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2021-04-02

コロナ禍2年目の大学2年生の嘆き

 想像力のある方々なら、内容はタイトルからおおよそ察せられるものと思う。この手の話はテレビ新聞ラジオSNSその他媒体で散々語り尽くされてきたものからだ。

 はじめに少々長い前置きをさせてもらおう。

 私は人との比較の上では少なくとも「苦しんではいない」。というのは、コロナ禍が始まってからも特段生活には困っていないからだ。家庭の収入が少なからず減ったりはしているし、出かけられる機会も減ったりしている。けれども、出費を切り詰めないといけないほどに家計が逼迫しているわけではないし、人間関係が修復不可能なほどに壊れて絶望的に孤独なわけでもない。ましてや、留学生の方々のように故郷へ帰るための道を断たれたわけでもない。私は、コロナ失業した人も知っているし、帰国できなくなった留学生の方も知っている。元々生活の困窮していた人が、更に困窮して居場所を追われる状況になっていることも知っている。彼らの心中を察するに、私の苦しみなど所詮は道端の糞ほどにも意味をなさないだろう。反対に、私とは違って全く苦しんでいない人も或いはあるかもしれない。

 ともあれ、ここで敢えて一つ言わせて頂きたいことがある。この記事目的は「私の苦しみが他者のそれを上回る」ことを主張することにはないし、その認識を持つつもりは少なくともない。仮に「私より苦しんでいない人」を想定したとして、その人に牙をむくことはこの記事目的にはない。考えは未だまとまっていないし、書きながら自己矛盾を感じているところもある(矛盾を見つけても指摘するだけ無駄かも知れません)。しかしながら、先に述べたような悪意があるわけではないことを、頭の片隅に置いて読んでいただきたい。

 ニュース新聞SNSなどを通じて、皆が苦しんでいる状況にあることは知っているつもりだ。身の回り家族、友人、知り合いが苦しんでいることも知っている。身の回り他者自分の苦しみという重荷を更に背負わせないためにも今まで沈黙してきた。皆が苦しむ中で、自分の苦しみが苦しみとして認めてもらえないんじゃないか、そういう思いも大きかった。もしかしたら、自分の苦しみを認めたくない自分いたことが一番大きかったのかもしれない。

 他者との比較を求めるものでないことは先述した。ここに記すのはあくまで「私の苦しみ」であって、世間一般大学生通用する苦しみではないかもしれない。繰り返し、「私の苦しみ」であって、他者のを上回るものでもないし、反対に他者否定できうるものでもないことを述べておく。

 長くなったが、前置きはここまで。

[人間関係などに関して]

 2020年の春に現役で無事第一志望の大学入学した。しかしながら、周知の通り、そこで待っていたのは世間一般の思い描くキャンパスライフではなく、完全オンラインの「大学生活」だった。終日自室にこもって講義を受け、レポートを書き、深夜帯までデータベース上の論文を読み漁り、ひたすら思索に耽る(後ろ2つについては、本気の学問をできる環境の整った大学なので、対面だったとしても似通ったものだったとは思う)。特に堪えたのは、初年次のクラスメイトとの顔合わせすらもオンラインだったことだ。知らない人達と急に向き合わされる上に、他の人の画面に常に自分の顔が映っているという状況、楽しむことが強いられているように感じて終始作り笑いをしながら耐えていた。酷く疲弊した。かなりの労力を費やしたが、教室のそれとは違って個々人で話す機会もなく、仲良くなれた人はいなかった。他の少人数講義も似たような状況であった。唯一、ゼミ形式過酷講義グループワークをする中で多少仲良くなった人はいるが、会えない中で関係を維持することはできなかった。

 感染者の減った夏から秋ごろにかけて、少しだけ対面のサークル活動(運動系)ができた。回数は減らされ、条件付きで練習も認められた。複数受けた少人数講義も、合計でたった20回程度ではあるが対面で実施された。少々語らうことはあったが、教室で話すなとのお達しもあり、あまり話すこともできなかった。キャンパスが自宅から遠いこともあり、あまり会うこともできず、サークルでも少人数講義でもそれほど仲良くなった人はいない。

 臆せずに会いに行けばいいという人もあるかも知れないが、それができないから困っているのだ。昼夜問わず会食はできないし、気軽に家に上がることもできない。自分が出歩いて感染したくないというのも勿論あるが、問題はその先だ。例えば、感染したことサークル活動長期間停止されるかも知れない。或いは、他の人が楽しみにしていた対面授業の機会を奪うことになるかも知れない(言わずもがな医療にも負担を強いることになる)。自分一人が自由に出歩くことが他人の首を絞めることになりうる。反対に他者が好き勝手に動き回った結果として自分の首が絞められることもあるかも知れない。出かけたとして咎められはしないだろうが、それができない。手足を縛られて動けない。そんな状況にある。これは何も人間関係に限った話ではなく、以前はアウトドア趣味だったのだがそちらにも足が向かなくなった。理由は同じだ。

[「可哀想」と語ることの無意味]

 入学以来たびたび言われるのが、「せっかく入学したのに大学に行けなくて可哀想だ」「対面授業少なくて残念だね」「せっかくサークルに入ったのに活動少なくて残念だね」「新しい人間関係ができなくて可哀想」…(以下略)といった内容のものだ。要するに世に言うところの「キャンパスライフ」がないことを憐んでくれるわけだ。正直言ってこの言葉には腹が立って仕方がない。憐んでくれたところで、その言葉によって大元の原因が霧消してくれるわけではないし、状況は少しも動かない。医療という、か細い一本の柱に寄りかかって生きている今日現在にあって、ワクチンが普及したり、治療薬が完成したりしない限りにおいて、「キャンパスライフ」の実現可能性はほぼゼロである。この状況にあって、憐れみを述べる言葉意味を少しも意味をなさない。ましてや「小中高や会社が(条件つきながら)通常営業できている中で、大学生だけ社会的に抑圧されているのはおかしい」と擁護論陣を張ってくれたところで、待っているのは徒労だけである

 この手の話は、旱魃や凶作、飢えや渇きに苦しむ人に対して、殊更に強調して水や食料の美味しさを説くことに等しい。私の下の代やその下の代の頃には「キャンパスライフ」は可能かも知れない。しかしながら、既に4分の1が消し飛んだ今、私の卒業まで三年弱という状況にあって、その望みは薄いように感じる。自分が何をどうしようが手に入らなそうなもの美徳を説かれたところで気分が悪くなるだけだ。憐憫を垂れてくれる必要はないし、そういうことはしてほしくない。今、私が手に入れることができるのは、大学生活の亜種だけであって「キャンパスライフ」ではない。今できることに取り組もうとする人間に対して、今後できそうにもないことを押し付けるのは是非ともやめていただきたい。

[無為生活]

 オンライン中心での大学生活における大きな悩みの一つとして、「無為」な生活になってしまうことが挙げられる。「モラトリアムなのだからそれでいいのでは?」と言う人もいるかも知れない。しかし、これは何も自堕落生活を送ることを指すのではなくて、「大学4年間で頑張ったこと」が何もない状況に陥りそうだと言っているのだ。自室に籠る生活を続ける中で読みたい本、読む必要のある本、多くの文字資料を読んできた。資料をたどりながら、学問的な問題社会問題についても自分なりに考えを深めてきた。内的には少しだけ豊かになったかも知れない。けれども外的なものが何一つない。活動制限される今、これを自分は頑張ったんだと言い切れるようなもの(サークルバイトインターン学業面での功績等々)はまだ何もない(学業はこれからではあるが……。バイト最近始めたが見つけるのにかなり苦労した)。頑張ったこと、熱心に打ち込んだことが欲しいと言うのは単に自分気持ち問題であって、就職のために必要としているわけではないけれども、面接官に「大学生活で何を頑張りましたか」と訊かれた時には、「大学生活などというものは無いに等しかった」と答えて離席するかも知れない。或いは面接官を殴らずにはいられないかも知れない。

 この生活の中では、目標も失ってしまったし、舵取りも上手にはできない。と言うのも、目標となるような存在出会う機会に乏しく、手に入る情報もとにかく少ないからだ。小中高の教室、或いは大学研究室でもいいから、とにかくそこを思い浮かべてほしい。手本になるような人物、或いは反対に悪例となるような人物はいなかっただろうか?恩師、友人、同期、後輩、先輩、誰であれ少なから自分生き方の参考になるような人がいたはずだ。オンライン化されたことの一番手痛い問題として、そうした道標が失われてしまたこともあるのかも知れない。兎にも角にも、抜け出そうとあがきながらも、未だ無為生活している。(これを努力不足と言おうとすることがあらば、それは見当違いというものである。)

[肥大する被害者意識]

