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はてなキーワード: 法話とは

2023-12-27

anond:20231227085022

一部の新興宗教ならともかく、伝統宗教はそんなに縛ってないでしょ。

縛っていない宗教こそこの国では長い間生き残ってる。

お坊さんだって、わざわざ何度も各家庭に来て説教を垂れて他人様の心を縛ろうとしてはいないじゃん。

精々、葬式法事の場で法話をちょこっとやるだけ。

けれども、かつての日本ではそんなお坊さんの法話にもなにかしらの影響力があった。

その「縛らない力」こそ、宗教という概念本質ではないかと。

2023-08-22

anond:20230822033612

三途の川を渡れるように集まった衆生に引導を渡して回る、これがお渡し会だよ

この会合があることで集いし衆生は無事に成仏できるってわけ

お渡しする側には高度な介錯スキルが求められる上、危険を伴うから、あまり大々的には行われていない

から君が知らないのも無理はないね

ちなみにこの増田三途の川は渡ってるんだけど、100%完全に成仏できたわけじゃないからこうして言霊を残せてるってわけ

具体的には、僕=アイカツという宗派檀家が、松、木、という2名のアイカツ宗派の僧へと向き合って法話による解脱を試みている段階の場面が、この日記に描かれているんだよ

2023-06-25

anond:20230625110947

法話の会のお知らせがくるけど

事情を聞いたら、法話を専門にしている話の面白い僧侶を呼んでるんだって

講演会だな

2023-04-22

新興宗教宗教二世に生まれた話

首題のとおり。

知人になんて話せない悩み、葛藤、苦しみをこの場を借りて吐露させていただきたく。

皆さんご存知大規模新興宗教の創◯じゃない方(統一うんたらでもないしオウム関連でもない)の信者家庭の二世として生まれた。

外見はごくごく普通の家庭。

都市部に30年ローンで戸建てを購入し、両親共働き二人兄弟の、なんともありがちな家族像という感じ。

物心付いた頃から頻繁に“支部”に連れて行かれ、同年代の子どもたちと一緒に、時には“御法話”を聞いたり、時には遊んだりしていた。

教団の映画が公開されたら映画館に数回は連れて行かれた。

(もちろんそれ以外にも、一般的習い事をしたりという、一般的社会的生活も送っている。)

あるとき両親が離婚した。

教団では常日頃から人に優しく、人と仲良く、的なことを教わっていたので、子どもながらに離婚することって信者としてどうなのと思った記憶がある。(ちなみにその後しばらくして教祖離婚した。わけが分からん。)

無論子ども意思など関係なく両親は離れ離れになり、今でこそもう何とも思わないけれども、当時とても悲しかたことは覚えている。

ただ、幸い何不自由なく有名私大奨学金無しで通わせてもらい、誰もが知っている大企業就職することもできた。

両親の離婚はつらかったけど、何不自由ない、寧ろ人並み以上の生活をさせてもらったことにはとても感謝している。

さて、問題はここから

信者、それもいわゆる宗教二世は恐らく特に世間が思ってる以上に、新興宗教というもの世間から受け入れられないものであるということをよく理解しているし、世間から差別にも近い視線に恐怖し、あるいは肩身の狭い思いをしている。(と、思う。稀に堂々と周囲に信仰告白をする人もいるけれども、それはかなり信仰度合の高い一部の人だけだと思っている。)

自分は、自分がこの宗教信者であるということを死ぬまで他の人には話せないし、話すつもりも全くない。

墓場まで持っていく、とはまさにこのことだと思う。

しかし一方で、この宗教の“教え”については、そんなに間違っていないと思うし、自分価値観オリジンとなっていることは認めざるを得ない。

教義としては「愛・知・反省・発展」という4つの要素を常に実践せよということを教え込まれたが、それ自体はまったくもって正しいことだと思うし、そのためか、教団の信者さんたちは皆、優しく、誠実で正直な人ばかりだった。

世間一般的な水準に照らし合わせると、皆がいわゆるいい人だった。

手前味噌ではあるが、自分自身もその要素をある程度は持ち合わせた人間に育ったと思っている。

まり何が言いたいかというと、信仰のことは一生教団以外の人にカミングアウトすることはできないが、一方で教団を悪く思っているかというと、必ずしもそうではない、ということ。

神の存在(それが教祖かどうかはさておき)や輪廻転生は信じているし、誰も見ていなくとも善い行いを重ねることで死後天国に戻れる、ということも信じている。

かといって教団に積極的コミットしたいわけでもないので、社会人になってからは教団とはだいぶ疎遠になっているし、いわゆるお布施も直近数年は全くしていない。

でもこんなだから信者以外の人とは結婚は難しいし(相手方迷惑をかけるのではないかと思ってしまう)、かといって信者とは結婚したくない。

その結果人生恋人を作った経験なし。

この先もできる見込みなどない。

自己責任論を突き詰めた結果、自己肯定感が皆無(寧ろマイナス)で奥手な人間が出来上がってしまった。

人生詰んでいる。

いい大学出ていい企業に勤めても、宗教二世という事実が全てを差し引く。

この先何を糧に生きていけばいいのだろうか。

先行きが見えない。

そんな中、先日教祖様が他界した。

最近教祖様の実子が次々と破門され、しか教祖様は二回り以上も年下の女性再婚してたし、教団も組織としてはきな臭くなってきてしまったので、ここいらが潮時なのだろうか。

(ちなみにYouTuberをやっている長男も、破門前はノリノリで教団の映画とか音楽とかやっていたので、破門後の諸言動もあまり信用していない。)

この先どのように自分人生を全うしていくのか、真剣再考しなければいけない。

願わくば伝統宗教(できれば神道)の宗教二世に生まれたかった。

酔っ払って記した文章につき、とりとめのない記載である旨、ご容赦いただきたく。

マルチ宗教で対抗した話(追記しました)

Twitterに書こうとしたら字数制限でめちゃくちゃ嘘っぽい文章になったので、こちらにお邪魔することにした(場所を変えたところで書き手は変わらないのだから、まともな文章になるかは微妙だが)。

