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2023-03-11

anond:20230311085306

以下のくだりが、とても印象的だった。

その時にわたし出身地名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

恥ずかしい話、「神戸出身から」と言われて私は何も分からなかった。

私は自分地震津波被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。

「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。

その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。


ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。

自分けが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。

ただ、被害者という言葉共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災経験したひとと、東日本大震災経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの

多分、増田上記言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。

ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマ性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北もっとも大きな漁港ひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。

しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。

父は東北我が家家系からすると、よそから婿養子だった。

その父が他界した親戚をふりかえってぽつりとこうつぶやいた。

「あれは天罰のようなものだったんだろうね 」と。

期待していない予想外の冷徹つぶやきに私は動揺した。

他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年津波の前から漁港生計を営んでいた。1933年津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。

大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉自身のつらみを含ませて表現したのだった。

父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情

個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。

たとえ、誰と震災経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。

震災経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。

こうしたファミリーヒストリー視点でそれぞれの思いがある一方で、

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。

という上司言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロ視点での気づきをもたらすのも災害だ。

そして、それが何かの理由で、自分自身ファミリーヒストリー神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分ある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。

実をいうと、よりマクロ視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性被害を増幅させている、という視点最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。

1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理文脈で救援対象として、比較ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市社会構造脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災自分仕事として防災世界に入るきっかけを作った。

ざくっとまとめると以下のような歴史神戸にはある。

神戸都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入低所得層脆弱埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀鉄道時代に入ると、阪神間交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地住宅地建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代都市生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸産業シンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者低所得者ばかりとなった(インナーティ形成)。

これに対して1980年代神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設物流機能強化のための明石大橋建設最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。

その一方、社会脆弱層への支援行政による市街地再生は後手に回っていた。

オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地長田区スラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったか番町地区検索をしてほしい。

このような経済格差脆弱性が生み出された、マクロ構造変動のなかで襲ったのが1995年大地震であり、被害社会経済的脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。

社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害高齢者低所得者に集中したのは、ある意味歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロ政治的経済的な動向と切り離せないということだ。

そして、このような格差脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコシリア大地震でも、当てはめることができる。

このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。

パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。

また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロ特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっと重要エントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。

からトルコシリア現在進行形震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロ視点で、特定家族地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGO支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係SNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分支援したお金支援先の一家族あたりの支援額(しか第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。

そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

というのは、居酒屋トイレ洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。

災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。

2022-11-28

東京の人ってどんな所に出かけてるん?

兵庫民なので、

  1. 姫路で、姫路城、あずきミュージアム、山の上の姫路水族館モノレール姫路おでん、姫路卵焼き
  2. 神戸三宮で、異人館神戸大橋、中華街ハーバーランド博物館美術館動物園パンダコアラ六甲ケーブルフルーツフラワーパーク、しあわせの村
  3. 明石で、明石大橋、明石焼き、タコの姿焼き
  4. 淡路で、玉ねぎクレーンゲーム、ニジゲンノモリ、香りの館、ドラゴンクエスト記念碑ホテルニューアワジ(まだ泊まれてない)、淡路舞台
  5. 瀬戸内海の島巡り
  6. 秋になったら京都神社巡り

と、こんな感じなんだけど、東京の人ってどんな生活してるんだ?


道の駅めぐりなんてしてなさそうだし、

県内の酒造・醤油ソース味噌メーカー調べて飲み比べ・食べ比べもしてなさそうだし、

おかきの播磨焼き見て、ヤバそうやけど朝日揚げ美味しいからまぁえっかって過ごしてないやろ。



追記

ダムカード集めもやってる。地下ダムなんてのもあるんだっていう発見があって楽しい

2022-10-04

はてぶで得た教訓

このブコメ自分にとって教訓となっている

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221003210803

porquetevas これだけ力説して明石歩道橋事故に頑なに触れないのがちょっと怖いんだけど

augsUK 明石花火大会歩道橋は、集団密集での転倒の怖さを伝えるのにこの上ない事例。何かに逃げ惑うとかでもなく、ただ花火大会で異常に混んでただけのボトルネック20人近くが死亡したわけで。

kjin なんで明石事故に触れないの?て思った。群衆、圧死て報道ならまずこれだろうに。

ブコメの多くが、明石大橋に言及していないことを訝しげているか、それについてのツッコミばかりだ

どう考えても元記事に対する感想言及より、とりあえず明石大橋の事件に結びつけることにしか頭がいっていない

ブコメが悪いというより日常はこういう話が普通にされていて誰も気づいていないだけかもしれない

これくらいの長文に対してわざわざコメントをしたがる人っていうのは、存外文章全体を読まずに自分が指摘しやすい箇所だけに注力しているということだろう

仕様書全体から見える工程の難しさや人員配置おかしさではなく、単なるテニヲハだけを指摘して「俺は読んでいる」とアピールしたい人っているからね


そしてこんなことを堂々と指摘されている

ttps://anond.hatelabo.jp/20221004013502

これ言ってる人たちが唯一知っていて、この会話に参加できそうな唯一のネタ明石雑踏事故からだろう。そしてそこにもし何らかの間違いがあれば、指摘することで優位に立てるとでも思ってるんだろうか。

ストレートすぎる正論でありこれ以上に的確なものはない

もちろんコメントの内容を抑制することはないんだが、自分ブコメと同じ罠にはまらないとは限らず、何が罠でなぜかかったのかを明文化された一連の流れは自分の教訓となりそうだ

2022-01-07

兵庫くらいの地方で、どうやって活性化すりゃいいんだ?

地方と言って思い浮かべる像が違うので、ここでは兵庫とする。

神戸スパコンSpring-8といった、話題になるものはあり、まだマシだが、産業は徐々に衰退に向かっている。

パソナ淡路島移転といったら島流しというような反応があったように、多くの人からすると下位階層になるのだろう。

(実際観光で回ると、堀井雄二氏の出身地ドラクエ記念碑があったり、明石大橋近辺の再開発リゾートなどはあるが)


スパコンが置かれてから、それなりに時間が経った。

本番環境スパコンジョブを投入する前に、事前確認するクラスタサーバー群があったりするが、兵庫コンピュータサイエンスが発展しているとはなっていない。

一時期、カーネギーメロン大学支部があり、そこでコンピュータサイエンスを学ぶことも出来たが芽吹かなかった。


神戸市はスタートアップ支援しているが、福岡の方がまだ成功している。


明石市のように子育て支援で有名になり人口増になっているところはあるが、職場そもそも近所であり、周囲の市から移動しているだけで、

東京のように若い人が集まるような条件はない。

子育て世代予算を割り当てても東京に優秀な人は取られるという構図は変わらない。


それなりアセットはあるが、東京がバフかかりすぎているのと比べると太刀打ちできない。

大阪のように政治ばかり注目され、メディアネットオモチャになっていないのはまだマシではあるが。

2019-04-28

橋こわい

明石大橋こわい。鳴門大橋こわい

なにが怖いって横風が怖い

瀬戸大橋もこわい

いかニーグリップをしっかりして、姿勢を低くしてやり過ごしてる

そういえば瀬戸大橋バイクから直接、走行中にデジカメ撮ってる強者がいたけど、あれは何だったんだろう

風といえば、アクアライン千葉側も怖い

何度通っても慣れない

最近だと新名神が怖い。やたら高いとこに道があって風がびゅーびゅー

風がびゅーびゅーといえば東名静岡あたりで風がびゅーびゅー吹いてた気がする

台風の時に明石大橋で風で横転したトラック事故があったけど、さもありなんという感じだった

ほんと橋はこわいよなぁ

あ、しまなみ海道はなぜか大丈夫だった。たまたま

2016-03-21

大阪で何を観光するの?

普段の買い物とか飲み会とかならまだ分かるんだけど

大阪って大阪城USJぐらいしか行くとこ無いと思うんだけどな.

百歩譲って万博記念公園とか?でもわざわざ行くとこか?

一方で京都はもちろん,奈良だって東大寺法隆寺春日大社吉野かいっぱい行くとこあるし

神戸だったらポートタワー周辺・異人館有馬温泉明石大橋神戸じゃないけど)・姫路城姫路なっちゃうけど)とか

大阪より周辺の方が断然観光に充実してると思うんだけどな

大阪に泊まって周辺を旅行ってのなら分かるけど,どうもそうじゃないみたいだし

みんな大阪の何を観光してんのか分からん

2007-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20070619211128

北海道九州四国沖縄関西日本からの独立を表明!?

各独立国は関門海峡瀬戸大橋しまなみ街道、明石大橋青函トンネルの前後に国境線を設定。

これにより、全国の高速道路鉄道が一部ストップ!?

また、この機に乗じて沖縄に駐留しているアメリカ群が沖縄をはじめ九州四国を制圧。

ここに48番目の合衆国の州として、Japon州を宣言した。

この事態を重く見た、中国ロシア韓国は同盟を結び、Japon州からのアメリカ解放を唱える。

一時、日本海において両軍の戦艦が睨み合いをするといった緊迫した空気も流れる。

テロ撲滅」を掲げるアメリカはこの中・露・韓をテロ支援国家に認定。

当然、大量破壊兵器存在を指摘し、国連の制止をふりきり

10万人規模の兵力を動員してプサン、上海台湾に上陸。

空からも空爆を繰り返すなど、現地は悲惨な光景が繰り広げられている。

 
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