2023-02-18

日本結婚」は同性婚を見てもいない

要点は下記の通り。


欧米結婚では「愛を神に誓う」が、日本結婚は愛など前提にしていない

日本同性婚制度が大昔から存在してもおかしくないが、発生していない

憲法改正なしで同性婚を導入するべきではない



キリスト教結婚では「神に愛を誓う」が、日本結婚は愛など前提にしていない


キリスト教、というかカトリック教徒における結婚は「配偶者への永遠の愛を神に誓う」儀式によって成立する。

「健やかな時も、病める時も~」っていいうやつだ。

プロテスタント結婚式を教会で挙げるので、本質は変わっていない。

欧米人にとっては神に愛を誓うことで結婚は成立するのである

言い換えると愛する者同士は結婚する風習がある。

(もちろん、実際に愛し合っているか問題ではない)

欧米において、同性愛者同士が愛し合っているなら結婚を認めることは文化的に筋が通っている。


一方、日本歴史的に「結婚式」が存在していなかった。

結納夫婦のみでの三々九度的なもの宴会存在していたが、神前や人前での儀式存在しない。

現在神前式はキリスト教結婚式を参考にして明治時代に開発されたものである


近世以前の庶民結婚ではハレの日が存在せず、淡々同棲が始まることも普通だった。

大抵の結婚は家の都合や成り行きで決まり、ぬるりと「男女の組合せ」が「夫婦」となっていた。

これが日本結婚で、そこに「愛を誓う」というプロセス存在しない。


このように「欧米結婚」と「日本結婚」は、「カミ」と「GOD」、「保険」と「共済」のように似て異なる風習である

同性愛者が「我々は愛し合っているか結婚したいのだ」と主張しても、「日本結婚からは「まあ、嫌い合っているよりはいいかもですね」という感想が出て来るだけであろう。




日本同性婚制度が大昔から存在してもおかしくないが、発生していない


日本歴史的男性同士の同性愛タブーとしていない。

それに加えて、日本嫡子を跡継ぎにすることへの拘りが弱く、それなりの武家であっても養子を迎えて跡継ぎに据えることも多かった。

この2つから考えると、日本では男性同士の結婚が行われ、養子を跡継ぎにする事例が多々発生していてもおかしくない。

何故発生しなかったのか。

しっかり供給しろという気持ちでいっぱいである。


しかしながら、現実非情だ。

そのようなことは起きなかった。

日本では同性婚ハードルが低かったにも関わらず、発生しなかった。



憲法改正なしでの同性婚を導入するべきではない


日本においては男性同士の同性愛が広まっていたにも関わらず、男性同士の結婚が発生しなかった。

そして、男女は愛と関係なく結婚をしてきた。

欧米では愛する者同士が結婚するという風習から同性婚が認められることは妥当性があるが、日本においてはそのような風習がないため、「日本結婚」が同性婚を認める理屈がない。

日本結婚」は男女間のみに発生する風習であったから、憲法は「両性の合意のみ」と定義したのである


それでは同性婚日本で実現するにはどうするべきか。

憲法改正が正道である

政治上テクニカル手法では「憲法24条は同性同士の結婚禁止するものではない」という解釈で「法律上結婚」において同性婚の導入は可能であろう。

逆に言えば、法律同性婚禁止することも実現可能なのだ

憲法改正がなければ、同性愛者はそのような不安定立場に立たされる。


日本結婚」に同性婚を取り入れるのであれば、国民投票による憲法改正必須だ。

国民投票を経れば、同性婚日本の新たな風習として始まっていく。

時が経てば、胸を張って「同性同士の結婚我が国風習で、国民投票で認められている」と言えるようになるだろう。



最後


個人的に「欧米に倣って同性婚を導入しよう」というのが気に食わない。

日本ホモフォビアが決定的になった理由は、欧米に倣ったかである

その過ちを全く反省せず、脳死で「欧米では~」と同性婚を導入しようとするなら、それは愚かとしか言いようがない。

何より同性愛者をバカにしている。


イスラームは2070年から2100年の間に世界最大の宗教人口となる見込みだ。

彼らの圧倒的多数派が同性愛禁止している。

日本結婚」に同性愛をしっかりと組み込んでおかなければ、50年後に「世界では~」と言って同性愛禁止するであろう。

同性愛者は遠い国の人達ではない。

隣人が末永く安心して夫婦夫々、婦々とかい呼び方になるのか? これも決めなければならない)でいられるよう、しっかりとした地盤を作っておこう。

長文読了感謝


記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん