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2023-03-11

anond:20230311085306

以下のくだりが、とても印象的だった。

その時にわたし出身地名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

恥ずかしい話、「神戸出身から」と言われて私は何も分からなかった。

私は自分地震津波被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。

「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。

その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。


ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。

自分けが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。

ただ、被害者という言葉共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災経験したひとと、東日本大震災経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの

多分、増田上記言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。

ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマ性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北もっとも大きな漁港ひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。

しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。

父は東北我が家家系からすると、よそから婿養子だった。

その父が他界した親戚をふりかえってぽつりとこうつぶやいた。

「あれは天罰のようなものだったんだろうね 」と。

期待していない予想外の冷徹つぶやきに私は動揺した。

他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年津波の前から漁港生計を営んでいた。1933年津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。

大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉自身のつらみを含ませて表現したのだった。

父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情

個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。

たとえ、誰と震災経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。

震災経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。

こうしたファミリーヒストリー視点でそれぞれの思いがある一方で、

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。

という上司言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロ視点での気づきをもたらすのも災害だ。

そして、それが何かの理由で、自分自身ファミリーヒストリー神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分ある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。

実をいうと、よりマクロ視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性被害を増幅させている、という視点最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。

1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理文脈で救援対象として、比較ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市社会構造脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災自分仕事として防災世界に入るきっかけを作った。

ざくっとまとめると以下のような歴史神戸にはある。

神戸都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入低所得層脆弱埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀鉄道時代に入ると、阪神間交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地住宅地建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代都市生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸産業シンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者低所得者ばかりとなった(インナーティ形成)。

これに対して1980年代神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設物流機能強化のための明石大橋建設最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。

その一方、社会脆弱層への支援行政による市街地再生は後手に回っていた。

オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地長田区スラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったか番町地区検索をしてほしい。

このような経済格差脆弱性が生み出された、マクロ構造変動のなかで襲ったのが1995年大地震であり、被害社会経済的脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。

社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害高齢者低所得者に集中したのは、ある意味歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロ政治的経済的な動向と切り離せないということだ。

そして、このような格差脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコシリア大地震でも、当てはめることができる。

このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。

パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。

また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロ特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっと重要エントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。

からトルコシリア現在進行形震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロ視点で、特定家族地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGO支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係SNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分支援したお金支援先の一家族あたりの支援額(しか第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。

そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

というのは、居酒屋トイレ洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。

災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。

2023-03-10

anond:20230309190731

トンガ離婚(とんが‐りこん)結婚したての男女が新婚旅行先の海外リゾート地でのトラブルが原因で離婚すること。

  

1990年代の一時期使われた語。現在でいう「スピード離婚」の1つで、当時日本若者カップル新婚旅行先として人気第一位だったトンガの名をとってそう呼ばれる。

バブル景気当時は未婚女性海外旅行を楽しむ機会が多くなった一方で男性には海外渡航経験が少ない傾向があり、日本では立派に見えた夫が慣れない海外トラブルの際などに適切な行動ができなかったことなどが原因で口論となった結果、離婚に至ったというケースが多いとも説明された。

2023-03-07

日本国破産する10ステップ

過去数十年にわたる不自然なまでの金融緩和は、多くの人々が必要以上に借り入れをする「モラルハザード」の世界を作り出しました。

今、金融が厳しくなり、企業個人だけでなく、一部の政府も、昔から言われている国家破産が「いきなり」起こることを見つめているのです。

日本は、金融の崖に向かってゆっくりと歩き、突然転げ落ちている見本です。

ここでは、日本に何が起こっているか10ステップで紹介します。

ステップ1:巨額の負債を積み上げる。1990年代不動産バブル崩壊し、日本政府は、残酷不況を受け入れ、債務不履行によって債務の大半を解消するか、

ゾンビ銀行建設会社を救済し、最善を尽くすかの選択を迫られた。1991年GDPの40%だった連邦政府債務は、2000年にはGDP100%に達した。

ステップ2:金利を下げて利払い費を最小にする。GDP100%に相当する負債を6%で支払うのは破滅的な負担となるため、

日銀負債が増えるにつれて金利を下げ、政府金利負担を許容できるレベルに維持した。

ステップ3:実質的に無利子で借り続ける。金利が下がる一方で、公的資金を吸い上げるゾンビ企業に加え、

日本社会保障制度メディケアを利用する退職者が増えていった。その結果、政府支出は増え続け、財政赤字は拡大し続け、金利引き下げ圧力さらに強まった。

日銀は、新たに作った円で国債を買い、金利ゼロ、あるいはそれ以下にまで引き下げることに成功した(つまり日本国債を購入する残りの民間企業は、実際にその特権を支払うことになった)。

政府借金をすることでお金を稼ぐようになったので、それを止める理由はないと思われ、負債現在GDPの262%まで急増し、これは主要な政府によって記録された最も高い数字かもしれない。

ステップ4:突然の急激なインフレ経験する。2022年、すべての新しい通貨が、金融緩和批判者が予測していたインフレをついに引き起こした。日本公定歩合は年率4%で上昇し、0%の国債の実質利回りは-4%になった。

ステップ5:通貨の急落を体験する。他の多くの中央銀行インフレ対策として引き締めを行っている中、日銀は低金利を維持するために債券を買い続けた。

この利回り差に気づいた投資家は、円建て債券を買わなくなり、円の為替レートは米ドルに対して急落した。

ステップ6:しぶしぶ金利上昇を認める。2022年日銀は、政府が発行するすべての紙を買いたいのでなければ、金利を少し上昇させなければならないことに気づきました。0%から0.25%、そして0.5%へと、非常に迅速に金利を上昇させた。

ステップ7:利払い費用に振り回される。さて、日本政府が発行したり、ロールオーバーしたりする債券には、すべてコストがかかっている。

仮に平均利回りが現在の0.5%まで上昇したとしよう。GDPの260%に相当する借金場合支払利息GDPの1.3%に相当し、すでに巨額の赤字に加え、負債全体、ひいては支払利息も増加する。

さて、ここからが「いきなり」編です。

上記のすべてが起こりつつあるか、起こっており、次のステップは、近い将来に予定されている。

ステップ8: 必死金利を下げようとする。日銀は、金利の高騰が国家破産意味することを認識し、新たに作り出した大量の円で国債さらに購入することで、この傾向を止め、逆転させようとする。

しかし、世界の他の中央銀行は緩和が遅れているため、日本国債の利回りと、例えばアメリカドイツ国債の利回りの差は拡大し続ける。

ステップ9: 円が暴落するのを無気力に見守る。政府債務が放物線を描いて増加し、その結果生じた紙の津波を買ってくれるのは日銀以外にはいないため、

日本は完全な現代通貨理論領域に入り、政府は新しく作った通貨資金調達するだけとなる。世界の国々は、インフレの影響を認識し、円を捨て、通貨為替レートは自由落下となる。

