はてなキーワード: ハウツーとは
某新作ゲームの日本語化MODは発売から数日で公開されていた。しかし、公開から数日経ち、非公開となった。
ここで経緯をまとめておきたい(あまり話題になってもアレなので、某新作ゲームとする)
以下、時系列は確認できていないが、2022年3月21日までに起きたことは以下の通り。
A氏のブログを再度確認したが、ゲームを日本語化するためのハウツーやツールの紹介記事もすべて非公開となっていた一方、その新作ゲームのレビュー記事が公開されていた。ゲーム画面はもちろん日本語だ。
今、そのゲームタイトルで調べると「日本語化MODまだかなー」とか「日本語化MOD楽しみです」という投稿を目にする。あの騒動が起きた時点で、有志の誰かが日本語化MODを公開することはもうないだろう。
──「富野由悠季の世界」展を拝見して、富野由悠季監督のキャリアをあらためて振り返っていただくと、ご自身でも言及されているように『機動戦士Vガンダム』以降のお仕事はフェーズが変わったのではないかと感じられます。それまでほぼ毎年のようにオリジナルアニメの新作を手掛けていた富野監督が、新作から数年遠ざかり、久々に発表された作品が『ブレンパワード』でした。ガンダムシリーズから新たな路線に踏み出したのは、何がきっかけだったのでしょうか。
富野:『ガンダム』を20年近くやってきて、はっきりと行き詰まりを感じました。行き詰まりを感じた一番の理由が「ニュータイプ論みたいなものを立ち上げておきながら、それをハウツーとして示すことができなかったこと」です。『ガンダム』をやっているうちに冷戦は終わったのだけれども、じゃあ冷戦が終わったからと言って世界中がまとまっていくかというと、まとまってはいかなかった。具体的に言うと、それぞれ主要国家のトップにいる人物たちが、必ずしもニュータイプ志向を持ってる人ではなかったという現実を突き付けられたからです。それで挫折するしかなかったということです。
だからもう『ガンダム』をやっていられないと思った。あと、『ガンダム』は構造だけで見ると、旧来の戦記物に則っているわけだから、戦記物ができる人や好きな人に任せれば良いと思いました。20年くらいやってきて、戦記物はやっぱり体力的に若くなければできないということもあって、年を取ってから戦記物をフォローしていくには、古代史を扱うような歴史的な学識を持つ必要があるということが分かってきた。そこでどうしようかなと考えたときに『ブレンパワード』に行きついたということがあります。
――今、富野監督は「ニュータイプ論のハウツーが確立しなかった」ことに挫折を感じたとおっしゃいました。富野監督は人々の多くをニュータイプにしたかったということなのでしょうか。
富野:いや、多くの人だけではありません。人類そのものがニュータイプにならないと、これ以後一万年という単位で人類は存続しない、人類を存続させるためには人の革新……というよりも、社会の革新をしなければならないんだと考えています。ですから、総体がニュータイプにならなければいけないということです。
――富野監督はガンダムシリーズでニュータイプを新しい感覚を持つ人類として描いています。劇中では、ときには距離や時間を超えてさまざまなことを感知したり、意思疎通をしたりする。具体的にはどんな人間の到来を期待していたのでしょうか。
富野:それについては、実はこの数年で具体的にニュータイプが現われたということが分かりました。
――なんと…! それはどんな人なのでしょうか。
富野:将棋の藤井聡太竜王とか大谷翔平選手です。将棋も野球の世界も勝負事です。何億通りの手がある中で、藤井竜王は勝つ手を選ぶことができる。僕は将棋のことがまったくわからないけれど、「この人がニュータイプなんだ」ということがわかった。それに気づかせてくれたのは先代の竜王であり、永世七冠である羽生善治さんの言葉です。羽生さんは、藤井竜王のことを「自分があまり見たことのない局面でも対応力というか、適応力みたいなものが高い」と評していまする。天才が、新たに現われた天才のことを評価しているんですよ。
大谷選手は大手術を受けた後でも基本的な身体のケアをつづけ、社会人としての基本としての勉強をつづけています。しかも壁を相手に投球練習は毎日つづけている!! 彼のスポーツマンとしての基礎の積み上げこそニュータイプ的と言えます。時代の移り変わりとともに、レベルの違う才能と人物が出てくるんだと感じられる好例です。ほかにも、工学の部分でも蒙が啓かれるような事例を承知しています。それは電動航空機の開発です。まだ決して大型機ではないのだけれど、それがすでに開発されているということは、僕のような世代にとってはもう腰が抜けるような事例でした(2018年7月、JAXA、航空系企業、電機系企業、経産省が航空機電動化コンソーシアムを設立)。工学や電気関係では、そういうことが起きている。そういう開発者たちは30代や40代だろうと思うけれど、彼らのような人たちに続く若い世代は、さらに違うものを作ってくれるでしょう。
――新しい想像力を持った人たちが、新しい時代を切り開く。富野監督が待ち望んでいたのはそういう方々だったんですね。
富野:藤井聡太竜王や大谷選手を見ていると、ギトギトしていないでしょう(笑)。ギトギトした人間が何億人もいたら、地球が潰れていくんです。ニュータイプにならなければ、地球は保全できないという考え方は、つまりそういうことです。おそらく、あらゆるジャンルの新進、若手の世代はこういう人たちがいるだろうと思います。僕がとくに想定しているのは現代のコロナ禍を経た、現在5歳や6歳の子どもたちです。免疫学的にも、彼らの中からニュータイプが出てくるのではないか。そういうふうに期待をしています。
『ブレンパワード』以降は、「当たり前に暮らすということの重要性を、アニメでもやるべきなんじゃないの?」という思いが大きくなった
――『ブレンパワード』についてもう少しお聞かせください。『ブレンパワード』の制作前は、ニュータイプにたどり着けなかった挫折感があったということですが、その中で富野監督が『ブレンパワード』にたどり着いたのは、どんなことがきっかけになったのでしょうか。
富野:挫折感から、僕は鬱病を患ってしまって、一年近くほとんど外に出られなかったんです。そこからリハビリをしていく中で、何を考えるかというと「なんで人間は鬱になるのか」ということでした。そこでたどり着いた答えは、健全、つまり普通の生活をしないと鬱になってしまうんだということです。それだけのことだと思ったんです。この健全とは何かというと、自分ひとりだけの問題じゃなくて、親子関係、子どもから両親がどう見えているか、周囲の人間関係も含めてのことです。普通であるということ。そういう当たり前の環境を維持するということ、それが人の暮らしにとって一番大事なんだということがわかった。
そのときに企画していた作品のタイトルが『ブレンパワード』だった。ブレーンという言葉を使うことで、知的な方向に行こうと思っていたんだけど、「いや、そうじゃないんだ」と。知的な回路を形成するためには、当たり前の健全な生活をしていないとやっていけないんだとわかった。じゃあ、その最もシンプルな話、つまり親子の関係を正面切ってやってやる、と思ったわけです。それで主人公たちの家庭環境(主人公の伊佐未勇とクインシィ・イッサーの姉弟は、研究者である父母から顧みられなかった)やジョナサン(・グレーン)みたいなキャラクター(優のライバル。ジョナサンは母のアノーアに屈折した愛情を抱いている)ができあがったんです。だから、東京が水浸しになっている、みたいな話がやりたかったというわけではないんです。
――地球の各地が自然災害で荒廃しているという『ブレンパワード』の世界観は、当時としてもインパクトがあったと思います。
富野:なんでああいう設定がいるのかというと、要は「アニメとしてのだまし絵」なんですよね。その設定があったほうが、アニメっぽく見えるから。あくまで技法論にすぎなくて、別に水浸しになった事件を描くわけではない。そうではなくて、ものすごく簡単に言っちゃうと「ママは僕のことを優しく育ててはくれなかった」という親子関係のことをドンとやっちゃうことが、一番良いことなんですよ。そういうものをアニメとして描く中で、もう少しだけ、リアルなものと接触できる作品を作れないかと思っていたんです。
――人間関係の中でも一番シンプルな「親子関係」に焦点を当てることで、普通のこと・健全なものを模索しようとしていたんですね。
富野:先ほどの質問に基づいて言うと、『ガンダム』は旧来のメカもの、戦記物の体裁に則っている部分があるんだけど、『ブレンパワード』以降は基本、心の問題……つまり「当たり前に暮らすということの重要性を、アニメでもやるべきなんじゃないの?」という思いが大きくなっています。僕が「『ガンダム』の富野」だったことで、ずっとそれができなかった。『ガンダム』の後期では自分でプロダクションを立ち上げて、新たな作品に出資しようと考えたこともあったけれど、僕にはそれをするだけの能力がなかった。実務者になれなかったという自分の能力論もあったうえで、スポンサーに理解してもらえるように、永野護くん(メインデザイン)に手伝ってもらったりして、なんとか『ブレンパワード』をかたちにした、ということです。だから、中途半端なところはあると思いつつ、とにかく『ガンダム』から脱出するための作品でもあったとは言えます。
思想や理念があったから、技術者たちを動かすことができた。だから、アニメのことだけを考えていたらダメなんです
――『ブレンパワード』ではメインデザインのいのまたむつみさん、永野護さん、音楽の菅野よう子さんといったベテランだけでなく、脚本の浅川美也さん、カナン・ギモス役の朴璐美さん、のちの『∀ガンダム』ではデザイナーとしてゲーム業界から安田朗さんといった才能を、アニメ作品に起用しています。その背景には、富野監督にとってはどんな思いがあったのでしょうか。
富野:これは『ガンダム』から教えられたことです。僕がやったことではなくて、当時の録音監督(松浦典良)の采配で古谷徹さん(アムロ・レイ役)と池田秀一さん(シャア・アズナブル役)を呼んでくれた。他の声優さんも、声優専門ではない方が多かったんです。そういう人選を見せられていましたから、それこそ20年30年経てば今度は僕がやらなければいけないことだろうと、当たり前のように思えたわけです。それでやってみたというだけのことです。むしろ思ったよりも、それが成功していないという意味では、本当に人を見る目がない、育てる力がないという自覚をしています。
――富野監督作品参加以後も、みなさん大きな活躍をされています。
富野:結局、上手く行っている人たちっていうのは、もともとそういう才能を持っていたんですよ。全部、彼ら彼女たちの力なんです。僕が彼らに刺激を与えたとか、インプットしたという記憶はあんまりありませんね。人を育てるということは、本当に難しいことです。これはわからないんですが、おそらく触っちゃいけないんです。触らないで、出会ったときの関係で、その人の持っているものを見つけだす。それ以上のことをしては絶対にいけないんです。これは実をいうと、愛の問題にもつながってくるんです。
――愛ですか!!
富野:愛し合っちゃうと、一点しか見えなくなるんです。正しく接することができなくなる。その瞬間にとらわれてしまって、相手が今後どうなっていくのかを考えられなくなる。正しい距離感で、この先を考えて相手と正しく接していくものでしょう。ちゃんと愛を育むことが大事なんです。
――そういった愛のお話は教育論にもつながりそうですが、そういった考えは、富野監督はアニメ制作の中でお気づきになり、考えを深めていかれたのでしょうか。
富野:もちろんです。僕は基本的に絵を描けないし、原画や動画を今もチェックしているのですが、腹が立ちますもん。「なんでアニメーターは画が上手なんだろう」「なんで線が綺麗に描けるんだろう」って。しかも、彼らは平気で何十枚も描いてくるんですよ。
――ははは。
富野:でも、そういう優れた技術を持っている人たちがいるから、僕は作品を発表できるのであって、技術を持っている人たちの総代に立つには、技術論ではなくて、理念を持たなければいけないわけです。そういう思想があったから、ここまでやって来られたんでしょう。
――思想があるから、約50年にわたるキャリアで監督として活躍してこられたとおっしゃるわけですね。
富野:思想や理念があったから、技術者たちを動かすことができた。だから、アニメのことだけを考えていたらダメなんですよ。「マンガ絵が好きだからって、マンガが描けると思うな」という考えにもつながります。この話って、何にでも通用するでしょ? 僕が文化功労者のお礼のコメントの中に「アニメのストーリーテリングは万能である」と書いたけれど、そういうことなんです。あれは良い文章になったなと思っています。僕がアニメの制作を通じて描いてきた思想は、どんなものにも通じる。それがあるから作品に公共的な意味が出るんだと思っています。
小学生の時から、ネットに発信し、欲しい物リストやスパチャで支援を受けて育った場合、社会をどう思うのだろう。
固定のアカウントの人を、あしながおじさんとかと認識するのだろうか。
それとも欲しい物をくれる親切な人が沢山いると認識するようになるのだろうか。
それとも自分にはプレゼントされるだけの価値があると認識するようになるのだろうか。
社会とは相互扶助によってなりたっていると認識するようになるのだろうか。
他に、今後、少子化が進んでいき、全ての子供に対して欲しい物リストやスパチャで支援ができるとなったら、どうなるのだろう。
顔出しするクラスタと、顔出ししないクラスタで支援額が異なるとか出てくるのだろうか。
言い換えるなら、多様性が各種設定を難しくし、普及を妨げているってこと。
人種の違いはもちろん、同じ人種であっても宗教の違い、更に同じ宗教であってもインストールする言語の違いがあるお陰で、🐈や🐕みたく
みたいなハウツーが成立し得ない。
それどころか、あらゆる手順が
「俺んとこではこれでうまく行ったぜ?」
だから人間を扱う者はこれを踏まえた上で、トラブルを基本自力解決できる事が、事実上の最低レベルとして求められる。
「俺は別に、OSの勉強がしたくて人間を触ってるんじゃねえ!」
もしこれが同じ地球産生物でも🐕🐈であれば、人間のディストリビューションに当たるものは事実上3つしか存在しないので、それだけでも敷居は大幅に下がる。
というか上位存在が本気で普及に乗り出してたら、創造者の中では新参な上に、大学院神のお遊びがきっかけで作られた人間なんて、一瞬で駆逐されただろう。
コンスタントに増えているのがメンバー層のフリーランスです。一方でフリーランス仲介のエージェントからは「紹介先が枯渇している」という話もあり、なかなかの様相です。
地方移住の上で週3-4を希望される方も増えました。多くの案件が週5なので面白い人材が週3-4には残っていたりしますが、どう業務に引き込んでいくかは課題です。
危うげな道も皆で渡れば怖くないというか、節税してどこまで手取りを増やすかという情報が流通しています。「個人で消費するスーパーでの買い物も何回かに一回は経費にしましょう」「トイレットペーパーも経費にしましょう」という脱税まがいのハウツーを売っているフリーの情報商材屋も確認されており、何とも言えない状況です。
思ったよりもフリーランスから正社員に戻る人は今のところ少ないようで、「いちど節税の技を覚えると正社員に戻りにくい」という複数のコメントも聞こえており、フリーランス→正社員のムーブメントはしばらくは大きくならなそうです。
節税にフォーカスしてんじゃなくて、「税務を学ぶこと」が主眼なんだよ
被用者だったら一生学ぶことないだろ? だからド素人は税務から手を付けるんだよ
面倒くさいし年換算でいうと10%くらい損してるんだけど、
やらなきゃいけないからやってるんだよ・・・・(まあ厳密にはやりたいからやってるってことか?)
