はてなキーワード: 礼服とは
内容については、言いたいことは分かるし、概ね同意。
ただ、「振袖を成人式でしか着ないものと刷り込みをしたのが、呉服業界なら、そこから改めよ」という話は、少し疑問。
そもそも、「着物が売れないから、せめて単価の高い振袖が年に数着売れればいい」という発想で、「成人式という晴れの日で振袖を着よう」というプロモーションが打たれたのではないか。
「礼服だから、シーンに合ってればいいんだよー」と言われても、そもそも成人式でもなければ振袖なんて着ないのである。
(全ては着付けのめんどくささのせい)
まあ、頼みの綱である成人式が来年も無事開催できるか分からない今、業界が変わらなきゃいけないことは事実だ。
がんばれーーー。
昨日発表された、東京の子育て世代が普通の生活を送るのにいくら必要になるのか?について、
メディアのやや雑な取り上げ方や分かりにくい記載によって様々な誤解が生まれていたため、元のPDFで書かれている内容を所感も交えながら解説する
元のPDF:http://www.chihyo.jp/oshirase/data/shiryo-kisya.pdf
生活に必要な費目を積み上げることによって最低生計費を算出している(マーケット・バスケット方式)
なお、生活実態調査と持物に関する調査についてはアンケートベースの部分もある
明確な記載はないが、アンケートや会議によって「健康で文化的な最低限度の生活」を決めている
住居費は「最低最低居住面積水準」、食費は必要な栄養を満たす最低限にするなど、かなり慎ましい生活を想定されているように見受けられる
月々の支出で計算されているので、よく言われる「手取りで月54万」は間違い
また、税金や保険料の算出前提となる夫の賃金は以下で想定されているため、不足分は妻や子の収入、あるいは手当や奨学金で賄う想定と見受けられる
以降は各費目について記載する
世帯モデルに対応する年齢層と性別ごとの必要栄養素から、食品群別の必要量を試算し
家計調査2018に基づく食品の消費単価を掛けることで食料費を算出している
外食も別途考慮されている。夫は月に10日コンビニ弁当、子供は給食や学食を利用、月に1〜2回の飲み会やママ友会ランチなど
余談だが、飲み会は枝豆、刺身盛り合わせ、鶏から揚げ、おでん、ビール3杯だったり、ママ友ランチは毎回ハンバーグステーキセットだったり、なかなかの侘しさである
上述の会議でも盛り上がったんじゃなかろうか
国土交通省の「住生活基本計画(全国計画)」による「最低居住面積水準」に基づいて面積を決定している
以上から、30代世帯は42.5㎡、40代世帯は47.5㎡、50代世帯は50㎡とされている
家賃はインターネットのサイトで築34年以下の物件を調査し、下から3割を目安としている
築34年としたのは耐震基準が1981年に導入されたことを考慮しているとのこと
総務省「平成26(2014)年全国消費実態調査」と「東京都消費者物価指数」を元に算定
品目別に、月価格 = 価格 × 消費量 ÷ 使用年数 ÷ 12 で計算する
品目は、持物調査に基づいて、原則7割以上の保有率のものを「最低限必要な必需品」と定義して、費目ごとに積み上げて算定
価格は、持物調査における主な購入先である「大手スーパー・量販店」で実施。売られてなければネット通販等も調査
礼服や背広などは「人前に出て恥をかかないように」最多・標準価格を採用し、その他は最低価格を用いて試算されている
消費量は、原則として少ない方から数えて合計3割の人が保有する数を基準としている
使用年数は、「減価償却資産の耐用年数等に関する省令」や「クリーニング事故賠償基準」の平均使用年数をベースとする
生活実態調査(アンケート)に基づく平均額としている。また、体重計や救急箱などの「保険医療用品」はこちらに加算している
持物調査では自家用車の所有率は10割超であったが、アンケートでは生活の必需品との回答が5割未満のため、公共交通機関によって通勤・通学としている
レジャーにおける交通費は後述の教養娯楽サービスに含まれている
通信費は総務省「平成26(2014)年全国消費実態調査」と「東京都消費者物価指数」を考慮して算定
文部科学省「平成30(2018)年度子供の学習費調査」に基づいて、原則として支出率が7割以上の費目を算定
一応さらに費目は細分化されているが、細かい内訳が不明のため概算とのこと
大学については日本学生支援機構「平成30年度学生生活調査」、文部科学省「平成30年度私立大学入学者に係る初年度学生納付金について」に基づき算定
教育娯楽耐久財、教養娯楽用品、供養用娯楽サービス、NHK受信料、インターネット接続料を計上
日帰り行楽は教養娯楽サービスに含まれるが、生活実態調査と会議でざっくり出している
理美容、傘などの身の回り品、冠婚葬祭などの交際費、こづかいを計上
結婚式と葬式・法事は年に1回、お中元やお歳暮は送らない。誕生日やクリスマスの費用は会議で決定。盛り上がりそう
小遣いは夫婦月6000円、大学生月6000円、高校生月5000円、中学生月2500円、小学生月1000円、幼稚園児月500円
この辺の費目はやや適当さを感じるので、「こんなのもあるよね」的な話をうまいことまとめたのだろう
夫の賃金は上述のとおりの想定で、夫以外の家族構成員は扶養家族として計算されている
謎に「個々人の多様性を考慮したもの」として消費支出の1割を計上されている
エネルギー消費量は身長や体重によって違うし、心身の健康状態や障害の有無による違いもあるためとのこと
まぁ色々意見が出たんだろう
所感として、食費や住居費は最低限のもの、物品も保有率7割以上のもので算出しているなど、かなり慎ましい生活を想定しているように見受けられた
予備費で若干割増されているような気がしたり、本当に倹約するなら家電などの所持品は耐用年数を超えて使用したりする気はしないでもないが、
内容としてはそれなりに妥当なのではないだろうか
詳細はぜひ原文をあたっていただきたい
「礼服は必要」「ひとつ決まったフォーマルな服があるとファッションを考えなくていいからむしろ楽」
わかるよ
でもじゃあ黒いTシャツとジーパンかなんかが礼服でフォーマルってことにしたらええんとちゃうか
動きにくくてシワになりやすくて高くて暑いあのスーツとかいうクソ服をよりによって選ぶ必要があるのか
まあわかるよ 実際クソなげえ商習慣とかがあるんでそう簡単にスーツやめますってわけにもいかない
でもさあ、じゃあ素直にそう言えよ
「伝統に縛られて思考停止してます、打ち破る力も元気もありません、お前も諦めてスーツを着ろ」ってよ
ヘタな擁護すんなよ 日本という地においてあの服が一年中正装扱いされてることに正当な理由はないだろ
意味不明の伝統だけどもう根づいちゃったから仕方ない、せめてそう言えよ
ボケがよ……
私のケースとしては1000万を目指す働き方は辞めとけ。
https://anond.hatelabo.jp/20200530164357
https://anond.hatelabo.jp/20200531001212
https://anond.hatelabo.jp/20200530210343
年収400万→30前半で1000万円→何年か仕事して中盤で転職して800万。既婚。
仕事は…まぁ"流行りっぽい"ジャンルのエンジニアですねー。機械学習ではないです。
1000万時代: 恵比寿で16万だったような…。高級感のある1LDK。
800万時代: 郊外マンション。賃貸だと15万。普通感のある3LDK。
広さは倍、値段はほぼ同じ、グレード感(?)は0.7倍かな…。
学生時代から築40年とかにずっと住んでたので、冬場寒くない・夏場にエアコンがちゃんと効くというだけで感動しています。
これは独身時代も通して1000万でも牛丼とラーメンとマクドばっか食べてたんですよ。あとコンビニ弁当か。
恵比寿・渋谷はまだ安いランチが種類あってよかった。六本木や赤坂はランチ物価が高くて1000円以下あんまない…。
拙者、ランチに1000円出したくない侍。
でも1200円位するラーメンも「ちょっともったいないかな」くらいで食べれるのはリッチ。恵比寿にはAFURIという美味しいラーメンがあるのでぜひ食べてほしい。
結婚までのデートは1人1万円の店でも躊躇なく行けたけど、800万の今はほぼサイゼ、バーミヤン、近所のローカルステーキチェーン…。
なお恵比寿にはスーパーが成城石井しかないので、閉店前に値引き弁当買ってた。…というか閉店前にしかほとんど行けなかった。
(たしか24時間営業のライフとかもあったが、駅からえらい遠かったので使わず)
これも皆言うとおりで、割り勘1万でも高いなーとは思わなくなったけど、さりとて好きなわけでもなく。
正直僕は400万のときも1000万のときも、鳥貴族好きでしたよ。金の蔵は嫌い。
恵比寿で、入りやすい雰囲気で買いやすい値段の古着屋見つけたときはお気に入りではあった。。
時計はApple Watch(使ってないスマートウォッチは4個くらいある/礼服用の3万くらいの時計は電池切れ放置)
というのが私のリアルでした。結果的に今の嫁は年収の話は…同棲するときに不動産屋に出す書類に書いて知らせた。はず。
ちなみに女性慣れしよう、というのと、年収1000万になって気が大きくなったのもあって、数回キャバクラいってみたこともあったんだけど効果があったんだかなかったんだか。
案外、アニメやゲームの話ができるキャバ嬢って多いんだなーコミケ参加したりとか。って思った。
他に、管理職でもあったけど裁量ない上に責任押し付けられたりとか辛かったからですね。
Q. どういう仕事したらそんなに稼げるか知りたい
A. 需要と供給を先読みしてた感じ。今でいうと「機械学習?5年前から専門です」って感じ。しかし今の若い子(新卒学生)とかは優秀…。自分は未踏とかロボコンを鼻ほじりながら眺めつつ、ネトゲのチート組むぐらいしかしてなかった。
Q. で、資産は?
A. 居住用不動産とか除くと現預金1400, 株や仮想通貨500, かなー。
Q. 社内では昇進早いほうですか? 部下は何人ぐらいいますか? どんなスキルを持ってますか?
A. 部下20人→部下なし。
Q. 残業代で稼いでるとかですか?
A. 残業代が出る会社にいたことがありません。定額働かせ放題契約の会社ばっかです。
Q. 家計簿見せてちょん
A. なにもなければ毎月15万ずつ貯金が増えます。新型Macが出るなどすると減ります。あと親の病気など。
A. 私物 MacBook で 16 万円くらい。ブラウザ内で済む作業なら会社支給PCでやっていて、会社支給PCは30万円くらいです。
A. くっそ下手なので200万くらいマイナスの投資をしています。
月5万はドルコスト平均なロボなやつに自動積立、あとは思いつきで株やETFやら。
Q. え?一人暮らしなら都内で車くらい余裕で持てるでしょ。必要はないと思うけど。
A. これは400万の頃に車買ってて、1000万以降はカーシェアなんです。が、今や車検とかオイル交換とか空気圧とか保険契約とか駐車場契約とか時間なくて無理…。
カーシェアはスマホで探してパッと乗ってパッと返せて良いですね。メンテ不要。表面上の安さ以上に、平日に人がメンテしてくれるの、プライスレスじゃないです?
あと恵比寿に限らず山手線内側〜大きめの駅チカはどこも徒歩5分程度でカーシェアあるので良いです。なんならデート用の高級スポーツカーもありますよ。「わ」ナンバーだけど。
Q. 年収1000万の「リアルな地味なところ」ではなく「リアルな派手なところ」を教えてほしい
うーん。新しいiPhoneは躊躇なく一括買い替えするとか?
Apple Watchの心電図機能(日本では薬機法の関係でOFF)が欲しくて突発LCC予約して香港行くとか?
海外版と中国版と国内版の違い知りたくて、同じスマホを3台買うとか?(これは個人輸入)
高級寿司とか?高級xxxで7万くらい払ってみた、とか??
…でも年収400万くらいのころから必要ならタクシー乗るって感じだったし、同人誌含めて本はほしいと思ったら買ってたし、別にキャバクラ含めてそういう店好きでもない。
「年収1000万だから高級なもの試してみた」系のやつで長続きしたことがないな…。
20万くらいの含み損でオロオロしてた時代と違って、200万の含み損でも「あーまぁ今必要な金じゃないしなんとかなるだろ…知らんけど」ってなったことか?
コンサル勤務の知人はほぼ同年代で900万とかって言ってたけど、出会い系とか"恋愛工学"の話ばっかしてガツガツ色々いってて派手なところ行ってるです。
そう、1000万くらいあるとガツガツ遊んでも平気なんだと思います。
自分としては「金がないから偽物(レッドブルの代わりにトップバリュのエナドリ、100均のスマホ充電ケーブル、高級オフィスチェアの代わりに中華チェア、他キャンプ用品でも電動自転車でも中華類似品)を買う」ということが無くなったのが、とても派手だし、ストレスレスです。
なお、前述のカッコ内は今手元にあるやつです。。
・・・だって、そういう生活が長かったので「節約節約ゥ!」が染み付いてる。
A. せやな。
しかし実際1000万もらってたときも何していいのかわからんかった。高級店は良かった。焼き肉でもなんでも。
いま800万だけど、高級焼き肉行きたいな〜とはそこまで思わない…というかKINTANや六歌仙より、豚野郎(豚丼)のが美味しいと思ったもんな…焼肉ジャンボや焼肉チャンピオンも美味しかったけど。
A. タワマンは年収800万でも「余裕ですよー!」って言われましたよ。でもタワマンにもピンきりあると思いますが。
でも年収1000万のころより800万の今のほうが、死にたさはかなりなくなっています。過労はこころを壊します。
"楽しい" のはプロダクトやチームが成功したとき・成長したときですね。人生自体を楽しいと思ったことはあんまり無いかも。
というか苦手という領域通り越してると思う。
毎日顔を合わせてる職場の同じ部署の人も、会社から一歩出たらわからない。
休日に電車に乗ったとき、目の前に上司が座ってたらしいんだが一切気が付かなくて、後日無視してたのわざと?と言われて初めて、ああやたらこっちの方見てたおじさん上司だったのか、と記憶の中の顔と目の前の顔が結びついた。
多分人の顔を名前を一致させるんじゃなくて机の位置で名前覚えてる。
斜め前に座ってるから田中さん、右隣は山田さん、みたいな感じ。
他人に関心がないだけだろ、と言われるかもしれないが、実の親ですら普段と違う服装されると分からなくなる。
普段スーツを着ない父親が結婚式とかで礼服着てると、トイレ行って会場に戻ってきたときあれ、父さんどこ?となる。
親の場合は持ってる服やら鞄やら覚えてるし、行動のパターンというか、癖みたいなのもわかってるからさすがにすぐにああ父さんか、みたいに判別できるんだが。
北海道には敦賀発のフェリーで向かった。敦賀は何度も訪れてるし、土地勘があるから敦賀発を選んだんだけど、これが間違いだった。到着するのが苫小牧東港という、なかなかの僻地だったんだよ、嗚呼!
それでもその港からそんなに離れてないはずの土地に宿も予約した。
尚、予約時の会話。
宿「港からウチの宿まで真っ暗ですけど!?」
苫小牧東港(ところで苫小牧って早口言葉に利用出来そうよな)に到着し、あらかじめ調べておいた道をひた走る。時刻は午後8時過ぎ、季節を問わず超西日本でなければ真っ暗な刻限。
途中から完全に街灯はなく、ガイドの道端の反射材だか点滅灯だかがなければ道幅さえも判らない。
宿の人の言葉を思い出す。『真っ暗ですけど!?』
田舎育ち&田舎暮らしだから、夜道が真っ暗なのには慣れていた。しかし北海道の夜道の暗さは密度が違う!
遠からぬところに海があるんやろな、ここを昼間走れたなら実に最高やったんやろな。
霧も浴びながら、何とか宿に辿り着く。
どうも職人宿系らしい。それは別にいい。安くて親切なところが多いし。
実際その宿も安くて親切だった。
翌朝、宿で朝食を頂戴し、自転車に荷物をセットして出発しようとした時、
「え、荷物それだけ!?」
宿の人に言われた。
モンベルのフロントバッグにトピークのサイドバッグ20リッター2つ、ちょいちょい取り出すものは巾着袋に入れてトピークの把手にぶら下げている。
「これだけですけど」
「北海道を旅しようっていう人がたったそれだけの荷物ってのは、初めて見たよ」
私これまで、中国・四国地方をこれだけで走ってきて、特筆するほどの苦労はなかったんですけど。
旅してる間に、宿の人の言っていた事が理解出来てきた。
北海道を自転車でぐるり回ろうなんてアホはそんなにいない。大抵はバイクだ。
バイク乗りは自分がエンジンじゃないので、結構荷物を積む。中にはサイドカーに荷物積んでる人もいる。
それと較べると、私の総計40リッター+αの荷物は、確かに少ない。
でも、ふたつのサイドバッグの片方は、ほぼキャンプ道具だ。この中にダブルウォールのテント、ふっくら寝心地のいいマット、ダウンの寝袋(気温2度までイケる)、コンロに鍋にその他炊事道具が入っている。正直キャンプしないつもりなら、片方のバッグは要らない。
もう片方には二日分の下着、化粧品(アレルギー持ちなのでその辺ので済まされない)、薬(アレルギー持ちなので薬もいっぱい)、着替えが詰まっている。
うーん、アレルギーである事とキャンプする前提である事を除いたら、ただでさえ少ない荷物が1/3くらいになるぞおw
実際、途中で出会って一緒に食事などしたバイカーの人の話を聴くと、食料たんまり積んで、寝袋+毛布も積んで、とそら荷物でかくなるわという感じだった。
私は食料はマル〇イラーメン一パックと、途中で買ったカップ麺一個くらいしか積載してなかった。
でだ。
旅の後遺症がちょいちょい頭をもたげる。
断捨離をしたくなる。
40リッター+αぐらいで生活出来るんだと思ったら、家の中のもの殆ど捨てたくなる。
⻑い⻑い文になってしまった。
と文に続いて画像が送られてくる。
だいぶ彼も慌てていたのだろう。
ブラウザのタブに、xvideoの名が残っているのに気づかずに私に送ってきたのが微笑ましい。
Facebookの投稿は、もう1年近く会っていない私の友人、しおり(仮名)のものだった。
そして、墓参りなどは心遣いのみで良いこと。
LINEに「Facebook見てなかったから気づかなかった」と返信をした。
とはいえ、彼女のフォ ローをやめていた私はFacebookを見たとしても気づけなかっただろう。
彼の重い声色と対比するように、私の声はうわずって震えていた。
その震えが、まるで泣きそうな声であるかのように演じながら私は密かに、笑みを浮かべてい た。
本当は大笑いしたかったのだ。
私と亡くなった彼女と、そして連絡をとった彼が出会ったのは、数年前のことだった。
当時私たちは二十歳を過ぎたばかりの頃合いで、バイト仲間として付き合ううちに3人でつる むことが多くなっていた。
そして若かったから、それが恋愛感情を伴う三角関係に移ろうのも自然な流れだった。
彼に片思いをする私たちと、その間でのらりくらりと気付いてるのか気付いてないのか分から ないようなふりで友人関係を保とうとする彼。
そういう微妙なバランスで成り立つ私たちは、バイト先の閉店と共に徐々に疎遠になった。
そしてそこから二年越しで私たちはまた出会う。バイト先の同窓会だ。
まるで三人で喋っているかのような雰囲気で、私は彼女へ話を振っているのに、自然な流れで 私は彼女から完璧に無視されていた。
理系の大学に入り直すの、と彼女が言った時だけ私のことを見てニヤッと笑ったのを覚えてい る。
大学を中退した私への、当て付けであるのは確かだった。(それにダメージを受けるかはとも かくとして)
ただの恋敵から、マウンティングまで始めた彼女を見て、私は小さく、死ねばいいのにと呟い た。
その願いは数年後に叶うとも知らずに。
その同窓会から私と彼はまたつるむようになり、彼から、彼女の近況を時折聞くような日々が続いた。
大学へ入るまでにメンタル的に崩してしまい、入学後もそれを引きずったままであること。
そういう、彼女が不幸な話を聞くたびに、心の中で喝采をあげたいような朗らかな気持ちと、 悲劇のシンデレラを演じて興味を引こうとする彼女のやり口の汚さに辟易する気持ちの二つが 入り混じる。
私はこのまま拒食症になり骨だけの姿になってしまえと思っていた。 もちろんこれも今は叶っている。
彼女の肉は燃え、今は墓の下で骨だけになり壺に押し込められている。
そうして、今回の訃報に至る。
彼は、ここまで来てもずっと私たち三人は良い友達関係であると信じ、私だけに電話をして、 私だけに彼女の死への思いを吐露してきたのだ。
勝った、と思った。
私の心は汚いな、と諫める自分もいたがそれ以上に、祝祭の最中のように心躍る自分の方が強 かった。
後日、私たちは二人だけで、彼女の家へ向かった。 彼が遺族と連絡をとり、仏壇に線香をあげさせてもらうことになったのだ。
多分私は、あの日の、駅から彼女の家までの会話と景色を一生忘れない。 その日は雲が多いけれど晴れていた。 雲の中で光が複雑に揺らめいていて、それはまるで世界の全てが、私の仄暗い歓びを肯定する かのように綺麗だった。
駅から離れた彼女の家まで歩く最中、彼は謝りながら、隠し事を打ち明けてきた。
バイト先が閉店した頃、三人で会うことがほぼ無かったあの時期、実は三ヶ月だけ、あいつと付き合ってたんだよね、と。
彼女が生きてたら、私はその場で自殺したくなるほどの衝撃を受けていただろう。
けれど、今の私には、むしろファンファーレのような爽やかさを伴う言葉に聞こえた。
穏やかな顔で私は嘘をついた。
割とあの子悩んでたよー?なんて、軽口を装い私は更に話を聞き出そうとする。
何だ知ってたのか、とホッとする彼は気を緩めて色々と話してくれた。
どうしても彼女を恋愛対象として見れず、ぎこちない付き合いだったこと。
そのどれもが、私にとっては甘美な言葉たちだった。
これで彼女が生きてたら、この過去の付き合いが再度交際に至る伏線として機能してしまうこ とに怯えていただろう。
そして彼女への殺意が行き場をなくして私の中でいつまでも燻っていたのだと思う。
けれど、彼女は死んでいる。
だからこそ私は安心して、彼女が、彼からきちんとお前は付き合うに値しない存在であると言 い渡され死んでいった事実を喜ぶことができる。
そして、その喜びを表すかのように、世界は輝いているように見えた。
草木はいつもよりもその葉の濃さを増し、空は雲を煌めかせているのだった。
それが私の、高揚感を煽る一番のポイントだった。
あんなに学歴や彼との距離感でマウントをとっていた彼女が、今やただの骨となったことに私 は今までの人生で得たことのない種類の喜びを得ていた。
もう彼女には何もない。
入った大学のキャリアを活かした輝かしい未来なんてもう彼女にはない。
そして、彼のこれから先の人生を眺めることも、彼女にはもう出来ない。
何よりもそれが嬉しい。
彼女の家は、ドラマに出てくるような、「いいところ」の家だった。
リビングには薔薇のドライフラワーが飾られ、テーブルにはレースのクロスが敷かれていた。
演技で涙も出るもんだな、と私は仏壇に手を合わせながら自分自身に感心した。
くっ、くっ、と声が出るのは、昂るからだ。
悲しみにではなく、喜びに、であることは隠せたと思う。
仏壇に手を合わせる彼の面持ちは神妙そうで、私が感情を露わにしているからこそ自分は我慢 しよう、という気概を感じ取れた。
男子だからこそ、気を張らねばという彼のいじらしさがどうにも可愛くて、ああ、やはり私は 彼のことが好きなんだな、と改めて思ってしまった。
リビングへと移り彼女の母と思い出話などをしながらふわりと伺う。
「本当に明るくて(空気が読めないだけ)楽しそうに笑顔を(彼にだけ)見せる子で...だからこそ急な話で驚いてしまって...病気とのことでしたが...」
彼女の母と、私は目で訴え合う。
それを聞くのか?という母親の目と、
死因を教えて楽しませろという私の目。
たった一秒にも満たない僅かな時間で、私はやはりこの女はあいつの親なのだと感じてしまっ た。
あの、喰えない女を産んだ女だ。
「...脳浮腫、でして。...だから、本当に急な死で私も、本当にショックでした」
脳浮腫、というワード以外は一切出さないという意思を読み取り私は、彼と共にいるこの瞬間 を汚さぬように詮索をやめた。
ハッキリとしない死因で、私を楽しませるにはパンチが足りなかった。
けれどその最後は安ら かなものでは無かったであろうことを窺えたことは一つの収穫だ。
彼女の家を早々にお暇し、私たちはまたひたすらに駅を目指し歩く。
話すことも尽きたような振りで彼の話を空返事で返しながら私はGoogle検索で脳浮腫を延々と 調べていた。
脳浮腫。とっさに、本来の死因を隠すために出たワードにしては具体的であり、嘘のようにも思えなかった。
けれども、脳浮腫は医学知識のない私が検索で調べた結果を読解する限り、直接的な死因であるようにも思えない。
脳浮腫とは脳に水分が溜まり脳が圧迫されている状態を指す言葉である。
それを死因として挙げるのは、やや話が飛んでいるように見える。
たとえば、交通事故で全身強打し、内臓破裂で死亡した、というのを、内臓破裂で死んだ、と 表現するような感覚である。
そう、私には、母親はとっさに嘘をつけなかったため、「脳浮腫に至るきっかけ」を伏せると いう形で娘を守ったのではないかと、そう感じた。
まだ何も知らない、違和感に気付いてもいない彼の横顔を見ながら、私は、彼女の今際の際に 想いを馳せて、うっとりとするのであった。
脳浮腫に至るきっかけでありなおかつFacebookの文や母の言葉にあるように急死に繋がるよう な死因はくも膜下出血などが挙げられる。
けれども、そうだとしたら、母親は病名を伏せる必要があるのだろうか? くも膜下出血で亡くなった、という話なら、伏せる必要なんて何もない。
だから、私は、もう一つの、限りなく低い可能性の方に賭けている。
脳浮腫は、多くは脳出血が原因で起きるものである。くも膜下出血などのように身体の内部か ら急にエラーを起こし脳浮腫に至る場合もある。だが外傷により脳出血が起きた結果でも脳浮腫はできる。
そして、私はふと思い出すのだ。
彼女は大学入学前からメンタルが不調になり、夏頃にはアルバイトすらもやめてしまうほどに 追い詰められていたということを。
そして、親が必死で隠す死因と言ったら、一つだろう。
もちろん七割は、私の願望なのであるが。
帰り道は雲も晴れ、傾いた日差しが強く、どこまでも世界は煌めいているような気になってし まうほどだった。
その煌めきの中に、彼も共にいる。
その事実もまた、光の儚さを強調するように感じられてまた私の中で歓びが増えていく。
だから、いいのだ。
彼の口から、今の彼女との結婚のプランの話が出てきたとしても。
彼女が白無垢を着たがって、お金がかかりそう、なんてのろけをされたって。
この世界の美しさの中では、何もかもが許せそうな、そんな気がしたのだ。
だから、その今の彼女の名前を、今回死んだ彼女の仮名に使うくらいのお茶目さは、私だって 許してくれてもいいだろう。
来年の今頃、彼は式を挙げる。
彼の姿が和服になるのかタキシードになるのかは知らないが、彼の最高の笑顔を私は目に焼き 付けることになるんだろう。
それは、恐ろしく悲しく、残酷なことのように思える。けれども私は耐えられる。あの女が、 もうこの世に居なく、そしてあの子は、幸せそうな彼の姿をもう見ることなんてできないのだ と、そう思うだけで痛みに耐えることができるような気がする。
そして、もうひとつ、彼女の死の瞬間を想像するだけで、心が昂り、苦を感じなくなるように 思えた。
彼女は、どのように死んだのだろう。
微妙な高さからコンクリートに叩きつけられるも、脳をぶちまけることなく、脳浮腫という形 で苦しんで死んだのだろうか?
それとも、首に索条痕を残し、その細い骨をパキャリと砕いて亡くなったのだろうか。
ただの私の願望である、 「自殺の上で付随して脳浮腫が出来た」という死因を想像しては、愉快な気持ちが止まらずに 居られない。
けれど、メンタルが追い詰められていた人が亡くなり、その死因を遺族がぼかすとしたら、自 殺しかないんじゃないだろうか。
首吊りや飛び降りなどの脳への外傷が出来そうな死に方をした上でなら、脳浮腫も出来るだろ う。
ああ、彼女は、世界に絶望しながら自分の手で命を落としていて欲しいな、と心からそう思 う。
今までの努力が全て無駄になった上、 彼からは彼女として見れないという烙印を押されたまま、絶望の最中で彼女には死んでいってもらえたらどんなに愉快だろう。
そんな想像をしては、私は笑みを浮かべる。
駅に着き、ひとしきりのろけを聴き終わったところで私たちは別れることにした。 白無垢のために頑張ってお金貯めなよ、なんて笑ってあげた。
「式の時は、俺の白ネクタイ貸してやるよ」と。
来年の今ごろ、私は、礼服姿に、彼が過去に使ったネクタイを纏い彼の人生最高の瞬間を見届 けることになりそうだ。
そう言い聞かせながらも、私は、結婚という幸せな人生を歩んでいく彼の姿を見なくて済む、 死んだあの子を少しだけ羨ましく思う。
死んだら死んだで、それもまた幸せなのかもしれないな、という感情も湧きでてしまい、私は 慌ててその思考に蓋をする。
やっぱりこの世は美しいが、生き地獄だ。
その生き地獄よりも下層の、死の世界へと消えていった彼女を蔑むことでしか、今の私は心を保てない。
この歓びや哀しみやそのほかの色々なものがないまぜになった心持ちに、何かの決着がつくの はまだまだ当分先のことなのだとは思う。
こんな恋愛、二度とできないし、もうしたくない。
元々コンタクト着用で仕事も運転もしてたんだけどコンタクト毎回買うの面倒になってコンタクトやめて眼鏡でいる。冠婚葬祭の礼服に眼鏡が合わないんでそういう時だけコンタクトにすればいっかーって気軽に思ってた。
それでこないだ、久しぶりにコンタクトつけたら2,3時間で頭痛はひどいし、吐き気はするしめまいもひどくて着けてられなかった。
コンタクト自体眼科行って処方箋出してもらって新しく購入したものだったんで、度が合わないとか使用期限過ぎてるとかじゃないと思うんだけど、こういう人っているかな。
どうしたら軽減したり、具合が悪くなるのなくなるかな?
へいふく【平服】
とはいえレストランウェディングや社長の通夜にユ●クロのデニム履いて行ったらたぶんぶっ飛ばされますが、いわゆる「平服マナー」というものは常に無条件に適用されるものでありましょうか。
ファンが自由に参列できるような著名人の「お別れの会」の類は、「平服でお越しください」という案内が通例のようです。
(この場で直接お名前を出すのは控えますが)ある偉大な漫画家さんの「お別れの会」でも、「平服でお越しください」とのアナウンスが行われていました。会には、ダウンジャケットにニット帽のお爺さんも、抱っこ紐をつけた子連れのお母さんもいらっしゃいました。リュックサックを背負った若い男性も、スニーカーの若い女性もいらっしゃいました。長年まんがを描き続け、老若男女に愛された氏らしいすばらしい会になったことと思います。
4年ほど前のことですが、当時は特に服装について問題視されることも、疑問を呈されることもなかったと記憶しています。
インターネット上には、色々な方の「お別れの会」の様子をとらえた写真が数多くあります。
(お偲びの場の写真を無神経に撮るのも、それをインターネットに上げるのもいかがなものかという議論はひとまず置いておくことにしましょう)
多くの場合、一般参列者は文字通りの「平服」、普段着で参加していらっしゃいます。学生さんなどのお若い方だけではなく、お子さん連れや、ご年配の方も含めてです。
平服=略礼服は、特定のシチュエーションにおいては確かに正解であるが、常に無条件に適用されるルールではない−−というのが、私の見解です。
とはいえ私は「だから服装なんてやりたい放題でいいじゃん!」と言いたいわけでもありません。
どういう方がなぜ亡くなられたのか、関係者は今どういう心境でいるのか。それによって、参列者が取るべき態度はまた変わってくるのかもしれません。
「主催側がどういう意図で言っているのかはっきりしない以上、失礼のない服装で行けば間違いない」というのも、一つの正解だと思います。
「普段着で来る大多数の人がちょっと非常識なだけで、良識ある大人ならきちんと略礼服を着るべきだ」というのも、また一つの考え方だと思います。
ここ2年くらいSeries 3を使っていたら、どういうわけか最近身の回りでApple Watchについて尋ねられることが多くなったのでなんか書いておく。
ゲーミフィケーションとして日頃の活動量を考えるようになる。一日の目標消費カロリーに達してないと、ちょっと歩いたり階段を使うとかはよくやる。
一番はフィットネスかな。ジョギングや自転車などの有酸素運動をしているときにモチベーション形成や心拍数の負荷を測るのに便利。
日本国内の場合、使用を許可してないジムやプールが殆どなので、水泳がメインの運動だとあんまりありがたみを感じない。
iPhoneを見る回数は大して減ってない。
おやすみモードとかで通知を制限する方がよっぽど見なくなるし集中できる。
カバンの中にiPhoneを入れっぱなしにしてても時間が確認できるようになったけど、それならApple Watchである必要はない。
Siriに話しかけたりとかは全然しない。結構大きな声で話しかけないと反応してくれないので、恥ずかしいのでやらない。Series 4以降だと改善してるのかな?
デフォルトのフルオロエラストマーの他に革ベルトを一本持っておくと合わせやすい服装は増える。
ただし、Amazonとかで売ってるサードパーティの安いベルトには注意。特に革ベルトみたいにネジ止め部品があるやつ。
使い始めて数ヶ月で装着中にバラバラに分解してApple Watchが落下して破損することがある。修理費もバカにならない。そういう事故を考慮すると、最低一年の保証のある純正品が理想だが、一番安くても純正品は1万円台半ばなので、もう3千円出せば今ではSeries 3のwatchが買えるような値段になってしまう。
たまにしか革ベルトを使わないのであれば、使うたびにネジ止めとかを確認すればいいと割り切るのも可。自分はそうした。
AppleCare+には自分は入ってないので、サードパーティと組み合わせて修理費がどうなるかはわからない。
電気屋で試して好きな方にすればいい。
ジムで使う前提で買う場合、トレーニング次第で腕が太くなるのは気をつけろ
なら買ってもいいと思う。
お試しで欲しい・半年くらい使って飽きた時のことを考えると
今ならApple Watch Series 3のアルミのGPSモデルがオススメ。
ので、お試しにはこれで十分だと思う。競合よりも下手すると安い。
日本国内で買って使う場合は個人的にSeries 4~5は少し難ありだと思っていて、心電図測定などのSeries 4以降の押し機能であるヘルスケア方面の機能が現状日本では制限されている。それを考慮に入れると、新品は若干割高じゃないかな?中古ならあり。
既にApple Watchを持っていて買い替えを検討しているとか、薄めのフレームがいいとか、電池持ちがより良い方を選びたいのであれば最新モデルをとめる理由はない。Apple製品なので原則的に新しい方がいい。
GPSかセルラーか?みたいなのは最初は迷うけど、セルラーだとキャリアの回線契約の必要があるのと、そもそもiPhoneが手元になくてApple Watchだけ着けている状況ってそんなにないのでGPSで十分だろうね。
ファッションを考慮した腕時計としては、同じ金額で1~2万円そこそこの時計を数本買う方が使い勝手はいい。
ベルトを変えればだいたいの服装には合うけれども、だいたいしか合わないので。
ベルトも安くはないし、ベルトを変更したとしてもOMEGAとかの方がスーツや礼服と合わせた時のしっくりくる感じは強い。
ここで他の機種を例にあげるとAndroid WearのLG Watch Urbaneは円形状なので、スマートウォッチの中ではスーツや礼服に合わせやすい。一度それで法事に出たこともあるけど、特に違和感なかった。一方でカジュアルなTシャツとかには全然合わない。もっとも、(Androidユーザーには残念ながら)国内ではAndroid Wearはだいぶ落ちぶれているので、スマートウォッチを一本で済ませようとするとApple Watchくらいしか選択肢が無いかも。最近調べてないから間違ってたらすまん。
ここまで読んだ上で、それでも欲しいなら買え、だな。
20代後半の男。
仕事でスーツを着る機会がなくて、ちらほらあった友達の結婚式も大学時代に買ったリクルートスーツ着て参加してたんだ。
今度兄の結婚式があるのと、これからも結婚式やら葬式やら参加する機会は増えると思うので礼服を買おうと思うんだけど、礼服買うなら3万以上のやつ買っといたほうがいい?
職場のおじさんに相談したら礼服は高いやつの方がいいよと言われて、年齢近めの先輩に相談したら5000円の礼服もあるよと言われて心が思わずぐらついてる。
給料は手取りで20万もいかないし、着る機会が多くなるといっても毎月着るわけでもない礼服にそこまで金かけんでもいいかな?
そもそも3万の礼服は高くないだろとか、たった3万でそんなに悩むかwwwと思うかもしれんけど悩むねん。良識ある紳士の方々、教えてくれ。。
世の中には、社会人になったら一生ものとして1つは持っておけと言われる高価格帯のアイテムがいくつかある。高級腕時計、財布、バッグ、礼服、革靴、万年筆などが挙げられるだろうか。これらは一度購入すれば数十年も使用に耐えるものがあるし、ビジネスシーンで有利が取れたり、使えば使うほど味が出てくるなどとさえ言われることがある。しかし私は、ビジネスでは全く役に立たないであろう「高い双眼鏡」を1台買うことを強く勧めたい。それも10万円クラスの、持ち運びしやすいコンパクトなタイプだ。「双眼鏡なんて一生使うことない」「双眼鏡に10万円もかけるとか頭おかしい」というのが一般的な感覚だろうし、「一生ものに10万円は安すぎる」「30万出してスワロやツァイスの40mm買え」というのが双眼狂たちの言い分かもしれない。が、私に言わせれば、あらゆる場所に毎日持ち運びできるコンパクト双眼鏡を持っていない人生はもう考えられない。
他の「一生もの」と比較してみると、高級腕時計や財布は確かに所有欲を満たしてくれ、どこに行っても胸を張って使えるファッション性がある。だが時刻の確認だけならスマートフォンやスマートウォッチでもできる上に、そちらの方がはるかに高機能で、人生をちょっと豊かにしてくれるいろいろな体験ができる。財布は現金やカード類を収納するという機能しか持っておらず、その機能自体が人生を劇的に豊かにすることはない。
一度所持してもらえばわかるのだが、双眼鏡には、双眼鏡でしかできない体験というのがあるし、大事に扱えば親子三代にわたって使えるとまで言われるほど頑丈な機器だ。パソコンやスマートフォンなどの電子機器とは比較にならない寿命の長さであり、またこれらには決して代替ができない道具でもある。
では私がなぜ「新社会人」に双眼鏡を勧めるのか。学生時代よりは高い製品に手を出せるぐらいのお金があり、かつ若くて体力があって、ひとり旅や友人との旅行、何の気なしに街を歩くこと、美術館や博物館巡り、コンサートやライブ、ハイキングや登山などのアウトドア活動といった、双眼鏡が最も活かせるシチュエーションである「外出」がしやすいからだ。「友達いないから旅行とか行かない」「仕事で疲れてて外に出る気がしない」「家でガチャ回してる方が楽しい」という声もあるだろう。逆に考えるんだ、「高い双眼鏡を買ったんだから、せっかくだし外に出てたくさん景色を見よう」と。そうして得られた体験は間違いなく一生の糧になる。家でアニメを見たりガチャで爆死したりするのもいいけれど、たまには外の空気を吸いに出かけてみよう。何も電車や車で何キロも離れたところに出かける必要はない。空を流れる雲や、電線に止まっている鳥、街中の高層ビル、遠くに見える山々、夜になれば月に、双眼鏡を向けてみよう。肉眼では特に何とも思わなかっただろうが、双眼鏡を通して見る世界がとんでもなく豊かなことに驚くはずだ。近所で使うだけでなく、連休の旅行やハイキングで使えば旅が何倍も楽しくなるのは請け合いだ。もちろん、新社会人だけでなく、双眼鏡を1台も持たずになんとなく人生を過ごしてきた人たちにも強くオススメしたい。
「外に出て景色を見るだけなら、双眼鏡なんか使わなくてもいいじゃん」という反論もあるだろう。この点に関しては自分の目で確かめてもらうのが一番なのだが、一度見てもらえれば全てが理解できるはずなので述べておこう。いい双眼鏡で見る景色は、肉眼で見るよりもずっとずっと美しい。いい双眼鏡は、ガラスを通して見ていることを全く感じさせないほど見え方が自然で、なおかつ肉眼で見るよりも透明感があって色彩豊かに感じられ、普通に見ていたのでは気づかないディテールもはっきりとわかる。うまく写真や画像で表現できればいいのだが、自分の目の前に圧倒的な迫力で美しい景色が現れることの素晴らしさは、実際に味わってもらわないとなかなか伝わらないのが歯がゆいところだ。双眼鏡を一度も覗いたことがない人や、地方の電気屋でよく売られている数千円程度の双眼鏡(ほとんどは粗悪品レベル)しか見たことがない人は、ぜひ街中の大きな量販店で、3万円を超えるような双眼鏡を覗いてみて欲しい。それだけでも、きちんと作られた双眼鏡がいかによく見えるかがわかるだろう。
私は記事の冒頭で、「10万円クラスの持ち運びしやすい双眼鏡を買え」と書いた。そしてつい先ほど、「3万円を超えるような双眼鏡を覗いてみろ」とも書いた。実を言うと、3万円クラスの双眼鏡があれば十分にいい景色が見られるし、耐久性もバッチリだと言うのが私の意見だ。しかし3万円クラスで、覗きやすく満足のいく見え味を手に入れようとすると、ある程度筐体が大きく重たい機種(具体的にいうと対物レンズ径30mm以上)から選ぶしかないのが現実なのである。人にもよるが、これぐらい大きな双眼鏡を毎日持ち歩くのは厳しいという人が多いと思う。1万円クラスの小さい双眼鏡にもオススメできる機種はある(後述)のだが、どうしても携帯性・耐久性・防水性・覗きやすさ・見え味のどれかを犠牲にせざるを得なくなってくるし、一生使える相棒とするには少し頼りないところがある。
毎日どこへでも持ち運べるほどコンパクトで、見え方が優れていて、耐久性も高い(防水付き)のものを手に入れようとするとどうしてもコストがかかってしまうのだが、ここでは「せっかく高い買い物をしたのだから毎日使おう」という心理がはたらいて、結果的に人生が豊かになるような買い物をしてもらうため、あえて予算は度外視し、記事執筆時点でコンパクト双眼鏡では世界最高峰と言える機種を紹介しようと思う。
それがCarl Zeiss社から出ている「Victory Pocket 8x25」だ。倍率8倍と10倍のモデルが出ているが、圧倒的に8倍をお勧めする。(低倍率をお勧めするのにはそれなりに理由があるのだが、長くなるので割愛)
光学機器に詳しくない方にとっては聞きなれない会社名かもしれないが、カメラレンズや双眼鏡の世界では超一流と言われているドイツのメーカーであり、その品質は折り紙つきだ。実売価格9万円超えと決して安くはない(むしろ超高い)が、その性能は「この1台を買えば全てがうまくいく」と(私に)言わしめるほどである。メガネのあるなしにかかわらず問題なく使え、独特の折りたたみ機構によって収納時にはとてもコンパクトになる。そして視界の広さ・見え方・解像感は30mm径の大きな双眼鏡に匹敵するか、超えていると感じるほどだ。朝から夕方までの明るい時間帯であれば、どこにでも持っていけてあらゆるものをしっかり捉えてくれる最高の相棒になるだろう。
それ以上の細かいスペックについてはあえて語らない。Google検索すればいくらでもレビューが出てくるし、それらを見るよりも実際に自分で使ってみれば全てわかるはずだ。ただし、どんなに高級な双眼鏡であっても自分の目に合う・合わないという相性問題があるので、できれば実店舗で実物を触ってから購入することをお勧めする。また、意外と双眼鏡の正しい使い方というのは認知されていないので、知らない方はぜひ正しい使い方を調べてから店に行こう。使い方を知らないせいで「全然見えないじゃん」と勘違いし、双眼鏡を買わないで人生を終えてしまうのは本当にもったいない。
それから、もし夜に夜景や星を見るために双眼鏡が欲しくなったという人は、残念ながらZeissの技術をもってしても厳しいので、コンパクトタイプの双眼鏡は諦めたほうがいい。6倍30mmや、8倍40mmクラスのものを別に買おう。そのクラスの双眼鏡の選び方については、日の出光学という日本の小さなメーカーが自社のホームページでたいへん詳しく紹介してくれている。他のメーカーのものを検討している場合も含め、双眼鏡の購入前には目を通しておくといいだろう。https://bino.hinode-opt.jp/column/tsukaimichi.html]
また日の出光学の製品は、比較的低価格かつ性能は最高級品と遜色ないレベルなので、双眼鏡の魅力に取り憑かれた方が2台目以降に手に入れるのにとてもお勧めだ。私は観劇用の低倍率機として「A4」(5倍20mm)、手持ちでの星見用に「B+」(6倍30mm)を所有している。いずれも「Victory Pocket 8x25」よりはかさばってしまうのが難点だが、特定の用途で使うサブ機として持つにはとても優れた製品だ。
いきなり双眼鏡に10万円近く払うのは抵抗があるという人は、日の出光学の「A5」を1台目のメイン機として買うのも大いにありだろう。1万円台なので比較的気軽に買えるはずだし、5倍という低倍率に抑えているおかげで、安くコンパクトな割にとてもよく見える。また5倍という低い倍率はコンサートなどで使い勝手がよく、あとで「Victory Pocket 8x25」のような高倍率機を買い足しても決して無駄にならない。万が一気に入らなかったとしても、注文後1ヶ月は無条件で返品を受け付けているのでほとんどリスクなく購入できる。防水機能がついていないことと、非常に人気なのか頻繁に在庫切れになっているのが惜しいところだ。
長くなってしまったが、とにかく、いい双眼鏡というものは人生をとても豊かにしてくれる。これから40年、50年と続く人生において、最高の双眼鏡は最高の相棒になってくれるはずだ。ぜひ、自分の人生への投資だと思って、まずはCarl Zeissの「Victory Pocket 8x25」を手に入れてみてほしい。いい双眼鏡沼を!