最早n番煎じだが、知人からマルチ勧誘を受けた話である

書き手31歳の独身女性

大阪の街の中にはバス電車で1時間ちょっとの、中途半端田舎生活中。

うつ病発症以来、趣味ほとんど楽しめなくなったが、それまでは生活費以外のお金ほとんど趣味に使ってしまタイプオタクだった。

2023年4月13日大学同期生(以下A子)からLINEメッセージが届いた。近々お茶でもどうだという、遊びのお誘いだった。

4年制の私大(女子校)を卒業したのが2014年3月。確か入学時が1学年1学科100名程度だったので、一般的私大よりは学生数は少なめだったのではないかと思う。

A子は学科こそ同じだったが学籍番号(名前順)が離れていたので、座席や授業グループといった講義での接点は少なめ。ただ、私もA子も生息する沼は違うが推しグッズを持ち歩くタイプオタクだったので、講義で顔を合わせた時には軽く会話するようになり、校内の食堂で昼休みを一緒に過ごしたこともあったと思う。

その程度の関係性だったので、卒業後は「また会おう」なんて言いながら、一度も連絡を取り合ったことはなかった。

TwitterFacebookInstagramといったSNSでは繋がっていなかったので、卒業後の進路や近況は一切知らなかった。LINEだけは交換していたようだが、それまでにメッセージをやり取りした履歴は残っていなかった。昨年末頃に連絡していない人をLINEの友だち一覧や電話アプリから削除した際、トーク履歴も削除していたためだ。

そんな相手から9年以上ぶりに連絡がきた私は、浮かれていた。

幼少期から交友関係は狭めで、誰かと遊びたい時は自分から(かなりの葛藤の後にそれ以上の勇気を持って)誘わなければならなかった。学生時代、誘われるのはプレミアがつくくらい超レアだった。

なので、卒業から時間が経ってるのに私の存在を覚えていてくれたのね、と脳がしあわせを感じていたのである

冷静に考えればこの時点で9割なにかあると怪しむべきなのだが、私は舞い上がっていた。直近で都合がつく日を伝え、何も疑っていなかった。疑うという感覚すら持っていなかったと思う。

4月14日、私は祖母の付き添いで地元理容室にいた。店内には壁掛けのテレビが設置されており、昼のワイドショーが流れていた。店主や祖母との会話が途切れた時、ちょうどワイドショーテーマが変わった。

「○○社(マルチの社名)は明日15日、6ヶ月の行政処分期間が明け、新規会員獲得ができるようになる」といった内容で、言葉巧みな勧誘押し売りに注意を促す報道だった。

その社名は聞き覚えがあった。

20歳になったばかりの頃だ。幼稚園の時から知っている、最終的には高校同級生だった子(以下B子)が、誕生日のお祝いをしたいからと大阪カフェに呼んでくれた。

喜んで行ってみると、サプリメント等の健康食品化粧品を購入しないかという、勧誘活動だった。

カフェのお手洗いで戻すくらいショックだった。そういう会社があり、会員が多くいるのは、インターネット経由で知っていた。でもそれは外の世界の話で、自分がそういう目に遭うとは考えていなかった。それが幼稚園の時からしかったB子からなんて、想像もしていなかった。

挨拶もそこそこに飲食代を置いて逃げ帰り、B子と関わった全てのSNSブロックし、着信もメール拒否し、疎遠になった。

高校同窓会を断り続け、グループLINEにも入らないのは、この一件の衝撃が大きすぎたからだ。B子にとって私はカモだったのか、それとも純粋善意だったのか、今となっては知る由もない。善意だったとして、救いだったのはB子が一人で来てくれたことくらいだ。彼らの常套手段である囲い込みを最初からされていたら、上手く逃げられたかからない。

※ちなみにこれらを思い出した後、B子がどうなっているのか、怖いもの見たさでSNSを覗いてみた。旦那さんと子供がいる幸せいっぱいな母親像と共に、チャクラを開眼した精神世界住民になっていたので、そっ閉じした。

しばらく連絡のなかった相手から、突然会いたい等の連絡があった時は、身を守るためにまず疑いましょう。と、特集は締めくくられた。ニュースキャスターは次の話題に移る。

どこかで聞いたような話である

A子からもらった連絡を読み直した。「久しぶりだね、元気だった?コロナに負けない、健康にいいものがあるの。よかったら近いうちに会えない?」近況語りを省いて要約するとこんな感じだった。もっと早く気付けよ私。でももう会うと言ってしまったしな…、それに万が一A子がシロだったら申し訳ない。と、この期に及んでまだそんな淡い期待を抱いてしまっていた。

だが、少し冷静さを取り戻した私は、保険を用意することにした。探すのに手間取ったが見つけ出し、明日カバンに忍ばせた。

4月15日。朝から夕方にかけては別件で動いていた。大阪まで往復1000円以上出しているので、用事はなるべく一度に済ませたいのだ。哀ちゃんはあまりに可愛く、ミリオタには組織の懐事情が恐ろしかった。気づいたらパンフレットを購入していた。

そして待ち合わせの時間

やってきたA子は、仕事帰りだからパンツスーツだったので、別人のように感じられた。記憶の中の彼女は、当時の大学生が好んでいた「森ガール」の姿だったからだ。

挨拶を軽く交わし、場所百貨店内の喫茶店に移す。大学時代の、講義で印象に残った話や友人関係なんかを話してくれたが、私の記憶うつ病を機にぶっ壊れていたので、曖昧な返事しかできなかった。20〜30分ほど話して、A子はお手洗いに立つ。本当にただ会いたがってくれただけだったらしい、なんて油断が生まれかけたが、本題はA子が戻ってからだった。

会話が私の話題になる。自分のことを開示するのは気が引けた。慎重に言葉を選び、私のSNSフォロワーなら知っている内容を話した。

A子は私の「うつ病」というワードだけを拾い、苦労しているねと言った(そういう話ではなく、周りに支えられていると話していたのだが)。

そして始まる。予習していた通りの、営業トーク。このサプリメントを飲んでいたかコロナに罹らなかった、この化粧品細胞から健康になった等々「怪しい」が笑顔パレードしている。時折、私の身に起きた事象を織り交ぜながら、巧みに購買欲を刺激することも忘れずに(この頃私は呆れを通り越して飽きていたので、映画感想を思い出したりしていた。哀ちゃん可愛い)。

極めつけはブラウスの袖ボタンを外して見せてくれた、パワーストーンの珠数ブレスレットだ。これを身に付けてから会社での評価は鰻登りで、恋愛も上手くいき結婚秒読みその他諸々。あの日B子と重なる。同じだった。キラキラした純粋笑顔は、こんな欲にまみれた営業トークと共に見たいものではないのだ。話が一区切りした時、私はにっこりと微笑みながら、カバンポケットから保険」を取り出した。そして「保険」をそっとA子側に差し出す。

成功してよかったね、本当に嬉しいよ。いかなる時も、神は見ておられます。」

噛まずに言えたことを褒めたいと思った。

保険とは、名刺サイズカードである。なんとなく捨てづらくてとっておいた、以前某宗教宣教師さん(という肩書きでいいのだろうか?詳しいことはわからない)からもらった、コンタクトカードという名称のものだ。表面には「人生の疑問の答えは何処にありますか」という問い。裏面にはこの宗教法人のホームページQRコードと、手書き宣教師のものと思しき電話番号が書かれている。

A子は私とカードを見比べては、しまったと言わんばかりの顔をしている。掛かった。

「私が現在、病により仕事が思うようにできなくなっているのは、神が試練をお与えになったからです。私には乗り越えられると、神は言っておられるのです。」

「私には幸い、よき隣人がおります。神が与えてくださったよき出会い感謝し、彼らと共に歩むのです。」

「A子、あなたも私のよき隣人に違いないのです。何故ならばあなたは私が試練に耐えているこの時にやってきて、私の身の上を聞いてくださいました。理解を示し、体に良いものを勧めてくれました。あなたは本当に善人なのです。さあ、共に祈りを捧げましょう。A子と共に安息の地へ行ける日を楽しみにしていますよ。」

大体こんな内容のことを言った。もう少し長かったかもしれない。興が乗り、舌もよく回ったので、思い返せば支離滅裂古今東西宗派が入り乱れた最悪な内容だったが、A子は瞬く間に青ざめた。顔色が悪くなるって、彼女のことを言うんだろうなと納得できるくらいに。

ダメ押しで家のポストに入っていた某宗教勧誘チラシも渡しておいた。勉強会に来ませんか的なやつだ。一刻も早く離れたかったのだろう、A子は自分お茶代を出すと、明日用事があるからと言って、逃げるように帰っていった。多分チラシのことを言っていたんだと思う(読んでないから中身は知らなかった)。

まとめ

9年ぶりに連絡を寄越してきた元学友は、やっぱりマルチ勧誘だった。ここまで読んでくださった方は察してくれていると思うが、私は宗教に関して言えば不勉強である信仰心は全くないことはないけど、私は(だいぶ落ち着いたとはいえ)血の一滴までオタクなので、そんなことに金を使う余裕があったら、推しに貢ぎたいのである

そんな私の推し(FBIの腕利きスナイパー)も活躍する「名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)」をぜひ劇場で観てください。

私は元学友がマルチかシロか考えなくていい状況でもう一回観たいと思います

追記

コメントいただきありがとうございました!

「見ておられます」ってコメントに、自分発言したのに「怖っ」って口から出ていました。

宗教観に関してですが、付き合いのある親族が多かったため、その分永遠のお別れもありました。その都度(関わったのは全て仏式だったので)読経があり、法話があり、最後のお別れがあり、お棺が閉じられ焼かれ、故人が骨壷に収まり、その先も月命日だなんだと法要がたくさんあり、墓への納骨を終えて、ようやく一区切り、という流れを子供の頃から何度となく見てきました(親戚付き合いの良し悪しの話ではなく、個人として貴重な経験を積ませてもらったと思っています)。この流れを何度か見ていると、幼いながらも生きること死ぬことに対する価値観形成されてきました。葬儀、祭儀は生きている人のためにあるのだと感じるようになりました。その後、宗教とは生きている人が生きていくために縋ることがあってもよいのだろうと考えていくようになります法話により心が軽くなった喪主を見てきたからです。救いを求める方向は人それぞれなのだろうと感じました(今問題視されている宗教の事案を軽視しているわけではありません)。

何が言いたいかと申しますと、私は宗教に大して明るくもなければ知識もないのに、神を騙り軽々しく利用した点に関して、時間がたった今猛省しております。ご不快に思われる方も少なくないと思います。真っ向から買わない付き合わないとB子宣言した際、しばらく執着されていたので、この時はこれしか逃れる方法を思いつけなかったのです。

もし本当に神様がいらっしゃるなら、アホな方法を取ることしかできなかった愚かな人間を笑い飛ばしてくれるような存在であってほしいと願うばかりです。

最後になりましたが、この話はマルチへの賢い対策法ではありません。マルチはすぐそこにいたよ、というだけの話です。賢い対策法は会わない、これに尽きます。誉めてくださったコメント、嬉しかったです。ありがとうございました。映画スピッツもすごく合ってたので観てください(笑)

2023-03-03

大川隆法と、冷めた2世会員の私。

唐突だった。会から離れていても、人生に大きな影響を及ぼした人が亡くなったという事実は、衝撃がそこそこあった。

と同時に、これからは多分、自分幸福の科学についての話は、本当に「過去の話」になる気がした。

語れなくなる前に、幸福の科学が影響する自分人生を整理しておこうと思う。

あなたは誰

- 幸福の科学2世会員

- 1990年代まれ20代男性

- 幸福の科学運営する塾や学校に通っていて、学生時代はそこそこ熱心な信者だったが、社会人になってからはゆるゆると遠ざかり、今は特に活動勉強などしていない。「わざわざ脱会までしなくていいかなー」と思って特に脱会はしていない。

私と幸福の科学/大川隆法関係

まれ環境

- 両親が幸福の科学信者で、特に母が熱心な信者だった。

- しかし父は自分が小さい頃に脱会している。

- でも幸福の科学ではないスピリチュアルもの関係がある様子で、その辺りは昔も今も聞きたくないか適当にあしらっている。

~中学生
物心ついた時から生活幸福の科学であふれていた

- 家に幸福の科学の本がたくさん置いてあったので、なんだかたまに読んでいた記憶。置いてあったら単純に興味が出る

- 神棚(幸福の科学では「ご本尊」と言う)も家に飾ってあって、たまにお祈りしてた

地域支部にも母親とよく言っていて、よく「御法話(大川隆法の説法のこと)」を聞いていた。独自システムで全国生中継をよくやっていた

たまーに母親活動についていって、街頭演説とか、パンフレットの配布を手伝っていた記憶

「外で伝道活動するの偉い!積極的にやっていこう!」って教えられる。特に子ども活動していると、会の中では「超優秀な素晴らしい子!」として扱われる

褒められちゃうなら、子どもは頑張っちゃうよね。

大きめの講演会もちょくちょく行ってた。

小学校後半から幸福の科学運営する塾「 サクセスNo.1」に通っていた。

- 今調べて初めて知ったんだけど、サイトあるんだね

- https://success-no1.happy-science.jp/

毎日祈りするのがいいんだよ」と言われていても、めんどくさくて半年に1回くらいしかやらなかった

- そもそも親と一緒に何かするのが恥ずかしい、みたいなとこもあったな。

- みなさんも「親と一緒に家でお祈りするの恥ずかしい!」って思ったことありませんか?