なにが「危うげな道も」だよ お前の俗にまみれた思考と一緒にするな
言い換えるなら、多様性が各種設定を難しくし、普及を妨げているってこと。
ディストリビューションの違いはもちろん、同じディストリであってもバージョンの違い、更に同じバージョンであってもインストールするパッケージの違いがあるお陰で、Windowsやmacみたく
みたいなハウツーが成立し得ない。
それどころか、あらゆる手順が
「俺んとこではこれでうまく行ったぜ?」
だからLinuxを扱う者はこれを踏まえた上で、トラブルを基本自力解決できる事が、事実上の最低レベルとして求められる。
「俺は別に、OSの勉強がしたくてLinux触ってるんじゃねえ!」
もしこれが同じUNIX系OSでも*BSDであれば、Linuxのディストリビューションに当たるものは事実上3つしか存在しないので、それだけでも敷居は大幅に下がる。
というか*BSDが本気で普及に乗り出してたら、OSの中では新参な上に、大学院生のお遊びがきっかけで作られたLinuxなんて、一瞬で駆逐されただろう。
高校生の時。モテるかな、と思って。近所のハードオフで買った。コードを押さえられなくて挫折。ギターが悪かった、手が小さくて向いてないと自分の中で言い訳。家族に譲った。
アコギからの派生。ベンドが上手くできなくて挫折。まだ手元にある。
・イラスト
昔の作品にも詳しいとカッコいいかな、と思って。結局抜きゲーで抜いていただけ。
・バイク
大学生の時。旅を趣味にしたかった。中古バイクを購入。機械もいじれるとカッコいいかと思ったけど、メンテもそんなにせず結局あまり乗っていない。まだ手元にある。
社会人になりたての時。買ったばかりの頃は馬鹿みたいに撮っていたけど、設定とかを覚えるのが面倒になってしまって埃をかぶっている。あと、レンズが高い。
同上。ヤフオクで買って、モルトプレーンだけ中途半端に入れ替えたけどまだ一枚も撮ったことがない。
・登山
近所の山をちょっと登った。高い山に登るのは面倒くさい。高かった登山靴は埃をかぶっている。
・キャンプ
バイク旅のために買ったけど、結局家でダラダラしている方が好きなことに気がついた。道具はまだ持っている。
・タロット
覚えているとカッコいいと思ったけど、覚えるのが面倒くさい。本だけ何冊も持っている。
・映画
名作と言われる作品は知っておきたいと思ったけど、数が多すぎる。見たところで語れるほどの経験も知識も含蓄もない。自分の浅さに自己嫌悪。
覚えることが多い。本ばかり持っている。でも読んでない。
・筋トレ
継続は力なり。ただ自分にはその力はなかった。めちゃくちゃ量のあるプロテインだけ持っている。ジムも契約したっきりほぼ行ってない。勿体ない。
文章なら俺にも!と思ったけど、そんなわけなかった。形から入るタイプなのでMacBook Proなんか買っちゃったりして。むろん埃をかぶる。
指輪物語、十二国記、ラブクラフト、シャーロックホームズ、アガサクリスティ、館シリーズ、鬼平犯科帳、グイン・サーガ…全部挫折。根気が続かない。作者で読んでみようとしてもまず続かない。
・作曲
高いソフト買ったのに、何も生み出せてない。
・御朱印集め
外に出ないので、ほぼ白紙。
やる友達がいなかった。
思いつく限り書いてみたけれど、まだ有りそう。
こうして見ると、如何に自分が人からよく見られるために色々なことに手を出しているかがよくわかる。
自分はこれをやってます!って胸を張って言えるようなものがないや。
・裁縫
・盆栽
・家庭菜園
・天体観測
・釣り
・自転車
押しつぶされそうだ。
※追記
コメントを頂いて、いくつか思い出したので残しておく。皆さん俺のことよくそんなに分かるね。
色々教えてくれてありがとう。
カチャカチャカチャって素早く揃えられるとカッコいいよね。買って説明書を見ながら数回6面揃えたけど、今は部屋のオブジェになってる。
今の仕事が嫌いすぎて転職を考えた時に。本も買ったよ。やってないけど。
道を歩いていて、「この花は〇〇だね」って言いたかった。図鑑を持ってる。
・読書
積ん読って言ったら聞こえはいいかもしれないけれど、結局根気がなくて読んでいないだけ。買ったことで読んだ気になってしまっている。自己啓発本とか、小説とか、詩集とか、図鑑とか、資料集とか。紙、電子問わず読んでいない、または読みかけの本が大量にある。
趣味と言えるかわからなかったから書かなかったけど、服もめちゃくちゃある。わかってもらえるかわからないんだけど、「定番」とか「一生モノ」って言葉に弱い。例えば、「このアイテムが欲しい!」ってなった時は一時的にめちゃくちゃネットやら雑誌で調べて、「これ買ったら間違い無いだろう」ってものを買ったら満足してしまう。たまに気がついて着るくらい。
・麻雀
ネット麻雀にハマって、麻雀牌まで買った。小手返しやってみたいな、と思ったけど手が追いつかない。あとやる相手がいない。
一時期通っていたけど、自分の身体の可動域の狭さにびっくりしてやめてしまった。
小説ダメならこっちだな、と思ったけどそもそも書けるようなネタがない人間がセンスを求められるこれらをやろうとしたところで、という結論に至った。
・競馬
このブームに自分みたいな人間が手を出してないわけないよね……。自分でも呆れる。
ダービーで800円、鳴尾記念で500円、安田記念で300円、エプソムカップで600円負けてるよ。
・ゴルフ
職場の付き合いで。クラブセットも持ってるよ。知人が「120に壁が…」なんて言っていたけど、そもそもそのレベルにも達していない。たまに職場でコースに出てもひたすらボールを追いかけてマラソンするばかり。
・料理
鉄のフライパン、中華鍋なんて買っちゃったりしてメンテを怠ってこげつくようになっちゃったり。調味料ばかり揃えてみたりして期限を切らしたり。自炊程度ならやっているけど、趣味なのかこれは。
・TRPG
これもやってた(やってないけど)。ソードワールド、クトゥルフ。ルールブックを買ってきて、キャラシまで作るんだけど「え、これ誰とやるの?」という疑問が出てやめている。オンセがあるのは知ってるけど、そこまでのバイタリティがない。
・データベースになろうとする。詳しくなろうとする。
ナンバリングタイトルやシリーズもののゲームを全部やろうとする(ドラクエ、FF、メガテン、ポケモン、ゼル伝などなど)。
ご指摘はごもっともで、多分自分は「趣味に打ち込んで、誰かに認められる」ではなく、「誰かに認められるためにとりあえずわかりやすいものに金を出して何か始める」パターンが多い。
誰かに認められた経験が少ないから手っ取り早く「すごい」と言われる手段を求めているのだと思う。承認欲求バリバリだね。
このネット社会、ちょっと調べるとどんな事象にも初心者向けのハウツーが転がっているので、自分にもできてしまうんじゃないか、という気がしてしまう。これを始めれば人生変わるんじゃないかと思って一時的にカッと熱くなるけど、すぐに冷めてしまう。その繰り返し。確かにこれは趣味と呼べないかも。
〇気になるコンテンツを見つける
→気になるコンテンツの作者が影響を受けたコンテンツやルーツとなったコンテンツを調べる
→これを理解しないとこの気になるコンテンツを完全に理解することはできない!
→手を出す
→量の膨大さ、内容の難解さに挫折
このパターンが非常に多い。指輪物語とか、クトゥルフとかが一番わかりやすい例だと思う。映画もそう。服買う時とかでもこういうことがある。(調べまくった結果、定番モノしか買わない、とか)
勉強、部活とか何かに打ち込んだり、成し遂げたりしたことがないからその反動じゃないかなって考えている。積み重ねがないから急いでそれを何かで埋めようとしている感覚。
AmazonとYouTubeとTwitterは余りにもキラキラし過ぎていて、人に影響を受けて流されやすい自分のような人間には本当に毒です。Instagram?だめだめ!
英語、キーボード(ピアノ)、動画制作、プラモデル、格闘技(ボクシングor空手)、アマチュア無線、DJ全部昔気になってたことだ。
発信者になろうと思って昔作ったブログの残骸もネットの海で化石になってる。発信するような積み重ねがないし。
部屋は汚い。よくわかったね。
お金はないよ。カツカツです。
ものがどんどん増えるのは、始めてしまったからにはやり切らないといけないって言う心底下らないプライドがあるのだと思う。
通過点だった。あとで読むで登録したたくさんのほってんとりもすべて削除した。どうでもいい信用性のない情報ばかりだった。
ライフハックも必要なくなった。Feedlyにあるfeedも1000を超えてたけど、不快にさせるものは全部削除した。
いつか役に立つと思っていたものは2、3年経って、ようやく不要なものだと気付く。
日本の行き先を不安に煽るコラム、ブラック企業自慢、不幸自慢、制限させるアルファブロガーのポスト。セックスの話も、twitterの顔も見たこともないひとたちのぼやき。
結婚、婚活、勝ち組、負け組、あーしたほうがいい、こーしたほうがいい。くだらない新書を必死にレビューするおっさん。
よくわからないアニメの話、マナーの基本、しゃべりかた、書き方、コミュニケーション能力、鬱、家電、ハウツー、自己啓発、、、
資料見ない、書き方のハウツーも調べない、とにかく毎日描いてれば上手くなるって信じてる〜けどなかなか上手くならなくてイライラみたいな感じ
アドバイスすることはできる。まず資料見るといいよとか初心者向けハウツーを調べようとか。
でも彼女はそんなクソバイス求めてないかもしれないんだよね。効率とか勉強なんて仕事だけで十分趣味でやってんだから水差すなと思うかもしれないし、親しい仲というわけでもない男から話しかけられたくない可能性も高い。
しかし、彼女はイラストを上達させたいと強く思っている。しかし上達しないのでイライラしている。
このまま見過ごすべきかずっと悩んでる
※初心者がゼロから絵を始める話ではなく、中級者が上級者になれないか試行錯誤する話です
※練習は主に人体について
マイナージャンルに長い間いたのだが、唐突に別ジャンルにハマった。新しいジャンルで周りの人を見てみると、みんな絵が上手い。長年描いてきたしそこそこ描けると思っていたが、自分の絵がすごく下手に見えてきて恥ずかしくなってしまった。
※余談でもないですがここ10年くらいで絵の平均レベルがすごくあがった気がします。何冊も優秀な教本が出た、ネットでノウハウの共有がしやすくなった、SNSで自分の絵や他人の絵が数字となって見えるようになった、あたりが大きいのかなと思っています。
長年描き続けてそこそこ描ける人あるあるだと思うのだけど、絵の練習とか滅多にしていなかった。
10年ほど前に「やさしい人物画」を一通り模写してみたり、たまーにポーマニ(ポーズマニアックス)やヒトカク(人を描くのって楽しいね)やポーズ集を模写してみたり、話題の教本があると買ってみたり。もちろん買うだけで積ん読。
趣味のイラストやマンガはずっと描いていて、わずかながら年々上達はしていっているのですが、思うように描けないなという気持ちは常にあり、上手い人と自分の絵は何かが決定的に違うけどその違いがなんなのかはわからない。
骨格や筋肉が全然わかってないというコンプレックスがあり、ルーミスの骨格や筋肉のページの模写から始めた。ルーミス自体は以前一通り模写していることもあり、骨格や筋肉のページのみの模写。
その後買っただけで積んでいたこの本の存在を思い出し、一通り模写してみる。発売当初に良書だと言われているのを聞いて買ったけどたしかに良書。すごいわかりやすい。
全部模写したわけではないですが、「やさしい美術解剖図」「アーティストのための美術解剖学」あたりをメインに参照してました。
練習方法に行き詰まった感もあり、自分の絵のいいところ悪いところ、上手い絵とは何なのか、どうやって練習していくべきかを1日考える。これはわりと意味はあった。
作画量がまだ根本的に足りてない、手癖や思い込みで描いている部分が修正できていない、練習したことが自分の絵に落とし込めていないなどを自覚する。
人体を丸暗記するつもりでマール社の「新ポーズカタログ 男性の基本ポーズ」を1冊模写。
ポーズ集を模写したことで自分の美術解剖学の知識の身についてなさも自覚し、「スカルプターのための美術解剖学」を2回目の1冊模写。
「メール・ヌード・コレクション」(この本男性ポーズ集としては珍しく局部が丸出しです)と「ハイパーアングルポーズ集vol2」の2冊を模写。ポーズ集の模写は楽しい。
男性のポーズ集ばかり模写していますが、女性の身体より男性の身体を描くことに対しての苦手意識が強いためです。
ネットでハウツーを調べていたらこの本の評判が大変よかったので購入してみた。「この本を模写するのは楽しい」みたいなことを言っている人もいたため、どれどれどんなもんだと模写を始めてみたけど楽しくないししっくりこない。なんで…となったけど心当たりが一つあって、これまでクロッキー帳にシャーペンで描いていたのを鉛筆に替えてみたらこれが大正解。鉛筆とシャーペンって全然違うんだなと気づきました。これ以降は鉛筆で練習してる。
それでモルフォですが、たしかにめっちゃいい本ですね。美術解剖学は勉強したけど人体の作画にうまく結び付けられない、そんな人向けか。お手本の絵の鉛筆の線も大変気持ちよく、いろいろな気づきも得て楽しく1冊模写。
アニメ私塾の人の動画を見たりしてたこともあり、手にとって見てみて良さそうだったら買ってもいいなと思ってたら予想外に近所の本屋で売ってた。アニメでの作画技術、ということで動きやレイアウトにもフォーカスされているのが良い。模写だけでなく、本を参考に自分で描く練習に活かすべきだな…と思いつつ次の本が控えていたため読みながらサクッと1周模写。
モルフォ人体デッサンが大変良かったのでミニシリーズも購入。3〜8月は絵の練習だけに時間を使えたのですが、9月に入ってからそれが難しくなったので、この本を1日に1見開き模写することを最低限の目標としました。とりあえず1冊目の「箱と円筒で描く」は完走(この本も良い!)。今は2冊目の「骨から描く」を進めています。
モルフォはほんと良い本なので何周もしたいと思ってますが、またポーズ集模写もしたいしまだ先の話だな。
自分の絵を客観的に見ることも難しいのですが、半年やったこともあり、さすがに少しは上達したかな…と思いたいです。
人体のパーツパーツに対する理解はかなり深まったなと感じます。
何よりやはりこういうのは継続していくしかないなということを強く実感したため、今後も練習を続けていこうと決意しました。
ちなみに練習を始めた当初は「3日ぐらいで劇的に上達しないかな〜」とか甘ったれたことを思っていました。そんなうまい話はない。
〜〜〜〜〜以下その他の話〜〜〜〜〜
Twitterで絵の練習が主体のアカウントをやっている人たちがたくさんいます。私はいろいろ考えた結果練習用アカウントは作成しませんでしたが、向いてる人には良いかと。
ただモチベーション維持用に非公開リストで練習アカウントの人を眺めてました。
あたりです。
イラストレーターのさいとうなおきさんの動画で話題になった練習法です。簡単に説明すると、お手本となる絵描きを決め、(1)その人の絵柄を真似てオリジナルで絵を描き、(2)描いた後はお手本と比較、(3)改善点を見つけたらそこを練習、そしたらまた(1)に戻って繰り返し、を3ヶ月続けるというものです。
これはやったら間違いなく上達するやつ。
ですが私はやっていません。理由はイラストレーター志望向けの練習法だな(まあ応用すれば漫画でもなんでも行ける方法ですが…)というのと、目標とする絵柄を決めかねているということ、私は人体作画のスキルをアップしたいというわりと明確な目標があったので、そちらを優先したためです。
カラーイラストをバキバキに鍛えたい、ってなったらやるかもしれんけど多分やらんな。
クロッキーよりじっくりと形を捉えることを優先したかったのでやっていません。がそろそろクロッキーにも手を付けたいなと思っていますがまだできていません。やろうと思ってはいる。
私は紙と鉛筆の方が集中しやすい、描いたものが物理的な量となって見えることがモチベにしやすいという理由でずっと紙で練習をしています。
iPadとかでやってる人も多いよ。私も練習によってはiPad使ってました。
集中力がないためタイマーをかけて練習していたのですが、1日の平均練習時間、3時間もあるか…5時間練習したら「今日はがんばった!」って感じです(これは練習時間のみで、趣味のイラストを描く時間は除いてます)。
ちょいちょいソシャゲやったりネット見たり本を読んだりと集中力を切らしながらやっていたので、残念ながらそんな長時間はできてません。
今、私は二年目で大学院を中退して、既卒生として就活をしている。学部も大学院も(2chでどういわれているかはともかく)比較的知名度の高い大学だ。受験勉強をしたことがない人でも知っているような大学に所属していた。
大学院を中退した理由は大量にあるが、誤解を恐れずに言うのであれば、同意なく、しかもコロナに関係なく親に学費を使いこまれたことに起因する。中退に至るまでの経緯でまた記事が2本は書けるぐらいには内容が濃いので、ここでは取り合えず割愛することとする。ただ、私の中退が親に学費を使いこまれていたことに起因することは、断言できる。
さて、既卒生として就活している私だが、まるでエントリーシートが通らない。コロナ禍の影響もあるのだろう。ただ、それを抜きにしても所謂大企業なんていうところには見向きもされない。中小企業でさえほぼ通らない(ただ、一定選り好みはしているが)。
企業にも勿論嗜好があるのだろう。それは当然のことであるし、理解も共感もできる。
が、私の今の就活を顧みると、面接で落とされるのはともかくとして、書類で切られまくっていると疑問しか浮かんでこない。一部上場企業の中にも、面接まではこぎつけてくれる企業もあるにはあったが、1つだけであった。
当記事は、私のこの疑問を延々と書き綴るものである。良く言えば「私の考え」ではあるが、実態は「恨みつらみ」でしかない。ただ、やはりこれを不特定の人間には知ってもらいたい。このように強い思いとそれなりに過酷な経験をしている人間でさえ、既卒となると就活で苦労するというのを知ってもらう必要もあると考えている。
私は、偏差値50少しの高校から、「有名大学」と世間で言われる大学に現役で入学することができた。そして、これまた現役で卒業をし、そのまま大学院へと進んだ。大学院では、英米(のどちらか)の大学院へ一か月留学し、研究もした。
中退という部分を隠して読めば、比較的キレイな学歴をしていると思う。
ただ、先述の通り親に奨学金を使いこまれ、中退をすることとなった。奨学金で生活をしていたし、親の支援ももう期待できないことから、取り合えず就職しようという段取りとなった。
就活経験について、実は全くないという訳ではなかった。学部時代に友達のウェブテストを替え玉しまくり(10社弱分は受けたと思う)、ESや面接の準備・添削を手伝うこともあった。時にはESを全くのゼロから作ることもあった(!)。当然、私はその企業に応募もしていないし、興味もなかった。
そして、当時は大学院に進学する予定であったので、私個人が自発的に就活をすることはなかった。
さて、私は無事に大学院の合格通知を得ることができた。確か9月か10月であったと思う。経緯は割愛するが、大学院進学ではなく就職する方がより良い選択ではないか、と思わざるを得ない状況となった。
そういう訳で、秋採用も終わりかけている10月頃になって、就職活動を始めた。
ウェブテストについては、替え玉した人の分が全て通っていたので、無対策でも問題ないだろうと思い特に勉強はしなかった。
結局、私がした就職活動は、企業分析・業界分析、自己分析、ESの推敲であった。その結果、どうやら私は金融に向いていそうだということとなり、マザーズに上場している中規模投資銀行と三井住友銀行に応募してみることとした。
三井住友銀行は、私がウェブテストの期限を勘違いし、人事に無理をいって期限を特別に延ばしてもらった上で完了させた。このような経緯で許してもらったウェブテストであったことから、結果に関してはもういうまでもない。
投資銀行については、説明会兼選考会をやるからリクナビだかマイナビだかから予約してね、という具合だったので、早速応募をしてみることとした。
さて、投資銀行については、私の履歴書が余程面白く映ったのだろう(「債権の回収」や「担保」という単語、飛び級入試での大学院合岳経験があることを多いに盛り込んだ)、人事部との一次面接は私の履歴書に打ち出された単語が面白いだの、ペットは何を飼っているのか、という悪く言えばくだらない話で終わった。二次面接は、確か営業部長と執行役員だかとの面接だったが、面接というよりは議論に近かった。コンサルでよく聞かれるケースに基づく議論のような雰囲気だ。「君の理解は間違っている」とドストレートに言われるも、「いえ、私の理解はこのようなもので、そのようにお考えになったのは貴方の誤解です」というようなことを言い返していた気がする。よくあんなこと言えたな、と今では思う。議論だったとしても、こんなこっ恥ずかしいことをプロに対して言うべきではなかったと強く反省している。
そんなこんなで一週間しないぐらいの内に、「どうぞ最終面接へお越しください」と言われた。就活をほんの1か月したぐらいであったが、会社勤めは性に合わない、資格を取ってプロになろう(特定のため、ぼかした表現にはしている。この資格を取り、こういうキャリアパスを経よう、という設計は既にしていた)、と決心していたので、選考を辞退することとした。少し申し訳ない気持ちがした。
と、学部時代は比較的わかりやすい就活をできていたので、既卒就活も既卒というハンディキャップを除けばそこまで大きな負担にはならないだろうとかなり楽観的になっていた。
既卒就活の結果は、冒頭に書いた通りである。そもそもエントリーシート自体が通らない。コロナ禍の影響もあるであろうが、それでも何かおかしいと直感的に感じる。
学部時代より、より入念にESを作成するようにしていた。就活のハウツー本を5から6冊程は読みまわしながらESを作っていたと思う。それでも通らないのだ。ウェブテストは学部時代の経験からすると、落ちる要素がない。替え玉当時、私が受けたメガバンクや野〇證券などが通っていたので、決して正答率も低いはずではなかった。
他に落ちる原因は何か。ESとウェブテストで抜かりなくしていたのであるなら、何か。年齢か。新卒切符は24歳まで有効と聞いていたので、年齢も問題はない(はず)。そうすると、やはり既卒という略歴ではないか。
さて、既卒という略歴が問題ではないか、ということで早速情報収集を始めた。結論から述べるが、やはり既卒という略歴が多大であるように私は思う。
というのも、まず、既卒生の就活記事やハウツーといったものが極めて少ない。結局、「この就職エージェントに投げてね☆」というものに落ち着くものか。「情報収集を徹底的にやれ、新卒の倍は動け」という根性論に終始するものばかりである。既卒生の就活成功談を見ない。
そして、「所謂大企業であっても、既卒は受け入れている」という記事を見かけるが(私に言わせればそんなこと就活を始めた当日に知ったことである)、「既卒で大企業に就職できた」という記事は見ない。クラシックなオタクなので、「ググる能力」に関しては絶対的な自信があるが、やはり記事は見なかった。「既卒で就職できたよ!」という記事もほぼ見ない。
勿論、私もバカではない。猫の手を借りるぐらいのことはする。就職エージェント4社程を利用して、求人を紹介してもらったが、明らかにおかしいものばかりであった。例を挙げだすとキリがないが、ブラック企業といって差し支えないようなものばかりであった。中にはそうでないものもあったが、私の志望する業界・職種でないことから断っていた。
話が右往左往して恐縮であるが、私は学部時代はかなり頑張っていた。
学業においては、学部上位5%以上の英語のクラスを、90点以上で合格した。優や、A+、A、Sという風に評価されるものだ。英語に関してはスピーキングはからっきしだが、リーディングリスニングについては比較的自信はある。今でもタイムズ紙ぐらいなら読める。
二年生の頃にフィールドワークを経て執筆した論文は、担当教授に奨学金論文として推薦された。奨学金論文として推薦されるのは、優秀卒論を除けば、各学年2名までだ。極端な表現だが、私は学年で少なくとも2位の成績を得たということもできる。
ゼミについては、正課としてのゼミと、潜りとしてのゼミの2つを取っていた(勿論、両教授からの了承は得ている)。卒論では、その2つの領域にまたがる論文を執筆した。担当教授からメタクソに批判され、時には(マジで)泣かされたが、結局、80点以上の評価で単位を授与してもらえた。
学業に関してはこのような感じだ。基本的には単位だけ取れていれば良いというスタンスであったが、力を入れるべき部分ではきちんと力を入れて評価は取っていた。
課外については、私は文化系のサークルに所属して活動をしていた。大会では代表を二度務め、一つは四位、一つは二位へと入選している。可もなく不可もないとは思う。
役職には2つ就いており、1つは、企画系の役職の長に就き、もう1つは、サークル内研究会の会長を務めていた。
サークル内研究会会長については、基本的に後輩の勉強の指導をしたり、同期と議論をしたりがメインであったので、かなり楽しかった。正直、会長とは名ばかりのものであった。責任のある業務もほぼなかったと思う。
ただ、企画系については、一筋縄ではいかなかった。まず、50名規模で開催する合宿を全て私一人で仕切った(相方はいたが、とんでもないポンコツだったので、仕事を一切振らなかった)。具体的には、合宿の企画発案や、旅行会社・ホテルとの交渉、参加者を集めるための広報や、経理との予算調整などだ。経理が通帳を握ったまま飛びやがったので、家まで通帳を取り立て行ったりもした。夏休みに行う合宿であったが、冗談抜きで7月から9月半ばまでは、土日以外は永遠に合宿の準備をしていたと思う。テスト前日に宿の内見に行ったりもした(この時だけではあったが、役職に関係なく同行してくれたK君には頭も上がらない。ありがとう)。
大変であったが、企画の発案や参加者の誘因等の難しさ・楽しさを得ることができ、なんだかんだとは言いながら充実感は感じていた。ようやく院試勉強に集中できる、と一息ついたものだ。
…というのも束の間、OBOG会の会長から10数年ぶりにサークルのパーティーを行いたいとの申し入れが顧問を経てやってきた。何故会長じゃなくて俺にそのことを伝えたんだ、と同期に愚痴ったりもしたが、顧問曰く、「貴方と連絡をしていたからそのまま伝えた」とのことだった。当時は「俺に信用力があるからだ」と前向きに考えもしたが、2か月半程動き続けた身にひょいと投げていい申入れではないだろう、と大きく溜息をつきもした。
さて、このパーティーが非常に厄介であった。まず、OBOGに招待状を送らなければならないが、こともあろうに会員名簿の更新が15年程されていなかったのだ。直近の先輩方の住所や電話番号なんかも分からないまま、どうやって招待状を送るんだと頭を抱えた。開催が2か月後ということだったので、もう当たって砕けろの精神で「3年生の〇〇ですが、こういう下りでパーティーをすることになりました。先輩からまた直近の先輩へとご連絡してもらえると助かります。参加を希望される方がいらっしゃったら、私にまでご連絡をするように併せてお伝えください」というメッセージを飛ばしまくっていた。完全にマルチ商法のそれと同じだが、時間がない以上仕方が無かった。名簿に残っている方でも、中には既に老齢で亡くなられていた方もいらっしゃったようで、カジュアルに連絡をすることもままならなくなってしまっていた。体力的にはそこまで大変ではなかったが、精神的にはかなりきつかった。
精神的にきつかったところに更に肉体的にきつい仕事が増える。名簿の更新をしながら、OBOG会にあったパーティー運営組織をOBOG会から当サークルへと移譲したいと言われたのだ。何が分からないのが分からない状態から始まっており、そもそも相手はOBOGだ。「じゃあ昼飯食った後部室でね」が通用しない。逐一メールをしながら、何月何日、どこそこの店で打ち合わせをしましょう、という風にするしかなかった。苦学生でバイトしまくっていた身としては、この打ち合わせ日時に合わせることがかなりしんどかったし、運営組織の移譲に伴ってするべき後輩への引継資料の作成が本当に苦痛だった。当然、在学生の参加者を募るための広報もしなければならない。
このように働きまくっていた結果、十数年ぶりの開催であるにも関わらず、どうやら歴代最多数の参加者を得ることができたようだ。しかも、参加者の半数近くが在学生だったということで、企画をした私の誘因力を大いに褒められもした。結果は出せたと思う。数字だけでなく、これだけ頑張ってくれたのだから、ということで部室に設置してあるパソコンやプリンターといった周辺機器も一新してもらえた。大変有難かった。
さて、「どうだ、俺は凄いだろう」というエピソードをこんなにも書き連ねた訳だが、やはり当時は大学生なりにはかなり頑張ったと私は思う。このような経験や思いがあるからこそ、もっと挑戦をしたい。内定が難しいと言われている企業へ応募して挑戦もしてみたい。しかしながら、そもそもエントリーシートが既卒だからという理由で(私はこれが原因と考えている)切られるようであれば、どうしようもない。私は満足に挑戦すらできていない状況で諦めたくないのだ。そのような状況で不満のある待遇に甘んじたくはないのだ。
勿論、就活では上記のエピソードをいわゆるガクチカなんていうものに盛り込んでアピールをする。就活構文と私は密かに呼んでいるが、「結論→理由」「動機→行動→結果」といった構文も遵守した。多少は盛りはしているが、「やらされていたこと」を「やるべきだと考えた」と変換する程度のものだったし、面接でもこの点についてボロを出さなかったので問題はないと考えている。
成績も特別に良いというわけではないが、学内平均よりかはずっと高い。
ウェブテストやESについても、学部時代に手伝っていた(というより最早やっていた/書いていた)経験から、突飛なことはやっていない。
でも、シンプルに留年したとしても新卒でさえるならば、トンチンカンな奴でも内定を得てしまうのが非常に納得がいかない。彼彼女らなりに留年した理由付けはしているとは思うが、人事は恐らく見抜けないのであろう。
形式面では既卒より優れているというのが極めて不服である。留学やインターンであるならば経歴や職歴に書けるが、そのようなものが書けないシンプルな留年であっても、新卒は新卒である。既卒には劣らない。
私は、大学を四年間で卒業し、大学院で一年半勉学を修めた。学部在学中は勉学にも課外活動にも励んだ。
但、冒頭で述べた通り、私は親に学費を使いこまれて大学院を退学をせざるを得なかった。
それでも、私は形式的には新卒より劣っているのだ。同等ですらない。
新卒至上主義と私は読んでいるが、この点についても非常に疑問がある。また記事に起こしたいと思う。
この記事は、あくまで私の一個人の考えを知ってもらうことだけに価値がある。従って、読者がどのように思うかは勝手であるし、読者に思考さえしてもらえれば、私の願いは成就したと考えている。
特に就職をする予定でいる大学在学中の学生諸君は、是非一度自分のキャリアルートについて考えてみて欲しい。貴方が思う以上に、新卒既卒という区別は残酷なものとなっている。
低学年の頃から自分の読書感想文も何回もコンクールに送られています。
低学年にして、「大人はこれを喜ぶ」を確立していたといっても過言ではありません。
さて、前置きはこれくらいにして、ずばり切り込んで読書感想文のコツを書きます。
読書感想文の、及第点と言われる最もシンプルな構造は下のとおりです。
・印象に残ったこと
・未来の行動
読書感想文と言われると、勘違いしてしまうパターンが大きく分けて2つあります。
ひとつはよくある「あらすじ」を書くこと。これはいつも言われていることなので割愛します。
読書感想文に最も求められることは、感想文の作者が、その本と出会ったことでどのように行動や思考が変化したのかという点です。
それに対し、書評は「あらすじ」からは逸脱できているものの、作品紹介の域をでません。
そんな感想文を受け取っても「へぇ」以上の評価をすることはできません。
まずはこれを「〇〇が興味深かったです。」に変えるだけでも、感想文としての印象は大きく変わってきます。
これから書く感想を説明する上での心構えをしてもらうための部分であり、それ以外の情報は余計です。
本は必ずしも面白くなくてはならないわけではありません。
逆を返せば、印象に残る部分がなかった本は感想文を書くに値しないからです。
「感動しました」「憤りを感じました」「悲しく思いました」「楽しくなりました」「共感しました」
・実体験、身近な存在への置き換え(感想文全体の20~30%が好ましい。)
印象に残った部分、もし自分だったらどうか、身近な存在だったらどうかと置き換えてみます。
それをする理由は、その内容は感想文の作者しか絶対に書けない内容になるからです。
つまり、これをすることによって唯一無二、その作者しか書くことのできない感想文ができあがります。
小学生低学年ではあまり必要のない部分なので括弧書きになっています。
なくてもいいけど、あったらいいよねという部分です。
先程の「実体験、身近な存在への置き換え」で書いた内容に対して、自発的に反論を試みることで、その人の成熟度や成長過程を表現することができます。
いわゆる思考の深さを読み手に感じさせることのできる部分です。
「実体験、身近な存在への置き換え」が最も肝の部分だとするならば、この部分は最も評価を稼げる部分です。
感想文を書かせたい人は、例外なく、その作品を読んだことで心が動かされて、その人の未来が変わってほしいと願っています。
だから、そうなるかもしれない片鱗を見せて、その邪な気持ちを成仏させてあげるのです。
戦争を扱う作品を読んだら、「戦争は良くないと思いました。」で終わるのではなく「そうさせないために、自分はこういうことをしていきたいです。」のように、できるだけ具体的に書くことが大切です。
自分の場合は、大人のこうしてほしいが透けて見えるタイプだったので、そことは少しフォーカスをずらした、それでいて前向きな内容で締めるようにしていたところ、アホな大人がたくさん釣れました。
では、実践してみましょう。
「正解などない読書感想文の、正解と言える書き方」を読んで
https://anond.hatelabo.jp/20200820204626
この増田は、夏休みも終わりに近づき、読書感想文で苦しむ家族を救うことを目的に書かれた、一見乱暴な口調ながら優しさあふれる増田です。
・印象に残ったこと
印象深く感じられる部分はとにかくその言葉選びにあります。下品な単語や言葉遣いを随所に散りばめて、読み手を飽きさせないリズムを作っています。
ただ、面白い手法ではあるものの、こうした手法は増田ではすでにポピュラーであり、目新しさに欠けているというのが素直な感想でした。
しかしながら、ハウツー的な内容であるにも関わらず余計な言葉でいたずらに文字数を増やしているこの増田自体が、逆説的に余計な肉付けで文字数を稼ぐ読書感想文のハウツーになりえていて、結果的にこの増田が読書感想文を得意とすることを裏付けていることに気づいたときは、思わずにやりとしてしまいました。
自分に限って言えば、肉付けで苦労したことはなく、むしろ文字数に収まらせることのほうに時間がかかりました。説明が冗長ではないか、同じような内容や表現を繰り返してないかなど、思いつくままに書いた内容を並び替え、削っていく苦労ばかりが思い出されました。
そもそも、文字数が予め規定されている事自体が読書感想文における余計な肉付け問題の原因であり、その中でシンプルながら鋭い言葉で規定文字数を下回る感想文を提出できるだけの文章力に自信のある生徒がどれくらいいるかと考えれば疑問だと言わざるを得ず、結果的にこの肉付けハウツーは不可欠なものなのだと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。
・未来の行動
この増田が読書感想文の正解と言える書き方かと言われれば疑問ですが、実際の増田に対して感想文を書くという手法は斬新で、そもそもその増田に対するコメントを書きたかっただけで感想文のハウツーは後付だったのではないかとも勘ぐってみながらも、早速真似してみましたところ簡単ではないことに気づき、今後も少しずつ取り入れていこうと思いました。。
●多分まず報道が死ぬ。東京地域以外のメディア社が情報を得ようとすると思うけど、東京支局に繋がらなくて同じ情報のループしかできない。仮に大阪が発信できたとしても大阪の報道は岩手で見れないから情報伝達は鈍化、各地のテレビラジオが情報ループする。
●官邸は東京のことしかまず対策できない。関東近県の情報は入らないので、東京3区と湾岸沿いくらいしかまずは手当されない。
●災害直後は小エリアごとに対応を頑張る。地域病院に患者は運び込まれるし、消防も出動する。でもやがて満床になり破綻する。指示系統も機能しない。超重症者以外は自力でなんとかするしかない。
●避難所が開設される。しかし東京は住民以外の滞在者が多いため、その地域に根付いていない人を避難所は受け入れることになる。治安悪化、差別、猜疑心も高まる。避難所の受け入れ拒否も多発する。暴徒化。
●食料品店は早い段階で空になる。道路が駄目になるので補充も効かない。購買や物流担当者も多くは東京で被災しているので破綻する。援助物資を待つことになるが、上記の理由で家の外は危険度が高くなる。
●道路が使えないならば、線路を歩いて帰宅しようとする人々が発生する。本屋コンビニから早い段階で東京近郊の地図がなくなる。諍いも起きる。横浜、大宮、柏あたりで一晩過ごす場所を求め個人宅を訪問する人が現れる。
●TwitterはじめとするSNSが一瞬大騒ぎになり、お祈り、情報(デマ含む)、人探し、助けて、災害ハウツーで満ち溢れる。やがて充電の残りを気にして静まり、情報は古びて流れなくなる。人々は孤立する。
●知的障害、身体障害者、施設入居老人、病児、ペットなどの声は消える。東京が全体的に被災した場合、彼らを助けられる人材もいなくなり、助けを呼ぶ声もあげられなくなる。
●コロナウイルス対策は無と化す。その場で痛みを引き起こすような伝染症でもないコロナウイルスに対して対策をする余裕はなくなる。人々はマスクを脱ぎ捨て、近距離で接触しあい、飛沫は飛ぶ。3密対策は現実性を失う。
●恩を売るため、または統治目的で、諸外国は介入を試みる。アメリカ軍基地にはオスプレイが離着陸し、大型船が東京湾に続々と入る。官邸はそのやりとりを行うものの、政治的な駆け引きをする余裕は残されておらず、なすがままに各種前例を作らされたり恩を売られたりする。国民向けの発信は弱まり、人々は国を恨む。
●被災地以外の道府県の首長が手を差し伸べる宣言をする。ただし実際はどこに何をするべきなのかがわからず、情報収集中と言ったり、発信力が残された被災者への救助が重複したりと混乱をきたす。維新が勇ましく振る舞い大阪府民は誇りを感じる。
●被災しなかった地方でも、数日経つと商品が流通しなかったり、テレビ番組がローカルニュースばかりになったりと実生活でも東京不在の影響を感じるようになる。やがて東京を避けて各地方ごとの繋がりでライフラインが再建され始める。発電所の電力は供給過多に陥る。
●各地から東京へのボランティアが旅立つ。しかし規模が大きすぎ、また交通が壊滅していて、東京への入口である関東近県から始めることになる。都心は取り残される。タワーマンション内で餓死リスクが高まる。