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はてなキーワード: 神前式とは

2024-11-19

anond:20241119230720

青識は石川優実裁判報道されて親にも知れ渡ったことで親を安心させるために見合い結婚して

同僚が神前式の集まりFacebookに載せたし春に子どもも生まれてるから

弱男とはもうステージが違うんだよ

2024-05-13

今月、結婚する。

先月から書いて準備してある婚姻届は、実は3回も書き損じてしまった。

なんだあの普段生活で見慣れない言葉の数々は。世の既婚者さん、よくストレートに書けましたねという気持ちだ。

 

結婚はしてもしなくてもいい」わりとそんなスタンスで生きてきた。結婚相手気持ちがあることだし、今の時代は必ずしなければいけないものでもないと。でも、提出予定日を間近に控えた今、とてもワクワクしている。

 

結婚をより楽しみで素敵なものに変えてくれたのは、彼はもちろんだけど周囲の人たちの反応もとても大きい。

 

「顔合わせも結婚式もいらんでしょ。なんなら結婚指輪婚約指輪もなくてもいいよ」

基本的にはそんなスタンスだった私だけど、「いや、結婚指輪はつけるでしょ」という彼の言葉に「そうなんだ!」となり、一緒にいくつかのお店を見て回った。なんだかんだ、ふたりとも同じ温度感で気に入ったお店が見つかり、近々また訪問する予定だ。刻印する内容を毎日考えては彼に「これはどう!?」と見せびらかしている。いつの間にか私の方が欲しがってる感じになってる。

 

「両家の顔合わせとか別にいいっしょ。あーでも、結婚するならとりあえず彼と家族だけは会わせておいた方がいいかね」

そんな感じで、私の家族と会ってもらった。今住んでいる場所から新幹線に乗らなければ着かない私の地元に彼がいるのは、なんだか新鮮だった。

私の母は「仲がいいのが伝わってきてとても良かった、会えてよかった」と言ってくれ、父は「変なヤツじゃなくて普通のヤツで良かった」と言っていたらしい。どんなん連れてくる思っとんねん。「これがオレの精一杯や」と家族がくれたご祝儀には、私が想像するよりもたくさんのお金が入っていた。たまたま会えた親戚の子どもたちも「楽しかった、また会いたい」と言ってくれているらしい。かわいい

 

その後、母が「絶対ドレス似合うと思うから着て欲しい」と、お金支援するのでブライダルフォトを撮らないか提案してくれた。その言葉を聞いて「ああ、母に結婚した姿をきちんと見せないと」という気持ちになった。結婚式というのは、家族のためにやるものだと言う人がいるけど、「これかあ」となった。家族だけで神前式をしたい、写真も撮りたいと彼に伝えたら、「結婚式はしたいと思わない」と言っていた彼も「やろう」快諾してくれた。ありがとう。綺麗な着物を着て、なんたらかんたら読み上げてもらえると思うと楽しみだ。支援はもちろん断るつもりだけど、母は時折頑固だからな。

 

彼のご両親も、話を聞く限りだと「家族関係希薄な方なのかな?」と思っていたけれど、いざ会ってみたらとても嬉しそうで、私にも良くしてくれる。ご祝儀やお祝いの品をくれたり、「相手の親御さんに何かした方がいいのか?」と丁寧に聞いてくれたり。

それぞれの親の反応を見て、なんだか私も彼も、「私たちって、両親にとってとても大事な我が子だったんだね」と改めて実感することばかりだ。

 

「既に一緒に住んでいる私たち結婚しても、そんなに何も変わらないだろう」

そう思っていたけれど、こんな風に家族が喜んでくれて、親戚も友達も「おめでとう」と言ってくれるのは、こそばゆくて嬉しい。 「なんてことない」と思っていた結婚イベントが、なんだかすごく素敵でたまらないものに感じてくる。

 

うそう。「プロポーズなんて別にいらないっしょ!自然かたちでオッケーOK!」と思っていた私だけど、彼は意外にもきちんと考えてくれていた。ある日、私が帰宅すると玄関ぬいぐるみがポンと置かれていて。「見慣れない子がいるねえ」と、その子を抱き上げると、頭にキランとネックレスがついていて、メモが添えてあった。これがプロポーズか!となった。

 

私はぬいぐるみが好きだ。でも、自宅をぬいぐるみ屋敷にしないよう、なるべく買わないように、買わないように(でも時々厳選して買って)努力している。そんな私の気持ちを知っていながら、ときどき私にぬいぐるみプレゼントしてくる彼は「オレがこの家をぬいぐるみ屋敷にしてしまうかもしれない」と言っていた(笑)。彼がいいなら別にいいのだが。この新しい子も、他の子達も、わんころべえも、ついでに私も。末永く大事にしてくれたまえ。

2024-05-07

anond:20240506231809

うちは神前式でやったが神前式の方が良いぞ

なにが悲しくて数百万も払ってカタコトのエセ神父の前で信じてもいない宗教フォーマットでやんないといけないのか理解できねぇわ

2024-04-09

・青識亜論

2020年石川優実についてデマ飛ばし訴えられる

今までのネット活動など知らなかった親に裁判のことが伝わり家族会議

「女にネット上でつきまといするのは異常、身を固めて落ち着け」と親に言われる

親を安心させるために婚活開始

2022年徳島護國神社神前式県庁職員の同僚がInstagram写真を載せて祝う

2024年春に第一誕生予定

パパ識正論になる

2023-08-13

anond:20230812182939

>・神をそれなりに信じている(神社やお寺にお参りするし、冠婚葬祭では宗教が必ず関わってくる)


これはどうでしょうね。信じてたら、寺にも行く、神社にも行く、結婚式神前式で、葬式は坊さんを呼ぶ、なんて逆にできない気がします。

全然信じてないけどイベントとしてやってるからこそ、神に誓ったり仏に誓ったりできるんだと思います

以前こういう話をしたら、「日本八百万の神から」という反論をうけましたが、

八百万の神を信じるというのは、一神教仏教を信じないという事だという認識すらないようで。

それは信じてるとは言わない・・・

2023-07-12

父が死んだ。葬式もした。

喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。

父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである

 

父は1940年代まれ日本人男性である出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎である

6番目の息子である工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。

 (おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライであるいじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)

工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学メーカー就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。

職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学化学科に進学した。

学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である

趣味登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生もっともイケイケだった時代かもしれない)

そこで一学年年上にあたる女性出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人笑顔が気さくだった。

怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。

話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。

1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。

父は卒業化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社腰かけ事務職」をして寿退社初任給洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。

二人は親へ挨拶をすませ神前式結婚式をあげた。新婚旅行国内)ではパンタロンネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。

1970年代。m市の社宅に二人暮らし妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行出産も一応カラーだ)

夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。

(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)

二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このとき増田も母実家に連れていかれた。

このころ叔父浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父マンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田学研漫画植物百科を買ってくれた。

三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)

というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。

というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。

だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。

(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコ容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)

そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、

そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。

とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。

まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。

1980年代、父はチバラギの片隅に土地を買って家を建てた。

そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。

(このへんで、のこり全部の西にいる親類から東京叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博ディズニーランド成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)

お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。

 

増田と父と電車記載を削除)

 

そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、

母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。

子供が「いやもう自分大人から口出しをするな、するなら人生最後まで口出しする覚悟しろ恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、

父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。

その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。

子供教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである教育となったら教育だけをするのだ。

「もういいか子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。

しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。

庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。

父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。

(ほかにファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らしイメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。

今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。

学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)

母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。

ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。

父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。

幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。

郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。

手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。

そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。

 

ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。

母にとっては子供庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。

母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。

Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。

母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。

「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、

それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当理由がつけられ、反省書となった。

反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。

まるで自首後の犯人動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。

 

この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。

あるときなど増田が呼び出されて母と東京カフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである

どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。

増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。

ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときときょとしながら口をはさむ隙を探す。

まるで楽園のなかの地獄であった。

やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。

カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである

増田遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである

理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。

後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!

父は平謝りするしかなかったらしい。

増田ボケがきたか気がくるっているとしかおもえなかった。

でもその場で諭そうにも耳も悪い。

「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。

もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである

補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。

それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。

子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。

  

でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田子供たちに直接説得も試みた。

ところが増田子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯業務用)に電話をかけることがつづいたのである

運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。

このことは増田子供の送迎がいらなくなりガラケーアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときブロックは解除した)が

ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟増田の伴侶に「増田ちゃんわたしブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。

   

父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。

父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。

酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。

母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである

かにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。

なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。

途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。

父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。

母親認識は古くて「介護認知症施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、

父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。

まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在チバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。

 

母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田ドライに告げたので増田市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。

実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。

父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。

頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。

ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人介護をうけることにして解決となった。

  

他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。

ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。

コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、

ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。

母はユーチューブをおぼえた。

コロナワクチンふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である

 

増田の残りの二人の兄弟子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。

  

そうして2*年の闘病、*年の介護認定酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。

母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。

 

父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式相談のあとにも爆発した。

かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、

はいます資金をすべて自分の口座に動かそうというのである

それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。

今すぐにでもATMにいってお金おろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたか葬式費用ではない。)

なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単からのぞんでいたんでしょう。

anond.hatelabo.jp/20230712024305

2023-04-20

結婚式とか披露宴とか。

ちょっと良い席にも着ていけるダークスーツと革靴で参列出来る男性陣が憎らしい。

こけろ。

何なら男の礼服て喪服と共用可能じゃんか。

女も喪服と共用でOKしろよ。

平服で、っつたって。この手の席かカジュアルパーティーしか着ていけないドレスもどきビジネスに使うには繊細な布張りパンプスハンカチしか入らない勢いのクラッチバッグ普段遣い出来ないアクセサリーにコサージュ。そしてTPO的に自分の好みじゃない色。

極めつけにプロに任せたいヘアセットバリバリメイクの為に買い足すコスメは2度と使わない。

そこまでしても夜職の方々の完成度には及ばない。しょっぱい。

とはいえ、及んでもいけない、花嫁より地味で、しかし適度な華を求められる賑やかし。賑やかしの中で埋没しなければいけないので、1人だけグレードも落とし難いしビジネススーツアクセで誤魔化すにも限界がある。そもそも色と布が違うんだよ同じスーツでもパーチーに使える女のスーツ

男は靴とネクタイ、せいぜいカフスかラペルピンに気を使うだけで、個別にならビジネスにも使えるじゃん。

女の結婚式装備はバラしてもビジネスにつかえねーんだわ。

和装でいいなら、新しく買わなくてもドレスコードに合う格好出来るし、何ならお高いお着物レンタルする楽しみをここぞとばかりに堪能するために金払ってもいいと思う。

まり好みが合わないので、結婚式親族以外が和装で参加してもに違和感の無い神前式人前式しろ、と。

もしくは男もディレクターズスーツしろよ、なんで男だけ作業着スーツで許容されるんだよ日本結婚式って。

悔しいので参列の男はみんな転べ。

2023-03-21

なんで、そんなに結婚したいのか分からない。

子供欲しいので結婚するんなら、理解できる。

日本制度だと、結婚していた方が子供にとってクリーンだし行政の補助も受けられる。

補助に関してはシングルでも受けられるけど、そもそも、ある程度の稼ぎが無いとワンオペ育児しんどいだろうし。(金があれば人を雇えるので)でもシングル対象の手当も出るし実際はイケるのか?わからんけど。

たとえば夫が積極的オムツを変えなかろうが他の部分で補完しあえていれば良いのだろうし、このへんは個別事情として。とりあえず手は増えている。


んで、別に子供は考えてないけど結婚したいって、なんで?って思う。

結婚行政から補助金出るとはいえ、一回だし。扶養手当なんかも共働きだったら誤差の範囲では?という気もする。


私は他人と暮らす労力がしんどいので、別に結婚したくない。

子供特に生みたくない。十ヶ月も行動制限されたあげく、生んでも母乳が止まるまで乳から液体が垂れ流しになるとか未知すぎて気持ち悪いタイプ人間なので。あと無事に生んでもホルモンバランス崩れるし体の線も崩れるし、とにかく体弱るし老ける。芸能人が生んでも美しいままなのは産後ケア努力根性と金かけてやってるからだよ。あと一部の特異体質。

骨盤がもとに戻るまで赤ん坊に構ってられません、とか一般人には許されない。

生んで即退院じゃん、普通病院は。

そもそも結婚相手の三等親までクリーンな経歴かって、わりと博打

なにしろ面倒じゃん、結婚にまつわるアレコレ。

結婚式も、特にしたくない。

というか神前式とかならまあ七五三とか成人式とかの流れで馴染みもあるし、神仏習合意味で死後は仏教の墓に入ってきた家の育ちが殆どであろう日本で、まあ不思議でもないんだけど。

ドレス着てファッション牧師チャペルもどき特に信仰してない唯一神に誓いを立てる意味が分からない。コスプレ撮影会の豪華なやつとしか。あと披露宴親族に友人知人に職場関係者晒し者になるの楽しくない。余興とか別に、ほんと楽しくない。友人にうすらさむい賛美のスピーチしてもらうの楽しくない。

やりたいやつがやればいい、趣味問題しか思えない。

でも親類縁者に結婚報告は何かしらの形で必要かもしれないので、やっぱり趣味形態が違うだけ、としか。そんで私はドレスを着る趣味がない。



子供を成人させるのに掛かる費用と、老後に適度なホームに入る費用と、どっちもどっちでは?とかも思う。

骨はまあ、粛々と無縁仏にしておいてもろて。


で、なんで結婚したいの?世の中の人

2023-02-18

日本結婚」は同性婚を見てもいない

要点は下記の通り。


欧米結婚では「愛を神に誓う」が、日本結婚は愛など前提にしていない

日本同性婚制度が大昔から存在してもおかしくないが、発生していない

憲法改正なしで同性婚を導入するべきではない



キリスト教結婚では「神に愛を誓う」が、日本結婚は愛など前提にしていない


キリスト教、というかカトリック教徒における結婚は「配偶者への永遠の愛を神に誓う」儀式によって成立する。

「健やかな時も、病める時も~」っていいうやつだ。

プロテスタント結婚式を教会で挙げるので、本質は変わっていない。

欧米人にとっては神に愛を誓うことで結婚は成立するのである

言い換えると愛する者同士は結婚する風習がある。

(もちろん、実際に愛し合っているか問題ではない)

欧米において、同性愛者同士が愛し合っているなら結婚を認めることは文化的に筋が通っている。


一方、日本歴史的に「結婚式」が存在していなかった。

結納夫婦のみでの三々九度的なもの宴会存在していたが、神前や人前での儀式存在しない。

現在神前式はキリスト教結婚式を参考にして明治時代に開発されたものである


近世以前の庶民結婚ではハレの日が存在せず、淡々同棲が始まることも普通だった。

大抵の結婚は家の都合や成り行きで決まり、ぬるりと「男女の組合せ」が「夫婦」となっていた。

これが日本結婚で、そこに「愛を誓う」というプロセス存在しない。


このように「欧米結婚」と「日本結婚」は、「カミ」と「GOD」、「保険」と「共済」のように似て異なる風習である

同性愛者が「我々は愛し合っているか結婚したいのだ」と主張しても、「日本結婚からは「まあ、嫌い合っているよりはいいかもですね」という感想が出て来るだけであろう。




日本同性婚制度が大昔から存在してもおかしくないが、発生していない


日本歴史的男性同士の同性愛タブーとしていない。

それに加えて、日本嫡子を跡継ぎにすることへの拘りが弱く、それなりの武家であっても養子を迎えて跡継ぎに据えることも多かった。

この2つから考えると、日本では男性同士の結婚が行われ、養子を跡継ぎにする事例が多々発生していてもおかしくない。

何故発生しなかったのか。

しっかり供給しろという気持ちでいっぱいである。


しかしながら、現実非情だ。

そのようなことは起きなかった。

日本では同性婚ハードルが低かったにも関わらず、発生しなかった。



憲法改正なしでの同性婚を導入するべきではない


日本においては男性同士の同性愛が広まっていたにも関わらず、男性同士の結婚が発生しなかった。

そして、男女は愛と関係なく結婚をしてきた。

欧米では愛する者同士が結婚するという風習から同性婚が認められることは妥当性があるが、日本においてはそのような風習がないため、「日本結婚」が同性婚を認める理屈がない。

日本結婚」は男女間のみに発生する風習であったから、憲法は「両性の合意のみ」と定義したのである


それでは同性婚日本で実現するにはどうするべきか。

憲法改正が正道である

政治上テクニカル手法では「憲法24条は同性同士の結婚禁止するものではない」という解釈で「法律上結婚」において同性婚の導入は可能であろう。

逆に言えば、法律同性婚禁止することも実現可能なのだ

憲法改正がなければ、同性愛者はそのような不安定立場に立たされる。


日本結婚」に同性婚を取り入れるのであれば、国民投票による憲法改正必須だ。

国民投票を経れば、同性婚日本の新たな風習として始まっていく。

時が経てば、胸を張って「同性同士の結婚我が国風習で、国民投票で認められている」と言えるようになるだろう。



最後


個人的に「欧米に倣って同性婚を導入しよう」というのが気に食わない。

日本ホモフォビアが決定的になった理由は、欧米に倣ったかである

その過ちを全く反省せず、脳死で「欧米では~」と同性婚を導入しようとするなら、それは愚かとしか言いようがない。

何より同性愛者をバカにしている。


イスラームは2070年から2100年の間に世界最大の宗教人口となる見込みだ。

彼らの圧倒的多数派が同性愛禁止している。

日本結婚」に同性愛をしっかりと組み込んでおかなければ、50年後に「世界では~」と言って同性愛禁止するであろう。

同性愛者は遠い国の人達ではない。

隣人が末永く安心して夫婦夫々、婦々とかい呼び方になるのか? これも決めなければならない)でいられるよう、しっかりとした地盤を作っておこう。

長文読了感謝


2022-12-07

結婚式の思い出(宗教色のない和風結婚式

もうだいぶ前の話だけれど、結婚式を挙げようという話になった。

基本的に私の希望を通そうと言ってもらえたが、私の希望というのがまた難物だった。

無垢着たい。和風がいい。でも、親が宗教やってるんで神社神前式NG。というもの

最初のうちは宗教色のない和風の式場くらい簡単に見つかるだろうと思っていたけれど、思ったよりもなかった。

で、あれ、これハードル高い?って思い始めた頃、東京にある八芳園セージという式場が見つかった。

セージは和モダンな感じの式場で、神道とは関係のない和婚式というものを挙げられるという話で、それが決め手でそこに決めた。

鳥居もくぐれない母がこの式場をどう思うか、本番まで緊張したけれども、当日も、そして後日もずっと喜んでくれていた。

なんか今日ふと、和風の式を挙げたいけれど宗教問題があって大変な人、私の他にもいるのかもと思って思い出を書いてみた。

必要な人に届くといいな。

2022-10-13

anond:20221013181356

元々日本には披露宴祝言しかなかったところに、西洋式結婚式」の入り込む隙間があった。

皇室神前式でっち上げたがそんなもの巷の神社には執り行う手順などなかったので対応できなかった。

なぜ日本では偽物の教会結婚式をするの?と聞かれたら答えられるようにしておこう

外国から言われてみれば奇妙な日本結婚式

アメリカ人友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議結婚式に出たのよ」「それ、日本標準的結婚式です…」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479

これはつまりブライダル業界結婚式」だが、なんでこうなったのか?。

 

イエから逃避行

今主流のこういう結婚式の始まり1970年代なんだが、その元は60年代にある。

日本のイエ制度明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフト国家有機体論の合体だ。

戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカ自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。

それで戦後時代下り生活レベルが向上すると段々と生活人生上の自由が増大化していった。

 

イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子次男以下も生き方制限された。

長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合勘当されて死ねと言われる。

次男以下は中学尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。

こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である

女子妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良であるそもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族村八分になる。

商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合い相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。

 

都会と田舎の落差と中島みゆきの『ファイト

戦後まれ団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。

でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。

例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。

なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆき深夜ラジオに送られて来たリスナーハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである

まり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。

「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。

 

それで団塊世代は色々な方法田舎因習から逃れようとした。

勉強を頑張って東京大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。

集団就職に参加する。

一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳年齢制限クリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。

 

ロマンチックラブイデオロギー

そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である

一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放テーゼだ。

人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきであるロマンチックラブイデオロギーだ。

そういう訳で沢山のフォークソング自由恋愛称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争挫折相俟って現状肯定恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。

 

有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペル結婚式を挙げよう、というもの

チャペルキリスト教会礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション大学礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求惹起する歌だ。

もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会結婚式を挙げました、という歌詞

 

こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。

ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。

でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。

 

なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式仏式でないから」だ。神式仏式にはイエの因習表象をまとっていた。

今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼ権威的なものを好むというテイストもあるだろう。

でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである

 

花嫁夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。

 

それ以前の結婚式はどうだったのか

それ以前の結婚式仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。

それは「祝言(しゅうげん)として能の演目高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である

https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU

これをこの調子仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。

これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。

 

老松という地名

ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭り町内会名や祭り神輿山車の提灯なんかで出てきたりする。

それらは長寿を願った年寄臭い地名に見えるかも知れない。

でも昔は結婚式では「必ず」高砂祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主兵庫県高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区住吉大社老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。

まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。

この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。

関東大震災下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋世田谷杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。

でもその後字面年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。

団塊結婚式に戦中戦前派は大憤慨

会場が教会だったり披露宴フォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式保守的な人らは憤慨していた。

どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴批判したり、親戚のオヤジマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。

 

定着と業界

しか芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるからブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教結婚式提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。

ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しか教会での式よりは断然高い。

 

から団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコ新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。

 

から「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味社会から消えても形式業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からサブカルチャー解放意味があるんじゃないの」と言えばよい。

 

それとは別にやっぱあの形式結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会中途半端教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。

2022-07-27

ベガーな女性って

意外と神前式挙げたがるよね

身の回りでn=3だけど理論的には0であるはずなのに

2022-04-23

いち巨乳女の忌録

平成2年まれ現在31歳。既婚。首都圏のはずれ育ち。胸はG65。

“女”として経験したさまざまな“忌まわしい経験”の中から“乳絡み”の部分だけを抜き出し、できるだけ素直に記録していこうと思う。

思い出すがままに書くので無駄が多くまとまりがない。よっぽど暇でない限り読まないことを推奨する。

・小4で生理が始まった。そのころから乳房が膨らみだし、乳首が浮くようになってきたので胸の部分が二重になったキャミソールを着用し始める。

 近所の友達(上は中1までいる男女混合のグループ)で集まって川遊びをしていたら、Tシャツの下に着ていたそのキャミの形が透けてしまったようで、

 最も年長の男子から「おいお前もうブラジャーしてるん?」と大声で囃されて恥ずかしくなりその日以降、川遊びはしなくなった。

・小6ですでにBカップ程度に成長していたので体育のときなどに男子たちがこそこそと「揺れてるw」ときゃっきゃしているのは当たり前のようになっていた。

 いやらしい目で視姦しているというより、本当にきゃっきゃって感じで、私の胸をその場のちょっとした笑いのネタにしている。侮辱されていると感じたし悔しかった。

 女子友達が「最低」と言ってにらんだりしてくれたが、私はむしろその場にいることすらいやだし話題にすらしてほしくなかったから少しありがた迷惑だと思った。

 でも今思い返せば、あんなふうに守ってくれてありがとうって感じる。

児童クラブからの帰り道、サラリーマン風のおっさんに「おっぱい大きいね」といわれる。触られたりはしなかったけど本当に怖かった。

 変質者に遭うのは初めてではないけど、めっちゃ普通そうな優しそうなおじさんに白昼堂々威風堂々とそんなことを言われて混乱した。

中学生になる。ブラジャーはすでに大人のものをつけていた。確かCカップかな。

 電車通学が始まる。痴漢に遭う。これに関しては胸が大きいからではなく制服姿だったことが大きいと思う。

 これは高校卒業(中退)までずっと続くことになる。友達と乗る車両を合わせてかたまることで自己防衛していた。まあそれでも防げないこともたくさんあるけど。

 これまでの人生で少なくとも20回以上は電車痴漢にあっていると思う。

 何かのイベントものすごい混んでいた時、乗車口ですれ違いざまに思い切り胸をわしづかみにされたこともある。あれは泣いた。

体育祭で腕を組む振付のあるダンスをすることになり、隣の男子に「おい押し当てんなよ~」と冗談をいわれる。

 「誰がてめぇに押し当てるかよ」と思いつつも「そんなことするわけないじゃーん」と笑って対応。そういうやりとりが多く、笑ってごまかすうちに「エロキャラ

 みたいになってしまう。私の最も印象に残っている体育祭の思い出はコレだ。くそ

・私はクラスでも男子とあまり絡みのないグループにいたが、

 男女半々で常にウェ~イって感じのグループが頻繁に誰がかわいいとかかっこいいとか話しているのが耳に入り、

 誰が一番胸がでかいかとかどんな下着かというのをそのグループ女子が吹聴しているのも聞いた。

 そのグループ男子がこそこそ私をみて「〇〇(私の苗字)・オブ・ジョイトイ」と言って笑っているのも聞いた。

 死んでくれと思ったけど「そういうのやめて」ってシリアスに言うとノリが悪いとか自意識過剰と言われそうだったから何も抗議はしなかった。

 むしろそういうことにマジ切れしている女友達をどこかダサいとかうっとうしいとすら感じてしまっていた。

プールの授業はほとんど「生理です」で欠席を通した。どうなるか目に見えてるもんね。

・中2くらいから少し太ったこともありさらに急速に胸が成長。白っぽい簡素下着をつけることという校則があったけど、

 白くてレースもついていないようなブラは私のサイズではほとんどなかった。

 このころから“聞かせる変態”“見てます変態”のようなものに頻繁に遭遇するようになる。

 すれ違いざまなどに「でかっ」と聞こえよがしに言ったり、胸をジーっと見た後顔を見てにやあっと笑ったりする男の人のことだ。

 触られてるわけではないし、思い違いかもしれないし、そう思うと誰かにこの経験を打ち明けようという気持ちすらわかなかった。

・中3。スカウトもどき変態出会う。おしゃれ眼鏡をかけたBrutusを愛読してそうな男性芸能事務所のものですが、と声を掛けられ、

 バカな私は真に受けて一緒にカラオケに入ってしまった。途中から変な話になってトイレ行くふりして逃げた。

「胸っていうのはホルモンで大きくなるんだよね。貴方は背は低いか生理が始まるの早かったでしょ。早熟な証だよ。

 それでね、気持ちいいことをすると、胸が大きくなるっていうのが科学的に証明されているんだけど、早熟あなたはきっと、気持ちいことを

 ひとりでやっているんじゃないかな?それは恥ずかしいことじゃないよ。おっぱいが大きいのは恥ずかしいことじゃない。

 早熟なのも、気持ちいいことが好きなのも恥ずかしいことじゃない。おっぱい気持ちいいことをすると大きくなるんだよ、

 もっと触ってって主張するために大きくなるんだよ……」思い出すだけで気持ち悪すぎてはきそうになる。

高校。おしゃれに目覚める。いわゆる青文字系雑誌テイストが好きだった。これまでの経験からボディコンシャスなファッションは好きになれなかった。

 しか巨乳青文字系は相当に相性が悪く、何を着ても思ったのと違う感じになる。

・このころから本格的に自分の胸が忌まわしく思えてくる。肩は凝るしセクハラはうけるし洋服は似合わないし。

 更衣室で女友達がうらやましいと言ってくれるときだけ半分嬉しくて、でもやっぱり半分は「どうせ太ってるって言いたいんでしょ」と卑屈になっていた。

 コスプレ好きの友達に胸を締め付けるさらしのようなものを借りるが苦しすぎて日常遣いは断念。

 痩せりゃ胸は減るだろうと最低BMI15台までダイエット生理とまる。胸はE→Cまでサイズダウン。

 そして私はここから数年間摂食障害に苦しむことになるがそれはまた別の話。

摂食障害等により学校生活に支障をきたし始めたため、高校は2年時にドロップアウト

・19歳で高卒認定をとり、21歳から看護学校へ通い始める。このころは摂食障害も少し落ち着き、BMIは19まで回復。胸はG65に。

(おっぱいとは関係ないけどこのころ飲み会で知り合った男性に「女の子はこれくらいふっくらしている方がいいよ」と言われてファッ?!?!?!となる)

 実習ではおじいさんやおっさん患者セクハラ発言されまくる。体位変換や移乗、おむつ交換でどうしても患者の肩や膝にわがパイオツがあたってしまうのだが、

 「わざとやってくれてるの?」とか「いいねぇ(にやぁ)」はもはや日常

ブラック看護学校だったのもあり、ただ実習をこなすことだけに必死で、そういったことに対して怒る気力がなかった。

 今思い出すと腹立ちで眠れなくなるけど。

・1年留年しつつもなんとか国試合格。はれて総合病院就職

 スタッフIDとかテープとかのちょっとしたツールを首から下げたりするんだけど、使いやすくするために紐を長めにして斜めかけにする人も多かった。

 私もそれをやったけど、研修医に「パイスラですね」と言われエプロンタイプツールバッグ?にチェンジした。あいつ死んでくれ。

・25歳で初めて彼氏ができる。告白されたり飲み会でいい感じになった男性はそれまでもいたけど、嫌な経験しすぎて男性不信気味だったため付き合うまでいかなかった。

 彼氏は顔もかっこよくないし超ド級ぽっちゃりさんで私より給料も低いけど、とにかくぜんぜん体形とかの話をしなくて、それが私にとって一番安心できる要素だった。

 摂食障害も治ったりぶり返したりだったから、そういうところには敏感になっていた。

・性行為も胸を見せるのも彼氏が初めてだった。そのときはじめて彼氏は私の身体に対してものを言った。

 「すごい…きれい、おっきいね」と喜んでいたけど、それはぜんぜんいやじゃなかった。

 彼氏のことが好きで、彼氏自分の体をほめてもらって、喜んでもらえてすごくうれしかった。

 喜んでほしいかコスプレとかもぜんぜんやったし、いわゆるパ〇ズリとかもやった。こんなのなにが気持ちいいんだ?とは思ったけど、

 好きな人に喜んでもらえるのはシンプルにうれしかった。

・ある日、なんのきなしに自分の勤める病院のことをググってみた。すると〇〇病院という名のスレ爆サイという掲示板サイトにあった。

 「〇科の爆乳ナースエロい」「夜這いしてくれる」「押し付けてくれる」みたいなことが書かれていた。

 知ってる人が読んだら、私のことだってぜったいにわかる内容。

 私以外にもこういったことを書かれているナースはいた。

 私は看護師としては一応のプライドを持って患者さんに良い看護提供しようと努力していた。こんなこと書かれるいわれはなかった。

 怖かったし、怒りで体が沸騰しそうだった。

 現場でのセクハラは師長さんとかに相談すれば担当をはずしてくれたりするし、誰が何を私にしたか、私にはわかる。

 でもネット書き込み患者なのかスタッフなのかすらわからない。

・結局、怖いので退職して別の病院に移った。患者スタッフ女性ばかりの科。産婦人科。すごく気楽。助産師じゃないか地位は低くなったけど。

 そしてこの科ではおっぱいは1ミリメートルエロものではない。臓器の一種しかない。

 乳首乳房を触るのもエロ行為ではない。おっぱいはなんでもないことのように、それでいてとても大切に扱われる。最高だ。

・例の彼氏結婚した。結婚式は神前式にした。単に白無垢が好きなのと、ウェディングドレスは胸の強調されたデザインが多くて、胸にいい思い出のない私は着たくなかったから。

前撮りではウェディングドレスも着たけど)

体育祭の思い出、文化祭の思い出、カラオケの思い出、看護学校の思い出、川遊びの思い出、児童クラブバイトプール遊園地電車就職……

 31年生きてきてたくさんの思い出があるけど、そのどの場面にも裏面みたいなのがあって……。

 楽しかった表面を思い出すと常にその裏面(セクハラ痴漢、いやな視線、いやな言葉等々)も思い出されて、

 そして全てが裏面に蹂躙されている思い出もあって。

 おっぱい自分の好きなパーツでもあるけど同時に災いを呼び込む呪物みたいでもあって。

 えくぼみたいになってくれたらいいのにとか都合の良いこと思ったりっもする。

 かわいいパーツだけど、そのせいで嫌な目にあったりはしない。ただの体の一部分。そんな風になればいいのに。

ここまで書いて疲れちゃった。寝よう。ほな……

2022-04-18

anond:20220416181919

神前式で挙式だけやるとか、写真だけ撮るとかの譲歩はお互いにやるべきだったのでは?

という気はする。した上で彼氏が譲らなかったのかもしれないけど。

彼氏からしても写真に残したいとか、実家が「結婚式をしないのは後ろめたいことがあるからだ」

という古い考えで説得が難しいとかそういう事情があったのかもしれないし、

ただ単純に「周りもやってるんだから自分だってやりたい」というだけだったかもしれない。

そこで聞く耳持ってくれなくて我を通されたのなら別れて正解だろう。

結婚生活というのは他人と一生を添い遂げるもので、折り合いを見つけるものだと思うので。

2021-12-16

anond:20211216151948

何か宗教にこだわりがあって神前式やるならまだしも友達披露宴程度でそこまで気にしてる人いないと思うよ

2021-11-10

anond:20211109132706

沢山書いたやで

 

実名主義

80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数社会的人格を持って経済活動する事ができた。

職場旧姓を使い続けても問題無かった。1986年米国マネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。

 

MDMAエクスタシー)の不使用

MDMA非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。

心臓発作を惹起する為に規制m.o.v.e.のmotsu所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。

 

マリファナの不使用

90年代クラブではマリファナ普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。

 

・式場での結婚式

1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式キリスト教教会一般的。

団塊世代ロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻自由憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。

団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。

古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。

 

公共空間でのマナー

1990年頃まで日本人の公共空間でのマナー先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。

1990年代に反省の機運が起こり急激にマナーが向上した。

 

外国で旅の恥をかき捨てない

かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本旅行者特に団体)は眉を顰められる存在だった。

遺跡名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクター痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。

これを西洋宗教倫理文化日本恥の文化共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。

自省により90年代に急速に改善

 

固定電話を初期費用無しで引ける

電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。

この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年から段階的に廃止された。

 

役所サイトが一日中閲覧できる

森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバIISインターネットインフォメーションサーバー)サービスHP提供していたため。

終業時間になるとサーバルータの電源を落として帰っていた。サイト作成役人趣味みたいな感じで作っていた。

コードレッドワームなどが流行すると当然に全滅。

 

ネットワークプリンタ共有

1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。

 

・駅のトイレトイレットペーパーがある

駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。

民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。

 

路上駐車車両が無い

90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両タクシー客待ちで二重駐車になっていた。

90年代中ごろに警察取締りを強化して根絶。

 

・TIMESなど時間駐車場

2000年から増える。警察路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。

 

洋室だけの家やマンション

和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習

 

家電量販店での価格表示

家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員交渉で決めるという風になった。この為に店員電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。

客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。

 

スリム自販機

バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機建物看板道路使用徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。

これに対応して既存機の撤去スリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。

 

日本109キーキーボード

以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフリセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。

2000年くらいに今の配列に一本化された。

 

プチフリしないSSD

2006年ころに一世を風靡したネットブックSSD一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。

 

会社員就業時間中に中抜けしない

嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。

当然平日3時までしかやっていない銀行会社員が行けるわけがない。

そこで振り込みの為に仕事中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅

 

飲酒は二十歳から

18才は未成年飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。

ゼミ飲み会普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。

 

線路を歩かない

都電ローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。

90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故連続し、その後厳しくなっていった。

 

飲酒運転絶対ダメ

初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキー酩酊するからダメ」と書かれている。

 

・小銭を所持しないで外出

1000円札の読み取り装置一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。

この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。

 

一円玉の使用

1989年消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉公共料金以外殆ど使われていなかった。

 

・個室

和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。

 

個人

家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員プライバシー踏み込む」という感覚が余りなかった。

会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。

オークマンは街で個人空間に浸るものだとして批判対象になった。個人主義はそれ自体罵倒文句だった。

 

大学生勉強する

全共闘運動はあらゆる権威攻撃し、大学の知の権威というもの破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態継続。やがて学生は脱政治化したが大学学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。

90年前後大学改革ICU上智比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり学生勉強するという当たり前の状態が復活した。

この為に卒業1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。

 

・様々な塩製品

塩は国家専売品だったので専売公社製造する塩以外の岩塩ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可標識の掲出が必要だった。

1985年自由化により今の状況になった。

 

・「メイド喫茶」などの語

メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制階級制の象徴のような職業であって、戦後身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤一般的な「雇用」となった。

一周回ってメイド構造過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。

 

・キャノーラ

キャノーラ油の原料は菜種。

米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。

米国生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。

 

弁護士事務所広告

過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。

但し「勝訴率〇%」のような広告は今でも禁止

 

・夜まで開いてるスーパーデパート

1991年大店法改正されるまではデパート閉店時間はPM6時、スーパー閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。

基本的地元商工会意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正商店街の全滅に繋がった。

 

生ビール

ビール酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール

この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。

1970年代末にサントリーフィルター酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。

から地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品生ビールサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。

 

サービス残業

バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。

それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。

これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。

 

東京自動改札機

1990年から1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的

 

あきたこまちひとめぼれ等の米

1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。

冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまちひとめぼれが席巻するようになった。

 

バイク駐車違反

駐車違反バイクと車の別はないが、バイク駐車違反2006年まで摘発されていなかった。摘発民間委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。

 

大学生の専攻無し

学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から

2020-10-18

チャペル結婚式

人前でキスするのって、普通、嫌じゃないの?

それなのに、結婚式では当たり前のようにするの分からん

 

ウェディングドレス着たいけど、それが組み込まれてるし、しないのも変に勘繰られそうだし、神前式にした。

2019-01-12

anond:20190112220701

高度経済成長期にホテルが考えた商売結婚式(御祝儀式)をする意味がわからない。

神前式にすれば?友人呼ばなくて済むし雅でいいよ!ドレスはいくらでも写真撮ればいい。

2018-11-16

anond:20181116191502

創作宗教なら有名なものが沢山あるんだけどね

クトゥルフ神話

ハワード・フィリップス・ラヴクラフトに端を発する小説を中心とした架空神話

後の時代創作に大きな影響を残す

一神教文化を背景としたおぞましさを表現している傾向が強く、多神教文化圏では理解しにくい部分もある

日本創作にもよく引用され、クトゥルフ神話を題材とした作品アニメ化されたりもしている

GNU

リチャード・ストールマンに端を発するGNU宣言の後に誕生

フリーソフトウェア運動支持者は狂信的なものもおり、時にその思想から内外で対立することを宗教戦争として揶揄したことからGNU教というジョークが成立

リチャード・ストールマン本人も聖イグヌチウスと名乗りコスプレ披露したこともある

空飛ぶモンスタースパゲッティ

日本ではスパモン教とも略される

北米公教育において進化論と共にインテリジェント・デザイン説(知性ある何かによって生命宇宙の精妙なシステム設計されたとする説)の立場も教えなければならないとする議案に対して、反発する意味を込めて成立した

このインテリジェント・デザイン説の立場とは事実上キリスト教徒立場であり、信教の自由があり為政者特定宗教を贔屓するのは良くないとする学生たちがキリスト教パロディ宗教としてスパモン教を作った

スパモン教徒は「平等のため、スパゲッティモンスター人類を作ったという説も学校教育で教えるべきだ」と主張した

後にオランダにおいて宗教団体として受理され、(神前式のノリの)パスタ婚式も行われた

ツンデレ神釘宮教

日本女性声優釘宮理恵ファンによるサークル性質を持つ創作宗教

ヤマグチノボルライトノベルであるゼロの使い魔に登場するルイズフランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールアニメ版ゼロの使い魔釘宮理恵が演じたことにより釘宮理恵ファンが爆発的に増えたことを由来とする

釘宮理恵の演技に虜となった者を釘宮病揶揄し、釘宮病罹患者はほぼツンデレ神釘宮教信者と見做される

海外日本アニメファンにもKugimiya DiseaseもしくはKugimiya Byouで通じる

(追記)

とろ弁天信仰

東京都八王子市日吉町所在する寺院了法寺住職オタクカルチャーファンだったことにより、了法寺萌え看板を設置したことにより注目を浴び、イラストレーターとろ美デザインとろ弁天作成された

とろ弁天モデルは新護弁財天であり、了法寺自体日蓮宗派ではあるが神仏習合の色を残しており弁財天が祀られていた

2018-05-09

レンタル花嫁レポート

行ってきたのでレポ

私:四国在住(30代前半)

派遣先東京

相手の年齢:30代前半

報酬:私一人で32万円(打ち合わせ、式の合計4日間、交通費宿泊費込み)

式:神前式披露宴

派遣範囲:私(花嫁役)、両親役、親戚友人役多数、スピーチ代行業者

情報共有範囲:夫(本人)の両親まで、祖父母は花嫁派遣だと知らなかった

派遣理由不明

その他:打ち合わせ、式以外の時間日新郎の母親東京見学した。母親は周囲を気にする様子有り、私を別の名前で呼んだ

備考:遠方在住でピアノが弾ける女性希望したとのこと、二次会披露。私以外の友人派遣などは東京派遣会社から

2018-01-03

anond:20171215203356

結婚式神前式にして招待客は新郎新婦家族だけ、そのあとちょっとした食事会。それか、海外or遠方で家族だけ連れて挙式ってスタイルにすると会社の人にも角がたたないと思う。お堅いとこは知らん。ただ、相手の子結婚式に憧れがあるタイプだとなぁ...けっこうサバサバした子でも、オーソドックス結婚式願望があったりする。結婚式したくないって女の子は少数派だよ。

2017-11-24

anond:20171124003828

うそう。

結婚式日本では人前式一般的なところ、キリスト教が神との契約であったため無理やり神前式を作り上げた

葬式→喪服は白。神道においては死は穢れであるため遠ざけられたところを、突然「英霊」という概念を持ち出した。靖国神社なんて神道的には邪道

出雲大社もいきなりそうした従来神道と全く違った解釈政治的押し付けられたので、もともとの流派が一時期分岐して宗教を作ったので新興宗教扱いされていた。

同性愛売春についてもキリスト教がそれを悪としてたから突然悪にされた。

そういうの知らないふりして何が伝統だか。

2017-07-12

https://anond.hatelabo.jp/20170712000300

わかる。

ていうか、海外では男女の結婚ということ自体オワコン化して事実婚選択するカップルがいる現状において、「結婚」とは何かというところについてあまりにも議論が浅すぎる感じがある。

そもそもとして現在日本で「結婚」とされる制度江戸時代から武家のお家制度明治になって一般人適用したとともに、それまで一般的だった人前式を無理やり欧州列国に認めさせるために神前式に祀り上げたとかわけのわかんなもので、そういうところを真面目に研究する学者がいない。

同性愛者がいるという事実と、結婚という制度そもそも社会的歴史的にどういう位置づけであるかということは全く別の問題なのに、ほとんどの人が平面的に「だってみんなやってるし」で片付けてる。

世界諸国に比べて婚姻制度とかパートナーシップ制度20年は認識が遅れてる日本において、同性愛者ですら「だって男女の結婚幸せそうだから」とかふわっとした理由同性婚を支持していたりする。

一方でラディカルな同性愛者は結婚制度のものが将来的な家族制度に適しておらず、まして同性愛という人間関係にはそぐわないものであるということを理解しているから「同性婚」という茶番に反対をしていたりする。

日本における同性婚議論で最も欠けているのが宗教的観点で、元祖キリスト教同性愛禁止していたこととか男女の結婚も一生何があっても添い遂げることを強制するDV容認男女差別容認という宗教的戒律があったことが理解されていない。

今の日本結婚制度がもともとあった先祖崇拝とアミニズムと神道を無理やりキリスト教風にミックスしたクソみたいな思想の土台のもとに成り立ってるってことがわかってもらえれば「同性婚」どころか「結婚」がいか不毛20年遅れた制度であるかがわかるんだろうけど、まあ日本会議が頑張っているうちは無理かな。

こういうところ、まじで議論できる論者が日本ではあとどれくらいあとに発生するんだろうな。はあ。

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