子どもながらに一般社会との違いを感じながら生きていた

- 自分の家庭や前述した塾では幸福の科学の教えを前提にした会話が繰り広げられる。

- 「守護霊が〜」「過去世が〜」「 最近の教えで総裁先生(信者の間では大川隆法のことを「総裁先生」と言うことが多かった)はこんなことを言っていて〜」とかとか。

- ただ、そうやって普通に会話することが周りの子には通じないし、そんなこと言ったら変な目で見られてしまいそうなので、「幸福の科学用語」が表に出ないように気をつけて生活していた

~高校生
幸福の科学運営する高校に通った。通ったというか全寮制なので、3年間生活していた感じ。

- サイトはこれ

- https://happy-science.ac.jp/

割と真面目だし、色々やっていたので、「信仰心が高い生徒」だったと思う。

- 学級委員とか、部活部長とか、生徒会役員とか・・・

- その辺りの役回りをこなすと、自然大勢の前で「幸福の科学の教えを広げるために、自分達に何ができるか?」「信仰心大事だ!(バーン)」といったように、他の生徒を鼓舞して、信仰心高まるような演説をする機会が非常に多かった。

- 当時はそれが素晴らしいことだと思ってたんだ。

同級生とか

- 母親けが熱心な信者で、父親の反対を振り切って入学しました!って子、自分は行きたくなかったけど両親に強引に入学させられちゃった・・・って子とか、色々いた

- 幸福の科学に対する対する考えは人それぞれ。大人になった今でも熱心に信者やってるは、3割くらいじゃないか・・・?って感じ。

- ただそういった会との関係を抜きにして、自分にとっては「青春を過ごした同級生」なわけで、たまに会ったり、飲んだりする人が結構いる。

毎日祈り時間があった。それはもうたくさんあった。

- 朝起きてから寮でお祈り

- 学校が始まるモーニングルーム最初にお祈り

- 学校が終わってホームルーム最後にお祈り

- 部活夜ご飯時間が終わったら大講堂に集まって夜の祈り。これがちゃんとするやつで、たまにフォーマットは変わっていたのだけど、御法話聴くタイム10分+お祈り20分、みたいな感じだった

- 寝ちゃう人たくさんいて、生徒会などでは結構問題になって有志で色々話し合ったり対策を考えていた記憶・・・

寮生活普通にしかった。就寝時間過ぎても友達夜遅くまで話したり、職員の目を盗んで窓から抜け出したりしてました。ド田舎にあったんで、星が綺麗だったなあ・・・

- ド田舎の寮で最寄のコンビニまでも30分かかるくらいだったので、生徒の間ではこの環境のことを「那須リズン」と呼んでましたw

学校先生は皆、熱心な信者だった。いい先生が多くて、好きな先生も多かった。

- たまに、「実は名前だけ会員になってただけで、幸福の科学の本とか全然読んでなんだよね〜w」って先生もいたな

自分高校に通う頃から幸福の科学映画作成の頻度が高くなっていたが、アニメとか映画をよく見る人たちの間で「この映画クオリティ低すぎるだろ・・・。これを良いと言っちゃうおかしいんじゃないの・・・。」って会話をしばしばしてた。

- 自分映画アンチで、「つまらないストーリーが全てを台無しにしている」「最後はどうせ信仰心で何もかもうまくいくだけの薄い映画」などなど、猛烈に批判していたが、「映画面白くないのは信仰心たりないから」って感じであしらられていた記憶

- しかも同じ人が何回も見に行ってるからな。まじで何やってんだ本当に。今でもそうだよな。作品クオリティに真面目に向き合っていあたら、10年やってれば普通に面白映画作れる可能性あったんじゃないのかな。

- 映画に限らず、会の流れにそぐわない意見は良くないものとする雰囲気がただよっていた。これは幸福の科学全体に言えることで、熱心な信者ほどそんな意見を持っている人が多かった。

- 自分映画がクソすぎたのが、幸福の科学の考えに違和感を持つ原点だったのかな。今思うと。

受験勉強はみんな、「総裁先生のために!」と言って頑張ってました。私も頑張りました。

- ただ、「総裁先生のために」と言ってとりあえず頑張っていれば結果関係なく褒められる、みたいな空気があったのもわりと嫌だったな。

大学生社会人(今)
大学地元に戻り、実家から通っていた。

大学生活は普通にやったし、バイトもしていた。その面は普通。ただそれ以外の時間幸福の科学活動を頑張ってた感じ。忙しい大学生だった。

幸福の科学学園を卒業した子は「アデプト(信仰心に目覚めた新人類)の卵」ともてはやされ、大学生所属して活動する学生部での活躍を期待されていた

- ただ卒業生の半分くらいは、大学に行った時点でゆるゆると会から離れていき、学生部にも顔を出さなくなってた

- 自分学生部にわりと頻繁に行ってて、学生部長とかもやったし、合宿も割と行ってた。運営ちょっとした。

- 知り合いのうち何人かを、総裁先生(大川隆法)の講演会に誘って一緒に行ったりした。

- 1人くらいは会員にもなった。その人はもしかしたら、今でも熱心に活動してるかもしれない。

- その人の人生にめちゃくちゃ大きな影響を及ぼしちゃったと考えると、なんとも言えない気持ちになります・・・

でも学生部活動を続けるにつれて、「社会的に苦しいことがあっても信仰とることが大事!」「まずは幸福の科学活動第一!」みたいな雰囲気が肌に合わなくなっていった。

- 口には出さなかったが、偉い人の話を聞きながら冷静に「いや、そうはならんやろ。」ってツッコミを心の中で言ってたこともある

- 理想信仰だけを語り、現実を見ない会員の姿を見れば見るほど、なんだか嫌になっていたんだ。

- だから大学3年生くらいの時から自分おかしいと思うことは断固活動拒否していた。そうなってくると学生部長をやるのが苦しかったので、割と早めにその役を降りた。

- その地区担当していた職員さんから、「本当に後悔しないんだね?」と何度も聞かれたが、「後悔しません!」と何度も答えてやっと役を降りれた記憶

- その人も悪気はなさそうで、単純に純粋な"信仰心"で何度も引き止めてくれていたと思う。

社会人上京して1人暮らしを始めた、社会人1,2年目は家の近くにたまたま幸福の科学施設があったので、たまに通っていた。

- 通っても本を読んだり、瞑想したりするくらいだった。社会人になってからは「研修(総裁先生の説法をもとに作られた、教えについて深く学んで悟りを追求するためのプログラムみたいなやつ)」も受けてないし、合宿にも行ってないかな。

- 一瞬、若者が集まる青年部に顔を出したりしたけど、2,3回参加して肌にあわず行かなくなった。

- なんかやはり、一般社会との考えとか違いすぎて・・・あんまり頭良くなくても、とりあえず信仰心高い行動している人の声が大きなり、現実と向き合わないような雰囲気があったね・・・

社会人になっても親から映画見て!」とか、「本読んで!」とかLINE来たりするので、まあ人付き合い程度に映画見に行ったり、本を読むなどしていた。

- でも映画はやっぱり、いつまでたってもクソなので数年前から全く見に行ってない。

- クソな映画なのに、「動員数ランキングに入るために頑張りましょう!」と言って同じ人が何回も観に行ってるのも嫌い

- 「ランキングに入るために頑張りましょう!」と言って映画評価サイトに星5つけまくる活動も嫌い

- 作品真摯に向き合ってくれ!

本は年に1回パラパラ読むくらい。幸福の科学は年に1回「法シリーズ」と呼ばれる書籍が出てくるので、それを年初にパラパラと読んだのが最後かな。感想としては、「なんかずっと同じようなこと言ってるなあ。」って感じ。

- 2023年の法シリーズは、地獄の法!Amazonでも買えるぞ!興味があったら買ってみてくれよな👊

- https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2888

新型コロナ流行たことで、自分幸福の科学離れが加速した

- ワクチンに対するスタンスが、ネット陰謀論レベルなっちゃってるんだよね

- ワクチン打つとDNAが書き変わる!とか、ワクチン病気になりやすくなる!とか・・・

- 自分ちょっと調べた感じ、総裁先生は「信仰の力があれば大丈夫」とか、「新しく開発されたワクチンなので長い目で見た効果心配ですね」くらいのことしか言ってなかったと思うのだが、それが会員の思考レベルになるとなぜかワクチン陰謀論になってしまっていて。

- 幸福実現党(幸福の科学が立ち上げた政党)も、なんか陰謀論っぽいこと言ってたりして。

- 幸福の科学職員が、ワクチン陰謀論に関して本書いてる人と対談するイベントもあったりした記憶

- 「こりゃあ、おしまいだあ🙌」と思った。もうなんか、熱心な会員さんほど普通に社会を生きるレベル常識麻痺させなくちゃいけないんだなーと。「大川隆法から離れたい」というより、「幸福の科学という組織から離れたい」と思ったんだ。

ただ、幸福の科学大川隆法全否定ちゃうと、自分人生経験をことごとく否定することになっちゃう。

自分と同じような2世会員はそんな葛藤を持って生きている人が多そうなのだけど、自分はわりと、自分人生幸福の科学/大川隆法に関する整理が冷静にできており、うまく生きてるなーって思うのでそのことを書こうと思ったのだけれど・・・

自分過去をまとめていたら案外長くて、

「今、幸福の科学に対してどう思っているのか」とか、

大川隆法総裁先生)が亡くなって感じていること」を書きたかったのに時間がなくなってしまった・・・

ちょっと時間できたらそのことも書こうと思います。🫡

長文乱文失礼🙏

2022-09-04

怠惰無気力無能人間でも色々なんとかなる仕組み

自分のようなクズでも有効活用できる仕組みがあれば良いのにと思う

個人情熱とか能力とか運とか環境かに依存していては世のためにならない

クズクズなりに歯車として活用し、用途や伸びしろがあるヤツに対してはそれを引き出す機会を強制的に与える仕組みが要るのだ

いや、もうあるか。それを突き詰めたもの宗教であり教義なのか・・・

俺に必要なのは信仰かもしれない。

でもカルトにハマるのは嫌なので、月額300円のサブスク感覚で加入できる宗教いかな。法話とかミサとかはオンラインだ。

まぁ俺が知らんだけで、すでにあるのだろうな。

なんてことボーっと考えていた。

2022-08-21

AV法話題にすればつぶせると思ってるのかもしれん。

けど、話題になればテレビでの話題になるし、AV出演強制者救済団体が元出演者たちのコメントテレビ匿名で大量に出すようになってくると思うぞ。ホントお涙頂戴物のひどい手口を。

アイツラを敵にして叩けば解決だ!としたいのかもしれんがその敵は強い武器持ってるで。

もっと事態悪化させたいのか?と思う。

2022-08-18

anond:20220818102247

>>そもそも優秀な人なら少し教えただけでイイ線行くのがプログラミングである

これはほんとそう。障害説明してたら説明の途中で9割理解して、

こちらが対処法話す前に対処法分かって、「こういうことですね」と言い出した時はびっくりした

2021-06-24

anond:20210624161656

数百年は昔の話に、

蓮生は、九条兼実邸へ行く法然に自ら押しかけて従い、邸宅の外で法然を待っていた。邸宅から法然法話の声がきこえた。それを聞いて大声で「あはれ穢土ほどに口おしき所あらじ。 極楽にはかゝる差別はあるまじきものを、談義 の御こゑもきこえばこそ」と言ったため、兼実が蓮生を邸宅内へ招くと、挨拶もせずに邸内へ入り、法話を聞いた。

だとか。昔からそんなもの

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%B0%B7%E7%9B%B4%E5%AE%9F#%E4%BA%BA%E7%89%A9%E3%83%BB%E9%80%B8%E8%A9%B1

2021-06-23

anond:20210623161228

核ミサイル法話攻撃を受けようが東京は滅びぬ

田舎者はどんな東京であれ否かよりはずっと上だと思ってるから

2021-01-25

浄土真宗僧侶増田さんちょっと聞いて

十数年前に父方の祖母が亡くなったのね、99歳の大往生

祖母は夫を早くに亡くして戦後空襲の焼け跡に縄張ってバラック建てて子供を5人育てたような人。

私の母にはクソ姑だったらしいけどそれはご愛嬌

それはそれは信心深くて、離れて暮らしてる私達が訪ねて行っても法話会だ報恩講だって出かけてしまってたり。

やっぱり娑婆人間からすると身内の使ったお金は気になるもんで、御布施結構してたんじゃないかな。バラック跡に建てた小さい小さい家で何の贅沢もせず、シワシワのくちゃくちゃになって最後病院で看取られて亡くなった。