通貨が下落すると輸入コストが上昇し、インフレが進み、さら円安が進み、金利が上昇し、といった具合に、いわゆる「デス・スパイラル」に陥ってしまう。

ステップ10ゲームオーバー日本公式通貨切り下げ/通貨リセット余儀なくされ、今後の消費とインフレ能力制限される。

政府を信頼し、旧通貨保有していた人々は困窮し、詐欺気づき現金国債実物資産に換えた人々は豊かになる。よくある話であるしかし、今回は重大な国で起こっている。

https://www.zerohedge.com/markets/how-country-goes-bankrupt-10-steps

2023-03-03

大川隆法と、冷めた2世会員の私。

唐突だった。会から離れていても、人生に大きな影響を及ぼした人が亡くなったという事実は、衝撃がそこそこあった。

と同時に、これからは多分、自分幸福の科学についての話は、本当に「過去の話」になる気がした。

語れなくなる前に、幸福の科学が影響する自分人生を整理しておこうと思う。

あなたは誰

- 幸福の科学2世会員

- 1990年代まれ20代男性

- 幸福の科学運営する塾や学校に通っていて、学生時代はそこそこ熱心な信者だったが、社会人になってからはゆるゆると遠ざかり、今は特に活動勉強などしていない。「わざわざ脱会までしなくていいかなー」と思って特に脱会はしていない。

私と幸福の科学/大川隆法関係

まれ環境

- 両親が幸福の科学信者で、特に母が熱心な信者だった。

- しかし父は自分が小さい頃に脱会している。

- でも幸福の科学ではないスピリチュアルもの関係がある様子で、その辺りは昔も今も聞きたくないか適当にあしらっている。

~中学生
物心ついた時から生活幸福の科学であふれていた

- 家に幸福の科学の本がたくさん置いてあったので、なんだかたまに読んでいた記憶。置いてあったら単純に興味が出る

- 神棚(幸福の科学では「ご本尊」と言う)も家に飾ってあって、たまにお祈りしてた

地域支部にも母親とよく言っていて、よく「御法話(大川隆法の説法のこと)」を聞いていた。独自システムで全国生中継をよくやっていた

たまーに母親活動についていって、街頭演説とか、パンフレットの配布を手伝っていた記憶

「外で伝道活動するの偉い!積極的にやっていこう!」って教えられる。特に子ども活動していると、会の中では「超優秀な素晴らしい子!」として扱われる

褒められちゃうなら、子どもは頑張っちゃうよね。

大きめの講演会もちょくちょく行ってた。

小学校後半から幸福の科学運営する塾「 サクセスNo.1」に通っていた。

- 今調べて初めて知ったんだけど、サイトあるんだね

- https://success-no1.happy-science.jp/

毎日祈りするのがいいんだよ」と言われていても、めんどくさくて半年に1回くらいしかやらなかった

- そもそも親と一緒に何かするのが恥ずかしい、みたいなとこもあったな。

- みなさんも「親と一緒に家でお祈りするの恥ずかしい!」って思ったことありませんか?

子どもながらに一般社会との違いを感じながら生きていた

- 自分の家庭や前述した塾では幸福の科学の教えを前提にした会話が繰り広げられる。

- 「守護霊が〜」「過去世が〜」「 最近の教えで総裁先生(信者の間では大川隆法のことを「総裁先生」と言うことが多かった)はこんなことを言っていて〜」とかとか。

- ただ、そうやって普通に会話することが周りの子には通じないし、そんなこと言ったら変な目で見られてしまいそうなので、「幸福の科学用語」が表に出ないように気をつけて生活していた

~高校生
幸福の科学運営する高校に通った。通ったというか全寮制なので、3年間生活していた感じ。

- サイトはこれ

- https://happy-science.ac.jp/

割と真面目だし、色々やっていたので、「信仰心が高い生徒」だったと思う。

- 学級委員とか、部活部長とか、生徒会役員とか・・・

- その辺りの役回りをこなすと、自然大勢の前で「幸福の科学の教えを広げるために、自分達に何ができるか?」「信仰心大事だ!(バーン)」といったように、他の生徒を鼓舞して、信仰心高まるような演説をする機会が非常に多かった。

- 当時はそれが素晴らしいことだと思ってたんだ。

同級生とか

- 母親けが熱心な信者で、父親の反対を振り切って入学しました!って子、自分は行きたくなかったけど両親に強引に入学させられちゃった・・・って子とか、色々いた

- 幸福の科学に対する対する考えは人それぞれ。大人になった今でも熱心に信者やってるは、3割くらいじゃないか・・・?って感じ。

- ただそういった会との関係を抜きにして、自分にとっては「青春を過ごした同級生」なわけで、たまに会ったり、飲んだりする人が結構いる。

毎日祈り時間があった。それはもうたくさんあった。

- 朝起きてから寮でお祈り

- 学校が始まるモーニングルーム最初にお祈り

- 学校が終わってホームルーム最後にお祈り

- 部活夜ご飯時間が終わったら大講堂に集まって夜の祈り。これがちゃんとするやつで、たまにフォーマットは変わっていたのだけど、御法話聴くタイム10分+お祈り20分、みたいな感じだった

- 寝ちゃう人たくさんいて、生徒会などでは結構問題になって有志で色々話し合ったり対策を考えていた記憶・・・

寮生活普通にしかった。就寝時間過ぎても友達夜遅くまで話したり、職員の目を盗んで窓から抜け出したりしてました。ド田舎にあったんで、星が綺麗だったなあ・・・

- ド田舎の寮で最寄のコンビニまでも30分かかるくらいだったので、生徒の間ではこの環境のことを「那須リズン」と呼んでましたw

学校先生は皆、熱心な信者だった。いい先生が多くて、好きな先生も多かった。

- たまに、「実は名前だけ会員になってただけで、幸福の科学の本とか全然読んでなんだよね〜w」って先生もいたな

自分高校に通う頃から幸福の科学映画作成の頻度が高くなっていたが、アニメとか映画をよく見る人たちの間で「この映画クオリティ低すぎるだろ・・・。これを良いと言っちゃうおかしいんじゃないの・・・。」って会話をしばしばしてた。

- 自分映画アンチで、「つまらないストーリーが全てを台無しにしている」「最後はどうせ信仰心で何もかもうまくいくだけの薄い映画」などなど、猛烈に批判していたが、「映画面白くないのは信仰心たりないから」って感じであしらられていた記憶

