はてなキーワード: 反グローバリズムとは
告示直後からヌードポスターが話題となる民主主義の終末のような選挙戦。
おそらくN国とつばさの党のおかげで、公職選挙法はより厳しい方向に改正されるだろう。
はてブでは「法律に反していない!表現の自由!(キリッ!」というブコメが多く見られるが、単に日本社会の腐敗が進んだ結果、法の穴をつく輩が増えただけのことである。
「腐敗した社会には、多くの法律がある」というサミュエル・ジョンソン言葉は、まさにこういうことなのだろう。
エクストリーム選挙とは、選挙を利用したエクストリームスポーツの一種である。
過去の開催
東京都知事2020 https://anond.hatelabo.jp/20200612200441
衆議院東京15区補欠選挙 https://anond.hatelabo.jp/20240420021008
なお、2016年の選挙より以下のルール追加により逆転優勝が可能となっている
当選した候補、または供託金返還となった候補が以下の理由により特別賞受賞となった場合は、逆転優勝とする。但し、選挙期間中の逮捕はこれまでどおり失格扱いとなる。該当者が複数いた場合は、当選した候補が優勝として扱われる。
2016年は意外なことに上記のルール適用とならず、上杉隆の優勝が確定となった
2024年東京衆院15区の結果を受けての追加ルール。選挙及び競技自体への攻撃とみなし立候補しても今後は競技参加者とみなされない。
2020年は前熊本県副知事の小野泰輔が9.99%という絶妙な好演技により優勝。高田・桜井・誠は2回連続の準優勝となる。
https://anond.hatelabo.jp/20200706143404
現職都知事・元衆院議員・元環境相・元防衛相。立候補となれば現職3期目の立候補となる。
選挙のたびに学歴詐称問題が出たり、スキャンダルにもならないような醜聞(市区長会の推薦問題)が出るのは小池の人望の無さ故か。15区補選で応援した乙武が大爆死し、圧勝の前回よりは得票を減らす可能性があるものの都知事選は盤石と思われる。もちろんエクストリーム競技にも絡まないなだろう。
ただしそれは正式に立候補した場合。小池百合子は意味不明に政局を荒らしてきた過去があるため、今回も国政転出を理由に不出馬の可能性もゼロではない。
都知事選への立候補自体は何回も取り沙汰されてきたが満を持しての登場。ただし選挙に強かったのは10年以上前の話で、前回の参院選では大幅に票を減らして4位での当選で、なんと共産党の山添拓にも負けている。その選挙での立民+共産+山本太郎の得票数を足せば220万票で当選も見えるものの、小池百合子以上の人望の無さから当然そこまでの得票は見込めず、150万票前後の次点がいいところだろう。
2位じゃだめだんですよ。都知事選は。
前安芸高田市長。維新の会が推薦を模索していたが今回は無所属での立候補。いわゆる小野泰輔ポジションだが、小野ほどの得票は厳しそう(小野と違って評判悪すぎ)。
国政への野心満々の人が踏み台に都知事選を使うのは迷惑なのでやめていただきたい。西村博之・堀江貴文といういつものアレが応援に入る時点で、供託金の返還は厳しいだろう。なんでこんなキングボンビーみたいな人たちに応援頼むんだろうか。エクストリーム競技最有力候補。
元衆院議員。衆院5期勤めたベテラン政治家だが、小林が現役の代議士だったのはもう12年も前で正直過去の人感が強い。エクストリーム競技入賞なるか。
タレント。久しぶりの大物タレント泡沫候補。清水国明といえばブラックバスのリリース裁判が有名。都知事になったら神田川や皇居のお掘りにブラックバスを放流するつもりだろうか?エクストリーム競技でも有力候補である。
名物泡沫候補最後の大物。羽柴誠三秀吉、又吉イエスが鬼籍に入りマック赤坂が引退、中松本人も95歳と高齢での立候補。近年N国やつばさの党など泡沫候補の品質低下もひどかったので、立候補と競技参加は歓迎したい。是非ともエクストリーム競技を優勝し有終の美を飾っていただきたいものである。
元航空幕僚長・参政党顧問で2014年以来の登場。そのときに公選法違反で逮捕・有罪・公民権停止5年となり、今回はその喪明けである。2014年の立候補は12.5%の得票率で「供託金未没収候補者最少得票賞」を受賞。
ただ最大の支援者だった石原慎太郎は鬼籍に入り、やや過去の人感がつよい。15区補選では参政党候補を応援しており、百田尚樹の日本保守党と極右ブロック同士の内ゲバの様相を呈している。
このことから、今回は供託金没収となる可能性が高いのではないだろうか。エクストリーム競技有力候補。
ただし新ルールにより今回同様の結果となった場合は失格永久追放となる。15区補選での選挙違反(選挙妨害)により逮捕勾留中。立候補表明しているものの当選どころか供託金は戻ってこない。収監中のためまともな選挙活動も不可能。少なくとも都知事選期間中は保釈もされないだろう。仮に配下のスタッフが、15区補選と同様の行動を取れば再逮捕もあり得るし、執行猶予なしの実刑もあり得る。おそらくエクストリーム競技最後の登場となるだろう。
日本第一党党首。田母神俊雄など極右候補の乱立で、今回も供託金返還は厳しい.エクストリーム競技入賞はワンちゃんあるか。最近は参政党という反グローバリゼーション反ワクチンの民族派、日本保守党という安倍晋三永世名誉大宰相を御本尊とする清和会勝手別働隊など、極右ブロックも分裂しており単なるレイシストに過ぎない高田桜井誠はやや時代遅れ感が強くなっている。
迷惑系YouTuber。2023年の都議会選で豊島区選挙区から立候補し落選。つばさの党やN国と変わらない輩。
メディアにもウィキペディアにもゲームクリエイターとあるが、現状は職業政治活動家。いわゆるプロ市民というやつである。
数多くのプロ市民を相手に訴訟を起こしている彼からしてみれば不本意だろうが、活動内容はウィキペディアに書いてあるプロ市民の定義そのまんまである。
へずまりゅうとちがい資金力と熱烈な支持者はいるものの、おそらく供託金は戻ってこない。
エクストリーム競技者としては未知数だが、桜井高田誠、ドクター中松より得票できるかは注目。
SF作家、AIエンジニア、スタートアップ創業者。ゲンダイは「天才エンジニア」ともてはやしているが、特に何か目立った実績があるわけではない。おそらく成田悠輔や古市憲寿のポジションを狙って実績作りのための立候補だろう。今後バラエティや情報番組に登場して、炎上狙いの発言をしないか注視が必要。
例によって候補乱立のN国は個別候補の記載は省略する。得票が分散するので供託金どころかエクストリーム競技入賞も厳しいだろう。ていうか、こいつらいじるのもう飽きた。
エクストリーム東京都知事選挙も10周年となる。10年前に比べ泡沫候補もいくつかの傾向に分類できるようになってきたので、ここで定義してみる
都知事選に限らず様々な選挙に登場する選挙マニア。マック赤坂、羽柴誠三秀吉、又吉イエスなど相次いで引退や死去により近年減少傾向。
今回立候補のドクター中松も95歳と超高齢。清水国明が大型新人となるか?
今回の小林興起、2016年の山口敏夫など。なんで今都知事選?となりがち。供託金は戻ってこない。
日本第一党、日本保守党、参政党など。一口に極右と言っても微妙に信条が違う(日本第一党はレイシズム、日本保守党は安倍晋三親衛隊、参政党は反グローバリズムの民族派)ため内ゲバのようなことをやっている。
ただ、2014年の田母神俊雄や2024年衆院東京15区補選の飯山陽のように供託金が戻ってくることもあるのでバカには出来ない。
今回の安野貴博、2014年の家入一真など。デジタル後進国である日本を憂いて立候補するが供託金は戻ってこない。
宮坂学氏のようにビジネスでも政策でも実績がある人はここに含まれない。
N国。つばさの党、へずまりゅう暇空茜など。選挙をビジネスとして捉えており、当選することは二の次である。何らかの理由で警察に捕まっている。
近年動画サイトやSNSを駆使したマネタイズが横行しており、今後の公職選挙法のあり方にも悪影響を与える存在。民主主義と選挙制度のバグとも言える。
今回は自民党の裏金問題が地方選挙にも影響しており、静岡県知事選、港区長選、小田原市長選、鹿沼市長選と連敗中。特に港区と小田原市は現職敗北という惨状。
自民党東京都連会長の萩生田光一(裏金2728万円、役職停止中なのになぜか都連会長)は小池への支持を表明しているが、何もしないほうがマシである。
エクストリーム競技は、今回は逮捕者が出なければいいのだが。エクストリーム競技は正常の選挙が行われて始めて競技になるものなので。
エクストリーム選挙とは、選挙を利用したエクストリームスポーツの一種である。
過去の開催
横浜市長2021 https://anond.hatelabo.jp/20210720210047
東京都知事2020 https://anond.hatelabo.jp/20200612200441
例年は多くの候補者が集まる東京都知事選挙で競技を実施するが、今回の衆院議員補欠選挙東京15区は都知事選挙並の熱戦となったため特別開催となった。
当選した候補、または供託金返還となった候補が以下の理由により特別賞受賞となった場合は、逆転優勝とする。但し、選挙期間中の逮捕はこれまでどおり失格扱いとなる。該当者が複数いた場合は、当選した候補が優勝として扱われる。
東京15区は2021年当選の柿沢未途(江東区挑戦選挙違反)、2017年当選の秋元司(IR汚職)が連続で逮捕されており、2回連続特別ルールによる逆転優勝となっている。
東京都知事選挙以外は競技としての面白さがないためこれまで行われてこなかったが、前職と前々職の相次ぐ逮捕ということにより、衆議院小選挙区の補選としては異例の開催となった。
順番は届け出順
もはや選挙の風物詩となったNHK党。しょっちゅう政党名が変わるため正式な政党名を調べるのもバカバカしい。いまはみんなでつくる党というらしい。オーナーの立花が有罪判決を受けたり東谷義和が逮捕されたり党が破産したりしている。民主主義への挑戦とも言える政党で、こんなのに投票するような人はもう選挙に行かないでほしいとすら思う。
色物としての存在感以外はもはや無いので、供託金は戻ってこないだろう。
当初は自民党からの擁立も取りざたせれていたが、過去の不倫の影響で無所属での立候補となる。意外なことにリベラル的な主張(九条改憲反対、夫婦別姓賛成)にもかかわらず、度々自民党からの擁立が取り沙汰されるのは、単なる権力指向と客寄せパンダ的ねらいだろうか。当選したらおそらく自民入りするだろうが、2022年の参院選の結果を考えると当選は微妙か。小野泰輔ポジション。
近年勢力を拡大しつつある極右政党、参政党。ただし日本の極右的民族主義者の多くは自民党(特に旧清和会)や維新の会に投票するため、影響力は限定的。供託金も戻ってこないだろう。
2019年に逮捕された元職。全てはここから始まった。現在も裁判中で何かが間違って当選しても高い確率で失職して公民権停止となるだろう。そもそも当選どころか供託金が戻ってきた時点で東京15区の選挙民の恥である。ただしエクストリーム競技の優勝候補ではある。
日本維新の会の公認候補。近年参院選の東京選挙区で議席を確保したり、衆院選でも比例区東京ブロックで議席を確保している維新の会だが、近畿ブロック以外での衆議院小選挙区での議席獲得には至っていない。今回の選挙も万博で逆風が吹いており当選は微妙。馬場伸幸は威勢の良いことを言っているが、選挙への影響はないだろう。小野泰輔ポジションその2。
選挙序盤からいきなり他の候補への選挙妨害を行うというS難度演技を披露し、特別賞による優勝候補となる。供託金は戻ってこないだろうし選挙違反による公民権停止もあり得る。へずまりゅう以来の逸材かもしれない。
立憲民主党所属の前江東区議。看護師。対抗馬らしい対抗馬もいないため本来は本命候補として扱うべきなのだが、立憲民主党も存在感はなく選挙自体世紀の凡戦感が漂う。エクストリーム競技とは無縁。
麗澤大学客員教授。日本保守党は百田尚樹により設立された極右政党。党幹部に河村たかし・有本香・北村晴男・竹田恒泰がなお連ねる銀河系軍団(褒めてません)。参政党が反ワクチン反グローバリズムで右翼版れいわ新選組の趣なのに対し、日本保守党は安倍晋三名誉大宰相を御本尊とするカルト宗教と言った趣。当たり前だが供託金は戻ってこないだろう。
前参院議員(立憲民主党)。須藤は参院比例区のため辞職により、当選者の元モー娘。の市井紗耶香が繰り上げ当選となったが辞退したためRAG FAIR奥村が繰り上げ当選となる。この名前の並びだけで非拘束式名簿の悪いところが全部出ている。
主張といいキャラクターといい、れいわ新選組にぴったりな人物だが何故か今回は無所属での立候補。知名度の割に集票は厳しそうで家入一真枠となりそう。エクストリーム競技優勝最有力候補。
ガチのカルト極右候補✗2、N国、収賄事件で裁判中の元職、反ワク、極めつけは他の候補への選挙妨害を撮影して自慢気にSNSに流す輩。思えば又吉イエスや羽柴誠三秀吉やマック赤坂がいた頃のほうがよっぽど平和だった。乙武洋匡がまともに見えるという惨状は本邦の民主主義の末路なのだろうか。東京都知事選や大阪市長選ではこういう光景はよく見られたが、補選とはいえ衆院小選挙区でこの内容は非常に珍しい。外れしかないガチャ感強いが、東京15区の選挙民の皆様は是非懸命な選択をしていただきたい。
親が神真都Q会の構成員になっていたが、まったく悲観していない。オーガニック食品、電磁波除去アイテム……と来れば次は反ワク・反マスクのはずだし、正直慣れてしまっている。
実家にいた頃なら、むしろ喜んで話に付き合っていただろう。「巨大な加害の主体」に敵意が逸れるのは、私にとって利益以外の何ものでもなかった。
自然派・陰謀論のフォロワーに出会う機会は、本業でもボランティアでも何度かあった。1人ひとりの経歴や活動内容もちらと小耳に挟んでいる。
彼ら/彼女らの共通事項として世間が挙げるのは「高齢」「低所得」「低学歴」等だが、私は「被害者意識」に着目したい。
何か社会生活で軋轢が生じた時、特に加害者としてペナルティを受けた時に、その結果だけを見て「自分ひとり理不尽な目に遭った」と考える癖がある。一度被害者意識が芽生えると、予防策あるいは報復の名目で暴力に訴える。その矛先は抵抗される可能性の低い(かつ客観的事実を指摘される恐れのない)近親者に向かい、子や配偶者は慢性的な家庭内暴力に悩まされることになる。
「児童相談所に連れ去られた」なんて話を聞くとうんざりする。筆者はその「連れ去られた子」だ。結局親元に返されたが、おかげさまで心のみならず身体にも後遺症を負うことになった。数年の施設暮らしの後に家に戻ると、産んでくれた人を虐待加害者に仕立て上げる嘘つきと呼ばれた。
あの荒唐無稽なグループが「反西洋医学」「反グローバリズム」の名目で被害者意識を受け止めてくれる間、筆者は殴られずに済む。自宅のベランダから突き落とされることも、押さえつけられて包丁で傷つけられることもない。別居する今でも、金の無心と入通院・服薬拒否を除けば、苦痛を与えられることがない。他の身内が油断してしまい、メンヘラを見捨てるのは可哀そうだからと近親者介護にこだわる弊害はあるのだが……
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あなた達の多くは50歳以上、就労収入はあまりないが時間はいくらでもあり、その余力を使って日本の未来を憂いてくれている。大変有難い。
ここにひとつ、簡単に2019年以前の社会に戻す方法がある。あなた達がもっと労働して税と社会保険料を納める方法だ。死病に罹った時の治療を予め拒んでくれるのも良い。
勝手に若者を代表するのは大変心苦しいが、我々だってこんな窮屈な思いはしたくない。それでも公衆衛生上の危機に対してここまで厳重に対策しなければならないのは、ただ資源を持ち出すだけのあなた達が病気になれば、それぞれに高額な医療費がかかり、財政難どころの話ではなくなるからだ。
コロナが存在しようとするまいと、私たちが支配層の洗脳を受けていようといまいと、その事実だけは動かせない。それでも人命を切り捨てるわけにはいかず、慎重を期す意味で、若者と子どもらは仕方なく現状の対策に耐えている。
あなたらが一言「労働する、あるいは病苦と死を受け入れる」と言ってくれさえすれば、すぐにでもマスクを外せる。ワクチンも打たなくていい。嫌ならせめて、近親者や社会に暴力を振るうのをやめて大人しくしていてね。
横浜市長選挙で山中竹春(立民候補)が勝つと、日本初の女性総理・高市早苗が誕生する。
自民党の重鎮・派閥の幹部たちは「菅・無投票再選」を画策している。
それなら自分たちの権力やポストを維持するために、世代交代を阻止し、菅を担いだ方が良いのだ。
しかし次の選挙で当落線上の若手・中堅議員はたまったものではない。
党内イメージ低下を防ぐため、目立った「菅おろし」はないが、じわじわ動き出している。
菅のお膝元の横浜。
菅の側近である小此木八郎が落選し、山中竹春(立憲推薦)が当選することがあれば、確実に菅義偉は終わる。
側近である小此木八郎は、菅内閣の精神的支柱であり、大臣辞職・横浜市長選は菅にとって痛手だった。
元秘書の市議を林文子陣営につけるなど、当初は林・小此木のどちらが当選しても良いように二股をかけていた菅。
しかし中盤に立憲推薦の山中竹春と小此木が横一線の情勢になると、林を切り捨て、「小此木全面支援」のために動き出した。
自らの選挙区の横浜市で立憲候補が勝てば、菅にとっては広島補欠選挙の何十倍ものダメージだ。「菅では総選挙で勝てない」が明確になり、政治生命が終わる。
石破茂や野田聖子が保守系インフルエンサーから嫌われてるのは有名だが、「稲田朋美、河野太郎、茂木敏充、小泉進次郎」あたりも、もはや反日左翼扱いを受けている。
8月末に河野太郎が出版する政権構想本では、まえがきに「保守とは排外主義ではない」と書くなど反グローバリズムに傾く保守界隈を批判。
持論である再生可能エネルギー推進やインドからのIT人材受け入れなどを主張している。
総裁選公示のタイミングで出版されれば、保守界隈からのバッシングは必至である。
一方の高市早苗は、保守派インフルエンサーが満場一致で推している。
彼らが望んでいるのは「安倍の再登板」であり、それが不可能なら安倍の意を汲んで動く総裁を求めている。
「初の女性総理」の看板で戦えば、就任直後の総選挙で単独過半数を取ることは目に見えている。
8月末の総裁選公示日で、正式に立候補者が出れば、「次の総理」の話題一色になる。
一ヶ月間、自民党がテレビやメディアをジャックし、野党は忘れ去られる。
初の女性総理が誕生すれば支持率は上がり、そのご祝儀ムードの直後に解散総選挙(または衆議院任期満了選挙)が行われる。
何より菅再選を望んでいるのが立憲民主党だ。菅を相手に総選挙を戦えば確実に議席は増え、次の次で政権交代もあり得る。
ここ数日、枝野や安住などの幹部は批判を抑えている。総裁選前に「菅おろし」が起きてほしくないのだ。
本多平直の件以来、「リベラルおじさん」に不信感を持っている私にとって、今は「リベラル政権」よりも「女性総理」を待望している。
保守的な日本で、一番最初に女性総理になるのは保守的な女性しか考えられない。
押し寄せる不法「移民」や中国製品にEUやアメリカ経済が押されている所に米トランプ大統領の登場、イギリスのEU離脱、反グローバリズム、保護主義(排外主義)の盛り上がり
そして軍拡する中国へ反感の機運が盛り上がり掛けていた矢先に中国発のコロナウイルス登場
反中の右派はすかさず事態の原因は「中国の武漢ウイルス」と宣伝する。コロナ騒動の開始だ
移民とか政敵を感染症や病原体になぞらえる修辞の(右派的な)排外主義との親和性はナチスを引き合いに出すまでもなく既知のものだ
当初左派は差別の比喩としての「ウイルス」が持つ意味に反応し批判していたように(少なくとも自分には)思えた
もしトランプが外国から持ち込まれた「チャイナ・ウイルス」の脅威を目ざとく反グローバリズムに利用し感染症の脅威を誇張し不法移民をウイルスになぞらえマスクの着用推進など「社会統制」を強める方に向かえば
反トランプの左派は立場上「トランプ=ナチスからの自由のため」に右派のコロナウイルスの脅威の誇張を指摘し騒動を納める方に向かっただろう
しかしリバタリアニズムの影響かまたは一貫性の欠如の故かトランプはじめ右派はマスクを拒否し統制からの自由を求める
中国のウイルスを強烈に敵視する一方で国内ではウイルスなんてただの風邪だとうそぶき統制を嫌う。
外国からの移民に不寛容な右派が外国からのウイルスには寛容になると言うパラドックス(そしてこれはトランプとナチスとの違いでもある。トランプは快楽主義者であってヒトラーのような禁欲主義者ではないのだ)
このパラドクシカルな状況で、状況を俯瞰するだけの視野を欠いたまま反トランプのスタンスを愚直に貫き論陣を張った左派
いきおいコロナの脅威を誇張する事でトランプの感染対策の無策過失を強調する方向に向かう事になってしまった
右派に加えて左派もトランプ叩きや政権批判のためコロナの脅威を叫ぶようになった
こうして右も左もコロナの恐ろしさを叫びパニックが扇動される結果になった
このパニックを納めようとしているように見えなくもない勢力はホリエモンのようないかにも感じの悪い経済系ネオリベを除きもはやいない
多くの人間が誤解している、それも批判のためにわざと誤解をしているが、いわゆるネトウヨはナショナリストではない。
なぜなら彼らは移民を批判するが、それは反グローバリズムの観点からなされている。特権や生活保護の受給が批判のポイントになってることから見ても、経済的な観点から移民を拒否しているわけで、これは単なるリベラル的な弱者保護であって、その点でいえばネトウヨはリベラルなのである。
そもそもほんとうのナショナリストなら、移民たくさん来い、どんどん日本人になれ、みんな同胞だ、となるはずで、韓国が嫌なら俺んとこに来い、日本は最高だぞ、おっしゃ帰化しろ、と言うのがナショナリストであり、そうじゃないとおかしい。
・反グローバリズム派の言い分
http://skky17.hatenablog.com/entry/2014/08/27/234550
↑上の記事はよく読んでないけど、以下に反論
・グローバルが嫌だの何だの言ってられない。
反グローバリズムで括れるものでもなく、自称のようにファシズムと見るには矛盾が多い。
あえて呼ぶなら、「反ポピュリズム」ではないだろうか。
形骸化し、「草の根」にしろ「人工芝」にしろ、議論を深めるよりは欺き論破することを目指す、
それよりも、まず属する集団を決めるという先入観を脱し、個人の考えを発表し、活動するという行動を勧めているのだ。
山本太郎、雨宮処凛、外山恒一…と例を挙げた左派系の他、右派でも発言力のある人物は、
集団に身を預けることと距離を置き、新しい位置を模索する人ばかりである。
集団のバックアップがないのだから、論理的な「隙」は多くなるが、それでも大樹の陰に寄って発言のインパクトがなくなるより数百倍マシなのだ。
集団への帰属意識の強い人の場合、当人に自覚はなくとも、他者から見れば「集団の末端」と認識され、
個人の意見として受け入れるには抵抗が強いのだろう。
「終わらないで欲しいものが実はもう終わりつつあること」に気付きながらも、なおもダンスを踊ること。だがしかし、それがけっして希望や未来に繋がりはしないこと、一方では完全に分かってしまってもいて、だからそこには明らかに一種のメランコリーが隠されているのだが、では「終わりつつある」が、遂に「終わってしまった」に変わり、そのことをもはや認めざるを得ないのだとしたら、一体どうしたらいいのだろうか?
「当時、彼の書く歌詞や曲の世界は、あまりにも楽観的で表層的だと揶揄されたりもしたが、そこに同時に苦悩と諦念と、それでもなおそれらに何とかして撃ち勝とうとする「強い気持ち」を見出せなければ、彼のことをわかったことにはならないだろう。阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こった年に「さよならなんて云えないよ」と「痛快ウキウキ通り」を発表する人間の、何ともいえない複雑さに気付けなければ。」
去年末あたりから、小沢健二を頻繁に聴いている。一言でいえばハマってしまったのだ。いや、というよりも心酔してしまった、といったほうが正確かもしれない。僕の生活を傍から誰かが覗いてみればおそらく気持ち悪がることだろう。とにかくここ最近は毎日小沢健二漬けだ。自分の生活が、人生が、小沢健二に溢れている。ここには些かの誇張も比喩もない……。
なぜ小沢健二なのか。無論彼の音楽が素晴らしいからで、それは後追いで彼の音楽を知った者としては「今現在聴いても」というような注がどうしても付随するが、事実彼の音楽は全然古びていないし、それどころかむしろいまのほうが当時より一層重要性を帯びているとすら感じられるから、なのか……。そう断言したい気持ちもあるのだけど、自分でもよくわからないというのが率直なところだ。ここでいう当時とは彼の活動が全盛を極めた90年代半ばを指すが、その後彼はメディアから急速に姿を消し、CDのリリースも絶え絶えになる。これは周知の事実。では小沢健二とはいったい何者だったのか/なのか。もちろん彼を過去形で語るのは正しくないし、絶対に間違っているとすら思うけれど、とりあえず90年代の彼の音楽家としての活動とその意義などはひとまず暫定的に総括されて然るべき問題だろうと強く思う。小沢健二はそれぐらい大きな存在だと思うし、その大きに比べると彼は「まだまだ語りきられていない」と思われるのだ。
小沢健二の音楽をリアルタイムではじめて聴いたのは、たぶん「ラブリー」だったと思うし、それ以外はほとんど記憶がない。というのはその当時(94年頃)の僕はまだ小学生で音楽そのものにあまり興味もなかったし、もしあったとしても彼の曲の良さを感受することは出来なかっただろう、おそらくは。そして物心ついた時には彼はすでに音楽の場から遠のいていた。何れにせよ今まで聞き逃してきたわけだ。といっても今までに何度かニアミスはあった。物心ついてそれなりに音楽を嗜むようになり、そのなかには渋谷系と称される音楽もいくつかあり、とりわけ渋谷系と称されるジャンルにおいて小沢健二は中心的な存在だった(はずだ)。だけど、それでもなぜか意識して小沢健二を聴くことはなかった。なぜだろう、とふと考える。というのも、つい最近まで彼のことを意識して考えたことすらほとんどなかったので自分でもよくわからないのだけど、ひとつ思い当たるふしがあるとすれば、それはやはり当時耳にはさんだ「ラブリー」の印象が大きかったからなのだと思う。もちろん、「嫌い」といえるほど彼の音楽やメディアでの振る舞いを見ていたわけではないけれど、それでもやっぱり「ラブリー」のあの底抜けに明るい(今でこそ違う表現ができるのだけど)感じをリアルタイムでは軽薄なものとして受け止めた気がするのだ(いまでも彼の音楽をそういうものとして受け止めている人たちが大勢いる)。だからなんとなく避けてきたというか、ちゃんと聴かなかったのだと思う。そんな僕が小沢健二を意識し、興味を持ったのは、彼が所謂反グローバリズム運動に関わっている(らしい)と聞いたからだった。だからはじめは音楽とは関係ない。いやあんなポップな歌を歌っていた人がそんな活動をしてるんだ、という意外性によるものだから、関係はあるのだけど(そういえばセリーヌに興味を持ったのも彼がべらぼうな反ユダヤ主義者(らしい)と聞いたからだったのだ)。
そんなこんなである日何気なくyoutubeで「ある光」を聴いた。そして一瞬にして胸を打ちぬかれた……。真摯、としか形容することができなかった。そこにあるのはなんの修辞もアイロニーもなく、ただひたすらに真摯で敬虔な歌だったからだ(それゆえになかなか危険な曲だと思う)。そして続けざまに聴いた「ラブリー」で嗚咽した。この「ラブリー」という曲の持つヘビー級の重さに僕は小沢健二という存在が理解できたような気がした。一見とてもポップで底抜けに明るいこの曲のいったいどこがどう重いのか。彼の音楽は多くの人たちから「多幸感溢れる音楽」云々と形容されてきたのだけど、それは正しくない。正確にはこうだ。小沢健二の音楽は多幸症である……。多幸症。そう、これはある種の症状であり、とりわけ「ラブリー」に顕著に見られる明るさは明らかに病的である、と。「ラブリー」にはそういった趣を感じるのだ。小沢健二の音楽を聴くことは、すなわち完全なる多幸症を生きることを含意するといってもいい。
http://anond.hatelabo.jp/20130112143201を書いた者ですが。
hokusyu
Apeman
原則として増田は相手にしないんだけど、「はてサ」って言いたがるやつが実のところはてサの主張なんて全然フォローしてないことを如実に示す資料として。内田樹を「深イイ話」? バカか? 2013/01/13
他にも「内田樹は左翼じゃない」「むしろ右翼」みたいな反応が多くて正直驚きましたね。
護憲、労働者保護、反グローバリズム、脱原発、教育基本法改正反対、米軍基地反対、死刑制度反対、反自民・維新、生活保護強化、等々、彼の主張ってほぼすべて左翼的じゃないですか。
これってすごくないですか?
何かニュアンスの違いや言い回しの違いで「あんなの左翼じゃないから」とか「うちらとは違う」とか。
それで本気で社会を変える気があるの?
http://anond.hatelabo.jp/20120619092231
http://anond.hatelabo.jp/20120620163842
ラガルドIMF専務理事がギリシャ人は脱税ばかりしていると批判した時、日本のウェブでの反応は、ほとんど「その通りじゃないか、ギリシャ人はいい加減だ」というものばかりでした。英語圏のニュースサイトでは、もちろんギリシャを罵倒するコメントもあったのですが、それよりもずっと多かったのはギリシャを国際金融の犠牲者と見なし、短絡的なラガルドを批判する、いわゆる反ウォール街・反グローバリズムの視点からのIMF批判でした。返し刀で、IMF専務理事の特権を活用してラガルドが税金をほとんど収めていないことがスクープとして明らかになり、海外のニュースサイトでは大きく取り上げられたのですが、これなども、反ウォール街の文脈があればこそ、そういうネタを発掘する力学が働いたものと思われます。
こういうのを見ていると、日本は良くも悪くも「国民国家」なのだなあと感じます。海外では「国境」が流動化し、その分だけ、「階級」がより鮮明な存在感を持ちつつあるようです。日本も本当はそうなのかもしれません。多くの人が気づいていないだけで。
ギリシャ危機も始まってから結構長く時間がたっています。私も最初は、ギリシャ政府の行為、ギリシャの国民性が問題だと考えていました。そこに問題があるのではないと思うようになったのは、この危機の様相が次第次第に変化していったからです。
ギリシャ政府の負債比率の虚偽報告があり、それが明るみになって、信用不安から流動性の不足が生じました。この時点では因果関係は単線的で、ギリシャに原因があるのは明らかでした。
しかし、事態は波及していきました。イタリアのようにプライマリーバランスが黒字で、なおかつ流動性が不足するのは異常な事態です。債務比率も決して高くはない国々も流動性の危機に直面し、対症療法として緊縮財政をとっていますが、それだけではどうにもならず産業競争力、つまり貿易収支を改善しなければならないという話になっています。
この危機が、単に一時的な事件を契機とした信用不安、流動性の不足が原因でないことはもはや明らかです。
それは通貨ユーロと、財政の不統一というEUの構造的な問題に由来していることはだれの目にもはっきりとしてきました。
ギリシャには多々、問題があるのは確かです。確かですが、それが危機の原因ではないのです。もちろん、ギリシャがドイツのような、尋常ならざる財政均衡への執念を持ち合わせていれば、この危機でギリシャがターゲットにされることはなかったかも知れません。しかし仮に、プライマリーバランスの黒字を維持していたとしてもイタリアやスペインのように、危機に陥ったかも知れません。
構造的な原因としては、バブル化した資本のサプライサイドの問題があり、こうした事態が発生した時に機能的に動けないユーロゾーンの問題があります。
ギリシャが悪い、ドイツが悪いと他人事のように言っていますが、忘れてはならないのは日本は世界最大の債権国だということです。米国債ばかりを買っているわけではありません。80年代バブルを引き起こしたのとまったく同じ資本が、円キャリートレードでゼロ年代に世界的なバブルを引き起こした可能性が強いと私は見ています。
日本の機関投資家や金融機関がサブプライムローンのような質の悪い債権や、ギリシャ債のような信用力の劣る債権を保有している度合いはごく小さいのですが、そう言われて、リーマンショックの時に、比較的被害が少ないだろうと予想されていながらもっとも手ひどく日本が損失を被ったことを忘れてはなりません。
金融セクターは投資をしないと生きていけないのです。この簡単な事実を思い起こす必要があり、そして日本は世界最大の債権国なのです。さまざまなルートを通して、日本資本は世界市場に供給されています。ドイツの銀行が、フランスの銀行が、ギリシャをそそのかした、アメリカの証券会社がギリシャに不正を行わせた、けしからんと言いながら、その資本の出どころは元をたどれば日本である可能性が高いのですよ。
ギリシャ人は先の選挙で、より穏健な路線を選択してくれました。危機はこれで終わりではありませんが、とりあえず、私たち日本人は彼らに感謝すべきだと思います。
今回の選択がギリシャ人にとってどれほど苦渋に満ちたものだったか、想像してみるべきでしょう。
国家会計の不正を行ったのはNDです。PASOKはそれを暴いたのですが、やり方が拙すぎて危機を発生させてしまいました。ギリシャ人が「政治家が悪い」と言う時、具体的に念頭にあるのはNDとPASOKの旧二大政党です。不正を行ったと目される政治家がのうのうと今なお議席を維持しています。怒り、憎悪が満ち満ちて当然ですが、それでも穏健路線のために、ぐっとこらえてギリシャ国民の多数は敢えて、NDを再び政権党につけました。彼らなりの正義の感覚を曲げてでも、国際協調路線を選択したのです。
これは大きな譲歩であると言うべきです。
オーストラリアは医療関係者をオーストラリアに移住させるべく大規模な勧誘を行っています。もう半年以上も給与が支払われていない状況では、さらに半年、ふみとどまれる医療関係者は少ないでしょう。ご存知のとおり、医者ひとり、看護士ひとり、薬剤師ひとりを養成するためには莫大な投資が必要になります。ギリシャがこれまで行ってきた投資の成果を、労せずしてオーストラリアは手に入れるでしょう。個人の移動の自由といえば聞こえはいいですがこれは形を変えた収奪です。社会資本のごく基本である医療の崩壊は目前に迫っています。
ギリシャがプライマリーバランスの黒字を達成するまで、どこまでの収縮がこの先必要になるのでしょうか。
この先、ギリシャのみならず、南欧、ひょっとしたらフランスでも、社会資本の劇的な崩壊に至るかも知れません。メルケルが態度を変えない限りいずれはそうなるでしょうし、そうなれば、EU市民権を持つ彼らはドイツに流入するでしょう。その時になってやっと、ドイツ国民も譲歩を真剣に考慮するのかも知れません。