもしれない

2014-07-07

親不孝だよな~

高校だって大学だって頑張ればそれなりのとこ行けるのに努力もしないでどっちもすべり止めのF欄でおまけに就職も出来ずに底辺会社潜り込んだと思ったらすぐ辞めてうつ病とか‥親だったら死にたくなるな

2014-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20140608130257

とうぜん同志社大とか立命とかってそれ以前から対策してないと受からないから

そのレベル大学対策しないと受からない様なレベル人間大学なんて行かないで欲しい。意味ない。

で、関大とか近大の倍率がやばいことになる。

それらの大学は多数の受験の道を用意して他の学校との併願が簡単に出来るようにしてるだけ。

倍率なんて何も意味が無い。ほとんど滑り止めのすべり止め、くらいなもんだし、

受験たって実際に試験なんて殆どしないで終わるようなものだし。

大学の時にこういう自尊心ナイアガラ現象体験したやつって就活めっちゃがんばるイメージある。

ナイアガラにあったならもう就活なんて頑張っても無駄じゃん。

流石にニートは何も知らんな。

2014-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20140330184942

最近東大は、修士ならば、馬鹿(無試験?)でも受かるのでしょうか?

最近も何も20年前でも理系の大体の学科東大学部より院のが枠でかいから東大の内部生と戦わなくて済む分、馬鹿でも受かる。

東工大とかで優秀な人間は逆に東大なんて行かずに東工大の中の研究室でやりたいことやるから大学院レベルなら東大東工大も変わらんし。

結局ロンダに来る様な人間はやりたいこともよく分からずに東大、って名前だけで来たがるよな馬鹿しか居ないし。

実際、東大東工大から来る人は少ない。京大からの人は多いけど、それは京大の院の枠が少なくて普通に落ちるのですべり止めで受けることもあるから

勿論、試験あるし、勉強もしない馬鹿は落ちるけど、内部生は院試勉強なんてほとんどしないで(やっても過去問ちょっと解くくらい)で受かるのに

外部から来る人は前の年から受験勉強」をしてたりするらしいし。。。

馬鹿」って別に何もやらない馬鹿のことではないけど、お前ら一体大学で何してたんだ?で、その受験勉強時間無駄じゃね?っていう馬鹿、の意味

2013-09-30

うっかりミスが、新聞糾弾されるようでは現場は萎縮する。

原発の浄化層のニュースが度々出るが、すべり止めゴムを置き忘れてポンプがつまりました。とかがニュースになる。

意味はわかるが、別段それそのもの現場ならよくあるミス。以後気をつけてで問題がない。

しろ、微細なミスも犯さないようにと現場を萎縮させるほうが問題だろうし。

 

一番問題なのは・・・なんで、1個しか無いのみたいな。10個も20個も作れば1つぐらい壊れても修理してる間に他の動かせばいいんじゃないの?

という、あいも変わらずミスが合ってもフォローすることが前提。想定外があってもなんとかすることが前提みたいなシステムになっていないほうだろうと思う。

そんなもん、パイプは詰まることがあるし、作業員ミスすることもある。そんなん人間現場なんだから当たり前じゃん。

その当たり前が、当たり前にならない。ミスフォローすればいいというふうにならない。それが、原発の問題ではなくて、この国の問題なんじゃないかなと思う。

報告書読んでる人間が、ゴムを置き忘れるなんて管理不足!というのは簡単。でも、その人もゴムを置き忘れないようにチェックするようにという指示は出してないんだよね。

なんだろうな、糾弾したいわけではなくて。ミス一定確率で起きる。起きることが前提でフォローをする仕組みを作る。完璧なんて無い。事故率0はない。

ミスを責め立てるんじゃなくて、ミスフォローがどうであるかを確認する。ミスを上手にフォローできていれば褒める。

それが、教育だと思うんだけどな。

2013-09-24

大学での講義高校の授業というものが全く別物であるというそもそもの問題は

そもそもの問題は、まあ、何というか、ある。

決然として存在するが、まあ、無視する。

無視する…というか、どうしても自分高校生だった時のことを思い出してしまったので書く。

仕事の合間になんとなく眺めていたtogetterでこんなまとめ

 http://togetter.com/li/567602 を目にしたのだが

自分高校生の時、数学現国?以外の授業はすべて英語で行われていた。

というか具体的には英語とその他…倫理だったかな?よく思い出せない。

学校日本にあったし、教師以外は日本人だった。

私のクラスはいわゆる特進クラスみたいなやつで、英語を重点的に取り扱う事を売りにしていた。

結果としては、学校全体で行われたセンター模試で我々のクラスの面々がとんでもない点数を叩きだした事によりこの方策は中止となった。

とんでもない点数といっても低いほうにとんでもなかったのである

当然だ。

答案用紙にも問題用紙も全部日本語で書かれているから、知っている単語ひとつも無いのだ。

権利の請願」とか言われてもピンと来ないけど「Petition of Right」と言ってもらえればそれが何年にどこであった出来事に関する言葉で、どういうものなのかを英語で説明することはできたのだ。日本語じゃダメだった。

我々はこの時最早鉛筆を転がすしか脳のない阿呆だった。

まあこの件は、我々も学校もどちらもあまりに愚かだったし

そもそも現在日本における高校の授業とセンター試験というもの、それらと大学での専門的な学習内容とを比較しようとするのは不可能なので、思い出したから何なんだと言う話ではあるし、そもそもこの人(@shingoym)の言うことをまともに論じる人間など居ないだろうと思われる事から、本当にどうでもいいなと思い、ここまで書いて一旦寝たのだが寝て起きてもう一度自分で読んでみた勢いで投稿ボタンをおしてみる。

(専門的な内容の講義英語で行うことの利点はあると思いますよ。ただ、大学講義英語でやるとしたら、そこへ至るまでの中学高校教育課程の状態から変えていく必要があるし、日本語での教育を受けた人間との間に前述の回想のような齟齬が発生する訳だし、そういうことを考えると「さっさと英語で教えろや」とか言うほどのメリットを感じないし、ハーバードすべり止めクラス大学日本に作ってもじゃあどの程度の人数が通うのか)

2013-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20130822140838

その間にある早稲田慶応比較されるのも仕方ないと思うけれどね。

この前提がおかしいだろ。

そりゃ早稲田のがレベル高いところはあるし、ブログ主学科が圧倒的に早稲田のが高かったのかもしれないけど、

全体的に筑波早稲田比べて早稲田のが圧倒的に上、な感は無いだろ。

筑波のが上なとこもあるだろうし。

筑波を第一で早稲田すべり止めにしてる人も居るし。

その記事は余りに早稲田マンセーだし、筑波貧乏人が行く、まともに学習したいともそれ程思ってない人が行くとこ、

みたいな書き方してるのが炎上した原因だろ。(実際どういうコメントが来てるかわからないが)

本人も反省してるように、仮面だってんで、まともに授業を受けてないわけだし、受けてたのも1年次だけだし、

周りにだってそんな人の周りにまともな人が来るわけ無いし、否定的な環境になるのは当たり前。

で、早稲田に入って、今度は自分のやる気スイッチが入ってるんだから、授業も身になるし、周りの人間もそういう人間自然と集まるだけだろ。

要は、筑波に入れる程度の学生とは、ブログのそういう前書きも読めないうえに自身の立場もよくわかっていない残念なレベルってことなのかな?

これは要は、筑波学生がこのブログに反感持った、と言いたいのだと思うが、一般的に、筑波ほどの大学をあれだけdisれば文句を言われるのは当然だと思うぞ。

しかも、かなり狭い了見な上、おかしな対比まで持ちだして。

あれは事実受験生に対して損害にしかならない。

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