でね、私は新幹線距離にいたんだけど祖母葬式って事で駆け付けたのよ。やっぱりかそろそろだと思ってたってのと、もう一回くらいは会えるつもりでいたのになってのと半々。

どうしても気持ちが収まらなくて、通夜の夜に写経をしたのね。般若心経初音ミクとかでブームになる前だったかな、でもこっちはそれなりにハマってたのよ。封筒に入れて、葬儀の前に導師の方と喪主の父が話す時に同席して、棺に添えて入れていいかって聞いたらさ。ダメだって

なんかねーやるせなかった、祖母の影響も多少あって私なりに仏道とか色々と考えた上での般若心経であり、ひとつの見送るけじめだったんだけど。

結局封筒葬儀会館のゴミ箱に捨てた。

黙って入れて宗教的に何かダメだったら祖母信仰にミソがついたみたいで嫌だからさ。

でも遺族としての私の気持ちと、宗派排他性と、導師の方の事務的な問答と、信心深かった祖母預金は残り十数万円だったことと。

どうしたらよかったんだろう?

そろそろ祖母の供養も節目の年になるけど、モヤモヤしちゃってお寺さんにご挨拶に伺うのもしんどい

2021-01-20

anond:20210116173104

浄土真宗僧侶増田です。こんばんは。

こちらの記事拝読しておりました。なかなかお一人お一人の思いにすべて反応できず、余計なご心労をお掛けしてしまたこと、お詫びいたします。


あなたがお怒りになるだけの経緯はよくよく伝わってきました。自分の思い・はからいによって得ようとした結果が、期待していたものとはまったく違ったことを嘆かれている訳ですね。裏切られたような怒り、蔑ろにされたような悲しみが、少なからず私にも感じ取れました。


あなたの仰った通り、その寺院が以前は対応していたはずのところを取り止めた、ということであるならば、御朱印を求めて参拝した方に対する態度・応対というものは、もっと丁寧で親身であるべきだろうと私も考えます。むしろ私ならそうします。どのような形であれ、寺院に足を運ばれた方との貴重な仏縁なのですから。たとえ自宗の教義信仰方針と違ったとしても、お相手の労苦をねぎらいつつ、また同時に、自身立場をはっきりと分かりやすくお伝えする義務があると思います

ですから寺院の応対の不誠実さという点については、おこがましいこととは承知の上ですが、私が当宗門代表してお詫び申し上げます。せっかく遠いところから時間と体力を割いて足をお運びになったにもかかわらず、ご期待に添えることができなかったばかりか、宗門のものに対する疑念と憤りを抱かせてしまたことを、大変残念に思います





そして、御朱印の記帳を浄土真宗が行わない理由についてですが、私どもの立場をはっきりと申し上げますと、

御朱印を集めても、それが救いにはならない

と信じているためです。



真宗門徒は、お念仏ひとつでお浄土に往生する道を“聞き”ひらく教えです。つまりそこには、お念仏のみ教えを“聞く”という過程が求められます。“聴く”ではなく“聞く”ですから受け身です。「(俺が私が)聴いてやる」とか、「それなら聴いてもいい」とか、そういう思いでは成り立ちません。仏から相手から、聞こえてくる、聞かせていただく。このような心をまずお育てにならなければ始まりません。




かつて、浄土真宗のご門徒に、布教師講師の話を一生懸命ノートに書き写す方がいました。その方はいつでも聞法ノートを携え、全国各地の法話講義に赴いていました。その熱心さには誰もが驚くほどで、どれだけ遠かろうと時間がかかろうと、その方はとにかく聞法を続けていました。

ある時、宗門では有名な講師講義をした際、その方は講師の元に駆け寄り、ご自分ノート講師に見せました。「私はこれだけのことを学んできました、そんな私のノートに、何か一言お願いします」とその方は講師に頼みました。

なるほどとうなずいた講師が、ペンを取り書いた言葉は、

味占めて 地獄行き

という強烈な一言でした。

はいつの間にか、教えを“聴く”心になっていたのです。いただいた教えよりも、「これだけ教えを“聴”いてきた自分がえらい」と勘違いしていたのです。努力している自分・熱心な自分という姿に陶酔し、肝心要のことがまるで人生と心に響いていなかった。そういう態度を戒められるための一言でした。




御朱印を集めることによろこびや達成感を抱かれる方が多いのは私どももよく理解しています。それが思わぬ形で仏縁をもたらすことがあるのもよく理解しています

からこそ、かつて御朱印を取り入れた過去があるのも、そうした世俗の方々との接点を得ようとした苦肉の策だったのだろうと推察します。そして、そうした在り方が、自分自分たちの教義信仰を貶め歪めさせるのだという過ちに気が付いて、取り止めたのでしょう。

私自身はこの件について、これまでもこれからもあってはならないことだと考えております。どれだけ世間から非難を浴びても、一貫した姿勢を貫くべきだと思います。ですからあなたの訴えには宗門全体が耳を傾けるべき意味があると感じております



そして、あなたの怒りや疑念を受けてもなお、私(と浄土真宗)は御朱印がもたらす作用にうなずくことはできません。

それが何故なのかは、私があれこれと何でも押し付けるよりも、あなた自身の胸に問い掛けていただくことが、何よりも近道だと思われます



あなたにとって御朱印を集めるということは、どういう意味を持ちますか?

あなた御朱印を集めると、あなた人生はどう変わりますか?

あなた御朱印を与えてくれなかった寺院宗派に対して怒りと憎しみを抱いたことで、あなたの心は晴れましたか

あなたが生きる現在、そしていのち尽きてゆく未来に、御朱印はどう影響しますか?




今後ご返信いただく必要はありませんので、私の言葉をご自分の中で“聞”いていただきたく思いますあなたのお声を確かに受け止めたことに免じて、あなたもまた、私の声を受け止めていただければ、私はとてもうれしいです。




最後になりましたが、一つご紹介します。

私たち開祖親鸞さまは、「念仏以外に救われる方法があるのではないか」ということを問いただそうとして遠方から駆け付けた方々に、こう仰せになりました。

おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしまてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。




合掌

2021-01-16

続・浄土真宗僧侶です

今一度、お付き合いいただければと思います

まずは、今回の私の投稿をお読みいただき、重ね重ねありがとうございました。まさかここまでの反響をいただくとは夢にも思わずブックマークが1000を超えた辺りから身体が震え出し、喉はからから渇き、手の痺れが止まらない体たらくで、よくも悪くも注目を集めることの重圧を初めて味わいました。お恥ずかしい限りの有り様です。

きっかけをくれた(元)増田にもありがとう

「この説法を読んだみんな (元)増田のお祖父さんのリモート葬儀に参列したようなものだ」

「(元)増田さんが勇気を出して書かなければ現れなかったご縁」

コメントしてくださった方がおられましたが、正にその通りだと思います

祖父様の生前のご希望・ご親族わだかまり元増田さんの苦慮と懊悩・私が僧侶として学び感じてきたこと……様々な縁が積み重なって因となり、この果をもたらしました。

一連の記事を読まれた方はみな、会ったことも見たこともない元増田さんのお祖父様の死を受け止め、素性も分からぬ私の法話に心を傾けてくださり、それぞれがご自分の「今」、ご自分の「これまで」と向き合った。そのような瞬間に立ち会えたこともそうですが、私がそのささやかなお手伝いができたのだとするならば、返す返すもったいないことであります

たとえ学んだ経験を持たずとも、皆様は真宗の心をよくよくご承知なのだと、喜ばしく思いました。


しかし同時に、私が一方的にご親族非難するような語り口になったことで、一部の方にご不快な思いを抱かせてしまい、本当に申し訳ありません。

元増田さんの痛みが少しでも和らげばと思い、思い悩む側に立ってお伝えしたつもりでしたが、その主張に至る論拠も背景も提示せぬまま、語調への配慮もなく投稿してしまった浅はかさ。ひいては、浄土真宗教義宗旨のものに対する誤った印象を広めかねない軽率さを、深く悔いております

身口意の三業(しんくいのさんごう:苦しみを生み出す元ともなる、身体言葉と心の在り方)を正さなければならないのは私こそだと、改めて皆様からお教えいただきました。


今回の投稿を機に、様々な声をお寄せいただきました。その中からいくつか、私が個人的にお伝えしたい、或いはどうしてもお答えしなければならないと感じた点について、一つ一つ書き綴っていきたいと考えました。

ところが、お答えしたいと感じたコメントも、それに対してお伝えしたいと考えているお話も、あまりに膨大な量になってきてしまったため、今ここでそのすべてを書き記すことはできません。

そこで、ある方からコメントでご希望をいただいたこともあって、note等の他媒体で一つずつ回答を掲載してゆく形を取れないか検討しております。今しばらくお時間とご猶予いただければ幸いです。

また、すでに書き終えた箇所については、以下に記しますので、暇つぶしがてらご一読いただきたく思います


お同行(どうぎょう:人生をよりよく生きたいと願い、共に歩む仲間たち)の皆様に、何か少しでも響けばと願って。

合掌


「本当に坊さんなのか」と仰った方に

釈迦さまがご存命の頃、覚者として名高いお釈迦さまの噂を耳にしていた方が、お釈迦さまの姿を見掛けるなり、突然敬いの態度を取られたそうです。その方に対してお釈迦さまは、

「この腐ってゆくだけの身体を見たからといって何になるでしょうか。“法”を見る者が私の姿を見るのです」

と仰せになりました。

釈迦さまという人間(物質)そのものは何も尊くなく、その姿をただ拝んだところで意味はない。仏を本当に敬う心というのは、仏からもたらされた法 (= 真実悟り・気付きへと至る教え) を深く信ぜられる心があって、初めて沸き起こるのだということです。

100人いれば100通りのもの見方が生まれます。なぜなら私たちはみな一様に、自分の都合のいいように物事ねじ曲げて捉える色眼鏡、「邪見(じゃけん)」の持ち主だからです。

信じる方もいれば、信じない方もおられるでしょう。私自身は信じられなくとも、一向に構いません。後はあなたのお好きなように受け取ってください。

信じてくださった方には、

「すなわち我が親友(しんぬ)ぞ」

とお伝えしたく思います


「彼に一時期話題になったAmazonお坊さん便についてや、オンラインお坊さん、などについても聞いてみたい」と仰った方に

法務が忙しく、自坊で取り入れることは現状難しいですが、私は賛成派です。

どんな形であっても、そこで出遇うのは人と人です。これまで仏縁をいただくはずもなかった方のお宅を訪ね、仏事作法・死生にまつわるお悩みに、私どもの信ずる教えをお伝えできる機会を賜われるとしたら、ありがたいことです。

中国善導大師も、

「もし行を学ばんと欲(おも)わば、必ず有縁(うえん)の法に藉(よ)れ」

という言葉を遺しておられます理想的はいかないまでも、それぞれに合った形で、仏法平等に一切に施されるべきなのです。


「襟を正すとは言わないのね。襟ないし」と仰った方に

これは浄土真宗の三大経典ひとつ、大無量寿経において、お釈迦さまが弟子阿難(あなん)に対して、

「汝、起(た)ちて更に衣服(えぶく)を整え、」

と、身も心も改めるよう告げられた場面に由来しております

我々僧侶は、法務に臨む上で、常にこの阿難に求められた姿勢を貫くことを責務としています


浄土真宗の寛容さは良い。そもそも修行しなくてもだれでも救われるって教えだし、坊さん自体も妻帯OK・肉食OK・髪剃らなくてOKだしな」と仰った方に

浄土真宗好意的に感じてくださって、ありがとうございます

さしたる戒律も持たない浄土真宗を“寛容”と捉えるのか、“険しい道”と捉えるのかが、俗世と求道者の大きな分かれ目となるのでしょう。

たとえば、もしもあなたが、

世間の人たちが当たり前にしてることをあなたもしていいよ、それであなたも仏になれるよ」

と言われたとして、あなたはその言葉をどれほど信じられますか?

その通りにして生きていったとして、世間の人から口々に

あんたのところの宗派は楽でいいよなあ」

「他の宗派みたいに滝に打たれたりとか山籠りとかそれっぽい修行しないんですか?(笑)

「何なのその髪の毛? ありがたみが足りないね

「お寺の息子ってボンボンだよね。坊主丸儲けって言うし」

「お坊さんも肉食ったりセックスオナニーするんすかwww

と好き放題になじられ続けて、それでも自分は間違いなく仏になれるのだと、あなたは胸を張って言い切れますか?

我々の求道の在り方は、甘えでも寛容さでもなく、「覚悟」です。

世間は常に、自分たちで勝手に作り出した意味もない物差しに、自分たちで勝手に縛り付け合ってああでもないこうでもないと罵り合い、争い合っています。そんな人々の下世話な好奇の目や嘲りにも耐えて、たとえ自力聖道門尊いお坊様のような修行は積めずとも、ごく普通人間と変わらぬ平凡な生活を営みながら、それでも間違いなく仏になれるのだと、己が第一に身をもって証明していく勇気を見せなければならないのが浄土真宗僧侶なのです。

開祖である親鸞さまはそのご覚悟

「僧にあらず俗にあらず」

という言葉で表され、また

人倫(じんりん)の嘲(あざけ)りを恥じず」

と仰せになり、決して退くことのない浄土への道をひたすらに歩まれたお方でした。

であればこそ、親鸞さまに救われた私もまた、親鸞さまと同じ生き方を願い、その道を皆様と共に歩みたいと思うのです。

「徳の高い坊さんだ」、「ありがたい」と仰った方に

ありがとうございますしかし、現実の私はそのような人間ではありません。何しろ私は、この教えに出遇わなければ死を選ぶしかなかったほど、弱く、もろく、そして愚かなためです。

もしもあなたが私の書き込みに何らかの功徳を感じてくださったのだとして、ではその功徳をもたらしてくれたのは誰で、どこからきたものなのでしょうか。命を断つしか選択のなかった、世間人間社会を呪うしかなかった私のこの頭から、口から、心から、仏の教えがこぼれ出てくるという不可思議現象は、なぜ起きたのでしょうか。

今回の場合は、すでに冒頭で述べた通りです。私が言わんとするところはつまり私自身が尊いのではなく、私のような者に教えを語らせた諸々のはたらき、「わたし」と「あなた」の間に結び付きを与えてくださる種々のはたらきが尊いのです。

すべては響き合い作用し合い、そして悲しみやよろこびを生み出しています

私はできるだけ悲しみを減らすお手伝いをし、できるだけよろこびを増やすことを務めとして生きてゆきたい。そう願っています

「小慈小悲もなき身にて 有情利益(うじょうりやく)は思うまじ」

と、開祖である親鸞さまが仰せになったように、煩悩具足(ぼんのうぐそく:煩悩に満ちた状態)の凡夫(ぼんぶ:弱く無力で自力で悟れない愚かな存在)の身には出過ぎた願いではありますが、様々な縁によって助けられ支えられ励まされ慰められ育てられて生きてこられた、その力だけは、私には絶対事実です。私は私以外からもたらされた力を一心に信じさせていただき今日まで生かされております。この歓喜慚愧の念に頭が下がり手が合わさる心を、他力本願といいます

真に功徳に満ちているのは、真にありがたいのは、私たちに「あなたが救われて欲しい」と種々にはたらきかけてくださる、阿弥陀如来さまであります南無阿弥陀仏

「どこまで書いて消えてしまったのかを思うと心が痛むほど丁寧でわかりやす文章」と仰った方に

件の投稿よりももっと長く書き綴っていた文章が、残り数行というところでうっかりページバックボタンに触れてしまい、全消失しました。あまりのショックにじたばたと暴れ、ウワー!と叫びました。

「諸行は無常、こんな記事を書いたところで誰が読むでもなし、諦めて他のことをしよう」

と思って立ち上がった途端、リングコンを握り締めながら涙をこぼしている増田さんの姿が脳裏に浮かび、いやこれでは駄目だ、多少は簡素になってもいいからお伝えしよう、と踏みとどまりました。

結果、この拙文によって一部の方を戸惑わせたり憤らせもしてしまいましたが、多くの喜びの声を受けて、私が信じてきた教え、私に教えを授けてくださった諸仏と数多のご先達が、私に微笑みかけてくださるような感慨に胸が熱くなりました。本当にありがとうございます。至らぬところも多く、本当にごめんなさい。南無阿弥陀仏


(以下、今後回答を予定しているコメントをお載せします)

「今のコロナの状況を浄土真宗的にどうお考えか、また、どう乗り越えていけばいいか
無関係な私まで救われた気がする」、「心が洗われた」
「妻の初めての命日は、2月2日です。その日のまえに、このようなものが読めるとは」
「去年亡くなった母の遺影写真なくて父のガラケーで撮った低画質のをスマホアプリで綺麗にして使ったの。ずっと申し訳なく思ってたけどコレ読んだらそう悪くも無いのかな。父は喜んだし、何より良い笑顔だったんよ」
「(まずは他者よりも、わたし自身が目を開き、耳を傾け、心を開かなければなりません)…刺さる言葉だけどなかなかこれが出来ない。モノサシが異なると心を開く事が譲歩に見られてしまう。それも飲み込むべきなのかな」
葬式の時にこういうありがたい話を聞いて身が引き締まるのだが、翌日にはもうおっぱいのこと考えてしま自分がいる」
「“そういう態度や振る舞いしかできないだけの縁”。興味深い価値観だ。こう言う時に遺言として望むべき振る舞いについて残してあげるのが去りゆくものの置き土産なのかもしれない。身近な人たちに優しくありたいな」
親族に対してどうしてそこまで偉そうに断罪できるのか分からない(大意)」
「死者の本当の想いとやらを都合良く説きすぎ」、「どうして祖父気持ちを代弁できるのか(大意)」
「“縁なき衆生”も救われるのが浄土真宗じゃないのか」、「凡夫の救済である悪人正機みたいのもあるけどどう折り合いつくんだろ」
自分葬式なんてどうでもいい」、「葬式要らない。やるだけ無駄
仏教においては死んで仏弟子となった者の魂は阿弥陀如来浄土へ既に導いたので、葬式というのはただ遺族を慰めるためにやるものなんだよな。だから遺族の気が済めばそれでよい」
檀家がお寺の建て替え費用負担する仏教の教えを教えてください」

現時点では、以上のコメントについて、今後時間をかけて回答したく思います

準備ができ次第、こちらの投稿言及する形で戻って参りますゆえ、今しばしお待ちください。


最後になりましたが、皆様とこのような法縁に恵まれきっかけを与えてくださった元増田さんを始め、すべての方のお命とお心に、敬い申し上げます

南無阿弥陀仏

2020-07-03

anond:20200703220052

アンポンタン教の教義がそれなら5円くらいお布施しとくからどっか行って良いよ貴重な御法話ありがとうございました

2020-06-17

anond:20200613021744

遅くなってしまったけどありがとうございます

ハスノハいいですね。ただ、お金を払ってもいいから、内容を公開されないほうが相談やすいと思っていて。

テレホン説法(法話?)は、録音された法話を聞くだけのように見えたけど、電話相談できるのもあるのでしょうか。

2019-02-09

お前ら何で寂聴でしないの?

法話中実はすごく濡れてたりとかするの?

 
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