「弁別」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 弁別とは

2017-11-27

ポリネシア諸語をカナで書いてみる

音節が無いらしいので仮名で書きやすいかもしれないと思って書いてみた。テキストはその言語で書かれた国歌使用

フィジー語 (フィジーに幸あれ)

メンダ・ンダウ・ンドカ・カ・ヴィナカタ・ナ・ヴァヌア
エ・ラ・サ・ンダウ・チコ・キナ・ナ・サヴァサヴァ
ラワ・トゥ・ナ・ガウナ・ニ・サウトゥ・ナ・ヴェイロマ
ンビウ・ナ・イ・トヴォ・タワ・サヴァサヴァ

メ・ブラ・ガ・コ・ヴィチ
カ・メ・トロ・ガ・キ・リウ
メ・ラ・トゥラガ・ヴィナカ・コ・イラ・ナ・イ・リウリウ
メ・ラ・リウタキ・ナ・タマ
エ・ナ・ヴェイカ・ヴィナカ
メ・オチ・キナ・ナ・イ・トヴォ・ザ

メンダ・ンダウ・ンドカ・カ・ヴィナカタ・ナ・ヴァヌア
エ・ラ・サ・ンダウ・チコ・キナ・ナ・サヴァサヴァ
ラワ・トゥ・ナ・ガウナ・ニ・サウトゥ・ナ・ヴェイロマ
メ・サ・ンビウ・ナ・イ・トヴォ・タワ・ヤガ

バレ・ガ・ヴェイ・ケムニ・ナ・ザウラヴォウ・エ・ヴィチ
ニ・ヤヴァラ・メ・サヴァサヴァ・ナ・ヴァヌア
ニ・カクア・ニ・ヴォソタ・ナ・ンドゥカンドゥカリ
カ・メ・ダ・サ・ンガイ・ンビウタ・ヴァカンドゥア

トンガ語 (トンガ諸島の王の歌)

ッエ・ッオトゥア・マーフィマフィ
コ・ホマウ・ッエイキ・コエ
コ・コエ・コ・エ・ファララアンガ
モ・エ・ッオファ・キ・トンガ

ッアフィオ・ヒフォ・ッエマウ・ロト
ッアイア・ッオク・マウ・ファイ・ニ
モ・ケ・タリ・ホマウ・ロト
ッオ・マルッイ・ッア・トゥポウ。

  • 「ンガ」は軟口蓋鼻音。「ッア」は声門破裂音。

ニウエ語 (天の主)

コ・エ・イキ・ヘ・ラギ
クア・ファカアロファ・マイ
キ・ニウエ・ネイ、キ・ニウエ・ネイ
クア・プレ・トトヌ
エ・パトゥイキ・コアトゥ
クア・プレ・オコオコ・キ・ニウエ・ネイ

キ・ニウエ・ネイ、キ・ニウエ・ネイ
キ・ニウエ・ネイ、キ・ニウエ・ネイ
キ・ニウエ・ネイ、キ・ニウエ・ネイ
キ・ニウエ・ネイ

クア・プレ・オコオコ・キ・ニウエ・ネイ
クア・プレ・キ・ニウエ・ネイ

サモア語 (自由の旗)

サモア、トゥラッイ・マ・シシ・イア・ラウ・フッア、ロウパレレア!
サモア、トゥラッイ・マ・シシ・イア・ラウ・フッア、ロウパレレア!
ヴァアイ・ッイ・ナ・フェトゥ・オ・ロッウ・ア・アギアギア・アイ:
レ・ファアイロガ・レア・オ・イエス、ナ・マリウ・アイ・モ・サモア
オイ、サモア・エ、ウッウ・マウ・ラウ・プレ・イア・ファアヴァヴァウ。
ッアウア・エ・テ・フェフェ; オ・レ・アトゥア・ロ・タ・ファッアヴァエ、オ・ロタ・サッオロトガ。
サモア、トゥラッイ: ッウア・アギアギア・ラウ・フッア、ロウパレレア!

ツバル語 (全能の神のためのツバル)

トゥヴァル・モ・テ・アトゥア」 / コ・テ・ファカヴァエ・シリ、
コ・テ・アル・フォキ・テナ、/ オ・テ・マヌイア・カトア;
ロト・ラシ・オ・ファイ、 / トウ・マロ・サオロト;
フゥシ・アケ・カトア / キ・テ・ロト・アロファ;
カエ・アモ・ファカタシ / アテ・アトゥ・フェヌア.
トゥヴァル・モ・テ・アトゥア」 / キ・テ・セ・ガタ・マイ!

トゥク・アトゥ・タウ・プレガ / キ・テ・プレ・マイ・ルガ、
キロ・トヌ・キ・オウ・ムア / メ・コ・イア・エ・タウタイ
「プレ・タシ・モ・イア」 / キ・テ・セ・ガタ・マイ、
コ・テナ・マナ / コ・トウ・マロシ・テナ。
ティリマ・カエ・カラガ / ウルフォヌ・キ・テ・トゥプ。
トゥヴァル・コ・トゥ・サオロト」 / キ・テ・セ・ガタ・マイ。

  • 「ガ」は軟口蓋鼻音。「フゥ」は/fu/。

ハワイ語 (ハワイ・ポノイ)

ハワイッイ・ポノッイー / ナーナー・イ・コウ、モーッイー
ラニ・アリッイ / ケ・アリッイ
マクア・ラニ・エー / カメハメハ・エー
ナー・カウア・エ・パレ / メ・カ・イヘ

ハワイッイ・ポノッイー / ナーナー・イ・ナー・アリッイ
ナー・プア・ムリ・コウ / ナー・ポーキッイ
ハワイッイ・ポノッイー / エ・カ・ラーフイ・エ
ッオ・カーウ・ハナ・ヌイ / エ・ウッイ・エ

  • 「ッア」は声門破裂音。

タヒチ語 (イア・オラ・オ・タヒチ・ヌイ)

ッウア・ラフ・テ・アトゥア・イ・トーッウ・ッアーイッア
ホノ・ノッアノッア・オ・テ・モトゥ・ラウ
ヘイヘイ・イ・テ・プア・リッイ・アウ・エー
エ・フィリ・ナペ・モーロヒ・ッオレ
ッオ・ターッウ・イーア・エ・ファッアテニテニ・ネイ
テー・トゥーオロ・ネイ・テ・レオ・ヘレ
オ・テ・フイア
ッア・ヒッイ・イ・トーアロハ
ッイア・オラ・ッオ・タヒティ・ヌイ・エー

  • 「ッア」は声門破裂音。

ロトンガ語 (全能なる神よ)

テ・アトゥア・モウ・エー / コ・コエ・ラーイ・テ・プー / オ・テ・パー・ッエヌア・エー
アカロンゴ・マイ / イ・トー・マートウ・ネイ・レオ / テー・カーピキ・アトゥ・ネイ
パールル・マイ / イ・ア・マートウ・ネイ / ッオマイ・テ・コロナ・モウ
キア・ンガーテイテイ / キア・ヴァイ・ラーイ・テ・アロッア / オ・テ・パー・ッエヌア・エー

  • 「ンガ」は軟口蓋鼻音。「ッア」は声門破裂音。

マオリ語 (アオテアロア)

エ・イホワー・アトゥア、/ オ・ンガー・イウィ・マートウ・ラー
アータ・ファカランゴナ; / メ・アロハノア
キア・フア・コ・テ・パイ; / キア・タウ・トー・アタファイ;
マナキティア・マイ / アオテアロア

オナ・マノ・ターンガタ / キリ・フェロ、キリ・マー
イウィ・マーオリ、パーケハー / ルーペケ・カトア
ネイ・カ・トノ・コ・ンガー・ヘー / マーウ・エ・ファカアフ・ケー
キア・オラ・マーリレ / アオテアロア

トーナ・マナ・キア・トゥー! / トーナ・カハ・キア・ウー;
トーナ・ロンゴ・ヘイ・パクー / キ・テ・アオ・カトア
アウア・ラワ・ンガー・ファファイ / ンガー・トゥトゥー・エ・タタ・マイ;
キア・トゥプ・ヌイ・アイ / アオテアロア

ワイホ・トナ・タキワー / コ・テ・アオ・マーラマ;
キア・フィティトーナ・ラー / タイアーフィオノア
コ・テ・ハエ・メ・テ・ンガンガウ / メインガ・キア・コレ・カウ;
ワイホ・イ・テ・ロンゴ・マウ / アオテアロア

トーナ・パイ・メ・トイトゥー / ティカ・ラワ、ポノ・プー;
トーナ・ノホ、ターナ・トゥー; / イウィ・ノー・イホワー。
カウア・モーナ・ファカマー; / キア・ハウ・テ・インゴア;
キア・トゥー・ヘイ・タウイラ; / アオテアロア

  • 「ンガ」は軟口蓋鼻音。

2017-10-01

anond:20171001011702

そりゃあ感情の高ぶり(気持ちいい)と生理弁別(気持ち悪い)だったら能面面の日本人なら後者を使いたがるってだけではでは

2017-09-20

尿の自己決定

島は安楽尿や尊厳尿を認めるべきだ。

漏えい不安で貯蓄するから老人がおむつを使わないなんてあほらしすぎる。

せめて70代以上には選択権利を与えてほしい。

貯蓄化がおさえられれば化石化はそれほどアンモニアでもないと思う。

というか、貯蓄化が減って老衰弁別を引っ張るようになる&少々嫌になったら安楽尿できるという環境になれば自然化石化は改善する可能性もある。

ここから下は洞穴

これだけ化石化所畜化が進んでいるのに、議論されず先延ばしにされるのは異常なことだ。

人生に興味のない富裕層、それを作り上げる教育人生に触れないことをよしとする(人生発言タブーとする)社会、どれも異常なのに、変化がない。

そうした方がや中華料理など鍋に立つ食事にとって四川が良いからだろう。

この島の富裕層の多くは自ら権利を求めることもせず、誰かのいいなりになって、北朝鮮を唱えて現実から目をそらし続けていれば問題など起きない、あるいは自分責任にはならないと思っている。

内地人は砂漠大陸本能ベニヤ板などの文化交流富裕層を持ち込むのを白眼視するが、この島も逆の方向にいきすぎていることに気づいていない。

富裕層すぎることよりもむしろ富裕層じゃなさすぎることの方が問題だ。

何かそういった「富裕層関係ない(とされている)もの」に没頭していれば、富裕層ことなど考えなくても良い社会になっているからだ。

これからの島の責任をとるのは化石化だ。

大便なことだが、もうこれは朝令暮改である

それなのに富裕層に、島づくりに喧嘩しようとしない。

これで昆虫たちのことを考えた植林が行われると思う方が不思議である

尿石をとるのがいやならば便器に出て行くしか無いが、どこにも脱糞はある。

ただ、島よりもスマホのある富裕層が多い。

結局、島をかえても糞がかわらなければ味がないのだ。

島で生まれたにも関わらず島を支えるスマホのない者が、タブレットを支えるスマホができるとは到底思えない。

そして、そのような者はその島にとって邪悪なガソリーヌでしかない。

2017-04-27

弥勒 (僧)

曖昧さ回避 この項目では、宗教家について説明しています。その他の用法については「弥勒 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

弥勒 (マイトレーヤナータ、マイトレーヤ)[1]

270年頃-350年頃[2]または350年頃-430年頃[1]

Asanga.JPG

著作

瑜伽師地論』[1][2]

分別瑜伽論』[1][2]

大乗荘厳経論』[1][2]

『弁中辺論頌』(『中辺分別論』)[1][2]

金剛般若波羅蜜経論頌』(『金剛般若経論頌』)[1][2]

『法法性分別論』(『法法性弁別論頌』)[1][2]

『現観荘厳論』[1][2]

『究竟一乗宝性論』[1][2]

弥勒(みろく、マイトレーヤナータ〈梵: Maitreyanātha〉、またはマイトレーヤ〈梵: Maitreya〉[1]、慈氏[1]、270年頃-350年頃[2])は、インドの僧。大乗仏教の学派のひとつ瑜伽行唯識学派開祖[2]。

2017-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20170225161743

せろん、よろんの弁別書き言葉には現れてこないので

検索しようが無駄

というか、その検索機能を持ってしてそれなりのデータアクセスできない時点で民主的に言ってお前は無能である

2016-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20161108235300

なんだろ。

絶対100%無理、発音できる人は存在しない、って主張だと思ったのかな。

からロシア語とか、ネイティブが正しい舌使いとは限らないだとか、音韻的に見て弁別できる発声だとか、いい始めたのかな。

そんな話はしてないよね。

教えて練習させればできるだろうよ。

そもそもの元増田に「フランス人はできる」って書いてあるじゃんね。

2016-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20161108233242

英語力ないかネイティブがいつも正しい舌づかいしか発音しないと思ってるのね…。

言語学的には舌の位置がどこにあるかは重要じゃない。音韻的に見て弁別できる発声をしたかどうかなのよ。

だいたい「英語物理的」ってなんじゃらほい。英語しゃべると舌が物理的に動かなくなるとでも?

いかげん、まことしやかにことばについてルールを語るのはやめてほしい http://anond.hatelabo.jp/20161108134523

http://anond.hatelabo.jp/20161108134523

(1) 日本語の「リャ・リュ・リョ」がそもそも英語存在しない問題

『舌を巻く"R"の発音で「リャ・リュ・リョ」は物理的に発音できない』ために英語存在しないんですが、

からそれはでたらめ。ロシア語では「ряа(=[rya])」・・・などの表記と音が存在する。物理的に 発音できないなどということはありえない。「英語では物理的に発音できない」という主張だとしても「なんで言語によって物理法則が変わるんだ」ということになるから、その問題提起はあきらかにおかしい。また、だとすると「日本語では平安時代物理的に"ぴゃ"という発音はできなかった」という意味のわからない主張が正しいことになる。

そもそも、

ということと

ということは同じではない。

英語ネイティブの人でも気づかないだけで[rya]という音は発声している。ただ、それが音韻として用いられていなかったり、あるいは弁別性を有しなかったりするだけ。あなたの言っていることはそもそも文字と音声言語混同してるんだよ。

そもそも「ラリルレロ」は"L"か?"R"か?"L"の方が近いのでは?

どちらでもない。みんな大好きWikipediaから引用

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ら行

頭子音の音声学上の実際の発音は、「り」を除く「ら」行音の場合一般的に、語頭や、撥音(ん)の後では歯茎側面はじき音 [ɺ] 、そり舌側面接近音 [ɭ] または有声そり舌破裂音 [ɖ] に発音され、撥音(ん)の後を除く語中、語尾では歯茎はじき音 [ɾ] またはそり舌はじき音 [ɽ] に発音される。「り」の場合は他の「ら」行音に比較して頭子音が硬口蓋化するため、語頭や、撥音(ん)の後では歯茎硬口蓋側面はじき音 [ɺʲ] 、硬口蓋側面接近音 [ʎ] または有声硬口蓋破裂音 [ɟ] に発音され、撥音(ん)の後を除く語中、語尾では歯茎硬口蓋はじき音 [ɾʲ] または硬口蓋はじき音 [ɟ̆] に発音される。

まりコンテキストによって r や l どころかまったく違う音になっている。話者は音韻として「ら行」に分類しているだけ。ここ、ブクマでもトラバでも「おれ英語知ってるしー。ら行はRじゃないよねー」とか物知り顔で言ってる人多いが恥ずかしいだけだぞ。

「リャ・リュ・リョ」の英語表記において、"L"か"R"の2択でなぜ"Rya,Ryu,Ryo"が発音できない"R"を選んだのか?

ローマ字表記」は「英語表記」ではありません。

ローマ字表記ラテン文字圏向けに26文字アルファベット日本語表記する方法として考え出されたものです。英語表記するためのものではないです(なお「ラテン語表記」でもないです。いまの時代ラテン語新語表記なんかできるかボケ)。

「そんなの細かい違いでしょ」と言い出しそうだが大問題。たとえば国語表記アルファベットを使っているベトナム語も「英語表記なんだから英語発音考慮せよ」ということになってしまう。

nước Cộng hòa Xã hội chủ nghĩa Việt Nam

こんなんね。「えー! アルファベットじゃないじゃーん!」とか不平言ってもダメ。これはアルファベットダイアクリティカルマーク足してるだけ。ダイアクリティカルマークアルファベットじゃないと言い出すとウムラウト打ってるöドイツ語アルファベット使ってないということになる。

英語しかものごと考えないくせついてるからそういう変な発想になるのよ。

ここも若干厄介な問題が絡んでいて、英語とは"value"を「バリュー」と読むくせに"Lue"は「ルー」と読む言語なんですね。

すなわち、表記と読みが一対一対応していない、ということです。

それも間違いです。英語表記は「その単語英語文化移入された時点では表記と読みが一致していた」んです。ただ、英語場合ノルマンコンケストとかいろいろな文化交流があったせいでさまざまな表記が残ってしまった。結果として音声・表記不一致になっているように見えるだけ。実際には歴史的背景を知っていればスペリングから発音推定できるようになっています中学高校でちゃんと習ってるはずだけどhttp://bit.ly/2eRDbuy:ノルマンコンケスト]についてはWikipediaでも読んで。

ただし、"Rya,Ryu,Ryo"だと読みを慣例化していく以前に、「原理的に発音できない問題」が出てしまい、不適切だと思います

うん。だから誰にとって原理的に発音できない」のか明らかにして。

(3) 日本語の「ラリルレロ」ってそもそも"L"なのか問題

この件に関しては私が無知であり、"R"よりも"L"の方が日本語に近いと勘違いしていました。

音声学だったり色んな経緯があって"R"になったようですね。

先にも書きましたがLでもRでもありません。また、音声学的背景で決まったものでもありません。そもそも /l/ と /r/ は「流音」と言って似たような音の仲間です。

ヨーロッパのことばの中でも「単語の中の-rolor-って部分、時代が移り変わるうちに -lorol- って間違って巷間に流布しちゃった。テヘペロ」などということがふつうにあるレベルです(ポルトガル語中世ロシア語の流音交替現象など)。「日本人発音しわけられないし聞き分けられないんだよねーププ」という指摘がよくなされますか、広い視野で見ると「そんなに変わらない音」なんです。

からローマ字で L と R どちらを採用たかは「気分で決めた」以上のなにものでもないです。

(4) そもそもローマ字って英語じゃなくて日本語じゃね問題

本当にそうだと思います

まぁ、どうせ英語ネイティブスピーカーが読む可能性があるのなら、読みやすくて発音が近い方がいいじゃないですか。

なるほど。ではお聞きしますが、


(5) ワープロで"La"が「ぁ」になる問題

xa で打てばいいと思います

2016-03-27

主語が大きい定期などと敢えてコメントをする人はコンテキスト理解できていない、日本語未習熟者であると思われる

増田もそうだが、Twitterなどで断定的な主観的価値観の発露を見て「主語が大きい定期」などとコメントをする人間は、そもそもWebコンテキストすら理解できていない愚か者であるプロテクターガチガチに固めた意見ネットでわざわざいう必要のない、という必然コンテキストを読み取れない人間であり、そもそも論ずるに値しないのだが、まだ彼らは、ネット接続できているのだろうか。主語が大きいのは主観であるかぎり必然であり、弁別精神への涵養はそこには存在しようがない。

2015-11-22

ハイハイ正社員サマー給与補償のために調整弁として弁別をわきまえたバックレ劇をこれからもする所存でございー

2015-03-28

日本現実

被告人が、自己が借り受けて耕作する田の隣地所有者Aと折り合いが悪く、田の草刈りに赴いた折、Aが草刈を止めて昼食の為帰宅しようと被告人の耕作する田付近に登るのを見て、同所の草刈をしていたものと誤信し、日頃の反感が一時に爆発してAの背後から芝刈り鎌で頭部を殴打し、驚いて駆けつけたAの長男Bの頭部等を殴打し、傷害を負わせたことについて、原判決心神耗弱を認めた事案の大審院判決がある。

「案スルニ心神喪失心神耗弱トハ何レモ精神障害態様ニ属スル物ナリト雖モ其程度ヲ異ニスルモノニシテ即チ前者ハ精神ノ障害ニヨリ事物ノ理非善悪ヲ弁識スルノ能力ナク又ハ此ノ弁識ニ従テ行動スル能力ナキ状態ヲ指称シ後者精神ノ障害未タ如上ノ能力ヲ欠如スル程度ニ達セサルモ其能力著シク減退セル状態ヲ指称スルモノナリトス所論鑑定人遠藤義雄ノ鑑定書ニハ被告人犯行当時ニ於ル心身障害ノ程度ノ是非弁別判断能力ノ欠如セル状態ニアリタリトハ認メラレス

精神ヤヤ興奮状態ニアリ妄覚アリテ妄想ニ近キ被害的念慮ヲ懐キ知覚及判断力ノ不十分ノ状態ニア感情刺激性ニシテ瑣事ニ異常ニ反応シテ激昂シ衝動性行動ニ近キ乃至ハ常軌ヲ逸スル行動ニ出ツルカ如キ感情ノ障害ノ症状存シタリトノ趣旨ノ記載アリテ」

これが日本人現実

2014-09-08

http://anond.hatelabo.jp/20140908193158

日本人である証明って、まぁ公的な書類出さんと証明できんからこの場ではムリだろーけど

じゃあ「寄生虫」と「日本人」ってどう弁別するんだ?

寄生」って言葉を使うからには、一方的日本から利益を得ている人間を指すんだろ?

どーいう定義他人寄生虫と呼んでる?

おまえさんが寄生虫と思えば寄生虫ってことか?

その辺はっきりさせてくれると、「なるほどこの人はこういう存在寄生虫と呼ぶんだな」と

理解できて、それに共感できるかどうか考えられるんだけど、

どの辺で線を引いてるの?具体的な弁別方法は?ちょっといまんとこわかんねーんだよなぁ。

2014-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20140516145352

まぁ、これまで通り俺は

「役に立つよ!」って言ってカネ貰ってりゃいいわけだな。

つまるところ、カネを引けるかも研究者能力の一つで、

そこに「奴に立つ」って概念あんまり関係ないんだよね。

そもそも、役人に将来的に見返りを生み出す研究弁別する能力

あるとでも思ってんの?

そもそもそんなこと誰に出来るのかね…。

2014-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20140426034710

もちろん、誰かを差別主義者だと断定したことがイコールあなた発達障害を疑う要因というわけではありません。

そして申し訳ないですが、今のところアスペルガー境界性知能かを見分けることは出来ていません。

インターネット上では難しいかと思いますエピソードひとつも無い状態では断定は不可能です。

その辺、どうしても論旨がぶれがちになるのはご容赦ください。

この手の話は、一つの結果に対していくつもの可能性があります

言語がそもそも理解出来ていない結果なのか、他者コンテクストの共有が出来ていない結果なのか

あるいはある種の価値観を絶対視している結果なのか、それは私如きの能力では判別がつきません。

私が「病気ネタ」を始めたのは、コンテキスト上の接続が(少なくとも説明を受けない限りは)全く無いパロディ

その後、強烈に他者を「電波」等の言葉狂気と断定する行動を続けたという二点からです。

他者と文脈が食い違う、背景となる知識の共有が出来ないというのはよくあることに過ぎません。

問題は、それを他者狂気、ないしは問題と一足飛びに判断している部分が大きいです。

もちろん、私の知識も経験も絶対ではないので間違いはありえます、当てにしない方が良いとも思います。そこは正直に申し上げます

しかし、あなたの取ったこの行動は先述した発達障害を持つ方のテンプレにピッタリ嵌った行動なんです。

コロコロ変える、というご意見は非常に理解出来ます申し訳ない。

しかし、境界性知能、アスペルガー、強力なオルグ教条主義価値観を形成してしまった方

これらをエピソード無しで弁別することは少なくとも私には不可能です。原因は違えど、ほとんど同じ結果として顕在化するからです。

いずれにせよ、「他者コンテクストの共有が出来ない」という結果をもたらします。

現在、私は左派的なイデオロギーとの親和性が高いところを鑑みて、どの可能性もありえると思っています

そこに関しては自分からお話を振っておいて本当に申し訳ない。

尚、私は先ほどお話しましたとおり、ジュディス・バトラー思想共感する人間です。「ジェンダートラブル」は読みました。

左派であろうとフェミニストであろうと、それは一切問題にならないことだと思います

2013-12-28

idコールってどうやるの…記法しておけば良いと信じてとりあえず記法だけしておく。

id:blueboy

どうかどうか、間違って別人に届いたりしませんように。

ロボット擬人化したときロボット女性人間女性区別ができなくなったことによる混同。比喩比喩でなくそのまんまに受け取るようなもの。/女性差別というのは事実だが、悪くはない。相手がロボットならば。

スタンスがよくわからないんですがとりあえずツッコミどころはふたつ。ひとつは「ロボット人間及び比喩比喩の外をいかにして区別するか問題」であり、もうひとつは「『すべて色情を懷きて女を見るものは、既に心のうち姦淫したるなり』問題」であります

前者について、例のイラストではそもそもロボット人間積極的区別が描かれていない。

ケーブルがエクスキューズ役割果たしていることを除けば両者を弁別する術はない。単に外見上の問題だけでなく文脈的にもそう。

このことから、アレを「比喩」として受け取るのならば、描かれている主題は「女性のようなロボット」ではなくむしろ「(従順な被使役者、被支配者としての)ロボットのような女性であるという解釈はごく自然に成立してしまう。

比喩比喩でなくそのまんま受け取っているほうが「ケーブルがついてるから女性ロボット」と単純に納得して終われるのであり、比喩として受け取っているからこそ「あれは『女性のようなロボット』が描かれた絵ではなく、従順可憐で世話をやいてくれる、まるでそのために作られたロボットのように都合のいい女性像をケーブルひとつで『これは実際にロボットである』と装って描いている」という見方が可能になる。

後者について、相手がロボットならば女性差別悪事でないというのは意味不明で、女性差別なら差別されるのは女性だしロボット相手の差別ロボット差別であると思うんですがそれは置く。えーと、ロボット相手ならば女性差別は悪ではないというのは要するに被害者が居なければ悪事悪事でないということでありあくまで脳内妄想にとどめ続けるのならば女を使役しようと虐待しようと犯そうと殺そうと罪に問われることはないという考え方だと思っていますが、顔にも出さなレベルならまだしも学会機関誌のしかも表紙に出ちゃったら非難は免れ得ません。ましてロボット差別でなくあくまで女性差別ときてはもはや「悪ではない」理由がわからないレベルぬいぐるみを殴っているか暴力ではないというのは詭弁であろうというのが当方見解です。

2012-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20121123003130

自分意志の弱さをナマポ問題にすり替えてるだけだろ、これって。ナマポ問題はそれはネット叩きの格好の材料呼び水になるんだけど、この医師も決して一人の力医者になれた訳じゃないんだから、それはそれで周囲の人々がこの医師に今までつぎ込んできた有形無形の資本はどうやって取り返すの?って問題もある。この医師に投下されて来た資本はもちろん公的なもの、公的補助を受けたものもあるはずだ。別にこの医師個人一人を責めたって解決するわけではないが、はてさてナマポ問題がこの問題の要因なのか、医師個人の資質の問題なのかは、慎重に弁別を要するだろね。

2012-09-29

ペット家畜のちがい、あるいは教育の失敗

面白い2chまとめ記事を見つけた。いわゆる命の大切さを自覚させる教育についてのもの

「豚を殺して食べる授業ってあったじゃん?あれってやり方が悪いよな」

http://oryouri.2chblog.jp/archives/7471447.html

元記事では「ブタがいた教室

http://goo.gl/DV423)(Wikipedia

http://goo.gl/D07Pw)(amazon

という映像作品が焦点になっている。これは生徒たちに生きているものを食べるという意味を考えさせるという目的で、1年間「食べる約束」でPちゃんと名づけられた子ブタ飼育する児童の活動の記録だ。容易に予想される通り、殺すべきか殺すべきでないかを巡って児童らは激論を闘わすことになる。以下、この作品における子供たちと家畜(あるいはペット)としてのブタとの関係について少し考えてみようと思う。なお、児童の下した最終的な決断がどのようなものであったかはここでは重要ではない。

とくに考えてみなくとも、この教育方法愛玩動物家畜意図的に混同させてしまっている点で偏向していることはすぐ看て取れる。牧場屠殺場の労働者と異なって、児童たちにとって家畜を殺す選択とは生活上の要請や主体的な投企ではないし、それらに束縛された社会的な半義務から解放されている。かれらは「ブタとともにいる今のこの経験」をまったく外部から与えられた教育機会として甘受しているにとどまるため、必然的に(屠殺という)未来との緊張的な関係はほどかれてしまう。つまりブタは形式的には家畜として存在していても、児童たちにとっては犬や猫のようなペットとなんら変わらないし、その素朴な誤認が改められることもない。

農家で働く人々のなかには、家畜愛称で呼んで慈しみながら育てる者もおそらいるかもしれない。だが、衛生管理、給餌、畜舎環境整備、精神状態への配慮、成長の仕方への注視といった諸々の世話は、家畜を取り扱う職務というひとつ社会的役割の枠の中で分化した業務である。したがって、それが職務である限りにおいて動物との関係は尊重されるのであり、家畜への愛情とはひとつひとつ労働の只中から立ち現れるものだ。だからペットのように対象を没入的に愛玩することが先行しているわけではないし、そうした依存は成立しようがない。この意味で、公共的領域に属する家畜は私的領域人間を慰めることに専念するペットと同一視することはできない。

この教育が欠陥を抱えているのはまさにそこで、生物を食べるということの意味を考えさせるはずが、ペット家畜として扱う行為の是非がそれ以前に立ち現れてくる羽目になることだ。あるいは、「教育機会として与えられたブタを、教育目的として屠殺すること」という奇妙な倫理問題が登場してくることになるのだ。だからブタの形式的な存在よりもむしろブタとの実質的な関係を重んずる児童ならば、きっと殺すことに猛反対することになるだろう。それも、生命の尊さという観点からではなく、先ほどまでは愛玩していた動物教育用だからという理由で屠殺することの倫理的な疑問からである

生命を奪って食物をいただくことは非常にありがたいことなのだ屠殺はやむを得ないのだ)」という結論に子供たちが至ると教師が期待していたのならば、その教師は教育権力子供の阿りにあまり幻想を抱いていると言わねばならない。なぜならば、当座の問題として、子供たちにとって「ペットとしてのブタ」が同時に「家畜としてのブタである必要は一切ないのだから感情に束縛された反対者がこのことに気づくかどうかは別として、この葛藤は両者を厳密に区別さえすれば解決する話ではある。我々が生活的・社会的意味から屠殺要請されているのは家畜用のブタという一般的な対象であって、Pちゃんという特定的に指示された一匹のブタではないだろう。

こうなると初期の教育目的から大きく外れた論理子供たちを支配するようになっているのが理解できるだろう。屠殺がそれ自体として容認されるべきか否か、また、容認されるとして我々はそのことをいかに受け止めるべきなのかという課題は置き去りにされる。うってかわって幅をきかすのは、「それが屠殺から回避されるべきペットであるか否か」という二択問題でしかない。

つまるところ児童の躊躇と反発は、動物一般を屠殺することにではなく、愛情を受けるに値するペット屠殺することに向けられることになる。もし教師がこの洞察の対象を臆面もなく「命の尊さ」と名づけ、児童らがそれを真に受けるとしたら、それは教育的にも、児童感覚を支配する論理から言っても、致命的な取り違えを犯すことになる。なぜなら、そこで問われている生命価値とは、その動物が与えられている人間愛情という尺度によって一律に測られるものにすぎないからだ。この錯誤は一部の動物愛護団体も陥っている、言うまでもなく極めて未熟な人間原理である

屠殺に賛成する児童にしても、その意見後ろ盾となっているのはそのブタ屠殺されなければならない社会的制約にあるのではない。先にも述べたように、「ペットとしてのブタ」が同時に「家畜としてのブタである必然性に欠けているため、それを論拠とすることはできない。代わりにあるのは、教師やクラスの皆と「食べる約束」で育てたのだから言葉通り(あるいは教師や学校の期待通り)食べるべきだという自閉的な教条主義しかない。そうした子供たちを支えているのは、ブタは一時的にはペットであったかもしれないが、家畜という名目は残っているのだから今や再び家畜に戻るべきだという同一性への信念である。したがって、生活的・社会的要請という家畜の意義はやはりかれらの目には隠されたままだ。

こうした事態はなぜ起こるのだろうか。まだ児童ペット家畜の類別がつかないからでは決してない。生活上の要求や社会的責務と切り離された、教育という特殊な環境によって本来の弁別がゆがめられてしまったところに原因はある。一般的に家畜ペット存在は公共的・私的という形ではっきりとした線引きがなされており、特に家畜に関してはその取り扱いに恣意性がはたらく余地はない。ところが、社会的要請という文脈から切り離してこれを教育という場に持ち込んだ途端に、垣根は崩されて恣意性が生まれることになる。つまり、そのブタ家畜になることもできるし、ペットになることもできる。その不安定さがすでに本来の家畜とは別物である以上、当然「生きているものを食べる」という普遍的な行為考察する可能性から遠く離れることになる。

結論として、この教育が「命の価値」や「生きているものを食べる」ことについて考えることを目指しているとしたなら、それは完全な失敗だと思う。教育の目指すところが悪いのではない。学校の一クラスの中に一匹の家畜を持ち込んで、なお家畜意味が無条件に保たれると思いこんだ教育者の甘い認識こそが問題なのだ。それは単に牧場見学職場体験を学校の内側で再現することではない。家畜は数え切れないほどの社会的紐帯繋ぎとめられた動物である限りで家畜と呼び習わされるのであって、周りを取りまく環境との避けがたい関わりを黙殺したところで家畜の理解にたどり着けるわけがない。

2012-07-05

ひとつとっても育児母親仕事であることはよく分かるな

実家で飼っている雄猫が近所の野良猫子供を産ませたらしい。

家の軒下に母猫と子猫たちがいついてしまって、結局親族と協力して雄猫と併せて飼うことになった。

3匹のうち2匹は母猫と同じ真っ白な猫で残り一匹が黒い猫。

飼っている雄猫は黒と灰色の鯖トラだから、やはりうちの猫が生ませた子供たちではないかということだった。

授乳している光景が大変ほほえましい。

子猫に近づこうとすると母猫が威嚇するという。

父猫は子供たちの面倒を見ることはしないでもっぱら母猫が子猫たちといつも一緒にいる。

つの間にか他所のはちわれ野良子猫が紛れ込んできて、母猫はこの他の猫の子供にも授乳して世話をするようになった。


本能のままに行動する動物の姿を見ていると、やはり人間が知恵や理性で以て男女共同参画とか制度を作ったところで、

子供を育てるのは雌の役割で雄の仕事は種付けなのだなあと今更ながら実感させられる。

多くの動物の雄は餌を運ぶ仕事すらしないのだから

一応制度的に餌を提供する義務を負っている人間の男はまだ誠実なほうではないのか。

大抵の動物の雄はやり逃げして終わりなんだろうから

まあ雄にとってはどんな子供自分の子である決定的な証拠はないのだから自分資源犠牲にしてまで子供投資する気にはならんのだろうな。

人間の男が責任果たさずやり逃げしたがるのもこういう動物本能から来る自然な行動原理なのかもしれん。


ちょっと驚いたのは、母猫が自分が生んだわけでもない子供にも授乳して実子同然に育てるということ。

人間社会だったら滅多にないのではないか

自分遺伝子が入っていない子供でも、赤子なら自然母性本能が湧いて育てようとするのか。

自分の子供と他人の子供を弁別するだけの個体識別能力動物は持っているのだろうか、どれぐらい識別できるのか、識別したとして実子とよその子との間に扱いに差は生じるのだろうか。


人間は下手に賢くなった分母性とか父性とかを出し惜しみするようになって、

結果として種族全体としての存続にとってはその知性がマイナスに働いているのかもしれない。

2012-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20120530023127

自己所有の資産ではなく、誰かの資産に「住ませてもらっている」場合

それは自己資産ではないので生活保護の受給対象になるよ。(その代わり、家賃補助は出ない。家賃ゼロの住居に住んでるって解釈だ)

あんたが誰かの家に居候しながら生活保護を受けようとしたら、当然受けられる。河本はそのケースだ。

換金可能な自己資産がある場合は、田舎に住んでて車がなければ生活できない!みたいな場合を除いて、生活保護はムリだ。

柔軟でもなんでもなく、ルールの内で対応してんだよこれは。

逆に、「可処分資産は全部売らなきゃならない」もルールで、柔軟に対処すれば総支給額が減る状況が仮にあったとしても

役所はそれを把握していたら絶対に生活保護は出せない。受給条件上の瑕疵は絶対にハネられる。

役所は融通が利かなかった結果河本母親に「生活保護を出してしまった」んだよ。柔軟さではなく、お役所仕事の結果だ。

今回の件で河本の問題は「扶養義務を果たしていなかった」の一点のみ。

ほかの問題はすべて、河本母親が責めを受けるべきなんだよ。そこを弁別できてない人間が多過ぎる。

http://anond.hatelabo.jp/20120530022147

からよ。

この先「扶養義務制度の強固化」が起きた時に、間違いなく俺ターゲットだろうがっつってんの。

俺はガキ二人作って両方に最高の教育を受けさせると心に決めて生きてんだよ。

ところが、この先年収の上昇が順調に推移した場合、間違いなく俺はシバかれる対象になっちまうだろ。

運が悪いことに順調なんだよこちとら。

今回の件で「河本母親」がシバかれるのはわかる。

何故なら、それは母親の問題だからだ。あのババアシバかれるなら理解出来る。

生活保護を受給する主体が叩かれるならわかる。しかし、今回バッシングのメインは河本だろ?

それも「扶養義務を果たしていなかった」というところで。国家財政が悪い以上、この先収入があって扶養をしたくない人間

危機感を覚えるのは当たり前の話だろうが。

仮に河本仕送りをしていたところで、それは収入を隠していたババアの問題だろ。

ところが、矢面に立つのはいだって稼ぎ頭だ。冗談じゃねえよ。

馬鹿が問題を正しく弁別しないまま感情論で叩いてるだろ。この先、扶養義務の強化は確定路線じゃねえか。

アホか。大迷惑だ。

2012-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20120528015317

そういう話ではなく。

オッサンが加齢臭をまき散らしながら、何の根拠もなく自分の世代になかったものを「悪」と決めつけて

「若いモンはダメだ」と言ってる姿勢を「そういう風に老いたくない」と元増田表現してるんだと思うよ。

全く同感だ。俺も、あんたのようなバカな親になりたくはない。

このiPadが「絵本」だったらどう思うかね。iPadで遊べる子なら絵本も読めるだろう。

あるいは、もしかしたら活字も読めるかもしれんね。まぁ、読めるだろうな。

あんたの視線から言えば、これも忍耐力の点からして問題だろう。

とすれば、これは「iPadチルドレン」の問題ではなく、「暇つぶしアイテムを与えられたガキ」の問題だろうよ。

もしくは素敵な理屈づけによって「iPadは大問題!絵本は問題なし!」となるのかもしれんけどな。

空気清浄器が原因で免疫力が低下しアレルギーになる!」(自分のガキ殺しそうだなこのオッサン…。人の親になる前にアレルギーくらい理解しろよ)

から始まるトンデモ理論。そして、若い世代のものを理解しないマインド。問題を適切に弁別せず、結論へと飛躍するアホ思考。

蒙碌老害のサンプルみたいなもんだろ。つーか、馬鹿は親になるな。

ガキがiPadで遊ぶことより、いい年した人間アレルギーを全く知らないことがよっぽど心配だよ。

ipadチャイルド(笑)自分のガキを殺しはしないだろうが、無知はガキくらい楽勝で殺すからな。

ついでに、四つや五つのガキを「長時間黙ってじっとする」ようにしつけるのは、ブン殴らん限りムリだ。

犬の躾のノリでブン殴れば可能かもしれんな。遠吠え防止首輪をつけるとか、吠えるとマスタードガスが噴き出すアレな。

それが出来るところまで育ってないからな。まぁ、あんたはブン殴って育てるんだろうが。アレルギーになった時も頑張って治せ。

2012-05-22

ディベートディスカッションは分けよう

最近すごく思う。それは日本人は「ディベート」と「ディスカッション」の2つのものをまとめて「議論」と読んでしまっている。

で、基本的にネットとかの文脈だとほとんどのその「議論」は「ディベート」のことを指していることが多い。ほとんど「口喧嘩」的な意味合いだ。

2つはどう違うのか。

ディスカッション

様々な意見を出しあって、一つの意見建設するもの 議題例「日本の電力政策はどうするのがよいか

ディベート 

つの議題について2つの立場に分かれて意見を戦わせるもの。議題例「日本原子力放棄すべきか否か」

長くなるから例は割愛するけど、これを分けるだけで大分ネット殺伐具合が減ると思うんだ。特にTwitterとか。何か異なった意見を返しただけで人格否定された気になる人とかよくわからないんだけどどんな知的コンプレックス抱えてんだあれ。それはともかく、割とこの2つの弁別クリアにしていくとその場でなすべきコメントの質が見えてきて多少有意義っすよ。

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん