「「リング」」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 「リング」とは

2017-12-20

リングの貞子はどうでもいい。本当に怖いのはループである

鈴木光司「リング」とそれに続く「らせん」は序章に過ぎない。

リング3部作最後の「ループ」こそ、著者の本当に描きたかったものではないか

リングといえば貞子、そればかりだが、所詮ただの幽霊である

それ以上に、というか別次元の深い恐怖を表現しているのがループだ。これは怖い。貞子とは別種の恐怖に僕は包まれた。貞子などどうでもよくなるような怖さである

読んでから二〇年近く経った今でも恐怖の余韻が残る。読後、現実の恐怖に包まれる。これが本当のホラーだと思ったし、今もそう思っている。

anond:20171220080242

映画化される前に読んだ鈴木光司「リング」が怖かった。

今は貞子が使い古されてゆるキャラ扱いになってしまったけど、

物語の中の呪い自分にも降り掛かってしまたかのような気持ちになって、

恐怖から逃げる気持ちで一気に読破した。

2015-06-23

実写化アレルギーのいくつかのパターンを見た範囲で分類してみる

http://anond.hatelabo.jp/20150619121107

狂信的原作原理主義者

一番の過激派小説アニメ漫画のようなそれぞれの原作のみが許される存在で、それ以外はある種の冒涜しかないという一派。実写化にとどまらず、小説漫画アニメ化、またはその逆などのメディアミックスも一切許さないような人も珍しくない。

まあ単純に作品としてみた場合原作の時点で既に完成しているわけで、それ以外の焼き直しは無意味どころか害しかないという思想。一部は「原作者による原作の書き直し」すら許さないという。彼らに対して「観てから判断してくれ」「原作とは別の作品として評価してくれ」「お前らを観せたい対象として実写化する訳じゃない」というのは全く意味がない説得の一つ。というかすれ違い過ぎて全く対話の体をなしていない。「ムハンマド風刺画」どころか「ムハンマド人生実写映画化!」とやってムスリムの人たちが歓迎するかといえば絶対にあり得ないというのと分類としては近いか?

なんらかの形で歩み寄れるかどうかが実写化歓迎派と原作原理主義者にとって許される唯一の紛争解決手段だと思われるが、ほぼ徒労に終わる。また歩み寄ろうとする穏健な実写化歓迎派の人たちも、結構割合で「彼らが如何に深く原作を愛しているか」を知ろうとしないまま適当ぶっこくので、穏健派原作原理主義者までキレるなど。

正直相互不可侵条約でも結んで顔を合わせない以外にない……のだが、実写化にとっては当然原作存在必要不可欠なので、近年の実写化の波は原作原理主義者にしてみれば常に侵略戦争を起こされている状態で怒りもマッハイスラエルパレスチナ微妙に思い出したり。原理主義者にとっては、唯でさえ金に物言わせて普段からいいようにされているのに、この話のネタ元のブログのように「ウンザリ」なんて煽ろうものなら、「喧嘩売ってんのはテメエらだろうがー!」と真っ先にキレる。

もはや相手の存在を許した時点で死ぬという双方にとってお互いが不倶戴天の敵。広義の意味では以下記載の「実写化憎悪者」であるが、理論武装まで含めてストイックかつガチガチなので実写化アレルギーにおけるヒエラルキーの中でトップレベル有頂天

実写化憎悪

実写化作品地雷化するのを至近距離のトラウマレベルで接してしまったため、もはや論理的問題を解決しようという気持ちより先に憎悪がある。対話が難しい。原作の超駄作実写化というある種のテロリズム行為のものが産んでしまった「実写化歓迎派」が直接・間接的に生み出した罪の実体化とも。

ちなみに酷い実写化作品漫画などの連載中作品だったりする場合原作者が真っ先に撃沈して連載を打ち切る・継続する意志を失う、などの行動に発展するケースがあり(有名所では『おせん』(きくち正太)、『いいひと。高橋しん、など)、原作者だけでなくファンも一緒に大ダメージを受けて、より実写化自体への憎しみがエンドレスエイト

男性虐待された女性ミサンドリー女性虐待された男性ミソジニーなどと同じく、もう憎むことが目的生物として強制的に改造されてしまっているため即時の解決はほぼ不可能特に「これは私にとっての最高の一作だ!」と崇めているような原作実写化でバラバラにされてしまったような場合、名も無き一般市民が突然クラスチェンジするようなケースも散見される(気がする)。

彼ら彼女らを非論理的批判することは容易だが、そもそも憎しみ自体が誰にでもありかつ非論理的なので当たり前とも言えるし、「なんで憎しみをとめにゃならんかもだ?」と戸田奈津子適当字幕になぞらえて言われた日にはもう……。つまるところ実写化で触れようすれば憎悪セントレンズ噴火ぷしゃー。実写化とは一体……。

ここまで陥ると狂信的原作原理主義者まであと一歩なのだが、何かの間違いで超上手く行った実写化作品に接したりすると寛解とまでは行かなくても市民運動(以下に記載レベルまで沈静化するケースもある。ただし実写化作品を激しく憎むため、そもそも観てくれるということ自体が非常に少ない。治療には長期計画を覚悟する必要があるが、別にさなくても普段は誰一人困らないので年齢とともに偏見が強くなり重症化することに注意すべき。注意してもどうにもなんないけどな!