 一年が経過して大学2年になった。もう後輩が入学してくる時期となってしまった。諸用でキャンパスに行くと手続きに臨む新入生の列を見かける。SNS上では眩しいほどに希望に満ち溢れた姿を見たりもする。羨望を通り越して嫉妬してしまいそうなほどである。一方で「対面授業が少ないではないか」という声を聞いたりもする。「こんな世情にあって贅沢言ってるんじゃないよ」と言おうとして、すんでのところで踏みとどまる。対面形式講義を沢山受けてきた諸先輩方や、コロナ禍にあっても高校で対面授業があった新入生にとっては理解し難いことかも知れない。比較しないように努めていながらも、どこかで強烈な被害者意識が渦巻いている。他者自分の苦しみを味わせたいわけでは無いけれども、どこかでそれを求めているように感じてしまう。パワハラ上司はこうやって再生産されるのかも知れないなと思いながら、なんとか発言を飲み込んで止まっている。

 ざっとこんな感じだろうか。筆をとる中で少々整理されたような気もしなくもない。繰り返し、他者に牙をむくことや、他者の苦しみと比較して変な優越感に浸ることはこの記事の本意ではない。もしそう感じられる内容があるのだとすれば、私の言語能力限界ゆえ、或いは私の未熟さゆであると思っていただきたい。

2020-07-31

私が言わなくても他の人たちが100万回くらい言ってそうだけど、望まれないにせよ妊娠できる身体を持ってる人たちを妬ましく思う気持ち不謹慎でしょうか。

水害で苦しむ人たちに旱魃で苦しむ人の気持ち理解できないし逆もまたしかりだとしたら、私は私に固有のこの苦しみ以外を慮ってやる理由なんてない。

お互い永遠に平行線のまま一生交わらないのが双方にとっての一番の幸せだ、いつもと全く変わらない結論にいたった私はそっとブラウザを閉じた。

2020-03-28

百年に一度の危機

百年に一度の疫病

百年に一度の地震

百年に一度の噴火

百年に一度の台風

百年に一度の洪水

百年に一度の旱魃

百年に一度の事故

百年に一度の誤作動

2020-03-25

地震、水害、台風、疫病と起こったので、残るのは旱魃噴火くらいだな。

まあ、噴火は前からずっとどこかで噴火しているから、富士山級でないとこれまでの災害とは並ばない。

2019-10-22

冒険者ギルドができるまで

冒険者ギルドができるまで、魔物退治の仕事冒険者と村人の間で自由報酬が決められていた

その村では、かつて夏の長雨のあと、吸血羽虫のモンスター大量発生に悩まされていた

ある日若い男の冒険者がふらっと現れ、アースノーマットの魔法を使ってモンスターを一夜のうちに退治した

男は「僕のいた世界では普通のことです」「報酬なんかいりませんよ」などと言い、報酬を受け取ろうとしなかった。村人はみな喜んだ

 

それから数年たち、村では冬の旱魃のあと、バケネズミモンスター大量発生に悩まされた

その時現れた冒険者は、村のモンスター退治の報酬として帽子一杯の金貨要求した

結果その冒険者魔法の笛の魔力を使い一夜のうちにモンスターを退治した

だが、夏の長雨の時の冒険者の無欲を思い出した村人は

報酬を払う時期になって文句を言い出した

 

「前の冒険者無償でやってくれたのに」

「対して苦労もせずに仕事をやってのけ、多くの報酬を望むなんてひどい」

冒険者は何も受け取らず立ち去るしかなかった

 

悲劇はしばらく後の冬の朝に起こった

報酬の代わりを受け取りに来た」

冬の冒険者はそう言うと魔法の笛を使い村中の子供を連れ去り、東の地へと消えていった

村人たちは深く悲しみ、ニュースは国中に広まった

 

この話の教訓はこうだ

人はある仕事にかかる準備や技能習得コストを正しく計ることができない

無償で、あるいは廉価でやってくれた仕事記憶が残ると、その経験コスト計算基準になり

結果として価格の叩き合い合戦となり、市場は荒れ果ててしま

この事例の結果を重く見た全国の冒険者は、仕事報酬バランスを正しく決めるようギルドを制定し

報酬が適正な値になるよう調整することになった

 