- しかも同じ人が何回も見に行ってるからな。まじで何やってんだ本当に。今でもそうだよな。作品クオリティに真面目に向き合っていあたら、10年やってれば普通に面白映画作れる可能性あったんじゃないのかな。

- 映画に限らず、会の流れにそぐわない意見は良くないものとする雰囲気がただよっていた。これは幸福の科学全体に言えることで、熱心な信者ほどそんな意見を持っている人が多かった。

- 自分映画がクソすぎたのが、幸福の科学の考えに違和感を持つ原点だったのかな。今思うと。

受験勉強はみんな、「総裁先生のために!」と言って頑張ってました。私も頑張りました。

- ただ、「総裁先生のために」と言ってとりあえず頑張っていれば結果関係なく褒められる、みたいな空気があったのもわりと嫌だったな。

大学生社会人(今)
大学地元に戻り、実家から通っていた。

大学生活は普通にやったし、バイトもしていた。その面は普通。ただそれ以外の時間幸福の科学活動を頑張ってた感じ。忙しい大学生だった。

幸福の科学学園を卒業した子は「アデプト(信仰心に目覚めた新人類)の卵」ともてはやされ、大学生所属して活動する学生部での活躍を期待されていた

- ただ卒業生の半分くらいは、大学に行った時点でゆるゆると会から離れていき、学生部にも顔を出さなくなってた

- 自分学生部にわりと頻繁に行ってて、学生部長とかもやったし、合宿も割と行ってた。運営ちょっとした。

- 知り合いのうち何人かを、総裁先生(大川隆法)の講演会に誘って一緒に行ったりした。

- 1人くらいは会員にもなった。その人はもしかしたら、今でも熱心に活動してるかもしれない。

- その人の人生にめちゃくちゃ大きな影響を及ぼしちゃったと考えると、なんとも言えない気持ちになります・・・

でも学生部活動を続けるにつれて、「社会的に苦しいことがあっても信仰とることが大事!」「まずは幸福の科学活動第一!」みたいな雰囲気が肌に合わなくなっていった。

- 口には出さなかったが、偉い人の話を聞きながら冷静に「いや、そうはならんやろ。」ってツッコミを心の中で言ってたこともある

- 理想信仰だけを語り、現実を見ない会員の姿を見れば見るほど、なんだか嫌になっていたんだ。

- だから大学3年生くらいの時から自分おかしいと思うことは断固活動拒否していた。そうなってくると学生部長をやるのが苦しかったので、割と早めにその役を降りた。

- その地区担当していた職員さんから、「本当に後悔しないんだね?」と何度も聞かれたが、「後悔しません!」と何度も答えてやっと役を降りれた記憶

- その人も悪気はなさそうで、単純に純粋な"信仰心"で何度も引き止めてくれていたと思う。

社会人上京して1人暮らしを始めた、社会人1,2年目は家の近くにたまたま幸福の科学施設があったので、たまに通っていた。

- 通っても本を読んだり、瞑想したりするくらいだった。社会人になってからは「研修(総裁先生の説法をもとに作られた、教えについて深く学んで悟りを追求するためのプログラムみたいなやつ)」も受けてないし、合宿にも行ってないかな。

- 一瞬、若者が集まる青年部に顔を出したりしたけど、2,3回参加して肌にあわず行かなくなった。

- なんかやはり、一般社会との考えとか違いすぎて・・・あんまり頭良くなくても、とりあえず信仰心高い行動している人の声が大きなり、現実と向き合わないような雰囲気があったね・・・

社会人になっても親から映画見て!」とか、「本読んで!」とかLINE来たりするので、まあ人付き合い程度に映画見に行ったり、本を読むなどしていた。

- でも映画はやっぱり、いつまでたってもクソなので数年前から全く見に行ってない。

- クソな映画なのに、「動員数ランキングに入るために頑張りましょう!」と言って同じ人が何回も観に行ってるのも嫌い

- 「ランキングに入るために頑張りましょう!」と言って映画評価サイトに星5つけまくる活動も嫌い

- 作品真摯に向き合ってくれ!

本は年に1回パラパラ読むくらい。幸福の科学は年に1回「法シリーズ」と呼ばれる書籍が出てくるので、それを年初にパラパラと読んだのが最後かな。感想としては、「なんかずっと同じようなこと言ってるなあ。」って感じ。

- 2023年の法シリーズは、地獄の法!Amazonでも買えるぞ!興味があったら買ってみてくれよな👊

- https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2888

新型コロナ流行たことで、自分幸福の科学離れが加速した

- ワクチンに対するスタンスが、ネット陰謀論レベルなっちゃってるんだよね

- ワクチン打つとDNAが書き変わる!とか、ワクチン病気になりやすくなる!とか・・・

- 自分ちょっと調べた感じ、総裁先生は「信仰の力があれば大丈夫」とか、「新しく開発されたワクチンなので長い目で見た効果心配ですね」くらいのことしか言ってなかったと思うのだが、それが会員の思考レベルになるとなぜかワクチン陰謀論になってしまっていて。

- 幸福実現党(幸福の科学が立ち上げた政党)も、なんか陰謀論っぽいこと言ってたりして。

- 幸福の科学職員が、ワクチン陰謀論に関して本書いてる人と対談するイベントもあったりした記憶

- 「こりゃあ、おしまいだあ🙌」と思った。もうなんか、熱心な会員さんほど普通に社会を生きるレベル常識麻痺させなくちゃいけないんだなーと。「大川隆法から離れたい」というより、「幸福の科学という組織から離れたい」と思ったんだ。

ただ、幸福の科学大川隆法全否定ちゃうと、自分人生経験をことごとく否定することになっちゃう。

自分と同じような2世会員はそんな葛藤を持って生きている人が多そうなのだけど、自分はわりと、自分人生幸福の科学/大川隆法に関する整理が冷静にできており、うまく生きてるなーって思うのでそのことを書こうと思ったのだけれど・・・

自分過去をまとめていたら案外長くて、

「今、幸福の科学に対してどう思っているのか」とか、

大川隆法総裁先生)が亡くなって感じていること」を書きたかったのに時間がなくなってしまった・・・

ちょっと時間できたらそのことも書こうと思います。🫡

長文乱文失礼🙏

2023-02-23

anond:20230222190044

1970年代まれだけど、

メガバンク商社の後輩(1990年代)で顕著だなぁと感じたのは、20代結婚出産している点かな。

(この20年ぐらいで、女性行員が本当にそれ顕著だなぁと感じる)

ワシ等の世代20代は遊びたいという意識だったのだけど、彼らの意識子育てを先にクリアして40~50代以降を自分人生を生きようというらしい。

子飼弾さんも似た事言ってたのを思い出した。

アラフィフになったけど、後輩らの思想ベターだなと感じるよ。

もちろん、十分な福利厚生経済的基盤があればなんだけど……。

ブコメには子供自分QOLに利用するなとか、子育てリスクもあるので隣の芝生とか意見もあるけど、

はっきり言うと今の日本高齢者福祉や、一般人高齢者に対する意識(件の高齢者自決しろとか)を鑑みるに、相当な資産が無いと老後の人生はかなり難易度が高いと思う。

(たとえば、病気けがの話だけでも

 ちょっとした骨折は、10年ぐらいのスパン100人に1人ぐらいの割合で発生すると思うが、30代の骨折と50代の骨折と80代の骨折は本当に訳が違う。

 80代の骨折は、部位にもよるがほぼ死刑宣告だからね。落ちた筋力は、並々ならぬ努力人で無いと回復しない。そのまま寝たきりになり痴呆症になり看護もままならず死ぬ

 そういった現実は、20代では本当に判り辛く、歳を追うごとに友人知人や家族問題として現実として実感してくる。

 いや、キリスト教の様に「死んでも主の元へ」なら、高齢者は皆死ねで良いんだけどね。僕らの宗教観死ねば電源Offな訳じゃん。)

2023-02-19

何と間違えてるんだchatGPT

日本シーメンス事件は、2002年に発覚したドイツの電機メーカーであるシーメンスが、日本公共事業入札において不正行為を行った事件です。

シーメンスは、1990年代から2000年代にかけて、東京都交通局JR東日本JR西日本などの公共事業入札において、入札に参加する企業に対して多額の不正報酬を支払っていたことが発覚しました。シーメンスは、日本公共事業市場での競争力を強化するために、入札に参加する企業に対して報酬を支払い、入札価格操作していたとされています

この事件は、日本公共事業市場に対する信頼を揺るがす大きな問題となり、シーメンスは多額の罰金を課せられ、一部の幹部逮捕されるなど厳しい処分を受けました。また、日本公共事業入札における透明性と競争原理重要性が再認識され、入札制度改善が進められるきっかけとなった事件でもあります。」

2023-02-16

昔と比べて育児で楽になっていること

おむつの普及

高性能なもの1980年代半ばに登場し一気に普及し始めた。

実は現時点で40歳過ぎの大半の人は赤ちゃん時代布おむつ(おしめ)で育てられていた。

当然洗濯その他が大変だった。

粉ミルクの高性能化

粉ミルク自体はけっこう昔からあったけど今とは比べ物にならない低品質粉ミルクによる死亡事故もあった。

1980年代から改良が進んで母乳とほぼ同成分になり、今では単純な栄養価ではむしろ母乳より高性能になった(免疫その他もあり完全にミルク母乳などと言うつもりはないです)。

質的母乳不足で苦しむ母親にとっては無くてはならないものに。

ベビー用品量販店の拡大

例えば西松屋1990年頃までは兵庫大阪ローカルチェーンだったが、そこから店舗数が拡大して2004年に全国チェーンとなった。

それまでは哺乳瓶等はともかく、安価ベビー服・幼児服を買える場所自体がほぼ無く、自作既製品の改造が必須だった。

しりふきの普及

1992年に片手で取り出せる箱型おしりナップが発売され大ヒットして普及した。

ベビーIoT機器の普及

ベビーセンサーベビーモニターはここ10年以内に普及したもの

これによって子供からある程度目を離せるようになった。

ベビーフードの高品質化・多様化

1980年代フリーズドライ製法のものが登場して高品質化した後、1990年代に低価格化が進み普及した。

それまでは自作食でどうにかするしかなかった。自作食は場合によっては衛生面や栄養面で危険だった。

家電全般的な高性能化・低価格

1980年代終り頃から炊飯器電子レンジ等の高性能化が進み一般家庭でも十分購入可能価格のものが高性能に。

現在では家事機械化がある程度可能となりその分だけ他のことに時間を使えるようになった。

熱中症についての理解の普及

それまでは日射病とか熱射病とか言われていたのが2000年熱中症統一され、国や医療機関の頑張りによって正しい知識が普及した。

1990年代前半までは「スポーツ中に水を飲み過ぎると体力がつかない」等のトンデモ意見が世の中の主流だったが、国民熱中症に対する理解が進んだことで適切な水分補給大事になった。

魔法瓶(保冷水筒)の高性能化・低価格

一般的に入手可能な保冷水筒は1980年代まで落とせば割れしまうようなものだったが、高性能化が進み丈夫になり使い勝手が大幅に向上した。

低価格化も進み今ではサーモスが3000円未満で買える。すげえ。

ベビーカーの高性能化

2000年から量化と折り畳み性能の向上によって持ち運びが段違いに楽になった。

結果的ベビーカー外出がだいぶ気軽なものになり、そのせい?で主に東京での満員電車ベビーカー問題が勃発するなどした。

地方では東京レベル満員電車具合となる路線・駅はごく僅かであり、ベビーカー問題と言われても感覚にわからない人が多い。

社会全体のバリアフリー化進行

まだまだ完全バリアフリーには遠い状態だが1990年代に比べれば雲泥の差。

バリアフリー化によってベビーカー移動が楽になった。

スマホYoutube動画サイトの普及

ベビー幼児向けの動画も多数投稿されており、良くも悪くもとりあえずスマホ動画見せておけば時間をつぶせる状況に。

余談だが自分の親に「最近の親のスマホ見せ過ぎ問題をどう思うか」と聞いてみたところ「そうやって非難してる人たちはどうせ自分だって子供テレビ見せてただろうから一緒」とバッサリ切られた。

出産育児関係アプリの普及

スマホ一つで記録を取れるようになったため管理が大幅に楽になった。

かに大人自分生活記録を取れるためやってみるとけっこう面白い

anond:20230213072812

追記

一晩経ったら伸びてた。

それなりに事実確認はしたつもりですがツッコミどころが多いのはそうだと思う。

皆で補足やらなんやら他にも楽になったこととか教えてくれたら嬉しいです。

1点だけ、昔もベビー用品の全国チェーンはあったでしょって指摘があったけど、今ほどの店舗数でもないし安価でもないし、アイテム数も少なかったでしょ。たまたま店舗近くに住んでたそれなり以上収入世帯ならよかったかもだけど、今のアカチャンホンポ西松屋バースデイあたりとはマジで比較にならないよ。あとアイテム数の少なさは全体的なダサさにもつながっており、乳幼児くらいの服でちょっとでもオシャレ感を出そうとするとやたら高いブランドもの買うかマジで自分でなんとか改造するしかなかった。

2023-02-12

俺は44歳になったら死んでもいい予定だった

anond:20230211194522

自殺とか能動的にそうするつもりはないけど。


1990年代学生の頃はずっと適当に生きていた。バブルはもう弾ける頃だけど一部の業界を除いて世の中はまだ浮かれていたし、深夜の高級クラブ系でアルバイトをすれば学生には不釣り合いなくらい稼げた。

綺麗な年上のおねーさんと、高いご飯を食べたり旅行に行ったりセックスしたり、もー別にこれで十分かな、って思ってた。視野が狭かったね。

自分自身、したいことも無いし、もういいやって。


20歳の時、子供ができた。なーんも考えてなかったけど。

でもね、その時に思った。生まれる子には責任を持とう。若くして家庭を持つのは大変だ。だから中退して人の倍は働こうって。そのために自分長生きはできないかもしれないけど、俺には自分自身がないか別にいい。その後、子供があと2人生まれて3人になった。当時23歳。若さってすごい。何も考えてないだけなんだけど。

子どもたちが成人するまでは、何があっても頑張る。タイムリミットは44歳。その後はおまけの人生なので、死んでも別に構わない。


39歳の時に離婚した。いやね、俺はクズやろうじゃん。だから離婚の原因は俺なんだけど。

でも、生活費養育費学費などは一度も欠かしたことはない。約束から。まぁその他の父親としての義務は果たせてないから完全に約束は守れてないけど。


40歳になって特定疾患難病になった。一週間以内に死ぬ確率が30%だって、ウヒー。でも運良く助かった。・・・・と思ったら10ヶ月後に再発した、ウヒー。でも運良く助かった。

後4年は持ってくれよって思った。


41歳, 43歳, 44歳 の時に、それぞれ子どもたちから成人したとことを伝える電話がかかってきた。元嫁のはからいだと思う。ありがとう


これで俺は人生上がりました。もうお迎えにきていいですよ、特定疾患さん。

2023-02-08

anond:20230131145432

悪いのは消費税増税だろ?

1990年代バブル崩壊に対して財政出動をしたけども1997年消費税増税ダメしまった。消費税は金の動き全部にかかる税金から、景気への害悪は著しい。なのに、消費税害悪さを無視して、財政出動無効論が言われた。

から新自由主義に伴う小泉改革だったけど、完全に失敗だったじゃない。竹中平蔵みたい政商として政府に取り入れた奴らが高笑いしただけ。

2023-02-07

anond:20230207133917

不謹慎増田タッチしてないやつをリストするとおもしろそうね。

主に1990年代以降って感じだけど、阪神東日本のふたつの震災ノータッチ

ウクライナ侵攻も基本ノータッチ

「ゼレンスキーです、よろしく」の沖縄県知事を見習えよ。

2023-01-29

鈴木邦男と朝まで生TVネット団塊叩き、三島切腹関係

鈴木邦男が亡くなってしまった。ご冥福をお祈りする。

鈴木陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである

また風桶式に鈴木が居ねばネット団塊叩きも無かったんであるちょっと説明しようと思う。

 

新興宗教2世六本木道場

鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動学生運動に身を投じ、全共闘左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題宗教二世だったのだな。

この道場乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6

今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。

日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後右翼運動胎盤みたいな場所なんである安倍政権日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会安倍政権日本会議関係問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。

この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家教祖谷口雅春の著書を出版して思想教義を広める為に設立された出版社だ。しかフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。

 

余談だが防衛庁(当時)の庁舎2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである六本木赤坂物価より安い上に生長の家道場防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。

ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者売店使用することは出来なくなった。

六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格パンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。

 

盾の会と森田必勝

1970年三島由紀夫市谷駐屯地東部方面総監部占拠割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。

この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞退職してしまう。(デモでの狼藉解雇されたとの話)

鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。

 

余談だが、小泉政権時代男性女性判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女学生時代右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動プリンス立場だった森田との交際の噂もあったとの事である

1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。

 

黒塗り街宣車軍歌最初に止める

鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれ新左翼に対抗する為に生まれ政治権力癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手新左翼自体が、日本共産党暴力路線放棄する事に反発して生まれもので、要するに暴力vs.暴力

最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車旭日旗日章旗軍歌を流すというスタイルが定着した。

鈴木代表を務める一水会も黒塗り街宣車軍歌を流して通行人威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。

という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バス国防色止めたのも同じ動機だ)

すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。

 

ただ、話を聞いて貰えないスタイル流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くとき相手が折れてやり易い訳だ。

更に活動費というのは支持者の寄付機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。

するとシノギ手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼スタイル模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンバスの方がいい。こういうのを警察用語右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。

 

激突全共闘新右翼から朝生

鈴木はこういう威圧じゃなくて議論対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。

そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である

 

この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想ポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。

 

そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。

そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。

それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗テレ朝に持ち込んだ企画朝生だったんである

当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNN放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。

 

こういう経緯だから最初の頃の朝生体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原最近朝生は最早保守左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘新右翼討論会成功で行けると踏んだのが朝生なのだから

そしてこの討論会鈴木の左右を超えた交流議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから鈴木存在朝生を産んだと言って差し支えないんである

 

元気になった全共闘上がりへの反発

こういう風に鈴木活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立て必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書である

この動きに対し、同世代松原隆一郎文藝春秋社の雑誌諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者全共闘叩きをする記事を寄せた。

まりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代増田もそう)の日本支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイル確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人プライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代わがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。

 

些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。

 

鈴木赤報隊

最後現在統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件赤報隊に関して。

1990年代新右翼を名乗る男の脅迫柳美里サイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木SPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。

すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである赤報隊情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊情報は二度と官憲提供しないと書いてそれきりになってしまった。

結局赤報隊鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである

 

ヤクザ人権デモ

ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介鈴木ヤクザ人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトロー人権とは笑止」などと言われてしまった。

2023-01-25

消費者の主要層が男性になってきているように感じる

アニメ映画の大流行や、レディスディの廃止

一人向け飲食店の隆盛などなど。

色んな所で男性向けのマーケティングが増えてきたように思う。


1990年代以降この国は基本的女性に向けて物を売ってきたわけだけど

結婚する人が減って、独身が増加する。働いている女性は増えるもの平均賃金はまだまだ男性の方が上。

こうなるとフレックス勤務形態だった結婚した女性専業主婦パートタイマー)が減って女性が使えるお金の総量が減っていく。

いままでは彼氏旦那が稼いだ金で遊行費を使えていたけど生活費でかつかつになりフルタイム仕事時間が無くなり女性が遊べなくなる。

BtoC向けの市場は激変期を迎えるかもしれない。

2023-01-24

ありきたりなシェアウェア代替オープンソースソフトウェアリスト

MS OfficeがどうのこうのAdobeがどうのこうの

いやわかる、MS OfficeとかAdobe業界標準だしファイル互換インポートとかも楽だ。
ただまぁその万人へ必須か?と言われたら圧倒的にそれが必須じゃない仕事をしている人のほうが多い。
何なら仕事じゃなくて趣味レベルであるならばなおさらMS OfficeとかAdobeとか業界標準ソフトウェアじゃなくても良くなっちゃう。

ということで、ありきたりなシェアウェア代替オープンソースソフトウェアリスト作ってみた

Libreoffice

定番中のド定番オープンソースオフィススイートだ。
MS Officeじゃなくて良い人はLibreofficeGoogleクラウドのヤツを使ってる。
やはり主に使われるのはワープロソフトWriter表計算ソフトCalcプレゼンテーションソフトImpressだが、MS Access代替として挙げられるBaseは厳密な意味代替とはならないためMS Access代替無料でゲットしてやろうと考える人が陥りがちの罠だ。
まぁただデータベースフロントエンドソフトとしてBaseはそこそこ使えるので、MS Access代替として捉えるのではなく別種のデータベースフロントエンドソフトとして割り切れば想定されることの大半ができる。
MS Visio代替としてDrawも挙げられがちだがMS Access場合と同様にDrawVisioの厳密な代替とはならないので注意が必要だ。

Inkscape

Adobe Illastratorの代替として挙げられがちなオープンソースベクターグラフィックスソフトウェア
機能なのだがIllastratorと比較すると恐ろしいほど使いにくいUIを持っており、折角の高機能アクセスするにはどうしたら良いのかわからないと挫折する人が多く出る。いやなんでホントこんなUIなんだ。
ただ、諦めずクソUIに付き合っていると不思議もの人間は慣れてしま結構自由度高くベクターグラフィックスを生成できるようになる。
Adobe Illastratorには無い長所としてSVG規格へ厳密に従うという方針で開発されているため、Illastratorで生成したSVGWebでそのまま使うとWebブラウザで謎の描画バグWeb屋は悩まされるがInkscapeではそれが無い。描画バグが起きるとき製作者が間違った設定を行っているかWebブラウザ側が使っている設定に未対応場合ほとんど。
将来的にサポートする気はあるらしいが現状はアニメーションSVGに弱いのも残念でならない。どうしてもアニメーションSVGをやりたいのであればInkscapeで生成された静止画SVGアニメーションSVG化することを想定しているaniGenというWebベースエディタがあるので調べてみると良い。

GIMP

Adobe Photoshop代替として挙げられがちだが、元来Web用の画像製作するためのラスタグラフィックスソフトウェアなのでRAW現像写真を加工するためのソフトじゃないが、本家すらその辺のことを忘れたふりをしている。
画像編集や加工で求められる基本的機能はほぼ網羅されているが、RAW現像に関しては標準状態のままではできず、最近Adobeが搭載している人工知能を用いた機能もないのでクラシカルラスタグラフィックスソフトウェア表現することもできる。
GIMPInkscapeが使えると大半の画像製作は何とかなってしまうため一部の情報技術者寄りのギークPhotoshopやIllastratorは触ったこともなく使えないがGIMPInkscapeは困らない程度には扱えるというデザイナーツッコミ入れそうなおかしスキルセットになっていることがある。

Raw Therapee

Adobe Lightroom代替として挙げられがちなオープンソースRAW現像ソフトウェア
実はdcrawというRAW現像のためのオープンソースライブラリフロントエンドであり、GIMPRAW現像するために活用されるUFrawも同様にdcrawフロントエンドであるため中身は同じだったりする。オープンソースRAW現像ソフトウェアはdcraw使いがち。
オープンソースソフトウェアRAW現像を賄っている人はGIMPでUFraw活用してRAW現像するよりもUI的に使いやすいのでRaw TherapeeでRAW現像TIFFを出力しGIMPで微調整するような使い方をしている人が多い。

LibreCAD

オープンソース2D CADで以前はQcadと呼ばれていた。
一部の読者はJw_cadJWWファイルを扱うことが可能という特徴を持っているというだけで興味を惹かれてしまうのではないか
Jw_cadとは違ってWindowsmacOS、各種Linuxディストリビューションで動くので2D CADデータネット上の友人知人などとやり取りしたいときに向くんじゃなかろうか?ニコニコ技術部的な遊びとか、最近流行りのルール無用JCJCタイムアタックとかで。

FreeCAD

オープンソース3D CADで、近年は3Dプリンターあたりの需要でよく目にするようになった。
Autodesk AutoCADFusion 360、Dassault Systèmes SolidWorksよりも草の根では広まっており日本語でのハウツー記事オープンソースソフトウェアとしては比較的多い印象。
シミュレーション機能シェアウェア比較すると弱い傾向があるもの草の根でそこまで必要か?と言われたら悩む。無料シミュレーションやりたいならOpenFOAMにでも流し込め。

Krita

オープンソースお絵描きに特化したラスタグラフィックスソフトウェア
歴史的経緯ではLinux界隈でのGUIツールキットの2大巨塔にGTKQtがあり、GTKGIMPを作り上げるために生まれたこともありGTK側には高度なラスタグラフィックスソフトウェア存在していたがQt側には存在していなかった。そこでGIMPの対抗としてQtを用いたKritaの開発が進められたが次第にGIMP的な画像編集ソフトウェアよりもお絵描きに特化していき現在のような性格を帯びるようになった。
SYSTEMAX ペイントツールSAIセルシス CLIP STUDIO PAINTからの影響が強く現れており、オープンソース界隈のSAIクリスタなどと呼ばれることがある。クリスタがそうであるようにスマートデバイスへの対応も計られAndorid OS版やChrome OS版が存在する。
ただ日本需要を敏感に拾えるクリスタなどと比較して漫画作成機能に関してKritaは弱いと言われることがあるものの、GIMPと同様に無料とは思えない機能が充実しているのもまた事実である

Blender

オープンソース3DCGアニメーションソフトウェアで、非常に多機能のため何故かAdobe After Effects代替として挙げられることもある。
YoutubeBlenderYoutubeチャンネル広告を載せろと迫ってBlender公式がそれを拒否してYoutubeから撤退したり、庵野秀明が率いる株式会社カラー出資したことなどオープンソース界隈でも異彩な存在感を放っており日本国内でも非常に注目されているプロジェクトだ。
ただ、初期状態では独特なUIによる使い勝手が非常に悪くユーザー自分で使いやすい配置を模索する必要があったりタイムラインが使いにくかったりと何故オープンソースソフトウェアUIがクソになりがちなのか?という問題にぶち当たる。

Godot

オープンソース2DG/3DCG兼用プログラミングIDE。つまりUnityとかみたいなやつ。
MIT Licenseロイヤリティフリー、開発言語はC#もしくはC++、そしてPythonライクなGDScriptで、Unityみたいにマウスポチポチしてオブジェクトへ色んな設定を決められるので「Unityみたいのでゲーム作りたいけど運良くヒットしたときライセンス料がなぁ」と懸念している人に役立つ。
ちなみにWiiニンテンドーDS用向けにリリースされたSEGAゲームタイトルソニックカラーズSwitchPS4などのマルチプラットフォーム移植ソニックカラーズ アルティメットはGodotを用いて移植されているので商用でも耐えうることはSEGA証明している。あのSEGAソニックでだ。

Shotcut

オープンソース動画編集ソフトウェア
様々な部分で動画ライブラリFFmpeg依存しているためFFmepgのフロントエンドソフトとしての性格も持つ。
この手の無料動画編集ソフト国内だとAviUtlや近年ではBlackmagic Design DaVinci Resolveが人気だけれど、海外オープンソース界隈ではShotcutは比較知名度が高い。
カラーグレーディングに関して不足のない機能を有しているので高度なトランジションを用いるというよりも色を追い込むような使い方が合っているだろう。
ていうかFFmpegのフロントエンドなのでFFmpegができることは理論上なんでもできる(理論上なので追加でコマンドを叩く必要があったりするけどね)。

Tenacity

オープンソースレコーディングソフトウェア旧名称はAudacityと言われるとご存じの方も多いハズ。プライバシー問題Audacityからプロジェクト分岐されTenacityとして再出発することとなった。
Audacityは開発の主な拠点ロシアを中心に行われていたという経緯があり、現在ウクライナ-ロシア戦争へ至る前の影響から個人情報収集ロシア企業が行うと発表され、それに反発したユーザーらによってプロジェクト分岐しTenacityプロジェクトが立ち上がった。
Audacity自体VSTプラグイン動作するなど非常に高機能レコーディングソフトウェアであったがウクライナ-ロシア騒動に巻き込まれたと言った感じだ。
Audacityから分岐したTenacityもそのまま高機能レコーディングソフトウェアなのでこれからはTenacityを使ったほうが色々面倒が少ないだろう。

Ardour

ProTools代替として挙げられがちなオープンソースDAW。非常に高機能DAWとして求められることの大半ができるものの、これもまた通例通り最近流行りの人工知能を用いた云々かんぬんは標準状態だとできない。
Ardourプロジェクトの立ち上げをし主要開発者であるポールデービス氏はJACK Audio Connection Kitのプロジェクトの立ち上げをし主要開発者であるという事実を伝えると驚く人がいるかも知れない。LinuxGitリーナス・トーバルズ的な文脈だ。

LMMS

オープンソース界のFL Studioと呼ばれることもあるDAWステップシーケンサーを中心に作曲するタイプDAW電子音楽が得意。LMMSという名称Linux Multi Media Studioの略でLinuxに端を発してマルチプラットフォーム展開をしたDAW
オープンソースDAWにしては珍しく初期状態から多数のソフトウェアシンセサイザープラグインが用意されておりインストールした時点で遊び始めることができるものの、オープンソースの例に漏れずクソUIを持っており使いにくい。GIMPBlenderもそうだが1990年代後半〜2000年代前半あたりに流行したMDI(Multiple Document Interface)を未だに引きずっているためクソUIになりがちなのだ
ググる日本国内にも意外とユーザーは居て、DTMやりたいけど初期投資は低く抑えたいみたいなユーザーが選んでいる模様。そういう需要ならLMMSの他に基本無料で全機能が使えて一部のプリセットが有料のVitalっていうソフトウェアシンセサイザーも導入しておくと延々遊べるよ。

Mozilla Firefox

オープンソースWebブラウザとして非常に有名な存在
Google率いるChromiumWebブラウザに近年物凄く押されているもの独禁法回避するためGoogleMozilla出資しているという歪な構造を持つ。
Mozilla運営が下手すぎて資金をドブに捨てることを繰り返しているためGekkoレンダリングエンジン未来があるのかと一部の識者から不安がられている。
Firefoxは使いやすいのか?と言われたら、それはもう好みの問題しか返せないのだがカスタマイズ性は非常に高い。


というわけで書いていて飽きたからこの辺でやめておく。気が向いたら何か追記するかもしれない。

2023-01-20

anond:20230120093844

Z世代結構幅が広いね20年ほどの幅がある。「20から30代もしくは40代から50代の犯行」という某氏犯人像推測が頭に浮かんだ。

 

Z世代ゼットせだい)、ジェネレーションZ(英: the generation Z)とは、アメリカ合衆国をはじめ世界各国において概ね1990年代中盤から2000年代終盤、または2010年代序盤までに生まれ世代のことである。(Wikipediaから抜粋

 

世代間の対立は今に始まった事じゃないし、Z世代も下の世代からディスられる日がそのうち来ると思います

2023-01-15

anond:20230115192423

少しズレるけど、大昔の少女漫画(せいぜい1990年代くらいまで?)で、ローマ字作品の裏話とかスタッフさんへのサンクス、近況なんかを延々書き込んであるつの解読が好きだったな。劇中の小道具新聞教科書があると、その本文の模様っぽく延々と書いてあるやつ。「TANTOSANARIGATOU」とか「SAIKINHANEKOWOKAIHAJIMEMASHITA」とかそんな感じで。最近デジタル化が進んだせいかこういうの見なくなった気がする。分かる人いるかな……。日渡早紀漫画とかで見たような。

古賀正義、怪しいヤングケアラー利権発言あり

しかし本当か?

今一生新刊子ども虐待は、なくせる』

2022年4月28日

古賀 正義中央大学文学部教授)さんは、学校の子もの場所を作れと提案

ヤングケアラーにも対応できると主張

親権者子どもの居所許可権があるという法律をご存じないのだろうか

https://twitter.com/conisshow/status/1519673137507758081

世界思想社金曜日webマガジン更新

@sekaishisosha

『「若者支援」を読み解くブックガイド』(かもがわ出版)をご恵送いただきました。弊社の刊行からは、『ストリートの歌』(鈴木裕之)と『ひきこもり家族社会学』(古賀正義石川良子編)が紹介されています。この二冊からだけでも、幅広く選書されていることがわかります

中央大学広報

@Chuo_PR

いじめ事件における「責任」の所在

リスク社会と応答の責任

古賀 正義中央大学文学部教授

専門分野 教育社会学

http://bit.ly/RQpvCu http://fb.me/1PO0zId7x

午前11:07 · 2012年8月27日

https://twitter.com/Chuo_PR/status/239906925125439488

村上靖彦

@yasuhikomurakam

2019年10月8日

困難校の生活指導先生エスノグラフィーって面白そうだけどあるのだろうか。清濁併せ呑む日本独特の文化だったと思うので面白いのではないだろうか。

子どもたちの側のは『ハマータウンの野郎ども』や『〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー』があるが。

と書いて「夜回り先生か…」と思い至る

𓅢ザイタクチュウデス()

@18991129

返信先: @yasuhikomurakamさん

教育社会学だと古賀正義編の以下の本が挙げられるかと思います

https://amazon.co.jp/dp/4760892621/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_NR-MDb6HH72JJ

ごま空気読まない

@gomaf502

2022年7月20日

大石さんの国会参考人質疑

子供庁」の名称に「家庭」入れる件、

「『家庭』入れる入れない、もし選べたら?」

「家庭」名称に警戒感示さずお茶濁しの参考人達、忘れない

https://youtu.be/h2AkQQfLKzY

名古屋大学出版会

@UN_Press

2021年5月28日

教育実践を本格的に調査分析広田照幸古賀正義伊藤茂樹編『現代日本少年院教育――質的調査を通して』

少年院ではどのような教育が行われているのか? 本格的なフィールド調査を通して、教育学の視点から多面的分析イメージ一新する研究

書誌情報https://unp.or.jp/ISBN/ISBN978-

未来定番研究

@mirai_teiban

2018年8月20日

新語辞典ジェネレーションZ】

1990年代後半から2010年の間に生まれ世代のこと。生まれた時にはデジタルツールが当たり前に普及していたこから、「デジタルネイティブ世代」とも呼ばれます。そんな世代の人々の価値観とは?

#中央大学文学部教育コース #古賀正義

fin.miraiteiban.jp

第18回| ジェネレーションZ | FUTURE IS NOW

2023-01-14

anond:20230114173421

生物に「目的」などないと何度言えばわかるのか。

人類社会としたって1990年代くらいは人口抑制が叫ばれてたんだぞ。

2023-01-09

【明るいニュースサピックス鉄緑出身ノーベル賞受賞者が毎年どんどん現れるはずである

1990年代ごろには数多く東大入学しだしている

偉人がどんどん生まれていく

2022-12-20

anond:20221220035300

お笑いは毒「も」あるという論には一理あるが

人を傷つけるネタ排除したら何も言えなくなる一切お笑いが成立しなくなるという説は疑問

だって古典落語だって1970年代以前の萩本欽一ドリフギャグだって

別に今でも普通に放送できるネタはいくらでもあるやん

しろいじりネタ差別こそ笑いの本流という偏りが定着したのは

たけしととんねるず以降の1980~1990年代特殊事情だったんじゃね?

そしてそれが永久に不変のスタンダートだと勘違いしてる人は

単に平成初頭で頭が止まってるだけ(当人最先端のつもりだからたちが悪い)

2022-12-18

なぜ野生動物の中で犬と猫だけが我々人間と親しくなれたのか?

それこそクマとか飼えれば防犯に最適だし馬とかいれば移動が楽だった

だけどこいつらは一般人が飼うには危険すぎて手を出すことができない

なぜ犬猫あんなに人間有効的なの?

野生育ちの犬猫ですら人に対して愛を持って接してくれる

 

あれは私がベトナム出張していた時の話だ

社会人歴5年目で私には海外拠点を作るという任務が課せられた

白い粉の販売ルートアジアに作りたいという上の意志によって

あれはそう1990年代後半の話だ

2022-12-17

紅白歌合戦の出場者が若返っている理由

1.テレビ業界世帯視聴率を重視しなくなった

視聴率テレビ局とスポンサー間の取引指標で、2010年代までは「世帯視聴率」が重要視されていた。

高齢化率が世界一日本で、65歳以上がいる世帯が約半数を占めるようになり、テレビは中高年のメディアとなった。

2020年ビデオリサーチ社視聴率の計測方法を大きく変えた。

若い視聴者の獲得のために、テレビ業界は「個人視聴率」にシフトし、10代~40代を重視するようになった。

NHK公共放送受信料を多く支払っているのは高齢世代だが、上記民放の動きに影響されている可能性がある。

参考:https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202108090000054.html

2.ストリーミングの普及によって、流行歌聴く年齢層が若くなった

ヒット曲の生まれ場所が「テレビ+CDからネット+ストリーミング+YouTube」に変化した。

日本レコード協会の調査によると、ストリーミングサービス利用者層は10代~30代で約70%を占めている。

・その結果、若年層に人気のあるアーティスト、若年層が好きな曲がストリーミングチャートの上位を占めるようになる。

参考:https://www.riaj.or.jp/riaj/open/open-record!file?fid=1949

3.NHKストリーミングでの楽曲人気を重視するようになった

ビルボードジャパンによると、初出場歌手の多くはストリーミング動画再生回数で好成績を残している。

CDが売れるだけの歌手グループはヒット歌手とみなされなくなった。

参考:https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/118847/2

紅白2018年時点であいみょんピックアップするなど以前からストリーミングでの流行には敏感であるが、

今年はさらストリーミング重視の選考となっている。

4.実は出場者は若返っていない

1966年紅白出場者の平均年齢は26.8歳だったが、2015年には41.3歳で最高となった。

スポニチによると今年の平均年齢は37.6歳で、少し下がっているが、1990年代2000年代の出場者の年齢とほぼ変わらない。

参考:https://news.yahoo.co.jp/byline/soichiromatsutani/20211229-00274665

その他

今年は日本レコード大賞ノミネート作品にも大きな変化があった。

YouTubeストリーミング話題の曲が多く、AKB坂道グループは選出されなかった。

レーベルの偉い人やマスコミ芸能記者によって選出されるレコード大賞だが、

音楽業界芸能界メディア業界、すべて変化する過渡期であるように思う。

[] 『月の満ち欠け』

正確には覚えていませんが、(劇中ではテロップで明示されていた)1990年代から2010年代までの近い過去舞台で、ストレート携帯電話PHSかも)やカセットテープ再生機(ウォークマン)が出てきます

1990年代にその時代にはなかったものが映らないようにするために高田馬場BIGBOXなどの建物CG処理されています

問題自動車で、LEDヘッドライトで青エンブレムEVを写さないという狙いはいいのですが、カローラマーチなどの一般的な車ではなく、ホンダBeatリトラクタブルヘッドライト外車など「カーマニア大事に保存していた」みたいな車が目立つんですよね。

交通事故死の出てくる映画スポンサーCM関係地上波放送しづらいそうです。本作もガチャンと交通事故します。事故死は当時のVWゴルフトラックの衝突ですが、交通事故の原因となる暴走ゴルフを追いかけていた犯人運転していたのはトヨタ日産ホンダマツダ三菱米国車でもなかったので、スポンサー問題にも気を遣っていたのかもしれません。

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