前編
京都での大学生活がスタートした。当初の感想としては「ラーメンがうまい」、次に「車での移動は不適」。
大阪には意外とうまいラーメン屋がない。今は知らないが、当時の俺の生活圏ではそうだった。
京都の道路は本当に混んでいて、車で移動しようとすると骨が折れた。かと言って電車は電車でかゆいところに手が届いていないし、そもそも京阪電車以外で京都大学に行くのは大変なので、自然と自転車を活用する暮らしになった。
京都大学はよく、「1人の天才を作る為に、99人の廃人を作るところ」というような揶揄をされる。実際に通ってみると、半分は正解だが、もう半分はそうでもなかった。ただこれは俺が通っていたころの話なんで、今はどうなっているか分からない。
まず大前提だが、俺は他の大学を知らない。その上での結論だが、京都大学には「学生を育てよう」とかそういう気概はサラサラない。他の大学では学生を育成しようとしているかどうかの判断は俺にはつかないが、少なくとも京都大学工学部の教授連中はそういったことを放棄している。もうこれは誰が何と言おうと、厳然たる事実であると言い切ってしまいたい。小学校~高校までと大学とでは教育の質が違うというのは理解しているつもりだが、それを加味しても「放置されている感」は拭えなかった。講義の内容がスカスカとか、そんな事はまったくない。・・・まったくないのだが、BotWというよりはMinecraft、いやテラリアに近い感覚だった。チュートリアルと言うか、導きがほぼない。
だから前述の例え話は、「京大生が100人いれば、その中で輝ける天才となり得るのはせいぜい1人か2人」といった意味合いのほうが強いように思える。そもそもだが、「100人中1人だけが~」等とはいうものの、100人全員が京都大学に入れる程度の学力はある訳で、学力とか向上心とかそういったものはほとんど皆が持っている。
それを踏まえた上で、「そんな人間が100人いても(言い方は悪いが)全員が天才として輝ける訳ではない」のである。故に、そんな過酷な環境でも生き残れるような人だけが「天才」と称されることになるし、実際にそういう人だけが余人には到底及ばない領域に到達する事ができる。そんな環境が生んだ例え話なのだろう。
俺はなんとなく「99人のエネルギーを吸い取って1人に集めるのじゃ!」等とのたまうマッドサイエンティスト的なものを想像していたが、全然そんな事は無くて、天才と称されなかった99人も、一般の人から見れば大半がじゅうぶんに天才に見える。・・・多分俺も、世間一般から見れば「天才」とか「秀才」とか呼ばれているのだろう。俺自身そうは思っていないし、99人中95人ぐらいまでは同じ感想だろう。
ただ、多少余談ではあるが、99人とはいかなくとも、京大生が100人いると、7人~10人程度の「廃人」が何故か確実に発生する。
麻雀廃人、起業廃人、引きこもりなど、廃人の種類に差はあれど「一般人の枠をダメな方向に大きく踏み外してしまっている人」は、いつの時代でも何故か一定確率で発生してしまうようだ。このあたりは今後の研究を待ちたいところではある。
閑話休題。
そんな大学、俺が中学の頃から焦がれるように望んだ大学での授業は、控えめに言って最高だった。多分、俺の今までの人生の中で、一番光り輝いていた時間だったと、今でもそう思う。
俺は「自分は天才になりたいから、京都大学に行きたいのだ」と、そう思って京都大学を目指していたのだと、そう思って生きてきた。京大に入れば、自分は天才になれる。天才である証明ができると、そうあれかしと願って入試を受けたのだと。
だが実際はそうではなかった。件の99人の廃人の例え話でいうと、俺は天才には到底なりえない側の人間であると、京都大学に入る遥か昔から理解していたはずなのだ。それなのに京都大学を目指した。もちろん天才のための供物になるつもりは毛頭ない。明らかに矛盾している。そんな単純な事にはじめて気付いたとき、俺は「血、かな・・・」と独りごちた後、ちょっと笑ってしまったのを、今でも覚えている。
大学に入って、年月を重ねて、半人前なりに様々な人生経験を得て、やっと結論に辿りついた。
俺は、天才が、見たい。
動機は分からない。自分がなりたかったもの、なれなかったものを見たいだけなのかも知れない。でも俺は、ありとあらゆる分野で、光り輝く天才たちの紡ぐ、まばゆいばかりの光を放つ功績を見たいし、もし叶うのであれば、己の眼前で、その天才の目撃者となりたい。
スポーツや将棋では、眼前の目撃者となれない。かけっこがいつもビリだった俺に、未だにハム将棋に勝てない俺に、そういった分野で生き残っていけるはずもない。自分がかろうじてでも食い下がれる分野で、その分野の天才の所業を、リアルタイムで見たいのだ。そう思った俺は、就活もGAFA的なところに絞った。この分野なら、まだ勝負できる。自分のフィールドがある。そう信じて、片っ端からESを送って面接しまくった。
就活はかなり苦戦したが、なんとかかんとかとある企業から内定をもらうことができた。今はそこで働いている。
勤続年数などは伏せるが、今現在の日々の業務は結構ハードだ。このご時世でも皆バリバリ働いでいるし、会社からは継続的に結果を出すことが求められている。それだけではなく、現状で満足することなく、より大きなプロジェクトを立ち上げたり回したりする事を求められる。
俺自身はハードな業務の中、ついていくのが精一杯といった感じではあるが、才能ある人間の成果物、仕事のやり方、会議で放たれる言葉。そういったものに直に触れながら毎日働いているのがとても面白い。
と言ったそうだが、得心することしきりである。
俺は良く海外とのテレカンで「I have no idea(何も思いつかないよ)」と言ってしまうのだが、天才の出すアイディアと言うのは、まさに「just idea(思い付き)」のなせる業なんだなと感心しながら聞いている。そんな言葉をリアルタイムで聞けるのが、本当に嬉しい。
※ちなみに、京都の企業でもあるので、新卒当時は当然任天堂さんにもエントリーしましたが、見事玉砕しました。
任天堂の方、もしこれ見てたらお声がけ下さい。宜しくお願い致します。
なんかカッコいい、結論めいた事を書いて締めたかったけど、ふと思いついてダラダラ書き出した文章だからやっぱり締まらないな。天才じゃない人間のjast ideaなんて、そこはご勘弁願いたい。
言いたい事というか、伝えたいこととして何となく思い浮かんだのが「暗殺教室」って俺の好きな漫画。
この漫画内のセリフに「そもそも人に何かを教えたいと欲する時、大きく分ければ理由は2つしかない。つまり、自分の成功を伝えたい時か、自分の失敗を伝えたい時です。」ってのが出てくる。
一般的に見れば、今のところ、俺の人生はまあそこそこ成功しているように見えると思う。でもやっぱり俺自身は数多くの失敗を経験したと思っていて、失敗を経験したからこそ今までやってこれたのかな、と思ってる。だからもし、俺のこの文章の中に「伝えたいこと」があるとすれば、それは俺が京都大学に入ったとか、有名企業に入ったとかじゃなくて、「もっと早くから環境を作るべきだった」って事かな。
俺の人生の中の「うまくいかなかったこと」に対して、仕方がなかった、どうしようもない、そんな感じの慰めは今まで掃いて捨てるほど貰った。でも俺自身は、自分自身の努力によって、色々なんとかなったんじゃないかと思ってる。誰かが言っていたと思うけど、「後悔」っていうのは、ホントに脳に埋め込まれた時限爆弾だよ。そんなもん抱えて生きるぐらいなら、地雷原に突っ込んで爆発させたほうがマシだと思う。
幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケート、ファミリーコンピュータ...
ちょっとおもしろそう(長すぎて読んでない)だから5回くらいに分けてnoteに投稿して下さい 先生からは以上です
GAFAじゃなくて、GAFA的ってなんだろう。