はてなキーワード: 論陣とは
向こうが先に言い出した「無関心層の方が多いから表現規制には反発の方が強いはず」って話に
俺:いや無関心層はこれは女性が不快に思うし子供の教育に悪いから規制しようって言われたら無批判に受け入れる方が多いだろ
向こう:そんなはずはない。表現規制に反対する人の方が多いはず
俺:日本人口の大半を占める中高年や高齢者層は自分の興味の無いことへ表現規制反対なんてスタンスをわざわざ取らない
俺:主張が相いれない同士なんだから中立的に質問するなんて前提がおかしい。お互いが都合よく主張した時には規制派の意見に流れる人の方が多いはず
俺:ブーメランはよく分からんけど規制反対派として無関心層を納得させられる説得があるなら聞きたい。
って話ね。
「普段アニメ文化や表現の自由に無関心だけど、行政に反発してでも表現の自由を守るためにオタク側を擁護してくれる人々」っていう
めちゃくちゃ都合のいいサイレントマジョリティー産み出して論陣張られたら流石にツッこまざるを得ないわ。
なんでそんなにおっぱいを揺らしたがるの?
私は胸が揺れる表現が苦手です。
いきなりですが、アホでは?
私も胸が揺れる表現が苦手です。
でも「自分の日常生活にない表現だから嫌」なんてマヌケな説明はしません。
胸が揺れたら不快なのと胸の形をキープする為にブラジャーをつけています。
ご苦労さんです。
でも誰も「あなたやあなたの友人知人の胸が揺れている」とは言ってません。
頭か心にご病気があるのでは?
ならば、長々と書いてた「私の日常で胸は揺れない」という話と結論が全く関係していません!
私は「性的なパーツアピールの取り締まり」に賛成か反対か問われたら反対です。(乳揺れなんか好きじゃないですが)
だって「性的」も「アピール」もなんのことだかさっぱりわからないんですもの。
そこがきちんと定義されずに無限に広がるポテンシャルを秘めてる限りはその基準のとがめだてに反対です。
バカはこういうとすぐ「取り締まられるべき基準など自明だ!」などとバカを丸出しにして威張ります。
しかしタリバンがあなた達と同じ正義、「公共の場で性的なパーツのアピールは見たくない」を実践した結果
あの国では女性は髪の毛も肌も全て覆ってしか外出できなくなっています。
女性の髪の毛は性的だし、それを出して外に歩くことがふしだらなアピールである、それは自明のことだとタリバン戦士は思っています。
自分のお気持ちや教義を自明と思ってるので議論は不可能です。バカって怖いですね。
あなたがたが「性的」や「アピール」の基準を明確にするまではね。
悪意があるというよりは頭が悪くて思考が緩いだけなのでしょうが(最善の相)、
それぐらいの労も厭うならば人の自由や欲望を制限するなんて言う大それた夢のほうを捨てたらいいんです。
積極的に見たくはないけどバカが取り締まろうとすることには反対です。
股間や乳を擁護するのではなくバカによるタリバン的な暴力性を警戒するということです。
私は股間や乳を見て気分が良くはなりませんが大した悪影響があるとも思えない。
一方でタリバン系バカが調子づくことは社会にものすごい悪影響があります。
なんでそんなにおっぱいを揺らしたがるの?
一番カチンとくるのここなんですよね。
自分の言ってることの意味を分かってないですよね。バカだから。
けど乳を揺らす表現をしたい人がいる。それを見たい人がいる。
「必然性ないよね!?」「無いならやめられるよね!?」って本気で言ってる?
それがどういう帰結になるかわかってるのでしょうか。
あなたが好んで選択するあらゆる漫画や映画やドラマやMVといったコンテンツ、ちょっとしたデザイン、あなた自身が発するなんらかの絵や言葉、
それ全部突然現れたアホに「必然性ないよね!?」「無いならやめられるよね!?」って言われても飲まなきゃいけないんですよ。
バカは抽象的な話だけで問題点が理解できないから卑近な例で説明すると、
学校や会社で人の持ち物やら服やら髪やら靴やらにいちいち「学校に持ってくる必然性がない」「会社にその格好でくる必要がない」って取り締まりたがるアホいたでしょ、
あれと同じことをやってるんですよ。
「必然性があるのかないのか」と言う質問に応じるなら「ない」かもしれない、
「ない」って答えるとそのアホの望むチョイスを押し付けられるわけ。
何このアホアホシステム?
「必然性ないだろ」が表現をやめさせる理由になると思ってる人は
全く根本的に、完璧に、箸にも棒にも引っ掛からない、超ド級の、馬鹿です。
元増田のバカさと関連する形でバカなブコメがついてる(トップ人気!)から引用します。
zheyang
戸定梨香の動画、乳が揺れてるのにスカートと腰のリボンが揺れてない。
乳に対する異常な執着が伺えるらしいんですが、
まずどこからが「異常な」執着なのか、何によって判定するのか教えて欲しいんですよね。
揺れたら異常なのか。揺れなくても大きいだけで異常なのか。胸元が開くと異常なのか。肩はいいのか。
客観的なラインとその論理を説明できるならよし、そうではなく都度決めてるならそれはただのあなたがたの主観と感情であって
そんなものはあなたがたの中ですらブレブレに動くし、まして他人が共有できるものではないんですよ。
きっとこの人達はこれっぱかしのこと聞かれても答えに窮するんだけど(なんにも考えてないから)
自分の発した言葉の意味を説明出来ないのは醜態であるという基本的な認識がこんにち発言する人全員に欲しい。
それで、
そもそもなんでこの人達がこういう微妙かつ自分達での定義すらできない「必然性」や「正常」なんていう弱弱しい論陣で戦おうとしてるかというと
フェミニスト議連がぶち上げた「性犯罪を誘発する」のような規制理由が無理筋であることは判断突いちゃってるからなんですよね。
フェミニスト議連の主張が間違ってることをこの人達は言外に、無意識に、判断出来ちゃってる。
正にお気持ち。
「スカートやリボンが揺れてないのに乳が揺れてるのは異常だ!」って本当に笑っちゃうというかレベルが低いというか、
世の中には乳に全然興味がなくスカートや髪の毛の揺れこそが少女の可愛さを表現するんだと信じてその描写に打ち込む漫画家とか幾らでも居るし
それは異常な執着ではないんですかね?
https://pbs.twimg.com/media/E1_HNmHUcAQhlbD.jpg
っていったらスカートの皴の繊細な描写も異常として取り締まりだすのかな。
saiusaruzzz 元増田は「女性にとって胸を揺さないことの必然性」を説明していて、だから胸を揺らすことは女性にとって「自己」表現とはなりにくいという話では。
だから元増田にとって乳を揺らすことが自己表現でないことは元増田の自由です。 こんなん何度も言わせないでほしい。
でも元増田以外の人達が乳を揺らす表現を選択することはその人達の勝手であって、元増田が「私の日常には無い」と宣言すること自体おかしくね?関係ないじゃん。
「私が全女性の代表です」とか「私が女性性を統括管理しております」とかいう気持ちが出始めてるならそれは心の病気です。
何もズレていません。
乳だけに反応するあなた達の乳児性や視野の狭さ反応パターンの貧しさを言っているんです。
「異常な執着」という雑な話に乗るなら私は例えとして出したこの漫画家の方が遥かに繊細で徹底的な執着を持った異常者だと思う。
https://twitter.com/siiteiebahiro/status/1252618446677803008/photo/1
あの雑でへったくそなvtuberの3Dモデルなんかよりこの人のイラスト見てると100倍ゾワゾワする。
乳ばっかり見て「揺れた!異常だ!」ってまあほんとに何を狩ってるつもりだか。
あなたたちはすごーーーくわかりやすい表層的なシグナルに反応するカエルです。
そんで自分が反応したものに対してカエルの浅はかな考察を加えておせっかいなレッテルを貼る。
あなた達が追えてるのは「表現者の異常な執着」なんて上等なものではなく、単に「自分のカエル脳の反応パターン」です。
その表現が有害であるなんて証明できたこともなく、自分のカエル脳が興奮したことを持って「許されるはずがない!」と喚いてるんです。
中世かアフガンに生まれてたらフシダラ女狩りや魔女狩りで自分の脳の興奮を他人に転嫁出来たのにね。
Arturo_Ui 長すぎて読む気が失せたんですが、「スカートの皴の繊細な描写」って、「プリーツ」のこと?
「あれは皴じゃなくてプリーツって言うんだぞ!ボクチャン知ってる!」ですか。
おしえてくれてありがとう!むずかしいこと知っててえらいでちゅねー。
私はプリーツの話ではなくスカートの動きで生じる皴の描写話をしています。
例に挙げた人はプリーツの上で重なったり折り畳まれたりするスカートの布地の形を追求して描写してるんです。
この人の理想の「活き活きとした少女」がスカートに皴を作りまくりながら躍動する絵をずーーーっと描いてる人です。
ね?具体例を画像で出されてすらどこが凄いのか何に執着してるのか着目する能力がないんです。
この程度のお粗末な解像度しかない人達だから「胸が揺れた!」みたいな表現狩りが大好きなんですよね。
「肌が見えた!」っていう蛮人となんもかわんねえ。
nicoyou “乳を揺らす表現をしたい人がいる。それを見たい人がいる。”うん。それはいいと思う。VTuberで揺れるのもいいと思う。ただ公共の場に持ってきたら見たくない人にまで押し付けることになってない?って話じゃない? 増田
けど取り締まる気はない。理由は上述の通り。
お前等がそれでも自分基準の取り締まりをやりたいならせめてその「性的」「アピール」の基準ぐらい示したらどうですか?と言ってるの。
ていうかこれ全部本文に書いたよね?
toaruR 性的に受け取られることを「期待した」表現かどうかで一線引けますよ(´-`)揺らす性的魅力によって消費されることを期待しているのなら、それは性的表現だという風にね
おめーみてーな回転がすごうく悪い人の為にタリバンの例えをしてあげたんですけどね(´-`)
タリバンは女が髪や肌を出して歩いてるだけで「男を誘っている」「アピールしている」と判定していきり立ってその女を取り締まるわけです。
一方であなたの様な頭のにぶうい規制派さんでも、日本生まれ日本育ちならまあ髪や顔の肌を取り締まりたい感性は持っていませんよね?
つまりあなたもタリバンも「性的なアピールは許さん!」という同じ文言の正義の信奉者であるにもかかわらず
その具体的な基準が全然違うわけです。正義の味方同士ですら基準が全然自明でない。
どこにどうやって引くんでちゅか?
それが単なるお前の個人的な反応ではないということを誰が証明するんでちゅか?
せめてちゃんと明文化して基準案として出してみたらどうでちゅか?
しってた?頭悪くない人間でも自分の考えまとめるために紙に書くんだよ?
君達はなおさらちゃんと文字で何枚も書いて考えまとめないとダメじゃん。
なんだろう、自分の卑猥なほど頭悪い主張を自信満々にアピールしてくるのやめてもらっていいですか?
私の個人的な感覚では、低品質なvtuberの動画が公共空間に流れることなんかより、
こういう気持ち悪いほど頭悪い発言がわいせつ物扱いにならずに流通してる事の方が不道徳なことだと感じるんですよね。
https://anond.hatelabo.jp/20210729090330
フェミニスト的な申し立てする人にしばしば見られる困ったポイントが大体出てる。
めんどいけど箇条書きする。
この事について、「金田氏はかつてキャラクターがレイプされる展開を嗜好している発言をしていた」
として反感を示している人も多く見られた。
そりゃあそうでしょうよ。
BLのレイプファンタジーとバキのレイプファンタジーで何が違うのか
「わたしのお気持ち」を超えた客観的な論理での説明が必要になりますよね。
これもどうも0か100か、白か黒かという極端な考えだなぁ、と自分は思う。
「0か100か」とか「自分は思う」とかじゃなくて
「自分のぼけぼけーっとした気持ち」と「他者にご披露できる論理」との区別がついてないっていう黄信号。
頭の中であるシチュエーションが好きだという事と、現実でそのシチュエーションを好んでいるかは全く別の問題ではないか?
が好きな人は現実でも異性から強引に乱暴な事をされたいとでも思っているのだろうか?他人にレイプされる妄想をした事がある人は、被レイプ願望があるとでも言いたいのか?
はあ?
さらっと当たり前みたいに
まるでついていけない異星の論理展開おっぱじめるのやめてもらえませんか。
が、こうやって一連の呟きを見ると
いや金田をたたいてる人間でも「金田が現実での性暴力を推奨してる」なんて言ってねーだろ。
何の話をしてんだよ。
こいつまともに会話やコミュニケーション成り立つ相手なのかなあ
という疑念を感じずにはいられないところがあるかなあ。あなた。
自分は週刊少年チャンピオンを購読している訳では無いので、
「バキ道」のその回については詳しくは語れないけれど
えっ ちょっと待って。
問題の回を読まずにこんだけ長広舌振るってたのか?
あのさあ、本当にお前、議論のスタート以前のところなんだけど。
頭大丈夫なの?
なんで問題の物を読みもせず「問題だ!」「ケシカラン!」とか大声出せちゃうの?
そんなんBLのレイプファンタジーにだって同じこと言えるじゃん。
「気づいてなかったけど実は望んでた」っていう展開や心理描写を性暴力被害者に堂々と見せられんの?
そういう現実との混同を始めるならBLとバキに差なんか数ミリもねーぞ。
「フィクションと現実の区別をつけてくださいね」しかありえないんだよ。
いや「考え」というほど立派なものはないだろうけどね。
あんたらって自分の主張を反転させてチェックするとか客観的に眺めるとか本当に極度に苦手だもんな。
「嫌がってる男をレイプしたら落ちてイチャイチャした受け攻めの恋人関係になれる話」と
「嫌がってる男をレイプしたけど地上最強の生物なので報復や裁判を受けない話」と
なげえお気持ちズベラズベラと垂れ流す前にそこピシッと整理して説明してよ。
ついでに個人的には板垣が最終的に描きたいのは「メス堕ちする勇次郎」だと思うよ。
本部に守護ってやるって言われてあれだけ動揺の描写したのとか見てりゃ伏線は明らかなんだよなあ。
あ、お前は読まずに叩いてるんだっけ。 じゃあ話が通じねーな。
というようにあんたの主張も金田と同じく支離滅裂で他者に理解できるようなものじゃないんだけどさ、
あんたみたいなのを何度も見てるせいでなんとなく気持ちは読み取れるよ。
保育園の先生がグズる子見て何が不満なのかまあまあ察せるみたいにはね。
つまりあなた達はBLのレイプファンタジーは何も考えずに楽しめたのに
バキのレイプファンタジーにはなんらかの現実のような脅威や不快感を覚えたってことでしょ?
面白い心の動きだよね。
矛盾してるみたいだけどなんでだろうって深堀したらフィクションの消費体験について面白い話ができる気がする。
でもあんたらそういうことはまるでしないじゃん?
そういう加工を一切経ずに矛盾したハチャメチャなお気持ちのままクレームとして人にぶつける。
(頭ボンヤリ&自分の気持ちを分析する習慣がないので情動の矛盾すら自覚せず「自分のお気持ち=事実」になってる。)
整理して、「なんで自分はこんなに感じ方が違うのか」を客観的に自問して
他者に披露できるような論理を組み立てて、それから人に向けたお口を開いてよ。
究極的に言えばフェミニスト的な人たちに言いたいのってそれだけなんだよ。
あんたらと話をするのすげー疲れるの。
自分の気持ちを論理に加工せずに投げてくるからいちいちこっちで掬い取って整理してあげないといけないから。
支離滅裂な話を「ここに矛盾があるけどどうして感じ方が違ったのかな?」とか
こっちがあんたらの心の動きに気付いて聞いてあげないといけないのなんなの?
「気持ちをもって何が悪いんだ!」とかさらに頓珍漢な逆上してくるでしょ。
対話がすげー難しいじゃん。
あんたたちの問題点は他者とディスカッションする以前の準備段階ところにあんのよ。
el-condor この記事の筆者のように弁別力の低い人との対話には一般に相当なスキルが要求されるもので当方には無理そう。
2021/07/29
「弁別」。感心した。
捨て台詞として素晴らしいというか
べんべつ
【弁別】
まさにこれがこのアホどもの会話が成り立ちにくい理由の根本なわけよ。
「自分の言ってることは道理であり、常識であり、ことは善悪の問題であり、だから論理的なチェックを受けたり反論をされたりするのは不当でありプンプンプン!」
ってお気持ちなんだよね。
なんでバキのレイプがダメでBLのレイプがセーフなのか、フェミニストさんの言ってることなんかおかしくないか、
そこを問うたり理屈のチェックしたりすること自体常識がない、わきまえがない、普通に考えればわかるでしょ。
と。
このバカ保守ジジババみたいな台詞がサヨクidから飛び出てくるのが現代なわけ。
「常識で見分けられる是非・善悪・道理のわきまえ」だぜ?すごすぎでしょ。
昔はこのエルコンドル君みたいなレベルって保守やってたんだよ。
頭が悪くて議論が弱くて論理がよくわかんねえって人は保守やってた。
自分の理屈が立たない部分を「これが普通だ」「これが常識だ」「昔からこうだ」でなんとかしようって勢力。
左派や進歩派はそこに論理で突っ込んでいって保守をイラつかせる役回りでさ。
もの考えるの苦手なウスラボケの期待する「弁別」なんぞは持ってないいったん全部疑わせてもらいますってのが左派や進歩派ってものであってな。
「これが普通の感覚」「わからないほうがおかしい」「弁別」なんて言い出す脳ヨワちゃんが左派ぶるようになってる。
いや左派の方がかっこいいのは確かだけどバカにはできねーから左派は。
根本的に無理があるから当人も苦しいし矛盾や嫌な思いばっかりだと思う。
もの考えるのがニガテな人間は無理せず保守かネトウヨかやってろって言うんだけどな。
古市憲寿が小山田の擁護のつもりで「裁判するにも頭と金が必要だからね」と火に油を注ぎ、それへのフォローのつもりで「あれは結婚祝い」とか変なこと書いてまた炎上しているけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/poe1985/status/1416750358521475073
あれってわざとナンセンスな事言って「相手にしてない」って態度示してるだけだと思うよ。
2chで正面切って異論を唱えるIDが来た時に、住民が延々と「好きな寿司ネタ」とかの話をし続ける事があるが、あれよ。
80年代地続きの90年代前半を吹っ飛ばしたのはオウム事件なんだが、この時思想的に責任がある中沢新一は「あれはネタだし」って事を言って呆れられ更に叩かれる事になった。
数年前に衝撃的自死を遂げた西部邁は東大教授だったのだが、80年代末に「あれは学問ではない」と中沢の研究を認めない東大教授会に対抗して中沢擁護の論陣を張り、結局退官してしまった。
そんな西部が体張って人生掛けた自分の研究、カッコつき「学問」はネタだと言ってしまった。んでついでに自分も身に覚えがある浅田彰は「自分も構造の中で逃げろと言ってた訳でw」とか言っちゃった。
ネタだから、本気じゃないから本当の自分は傷つかないのって事を公の場所で言った訳で、自意識のコップの中であーだこーだ言ってたのがバレちゃったのよ。
めいろまなんかも言ってる事だが、そういう文化的土壌というかサンドボックスを吹き飛ばしてしまった、或いはサンドボックスの外郭を外からサーチライトで照らし、それがガキの遊びだったって事を知らしめたのがオウム事件で、その後はオウム以前の言説、思想商売なんか全く出来なくなって環境が一変してしまった。
今回の小山田の問題はそのオウム前のサンドボックスでやってた事がオウム以後である現在、しかも五輪プロデュースという究極の「オウム後」で参照されてる事にある訳だ。
言うまでもないが被害者にとってはそのサンドボックスは機能していなかった。小山田とサブカル糞連中だけが中で遊んでただけだ。
1985年生まれの古市はオウム事件では10歳であるのに、何故かこの思想的サンドボックスを巡らすとリアルから保護されるという認識を持っている。不思議だ。
知のサンドボックスは学問とか大学には必要なものだが、それを現実に影響するところでやると「構造の中で逃げろと言ってた訳でw」って言う羽目になる。
そして今おっさんになって渋谷系のリスナーなんて居なくなり、更に五輪の楽曲担当に選ばれてしまった小山田の立場というのは「内向きのノリ」で擁護できるはずがない。
その辺はオウムの時に10歳だったので判らないのだろうが、浅田彰に聞いてみるとか島田裕巳(オウム事件で大学解雇)に聞いてみるとかあるだろうと思う。
俺も元増田の感覚に近い。ついでに言うと、この増田に対する返答として「いじめると将来こういう目に遭うというモデルとして、社会的制裁は抑止力になる」っていうのはスジが悪いと思う。
だって、どこのガキが「自分は将来オリンピック・パラリンピックの作曲者になるかもしれないから、こいつ(同級生)をいじめるのは止めておこう」なんて考えるんだよ?
そんな大ごとの話じゃねえだろ、って言われるかもしれないけど、いじめの本質って想像力の欠陥の問題だと思うんだわ。
相手が今どれぐらい傷ついてるか、それを今後何十年にわたって引きずることになるのか、たとえ被害者本人には自覚がないとしても、周囲の人がどれだけ悲しむか、そういうことに関する想像力が欠けてるからいじめができるんであって、「社会的制裁になるから~」って主張はそういう能力がないはずの相手(好意的に見れば未発達)に対してそれを期待する点で、矛盾してると思う。
もっと言ったら、元増田がそこまで想定してたかはわからないけど、今回の話っていじめに対する批判として結成された論陣が、徐々に属性が違うだけのあたらしいいじめとして再生産されつつある、ってことだと思うんだわ。
一応ことわっておくけど、批判するな、って言ってるんじゃないよ。俺もはらわた煮えくり返る内容だと思うよ。当事者や家族だったら殺意だって抱くと思う。
でも、これは俺の主観だけど、批判と暴力の境界って限りなくあいまいだし、社会的な問題に関する議論でそこの区分が可能だとしたら、批判する側が落としどころをはじめから明示して、その見解で批判サイドが統一されてる場合だけじゃないのか? だって、「許されたかったらどうしたらいいかはテメエで考えな」ってクレーマーだし、「同じ批判側のあいつは謝罪で良いって言ったけど、俺はそれで許すつもりはねえ」って、責められてる側からしたら意味わかんなくねえ?
少なくとも、俺なら意味わかんねえ。厳密に言ったら、日常生活の中ではいくらでもある話だけど、国際的なイベントの規模で責めてる側の要求が統一されない、個々の優先順位もわからないまま提示されるんじゃ、かなりどうしようもねえ。それとも、このどうしようもなさも罰の一環だろうか? たぶんそれは違うよな?
じゃあ、現実的に批判の要望がまとまるか、って言ったらまとまんねえよな。被害者の中にもトーンの違いはあるし、周縁から論戦に加わってる人もいるし、そりゃほぼ無理だろう。
でも、これは極論かもしんないけど、それをまとめるのが個人に大きな責任を問うことの条件なんじゃないか? それが統一されてることを、はじめて社会的制裁を科すって言うんじゃないだろうか。
なんで被害者の側、正義の側がそんなことしなくちゃいけねえんだよ、って言ったら、それは正当な批判と暴力を区別するためだと思うんだわ。俺はね。
直接の被害者もいじめの経験者も外野も自分の意見を言ってて、それは言論の権利ではあるだろうけど等しくフラットで(言ってる側は自分の発言がもっとも重きをおかれるべきなんて思ってないかもしれないが、言われてる側にその区別がどうやってつく?)、言われた側だって苦悩するだろう。クリアな要求に対してどう反応するか、どう贖罪を表すか悩ませるのはまっとうだけど、そもそも何を求めてるのかを悩ませるのはまっとうじゃねえと思う。俺はね。
ちなみに俺は当該の謝罪文でいいんじゃないの、と思ったよ。五輪に参画する時点の本人の加害者としての自覚がぼかされてるように読めるあたりと、今回の職務を自分がどうしたいのかよくわかんないところは気に入らなかったけどね。
でも少なくとも、俺はあれでいい。一方で、直接被害に遭われた方々があれじゃ駄目だ、こうして欲しい、って言うなら、それがもちろん一番いいよ。
いまの混沌とした論陣の形成が自然だとしたら、それをまとめろってのはものすごく不自然な作業で、俺も自分で最低だと思うよ。だって、「誰の(どの)要望が一番正当か、当事者も周囲も有象無象も加わってまず議論して、それが決まってから持ってこい。できるわけねえけどな」って言ってるのと同じなんだから。こんな卑怯な話ないよ。
でも、俺はそれが正義に求められることだと思うし、いまの批判全体の雰囲気は、個々は別として、すげえ不気味だと思う。いまのこれが社会的制裁のモデルとはとても思えないわ。
https://togetter.com/li/1744776
このまとめにもいるけど jiji @traductricemtl はツイフェミやTERFのインフルエンサーみたいなアカウント。
人間の知覚というのは優れていて、誰もが他人の身体的性別をほぼ正しく見分けることができます。あなたを含む、世界中の人はこれを無意識に行っています。ある部分のみではなく全体的な様々な指標を総合してみな判断しているでしょうね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/traductricemtl/status/1293944194382417920
ラドクリフなんて才能で比べたらJKローリングに完全に及ばないし、そのおこぼれに預かってるコバンザメ的存在なのに、なんであんな急に現れて偉そうに代わりに「謝罪」できるかっていったら、やっぱりローリングが女だからだろう。考えれば考えるほど、ほんと爆発しそうになる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/traductricemtl/status/1270691803084328966
https://note.com/bobby_shibaki/n/na71117479d6b
ここでもまとめられている。
で、ジェンダー社会学の第一人者でありフェミニズムに関する著書を持つ代表的フェミニストの一人である牟田和恵教授がこれらのアカウントに度々いいねやRTを行っている。
https://twitter.com/peureka/likes
普通に考えて多くの性暴力被害者の女性は男が半裸でブラつけてる場所に行きたくないだろう。デリカシーなさすぎるんじゃないの。
https://twitter.com/traductricemtl/status/1414161025117589504
これは「フラワーデモの参加者にトップレスになっている人がいた。フラワーデモに相応しくない」という話題(なんだそれ)に関して、
「そのトップレスの人はトランス女性だった」というデマに基づくツイートである。
そもそも性暴力根絶を求めるデモでトップレスになることの何が悪いんだという話は置いておくとして、
別にトップレスの女性が実はトップレスのトランス女性だったからといってトップレスの女性よりも悪いということはないはずだが、
問題を起こした人間はトランス女性だ、だからこのような行いをするトランス女性は女性ではなく男性であり、フラワーデモに参加する権利はない、と言いたいわけだ。
牟田和恵はこれにいいねをした上で、(スクショ https://twitter.com/silkwormdeleted/status/1414188067871543296 )
少なくとも日本では「あえて下着で~」というのは、「よくある運動」ではないです。そのこと及び、なぜそうか、わかっておられますか?そういう状況下で、性暴力被害者が声を上げることの困難を考えれば、この文脈で保守的性道徳云々を持ち出すのは、ジェンダー研究者として、いかがなものでしょうか。
https://twitter.com/peureka/status/1414192699729604611
トップレス者への攻撃を批判する小宮友根のツイートにこのような引用ツイートをした。
牟田和恵はしばしばこのようにトランス差別言説(今回は完全にデマ)に乗っかりながらトランス差別言説自体には言及せず、
トランス差別言説に反対する者に対して枝葉の部分を批判するという姑息なムーブを行っている。
一部のツイフェミやTERFと同様に堂々とトランス差別言説を展開するのなら(それも悪質だが)まだ見るべきところがあると言えるかもしれないが、
表立って差別主義者の顔をすることは避けて学者としての体面を保ちながらこそこそといいねを送り婉曲的に支援するような発言を行う態度は果たしてどうなのだろうか。
悪質なツイフェミ・TERFは一部の名もないインターネット草の根フェミニストでしかないとする見方もあるが、
このようにそれらをこそこそと支持しているアカデミアの存在があることを踏まえるべきだろう。
daisya これまでのところ学者はトランスライツ側のほうが多いだろ。昔はてなにいた山口智美とか斉藤正美とかも。なんでそんなところで嘘付くか。
あのー、この増田のどこに「学者はTERF側に多くトランスライツ側に少ない」とする記述があるの?
牟田和恵という一人の学者がこのような行動を取っているという話のどこにトランスライツ側の学者の存在を隠すような「嘘」が存在するの?
noemi_itoh ヤバくない人もいるみたいな言い方はどうかと思う
そう言いたくなる気持ちもわかるがトランス差別に対しては反対の論陣を張っている者も少なくないのでみんなやばいという話にはしたくないかな。
正直言ってこのようなトランス差別は何年も前から連綿と行われているのにも関わらず、
多くのアカデミック系フェミニストがミサンドリーもフェミニズムであると黙認・追認してきた経緯を考えると「遅すぎるだろう」というのが正直なところ。
ともあれこのような差別に反対する声を上げることは大切だが。
hesopenn TERFは深刻な問題で、だからこその先の宣言だよね。早く切断しないと。そのためにはTERFという言葉を使い続ける必要がある。
件の共同声明について「女が消されている」「なぜ女ばかりが他の差別にも対応しなければならないのだ」などの批判を行う向きもあるようだが、
あれは「お前らの中に深刻な差別を行っている者が少なからずいるから一刻も早くそれをやめろ」という話だと理解できないのだろうね。
augsUK ・千田有紀教授は堂々とターフやってるからそのうち牟田先生も ・「ミカンはお母さんが買うもの」とか家父長制フェミニストでもある
「ひよこ(菓子)のお父さんが大きいのはヘテロ家族幻想を広めている!」とまで言った人が
オタクは全員男でみかんはお母さんが買うものという認識に基づいてなんか言い始めたのには目を疑ったよね。
誰よりもヘテロ家族幻想にとらわれているのはあなたじゃんって。
yujimi-daifuku-2222 今TERFを批判するアカデミシャンも昔は男性嫌悪丸出しのツイフェミにいいねしていた事を覚えているので、かなり冷めた目で見てる。/ツイフェミの過激な主張にアカデミシャンがお墨付きを与える仕草って昔からですよね
先述したがアカデミック系フェミニストの多くが何年も前から存在するフェミニスト自称者のトランス差別について言及することを避け、
時に「差別を受けてきた女性にはそう言いたくなる理由がある」というようにむしろ彼ら彼女らの憎悪にお墨付きを与えることまでしてきたのは事実。
「累積的抑圧経験」などの便利な理屈をインターネットの草の根フェミニストに与え影に日向に支援してきた側であるということは記憶しておくべきだとは思う。
まさしくインターネット上で行われているトランス差別もこうした「女性は歴史的に常に被害者、男性は加害者」という認識に基づいて、
トランス差別ではなく男女の区別、トランス差別を訴えるのは女性差別、という理屈を展開しているわけだから。
ともあれ喫緊の課題は差別者にそれは差別だと指摘し少しでも多く被差別当事者に差別に反対する声を届けることなので、
アカデミック系フェミニストの功罪に関してはそれはそれ、後の評価としたいところ。
umiSen なんでもTERFはおかしい。一部のラディカルな集団のイデオロギーに賛同しない奴は差別主義者扱いされる世の中。まあ、仮にこう言う人たちも他者を差別主義者扱いしていたのであれば自業自得かもしれんが
https://b.hatena.ne.jp/entry/4681772654549980994/comment/umiSen
cleome088 トランスジェンダーの人権活動家の人の中には共同親権とか女性専用車廃止の人みたいに女を搾取消耗させることが目的の人が結構居るから。クレーマータイプの活動家がこの界隈には多い印象。
で、何なんだろう?
「トランスジェンダーの人権活動家の人の中には共同親権とか女性専用車廃止の人みたいに女を搾取消耗させることが目的の人が結構居るから」
牟田和恵のようにこそこそとデマによる悪質な差別扇動を行う匿名アカウントの陰に隠れて差別に加担するのも仕方ない、女性への攻撃を避けるためだから、ということ?
ジェンダー社会学を代表する研究者の一人であり大学教授という権威を持っている人間が、
「女性である」というただそれだけで差別に加担する行動を免罪され、むしろ相手が悪い、女性差別だ、とまで擁護されるのは全くすごいことだと思いますよ。
kirishimaloda6915 だから「たーふ」とか言うの止めなってば。トランスジェンダリズムは本当はトランスの人を救うものでは無く、女性迫害・男の権利増強運動だと早く気付け。反トランスジェンダリズムの人の方が真っ当な人が多いよ。
この前の増田です
このとき志井が党中央の走狗として排除正当化の論陣を張ったのは事実だし、論文の内容も排除を正当化するだけの実のないものではあるんだけど、伊里一智事件自体が事例としてパッとしないというか、日共の綱領・規約からすれば彼の除名が全く理不尽で不当なものだったとも言えない。だから日共の民主集中制の問題を批判するときにこのエピソードを出してくるのは、少し筋が悪い。
この内容は非常に納得します
東大大学院系党員グループが党大会の正規手続きを完全無視して「勇退を求める特別決議案」という党中央人事に関わる(掟破りの)議案を出そうとしたり、党大会でのビラ配りを『朝日ジャーナル』巻き込んで取材させたりと、展望なく飛び道具を繰り出し続けた背景があった。彼らが、日共規約の分派禁止規定で簡単に討ち取られるような迂闊な立ち回りをしてたのは事実。
伊里一智やその仲間が普通に党大会代議員になって、大会決議案の後の新議案討議で真正面から宮本顕治の指導責任批判をすればよかったんだけど、それとは違う非正規戦で党人事の刷新を試みるポーズを取った。過去に分派騒動やスパイ騒動で疲弊していた共産党員の大半にとってはそういう手法自体が受け入れがたかったから、東大院生以外の支持者もほとんどいなかった。だから失敗すべくして失敗した。日共の分派パージはいろいろあるけど、日共史でも重大な扱いを受けている新日和見主義事件とかと違って伊里一智事件の扱いがすごく軽いのは、党体制にとってのシリアスさが全然違ったからだと思う。
このとき志井が党中央の走狗として排除正当化の論陣を張ったのは事実だし、論文の内容も排除を正当化するだけの実のないものではあるんだけど、伊里一智事件自体が事例としてパッとしないというか、日共の綱領・規約からすれば彼の除名が全く理不尽で不当なものだったとも言えない。だから日共の民主集中制の問題を批判するときにこのエピソードを出してくるのは、少し筋が悪い。
「どういう表現が公共の場にふさわしくないか」の基準を作っていくという極めて大事なプロセスをフェミに丸投げするなんてとんでもない
本当にありがとうございます。
やってかせていただきます。
なげー文へのなげーレスポンスなので読む人もいないだろうしほぼ私信状態になると思います。
ブログで当初のよしきさんの主張は以下の感じです。
その表現は許されんぞー!と主張する人に「許されない表現の基準提示を求めること」、
でもツッコミ的なはてブを見た後でよしきさんが書いた追記はこれです。
なにこれ?
基準を求めることについてよしきさんがどう思ってるのかさっぱりわかりません。
「レスポンス見て考えたら意見がグルっと変わりました」なら全然かまわないんだけど(ならそう書いてほしいんだけど)。
もしも「私は最初からそう言ってます」的なやつならさすがにどうかと思います。
まあ最終的に「基準を示すのは当たり前である」になったならそこは意見一致なのでそれ以上言うことはないんですが。
読んでいくとなんでかトイアンナの話の方が多いくらいなんです。
そもそも私はトイアンナには1ミリも触れてないしあんま興味もないし
「柴田英里の発言とそれに対する大野先生のエアリプについて」と最初に言及範囲を明示してるのですが
わざわざレスをくれたんだからトイアンナの話も付き合いましょう。
これはかなり悪質な印象操作だと思う。
「好評だったのに、性的であるという理由で一部の人間がクレームを入れて取さげさせた」ならトイアンナさんの言ってることはわかる。
でも実際ははてブをみてもわかる通り「性的要素なしにしても全面的に不評だった」のだ。宇崎ちゃんの時とはまったく事情が違う。
しかしトイアンアさんは宇崎ちゃんの事例に重ねる形でこの事例を紹介している。結果として、この二つを混同する人が多かった。
「ほとんどの人が支持してなかったものを取り下げた」という事例が、読者の中で「フェミニストによる弾圧」のイメージにすり替えられてしまっているのだ。
わざわざトイアンナの方も読みましたが、
よしきさんの非難に反し、トイアンナは「人気のポスターだったのに」とか「好評なポスターだったのに」なんて言い回しは全くしていません。
あのポスターが人気だったかどうかということ自体触れてもいません。
当然だと思います。
だってそもそも「許されるべきでない表現」は人気不人気で決まるんですか?
不人気な物なら雑な「許されるべきでない」認定を食らわせて抹殺しても問題ないの?
人気のある物ならなら「許されるべきでない」認定を思いとどまるべきなの?
逆でしょ?
みんなに大好評な物であってもそれが自分の中の明確な基準に照らして「許されん」と信じるなら堂々とそう声を上げるべきだし
まるで人気のない不評なものであっても怪しい「許されん」認定が下されそうなら「ちょっと待て!どういう理屈で許されないんだ!」と質すべきでしょ?
大衆の人気度合いに「許されなさ」が影響されたらそれはただの阿り、お調子もんじゃん。
きちんとスジや基準を明示した「許されない」認定をしてくれっていうのは
また、性的要素だけに限っても「私は、少なくとも満たさないと思う。
少なくとも、当てはまるかどうかは穏便に賛否両論するレベル」というトイアンナさんの主張は微妙ではないか。
これに関しては「満たす」の意見の方が多いと思う。少なくともフィフティーフィフティーではない。今回の件に限って言えば、フェミ教授の意見はそれほどおかしくない。
これも同じく意味不明なんだけど
え、それ多数決で決める話だったんですか?
理屈も基準もない意見なんかいくらあっても「バカが沢山いるね」でしょ?
そんなんならもう例えばフェミニズムとか成り立たなくね?
「女は半人前だから父親や夫に従え」「女は家の中で働け」「女に選挙権なんか要らん」って価値観が多数派だった時代に
「これはおかしい。いまは少数派でも私が正しい」って頑張った女が物事を変えたんじゃないの?
よしきさんの「正しさは世間の支持度合いに影響を受ける」理論なら女はずっと弁えて家にいるのが「正し」かったですね。
ちょっともう何言ってんのかついていけないです。トイアンナがどうこうじゃなくあんたがおかしい。
よしきさんの中にあるらしいヘンテコな「世の人気に影響されながら許されない認定する」ルールをトイアンナが共有してる可能性は低いので
「宇崎ちゃんポスターとミニスカポスターの混同を図った!」というよしきさんのトイアンナ批判は
一応よしきさんが「トイアンナも自分と同じルールを採用してる」と誤解した理由っぽい箇所はトイアンナの記事の中に見つけました。
トイアンナは宇崎ちゃんポスター騒動を振り返って自分の中で是と否の論点を整理しつつ「賛否両論の段階」という言葉を使ってます。
ちょっと変な言葉使いなのは確かですが、これをなんかしらんけどよしきさんは「世間の支持度合いがフィフティフィフティ」って意味と読んだんですね。
まあトイアンナはどう見ても「攻防の論陣が均衡状態」という自分の中のジャッジの話をしてるだけです。
ていうかそもそもポスターに対する支持不支持がフィフティフィフティっていったいどこで観測するんだよ。
そのフィフティフィフティを疑問なく受け入れるよしきさんもやっぱりおかしいわ。
あとなんでかしらんけどはてなの反応とかで「世間の支持度合い」を測ってるっぽいのは本当におかしいですわ。
はてなとかtwitterの特殊なタイムラインとかで分かるのは
宇崎ちゃんポスターやミニスカポスターについて、本当の世間の支持不支持はどうか?
「どうでもいい」が圧倒的1位だと思いますよ。
「そんなことで必死に言い合いしてる奴等キモい」が2位じゃないですか。
これが一応本来の本題、かつ一番勘弁してほしい部分です。
連ツイの中で増田への回答はほぼなされている。
そこを伏せて「まともな回答がなされてない」ような印象操作をして「先生しっかりしてください」とやる増田は普通にレギュレーション違反で失格でしょ
いやその連ツイはきちんとURL貼ってるし
なによりあなたが引用してる所の多くは増田も引用してますよね?
「伏せて」とは?
具体的に何が伏せられたんですか?
見ればわかると思うので一つ一つは指摘しないが、
太字あたりを念頭に置いたうえで、「先生しっかりしてください」の増田を読めば、ほとんどのことはすでに連ツイの中で回答されていることがわかるだろう。
えっ
よしきさん「見ればわかると思うので指摘はしないがーーー」
こんなんあり?
だって本当に、文字通り、全く、なんにも説明出来てないんだもん
だからそういう自分の主張の肝心な部分を「わかるだろ?」みたいに説明せず逃げるのはやめましょう
っていうのは大野先生のあのtweetに対しても言ったことです。
よしきさんはさすがに再度説明してくれると思うけど
これでなんか不貞腐れた感じになったり勝利宣言したりしながら説明せずに終了とかしたらさすがに呆れます。
わざわざ「増田は間違っておる!」と大上段の反論記事書いてくれたのでわーいって読んだのに
全然関係ないトイアンナの話を大量に読まされたあげくに増田への反論は中身ゼロって
反省してよね。
あとはてブ民に対しても
はてブから人がたくさん来ちゃってなんのためにnoteで書いてるのかわからなくなってるので2日ほどマガジン読者以外に非公開にしますね……。
読みたい人はその後で来てください。正直noteは「めんどくさいはてブ民がこない」ことを前提に書きなぐりしてるのでいろいろ雑な記述あったと思います。ごめんなさいm(__)m
これはないんじゃないの。
めんどくさい話をしてる増田を拾い上げて反論(nullだったけど。)したらめんどくさいはてブ民がついてきたーって
猫の死体蹴ったら足にウジがついたーって言ってるみたいな感じで、被害者ヅラするとこちゃうぞと思う。
あと反論しようとしてくれること自体は感謝してるし少しも悪く思ってないのはわかってほしい。他のこれから反論やレスポンスをしてやるぞって人もね。
池江さんがオリンピック代表に内定してとのことで、おめでとうございます。
大病を患い、一年以上、競技を離れながら、強う意思と不断の努力によって競技に復帰するだけでなく日本にトップに返り咲くなど、多くの人に勇気と感動を与えてくれました。
と、テンプレートの祝辞を述べた後に本音を書きたいのだけど、僕は池江さんを応援できない。池江さんを応援できる人は、池江さんに自分自身を投影している人だけだと思う。
僕は冴えない社畜なので、オリンピック代表になれなかった候補者に自分自身を投影する。
池江さんに負けた選手は何も悪いことをしていない。オリンピック代表候補になれる人は、池江さんと同じくらい努力をしているはずだ。
彼女が病気と戦っている間もオリンピック出場を目指して、素人には想像もできないような辛い練習をしてきたのだと思う。
それが、一年間ブランクのある選手に抜かれてしまった。練習量だけいけば池江さんよりも圧倒的に多いのに。練習効率だって、科学的な練習が広まり、コーチや協会で共有されている現在、それほど違いはないと思う。むしろ「池江さんがいないから出場できた」などの下らない後ろ指を指されないために今まで以上に努力をしてきたのだろう。それなのに負けた。「努力する天才」には勝てなかった。負けた理由は「天賦の才」の違いだ。
オリンピックを開催に関する議論の中で無観客でやった方がよいとう議論がある。
この論陣を張る人は「選手はオリンピックに出るために数年間頑張っており、オリンピックに出て、メダルの色でその後の人生が変わるため」と主張する。
オリンピックが金メダルを目指して頑張っている人のためのものであるというのであれば、池江さんに負けた選手はここで既に人生が暗転してしまった(3年後のパリオリンピックを目指すという選択肢もあるが、年齢的に今年が最後の人もいただろう)
負けた選手は、何か悪いことをした訳ではない。同時代に「天才」がいた。
池江さんのオリンピック出場からわかることは「努力する天才」には勝てないということ。
努力すれば報われるとか努力すれば夢が叶う。とかは周りに「努力する天才」がいれば実態を伴わない空虚な言葉に早変わりする。
オリンピックが開催されるかどうかわからないが、開催されるなら池江さんには頑張ってほしい。池江さんが頑張ることで同じ病気の人で苦しんでいる人に頑張ろうと思う気力と勇気を与えることができるから。これは池江さんにしかできない。
想像力のある方々なら、内容はタイトルからおおよそ察せられるものと思う。この手の話はテレビ、新聞、ラジオ、SNSその他媒体で散々語り尽くされてきたものだからだ。
はじめに少々長い前置きをさせてもらおう。
私は人との比較の上では少なくとも「苦しんではいない」。というのは、コロナ禍が始まってからも特段生活には困っていないからだ。家庭の収入が少なからず減ったりはしているし、出かけられる機会も減ったりしている。けれども、出費を切り詰めないといけないほどに家計が逼迫しているわけではないし、人間関係が修復不可能なほどに壊れて絶望的に孤独なわけでもない。ましてや、留学生の方々のように故郷へ帰るための道を断たれたわけでもない。私は、コロナで失業した人も知っているし、帰国できなくなった留学生の方も知っている。元々生活の困窮していた人が、更に困窮して居場所を追われる状況になっていることも知っている。彼らの心中を察するに、私の苦しみなど所詮は道端の糞ほどにも意味をなさないだろう。反対に、私とは違って全く苦しんでいない人も或いはあるかもしれない。
ともあれ、ここで敢えて一つ言わせて頂きたいことがある。この記事の目的は「私の苦しみが他者のそれを上回る」ことを主張することにはないし、その認識を持つつもりは少なくともない。仮に「私より苦しんでいない人」を想定したとして、その人に牙をむくことはこの記事の目的にはない。考えは未だまとまっていないし、書きながら自己矛盾を感じているところもある(矛盾を見つけても指摘するだけ無駄かも知れません)。しかしながら、先に述べたような悪意があるわけではないことを、頭の片隅に置いて読んでいただきたい。
ニュースや新聞、SNSなどを通じて、皆が苦しんでいる状況にあることは知っているつもりだ。身の回りの家族、友人、知り合いが苦しんでいることも知っている。身の回りの他者に自分の苦しみという重荷を更に背負わせないためにも今まで沈黙してきた。皆が苦しむ中で、自分の苦しみが苦しみとして認めてもらえないんじゃないか、そういう思いも大きかった。もしかしたら、自分の苦しみを認めたくない自分がいたことが一番大きかったのかもしれない。
他者との比較を求めるものでないことは先述した。ここに記すのはあくまで「私の苦しみ」であって、世間一般の大学生に通用する苦しみではないかもしれない。繰り返し、「私の苦しみ」であって、他者のを上回るものでもないし、反対に他者が否定できうるものでもないことを述べておく。
長くなったが、前置きはここまで。
[人間関係などに関して]
2020年の春に現役で無事第一志望の大学に入学した。しかしながら、周知の通り、そこで待っていたのは世間一般の思い描くキャンパスライフではなく、完全オンラインの「大学生活」だった。終日自室にこもって講義を受け、レポートを書き、深夜帯までデータベース上の論文を読み漁り、ひたすら思索に耽る(後ろ2つについては、本気の学問をできる環境の整った大学なので、対面だったとしても似通ったものだったとは思う)。特に堪えたのは、初年次のクラスメイトとの顔合わせすらもオンラインだったことだ。知らない人達と急に向き合わされる上に、他の人の画面に常に自分の顔が映っているという状況、楽しむことが強いられているように感じて終始作り笑いをしながら耐えていた。酷く疲弊した。かなりの労力を費やしたが、教室のそれとは違って個々人で話す機会もなく、仲良くなれた人はいなかった。他の少人数講義も似たような状況であった。唯一、ゼミ形式の過酷な講義でグループワークをする中で多少仲良くなった人はいるが、会えない中で関係を維持することはできなかった。
感染者の減った夏から秋ごろにかけて、少しだけ対面のサークル活動(運動系)ができた。回数は減らされ、条件付きで練習も認められた。複数受けた少人数講義も、合計でたった20回程度ではあるが対面で実施された。少々語らうことはあったが、教室で話すなとのお達しもあり、あまり話すこともできなかった。キャンパスが自宅から遠いこともあり、あまり会うこともできず、サークルでも少人数講義でもそれほど仲良くなった人はいない。
臆せずに会いに行けばいいという人もあるかも知れないが、それができないから困っているのだ。昼夜問わず会食はできないし、気軽に家に上がることもできない。自分が出歩いて感染したくないというのも勿論あるが、問題はその先だ。例えば、感染したことでサークル活動が長期間停止されるかも知れない。或いは、他の人が楽しみにしていた対面授業の機会を奪うことになるかも知れない(言わずもがな医療にも負担を強いることになる)。自分一人が自由に出歩くことが他人の首を絞めることになりうる。反対に他者が好き勝手に動き回った結果として自分の首が絞められることもあるかも知れない。出かけたとして咎められはしないだろうが、それができない。手足を縛られて動けない。そんな状況にある。これは何も人間関係に限った話ではなく、以前はアウトドアが趣味だったのだがそちらにも足が向かなくなった。理由は同じだ。
入学以来たびたび言われるのが、「せっかく入学したのに大学に行けなくて可哀想だ」「対面授業少なくて残念だね」「せっかくサークルに入ったのに活動少なくて残念だね」「新しい人間関係ができなくて可哀想」…(以下略)といった内容のものだ。要するに世に言うところの「キャンパスライフ」がないことを憐んでくれるわけだ。正直言ってこの言葉には腹が立って仕方がない。憐んでくれたところで、その言葉によって大元の原因が霧消してくれるわけではないし、状況は少しも動かない。医療という、か細い一本の柱に寄りかかって生きている今日現在にあって、ワクチンが普及したり、治療薬が完成したりしない限りにおいて、「キャンパスライフ」の実現可能性はほぼゼロである。この状況にあって、憐れみを述べる言葉は意味を少しも意味をなさない。ましてや「小中高や会社が(条件つきながら)通常営業できている中で、大学生だけ社会的に抑圧されているのはおかしい」と擁護の論陣を張ってくれたところで、待っているのは徒労だけである。
この手の話は、旱魃や凶作、飢えや渇きに苦しむ人に対して、殊更に強調して水や食料の美味しさを説くことに等しい。私の下の代やその下の代の頃には「キャンパスライフ」は可能かも知れない。しかしながら、既に4分の1が消し飛んだ今、私の卒業まで三年弱という状況にあって、その望みは薄いように感じる。自分が何をどうしようが手に入らなそうなものの美徳を説かれたところで気分が悪くなるだけだ。憐憫を垂れてくれる必要はないし、そういうことはしてほしくない。今、私が手に入れることができるのは、大学生活の亜種だけであって「キャンパスライフ」ではない。今できることに取り組もうとする人間に対して、今後できそうにもないことを押し付けるのは是非ともやめていただきたい。
オンライン中心での大学生活における大きな悩みの一つとして、「無為」な生活になってしまうことが挙げられる。「モラトリアムなのだからそれでいいのでは?」と言う人もいるかも知れない。しかし、これは何も自堕落な生活を送ることを指すのではなくて、「大学4年間で頑張ったこと」が何もない状況に陥りそうだと言っているのだ。自室に籠る生活を続ける中で読みたい本、読む必要のある本、多くの文字資料を読んできた。資料をたどりながら、学問的な問題や社会問題についても自分なりに考えを深めてきた。内的には少しだけ豊かになったかも知れない。けれども外的なものが何一つない。活動が制限される今、これを自分は頑張ったんだと言い切れるようなもの(サークル、バイト、インターン、学業面での功績等々)はまだ何もない(学業はこれからではあるが……。バイトも最近始めたが見つけるのにかなり苦労した)。頑張ったこと、熱心に打ち込んだことが欲しいと言うのは単に自分の気持ちの問題であって、就職のために必要としているわけではないけれども、面接官に「大学生活で何を頑張りましたか」と訊かれた時には、「大学生活などというものは無いに等しかった」と答えて離席するかも知れない。或いは面接官を殴らずにはいられないかも知れない。
この生活の中では、目標も失ってしまったし、舵取りも上手にはできない。と言うのも、目標となるような存在に出会う機会に乏しく、手に入る情報もとにかく少ないからだ。小中高の教室、或いは大学の研究室でもいいから、とにかくそこを思い浮かべてほしい。手本になるような人物、或いは反対に悪例となるような人物はいなかっただろうか?恩師、友人、同期、後輩、先輩、誰であれ少なからず自分の生き方の参考になるような人がいたはずだ。オンライン化されたことの一番手痛い問題として、そうした道標が失われてしまったこともあるのかも知れない。兎にも角にも、抜け出そうとあがきながらも、未だ無為に生活している。(これを努力不足と言おうとすることがあらば、それは見当違いというものである。)
一年が経過して大学2年になった。もう後輩が入学してくる時期となってしまった。諸用でキャンパスに行くと手続きに臨む新入生の列を見かける。SNS上では眩しいほどに希望に満ち溢れた姿を見たりもする。羨望を通り越して嫉妬してしまいそうなほどである。一方で「対面授業が少ないではないか」という声を聞いたりもする。「こんな世情にあって贅沢言ってるんじゃないよ」と言おうとして、すんでのところで踏みとどまる。対面形式の講義を沢山受けてきた諸先輩方や、コロナ禍にあっても高校で対面授業があった新入生にとっては理解し難いことかも知れない。比較しないように努めていながらも、どこかで強烈な被害者意識が渦巻いている。他者に自分の苦しみを味わせたいわけでは無いけれども、どこかでそれを求めているように感じてしまう。パワハラ上司はこうやって再生産されるのかも知れないなと思いながら、なんとか発言を飲み込んで止まっている。
ざっとこんな感じだろうか。筆をとる中で少々整理されたような気もしなくもない。繰り返し、他者に牙をむくことや、他者の苦しみと比較して変な優越感に浸ることはこの記事の本意ではない。もしそう感じられる内容があるのだとすれば、私の言語能力の限界ゆえ、或いは私の未熟さゆえであると思っていただきたい。
数日前からフェミニズムと表現規制の人達がチラホラ騒いでる話題です。
@rtoiuyuiotyuijj 3月15日
フェミニストに「何にエロを感じるのは人それぞれだし、どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」と噛み付いていた人々がす
「ウマ娘のエロ絵は禁止」の一声で「何がエロだと受け取られ、馬主を不愉快にするか」をきちんと自分達で考え始めたの笑う
「何がエロか」考えられるんですね
https://twitter.com/rtoiuyuiotyuijj/status/1371593400936374301
「ウマ娘公式のふわっとしたお願いには細部を問い詰めたりせずふわっと従うんだな!(フェミニスト・規制派の声には細かく噛み付き返すのに!)」
とプリプリ怒りながら笑ってはる。
いや、そりゃそうでしょ。
なんか皮肉のつもりっぽい口調だけど何がどう皮肉になってるのかすらわからん。
お願いというのはする側される側間の好意の多寡、信頼の多寡で成果が決まるもんです。
また公式とユーザーはコンテンツを挟んでwin-winの関係にあります。
スジで言ったら公式はもっと細部まで詰めてルールを出すべきなんです。
ちゃんとラインを引いて細部まで詰めたら、「あんたにそこまで要求する権利あんのか?」とかチェックされますし、
合意後は「じゃあこのラインの外について後出しでなんか言うなよ?」と当然に言われますから、
ウマ娘公式のふわっとぼかしたこのお願いが効力を発揮しているのは
ひとえにウマ娘と言うアプリがとても面白くてアニメや漫画も見直されてて、ウマ娘が大人気だからです。
人気者ゆえ多少スジの通ってない横着なお願いも聞いてもらえる。
「我々がオタクに命令したときは要求の細部や権利を問い詰めてきて困らされたというのに!」
「なぜ我々の細部を明示しないぼわっとした圧力に唯々諾々と従わないのだ!」
いやそれはお前等が好感度も信頼度も稼いでないだけっていう、ほんとそれだけですよ。
キモオタ達への憎悪と蔑視と敵意と嗜虐心で対決姿勢を隠さずにやってきた集団が
キモオタ達から愛されているコンテンツやメーカーと同等のお願い権・甘え権を与えられないっていう
それは当たり前なのでは…?
なんでこんなことですごい不当な仕打ちを受けたかの如く笑ったり怒ったりできるのかわからない。
毎度のことながらフェミニスト・表現規制派の思考の意味不明さはすごい。
こんなもん見せつけられてる側のほうが笑っちゃうんですよね。
別にフェミニストや表現規制派が受けてる塩対応が不当な意地悪なわけではなくて、むしろその対応が本来の対応、0ベースの対応です。
細かいチェックや詰めなんかなしでお願いを聞いてもらえるのは、普段から人の役に立ってる人、人から好かれ、周りに得をさせてるような人です。
つまり自由になる時間をネットでキモオタのポンチ絵への攻撃に使い、その八つ当たりを自分の人生のチンケさの痛み止めにしてるような人間の正反対の人物。
「ふわっとしたお気持ち表明でみんなが忖度して動いてくれる」という特権を周囲から受け取るのは
.@rtoiuyuiotyuijj3月16日
で?どうして今回は急に「検閲じゃない」と思っちゃったんですか?
どうして「ニーハイソックスのキャラをただ描いただけでも、勝手に性的だと受け取る人もいますよね?」と、いつものようにツバ撒き散らして言わないんですか?
https://twitter.com/rtoiuyuiotyuijj/status/1371593400936374301
既に書いてきたことに加えて自由の侵害度合いの違いということがありますよね。
「何故検閲じゃないと思ったのか」?
そりゃ検閲じゃないでしょ。
この状況下、別にウマ娘を同人誌でエロく描こうがグロく描こうが殺そうが馬刺しにして食おうがなんでもありでしょ?
「お願いは承った、でも聞けねえ」でもいいし、
「私の中ではこれは競走馬のイメージを著しく損なう表現ではないんだけど」でもいいし。
それも検閲にあたるぞよと表現問題に詳しいフェミニスト諸姉オタクヘイト諸兄が言うんならそれでもいいんですけど
少なくともフェミニストや表現規制派が欲望する検閲とは全然違うよね。
そもそもウマ娘公式がお願いしてるのはウマ娘という1コンテンツの中のことでしかない。
他のコンテンツに同様のレギュレーションが拡散していくわけではないし
単に「うちはこう」ということ。
ウマ娘と同じように二次創作にも「お願い」で睨みを利かせるコンテンツもあるだろうし、
公式は行儀がいいけど二次創作は自由だよと言うコンテンツもあるだろうし、
公式からエロかったりグロかったりするコンテンツもあるだろう。
そこには発表する側の自由があるし、受け手も自由に選べばいい。
フェミニストや表現規制派が狙っているのはそういうことではないですよね?
表現自体を取り締まり、自由を制限しよう無くしていこう、というのがあなた達のやってることじゃねーですか。
そりゃ対応が変わるの当たり前じゃない?
「なんでこんなに対応が違うんだ!笑える!」とか言ってることの方が意味不明すぎて笑えるんですが…。
Q「我々フェミニストの命令には必ず盾突くキモオタどもが、何故ウマ娘公式のお願いには従うのか!」
A「ウマ娘公式はいま好感度と信頼度が高いから」「お前等は人気ゼロ~マイナスだから」
Q「我々フェミニストの命令にウザく反問してくるキモオタどもが、何故ウマ娘公式のお願いにはふんわり忖度するのか!」
A「好意と信頼があれば細かいterms and conditionsは省略できるから」「お前等はその正反対だから」
Q「我々フェミニストの命令は検閲だと騒ぐキモオタが、何故ウマ娘公式のお願いを検閲と思わないのか!」
A「好意ベースで言うことを聞いてるだけで、聞かない自由もあるから」「お前等の狙いは自由の剥奪だから」
Q「我々フェミニストの命令は危険な規制だと騒ぐキモオタが、何故ウマ娘公式のお願いを警戒しないのか!」
A「お願い範囲も『ウマ娘内』という限定的なものだから」「お前等の嫌がらせ欲と被害妄想には際限も節度もないから」
こんなことこうやっていちいち整理して説明されないとわからないもんかね?
agricola 「イメージを損なう表現はお控えください」みたいな抽象的が極まった「お願い」に対して、
平素の「明確で客観的な基準を示せ」というウザ絡みを一切見てないのってサイコーに表現の自由界隈ですよね。
2021/03/17
現在大人気、ユーザーに楽しみを与えている、win-win関係を継続するための要請、受け手に任せる「お願い」。
・キモオタに必死にストーカーしてるフェミニスト・表現規制派のみなさん
人気マイナス100点、敵意丸出しの嫌がらせしかしてない、一方的な自由の制限のための因縁付け、「(コロコロ変わる理屈による)命令」。
これで「同じ待遇を受けてない!オタクの矛盾見たり!」って怒り狂うのサイコーに、…なんだろう。
本当に脳をお大事にって思うんですよね。
このアグリナントカ さんにしても拙い思考力と国語力で10年以上こういうミジメな活動をはてなブックマークで頑張ってて、
やっぱりそういう暗い楽しみしか与えられず苦しんでる脳味噌は機能がどんどん悪くなってる可能性はあると思う。
あなたがストーカーしてるキモオタの大半はキモい絵を楽しみながらあなたよりずっと明るい人生過ごしてると思うよ。
大半の在日コリアンはネットで長時間在日ストーカーしてるネトウヨより明るい人生過ごしてるのと同じように。
zyzy ほんまこれ。規約もガイドラインも「明確にここからがエロだ」とは書いてないし、
書かれないと分からないんだっつってたんだから、いつものように叫ばないとウソツキだよねぇ。
2021/03/17
③町の嫌われもんのトラブルメーカーに「貸せ」と怒鳴り込まれました
①なら駐車場の範囲とか更改条件とかキチキチしないし、下手すりゃ支払いだっていつでもいいよってなりますよね。契約書自体作らないかもしれない。
それを見た③のトラブルメーカーが「俺にも同じ条件で貸せよ!」って言ってきても、そうはしないでしょ?
ギチギチに細かい、ズルや踏み倒しや言い逃れしようがない契約書作って、もしそれで不満ならあなたとは取引しませんってなるでしょ。
普通にフェアにやるつもりがあるなら厳密な契約書にサインできるはずですしね。
①がユーザーとウマ娘の関係で(好意で土地を貸す側がユーザー)、
grdgs 「俺のお気持ちで決める」以外書かれてなかった
2021/03/18
あなたが今日の晩飯を何にするのかと同じぐらい各人の気持ちで決めていいことです。
一方あなたがたがしばしば「お気持ち」などとバカにされるのは、そういう他人の自由をなんとか制限しようと頑張るため、そのわりにそこにまともな理屈や論陣も立てられないためです。
駐車場の例えに戻れば、信頼できると思った相手に土地をゆるふわ契約で貸すのは持ち主の自由です。
一方あなたの言ってるのは「私も親族待遇で土地を借りたい気持ちがあるのに貸してもらえなかった!」「私の気持ちだけが踏みにじられた!アンフェア!」みたいなことです。
ああこいつやベーな、さすがご町内のトラブルメーカーだな、ってなるでしょ?
「自由の範囲内で気持ちのままに振る舞うこと」と「気持ちのままに人の自由を制限しようとすること」は相対化できないですよね?
差別する権利!とか喚くネトウヨと同じバグりかたしてますよねあなたの肩の上の突起物。
muchonov 一生懸命正当化してるけど、勇壮な表現の自由戦士たちがコンテンツホルダーの意向には簡単にゴロニャンする構図は変わらない。好意の多寡じゃなく、自分たちからオモチャを取り上げる権利を持つ相手に屈服してるだけ
2021/03/18
「好きな相手には話し合いもせず譲歩するのか!」
「おかしいだろ!」
「私に対する態度と整合性がない!」
自分は女性嫌悪バリバリで無礼と嫌がらせとモラハラセクハラ繰り返してすっかり嫌われておいて
「これだからメスは卑しい!」「結局金とチン○目当てなんだ」ってさらに怒るみたいな。
そして全然誉められるこっちゃないけどコンテンツホルダーに対して叛逆するキモオタはいくらでもいる。
嫌いなコンテンツホルダーに対する通りいっぺんの批判を越えた粘着質な付きまといはやめさせる方法知りたいくらいですよ。
あと「強権を持つ相手には屈服するんだな!」っていうなら、キモオタに対して一番強権的抑圧的に振る舞うのはだんとつでフェミニストと表現規制派だけど、毎度きっちり反抗されて殴り返されてんじゃん。
彼等に抵抗の意気地があるかないかはしばしば彼等の反撃で恥かかされてるあんたらが一番よく知ってるはず。
やっぱり「なんで我々にだけ」っていう泣き言でしかないよね。そしてその理由は「あんたらが自分の行いによって警戒され嫌われてるから」です。
efus だいたいそれで言ったら編集部から「えげつないBLやめてくれ」ってコメントがあったらしいのに結局あんまり守られなかったキャプテン翼が浮かばれませんよね。どんだけ好感度低かったんでしょうか彼らは。
嫌ってはいなくてもやむにやまれぬパッションとの鬩ぎ合いの結果「こそこそやる」になったのが腐女子パイセンがたの自由行使の歴史です。
そこに問題あると思うならそれはそれで叩いて規制を図ったらどうですか。どうもあなたたちのキモオタに対する攻撃欲には対象の性別により異なる基準があるように見えますが。
ついでにいえば当時のBLなんてえぐくもなんともなくて、当時のジャンプ編集部の要請は現代の価値観でジャッジするなら単なるゲイフォビアです。
あなたたちの表面の大義名分はこういうときどっちに味方するんでしたっけ?
nunune 「著作権者だから」の7文字で終わることだと思うのですが。
2021/03/18
そうシンプルにまとめられればまとまるのでだらだら長いの書いてしまった立つ瀬がないですが
シンプルで理解できない人たちにはクドクド書いたら理解するかなって(30パーセントくらいの望み)。
「権利者でもありメリットの受贈者でもありwin-winを築ける相手に忖度や譲歩をする」
なにからなにまで違う話だと思うんですが悪意さんたちは納得しない。
「ウマ娘公式に優しい対応が出来るなら我々の靴も舐められるはずだ」
「あいつらにだけ優しくするなんて筋が通らない!嘘つき!卑しい!」
やっぱりなんか、非モテの一部にいるミソジニーさんの主張によく似ている気がする。
嫌いながら甘える、嫌がらせしながら最恵国待遇を求めていく感じ。
好意とか信頼とかではなく単に公式に要請されたからでは。法的根拠が微妙であってすら公式に「やめてクレメンス」と言われれば従うよね?もめてコンテンツ引っ込められたらこっちが困るんだし。
その「やめてクレメンス」「りょ」がここで私の言ってる好意と信頼です。
権利や自由の地平で言えば「公式はああいってるけど表現の自由の観点から私はエログロ同人を大っぴらに出しまーす!」はありですよね。
キモオタたちがそういうチャレンジすらしないこと(表現規制派の人達がいま「ずるいぞ!」と怒っているウマ娘優遇)、
これはウマ娘公式とwin-win関係だから自由を行使してないわけです。
もちろん反対にウマ娘公式や馬主も穏当な二次創作に対して厳密な権利行使をせず目こぼししてる。
フェミニスト·表現規制派とキモオタの間には殺すか守りきるかのサツバツ世界しかないのでいきなり権利や自由の地平のやりとりになっているわけです。
キモオタは最強の盾になりそうな「表現の自由」の幟も躊躇なく発動します。表現規制派はそれがずるいと言う。「ウマ娘にはやらないのに我々には最強の盾でシールドバッシュしてくるのは何故なんだ」と。
何故なのかは何度も書いて書き飽きましたけど。
merico2404
2021/03/18
好感持てぬ公式に対しキモオタ達が果敢な表現の自由の行使をしていった例は多々あり、けもフレの1と2での二次創作の劇変とか見てみたらいいと思います。
いまふんわり忖度と配慮の応酬で治まっているのだって恒久のことではありません。
kobito19
押し寄せる不法「移民」や中国製品にEUやアメリカ経済が押されている所に米トランプ大統領の登場、イギリスのEU離脱、反グローバリズム、保護主義(排外主義)の盛り上がり
そして軍拡する中国へ反感の機運が盛り上がり掛けていた矢先に中国発のコロナウイルス登場
反中の右派はすかさず事態の原因は「中国の武漢ウイルス」と宣伝する。コロナ騒動の開始だ
移民とか政敵を感染症や病原体になぞらえる修辞の(右派的な)排外主義との親和性はナチスを引き合いに出すまでもなく既知のものだ
当初左派は差別の比喩としての「ウイルス」が持つ意味に反応し批判していたように(少なくとも自分には)思えた
もしトランプが外国から持ち込まれた「チャイナ・ウイルス」の脅威を目ざとく反グローバリズムに利用し感染症の脅威を誇張し不法移民をウイルスになぞらえマスクの着用推進など「社会統制」を強める方に向かえば
反トランプの左派は立場上「トランプ=ナチスからの自由のため」に右派のコロナウイルスの脅威の誇張を指摘し騒動を納める方に向かっただろう
しかしリバタリアニズムの影響かまたは一貫性の欠如の故かトランプはじめ右派はマスクを拒否し統制からの自由を求める
中国のウイルスを強烈に敵視する一方で国内ではウイルスなんてただの風邪だとうそぶき統制を嫌う。
外国からの移民に不寛容な右派が外国からのウイルスには寛容になると言うパラドックス(そしてこれはトランプとナチスとの違いでもある。トランプは快楽主義者であってヒトラーのような禁欲主義者ではないのだ)
このパラドクシカルな状況で、状況を俯瞰するだけの視野を欠いたまま反トランプのスタンスを愚直に貫き論陣を張った左派
いきおいコロナの脅威を誇張する事でトランプの感染対策の無策過失を強調する方向に向かう事になってしまった
右派に加えて左派もトランプ叩きや政権批判のためコロナの脅威を叫ぶようになった
こうして右も左もコロナの恐ろしさを叫びパニックが扇動される結果になった
このパニックを納めようとしているように見えなくもない勢力はホリエモンのようないかにも感じの悪い経済系ネオリベを除きもはやいない
幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケート、ファミリーコンピュータ。皆覚えている。
幼稚園の頃には、既に自分が他者とは異なる存在であることを認識していた。
幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分の名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。
ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園で落ち葉拾いをして、その落ち葉でちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」といったの作品を作って先生に持って行っていたが、俺は「いやいや、落ち葉で作るんだから落ち葉である事を活かせよ」と思い、少し捻くれた形をしたカエデの落ち葉を1枚と、他にも大量の落ち葉を拾って、「人喰いおおかみをやっつけた人が、その証としておおかみの右手をバイクに積んで村に戻っているところ」という作品を作った。
作ったちぎり絵を先生に見せた時、「これは・・・バイク?・・・と・・・手?」という反応をされたので、それは人の手では無く、怖くて悪い人喰い狼だと説明した。その際に俺は「これは他の人間にも説明が必要だな」と何故かひとり勝手に確信し、画用紙に黒のクレヨンで物語を描き始めた。最初は延々と文字だけで説明していたが、文字だけだと寂しいので、余白に挿絵もつけた。
「悪くて怖い人喰い狼が現れて困っている村人たちのところに、腕利きの猟師がやって来て・・・」という、何とも陳腐な筋書きではあるが、画用紙を10枚以上使ったと記憶している。
俺のちぎり絵と物語は幼稚園で話題になり、その年のお遊戯発表会の題材にもなった。先生は「やっぱり主役の猟師役は増田君がやるべき」と言ってくれたが、主役はガキ大将のS君に決まった。かけっこなどの身体を使う類いのことはからっきしだったので、俺はそれで良いと思った。
発表会は結構うまくいったようで、いつの間にか俺の「作品」達は、「画用紙に書いた物語と一緒に区役所に飾ろう」という話まで出て来ていた。
その事で幼稚園側と区役所側の担当者が何度か話し合いを持ったようだが、結局絵だけ飾る事になった。
区役所に絵を飾る事になるまでの一連の話を幼稚園から説明された両親は、たいそう喜んでくれた。
両親は平凡だった。見合いで結婚し、中庸であることを良しとし、毎日を善良に暮らし、一人息子である俺にもしっかりと愛情を注いでくれる。そんな両親だった。
ただ、そんな両親が、幼稚園側が区役所の絵画の話を交えつつ、「増田君は本当に優秀です。才能があります。小学校は是非とも私立を考えられては・・・?」と強く推した途端、「いえ、結構です。ウチは公立の小学校に行かせます」と、頑として譲らなかった。理由はわからない。金銭的な問題だったのかもしれないし、中庸を良しとする生き方に反していると考えたからかも知れない。
俺は単に「人間関係をリセットして、見知らぬ土地でまたイチからやり直すのは苦痛である」などとぼんやり考えており、小学校は地元の公立のほうが良いように思えた。
幼稚園の中に友達と呼べるような存在はいなかったと思うし、毎朝の通園バスも苦痛ではあったが、それでも何とか周囲の人間の為人を把握して対応方法をほぼほぼ確立していた矢先の話だった。小学校とやらに行く事になれば、公立でも私立でも「周囲の人間の数」は増えるのだろうが、私立でゼロから再構築するよりは公立のほうが幾分マシだろうと思っていた俺は、そのように両親に伝えた。
両親と俺の希望が一致していたので、当然小学校は地元の公立小学校に入学することになった。
小学校に入っても、特に俺自身の変化はなかった。小学校に入ると本格的に「勉強」というカリキュラムがはじまったが、先生が言っている事を聞いて、板書をして、家に帰ってから宿題を済ませた後に復習・予習をしていれば、テストの点数は取れた。
この頃になると、自分の状態を客観的に捉えた上で、自身についての考察ができるようになっていた。
俺は結論として、「俺は天才である」と考えた。井の中の蛙どころの騒ぎではない。加えて、空の青さも知らないとなればもはや滑稽を通り越して害悪であるが、俺の周囲には俺より優れた学力を持つ者も、俺を諫めようとする者もいなかった。
言い訳がましいが、物差しが少ない小学生の時分である。「学力」という物差ししか持っていなかった俺は増長し、慢心し、周囲を哄笑した。将来は俺のような人間が、東京大学のような「賢い一流の大学」に入って、「でっかい一流の会社」に入社して、いずれは社長になって世の中を動かしていくと、本気で思っていた。
何より、公立の小学校は毎日がヒマだった。普段から見下している同級生とは、恐ろしいぐらいに会話がかみ合わなかった。俺にコミュニケーションスキルがあれば、「会話をあわせに行く」「自分の会話ができる場を作る」といった芸当も可能だったかも知れないが、ご多分に漏れず俺はコミュ障だったし、そもそも会話を合わせるという発想もなかった。
「名のある企業に入れる」「いずれは社長になる」などと思いこんでいるような人間がコミュ障というのは、その時点でもう既に色々と破綻しているような気がしないでもない。
ともあれ、この頃の俺は毎日退屈な授業とかみ合わない会話をする為だけに、日帰りの監獄に通っていた。全国の小学生がこの地獄を味わっているとするなら、文部省は滅ぼさなければならないと本気で思っていた。その為に文部省に入って俺がこの国を変えてやるんだと、鼻息だけが荒い小学生だったと思う。
─────「良い会社」に入るには「良い大学」に行かないといけないらしい。
─────日本一の大学は東京大学というところらしいが、真の天才であるならば京都大学に行くらしい。
そんな情報を入手したのは、忘れもしない、小学4年生の秋頃である。いかにも小学生が摂取しそうな、狭い世界のテキトーな話である。だが俺は何故か純真無垢にその与太話を信じた。つまり、「将来は絶対に京都大学に入ろう」と思った。
そこから俺は色々と京都大学の情報を収集しはじめた。「学部」など、小学生の俺の辞書には登録されていない概念に触れる度に興奮しつつ、どうやったら京都大学に入れるのか?という情報を求めて方々に聞いて回った。まず一番初めに、俺にとってもっとも身近な「大人」である両親に「どうやったら京大に入れるのか?」と尋ねたところ、「知らん」と言われて会話を打ち切られてしまった。仕方なく学校の先生などに尋ねたりしていたが、小学生の調査能力などたかが知れており、当時はまだインターネットなども普及していなかったので、俺の京都大学情報収集はかなり早い段階で終止符を打たれることになってしまった。
しかし、京都大学に入れたとしても、大学入学までは今からでも約8年かかる。京都大学に入る方法とは別に、一刻も早くこの日帰り監獄から抜け出す方法はないものか・・・と模索していたところ、どうやら「私立中学」というところに通えば俺の退屈な生活におさらばできるようだという情報を得た。
日帰り監獄の看守たる先生も、たいそう熱心に「増田君は灘中学か東大寺学園に行かせるべきです。」と言ってくれた。特に小学6年生時の担当看守だったK先生は熱心で、何度も両親と懇談して、俺を私立に行かせようとしてくれた。
だが、ここでも両親は「ウチはあまり裕福ではなくて・・・。本人は成績も良いので、公立中学から北野高校にでも行ってくれたらいいと思っておりまして・・・。」と、俺を私立中学に進学させることは明確に拒否した。
看守は
「経済的に難しいと思っておられるなら、公立中学以下、なんなら増田君の学力ならおそらく無料で通える」
などと食い下がったが、両親は「もう公立に決めてますので・・・」と固辞した。
この頃になると、小学生の俺でもさすがに両親の言動に疑問を覚えるようになった。両親は「経済的に困窮しているから私立は行けない」の一点張りだったが、看守は「困窮していても通えます」という。イヤさすがにそれはちょっとヘンだろ、矛盾してるだろと思っていたが、当時の俺はそこまで頑なな両親を説き伏せてまで日帰り監獄から抜け出したいとまでの強い意志は持ちえなかったし、天才・秀才・英傑達と机を並べて学びたいという願望も希薄だったし、それらの一連の俺の態度が招くであろう結果も、特に深くは考えてはいなかった。
当時の両親の真意が奈辺にあったのか、今となっては分からない。草葉の陰から、声は聞こえない。
そうして地元の公立中学校に入学した俺は、特に変わり映えのしない日帰り監獄生活を送っていた。そんな俺だったが、中学生活の半ばに差し掛かろうという頃・・・具体的に言うと全国模試を受けたあたりで、「んん?あれ?・・・どうも俺って天才じゃないな、これは・・・」と薄々感づき始めた。全国模試の偏差値が出るからである。
そりゃもちろん、俺の偏差値は全国平均より遥か上には位置しているのだが、自分なりに努力をしてみても、偏差値的に灘高校にも東大寺学園高等部にも届かないという事実を突きつけられた。これは結構俺にとってはショックで、小学校の頃は「余裕で入れる」と言われた灘にも東大寺にも入れないという事実は俺に重くのしかかった。「このレベルの高校が無理なら、こりゃ京大や東大なんて夢のまた夢だろ、どうしよう・・・俺の人生、どうなるんだろう」と、本気で思い悩んだ。
悩みぬいた俺は中学2年の夏、両親に「塾に行きたい」と言ってみた。しかし結果はやはりというか順当というか、頑強に拒まれた。曰く
「成績がいいのに何故」
「塾はお金がかかる」
「家でも勉強はできる」
小学生の頃の俺なら諦めていただろうが、中学生になっていた俺は己の目標を達成する為に食い下がった。模試の結果を伝え、行きたい大学がある事、だが自分の今の成績ではそこに至ることができない事、自宅での自己学習には限界がある事などを説明した。
また、塾が無理なら定性的定量的に評価が可能な代替案の提示をせまった。塾の代金は高校に行ったら必ずバイトして返す、なんなら今から新聞配達をして払うと、土下座までして塾に行かせてくれとせがんだ。
半年ほど前に未亡人となった母はなんだかやつれて見えたが、当時の俺は塾に行けることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、あまり母親のことを注意深く見ることはできなかった。今思えば、当時の母は様々な事に疲れ切って倦んでいたのだと思う。塾に行く許可も、根負けというよりかは思考放棄といったように俺には映った。
そんな母を尻目に意気揚々と進学塾に入った俺は、成績順のクラス分けで上から2番目のクラスに入れられた。正直、体が震えた。自分よりはるかに勉強ができる人間が、天才が、焦がれる存在が、今まさにすぐひとつ上のクラスにいるとリアルに感じられるのである。そして、その人間たちと同じ程度の授業を、自分も受けることができるのである。これがアニメだったら俄然燃えるBGMが聞こえてくるようだった。実際、あの時の俺には、何かが聴こえていたのだろう。俺は一心不乱に机に噛り付いた。机に歯形があるんじゃないのってぐらいには噛り付いていたと思う。
その甲斐あってか、入塾後すぐのクラス替えで、あっさりと一番上のクラスになれた。ここで俺は生まれて初めて、圧倒的な勉学の才能をもった人間、すなわち「天才」と直に出会った。それも一人や二人ではない。そんな輝ける才能がひとつの教室に雨後のタケノコのようにポコポコと存在している、そんな環境で学べるという喜びにも出会った。
毎日がただ楽しかった。自分は天才ではないのかも知れないけど、努力すればちゃんと数字が、成績がついてきてくれた。
幼少の頃、毎朝幼稚園に行くバスの中で感じていた苦痛や、小学生の頃に感じていた疎外感は、もう無かった。
高校は公立の北野高校というところに入った。維新の橋下弁護士とか、日本マクドナルドの創業者の藤田田(ふじたた、ではなく、ふじた・でん)とか、漫画家の岡田あーみんとかが通っていた高校である。
本当は東大寺学園に行きたかった。学力や模試の偏差値は足りていたと思う。赤本の自己採点でも余裕で合格圏内だった。だが、中学3年時に入塾した際に母親と交わした「高校は絶対に公立高校にする事」という約束を守った。その約束をした時点では「受験までにどうやって説得するか・・・」などと考えたりもしていたが、塾での公立中学では考えられない授業スピードについていけたことや、並み居る才能たちと交わした会話の中で、「公立高校からでも京都大学は狙える」という感触を、俺は確かに掴んでいた。
中学の頃はあまりよく理解していなかった奨学金制度は、高校に入ると同時に申請した。家計を理由に俺の私立進学を拒んだ母親は、中学時代に俺の奨学金を申請していないこともその時に知った。俺はそんな母親を信用せず、奨学金の申請手続きを自分自身で済ませた。
北野高校の授業の質は高いと思った。だが俺は油断せず、予備校にも通うことにした。私立中学入学組の連中は、少なくても俺より3年は早く走り出している。そいつらに追い付くには、そいつらと同等、いやそれ以上の勉強が必要であると思ったからだ。
俺は詐欺師丸出しの口調で「高校の学費が浮いたんだから、もともと払うつもりだった学費は予備校に回してほしい。予備校とバイトを完全両立させるのは時間的に難しい。学力的に、俺は中学までの借金がある状態。プラスに転じるには積み上げるしかない」などと母親に申し入れたところ、すんなりと受け入れられた。
この頃になると、奨学金の申請だけでなく、家の中の一通りの事は全て俺がやっていた。
「自分でできるようになったから」というのももちろん理由としてはあるが、母親が炊事・選択の家事全般を筆頭に、日常生活の様々な事をほぼ全て放棄してしまっている事のほうが、より比重の大きい理由だった。母親が予備校行きを認めたのも、「認めた」というよりは「俺が『予備校に行きますよ』と報告した」といった表現のほうが正しいように思う。
俺が小学生や中学生の頃には確かに存在していた、「理由なぞはよくわからないがとにかく自己の主張を持って論陣を張る頑強な”母”たる人間」は、もういなかった。朝起きて、TVをつけて、ご飯を食べて、夜眠るだけの人間がそこにはいた。
家計はほぼほぼ俺が全部見ていた。入ってくるカネと出ていくカネを計算して大幅なマイナスにならないと言う事だけを気にしていたので、一般的な家計管理よりはラクだった。現に、今つけている家計簿よりは簡単だったように思う。父親の遺した資産が多少あったので、その管理も俺がしていた。
高校生活は楽しかった。学力差のある人間を十把一絡げにして地域ごとに押し込める日帰り監獄では味わえない切磋琢磨がそこにはあった。同程度の学力を持つ者同士が集まった結果としてのシナジーがあった。今までは暗い色で塗りつぶされていた「学校での生活」に色が付き始めた。毎日学校に行く事が楽しかった。対照的に、毎日家に帰るのが億劫になり、やがてそれは苦痛に変わり、それに伴い、家の中が暗い色で塗り潰されていった。
昔、母を名乗っていた人間は炊事もしないので、学校帰りは毎日スーパーに寄り、食材を買い、俺が晩ご飯を作った。予備校のない日は二人で食事をするようにしていたが、食事中に会話のようなものはなく、TVから流れるバラエティー番組の下らないやりとりだけがBGMだった。ご飯の味はしなかった。たぶん、母だった人も、ご飯の味はしていなかったと思う。
もしかすると、家から目を逸らそうとして、無理に高校での生活が輝いていたんだ、良かったんだと自分自身に言い聞かせているだけなのかも知れない。我が事ながら、この頃の記憶は妙に混濁している。
大学入試は当然のように京都大学一本にした。学力も模試結果も問題無いと判断したし、何より俺には京都大学以外の大学に通う価値を見出せなかった。入学できるまでは何浪でもするつもりだったが、幸いにも現役で合格することができた。
ひとり身になったから身軽だったし、しばらく大阪から京都大学に通ってみたものの、さすがに京都の外れまで毎日通うのはちょっと辛いなと思った。何より、暗い色で塗り潰された、大阪のあの家に帰るのは嫌だった。もうTVの音は聞こえなくなったけど、あの家で目をつぶって眠るのが、怖かった。
大阪での様々な残務を片付けると、それらの結果や、これからの事、感謝の気持ちなどを両親の墓前に報告して、俺は京都に移り住んだ。
後編に続く