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2023-12-02

小中高とモテていて、高校時代彼女も向こうから告白されてできた。

高校卒業して六甲台の機械工学科入って6年間過ごしたら見た目も無頓着になった上に中高では冴えなかった男たちが努力してレベルが上がり、女性コミュ障になって遠距離になった彼女とも別れた。

俺は機械工学人生を壊された。

まあ研究室の仲間と「かばんちゃーん!」ってやったり鍋食ったり食堂でギャザやってる時間も楽しかったけど。

2023-08-08

全国高校野球選手権は入場料をあげるべき

現在中央指定席大人子供で4,200円する。

これを学生は据え置きで大人価格8000円以上にしていいと思う。

そして試合京セラドームでするべきだ。

コンサート価格よりは安めだし大体あれは学生のためのものなので、大人二の次でいい。

人気校以外は入らないと言うのなら期間限定パスもつくればいい。生徒から搾取できるグッズでも作ればいい。例えば京セラ空気缶とか。

大体甲子園から移動したくないからっていつまで単純な商売をするのか。

運営の怠慢だ。

京セラでするべき理由は暑さと天気だ。暑さも天気かもしれないが。

とくにこの暑さは異常だ。

甲子園近辺に長く住んでいた。

六甲おろしという言葉があるが、六甲強風が落ちてきて暴風が吹く。野球に向いてると思えない。このあたりは海風も来る。昔からムシっとした暑さが籠もる地域だ。

高校生の頃、吹奏楽部に入っていた。近場だとして遠方からの出場校の助っ人甲子園応援スタンド応援したことがある。

吹奏楽部はほぼ試合が見れない。単純に位置もあるし、指揮者や合図、楽器を見なければならないからだ。

そして屋根もない。サポートしてくれる人が一人ずつついてくれるわけもない。

その日は炎天下だった。トランペットトロンボーンの照り返しは異常だった。目も開けてられない。

金管楽器は熱を持っておそらく目玉焼きくらいは作れる温度になっていた。体に広範囲触れているユーフォニアムホルンになると地獄である

そもそも潮風だ。楽器にクソ悪い。錆びるぞ。

時期もコンクールと被るし最悪なのだ甲子園のために炎天下走り込みをしてる余裕はない。

結果として、部員の多くが熱中症になった。

甲子園球場を出たところの高架下で気が抜けたのだろう。

複数人が座ると立ち上がれなくなり、無事なもの楽器の片付けをして、帰宅してから倒れたものも居た。

普段炎天下練習してるから大丈夫だと言うプロ野球選手も居るが、吹奏楽部はそんなことはしてない。走り込みだって涼しいときにする。無理だ。

卒業した多くの甲子園応援経験者が不満を語るが、改善はない。

どうも本気で辞めさせようという動きが無いようだ。

それは顧問同士の関わりだったり、学校長意向や、精神体育会系吹奏楽部という特殊環境もあるのだろうが、やはり同じ部活生徒として頑張ってる人を応援したい気持ちが、動きを止めているのだと思う。

からこそ外部からしか変わらない。

吹奏楽連盟はこの件に関して声明をだすべきであるし、大人子どもたちを守るべきだ。経験たからこそわかる。

自分応援したときよりも気温は上がっている。

映像を見るたび恐ろしくて仕方がない。

マウンドの体感気温は一体何度なのだろうか?

断言するが、高野連甲子園でおそらく死人が出るまでやり続けるつもりだ。

その死人が自分の子どもだったら、孫だったら。

2023-07-10

いち神戸市民(東のほう)の好きなパン追記した)

anond:20230709032032

うきうき読みました。三宮より東に住んで、三宮で働いているふつうパン好きが好きなパンを共有したい。

どちらかというとハード系が好き。ベーグル好きだけど日本では諦めてる派。

パンの朝食は休日だけです。毎日食べたらお金たいへんやん。

並ぶのしんどすぎてRIKIとか行ったことない。

三宮あたりで便利

玉ねぎパンコーンパン。あとクイニーアマン好き。パンが大きい。レストラン併設の岡本店はちょっと他の店と違う種類があって楽しい食パン工場で一括生産だけどおいしいよね。

しおばたにスライストマト挟んだら至高。ぱくっと食べる系は、定番チョコッペ好き。サラミピザスクラ三宮店だけ?)すごい好き。

ドイツを軽く温めてバター塗って食べると最高。クロワッサンベーグルクロワッサンでもベーグルでもないと思うけど大好き。三宮店は移転ちょっと他の店と品揃えとか変わったね。六甲店が好きです。

食パン、サクッとしておいしい。自分の中ではどちらかというとお菓子カテゴリで、小ミミパイ大好物です。

あんバタージャガイモ練り込んだやつ。ちょっと高いのと、観光客でいつもいっぱいなので行く頻度は高くない。

明太子フランスオリーブ入ってるバゲットクロワッサンツナカスクートハムシンプルなやつ)。品質の割に安いのはきっとビゴさんのかたくななポリシーがあったのだろうと思う。今はさすがにじわじわ値上げしてる。苦しいでしょうが太郎さん(二代目)にはがんばってほしいのでせっせと買っています

最初に「食パン押し出してたので流行の謎の高級食パンかと思って避けてました。申し訳ない。食パン生地ベース惣菜パンが種類も豊富でおいしいです。

あん食パン一斤は多いねん!と言うわけでスライスの「あんトースト」を買いますちょっとフレンチトーストっぽくなってない? 惣菜パンの種類と安さとボリューム圧勝。いつものお昼ご飯

パイドーナツが最高に太りそうだけど美味いよ。袋入り食パンちょっと長持ちする系の食事パンもおいしいので、夜遅くなって「明日パンがない」時の駆け込み寺。(夜といえば、イスズベーカリー比較的遅くまで種類豊富にありますね)

何食べてもおいしい。バター正義とはいえお値段は相応なので、たまの贅沢。

クイニーアマンはここのがいちばん好き。経営エーデルワイスだったかね。

シフォンケーキとか、イーストで膨らますのじゃない系のお菓子をよく買う。 さんちかのハウネベーヤーもカスカードなのね。会社本部西宮(こういう小さいことにこだわるのが神戸民のあかんとこ)。

三宮からちょっと足を延ばすエリア

  • パネ・ホ・マレッタ

圧倒的物量の惣菜パン菓子パンからそのときどきのもの選ぶの楽しいよね。ハード系のベースの好きです。

バゲット好き。すぐ売り切れてしまうので、ブラウニー買ってとぼとぼ帰ることが多い。

バゲットジャガイモ練り込んだやつ。(ジャガイモ入り好きなのに名前を覚えない)

山食で今いちばん好きな店。小麦粉の味がしっかりする。惣菜パンもおいしい。

バゲット系がおいしい。ビゴで修行してたと聞いた(修行してた店を気にするのも神戸民の悪癖)。

レストラン喫茶店への卸がメインの会社の小売り。プチパンとかの食事パンが安くて美味くて最高。

クリームパンなどカスタードクリーム最高。食パンもっちり系の中ではいちばん好き。

フランスパン系が何買ってもおいしかった!

カンパーニュはここのがいちばん好きです。シンプルなやつ!

かなり足を延ばす系

クロワッサンめっちゃ美味いよね…

カフェバゲットサンドイッチ食べたらめっちゃおいしかったよ! 粉の味しっかり、ハムバターを受け止めてました。また食べたい。

やっぱ京かるねは唯一無二な気がする。バランスよ。

スーパーパン

超熟イングリッシュマフィン大好き

よく買うサンドイッチ屋さんが使ってるのはロイヤルブレッド定番サンドに合うよね。

ショコラデニッシュって名前だっけ、パンショコラみたいなやつ。

そういえば「神戸メロンパン」ってあんまり食べないな、白あんより粒あん派なので…。でも全国的メロンパンと呼ばれるアレは「サンライズ」って呼んでる。

2023-07-09

いち神戸市民の好きなパン屋書く(追記あり)

さら追記書きました。

anond:20230710235412

志津屋 京かるね、ニューバード

ル・プチメック クロワッサン・オ・ブール

たま木亭 和栗パン、ロデヴ、ぐしけん(復活してほしい)

シナボン ミニボンシナボンの大きさはきつい)

ベッカライ・ビオブロート フォルコンブロードシナモンロール

ロートバール・セセシオン ロデヴ(もちもち生地

パンタイム 蒸し栗バター

ビゴの店 バゲットパンペルテュ、カヌレ

ケルン ドイツ(ミルクの甘さがいい)

ロインドリーブ クロワッサン(薄くてパリパリのとこが好き)、ハードトースト(子供とき香りが変わった気がする)、シトーレン

ロイン堂 あんドーナツ(かすかにシナモン香りがするのがいい)

イスズベーカリー スコッチエッグカレーフランスDEあんことバターエンペラー(山型パンのフチが食べたいとき

パンやきどころ RIKI リュスティック(栗かリンゴが入ったの気分で)

PAUL カヌレ

シカパン バッファロー

ヤマザキ ダブルソフト

栗か、モチモチが配点高いのかな?

追記

神戸市民の増田です。

夜中に寝ぼけて書いてたら、ブクマ増えててびっくりしました。ありがとー。

神戸市の美味しいパン屋を書いたんじゃなくて、私の好きなパンを挙げただけです。

混乱させてしまってすみません

から西に所在するパン屋さんを書いたのだけど、フロインドリーブとフロイン堂の位置が逆ですね。

美味しさを追求するほどこだわりがなくて、昔ながらの素朴なパンも大好きです。

パンと言いにくい系だと、ケーニヒスクローネクローネとか、

神戸阪急地下にあるピロシキ屋のロシアピロシキとかも大好きです。

(昔、京都高島屋にもあったのに消えちゃったので神戸にはずっと残り続けてほしい。)

追記が、本文より長くなってしまいました。ごめんなさい。

====

神戸市内のパン屋さん

ふわふわ菓子パンいいですね!

一度午後に買いに行ったことがあるけど、たまごサンドに苦手なパセリが入っていて気持ちが遠ざかってました。

アルビオレってロデヴの一種?食べてみたい。

兵庫区って最近パン屋が増えてきている気がするのでおすすめ教えてください。

イスズベーカリー工場移転したし。

神戸国際会館の近くに通りがかったら買いに行ってます

何食べても美味しい!あんバターがあれば気分上がります

書き直さなくてごめんよ。あん食おいしいよね。

一斤食べるのに冷凍して一週間はかかるので、

1枚スライスとか、クリームパンとか、たまごの入ったホットサンド買ってます

サンプラザの地下とデュオこうべだけになってる。

ドイツとコルゲンチャが好きだけど、何年も食べてないなぁ。

増田地元パン屋さん

タマサンドナポリチーズが好きです。

コストコ神戸の裏手の住宅街にある、ファンベックにいた人のパン屋さん

パン食べて感動した。

神戸市以外のパン屋さん

昔、スガキヤ子会社時代に一瞬元町にお店があって、撤退してからずっと恋焦がれてた。

神戸梅田大丸催事ネットで買ってたけど、

ルクア大阪の地下に常設になったので大阪駅に行くたび買ってます

あのパンシナモンフロスティング中毒性がありますね。

ルクア大阪京都伊勢丹に行ったら、クロワッサン オ ザマン絶対買います

何食べても美味しい!

コムシノワと同じで開拓が足りてない。

北新地に買いに行ってます

マツコの知らない世界バタートーストの回で見てバタートースト作って食べたら、おいしかったので書いてみた。

生で食べておいしいと思うかは、知らんけど。

北区灘区東灘区の方へ

うちの近くのパン屋ないやん。って思う人がいると思います

私、西のほうの人間なので、六甲とか、東灘のパン屋さんあまり知らないのです。

ビアンヴニュとか車で前を通るけど行ったことないのです。(セセシオンから近いのに)

神鉄沿線三宮より東の美味しいパン屋さん情報教えてください。

京阪神の方へ

ケーキ屋さんで売ってるパンおすすめなところを教えてください。

2023-07-08

anond:20230708084034

いや、それを言えば芦屋夙川神戸ではないけど、パン屋の平均レベル高いのだけどね。元増田エリア設定が外向けには通じるけど微妙に誤っている感じ。神戸駅以東の三宮元町から既に六甲西宮からレベルが落ちるし。

要は阪神間金持ちエリアパンが平均的に美味しい(店の値段自体は高くない)。

anond:20230708081621

神戸については知らない人に神戸、と語ってしまいがちだが、正確には阪神間(伊丹西宮御影六甲ぐらいまで)の気がするのよね。パンについても洋菓子類についても。三宮までいくと一段平均レベルが落ちる感覚

2023-03-28

全ての山を「さん」にして擬人化する

富士さん(背が高い)

高尾さん(東京風を吹かしている)

函館さん(キラキラ光ってる)

阿蘇さん(怒ると爆発する)

六甲さん(阪神ファン

高野さん(出家してる尼さん)

釜さん(K-POP大好き)

2023-03-11

anond:20230311085306

以下のくだりが、とても印象的だった。

その時にわたし出身地名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

恥ずかしい話、「神戸出身から」と言われて私は何も分からなかった。

私は自分地震津波被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。

「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。

その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。


ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。

自分けが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。

ただ、被害者という言葉共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災経験したひとと、東日本大震災経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの

多分、増田上記言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。

ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマ性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北もっとも大きな漁港ひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。

しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。

父は東北我が家家系からすると、よそから婿養子だった。

その父が他界した親戚をふりかえってぽつりとこうつぶやいた。

「あれは天罰のようなものだったんだろうね 」と。

期待していない予想外の冷徹つぶやきに私は動揺した。

他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年津波の前から漁港生計を営んでいた。1933年津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。

大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉自身のつらみを含ませて表現したのだった。

父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情

個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。

たとえ、誰と震災経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。

震災経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。

こうしたファミリーヒストリー視点でそれぞれの思いがある一方で、

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。

という上司言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロ視点での気づきをもたらすのも災害だ。

そして、それが何かの理由で、自分自身ファミリーヒストリー神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分ある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。

実をいうと、よりマクロ視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性被害を増幅させている、という視点最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。

1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理文脈で救援対象として、比較ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市社会構造脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災自分仕事として防災世界に入るきっかけを作った。

ざくっとまとめると以下のような歴史神戸にはある。

神戸都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入低所得層脆弱埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀鉄道時代に入ると、阪神間交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地住宅地建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代都市生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸産業シンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者低所得者ばかりとなった(インナーティ形成)。

これに対して1980年代神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設物流機能強化のための明石大橋建設最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。

その一方、社会脆弱層への支援行政による市街地再生は後手に回っていた。

オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地長田区スラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったか番町地区検索をしてほしい。

このような経済格差脆弱性が生み出された、マクロ構造変動のなかで襲ったのが1995年大地震であり、被害社会経済的脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。

社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害高齢者低所得者に集中したのは、ある意味歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロ政治的経済的な動向と切り離せないということだ。

そして、このような格差脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコシリア大地震でも、当てはめることができる。

このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。

パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。

また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロ特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっと重要エントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。

からトルコシリア現在進行形震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロ視点で、特定家族地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGO支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係SNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分支援したお金支援先の一家族あたりの支援額(しか第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。

そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

というのは、居酒屋トイレ洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。

災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。

2023-01-12

anond:20230112014656

神大付近住民なら灘の酒蔵〜て表現はしなさそうだから西区の方の大きい大学の子かな、て思った。

自分阪急六甲まれ育ちのアラフォーです。六甲道の駅舎が崩壊してたの衝撃だった

anond:20230111171031

六甲台かな。大学神戸に居たけど、良い街だったよ。誕生日おめでとう

2022-08-12

anond:20220812051843

名門校安心感ってあるよね。関西だと甲陽学院とか六甲とか?創立の経緯がはっきりしていて、同窓会がしっかりしてるところ

2021-10-19

anond:20211019010333

神戸夜景も綺麗でパンも美味しいし粉もんスイーツも美味しいし

神戸🐮もちろん美味しいし。中華も美味しいし坂は凄いし六甲でうっかりお弁当を食べていたら羊に狙われるニャ。

2021-07-10

anond:20210710212322

くっくっく

貴様六甲の水だと思って飲んでいたその水

実は大昔から淀川の水なのだ

2021-05-27

六甲の水が枯渇するという話は聞いたことがないなあ。

相変わらず水道水を詰めてるのだろうか?

2020-07-17

中古マンション買うかも

しがないソフトウェアエンジニアしてるけれども、今の会社含めて業界全体的でリモートワークが定着しそう。というか、今の賃貸がク○過ぎて、自宅作業苦痛引っ越しを考えるも、「新建築」に載るような集合住宅に住んだ時期を想起しても、この国の賃貸クオリティーはあまり高くなさそうであり、人生で初めて不動産購入を検討中

現在都内でも比較的小さな店が多い中央線沿いの街住みで、引越し先は賃貸ベースならば1年ぐらい前から中目黒検討していたが、物件を買う=10年ぐらい住むとなるともっと自然が多い街に行きたいみたいなところ。

ひとまず中古マンションの購入を検討をしているが、驚くほど非効率作業を強いられるので誰かにこの不満を共有したい。

マンション内装部分はいくらでも変更可能なので、正直部屋の写真とかはどうでも良い。寧ろ、「マンションの躯体・構造」「管理組合」そして「街の将来性」に関する情報を知りたい。これらは相当程度データ表現出来ると思われるところ、suumoなりhomesなりを見ても絶望的にそれらの情報記載されておらず、なんとなく良さそうな物件を見つけては不動産仲介業者との膨大でかつ不必要コミニュケーションを強いられる。そのわりに不動産仲介業者提供する新しい情報殆ど皆無だったりする。

例えば、このようなデータを見たいが(意外と)標準的に容易に閲覧可能となっていない。

◎「マンションの躯体・構造

◎「管理組合

↑ 一部のマンションではこれらの大部分の情報が [マンション管理ネット](https://www.mirainet.org/) で見られる

◎「街の将来性」

...

...

etc

正直これぐらいのデータがあれば、今すでに標準的に表示されているデータと合わせ、知らない街の知らないマンションでも短時間で相当程度その価値を見極めることが出来ると思う。

とはいえ、なんだかんだ解体計画管理組合電子化に関する情報住民のnpsが分かれば良い気もしている。

解体計画そもそもスクラップアンドビルドのノリで作っているのに解体計画が無いのが良く分からないが、これがあれば竣工時の情報・修繕の想定・リスクの想定などマンションの躯体・構造に係る必要情報が組み込まれている可能性が高い。また、物件評価するときに、解体計画に基づいて実質的な経過年数を評価出来る手法もあり得る。

管理組合電子化に関する情報 → 結局知りたいのは管理組合コミニュケーションのあり方。区分所有法に基づき総会議事録を電磁的記録で作成するのは難しそうだが、議決権行使は電磁的方法OKだし、その他管理組合アプリみたいのも幾つかあるので、ある程度管理組合電子化していて欲しい。ここが電子化されていないと、老人が多いかコミニュケーションコストが高そうなイメージを持ってしまう。 あと、国交省が言うような100年マンションがあったとして100年後に紙資料が保存されているのか、疑問がある。

住民のnps → npsを細かく取ればその自治体についてある程度は分かりそう。特に、街の中長期的な発展には新陳代謝重要そうなので、若い世代のnpsを知りたい。「住みたい街ランキング」とかどうでも良い。appstoreでアプリダウンロードするときに知りたいのは、ダウンロードした人のレビューであって、これからダウンロードするかもみたいな人の意見ではない。

ただ、この3つが明示的に分かる場合は少ない。なので、結局仲介の人に連絡をし、実際に物件を見に行かなければならない。そしていろいろコミニュケーションするが、結局良く分からないままになりがち。契約交渉をすると分かることもあるらしいが、ただ情報を知りたいためだけに毎回契約交渉したくない。

一方で、これらの情報が今のマンション価格には組み込まれていない可能性もあり、知識時間があれば良い物件を探せるような印象もある。今の日本マンションの中長期的に支配的な価格決定条件=「駅近xx分」と「ブランド」に収斂しているように見受けられるので、諸外国マンション価格決定を想像するに、多分価格に組み込まれていない情報は多いのだろう。不動産テックの人ってどんなことをしているのだろう。

その他雑感:

・鉄鋼の強度が上がったからか、最近東京新築マンションファサードの曲線やコーナーサッシが大胆だったりしてカッコ良いの増えてきた。駅・商業施設直結系も良い。けど絶望的に手が届かない。イギリスではマンチェスター再開発成功しているらしく、日本地方都市にもこのような流れが普及することを期待したい。

中古物件データがより可視化され、中古物件の売買が容易になることで、仲介業者手数料収入は多くなる筈だが、何故日本仲介業者はその方向性ロビイングをしないのだろうか。結局ここが分からないということは、まだ自分不動産の闇を知らないのだと思う。

・築40~50年で誰が買うのだろう?みたいな物件でも管理費・修繕費が毎月数万円掛かる。これを誰も買わなかったらどうなるのだろう。ただ、同築年数で自分が手が届かないような金額帯の物件も案外ある。しかデータがあるここ5年ぐらい価格が下落していないことが多い。ババ抜き怖い。

新国立競技場建設時に立ち退きを迫られた築40~50年物件住民を思い出す。確かに、良エリアなところには昔の人が何も考えずに建てた中途半端マンションがありがち。そしてそのせいで街の流れが悪くなっているし機会損失が発生している可能性もある? 住民間の公平性観点から東京オリンピック関係なく、良エリア中途半端マンション住民には躊躇なく立ち退きを迫るべき。

・つくづく新幹線は凄いと思う。初期の設計思想が優れているから、次の時代でも進化を遂げている。それに比べて日本マンションはどうなのだろう。あと、新幹線満州国での経験が色々生かされているらしいが、同様の経験が活かされているらしい〇〇ニュータウンは。。。

・結局税金解体されるマンション増えてきそう。責任を次の世代にまわす日本人の思考回路を感じ始めている。もうこういうゲーム自分たちの世代で止めたい。

・幾つか物件を見たが、中古マンションをどんなにリノベしても数年後の販売価格シビアになりそう。まして、金融機関担保評価はリノベに掛けた費用など考慮しなさそう。数年後に残債以上の販売価格で買主と合意できても、買主にローンつかないこともありそう。欧米金融機関担保評価ってどんな感じなのだろう。

都市計画を定めるとき地権者意見の強すぎ。x年後にその土地で住む人、働く人は潜在的に皆利害関係者なのでは。x年後に地権者はそこに土地を持っているのだろうか。今すぐ土地を高く売りたい人による、今すぐ土地を高く売りたい人のための、今すぐ土地を高く売りたい人の都市計画作りましたみたいな街が多すぎ。

自分生活都心を思ったほど必要としていなかった。結局都心毎日行っていたのは仕事必要性が90%ぐらいだったようだ。ロンドンハイドパークやリージェントパークみたいのが都心に無いのが残念。南池袋公園とかもっと頑張ってほしい。

・というか、リッチモンド公園みたいな公園郊外にあって欲しかった。〇〇ニュータウンはそのような公園に出来る可能性はあったのでは。となりのトトロを見て何故か作成者の静かな怒りを感じた記憶がある。だからこそ、これまで〇〇ニュータウン出身であることを恥じていたのだろうか。

ミラノのBosco Verticaleみたいな建築家駆動マンションプロジェクトってどうやって調べたらよいのだろう。日本マンションは基本デベロッパー駆動なのだろうか。六甲集合住宅とかは建築家駆動っぽいが。

中古自動車の購入も検討しているが、ここまでババ抜き感は無い。というか、細かい性能やデータが分かるし、価格妥当性・説得力がある。この違いは何?

・2軍の試合で良いので、車で球場に行ってみたい。何かアメリカ映画っぽい。あと、コストコが凄いらしい。一回も行ったことがないけれど。

・ひとまずこの苦難を乗り越え、沢山の知識をつけて、x年後に眺望の良いエリア一人暮らし用の注文住宅発注したい。

追記 2020/7/17 12時頃】

書いて寝て起きたら、書き忘れた不満が幾つかあったので、ちょっと追記しました。

2020-06-01

anond:20200601214414

ローソンに限らずPB結構好きです。

たいがいわりといい企業が作ってるもん。

イオン塩分オフのとろけるスライスチーズなんか六甲牧場(QBB)とかだし

バター森永さんだし、ほんと何の文句もないどころか安いし是非買いたい。

2020-02-03

三大「メーカーが変わった商品

バスクリン
津村順天堂1988年に「ツムラ」に社名変更から発売されていたが、医療漢方製剤を中心とする事業シフトするため2006年分社化2010年に「株式会社バスクリン」に商号変更。2012年アース製薬100%子会社となった。分社化以降はツムラとの人的および資本関係は一切ない。
六甲のおいしい水
当初はハウス食品から発売されていたが、2010年アサヒ飲料事業譲受。2012年には商品名が「おいしい水 六甲」となった。
C1000タケダ
1990年武田薬品工業食品部門武田食品工業」がシリーズ第一弾を発売。翌1991年にはロングセラーとなった「ビタミンレモン」を発売。2006年ハウス食品との合弁会社ハウスウェルネスフーズ」が事業を引き継ぎ、翌2007年にはハウス食品100%子会社となった。現在ブランド名は「タケダ」の付かない単なる「C1000である

2020-01-19

anond:20200118002943

俺は多分この増田よりちょっとだけ歳が上。あの頃俺は大阪北部で暮していたけど、あの日記憶が薄れるなんてことはないよな。

俺は当時箕面市の南の方に住んでいた。国道171号線通称イナイチ……京都方面から大阪北部を経由して神戸方面に至る、東西に走る道)沿いだったけど、この国道に並走するかたちで、あの地震震源になった六甲淡路島断層帯が走っていて、今見返してみると丁度国道断層の間に挟まれるようなところだった。まあ、そのせいか……揺れましたよ。幸い家が倒壊することはなかったけれど、大学に復旧作業に行って、さあ家に帰ろうとイナイチに出たら、神戸方面行きの車線が全てクルマで埋めつくされていた。沿道のコンビニには食べ物ひとつもなくて、コンビニが何とか提供しようとしたカップヌードルのケースの段ボールトレイが山のように積まれていた。あの晩、結局何も食べられなかったが、そんなことは何も気にならなかった。というか、そんな位で気にしようなんて、とうてい考えられなくて、水をたらふく飲んで寝たのだった。

それから2年位経って、当時の彼女クルマ六甲アイランドに行った。あそこ、大きな遊園地(AOIAってのがありましてね)あったよね、今どうなっているんだろう、って。甘かったよ。遊園地のあった筈の敷地に着いたら、おそらく液状化現象が起きて、その後舗装を全て剥ぎ取ったらしい赤い土の見える広大な土地。そこに縦横一面に仮設住宅が建ち並んでいた。あの光景はもう一生忘れられない。言葉もなく大阪に戻ったよ。

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