美味しいと思えるお菓子を何度も作っては食って確かめて、ってのを文字通り身を以て証明している感がある。
見てて面白いというか、うわっ分かるわ感がエグくてちょっと辛かった。
なんつーか、一般的な真理を突きつけられるんだが、その中で生きていけない奴の話で、社会人でやってきて悩んでいた自分と結構合致した。
会社に居てどう仕事するかは分かっているんだが、それを頭が拒否りやがる。みんなのやり方が正しいんだが、自分のやり方が最後には勝ってイライラされる。
自分のやり方を曲げないから頑固に映る。そうじゃなくて単なるアスペなんだけどね。合わせたいけど、時間と共に自我がひどく出てくるんだわ。
金閣寺の主人公はどうにか折り合いをつける決心をして話は終わるけど、その後続いたかどうかは分からない。
最近ひどいことなかれ主義な現場に立ち会って、酷く憤っていたけども、逆にそれで周りに不快な思いをさせたらしい。
面倒くせーなーと思う。もっとみんなと同じこと出来たらなぁとも思う。
レースカーテンはホムセンとかネット通販あたりでふつうの一番シンプルなやつが
「外からは中が見えにくくて中からは外が見える」になると思う。
語弊があって申し訳ない…
あの話題で話したかった「しっかり」があくまでもああいう定義で
大学無事に卒業して就職して奨学金返しているだけでなく、結婚して家建てているのって十分しっかり生きている人だと思います。
色々決断してきて地に足ついてる人なんだろうなと
気分害してごめんなさい。
非夢垢を用意するのは?
「非夢BLを夢的に楽しんだ」ことを表明しなければ(その作者に伝わらなければ)、たとえ真実だとしても増田が「非夢BLを夢的に楽しんだ」事実は残らないと思う。
そして、プラットフォームがわからないので何とも言えないが、現在の公開情報(ブックマークや閲覧の履歴など)から楽しみ方を類推されることもはばかられるなら、先に言ったように非夢垢を用意するなり、垢なしで読むなり。
書き手に回るときこそ、非夢垢を用意して、あたかも非夢者であるかのようにふるまえばよい。
非夢者としての交流が難しければ、交流を排す。更新情報を告知するだけのツイッターにするとか、そもそも交流系のアカウントを持たないとか。
「夢」にまつわる情報を公開しないまま腐女子としてふるまえば、それは表向きは非夢腐女子ではないだろうか。
読み手にしろ書き手にしろ、表明していない事柄について(「キャラくんになりきっているのでは」などの)憶測をぶつけてくる人物には一定の悪意があるので、気にする必要はない。