自由市場デフレ合戦犠牲となった村には

このような碑文が建てられ、今の時代にも教訓を残している

聖ヨハネパウロ記念日

色とりどりの衣装で着飾った笛吹き男に

130人の子供らが誘い出され

コッペンの近くの処刑場所でいなくなった

2018-09-30

日本師弟関係がなぜ理不尽暴力的になるのかについての覚え書き

身毒丸』について検索していた時に見つけた、

折口信夫への旅 第1部 ~小説身毒丸」をめぐって(歌舞伎批評家山本吉之助)

http://www.kabukisk.com/geitohito33.htm

という折口信夫身毒丸解説文の中に、日本師弟関係がなぜ理不尽暴力的になるのかについての興味深い示唆があったので、

もしかして既によく知られていることかもしれないが、自分は初めて知ったので、覚え書きとして残しておこうと思う。


日本師弟関係

最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。

例えば最も古い感情を残している文楽座人形遣いなど、少しの手落ちを咎めて、弟子を蹴飛ばしたり、三味線弾きは撥で殴りつけたりした。

そういうことは以前はよくあった。そうした躾を経ないでは一人前になれないと考えられてきたのです。

なぜ、そうした、今日の人には無理だなと思われるような教育法が行なわれてきたかということが問題になります。(中略)

それはある年齢に達した時に通らねばならない関門なのです。(中略)

子供または弟子能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』

折口信夫座談会日本文化の流れ」・昭和24年12月)


■例えば…

七月に入り一座は泉州のある村の盆踊りに迎えられますが、源内法師は身毒丸の踊りに若い女たちの面貌がチラついていることを認めて、その晩、師匠身毒丸自分の部屋に引きずっていって「龍女成仏品」に一巻を渡し「芸道のため、御仏のため、心を断つ斧だと思って、血書するのだ」と厳しく命じます

しかし、出来上がったものを持っていく度に師匠はこれを引き裂きます

「人を恨むじゃないぞ。危ない傘飛びの場合を考えてみろ。もし女の姿がちょっとでもそちの目に浮かんだが最後、真っさかさまだ」と師匠は言います

身毒丸は血を流しながら一心不乱に写経を続けますが、身毒丸脳裏には彼の踊りに熱狂する若い女たちの面貌がなかなか離れません。

一心不乱に写経を続ける身毒丸の姿を見ているうちに師匠の頬にも涙が流れてきて、五度目の写経を見た時には師匠にも怒る気力は失なわれていました。


春琴の教え方は 非常に厳しく、

あかんかかん、弾けるまで夜通しかたかて遣りや」と佐助を激しく叱咤し、

時には「阿呆、何で覚えられんねん」と罵りながら撥で頭を殴り、佐助がしくしく泣き出すこともしばしばであったと云います


芸道小説としての「春琴抄」~谷崎潤一郎・「春琴抄」論

http://www.kabukisk.com/geitohito72.htm


『昔は遊芸を仕込むにも火の出るような凄じい稽古をつけ往々弟子に体刑を加えることがあったのは人のよく知る通りである

本年〔昭和八年〕二月十二日の大阪朝日新聞日曜のページに「人形浄瑠璃の血まみれ修業」と題して小倉敬二君が書いている記事を見るに、


摂津大掾亡き後の名人三代目越路太夫の眉間には大きな傷痕が三日月型に残っていた

それは師匠豊沢団七から「いつになったら覚えるのか」と撥で突き倒された記念であるという


また文楽座人形使い吉田玉次郎の後頭部にも同じような傷痕がある

玉次郎若かりし頃「阿波鳴門」で彼の師匠大名人吉玉造が捕り物の場の十郎兵衛を使い玉次郎がその人形の足を使った、

その時キット極まるべき十郎兵衛の足がいかにしても師匠玉造の気に入るように使えない

阿呆め」というなり立廻りに使っていた本身の刀でいきなり後頭部をガンとやられたその刀痕が今も消えずにいるのである


しかも玉次郎を殴った玉造もかつて師匠金四のために十郎兵衛の人形をもって頭を叩き割られ人形が血で真赤に染まった。

彼はその血だらけになって砕け飛んだ人形の足を師匠に請うて貰い受け真綿にくるみ白木の箱に収めて、時々取り出しては慈母の霊前に額ずくがごとく礼拝した

「この人形折檻がなかったら自分は一生凡々たる芸人の末で終ったかも知れない」としばしば泣いて人に語った。』

谷崎潤一郎:「春琴抄」)


日本古代の、理不尽に怒る神と無辜民衆との関係

自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」という強い思いです。その場合・何に対して彼は意地を張るのかということが問題になります

世間に対して意地を張る場合もあると思いますが、あるいは神に対してという場合があるかも知れません。


ここで神に対して意地を張るということは、神に反抗するという意味ではないのです。

そのように考えるのは近代人の捉え方でして、古代人の場合には絶対者である神に対して反抗するという発想は考えられ ません。

自分に対する神の仕打ちが不当であると感じた時に、古代人は自らの清らかさを神に示すように控え入るのです。

「神よ、この清い私を見てくれ」というようにです。

まり表面 上は畏れ入っているのですが、内心には自分に対する神の仕打ちは不当であるという強い思いがあるように思えます

(中略)

神に対して自分が清い(あるいは正しい)ということを示そうという気持ちを失ってしまえばそれは不信仰ということになります

から理不尽な神の仕打ちに耐えて・彼がそれでもひたすらに生き続けることは「神よ、この清い私を見てくれ」ということになるのです。

それは神に対して意地を張るということでもあ ります


折口信夫座談会神道キリスト教」において次のようなことを語っています

折口は憤りを発することが日本の神の本質であるします。

神の憤りとは人間がいけないからその罰として神が発するものではなく、神がその憤りを発する理由がどこまでも分からない。

神がなぜ祟るのかその理由が分からない。

このことが重要である折口は言うのです。


神が憤るのは人間がいけないからだ・人間が何か悪いことをしたから神が怒ったに違いないと考えるのは、道徳倫理が完成した後の時代の人々の感じ方なのです。

既成の道徳基準があれば、人々はそれに照らし合わせて・神がこれほど怒ったのにはこんな理由があったに違いないと後で納得できる説明を付けようとします。

しかし、道徳がまだ成立していなかった古代人には照らし合わせるべき倫理基準などまだなかったのですから、人々には神が怒る理由など全然想像が付きませんでした。

古代人にとって神の怒りは唐突で・理不尽で、ただただ無慈悲ものに思えたのです。


『神の怒りに当たることと言う怖れが古代人の心を美しくした』(折口信夫・「道徳研究」・昭和29年)


古代人にとって神の怒りはただただ理不尽ものでした。

そのような理不尽な怒りを神はしばしば・しか唐突に発しました。

例えば地震台風洪水旱魃・冷害などの自然災害がそのようなものです。


このような時に古代人は神の怒りをみずからの憤りで以って受け止めたのです。

みずからの憤りを自分の内部に封じ込めて黙りました。ただひたすらに耐えたのです。

そうすることで古代の人々はみずからの心を倫理的に研ぎ澄ましていったのです。

「神よ、この清い私を見てくれ」と言うかのように。


古代人の 生活というものは、風雪災害飢饉病気など、現代人が想像するよりもずっと過酷で・辛く厳しいものであったということなのです。

そのような時に古代人は神の理不尽かつ無慈悲な怒りを強く感じたのですが、そこをグッと持ち耐えて自己を深い内省と滅却に置くことはまこと殉教者以上の経験したことになるのです。

折口はそのような過程から道徳のようなものが生まれて来ると考えました。


貴種流離譚というもの民衆に与えた印象というものは「身分の高い人が落ちぶれて哀れな姿になって・・」というものでは決してないのです。

民衆貴種流離譚に見たものは神の与えた理不尽かつ過酷な試練に従順に耐える殉教者の姿なのであり、それは過酷な生のなかに生きる民衆自身の姿と も自然に重なって来るわけです。

民衆貴種流離譚を愛したのはそれゆえなのです。


神は別に何もするわけではないのです。

しかし、神がたまらなさを感じて涙を流してくれるならば無辜贖罪者は何かしら救われることになる・ 実はそのことだけで十分なのです。

これが古代人が神に対する時の態度です。


源内法師は身毒丸無慈悲折檻を強いながら、それに抵抗することなく・懸命に師の言いつけを実行しようとする身毒丸の健気さ・ひたむきさのなかに無辜殉教者の姿を見たのです。


最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。

まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。(中略)

子供または弟子能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。

それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』

折口信夫座談会日本文化の流れ」・昭和24年12月)


折口がこのように語る時、折口日本伝来の師弟関係なかに理不尽に怒る神と・神を信じてその仕打ちに黙々と耐える無辜民衆絶対的関係をそこに重ねて見ているのです。


神はしばしば理不尽な怒りを発して、我々に謂れのないひどい仕打ちします。

我々には神の意図することがまったく理解できません。それはただただ理不尽ものに思えます

しかし、それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩むということことです。

過酷仕打ちを受けてもなお神を信じて神に従う人を見る時、神はそのような人々に対して賜らない愛おしさを覚えるであろう。慈悲の涙を流してくれるであろう。願わくば我々を悲嘆のなかから救い上げてくれるであろうということです。

折口はそのような気持ちから道徳のようなものが生まれてくるというのです。


そこには正しいとか・間違っているという倫理基準など存在しません。

善とか悪というのは道徳が成立した以後にある基準なのです。

あるとするならばそれは「清い」とか・「清くない」という感覚的(あるいは生理的な)基準です。


源内法師と身毒丸理不尽に怒る神と無辜民衆との関係無意識のうちになぞっていることになります


まり


神の理不尽な怒り(地震台風洪水旱魃・冷害や飢饉病気など)

→「自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」と思う

→それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩む

 「神よ、この清い私を見てくれ」


これが、古代の神と民衆関係であり、師弟関係はこれをなぞっていると。


なるほど、自分がそういう目にあうのはいやだけど、ドラマ物語で接するとなんとなく納得してしまうのは、そういう古代から宗教的感覚が今も心の中にあるからなのかもしれない。

2017-09-12

北朝鮮国民飢餓に苦しんでいるというのは20年前のお話だよ

anond:20170912210731

北朝鮮20世紀末に大飢饉に襲われ多くの餓死者を出した。その頃は日本メディアでも頻繁に報道され、我々の北朝鮮イメージはその頃で固定されてしまっていると思う。元増田もそのイメージのままなのではないだろうか。

北朝鮮だってその後手をこまねいていたわけではなく、年々農業生産能力を向上させている。2006年核実験の頃には輸入や援助が完全ストップしても何とかなるくらいには回復していたらしい。

農業生産量については国連に素直に信じて良いのかわからない数値が年1回報告がなされるだけで謎に包まれている。1990年代飢饉以前は単位面積あたりで見ると、世界で最高に生産性の高い国を上回る量を報告していた。飢饉になってからは援助を引き出すために一気にその量を減らした。そして今はまた実際よりも多い量を報告していると見られている。そういう研究衛星からリモートセンシングなどを使って韓国シンクタンクが行っている。その分析結果の報道英語圏でもめったにないし、日本では多分全く無いのではないだろうか。日本語では救う会ホームページが一番詳しかった。

一昨年の春、北朝鮮での旱魃報道日本でも割とされていたが、その年は後半が豊作で、通年で見たらまあまあだったという。後半の豊作の報道日本国内で全く無かった。去年も春先に旱魃が発生していたが、その後どうなったか報道は見ていない。

農業生産量の改善については金正恩になってから特に改善が著しいらしい。もともとたいして工夫されていなかったので灌漑用の池を作ったり、肥料流通を良くしたりしただけでかなりの改善が見られるという。あと金正恩は農家が収穫の一定割合自分のものにできるようにしたとかで、農家のやる気を引き出しているのだそうな。

2年前、韓国シンクタンクは全国民を養うのに十分な生産量には1割ほど足りないが、輸入が全量ストップしても困るほどではないという感じの見立てをしていた記憶がある。中国から肥料の輸入が止まると困るかもしれないという分析もあったかも。

さすがうろ覚えうろ覚えでこのエントリ結構間違ってたので詳しくは
最新ニュース

2017-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20170310143520

水資源森林資源価値を軽視する人が本当に多いけど、

この2つが豊かなおかげで農業生産性が高く、大人口を養えて、そこから文明が発達するんだから

前近代資源の中では一番価値の高い資源と言っていい。

その証拠に、大文明が滅んだ地域は大抵森林資源の枯渇や砂漠化引き起こしてる。

日本江戸時代後期には人口3000万人を養いながら寒冷期に突入して禿山を増やしてた。

化学肥料発明がもう少し遅れてたら今の日本はなかったかもしれない。


平野の少なさも農機のない時代にはそれほど大きな障害じゃない。

そもそも開拓必要な余剰労働力がないと開拓できないし、そっちがネックになることの方が多かったはず。

労働力を増やすには農業生産性改善必要で、農具の刃に必要鉄鉱石も、鉄の生産必要な大量の木材燃料も日本豊富

自然災害は確かに多いけど、山がちな島国から旱魃比較的少ないと思う。

こういう感じで前近代までの農業事情は相当有利で、前近代まではほぼ農業生産高で国力が決まる。

住んでいる人々はほぼ単一民族使用言語も同じ、

前近代の話をするのに、東日本に住んでいたアイヌ人とアイヌ語を滅ぼしたことを忘れてはいけない。

 
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