原作愛欠乏症候群Original Love deficiency syndrome:OLDS)を隔離したい市民団体」(※Google翻訳による適当英語化)

原作に対しての愛が全く見えない作品作りに対して不満を爆発させる一派ではあるが、一応それなりに穏健でまだ和解の気配が見える。

男優女優の決定プロセスプロダクション等々との利害関係露骨なケースや、実写化権利流行りが過ぎ去る前に現金化しようという気配がミエミエの映画作りや、原作ネタ提供元扱いされて下に見られている感じが許せないタイプ

ただし裏を返せば「原作を忠実に再現」などしなくても、作り手側の原作に対する真剣姿勢が見える場合には普通のファンと区別がつかないケースも。「のだめカンタービレ」などは成功した実写化作品としてある程度認められていると思われるが、キャスティングの段階でジャニーズ系がいなかったことや、演技力がそれなりに評価されていた上野樹里のだめ役に選ばれたこと、千秋役が多分絵面やイメージがハマっている玉木宏だったことで、この市民団体が「とりあえず見てみるか?」と行動を沈静化させたことも成功の背景には見え隠れすると思われる。

しかしながら、彼らの主張は当然非常に主観的なため、ある人にとっての成功作がある人にとっても成功とは言いがたく、結局この市民団体活動も終わらない。ただし完成した実写化作品面白そうなら一番映画館に足を運んだり、テレビをつけてくれそうな層ではある。関係ないけどホラー映画「リング」などは原作からの改変がかなりキツイ作品なのだが、ホラー映画として大成功したためこの市民団体は大人しくしている。

基本面白ければ諸手を挙げて歓迎する団体ではあるが、いざ失敗となった場合には一番声が大きくなる層でもある。これより上のレイヤー構成員数が少なく、また自分異端だという認識もそれなりにあるので口やかましくないし、それ以前に「そもそも見ない」あるいは「死ね」という断絶スタイルなので、アンチとして一番構成員が多くなるのはここである

何気に影響力の強い集団なのだが、彼ら自身が「実写化作品に対してそれなりに諦めている」または「自分で思ってるほど原作に対する愛が深くない」ので、自分以上に病が思い人たちに対してビミョーな視線を向けており、一口実写化に反対する人と言っても一枚岩ではないということがよく分かる集団である

こんな感じ? 他にもあるかな~?

2011-03-04

アメリカ人は本当にタコが嫌い?/怖いという感情宗教は関係ある?

 

 「族長の初夏 : 日本人はなクトゥルーを怖がらないのか」

 http://umiurimasu.exblog.jp/12210453

 この記事のブクマhttp://b.hatena.ne.jp/entry/umiurimasu.exblog.jp/12210453/)が300を超えたので、逆張りというか、疑問に思った2点、『アメリカ人は本当にタコが嫌いなのか?』『「怖い」という感情に「一神教」と「多神教」は関係あるのか?』ということについて、考えてみる。

 ブログ主のumiurimasuさんに対する反論というよりかは、ブックマークコメントの傾向に対する反論である


 

 >>ちなみに、魚介類を食べるのがあたりまえな島国文化圏の人からすると、アメリカ人のタコ嫌いというのは、それこそ冒涜的なまでに理解を絶する感覚ですね。

 イタリアスペインポルトガルギリシャ韓国……などの国々は島国ではな半島だが、タコを食べる。中国でも食べる。

 また、アメリカには昔からイタリア系、スペイン系、ギリシャ系、中国系の移民は多かったし、ポルトガル系や韓国系も少なからずいた。彼らはアメリカでも昔からタコを食べる。

 しかも、いまでは寿司日本料理イタリア料理スペイン料理ギリシャ料理中国料理はすっかりアメリカ全土に定着した。だからイギリス系やアフリカ系のアメリカ人でもタコを食べる人は多い。

 なので、これは「アメリカ人のタコ嫌い」ではなく「ラヴクラフトのタコ嫌い」にするべきではないか

 

「昔のWASP白人アングロサクソンプロテスタント)のタコ嫌い」にしてもいいような気もするが、やはり、「食べない」からって「嫌い」には直結しない。

 タコが全面的に禁忌(「食べてはいけない」)とされているのはユダヤ教であり、キリスト教では一部の宗派のみ。

 

 そもそも、「アメリカ人(あるいは、欧米人)はタコを悪魔の使いとして忌み嫌っている(忌み嫌ってきた)」という説は日本に広く流布されているが、本当なのだろうか。

 この説の傍証は、タコは英語で「devil fish」と言われること、および、「クトゥルフ神話」や「宇宙戦争」などでタコが人間に敵対する悪役として描かれているから、ということである

 まず、「devil fishであるが、現代のアメリカでタコを示す言葉のうち、一般的に使用されるものは「octopus」である

「devil fish」でgoogle画像検索をすると、真っ先に表示されるのはエイ画像で、タコが出てくるのは10番目以降である

 さらに、「devil fish」だからといって「タコ=悪魔」だと思っているとは限らない。

 すくなくとも、エンゼルフィッシュ天使だと思っている人はいないだろう。

 クトゥルーにタコが出てくるのはラヴクラフトが(個人的に)タコが嫌いだったから。

宇宙戦争」の火星人がタコなのは原作者ウェルズがタコを怖がっているからではなく、「火星重力が少ないから頭が大きくなって手足が退化して、タコになる!」という疑似科学的な理論のため。

