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はてなキーワード: 学級委員とは

2023-10-11

anond:20231011201347

理由なんかないよいつの時代にも学級委員タイプキチガイがいて「エッチなことはいけません!!」と騒いでうるさいので、みんなめんどくさくなってそのままにしてる。たぶんそういうやつは自分ルール厳守タイプ発達障害

ま~た相変わらずパヨッチョが

「「反権威」が時の権力者とかではなく「学級委員的な世間きれいごと」に向いちゃってる」とか言っちゃってるポストバズらせてるけど

パヨが叩かれてるのは「学級委員的な世間きれいごと」を盾に傍若無人に振舞ってるからだといい加減気付いてもらえませんかね

現実と向き合えよ

2023-09-27

ギフテッドと令和の竹槍作戦

インターネットとこの社会のクソさに対する所感について。雑記すぎて全然整理していない

 小学生の頃はほぼ毎回のテストが100点で、学級委員ボランティアリーダーに選ばれるような、ザ優等生だった。授業中は程よく挙手して、勉強がわからない子には教えてあげた。授業はクソつまらないし、自由勉強することが許されていない憤りみたいなものはあったけど、表立って抗議はせずに普通に友達も多かった。いろんな経緯でメンタル崩壊した時に知能検査を受けたら、凹凸の少ない発達障害ではないただの高IQだった。

 最近ギフテッドがよく話題になる。確かに空気を読めたり人に合わせられれば、学校迫害されるとは限らないというのは同意する。でも個人的経験としては、学校で表面上では人に合わせ続けていても、教育システムオワコンすぎる事やこの社会全体に対する失望が積み重なっていくばかりなので、一人で海外脱出への準備を進めるだけだった。まあ色々あって村社会に忠誠を誓っていないのがバレて潰されて失敗したんだが。しくった。まあこれは私がうまく実行しきらなかったのが悪いので特にいうことはない。

最近インターネット上では、歪んだ正義感暴走による炎上で人の人生が大きく変わってしまったり、訳のわからない権利を主張しても世論が大きく動くということが頻発している。その多くが、確かに文字の読み方を知っているが文章は読めていないなかったり、社会の流れや進むべき方向が考えられていないと思わされるようなものばかり。

 クソつまらない授業に耐えて、自分の好きな勉強を捨てて、識字率向上に協力した結果が、これ?この畜群暴走

 

 あと、日本ITの弱さ。これは社会全然知らない学生勝手に抱いているイメージで実際を知りたいんだけど。

 ITが弱すぎて生産性が低いのが停滞要因に見えるんだが、何で自動化したりソフトウェアをうまく使わずに、マンパワーでこなせるか否かを社会性と呼んでるの?

ミスをしない人間より、ミスを検知するツールを使いこなせる人間の方が強いし、せいぜい人間認知能力で分単位刻みで動いてミスなくこなせることってコンピュータやらせた方がいいんじゃないのかな。まあ導入コストがまわせないらしいんだけど。

 コンピュータの方が得意な作業人間がやり続けて生産性が上がらず他の先進国においていかれるのを嘆いているのが、竹槍作戦しか見えない。戦争の時、竹槍戦争批判した人は非国民だと言われたらしいんだけど、令和では竹槍をうまく使えないぐらいのことを発達障害と呼んでいるように見える。マンパワーが足りない人間無能社会お荷物になっているというより、それで回そうとして自動化を阻む人間が多すぎることが悪いんでは、?この国のクソ教育に合わせるとこれに巻き込まれる。

 最近発達障害レッテル貼り有害すぎる。平均的知能の定型発達なんて、管理やす人間性質しか見えないのに、それが多くの人に正常(定型)になることを意識させるし、それによってさら社会全体の同調圧力と同質性が高まって全体主義的傾向が強まる。この流れと、AI進化と昨今の国際情勢のうごきの組み合わせ、ちょっと絶望的な未来しか見えない。

 適当に「人の気持ちがわからない人」とレッテルを貼ることが、その人の社会からの扱われ方にどれだけの破壊的な影響を与えるかすら想像できない人間のいう「人の気持ちがわかる」って何?

同質性が高い人間同士だから気持ちがわかるだけで、ほとんどの人間は同質性が低い人に対しては気持ち想像できていないと思う。実際、全然違う属性やバックグランド人間気持ちがわからない/読めないので、排除する。村社会♪ こんなのに「人を見下すな」とかいわれても無理がある。

 実際、定型発達が私の気持ち理解を示してくれていると思うことは年齢を重ねるごとに少なくなった。カウンセラーには分かってもらえると思うことが多いんだけど、それって結構高度な技術必要だよなと思わされる。

 高知能でも社会適応できないなら無能とか言われるんだけど、過去村社会リンチにあってちょっとトラウマになったこともあって、このクソ社会適応せずに済むことを目標にして生きることになってしまった。既存レール上で認められるような努力をしても、感情的豊かさも経済的豊かさも望めないどころか、その要因になっていそうな構造批判するとリンチにあうリスクがある。付き合っていられない。労働力提供するためだけの社会性なんて持ちたくない。

 高知能で集団を組めるなら、多分人やクソシステムに合わせすぎないようにするとか、空気を読みすぎないようにするとか、程よくASD/ADHD感を持てる方が良い気がする。


 ボコされて躁鬱になってから最近は落ち着いているもののまだリスクあるかなと思っているので、しばらくは海外移住はできない。でも最近アメリカ会社でフルリモートインターンを見つけられた。時給約40ドル。この調子で頑張りたい。学校で身につけるべきらしい"人に合わせる能力”をこのクソ社会で発揮することはない。

2023-09-20

会社って学校じゃん

4月新卒で働き始めてから「なんかおかしいな」と思っていたけど、さっきトイレ休憩しているとき確信した。

会社って学校じゃん。

いや、いきなり言われても意味わかんねえよって思うかもしれないけど、世間では「会社学校は違うもの」って認識があるよね?

「そんなんじゃ社会通用しないぞ」なんて常套句もそれが前提にあるわけじゃない?

おれも会社学校だと思っていたわけよ。自立した大人たちがビジネススキル火花を散らす戦場みたいなイメージ

でも、実際会社に入ってみると何かおかしい……。というか、イメージと違い過ぎるわ。

例えば、センパイが「ビジネスマナーとは」みたいなことタメ口説教してくるわけ。

おいおいおい、学校じゃん。部活上下関係じゃん。

同期同士で集まって「飲み会行こーぜ」とかやっているわけ。

いやいや、学校かよ。同学年で遊んでカラオケ行ってって、かなり学校だろ!

それで上司に呼び出されたかと思ったら「増田くんが席に立っている時間が長いんじゃないかって言われてね……」とか言い出すのよ。

学校かよ。学級委員会かよ。

社長が朝礼に出てきて「礼儀とは……」とか喋ったりしているわけ。

校長先生かよーーーーーーーーーーーー。

「年度末まで××を達成しなきゃいけないから、今の時期は△△に集中だ」

受験勉強かよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

「AさんとBさんって付き合っているらしいよ」

興味ねえよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

なんというか大学以前に退化している。毎日同じメンバーで集まって「みんなで●●をやるぞ、協調力が大事だ」って家庭科の実習ですかい? なんか裏切られた気分。会社ってぜんぜん会社じゃねえぜ!

2023-08-09

anond:20230809131036

そうなったのは高校から

中学の頃は学級委員とかやる子やったんやで

2023-06-30

anond:20230630153431

中学の頃、好きだった子に一緒に学級委員やろ、と言われて一緒にやったくらいかなぁ

あと、高校の頃のクラスランキング作った時に面白い第一位、かっこいい人第五位だった

2023-05-29

私の身体を通り過ぎていったブラック企業たち

書いたやつのスペック

Case.1 大手流通小売業レベルC)

大学卒業新卒入社流通小売業らしく労働時間が長く休みも少なく体育会系のしごき体質だったが、有給は取れたし残業代支給されたしボーナスも出た。入社数年後に本部販促に異動するも、現場よりつらかったのと(社長直々のパワハラ)、このまま行くとこの業界から抜け出せなくなるため20代後半で退職

Case2. 零細広告代理店レベルSS

1の直後に入社デザイナーとして入社したにも関わらず研修と称して3ヶ月テレアポさせられる、なんだかんだ意味不明理由をつけて仮採用期間を延長される。社会保険未加入。意味不明デスマーチ。常時セクハラパワハラ

極めつけは在籍している社員に無理やり自動車など高価な商品をローンで購入させて辞められなくするなどしていたため、半年退職を決意。

退職するとき恫喝めいた引き止めに合うも、県の労働局相談しそこから連絡したところあっさり退職を認められた。

社長伝説ブラック企業H社出身だった。コロナ給付金不正受給して逮捕されたそうだ。

Case3. ECサイト運営レベルB)

2の直後に入社。2以上の零細企業で、社長の息子が使い込みをしてクビになったところに後任として入社(もちろん入社後に知らされた)。

残業休日出勤はなく仕事もぬるかったが(暇な時はゲームしたりネット見たりしてた)、薄給なのと給与現金手渡しだった。後で気づいたけど、あれ税務署ごまかすためだったんだな。

同僚と上司に中卒が二人もいて、年がら年中パチンコ風俗の話ばっかしていたり、電話対応が明らかにおかしかったり(クレームになって何故か俺が処理する羽目になった)、出入りしている問屋営業喧嘩したり(この営業も負けず劣らず「輩」だった)、教育困難校学級委員みたいな仕事が嫌になって2年で退職。ここは割とあっさり辞められた。あとでわかったことだけど、中卒の二人が俺の悪口社長に言っていたらしい(風俗に誘われたのを断ったのが原因)。

Case4. SES会社レベルD)

3の直後に入社悪名高いSESだが現場ガチャであたりを引いたおかげか割りと稼働は重くなかったし人間関係も悪くなかった。たまに炎上してたけど。

人間関係仕事も悪くはなかったが給料が上がらなかったのと、現場で知り合った人からリファラルを受けて今の職場転職

2023-05-27

小学生感のある語彙

通学路

テスト返し

オール5

席替え

集団下校

社会見学

作文コンクール

自由研究

運動会

学芸会

日時計

生物

給食当番

ゼッケン

交換日記

一輪車

遠足

習い事

リコーダー

ぞうきん

ナップザック

児童館

電話相談

防犯ブザー

連絡帳

お小遣い

友達百人できるかな

将来の夢

学級委員

暗くなったから帰る

邪魔しました

足すりむいた

あいつもやってるのに

何時何分地球が何回回った時

バリア

ずる休み

2023-04-30

anond:20210609223903

2021-06-09

■姪っ子がキモい

姪っ子(兄の子ども)が気持ち悪い。

兄に小学生時代性的虐待受けたので、兄(≒性犯罪者の子ども、しか性犯罪者セックスした結果の成果物だと思ったらキモくてキモくてしょうがない。

兄がそういう人間だって兄嫁も知らんし当然姪っ子も知ったこっちゃないだろうけどさ、キモいもんはキモい

まだ1歳にもなってないし仕方ないからお祝いとかはやってるけど一度も「かわいい」って言ってない。

無理だろ。ほんと。キモいもん。

anond:20211021150417

2021-10-21

anond:20211021145014言及エントリを開く

自分も兄による性被害者だけど、兄が結婚して姪っ子も出来たので、姪っ子が思春期になったら何らかの方法で兄の性癖やらかしについて教えてあげたいなぁとは思ってる。

男は気持ち悪くてセックス以外何も頭にない関わってはいけない気持ち悪い性別の生き物だということを兄から嫌というほど教えられたし、私も姪っ子に教えてあげたほうが良いかなと思ってる。

anond:20220813111758

2022-08-13

■【悲報】兄どんどん無自覚冷笑アンチフェミになる

勝手ツイッター覗くワイもたいがいなんやけど、いいね欄がまぁ青識とか見るから名誉男性か青識のなりすましかな?みたいな女(と思われる)アカウントの「多様性押し付けで女のコは困ってるの」みたいなのがいっぱいでビビる

ワイ、大学の時からそっち系問題を専門に学んできて今でもそういう分野の本読む程度に関心高いから余計に気になっちゃうんだろうけど、理系大学院まで言った兄もこんな反知性的発言にシュバババ!と乗っかって気持ちよくなっちまうのか、と。

まぁ理系属性的には男ばかりで多様性のなさそうだからそうなるんかな。

娘(ワイの姪っ子)を育てていながらこの感性か〜娘がこれからどんな社会で生きていくのか考えたほうが良くない?と思うが以前から(今でも)オープンで兄嫁も見れるアカウントおっぱいぶるんぶるん二次絵にいいねしまくってる(月曜日のたわわとかもちろんいいねしている)ような兄だしそんなもんかな。

姪っ子のこととなると「子煩悩過保護で娘ちゃんが可愛くてしょうがない俺!」を演じているがその様がもう自分に属する女に対してだけ発揮されてて、

「家父長制」ってのをビンビンに感じさせておもろいんだよな。

ちゃんもも森喜朗なんだな。

自分配下にある女(妻、娘)がなにかされると所有物に手を出されたみたいにキレてなんか女性に優しい男性的に見えちまうんだけど、社会一般にいる女は馬鹿にしていくスタイルが見え見えなんだよ兄ちゃん

しかも「また俺なんかやっちゃいました?」系な素朴な疑問装った風の言説に乗っかっちまってるのもそこまで兄ちゃんリテラシー低かったっけと思って悲しいし痛いしでさらいいね欄を遡って覗いてしまう原因になっている。

コロナでこの夏も会えないまま今年2歳になるんだったかな、姪っ子は。

どんなふうに育っていくのかなぁ。

小学生の妹に性的ないたずらもしてた兄ちゃん、どんな風に姪っ子を育てるのかなぁ。

anond:20220823124749

2022-08-23

■兄、子どもできてからしか理解できない親だった [はてなブックマークで表示]

悲しい、

子どもまれから子どもが出てくる話に弱くなったとかはまだわかる、

となりのトトロも、メイの我儘に苛立ってたけど今は納得するとかもっとうまいフォローを…とか言ってて苛つくままに妹に手出して性的虐待までしたクズ野郎が親になったこともクソ気持ちわるいのに子どもまれるまでその程度も理解できなかったやつが親になろうとしてたのも呆れるわ

煩悩で娘が可愛くってしょうがない僕ちゃんに酔いすぎキモいしね

anond:20230425000522

2023-04-25

■幼少期に兄弟から性的虐待を受けて育った話興味ある?

タイトル通り、子供のころに性的虐待を受けた人間の話需要あるかな

※ところどころ身バレ防止いれます

ちょっと歳のはなれた兄がいた

家族が多くて、兄には自室があるけど私にはなかった

夜は母と同じ布団で兄とは別の部屋で寝てたけど、もちろんいつも寝る時間が一緒なわけじゃないから一人で寝る日もあった

最初はたしかごっこ遊びの中だったような気がする

兄は結構優しくて、よく遊んでくれた

周りからも仲のいい兄弟に見えてたと思う

兄が王様役、私は勇者役とかそういう子供のよくあるごっこ遊び

その中でスパイの恋仲の男女みたいなときに、恋人はこうやって抱き合うんだみたいな流れでおしりや胸を撫でられた

当時10歳にもならない私はなんとなくの知識はあるものの、セックスまでは知らない

それでもなんとなくいけないことをしているような気分になったのは覚えてる

そこから先はごっこ遊びの中、習い事練習中、宿題中、なんだかんだと身体を触られるタイミングがあった

胸やおしりだけじゃなく、股の間を触られることも

別に服の上からだし、くすぐったいからやめて、邪魔しないでと振り払うくらいで特にこれといって親に言うとかそういうアクションはしなかった

当たり前といえば当たり前だけど、誰かに言わないといけないとも思ってもいなかった

ある日一人で寝ている時に違和感で目が覚めたら、兄が足元の方から布団に潜り込んでパンツをずらしていた

いろいろ触られて、幼いながら快感と痛みを両方感じていた

あのときなんで蹴り出してやれなかったのかずっと後悔している

この時には多分10歳をこえていて、これが何を意味するのかはなんとなく理解をしてた

そこからは予想通りというか

たまにある隙を狙っては触れられたり舐められたり

私に出来ることといえば寝たフリをしながら寝返りをうって逃げることぐらいだった

中学生ともなるとその行為意味もわかるしなんなら生理も来ていた

でもご多分に漏れ中二病だった私は自分特別人間からこれくらい何ともないと思ってた

自分が何も言わなければ仲のいい家族が続くと思ってた

でも中二病の一環でもあったけど、この頃にはしっかりリスカをするようになってた

幸か不幸かマセてしまって自慰もしっかりしてた

ただ快感は得ても濡れたことはなかった

それがものすごく自分が汚いものに思えて嫌だった

学校では表向きは結構優等生で、今で言うカースト上位ではないけど、彼氏作ってみたり、いじめられたりはせず平穏学校生活だったと思う

今まで触られるだけだったのが、ある日、入口に棒をあてがわれたことがあった

あのとき感覚はずっと忘れられない

恐ろしいことに、濡れる感覚があった

あわてて寝たフリをしながらも足で追いやった

はっきりと妊娠の恐怖を感じた

怖いもの知らずで一度兄に自分のことが好きなのか、尋ねてみたことがある

なんだかごにょごにょ言っていたけどそうではないらしかった

だったら性欲処理してやろうか?とフェラしてやった

そうでもしないと本当に近いうちに妊娠しかねないと思った

それでもこんなのはなんでもない事だと思ってた

今ならわかるけどそう思わないとやってられなかったからだ

高校生くらいになると次第に色々思い悩むことが増えてきた

特にそのとき恋人に対して、これは浮気なのではないか、裏切っているのでは?という罪悪感が強くなっていった

彼氏はいっても手も繋げないまま、そのまま自分が罪悪感で潰れて別れてしまった

多分その時には鬱だった

勉強にも身が入らなくなって、学校へ行くのも嫌になり、授業の合間に泣きながらトイレカッター握りしめてた

痛いのと血を見るとなんとなくスッキリしてまた頑張れるような気がした

そして決定的な瞬間が来る

性的虐待という言葉を知った時だ

世の中にそんな現象があって、そして今自分がその状況に置かれているんだと理解した瞬間、今まで自分を支えていた土台が崩れた気がした

まだ、兄が自分恋愛感情を持っていたらどれほど良かったか

たとえ歪んだ愛だったとしても

愛していようがしてはいけないことだったとしても

恋愛感情はもちろんなかったが、家族として愛していた兄が、自分の性欲か嗜虐心かなにが理由か知らないが虐待するような人間だったと気付いた時の絶望感は形容しがたかった

そして自分がとんでもなく惨めに思えた

それでも兄が嫌いになれない、憎めなかったのはよくわからない

どうしたら家族にバレずに自分を守れて、兄も守れるのか

考えてたどり着いたのは兄をサツ○することだった

動機黙秘すれば自分けが捕まって終わりだ、と

それで本当に実行しようかとタイミングを見計らっているうちにだんだん馬鹿らしくなってきて

そもそも黙秘なんて無理に決まってると気付いてから行政に助けを求めてあとはトントン拍子だった

でも実はその後の方が結構地獄だったりする

完全に精神を病んだし、精神科にかかったけどどうにかできるようなもんでもない

そりゃそうだ人格形成大事な時期なんだし

人生の節目ごとに兄の存在を感知すれば毎度この世の終わりみたいに落ち込む

どれだけ逃げても自分では過去から進んでいるつもりでも、いざ周りを見渡したらあの時から何も変わってない感覚がある

当たり前だが恋愛も上手くいかない

まともな人といると罪悪感でつぶれる

罪悪感を感じないですむような相手そもそもクズ男だし

ゴミみたいな恋愛しかしてない

人間関係もそう

男性特に

性的価値提供できないなら親密になれると思えないし、かといってそれを提供する気もない

どこにいても自分けがエイリアンみたいな離人感がある

常にうっすら死にたいし、落ち込むと結構死にたいし、未だに悪夢を見る

たまに自分に本当に兄がいたのかもよくわからなくなる

全部妄想なら良かったのになと思う

まぁ結局なにが言いたいでもないんだけど、幼少期の性教育大事だと思います

お子さんがいる人は本当に気をつけて

その後のことは興味ある人がいればあればまた書きます

anond:20230429232612

2023-04-29

■真面目に聞きたい。【追記

ワイ、真面目に聞きたい。

兄が結婚して去年の年末頃に子ども女の子)が生まれた。

その兄は中学生の頃に妹にいわゆる性的ないたずらを繰り返してた。妹はそのとき小学校の2〜4年とかだった気がする。5年で夏休みキャンプに行くけどその前だったのは覚えてる。

妹がまだ足りない語彙でリビングスマスマ見ながら転がってたワイと両親に「兄が勝手に布団に入ってくるとか」「パンツに手入れてくる」とか訴えてたのを今でも覚えてる。その後にも何回か妹はそう訴えてた。両親は妹の訴えに「無視しなさい」と言ってて、その後兄に個別に叱責してたのかはわからない。ワイと妹の知らないところではしてたかもしれない。

今思えば「無視しなさい」って寝たふりしてパンツの中まさぐられてろってことだしなんて親だと思う。

で、本題。

兄はワイの知る限り妹への性的虐待に対し、制裁を受けてはないし、反省とか更生はしてないと思ってる。

ツイッター知ってるけど昔から兄はエロ漫画かにいいねしまくって、表現の自由戦士系のツイートにもいいねしまくってるようなイキリオタクだ。

娘(ワイの姪っ子)が生まれからはいわゆる育児垢の育児はこんなに大変とか尊い系のツイートいいねしまくり、子ども被害にあった犯罪ニュースRTして「親になってからこの手のニュースにめちゃ悲しくなる」みたいなことを言っている。

正直何様…?と思うし、姪っ子が成長したら手を出すのでは…?とか思う。

自分の持ち物という感覚だと他の女はエロ消費しても自分の娘は手は出さないって感じになるのかもしれんけど。

妹はどう思ってるかわからない。少なくとも今年の正月3月に一度帰省したときは全く姪っ子に関わろうとしてなかった。

抱っこしたいとか言わないどころか姪っ子の存在に目もくれず自分時間勝手に過ごすだけ。

兄が「かわいいやろ〜」とか言って姪っ子をそばに連れてきても「は?」とは言わんがそんな顔してトイレに行く、みたいな。兄嫁ははわわ…ってしてる。

兄嫁とか姪っ子に対する超最低限の礼儀だけ払うがそれ以外は何もしないって感じで良く思ってないのはビンビンビンに感じる。

正直な話、ワイは彼女なし結婚の見込みなしのクズだけど姪っ子や兄嫁より妹が大事しかわいいんだ。

から兄がのうのうと世間一般で言う「幸せ」みたいなもの享受してヘラヘラしたり、子煩悩なパパを気取っているのを見ると許せない気持ちになる。

妹が兄嫁や姪っ子を見るたびに過去の色々を思い出して辛いんじゃないかとか、でもそれについてワイから何か言われるのはもっと嫌かもしれないと思って妹には何も言えないし聞けない。

妹は旅行に行くらしく今回のGWには帰省しない。

週明け、実家に兄と兄嫁と姪っ子が来て、ワイも実家に帰る。

兄や両親に問いただしたりするならチャンスだなと思う。でも何をどうしたらいいかからない。

どう行動するのが妹の気持ちを晴らしてやれて、兄に反省を促せるのか分からない。

兄には過去の行動を反省してもらいたい。兄嫁には悪いが、自分の夫が、子供父親がそういう人間だということをちゃん認識してもらいたいと思ってしまっている。

両親には妹が兄と両親の両方から受けた仕打ちちゃんと考えてほしい。

ワイどうしたらいいん…。

【以下追記

反応たくさんありがとうございます

ワイ自身も当時まだ小学校高学年か中学かそのへんで、妹の訴えてること(起きてることとその重大性)がよくわかっていなかったのに加え、親が「んなもん放っておけ」って言ってたから大したことじゃないんだと思わされていた。

とはいえ妹にとってはそんなことは知ったことではなく、ワイも親と同じ見て見ぬふりしたヤツの1人なんだよな。

とりあえず自分からアクションは控えるが、常に妹の味方でいられるようにしたい。まだ頭ぐちゃぐちゃしてるので明後日帰省はやめようかなとも思う。

少し書きながら思い出したことがあって、妹とワイは喧嘩しまくってたが、妹は一番上の兄には懐いててお兄ちゃん子だった。

兄は運動からっきしだったけど勉強できて学級委員とか生徒会もやってて親戚の中でも結構いい大学にも行っていい会社にも就職したし、妹にとっては兄との出来事があった後も自慢の兄だったんだろうなと思う発言結構あるんだ。

一番上の兄は頭良いのにワイくんはだめやね~とかよく笑ってた。一番上のお兄ちゃんはすごいんだよってツイッターに書いてたのも知ってるんだ。

そうやって忘れようとしてたのか、上書きしようとしてたのかもしれん。今思えば。

でも妹が大学生になって彼氏ができたっぽくて「お前にも彼氏ができたのか…」とか言ってたらそのときにはもう別れていて、

たぶんキスとかセックスかのことだろうと思うけど、「彼氏のための行動」みたいなのを求められるのが嫌だとか、そうしてもらうための下心や忖度を感じて辟易して別れたみたいなことを言ってた。

体目当てのクズ男だったんかなあと思ってたけど、妹にとってキスセックスみたいなものトラウマになってたってことかもしれないと思い始めた。

今更だけど気づいてやれなかったことや一番しんどいときに味方でいてやれなかったことが悔やまれる。

2023-04-29

真面目に聞きたい。【追記

ワイ、真面目に聞きたい。

兄が結婚して去年の年末頃に子ども女の子)が生まれた。

その兄は中学生の頃に妹にいわゆる性的ないたずらを繰り返してた。妹はそのとき小学校の2〜4年とかだった気がする。5年で夏休みキャンプに行くけどその前だったのは覚えてる。

妹がまだ足りない語彙でリビングスマスマ見ながら転がってたワイと両親に「兄が勝手に布団に入ってくるとか」「パンツに手入れてくる」とか訴えてたのを今でも覚えてる。その後にも何回か妹はそう訴えてた。両親は妹の訴えに「無視しなさい」と言ってて、その後兄に個別に叱責してたのかはわからない。ワイと妹の知らないところではしてたかもしれない。

今思えば「無視しなさい」って寝たふりしてパンツの中まさぐられてろってことだしなんて親だと思う。

で、本題。

兄はワイの知る限り妹への性的虐待に対し、制裁を受けてはないし、反省とか更生はしてないと思ってる。

ツイッター知ってるけど昔から兄はエロ漫画かにいいねしまくって、表現の自由戦士系のツイートにもいいねしまくってるようなイキリオタクだ。

娘(ワイの姪っ子)が生まれからはいわゆる育児垢の育児はこんなに大変とか尊い系のツイートいいねしまくり、子ども被害にあった犯罪ニュースRTして「親になってからこの手のニュースにめちゃ悲しくなる」みたいなことを言っている。

正直何様…?と思うし、姪っ子が成長したら手を出すのでは…?とか思う。

自分の持ち物という感覚だと他の女はエロ消費しても自分の娘は手は出さないって感じになるのかもしれんけど。

妹はどう思ってるかわからない。少なくとも今年の正月3月に一度帰省したときは全く姪っ子に関わろうとしてなかった。

抱っこしたいとか言わないどころか姪っ子の存在に目もくれず自分時間勝手に過ごすだけ。

兄が「かわいいやろ〜」とか言って姪っ子をそばに連れてきても「は?」とは言わんがそんな顔してトイレに行く、みたいな。兄嫁ははわわ…ってしてる。

兄嫁とか姪っ子に対する超最低限の礼儀だけ払うがそれ以外は何もしないって感じで良く思ってないのはビンビンビンに感じる。

正直な話、ワイは彼女なし結婚の見込みなしのクズだけど姪っ子や兄嫁より妹が大事しかわいいんだ。

から兄がのうのうと世間一般で言う「幸せ」みたいなもの享受してヘラヘラしたり、子煩悩なパパを気取っているのを見ると許せない気持ちになる。

妹が兄嫁や姪っ子を見るたびに過去の色々を思い出して辛いんじゃないかとか、でもそれについてワイから何か言われるのはもっと嫌かもしれないと思って妹には何も言えないし聞けない。

妹は旅行に行くらしく今回のGWには帰省しない。

週明け、実家に兄と兄嫁と姪っ子が来て、ワイも実家に帰る。

兄や両親に問いただしたりするならチャンスだなと思う。でも何をどうしたらいいかからない。

どう行動するのが妹の気持ちを晴らしてやれて、兄に反省を促せるのか分からない。

兄には過去の行動を反省してもらいたい。兄嫁には悪いが、自分の夫が、子供父親がそういう人間だということをちゃん認識してもらいたいと思ってしまっている。

両親には妹が兄と両親の両方から受けた仕打ちちゃんと考えてほしい。

ワイどうしたらいいん…。

【以下追記

反応たくさんありがとうございます

ワイ自身も当時まだ小学校高学年か中学かそのへんで、妹の訴えてること(起きてることとその重大性)がよくわかっていなかったのに加え、親が「んなもん放っておけ」って言ってたから大したことじゃないんだと思わされていた。

とはいえ妹にとってはそんなことは知ったことではなく、ワイも親と同じ見て見ぬふりしたヤツの1人なんだよな。

とりあえず自分からアクションは控えるが、常に妹の味方でいられるようにしたい。まだ頭ぐちゃぐちゃしてるので明後日帰省はやめようかなとも思う。


少し書きながら思い出したことがあって、妹とワイは喧嘩しまくってたが、妹は一番上の兄には懐いててお兄ちゃん子だった。

兄は運動からっきしだったけど勉強できて学級委員とか生徒会もやってて親戚の中でも結構いい大学にも行っていい会社にも就職したし、妹にとっては兄との出来事があった後も自慢の兄だったんだろうなと思う発言結構あるんだ。

一番上の兄は頭良いのにワイくんはだめやね~とかよく笑ってた。一番上のお兄ちゃんはすごいんだよってツイッターに書いてたのも知ってるんだ。

そうやって忘れようとしてたのか、上書きしようとしてたのかもしれん。今思えば。

でも妹が大学生になって彼氏ができたっぽくて「お前にも彼氏ができたのか…」とか言ってたらそのときにはもう別れていて、

たぶんキスとかセックスかのことだろうと思うけど、「彼氏のための行動」みたいなのを求められるのが嫌だとか、そうしてもらうための下心や忖度を感じて辟易して別れたみたいなことを言ってた。

体目当てのクズ男だったんかなあと思ってたけど、妹にとってキスセックスみたいなものトラウマになってたってことかもしれないと思い始めた。

今更だけど気づいてやれなかったことや一番しんどいときに味方でいてやれなかったことが悔やまれる。

2023-03-10

仕事をしない能力」で乗り切るヘルジャパンPTA

https://togetter.com/li/2097556


ワイがPTAでやってるのとほぼ同じムーブしてて笑った。

学級委員会とか役員職とか運営委員会なんてものは死んでもやりたくないので、くじ引きでそういうのに当てられる前に書類作成系のヒラ委員立候補して最初の顔合わせ以外では一度もPTA仕事で登校することな自分のペースでやらせてもらった。今年度と同じ仕事を任せてもらえるなら来年もやってもいいと思っているけどどうなるかな。

2023-03-03

大川隆法と、冷めた2世会員の私。

唐突だった。会から離れていても、人生に大きな影響を及ぼした人が亡くなったという事実は、衝撃がそこそこあった。

と同時に、これからは多分、自分幸福の科学についての話は、本当に「過去の話」になる気がした。

語れなくなる前に、幸福の科学が影響する自分人生を整理しておこうと思う。

あなたは誰

- 幸福の科学2世会員

- 1990年代まれ20代男性

- 幸福の科学運営する塾や学校に通っていて、学生時代はそこそこ熱心な信者だったが、社会人になってからはゆるゆると遠ざかり、今は特に活動勉強などしていない。「わざわざ脱会までしなくていいかなー」と思って特に脱会はしていない。

私と幸福の科学/大川隆法関係

まれ環境

- 両親が幸福の科学信者で、特に母が熱心な信者だった。

- しかし父は自分が小さい頃に脱会している。

- でも幸福の科学ではないスピリチュアルもの関係がある様子で、その辺りは昔も今も聞きたくないか適当にあしらっている。

~中学生
物心ついた時から生活幸福の科学であふれていた

- 家に幸福の科学の本がたくさん置いてあったので、なんだかたまに読んでいた記憶。置いてあったら単純に興味が出る

- 神棚(幸福の科学では「ご本尊」と言う)も家に飾ってあって、たまにお祈りしてた

地域支部にも母親とよく言っていて、よく「御法話(大川隆法の説法のこと)」を聞いていた。独自システムで全国生中継をよくやっていた

たまーに母親活動についていって、街頭演説とか、パンフレットの配布を手伝っていた記憶

「外で伝道活動するの偉い!積極的にやっていこう!」って教えられる。特に子ども活動していると、会の中では「超優秀な素晴らしい子!」として扱われる

褒められちゃうなら、子どもは頑張っちゃうよね。

大きめの講演会もちょくちょく行ってた。

小学校後半から幸福の科学運営する塾「 サクセスNo.1」に通っていた。

- 今調べて初めて知ったんだけど、サイトあるんだね

- https://success-no1.happy-science.jp/

毎日祈りするのがいいんだよ」と言われていても、めんどくさくて半年に1回くらいしかやらなかった

- そもそも親と一緒に何かするのが恥ずかしい、みたいなとこもあったな。

- みなさんも「親と一緒に家でお祈りするの恥ずかしい!」って思ったことありませんか?

子どもながらに一般社会との違いを感じながら生きていた

- 自分の家庭や前述した塾では幸福の科学の教えを前提にした会話が繰り広げられる。

- 「守護霊が〜」「過去世が〜」「 最近の教えで総裁先生(信者の間では大川隆法のことを「総裁先生」と言うことが多かった)はこんなことを言っていて〜」とかとか。

- ただ、そうやって普通に会話することが周りの子には通じないし、そんなこと言ったら変な目で見られてしまいそうなので、「幸福の科学用語」が表に出ないように気をつけて生活していた

~高校生
幸福の科学運営する高校に通った。通ったというか全寮制なので、3年間生活していた感じ。

- サイトはこれ

- https://happy-science.ac.jp/

割と真面目だし、色々やっていたので、「信仰心が高い生徒」だったと思う。

- 学級委員とか、部活部長とか、生徒会役員とか・・・

- その辺りの役回りをこなすと、自然大勢の前で「幸福の科学の教えを広げるために、自分達に何ができるか?」「信仰心大事だ!(バーン)」といったように、他の生徒を鼓舞して、信仰心高まるような演説をする機会が非常に多かった。

- 当時はそれが素晴らしいことだと思ってたんだ。

同級生とか

- 母親けが熱心な信者で、父親の反対を振り切って入学しました!って子、自分は行きたくなかったけど両親に強引に入学させられちゃった・・・って子とか、色々いた

- 幸福の科学に対する対する考えは人それぞれ。大人になった今でも熱心に信者やってるは、3割くらいじゃないか・・・?って感じ。

- ただそういった会との関係を抜きにして、自分にとっては「青春を過ごした同級生」なわけで、たまに会ったり、飲んだりする人が結構いる。

毎日祈り時間があった。それはもうたくさんあった。

- 朝起きてから寮でお祈り

- 学校が始まるモーニングルーム最初にお祈り

- 学校が終わってホームルーム最後にお祈り

- 部活夜ご飯時間が終わったら大講堂に集まって夜の祈り。これがちゃんとするやつで、たまにフォーマットは変わっていたのだけど、御法話聴くタイム10分+お祈り20分、みたいな感じだった

- 寝ちゃう人たくさんいて、生徒会などでは結構問題になって有志で色々話し合ったり対策を考えていた記憶・・・

寮生活普通にしかった。就寝時間過ぎても友達夜遅くまで話したり、職員の目を盗んで窓から抜け出したりしてました。ド田舎にあったんで、星が綺麗だったなあ・・・

- ド田舎の寮で最寄のコンビニまでも30分かかるくらいだったので、生徒の間ではこの環境のことを「那須リズン」と呼んでましたw

学校先生は皆、熱心な信者だった。いい先生が多くて、好きな先生も多かった。

- たまに、「実は名前だけ会員になってただけで、幸福の科学の本とか全然読んでなんだよね〜w」って先生もいたな

自分高校に通う頃から幸福の科学映画作成の頻度が高くなっていたが、アニメとか映画をよく見る人たちの間で「この映画クオリティ低すぎるだろ・・・。これを良いと言っちゃうおかしいんじゃないの・・・。」って会話をしばしばしてた。

- 自分映画アンチで、「つまらないストーリーが全てを台無しにしている」「最後はどうせ信仰心で何もかもうまくいくだけの薄い映画」などなど、猛烈に批判していたが、「映画面白くないのは信仰心たりないから」って感じであしらられていた記憶

- しかも同じ人が何回も見に行ってるからな。まじで何やってんだ本当に。今でもそうだよな。作品クオリティに真面目に向き合っていあたら、10年やってれば普通に面白映画作れる可能性あったんじゃないのかな。

- 映画に限らず、会の流れにそぐわない意見は良くないものとする雰囲気がただよっていた。これは幸福の科学全体に言えることで、熱心な信者ほどそんな意見を持っている人が多かった。

- 自分映画がクソすぎたのが、幸福の科学の考えに違和感を持つ原点だったのかな。今思うと。

受験勉強はみんな、「総裁先生のために!」と言って頑張ってました。私も頑張りました。

- ただ、「総裁先生のために」と言ってとりあえず頑張っていれば結果関係なく褒められる、みたいな空気があったのもわりと嫌だったな。

大学生社会人(今)
大学地元に戻り、実家から通っていた。

大学生活は普通にやったし、バイトもしていた。その面は普通。ただそれ以外の時間幸福の科学活動を頑張ってた感じ。忙しい大学生だった。

幸福の科学学園を卒業した子は「アデプト(信仰心に目覚めた新人類)の卵」ともてはやされ、大学生所属して活動する学生部での活躍を期待されていた

- ただ卒業生の半分くらいは、大学に行った時点でゆるゆると会から離れていき、学生部にも顔を出さなくなってた

- 自分学生部にわりと頻繁に行ってて、学生部長とかもやったし、合宿も割と行ってた。運営ちょっとした。

- 知り合いのうち何人かを、総裁先生(大川隆法)の講演会に誘って一緒に行ったりした。

- 1人くらいは会員にもなった。その人はもしかしたら、今でも熱心に活動してるかもしれない。

- その人の人生にめちゃくちゃ大きな影響を及ぼしちゃったと考えると、なんとも言えない気持ちになります・・・

でも学生部活動を続けるにつれて、「社会的に苦しいことがあっても信仰とることが大事!」「まずは幸福の科学活動第一!」みたいな雰囲気が肌に合わなくなっていった。

- 口には出さなかったが、偉い人の話を聞きながら冷静に「いや、そうはならんやろ。」ってツッコミを心の中で言ってたこともある

- 理想信仰だけを語り、現実を見ない会員の姿を見れば見るほど、なんだか嫌になっていたんだ。

- だから大学3年生くらいの時から自分おかしいと思うことは断固活動拒否していた。そうなってくると学生部長をやるのが苦しかったので、割と早めにその役を降りた。

- その地区担当していた職員さんから、「本当に後悔しないんだね?」と何度も聞かれたが、「後悔しません!」と何度も答えてやっと役を降りれた記憶

- その人も悪気はなさそうで、単純に純粋な"信仰心"で何度も引き止めてくれていたと思う。

社会人上京して1人暮らしを始めた、社会人1,2年目は家の近くにたまたま幸福の科学施設があったので、たまに通っていた。

- 通っても本を読んだり、瞑想したりするくらいだった。社会人になってからは「研修(総裁先生の説法をもとに作られた、教えについて深く学んで悟りを追求するためのプログラムみたいなやつ)」も受けてないし、合宿にも行ってないかな。

- 一瞬、若者が集まる青年部に顔を出したりしたけど、2,3回参加して肌にあわず行かなくなった。

- なんかやはり、一般社会との考えとか違いすぎて・・・あんまり頭良くなくても、とりあえず信仰心高い行動している人の声が大きなり、現実と向き合わないような雰囲気があったね・・・

社会人になっても親から映画見て!」とか、「本読んで!」とかLINE来たりするので、まあ人付き合い程度に映画見に行ったり、本を読むなどしていた。

- でも映画はやっぱり、いつまでたってもクソなので数年前から全く見に行ってない。

- クソな映画なのに、「動員数ランキングに入るために頑張りましょう!」と言って同じ人が何回も観に行ってるのも嫌い

- 「ランキングに入るために頑張りましょう!」と言って映画評価サイトに星5つけまくる活動も嫌い

- 作品真摯に向き合ってくれ!

本は年に1回パラパラ読むくらい。幸福の科学は年に1回「法シリーズ」と呼ばれる書籍が出てくるので、それを年初にパラパラと読んだのが最後かな。感想としては、「なんかずっと同じようなこと言ってるなあ。」って感じ。

- 2023年の法シリーズは、地獄の法!Amazonでも買えるぞ!興味があったら買ってみてくれよな👊

- https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2888

新型コロナ流行たことで、自分幸福の科学離れが加速した

- ワクチンに対するスタンスが、ネット陰謀論レベルなっちゃってるんだよね

- ワクチン打つとDNAが書き変わる!とか、ワクチン病気になりやすくなる!とか・・・

- 自分ちょっと調べた感じ、総裁先生は「信仰の力があれば大丈夫」とか、「新しく開発されたワクチンなので長い目で見た効果心配ですね」くらいのことしか言ってなかったと思うのだが、それが会員の思考レベルになるとなぜかワクチン陰謀論になってしまっていて。

- 幸福実現党(幸福の科学が立ち上げた政党)も、なんか陰謀論っぽいこと言ってたりして。

- 幸福の科学職員が、ワクチン陰謀論に関して本書いてる人と対談するイベントもあったりした記憶

- 「こりゃあ、おしまいだあ🙌」と思った。もうなんか、熱心な会員さんほど普通に社会を生きるレベル常識麻痺させなくちゃいけないんだなーと。「大川隆法から離れたい」というより、「幸福の科学という組織から離れたい」と思ったんだ。

ただ、幸福の科学大川隆法全否定ちゃうと、自分人生経験をことごとく否定することになっちゃう。

自分と同じような2世会員はそんな葛藤を持って生きている人が多そうなのだけど、自分はわりと、自分人生幸福の科学/大川隆法に関する整理が冷静にできており、うまく生きてるなーって思うのでそのことを書こうと思ったのだけれど・・・

自分過去をまとめていたら案外長くて、

「今、幸福の科学に対してどう思っているのか」とか、

大川隆法総裁先生)が亡くなって感じていること」を書きたかったのに時間がなくなってしまった・・・

ちょっと時間できたらそのことも書こうと思います。🫡

長文乱文失礼🙏

2023-01-08

anond:20230107174546

元増田のみならず政治的にうぶ過ぎる人が多いね

ふだん学級委員ヅラして正義マンごっこに明け暮れてても、いざ自分たち利権関係してたら、ダブスタアクロバット擁護公文書黒塗りを要請ちゃう

立憲共産党ft.社民界隈もこの程度の本性なのだと、今回のColabo疑惑で明らかになったわけだ

大阪維新vs自民骨肉の争い見てりゃ分かる通り、政治なんて異なる勢力が適度に綱引きしてりゃ行政監視機能は十分機能する

今回のColabo疑惑でも、小池都ファ行政問題があると見たら、自民党系議員が食いついて追及してくれている

はっきり言って、日本の政治コスト釣り上げるためだけに極論主張がやめられない立憲共産党ft.社民とか、いらないんだよ

常識的な枠内で綱引きしてる、自民公明維新国民あたりが分散してれば、政治は十分に機能する

日本国民の皆さん、目を覚ましてください

2022-11-13

小中の同級生にインスタのフォローを外されていた話

先に断っておくと、彼女とは親しくはない。中学卒業して以来、きちんと会話をしたことはない。フォローを外されていたのを確認して私も彼女フォローをすぐに外した。その程度の関係性だ。



彼女と私は同じ日に生まれた。私たちは同じ町内に実家があった。にもかかわらず全く違う人生を歩んでいることが面白かった。もしかすると見下している気持ちもあったのかもしれない。だからフォロー許可したし、こちらもフォローしていた。


彼女は生まれからずっとこの土地にいた。小学校には保育園からの幼馴染がたくさんいた。父親仕事は詳しく知らないが、母親歯科で働いていると聞いたことがある。近所では有名なヤンキー両親だった。彼女の親は自分の親の家の敷地内に家を建てており(彼女は積○ハウスで家を建てたと自慢していた)、祖父母、おじおば、いとこたちに囲まれ生活していた。

一方の私は転勤族小学校に上がると同時にこの土地引っ越してきた。幼馴染などはおらず、親戚も県内はいなかった。父はブルーカラーホワイトカラーの間のような仕事をしていて(一応大企業の子会社で働いていた)、母は専業主婦だった。


私は小学校あいだ、標準語であったこと、母親が働いていなかったことを理由いじめられた。喋り方が気持ち悪いと言われた。祖父母百貨店で買ってもらったランドセル足跡をつけられ、水をかけられた。ピンポンダッシュをされた。遊ぶときはいつもみんなに置いて行かれた。

同じ誕生日彼女の方がこの土地ではスタンダードだった。彼女の周りには人がたくさんいて、私はひとりだった。近所に住んでいたため、下校のときは本当に惨めだった。みんなで楽しそうに学童に向かう中、私はひとりで家に帰っていた。


中学校に入ってから転機が訪れた。私は定期考査で学年1位を取りまくった。部活動でも表彰された。学級委員生徒会も推薦された。先生からも生徒からも期待され、信頼されていたのを実感できた。常に私は同級生に、私の親は同級生の親に羨ましがられた。認められた、シンプルいじめられなくなった。

一方彼女は成績が芳しくなく、態度も良くなかったため、常に先生たちから怒られていた記憶がある。部活動にも入っていなかったため、小学生のころほど大きなグループ形成できていなかった。

最終的に私は地元で最も偏差値が高かった私立高校に成績優秀者の奨学金で進学した(公立はみんなが行くから嫌だった)。彼女偏差値が30くらいの私立高校に専願で行った。


高校時代の話は割愛しよう。私はうつ病を拗らせたが無事に卒業して、地元大学に進学した。彼女がこの間どうしていたのかは知らない。


大学に入って少しした頃、彼女からインスタグラムフォローされた。

彼女は当時キャバ嬢をしていて、ヤンキーたちとつるんでいる生活毎日投稿されていた。金髪だった。しばらくすると彼氏と付き合い始め、1ヶ月記念、2ヶ月記念、3ヶ月記念……と刻み始めた。

私もちょうど同じ頃、初めて彼氏ができたが、記念日など投稿しなかった(この彼氏とは3年目で別れた)。彼女は何ヶ月記念かに入籍して、数ヶ月後に出産した(子供妊娠週数?も細かく刻んで投稿していた)。

ちなみに成人式ときにはボテ腹振袖を着ていて、やはり妊婦であることを自慢げに投稿していた。私は成人式には行かなかった。

出産後も子供月齢ごとに投稿していた(ストーリー毎日)。この頃から飽きてきて特に注視していなかった。


フォローを外されたことに気がつく数ヶ月前、私は就活で使い終わったリクルートスーツを近所のクリーニング店に出しに行った。そこにいたのだ、彼女が。店員として働いていた。着いてきていた私の母が先に気がついた。

「あら○○ちゃん?」

私は言われるまで気がつかなかった。ふくよかになっていておばさんかと思ったのだ。

かたやパートで働く主婦、かたや結婚どころか彼氏もいない、就活ストレスガリガリに痩せた学生ニート

てっきり結婚して違う地域に住んでいるかと思ったが、親子三世代ここに住み続けていることにも驚いた。

私は地元ではそこそこの企業総合職として内定をもらったので、バリバリ働くつもりではいる。結婚は……できる気がしないので、子供部屋おばさんまっしぐらである

同じ誕生日、同じ地域に住み、同じ空気感の中生きてきた人間人生がここまで違うのか。

私は彼女と目を合わせた。お互い話すことはなかった。私は母に物を託して先に家に帰った。


それから数ヶ月後、インスタグラムフォローを外されていたことに気がついた。いつから外されていたのかは分からない。クリーニング屋の一件の前かもしれない。私はそのまま彼女フォローを外した。たぶんもう互いの人生が交わることはない。

2022-11-08

anond:20221108175452

教師学級委員はいじめをしないって思ってる節があるね

あと何が起きても教育委員会マニュアル通りにしか行動できない

2022-10-25

後藤!どこ行った??

「あれ?後藤いなくね?」吉田が呟いた。

「本当だ、いないじゃん」ミカが続く。

「え、マジでいないんだけど」本田半笑いで言う。

「あ、いないですね」吉田の隣の席の奴が囁いた。

国語教師山岸は授業を中断し、後藤が座っているはずの席を見つめる「おかしいねぇ、どこ行ったんだろう」

山岸久、58歳、長い教師生活で生徒が忽然と姿を消したのは、当然初めてであった。後藤の席は真ん中付近、黒板に板書をしている間に教室から出たのであれば、他の生徒が見ているはず。「誰か後藤がどこに行ったか知らないか??」あたりは騒然とし始めた、どうやら誰も見ていないらしい。束の間、教室後方の扉が開いた、そこには鬼のような形相の後藤が立っている。「717と言え!!」学校中に聞こえるような声で後藤が叫ぶ、困惑しきっている山岸に詰め寄りながら「717と言え!!」何度も叫ぶ、山岸は何が起きているか全く理解できない、もはや泣きそうになりながら呟く「717、、」すると教室中の生徒が一斉に立ち上がる、山岸は夢か現実区別がつかない。学級委員吉田が声を張り上げた「山岸ティーチャー、7月17日お誕生日おめでとう〜」全員が隠し持っていたクラッカーを鳴らす。「パンっ」「パンっ」

山岸は35年間の教師生活を振り返っていた。色々なことがあったけれど、生徒たちは今、僕の誕生日を祝ってくれている。それでいいじゃないか誕生日は11月7日だけど、それでいいじゃないか山岸の頬に一粒の涙が伝う、「みんなありがとう」そう言おうと思った瞬間、目の前の本田が起立もせずクラッカーも鳴らさなかったことに気付いた。刹那山岸は思いっき本田の頬を引っ叩いていた、教室が静まり返る。

誕生日を間違えられたこと、ふざけた名前呼び方、授業妨害、脱走したことタメ口命令したこと、隠し事をしたこと、実は全て許せなかった。それを飲み込もうと思った矢先、起立もしていない本田が目に入った。手は勝手に動いていた、全部我慢していた、やっと気づいた。そこから山岸教室のすべての生徒にビンタをした。100%クビになる、覚悟の上だった。

困惑と悲しみと怒りが飽和する教室山岸は手の感触を確かめながら言う

「よし全員いるな」

2022-09-04

統一教会に騙されるのは「バカから」だと思っている人へ

実は統一教会に入りやすいかどうかに知能はあまり関係ない。

それどころか昔から名大学が奴らの狩場になっているようにペーパーテストが得意なタイプというのが多い。

一番入りやすいのは「真面目」で「責任感が強く」て「押しに弱い・断れない」タイプ

「全く人気者じゃないのに誰もやりたがらないか押し付けられるように学級委員になっていたようなタイプ」がかなり多い。

そしてこのような存在は教団の行う集金活動にとってはものすごく効率がいい。

2022-08-08

大学なんて行かなきゃよかった

普通に生きることはできないけど、普通じゃなく生きることもできない。

小学校のころは、いつもクラスで一番賢かった。本当はそうではなかったかもしれないけど、少なくともセルフイメージはそうだった。誰よりも本を読み、おばあちゃんからはいつも「〇〇ちゃんが賢いのは本をよく読むからだね」と言われた。

発言するのが好きだった。その割に学級委員などをしたことがなかったのは、人望が無かったからだ。正義感も強く、ただ時々パニックになって泣き出したり起こりだすことがあった。大体ちびまる子ちゃん前田さんを想像してもらえればいい。正義感迷惑な方向に強い子。自分の思い通りにならない世界が気に入らない子供

神童と呼ばれた(主におばあちゃんから)私は母に進められて中学受験をした。勉強は少しもしなかったけど、模試でA判定以外を取ることはなかった。難なく合格し、通い始めた矢先、課題が終わらずに不登校になった。

休みがちになった秋、親からスマホを買ってもらった。それまでは3DSインターネットをしていた。いつもエロい知恵袋質問や、まとめサイトを見ていた。スマホを買ってもらってからは、ツイッター2ちゃんにのめり込んだ。ツイッターは今も続けているが、今に至るまで特定の友人どころかコミュニティ所属するということが、インターネット上ですらできずにいる。

同じ秋、所属していた部活ライングループに、エロ画像誤爆した。ますます学校に行きづらくなり、挨拶もせず部活を辞めた。

不登校でもエレベーター式に高校生になれてしまった。単位制のため出席しないと卒業ができない。私は頑張って学校に行った。高2までギリギリ単位を取ったが、高認存在を知って通学をやめた。本当は理系に行きたかった。忙しいからと親から文系を勧められて、結局文学部に行った。この選択が合っていたのか間違っていたのか、今となってはわからない。

出席日数はギリギリでも、高校に入って勉強を始めた私は中学の頃は酷かった成績が、上位20%程度をキープするようになった。学校に行かないでこれなら何でみんな学校なんか行くんだろう、間抜けめwと、内心私は天狗だった。しかし逆だ。クラスメイトの顔を覚えず、交流しようという気もなく、家でテスト勉強だけしてていいなら誰だってその程度の成績は取れる。

私は良い気になっていたが同時に辛かった。どうして自分普通みたいに楽しいJK生活を送れないのだろうと思った。中学生のオタクが皆そうであるように、オタク友達なら私にも数人いたが、一人はいつの間にか学校を辞め、何人かはCP違いで喧嘩になり(というか私が一方的攻撃し、当然縁を切られた)、何人かは私が約束ドタキャンするなどの不義理を重ねたため、話しかけて来なくなった。

どうして普通にできないんだろう、どうして私に楽しいことは何も無いんだろうと思った。担任の勧めでバイトを始めた。短期の品出し。お金をもらえるというのが嬉しかった。対等に評価される。私以外のバイトはみんなでラーメンを食べに行ったりしていたが、私は一度も行かなかった。それでも、自己啓発本を読むのが趣味だという大学生と話したり、専門学生のお姉さんに「メイクしないの?」と聞かれたり、他校の男の子の「卒業したら髪を赤に染めたいが、バイトは続けたいか毎日黒染めスプレーをする」という馬鹿げた計画を聞いたりするのは楽しかった。ほんの少しでも社会と関われている実感があって、確かにそうだった、と思う。

友達はできなかったが、生きていけるという自信はついた。ノー勉高認を取得し、センターを受け、思ったよりも点が良かったので、国立大学を受け、受かった。思えば、この時が一番楽しかった。

話は飛んで私は大学生になる。大学は心地がよかった。一人でもそんなに浮かない。文学部評価ほとんどがレポートから過去問がなくても単位が取れるし、中高を反省した私は、頑張ってなんとか講義を休まないようにした。

それでも6年間の癖は抜けず、授業を寝過ごし、サボり単位は落としたし、レポートの締め切りを勘違いしたり、必要事務手続きを怠ったりして苦労したが、なんとか見かけだけは論文に見えないこともないボロボロ卒論を出し、私は卒業した。

専攻の人数は少なく、みな友人同士だった。私だけがその誰とも仲良くなかった。挨拶をすれば仲良くなれるというネット記事鵜呑みして半年間毎週挨拶だけしていたオタクっぽい女の子たちも、学期が終わると他人同士になった。

卒業式には行かなかった。

私は公務員試験を受けたが、筆記は受かるのに、面接は全部ダメだった。

大学に行けばなんとかなると思ったが、ならなかった。どうやって生きていけばいいのかわからない。私は自分が頭がいいと思っていたが、どうやらそうじゃないらしい。

かに少し勉強はできるけど、それだけだ。

世間普通に当てはまることができないとずっと悩んでいたけど、大学に入ってから世間普通に当てはまらない人をたくさんみた。大学院でラカン研究をしている人、アーティストとしても活動する非常勤講師批評家作家

私はなんとなく自分作家になると思っていた。昔から国語が得意だったし、私は世間普通ちょっとうから

でも、大学に行って、どういう人がそうなるのかを知った。書く前から私は何かになることを諦めた。それに、これを読んだ人ならわかるだろうけど、私は決して文章が上手くない。現代文偏差値は、果たして何を図っていたのか、私にはわからない。

作家じゃないなら、編集者になりたかった。

でも編集者は忙しそうだから辞めた。コミュニケーション能力がいるらしいし。私にはもっと地味な仕事が向いてる。

そう思って受けた公務員全落ちした。

どうすればいいんだろう。

2022-07-19

学級委員って

学級会リンチ親玉だったよな

hagexみたいなもん

2022-07-11

自殺するくらいなら復讐しろ」って言ってた人たくさんいるのに、急に学級委員みたいに「犯罪から駄目絶対」とか言い出す奴多すぎだろ。

2022-07-07

Twitterキチ観察日記

Twitterに居るとある一部の界隈で有名な基地外

自分意見が少しでも合わないなら、噛み付く。筋の通ってることも言うが、「無能」、「馬鹿」、「雑魚」など幼稚的な罵詈雑言を引リツではく。

しかも劣勢になったらブロックしてから噛み付くなど、ものごくみっともない。

ツイを見る限り、フリーランスとして働いてるようだが頻繁に契約終了してる。本人は自由時間がほしいか自分からやめてると言い張るが、フツーに切られてるんじゃないかな。扱いづらそうだもん。

こいつをのさばらしてるのが「友人」たち。基地ムーブを黙認したり、「まあ彼の個性から」とお茶を濁す。他の人間がこいつに反論したり、すこしこらしめる行動をしたりすると盾になったり、かわって反論したり、「ねぇーやめなよー」と学級委員みたいなことを言ってくる。

と散々な事を書いてきたが、おれはこの基地ファンと言ってもよい。

ファッションじゃなくて自分正気と思ってる基地なんてそうそうお目にかかれないからな。どんどん、間違った友情で守られてキチ度を増していってくれ。

そして友人たちからも愛想をつかされて、一人寂しく生きていってほしい。俺は見守ってやるからな。

(ちなみにこいつの「友人」たち。自分は既婚者で子供もいてそこそこ安定した暮らしをしてる。なんというグロテスク!)

2022-03-31

修了しました

どうしてこんなことになったんだろう。ここ数年で何度も思ったことだ。

これは奇妙な巡り合わせで出会った私にそっくりの友人が大学卒業時に書いた文章の書き出しである。この鏡合わせの彼が書いた文章を何度も自分事のように反芻してきた私は今年大学院を出る。修了という立場に際して、私も少し自分語りをしてみようと思う。他人自分語りなど興味の無いという方もたくさんいるだろうから、そういう方はこの時点で引き返してほしい。思うままに書き殴っているので読みづらいし長いと思うが、それに我慢できる人だけ読んでもらえればと思う。

・生い立ち

私はごく普通環境で育ったと思っている。地方在住で金持ちでも貧乏でもない家で、両親は優しくて、友達もいた。小中学生のころの自分一言でいうと優等生気質だった。学校勉強はそこまで苦にしなかったし、危ないこともしなかった。先生の言うことには従っていたし、学級委員を務めたりするタイプ人間だった。強いて言えば両親が少し頑固だったくらいだ。

小学校では初めに陸上クラブに入った。運動は苦手かつ嫌いだったし、何よりブラスバンドのようなクラブがありそちらに入りたかった。父が無理にでも私を陸上クラブに入れたのは運動の楽しさを知ってほしかったのだと思っている。運動神経のいい父にしてみれば運動は娯楽だったのかもしれないが、運動神経が壊滅的な私にとっては純粋身体能力を問われる陸上は苦しかった。そのため5年生からブラスバンドやらせてくれと懇願した。タダで許してくれるはずもないので中学では運動部に入ると交換条件を付けた。5年生から始めたトランペットは本当に楽しくて練習した。6年生の途中からは1stトランペットを担うこともできた。

中学では周りの部員吹奏楽部に行くのを横目に約束通り運動部に入った。誤解のないように言っておくと別に部活動自体は楽しかった。ただ音楽から聞こえてくる音を聞くたびに自分もこの中にいたらどうだったろうと思うことは度々あった。中学では同学年内でいじめもあって、被害者ではなかったものの学年中を巻き込みつつも教師黙殺しているそれに優等生気取りの私は心を痛めたものだった。その頃の私はもっぱら公正世界仮説(当時この言葉は知らなかったが)の敬虔信者であり、親や先生にほめられている優等生自分はいつか報われるし、逆にいじめなんぞ加担している人間はその人間からどこかで破綻すると思っていた。

 高校は少し離れた進学校に入った。近隣の学校に行く人が多かったが、いじめの件もあり彼らと距離を置きたい気持ちも大きかった。流石にレベルの高い授業でもあったが、モラル教養を持った人が多く非常に楽しい生活を送った。高校部活軽音部と兼任しようかなと考えていたが、他方の顧問専任希望するような言い方をしたので諦めた。別に悪い人ではないと思うが、他人に機嫌を取らせるタイプ人間だった。高校では成績をぐんぐん落とした。周囲のレベルの高さもそうだが、私には2点の欠陥が見え始めていた。1つは努力中学生まであまり勉学に苦労しなかった私は勉強に労力をかける癖がなかったし。加えて苦手な運動は一向にできなかったし、好きな人アプローチしても付き合えなかったし、理論武装して親に頼み込んだことも結局許されなかったり、努力してできた経験と言えば自転車の補助輪を外すときくらいのものであったように思う。努力の数と成功体験の数なんて鶏と卵かもしれないが、努力をした経験もおそらく人よりは少なく、努力が実った経験もっと少ない人間だったように思う。もう1つは先天的能力限界である。これまでの自分は「丁寧に教えてもらえば理解ができる」という能力を有していたと思っている。中学生までの自分が苦労しなかったのもこれが原因だと思っている。しか高校3年生になると少しそれに陰りが見えているのを人知れず自覚していた。周囲の人間には見えていないようで、親や先生は褒めてくれるし、同級生から勉強ができるという認識をされていた。

 3年生になると嫌でも受験を考えなければならなくなる。私はどこに行って何をするのだろう。勉強は好きではない。高校では文芸部の本に部外から投稿してすごく評判が良かったし、文化祭の劇の脚本演出担当して最優秀賞を取れた。そのあたりの活動は楽しかったしクリエイティブなことがしたいかな、あと音楽。それとなく親に専門学校の打診してみたけど、4年制大学に行けといわれた。「いい大学に行けばいい企業に行けるからね」と言われてきていたし、親心としてはそんなもんだよねと理解した。自分としてもレールを外れることに恐怖はあったし、レールに従うことで周りと同じように大学に行って、就職して、結婚して子供を作って、今の家族のような生活が送れるならそれでいいと思っていたのでじゃあ普通大学に行くねとなった。

 問題になるのは何がやりたいかである。私がやりたいことって何だったんだろう。結局見つからなかった。そこで親がアドバイスをくれた。

「まだやりたいことが見つかっていないなら、ここに行けばいいんじゃない?」

親が指し示した大学は、入学時に専攻を決めなくてよいという特殊制度もつ大学だった。みなさん名前ぐらいはご存じの都内大学である。幸か不幸か、私にはそこを目指せるだけの能力はあった。

長くなったが、これが地獄の幕開けである

大学という場所

1浪しなんとか2年目で合格して大学1年目。はじめに学んだ格言がある。

大学では勉強サークル恋愛バイトのうち2つしかできない」

勉強は好きではないので、サークルバイトをやるんだろう、恋愛もあるのかななどと入学後の私は胸を躍らせていた。憧れのバンドサークルにも入った。周りは経験者なので食らいつこうと頑張った。大学から帰って仮眠を取り深夜の安いパック料金で明け方までスタジオ個人練、シャワーを浴びて大学へ。その生活をしていたら資金ショートした。親にバイト禁止されていたため練習交流のためのお金が足りず、実力もつかず人脈もできずにフェードアウトした。

 大学の授業はひどく不親切であった。大学レベルも相まって何をやっているのか理解できなかった。高校の時に疑問を持っていた内容が解決されるかと期待していたが、それらは大体1,2回目の講義解決してしまものか、もしくは深くがっつり専攻しないと理解できないようなもののどちらかで、学ぶモチベーションにはつながらなかった。教える側も教科書も「説明してはいる」「書いてはある」という感じで、高校までのようにわかやすくとはいかなかったから、「丁寧に教えてもらえば理解できる」タイプの私では太刀打ちできなかった。つまらないし時間無駄に思えて次第に講義休みがちになった。

 それでも、とりあえず大学を出れば何とかなると思っていた。ここで耐えている自分はきっと報われると思っていた。好きなもの大学で見つかればいいし、そうでなかったら高校までの勉強ができるから教師になればいい。これが1年目の私であった。

崩壊

 初めてショックを受けたのは成人式のことだった。新成人代表として何人かの陽キャ集団が壇上にあがった。式の前後に彼らと会ったがある人はバツが悪そうに私から目をそらし、ある人は肩を組んで話しかけてきた。どちらもいい気はしなかった。彼らはいじめの関係者である。なんで彼らの方が人生謳歌しているんだろうか。その時にふと思った。「結局彼らは世渡りがうまかったんだ」と。くだらない正義なんて捨ててその場で空気を読んで得なほうに回るっていうのが正解で、黙殺していた奴らもそうだったんだ、なんて自分は愚かだったのかと。そう考えてみると社会に明確な悪役はいなくて、したがって明確な正義存在しない。正義道徳立脚した自尊心のなんと脆いことかと思い知らされた。

 そして、もう一つ。親や教師というのもまた所詮人間だとこの年になって気づいた。この中の何人かが数年のうちに教師になって、親になる。はっきり言って話の通じない人だっているが、そんな人も年さえ取ればいつかは親や教師になりうる。だから黙殺した教師も、話の出来ない親もおかしくはない。じゃあ私が優等生してきた、私が正しさの根拠としてきたものは何だったんだろう。優等生であることを数字で示してくれるものは成績くらいしかない。世渡りが下手で運動などの技能も持たず、それでも私が公正世界仮説を信じてこれたのは、案外「勉強ができること」に依存していたのかもしれない。勉強しかできないやつだけど勉強ができるから何とかなる、そんな風に自分無能さを騙して生きていたのかもしれない。

 さらに拠り所の勉学さえ崩れ落ちた。留年が確定したのだ。受験でも足を引っ張った物理がとことん苦手で何も理解できなかった。2年目は学費負担を減らすべくバイトをさせてもらった。サークル活動事実上全部やめ、バイト勉強の日々が始まった。バイト先は学生が割と多かったため、みんなと仲良くなれた半面、繁忙期が重なった。私は試験前はむしろシフトが増加し、結果的に致命的な必修単位だけ落としてしまった。2留である。親に電話して事情説明した。単位くらい取れとストレートに怒られるかと思った。代わってあげる優しさを評価しつつもやりすぎだと注意されるかもとも思った。

あんた人にいいように使われてるだけでしょうが

人にやさしく優等生してきた自分生き方への批判自分が仲良くしている人たちへの非難ダブルパンチで頭に血が上った。怒りで何も言葉が出ずに何秒か無言の後電話を切って、壁を殴った。

数日すると気分が落ち込んできた。親はそれを「単位を落としたから」と解釈したようであるが、全く違う。私は他の人が当たり前のようにサークルバイト恋愛を掛け持ちして進級している中で、バイトしながら進級できなかった。私は当たり前のことすら満足にできない無能であると、薄々感じていた自分無能が隠せなくなってしまったのである

 3年目は再びバイト禁止した。クラスでの試験対策仕事もやり、その科目の勉強をしなければいけない状況を作った。サークルとしては冒頭の彼の紹介で新しいサークルに入った。サークルでできた友人とは本当に仲が良く、勉強を助けてもらったり、サークル関係なしに遊んだ大学での生活の基盤になった。助けてもらえる人も増え、自分学習するようになり、この年の上半期では単位の取得ができた。しかし、私が感じていたことは決してポジティブなことではなかった。私がこの年の経験でわかったことは「お前はやればできるが、環境サポートがあって自分勉強してもちゃんとできるのは2単位」ということである。私は2年で70単位以上取得する想定のカリキュラムを、半年で2単位しか取れない脳みそでやっている。無能すぎてもはや卒業が無理なのではないかと思った。

公正世界仮説評価軸としてきた大人たちへの信頼、自身の実力への評価の3つが音を立てて崩れて、この時私は確かに一度死んでしまった。このことに気づく前の自分に戻れなくなってしまった。中学いじめがらみで「死にたいけど死ぬ勇気もない」って言ったときに「死ぬのなんて勇気って言わねえ」って怒鳴りつけてくれた友人がいた。

・専攻決定

4年目にして2年生。この年は諸々の事情クラスから孤立した。喧嘩別れのようなものである。私としても仲良くする気はなかったので1人でどこまでできるかやってみようと思った。結果は惨敗だった。単位取得こそぎりぎりできたものの私はこの大学では人に寄生しないとやっていけないと気づかされた。

そして、4年前に選択先延ばしにしたツケの返済期限が来ていた。専攻の決定である。結局4年間でやりたいことは見つからなかった。勉強面白くないし、勉強以外の何かを思い切って始める余裕もなかった。教員になろうかとも思ったが、それもかなわないと思った。教職卒業単位には含まれないため、追加でいくつも講義を取る必要がある。通常のカリキュラムすらまともにできない私にそれは無理だろう。ちなみに私と同じく成績の芳しくなかった冒頭の彼は教職を志して単位を取得しに行ったが、弊学では満足に教職まで取り切れなかった。教職を目指した世界線の私もきっとこんなものだろうと思ってしまった。

理系科目はわからなかったので、唯一興味がわいた心理学を専攻しようと思った。しかし、成績が足りなくて進むことが絶望的だった。ここで初めて間違いに気が付いた。この大学システムは何をやりたいか不明瞭な人間を救済するシステムではなく、やりたいことや才能が複数ある人間選択肢を与えるシステムなのだと。私などがこの大学には来てはいけなかったんだと激しく後悔した。

このシステムでは通常、成績が足りなければ次の年に再挑戦することができる。しかし、私は4年目であったがために在学年限が迫っており、この年で専攻を決定しなければならなかった。そのため、当時人気の低かった化学を選んだ。化学は苦手で高校化学すらわからないが「とりあえず大学を出れば何とかなる」のであれば、と苦渋の選択をした。

実験異変

5年目、3年生。1限からの授業と週3回の実験があり、9時-18時のような生活になる。実験には予習とレポートがあるため、実際の拘束時間はこれより長い。何とか4月を乗り切ったところで、レポートを1つ残してしまった。GWに入ってレポートをやらなければと思って毎日机に向かおうとした。いや、向かったこともあった。だが、ペンを持っても何も書けない。そのまま時間が過ぎてごはん時になり席を外してご飯を食べる。そんな日が続いてGWの最終日、床にへたり込んで泣いた。書かなきゃいけないと思いつつも1文字も書けなかった。

 3年生の必修は実験だけだったので、他の単位犠牲にしてでも取ろうと考えた。1時間だけ講義を休んで...その1時間を何も書けずに終えた。これを繰り返してほぼ全ての講義を欠席した。次第にいろいろおかしくなっていった。頭痛もちでもないのに頭が痛みだした。文字が読めなくなり、教科書はおろかネットニュースくらいの簡単文章でも字が滑るようになった。1日にできることがゴミ出しと洗濯くらいになり、起きて寝る以外に食事、入浴、ソシャゲの周回くらいしかしてない生活になった。

 溜まりに溜まったレポート夏休み前に呼び出しを食らったことで、無理やり夏休みを使って消化した。歯を食いしばりながら全部消化したことは覚えているが、歯を食いしばればできたことがなぜここまでできなかったのかこの時は疑問だった。

 4年生になり、大学院へ進学することになったが、大学院の手続き入試勉強、足りなかった単位試験勉強などでタスクが溜まった瞬間、この症状は再発した。友人の勧めを受けて学生相談所に通うことになった。

能力環境

学生相談所のカウンセラーはいい人だった。いろいろお話をして気持ちは和らいだ。専門的なこととしてはWAISの検査を受けた。結果は処理速度だけが異様にへこんでいる格好になった。別に数値は低くないので大丈夫と言われたが、「問題の有無は環境によって決まりませんか?能力の高い人が集まる環境ではそれなりの能力要求されますよね?」という質問には満足のいく回答は得られなかった。

 親にも何度か愚痴を言ったことがある。そのたびに「あなた世間一般には優秀だから大丈夫」と返されるのである。何が大丈夫なんだろうか。”今の環境”が辛いと言っているのに”世間一般”という別の集団を持ち出して何の救いになるんだろうか。これ自体も言ってみたことがあるが「なんでそんなこと言うの」と言わんばかりの困惑した顔をするだけだったのでやめた。別に親以外でも同様のことを言う人はいる。世間一般評価邪魔をして、まともに助けを求めることすらままならない。内部の人間から見て無能で、外部の人間から見て有能な私は、共感を得られる対象がとても限られていて苦しかった。大学ブランドという呪いにかけられて苦しかった。

 やりたいことをやれていればよかったのだろうか。サークル作曲体験させてもらう機会があった。でも続かなかった。結局忙しいとかいろいろ言ってインプットから逃げている自分がいる。クリエイターにはなれなかっただろうなと思った。好きなことも頑張れない自分に「自分が勉学を頑張れなかったのは勉強が嫌いだからじゃない、努力が嫌いなんだ」という事実を突きつけられてまた悲しくなった。あれほどに信じてきた公正世界仮説は「お前が苦しいのはお前が間違ってきたからだ」と自分に牙をむき始めていた。

・進学と私

大学院へ進学することにした私だが、実は私は望んでいなかった。学部時代夜遅くまで研究に勤しむ先輩たちを見ていて「私にこれは無理だ」と実感していたかである研究への熱意はおろか、化学への意欲も知識もないのである。ただでさえ病む人が多く出る大学院という環境にこんな人間が行くのは自殺行為に他ならない。そのため、私は就職を強く希望した。しかし、親にそれを伝えると「今のお前に就職はできない」と言われた。就活を終えた今だから言えるが、これは正しかったように思う。議論は「就職はできないから進学しろ」「院でやっていけないか就職させろ」の平行線で、就職も進学もろくにできない無能をぼこぼこにリンチするだけで生産性はなく、結局「とりあえず進学はするがいつでも辞めてよい」という落としどころになった。

 私は院試に落ちるのが最適解だと思った。学力もないので真面目に受けても受からないだろう。院試を受けたけど落ちましたというのが親にも研究室にも一番角が立たない。しかし、筆記試験が思ったより点数が低かったのか通ってしまった。面接をすっぽかすことも考えたが、会場に研究室の先生方がいるかもしれないことを考えると気が引けた。面接では辞退の意思を伝えるつもりだった。面接官と私だけの秘密である。私は院試を受けて落ちたのだと周りに言えばよい。

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