インデペンデンス・デイ」などの宇宙人映画でも宇宙人はタコとして描かれていることがあるが、それは「宇宙戦争」(と、もしかしたら「クトゥルー神話」)へのオマージュのためではないか

 というわけで、「アメリカ人のタコ嫌い」という言葉は、「伝統的なアメリカ人」と「最近アメリカ人」、「主流派(WASP)のアメリカ人」と「少数派のアメリカ人」のタコに対する態度の違いなどを考えたうえで使うべきであると思う。

 アメリカ人日本人に対して間違ったイメージ(「忍者ゲイシャ」「エコノミックアニマル」「イエローモンキー」)を抱いていることが多いが、それと同様に、日本人アメリカ人に対して抱いているイメージも、その多くは間違っている可能性がある。

 さらに、「アメリカ人」という言葉文化論において使われるときは、WASPを指すことが多く、黒人黄色人種アフリカ系アメリカ人や先住アメリカ人カソリックヨーロッパアメリカ人などを無視する場合が多い。

 たしかに、一面では、アメリカの主流文化WASP文化であるが、マイノリティ文化の一部が主流になることも多いしWASP文化マイノリティ文化が影響しあってできた新しい文化が主流になることもある。

 だから、「アメリカ人」という言葉をつかうときは、その言葉はいたい何を指し示しているのか、自覚的になるべきである

 このような問題(主流文化とは何なのか?「〜人」は何なのか?)は、移民国家であるアメリカ」を論ずるときには特に注意されるべきだと思うが、日本イタリア中国ブラジル南アフリカ共和国など、どこの国を論ずるときでも、注意したほうがいいことである



  ブログの記事内では、『ともあれ、そうした文化的理由でクトゥルー神話を本来あるべきように怖く感じられないのだとしたら、やはりちょっと残念ですアメリカ人はほんとうに、日本人よりも怖さを感じているのだろうか。それとも「いや別に、全然怖くねーよ」という感覚なのか。アメリカ人に直接聞いてみないことにはどうにも。』や『こういった反応、恐怖の感じ方がひどく違うことについて、どこまでが個人の感性でどこまでが文化の差異によるものか、きちんと切り分けができたら面白かろうなあ、と思いながら読んでいます。』と書かれていて、慎重な姿勢が保たれている。

 しかし、ブックマークコメントでは、「キリスト教文化圏では、何を考えるにも常にキリスト教の神を超越者・絶対的存在としていちばん上に置くというものの見方が根底にある」や「日本人場合、神も仏も混ぜこぜに、かつあいまいに信じていて、絶対的な何かを世界観のよりどころにしていないからでしょうか」という文章ばかり注目されている。

  そもそも、欧米文化芸術作品・物語が紹介されるときには、「キリスト教的」「一神教世界観」などのマジックワードを持ち出し、日本の「多神教世界観」と対比させて論ずることが多い(そして、往々にして、「多神教世界観」の方が寛容で複雑で高度なもの、と優劣をつける場合が多い)。

 しかし、例えば日本の文化芸術作品・物語についても、「神道的」「仏教的」「多神教世界観」だけでは論ずることはできないだろう。

 文化芸術作品の成立には、もちろん宗教世界観も大きく関わるが、それだけではなく、自然環境経済環境歴史政治・偶然など、様々な要素が関わっているはずである

 

 また、フィクションに対して「怖がる」という反応は、宗教よりも時代と個人的な経験に左右されるものである

 ホラー小説の「人を怖がらせる」技術は年月を重ねるにつれて蓄積されるものであり、現代のホラー小説過去ホラー小説より「怖い」、ということは一般論として言える。

 スティーヴン・キングの作品は、ラヴクラフトの作品と同じくアメリカ人作家によって書かれた、キリスト教世界観の影響の強い作品であるが、日本の読者でもスティーヴン・キングの作品を「怖い」と思う人は多い。

 「雨月物語」は過去日本人作家によって書かれた作品であるが、そこに収録されている「吉備津の釜」は江戸時代日本人が読んでも「怖い」と感じたであろうし、現代の日本人が読んでも「怖い」と感じる人は多い。

 しかし、現代の日本人である鈴木光司によって書かれた「リング」は、おそらく「雨月物語」よりも多くの日本人読者を怖がらせると思う。

 だがスティーヴン・キングの「シャイニング」や「クジョー」と鈴木光司「リング」のどれが一番「怖い」か、ということは、現代の日本人でも読者によってそれぞれ違う。

 さらに、「リング」アメリカ人が読んでも「怖い」という評価を得ている。

 ここにラヴクラフトを代入すれば、ラヴクラフトが「雨月物語」よりも怖いと思う日本人もいれば、「リング」ラヴクラフトよりも怖いと思うアメリカ人もいるだろう。

 彼らの「怖い」という感情には、多少は「一神教世界観」「多神教世界観」が関与しているかもしれないが、それよりも個人的な趣味感性(「ホラーに慣れているかどうか、じわじわとくる恐怖に弱いかびっくりさせるような恐怖に弱いか」「日常的な恐怖に弱いか、非日常的な恐怖に弱いか」などなど)の方が強く関与しているだろう。

 つまり、ホラー小説の話題で、「キリスト教世界観」「多神教世界観」にばかり注目するのは、適切ではない。

 

 また、ホラー小説の話題に限らず、欧米文化芸術作品・物語について考えるときに、「キリスト教」「一神教世界観」に還元させるのは適切ではない。キリスト教の影響はあるかもしれないないかもしれない。あったとしても、強いかもしれないし、弱いかもしれない。

 「一神教世界観」というマジックワードで説明されることで、安易に「理解した」と思いこむのではなく、宗教世界観以外の、他の側面からも考えることが必要である

2008-09-21

古典SF全部……とは関係ない話

SF映画批評するのに古典SF小説全部読んでる必要がある、と言ってるのと同じ」っていうはてブコメントを見て、全然SF知らんのにガチ評論の必要性があるならどうすっかなーということをちょっと考えてたらなんとなく面白かったので、とりとめもなく書く。

SF映画ガチ評論をしてみようって考えたら、まずはSF好きな奴に話ききにいくかなあ。おうよ、ちょっとSFについて教えてちょー。誰読めばいいの? そもそもSFってなんぞ? どこで流行ってんの? なんかわかりやすいSF論のお勧めある? 

んで大体SFの概要をつかんだあとは、どうするかな。1、2冊はお勧めされた奴を実際に読んでみると思う。(誰に質問したとしても、必ず「夏への扉」を読む羽目になるのだろう)そんでああこういう感じかーって思ったあと、次はもう個別撃破じゃなくて全体像の把握に行くかな。SF小説批評の材料として使うには、作品のあらすじとメインアイディアと作者の略歴把握してSF史ではどういう位置づけをされてるかを把握しときゃー十分かな。それは古典SF小説そのものを読まなくても、SF評論家の人の書いた文献を読むだけで把握できる。はず。そういうのある? ってこれは図書館司書にきくかな。あるって言われる。貸してちょいいよー。SFガイドとかSFベスト100とか、そういったSF評論をまとめた本ってどのくらいあるんだろ。100冊くらい? 一日2冊で2か月弱。これはもう全部読めそう。んじゃそれを図書館行ってもりもりSF論を読みつつ、メモって、どうも大物っぽい奴の名前は検索かけたらSFマガジンって雑誌でよく特集組まれてるし、んじゃこれ専門誌っぽいからバックナンバーぱら見しよーかーとか。あとなんか有名っぽい賞があるな。受賞作品の傾向とスポンサーも調べとくか。

こんな感じで毎日SFを考えた生活を送れば、1年後には的は外さぬガチ評論ができそうって思えた。最初に興味がなかったとしても、やってる間にSF好きになって、そしたら加速するかなと。

なんか懐かしくなってきた。青春時代ネットもなく彼女もおらず運動音痴音痴無趣味でぶさいくで友達いない俺は、一日中海外SFファンタジーの有名作品を黙々と読んでいた。それと並行して毎月ドラマガとウォーロックSFマガジンログインニュータイプも読んでた。そういった雑誌に掲載されてる書評は次に読むべき1冊を探すための貴重な道しるべだった。そんな暇あるならサッカーでもすればよかったのにと思わんでもないけれど、サッカーしてたら絶対あのクソクソ超絶面白い「蜘蛛女のキス」をホモじゃん! って切り捨てて読んでないからまあいいや。大丈夫よバレンティン、これは、全部、夢の中のお話なんだから。ちょっとエッチ福袋じゃなくて、喜多嶋隆海外SF紹介コーナー目当てで読んでるんだ!って己に言い訳しつつ購入したコンプティーク。「殺人プログラミング」がドエロいという評論を読んですみやかに購入し、まあ衝撃的にドエロかったんだけど(町中の人間をたった一言で催眠状態に陥れることができるって設定は今思い返しても天才ちゃうか。しかもド田舎なのに全米ナンバーワンレベル美人ばっかり住んでるの)、そこからモダンホラー御三家を知った。黙々とエロいクーンツをこなし、キングを読んで読んで読んですぐにマキャモン。そうこうしてるあいだにあの超怖い「リング」が発刊されてモダンホラーの言ってる場合じゃねえよ! 怖いよ! 超怖い! 日本人すげえの? じゃあ和製ホラーもっと読まないと! って小池真理子読んで鳩が豆鉄砲食らったような顔になってうろうろした。でもあのころのがつがつした焦燥感に駆られた「ジャンル内の有名作品は全部目を通すぜ」読書ってやけに楽しかった。

ところで映画評論家の人が映画批評のために参考文献としてSF評論読むかーって思ったときに、SF界が想像以上にてきとーな業界でまともな評論が一本もなかった場合、映画評論家はどうするんだろうなあ。しゃーねえなあ、じゃあ古典SF全部読むべか! ってもりもりSF読んでどんどん造詣深くなっていって、そのうち肩書が「映画評論家SF評論家」ってなるのかね。5年後とかに。知り合いの教授はいろいろやっててふと気がついたらアベック評論家って肩書きになってうろたえてた。

2008-07-24

エホバの証人と、いわゆる二世と、背教者と。 まとめ+ブクマコメントにちょっと回答してみる

##追記;

##当ブログの後半に、自分なりのまとめも書いておきましたので、良かったらどうぞ。

##昨日書きたかったけど眠たくて落ちてしまい、書けなかったことを書いたので。。。

##これを読む人達に、一番伝えたいコトだったんで。

を書いた増田だけど。

ブクマが沢山ついてびっくりした。

でも、良く考えれば、エホバの証人って自分を語る人は少ないはず。だって、自分が書いたように、宗教討論なんて避けるからね。

「あなたの信条を聞きたい」って人には喜んで話すけど、「俺の信条を聞いてよ、君はどう思う?」って言ってくる異教徒には警戒モード、防衛モードに入り、あわよくばその場で心の中で「神よ、試練に耐える力を私に下さい」と祈り始める(※本当です。二世なら解るよな?な?)人達なので。


それを、変とも思わないし、当然って思ってる。そういう概念なんだから、しょうがない。

だから、おいらみたいに、ドロップアウトしようとしてる人、もしくはした人しか、こうした場で話すことはないだろうと思う。

もし、現役でこうした場で話す人がいるとしたら、かなりの幹部とか、そういうバリバリの人で、あなたの家の近所にいるかも知れない身近な人は出てこないよ。

特に女性は公の場で語るのは非とされとるんで、女性なら尚更。まず聞けないだろう。

まぁ、それはさておき、ブクマコメントに自分なりにちょっとコメント返ししてみたい。

コメ返し対象ブクマコメントは下記の二つに寄せられたコメント


「討論すること自体が、JWアイデンティティー違反」というのが、実に日本的で面白い。アメリカ発祥なのに。

討論ではなく説得(証言と言う。証言?なぜ?それは、エホバの証人=エホバの証言ってこと)はOKというスタンスなので、言い方によっては結果的に討論に応じるってことはあると思う。

例えば、「あなたが何を信じているか聞きたい」と言えばきっと証言にやってきます。

で、一通り話を聞いた後に「自分はこう思うんだけど・・・どうかな?」と言えば答えると思う。

ただ、その場合でもエホバの証人は「回答できない時は、調べてきますので今は答えれないと言って沈黙せよ」と教えられてるので、やっぱり突っ込んだ話はできないかもだけどね。

目的が「エホバの証人の話を聞く」ではなく「エホバの証人と議論したい」と判断されれば、来なくなっちゃうし。

彼が典型的かどうかはともかくとして、資料として。追記:速攻でお返事が来ていてビックリした

追記:公開後に読み直しで修正している中、たまたまついているのを見つけたので、ついでにお返事書かせて頂きましたw

JWって結構明確に、リーダー(幹部)系と一般信者に分けられた扱いがある。

で、自分は幹部系で一時期はエリートか?みたいな勢いがあった。

自分みたいに若いうちから幹部系に持って行かれそうなタイプは、自分みたいに考える人も結構いるようです。

ただ、そう考えながらも慣れたら苦痛じゃないしって淡々宗教やめない人も多いです。

自分の場合、好きな子がおかしくなったとか、そういうのなければやはり淡々とやっていたかもとは思います。

10年もやってりゃ、何でも習慣化して無意識にできちゃいますからね(家々に訪問する奉仕活動=布教活動とか)

ただ、習慣化するってのもある意味自我が死んでると自分は考え始め、そう思った時から急激に多大な精神的苦痛を感じるようになりましたけど(自分と同じ経験は時々聞きます)

今の時代にそれで信者は増えるのだろうか/あのパンフの絵はいつもすごいと思うが、組織としては係わりたくないなぁ。

神の組織である以上、減るはずがない。減るとしたらサタンによる試練がはじまったという証拠である。つまり、聖書にある終わりの日が近いという予言成就しようとしている!って解釈するんで、どう転んでも良い教理になっとる。

面白い。頭ええなぁ。 / 宗教ってコミュニティの媒介的役割が大きいから、居心地の良さで内政が変わるのよね。JWがだんだんと居心地のいい場所に変質していくのであれば、それはそれで、、、うーん、どうなんだろう。

二世で脱退ではなく残るが側を選ぶ人は、一般人より組織に友達が多いってのが大きな理由の人も実際いる。ただ、そうなればそうなるほど、友達のために宗教辞めたくても続けないとあかん。

一旦信者になった後、辞めますと脱退届け(断絶と言う)を出すと、宇宙論争を知らないゆえに悪魔の側にいる一般の人より、宇宙論争を知りながら悪魔の側を自らの意思で選んだ一番最悪な奴、という解釈に基づき、徹底的な排他を受けます。

それがどれぐらい厳しいかっていうと、断絶した人と、信者は一緒にご飯を食べに行くというのも許されない。それが発覚すればその信者も警告もしくは追い出される。

で、これは親子の場合でも、可能な限り、断絶した子とは接触を避けるようにといった教理なので、二世の社会人でもない子供は恐ろしくて脱退など絶対にできないのです。

社会人になっても、幼い頃から仲良くしてた人、みんなが自分をシカトするかと思うと恐ろしいという、人間関係の恐怖心から残っている人も結構います(ソースは自分調べ)

ちなみに、組織のほうからクビにされることを排斥といいます。

行われる制裁は全く同じです。つまり、みんなで一斉にシカト攻撃。

断絶や排斥者は数年すると、「戻ってこない?私が悪かったですと認めれば復帰認めるよ」と、声をかけにいく仕組みも設けられています。

信者だけど心はJWという人は結構多いです。あと、優しい性格の人が多いのでみんなからの一斉に拒絶されることに本気で参る人もいます。

信者だけど心はJWという人は、何かにつけて不安定になっています。毎日毎日が罪悪感。

普段は意識してないけど、911テロ事件をハルマゲドンの到来だと確信して、慌てて、神の側につくので助けて下さい!みたいな問い合わせが組織本部にあった・・・というのも有名な話。

ちなみに、排斥になるよーな人は3割ぐらいは、この宗教は嫌いだけど、宗教の中にいる人達はみんないい人なんだよなーって浮ついた心で居る時に、出来心で・・・とか、

うっかりミス☆(いや真意は知らんが)みたいなので、いきなり翌日に排斥措置とられて真っ青って人もいます。

そういう半端者は排斥システムで本当に参るので、以後は真面目に・・・ってこともなく、二回目する人も結構居る。

多分、不倫するようなタイプの人は何度もやっちゃうと思う。知らんけど。ごめん、この行はテキトーに書いた。


がんばってこの試練を乗り越えればみんな楽になって幸せになれる、っていう論法はありとあらゆる組織に共通だよなあ。

いや、その理解はちょっと誤解がある。これは自分の書き方がまずかった。面白く読ますためにちょっと歪曲してた。

「がんばってこの試練を乗り越えれば」ってのは結果であって、目的ではないんです。

詳しくは、http://anond.hatelabo.jp/20080723230708 の 回答03を参照してください。

最も、それでも結局はそゆことだろ?って言われたら、そうだねぇとしか言いようないけどさ。

現役でも目的と結果を勘違いして、マゾになる変態がいるのも一言付け加えときます。あれは見ていて最悪だった。

苦しいのは当然だ!アハハ!ってのはさすがにJWでもいかれた奴にしかいないよ。

比較的フラットな二世視点がいい。これがJW現実だとか思い込むのは危険かも知らんが、もっとこういうこと書く人が増えてくれるとうれしい。

残念ながらJWの教理上、増えることはないです。カミングアウトしはじめてる時点でそいつはもはやJWではない。形だけの奴ですよ。よってこれも、読書感想文みたいなもので、リアルタイムではないということを付け加えておきます。

「こだわっているのって、それほど深いダメージを与えているからなんだろうなぁと。」認知してもらう事によって、正しさの確証を得たいのか。/刷り込みによる葛藤、とかについて。

そう、それをテーマにしたかったんだけど、歴史とかがテーマじゃないけど比率的に多くなってしまって・・・こうした考察を得てもらったのは当初の目的だったので嬉しい限り。結局、自分自身、その一人と言えますしね。

教団批判はサタンしわざとされ耳を閉じることを強制される。洗脳を解く行為を防止してるんだな。思考停止っていうのが宗教の一番のマイナス面だと思う。

知らない方が幸せという言葉もあるので、プラスであるとも言えるのではないかと。実際、脱退したために一般社会の厳しさ、複雑さ、面倒さについていけず、エホバの証人にも一般の社会人にもなれない元二世も結構いる。ああ、こう書くとやっぱりマイナス面ばかりかなあ。

でも、どうして今の世は不条理なんだろうって鬱な人が希望を持つのが宗教の役割の一つではあると思うので、こういう仕組みは(宗教という性質上)しょうがないようには思います。

デメリット問題点は同意だけど、プラスマイナスだけで簡単に片付けれない所が宗教にはあると思う。

中にいる人の証言は貴重。 / 「素直な人とのみ話しなさい」衝撃を受けた。過激に聞こえないが効果的に信仰(妄信?)を続けさせる方法。怖い

他の具体例が、当ブログの上記で述べてる「断絶」というシステムです。

脱退自体は自由にできるようになってるんだけど、その場合の心理的制裁が半端ない。自由意志は尊重してますよ、責任は求めますがという側面は一番二世を悩ませてる性質です。自分もこれにはほんとうに克服するのに苦労した。

合わせてお読みあれ。

エホバの証人2世の方による内部事情お話 / 同級生にも二人ほどいたな。この話によると一番スパルタな時期に育てられた子だったんだなぁ…。

今度、見かけたら優しい言葉をかけてあげてください。

宗教組織末期症状について。リベラリズムの懐柔性がうかがえる。

補足というか寝ぼけて中途半端に書きました。「リベラリズム」自体は初期より歪んだ形で持ってます。詳細は 当ブログの「断絶」の話とか、http://anond.hatelabo.jp/20080723230708 の 回答03とか。

具体的に言うと、以前より開放的に見えるけど、一方でますます抜けたくても抜けれない二世が増えているというほうが正確だったのかも、です。詳細は上記の通り。

エホバの証人現代史日本人って宗教に関しては現世救済主義だから、来世の話をされても感があるんだろうな。

現世救済主義は一時的に信者を増やすのには有効ですが、質の悪い信者ばかり集まります。

それで、今の世に救いはないと明言し、天国希望持てと言ってしまう宗教もあるのかなと。個人的感想ですが。

2世への指導が親の愛から来るものってところが悲劇的だなぁ。のびのびと育ててくれた俺のとうちゃんかあちゃんに感謝だ。ちょっと実家電話してくる。

幸せな家庭に嫉妬した。ウラヤマシス

JWじゃなくて、創価学会の2世会員だが、新興宗教の「二世会員」の悲しさというのが伝わってくる。

自分の親友だった学会員も二世ですた。JWとは違う形で葛藤しとったのは印象的でした。そっちはそっちでいろいろおありのようで。

W2人と宗教論争したこともあるよ?/聖書を知らない方が選択肢も多くて幸せで、知ったら伝道しないと破滅…JW呪いビデオを見た人なのか。/ナチ云々は怪しい→http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%a8%a5%db%a5%d0%a4%ce%be%da%bf%

そうやね!「リング」に出てくる呪いビデオって例えはいいね。書いたのは全体的な傾向とか、自分なりの考察感想なんで、全てのJWがそうだとは言いませんよ→宗教論争。

ナチの件は自分はどうでもいいので検証してません。事実であるかどうかも興味ない。テキトーですんません。

勉強になった。信仰はあっても欲望は普通の人と同じなんだね。理屈では通じないってのも勉強になった。

法律とかだって理屈で通じないもん、けっこーあるでしょう。

ましてや宗教なんて屁理屈の固まりだと思う。

そしてそれを自分の精神基盤としている人間には当然、理論で話し合うのは難しいのです。

相手の話を聞いて、相手の価値観(もはや異国の異文化同士の交流と同じ)を理解しないと、話が全く噛み合ないと思う。

常識と思っている概念が、概念の外だったりするので。

あと、別に宗教やってる人間が、サイボーグな訳じゃないっすよw

人間誰だって中身は同じです。欲望を自己否定したり抑圧する人と認める人、その行為を平気な人と苦しむ人、そのあたりの個人差じゃないかな。

自分の意志とは無関係に自分の表情が形成されてしまうのって、怖いよなぁ。口の両脇をつり上げる笑顔ってのは、本来威嚇の表情だった、って何かで読んだ気がする。…鎌やんだっけかなぁ(汗

表情だけならいい、感情(罪悪感、恐怖心、不安感、多幸感)までプログラミングされるのは経験してほしくはないけど、経験した者にとっては本当、恐ろしい体験です。二度と味わいたくない。

出た人なのね。

正確には現在進行形過去形はまだ早いかも。

「新しい世界を見せてあげたらいい」。書き手には,彼女がそういう役割をしてくれたのだろうか。彼女を大事にしてあげて,幸せになってください。


彼女は結果として得た世界の一つであって、役割ってもんではないかも。勿論、新しい世界は見せてもらってるけど。

自分の場合は、医者に薬もらって休職するぐらいまで自分の精神構造を一回バラバラにした。一ヶ月寝たきりになった中で自分の精神を再構築して、客観的に見れるようになった。

役割という言葉を与えるべきなら、その時、自分が壊れそうになっても自分と向き合った、あの時の自分だと認識してるよ。

最も、二度とあんな精神崩壊寸前の経験なんてしたくないけどね。

小さい頃から、この生き方が「真理」ですと言われた場合、そうではないと考えると今迄の自分は何?という自我崩壊になる。

神か悪魔かの二択しか世界にはありません。

と言われて悪魔主義になる奴なんてのは、なかなかいない。普通に生活して幸せに生きたいって思う人間ならね。

でも、そもそも、神か悪魔か?っていう概念、何よりも二択しかない?二択?何の?この世界って何?

そのレベルまで自分の人格を分解しない限り、幼少から育てられたエホバの証人子供は、無意味な罪悪感から脱却できない。

増田トラバくれた、元二世のお二人(http://anond.hatelabo.jp/20080723123951 と http://anond.hatelabo.jp/20080723111359)はどちらかというと軽症だっただけと言える。

ただ、http://anond.hatelabo.jp/20080723123951 は、役に立ったと思ったり(いや、本当に役立ってるのでしょう。良かった良かった)

オフ会開いて共有してみたいと思うあたり、まだ完全には脱却できていないと推察します。

何かのきっかけで、完全復帰はしなくとも、気持ちが囚われることはあるはず。

あと、http://anond.hatelabo.jp/20080723123951が文中で書かれた「高校でグレちゃった子」の話。

こういう子は、しばらくすると懺悔して復帰する可能性が高いです。

行動すればするほど、心に埋め込まれた精神の規定を成す概念が自分自身を締め上げていくはずだから。

遅かれ早かれ、何らかの行動起こすんじゃないかな。

それか、それを否定したくてもっと自虐に走るかも。

ちなみに、俺はJWの中で好きな子つうか、仲良くお互いにしてた子もいたよ。

男でも本当にいい友達とかおった。

でも、自分の育つ時代が一番、最悪なあのスパルタ時期でさ、みんなおかしくなっちまった

頭良くて学校でも成績優秀な子が、どうしていきなり停学になるような不良行為を起こすんだい?

俺は、俺の好きだった子や、可愛がってた子、遊んでくれた年上のお兄さん達、が否定したいけど否定もできず、

そして自分を責めるという行動にしか走れずに混乱していく様を何度も見たよ。

自分の場合は、あまりに親が厳しくしたせいか、叱られる時に、叱られる自分と、叱られる自分を見つめる自分を作るようになった。

教理にも納得する自分と、納得できない自分、色んな所で自分が体の中に二人いるそんな精神構造になった。

これ、二世ではけっこう「自分もー」って言う人、いるんだけどね。

ただ、大抵の人は、客観的な自分を肯定しないんだよね。

それを何とか殺そうと努めて、結局、自己否定になり(そりゃそうだ、その精神だって自分だもお)おかしくなったり

それは私が不完全で救いを必要する人間だからなんだわとかいう変な自己解釈(俺の両親とかキモいから解らんがきっとそうだと思う)しちゃったり。

自分の場合は、その二つなっている自分は結局、どちらも自分であり認めなければならない。

おかしいのは俺か?違うんじゃないか?と、考え始め、しかし二人の自分を一緒にしようとすると、この考えは教理に違反している!という罪悪感と、俺はこう思っているんだ!と叫ぶ自分が脳内で騒ぎ立て、まともにまっすぐ歩けなくなるぐらい苦しんだりもした。

つらいから、酒とか女の子に逃げた時もあったし、家出もした。

もっとも、学校卒業しなきゃ負け、と思い、10日でノコノコ返ったけど。そんなヘタレさ、どうせ。

自分はおかしくない、俺が思うことを俺がその通りに行動するのはおかしくない。これが人間

それをいちいち、正しいか、正しくないか?と考えて誰も見ていないのに、勝手にビクビクしたり、これは聖書ではNOとあることだ・・・と脂汗が出るのは、俺が信じているからではなく、そのように作られてるからだ。

そうやって、自分で自分にカウンセリングリハビリして、死ね!クソ宗教!とようやく言えるレベルにまでなった。長い苦労だったよ。

だからって、必死になって幸せになりたいと思わない。

俺の仲良しだった良い奴ら、同じ宗教というきっかけで知り合えたいい奴らは、本当、みんな社会的にドロップアウトしたり、「僕も信じてないけどさ・・・行く所ないじゃん」とかいいながら、今日宗教活動してる。

俺をこんな目に合わせたのは・・・誰だ?

とか、思って叫んだ日もあったよ。親を蹴り上げて、会衆を燃やしてしまえとか本気で考えた時もある。

でも、そんなことをしたって、何か変わるか?変わらない。

失われた時間、失われた人間関係、無くした友達、好きだった子はもう目の前にはいないんだ。

俺はもうこんな歳だ。社会的にも働き盛りであるべき年齢。

俺がここで止まっても、世界は崩壊しないし、誰も困らない。

明日は淡々とやってくる。

だから、俺はだだっ子のようにぐちぐち言わず、自分で考えて自分で行動して、自分で生きていきたい。

だが、俺は一生、親の愛情としてあなたにああいう教育したのよと言う両親を、憎む事も否定することもできず、振り上げた拳をどこにも持っていけないまま、生きていかなければならない。

俺は、ここでみんなに知って欲しい、知って欲しかったんだ。

あの家にピンポンしてくる変な宗教団体の陰で、俺みたいな奴が一人、世界中に何百万人もいる教団のたった一人の小さな存在だけど.

こうやって、静かに戦ってた奴がいたんだぜ?ってことをさ。。。

ただ、すごく疲れる人生だった。

正式に脱退できたら、彼女と祝いたい。

そして、しばらくゆっくりしたい。。。

俺は、彼女がどういう選択するかも兼ねて、彼女にも教理を他の信者を通して学んでみてもらったんだよ。

彼女は「納得できる部分というか精神的に高い志をもとうしてるのはいいんだけど、自分の望まない話になるとシャットアウトするね」とさらっと言ってくれた。

それで、俺の心の最後のつっかえはとれた。

彼女が入信していれば俺はまた苦悩してただろう。

賭けには勝った。もう俺は大丈夫だ。そうさ、俺だってね俺は一人じゃない、俺を認めてくれる人は欲しかったんだよ。

でも、JWの複雑で独特な背景を好奇心で見てはくれても、俺自身を見て、俺の背負ってきた人生の一部がどんなもんか?みたいな視点から見てくれる奴は、彼女だけだった。

貴重なかけがえのない存在なんで大事にしたい。

俺はこの決断、こういう道を葛藤なしですんなり選べるようになるまで本当に苦労したんだ。

その自分の中に埋め込まれた変な宗教精神構造のせいで、それを取り除くのが精一杯で、友達を作るのも途中で辞めていた。

恋愛するぐらい余裕ができたのもほんの数年前だ。それまで、自分は生きてるのか死んでるのか、俺は何?俺は誰?俺の本当の気持ちはどこ?って自問自答してたよ。

宗教は否定しない。

でも、誰もそれを強要してはいかん。

何より、子供に必要なのは自分で考え人生を選んで行くための能力と機会を与えるべきだ。

籠の中に突っ込んでも死ぬだけだ。

まぁ、そんな感じ。

言いたい事言えてすっきりした。

これが多くの人の目にとまると思うとすっきりする。

いい時代になったよ。

ネットなければこんな声、絶対に残せなかったから。

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん